読書ノート2006年

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書名 著者
脳と仮想 茂木健一郎
新釈遠野物語 井上ひさし
ノルウェイの森(上・下) 村上春樹
ただいま育休中 山田正人
日本三文オペラ 開高 健
クオリア入門 心が脳を感じるとき 茂木健一郎
江戸川柳で現代を読む 小林弘忠
東一局五十二本場 阿佐田哲也
江戸時代とはなにか 日本史上の近世と近代 尾藤 正英
夜と女と毛沢東 吉本隆明、辺見庸
ウエブ進化論―本当の大変化はこらから始まる 梅田 望夫
ジャンヌ・ダルクまたはロメ 佐藤賢一
輝く日の宮 丸谷才一
志学数学 伊原 康隆
デジカメ自然観察のすすめ 海野和男
さおだけ屋はなぜ潰れないか? 山田真哉
ダークレディと呼ばれて ブレンダ・マドックス
二重らせん第三の男 モーリス・ウイルキンズ
生命の多様性(上) エドワード・O・ウィルソン
生命の多様性(下) エドワード・O・ウィルソン
風景学・実践編 中村 良夫
日本文化のかくれた形 加藤周一、木下順二、丸山真男、武田清子
「メンデル法則再発見」の検証 生沼忠夫
古典を読む 平家物語 木下順二

                                                        2008-01-17 up

書名 脳と仮想 著者 茂木健一郎 No
2006-01
発行所 新潮社 発行年 2004年9月 読了年月日 2006−01−12 記入年月日 2006−02−18

 NHKBS2で毎日曜の朝「週間ブックレビュー」というのをやっている。最近見始めた。毎週、3人の作家あるいは評論家が今週の一冊を推奨する。その中の一冊。

 著者は脳科学者。理系の人間でありながら、読んでいて小説家になった方がよかったのではないかと思うほど、書きぶりが良質の文学作品を思わせる。
 粗っぽい要約をすれば、この世界は各人の脳が作り出した仮想ではないかというのが本書の主張。ちなみに表題には英語がふってあって「The Brain and Imagination」である。 著者は「クオリア」(質感)というものをキーに脳の働きを研究している。現代の科学ではこのクオリアはどうしても説明できない。著者は小林秀雄の科学観を借りて、近代合理主義批判を展開する。小林の講演を収めたCDが盛んに引用される。

 文学的であるというのは、話の進め方が、日常的なことから入っていくからであり、またレトリックが華麗であるからだ。本書の出だしは、羽田空港で立ち聞きした子供の「サンタクロースは本当にいると思う?」という問いかけである。この問いをきっかけに仮想という主題に入っていく。

 華麗なレトリック(p68):
 
統計的真理をどれほど参照しても、個別の生を生きることにはつながらない。統計的真理というミネルヴァのふくろうは、黄昏にしか飛び立たない。そのはるか前の真昼時を、私たち一人一人は生きなければならないのである。
 源氏物語への言及(p70):英訳源氏を読んだとのこと。
 現実について(p90):
 
もともとは、現実であれ仮想であれ、全ては神経細胞の生み出す脳内現象である。脳の中の一千億の神経細胞の活動によって生み出され、私たちの意識の中にあらわれる様々な表象が、複数の経路を通って一致し、ある確固とした作用をもたらすとき、私たちはそのような作用の源を「現実」と呼ぶのである。
 これが著者の基本的思想だ。唯脳主義といってもいい。

 断絶(152p):
 
もの自体との断絶。他者の心との断絶。私たちはこのような絶対的な断絶にとり囲まれた脳内現象として、この世界の中の生を生きている。
 志向性(153p):
 
「私」という中心点から、私の心がそこに向けられること、すなわち志向性を通して私たちは空間を表象すると同時に構成するのである。
 断絶((159):
 
私たち一人一人にとっての絶対与件は、世界が根本的に断絶しているということである。その断絶を何とか乗りこえて他者と行き交おうとする中で、私たちは他者の心という仮想を生み出す。
 それが、私たち人間が生きるということなのである。

 近代科学(209):
 
近代科学のやり方には、どこか根本的な欠陥がある。この「恐ろしい事実」に、脳科学や、哲学や、認知科学にたずさわり、意識の問題を真剣に考えている人々は、もうとうの昔に気がついている。

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書名 新釈遠野物語 著者 井上ひさし No
2006-02
発行所 新潮文庫 発行年 昭和55年 読了年月日 2006−02−07 記入年月日 2006−02−19

 
出掛けるときにポケットに入れていく文庫本あるいは新書版がなくなった。
 ベッド脇の本棚にたくさんある文庫本の中から見つけ出した。息子か娘が読んだのだろう。

 当然、柳田国男の「遠野物語」を下敷きにしている。舞台は遠野近辺。時代は昭和10年前後。山奥の結核療養所の事務員が、裏山の洞穴に住むトランペット吹きの老人から聞いた9編の話からなる。どこまでが現実でどこからが非現実か判然としないが、戦前の日本にはまだ十分あり得ると人々が信じていた話しで、それは田舎で過ごした私の幼年期から少年期にもまだ周辺に残っていた雰囲気だ。読んでいて懐かしい気がした。貧しい庶民の生活の哀感、そんなものが胸に迫ってくる。動物と人間の交流が至るところに出てくる。それは河童であったり、雉、馬、ウナギ、キツネなどと人とのかかわりだ。「冷やし馬」では若い女と馬との交情が主題である。かつて何かの本で、日本書紀か何かに、雄略天皇だったかが馬と人間の女を交わらせたという記録があるとあったのを思い出した。そうした話は、太古からあるのだ。

 フィクションである分、柳田国男よりずっと面白く、一気に読んでしまった。
 最後は見事などんでん返しで、聞き手の青年も、読者も一杯食わされる。

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書名 ノルウェイの森(上・下) 著者 村上春樹 No
2006-03
発行所 講談社文庫 発行年 91年 読了年月日 2006−02−26 記入年月日 2006−03−02

 これも私のベッド脇の本棚にあった文庫本。息子か娘のものだ。

 主人公僕の19才から20才へかけての青春物語。年代は69年から70年。私とはわずか一回りしか違わない「僕」でありながら、これほど性の解放が進んでいたのだろうかと思う。いきずりの女性と何人も寝ている。そして、恋人とはもっぱらマスターベーションを行う。マスターベーション小説とも言えるほど、その行為が重要な意味を持ち、また、印象的である。書き方が軽快で、サラッとしているので、そうした描写が猥褻な感じを少しも与えない。

 ストーリーは僕がハンブルグの空港でビートルズの「ノルウェイの森」を聞き、激しい感情に襲われ、20年前を回想するところから始まる。僕は同郷で同じ年の直子と東京で大学生活を送っている。直子の恋人は高校時代に自殺している。僕と直子の関係は恋人といえるものではない。直子の20才の誕生日に僕は初めて直子を抱く。それを機にして直子は持病の精神の病になり、僕から離れて、京都の山奥の療養所に入る。

 僕は同じ大学生の緑という女と知り合う。緑は変わった女で、ポルノ映画に僕を誘い、画面を見ながら「あーゆうの誰かにちょっとやってみたい」とか感想をもらし、こうした映画を見ている男性のあれが何十本も立っているのを想像すると面白いと言ったりする。緑の方は僕に少しずつ引かれていく。僕も直子への思いを抱きながら、緑を遠ざけるわけではない。

 僕は療養所に直子を訪ねる。特別な治療は施さず、運動、規則正しい生活を中心に回復を待つという施設だ。直子は年の離れたレイコさんという女性と二人で同じ離れの病棟に住んでいる。広大な施設の中にある森で直子にマスターベーションをしてもらう。快方に向かうかに見えていた直子は病状を悪化させ、専門病院に移り、そこで自殺する。
 直子を失ったレイコさんは北海道へ向かう。途中、僕のところに1泊し、僕は彼女を抱く。
 直子を失った主人公と緑の間に新しい関係を予感させるところで小説は終わる。

 青春特有の喪失と再生が切なく胸に迫る。大ベストセラーになっただけのことはある。

     

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書名 ただいま育休中 著者 山田正人 No
2006-04
発行所 日本経済新聞社 発行年 2006年1月 読了年月日 2006−03−11 記入年月日 2006−04−02

 タイトルの前に「経産省の山田課長補佐、」と入っている。(ATOKのこのバージョンでは経産省は変換されない。計算省、珪酸省と出てくる)。

 著者の山田課長補佐とは、JT同期入社の山田さんの息子。この本は山田さんが読んで欲しいといって2月の川崎での将棋の例会の帰りに、私に渡してくれた。横浜の書店でわざわざ買い求めてきたのだ。「親ばかだと思って読んで欲しい」とのこと。日経新聞刊で8000部作ったというからたいしたものだ。

