読書ノート2026

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書名 著者
俳句の円環的な読みにかんする試論 伊藤幹哲
チェスの話 シュテファン・ツヴァイク
届かなかった手紙 クレスマン・テイラー
イワン・リッチの死 トルストイ
教養としての量子コンピュータ 藤井啓祐
井伏鱒二ベストエッセイ 井伏鱒二
今こそ経済学を問い直す 中村隆之
ゼロからわかる北欧神話 かみゆ歴史編集部


書名 俳句の円環的な読みにかんする試論 著者 伊藤幹哲 No
2026-01
発行所 俳句文学館 発行年 2026年 読了年月日 2026-01-01 記入年月日

 俳句をやり始めた頃、類句はダメときつく言われた。私も基本的には類句は避けるべきだと思う。しかし類句の体験はある。例えば以下の例:
  湯豆腐や天下国家はさておきて  金子肇
  湯豆腐や天下国家はさて置いて  森本和夫

 これは『天為』2014年3月号に並んで載った句。『天為』はで、同人になる前の会員の訓練のために、西村我尼吾さんが課題句を募集し、選を行っている。課題「湯豆腐」に対する句で、上の2句は表記が違うだけの類句で、4クラスに分けた選の一番下の「準佳作2」に採用された。ちなみに、上から2番目の「佳作」に選ばれたのは
  湯豆腐や天下国家も懐かしく   土田栄一
 で、17音の内11音が上の2句と同じだ。
 
 この3句は同時に投句されたもので、作者はお互いに相手の句を知らない。類句で問題になるのは、先行句があり、あとの句が類似している場合だ。例えば

 ファド洩るるリスボンの路地春の宵  金子肇  『天為』東京例会 2017年4月  有馬朗人並選
 ファド流るリスボンの路地明易し     熊谷佳久 『天為』東京例会 2019年7月  有馬朗人特選

 作者の熊谷さんは俳人の家系に生まれた北海道在住の天為の有力同人。毎月の東京例会に出席していた。この時も来ていたので私の句を紹介した。彼女はびっくりして、知らなかったといった。私の句は東京例会後すぐに『天為』誌に投句したが、同人でもなかった私の句など、千句を越える記載された句の中では熊谷さんが見ることもなかっただろう。

17音という短い詩型、その上定められた季語を入れると言う俳句の制約を考えると、俳句における類句は避けられないと思う。
 本評論の著者も類句を避けられないものとし、さらに一歩進めて類句を肯定的に捉え、類句相互がお互いの意味を深めあって俳句の示す詩的世界が深まり拡がっていくと主張する。著者は「馬酔木」所属。

 いくつかの例を挙げて論じている。最も分かりやすかったのは次の2句:
 静さに堪へて水澄むたにしかな   与謝蕪村
 静かさに堪へで田螺の移りけり   村上鬼城

著者の読み解きを以下に:
 
蕪村の句は、田螺が田や池の水底に動かずにいて、濁らないから水が澄んでいる。他方、鬼城の句の「で」は逆接だ。静けさに堪えることができず、田螺はゆっくりと移りゆく。それぞれに作者と対象との心理的な距離が近い。蕪村句における田螺は留まる田螺、鬼城句における田螺はゆっくり動く田螺。物と作者が渾然一体として田螺と自己とが同一、少なくとも投影と読む解釈からすれば、両句はそれぞれの作者の人生を象徴していると読める。蕪村句の示唆するように動きを求めず留まる人生もまた一つの生き方である。鬼城句の暗示するように疾風怒濤こそが人生と考え、ある場所に安住しない生き方もあることだろう。さらには、ある人の人生における青年期と老年期とも読むこともできる。これらはテクスト間の優劣を付けずに両者を並べたときに生まれやすい鑑賞であると思う。

 このように類句どうしを鑑賞することにより、お互いの意味が深まり、拡がっていく。
テクストはなにも俳句に限らなくてもいい。短歌・音楽・美術等の芸術作品をもテキストとすることができる。そうすることによってテクストそれぞれの世界が更新されて行く。テクストはまた別なテクストとつながり、さらに大きな円を描いて連なっていく。
 
 
今まで切り捨てられてきた俳句があるかもしれない。だが少し捉え方を変えさえすれば、古来のテクストとも未来のまだ見ぬ俳人のテクストとも、また他の芸術作品とも、テクストを介して連なる豊穣なる世界がそこに現にある。

 本歌取りは好きで、私は時々作る。それ以外にも世の中で言い古されている言葉も取り入れて作句することがある。しかし、例えば「良薬口に苦し」を詠み込んだ句など、言い古された言葉ではなく、自分の言葉で詠むべきだという批判を受ける。だから、本論評は私にとっては力強い味方だ。

