読書ノート2026

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書名 著者
俳句の円環的な読みにかんする試論 伊藤幹哲
チェスの話 シュテファン・ツヴァイク
届かなかった手紙 クレスマン・テイラー
イワン・リッチの死 トルストイ
教養としての量子コンピュータ 藤井啓祐
井伏鱒二ベストエッセイ 井伏鱒二
今こそ経済学を問い直す 中村隆之
ゼロからわかる北欧神話 かみゆ歴史編集部
言語の本質 今井むつみ、秋田喜美
ガリレオ・ガリレイの生涯 ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ
 コーヒーが廻り世界史が廻る  白井隆一郎
 博物学の時代  松永俊男
 西脇順三郎詩集  西脇順三郎
 俳句入門三十三講  飯田龍太
 虹の解体  リチャード・ドーキンス
 日日抄  金村眞吾
   金村眞吾
   
   
 


書名 俳句の円環的な読みにかんする試論 著者 伊藤幹哲 No
2026-01
発行所 俳句文学館 発行年 2026年 読了年月日 2026-01-01 記入年月日

 俳句をやり始めた頃、類句はダメときつく言われた。私も基本的には類句は避けるべきだと思う。しかし類句の体験はある。例えば以下の例:
  湯豆腐や天下国家はさておきて  金子肇
  湯豆腐や天下国家はさて置いて  森本和夫

 これは『天為』2014年3月号に並んで載った句。『天為』はで、同人になる前の会員の訓練のために、西村我尼吾さんが課題句を募集し、選を行っている。課題「湯豆腐」に対する句で、上の2句は表記が違うだけの類句で、4クラスに分けた選の一番下の「準佳作2」に採用された。ちなみに、上から2番目の「佳作」に選ばれたのは
  湯豆腐や天下国家も懐かしく   土田栄一
 で、17音の内11音が上の2句と同じだ。
 
 この3句は同時に投句されたもので、作者はお互いに相手の句を知らない。類句で問題になるのは、先行句があり、あとの句が類似している場合だ。例えば

 ファド洩るるリスボンの路地春の宵  金子肇  『天為』東京例会 2017年4月  有馬朗人並選
 ファド流るリスボンの路地明易し     熊谷佳久 『天為』東京例会 2019年7月  有馬朗人特選

 作者の熊谷さんは俳人の家系に生まれた北海道在住の天為の有力同人。毎月の東京例会に出席していた。この時も来ていたので私の句を紹介した。彼女はびっくりして、知らなかったといった。私の句は東京例会後すぐに『天為』誌に投句したが、同人でもなかった私の句など、千句を越える記載された句の中では熊谷さんが見ることもなかっただろう。

17音という短い詩型、その上定められた季語を入れると言う俳句の制約を考えると、俳句における類句は避けられないと思う。
 本評論の著者も類句を避けられないものとし、さらに一歩進めて類句を肯定的に捉え、類句相互がお互いの意味を深めあって俳句の示す詩的世界が深まり拡がっていくと主張する。著者は「馬酔木」所属。

 いくつかの例を挙げて論じている。最も分かりやすかったのは次の2句:
 静さに堪へて水澄むたにしかな   与謝蕪村
 静かさに堪へで田螺の移りけり   村上鬼城

著者の読み解きを以下に:
 
蕪村の句は、田螺が田や池の水底に動かずにいて、濁らないから水が澄んでいる。他方、鬼城の句の「で」は逆接だ。静けさに堪えることができず、田螺はゆっくりと移りゆく。それぞれに作者と対象との心理的な距離が近い。蕪村句における田螺は留まる田螺、鬼城句における田螺はゆっくり動く田螺。物と作者が渾然一体として田螺と自己とが同一、少なくとも投影と読む解釈からすれば、両句はそれぞれの作者の人生を象徴していると読める。蕪村句の示唆するように動きを求めず留まる人生もまた一つの生き方である。鬼城句の暗示するように疾風怒濤こそが人生と考え、ある場所に安住しない生き方もあることだろう。さらには、ある人の人生における青年期と老年期とも読むこともできる。これらはテクスト間の優劣を付けずに両者を並べたときに生まれやすい鑑賞であると思う。

 このように類句どうしを鑑賞することにより、お互いの意味が深まり、拡がっていく。
テクストはなにも俳句に限らなくてもいい。短歌・音楽・美術等の芸術作品をもテキストとすることができる。そうすることによってテクストそれぞれの世界が更新されて行く。テクストはまた別なテクストとつながり、さらに大きな円を描いて連なっていく。
 
 
今まで切り捨てられてきた俳句があるかもしれない。だが少し捉え方を変えさえすれば、古来のテクストとも未来のまだ見ぬ俳人のテクストとも、また他の芸術作品とも、テクストを介して連なる豊穣なる世界がそこに現にある。

 本歌取りは好きで、私は時々作る。それ以外にも世の中で言い古されている言葉も取り入れて作句することがある。しかし、例えば「良薬口に苦し」を詠み込んだ句など、言い古された言葉ではなく、自分の言葉で詠むべきだという批判を受ける。だから、本論評は私にとっては力強い味方だ。

 本書は以下のページに記載されている。
 https://www.haijinkyokai.jp/prise/cat65/12.html


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書名 チェスの話 著者 シュテファン・ツヴァイク 大久保和郎 他訳、 No
2026-02
発行所 みすず書房 発行年 2011年 読了年月日 2026-01-09 記入年月日

  ツヴァイクの作品は大学のドイツ語のサブテキストで読んだ気がする。面白いと思ったが内容は覚えていない。ネットで紹介されていたので手にした。

「目に見えないコレクション」、「書痴メンデル」、「不安」、「チェスの話」の4編を収める。いずれも一気に読んでしまう面白い作品。

 本書のタイトルとなった「チェスの話」はツヴァイクが1941年に亡命する際に書いた彼最後の作品。2023年に映画化され、公開された。
 舞台は語り手が乗り込んだニューヨークからブエノスアイレスに向かう客船。船にはチェスの世界チャンピオンが乗り込んでいると、語り手の友人から聞かされる。チャンピオンはミルコ・チェントヴィッチというユーゴスラビア出身の人物。子どもの頃父を亡くし司祭に引き取られて育つが、字も読めないような無知蒙昧。しかし、チェスだけは異常な才能を発揮する。15歳でその才能が認めら20歳という若さで世界チャンピオンになる。

 友人からミルコ・チェントヴィッチの生い立ちを聞いた語り手は、是非彼から話を聞きたいと思う。語り手は、ある分野だけに突出した能力を持つ人物の精神に特に興味があるのだ。しかし。ミルコ・チェントヴィッチは傲然と人を寄せ付けない雰囲気があって近づけない。それで、自身が妻を相手にデッキのスモーキングルームでチェスをやる。そこへチェス好きで腕には自慢のスコットランドの鉱山技師がやってくる。語り手はミルコ・チェントヴィッチのことを話す。技師は250ドルという賞金をかけてミルコ・チェントヴィッチに対戦を承諾させる。

 大勢の見守る中で対戦が始まる。しかし所詮は敵ではなかった。技師は再挑戦する。ミルコ・チェントヴィッチは自分が差すと席を立ち、相手が観衆の皆と相談する時間を与える。2回戦では技師がうまく差し有望な局面が現れ、次の差す手の候補も見つかり勝てそうだと思われた。しかし、観衆の中から一人の紳士Bが出て、その手ではなく別の手を差すように指示する。技師が言われたとおりの手を差し、ミルコ・チェントヴィッチを呼び入れる。差された手を見てミルコ・チェントヴィッチは今までの不遜な態度を捨てて考え込む。そして勝負はBの予想通り引き分けに終わった。そして王者の方からBとの対戦を申し込んできた。Bは迷ったがそれを受けることにした。

 Bに興味を持った語り手は、彼から詳しい話を聞き出す。衝撃的な内容だった。

 Bはウイーンの名家で、大きな修道院の法律相談と財産管理をやっていた。しかし、オーストリアがヒトラーに屈すると、彼は捉えられ、ホテルの一室の監禁される。ナチスは修道院の財産を狙ったのだ。Bは逮捕直前に関係書類をすべて処理することができた。しかし、ナチス親衛隊は彼を自白に追い込もうと何もない部屋に閉じ込め外部との接触を一切った。読む物も何もない中で、孤独と焦躁が彼の精神をむしばむ。4ヶ月経ったとき、尋問の控え室にいる時、壁に掛かっていた監視のコートのポケットから一冊の本を盗む。それはチェス名人の150局もの対戦譜でa 2ーa3といった記号の羅列であった。

 駒も番もない中で、彼は頭の中に盤と駒を描き、名人の棋譜を何回も何回も再現した。やがて自分の頭の中に二人の対局者を設定し、戦わせるまでになった。この作業は心身をすり減らすものだった。寝ても覚めてもチェスのこと。それが高じてBは病院へ収容され、そして解放された。

 ミルコ・チェントヴィッチとの対局はBの勝利だった。王者が途中で投げた。ミルコ・チェントヴィッチはもう一番を申し出た。Bは受けたが語り手の心配したように二人の間には険悪な空気が漂った。チャンピオンは1手1手をわざと時間をかけ相手を焦らす作戦に出た。Bは冷静さを失い、最後は錯乱状態になって、勝利を宣言するが、彼は盤上の駒の位置を間違えてみていたのだ。

 面白いのはミルコ・チェントヴィッチはBとは逆に頭の中に盤を描くことができないのだ。つねに盤上に駒を置いてチェスを習得したとされる。

「目に見えないコレクション」はかつては有名な版画のコレクターでだった老人のもとを若い美術商が訪ねる。しかし、この老人は目が見えなくなっていた。にもかかわらず収集した版画を箱から取りだし一枚一枚を美術商に自慢げに説明する。だが、老人の前には置かれているのは白紙である。同居する妻と娘が第一次大戦後のインフレで原画は売ってしまい、その代わりに白紙を置いていたのだ。