 山田さんの息子が東大を出て、エリート官僚になり、やはりエリート官僚の女性と結婚したことは聞いていた。長らく子供が出来なかったのが、色々手を尽くして、双子が生まれた。この時は奥さんが産休に引き続き育児休暇を取った。2番目が生まれた。奥さんもエリート官僚である手前、育休が取りにくい。それで、今回は夫が取ったというわけ。エリート官僚としては思い切った決断だ。拍手を送りたい。

 まだオムツも取れていない上の二人を毎朝保育園に連れて行き、家では赤ん坊の面倒を見る1年間を綴ってる。3人の乳幼児の育児だから大変だ。そんな中で、保育時間や、保育年齢など、保育園に関する色々な制約、あるいは公的機関の行う検診などについて、規則一点張りのお役所仕事を批判しているところが面白い。著者は夫の育児休暇を少し意識しすぎているところが見られる。保育園や保健所でのちょっとした行き違いに、それをすべて男が育児を行っていることに対する、世間の好奇の目、あるいは偏見が原因のように書いているが、私には必ずしもそうとは取れなかった。育児休暇中でも、結構仲間との夜のつき合いはこなしている。
 最後に、役人らしく、著者の経験に基づく少子化対策を列挙している。

 先日山田さんにお礼の読後感をメールしたら、今月号の「文藝春秋」の巻頭のエッセイに息子が書いているから立ち読みでもいいから読んで欲しいと返事があった。


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書名 日本三文オペラ 著者 開高 健 No
2006-05
発行所 新潮文庫 発行年 昭和46年 読了年月日 2006−03−31 記入年月日 2006−04−02

 再読である。読み終わった日付を本の最後に記入する習慣は90年頃から始めたのだろか。この文庫本にはその記載がなかった。多分、20年くらい前に読んだのだろう。

 先月のエッセイは開高健の「書くということは野原を断崖のように歩くことだろうと思う」を取り上げた。その中で『日本三文オペラ』は私としては日本の小説の5指に入ると書いた。読んだ当時、題材の異様さと底辺に生きる人々と猥雑な生のエネルギーに圧倒された。それが強烈であったために、私は5指に入ると書いた。

 舞台は大阪の中心部に広がる、旧陸軍工廠跡地。終戦前日に焼け落ちた30万坪の土地に眠るのは膨大な鉄材。川一つ隔てた「アパッチ部落」と呼ばれるところにすむ住民は、この「鉱山」から鉄屑を掘り出して、ブローカーに売ることで生計を立てている。通称「アパッチ族」と呼ばれる部落の住民は数組の親分に率いられ、夜な夜な鉱山に忍び込み、ハンマーや鋸で鉄を切り出し運び出す。れっきとした国有財産であるから、これは犯罪であり、警察は目を光らせ、現場に踏み込む。アパッチ族は巧妙な手だてで、巧みに警察の目をかすめる。この攻防はこの小説の一つの読みどころだ。

 北の新地を腹を空かせて歩いていた「フクスケ」は、メシを食わせるという一人の女に誘われて、この部落に入る。彼の親分キムは朝鮮人だ。彼らは毎夜、キムの家に集まり、七輪を囲み、牛や豚の臓物をニンニクのタレで焼きながら、焼酎を飲んで作戦会議を開き、夜の闇に紛れて鉱山に浸入し、明け方まで作業にいそしむ。この焼肉のことを「トンチャン」とルビが振ってあった。私がトンチャンという言葉を聞き、実際に口にしたのは、富士市にある三島製紙工場での抄造プラント試験の時である。ニンニクと唐辛子が強烈で、屋台で食べた次の日の朝も、口臭として強く残っていた記憶がある。
 順調であった採掘作業も、警察の目が段々厳しくなり、また、朝鮮戦争後の不景気で町にやってくる人が多くなり、アパッチ族は追いつめられる。そんな時、銀板の入った箱があるという情報がもたらされる。部落全体が共同して、綿密な作戦を練り、銀板を奪いに出掛けるのだが、前もって警察に知られていて、失敗に帰す。そして、フクスケも、この部落を去る。

 読み返してみて、ストーリーはほとんど覚えていなかった。むしろ、最後もアパッチが見事に警察を出し抜いたように私は記憶していた。前回の時に強烈に記憶に残ったシーン、豚の羊水に浮かべた胎児の細切れを飲み干すシーンは間違いではなかった。

 フクスケというのはその頭の形から来た名称であるし、その他登場人物も、めっかち、ラバ、オカマなど差別語を含む名前で呼ばれていて、素性ははっきりしない。任務は警察の見張りから、獲物のありかの探り役、堀役まで各人の能力に応じて様々。しかし、分け前は均等というのが彼らの決まりだ。親分の取り分は多いが、その代わり、部下が警察に拘置された場合の差し入れなど、こまめに面倒を見る。能力に応じて働き、平等に報酬を得るという、共産主義の理想が実現されている。

 名前だけでなく、今なら問題となるような差別用語が至るところに出てくる。当時、昭和30年代の初め頃は、今ほど差別用語にうるさくなかったのだ。

 登場人物の中に、トウジョウ・ヒロヒトという男がいる。獲物を鉱山から対岸まで船で運ぶのを専門としている、どこの組にも属さない人物だ。素性は不明だが、それは東条英機と昭和天皇を揶揄した名前であることは一目瞭然だ。開高は、工廠が焼けたのは8月14日で、わずか1日の差で、多くの人命が失われたことを糾弾している。さらに、ポツダム宣言受諾の方針が固まっていながら、面子にこだわってその引き延ばしをした当時の日本の最高指導層も、容赦なく糾弾している。こうした背景が、トウジョウ・ヒロヒトの名前にはある。そのトウジョウの船が積みすぎのために、川の途中で沈むことがしばしばある。それを引き上げるために、川に潜ってロープを架けるのを商売にする人物もいる。川といっても流れのないよどんだどぶだ。彼はロープをかけ終わって、土手に上がると焼酎でうがいをする。彼の口から吐かれた焼酎は真っ黒である。

 それにしても、アパッチ族の猥雑なエネルギーには今回も圧倒される。生きるためには、食うためには、人間はどんなことでも出来る。彼らの行動には弱者の怨念などというじめじめしたものはない。カラッとしていて爽やかであるが、それでいて生きていくことの哀感を感じさせるところが、この小説の最大の魅力である。

 印象は今回も強烈であった。ただ、前回以後、三島の作品や、大西巨人の『神聖喜劇』を初め、私もたくさんの小説を読んでいるから、5指というのは言い過ぎだろう。10指とした方がよかった。

 アパッチ部落というのは実在した。開高はこの小説を書くために、新聞社にしかるべき人物の紹介を求めた。やってきたのは妻の詩人仲間の金時鐘という人物で驚いたと、巻末の解説には書いてある。この親分のところに泊まり込んだ体験が下敷きである。物語のキムは、場違いなほどのインテリに描かれている。銀板奪取の手の込んだ綿密な作戦計画を立案し、他の親分を説得するのも彼である。


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書名 クオリア入門 心が脳を感じるとき 著者 茂木健一郎 No
2006-06
発行所 ちくま学芸文庫 発行年 2006年3月 読了年月日 2006−04−20 記入年月日 2006−05−09

『脳と仮想』に続き、脳と心の関係についての著者の考えを展開したもの。こちらの方がずっと脳科学的な記述と考察を深めている。高度な内容であるが面白い。

 著者は心の中の表象はニューロンの発火によって生じると言う基本的な立場に立つ。そのうえで、ニューロン発火と心の関係を従来の「反応選択性」の立場ではなく、「認識におけるマッハの原理」に立って考察すべきだと提唱する。マッハの原理とは言い直せば相対主義である。各ニューロン群は特定の対象にのみ反応するという反応選択性説に潜む欠点を、クオリア、質感という概念から明らかにしていく。

 特に面白かったのは主観性の考え方のところで述べられた「両眼視野闘争」のところ(p128〜)。私たちの両眼の網膜に写る像は同じではない。それが一つのまとまった像として認識されるのは、どちらかの像が優先されるからである。左右の目に例えば縦縞と横縞といった全く異なる像を提供すると、その時被験者の見る像は縦縞と横縞がある領域毎に表れ、しかもその領域が速やかに変わっていく視覚像になる。これは被験者の意志では支配することの出来ない変化である。この現象を基に、著者はあるクオリアに対応する脳内ニューロンの発火はあっても、必ずしもそれが心に表れるものではないと結論する。「私の心に○○が見える」というためにはそのニューロンの発火を見つめる別の機構が必要である。それが主観性の問題である。そして、その主観性も、またニューロンの発火現象として説明しなければならないという。