 本書は以下のページに記載されている。
 https://www.haijinkyokai.jp/prise/cat65/12.html


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書名 チェスの話 著者 シュテファン・ツヴァイク 大久保和郎 他訳、 No
2026-02
発行所 みすず書房 発行年 2011年 読了年月日 2026-01-09 記入年月日

  ツヴァイクの作品は大学のドイツ語のサブテキストで読んだ気がする。面白いと思ったが内容は覚えていない。ネットで紹介されていたので手にした。

「目に見えないコレクション」、「書痴メンデル」、「不安」、「チェスの話」の4編を収める。いずれも一気に読んでしまう面白い作品。

 本書のタイトルとなった「チェスの話」はツヴァイクが1941年に亡命する際に書いた彼最後の作品。2023年に映画化され、公開された。
 舞台は語り手が乗り込んだニューヨークからブエノスアイレスに向かう客船。船にはチェスの世界チャンピオンが乗り込んでいると、語り手の友人から聞かされる。チャンピオンはミルコ・チェントヴィッチというユーゴスラビア出身の人物。子どもの頃父を亡くし司祭に引き取られて育つが、字も読めないような無知蒙昧。しかし、チェスだけは異常な才能を発揮する。15歳でその才能が認めら20歳という若さで世界チャンピオンになる。

 友人からミルコ・チェントヴィッチの生い立ちを聞いた語り手は、是非彼から話を聞きたいと思う。語り手は、ある分野だけに突出した能力を持つ人物の精神に特に興味があるのだ。しかし。ミルコ・チェントヴィッチは傲然と人を寄せ付けない雰囲気があって近づけない。それで、自身が妻を相手にデッキのスモーキングルームでチェスをやる。そこへチェス好きで腕には自慢のスコットランドの鉱山技師がやってくる。語り手はミルコ・チェントヴィッチのことを話す。技師は250ドルという賞金をかけてミルコ・チェントヴィッチに対戦を承諾させる。

 大勢の見守る中で対戦が始まる。しかし所詮は敵ではなかった。技師は再挑戦する。ミルコ・チェントヴィッチは自分が差すと席を立ち、相手が観衆の皆と相談する時間を与える。2回戦では技師がうまく差し有望な局面が現れ、次の差す手の候補も見つかり勝てそうだと思われた。しかし、観衆の中から一人の紳士Bが出て、その手ではなく別の手を差すように指示する。技師が言われたとおりの手を差し、ミルコ・チェントヴィッチを呼び入れる。差された手を見てミルコ・チェントヴィッチは今までの不遜な態度を捨てて考え込む。そして勝負はBの予想通り引き分けに終わった。そして王者の方からBとの対戦を申し込んできた。Bは迷ったがそれを受けることにした。

 Bに興味を持った語り手は、彼から詳しい話を聞き出す。衝撃的な内容だった。

 Bはウイーンの名家で、大きな修道院の法律相談と財産管理をやっていた。しかし、オーストリアがヒトラーに屈すると、彼は捉えられ、ホテルの一室の監禁される。ナチスは修道院の財産を狙ったのだ。Bは逮捕直前に関係書類をすべて処理することができた。しかし、ナチス親衛隊は彼を自白に追い込もうと何もない部屋に閉じ込め外部との接触を一切った。読む物も何もない中で、孤独と焦躁が彼の精神をむしばむ。4ヶ月経ったとき、尋問の控え室にいる時、壁に掛かっていた監視のコートのポケットから一冊の本を盗む。それはチェス名人の150局もの対戦譜でa 2ーa3といった記号の羅列であった。

 駒も番もない中で、彼は頭の中に盤と駒を描き、名人の棋譜を何回も何回も再現した。やがて自分の頭の中に二人の対局者を設定し、戦わせるまでになった。この作業は心身をすり減らすものだった。寝ても覚めてもチェスのこと。それが高じてBは棒病院へ収容され、そして解放された。

 ミルコ・チェントヴィッチとの対局はBの勝利だった。王者が途中で投げた。ミルコ・チェントヴィッチはもう一番を申し出た。Bは受けたが語り手の心配したように二人の間には険悪な空気が漂った。チャンピオンは1手1手をわざと時間をかけ相手を焦らす作戦に出た。Bは冷静さを失い、最後は錯乱状態になって、勝利を宣言するが、彼は盤上の駒の位置を間違えてみていたのだ。

