読書ノート2022年 |
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書名 | 著者 |
文化の土壌に自立の根 | 伊原康隆 |
芭蕉を受け継ぐ現代俳人たち | 堀切実 |
花と緑の歳時記 | 俳句αアルファ編集部 |
世田谷イチの古い洋館の家主になる①、② | 山下和泉 |
『おくのほそ道』時空間の夢 | 堀切実 |
本を積んだ小舟 | 宮本輝 |
サピエンス全史(上) | ユヴァル・ノア・ハラリ |
サピエンス全史(下) | ユヴァル・ノア・ハラリ |
孤独を抱きしめて | 下重暁子 |
独ソ戦 | 大木毅 |
原爆供養塔 | 堀川恵子 |
ネコひねり問題を超一流の科学者たちは全力で考えてみた | グレゴリー・グバー |
第三次世界大戦はもう始まっている | エマニュエル・トッド |
ゼロからわかる中国神話・伝説 | かみゆ歴史編集部 |
言語学のすすめ | 田中晴美 他 |
歴史とは何か 新版 | E.Hカー |
秋津島逍遥 | 伊藤高甫 |
銃・病原菌・鉄(上) | ジャレド・ダイアモンド |
銃・病原菌・鉄(下) | ジャレド・ダイアモンド |
シュメル神話の世界 | 岡田明子・小林登志子 |
右大臣実朝 | 太宰治 |
鎌倉幕府 | 石井進 |
書名 | 文化の土壌に自立の根 | 著者 | 伊原康隆 | No | ||||||
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2022-01 | ||||||||||
発行所 | 三省堂 | 発行年 | 2021年12月21日 | 読了年月日 | 2022-01-06 | 記入年月日 | 2022-01-21 | |||
先月のエッセイの課題は七五三で、七五三がすべて素数であることに着目し「素数」という題で作品を書いた。それを私のホームページにアップしたら、数時間後に、伊原康隆さんからメールがあった。「素数」など面白く読みました。久しぶりのメールなので、メールが着いたかどうか知らせて欲しいという。驚いた。伊原さんは高校のクラスメートで、世界的な数学者。専門は整数論で、実は私はエッセイ「素数」を書きながら、伊原さんのことも思い浮かべていた。あまりにも早い反応だったので、本当に伊原さんのメールかどうか確かめたくて、京都の自宅に電話した。間違いなかった。たまたま私のホームページを見たらこのエッセイがあったという。それにしてもなんという偶然の一致だろう。伊原さんも今執筆中の本があり、完成したら送るという。 この電話の数日後、年明け早々に送られてきたのが本書。肩書きを見ると、東大と京大の名誉教授、日本学士院賞受賞(98年)となっている。なお、以前の著作『志学数学』については2006年の読書ノートで紹介済み。 ――音楽×知性、数学×感性など越境自在な根の動きを追う――というサブタイトルがついている。 本書の帯:音楽と数学に文学と生物学。世界的数学者がこれらを縦横無尽に学んで、個々の楽しさと共通性を伝える知的冒険の書。その根っこには何があるか。「わかったつもり」で終わってしまう教育と学問に警鐘を鳴らす。筆者は京都大学人文科学研究所の藤原辰史。 藤原辰史さんの『ナチスのキッチン』は、伊原さんが推薦してきた本であった。二人は京都大学の同僚という以上に気が合うように見える。 深く豊かな教養と知性に基づいて、今の日本の文化的風潮に柔らかく警鐘を鳴らしたものと言えようか。 20章に序章と終章より成る本書の終章で著者は言う: 「文化の興隆」と「個人の潜在能力の目覚め」には密接な関係がある。しかし、今の日本では個人の精神的能力が発揮しづらい状況にあり、文化も発展どころか持続さえもが矮小化の危機に陥っている。それは、「せっかちさ、そして平面的な勝負感覚を文化の領域までに持ち込む風潮」と「各個人が自分の潜在能力を信じてそれを最大の頼りどころとすることの度合いの減少」してしまったことの原因でも帰結でもある。 「文化」と自分の関わりは、断片情報の収集と利用だけであり、また、他人が描いてくれたイメージを見て即「わかった」と感じ、それを「そのまま」取り込む、つまり、「文化」は他人頼りでいくらでも近づけるものという錯覚。 まとめると、各個人が、自分の潜在能力を信じて地道に困難な道を選ぶかわりに情報の検索と伝達の安易さに流され、真に頼るべきものを間違えている 。 優れた文化の恩恵を受けていれば自らの潜在能力に気づける機会もたっぷり恵まれる。そのおかげで自分の潜在能力を信じられれば、それを長期的に育てる楽しみが膨らみ、創り手への尊敬も惹起され、文化の創り手にもなれるかもしれない。逆に、自分の潜在能力に信頼感をもてないと、自らの「どうせ・・・」感覚が徐々に他人に対しても文化作品に対しても及ぶようになり、「敬」の感性が育たず、文化のサポーターにもなれない。 われわれが次世代に引き継いでゆくべきものは、現在包囲されているものからよりも、実は忘れられかけているもに、うすっぺらいあれやこれやよりも「本物」、波よりも「文化の土壌」、ではないかと著者は本書を結ぶ。 ちまちました断片的情報を集めて、こと足れりとしている私自身には、かなり耳の痛い主張である。。 いろいろ教えられるかところの多い本書であるが、メタファーについての著者の考えを引用する(p102~) メタファー もっと弱い意味で「気分的な共通性を相異なる分野の対象に対して感じとる」ことなら、我々もしばしばあること。その的確な表現がメタファーであり、それを探し求めるのは文化の重要な部分でしょう。自然科学だけでなく、哲学者や文学者がメタファーを好むのも、知性の極みは共通性の認識とそのうまい表現にあると古来より認識されているからでしょう。アリストテレスは『詩学』の中で「最も偉大なのはメタファーの達人である。通常の言葉はすでに知られていることしか伝えない。我々が新鮮な何かを得るとすればメタファーによってである」と書いています。中略 たとえば人生は「旅」であるとか「芝居」に過ぎないなど、あたかも一般的な「悟りの教え」のように取られ広まっているメタファーは、より注意深く鑑賞したいものと思います。 たとえば芭蕉『奥の細道』の冒頭の「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり」は「人生は山あり谷ありの旅のようだ」とは言っておらず、「月日」を旅人に喩えています。「人生を」ではなく「月日を」です。どういうことか。まず、何時もどこかを旅している自分でありたい、そして別のとき別の場所を旅している自分は(その地方の風景に溶け込んだ旅人として自然の一部だから)それぞれを「別の旅人」と見る(ここが肝心)、それによって年月をその旅人と対応させて見ている、そういうことなのでしょう。 伊原さんはこの部分に付箋をつけ、私の考えを問うてきた。私は『奥の細道』のこの書き出しの部分をよく理解できないでいた。しかし、伊原さんの解釈を読んで、そういうことならよく分かると思った。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 芭蕉を受け継ぐ現代俳人たち | 著者 | 堀切実 | No | ||||||
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2022-02 | ||||||||||
発行所 | ペリカン社 | 発行年 | 2020年10月 | 読了年月日 | 2022-01-18 | 記入年月日 | ||||
サブタイトルは「季語と取り合わせの文化」である。 帯:芭蕉から近現代俳句までを共通の視点で分析してきた著者の研究姿勢を総括する評論集。「季語」と「切字」、「取合せ」など、芭蕉の革新がもたらした俳句表現の本質を受け継ぐ現代俳人たち。大野林火・田中裕明・波多野爽波・平野静塔・永田耕衣・西東三鬼の俳句と生きざまを読み解く。 挙げられた俳人に子規・虚子に連なる俳人の名前がなく、私はほとんどなじみがない。帯に言うように芭蕉の革新性を季語・切字・取合せとすると、子規・虚子一派はそれを受け継ぐとは言えないのだろう。本書は膨大な文献に当たって書かれており、専門的な高度の内容で、とても要約はできない。断片的に付箋をつけたところを抜き書きする。 最初の独立した「季寄せ」は北村季吟の『山の井』(正保5年)で、季語が113句挙げられている。(p17) 俳諧の革新者として芭蕉は二つの大きな目標を持っていた。一つは季語そのものの数値拡充、もう一つは季語の内容としての本意の拡充であった。(p24) 芭蕉以前の季題は季題の文字そのものにとらわれた使い方をされた面があるが、芭蕉は季題そのものの真実を把握するために用いるようになった。(26) 芭蕉の全句972句に用いられた季語は293に止まる。(p31) 現代俳句と季語:就活、トローチ(岸本尚毅)、ビル颪(小林貴子)、俳句甲子園(渡辺誠一郎)などが提案されている。新しい季語の登場は、現代俳句の現在と未来にとっても必然的なものになると著者は言う(p34~) 現代において季語の本意を拡大していった俳人として大野林火が述べられる(p56以下)。林火の句をいくつか挙げているが、例えば 枝寄せてあんずの花の深情 あんずの花の本意が深情ということになると著者は言う。 現代俳壇では季語の本意を拡充を図ろうとする積極的な動きは少ない。中では、飯島晴子をあげ、さらに長谷川櫂、高橋睦郎を挙げる。(p68) 近世期の歳時記の決定版は馬琴の『俳諧歳時記』で、その増補版には3467の季語が採集されている。(p74) 自然と文化の融合をもっともよく表したものの一つが歳時記という遺産である。俳句として詠まれる世界は、文化としての自然であり、自然と融和している人間の生活である。自然と文化とが結びついたものとして、さまざまな年中行事がある。歳時記のうち、約30%が年中行事によって占められるという(81) 発句の全体を上下二部構成ととらえる二句一章の構造は、一句の途中に切れ置くことによって、その切れの上と下の間に、付け合わせ的感覚による、ことばを超越した表現空間を生み出すことに成功した。それによりモノとモノ、ココロとココロを対置し配合し、取り合わせてゆく表現法が始まったのである(p129) 許六は芭蕉の言葉として以下のように紹介している:「発句というものは結局のところ、二つ以上の題材を取り合わせて生まれるものと考えるのがよい。二つの題材を取り合わせて、それを上手に「とりはやす」ことができる人を名手というのである」。さらに許六は取り合わせにおいて大切なのは「とりはやし」だと説く。「とりはやし」とはもともと「とりもつ」のいみで、二つの題材を組み合わせて、それを密接に結びつけることであり、それこそが句の魂だと、許六はした。これは、現代俳句の「取り合わせ」論では余り強調されていない点。(p131) 去来は許六の説に批判的であり、発句は句頭からすらすらと滞りなく読み下したるものが最上の作であるが、他方、発句は二つの題材を取り合わせれば作れるものであり、上手く取り合わされた句が上手い句で、悪く取り合わせた句が下手な句だと芭蕉は言っているという。結局作句法には両面があり、初心者は取り合わせ方法から入るのがよく、熟練者はどちらであってもよいと去来は説いた。(p135) 取り合わせの句構造(136~)。わかりやすい説明だ。 A 曲輪の内(題材のイメージの範囲内)の取り合わせ (1)「とりはやし」の詞(結び、継ぎ目)のあるもの 古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉 遠山に日の当たりたる枯野かな 虚子 (2)「とりはやし」の詞のないもの 葱白く洗ひあげたる 寒さかな 芭蕉 山々は萌黄浅黄やほととぎす 子規 B 曲輪の外(題材のイメージの範囲外)の取り合わせ (1)「とりはやし」の詞(結び、継ぎ目)のあるもの 蛸壺やはかなき夢を夏の月 芭蕉 虹消えて馬鹿らしきまで冬の鼻 楸邨 (2)「とりはやし」の詞のないもの 春雨や蜂の巣伝ふ屋根の漏り 芭蕉 厚餡割ればシクと音して雲の峰 草田男 二物衝撃(p143) 近現代俳句では、映画のモンタージュ理論や西脇順三郎の『詩学』に説かれているようなシュールレアリズムの手法の影響を受けた「二物衝撃」の発想が登場してくる。二つのものを衝撃させることのみを意図し、統合することをほとんど意図しない発想法である 戦争と畳の上の団扇かな 三橋敏雄 人体冷えて 東北白い花盛り 金子兜太 上のB(2)で挙げた句には作者による主体的な「とりはやし」意識がうかがえるのに反し、これらの句には「とりはやし」の意識は希薄であり、一句における「とりはやし」は読み手の鑑賞にゆだねられている。 片山由美子はこうした二物衝撃は取り合わせではないと、批判している。 子規・虚子の取り合わせ観 子規は平淡にして印象鮮明な句は、取捨選択した素材をいかに適切に配合できるか否かによって評価されるべきだと結論づけている。配合されたものの調和の必要性、つまり、取り合わせにおける「とりはやし」の大切さを強調した。 虚子も初期の句にはむしろ取り合わせの句が多い。しかし、大正になって、許六流の配合ではなく、去来流の「ある題の趣に深く深く考え入って、執着に執着を重ねて、その題の意味、趣味の中核を捕らえて止まぬという句作法」がすぐれていることを詳細に主張した。 昭和に入り山口誓子は「写生構成」を唱えた:「配合」を俳句の本質と考え、常に「写生」を尊重し、その「写生」によって得た感動を「客観描写」せよという主張に基盤を置いた。「写生」とは現実の尊重であり、「構成」とは世界の創造であり、「写生構成」とは現実に即しつつ、作品構成において現実を離れた「詩」の世界を創造することだと言い切る。 ピストルがプールの硬き面(も)にひびき 誓子 山口誓子から大きな影響を受け、これを独自に展開したのが藤田湘子で、積極的に「二物衝撃論」を旗印とした。 取り合わせ論の最後に紹介しているのが、夭折した田中裕明の句。かなりの紙数をさいて私には初めてのこの作家を論じている。(p157~) 鮎落ちてくるぶしは風過ぎにけり 田中裕明 穴惑ばらの刺繍を身につけて 田中裕明 「切れ}を作りやすいことが、短歌や川柳にくらべて、俳句ではなお文語体が今も主流をなしていることの要因だと、中山世一の説を紹介している(p175)。 切れ字:句中や句末の「切れ」のあとに生ずる残像としての空間が生む余韻こそが、俳句を俳句らしくする源泉であるという、戸山滋比古の説を紹介する。(187) レビ=ストロースは「異質のものとものを取り合わせる発想法こそ日本文化の基本的精神だと断言している。さらに縄文文化こそがすべての日本的美意識の中核をなしているものだと力説する。(p204)。 空間を時間化して表象することは困難であるのに対し、時間を空間化して表象することは容易だという、フランスの哲学者・詩人のジャン=マリーの説を踏まえて、 夏草や兵どもが夢の跡 芭蕉 を、芭蕉が歴史ある平泉の空間に立って、そこに自ずと時間の流れを感じとっている。広い空間を俯瞰することから、時間意識が生じてくる。俳句の描き出した主として視覚的な景が時間を表出すると言うことは、俳句が単なるスナップショットではないということである、と述べている。(p208) 波多野爽の唱えた俳句スポーツ説(p220~262) 波多野爽の書いたものを多数引用している。 写生と言っても、写生せねばという意識はない。ただその場で見たまま感じたままをどんどん作ってしまう。そしてできた句を、後でもう一度振り返ってみると言うことはしない。(p221) 自然と対決して写生に徹することが自己発見(自己表現)への唯一の道だと爽波は信じていたと、友岡子郷はいう。その写生観は、基底にあるものは高野素十のそれであり、またその自由闊達の世界の信条は中村草田男から学んだものであると著者は言う。 スポーツの練習と同じように、ともかく作って作り抜くこと、それによって、スポーツの試合の場での反射的で臨機応変の動きと通ずるような俳句における力が発揮できるようになる。(p232)。 爽波は、虚子より具体的に学び取ったことは、俳句をたくさん作ると言うこと以外にはないように思われる、といっている(p233)。また、多作多捨のほかに、名句の多読記憶も提唱している(p235)。 俳句スポーツ説に全面的に賛意を表したのは長谷川櫂である。長谷川は肉付けして、鍛錬の具体的やり方を示している(p236)。 平畑静塔のいう「俳人格」について(p263~) 平畑は「俳句性」を確立するためには、表現技術だけでなく、「俳人格」を創り上げなくてはならないと主張する。そしてこの「俳人格」の理想の姿は高浜虚子に見届けることができるという。 著者は俳人格を「俳」人格という詞で置き換えて、平畑の「俳人格」を考察する。「俳」は俳味の俳、どこか自我を否定し、超越して、”無”の境地で「もの」を見る姿勢、ときには第三者的にイローニッシュなとらえ方をすることで微笑を誘うやり方だと言えよう。そういう姿勢に徹したバーソナリティを持つことが「俳」の人格なのである(p264)。 虚子の花鳥諷詠は、あるがままの自然や人生を受け入れ、自我を自然に託することにあった。俳句における自我の沈没、主我の溶解は作品の場に「無」を発生させ、「無限観」を構成してゆく。この「無限観」こそが虚子の俳人格を何よりも示している。 流れゆく大根の葉の早さかな 虚子 虚子の代表作の一つに対する山本健吉の「・・・精神の空白状態に裏付けられ・・・悪く言えば痴呆的俳句である」という批評を用いて、虚子の花鳥諷詠にはこうした空白精神がどうしても必要なのだと、平畑はいう。 山本健吉は俳句の背後には必ず人間の生の営みがあり、人間の生き方を没却したような俳句方法論などは観念の戯れに過ぎないとまで言い切って平畑の「俳人格」論を批判した。(p273) 第3部は新しい伝統の享受として、永田耕衣と西東三鬼が取り上げられる。二人の3句 永田耕衣 夢の世に葱を作りて寂しさよ 少年や六十年後の春の如し コーヒー店永遠に在り秋の雨 西東三鬼 水枕ガバリと寒い朝がある 戦前の句 国飢ゑたりわれも立ち見る冬の虹 戦後の第一作 蓮池に骨のごときを掴み出す ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 花と緑の歳時記 365日 | 著者 | 俳句αアルファ編集部 | No | ||||||