「書痴メンデル」はウイーンのカフェの同じ席に何十年も座り続けていた貧しい古書商の話。彼は世界中の本のタイトル、出版年、値段、どこにあるかをすべて記憶している。大学教授や収集家が図書館代わりに彼を訪ねるほどでした。
 しかし第一次世界大戦が起きる。メンデルは本のことしか考えないので、敵国の古書店と手紙をやりとりしていた。それが敵国の協力者と疑われ収容所に送られる。戦後戻ってきた彼は記憶もおとろえ、かつてのカフェもなく、客もなく孤独のうちに死んでしまう。

「不安」は女性の不倫を描いたラブサスペンス。今時のテレビドラマになってもおかしくない作品。

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書名 届かなかった手紙 著者 クレスマン・テイラー、北代美和子訳 No
2026-03
発行所 文藝春秋社 発行年 2001年 読了年月日 2026-01-10 記入年月日
 
 ネットで紹介されていた。25年も前の初版だが、増刷はない。今頃本書が取り上げられたのは、ナチズムの勃興をとらえたものであるからだろう。法と秩序の支配が無視され、暴力による世界支配が進行していることへの警鐘の意味であろう。

 サンフランシスコで大きな画商を共同経営していたマルティンとマックス。ドイツに帰国したマルティンとマックスの間で交換された手紙だけで構成される小説。

1932年
11月12日 サンフランシスコのマックス→ミュンヘンのマルティン
 サンフランシスコのマルティンの家族と過ごした日々をなつかしみ、ミュンヘンに移ったマルティンを祝福する。妹のグリゼレが女優としてウイーンで成功したこと。グリゼレとマルティンの間には恋愛関係があった子を匂わせる。
12月10日 マルティン→マックス
 ミュンヘンでのマルティンの生活振り。30部屋、敷地5ヘクタールもある邸宅に住む。

1933年
1月21日  マックス→マルティン
 「ドイツで権力の座にのしがろうとしている男、アドルフ。ヒトラーとはいったいなにものだ?あの男について書かれていることは、どうも僕の気に入らない。」
3月25日  マルティン→マックス 
 「マックス、わたしは多くの点で、ヒトラーは、ドイツのためになると思う。だが、確信はない。あの男は現在、首相として積極的に働いている。」突撃隊による略奪やユダヤ人狩りはホンの些細なことだとした上で、「いたるところで人びとは活力を取りもどしている。……もはや人びとは屈辱で身を包んではいない。もう一度、希望をもち始めている。
以下、3ページにわたりナチスに傾倒て行く心情が綴られる。

5月18日  マックス→マルティン 
 ユダヤ人虐殺がアメリカにも伝えられていること。ユダヤ人である妹がウイーンで成功しベルリンでの公演のオファーに応じていることを心配。  
7月9日   マルティン→マックス 
 ユダヤ人宛に手紙を書くことができないので、取引先の銀行の用箋に書く。宛名もなく「拝啓」としか書いていない。「せひともきみに見せたい、きみの目に入れたい――われらが寛大な指導者のもとでの、この新しいドイツの再生を!中略 われらが血統から劣等分子を粛清する。強い筋肉は新たな仕事を求めてうずき、われわれは歌声高く谷を越え――そして、四方の山々からは、ドイツ民族いにしえのちから強き神たち、ヴォータンとトールの声が響き渡る
 この最後の部分は突撃隊の行進曲の一節であると解説にあった。たまたま神話で楽しむ俳句が北欧神話を題材にしているところで、最高神オーディン(ヴォータン)と雷神トールがこんなところに出て来て驚いた。
 これで手紙はもう終にすると。

8月1日 マックス→マルティン
 上の手紙はマルティンの本心ではない、きみは本来自由主義者だと。
8月13日  マルティン→マックス  
 ヒトラーを支持するマルティンからの絶縁状
 「手紙は受け取った。答えは「ノー」だ。きみは感傷家だ。
自由主義者は言葉や耳ざわりのいい原則論を愛する。だが、世界をいまあるような形に作りあげている人間たちにとって、自由主義者は無用の長物だ。実行する人間、それだけが重要な人間なのだ。そして、このドイツで、ひとりの実行家が立ちあがった。活力あふれる男がものごとを変革している。人びとの生活の流れすべてが、一瞬のうちに変化したなぜならば、行動の人が登場したからだ。わたしはその人のもとにはせ参じる。
 
9月5日   マックス→マルティン  
 ベルリンに行った妹を守るよう依頼。
 今までは差出人は「シュルセ・アイゼンシュタイン画廊」とマルティンとマックスの姓を併記していたが、この手紙からは「アイゼンシュタイン」とマックスの姓だけにした。アメリカでドイツ名の付いた会社のものには一切手を出さなくなるだろうと。  
11月5日  マックス→マルティン  
 妹宛の手紙が「転居先不明」で返ってきた。
11月23日 マックス→マルティン  
 ユダヤ人仲間から流れてくる情報では、妹がベルリンの舞台で襲われ、歩いてウイーン向かった。ミュンヘンのマルティンのところによったのではないかと問う。
12月8日  マルティン→マックス  
 宛名にはマックス宛ではなく「ハイル・ヒトラー!」
 マルティンの家にやって来た妹は突撃隊員に殺されたと。
 「きみの妹は舞台のうえで、ユダヤ女の肉体を清純なドイツ人青年の前に晒した。わたしはそんな女をとらえ、突撃隊員に突き出すべきだった。だが、それはできなかった」。マルティンはグリゼレに奥の森に逃げるよう指示する。しかし、その姿は突撃隊員の目にとまってしまう。

1934年
1月2日   マックス→マルティン 
 国際電報、業務上の電報だが意味不明
 この後3通の業務上の手紙がマックスから送られるが、意味は不明。
2月12日  マルティン→マックス 
 電報と手紙はユダヤ人からのものとして、当局に差し押さえられている。そして、電報と手紙の説明を当局から求められた。ユダヤ人との間の何か暗号のようなものをやりとりしていると当局は疑った。マルティンは否定するが、公職を追われ、家族も冷たい目で見られる。マックスにもう手紙を送らないように哀願する
 しかし、マックスはその後も2通の手紙を送る。
 最後は電報を送ったが、その電報は「転居先不明」34年3月18日というミュンヘン局の押印がされた。

 細部まで細かい配慮がされて良くできた小説だ。

 この作品が発表されたのは1938年、アメリカの『ストーリー』誌。原題は『Address Unknown』。作者の本名はキャサリン・クレスマン・テイラーという女性。女性が書いた政治小説ということで軽く見られのを避けるためにキャサリンをつけなかったという。

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書名 イワン・リッチの死 著者 トルストイ 米川正夫訳、 No
2026-04
発行所 岩波文庫 発行年 1928年刊、2024年90刷 読了年月日 2026-01-18 記入年月日

 ある事件の裁判の休憩時間に集まった判事や検事のところに同僚のイワン・リッチの死の知らせが届くところからこの小説は始まる。彼らがまず考えたのはイワン・リッチの空席を誰が埋めるか、その結果自分はどうなるのかであり、さらに彼の財産についてであった。
トルストイはこう記す:
この訃報を聞いたすべての人は、この死のために生ずる勤務上の異動や変化を、さまざまに胸の内で想像したが、なおそのほかに、親しい知人の死なる事実そのものが、訃報に接するすべての人の心中に、『死んだのはおれではなくてあの男だ』という、いつも変わらぬあの悦びの情を呼びさましたのである。

 細やかで鋭い人間の洞察に驚く。トルストイのものは中学時代に『幼年時代』『イワンバカ』を読んだ記憶いがあるが、その当時の印象からは、ここに挙げたような鋭く、辛辣な洞察は思いもよらぬものだ。

 イワン・リッチは官吏の子として生まれる。父はペテルブルグのさまざまな官省を転々として栄達を極め、さまざまな用もない会の用もない委員を務めていた。イワン・リッチは法律学校時代で勉強し、予審判事を経て、最後は中央裁判所の判事となり45歳で死んだ。病名は述べられていないが痛みを伴うその苦しみ方からして消化器系のがんであろう。
家族も医師も誰もが表面的にしか彼と相手してくれないなか、彼は病床で自問自答する(p88~):

「生きる?どう生きるのだ?」と心の声がたずねた。
「なに、今まで生きて来たのと同じように生きるのだ、気持ちよく、愉快に。」
「今まで生きてきたように、気持ちよく愉快に?」と心の声がたずねた。で、彼は自分の想像のうちで、過去の愉快な生活の中でも、とりわけ幸福な瞬間を選り分けはじめた。しかし――不思議なことには――こうした愉快な生活の幸福な瞬間が、今になってみると、前とはまるで別なふうに感じられた。なにもかも――幼年時代の最初の追憶を除くほか――ことごとくそうであった。中略

 今の彼イワン・イリッチを造りあげた時代が始まるやいなや、その当時よろこびと思われたものが、今の彼の目から見ると、すべて空しく消えてしまい、なにかやくざなものと化し終り、その多くは穢らわしいものにさえ思えた。

 幼年時代から遠ざかって、現在に近づけば近づくほど、喜びはますますつまらない、疑わしいものになってきた。それは法律学校時代からはじまる。もっとも、その時代には、まだ本当にいいものもなにやかやあった。そこには快活さがあった、そこには友情があった、そこには希望があった。しかし、上級に進んだ時、こうした幸福な瞬間はもうだいぶ少なくなった。それから、はじめて県知事づきで勤務した時、再び幸福な瞬間が現れた。それは女に対する愛の記憶であった。やがて、そういうものがみんなごっちゃになって、美しいところはいっそうすくなくなった。それから先はまたさらに減じて行き、年をとれば取るほど状態が悪くなる。