 面白いのはミルコ・チェントヴィッチはBとは逆に頭の中に盤を描くことができないのだ。つねに盤上に駒を置いてチェスを習得したとされる。

「目に見えないコレクション」はかつては有名な版画のコレクターでだった老人のもとを若い美術商が訪ねる。しかし、この老人は目が見えなくなっていた。にもかかわらず収集した版画を箱から取りだし一枚一枚を美術商に自慢げに説明する。だが、老人の前には置かれているのは白紙である。同居する妻と娘が第一次大戦後のインフレで原画は売ってしまい、その代わりに白紙を置いていたのだ。

「書痴メンデル」はウイーンのカフェの同じ席に何十年も座り続けていた貧しい古書商の
世界中の本のタイトル、出版年、値段、どこにあるかをすべて記憶している。大学教授や収集家が図書館代わりに彼を訪ねるほどでした。
 しかし第一次世界大戦が起きる。メンデルは本のことしか考えないので、敵国の古書店と手紙をやりとりしていた。それが敵国の協力者と疑われ収容所に送られる。戦後戻ってきた彼は記憶もおとろえ、かつてのカフェもなく、客もなく孤独のうちに死んでしまう。

「不安」は女性の不倫を描いたラブサスペンス。今時のテレビドラマになってもおかしくない作品。

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書名 届かなかった手紙 著者 クレスマン・テイラー、北代美和子訳 No
2026-03
発行所 文藝春秋社 発行年 2001年 読了年月日 2026-01-10 記入年月日
 
 ネットで紹介されていた。25年も前の初版だが、増刷はない。今頃本書が取り上げられたのは、ナチズムの勃興をとらえたものであるからだろう。法と秩序の支配が無視され、暴力による世界支配が進行していることへの警鐘の意味であろう。

 サンフランシスコで大きな画商を共同経営していたマルティンとマックス。ドイツに帰国したマルティンとマックスの間で交換された手紙だけで構成される小説。

1932年
11月12日 サンフランシスコのマックス→ミュンヘンのマルティン
 サンフランシスコのマルティンの家族と過ごした日々をなつかしみ、ミュンヘンに移ったマルティンを祝福する。妹のグリゼレが女優としてウイーンで成功したこと。グリゼレとマルティンの間には恋愛関係があった子を匂わせる。
12月10日 マルティン→マックス
 ミュンヘンでのマルティンの生活振り。30部屋、敷地5ヘクタールもある邸宅に住む。

1933年
1月21日  マックス→マルティン
 「ドイツで権力の座にのしがろうとしている男、アドルフ。ヒトラーとはいったいなにものだ?あの男について書かれていることは、どうも僕の気に入らない。」
3月25日  マルティン→マックス 
 「マックス、わたしは多くの点で、ヒトラーは、ドイツのためになると思う。だが、確信はない。あの男は現在、首相として積極的に働いている。」突撃隊による略奪やユダヤ人狩りはホンの些細なことだとした上で、「いたるところで人びとは活力を取りもどしている。……もはや人びとは屈辱で身を包んではいない。もう一度、希望をもち始めている。
以下、3ページにわたりナチスに傾倒て行く心情が綴られる。

5月18日  マックス→マルティン 
 ユダヤ人虐殺がアメリカにも伝えられていること。ユダヤ人である妹がウイーンで成功しベルリンでの公演のオファーに応じていることを心配。  
7月9日   マルティン→マックス 
 ユダヤ人宛に手紙を書くことができないので、取引先の銀行の用箋に書く。宛名もなく「拝啓」としか書いていない。「せひともきみに見せたい、きみの目に入れたい――われらが寛大な指導者のもとでの、この新しいドイツの再生を!中略 われらが血統から劣等分子を粛清する。強い筋肉は新たな仕事を求めてうずき、われわれは歌声高く谷を越え――そして、四方の山々からは、ドイツ民族いにしえのちから強き神たち、ヴォータンとトールの声が響き渡る
 この最後の部分は突撃隊の行進曲の一節であると解説にあった。たまたま神話で楽しむ俳句が北欧神話を題材にしているところで、最高神オーディン(ヴォータン)と雷神トールがこんなところに出て来て驚いた。
 これで手紙はもう終にすると。

8月1日 マックス→マルティン
 上の手紙はマルティンの本心ではない、きみは本来自由主義者だと。
8月13日  マルティン→マックス  
 ヒトラーを支持するマルティンからの絶縁状
 「手紙は受け取った。答えは「ノー」だ。きみは感傷家だ。
自由主義者は言葉や耳ざわりのいい原則論を愛する。だが、世界をいまあるような形に作りあげている人間たちにとって、自由主義者は無用の長物だ。実行する人間、それだけが重要な人間なのだ。そして、このドイツで、ひとりの実行家が立ちあがった。活力あふれる男がものごとを変革している。人びとの生活の流れすべてが、一瞬のうちに変化したなぜならば、行動の人が登場したからだ。わたしはその人のもとにはせ参じる。
 