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2022-03 | ||||||||||
発行所 | 365日 | 発行年 | 2021年4月 | 読了年月日 | 2022-03-01 | 記入年月日 | 2022-03-01 | |||
入院中、あかつき句会の柴田さんから贈られた本。 200枚以上の草花の写真と1年365日にそれぞれ草木を季語とする句が添えられている。4月1日の芭蕉の さまざまのこと思ひ出す桜かな という私の大好きな句で始まり。3月31日の 足もとにありししあわせ花はこべ 北さとり で終わる365句は、いずれも佳句で、私の俳句などまだまだレベルが低いことを痛感させられる。写真が楽しく、また添えられた簡潔なコメントも参考になる。 以下目についた句をいくつか。『天為』の同人の句もかなりあったので、それはすべて拾い出した。 夭折はすでにかなはず梨の花 福永法弘 『天為』同人会会長 てぬぐいひの如く大きく花菖蒲 岸本尚毅 岸本尚毅は『天為』同人だが、『天為』の主流とはかなり異なる作風 てぬぐひに似て大いなる白菖蒲 から推敲したと解説にあり。 向日葵や信長の首斬り落とす 角川春樹 滾(たぎ)るものあり日盛りの祷りの木 橋爪鶴麿 広島原爆投下への思いが福島原発事故への思いと重なり、「深い鎮魂の情と、自然・人間への畏怖と哀しみの念に満ちた一本の木に擬した」と解説にあり。 なれゆゑにこの世よかりし盆の花 森澄雄 病弱な自分を支え突然にこの世を去った最愛の妻の一年後の新盆に作られた。 呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉 長谷川かな女 人間の心の底に潜む気持ちをはっきりと言い切った。杉田久女の「虚子ぎらひかな女嫌ひのひとへ帯」(昭和12年)への返句として伝説化しているが、大正9年の作であると、解説。 重陽の菊と遊べる子どもかな 日原傅 作者は有馬朗人亡き後、『天為』の共同選者の一人。作風はこの句のような『天為』の伝統をもっともよく受け継いでいる。 露人ワシコフ叫びて石榴打ち落とす 西東三鬼 寂しいと言い私を蔦にせよ 神野紗希 俳句甲子園で活躍した作者高校二年、17歳の作。 どつさりと菊着せられて切腹す 仙田洋子 『天為』同人 胡桃割る胡桃の中に使はぬ部屋 鷹羽狩行 生涯にこの一音を朴落葉 有馬朗人 花の咲くブロッコリーを呉れにけり 山尾玉藻 万両や癒えむためより生きむため 石田波郷 甘草のとびとびのひとならび 高野素十 昭和4年、客観写生の名句として虚子が高く評価。秋櫻子が些末な「草の芽俳句」と酷評し、対立のきっかけとなったと解説。素十も秋櫻子も山口青邨が4Sとして持ち上げた4人に入っているところは面白い。私はどちらかと言えば秋櫻子の肩を持ちたい。 ヒヤシンスしあわせがどうしても要る 福田若之 作者19歳、東日本大震災の直後に発表された句。 夢の世やぺんぺん草で遊びせむ 甲斐由起子 『天為』同人 巻末に池田澄子の「花よ緑よ有り難う」という短いエッセイが載っている。 「遅かったけれど俳句に出会って、ホントよかった。俳句が私を、自然を愛するニンゲンに変えてくれた。冬青草を喜び、その下の枯葉に心躍るとは、俳句に出会う前にはかんがえられないことだった。俳句は私を変えたなー、と時折思っては、俳句という詩形式に感謝している。」 私も同感。さらに俳句と句仲間が今の私の心の支えであることは、今回の1ヶ月に及ぶ入院で強く感じたことだ。 池田澄子の略歴を見て驚いた。私より2歳上なのだ。かつてNHKテレビで見た時はずっと若いと思っていた。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 世田谷イチの古い洋館の家主になる①、② | 著者 | 山下和泉 | No | ||||||
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2022-04 | ||||||||||
発行所 | 集英社 | 発行年 | ①2021年6月 ②2022年2月 | 読了年月日 | 2022-03-05 | 記入年月日 | 2022-03-05 | |||
この本も入院見舞いとして、あかつき句会の松平さんから贈られたマンガ。気楽に読めるものという意味なのだろう。 マンガを読むのは久しぶり。白土三平の「カムイ外伝」を読み通して以来のことだろう。少なくとも40年以上は経っている。 作者が主人公として実名で登場する現在進行中のノンフィクションというのにまず驚く。題の通り、世田谷で一番古い洋館に一目惚れした作者が、その家主になり、保存を図ろうとするストーリー。ブルーの洋館は、かつて尾崎行雄が住んでいたという由緒ある建物だが、それが取り壊されようとしている。 作者はなんとか残したいと思い、買い取ることを思いつくが、手の届くような値段ではない。協力者とともに、家主や洋館の住人、不動産業者、あるいは区役所などとかけ合う。その奮闘ぶりがドタバタ調でユーモラスに明るく描かれる。第2巻で終わっているが、まだ実際には家主になっていない。保存のためのクラウドファンディングを立ち上げ、2000万円近い資金が集まったところで終わっている。2巻の巻末には、クラウドファンディングに応じた人の名前が、何ページかにわたって記載されている。 こういうことがマンガになるというのが、興味深い。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 『おくのほそ道』時空間の夢 | 著者 | 堀切実 | No | ||||||
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2022-05 | ||||||||||
発行所 | 角川学芸出版 | 発行年 | 平成20年5月 | 読了年月日 | 2022-03-06 | 記入年月日 | 2022-03-24 | |||
専門的で、学術的な『奥の細道』論。まとめるのが難しいので、カバー裏に記された文章の一部を引用する: 『おくのほそ道』はどういう点で日本を代表する名作といえるのか。それを探るために、文学としてのアプローチをはじめ、史学・民俗学・宗教学・認知科学などの成果を取り入れ、漂泊感・文学空間をキーワードに広く文化史的にこの作品を分析する。連句の展開との相似という視点では”曖昧の美学”の追求、”意味の焦点”の連続性を提示し、外国文学や映像文化などとの比較文化論の観点からは”漂泊遍歴民”ではない”遍歴遊行民”としての芭蕉を浮き彫りにするなど、さまざまな方法を通じて、『ほくのほそ道』は日本人の精神の基本にかかわる言語空間である、ということを明らかにする。 本書の構成 第一部 『おくのほそ道』と日本文化論 第一章 『おくのほそ道』序章の漂泊感 第二章 『おくのほそ道』の文学空間――短詩型的紀行文学としての特質 第三章 『おくのほそ道』を連句的に読む――主題・構成論に向けて 第二部 比較文化論の視点から 第一章 芭蕉とアンデルセン――『おくのほそ道』の比較文学的考察 第二章 遊行と漂泊――芭蕉と金笠(キンカッサ) (注:朝鮮の放浪詩人) 第三章 マンガ『おくのほそ道』論――言語文化と表象文化 いくつかの興味深かった点。 『おくのほそ道』の構成について:従来いろいろな説が出されている。典型的なのは江戸と大垣を底辺とし、平泉を頂点とする三角形構造。あるいは序破急説、円弧説など。著者は細かく見てゆくと、それぞれ不自然がところがあるとする。これらの構造論は今日『おくのほそ道』を読者の立場から読み取ろうする場合にはかなりの説得力を持つが、それがそのまま芭蕉の創作意識には重ならないという。芭蕉にその様な積極的な構成意識があったとは、とうてい見なし得ないという。(p59~)。構成を論じる元となる章段が明確でないという。 この考えはどうだろう。芭蕉が『奥の細道』を上梓したのは旅が終わってからかなりの期間をおいてからだ。その間にやはり構成を練ったのではなかろうか。前半の那須における「かさね」と後半の市振の「萩と月」対照など、そうした構成の結果ではないだろうかと私は思うが。 69ページ以下には、不整形、非対称の美学という項で、建築学者芦原義信の説を引用して 『おくのほそ道』を論じる。建築や都市構造における日本的な空間構成の特色は、西欧とくらべて、内と外の輪郭の曖昧性、外観的な不整形、非対称の美学であると芦原は言う。『おくのほそ道』の章段の区分境界の曖昧さがそれなりの意味を持ち、また、形式よりも内容を重視する我が国の建築様式が、つねに内的視点に立って発想されるがゆえに、外見上の不定形にこだわらず、むしろこれを肯定し、従って非対称的な構造を持っている。 「全体」のもつ象徴性・示威性・権威性、又その結果としての形態における左右対称性・正面性・構成的均質美というものを、日本人は体質的に苦手にしていると芦原はいう。 『おくのほそ道』の構想が、一つ一つの俳文――発句を中心とした小篇――の集積としてなされたものという考えはこれまでにのなされている。これは基本的には部分から着想して全体に及んで行く事である。そうした経緯で出来上がった全体は、その構成要素としての部分の単なる足し算ではなくなっている。底には一つ一つの構成要素の性質からは想像も出来ないような別趣の意味が生じてくる。部分と全体は、極めて不規則に関わり合いながら、そのうえに、不規則で無秩序なるがゆえの独特の美学を生み出してゆくことになるのである(p71) さらに論はフラクタル幾何学にも及ぶ。一見無秩序で曖昧な形に見えるものが、実は内面で見事に調和していて、自然界独特の法則性を作り出している。外見的無秩序の中に隠された内面的秩序を明確な形で取り出すことは容易ではないが、それを感ずることは可能である。『おくのほそ道』の構成についてわれわれが感ずる必要があるのは、一見無秩序、不整合なものの中に潜むフラクタル的な秩序なのである。(p72~73) 『奥の細道』と他の作品との比較から。ポピュラーな作品をいくつかを挙げてみると: 共通点の多い作品 『ロビンソン・クルーソー』 虚構性、現実より理想を追求。宗教的姿勢 『ハムレット』『オセロ』 創造された主人公 『日本奥地紀行』 イザベラ・バード 描写の簡潔性、自然描写の類似性、旅人の精神、旅程の類似。 『放浪記』 林芙美子 虚実融合の作 相違点の多い作品 『東方見聞録』 時間軸の旅対空間軸の旅 『木曾路之記』 貝原益軒 文学紀行対地誌的紀行 本書の最後にはマンガ「おくのほそ道」が取り上げられている。つい先日、何十年ぶりかにマンガを読んで、取り上げられている題材に驚いたが、『おくのほそ道』も20年以上前に複数マンガ化されていた。本書はその中で矢口高雄の『奥の細道』を取り上げて論じている。本書には矢口のマンガの画がたくさん載っている。羽黒山の長い石段を登る芭蕉と曽良のシーンと、高舘の生い茂る夏草の絵を例に、矢口は情景描写に関する限り、いかなる文学もマンガを越えることは出来ないと胸を張っている。著者はそのことは認めているが、かといってマンガの画が芭蕉の言葉を超えているとは思えないという。『奥の細道』の文章はマンガ化できても、発句はそのまま画には出来ない。矢口の作品に限らず、マンガでは発句は短冊のまま示されているという。 以後、文学作品のマンガ化についての細かい分析、考察がなされる。最後にはアニメ化された連句「冬の日」に関する考察もある。 とにかく、従来の『奥の細道』解説とは大きく異なり、多方面から迫った著作。。それだけ『奥の細道』は深く、また魅力的な作品なのだろう。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 本を積んだ小舟 | 著者 | 宮本輝 | No | ||||||
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2022-06 | ||||||||||
発行所 | 文春文庫 | 発行年 | 1995年 | 読了年月日 | 2022-03-17 | 記入年月日 | 2022-04-07 | |||
著者が主として高校時代に読んだ本の読書録。本棚にあったが多分息子の本だろう。 「実際、私は小舟のようなものだった。十四歳の初夏から十八歳の冬まで、私という艪もなく櫂もなく、まともな舵もついていない小舟は、いまにも沈没寸前の状態で、あちこちの海をあてどなく漂流していた。時代でいえば、昭和三十六年から四十年の終わりにかけての、日本が急速に経済発展していった頃だった。それなのに、私たちは貧しかった。」で始まる。 続いて「私は本を読むのが好きだった。勉強の嫌い、スポーツも嫌い、兄妹もなく、友だちもあまりいない。父は借金取りから逃げて家に帰ってこない。母は希望を喪って昼間から酒にひたり、目を離すと市電のレールの上を歩いていたりする。・・・そんな私という小舟には、古今東西の本が積まれていた。私は何も持っていなかったが、読みたい本がたくさんあった。」 列挙されたのは多彩なジャンルの32の作品。そのうち同年代の私が読んだ本はわずかに3冊。「異邦人」、「あすなろ物語」「楢山節考」である。19冊はまだ読んだことのない本、さらに「野」(上林暁)、「トロワ・コント」(フローベル)、「茶館」(老舎)など初めて目にする作品もいくつかあった。 「少年期の私は、結局のところ、何かを求めて本を読んだことなど一度もない。憑かれたような読書は、私にとって、すべて逃避だった。父への憎悪、母への憎悪……。ただそれだけが、私を読書へと逃避させたと言っても過言ではない。そして、ただ一度たりとも、私には、将来作家になろうなどと考えて小説を読んでいた瞬間はないのである。」 少年時代の私はなんのために本を読んだのだろうか。逃避ではない。知識を得、自分を高めるため、多分そんな気持ちだったろう。 宇野千代の「おはん」は母が与えたものだという。道頓堀の中座の一番高い席で著者と一緒に松竹新喜劇を見て、帰路、心斎橋筋の寿司屋で食事をした。その際、近所の人に勧められて自分でも読んだといって「おはん」を著者に渡したという。著者中学三年の時のこと。 「私にボートレールの詩を教えてくれたのは、酔っ払った父であった。中略 父は尋常小学校しか出ていなかったが、ある時期、世間で言うところの一般教養的なものぐらいは身につけておこうと決心して、たくさんの本を読みふけったのだと私に言った。史記や唐宋詩集、相対性理論序説、資本論などにはいたるところに傍線が引かれてあった、私が高校生になったころには、押し入れの奥にしまいこまれていた。」 そんな父に誘われて行った駅前の小さな飲み屋で、父はいきなりボードレールの詩を口ずさみ始める。ボードレールを思いつくままにいくつも口にした後、飲み屋を出ると、本屋を探し、ボードレールの詩集を著者に買い与えた。ランボーの詩集もと思ったが、あいにくなかった。ボードレールとランボーを読み比べれば、叙事と叙情の違いがわかるだろうと、父はいらだたしげに言った。 著者は叙事的作品と叙情的作品の明確な区分けは理解できなかったが、「叙事的なものが、徹底的に叙事へ突き進むと、あ言葉の後ろ側から、仄かに叙情が湧き上がるということに気づき、また逆のことも生じるのを知った。」と述べる。そのことは俳句をやっていて私も感じることである。 本書には家が貧しかったと何回も出て来るが、「貧しい」に私は強い違和感を感じる。中学時代にたまに父に連れられて、そば屋に入ったことがあるが、それは私にはかなりうれしい贅沢なことだった。著者より私は9歳上で、私の中学高校時代はまだ世間一般が貧しかったとはいえ、やはり著者の少年時代は私から見れば、決して貧しいものではない。 著者の他に、本書のもう一人の主人公は父である。 受験生の著者に「山頭火句集」を与える。「てふてふうらからおもてへひらひら」が読めるかという。これが今の心境だという。著者はもちろん読めたが、山頭火のこともこれが俳句だとも知らなかった。裏とはお妾さんで表とは妻のことか、いい気なもんだと思う。父の好きな3句を口にした。 うしろすがたのしぐれてゆくか 雨ふるふるさとははだしであるく 草しげるそこは死人を焼くところ 5年後に父は亡くなる。そのときこの「うしろすがたのしぐれてゆくか」と心のなかで口ずさみ、大きなカタルシスをもたらした。さらに3句が奇妙なアイロニーと化し、父離れをさせてくれたように思われる。アイロニーとカタルシスなくして人間はいくつかの危ない吊り橋を渡って行く事は出来ない。 例えば、父は多くの借金を残したが、その日は花盛りの春の日で、火葬場に向かいながら、「草しげるそこは死人を焼くところ」を鼻歌でも歌うように口に出していたように思うという。例えば、借金取りの怖いお兄さんから逃げて、雨の夜道を歩きながら「雨ふるふるさとははだしであるく」と口ずさみ、わざとはだしになってみると、今夜も上手く巻いてやった、明日はどうやって上手く逃げようかと、いたずらを企む心が湧いてくるものだった。この3句は句のできの良し悪しではなく、特別な3句であるという。 最後にあるのが藤村の「夜明け前」。「日本における歴史小説の最高傑作をあげよと言われたら、私は迷うことなく、藤村の「夜明け前」をあげるであろう。」 ただし、著者は高校卒業するまでに3回挑戦したが、みな頓挫したという。父も四,五回は投げ出したが、全部読んでみて、実に面白い小説で、何回も読み返したくなる小説だと言った。著者も、浪人時代にやっと読破し、28歳の時に2回目、3回目は38歳の時エーゲ海クルーズの船上であったと記す。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | サピエンス全史(上) | 著者 | ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之訳 | No | ||||||