 結婚……それから思いがけない幻滅、妻の口臭、性欲、虚飾!それから、あの死んだような勤め、金の心配、こうして一年、二年、十年、二十年と過ぎていったが――すべては依然として同じである。先へ進めば進ほど、いよいよ生気がなくなってくる。自分は山へ登っているのだと思い込みながら、規則正しく坂を下っていたようなものだ。まったくそのとおり。世間の目から見ると、自分は山を登っていた。ところが、ちょうどそれと同じ程度に、生命が自分の足もとからのがれていたのだ……こうしていよいよ終わりが来た――もう死ぬばかりだ。


本書の最後:
 
古くから馴染みになっている死の恐怖をさがしたが、見つからなかった。いったいどこにいるのだ?死とはなんだ?恐怖はまるでなかった。なぜなら、死がなかったからである。
 死の代わりに光があった。
 「ああ、そうだたのか!」彼は声にたてて言った。「何という喜びだろう!」
 中略

 
「いよいよお終いだ!」誰かが頭の上で言った。
彼はこの言葉を聞いて、それを心の中で繰り返した。『もう死はおしまいだ』と彼は自分で自分に言い聞かした。『もう死はなくなったのだ。』
 彼は息を吸いこんだが、それも中途で消えて、ぐっと身を伸ばしたかと思うと、そのまま死んでしまった。

 
 AIにこの小説を要約させると : 出世と体裁だけで生きた男が、死の直前に「本当の人生」に気づく物語。

『』で人物の内心を表すが、文中に多数現れる。モノローグ
読みにくい翻訳だと思ったが、訳者は有名なロシア文学者。今からおよそ100年前の訳で、今では使われない漢字や表現があるのはやむを得ないか。1973年に米川正夫の息子が改訂の筆を加えたと、後書きにある。



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書名 教養としての量子コンピュータ 著者 藤井啓祐 No
2026-05
発行所 ダイヤモンド社 発行年 2015年11月 読了年月日 2026-01-29 記入年月日

 これもネットで紹介されていた本。量子力学の誕生から、基本的考え方、そして量子コンピュータの原理から、社会的影響まで含む解説書。キーワードは量子の重ね合わせ。
 重ね合わせの例として、水素原子がお互いに電子を共有して水素分子を形成するのを、共有結合は電子が古典的な粒子ではなく、量子力学的な重ね合わせをもった結果であるとする。こういう見方は初めて接したが、量子力学的にはそういうものかと思った。p50。

 もう一つの例として、シュレディンガーの猫が挙げられている。箱の中の猫は生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせであると説明する。観測することにより、重ね合わせが破れて、どちらかの状態になる。(p127)

 
ビットの場合、古典ビットは0か1のどちらかを必ず選ばなければならない。これに反して、量子ビットは0とも1とも決まっていない重ね合わせの状態を取る。この量子ビットは0と1とを同時に表せることであり、測定するまでは0と1との可能性が両方残されている。そして、それらの可能性を連続的に変化させることができるので、量子コンピュータの計算速度を格段に上げることができる。(p89~)
 といわれても、まったくイメージできない。ということは量子コンピュータの本質が分からないと言うことだが、分からないまま、もたらす影響、効果を読み進めた。

 
2017年にマイクロソフトが、アンモニア合成の解析に量子コンピュータが利用できると発表した。アンモニア合成には全世界の数パーセントのエネルギーが消費されているため、食料・エネルギーの分野に大きな革命をもたらし得る。 
 グーグルは、人体内に存在する酵素を解析する量子アルゴリズムを開発している。この酵素は、薬の効き目や副作用に深く関係しており、正確な予測ができれば新薬開発のスピードや安全性が飛躍的に高まると期待されている。中略
 なぜ量子コンピュータがそこまで幅広く使えるか?
 理由はとてもシンプルだ。私たちの自然界を支配している物理法則そのものが「量子力学」だからである。自然を、自然の言葉である量子力学の原理で“計算”できる機械。それが量子コンピュータだ。中略
 量子コンピュータは「単なる速い計算機」ではない。
 自然を深く理解し、人類の知の地平を押し広げる”新しい望遠鏡”であり”顕微鏡”でもあるのだ。
p8~9。

グーグルによる量子超越実験(p114~)
 量子コンピュータがスーパーコンピュータより性能が優れていることを実証する実験。
2019年にグーグルは53量子ビットを搭載した超伝導量子コンピュータを用いてランダム量子回路サンプリングを実行し、高い確率で正しい結果を得た。(といっても何のことかは分からない)。これを古典コンピュータでシミュレーションすると数十ペタバイト(ペタは1000兆)のデーター容量が必要となる。最新鋭のスーパーコンピュータを用いて1万年かかる計算を、量子コンピュータは200秒でできた。

 グーグルのこの発表は大きな反響を呼び、すべての暗号が解読され、ビットコインなどの仮想通貨が無価値になるのではという不安を招いた。しかしすぐに心配する必要はないと本書は云う。現在の量子コンピュータの性能では到底暗号解読はできない。2048ビットの数の素因数分解には2000万量子ビット規模の量子コンピュータで8時間ていどかかるとされている。その実現には楽観的に見ても10年、多くの研究者は20年はかかると見ている。

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書名 井伏鱒二ベストエッセイ 著者 井伏鱒二 野崎歓編集 No
2026-06
発行所 筑摩文庫 発行年 2025年10月 読了年月日 2026-02-06 記入年月日

  身辺雑記といった方が良い。私が書いているエッセイとは毛色が大きく違う。私のエッセイはテーマが最初にあって、それに沿うように書く。井伏のエッセイはテーマと言おうような意図的なものを持たないで書く。その違いだろう。その分人柄が滲み出ている。

帯には「
日本語を読む悦びに、のびのびと浸る。
 酒と釣りと温泉を愛した作家の随筆集
」とある。

 かつて、高校受験の国語の参考書に井伏の随筆が載っていて、それに対するいくつかの設問があった。乗り合いバスが途中で止まってしまい、運転手と乗客の間のやりとり,ごたごたを書いたものだった。それが本書にもあるかと思ったが、載ってなかった。その随筆には、世間に対する鋭い批判を含んでいた。設問に対する私の答えは、まったく的外れであったのを記憶している。

 本書のような肩の張らない読み物も良いものだ。書中には個人名が何のお構いもなく出て来ている。森鷗外、大隈重信、太宰治、小林秀雄とか有名人なら構わないだろうが、大学のクラスメートや、中学の教師のひどい教師、若い頃の遊び友達なの実名など、今では出せないのではないかと思った。

 収載されて作品は1930年から、1983年までに及ぶ。その間には戦争中、宣伝班員として徴用された120人余りの一人としてシンガポールに行った。そこでは作家や画家なども多くおり、淵田嗣治もその一人で、井伏は藤田から絵をもらったことを書いている。

 釣りで、十和田湖と周辺に行った紀行文には見習いたいような風景描写がある。
 
車は樹海のなかに通じる道を進んだ。左右からブナの枝が差しかかって天蓋をつくり、前方を見ると、下り坂の若葉のトンネルとなっていた。その茂みの隙から見えるのは、重なり合った山の、あくまでも濃いみどりの密林だけである。この附近から背後の山、約二十数キロにわたる密林を、十和田樹海と云うそうである。ブナの木を主にした一大原生林である。蔦川に沿う道に出ると、黒っぽい羽の鳥が二羽、川のおもてをかすめて飛びながら、車と並行について来た。川つぐみにしては二倍三倍も大きすぎるようである。その鳥は、川が瀧になっているところまでついて来ると、身をひるがえして滝壺の真青な水面に身を浮かべた。同じような鳥が、瀧をかすめて何羽となく飛びまわっていた。(p211)。

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書名 今こそ経済学を問い直す 著者 中村隆之 No
2026-07
発行所 講談社現代新書 発行年 2026年1月20日 読了年月日 2026-02-21 記入年月日

  サブタイトルは:切実な「必要」の声を聴くために
 表紙のカバーには「
GDPが増えればほんとうに幸せになれるのか?」とある。

 私も本書の表紙カバーのような疑問は最近感じている。そんなときネットで紹介されていた本書が目に入った。

 経済学と言えば、中学のとき、アダム・スミスが分業の効率を説いたという話を聞いたのを思い出す。針を作るのに一人でやるよりも、何人かに分けて一人は針金を延ばし、一人は針金を切り、一人は先をとがらせ、一人は頭に穴を開けると分業した方がずっと効率が良いという話だ。物を作るのにはなるほどと思った。しかし本書を読んで、それは単なる作業工程の効率化に留まらず、人びとが自分の得意とする分野で才能を発揮し社会に貢献し、その結果豊かな社会が築かれるという、もっと広い意味を持つものであることが本書を読んで理解できた。自分の能力の発揮できる職業で得た金で、他人の能力の成果を買うことができる。分業と交換によって人間は豊かに生きることができる。スミスはこれを「
才能の差異を社会の共有財産にする」と述べている。p46.