9月5日   マックス→マルティン  
 ベルリンに行った妹を守るよう依頼。
 今までは差出人は「シュルセ・アイゼンシュタイン画廊」とマルティンとマックスの姓を併記していたが、この手紙からは「アイゼンシュタイン」とマックスの姓だけにした。アメリカでドイツ名の付いた会社のものには一切手を出さなくなるだろうと。  
11月5日  マックス→マルティン  
 妹宛の手紙が「転居先不明」で返ってきた。
11月23日 マックス→マルティン  
 ユダヤ人仲間から流れてくる情報では、妹がベルリンの舞台で襲われ、歩いてウイーン向かった。ミュンヘンのマルティンのところによったのではないかと問う。
12月8日  マルティン→マックス  
 宛名にはマックス宛ではなく「ハイル・ヒトラー!」
 マルティンの家にやって来た妹は突撃隊員に殺されたと。
 「きみの妹は舞台のうえで、ユダヤ女の肉体を清純なドイツ人青年の前に晒した。わたしはそんな女をとらえ、突撃隊員に突き出すべきだった。だが、それはできなかった」。マルティンはグリゼレに奥の森に逃げるよう指示する。しかし、その姿は突撃隊員の目にとまってしまう。

1934年
1月2日   マックス→マルティン 
 国際電報、業務上の電報だが意味不明
 この後3通の業務上の手紙がマックスから送られるが、意味は不明。
2月12日  マルティン→マックス 
 電報と手紙はユダヤ人からのものとして、当局に差し押さえられている。そして、電報と手紙の説明を当局から求められた。ユダヤ人との間の何か暗号のようなものをやりとりしていると当局は疑った。マルティンは否定するが、公職を追われ、家族も冷たい目で見られる。マックスにもう手紙を送らないように哀願する
 しかし、マックスはその後も2通の手紙を送る。
 最後は電報を送ったが、その電報は「転居先不明」34年3月18日というミュンヘン局の押印がされた。

 細部まで細かい配慮がされて良くできた小説だ。

 この作品が発表されたのは1938年、アメリカの『ストーリー』誌。原題は『Address Unknown』。作者の本名はキャサリン・クレスマン・テイラーという女性。女性が書いた政治小説ということで軽く見られのを避けるためにキャサリンをつけなかったという。

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書名 イワン・リッチの死 著者 トルストイ 米川正夫訳、 No
2026-04
発行所 岩波文庫 発行年 1928年刊、2024年90刷 読了年月日 2026-01-18 記入年月日

 ある事件の裁判の休憩時間に集まった判事や検事のところに同僚のイワン・リッチの死の知らせが届くところからこの小説は始まる。彼らがまず考えたのはイワン・リッチの空席を誰が埋めるか、その結果自分はどうなるのかであり、さらに彼の財産についてであった。
トルストイはこう記す:
この訃報を聞いたすべての人は、この死のために生ずる勤務上の異動や変化を、さまざまに胸の内で想像したが、なおそのほかに、親しい知人の死なる事実そのものが、訃報に接するすべての人の心中に、『死んだのはおれではなくてあの男だ』という、いつも変わらぬあの悦びの情を呼びさましたのである。

 細やかで鋭い人間の洞察に驚く。トルストイのものは中学時代に『幼年時代』『イワンバカ』を読んだ記憶いがあるが、その当時の印象からは、ここに挙げたような鋭く、辛辣な洞察は思いもよらぬものだ。

 イワン・リッチは官吏の子として生まれる。父はペテルブルグのさまざまな官省を転々として栄達を極め、さまざまな用もない会の用もない委員を務めていた。イワン・リッチは法律学校時代で勉強し、予審判事を経て、最後は中央裁判所の判事となり45歳で死んだ。病名は述べられていないが痛みを伴うその苦しみ方からして消化器系のがんであろう。
家族も医師も誰もが表面的にしか彼と相手してくれないなか、彼は病床で自問自答する(p88~):

「生きる?どう生きるのだ?」と心の声がたずねた。
「なに、今まで生きて来たのと同じように生きるのだ、気持ちよく、愉快に。」
「今まで生きてきたように、気持ちよく愉快に?」と心の声がたずねた。で、彼は自分の想像のうちで、過去の愉快な生活の中でも、とりわけ幸福な瞬間を選り分けはじめた。しかし――不思議なことには――こうした愉快な生活の幸福な瞬間が、今になってみると、前とはまるで別なふうに感じられた。なにもかも――幼年時代の最初の追憶を除くほか――ことごとくそうであった。中略