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2022-07 | ||||||||||
発行所 | 河出書房新社 | 発行年 | 2016年刊 | 読了年月日 | 2022-04-30 | 記入年月日 | 2022-05-17 | |||
友人のエッセイで本書にふれられていて、壮大なタイトルから面白そうだと思って手にした。全世界で1600万部、日本で累計100万部突破と帯にあった。 タイトルに違わず壮大で、独特の視点に基づいた現生人類の歴史。ハードカバーの250ページ余りだが、一気に読ませる内容だ。 カバー裏に本書が要約されている: アフリカでぼそぼそと暮らしていたホモ・サピエンスが、食物連鎖の頂点に立ち、文明を築いたのはなぜか。その答えを解く鍵は「虚構」にある。我々が当たり前のように信じている国家や国民、企業や法律、さらには人権や平等といった考えまでもが虚構であり、虚構こそが見知らぬ人同士が協力することを可能にしたのだ。やがて人類は農耕を始めたが、農業革命は狩猟採集社会よりも過酷な生活を人類に強いた。史上最大の詐欺だった。そして歴史は統一へと向かう。その原動力の一つが究極の虚構であり、最も効率的な相互信頼の制度である貨幣だった。 なぜ我々はこのような世界に生きているのかを読み解く、記念碑的名著! 虚構が文明を築き、農耕社会は狩猟採集社会よりも過酷な社会であり、貨幣という究極の虚構が歴史を統一へと駆る。こんな見方は従来にない斬新な見方なのだろう。だから全世界的なベストセラーになった。著者は1976年生まれのイスラエルの歴史学者。 上巻目次 第1部 認知革命 第1章 唯一生き延びた人類種 第2章 虚構が協力を可能にした 第3章 狩猟採集民の豊かな生活 第4章 史上最も危険な種 第2部農業革命 第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇 第6章 神話による社会の拡大 第7章 書記体系の発明 第8章 想像上のヒエラルキーと差別 第3部 人類の統一 第9章 統一へ向かう世界 第10章 最強の征服者、貨幣 第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン 目次を見ただけで、独特な視点が想像され、わくわくする。 本書の魅力は文章力、はっとするような比喩にある。 例えば:ほとんどの哺乳類は、釉薬をかけた陶器が窯から出てくるように子宮から出てくるので、作り直そうとすれば傷ついたり壊されたりしてしまう。ところが人間は、溶融したガラスが炉から出てくるように子宮から出てくるので、驚くほど自由に曲げたり延ばしたりして成形できる。だから今日、私たちは子供をキリスト教徒にも仏教徒にもできるし、資本主義者にも社会主義者にも仕立てられるし、戦争を好むようにも平和を愛するようにも育てられる。(p23)。 この文章の前には直立二足歩行が進化に及ぼした影響が述べられる。 直立歩行は卓越した視野と勤勉な手をもたらしたが、特大な頭骨を支える骨格を必要とした。さらに女性には、直立するために腰回りを細める必要があり、産道が狭まった。赤ん坊の頭がだんだん大きくなっている時に、女性は出産にあたっての命の危険にさらされる羽目になった。その結果、赤ん坊の脳がまだ小さく柔軟な段階で出産した女性の方が生きながらえ、子をたくさん産む確率が高かった。こうして自然選択により早期出産が優遇され、他の動物より未熟な段階で子供が生まれるようになった。この後に上の文章が続く。 これは本書を通して至る所に見られる著者の推論の一例だが、なるほどと思わせる説得力がある。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | サピエンス全史(下) | 著者 | ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之訳 | No | ||||||
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2022-08 | ||||||||||
発行所 | 河出書房新社 | 発行年 | 2016年刊 | 読了年月日 | 2022-05-08 | 記入年月日 | 2022-05-17 | |||
カバー裏の要約: 近代に至って、なぜ文明は爆発的な進歩を遂げ、ヨーロッパは世界の覇権を握ったのか? その答えは「帝国、科学、資本」のフィードバックにあった。帝国に支援された科学技術の発展にともなって、「未来は現在より豊か!になる」という、将来への信頼が生まれ、起業や投資を加速させる「拡大するパイ」という、資本主義の魔法がもたらされたのだ。そして今、ホモ・サピエンは何を望み、テクノロジーはあなたをどのような世界に連れて行くのだろうか?人類史全体をたどることで、我々はどのような存在なのかを明らかな擦る、かつてないスケールの大著! 下巻目次 第3部 人類の統一 (上巻より続き) 第12章 宗教という超人間的秩序 第13章 歴史の必然と謎めいた選択 第4部 科学革命 第14章 無知の発見と近代科学の成立 第15章 科学と帝国の融合 第16章 拡大するパイという資本主義 第17章 産業の推進力 第18章 国歌と市場経済がもたらした世界平和 第19章 文明は人間を幸福にしたか 第20章 超ホモ。サピエンスの時代へ 著者は本書の終わりで、生物工学の発展により、遺伝子操作で「超人」が生まれる可能性を否定しない。 ホモ・サピエンスを」取るに足りない霊長類から世界の支配者に変えた認知革命は、サピエンスの脳の生理機能にとくに目立った変化を必要としなかった。大きさや外形にさえも、格別の変化は不要だった。どうやら、脳の内部構造に小さな変化がいくつかあっただけらしい。したがって、ひょっとすると再びわずかな変化がありさえすれば、第二次認知革命を引き起こして、完全に新しい意識を生み出し、ホモ・サピエンスを何かまったく違うものに変容させることになるかもしれない。(p249) 本書の最後の方では、幸福について論じている。幸福の歴史研究といったものはやっと端緒についたばかりであり、方法論も含めて今後検討されるべきであるとする。著者は本書で仏教を引き合いに出すことがよくあるが、幸福についても仏教を高く評価している: 幸福が外部の条件とは無関係であるという点については、ブッダも現代の生物学やニューエイジ運動と意見を同じくしていた。とはいえ、ブッダの洞察のうち、より重要性が高く、はるかに深遠なのは、真の幸福とは私たちの内なる感情とも無関係であるというものだ。事実、自分の感情に重きを置くほど、私たちはそうした感情をいっそう強く渇愛するようになり、苦しみも増す。ブッダが教え諭したのは、外部の成果の追求のみならず、内なる感情の追求もやめることだった。(p239)。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 孤独を抱きしめて | 著者 | 下重暁子 | No | ||||||
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2022-09 | ||||||||||
発行所 | 宝島社 | 発行年 | 2022年3月 | 読了年月日 | 2022-05-28 | 記入年月日 | 2022-05-28 | |||
エッセイ教室の際、下重さんから新刊として紹介された。 今までに書いた、あるいは語ったメッセージを集めた一種の人生論。 エッセイ教室で25年以上付き合っていると、何回となく耳にしたメッセージだ。 自立した人生を送れということにつきる。下重さん自身がそのモットーを貫き、少しもぶれないところはさすがである。 子供の頃から、NHKアナウンサー時代の20代、そして現代と、たくさんの写真が載り、さらに巻末にはかなり詳しい経歴が載っている。 「孤と個」「自由」「自立」「男と女」「家族」「老い」「矜持」「散り際」の8章に別れ、全部で100のモットーが示される。 いくつかを: 慈しむ共感力を持つという意味考えれば、ナルシストは素晴らしい。「孤と個」 その補足説明文:ナルシストの部分は誰にでもあって、一人一人、人間は自分の物語を持っている。そのために何をしたらいいか最優先課題を見つけて、物語を達成するために努力することが出来るナルシストは素晴らしい。他の人も他の人の物語を持っていて、その主人公なのだと理解する。つまり他者を認めるということである。自分を愛する、慈しむのと同様に他者を愛する。慈しむ共感力を持つという意味で考えれば、ナルシストは素晴らしい。 こんな主張は今まで聞いたことがなかった。 丸くなるっていうのは、人に丸められている気がするの。「老い」 満足して死んだなんて嘘っぽいでしょう。後悔する生き方とは、死ぬときまで、何かに情熱を持ち続けている生き方だと思うのです。「矜持」 下重さんは明日86才になる。ますます元気である。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 独ソ戦 | 著者 | 大木毅 | No | ||||||
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2022-10 | ||||||||||
発行所 | 岩波新書 | 発行年 | 2019年7月 | 読了年月日 | 2022-06-03 | 記入年月日 | 2022-07-05 | |||
サブタイトルは「絶滅戦争の惨禍」。2022年4月で16刷を重ねるベストセラーだ。 ロシアのウクライナ侵攻で、先の大戦が終わって70年以上経つ今年、ヨーロッパでの本格的な地上戦が勃発した。アマゾンでたまたま本書が眼に入った。帯には「戦場ではない、地獄だ」と大書されている。決してオーバーな表現ではない。 ソ連:戦闘員 886万ないし1140万、民間人450万ないし1000万 ドイツ:戦闘員 444万ないし531万、民間人150万ないし300万 日本:戦闘員 230万ないし240万、非戦闘員:55万ないし80万 本書の最初に示された 第二次大戦中の死者だ。独ソ戦では戦闘のみならず、ジェノサイド、収奪、捕虜虐殺が繰り広げられた。 著者は陸上自衛隊幹部学校講師などを歴任したこともある戦史の専門家。戦史にもいろいろな見方、説があって、そのうちのいくつかは定説として受け入れられて行く。しかし、特に1989年のソ連崩壊後に明らかになった史料などを検討していくと、定説的な見方に変更を加える必要があると著者は言う。史料に基づき新しい観点から独ソ戦を追ったもの。両軍の配置と進軍矢印を示した地図がたくさん掲載されていて、戦闘の詳しい経過が専門的に考察されている。その他、スターリン、ヒトラー、チャーチルら当時の戦争指導者の写真、両軍の兵士のおびただしい死体とか、捕虜の群とか、あるいはユダヤ人女性の集団の銃殺場面(高みから銃を構える兵士たちの写真)なども。 1941年6月22日の未明、ナチス・ドイツ軍はソ連邦への侵略を開始した。総兵力およそ330万、バルト海から黒海までのほぼ3000キロにおよぶ戦線で、一斉攻撃にかかった。 スターリンは事前にドイツの侵攻の情報をたくさん受けていたが、それらを無視し続けた。1939年から40年にかけてのフィンランド侵略で、はるかに劣勢のフィンランド軍にソ連軍は苦戦を強いられている。それは1937年から38年にかけて、スターリンが行った大粛清でソ連軍の将校22705名が銃殺されるか行方不明になっていて、ソ連軍が弱体していたからだ。スターリンは自分の行った粛清で軍の弱体化を承知しており、このままドイツと戦争になったら、ソ連の崩壊を招くと恐れた。それ故に、ドイツの侵攻が迫っているという情報から目をそむけ、それはイギリスの謀略であろうとした。当時、フランスがすでにドイツに占領され、イギリスはドイツをソ連に向けさせ、イギリスへの圧力を弱めようとしていた。 他方、ヒトラーは生涯を通じてソ連ロシアを打倒し東方植民地帝国を築くという政治構想を追求したとされる。独ソ戦はそのプランの延長にあると言うのが従来の説であったが、今ではそれはヒトラーの政策や戦略の解釈の一つであるとされている。フランスを占領したヒトラーはイギリスに講和を持ちかけるが、チャーチルは拒否する。手詰まりに陥ったヒトラーはイギリスが無意味な抵抗を続けているのは、いずれはアメリカとソ連が味方に付くと希望しているからだと考えた。ならば、ロシアを粉砕すればかねて狙いの東方植民地の建設並びにイギリスの抗戦意志をくじくという二重の目的を達成できる。 ドイツ軍の戦車や航空機を初めとする近代装備の多くは、ルーマニア産の石油で動いていた。それ故、軍の幹部はルーマニアの石油を守るためには対ソ戦もやむなしと判断していた。そして、侵攻計画がいくつか練られていく。最終的には「バルバロッサ」作戦が策定された。しかし、この作戦計画は、軍が主張するようにモスクワを目標にするのか、あるいはヒトラーが論じたようにモスクワの早期占領はそれほど重要でないのかと言った優先順位が曖昧であり、実働部隊が強いられる過剰な負担、兵站の困難さなどさまざまな問題があった。にもかかわらず、ヒトラーはソ連軍など鎧袖一触撃滅できると確信していた。また軍幹部も成すべき敵情判断さえも怠っていた。その結果ヒトラーとドイツ軍幹部はソ連軍を「頭のない粘土の巨人」であると思い込んで、人類史上最大規模の戦争に突入していった。 初戦のドイツ軍の進撃は驚異的で、開戦5日後にはラトビアの首都リガまで、また中央線戦では1週間に400キロも進撃した。これは、スターリンが事前の備えを怠ったことのほか、ソ連軍が攻撃偏重のドクトリンに固執し、指揮官の能力、兵站の整備、通信と言ったさまざまな面での欠陥を無視した反撃を行い、自壊とも言うべき大損害を出した事による。今回のウクライナ侵攻で、首都キーウに向かったロシア軍があえなく撤退したことと照らし合わせると、戦争ドクトリンとしては70年前と変わっていないような気がする。 装甲・自動化歩兵師団を用い、敵陣に侵入し、指揮、通信、兵站上の要点を壊滅させ抗戦能力をマヒさせたところで、通常部隊に残存する敵を撃滅させるという戦術で、ドイツは西部戦線でフランスなどを破った。しかし、この戦い方はロシアでは十分には機能しなかった。ソ連兵は通信や兵站が切れても戦うことを諦めなかった。また、フランスと違いロシアの道路は劣悪で、装甲・自動化部隊の迅速な進撃が出来なかった。 41年8月、ヒトラーはモスクワ進撃という助言を押し切り、キーウへの進軍を命じた。最重要なのはモスクワ占領ではなく、クリミア半島やドニエッツ工業・炭田地帯の奪取、コーカサスからのソ連軍に対する石油の供給の遮断、レニングラードの孤立化だと断じた。この作戦は大成功で、ウクライナ方面の軍団が包囲されてもスターリンは死守を命じたためもあり、キーウ戦終了時までにソ連は45万の兵員からなる軍団が壊滅した。 戦後、ヒトラーのこの作戦には戦略的には時間の大きな浪費であったと当時の軍幹部は証言した。しかし、当時のドイツ軍の主力にはモスクワに向かう力はなかったとされる。9月にはドイツ軍はドイツの同盟国として参戦していたフィンランド軍と合流し、レニングラードを包囲した。ヒトラーはレニングラードの孤立化をはかり、900日におよぶ包囲が続いた。レニングラードでは人肉を食う人まで現れるという惨状だったが、持ちこたえた。ヒトラーは1941年12月11日、日米開戦を聞きアメリカに宣戦布告する。 ドイツ軍が抱いていた短期決戦構想は挫折し、戦争が長期化することは決定的となった。それにつれて、軍事的合理性に基づき、相手の戦争継続意志をくじくことにより戦争終結を導こうとする「通常戦争」の側面は後退した。代わりに「世界観戦争」と「収奪戦争」という性格が異なる戦争態様の色彩が濃くなってきた。 独ソ戦前にも、ドイツの占領政策は資源や工業製品の調達、労働力の収奪といった収奪戦争の性格を帯びていた。そのおかげで、ドイツ国民は戦時下においても比較的高水準の生活を維持していた。彼らは帝国主義的な収奪政策の利益を受けていることを知りながら、それを享受した「共犯者」であると、著者は厳しく言う。 ヒトラーの宿願であった独ソ戦においては、収奪戦争に加えて、イデオロギーに支配された「世界観戦争」、具体的にはナチスが敵と見なした者への「絶滅戦争」が全面的に展開される。こうした状況の下で捕虜の虐待や民間人へのジェノサイドが起こる。確か、ドイツ軍人によるヒトラー暗殺未遂事件の要因の一つとして、東部戦線に於ける捕虜となった赤軍政治将校の無差別な処刑に対する貴族階級の将校による反感があった。ドイツ軍がそうなら、ソ連軍も報復的に捕虜を虐待する。両軍とも終戦までに多くの捕虜が死亡している。 ソ連側ではスターリンに対する反感から、ウクライナやバルト三国ではナチス軍がスターリン体制からの解放軍として歓迎された。初めて知ったが、今回のロシアのウクライナ侵攻にあたって、ロシアはウクライナをネオナチから解放するという名目をあげていた。私は驚いたが、背後にはこうした歴史があったのだ。 ソ連に於ける志願兵の数の多さや徹底した抗戦は、ソ連が開戦直後にナショナリズムと共産主義体制支持を合体させることに成功したからだという。ソ連は対独戦を「大祖国戦争」と名付けた。1812年、ナポレオンを撃退した戦いは聖なる戦いとしてロシア人の歴史的記憶となった。今度の戦争はその「祖国戦争」に匹敵するもの、いやそれ以上の「大祖国戦争」であると規定した。 42年4月、ドイツは主力を南方方面に向ける作戦を決定する。コーカサスの油田を確保するためだ。ヒトラーはモスクワか石油かで、石油を選択した。ただ、コーカサスへ向かうドイツ軍は長く伸びた側面を狙われる。それで、その北側にあるスターリングラードも攻略することにした。スターリンの名を冠するこの都市を陥落させれば、その政治的意味も大きいとヒトラーは考えたのだ。そして、ドイツ軍はスターリングラードに突入する。しかし、逆に包囲される。かくして独ソ戦最大の戦いで、勝敗の命運を決した攻防が始まる。結果は、包囲網を破ることは出来ず、ドイツ軍は降伏する。以後、ドイツ軍の転落は始まり、やがて1944年4月26日、ソ連軍はベルリンに突入、5月2日ベルリン守備隊は降伏する。ヒトラーはその前、4月30日に総統地下室で自殺した。 和平交渉も試みられた。リッペントロップは和平の可能性を模索してスエーデンでソ連との接触を図った。しかし、ヒトラーは独ソ戦を政治的に解決する可能性を排除していた。43年7月、日本の大島大使との会談で、ヒトラーは明言した。ウクライナを割譲するのであれば、和平に応じてもよいが、とうていスターリンにその用意はないだろ、と。ヒトラーの「世界観戦争」を妥協なく完遂するという企図は最後まで貫かれていた。 独ソ戦の戦史など読んだことはなかったが、よく書けていて、その経過、その悲惨さ、戦争における戦略的な意志決定がいかに重要であるかなど、極めて興味深く読むことが出来た。さらに、ロシアのウクライナ侵攻の理由として掲げた「ネオナチの撲滅」の歴史的意味も知り得た。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 原爆供養塔 | 著者 | 堀川恵子 | No | ||||||