 スミスの次はマルクス。マルクスの理想は、生産貢献者に限らない自由・対等な市民社会=生き方の相互承認。目標は「必要に応じた分配」。

 次いで、J・S・ミルとマーシャル。二人はスミスの価値観、思考法の特徴を継ぎ、普通の経済学者以上に公平を気にし、貧困を問題視した。彼らは「必要に応じて分配」という目標がもつ高い理想は認めていたが、現実問題として当時の段階ではそれを追求できないと判断した。

 ミルは市場を自発性を発揮する場としてみていた。「
社会主義者が目指す理想の究極の姿が、マルクスの目標「必要に応じて分配」であるとすれば、ミルはその理想を実現できるような精神――私利に固執せず、他者を認める優しい心――に共感を寄せつつ、少なくとも現段階においてはそれにコミットできないと考えた。ミルがもっとも大事と考える自由と自発性は、現状では市場において保たれるものであり、それを機能させるためには、やや卑しい面があるにせよ、経済的動機によって動く人間像を肯定せざるを得ないのである」p93~94

  アルフレッド・マーシャルはJ・S・ミルの後継者。1890年『経済学原理』を著し、その中で初めて需要曲線と供給曲線がクロスする図を描いた。しかし、彼がやりたかったのは需給均衡理論以上のこと、貧困問題を解決する方法の確立、つまり成長の経済学であった。

 事業経営者が資本を投下する先は固定資本だけではない。労働者たちのやる気や、ライバルと競い合いながら知識創造の先端を走ることによる活気といった形のないものも重要な投下先であるとマーシャルは考えた。こうした無形資本に対して、三大生産要素と呼ばれる労働・資本・土地とは別に第四の生産要素「組織」という位置づけを与えた。そしてこの「組織」への投資こそが経済成長をもたらすとした。p98

ケインズ
 
論理と直観を適切に混合すれば、何となくこうだと考えられている常識を超えた見解に到達できる。これが、ケインズという経済学者の特徴である。p110.
『一般理論』においてケインズは、市場の自動調整機能を否定した。市場には需給均衡に向かう自然作用が組み込まれているから、その力が作用すれば需要と供給が一致し、資源は効率的に利用される、というのが市場の自動調整機能である。需給均衡の作用が完全ではないにせよ、きちんと作用してさえすれば資源は完全に利用される――労働で言えば働きたい人がすべて働ける完全雇用状態になる――というのが経済学者の常識であった。けれども、ケインズは、「自動調整機能はあるけどうまく働いていない」のではなく、「そもそも自動調整機能がない」と主張したのである。
p112

 
経済が労働資源を適切に活用するためには、需給均衡に任せるのではなく、総需要を管理する政府の政策が必要である。これが『一般理論』に於けるケインズのメッセージである。p114、

 
ケインズは、人びとの必要を「絶対的な必要」と「相対的な必要」に分ける。絶対的な必要とは、人が生きていくために必ず必要とする基本的な衣食住に関するものである。一方、相対的必要とは、生きるために絶対必要というわけではないが、他者との比較があるから欲しいと思うようなものである。そして、資本主義経済は、適切な管理の下でならば――大戦争・人口爆発・不作為による大恐慌を避けるならば――経済成長という複利の力を使って物質的な冨を飛躍的に増加させることができ、あと一〇〇年もすれば絶対的必要をすべての人に満たすことが可能となるだろう、とケインズは大胆に予測する。p118

 これは1928年に小さな会合の講話として発表されたもの。ほぼ百年経った現在、日本を含む先進西側諸国の現実は予言に近いかもしれない。しかし、発展途上国の現状はどうだろう。それ以上に、何が絶対的必要かは個人の主観によるところが大きいのが問題だ。

 ケインズ的考え方の下では従来は「従」であった「必要」が考慮されるようになり、第二次世界大戦後、雇用の安定を含む国民生活の安定に政府が積極的な役割を果たす福祉国家体制が生まれた。失業は個人の問題ではなく、社会の問題であるという認識が広まった。p127.

 かくして生まれた福祉国家体制は、大きな成功を収めた。西側先進資本主義国では失業率は低く、経済成長率は高かった。1870年~1913年の平均実質経済成長率は約2%であったが、1945年~1973年は約4.5%で、日本だけ見れば2.4%が9.4%にアップした。

 しかし、70年代に福祉国家体制は行きづまる。73年の石油ショック以降、福祉国家体制を支えていた経済成長率が低下する。その原因の一つは、戦後、市場に課せられたさまざまな規制が業界の既得権益となっていったこと。そのため業界は政治権力にすり寄って、顧客の方を向かなかった。規制があれば事業は安泰だと思い、事業環境の変化に対応する能力が減退した。

 1980年代、いわゆる新自由主義に基づく改革が始まった。「
市場が与える評価は正しいとなった。小さな政府と規制緩和が主張され、政府の介入は自由競争市場を歪めると批判されるようになった。悪しき規制を撤廃すれば自由競争が作用する。福祉に甘えた人びとがもうもらえないと思えば自己責任で頑張る。よって、再び経済成長が起こる。
 この時代日本では民営化政策により、JR、NTT、JTが誕生した。私はそのことによりサービスの向上を実感し、新自由主義を歓迎した。

 しかし、経済成長路線はもはやわれわれの現実には合っていないと著者は言う:
①われわれは資源の制約に直面しており、物質的消費や人口の増加を続けることはできない。
②われわれは(少なくとも先進国では)すでに高度な消費レベルを享受しており、GDPであらわされる価値の増大が、より多くの幸福とよりよい社会の実現を意味しなくなっている。
p150

 以降の分配論、「必要」に関する論議は、まとめるのが難しいので、冒頭に戻る。

 
真に豊かな社会をめざすのであれば、経済成長を追求する路線で誤魔化すのではなく、豊かさとは何かを根本的に問い直さなければならない。とくに問い直されるべきは、金銭の支払い意思で示される購買欲求を満たすことがよいという価値観である。この問い直しの文脈で「欲求」と区別される「必要」という概念が注目されている。p5
 著者はこの「必要」概念の特徴として二つをあげる:
 
第一に、どのような「必要」が満たされるべきかという社会的な論議が土台にあること。簡単に合意などできないかもしれないが、何が「必要」かについての人びとの論議は避けて通れない。
 第二に、その「必要」は財・サービスで充足されるものに限らないこと。具体的には差別されないこととか、居場所があるとかも含まれる。女性であることで職場において差別を受けるかもしれない。以下、性的マイノリティー、働けなくて給付を受けている人など。
p7

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書名 ゼロからわかる北欧神話 著者 かみゆ歴史編集部 No
2026-08
発行所 イーストプレス社 発行年 2017年 読了年月日 2026-03-20 記入年月日

 神話で遊ぶ俳句の北欧神話編のテキスト。毎月4柱の登場人物を題材に2句ずつ作る。13ヶ月かけて今月で終了。

 私にとってはまったく初めて知る物語。北欧に古くから残る物語が語り継がれて、12世紀頃書物として記されたというから、ギリシャ神話やシュメール神話などよりずっと新しい。特徴はなんと言っても神々も死に、最終戦争「ラグナロク」で神と巨人族が相打ちになり、世界は一旦滅亡するというストーリー。北欧という厳しい気象環境のせいか、物語も荒々しい。本書では北欧神話が現代のファンタジーやゲームの題材にされていることが、神々や英雄あるいは魔物について解説の最後にふれられている。

 少し前のNHK番組、「30日で分かるアインシュタインシリーズ」の中で、北欧神話の世界観、ユグドラシルの世界図が示されていた。この世界図では世界は一本の巨大樹ユグドラシルを中心に広がり、その根本は三つにわかれ、それぞれ極寒の国、灼熱の国、神々の国で、ユグドラシルはそれぞれにある三つの泉に根を下ろしている。

 リヒャルト・ワーグナーは北欧神話をもとに楽劇『ニーベリングの指輪』を作った。

 さらに『届かなかった手紙』の中に引用されていた、ナチス突撃隊の行進歌の歌詞として主神オーディン(ゲルマン神話ではヴォータン)と雷神トールの名が出ていた。現代の神話的戦士団として突撃隊が自分たちを位置づけたものだという。

 凍る夜を語り継がれし神話かな   肇


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書名 言語の本質 著者 今井むつみ、秋田喜美 No
2026-09
発行所 中公新書 発行年 2023年 読了年月日 2026-04-08 記入年月日

 25年3月で12版を重ねる。サブタイトルは「言葉はどう生まれ、進化したか」。
 表紙カバーには「
2024書大賞第1位とあり、東大、京大、早慶で1番読まれた本」と大書されている。こんな本がSNS全盛の今の若い人に読まれているとは意外。
 
 著者の研究に基づいたオノマトペを言語であるとする言語論。言語の接地、身体性、アブダクション推論などが興味を引いた。

オノマトペのアイコン性
 
オノマトペは「感覚イメージを写し取る、特徴的な形式を持ち、新たに作る出せる語」と定義されるが、その中でも「写し取る」という特徴が鍵である。オノマトペは基本的に物事の一部分を「アイコン的」に写し取り、残りの部分を換喩的な連想で補う点が、絵や絵文字と言ったアイコンなどとは根本的に異なる。p18.

オノマトペの言語性
 言語の十大原則、コミュニケーション機能、意味性、超越性、継承性、習得可能性、生産性、経済性、離散性、恣意性、二重性に照らして、オノマトペや口笛、咳払いなどを比較した。結果、オノマトペは恣意性と二重性には△がつくが、その他はすべて○で、言語的特性を満たしていると著者は言う。p89.
 言語は恣意的でなければならないという従来の考えに代わって、2000年代以降、言語が身体につながっていることを示す実証データが蓄積されてきて、言語は身体的であると言う理論が広く受け入れられてきた。p98

 
発生当初から言語は抽象的で複雑な巨大システムだったとは考えにくい。子供も当初から巨大システムを持っているはずがない。子供はどのようなことばを最初に覚えるのか、どのように言語が記号のシステムであるかを理解し、どのようにこのような抽象的な意味を持った巨大なシステムを習得し、自分の身体の一部にしていくのか。この問題を考える上で、言語の特徴を持ちながら、身体につながり、恣意的でありながらもアイコン性を持ち、離散的な性質を持ちながらも連続性を持つと言うオノマトペの特徴は、ミッシングリングを埋める有望なピースである。p99。

 言語という記号体系が意味を持つためには、基本的な一群のことばの意味がどこかで感情と接地(ground)していなければならない、という認知科学者スティーブン・ハルナットの主張を紹介している。ハルナットはAIの記号アプローチを批判し、記号の意味を記号のみによって記述しつくすことは不可能であると指摘する。