 今の彼イワン・イリッチを造りあげた時代が始まるやいなや、その当時よろこびと思われたものが、今の彼の目から見ると、すべて空しく消えてしまい、なにかやくざなものと化し終り、その多くは穢らわしいものにさえ思えた。

 幼年時代から遠ざかって、現在に近づけば近づくほど、喜びはますますつまらない、疑わしいものになってきた。それは法律学校時代からはじまる。もっとも、その時代には、まだ本当にいいものもなにやかやあった。そこには快活さがあった、そこには友情があった、そこには希望があった。しかし、上級に進んだ時、こうした幸福な瞬間はもうだいぶ少なくなった。それから、はじめて県知事づきで勤務した時、再び幸福な瞬間が現れた。それは女に対する愛の記憶であった。やがて、そういうものがみんなごっちゃになって、美しいところはいっそうすくなくなった。それから先はまたさらに減じて行き、年をとれば取るほど状態が悪くなる。

 結婚……それから思いがけない幻滅、妻の口臭、性欲、虚飾!それから、あの死んだような勤め、金の心配、こうして一年、二年、十年、二十年と過ぎていったが――すべては依然として同じである。先へ進めば進ほど、いよいよ生気がなくなってくる。自分は山へ登っているのだと思い込みながら、規則正しく坂を下っていたようなものだ。まったくそのとおり。世間の目から見ると、自分は山を登っていた。ところが、ちょうどそれと同じ程度に、生命が自分の足もとからのがれていたのだ……こうしていよいよ終わりが来た――もう死ぬばかりだ。


本書の最後:
 
古くから馴染みになっている死の恐怖をさがしたが、見つからなかった。いったいどこにいるのだ?死とはなんだ?恐怖はまるでなかった。なぜなら、死がなかったからである。
 死の代わりに光があった。
 「ああ、そうだたのか!」彼は声にたてて言った。「何という喜びだろう!」
 中略

 
「いよいよお終いだ!」誰かが頭の上で言った。
彼はこの言葉を聞いて、それを心の中で繰り返した。『もう死はおしまいだ』と彼は自分で自分に言い聞かした。『もう死はなくなったのだ。』
 彼は息を吸いこんだが、それも中途で消えて、ぐっと身を伸ばしたかと思うと、そのまま死んでしまった。

 
 AIにこの小説を要約させると : 出世と体裁だけで生きた男が、死の直前に「本当の人生」に気づく物語。

『』で人物の内心を表すが、文中に多数現れる。モノローグ
読みにくい翻訳だと思ったが、訳者は有名なロシア文学者。今からおよそ100年前の訳で、今では使われない漢字や表現があるのはやむを得ないか。1973年に米川正夫の息子が改訂の筆を加えたと、後書きにある。



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書名 教養としての量子コンピュータ 著者 藤井啓祐 No
2026-05
発行所 ダイヤモンド社 発行年 2015年11月 読了年月日 2026-01-29 記入年月日

 これもネットで紹介されていた本。量子力学の誕生から、基本的考え方、そして量子コンピュータの原理から、社会的影響まで含む解説書。キーワードは量子の重ね合わせ。
 重ね合わせの例として、水素原子がお互いに電子を共有して水素分子を形成するのを、共有結合は電子が古典的な粒子ではなく、量子力学的な重ね合わせをもった結果であるとする。こういう見方は初めて接したが、量子力学的にはそういうものかと思った。p50。

 もう一つの例として、シュレディンガーの猫が挙げられている。箱の中の猫は生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせであると説明する。観測することにより、重ね合わせが破れて、どちらかの状態になる。(p127)

 
ビットの場合、古典ビットは0か1のどちらかを必ず選ばなければならない。これに反して、量子ビットは0とも1とも決まっていない重ね合わせの状態を取る。この量子ビットは0と1とを同時に表せることであり、測定するまでは0と1との可能性が両方残されている。そして、それらの可能性を連続的に変化させることができるので、量子コンピュータの計算速度を格段に上げることができる。(p89~)
 といわれても、まったくイメージできない。ということは量子コンピュータの本質が分からないと言うことだが、分からないまま、もたらす影響、効果を読み進めた。

 
2017年にマイクロソフトが、アンモニア合成の解析に量子コンピュータが利用できると発表した。アンモニア合成には全世界の数パーセントのエネルギーが消費されているため、食料・エネルギーの分野に大きな革命をもたらし得る。 
 グーグルは、人体内に存在する酵素を解析する量子アルゴリズムを開発している。この酵素は、薬の効き目や副作用に深く関係しており、正確な予測ができれば新薬開発のスピードや安全性が飛躍的に高まると期待されている。中略
 なぜ量子コンピュータがそこまで幅広く使えるか?
 理由はとてもシンプルだ。私たちの自然界を支配している物理法則そのものが「量子力学」だからである。自然を、自然の言葉である量子力学の原理で“計算”できる機械。それが量子コンピュータダ。中略
 量子コンピュータは「単なる速い計算機」ではない。
 自然を深く理解し、人類の知の地平を押し広げる”新しい望遠鏡”であり”顕微鏡”でもあるのだ。
p8~9。