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2022-11 | ||||||||||
発行所 | 文春文庫 | 発行年 | 2017年7月 | 読了年月日 | 2022-06-17 | 記入年月日 | 2022-07-06 | |||
サブタイトルは「忘れられた遺骨の70年」 広島平和記念公園の一隅にある原爆犠牲者の遺骨を集めた原爆供養塔がある。その建設の経緯と供養塔の守人のように毎日通い清掃や草取りをした佐伯敏子の被爆体験を中心に構成されたノンフィクション。 本書のもっとも衝撃的な場面は、佐伯敏子の母の遺体が帰ってくるところ。9月6日、母の遺体を探しに行った敏子の義兄が、帰ってきて見つかったと言って、ふろしき包みをテーブルの上に置く。最後まで一緒にいて親しかった敏子に開けてみるように言う。敏子は遺骨になって帰ってきたと思い、風呂敷を解く。現れたのは半ば白骨化した頭であった。熱風でひん曲がった眼鏡の蔓と、片方だけのレンズもあった。(平和記念資料館に収められたその眼鏡の写真が掲載されている。)それは紛れもなく母であった。その頭を抱くように言われたが、とても出来なかった。その代わり次兄が抱いた。次兄は取り上げられるまで、毎日胸に抱き、泣いた。 これはフィクションではない。このときまでに敏子は爆心地近くで被爆した18歳の妹と、さらに長兄を失っていた。そして、次兄も母の首が帰ってきた日から、精神に異常をきたし奇行が多くなった。そんな次兄に対して、敏子は我慢がならず、人間として口にしてはならない言葉を次々に浴びせたという。その言葉を96歳になっても敏子は絶対に明かさないという。次兄は9月15日に亡くなった。敏子には三人の姉と、一人の妹、二人の兄がいた。昭和20年の暮れまでに敏子は親類のうち13人を原爆で失った。一人一人が亡くなるごとに、親戚間の亀裂が深まっていったという。 佐伯敏子の夫は出征して広島にはいなかった。敏子は広島市内で旅館を切り盛りする母のところに身を寄せていた。戦況が厳しくなり、敏子は幼い息子を市内から10キロほどの田舎に疎開させていた。母が空き家を購入し、一番上の姉一家が疎開していた。8月5日、息子の顔を見に行く。帰る段になって、息子せがまれて、一泊することになった。翌朝、8時過ぎに広島の空に異変を見る。10キロの道を急いで歩いて市内に向かう。皮膚はただれ、顔は膨れたひどいやけどを負った人々が市内から続々歩いてくる。 市内に入ると路上には人々が横たわっている。母の旅館は崩壊していて、母を探すことは出来ない。避難所の小学校に行くがそこにはおびただしい人々が横たわっている。妹ではないかと探し回る。そんな中、死んだと思っていた人が、助けを求め、足を捕まれる。振り払って、先に進む。被爆直後の惨状が生々しく語られる。母の首が見つかった頃には敏子も原爆症を発症する。しかし、当時は放射能によるものとはされず、結核とされ、姉たちからは隔離され、牛小屋に住まわされる。持って生まれた体質なのだろう、その後子供までもうけることが出来た。子宮がんなどが発症したが、97歳という天寿を全うした。 被爆後、広島市内には身元の分からない遺体が多数あった。それらの遺骨は市役所と、爆心地に近い慈仙寺に持ち込まれた。市役所では市長室に収納したが、一杯になり市の業務の支障なり、爆心地から2.7キロ離れた善法寺に運ばれた。この時点までに6000柱の遺骨が市長室に運び込まれていたという。市役所周辺の寺に依頼したが、悉く被爆していて、受け入れ先とはならなかったという。 年が明けて、遺骨収集と供養を続けていた白蓮寺の吉川元春は、本格的な供養塔を建てることを目指した。そして、8月には供養塔が完成し、法要が行われた。年月が経つにつれて、この供養塔も傷んできて建て替えが必要となった。吉川らの粘り強い運動で、広島市が建て替えることになり、昭和30年に完成した。 同じ年、佐伯敏子は体験を自分の子供たちに遺すために「遺書」を書き始め、3年で完成させた。 後半は、佐伯敏子による粘り強い遺骨の引き取り手探しのこと。 ノンフィクション作家としての作者の真摯で、諦めない態度に感服する。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | ネコひねり問題を超一流の科学者たちは全力で考えてみた | 著者 | グレゴリー・グバー、水谷淳 訳 | No | ||||||
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2022-12 | ||||||||||
発行所 | ダイヤモンド社 | 発行年 | 2022年5月 | 読了年月日 | 2022-06-23 | 記入年月日 | 2022-07-08 | |||
長い題名だが、原著のタイトルは「Falling Felines & Fundamental Physics」。直訳すれば「落下する猫と基礎物理学」。 アマゾンで見た。文献を入れると480ページを超す大著。一言で要約すれば、猫は仰向けに落ちても空中で身を翻し、着地は足からする。なぜそんなことが出来るのかを物理学者たちがよってたかって論議した歴史を追ったもの。科学史の読み物としてユニークで面白い。ソフトカバーの四六判。 マクスウェルとストークスという19世紀を代表する物理学者も、猫落下の不思議にとりつかれ、私的に研究をしたとされる。しかし、その頃はすでにある仮説が受け入れられていた。重心移動によるという説。 それは1700年にフランスのバランという学者により出された論文により、その後200年にわたり信じられていた。背中から落ちる猫は背を丸めていた姿勢を手足を伸ばし逆に背中を反らせる。それにより重心が腹の方に移りその重心の移動により、腹が下になり足から着地するというもの。バランより数十年前にイタリアの物理学者で後に「生体力学の父」と呼ばれた、ボレロが示していた。ボレロは「偏った位置に鉛の芯を埋め込んだ球体を、鉛のほうを上にして水中に落とすと、浮力と重力が等しくなる深さまで沈んでから球体の中心を軸として回転し、重心(鉛の芯)が一番下になると。」 デカルトも猫の落下実験を行ったとされる。デカルトは動物に魂があるかどうかを調べるために、猫を二階の窓から放り投げたというのだ。魂があれば恐怖心を感じる。彼は動物には感覚も感情もないと考えていたに違いないと著者は言う。 猫の落下の話はさらに遡る。イスラム教の創始者、ムハンマド(570年~632年)はある時砂漠で眠りに落ちた。すると大蛇が現れ、彼の従者にかみつこうとした。それを猫が防いだという。目覚めたムハンマドは、感謝の印として、いかなる生き物も、汝を仰向けにすることは出来ないと祝福を授けた。預言者によるこの祝福のおかげで、猫はどんなに高いところから落ちても必ず足から着地するようになった。 しかし、バランの説は回転中心として浮力の中心を考えていた。浮力と重力が釣り合って、初めて回転が起こる。落下の猫の浮力などは微力であり、この説は成り立たない。 猫落下の研究に写真術という新しい手法が加わった。本書は写真術の歴史を詳しく述べる。 現代の意味での写真、つまりカメラ・オプスグラを使って、半永久的な像を化学的に記録する手法を発明したのはフランス人の発明家、ジョセフ=ニセフォール・ニエプスで1822年のことだとされる。その後、フランスの科学者、エティエンヌ=ジュール・マレが初めて落下する猫の写真を撮った。他方、イギリス生まれの画家、エドワーソ・マイブリッジはトロットで走る馬が実際どのように運動しているかという疑問に、写真で決着を付けた。トロットでも4つの足が全部空中に浮かぶ瞬間がある。 猫の落下に関しては、物理学の法則として、エネルギー、運動量などの保存則が広く認められて浸透してきた。すると、空中で猫が体をひねる運動はそれを打ち消す反対の運動がなければならない。当時、猫は空中に放れる瞬間に、触っていた例えば机や人の手を手で押して回転の運動量を得ていたと説明されていた。しかし、1894年にマレの撮った猫の落下の連続写真は自由落下状態になってから猫は体を回転させることを明らかにした。 外からの力によらず猫はどうやって回転の角運動量を生み出すのだろうか。物理学者は猫を剛体と考えていた。剛体ではそれをひねることは出来ない。しかし猫は柔軟な身体を持ち剛体ではない。猫の肢体の動きに注目し、フランスの数学者ギューが「タック・アンド・ターン」説を唱え、フランス科学アカデミーの大方を納得させた。1897年にだされた「剛体系の力学」には以下のように記されている。 落下の最初の段階で猫は、後肢を体軸とほぼ垂直の伸ばし、前肢を首元に引き寄せる。この姿勢で上半身をできる限り大きい角度でひねりながら、下半身をそれとは逆方向にももっと小さい角度で回転させて、身体全体の体軸まわりの角運動量がゼロになるようにする。……落下の第二段階では肢の曲げ伸ばしを逆にして、後肢を身体に近づけ、前肢を伸ばす。すると下半身が大きい角度で、上半身が小さい角度で回転する。その結果、上半身と下半身が体軸をほぼお何角度だけ回転する。 猫の落下問題を知ったイタリア人数学者のペアノは、地球の揺動も基本的には同じだと見抜いた。地球の自転軸はわずかに動く。それは地球内部の運動の影響だとしたのだ。最大のものは海流だとする。(1895年の論文) 20世紀に入ると、猫の落下回転についての生理学的な研究がなされる。その記述も詳しい。 1935年には「ベンド・アンド・ツイスト」説が新たに出る。猫は落下の際、背筋を伸ばしてはいない。むしろ折り曲げている。そうすることにより上半身と下半身の回転が逆方向となり、お互いの角運動量が打ち消される。 そのあとにもいくつかの説が出されている。猫はそれらの説の一つだけで宙返り運動を行っているのではなく、時と場合により選んでいることも明らかにされた。 猫の宙返り運動は、無重力空間に滞在する宇宙飛行士の運動の参考として大きく利用された。 宙返り運動とは直接関連しない話も出て来る。物理学上で最も有名なシュレーディンガーの猫。量子力学のコペンハーゲン学派的解釈によれば、生きた状態と死んだ状態の猫が共存するというおかしなことになるというもの。コペンハーゲン的解釈を受け入れなかったシュレーディンガーが考えた批判だが、アインシュタインもシュレーディンガーと同じ立場で、彼も動物好きでタイガーという名の猫を飼っていたが、彼が最も愛した猫はシュレーディンガーの猫だと著者は言う。しかし、量子力学のコペンハーゲン的解釈はその後の実験をすべて説明でき、今のところそれに変わる解釈はないという。2014年にはメキシコの学者が、「自由落下する量子猫は足から着地するか」という挑発的なタイトルの論文を発表した。彼らは純粋に量子力学的な猫の落下について考察し、シュレーディンガーの猫状態、つまり上下正しい状態と上下逆さまの状態で同時に着地することを明らかにしたという。 猫好きなニュートンの逸話。ニュートンは親猫と子猫用に別々にドアに出入り口を作った。子猫は親用の孔から出入りしたという話だ。天才の浮世離れを示すエピソードとして伝えられているが、真偽のほどは不明とのこと。 我が家の猫で猫ひねりを直接観察したことはないのは残念だ。今月で18歳になり、体重が元気な時の半分以下になって衰えてしまい、獣医からもそろそろ寿命だと言われている猫で実験する気にはなれない。元気な頃だったらやってみたかったが。 多方面にわたる科学史。巻末に細かい横文字の参考文献が25ページもある。著者の博識と着想に驚く。面白い本。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 第三次世界大戦はもう始まっている | 著者 | エマニュエル・トッド、大野舞訳 | No | ||||||
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2022-13 | ||||||||||
発行所 | 文春文庫 | 発行年 | 2022年6月20日 | 読了年月日 | 2022-06-29 | 記入年月日 | 2022-07-18 | |||
刺激的な題。ネットの文春オンラインで本書の最初の部分がかなり詳しく紹介されていた。それで、すぐにアマゾンに注文した。帯には「米国は”支援”することでウクライナを”破壊”している」とあり、その下には「現代最高の知性が読み解くウクライナ戦争」とある。 著者はフランスの人類学者。ロシアのウクライナ侵攻に対する欧米流、つまり日本も同調している見方に真っ向反論する。ウクライナとそれを支援する欧米に厳しく、ロシアに甘い。しかし、こうした見方は私には新鮮であって、なるほどと納得する部分も少なくなかった。以下の4章からなる。多分2.と3.も収録だろう。それだけに威勢のいい過激で断定的なレトリックが至る所で飛び交う。 1.第三次世界大戦はもう始まっている 2022年3月23日収録 ロシアのウクライナ侵攻はNATOの東方進出に対抗して起こった。著者によれば、NATOは2000年代の初期に東方進出はしないとロシアに話していた。ウクライナはNATO非加盟だが、実質的には加盟国で、米英の後押しで軍事化を進めた。現在主として米英の軍事援助でロシアと戦っており、これは事実上第三次世界大戦ともいえる。 2014年のいわゆる「ユーロマイダン革命」でヤヌコヴィッチ政権を違法な手段で倒したクーデターを最も積極的に主導したのは、ウクライナの極右勢力である。当時のウクライナの人々でEU加盟を熱望していたのは、西部地域のごくわずかな人々に過ぎなかった。クリミアやドンバス地方のロシア系住民はこのクーデターを認めなかった。著者は「親EU派」と西側メディアが報じる勢力の実態は「ネオナチ」であると言う。 人類学者の立場から著者は言う:人種、言語、宗教以上にその社会のあり方を根底から規定しているのは家族であると。そして、ロシアは共同体家族で、結婚後も親と同居、親子関係は権威主義的、兄弟関係は平等の社会、一方、ウクライナは核家族で、結婚後は親から独立の社会。プーチンのような人物が権力の頂点にいるのは、ロシア社会が彼のような権威主義的な指導者を求めているからである。共産主義革命はこうした共同体社会に起こった。 核家族社会は欧米に見られる。自由主義的民主主義な社会を作る。しかし、民主主義の成立にはまず国家が建設されねばならない。民主主義は強い国家なしには機能しない。問題はウクライナに国家が存在しないことであると言う。 ソ連崩壊後、1990年代の危機を乗り越えて、ロシアは国家の再建に成功した。「国家に依拠する秩序」という伝統があったからだ。一方、ウクライナは独立して30年以上経過しても、十分に機能する国家を建設できていない。ウクライナには「国家」という伝統がなかったからだ。1991年にウクライナが独立したことは、モスクワとサンクトペテルブルクで進んでいる民主主義革命からウクライナが切り離されたことだ、と著者は言う。そのことを西側は見誤ったと。今回の戦争はウクライナの人々に、国家として生きることの意味を見いださせたと著者は言う。 ゼレンスキーが演説で繰り返し求めていることは、ヨーロッパを戦争に引き込むことである。 NATOと日米安保条約はドイツと日本という同盟国を守るためではない。アメリカの支配力を維持し、特にドイツと日本という重要な「保護領」を維持するためである。アメリカの「反ロシア」という立場に立つ動機の大部分も、ドイツと日本をロシアから遠ざけ、アメリカ側に引き留めるこのにある。 同盟から抜け出し、真の自律を得るための手段として日本は核を持つべきである。核を持つことは、母国フランスがそうであるように、攻撃的なナショナリズムの表明でも、パワーゲームのなかでの力の誇示でもない。むしろパワーゲームの埒外に自らをおくことを可能にするものだ。 ロシアの行動が許せないもので、アメリカを喜ばすために多少の制裁を加えるにしても、ロシアとの良好な関係を維持することは、あらゆる面で日本の国益にかなう。感情的にならざるを得ない状況でも、長期的国益をしっかりと見極めることが大切だと、本章を結んでいる。 2.「ウクライナ問題」をつくったのはロシアではなくEUだ 2017年3月初出 ウクライナ侵攻の5年前の記事。EUがウクライナを破壊したと。 ロシアは個人よりも集団が重視される、やや暴力的な国である。しかし、同時に現在のロシアは、その史上最も自由な国として存在している。