演繹推論、帰納推論、アブダクション推論
 論理学の推論と言えば演繹推論と帰納推論であるが、哲学者チャールズ・サンダース・パースはこれに加えてアブダクション推論「仮説形成推論」を提唱した。
 この三つの推論のうち、演繹推論はつねに正しい答えを導くことが出来る。帰納推論は観察したサンプルの99%が当てはまる事象に基づき「すべてのXはAであると一般化しても、AでないXが一例でも見つかれば論理的には偽になる。とアブダクション推論はそもそも仮説に過ぎない。科学史において誤った仮説は星の数ほどある。しかし、この三つの推論のうち新しい知識を生むのは帰納推論とアブダクション推論であり、演繹推論は新たな知識を創造しない。

 帰納推論は観察される部分を全体に一般化する。それに対してアブダクション推論は観察データを説明するための、仮説を形成する推論である。推論の過程において、直接観察不可能な何かを仮定し、直接観察したものと違う種類の何かを推論する。例えば、物体は支えがないと落ちるという結論は帰納的に導出できるが、この帰納推論からは重力という概念はどんなにがんばっても生まれてこない。アブダクション推論はなぜ支えられていないものが落下するのかという現象に対して説明を与えるものである。212p。

 帰納推論とアブダクション推論は、絶対正しい正解が決まらない推論である。だから新たな知識を創造する。帰納推論とアブダクション推論はつねに修正されねばならない。これらの推論が、個人における言語の習得、あるいは言語以外の知識体系の習得に貢献し、人類全体の知識の発展に貢献するためには、推論の結果として創造された知識はつねに修正されなければならない。p217

幼児の言語習得
 
言語の学習には、記号と対象の間の双方的な関係性を理解し、どちらかの方向(例えば記号A→対象X)の結びつきを学んだら、その結びつきを逆方向に(対象X→記号A)に一般化できると想定する必要がある。ヒトの子どもがことばを覚えるという事実はその時点で対称性推論を行っていることを示す。
 対して、ヒト以外の動物種では、ほんの少数の例外を除いて、対称性試論は行わない。これらの観察できる事実から、対称性推論をごく自然にするバイアスがヒトにはあるが、動物にはそれがなく、そのことが、生物的な種として言語をもつかもたないかを決定づけている、という仮説が得られる。
p234

 しかし、この仮説には未解決の大きな問題があった。対称性推論をするバイアスが、ヒトの子どもでどのように生まれるかという問題である。

 
仮説1.ヒト乳児は生まれながらに対称性推論をするバイアスを持っている。この仮説は、生まれつき対称性バイアスを持っているからヒトは言語習得が可能だという仮説に連結している。
 仮説2.ヒトの乳児は言語学習の経験を通して、ことばという記号と対象の間に双方向性の関係があることに気づく。つまり、対称性推論をするバイアスは言語学習の結果生まれる。


 著者はこの二つの仮説のそれぞれの問題点を指摘し、実験によって確かめた。対象は8ヶ月の乳児と7頭のチンパンジー。かなり手の込んだ実験により、ヒトの8ヶ月の乳児は対称性バイアスを示したが、チンパンジーでは示さなかった。このことより著者は仮説1を支持する。

 
ヒトは、居住地を全世界に広げ、非常に多様な場所に生息してきた。他方、そのために多くの種類の対象、他民族や自然などの不確実な対象、直接観察・経験不可能な対象について推測・予測する必要があった。未知の脅威には、新しい知識で立ち向かう必要があった。この必要性を考えれば、たとえ間違いを含む可能性があってもそれなりにうまく働くルールを新たに作ること、すなわちアブダクション推理を続けることは、生存に欠かせないものであった。アブダクション推理によって、人間は言語というコミュニケーションと思考の道具を得ることができ、科学、芸術などさまざまな文明を進化させてきたと言えるかもしれない。

 他方、生息地が限定的なチンパンジーなどでは、生活の中で遭遇する対象の多様性・不確実性がヒトほど高くない。そのような環境の下では直接観察できる目の前の対象を精度よく処理するほうが生存には有利なので、「間違うかもしれないけど、そこそこうまく行く」思考はそれほど必要なかったのかもしれない。その場合、誤りのリスクを冒してアブダクション推理をするよりも、誤りを犯すリスクが少ない演繹推論のほうが、生存に有利だったのかもしれない。
 p245

 本書の題名からしてチョムスキーの言語論が当然触れられるものかと思っていたが、チョムスキーの名が一切出ない。チョムスキーはその分野の専門の研究者から見ればすでに過去の人なのか。しかし、著者らは結論として言語習得の生得説を支持しているように見える。

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書名 ガリレオ・ガリレイの生涯 著者 ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ、田中一郎訳 No
2026-10
発行所 岩波文庫 発行年 2023年10月 読了年月日 2026-04-25 記入年月日

 書店で目についた。最晩年のガリレオの世話をした人物の表したガリレオ伝。

 著者のヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ(1622-1703)はフィレンツェの貴族の生まれ。幾何学を学び神童と称され、トスカナ大公フェリディナンドⅡ世からガリレオに会う機会を与えられた。ガリレオは盲目となり口述筆記筆記者を必要としていて、16歳のヴィヴィアーニを自宅に迎え入れた。ガリレオの死後、その弟子や息子までもが次次になくなり、ヴィヴィアーニはガリレオの遺稿を整理し著作集を刊行することと、彼の伝記を書くことを自分に課した。そして本書に収める以下の3編が刊行された。

「ガリレオ・ガリレイの生涯についての歴史的報告」(フィレンツェの貴族に宛てたもの)(1654年)
「振り子時計への応用に関するメディチ家のレオポルド殿下への手紙」(1659年)
「最晩年のガリレオについての報告」(1674年))

 以後、数知れずのガリレオ・ガリレイの伝記が出版されたが、それらのほぼすべてがこの3編から出発していると、訳者の田中一郎は言う。

以下特に注目したのは:
 宗教裁判のことには触れていない。
 当時の王族、貴族、聖職者などがこぞって彼の学説を聞き、学びたがった。p69以下には当時の王侯貴族名が多数あげられている。中にはスエーデンの王子がお忍びでガリレオを訪問し、数々の教えを受けたと。
 ピサの斜塔での実験は本書によって有名になったが、事実であったかどうかは不明であるとされる。p82以下に訳者による詳細な解説がなされている。
 振り子時計はガリレオの創案。試作は彼の死後息子が行ったが、未完のうちに息子も亡くなった。解説によれば当時は科学的真理以上に、それが実際に応用されることの方が重視されたという。
 
以下本書から:
 
彼はほんのわずかしか本をもっていなかったが、それらは最良で第一級のものだった。彼は哲学と幾何学の分野で書かれた優れた意見を、それが才能ある者に教え、同様のあるいはより豊かな思索へと鼓舞するがゆえにとても称賛した。しかし彼は、自然哲学のきわめて豊かな宝物庫へと導く正面の門は観察と実験であるとよく言っていた。それは、気高く好奇心のある知性が感覚という鍵を使うことで開かれるのである。p60

 ガリレオ氏は通俗の名誉を追い求めてはいなかったが、俗衆から自分を区別しうる栄誉は別だった。謙虚さはいつも彼の友だった。彼には虚栄心とか傲慢さは決してなかった。不運に見舞われたときも彼は信念を保ち、敵たちの迫害にとても勇敢に耐えた。 怒りっぽかったが、もっと素早く静まった。普通の会話ではとても愛想がよく、大事なことを語るときには威厳のある意見や発想で満ちていた。愉快に話題では、機知と辛辣さに欠けることはなかった。彼が他人の学説や自分自身の考察を説明するときの説得力と表現力は彼の文書や作品に右に出る者がいないほどあまりにも明らかで、いわば神業だった。
p63~

 下線部分は婉曲に宗教裁判と迫害を述べたものであろう。
 以下彼の抜群は記憶力で、ラテン詩人やトスカナの詩人達の詩を記憶していて、詩の評論のみならず詩作も行い、音楽理論を深く理解し、さらに絵画、彫刻、建築にも優れた審美眼をもっていたという。訳者は解説でレオナルド・ダビンチにも匹敵すると述べる。

 ガリレオはその天分の卓越さゆえに運動を神の幾何学の厳密な法則に従属させた最初の人となった。p142.

 本書には訳者による膨大な注が施されている。
「ガリレオ・ガリレイの生涯についての歴史的報告」は本文は60ページに対し178カ所、65ページの注がなされている。。

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書名 コーヒーが廻り世界史が廻る 著者 白井隆一郎 No
2026-11
発行所 中公新書 発行年 2023年 読了年月日 2026-05-19 記入年月日

 エッセイ教室の今月の課題がコーヒーだった。書き終えて送付した後、本書の紹介をネットで見つけた。
 サブタイトルは「近代市民社会の黒い血液」

 長い題が本書の中身をそのまま表しているコーヒーの世界史。書かれているのは私にとってはほとんどが初めて知ることばかり。世界を広く見渡し、多種の詳細な史実が述べられ一般教養書と言うより専門書と言える本。それでいてくだけた書き方が随所に見られて楽しい。

 表紙カバーの裏側に要領よく内容が纏められている:以下
 
東アフリカ原産の豆を原料とし、イスラームの宗教的観念を背景に誕生したコーヒーは、近東にコーヒーの家を作りだす。ロンドンに渡りコーヒー・ハウスとなって近代市民社会の諸制度を準備し、パリでフランス革命に立ち会い、「自由・平等・博愛」を謳い上げる。その一方、植民地での搾取と人種差別に関わり、のちにドイツで市民社会の鬼っ子ファシズムを生むに至る。コーヒーという商品の歴史を、現代文明のひとつの寓話として叙述する。

以下本書から:
 
コーヒー起源伝説はすべてイスラームの僧侶伝説であり、しかも単に偉い僧侶というのではなく、一定の宗派を指定している。すべてスーフィーと呼ばれるイスラーム神秘主義の僧侶であり、さらに限定すれば、アル・シャージリーによって開かれたシャージリーア教団のスーフィーである。p9.