グーグルによる量子超越実験(p114~)
 量子コンピュータがスーパーコンピュータより性能が優れていることを実証する実験。
2019年にグーグルは53量子ビットを搭載した超伝導量子コンピュータを用いてランダム量子回路サンプリングを実行し、高い確率で正しい結果を得た。(といっても何のことかは分からない)。これを古典コンピュータでシミュレーションすると数十ペタバイト(ペタは1000兆)のデーター容量が必要となる。最新鋭のスーパーコンピュータを用いて1万年かかる計算を、量子コンピュータは200秒でできた。

 グーグルのこの発表は大きな反響を呼び、すべての暗号が解読され、ビットコインなどの仮想通貨が無価値になるのではという不安を招いた。しかしすぐに心配する必要はないと本書は云う。現在の量子コンピュータの性能では到底暗号解読はできない。2048ビットの数の素因数分解には2000万量子ビット規模の量子コンピュータで8時間ていどかかるとされている。その実現には楽観的に見ても10年、多くの研究者は20年はかかると見ている。

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書名 井伏鱒二ベストエッセイ 著者 井伏鱒二 野崎歓編集 No
2026-06
発行所 筑摩文庫 発行年 2025年10月 読了年月日 2026-02-06 記入年月日

  身辺雑記といった方が良い。私が書いているエッセイとは毛色が大きく違う。私のエッセイはテーマが最初にあって、それに沿うように書く。井伏のエッセイはテーマと言おうような意図的なものを持たないで書く。その違いだろう。その分人柄が滲み出ている。

帯には「
日本語を読む悦びに、のびのびと浸る。
 酒と釣りと温泉を愛した作家の随筆集
」とある。

 かつて、高校受験の国語の参考書に井伏の随筆が載っていて、それに対するいくつかの設問があった。乗り合いバスが途中で止まってしまい、運転手と乗客の間のやりとり,ごたごたを書いたものだった。それが本書にもあるかと思ったが、載ってなかった。その随筆には、世間に対する鋭い批判を含んでいた。設問に対する私の答えは、まったく的外れであったのを記憶している。

 本書のような肩の張らない読み物も良いものだ。書中には個人名が何のお構いもなく出て来ている。森鷗外、大隈重信、太宰治、小林秀雄とか有名人なら構わないだろうが、大学のクラスメートや、中学の教師のひどい教師、若い頃の遊び友達なの実名など、今では出せないのではないかと思った。

 収載されて作品は1930年から、1983年までに及ぶ。その間には戦争中、宣伝班員として徴用された120人余りの一人としてシンガポールに行った。そこでは作家や画家なども多くおり、淵田嗣治もその一人で、井伏は藤田から絵をもらったことを書いている。

 釣りで、十和田湖と周辺に行った紀行文には見習いたいような風景描写がある。
 
車は樹海のなかに通じる道を進んだ。左右からブナの枝が差しかかって天蓋をつくり、前方を見ると、下り坂の若葉のトンネルとなっていた。その茂みの隙から見えるのは、重なり合った山の、あくまでも濃いみどりの密林だけである。この附近から背後の山、約二十数キロにわたる密林を、十和田樹海と云うそうである。ブナの木を主にした一大原生林である。蔦川に沿う道に出ると、黒っぽい羽の鳥が二羽、川のおもてをかすめて飛びながら、車と並行について来た。川つぐみにしては二倍三倍も大きすぎるようである。その鳥は、川が瀧になっているところまでついて来ると、身をひるがえして滝壺の真青な水面に身を浮かべた。同じような鳥が、瀧をかすめて南羽となく飛びまわっていた。(p211)。

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書名 今こそ経済学を問い直す 著者 中村隆之 No
2026-07
発行所 講談社現代新書 発行年 2026年1月20日 読了年月日 2026-02-21 記入年月日