 クリックとコッホの説に対比する形で著者は自説を展開する。クリックとコッホは、前頭前野に直接シナプス結合するニューロンのみが視覚的アウェアネスに関与しているとする。一方、著者は網膜から高次視覚野にいたる相互結合したニューロンの発火のクラスターとして視覚的アウェアネスに上がってくるとする。著者はクリックらの考えは脳内にもう一つ別のこびと「ホムンクルス」を想定するデカルト以来の考え方に通じると批判する。

 著者はポインタと言う概念を提唱する。意識に上がってこないニューロンの発火をポインタが指摘して初めてそれは心に見えてくるとする。


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書名 江戸川柳で現代を読む 著者 小林弘忠 No
2006-07
発行所 NHK出版 発行年 2005年2月 読了年月日 2006−05−11 記入年月日 2006−05−12

 
同期入社の海野さんが、私はこんな本が好きで読んでいると送ってきた。いかにも海野さんが好きそうな本。題名通りの中身。

 たくさんの川柳が引用され、それを現代日本社会と対比させている。川柳の題材が生活のあらゆる面に及んでいるのが驚きだ。江戸東京博物館で接した長屋の展示を頭に描きながら読み進めた。

店中の尻で大家は餅をつき:江戸時代、長屋の共同便所から出る糞尿は近辺農家が買い取りに来た大切な肥料であった。その売却料金はかなりのものになると江戸東京博物館のインストラクターをしている北田さんが説明してくれたが、この川柳はそれを皮肉っている。著者は江戸のリサイクル社会を絶賛し、返す刀で現代を批判する。毎日新聞の記者であった人だから、現代社会の色々なニュースに精通し、数字を引用しながら、世相を嘆く。ただ、江戸時代を美化しすぎの感はある。凶悪な犯罪や役人の腐敗、男女間のもつれなど、江戸も今もそんなに変わらないのではないか。

 私も川柳は好きである。俳句よりも先になじんだ。痛烈な社会風刺が快く、またユーモアに心和む。ただ、江戸川柳となると、特に解説がないと何のことかわからないものが多い。本書はおびただしい数の川柳を引用し、その解釈が施されていて、江戸川柳入門としても格好だ。


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書名 東一局五十二本場 著者 阿佐田哲也 No
2006-08
発行所 角川文庫 発行年 昭和57年 読了年月日 2006−05−19 記入年月日 2006−05−20

 
私のベッド横の本棚にあった。息子の本だろう。
 表題の他、7編の作品を収める。いずれも半プロ的麻雀の打ち手が題材。中には作者自身が登場する。噂通りの打ち手というか、それで飯を食っていたようだ。

 昨日読み終え、麻雀の打ち方としてなるほどと思うことをいくつか感じた。勝負の大きな流れをつかみ取ること、手の読みもさることながら、戦略的な思考が大切であること、その時点でもっともマークすべき人物は誰かを常に確認すること、など日頃の感じていることを再確認した。

 午後、新橋で日東グループの麻雀があった。冷静に打ち回し、降りるところはきちっと降り、闇テンを多用し、8回戦で4回トップ、ドボンなしで一人勝ちした。これで5月に入って4連勝である。そのうち3回がトップだ。

 本書に出てくるのは戦後間もない頃から、昭和30年代頃まで。もちろん自動麻雀卓などなく、ドラという制度もまだやっと普及し始めた頃のこと。そのせいか、登場する役が大きいものばかり。九連宝燈が2回も登場し、大三元や四暗刻などの役満がよく出てくる。

「東一局五十二本場」というのは腕に自信の学生が、三人のプロに混じって打った話。事前の約束で、プロ同士は50万円の握りをしている。学生が荘家で勝負開始。学生はついていて親上がりを続ける。しかしそれはいずれもツモ上がりである。あるいは流局が続いたりする。流れ毎に1本ずつ積む積み棒が増えるばかりである。途中3人の相手の点棒にはわずかな差がつく。しかし彼らはお互い同士上がらない。ハコテンになり、学生から借りる状態になっても上がらない。彼らは学生の点数など眼中になく、お互いの順位のみを問題にしているから、上がらないのだ。勝負は終わって初めて決着がつく。これではいくら点棒があっても勝てないと気がついた学生が、場を進めるために相手に上がらせる作戦に出る。相手に大三元になるようにパイを積む。そして、最後の白を相手に行くように場の途中で積み替える。彼らはそれを待っていたのだ。素早く見つけていかさまを指摘する。いかさまはダブルハコテンを全員に払うという事前の取り決めがあったのだ。

 
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書名 江戸時代とはなにか 日本史上の近世と近代 著者 尾藤 正英 No
2006-09
発行所 岩波現代文庫 発行年 2006年4月 読了年月日 2006−05−27 記入年月日 2006−05−27

 
冒頭、日本の歴史上、集落の周りに堀を巡らせたのは弥生時代と応仁の乱後の約100年間の2回だけであるという歴史学者の指摘を基に、著者は弥生時代と戦国時代に共通する要素は無秩序から新しい秩序が形成されていく過渡期であったことである、と推察する。「はじめに」の章のこの部分を読んで私は思わず、裏表紙のカバーについている著者略歴を読んだ。わずか1ページ読んだだけで、この本がすばらしい本だと直感し、著者はどんな人物だろうかと知りたくなったのだ。1923年生まれ、東大の文学部で教鞭を執っていた人で、日本近世史が専攻である。

 いくつかの講演、寄稿を収録する形で本書は構成されている。一言で言うならば、家、村落、藩、そして藩の集合体である幕府と、それぞれの規模において、江戸時代の人々には共同体意識があり、それが250年続く安定した社会を持続させたということ。役、家、公儀、といった言葉をキーワードとして江戸社会を考察していく。斬新な視点に引き込まれるように読み進めた。

 戦国時代から江戸時代への変動は古代国家の成立や明治維新のように外部からの圧力もしくは影響によるものではなく、内発的要因が生み出したものである。「はじめに」のxiiあるいは明治維新についてはp104。

時代区分:著者は古代、中世、近世、近代の4分法をとる。日本歴史の最大の区分点は中世と近世の間にあり、それは14世紀から16世紀にかけての南北朝から戦国時代である。古代と中世、近世と近代は連続している。p17。

 明治維新が世界史的に見てあれほどスムーズに行ったのは、その前後での実際の社会組織が、特に農村の組織が変わらなかったからである。そうした組織は戦後の今も残っている。七根の体験から、私も実感としてそのことは感じる。p14〜15。p104

 兵農分離により生じた士農工商の身分制度の中で、武士は武士としての、農民は農民としての責任を自覚的に感じそれを「役」として果たした。そのことが江戸社会の安定の基本である。p40〜43、こうした「役」の体系は国家への奉仕あるいは義務としての性格を有していた。p75〜76。

 家康の国家政策:自身が具体的に語った資料はないが、「武家諸法度」などから推察すると、国家を形成する個々の集団ないしは組織の自律性を尊重するとともに、それらを幕府の統制下におくことにより、全体としての国家の秩序を維持していくことであったようである。p110の終わりから次ページへ。

「俗」と「雅」:俗の中に伝統的な雅の文化と同等の、あるいは本質を同じくする芸術が成立しうること、伝統文化よりも人間性の真実に迫りうることを実際の作品を通じて示したのが芭蕉であり、西鶴である。p169.

 仏と神による国民的宗教基盤が形成された p116以下の「日本における国民的宗教の成立」の節。

「私心」の否定:武士は組織の中で自分の使命を果たすことに命をかけ、私的な利害関係には全くとらわれないことを生き方の理想とした。例えば吉田松陰の『講孟余話』。幕末の幕府は幕府体制の維持だけを念頭に置く私心の固まりのように映ったことが、多くの志士を生み出し、討幕運動に駆り立てた。p205.