一方ウクライナは国としては実質的に存在していなかった。共産主義の崩壊という大地震に際し、ゼロから国家を建設する必要があったが、それに完全に失敗した。ソ連崩壊後、ウクライナの人口は12.5%も減少した(2017年時点)。それは大規模な人口流出が起きたからである。そのほとんどが若者と高等教育を受けた人々であった。 ヨーロッパは、自由主義、資本主義、調和のとれた空間に別の国家を引き込むと言う、あのいつもの夢、意図をもって行動した。そして、もともと孵化する暇のないほどの緊張状態にあった国家を破壊してしまった。 3.「ロシア恐怖症」は米国の衰退の現れだ 2021年11月初出 アメリカ社会に対する批判。 2000年以降アメリカとロシアの乳幼児死亡率、自殺率を比較し2019年にはいずれもロシアの方が低くなっていることを示す。著者はここにロシア社会の復活とアメリカの社会システムの危機を見いだす。アメリカのロシア嫌いの背景にそうした物があると言う。根本原因として、冷戦時代にアメリカのシステムも内部崩壊していたと著者は言う。東西冷戦時代は実は米ソのシステムが補完し合っていた。それぞれの社会に於ける家族構造から由来するアメリカの自由と非平等、ロシアの権威と平等。これが世界的規模で対立しあうと同時に補完し合っていた。アメリカはロシアを成長へと向かわせ、ロシアはアメリカを平等へと向かわせた。アメリカの平等は白人同士における平等であって、黒人や先住民を、区別することによって成り立っていた。しかし、共産主義というライバルは黒人もまた平等に扱うことを強く迫った。そして、公民権法の制定を経て、黒人も平等になったが、それは白人の平等を打ち壊すことになった。 こうした点を総合して著者は冷戦はソ連という一国が敗北しアメリカ一国が勝利したのではなく、アメリカもまた敗北したという。 ソ連東欧圏の崩壊に繋がった東西格差には言及がない。 4.「ウクライナ戦争」の人類学 2022年4月20日収録 この戦争の今後の展開は見通しがたいとした上で、すでに世界戦争化し、事実上アメリカとロシアが衝突している以上、長期戦・持久戦となる可能性が高い。ロシアが今回制圧した領土から出ていくことはないだろう。すでに1万人ほどの犠牲者を払っているからだ。長期化はウクライナを破壊する。アメリカは支援することで、ウクライナを破壊している。戦争が終わった時点で、もし筆者がウクライナ人なら、アメリカに対して激しい憎悪をいだくだろう。アメリカは「血まみれの玩具のように」ウクライナを利用したことは、すでに明らかな歴史的事実だから。 これが本書の結びである。 今回の軍事侵攻に対するロシア側の立場、考えは一応理解できる。また、ロシア社会が、ソ連崩壊後、民主主義社会として成長していったことも認めるとしても、ウクライナへの軍事侵攻は断じて許されるものではない。 フランス人一般に見られるアメリカ嫌い、ドイツへの対抗心と言ったものが強く感じられる。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | ゼロからわかる中国神話・伝説 | 著者 | かみゆ歴史編集部 | No | ||||||
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2022-14 | ||||||||||
発行所 | イースト・プレス | 発行年 | 2019年8月 | 読了年月日 | 2022-07-04 | 記入年月日 | 2022-07-22 | |||
天為の有志会員で行っている「中国神話に遊ぶ」のテキストブック。取り上げられた人物について俳句を詠み、互選の他『天為』の共同選者である日原傅師の選がある。 参加者は30余名。取り上げられた人物について、一人2句毎月投句する。1月に4人の人物が取り上げられる。以前にはギリシャ神話がテキストで私も参加した。中国神話はギリシャ神話にくらべて体系化されていない。創世記神話に登場する神々、あるいは霊獣や邪神、妖怪など、ある時代には善良な神であり、またある時には邪悪な神だとされ、記述が矛盾することも多い。ギリシャ神話の方がなじみが深く、中国神話はほとんどなじみがなかった。本書では、神話と言われる部分はほんの一部で、歴史上の人物にむしろ重点が置かれる。殷の紂王から周の武王、孔子、始皇帝、項羽と虞美人、諸葛孔明、玄宗と楊貴妃、高長恭など。これはよく知られた人物で、作句もしやすかった。さらに伝奇編として西遊記や水滸伝に登場する人物など。 1人物について毎月60数句が投句される。その中から互選は1句。師の選が5句、うち特選1句。 昨年春から始まって、16回、今月の投句をもって終了した。私の特選句の中から一句を紹介 銀漢の岸で嫦娥に言い寄りぬ これは西遊記に登場する豚の妖怪、猪八戒を詠んだもの。元々が天の川を守る天界人であったが、猪八戒は好色漢で、ある時通りかかった月の女神嫦娥に戯れかかり、その罪で人間界に落とされてしまったという。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 言語学のすすめ | 著者 | 田中晴美他 | No | ||||||
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2022-15 | ||||||||||
発行所 | 大修館書店 | 発行年 | 1978年 | 読了年月日 | 2022-08-04 | 記入年月日 | 2022-08-12 | |||
もう40年近く前に買った本。もともと言葉への関心は深いのだが、当時、ニューズウィーク日本版の下訳をやっていたこともあって、言語についてもう少し知りたいと思い本書を手にしたのだろう。すこしはかじったが、網羅的で、専門用語がたくさん出て来て、途中でやめてしまった。今回『意味の深みへ』を読んでいて、この本のことが思い出され、読んだ。 筆者は7名、それだけ言語学と言っても専門分野が広いのだ。また、確立した定説といったものがなく、ある一つの考え方があると、それと違った見方があり、また例外も多い。本書は一つの説に偏ることなく、両方の説を説明するので、読む者にとっては戸惑う。記述は簡潔で網羅的。 第1章:言語の働きとその研究 恣意性:言語表現と意味内容の結びつきが因果関係によらず、言語ごとに定められており、それそれ偶然な結びつきと考えざるを得ない。 線条性と二重分節:言語およびそれに類する記号は、時間の流れに沿って一つ一つ並んで出てくるという特徴を備えている。この線条性に加えて、言語には分節性という特徴があり、これが人間の言語と大部分の動物の伝達とを区別する大きな違いになっている。人間の言語は媒体の一部を別の種類と置きかえてことなる意味内容を伝える。人間の言語は無限に近い組み合わせを有する。 「一郎は春子が好きだ」は「一郎は」「晴子が」「好きだ」とまず分けられるが、さらに「一郎」「は」というように分けられる。第二次分節の単位は、話し言葉では音声または音、書き言葉では文字と呼ばれ、第一次分節の語とくらべるとそれ自身に意味内容をもっていない。(ただし漢字のような表意文字は例外) 生産性と定式性:言語の一般的特徴は生産性である。これは特にチョムスキーたちの生々変形文法が強調してきたところである。つまり、分節性のおかげで、母国語の話し手は、自分がよく知っている要素をいろいろと組み合わせることによって。これまで自分が発したこともなく、他人が発したこともない文を生み出すことができる。反対に、聞き手はこれまで聞いたことのない文でも、その中に含まれている周知の要素を認め、その組み合わせ方を解釈することによって、意味内容を理解することができる。 経済性と余剰性:経済性とその反対の余剰性も言語の一般的特徴である。余剰性のない言語は理解するための緊張が強すぎて、神経は耐えられないと言われる。 言語の機能:最も本質的なものは伝達の機能である。 いろいろな変種:青森の津軽方言と鹿児島の薩摩方言の話し手が、本当にお互いに理解できるかどうかは疑わしい。世界の言語の数は3000または3500と言われているが、この言い方は不正確で、数え方次第ではその数は変動があると予測される。 歴史=比較言語学:19世紀の西欧の言語研究の主流をなしていたのは歴史=比較言語学である。その大きなきっかけとなったのは、古代インドのサンスクリット語がギリシャ・ラテン・ゴート・ケルト諸語などと密接な関係があり、もはや存在しない共通の祖語から分かれきたのではないかという、英国のウイリアム・ジョーンズの1786年の講演である。歴史=比較言語学の特徴は、言語の共時態と通時態を区別し、言語変化の諸相に注意を向け、その変化をそのまま記述して、そこに法則性を見出そうと努力したこと、変化の事実をそのまま記述して、そこに法則性を見出そうと努力し、その必然的な結果として資料と客観的な分析を重視する傾向になった。 第2章:言語の単位 分節性:分節性は人間の言語とその他のいろいろな記号体系を区別する重要な特徴の一つである。言語に単位と構造を認める点では多くの言語学者の意見は一致している。 単位の決め方:言語の単位は音声または文字と心的現象としての意味との微妙な融合の中で規定されるため、客観性において細胞や原子にはおよばないところがある。 文とは:プラトン、アリストテレス以来、主語と述語を文の不可欠の条件とする考え方が受け継がれてきた。 19世紀になって、言語学に於ける心理主義が勃興する。ことばを心理現象である内部言語形式の反映とみる。 語と音節:母音が中核になって、その前後に子音または半母音が付いている音の塊を音節(シラブル)と呼ぶ。例えば 天気はtenとkiと言う二つの要素からなっている。 日本語は音節言語と呼んでもいいくらいに音節がはっきりとした一単位を作っている。その音声表記をするものとしてカタカナ、ひらがながあり、音節の区切りを見つけるのが楽である。一つ一つの文字が一つの音節を作っている。例えば赤いはア、カ、イとカタカナで表すことができる。視覚に訴え理解を促す漢字という文字と、発音を表記し主として聴覚面と関係があるカタカナ、ひらがな文字をもっている日本語は、複雑であると同時に、便利な一面ももっている。 第3章:言語の構造 談話の構造:文法の歴史において、文が文法の最大の構造とされてきた。しかし、コミュニケーションが一つの文だけで終わることはない。いくつかの文を連続して話したり書いたりすることによって、コミュニケーションが行われる。このいくつかの文を一つのまとまり、すなわち談話という構造体として成り立つ要件は何かと問うことが、最近の言語研究の関心事となっている。人はすべての話、すべての文にまんべんなく注意を払っているわけではなく、首尾一貫性、そして予見性を期待しながら、要所要所に注意を払っている。それだけに談話には首尾一貫性が強く求められる。 文の構造:構造体としての文には階層構造が見られる。英語を例にその解説がなされる。 造語力:日本語とドイツ語は造語力に富むと言われる。日本語の場合、素朴な観念連合は和語による造語、複雑な観念連合は表意文字の漢字によってなされた。例えば「早く起きる」から「早起き」。また、水、水鳥、水圧、水力など。 日本語の複合語は二つの形態素の間の文法的関係を示す形態語が省略された並列形式になる傾向がある。例えば「サラリーマン」は「Salaried man」を比較すればわかる。あるいは「政府管掌健康保険」といった長い複合語を形成することができる。表意文字の漢字のおかげで、省略形だけでおよその意味が分かる。それどころか省略形を知っていてもその本当のことばを知らないことさえある。 辞書の意味記述:辞書の意味記述で、利用する者の立場から一番困るのは同語反復的な記述、 例えば 寒い:温度が低いのを体に感じる。ひややかである。 ひややか:冷たい状態 冷たい:温度が低くてひややかである 不足を補う一つの手段が、用例を示すこと。 分節音素:分節音素と考えられるものは単音である。単音には母音、子音、半母音の三つがある。母音は肺から気管を通って口に出てきた呼気が大きな妨害なしに発音される音。そして音節の中心となるもの。子音は口のどこかで大きな妨害を受け、肺から出た呼気が大幅に変化し、音となっていく。音節の中心とはなれない。半母音は調音の仕方は母音と同じだが、音節の中心とはなれない点で子音と同じである。 中国語や日本語はトーン言語であり、英語はトーンに代わるものとしてストレス(強勢)が使われている。 音節の構造:英語では音節の構造が複雑で、子音で終わることも多く、これが音声面で日本語との大きな差になっている。 第4章:言語の変化 変化するということ:例えば万葉末期の日本語が仮に当時の発音で読まれたとしても、現在の日本人にはだいたいの意味はわかるだろう。日本語の歴史は比較的ゆるやかな変化のつながりからなるのに対して、英語の歴史はローマ人・デンマーク人・ノルマン人など異民族の度重なる侵入もあって、何度も激変を経験している。 ことばは創り出されて固定しているものではなく、創り出す活動そのものに本質があると言う、例えばフンボルトのような言語観は、今日なお、言語学で主流をなしている。 語そのものの変化:新語を作るには何らかの既存の材料が使われるのが普通である。日本語では、漢語を組み合わせて作ることが多い。漢語のもつ造語性と簡潔性のためである。既存の材料を使わない新語創造はひじょうにまれである。nylon はその例である。ナイロン以後にあらわれた化学繊維にlon という語が多いのは類推による新語創造である。 日本語は非常に外来語の多い言語である。現代言語の語彙の60%を占めると言われる漢語の大部分ももとは外来語であった。戦後は特に英語からの外来語が多い。外来語の中には、カワラ、タバコ、キセル、カボチャ、カルタ、ジュバン、カッパのように固有語の中に定着して、外来語であったことを感じさせないものもある。ビール、ガラス、コップ、ボタン、ゴムなどのように生活に不可欠なものもある。英語も外来語の多い言語で、現代語の語彙の約60%がフランス語系の外来語。 意味と音の変化:意味の変化は一般に連想という心理作用によって生じる。例えば科学・技術。文明などの発達により、事物や概念もどんどん発達して行くが、それに対して新しいことばが創造されるより、既存のことばが適用されることのほうがはるかに多い。もとの意味を残したまま新しい意味が出現する。これが多義化である。 言語の比較:比較言語学あるいは比較文法と呼ぶのは、系統的関係を持つ言語を、厳密に規定した手順に従って比較することにより、その親近関係の程度を明らかにし、さらにその結果に基づいて、有史以前の段階まで発生的関係を究明しようとする研究である。 祖語の再建:19世紀後半にシュライヒャーが印欧祖語の再建を試みた。そして彼の系統樹説は印欧語が互いにどのような親近関係にあるかを説明した。 特に印欧祖語の最も多くの素材を提供しているのはサンスクリット語とギリシャ語で、印欧祖語の母音体系はギリシャ語、子音体系はサンスクリット語に基づいている。 語族:系統的関係を基準にして分類した結果が語族である。真の意味で語族と呼べるのは印欧語族だけといってよい。 日本語は琉球語と同系であると認められているだけで、アルタイ語系とマライ=ポリネシア語族など南方系との二説が常に対立して行われ、結論は出ていない。 19世紀の類型論: 1)孤立型:語は実質的意味のみを示し文法的機能は語の位置によって示される。中国語がその典型。 2)膠着型:すべての文法的関係は接尾辞、すなわち語の辞書的構成部分である語根の後に付加される記号によって示される。その典型はトルコ語である。 3)屈折型:語の実質的な意味を表す部分と文法的な意味を表す部分が分離できないほど緊密に結合しており、語形そのものが文中における文法的機能を果たす。ラテン語がその例。 4)抱合型:文を構成するすべての要素が、緊密に結合して一つの全体をなし、文全体が一語のような感をあたえる。グリーンランド語。 音韻類型:日本語は5母音体系。スペイン語も5母音体系。 高低アクセントは中国語、日本語、スエーデン語 強弱アクセントは英語、スペイン語、ロシア語 統語類型論:SVO型 英語、フランス語など。 SOV型 日本語、ラテン語など VSO型 ケルト語、古ノルド語など 第5章:言語と文字 文字の成立:ことばが人間にとって本性的・自然的であるなら、文字はことばの上に二次的・人工的に作り出された文化である。文字の起源は、人間のシンボル行動に基づく記号化にあって、文字に先行する原始形態は絵の記号化であった。 世界最古の文字は、エジプトの聖刻文字など、紀元前3000年の古代オリエントの文字であるが、それを遡ること1万年、フランスで発見された牛骨に刻まれた諸記号は文字の先史形態ではないかと言われている。 文字が社会的に存在できるには、それを利用する国家権力の成立が前提にある。 漢字が紀元前500年頃までには現在のような形をとって成立し、まず、1世紀には整理体系化され、5世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島に導入され、やがて500年後にはかなとなって花開いた。 ことばによって経験・知識が伝達され、文字によって記録化され、歴史を持つことができた。 社会的機能:ことばのもつ一回性は、文字では恒久化される。文字は言葉の持つ時間的・空間的な制約を脱して、伝達を普遍化する。 文字の成立から見ると、その領域を特定の知識階層間での共通語とし、一般に日常生活で使用される音声言語とは隔絶していたであろう。その隔絶ゆえに知識は独占され、それを習得し使用することが強要された。 文字言語は、文を創り出す場であると同時に、創り出された文の表現の蓄積である。文字言語はこのような創造性ゆえに、文学・学問の言語を創り出す。書物はその形の現れである。 字母と字:日本の仮名は純粋な音節文字として有名である。 漢字は全部で4万字くらいあると言われている。