 今こそ経済学を問い直す:中村隆之、講談社現代新書 、2026年1月20日刊 2026-02-21 読了

 サブタイトルは:
切実な「必要」の声を聴くために
 表紙のカバーには「
GDPが増えればほんとうに幸せになれるのか?」とある。

 私も本書の表紙カバーのような疑問は最近感じている。そんなときネットで紹介されていた本書が目に入った。

 経済学と言えば、中学のとき、アダム・スミスが分業の効率を説いたという話を聞いたのを思い出す。針を作るのに一人でやるよりも、何人かに分けて一人は針金を延ばし、一人は針金を切り、一人は先をとがらせ、一人は頭に穴を開けると分業した方がずっと効率が良いという話だ。物を作るのにはなるほどと思った。しかし本書を読んで、それは単なる作業工程の効率化に留まらず、人びとが自分の得意とする分野で才能を発揮し社会に貢献し、その結果豊かな社会が築かれるという、もっと広い意味を持つものであることが本書を読んで理解できた。自分の能力の発揮できる職業で得た金で、他人の能力の成果を買うことができる。分業と交換によって人間は豊かに生きることができる。スミスはこれを「
才能の差異を社会の共有財産にする」と述べている。p46.

 スミスの次はマルクス。マルクスの理想は、生産貢献者に限らない自由・対等な市民社会=生き方の相互承認。目標は「必要に応じた分配」。

 次いで、J・S・ミルとマーシャル。二人はスミスの価値観、思考法の特徴を継ぎ、普通の経済学者以上に公平を気にし、貧困を問題視した。彼らは「必要に応じて分配」という目標がもつ高い理想は認めていたが、現実問題として当時の段階ではそれを追求できないと判断した。

 ミルは市場を自発性を発揮する場としてみていた。「
社会主義者が目指す理想の究極の姿が、マルクスの目標「必要に応じて分配」であるとすれば、ミルはその理想を実現できるような精神――私利に固執せず、他者を認める優しい心――に共感を寄せつつ、少なくとも現段階においてはそれにコミットできないと考えた。ミルがもっとも大事と考える自由と自発性は、現状では市場において保たれるものであり、それを機能させるためには、やや卑しい面があるにせよ、経済的動機によって動く人間像を肯定せざるを得ないのである」p93~94

  アルフレッド・マーシャルはJ・S・ミルの後継者。1890年『経済学原理』を著し、その中で初めて需要曲線と供給曲線がクロスする図を描いた。しかし、彼がやりたかったのは需給均衡理論以上のこと、貧困問題を解決する方法の確立、つまり成長の経済学であった。

 事業経営者が資本を投下する先は固定資本だけではない。労働者たちのやる気や、ライバルと競い合いながら知識創造の先端を走ることによる活気といった形のないものも重要な投下先であるとマーシャルは考えた。こうした無形資本に対して、三大生産要素と呼ばれる労働・資本・土地とは別に第四の生産要素「組織」という位置づけを与えた。そしてこの「組織」への投資こそが経済成長をもたらすとした。p98

ケインズ
 
論理と直観を適切に混合すれば、何となくこうだと考えられている常識を超えた見解に到達できる。これが、ケインズという経済学者の特徴である。p110.
『一般理論』においてケインズは、市場の自動調整機能を否定した。市場には需給均衡に向かう自然作用が組み込まれているから、その力が作用すれば需要と供給が一致し、資源は効率的に利用される、というのが市場の自動調整機能である。需給均衡の作用が完全ではないにせよ、きちんと作用してさえすれば資源は完全に利用される――労働で言えば働きたい人がすべて働ける完全雇用状態になる――というのが経済学者の常識であった。けれども、ケインズは、「自動調整機能はあるけどうまく働いていない」のではなく、「そもそも自動調整機能がない」と主張したのである。
p112

 
経済が労働資源を適切に活用するためには、需給均衡に任せるのではなく、総需要を管理する政府の政策が必要である。これが『一般理論』に於けるケインズのメッセージである。p114、

 
ケインズは、人びとの必要を「絶対的な必要」と「相対的な必要」に分ける。絶対的な必要とは、人が生きていくために必ず必要とする基本的な衣食住に関するものである。一方、相対的必要とは、生きるために絶対必要というわけではないが、他者との比較があるから欲しいと思うようなものである。そして、資本主義経済は、適切な管理の下でならば――大戦争・人口爆発・不作為による大恐慌を避けるならば――経済成長という複利の力を使って物質的な冨を飛躍的に増加させることができ、あと一〇〇年もすれば絶対的必要をすべての人に満たすことが可能となるだろう、とケインズは大胆に予測する。p118

 これは1928年に小さな会合の講話として発表されたもの。ほぼ百年経った現在、日本を含む先進西側諸国の現実は予言に近いかもしれない。しかし、発展途上国の現状はどうだろう。それ以上に、何が絶対的必要かは個人の主観によるところが大きいのが問題だ。

 ケインズ的考え方の下では従来は「従」であった「必要」が考慮されるようになり、第二次世界大戦後、雇用の安定を含む国民生活の安定に政府が積極的な役割を果たす福祉国家体制が生まれた。失業は個人の問題ではなく、社会の問題であるという認識が広まった。p127.