 
覚醒剤の作用を持つ「健康な」飲み物がイスラーム世界に出現したのは、西暦十五世紀後半、南アラビアのアデンに置いてであったということになる。p12

 コーヒーのもたらす作用がスーフィズムの精神に合致するものであった。そのひとつは飲むと眠れないこと。イスラームでもっとも善なる宗教的行為は、モスクで夜を徹して祈ることであった。p17.
コーヒーを飲むとやせる。痩身はスーフィーに限らずイスラームの美意識の要求するところであった。p21

 
一六五二年、ロンドンの一隅に一軒のコーヒー・ハウスが誕生した。粗末な作りであった。しかし、その粗末な空間が巨大な未来をはらんでいたという点で、比較できるのはかのベッツレヘムも馬小屋くらいなものである。p58 本書の特徴である大袈裟な書き方の一例。

 ロンドンのコーヒーハウスは、海外に展開する商人たちなどが互いに情報を交換する場となった。さらに、それは公的世論形成の場ともなっていった。p60~

 コーヒーハウスは近代市民を形成するのに大きな力を発揮した。それは会話能力である。
従来ひとが会話する場所として思い浮かべるのは、舞踏会場、劇場、公園、マチネー、夜会など上流社会の社交場で会った。コーヒーハウスの会話の特殊性は身分制度の枠が取り払われていることだった。p75

 しかし、ロンドンのコーヒーハウスは女性たちの反感を買った。一七一七年にはトーマス・トワイニングがイギリス初のティーハウスを開店した。これは女性たちの好評を博した。ロンドンのコーヒー文化は一時の流行にもかかわらず、女性の同意を取り付けることに完全に失敗した。この轍を踏まず、コーヒーとカフェを市民革命にまで育て上げるのがフランスである。p86~

 ブルボン王朝を瓦解させたのはオスマントルコ軍ではなかった。一六六九年、着任したトルコ大使のスレイマン・アヤの周辺から流行し始めたコーヒーとカフェが命取りとなる。カフェの啓蒙思想とジャコバン党のアジテーション・カフェがおよそ一〇〇年後に、ブルボン王朝の命運を決するのである。そしてその後、パリのカフェで結んだコネに救われて皇帝への道を歩み始めるナポレオン・ボナパルトが、ドイツ神聖ローマ帝国を瓦解させるこになる。p97~98

 暇を持て余してカフェに入り浸り、公共的議論に没頭する人々と、コーヒーなど飲めない圧倒的多数の国民との結合がフランス大革命の要諦である。p123

 オーストリア、プロイセン、ロシア、スエーデンの連合軍が、一八一三年、ライプチッヒの戦いでナポレオン軍をやぶった。そのことに関してはカール・マルクスのことばを引用する。「
ナポレオンの大陸封鎖によって生じた佐藤とコーヒーの欠乏はドイツ人を対ナポレオン蜂起に駆り立て、このようにして一八一三年の輝かしい解放戦争の現実的土台となったことで、砂糖とコーヒーは十九世紀においてその世界史的意義を示したのである。」p153

 
われわれの観点から見たヨーロッパ近代市民社会は総じて、コーヒーを飲んで「自由・平等・博愛」を謳い上げる社会であった。しかしヨーロッパは「自由・平等・博愛」の理念的水準に立ち留まらず、市民社会の鬼っ子、ファシズムを生み出した。この典型例を提供しているのがドイツである。p166
 著者はその一因を、ドイツの東アフルカ植民地における経営の失敗に求める。

 
ドイツの東アフリカ植民地に傾けた努力は結局、第一次世界大戦の結果、無に帰した。しかし、ひとの世の営みの一切が時とともに水泡に帰し、虚空に切々と諸行無常の響きでも鳴り渡せるならば、この世はむしろ安泰かもしれない。人間の努力の痕跡が消えやらず、後の大いなる災いとして残ってしまうこともままあるのである。ドイツのアフリカ植民地経営はその後のドイツに癒し難い禍根を残した。そのひとつは人種差別という思想である。p185。

 その延長にナチズムのユダヤ人迫害があるというのだ。


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書名 博物学の時代 著者 松永俊男 No
2026-12
発行所 講談社学術文庫 発行年 2026年2月刊 読了年月日 2026-05-31 記入年月日

 これも書店で見つけた。著者は私の高校のクラスメートで、桃山学院大学の名誉教授。専攻は科学史。京都在住で卒業以来会った記憶はない。初出は1992年で、本書はその再刊。サブタイトルは「リンネと分類の欲望」

 私が大学生の頃、分子生物学の勃興期で、旗振り役の柴谷篤弘が従来の生物学を「枚挙生物学」と呼んで、厳しく批判した。私も植物の名前を覚え、分類を覚え、生態を学ぶなどには関心がなく、分子レベルで生命を明らかにしていく分子生物学こそがこれからの進むべき方向だと、生意気にも思っていた。

 その後分子生物学の発展は目を見張るものがあって、生物学の主流となった。
 ところが本書の書き出しは:「
博物学ブーム」という言葉も聞かれる昨今だが、……」で始まる。本書の初出は1992年である。
 そして、最後の方でこう述べる:
分子レベルの生物学がどんなに進歩しても、生物体そのものを研究する博物学が生物学の基盤であることに変わりはない。欧米諸国では一九世紀以降も博物学が衰えることがなく、研究機関としての自然史博物館が重視されてきた。自然破壊がかってない規模で進行している状況下で、博物学の重要性はますます高くなっているといえよう。p186.
 続けて、しかし日本の博物学の現状は発展途上国にさえ遅れをとっていると述べ、特に標本館を持ち、その管理維持要員を確保し、研究者がこれを利用し研究・教育に先進できるようにすべきだと述べる。

リンネの分類
 1735年、リンネの『自然の体系』がオランダで出版された。リンネ28歳のこの大型本のわずか14ページの本書が博物学者リンネの生涯の基礎となった。特に注目されたのが、植物の分類。リンネはこの分類体系を「性の体系」と名付けた。植物にも性があることが知られたのは一八世紀になってからであった。リンネは主として雄蘂の数を基準にして植物を24綱に分類した。p24にその一覧表。

 その後、一つ、あるいはごくわずかな部分に基づく植物分類は、恣意的で仮想的で抽象的であって、自然なものではないと言う批判がなされ、植物学における自然分類法は、植物のすべての構造を総合的に考察することによるほかない、とされるようになった。その方法論に基づき自然分類体系を提唱したのが、フランスのアントワーヌ・ロラン・ジュシューである。
 ジュシューの体系を基礎に、ドイツのアイヒラーのわれわれになじみの分類体系が出来上がった。(1883年)p53
 
 隠花植物
 顕花植物 
  裸子植物
  被子植物
   単子葉類
   双子葉類
    離弁植物
    合弁植物

 
植物の分類体系についていえば、リンネを現代植物学の父と呼ぶことはできない。ジュシューこそ、その名にふさわしいだろう。そのジュシューでさえ、植物の命名についてはリンネの方式を採用した。リンネが分類学の父といわれるのは、命名法など、生物分類の手続きを確立したためである。p54.

 属名と種小名からなる二名法と呼ばれる命名法を開発したのがリンネである。
 それ以前の命名法は属名と種正名とからなっていた。種正名は種差、つまりその属の中で他の種からその種を区別する性質を記す。この種正名が煩わしかった。リンネは種正名に代わって形容詞1語を付けることにした。こうして属(名詞)と種小名(形容詞)からなる二名法ができた。種小名は呼称としての役割しかない。呼称と記述を分離したことが二名法の最大の功績であった。私が相手にしたのはタバコNicotiana tabacum であり、学名はつねに目にしていたが、その命名法についてはまったく無関心であった。今初めて知った。
 種正名と種小名のリンネによる例 カンナの野生種、インド産のダンドク p62
 属名 Canna
  種正名 foliis ovatis utrinque acuminatis nerosis (葉は卵形で両端が鋭くとがる))
  種小名 indica

 第5章はリンネの生涯が概説される。1707年スエーデン南部の山村で生まれる。1778年没。父はスエーデンの国教ルター派教会の牧師、母も牧師の娘。多くの書物を著し、ウプサラ大学の教授時代のもの15冊を本書は挙げている。中では最後のリストされている『学問の喜び』全7巻はリンネの学生の学位論文を集めたものであるが、ほとんど全文をリンネが書いているので、リンネ論文集とされる。その中でも重要なのは「自然の経済」(エコノミー・オブ。ネイチャー)である。「エコノミー」は経済という意味の他に「神の摂理」という意味。リンネはこの論文で、自然三界が神によって秩序正しく保たれていると説く。
すべての生物は相互に関連していて、一つとして不要なものがない。草食動物の産む子供の数が多いのは肉食動物によって捕食されるからで、それによって自然の平衡が保たれている。すなわち神の叡智による、と説いている。p129

一八世紀は博物学の世紀といわれる。だれもが博物標本の収集に熱中していた。背景にはヨーロッパ列強の植民地経営が本格化し、ヨーロッパの外の世界の文物が大量に流入し、これが珍品収集熱をあおることになった。
 そうした人物の中に、リンネのもとで医学博士号をとったカール・ペテル・ツンベリーがいる。当時のオランダのケープ植民地でオランダ語を習得し、日本にやって来た。江戸にもやって来て1ヶ月ほど滞在した。その間、蘭学者が毎日のように訪ねてきて、標本も持参したという。帰国して後に『日本植物誌』を表した。p140~
アオキ  Aucuba japonica
サザンカ Camellia sasanqua
など、日本の植物に学名を付けた。

 彼が日本にいたのは1775年8月から76年12月までだが、日本について次のようの述べている:
その政治組織、外国人に対する態度、その美術、土地の耕作、国内のいたるところに見られる豊かな産物、その他いろいろなものが、この国民の賢明で意志強固で、かつ勇気に富むことを示している。
 ちなみに1774年には平賀源内がエレキテルを作り、76年には杉田玄白らが『解体新書』を出版した。