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書名 夜と女と毛沢東 著者 吉本隆明、辺見庸 No
2006-10
発行所 光文社文庫 発行年 2006年3月20日 読了年月日 2006−06−06 記入年月日 2006−06−07

 
青葉台の書店で見つけて購入。二人の対談集である。

 前書きで、辺見が言っているように、辺見が吉本に時には奇策をもって切り込む形。例えば「女を買ったことがあるか」と言う質問を浴びせる。それを吉本はまじめに受け、応えている。テーマは表題の3点の他に「身体と言語」というテーマがある。

 二人については漠然としたことしか知らなかった。辺見の『もの食う人々』は読んだことがあるが、吉本のものは読んだことがない。意外だったのは二人とも、いわゆる進歩的な文化人を痛烈に批判する。特に、『毛沢東の私生活』を中心に毛沢東を語る所ではそうである。辺見は共同通信の特派員として北京駐在が長く、文化大革命時代の中国に通じているから、毛沢東を冷めた目で見、それに媚びを売った当時の訪中文化人を厳しく批判する。二人とも中国に対して保守派と変わらぬ強硬な見方をする。

 吉本は朝原とオウムを弁護する発言をしたらしい。それが各方面から批判された。彼は宗教としてのオウム、思想家としての朝原を買っている。97年3月に雑誌に掲載されたこの対談では裁判の場で、朝原がその世界観を展開することを期待するが、その後の展開では彼の期待は見事に裏切られ、朝原は法廷に立つのもやっとというただの俗物であることが判明した。

 面白かったのは、吉本も女流作家が老境に入ってからが本当にいいものがかけると言う感想を持っていること。下重さんが宇野千代と野上弥生子をその例として自分もがんばりたいと言うことを「あかつきW」の巻頭に書いた。吉本は例として円地文子の「女坂」をあげている。女性の肉体的な強さと関係があるのではないかという。p175前後。

 辺見は現代日本社会を「消費資本主義」ととらえ、その弊害、行き着く先を盛んに案じるが、吉本はそれは歴史の流れであり、無理に止められるものではなく、成り行きに任せるべきだと主張する。吉本はアフリカ的生活様式の中に新しい人間の原理があるのではないかと言う。ただしその中身は漠然としている。


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書名 ウエブ進化論―本当の大変化はこらから始まる 著者 梅田 望夫 No
2006-11
発行所 筑摩新書 発行年 2006年1月 読了年月日 2006−06−15 記入年月日 2006−06−15

 
先月末のJTOB会に山田隆一さんが来ていて、立ち話でこの本が面白いと聞いた。
 山田さんの言葉の通り、面白く、インターネットの本質、可能性について色々知るところが多く知的刺激に満ちた本であった。著者はシリコンバレーでコンサルティング会社を創立した人。

 次の10年への3大潮流:インターネット、チープ革命、オープンソース
 ネット界の3大法則;
  神の視点からの世界理解
  ネット上に作った人間の分身がカネを稼いでくれる新しい経済圏
  (≒無限大)×(≒ゼロ)=Somethig。あるいは、消えていったはずの価値の集積
 ネットのこちら側とあちら側:こちら側の代表はマイクロソフト、あちら側はグーグル。これかららの発展の方向はあちら側のテクノロジーの進展が握っている。

 検索のテクノロジーが伸展すると、情報や知の編集、整理をコンピュータが自動的に行ってくれるようになる。グーグルが目指すのはこうしたテクノロジーである。グーグルは超優秀な人材を集めたテクノロジー会社であり、そこには30万台のコンピュータが24時間フル活動している。

 オープンであることの有利性:リナックスの例、ウィキペディア。ネットの今後の発展の鍵を握るのはネットのあちら側がどれだけオープンになるかである。グーグルやアマゾンの新しい試み。

 ロングテール現象:例えば書籍販売の例、売り上げ部数を縦軸に取り横軸に売り上げ部数順位をとると、そのグラフは巨大な恐竜のようになる。首の部分からすとんと落ちて、長い長い尾を引く。従来のビジネスはコスト効率の制限から、ネックの部分で成り立っていた。ネットの世界ではコストが安いのでロングテールの部分を相手にすることが出来る。米国アマゾンの売り上げの半分以上を売り上げ部数ランキング13万以下の書籍によっている。

 Web2.0従来のインターネットをWeb1.0とすればこれからWeb2.0に移行する。
 ソシアルネットワークについても触れられている。進むべき方向として人の評価順位付けをアウトプットとして得られるようなものになるべきであるという。ちょうど、グーグルがウエブサイトの順位付けを行うように。

 本書でグーグルアースというサービスを知った。すぐに試してみた。衛星による地上写真の無料サービスである。霧が丘の我が家はもちろん、七根の祖父母の墓までも特定することが出来る。驚異と言うほかない。大変なサービスだ。早速いくつかの地点にポインターを置いた。ポインターのタグをクリックすると衛星の目はそこを目指して降下していく。

 本書を貫くのはネットの未来に対する楽天主義。ネットが作り出す民主主義、表現行為の一般化、エスタブリッシュメントに取って代わる不特定多数の個の力・・・。ネットを通じてささやかながら表現と発信を続ける私にとって、励ましになる本だ。ネット社会の到来は私にとっては遅すぎたが、私が生きてみたいと思った生き方を可能にするものだ。


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書名 ジャンヌ・ダルクまたはロメ 著者 佐藤賢一 No
2006-12
発行所 講談社文庫 発行年 2006年2月15日 読了年月日 2006−07−02 記入年月日 2006−07−17

 
新橋の文教堂の店頭で目についた。著者の『カエサルを撃て』は面白い小説だった。その後の作品は読んでいなかったので、買ってみた。

 表題の作品他、短中編のヨーロッパ史を題材にした全7編を収載。

 「ジャンヌ・ダルクまたはロメ」は、伝説の聖女をフランス宮廷の筆頭侍従で国政の実権を握るジョルジュ・トレムイユの目を通して描いたもの。ラ・ピュセル(ジャンヌ・ダルク)の突然の出現と活躍に自分の権威の脅威を感じたトレムイユはその素性を探らせる。その結果、ピュセルは現国王シャルル7世の異父妹であるという推定に達する。だからあれほど容易に国王に近づくことが出来、軍の指揮まで任されたのだ。オルレアン解放には輝かしい勝利を得た彼女ではあったが、最後はイギリス軍に捕らわれる。当時の風習では捕虜は身代金を払えば救い出すことは出来た。しかし、シャルル7世はそれを拒否する。かくしてトレムイユはラ・ピュセルに勝った。しかし、国王の非情さに戦慄する。複雑に入り組んだ貴族や王族間の権力争いが一読では理解しがたい所があり、読みやすくはなかった。

 それに比べると、カスティーリャ王国の王女イザベラとアンゴラの王子フェルナンドとの結婚をあつかった「エッセ・エス」の方が面白かった。剛毅な王女と、隣国アンゴラの王子であることが見つかったら命はないにもかかわらず、敢然とカスティーリャ内を王女の元に向かう大胆な王子の行動の物語は胸がすく。もちろん、イザベラは後にコロンブスのスポンサーになった女王だ。

 レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザ制作にまつわる話を扱った「ヴォラーレ」も面白い。

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書名 輝く日の宮 著者 丸谷才一 No
2006-13
発行所 角川文庫 発行年 2006年6月15日 読了年月日 2006−07−06 記入年月日 2006−07−17

 
面白くて一気に読んでしまった500ページ近い大作。丸谷才一の小説はいずれも面白い。知的刺激に満ちている。

 主人公は女性の国文学者の杉安佐子。国文学者や水を扱う会社の幹部との彼女の恋物語がストーリーとしては進むが、本書の本質は、安佐子の説として提供される源氏物語と奥の細道に対する、著者の新説(?)である。小説の中身と文体は多彩で、小説の地の文はむしろ少ないくらいだ。最初の文中小説から、討論会での対話とト書きで出来た章、紫式部と藤原道長との対話、最後の源氏物語の失われた一章「輝く日の宮」の復元版(現代語による)など。
 
 源氏物語のストーリーとして重要なポイントとなる源氏と藤壺皇后の密通のことは後の「若菜」の帖で初めて明らかにされる。私は谷崎源氏を読み通したとき、源氏と藤壺との間に密通があったと何かの解説書で読んで、ええ、そうだったのかと思い、そのことが記載された所はどこだろうかと読み返してみた。かなり真剣に探したが、ついに見つからなかった経験がある。具体的には書いてなくても、それとなくほのめかしてあって、古来読みの解釈としてこの密通を前提にしているのだと思っていた。ところが、密通のことが何も書いてないことは従来から問題にされていたことをこの小説で初めて知った。
 丸谷は「桐壺」の次の帖に「輝く日の宮」というのがあって、そこには具体的に書かれていたと推測する。そして、当時紫式部と愛人関係にあった藤原道長が、余情を持たせるためにその帖は省いた方がいいと言って削除してしまったと、大胆に推理する。これがこの小説の核心である。

 式部が道長とそういう関係になった一因として、道長が紙のスポンサーであったからだという。当時、紙がきわめて貴重なものであったことは、数年前に、東大史料編纂所の展示会で、定家の『明月記』が反古を使ってかかれているのを目にして実感した。その貴重品をふんだんに提供されたので、初めて源氏物語は成立したという。(275P以下)
 丸谷はさらに源氏物語には2系列があって、最初に出来たメインのストーリーに、源氏の若い頃の恋の冒険の帖、あるいは玉鬘の関連する帖などが後から挿入されて出来上がったと推察する(255P以下)。これも丸谷の新説かどうかは知らないが、説得力はある。

 前半で安佐子がパネルディスカッションで提出した、芭蕉の奥の細道の旅は義経の500年忌に際して、義経の御霊を慰めるためのものであったという説も面白い。芭蕉は都落ちした義経一行と逆の経路を通って、平泉から京に入ったのだという。