 かくして生まれた福祉国家体制は、大きな成功を収めた。西側先進資本主義国では失業率は低く、経済成長率は高かった。1870年~1913年の平均実質経済成長率は約2%であったが、1945年~1973年は約4.5%で、日本だけ見れば2.4%が9.4%にアップした。

 しかし、70年代に福祉国家体制は行きづまる。73年の石油ショック以降、福祉国家体制を支えていた経済成長率が低下する。その原因の一つは、戦後、市場に課せられたさまざまな規制が業界の既得権益となったいったこと。そのため業界は政治権力にすり寄って、顧客の方を向かなかった。規制があれば事業は安泰だと思い、事業環境の変化に対応する能力が減退した。

 1980年代、いわゆる新自由主義に基づく改革が始まった。「
市場が与える評価は正しいとなった。小さな政府と規制緩和が主張され、政府の介入は自由競争市場を歪めると批判されるようになった。悪しき規制を撤廃すれば自由競争が作用する。福祉に甘えた人びとがもうもらえないと思えば自己責任で頑張る。よって、再び経済成長が起こる。
 この時代日本では民営化政策により、JR、NTT、JTが誕生した。私はそのことによりサービスの向上を実感し、新自由主義を歓迎した。

 しかし、経済成長路線はもはやわれわれの現実には合っていないと著者は言う:
①われわれは資源の制約に直面しており、物質的消費や人口の増加を続けることはできない。
②われわれは(少なくとも先進国では)すでに高度な消費レベルを享受しており、GDPであらわされる価値の増大が、より多くの幸福とよりよい社会の実現を意味しなくなっている。
p150

 以降の分配論、「必要」に関する論議は、まとめるのが難しいので、冒頭に戻る。

 
真に豊かな社会をめざすのであれば、経済成長を追求する路線で誤魔化すのではなく、豊かさとは何かを根本的に問い直さなければならない。とくに問い直されるべきは、金銭の支払い意思で示される購買欲求を満たすことがよいという価値観である。この問い直しの文脈で「欲求」と区別される「必要」という概念が注目されている。p5
 著者はこの「必要」概念の特徴として二つをあげる:
 
第一に、どのような「必要」が満たされるべきかという社会的な論議が土台にあること。簡単に合意などできないかもしれないが、何が「必要」かについての人びとの論議は避けて通れない。
 第二に、その「必要」は財・サービスで充足されるものに限らないこと。具体的には差別されないこととか、居場所があるとかも含まれる。女性であることで職場において差別を受けるかもしれない。以下、性的マイノリティー、働けなくて給付を受けている人など。
p7

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書名 ゼロからわかる北欧神話 著者 かみゆ歴史編集部 No
2026-08
発行所 イーストプレス社 発行年 2017年 読了年月日 2026-03-20 記入年月日

 神話で遊ぶ俳句の北欧神話編のテキスト。毎月4柱の登場人物を題材に2句ずつ作る。13ヶ月かけて今月で終了。

 私にとってはまったく初めて知る物語。北欧に古くから残る物語が語り継がれて、12世紀頃書物として記されたというから、ギリシャ神話やシュメール神話などよりずっと新しい。特徴はなんと言っても神々も死に、最終戦争「ラグナロク」で神と巨人族が相打ちになり、世界は一旦滅亡するというストーリー。北欧という厳しい気象環境のせいか、物語も荒々しい。本書では北欧神話が現代のファンタジーやゲームの題材にされていることが、神々や英雄あるいは魔物について解説の最後にふれられている。

 少し前のNHK番組、「30日で分かるアインシュタインシリーズ」の中で、北欧神話の世界観、ユグドラシルの世界図が示されていた。この世界図では世界は一本の巨大樹ユグドラシルを中心に広がり、その根本は三つにわかれ、それぞれ極寒の国、灼熱の国、神々の国で、ユグドラシルはそれぞれにある三つの泉に根を下ろしている。

 リヒャルト・ワーグナーは北欧神話をもとに楽劇『ニーベリングの指輪』を作った。

 さらに『届かなかった手紙』の中に引用されていた、ナチス突撃隊の行進歌の歌詞として主神オーディン(ゲルマン神話ではヴォータン)と雷神トールの名が出ていた。現代の神話的戦士団として突撃隊が自分たちを位置づけたものだという。

 凍る夜を語り継がれし神話かな   肇


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書名 著者 No
2026-
発行所 発行年 読了年月日 記入年月日

 





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