その構成法を見ると、基本的には日月山川など具体的なものをかたどった象形、一、二、十、中など抽象的な事物を表す指事(象事)がある。さらに既成のそれらを組み合わせる会意と形声とがある。形声による構成法が漢字の大半を占める。例えば梅鶏銅花糖河江など。 部首はおよそ180ほど。「文」はもともと衣服の胸合わせの飾りを象形したもの。 文字:文字が文のレベルで一つの顕著な現象を示すものに、書く方向の問題がある。セム文字では右から左へ。漢字の縦書きは右から左ヘ行を追う。モンゴル文字は縦書きで行は左から右へ流れる。 世界の文字:世界の言語は3千種以上と言われるが、文字の種類は約400と言われる。 言語の系統と文字の系統は別物である。 文字を伝播させるのは宗教の言語によるところが大きい。 第6章:言語と社会 方言:長い歴史を持つ言語は変化を受けやすい。それゆえ、イギリスや日本の方がアメリカより地域的方言が多い。イギリスでは300以上の方言が分類されている。 アメリカでは日本のような標準語はなく、中西部の方言で一般米語と言うことばが放送によく使われる。アメリカの場合、地域的な方言に対してはあるがままを受け入れるという寛容な態度が一般にあるように思われる。 二層言語:スイスのドイツ語使用地域では、標準ドイツ語とスイスドイツ語が使い分けられている。 日本語教育:英語と日本語では、母音・子音の数が日本語の方がはるかに少ないと言うことから、英語を母国語として話す人は、音声面では早く日本語を習得するが、意味の理科には大変な困難がある。 第7章:言語と文化 文化:言語は文化である。言語は文化の諸構成要素の一つである。同時に、文化の他の要素はすべて言語によって伝えられ、発展させられる。 文化圏を考える時に、鍵となるのは文字と宗教であろう。 文化の進歩発展は、その社会の構成員の創造力によるところはもちろんであるが、他の文化との交流に大きく依存している。日本文化はきわめて貪欲かつ消化力旺盛な文化の一つに違いない。 民族と人種:一般に民族は文化的特質に基づく分類で、人種は身体的特質を基準にする分類とされる。 国家:国家とは通例、国民・領土・統治組織の三要素を備えた政治的集団と規定される。国家の最も基本的な性格が、その権力機構――領土内にける排他的で絶対的な支配権(主権)に集約される――にあるとするならば、国家と言語・民族・人種とが互いに必然的なつながりのないことは明らかであろう。自国語を国語と呼ぶのは日本の他数国、韓国、北朝鮮ぐらいである。ヨーロッパのほとんどすべての国が多言語使用国である。例えば人口1750万人のルーマニアは15以上の言語を母語とする。 言語の相対性と普遍性:相対性を主張する人々は、人間が現実世界を分節して、経験をまとめるのは言語によってである。言語ごとにその仕方は違っており、言語が違えば認識思考世界像も違う。これに対して普遍性を主張する立場は、個々の言語の間には形式の上で大きな差異があっても、人間は普遍的な論理を共有しており、その認識にも基本的な共通性がある、言語自身にも、個別言語の固有な文法を超えたところに、普遍文法というべきものが存在する。この二つの立場は哲学における経験論と合理論を基礎においている。 命名:この世の森羅万象は渾沌とした連続体であり、それに一定の仕方で秩序を与えることが命名である。それは、全体として体系的な一つの世界像を創る作業である。 普遍性:言語の普遍性、さらには文化の普遍性を想定する事実として、人間が互いに異なる言語を習得することができること、また大変な困難が伴うが異なる文化特性を理解することができることが指摘できる。 もの言わぬ文化ともの言う文化:言霊思想に共通するのは言語によって現実が変えられると信じることである。そこから、めったにものを言わぬ方が良いと言う方向に進んだのが日本人、だからこそ大いにものを言うべしという態度をとったのが英国民。 読む文化と話す文化:日本人が漢字を取り入れるにあたって用いた独特の方法により、世界でもユニークな文字文化を創造した。その現れとして日本語がいわは「読む文化」の特徴を示す。ことば=音声言語というのが英国民の実感とすれば、日本人には文字すなわちことばと言えなくもない。 翻訳:大和ことばといわれる語彙がさほど豊かだったとは思われない日本語は、自らを漢字を犠牲にすることによって文字を獲得し、漢字の造語力を身につけ、その不足を補った。近代西欧の新しい語彙が大々的に日本語に取り入れられたのも漢字の表現力を媒介にしていたからである。したがって、翻訳は双方の対等な表現力をふまえて成立するものとみられる。 翻訳は、言語間における語彙の同義性が前提となっており、その土台の上に対等の表現を求め、それを創意工夫する営みである。 第8章:言語と文学 言語作品:ことばを媒体とする芸術である文学も何らかの感動を与えるのであるが、ことばという媒体の性質上、感動に思想性が加わる。これが同じ芸術でありながら、文学を絵画や彫刻のような造形芸術、あるいは音楽から区別する重要な点。 第9章:言語と心理 連想と比喩:連想が大勢の人たちの共感を得、言語的に定着した場合、比喩が生まれる。 命名の心理:事物は、命名されることにより単なる客体的・自然存在論的な事物ではなく、私たち人間世界の一環としての事物となる。その名は事物に対し必然的関係・運命論的関係にあるわけではない。ところが私たちは、両者の間に必然的な関係があるように思い違いをし、名を知ればそれによって事物を知り、事物を支配できるとさえ錯覚することがある。また、名を避けることによって、事物そのものを避けることができると錯覚する。 言語によらない思考:言語と思考の関係については古くから一元論的立場と、二元論的立場がある。一元論は、言語と思考の機能および目的が基本的に同一であり、異なるのは一方が外面的、他方が内面的であることだけだとする。二元論的立場は両活動が原理的にまったく別個のものであり、それぞれに独自の構造法則・発達法則をもつとする。 本書は言語によらない思考として音楽の作曲、将棋やチェスのサイの思考をあげ、一元論に否定的に見えるが、範疇的整序・判断・決断・抽象化などの思考分野においては、言語が思考をうながしたり、明確化したりする大きな力になっているとする。思考は言語によって表されるのではなく、言語を通して生まれてくると言ってもよいとする。 幼児の言語獲得:習慣形成説と生得能力説がある。前者はすべて後天的に周囲の大人たちの環境からの刺激の繰り返しにより達成されたものとする。後者は共通の言語適性能力が先天的に備わり、後天的に獲得しなければならないのは各言語のに固有の特徴だけだとする。後者の代表はチョムスキーで、彼により習慣形成説は完全に否定されたかに見えるが、それは思い過ごしであると本書は言う。真に先天的にそなわったものがなんであるかはまだ結論が出ていない。 幼児においては、基本的な文法と発音が大人のものとほとんど変わらなくなるのは、5才から遅くとも6才前、以後は子供の経験の幅が広がるにつれて、語彙の数が増すだけである。 意味の認知と深層構造:文の認知、特に意味の認知にとっては、表層構造以上に深層構造が重要であることがいろいろな実験を通じて確証されつつある。 第10章:言語の論理と数理 あいまい性:私たちは様々なあいまい性を秘めた言語を用いて認識活動やコミュニケーション活動を行っている。したがって、明晰性を旨とする科学的認識や哲学的認識にとっては、言語は極めて不十分な認識手段、記述手段である。 哲学的意味論:科学認識や哲学的認識には、すこしのあいまい性も、現実世界のコンテクストによる支えも許さない、純粋な論理性・厳密性が必要である。自然言語はこのような要求に耐えうるものではなく、それどころか、そのあいまい性が、思想のあいまい性と難解性を生み出しさえする。さらに悪いことに、そのあいまい性と難解性を、思想そのものの深遠性であると錯覚する傾向さえ生み出しかねない。「無は自らを無化する」(ハイデガー)、「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」(ヘーゲル)といった表現には何か深遠な真理が含まれていてそうで、その実その内容はほとんど明らかでない。科学的認識、哲学的認識の為には、何よりも明晰性が第一義であり、一語一義、一義一語であるばかりでなく、統合関係にもあいまい性を残さないような言語が必要となってくる。こうした目的からいわゆるメタ言語が開発された。 機械翻訳:比較的操作の単純な言語における統計処理と対照的なのが、機械翻訳で、言語学者のはかない夢に終わるかもしれないと言われている。語彙の多義性、慣用句を含めた連語の意味、言語間の文型の非対応性、その他多くの問題が解決されない限り実用に耐えうる仕事を果たす見込みは薄い。 回り道ではあるが、生成変形文法の影響で出て来た「文法テスタ-」としての電算機の利用は、第一言語の文法規則をプログラム化し、それに限られた語彙を入力して、その出力である文の文法を判定し、結果に応じて文法規則を補足修正するというもので、当該二言語のかなりの適切な文法規則ができれば、両者の共通項を求めて機械翻訳の理念に少しでも近づくことが可能かもしれない。いずれにせよ、実用への道がほど遠いと言うことだけは、残念ながら確実のようである。 文章が冗長なところが多いと感じた。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 歴史とは何か 新版 | 著者 | E.Hカー、近藤和彦訳 | No | ||||||
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2022-16 | ||||||||||
発行所 | 岩波書店 | 発行年 | 2022年5月 | 読了年月日 | 2022-09-04 | 記入年月日 | 2022-09-24 | |||
ネット俳句仲間の吉野さんから勧められた。本書の名は若い頃耳にしたことがある。今回新訳が出たとのこと。 著者はイギリスの歴史学者。本書はケインブリッジ大学における1961年の6回の連続講義をもとに作られたもの。ソフトカバー四六版、年表、自伝、解説を含め370ページあまりの本。 専門はソビエト革命史と言うが、引用されている歴史的事項は多彩、広範囲でその博識振りに感嘆する。もっとも、アジアの歴史に対する視点はほぼ欠落しているが。 第一講 歴史家とその事実 かつて事実はみずから語ると申しましたが、これは、もちろん偽りです。事実が語るのは、歴史家が声をかけてときのみです。どんな事実に発言権を与えるのか、どんな順序で、どんな文脈で発言させるのを決めるのは歴史家です。(p12) 歴史家の解釈とは別に、歴史的事実のかたい芯が客観的に独立して存在するといった信念は、途方もない誤謬です。(p12) 「歴史とは何か」というこの難問に対する出来あいの答えは、事実と史実のなかには用意されていません。(p25) ……歴史の本質は過去を現在の目で見ること、現在の諸問題に照らして見ることであり、また歴史家の主なる仕事は記録でなく評価することである……(p28) 第二講 社会と個人 ……単純な社会は、複合的で先進的な社会に比べて、個人の技能や職業について必要とする多様性の幅がはるかに小さいということです。その意味での個性化の増進は、近代の先進社会が必然的に産み出したものであり……(p47) 生物的な差異にもとづく国民性といったかつての考え方は破綻して久しいものです。しかし、社会や教育の国民的な背景の違いに由来する国民性の違いについては、否定しがたいものがあります。(p47) 一九世紀にはイギリスの歴史家はほとんど例外なく、歴史の流れは進歩の原理を証明すると考えていました。…………トインビーは定向進化の歴史観にとって代わるべき循環論の歴史に決死で取り組みましたが、これは衰退局面にある社会の特徴的なイデオロギーです。(p64) 歴史家は一個人ですが、歴史の産物、社会の産物でもあります。(p67) 時代の偉人とは、時代の意志を言葉にできる者、時代にその意志は何かを告げ、それを実現できる者のことである。偉人のなすことはその時代の心であり本質である。偉人はその時代を現実にする。(p84)。これはヘーゲルの言ったことであるが著者は全面的に賛同している。 ……クロムウェルやレーニンのように偉大さにいたる諸力をみずから練りあげた人の創造力の方が、ナポレオンやビスマルクのように既存の諸力の背に乗って偉大さへと挙がり詰めた人の創造力よりも、高次のものがあったのではないでしょうか。(p85) ブルクハルトの言では、歴史とは「ある時代が別の時代において、これは注目に値すると見なしたものの記録」であります。(p86)。この後に冒頭の帯の一文が続く。 第三講 歴史・科学・倫理 ……ダーウイン革命の本当のポイントは、地質学でC.ライエルがすでに始めていたことですが、科学に歴史をもちこんだことです。(p90) 原子核物理学者のラザフォードは基本法則を用いて理論的な説明をすると言った古典的なやり方ではなく、何が起こっているのかが分かれば良かったと述べた後で: このことは歴史家にもピタリと当てはまります.歴史家はすでに基本法則を追い求めることは断念すていますし、ことがどう動くのかを究明できれば十分です。(p95) 仮説は思考の道具として必要不可欠であると述べた後で: 歴史を時代に分けるのは事実ではなく、必要な仮説あるいは道具です。それが有効なのはことに光をあてるかぎりで、解釈に有効かどうかにかかっています。中世はいつ終わったのかという点で意見を異にする歴史家は、何かの出来事の解釈が異なるのです。(p96) ……歴史家はユニークなこと自体に興味関心があるのではなく、」ユニークのなかの一般性に興味関心があるのです。(p101) 一般化は歴史とは異質で馴染まないというのは、ナンセンスです。歴史は一般化によって育ち栄えるのです。(p104) 一般化の本当のポイントは、一般化によって歴史から学び、一連の事象の教訓を次の一連の事象に応用しとうと試みることです。(p107) 歴史を意識している人々のあいだで歴史がめったにくりかえさない理由の一つは、登場人物たちが二回目の演技にあたって一回目の公演の大団円のことを意識して、それにより行動が影響を受けるからです。(歴史は繰り返すとはよく耳にする言葉だが、著者はそれを認めていない).ロシア革命においてボリシェヴィキはフランス革命がナポレオンの軍事独裁に結着したことをよく知っていて、ロシア革命も同じような結着にならないかと恐れていました。だからこそボリシェヴィキは、党の指導者のなかで、一番ナポレオンに似ていたトロツキーに不信をいだき、ナポレオンのイメージから一番遠いスターリンに信をおいたのです。(p114) 今日では、歴史家が話題にしている人物の私生活について倫理的判断をくだす必要はないということは、論じるまでもないでしょう。(p121)。 ……個人の行状を倫理的に賞賛するのは、個人の行状を倫理的に非難するのと同じくらい過ちをまねき、有害です。(p128) ……歴史的事実は一定の解釈を前提にしており、歴史解釈はつねに倫理的判断をともないます。(p128) 「ある者の善は他の者の犠牲を正当化する」という命題は、あらゆる政治に内在していて、また保守的で同時にラディカルな原理です。(p129) 一九世紀の西洋諸国民によるアジア・アフリカの植民地化を容認した上で:……近代インドはイギリス統治の産んだ子であり、近代中国は一九世紀西洋帝国主義が産み、ロシア革命の影響が交配した産物であると語られています。(132) ……歴史的行為を裁く抽象的で超歴史的な基準といったものを打ち立てるのは不可能だということです。(p135) 自分の価値観が歴史をこえた客観性を有するなどとは申しません。自身の信念、みずからの判断基準といったものは歴史の一部分であり、人間の行動の他の局面と同様に、歴史的研究の対象となりえます。(137) 第四講 歴史における因果関連 歴史の研究とは原因の研究です。(p143) あらゆる歴史学の論争は、諸原因の優先順位いかんをめぐって転回しているのです。(p148) ……歴史家は人間の行動には諸原因があって、それは原則的に確定できると考えています。……こうした諸原因を究明することが歴史家の特別の職務です。(p158) 以上のような考えに対する有力な反論として、著者は「歴史とは多かれ少なかれ不測の事態のつらなる一章であり、巡りあわせによって生じた事象であり、歴史はその場かぎりの原因だけに帰することができる、といった考え方です」と述べる。(p162)。その例として「クレオパトラの鼻」をあげる。「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていただろう」というパスカルの言のこと。 著者は特に20世紀に入って特にこの考え方が浸透しているとし、それに対する反論を長々と展開する。論旨を十分には理解できないが、結論として:……そうした不測の事態は偶発的であるかぎり、歴史の合理的な解釈に入りこめないし、歴史家による重要な諸原因の上下秩序のなかに占める席もないのです。(p172) 合理的原因のほうは、他の国、他の時代、他の諸条件にも応用可能で、実のある一般化にいたり、教訓を学べるでしょう。わたしたちの理解を広げ深めるという目的に資するものです。偶発的原因のほうは一般化できません。その語の完全な意味で独特ですから、教訓をもたらさず、いかなる結論にもいたりません。(p178) 第五講 進歩としての歴史 古典古代の著者たちは、全体的に、過去にも未来にも関心をもっていませんでした。トゥキュディデスが確信していたのは、彼の叙述した事象より前にはなにも重要なことは生起せず、またその後にもなにも重要なことは生起しそうもない、ということでした。(p184) ユダヤ教徒、またその後のキリスト教徒が、歴史のプロセスの行く先のゴールを前提とすることによって、まったく新しい要素、すなわち歴史における目的論をもちこんだのでした。こうして歴史は意味と目的を獲得しましたが、その代償に世俗性を失いました。