「さまざまの事おもい出す桜かな」この句に初めて接したとき、私は近代俳句だと思った。ところが芭蕉の句と知ってびっくりした。本書100pにはこの句が引用してある。それによると、芭蕉は十代の頃、藤堂藩の家臣、藤堂良忠に仕えていてそこで俳句を学んだ。良忠は若くして亡くなり、ずっと後、良忠の跡取りの別邸への花見に招かれたときに読んだのがこの句である。良忠への深い追悼の意が込められたものである。芭蕉は義経と若くして亡くなった良忠を重ね合わせていた。そして義経追善に良忠追善を重ねて奥の細い道の旅に発ったのだろうという。

 色々知的刺激を即発される。丸谷才一という人は今年81歳になるがすごい。
 初出2003年講談社より刊行


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書名 志学数学 著者 伊原 康隆 No
2006-14
発行所 スプリンガー・フェアラーク 発行年 2005年4月 読了年月日 2006−07−12 記入年月日 2006−07−17

 高校のクラスメート伊原さんとはもうずいぶん会っていない。5月末に同じクラスメート池田さんの山荘へ4、5人が集まったとき、伊原さんも来るかと楽しみにしていたが、日程がとれないとのことで会えなかった。インターネットで伊原康隆と入れて検索するとたくさんヒットする。その一つに本書があった。アマゾンで購入。

 数学に志し、いかに学び、いかに成果を発表するかを若い人向きに書いた本。著者の優しい人柄が至る所に出ている。専門の数学の中身には触れていないので、私でもよく理解できる。特に、学会発表や論文投稿の細かい注意事項は、経験に照らしてよくわかる。当然ながら論文は英語、口頭発表も英語で、英語に対する細かい注意が至る所に出てくる。世界を股にかけて活躍したことを偲ばせる。

 すごいと思ったのは若い頃の勉強ぶり。数学の古典的名著の原文に書き込みをしてある写真が何枚か載っている。高校時代はクラスメートの吉田さんと問題を作って回答しあっていたという。高校3年の時同じクラスであっただけだが、私の生涯を通じて、これほど頭のいい人には以後会わなかった。98年に学士院賞をもらっている。それほどの業績を上げながら、本書の書き方は少しも偉ぶったところがない。面白かったのは、天才の作品に触れることの大切さを説き、その例としてモーツアルトとイチローを挙げてあったこと。イチローは意外だった。彼がイチローをそこまで買っていて、愛していることがイチローファンの私はうれしかった。

 競争についても述べているが、彼は学問上の競争を否定はしないが、それだけをドライビングフォースとすることはきつく戒めている。数学という学問は文化であるという考えが基本にある。


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書名 デジカメ自然観察のすすめ 著者 海野和男 No
2006-15
発行所 岩波ジュニア新書 発行年 2004年6月 読了年月日 2006−07−20 記入年月日 2006−07−21

 NHKの週間ブックレビューでフランス文学者で、目下「ファーブル昆虫記」の新訳に取り組んでいる奥本大三郎が面白く楽しいとすすめていた。デジカメは従来のカメラよりレンズの焦点距離が短く、従って焦点深度が深く、接写に向いている・・・など、デジカメ撮影の解説書であるが、ほとんど各ページごとに挿入されている、昆虫の写真がすばらしい。著者は昆虫写真家という職業である。

 旅行、東海道歩き、菜園、ネコなどデジカメを愛用している。しかし、使い方をほとんど知らないで使っていると言っていい。日時の写し込み、マクロモードでの撮影など基本的なことも、最初のうちは知らずに使っていた。マニュアルを読み直してせっかくの機能を生かしてもっといい写真を撮ろうと思う。菜園での花はかなり撮ったので今後昆虫にも注目してみよう。


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書名 さおだけ屋はなぜ潰れないか? 身近な疑問からはじめる会計学 著者 山田真哉 No
2006-16
発行所 光文社新書 発行年 2005年2月 読了年月日 2006−08−01 記入年月日 2006−08−04

 評判になったベストセラー。NHKの週間ブックレビューの今週の売れ筋ベストテンに何回も出ていた。題名にひかれて買ってみた。

 さおだけ屋のことは最初の一章に出てくるだけ。商品を高く売ることと、多くの場合は町の金物屋が副業としてやっていて、商品の配達のついでに売って回っているので副業で費用がかかっていないの2点を挙げてあった。特別の秘密でもあるかと思ったのに、なんだそんなことかと肩すかしを食った感じ。丸め込んで5000円のさおだけを買わせた話と、ついでに物干し台の改修工事を勧め、10万円の工事を紹介した例が載っていた。さおだけ屋が潰れないのは一般の人には商品の持ち帰りが出来ないので、巡回してくるさおだけ屋から買うしかないのが最大の理由だろうと思うのだが、そのことはまったく触れられていなかった。

 ここから商売の基本は売り上げマイナス費用をいかに最大にするかということだと、ごく当たり前の結論を引き出し、会計学の話へと誘導する。すらすらと読める本だ。節約はパーセントではなく絶対額が問題、回転率が生命の商売が多いこと、会計監査では数値の割合を取り、それを前年と比較することで不正や問題点を洗い出せることが多い、といった記述が並ぶ。
 驚いたことに、公認会計士である著者は76年生まれで、大阪大学の史学科卒業後、一般会社に就職、その後公認会計士になり、監査法人を経て、現在は独立して会社を経営している。

 羊頭狗肉の感はあるにしても、題名のうまさで売れているのだろう。


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書名 ダークレディと呼ばれて 著者 ブレンダ・マドックス、福岡伸一 監訳、鹿田昌美 訳 No
2006-17
発行光所 化学同人 発行年 2005年8月 読了年月日 2006−009−12 記入年月日 2006−09−12

 ロザリンド・フランクリンの伝記。「二重らせん」というエッセイを書いたとき、本書とモーリス・ウイルキンズの自伝『二重らせん第三の男』とがあることを知った。同時にアマゾンから取り寄せた。ウイルキンズの本の前書きを読んだら、彼の本はロザリンドを不当に扱った悪者というレッテルへの反論の意図があると感じた。それで、まずロザリンドの伝記の方を先に読むことにした。

 著者は女性で、夫は『ネイチャー』誌の編集長であったことが解説で明らかにされている。ワトソンの『二重らせん』で不当におとしめられたとされるロザリンド像への反論が基底にはあるが、客観的に書かれた伝記である。

 初めて知る生い立ちや、キングスカレッジにおけるDNA研究前後の研究生活など、意外な面が多かった。彼女の家はユダヤ人の裕福な銀行家である。代々、社会的にも活動し労働者階級のための大学を設立している。こうした環境に育った彼女がウイルキンズとあわなかったのはウイルキンズが中産階級の出であったからだということをにおわせる記述もある。

 1937年5月12日にはジョージ6世の戴冠式の行列を見に一家総出で出かける。当時すでにテレビがあり、行列の様子を街頭テレビでも見たことをロザリンドは祖父への手紙に書いている(p46)。彼女はたくさんの手紙を書き、それが今にも残っていて、本書にはいたるところに引用されている。ついでながら、世紀の恋で王位を失ったエドワード8世の退位はイギリス国民から圧倒的に歓迎された。ロザリンドの父も、エドワードをこき下ろしている(p44)。私たちから見れば、王位を捨てて恋に生きたエドワード8世の生き方に共感と同情を覚えるのだが。

 16歳の時に科学を生涯の専門にすることを決意する。p42にはアインシュタインが長い時間をかけて自覚していったこと、つまり科学者が科学を情緒生活の上でも軸とするのは、そうすることで個人体験の狭い渦の中では見つからない平和と安心を得るためであることを、16才の彼女がすでに自覚していたと記されている。そして、アインシュタインがいった「
科学者の毎日の努力はハートから直接わき上がるものである」というのはまさにロザリンドの生涯を通じていたと著者はいう。戦時下でポーリングの「化学結合論」を読み、TMVの結晶にも注意を向けていたとp71にはある。ケンブリッジで学び、45年に博士号を取得。

 パリに渡り石炭の結晶構造研究に取り組む。フランスでの研究生活は快適であった。その後ロンドンに戻り、キングスカレッジでエックス線回折の仕事に取り組む。上司であるウイルキンズとの関係がギクシャクし、DNA構造発見の栄誉がキャベンディッシュのワトソンとクリックにいってしまういきさつは他の本でもたくさん述べられている。ロザリンドの側から書かれた本書を読んだ印象でも、ロザリンドではDNA構造に達することは難しかったと思う。DNA構造決定の栄誉はワトソンとクリックに帰されるべきであろう。巻末の解説にもあるように、演繹的方法と、あくまでも彼女がこだわった帰納的手法の基本的な差がある。ワトソンが彼女のX線写真を見たことは決定打ではない。決定打は相補的塩基ペアという概念である。X線写真をワトソンが見たこと、および論文でのそのことの扱い方が倫理的に見て問題があったかどうかは微妙だが、ワトソンとクリックはそれなりに礼を尽くしていると思う。チミンとグアニンの構造がエノール型ではなくケト型であると教えたドナヒューが後に、自分の貢献が不当に低く評価されていると述べたと本書にはある。世紀の大発見の栄誉に対してはねたみに類するこうした不満がつきまとう。