 スエーデンに帰ってからも、蘭学者との文通が続き、彼らがオランダ語で書いた手紙が現在でもウプサラ大学に保管されている。(p147)
 江戸時代が私たちが中学高校時代に習った、封建制下で人々が喘ぐ時代ではなかったことを示す。たまたま彼が見たのが田沼時代の活気に満ちた江戸、日本だったからだとは言えないだろう。

リンネとダーウイン p181~
 
リンネは神のもたらした自然の秩序を記述することに全力をあげたが、ダーウインは自然の秩序の背後にある仕組みを明らかにしようとした。そこに一八世紀の博物学と一九世紀の博物学の大きな違いがあるといえよう。生物が共通の祖先から自然的原因によってしだいに分化し、変化してきたというダーウインの主張は、神の力をたたえるリンネの創造論とはかけ離れているように見える。ところがダーウインの初期の進化論は、神の力を前提にしていたのである。ダーウインがリンネの論文「自然の経済」に大きな影響を受けたのも、ダーウインとリンネが、自然界を神の英知あらわれとして見る共通の立場に立っていたからであった。

 リンネは終生その立場を貫いたが、ダーウインの考え方は次第に変化し、その進化理論では神の関与が小さくなっていった。『種の起源』初版(1859年)の後、ダーウインは、神の力をまったく前提にせずに自然界を理解しようとするようになる。ここに近代科学としての生物学が成立したといってよい。神をたたえるリンネの博物学と、神の力を度外視する近代生物学とは、まったく異質なものに見えるが、ダーウインに始める近代進化論も、神をたたえるための科学を母体としてうまれてきたのである。


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書名 西脇順三郎詩集 著者 西脇順三郎、那珂太郎編 No
2026-13
発行所 岩波文庫 発行年 1991年刊、2023年第10刷 読了年月日 2026-06-23 記入年月日

 『天為』だったか、有馬朗人が若い頃西脇順三郎の影響を受けたとあった。私は西脇順三郎と言う人物、その詩にはまったく無知であった。ユーチューブで西脇順三郎を紹介したページにたまたま行き当たった。アマゾンで本書を。文庫本で480ページというボリューム。

 カバーには,荻原朔太郎やヨーロッパのシュールレアリズム運動にふれて詩人として出発し、伝統にとらわれない詩的言語の新しさで,日本の近代詩のスタイルに大きな影響を与えたとある。巻末の年表によれば,20代の後半から30代の初めにかけて、イギリスに滞在、英文の詩集を出している。戦後、ノーベル文学賞の候補にもなったとユーチューブでは紹介されていた。

 12詩集を年代順に並べる。巻末の解説では『ambarvalia』『旅人かへらず』『近代の寓話』『失われた時』を代表作としてあげている。その4編を中心に読んだ。

 『ambarvalia』の最後に「詩情」と言う後書きがついている。そのなかで「
……詩やその他の一般の芸術作品のよくできたか失敗したかを判断する時、その中に何かしら神秘的な「淋しさ」の程度でその価値を定める。淋しいものは美しい、美しいものは淋しい、といふことになる。さうした方法で成功した詩の世界に表はれて来る美または淋しさは永遠を象徴する。または神秘的世界を象徴する」(p99)。実際作品の中に「淋しい」が沢山使われている。

『ambarvalia』の天気と題する最初の詩、つまり本書の冒頭の詩
(覆された宝石)のやうな朝
  何人か戸口にて誰かとさゝやく
  それは神の生誕の日。

『旅人かへらず』は168編の詩からなる
 29
 蒼白なるもの
 セザンの林檎
 蛇の腹
 永劫の時間
 捨てられた楽園に残る
 かけた皿

 39の最後
 「もはや詩が書けない
 詩のないところに詩がある
 うつつの断片のみ詩となる
 うつつは淋しい
 淋しく感ずるが故に我あり
 淋しみは存在の根本
 淋しみは美の本願なり
 美は永劫の象徴」

 
西脇は哀愁と諧謔の二つを詩の根本的情緒と説くが、おそらく最も自然に,この詩集でそれが実現されている。章から章へ移りゆき、章と章との取り合わせの妙は、俳諧連句の附合にも通ふ趣があり、…… と那珂太郎は『旅人帰へらず』を評する。p466.。
 この詩集には俳句的取り合わせの妙が見られる。朗人はこんなところに惹かれ、学んだのだろうか。

『失はれた時』は4部1,500行からなる詩。その中の一部

 はしばみの実がふくれひょうたんが/旅人の水を入れるほど/
二重のパゴダの/ようにふくらんで青ざめている/
 カミエビもイボタも薬師寺の金堂の/本尊のように黒びかりする実をつけた/
 秋の日のさすらいにおんなつぽい無常を/感じた蒼白な乞食の小路/
 ガマズミはすつぱい赤い実をつけて/カルメンのくびかざりの玉をつないでいる/
 今頃は寂光院の坂の下のわらぶきの/屋根にキノコが効くのように香つて/沢山生えていることであろうが/
 酒の神をまつる山からみると/仁和寺の塔がはつきりと見えるだろうが/
 いまはそういうものから遠くはなれて/幾年もつゆにぬれたキツネノマゴの小路に/
 さまよつている本読みだ

 すごいイメージン展開だが、それほど難解ではない。イメージからイメージへの飛躍が快い。
 注目は現代仮名遣いで書かれていること。

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書名 俳句入門三十三講 著者 飯田龍太 No
2026-14
発行所 講談社エディトリアル 発行年 2015年 読了年月日 2026-07-03 記入年月日

 5月の末、NHK学園主催で、西村和子が選者を務めた山梨県の飯田蛇笏・飯田龍太のの生家、山盧庵吟行に参加した。参加者は全国各地から19名、3句投句の句会だった。蛇笏の孫、飯田秀實夫妻が蛇笏、龍太に纏わるエピソードをまじえて、懇切に山盧庵と裏山を案内してくれて、良い吟行句会だった。その際、本書を手に入れた。

 龍太が行った33回の句会から句を選び、龍太のコメントが述べられ、具体的に俳句作りのポイントが示されて、参考になった。さらに後半では、新年から冬までの各季の秀句が取り上げられ、解説される。本書を通して作者はほとんど知らない名前ばかり。龍太の主宰した「雲母」の会員だろう。中で廣瀬直人と福田甲子男の名は知っている。特に廣瀬直人は私が俳句を始めて1年後にNHK学園の笛吹市俳句大会で、佳作をもらった俳人である。

 取り上げられた句は写生句、叙景句がほとんど。龍太は安易な取り合わせの句を否定する。以下作句の注意点を挙げてみる:

 推敲は相手に分からせるように推敲するのではなく,自分の作品として十分納得できた、言いたいことが言えてというのが基本である。21p
 「に」という助詞はや、かな、けりに匹敵するような強い助詞で,使うには注意が必要だ。言われてみると確かにそうだ。
 例句として「桜満開に昼月ののぼるなり」を示す。21p

 老境を支えるものは、詩の若々しさというものは「誰かに尊敬の念を抱く」ことにある。例えば芭蕉の西行への思いが『奥の細道』をはじめ、その他の文芸にの中に脈々と出ている。27p

「やう」「ごとし」は安易に使うべきでない。70点くらいの作品にはなるが、決して一流の句にはならない。ぴたりとはまった例として
 きのこのやうに姉妹そだちて東風の家  角田逸雨
 を挙げる。きのこ、東風の家がポイントだと。69p。

 題詠の骨法はその季語の特徴を表すのではなく、そのイメージをどこで切るか、無限に拡がる連想をどこで切るかにある。そして省略した部分を全体の中に巧みににじませる。88p これは題詠というか、季語の扱い方の基本だろう。

 蛇笏の場合でも、初期の句は一つの季題で50句も作り、この後心に残るものだけを残している。これは山盧集の大きな特徴となっている。88p
 大正時代の作家の作品の評価の仕方は、題詠によってどれだけ広い範囲の想像力、好奇心が開かれること言う点にあった。虚子があれほど多くの才能を見出した背景には、題詠というはっきりとした物差しがあったことも一因。かな女、蛇笏、鬼城、石鼎、普羅など、体験あるいは想像力の中で生き生きと生きることが出来る作品を持った作家だった。そういう作家には晩年にも作品に伸びがあった。110p

 助詞「は」は強い言葉で、調の上でここに一つのリズムがあると言って
 水楢の葉に盛る塩は牛の塩  豊田蕗花
を挙げる。100p

「し」と「て」 四五本の白樺かけし雪解川  飯野燦雨
を引いて、この句も良いけれど「四五本の白樺かけて雪解川」でもいい。
前句だと雪解川が鮮明に見える。後句だと雪解川のほとりの描写になる。
 こんなコメントがなされる句会は素晴らしい。

 さむしともすがしとも思ひ春ショール
 雪深きまで新樹にほへと甲斐の雨 
 良い句だが,前句では「思ひ」、後者では「まで」が余分だと。
 良い句とは人に見せるのではなく,自分自身に言い聞かせること、自分自身が作品のより厳しい読者になること。137.

 風景であろうと風土であろうと、あるいは旅行吟であろうと、それがある一定のレベル以上になった作品は、すでに作品の背景を消している。消すことを作者が無意識であっても、読者には作者の深い感慨が正確に伝わっている。 158.
 今読み返してみるとこの論議は循環論だ。背景が消えているからよい句だとされるのだ。

 互選は非常に大切である。ひとりの主宰者が自分の感想なり講評を浸透させるのは欠点ばかりではないが、立派な鑑賞なり講評があったからと言って、その句が立派だと言うことにはならない。まず読んで,素早く感銘したもの、それが良いのだ。
 選者のいる句会では私もそう思う。100句を超える句から短時間で選ばれる互選に1点でも入った句は、主宰から無視されても私にとっては貴重である。188p

 擬人化:擬人化が成功する場合は、強い主観が込められていながら極めて客観的な描写力を持った場合である。さもないとひとりよがりの傾向になる。190. 