(p186) 一八世紀啓蒙合理主義者になると、……ユダヤ=キリスト教徒的な目的論の見方を保ちながらも、そのゴールの宗教性をとり除きました。そうすることによって歴史プロセス自体の合理性を回復することが可能となったのです。歴史は、地上における人間の状態の完成というゴールに向かう進歩となりました。(p186) 歴史とは、習得した技能を世代から世代へと伝承することによる進歩なのです。 ……進歩には定まった始点と終点がある考える必要はないし、またそう考えてはならないということです。(p193)こう述べた後で、文明は紀元前四〇〇〇年にナイル川流域で始まったという説を否定する。むしろ無限にゆっくりとした発達プロセスで、そこに時折めざましい飛躍が起きるという。 歴史のなかでわたしたちが目にする進歩はどんなものでも、たしかに時間的にも場所的にも不連続なのです。(p169) 二〇世紀は物質的蓄積、科学的蓄積、環境制御技術の蓄積で進歩があったとした上で:問われているのは、はたして二〇世紀に社会秩序における進歩があったのか、国内的・国際的な社会環境の制御力は進歩したのか、じつは明らかな退歩があったのではないかということです。社会的存在としての人間の進化は、技術の進歩にくれべて致命的に遅れているのではないでしょうか。(p199) 過去が未来を照らし、未来が過去を照らすというのは、歴史の正当性の根拠であり、同時に歴史の真相であります。(p207) ……経済的・社会的な歴史解釈のほうが、ただ政治的なだけの解釈よりは、歴史学のもっと進んだ段階を表現していると言えるのです。(p209) 歴史家が多少とも関心をもつのは、勝者であれ敗者であれ,なにかを成し遂げた者です。(p213) 歴史とは本質的に変化であり、運動であり、進歩なのです。(p222) 未来に向けて進歩する能力に自信をもてなくなった社会は,過去における社会の進歩に着いての関心もすみやかに失うでしょう。(p223) 第六講 地平の広がり 二〇世紀半ばの世界は、かつて一五・一六世紀に中世世界が粉々に解体し,近代世界の基礎が据えられて以来なかったほどのに深く,徹底的な変化のプロセスにあります。この変化は疑いもなく、究極的には科学革命の発明の結果であり、そのますます広汎な応用の結果であり,その直接・間接の展開の結果であります。この変化のうちでも一番顕著なのは社会革命ですが、これと比肩できるのは、かつて一五・一六世紀に金融や商業に基礎をもつ新階級が,後の世紀には工業に基礎をもつ新階級が興隆して権力をとり新時代を切り開いた社会革命くらいのものです。(p226) アメリカ革命について:史上初めて人間が熟慮のうえ意識的にみずからを一つの国民として形成し,さらに意識的に熟慮のうえ、他の人間をも国民へと練りあげるべく始動したのです。(p229) ヘーゲルがフランス革命の哲学者であったことは揺るがず,彼は歴史的変化のなか、そして人の自己意識の発展のなかに,現実のエッセンスを見た最初の哲学者です。歴史における発展とは,自由の概念に向けての発展のことでした。(p230) マルクスにおいては歴史とは三つのことを意味していたと述べ:その第一は、まずなにより経済的な客観法則に適合する事象の動きであり、第二に、それの呼応する思想の弁証法的なプロセスを通じての発達であり,第三に,それに呼応して階級闘争という形をとる行動で、これが革命の理論と実践を融和させ結びつけます。(p231) 「哲学者は世の中をさまざまに解釈してきたにすぎない。しかし大事なのは,世の中を変えることなのだ」というマルクスの言が引用されている。(p232) もう一人の偉大な思想家で、わたしたちの時代の理性に新鮮な次元を加えたのは、S・フロイト(一八五六ー一九三九)です。中略 フロイトは社会的存在ではなく生物的存在として人間にアプローチし、社会環境は歴史的な与件と見なす傾向がありました。社会的環境が人間自身によって創られ変形される不断のプロセスにあるとは見なさなかったのです。(p234) 今日、……ロシア革命から四〇年あまり、世界大不況からは三〇年ですが、……かつての客観的な経済法則――これは合理的とされていましたが、人間の制御のおよばないものでした――への服従から,人間には意識的な行動により自分の経済的運命を制御する能力があるという信念へと移行したのですが、これは、理性の人間社会のもろもろへの適用における前進を象徴している思われます。(p239) 産業革命の一番広汎におよんだ社会的影響は,考えること,理性を使うことを身につける人の数がますます増加したことかもしれません。(p241) また科学者のなかには,ご自分が原子力エネルギーを解放する方法を発見したことを,その破局的な利用が可能となり,実際に用いられたのを理由に深く悔いる人もいます。こうした反対意見が,新しい発明や発見の前進をはばむだけの効果は過去にもなかったし,将来にもないでしょう。(p246) 他のすべての歴史的な大前進と同じように,理性の前進にも支払うべきコストや犠牲があり,直面すべき危険があります。……にもかかわらず、わたしはあえて理性の前進が歴史における進歩の徴であると見なします。(p247) ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 秋津島逍遥 | 著者 | 伊藤高甫 | No | ||||||
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2022-17 | ||||||||||
発行所 | 発行年 | 令和三年十二月 | 読了年月日 | 2022-09-06 | 記入年月日 | 2022-09-06 | ||||
『天為』同人の伊藤さんから贈られてきた。宇都宮在住の伊藤さんとは面識はない。伊藤さんは『天為』のメール句会「中国神話に遊ぶ」に参加されていて、私のことをそこで知ったのだろう。同人名簿を見て私の所にも送ってきたのだ。ボックスに入った立派なハードカバーの句集。 巻末の詳しい経歴を見ると、私より2歳下。俳句を始めたのは私より20年早い。 著者は定年後北海道から沖縄まで全国を徒歩旅行した。その際の旅吟を「につぽんれつとう膝栗毛」として句集の第一部とし、168句が収められる。句集の題はそれにちなんでいる。第一部の句は詠まれた場所が前書きとして示されている。 第二部は「俳歴編」として532句。合計702句という、句数の多い句集である。岸本尚毅が心のこもった長い序文を書いている。そして、俳句になじみのない読者のためにといって、巻末に句の背景、季語や用語の説明がぎっしりと記載されている。 著者は、本書が初句集であるが、これまでにもいろいろなところに寄稿している。『天為』の懸賞評論にも何編か入選している。 定年後の徒歩旅行という点では私の趣味も共通するので、共感するところが多かった。 以下特に目についた句。 人が問はば露を褥と答ふべし 「妻へ(宇都宮)」と前書きがついた冒頭の句。 若布刈る阿吽の呼吸夫婦船 この先は海に落つだけ青岬 愛鷹山を台となして初秋富士 次郎長の生家秋気張りつめる 竜宮の秋も斯ばかり厳島 菅公の梅にもひとつ返り花 冬の鳶風をはらみて流されず ひめゆりの化身か壕の冬すみれ 合掌の十指に汗す爆心地 端居せるやう人影の石のかげ 男体山の脂粉か塔に風花す お骨中接骨ボルト冴返る 落款を地に押す如く熟柿落つ 空蝉の背なの一太刀真一文字 金雀枝の咲いて埋みぬ足尾谷 両の掌で掬ふが至福山清水 鮟鱇を布地と捌く手練かな うるみ目の阿修羅がつくる春愁 倒れしも睨みを解かぬ案山子かな 火に声といふものありて野火哮る 舁き手より謁く蟻嬉々と蟻御輿 妻を描き征きて還らず巡る春 青蛙鳥獣戯画のわくわく度 白帝城辞さば波頭は朝焼す 悟りとはげにも涼しげ運慶仏 蕪村の詩和漢交響春の風 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 銃・病原菌・鉄(上) | 著者 | ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰 訳 | No | ||||||
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2022-18 | ||||||||||
発行所 | 草思社文庫 | 発行年 | 2022年 | 読了年月日 | 2022-10-27 | 記入年月日 | 2022-11-25 | |||
帯に「東大生協第1位!」とある。2020年の文庫本売り上げランキングだ。 著者の経歴は、生理学者、進化生物学者、生物地理学者とある。 1972年、ニューギニアでであった現地人から「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」という疑問をぶつけられる。本書は25年の歳月の後に著者がこの疑問に答えるかたちで一応の結論を出したものだ。 「人類社会の歴史は世界のさまざまな場所でそれぞれに異なった発展をとげてきた。世界には氷河期が終わってからの一万三千年間に、文字を持ち、金属製の道具を使い、産業を発展させた社会が生まれた地域がある。文字をもたない農耕社会しか登場しなかった地域もある。また、石器を使って狩猟採集生活を送る社会がずっとつづいていた地域もある。中略 こうした地域間の差異は人類史を形作る根本的な事実であるが、なぜそのような差異が生まれたのかという理由については、いまだに明らかになっておらず・・・」 この疑問に対する一つの答えは、人種の差異に求めるものだ。著者はこの見方をきっぱりと否定する。ニューギニアの現地人はヨーロッパ人に決して劣らないという。 もう一つの答えとして、特に北ヨーロッパの人の間で一般的である、寒さの厳しい気候は、創造力やものつくりのエネルギーを刺激するが、蒸し暑い熱帯の気候は刺激しないというものだ。私も以前、ヨーロッパの長く暗い冬の夜が、人々の心を自からの心の内に向け、それが科学技術を生み出したというエッセイを書いた。著者は、この考えにも同意しない。 本書の表題「銃・病原菌・鉄」はこうした差異をもたらした具体的なものを代表としてあげたものだ。しかし、これらのものの背後にあるのは、人々が住む土地の大きな意味での生態系あるいは地理的条件であるというのが本書を下巻まで読み通した結論だ。 人類は狩猟採集の生活から農耕の生活へと進んでいく。農耕がもたらす定住と余剰食糧が人口増を呼び、それが社会と言われる集団に発展し、文字が発明され国家を形成する。こうしてみると、基本にあるのは農耕の技を獲得できたかが人々のその後の集団の運命を決める。では、農耕を可能にしたものは何か。それは気候条件であり、さらに大切なことは身近に栽培可能な植物があったかどうかであり、家畜化可能な動物がいたかどうかであると著者は言う。古代文明の発祥地であるメソポタミアの肥沃三日月地帯、中国などはこの条件に合っていたが、人類の発祥地であるアフリカでは、栽培化可能な植物に恵まれなかったし、また家畜可能な動物もいなかった。 世界の 限られたところで発祥した農耕は伝播で周辺へ広がる。メソポタミアからはユーラシア大陸へ。伝播は地理的な要因が大きく影響する。サハラ以南のアフリカ、ニューギニア、オーストラリアなどにはユーラシア大陸のようには伝播しなかった。 本書の初めの方、第3章ではスペインによるインカ帝国の征服が、銃・病原菌・鉄の具体的例として詳しく述べられている。その歴史的経過は本書で初めて知った。 肥沃三日月地帯の農業は8種の「起源作物」の栽培とともに始まった。エンマーコムギ、ヒトツブコムギ、大麦、ヒラマメ、エンドウ、ヒヨコマメ、オオヤハズエンドウ、亜麻である。このうち肥沃三日月地帯以外にあったのは大麦と亜麻だけである(p257)。 家畜化について:大型草食哺乳動物148種のうち家畜化されたのは14種のみである。主な5種は羊、山羊、牛、豚、馬である。家畜化がうまく行かなかった動物の問題点は何か。著者は6つの問題を指摘する。餌:餌の効率の悪いものは不適、成長速度:遅いものは不適、繁殖上の問題:人間の前ではセックスを好まない動物がいる、気性の問題:熊のように人を殺しかねない動物がいる、パニックになりやすい性格:神経質で危険を感じると一目散に逃げる例えば鹿、序列性ある集団を形成しない問題:自分だけの縄張りを持ち単独行動するので集団飼育できない。 伝播の問題:ユーラシア大陸は横方向に広がる同緯度地帯であり、また大きな地形的障害もない。したがって農耕技術の伝播に有利である。一方アフリカ大陸や南北アメリカ大陸は南北に広がり、北と南では気候が違う。さらにアフリカの密林、アメリカ大陸ではパナマあたりの地峡が交流の障害となり、技術が伝わらなかった。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 銃・病原菌・鉄(下) | 著者 | ジャレド・ダイアモンド、倉骨彰 訳 | No | ||||||
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2022-19 | ||||||||||
発行所 | 草思社文庫 | 発行年 | 2022年 | 読了年月日 | 2022-11-21 | 記入年月日 | 2022-11-26 | |||
下巻は上巻に続き、さらに細かい事項について記述される。文字の発明、社会形態の発展、技術の発展、そしてオーストラリア、ニューギニア、中国、アフリカなどの地域の特性とその発展などが述べられる。 文字の発明に関する記述がわかりやすい。『言語学のすすめ』にもこのような説明はなかった。「・・・区切りのない音の連続的なつながりに聞こえる発話を文字で表すためには、その発話を記述可能な単位要素の並びにまで分解できなければならない。表記対象が音素であれ、音節であれ、あるいは単語であれ、この過程を省略して、発話を表記できる文字システムを作りだすことはできない。・・・そのうえで単位要素として取りだされた音を記号で表す方法を考案しなければならなかったのである。・・・・歴史的に見て、文字システムの発明が数えるほどしかなかったという事実は、この作業がいかにむすかしいものであったかを示唆している。歴史上、独自に発明された文字システムとして誰もが認めている例は、メソポタミア地方のシュメール人が紀元前3000年頃に作りだしたものや、紀元前600年頃にメキシコ先住民がつくりだしたものである。また、紀元前3000年頃にエジプト人が作りだしたものや、紀元前1300年頃に中国人が作りだしたものも独自に考案された文字システムと推測される。」(p19~20)。 中米と西ユーラシアの文字が、基本的に似たような原則にしたがって構成されていることは、人間の創造性が世界共通であることを裏付ける証拠である。(p28) 文字の発達には、いくつかの社会的要素が不可欠であった。文字が使用されるようになるためには、その社会にとって文字が有用でなければならない。文字の読み書きを専門とする人びと(書記)を食べさせていけるだけの生産性のある社会でなければならない。(p39) 文字システムは、「実体の模倣」か「アイディアの模倣」のいずれかによって一つの社会から別の社会へと広がっていった。誰かが何かを発明したとき、それがうまくはたらいていることを知っている人が、わざわざ自分で似たようなものを独自に作りだそうとするだろうか。技術や概念といったものは、「実体の模倣」か「アイディアの模倣」で伝播するのがふつうである。(p30) 世界に何種類もあるアルファベット文字も、おおもとの発明は一度だけで、残りはすべて模倣であると思われる。・・・最初のアルファベット文字は、紀元前2000年から紀元前1000年のあいだに、現代のシリアからシナイ半島あたりに暮らしていたセム語を話す人びとのあいだで誕生している。(p33~34)。 シュメール、メキシコ、中国、エジプトといった、独自に文字を作りだしたと思われる社会も、クレタ、イラン、トルコ、インダス渓谷、マヤ地方のように、文字を早いうちに取り入れた社会も、複雑で集権化され社会であり、階層的な分化の進んだ社会であった。納税の記録を示したり、国王の布告を表した初期の文字は、そうした社会体系のもとで必要とされた。これらの文字を読み書きしていたのは、余剰食糧によって支えられた官吏たちだった。狩猟採集民の社会では、文字は発達しなかった。よその社会から借用されることもなかった。食料生産をおこなわない狩猟採集民たちは、農耕民たちのように余剰食糧というものを持たず、文字の読み書きを専門とする書記を養うゆとりが社会的になかったからである。このように、文字が誕生するには、数千年にわたる食料生産の歴史が必要だった。(p51~52)。 最古の印刷:つい先日句会の吟行で、八丁堀のミズノプリンティングミュージアムに行った。そこに世界最古の印刷物という法隆寺蔵の陀羅尼曼荼羅経があった。8世紀後半に作られたもので、細長い紙に印字された経文である。10万部作られたというが、現存するのは限られていて、法隆寺にあるものもその一つ。作られた年のわかる世界最古の印刷物であると言う。本書には世界最古の印刷物としてクレタ島で発見されたファイストスの円盤を紹介している。柔らかい粘土に記号の母型(活字)を押しつけてから、堅く焼かれたもの。作成年代が紀元前1700年で、最古の凸版印刷物ということになる。印刷に関する技術は、ファイストスの円盤から2500年を経た古代中国の時代まで人類史には登場しない。ヨーロッパ人は3100年が経過するまで印刷技術を持っていなかった、と本書は言う。立派なファイストスの円盤の写真が掲載されている。(p57~58)。その後に続けて「必要は発明の母」というのは錯覚であると述べる。実際の発明の多くは人間の好奇心の産物であって、何か特定のものを作りだそうとして生み出されたわけではない。発明をどのように応用するかは、発明がなされた後に考え出されている。(p62) 発明のなかには天然に存在する材料を扱っているうちに自然発生的に誕生したものがある。野生植物の栽培化に独自に成功した地域は、少なくとも9カ所ある。土器の考案は、自然に広く存在する粘土の、乾燥したり熱を加えたりすると固くなるという性質に着目した結果と思われる。土器は日本では約1万4000年前に、肥沃三日月地帯と中国では約1万年前に登場している。(p84)。 日本に関しては、さらに後半の中国を取り上げた章で述べる:世界最古の土器のいくつかを作りだしたのは、古代日本人である。彼らはまた、食料生産が伝わるずっと以前から、豊富な海産資源を糧に、狩猟採取活動に従事し、定住生活を営んでいた。日本や朝鮮半島や熱帯東南アジアで、一番最初に栽培化されたと思われる、あるいは独自に栽培化されたと思われる農作物も存在する。とはいえ、中国の果たした役割は、他の何にもまして大きかった。たとえば、中国文化の威光は、日本や朝鮮半島では依然として大きく、日本は、日本語の話し言葉を表すには問題のある中国発祥の文字の使用をいまだにやめようとしていない。(p230) この記述は本書で触れられた数少ない日本に関するものである。日本の縄文土器は世界最古のものということになる。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | シュメル神話の世界 | 著者 | 岡田明子・小林登志子 | No | ||||||