 ワトソン・クリックモデルが出てすぐに、彼女はキングスカレッジを去り、バナールの下に移る。彼女が自分のもとを去ることが決まったことをウイルキンズはクリックに手紙で知らせるが、その中で「ダークレディ」からやっと解放されるホッとした気持ちを伝える。本書の題名はそれに由来する。ウイルキンズとロザリンドの関係と対照的なのがワトソンとクリックの関係である。彼らの関係がいかに絶妙であったかはp198に要約されている。

 ロザリンドの人柄は取っつきにくく、暗く、怒りやすく、強情で、協調性がないように読み取れる。男性から見てきわめて扱いにくい感じがする。ウイルキンズならずとも、うまくいかなかったのではないか。研究の手法のみならず、人間的な面でもDNA構造発見の栄誉を逃したのもやむを得ない。

 バナールの下ではTMVの構造解析に取り組むチームのリーダとしてきちんとした地位を得る。そして、優れた業績を上げ、ネイチャー誌に何本もの報告を書く。彼女の最も輝いていた時期であろう。グループの若手研究者で彼女が最も目をかけていたクルーグは後にノーベル賞を受賞する。その間、アメリカにも長期出張を2回する。彼女はアメリカのすばらしさを発見する。ワトソンはロザリンドを車に乗せたりして面倒を見る。カリフォルニアではポーリングにも会う。2回目の出張ではワイルドマンの自宅にいったり、フランケル・コンラートを訪れたりする。ワイルドマンは川島さんが留学してF1タンパクを結晶化したところ、コンラートは高浪さんが行ったところであり、後に中研に来て講演をしたことがある。アメリカで彼女にプライベートに接した人々は、彼女が快活で、うちとけた人柄であるという。イギリスでの評判とはかなり違う印象を与えている。

 ワトソンとクリックは彼女のウイルス研究に有益な助言を与えていて、お互いの関係はきわめて良好である。特にクリックとは親しく、クリック夫妻と3人でスペイン旅行をしたりしている。また、手術後の彼女はクリックの自宅に一時滞在したりしている。これを見ると、DNA構造発見に関して、彼女はワトソンとクリックに対して何ら悪感情を抱いていないようだ。ウイルキンズとのその後の関係についてはまったく触れられていない。

 2回目のアメリカ出張の終盤に発病する。卵巣がんであった。摘出手術後も彼女は周りには病名を知らせずに研究を続ける。手術後1年半、1958年4月16日死去。38才にあと3ヶ月余りであった。最後まで回復を信じていたという。ワトソンの『二重らせん』の中で、ロザリンドが病魔に冒されながら最後まで研究を続けたことを賞賛してあったことが、私には一番印象に残っていることだ。彼の本がロザリンドをおとしめたという印象は私にはない。

 若くして亡くなったので、病弱な人物像を描いていた。実際の彼女は健康な活動的な女性で、特にハイキングや徒歩旅行が大好きでイギリス国内のみならず、アルプスなどへも行っている。長期休暇を取って何回も海外旅行に出かけている。資産家ならではのことだ。当時としては珍しいマイカーを有し、オースチンの新車を購入する。そして、金に関して細かく厳しい。自分への報酬が1200ポンドとなるところを1185ポンドとされたことにひどく腹を立てる。私から見れば1%あまりの削減で、どうでもいいことに思うのだが。

 著者は否定しているが、クリックもワトソンもロザリンドの不幸は家族との関係がうまくいっていないことにあると見たようだ。がんの手術後も一時はクリックの家に身を寄せるなどしているところをみると、かなり的を射ているのではないか。

 写真について:見たことがある写真が多い。表紙の写真もそうだ。調べてみたら、『分子生物学の夜明け』に出ているものと同じ。ワトソンとクリック、ウイルキンズの写真も『分子生物学の夜明け』に掲載されているもの。ワトソンの『二重らせん』で、ワトソン、クリック、ウイルキンズの写真がそれぞれ1ページ全面を飾っているのに、ロザリンドの写真がそうなっていないのは大きなミスだという指摘があったのを記憶している。今回調べてみると、ロザリンドの写真は4分の1ページにもなっていない。これは不当であろう。ワトソンの妹の写真は半ページの大きさである。

 読んでいて、分子生物学への当時の日本の貢献はゼロであったと痛感する。


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書名 二重らせん第三の男 著者 モーリス・ウイルキンズ、長野 敬、丸山 敬 訳 No
2006-18
発行所 岩波書店 発行年 2005年12月 読了年月日 2006−10−14 記入年月日 2006−10−15

 ウイルキンズは2003年に本書を出し、翌年88才でなくなっている。1916年生まれ。最晩年の自伝にしては、細かいことをよく覚えていると感心する。自身が言っているように、ロザリンド・フランクリンの友人のアン・セーヤーが書いた彼女の伝記により、フェミニズムの「最大の敵」にされてしまった彼が、自らの立場を明らかにしたいという意図が、本書の最大の目的だ。

 彼によれば、ロザリンドとの行き違いは最初のボタンの掛け違いが最後まで修正できなかったことだ。掛け違いとは、ボスのランダルがロザリンドを招くにあたって彼女に出した手紙にあった、ウイルキンズはDNAのエックス線解析からは手を引くという文言。ウイルキンズはそれを知らず、ロザリンドはそのことをたてにウイルキンズにDNA研究をやめろと迫る。また、ロザリンドが着任した最初のミーティングに彼が欠席したことも掛け違いの一つ。そして、ランダルは二人の関係の修復をはかろうとはしなかった。ウイルキンズはランダル自身がDNA研究を独り占めにしたかったのだろうと推測する。

 ロザリンドの激しい気性、あるいは彼女への生理的な嫌悪もあって(実際一日中実験に取り組んでいるロザリンドの汗のにおいに嫌悪を示す記述もある)、ウイルキンズは彼女と話し合いをすることを自ら閉ざす、あるいは彼女に遠慮して、彼女に渡してしまったドイツの研究者から手に入れた質の良いDNAの試料を返してもらう要求もしない。同じ所にいながら、ウイルキンズとロザリンドの間にはまったく交流がない。ロザリンドがやっとキングスカレッジを去るにあたって、今までのデータを残す気になり、ウイルキンズの手にB型DNAの鮮明な回折写真が渡る。ワトソンはそれを見てDNAの二重らせん構造を確信する。
 これがウイルキンズ側から見た二人の関係の核心である。

 彼もDNAがらせんであり、リン酸基が外側に向いていることも、シャルガフの塩基比の持つ意味の重要性にも気がついていた。にもかかわらず塩基の相補的対というワトソン・クリックモデルの核心を思いつくことはなかった。彼によればロザリンドは最後までらせん構造に否定的であったという。彼女もまたらせん構造の妥当性を認めていたことが判明したのは、死後発見されたノートへのメモ書きによる。彼は三重らせんの迷路に入り込んでいた。ウイルキンズとワトソン・クリックを比べてみると、その差は歴然である。

 科学の進歩は色々な研究の積み上げの結果であり、その頂点の下には世間一般に知られない多くの努力があり、頂点に立つ人だけに光が当てられるのは不当でありDNAモデルもその最たる物であると、ウイルキンズは強調する。それはそうだが、やはりワトソンとクリックの天才がなければ、また、科学におけるライバル意識がなければ、あの時点でのDNAモデルの提出はなかったであろう。ウイルキンズは科学における競争に否定的であり、またオープンネスを強調する。そして、ロザリンドとの関係においてオープンネスが欠けていたことを反省している。

 書き方は率直である。意外だったのは、彼はアメリカの原爆開発にカリフォルニアのバークレーで直接参加しウランの気化の研究を担当したこと。また、学生時代は共産党員であったこと。そして、女性に対しても当時としては積極的であり、最初の妻とは結婚前に子供が出来ている。そうした人間的な側面を臆することなく書いている。

 ワトソン・クリックのモデル後は、それが正しいことをX線データで証明し、より精緻なモデル造りを推進する。そして、63年のノーベル医学生理学賞をワトソン、クリックとともに受賞する。この年の受賞理由は「核酸の分子構造ならびに生体における情報伝達におけるその重要性の発見」である。ノーベル賞を受賞して以後は科学者の平和運動に積極的にかかわっている。ロザリンドとのその後の交流については、一度彼女が車で送ってくれたことが書かれているのみである。