 第32講、1974年1月の句会では龍太の俳句観が述べられる。最近読んだ3誌の座談会の記事を引き合いにだす。
 久保田万太郎の「俳句余技説」を永井龍男が「俳句を一番純粋に愛してるという意味ではなかろうか」
 ついで、西脇順三郎の「俳句は第二芸術だという説があるが、冗談じゃない俳句は超一流芸術だ」
 3番目が井伏鱒二の「人間が一流になれば小説なんか書きゃしない。小説を書くなんて気持ちは人間が二流三流なのだ」。ちなみに蛇笏と井伏は井伏が山盧庵を訪れるほど、親交が深かった。

 以上の3説を紹介し、「私は俳句というものは、立派な作品が生まれればいちいち何のたれがしという名前は必要ないだろう、いわば俳句は無名でよろしいのではないか……
実用に一番遠いもの。……今一番不足しているものは心の余裕ではないか……余裕というものは、実用から遠いものを大事にする気持ちではないかと思う。
 俳句というものは、実用から遠い一見無駄である中でも、とりわけその要素が強い。」
 この後、「古池」「遠山に日が当たる」「大根の葉」を引き合いにだし、「世の中の移り変わりにどうってことはないわけです。しかしここで大切なのは、そういうもっともどうってことがないものを言い止めたひと、従来名句といわれる大方の俳句はそういう要素をもっている。つまり「無用の用」という。

 選句とその講評で終わる一般の句会にあって、龍太の「雲母」句会のような句会があるのかどうかは不明だ。懇切な選句コメントといい、俳論といい素晴らしい句会だったと思われる。

 もう30年以上前だと思うが、新聞に龍太が「雲母」をたたむという記事が出ていた。理由は毎月数千句も送られてくる句を選句するのが大変な作業で、年齢的にきついという理由だった。何千もの俳句に目を通すというのに驚いて、この記事を覚えているのだ。投句される1句1句をおろそかにしない、龍太の誠実な人柄もこの記事から感じた。

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書名 虹の解体 著者 リチャード・ドーキンス、福岡伸一訳 No
2026-15
発行所 早川書房 発行年 2025年11月 読了年月日 2026-07-10 記入年月日

 6月のエッセイ教室の課題が「虹」だった。作品のひとつに、本書を取り上げ、ニュートンが虹の本体を明らかにしたので、1800年代の詩人はニュートンが虹の特性をすべて破壊してしまった、と嘆き、非難したと書いてきた。
 ドーキンスの代表作は『利己的な遺伝子』で、優れた生物学者だと思っていたので、本書のタイトルのような著書を著したのが興味を引いた。
 文庫本600ページ近い大書で、博識と独特の辛辣なレトリックがちりばめらている。集中して4日間で読み切ることが出来た。出版社が早川書房というのにも驚いた。福岡伸一の邦訳の初出は2001年、もう25年も前である。サブタイトルは「世界はなぜ美しいのか」。
以下12章よりなる。 
序文。
第1章 日常性に埋没した感性。第2章 客間にさまいいった場違いな人間。
第3章 星の世界のバーコード 第4章 空気の中のバーコード 第5章 法の世界のバーコード 第6章 夢のような空想に ひたすら心を奪われて 第7章 神秘の解体
第8章 ロマンに満ちた巨大な空虚 第9章 利己的な協力者 第10章 遺伝子版死者の書 第11章 世界の再構成 第12章 脳の中の風船
 理系の書とは思われない題が並ぶ。巻末に福岡伸一の各章の要約がありそれを参考に。
 タイトルは詩人キーツの言葉に由来する。キーツは、ニュートンが虹を物理学的に解体し、光のスペクトルとして説明してしまったことにより、虹の詩的側面を損なってしまったから、ニュートンを嫌った。福岡は言う、そんなことはない、その逆だ。虹の解体によって得られた世界観によってこそ、この地球、この宇宙に対する「センス・オブ・ワンダー」が喚起される。それが本当の「詩性」の源泉になるというのが本書だと。
 第1章、第2章では科学によって喚起されるべき良き詩と、科学を騙った悪い世界をばっさり分類する。虹を解体して得られた新しい世界観のシンボルとして、バーコードという言葉を持ってくる。
 第3章では星から来る光の中に含まれるフラウンフォーファー線のバーコードから、宇宙の成り立ちを語り、第4章では音の世界も周波数のバーコードで解体でき、それを脳が見事に再構成し、バイオリンの音に変え、第5章ではDNA配列というバーコードが法廷でいかに有効であるかを説く。
 第6章、第7章では、人間の脳にはまれにしか起こらない偶然の一致になにがしかの意味を見出しがちであるという特性を利用し、多くのオカルトやトンデモ科学がはやり、人々を騙してる。ドーキンスは統計的手法を駆使して、それらのオカルトやトンデモ科学を切り捨てる。欧米での、こうしたオカルトやトンデモ科学がドーキンスがまともに、真剣に取り上げるほどはびこっているのに驚いた。人間の持つこうした認識上の傾向は、急速に社会が情報化したなかで、取り残された脳のなせるわざとして、進化論的に説明する。
 第8章は進化の単位は遺伝子であると言うドーキンスの説に、激しく対抗し、進化の単位はあくまでも個体であると主張するグールドの説との対比が延々と述べられる。直観的には個体が進化の単位であるように思われるが、ドーキンスはあくまでも遺伝子であるとする。さらに第9章では利己的な遺伝子がたがいに手を組む「利己的な協力者」という概念が導入される。複数の遺伝子が協力して作りだす遺伝子の「気候もしくは風土」があると指摘する。こうした擬人化した表現を含めて、この章はよく理解できなかった。
 第10章ではカッコウの托卵行動を取り上げ、卵を托卵先の鳥の卵に似せる遺伝子は雌の染色体上にあるはずだと予言した。この予言の帰趨は鳥のゲノム解析がすすめばはっきりするはずだ。
第11章と第12章はヒトの進化の謎に挑む。なぜヒトはかくも特化した脳を持つにいたったのか。特に言語と脳の進化の考察が興味深い。また「ミーム」という彼が提唱した概念への考察がなされるが、そうした文化的な概念が遺伝子にどう影響するのか私にはよく理解できない。

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書名 日日抄 著者 金村眞吾 No
2026-16
発行所 ふらんす堂 発行年 2023年7月 読了年月日 023-08-04  記入年月日

  著者の第三句集。著者は天為同人。天為東京例会で時々見かける程度の間柄。古武士然賭した風格のある人。夏に甚平姿で例会に出て来たが、それがよく似合っていた。そんな関係だが、私にも句集が送られてきた。
 昭和13年の早生まれで私とは同年だが学年は1年上。略歴を見て驚いた。中学時代に俳句部の部長をやったと。

俳句では大先輩の句集『日日抄』は、同年配の心情に共感を覚えなが読んだ。
共鳴句を抽出
○は帯に記された著者自薦句

元朝や一分ながく歯を磨く
一升瓶胡座挟みに雪解富士   ○
春の夜の頬に冷たき猫の鼻
天国の梯子ここよと初雲雀
上げ潮に磯巾着は花になる
父の名で呼び止められし彼岸寺
勾玉の穴に闇あり抱卵期
老いの手の爪よく伸びる遅日かな
まさをなる空を平らに田水張る
咀嚼音かすかに漏らす蟻地獄
慟哭の火蛾の渦巻く篝かな
青空の富士を持ち上げ水馬
はつたいに噎せ合う幼馴染かな
天上の糸にさゆれて毛虫生る   ○
そのかみの地に苛令あり稲の花
広島や廃墟瓦礫に億の露
象潟の海に入れたる銀河の尾
曲屋に藁灰つくる生身魂
葉隠れにひたすら啼いて囮かな
猪垣に空缶吊るし平家村
満天の星に溺れて案山子かな
波郷忌や切れ字あたたむ掌
かはたれや母の鍬ある葱畑
蒼穹の藍うばひあふ瀧氷柱
凍蝶や祈りの形に翅合はせ
朗人忌や綿虫とまる指不思議
着膨れ天王星の周期生く    ○


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書名 著者 金村眞吾 No
2026-17
発行所 角川書店 発行年 平成12年 読了年月日 2026-07-30 記入年月日

  金村眞吾さんの第一句集。今年の春から眞吾さんには私が属する天為相模大野句会の指導をお願いした。そんな関係で、第三句集の後に第一句集の本書を頂いた。
 先に読んだ『日日抄』に比べ『柿』では、若々しい感性に惹かれた。恋を思わせる句もかなりある。『柿』に寄せられた有馬朗人主宰の鑑賞には句と、作者の人柄への深い理解が感じられ、素晴らしい序となっている。
例によって朗人の序を見る前に目についた句を抽出した。

手枕のしびれて覚めし花筵
走り梅雨おもはぬ人の傘に入る
子沢山恥しと言ふ生身魂
襟巻の顔が自慢でありにけり
菜の花や齢問はれて出す片手
池の辺に水輪とどきぬ鳥の恋
疑はぬことがしあはせ金魚玉
冬耕の夕日まみれの忘れ鍬
わが影に入り込みたき暑さかな
遠蛙酔へばかならず呼ぶ名あり
帆船よ冬満月へ銅鑼を打て
初蝶を見しそれだけの誕生日
吉方の罅は太かり鏡餅
ひとり居の猫のみちある障子かな
とばされし帽子へ走り羽抜鶏
山彦を追つて落ちたる椿かな
白鳥の舞ふまで荒き足使ひ
陽炎や鉛筆立てる鶏の墓
恋のごと遠く眩しきヨットの帆
初夢や箒に乗りて富士越ゆる
雪礫ぶつけて泣かせ恋知りぬ


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書名 著者 No
2026-18
発行所 発行年 読了年月日 記入年月日

 





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書名 著者 No
2026-19
発行所 発行年 読了年月日 記入年月日

 





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書名 著者 No
2026-
発行所 発行年 読了年月日 記入年月日

 





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