以下本書から
p44:
共産党は非常に強硬な反ナチ主義のゆえにケンブリッジでは広く支持されていた。対照的に労働党は人気がなかった。私が知っていたインテリ左翼主義者のほとんどは共産党員であり、それに私が加わるのはごく自然なことに思われた。・・・・共産党員であることを隠そうとしたものを私は知らないし、私もそうであった。
 こうした激しいナチに対する反感から、後にアメリカの原爆開発チームに参加する。

p75:
ナイーブで人生経験の乏しい私は、科学は常にオープンな協力のもとで発展すると信じていた。
 戦時下のレーダー用のマグネトロンの開発でランダルとセイヤーズとがお互いにライバル意識を燃やすのを見ての記述

p88:
私はシュレディンガーの『生命とは何か』の考えに強く惹かれた。彼は、遺伝子という非常に生物学的に重要な概念を、結晶のなかを移動する電子という一見奇妙な世界と結びつけていた。遺伝子は非周期性の結晶だと書いてあった。これは私のPhDの研究と直結していた。

p154:
私は日頃から、顕微鏡で生細胞を観察する方がずっと楽しく、X線で静止した構造を研究するのはむしろ退屈だと言っていたことは確かだ。・・・・・しかしDNAは静的ではない。それは「生きている」のだった。そして学生のときに読んだ量子力学にもとづく構造において電子の「生命」を楽しんだように、そこに生命を感じていた。 
 この前後にはDNA研究から手を引かせたいとするランダムの思惑への反論がある。p172:
我々の犯した大きな誤りは、実験的な証拠に過度の重きを置きすぎたことにあった。
 彼らが三重らせんの泥沼に陥っていた当時への反省である。

p207
:レーモンドの説明では、ロザリンドはこのデータを私が好きなように使っていいと言って渡したとのことだった。
 これはロザリンドが去るにあたって最良の回折写真をウイルキンズに残した際の記述だ。レーモンドとはロザリンドの共同研究者、コスリングのこと。これはウイルキンズが無断でロザリンドの写真をワトソンに見せたという後生の科学史家への明瞭な反論である。それにしても、同僚を介してしか二人の間には会話が成立していないことを思わせる。

p208:
我々の研究室ではシャルガフの塩基比率のことは皆知っていたが、それがDNAの中での塩基対形成の可能性を意味していることは、誰もわかっていなかったと思う。シャルガフはそのことについて言及しておらず、彼の比率を構造に結びつけるのはよい科学ではなという考えを、私にほのめかしていた。彼のことを私は非常に知性的で専門的な科学者として尊重していたので、その結果として、塩基対に対しても心理的な障壁を築いてしまったのだと思う。
 正直な書き方だ。相手に対する尊重の念から、言い出せないことはロザリンドに対してもいくつかある。それが人の良さであり、欠点でもあったようだ。

p222:
塩基対が二本に分離されてから、分離された塩基がそれぞれ相補的な塩基に再び対を形成することで、DNAは自分を複製できる。このアイディアが正しいか誤りかは、想像することしかできなかった。しかし実験台上の針金細工にすぎないそのモデルが、それ自身の特異な生命を宿しているように私は感じた。それは信じられない一個の赤ん坊で、それが「君がどう思っても気にしない。私は自分が正しいとわかっているんだ!」と自分から語っているかのように思われた。
 ケンブリッジで初めてワトソンクリックモデルを見たときの感想である。

p243最後から:
しかしタンパク質の構造研究の過程で結晶学を学んだフランシスは、DNA結晶の対称性が二本鎖を示すことを直ちに理解した。そしてジムは遺伝学者として、遺伝物質がどうして二本鎖なのかという生物学的理由を見てとった。
 これはキングスカレッジグループとの比較でケンブリッジグループを評したもの。

 なお、ロザリンドフランクリンを「ダークレディ」と述べたクリック宛への手紙も全文が載っている。そこには「根暗女史」として、「ダークレディ」のルビが振ってある(p220)。ウイルキンズとクリックとは親しい仲であった。クリックの妻、オディールはフランス人で社交的な美人であり、ウイルキンズはクリック家に夕食に招待されたときには彼女に会うのを楽しみにしたようだ。余談だが、何かの本で、ノーベル賞受賞後のパーティで、スエーデン国王と踊るオディールの写真を見たことがある。すてきな美人で、少しも物怖じしない人だという印象だった。

 ウイルキンズとロザリンドをワトソン・クリックペアに対するチームあるいはペアと考えるのは無理である。最初から二人は共同で研究する気はなく、さらに二人のともにきまじめな性格がお互いの交流を妨げていたというのが二人に関する著書を読んでの私の結論である。


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書名 生命の多様性(上) 著者 エドワード・O・ウィルソン、大貫昌子、牧野俊一 訳 No
2006-19
発行所 岩波現代文庫 発行年 2004年10月 読了年月日 2006−09−13 記入年月日 2006−09−16

 生態学、分類学、遺伝学、進化論、古生物学などの高度の内容がぎっしりと詰まった350ページを越す本。細部まで中身を理解できないので要約は出来ない。

 本書によると現在までに知られている原生生物の種の数は1、413、000である。(p230)実際はこの10倍の種が現存するだろうという(p228)。そのうち昆虫が75万。昆虫の多様性は、主として熱帯雨林の樹木の多様性による。昆虫のみならず、地球の生物多様性は熱帯雨林によるところが大きい。本書の出だしはアマゾン熱帯雨林での筆者の体験したある夜の描写から始まる。文学的な文章である。

 細菌は3000種であるが、実際はこの100倍、あるいは1000倍はいるだろうと推測する(p242)。我々はきわめて限定された条件でしか細菌の選別培養を行っていないのがその理由。ちょっと意外であった。

p93:
種の起源とは、自然条件のもとで集団の間に、繁殖能力のある雑種を作れないようにする差異―それはどんな差異でもいい―の進化にほかならない。
p143:
自然選択こそは生物学的多様性の根源なのである。
p158:
はじめに遺伝的な素材が十分ありさえすれば、そして選択圧(生存と繁殖における差)が強ければ、ある遺伝子もしくはあるタイプの染色体が100世代も経ずして他のものに置き換えられることもある。
p162:
適応放散とは共通の祖先をもつ種が、異なるニッチに拡がっていく現象をあらわす言葉である。また進化的収斂とは、特に世界の異なる場所で別々の適応放散を遂げたものが、同一のニッチをしめることである。

 種内の個体差を考慮しない生物多様性の総体として10の17乗という数字を出している。(p273の終わりから)。

 ラッコは世界で最も強力なキーストーン種(p277)。北米の太平洋岸でラッコが減ったために海の生態に大きな変化が起こった。ラッコの餌であったウニが異常繁殖し、それが次々にカスケード的に生態系を変えていった。

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書名 生命の多様性(下) 著者 エドワード・O・ウィルソン、大貫昌子、牧野俊一 訳 No
2006-20
発行所 岩波現代文庫 発行年 2004年10月 読了年月日 2006−10−18 記入年月日 2006−10−22

 下巻は人間が如何に他の生命を絶滅に追いやってきたか、また現に追いやりつつあるかを述べ、生命多様性の保存のためになすべき施策を具体的に提言する。

 北米大陸における野生動物の大絶滅は、人類がベーリング海峡を越えてこの大陸に入ってきたのが原因であるとする。彼らは食料として次々と身近にある動物を絶滅するまで捕獲し食べていったという。同じ様な気候変動を受けながら北米以外の場所ではこうした絶滅が起こらなかったことから、著者はパレオインディアンのせいだとする説の肩を持つ。(p57,p66)

 生物多様性の損失が、人類にとってどのような損失をもたらすかが、植物成分の薬用、あるいは新しい食料源としての植物などの具体例で示されている。

 地球上どんなところでも1キロ四方をとれば、そこには1000種以上の生命が存在している。ある地域全体が破壊されるとそこに住む種がほとんど全滅してしまうことで、それはワシタカ類やパンダのみでなく、最も小さく調査もされていない無脊椎動物、藻類、菌類といった生態系の基礎を作り上げているものまでが消えてゆくことであると、著者は言う。(p79)。

p162:
そもそも生物の群集はほとんどすべてシステムの余剰性によって一つにまとまっているものである。つまり多くの場合同じ地域に一種ならず、二種三種の生態学的に似通った種が住んでおり、一つが消えれば他のどれでもが多少なりともそれに取って代われる仕組みになっているのだ。だが種が減っていくうち、その回復力は必ず衰え始めるにちがいなく、食物網の効率も低下してくる。すると養分の流れが滞りがちになり、いずれ取り除かれた要素の一つが、実はキーストーン種であることがわかる日が来よう。・・・・・生態学はしょせんまだ未発達の分野であるだけに、そのキーストーン種も大部分は正体すらはっきりわかっていない。

p166:
いま是が非でも必要なのは、私たちがふだん考え慣れているよりもはるかに長い時間に基づいた知識と実践的倫理である。理想的な倫理とは、日常会話の次元を越えて、はるか未来を見越した解決目標を置き、この複雑で遠大な問題に立ち向かうための一連のルールを作り出すことだ。環境問題とは本質的には倫理の問題なのである。
p180:
賢明な対策とは、法律によって生態系の破壊を遅らせ、科学によって評価し、親しむことによって保存に導くことだ。

p208:
なるほど生息場所以外での保全策は、他に救える望みのない少数の種を救うことはできよう。だが世界中の生物多様性を救う望みと手段は、自然の生態系を保存する以外にない。

 巻末には膨大な参考文献と注が付されている。
 著者の専門はアリの研究とのことであるが、広い知識には驚かされる。


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書名 風景学・実践編 著者 中村 良夫 No
2006-21
発行所 中公新書 発行年 2001年5月 読了年月日 2006−11−01 記入年月日 2006−11−12

 高校同級生の中村さんが「風景学」という変わった分野の専門家で、京都大学の教授であるというのは、如蘭会トワイライトフォーラムの時聞いた話だ。彼とは1年の時に同じクラスであった。色白で、育ちのよさそうな美少年であった。高校時代、その後を通してまったく交流はなかった。

 9月の如蘭会トワイライトフォーラムで彼が風景学の話をした。その時、会場入り口で売っていたうちの一冊がこの本である。講演の始まる前に彼にあいさつした。太ってはいたが、色白の美少年の面影はあった。彼は私のことは覚えていないようであった。彼の消息は、同じクラスの群島さんから聞いたのだが、群島さんも先頃なくなったと、そばにいた村上が言う。中村さんもそのことは知っていた。講演会、懇親会が終わった後、溜池山王のビアレストランで彼を囲んで同期生10人ほどで昔話に花を咲かせた。

 華麗なレトリックがぎっしり詰まった本だ。円通寺の記述については(p32)同様のことをエッセイ教室の池下さんが作品にしたことがある。池下さんにその部分を見せたら、難しいと感想を漏らした。同感である。特に序章の「風景はどのように立ち現れるか」は難しい。後半の個別の風景を述べた部分はそれに比べれば読みやすい。
 著者の博識には舌を巻く。

 以下PCの前で読んだところから拾った記述例
126p
  
山も庭も動き入るるや夏座敷
 白川関に近い黒羽(栃木県)で芭蕉の得たこの一句ほど、座敷と庭の美しい契りを精確に言いとめた言葉を私は知らない。庭と座敷は不即不離の対を成している。庭なしで座敷はなく、座敷なしに庭はない。だから、座敷も庭もそれ自体は鏡のように空無であり、そこに映った互いの姿によってのみ存在すると言えるかも知れない。この存在様式はまことに不思議である。即自的実体性の薄い二つの存在が互いに鮮烈な個性を定義している。

127p この章の結び
 
生命現象の次元では手つかずの自然は尊いが、文化現象の話になれば自然は作法化されなければならなかった。それは人間と自然との美的黙契である。

139p
 
この学校には、世に受験校と言われるような賤しいところがなく、いつも、ピンと張りつめた香り高い時間が流れていた。この「育ての親」の品位が生徒を育んだのである。それは、ロゴスの鞭ではなく、黙示の恵なのであろう。
 黙示による感化という教育観に立つなら、母校のたたずまいこそ、最も尊い黙示かも知れない。学びの庭には若者の志を昂揚する気品が必要なのだ。戦後の校舎造営において、この常識はほとんど顧みられなかった。

 
これは著者、そして私も学んだ高等学校のことだ。

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書名 日本文化のかくれた形 著者 加藤周一、木下順二、丸山真男、武田清子 No
2006-22
発行所 岩波現代文庫 発行年 2004年9月 読了年月日 2006−11−21 記入年月日 2006−11−24

 
加藤、木下、丸山が国際基督教大学で講演したものをまとめて、武田氏が前書きと後書きをつけ解説したもの。日本文化の底に流れるアーキタイプを明らかにしようという意図。

 その意味に最も近いのは加藤の「日本社会・文化の基本的特徴」である。
競争的集団主義、世界観の此岸性および超越的価値の不在、その時間軸への投影としての現在主義・・・・・また極端な形式主義と極端な「気持」主義の両面を備えた価値の体系が、典型的な日本人の行動様式を決定しているだろう、ということを述べてきました。」p43.
 丸山は「原型・古層・執拗低音」という題で、日本文化のアーキタイプに迫る方法論を提示する。仏教とか儒教とかそうしたものを次々に取り去っていって最後の残るもの、それはあたかも音楽でいう執拗低音(バッソ・オスティナート basso ostinato)の様なものがあるはずだという。それが何かについては言及していない。

 木下の「複式夢幻能をめぐって」は演劇論、能楽論である。能に複式夢幻能というのがあるらしい。多くは平家物語を題材にし、前場では打たれた武将が現実世界に立ち返ってくる場面。後場では同じ主人公が前世に帰った場面。後場の場面はこの世のことではないのであるが、それをいかににリアルなものと感じさせるか否かが、能の、あるいは演劇の本質であるという。後場におけるワキは単なる見物人代表ではなく、そのリアリティを保証する人物であるという。能は見たことがないのでよくわからないが、面白い論議であった。

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書名 「メンデル法則再発見」の検証 著者 生沼忠夫 No
2006-23
発行所 私家版 発行年 2006年10月1日 読了年月日 2006−11−24 読了 記入年月日 2006−11−24

 
入社同期生生沼さんから送られてきた、ハードカバーの240ページを越す労作。メンデルの実験については以前『タスクマンスリー』に何回か分けて書いていた。よく調べているなというのがその時の感想だが、今回の著作はもっとすごい。1900年に相次いで発表されたメンデル法則再発見の論文は、果たして独立にその法則を発見したものかどうかという疑問を、詳細に追求したものだ。3人とはド・フリース、コレンス、チェルマックである。教科書ではド・フリースによる再発見となっているが、疑惑は特にド・フリースに向けられ、100年後の今でも、論争の的であるらしい。彼は最初の論文でメンデルの実験に言及しなかった。そのことで、ド・フリースは、メンデル論文を読んだ後で自分のデータを解析し、メンデル則を確認したのではないかというのが最大の論点のようだ。

 生沼さんはド・フリースの第1報となったフランス語の論文初め、オリジナル論文、その後の論評、関係者の手紙、死後発見されたノートなどの試料を駆使し、当時の事実を解明しようとする。原典での数値ミスや、原典の誤訳、あるいは批判論文の理解不足と誤解など、細部の指摘は驚く。あたかも推理小説を読むように引き込まれて読んでしまった。生沼さんの結論はド・フリースは独立にメンデル則に達していたというもの。コレンスについてもほぼ同解釈である。チェルマックに関しては、原論文からはメンデル則への理解が不十分であり、再発見者には該当しないとした。私も同感であった。ただし、ド・フリースに批判的な著書を読めば、なるほど彼は真の再発見者ではないと、多分思いこむであろう。

 読んでいて、メンデルの偉大さを改めて認識した。あるいは、メンデル法則への理解が深まった。ド・フリースらの再発見が与えたその後の影響の大きさを考えれば、それが真の再発見であったかどうかは余り問題ではないという意見を、生沼さんも正論とは認めながら、影響と事実の解明は別だとしている。メンデル法則の再発見が与えた影響の大きさ故に、事実をはっきりさせておくことも必要だろう。メンデルの法則はそれほど偉大で、先見性に富んでいた。

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書名 古典を読む 平家物語 著者 木下順二 No
2006-24
発行所 岩波現代文庫 発行年 2003年10月 読了年月日 2006−12 記入年月日 2007−02−04

 同じ著者の『子午線の祀り』を読んでいて、この本を読んでみたくなった。

 著者は『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり」で始まる有名な序章の中に、仏教的無常観と、それにもかかわらず、精一杯生きた人々の歴史を書いてみせるという平家物語の本質を見ている。そして、その精一杯生きた人々として、本書は、俊寛、文覚、清盛、義仲、義経、知盛を取り上げて物語に現れた生き方を述べている。いずれも哀れな最後をとげているが、精一杯生きるということはこういうことなのだと、各人物への共感を覚えずにはいられない。

 平家物語も最後になってやっと出てくる知盛という人物に特に惹かれる。私は大河ドラマ「義経」を見るまで、この人物のことを知らなかったと言っていい。平家一門の中でピカ一の人物として描かれ、演じた役者もきりりとしたいい男優だった。


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