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2022-20 | ||||||||||
発行所 | 中公新書 | 発行年 | 2021年第7版 | 読了年月日 | 2022-11-02 | 記入年月日 | 2022-11-27 | |||
天為の有志による神話を読むネット句会は、今年の夏からメソポタミア神話を取り上げた。世話役が指定したテキストは「ゼロからわかるメソポタミア神話」という文庫本。初めて目にする神々の名前と神話。なじみがなく、舌を噛みそうな神々の名前、例えばニンフルザク、ニヌルタ、シャマシュなどを見た時、とても俳句を作れそうにないと思った。しかし、世話役の熱心な勧めに折れて、いままでに2回、8神を対象に作句してみた。なんとか句にはなった。テキストは1人の神に多いもので4ページ、ふつうは2ページしか解説がされておらず、作句の材料としてもの足らなかった。それで、本書を手にした。 本書は教養書、あるいは学術書といえるもの。神話の背景にある歴史に触れている。何よりも粘土板に記されたレリーフの写真あるいは印影図、あるいは発掘現場の写真などがたくさん収載されている。4000年以上も前に粘土板に神話が記録されていたということに驚く。ホメロスよりも1000年以上も前ということになる世界最古の神話だ。それだけに、ギリシャ神話のようにはストーリーがととのっておらず、作句には苦労する。また、この地域における支配民族の交代により、同じと目される神が異なった名前を持つことが、読み手をとまどわす。 神話を通して、ティグリス・ユーフラテス流域に住む人びとが、水を大切にしたかがわかる。真水にからんだ神が大切にされる。潅漑がおこなわれ、交通手段として船が重要であることも意外であった。 本書の後半部には「ギルガメッシュ叙事詩」が解説されている。『源氏物語』を取り上げ、長く読み継がれているのは、人生の奥行きの深さを思い知らされるような普遍性が含まれているからであるとした上で、世界にはもっと長い寿命を持っている作品がいくつかあり、その筆頭が『ギルガメッシュ叙事詩』であるとする。それは単なる英雄の武勇譚ではなく、死すべきものとしての、人間の存在への根本的な問いかけをふくむから4000年も後の人間にも読まれるのであるという。ギルガメッシュ叙事詩をもとにした劇画が日本にあるとは、息子から聞いた。 シュメル神話の特徴の一つは神々も不死ではないこと。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 右大臣実朝 | 著者 | 太宰治 | No | ||||||
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2022-21 | ||||||||||
発行所 | 青空文庫 | 発行年 | 昭和18年 | 読了年月日 | 2022-11-07 | 記入年月日 | 2022-11-07 | |||
今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」が面白い。大河ドラマはずっと見てきているが、史実と作者三谷幸喜の独創的なフィクションが綯え混ぜになり面白い。というより50本は見ている大河ドラマの中では最高に面白く、よくできていると思う。ネットにも毎回「鎌倉殿の十三人」の話題がいくつか出てくる。本書を知ったのは関連の著作としてネットで紹介されていたからだ。昭和18年の作。太宰にこのような作品があるとは知らなかった。著作権切れの作品だから、ネットの青空文庫にも、カシオの電子辞書にも載っていたので、併用しながら読んだ。面白い、よくできた歴史小説だと思った。 本書はエピソードごとにまず『吾妻鏡』を引用する。そして『吾妻鏡』に添うようにストーリーを進めるから、史実にかなり忠実な作品である。 実朝暗殺の20年後、当時20才をこえたばかりの近習だった男が語るスタイルを取る。 ちょうど大河ドラマで放映されたばかりの和田合戦の所を引用してみる: 和田の乱に関連しての義時評 いつたいにあの相州(義時のこと)さまは、奇妙に人に憎まれるお方でございました。右大臣さまがおなくなりになられ、私ども百余人は出家をいたし、その翌年、承久の乱とやらにて北条氏は気が狂つてさへ企て及ばぬほどの大逆の罪を犯しましたさうで、本当にどうしてまたそんな愚かしい暴虐をなさつたのか、乱臣逆賊と言つてもまだ足りぬ、まことに言語に絶した日本一の大たはけのなり下つた御様子でございますが、それまでには別に、これといふ目立つた悪業のなかつたお方でしたのに、それでも、どういふものか、人にはけむつたがられ、評判のよろしくないお方でございました。はじめにもちよつと申し上げて置きましたやうに、私たちの見たところでは、人の言ふほど陰険なお方のやうでもなく、気さくでへうきんなところもあり、さつぱりしたお方のやうにさへ見受けられましたが、けれども、どこやら、とても下品な、いやな匂ひがそのお人柄の底にふいと感ぜられて、幼心の私どもでさへ、ぞつとするやうなものが確かにございまして、あのお方がお部屋にはひつて来ると、さつと暗い、とても興覚めの気配が一座にただよひ、たまらぬほどに、いやでした。よく人は、源家(実朝のこと)は暗いと申してゐるやうでございますが、それは源家のお方たちの暗さではなく、この相模守義時さまおひとりの暗さが、四方にひろがつてゐる故ではなからうかとさへ私たちには思はれました。父君の時政公でさへ、この相州さまに較べると、まだしもお無邪気な放胆の明るさがあつたやうでございます。それほどの陰気なにほひが、いつたい、相州さまのどこから発してゐるのか、それはわかりませぬが、きつと、人間として一ばん大事な何かの徳に欠けてゐたのに違ひございませぬ。その生れつき不具のお心が、あの承久の乱などで、はしなくも暴露してしまつたのでございませうが、そのやうな大逆にいたらぬ前には、あのお方のそのおそろしい不具のお心をはつきり看破する事も出来ず、或いは将軍家だけはお気づきになつて居られたかと思はれるふしもないわけではございませぬけれども、当時はただ、あのお方を、なんとなく毛嫌ひして、けむつたがつてゐたといふのが鎌倉の大半の人の心情でございました。なんでもない事でも、あのお方がなさると、なんとも言へず、いやしげに見えるのでございますから、それはむしろ、あのお方にとつても不仕合せなところかも知れませぬ。 どういふものか北条氏専横の不平の声が御ところの内にも巷にも絶えませんでした。なにもかも、あの相州さまの奇妙な律儀が、いけないので、あれが人の心にいやな暗い疑ひや憎しみを抱かせるのではないかと私には思はれてなりませぬ。正しい事をすればするほど、そこになんとも不快な悪臭が湧いて出るとは、まことに不思議な御人柄のお方もあつたものでございます。 以上は太宰の義時観だが、おそらく戦前にはこうした見方が支配的だったのだろう。 三谷はこの小説を参考にしているのではないかと思われるほどよく似ている。逆にドラマの解説としてピッタリという感じ。 例えば、和田合戦の当日泰時が二日酔いだったとあり、ドラマで酔い潰れていたところを妻に水を掛けられ起きたシーンであった。 和田合戦後の論功行賞のシーンでは以下のように描かれる: ついで将軍家は、このたびの合戦に於いて抜群の勲功をいたした者をお尋ねに相成り、諸将士はこれに対して異口同音に、敵方に於いては朝夷名三郎、御ところ方に於いては匠作泰時さまをお挙げになつて、匠作泰時さまはただちに御前ちかく召されておほめの御言葉を賜りましたが、その時、匠作さまは恥ぢらふ如く内気の笑ひをお顔に浮べ、勲功などとは、もつてのほか、匠作このたびの合戦に於いては、まことにぶざまの事ばかり多く、実はついたちの夜にばかな大酒をいたしまして、二日にはひどい宿酔、それ和田氏の御挙兵と聞きましても夢うつつ、ほとんど手さぐりにて、とにかく甲冑をつけ馬に乗つてはみましたが、西も東も心許なく、ああ大酒はいかん、もののお役に立ち申さぬ、爾後は禁酒だ、と固く心に誓ひ、なほも呆然たるうちに敵兵と逢ひ、数度戦つて居りまするうちに喉がかわいてたまらなくなり、水を、と士卒に言ひつけましたところ、こいつまた気をきかして小筒に酒をつめて差し出しまして、一口のんですぐに酒だと気がつきましたものの、酒飲みの意地汚なさ、捨てるには惜しく、ついさつきの禁酒の誓を破つてごくごくと一滴あまさず飲みほして、これからが本当の禁酒だなどと、まことにわれながらその薄志弱行にはあいそがつきまして、さう言ひながらも昨夜はまた戦勝の心祝ひなどと理窟をつけて少しやつてゐるやうな有様なのでございますから、まだまだ修行はいたらず、とても、おほめにあづかるほどの男ではございませぬ、この後は努めて、大酒をつつしむやうに致しまするから、どうか、このたびの失態は御寛恕のほどを願はしく存じます、としんから恐縮し切つて居られる御様子で汗を流して言上なさいましたが、将軍家をはじめ満座の諸将士ひとしく、この匠作さまの功にほこらぬ美しいお心に敬服なされたやうでございました。この匠作泰時さまは、その翌日、抜群の勲功により陸奥国遠田郡を賜りましたけれども、固く之を御辞退申し上げ、そもそもこの度の合戦は和田左衛門尉、将軍家に対して逆心をさしはさまず、ただ相州を討たんとして挙兵なされたのであつて、自分は相州の子として父の敵を迎へ撃つたまでの事、しかも自分の用兵拙劣にして多くの御ところの将士を失ひ罪万死に価すと雖も幕臣として一の勲功も無し、とおつしやつたとか、いよいよ匠作さまのお名があがつて、しばらくは、どこへまゐりましても匠作さまの御評判で持ち切りの有様でございました。 泰時賞賛は三谷のドラマでも同じだ。 最後は実朝暗殺のシーンで終わる。まず『吾妻鏡』に記された当日八幡宮に参拝した実朝にしたがった御家人や公家などの人名が100人ほど列挙される。続いて暗殺のシーンになるのだが、あっけないほど簡単に記される。実朝の埋葬を述べた後、後の歴史書『増鏡』の一文を引いて終わる。 さるほどに石階に近づかせ給ふ時、いづくよりともなく、美僧あらはれ来て、将軍を犯し奉る、はじめ一太刀は笏にて合せ給へども、次の太刀にぞ御首は落され給ひけり、文章博士仲章、因幡前司師憲も斬られけり、 (中略) 明くれば、廿八日、将軍家の御葬礼を営まんとするところに、御首のありか知れざりければ、いかにせんと惑ふところに、きのふ御ところの御出の時、公氏御鬢に参りければ、鬢の髪を一すぢ抜かせ給ひて、御形見とて賜ひし事こそ、いまはしけれ、その一すぢの御髪を御頭の代りに用ゐて、御棺に入れ奉り、勝長寿院の傍に葬り奉る、この日、御台所も御出家あり、御戒師は行勇僧都なり、また武蔵守親広、左衛門大夫時広、城介景盛以下、数百人の大名ども、ことごとく出家したり、あはれなるかな、きさらぎ二日、加藤判官六波羅に馳せつき、右府将軍御他界のよし申しければ、京中の貴賤男女聞き伝へ、東西を失ひて歎き悲しみける。 ただ、あきれたるよりほかの事なし、京にもきこしめしおどろく、世のなか、ふつと火を消ちたるさまなり。(増鏡) ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 鎌倉幕府 | 著者 | 石井進 | No | ||||||
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2022-22 |
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発行所 | 中央公論社 | 発行年 | 昭和40年 | 読了年月日 | 2022-12-27 | 記入年月日 | 2022-12-29 | |||
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」は18日の義時の死をもって終わったが、未だにネット上では話題になっている。とにかく凄いドラマだった。義時の死に方については、いろいろな予測がネットを賑わわせた。ドラマでは義時の妻のえ、三浦義村、そして政子の三人が義時に死をもたらしたとされた。最後の小栗旬の義時と小池栄子の政子の二人だけによる十数分のシーンは圧巻だった。 このドラマにはそうした作者のいろいろな歴史解釈が含まれている。それが、三谷脚色の面白さであるが、史実はどうなのだろうかと知りたくて、本書を引っ張り出してきた。 中央公論から出された、全26巻の第7巻。私が20代の半ば頃、毎月1巻ずつ刊行された、ボックス入りハードカバーの本。当時評判になりベストセラーにもなった。別巻5冊も含め全巻を購入した。1180年頼朝の挙兵から1263年北条時頼没までの80年あまりを本巻は扱う。若い頃この時代でもっとも関心があった人物は、義経であり、清盛他平家一門、そして頼朝と続く。鎌倉時代は、平安朝と違って、質実剛健の気風に満ちた時代として、私のなかでは日本史のなかでもっとも好きな時代であった。特に北条時頼と時宗は好きな人物であった。 鎌倉時代が暗黒時代だという説を目にしたのはずっと後になってからだ。暗黒と言われる最大の理由は、鎌倉初期に北条氏が権力を握って行く過程での、陰惨な殺戮とテロの連続であろう。「鎌倉殿の十三人」はまさにその過程を扱った。 本書は50年以上経ってからの再読だ。50年間に加わった私の知識、経験を本に読み返してみると、今まで気がつかなかったところまで興味が持て、新しい視点で読め、読書の味わいがぐっと深まる。新たに加わった知識とは、北条政子であり、頼家であり、後鳥羽上皇であり、西行であり、慈円であり、定家であり、後白河法皇であり、平家物語であり、義経記などである。再読の喜びというのが本書を読んだもっとも大きな感想になる。 50年前には義時にも、後鳥羽上皇にも、頼家にも、実朝にも、あるいは滅ぼされた、上総介広常、梶原、比企、畠山、和田などの御家人にもあまり興味がなかった。三谷の作品にはこれらが全部登場し、極めて個性的に描かれている。本書にも全員が登場する。 著者の石井進は1931年生まれのこのシリーズの最年少の執筆者で、肩書きは東京大学史料編纂所研究員。多彩な内容を平易な文章で綴り、読みやすくすぐれた歴史書である。口絵は赤糸縅の見事な鎧のカラー写真。「鎌倉武士の鑑と賞賛されている」畠山重忠が、武蔵国の御嶽神社に奉納したものと説明文。一月ほど前に重忠が討ち死にした横浜市の二俣川にその遺跡を歩いたばかりなので、身近に感じられる。 書き出しは1280年(治承4年)8月17日の夜(陰暦)の京都と伊豆の対比から始まる。福原遷都後の寂れた都では懐かしさのあまり訪れてきた貴族の今様の歌声が流れ、一方伊豆では頼朝が決起し山木判官兼隆の屋敷を襲う。まるでドラマのような書き出しだ。 三谷脚本は本書を読んだ限り、大筋においてよくあっている。例えば、義時の死因は吾妻鏡によれば脚気衝心であるが、古くから近習の小侍に刺殺されたという説があり、坪内逍遙は作品のなかで、この説にしたがっているという。さらに、定家の日記には義時は妻に毒殺されたと記されている。著者はこの毒殺説には、かなりの蓋然性がありそうであるとしている。(p394)。 三谷脚本は実朝に関してはもっと本書に近い見方をしている。実朝暗殺と公暁の横死により、頼朝直系の子孫は断絶した。その背後に陰謀の匂いを嗅ぎ取ることは容易である。事件による最大の受益者をまず疑えという鉄則にしたがって、これまでの諸説は義時犯人説を採る。密かに公暁をそそのかし実朝を暗殺させ、さらに一味の三浦義村に命じて公暁を葬ったというのが通説的見解であるとした上で、本書では、永井路子の歴史小説『炎環』の説に魅力を感じるという。義村が実朝と義時を同時に暗殺し、公暁を将軍に立てみずから幕府の実権を握るというものだ。しかし、いち早くそれを察知した義時がその場を逃れたために計画は頓挫し、義村は裏切って公暁を殺し一審の安全を図ったというもの。これはまさしく「鎌倉殿の十三人」で三谷が描いたストーリーだ。 歴史書であるから、人物中心というわけではない。当時の社会経済状態、特に東国における農村の支配の実態、農地を巡る国の機関や貴族の荘園や地元豪族との複雑な関係などについてもくわしく述べられる。そして「かれら関東武士団が期待し、ねがっていたのは、かれらの所領を安全・確実に保護し、かれらの間の争いを公正に決済してくれる指導者であって、京都の貴族の侍大将ではなかった。頼朝を主君に仰ぎ、東国に一つの新政権を誕生させた原動力は、まさしくかれら関東武士団、とくに有力豪族層のなかにあったというべきであろう」とする。(p83)。そして、著者の政治家頼朝への賞賛は本書を貫かれている。 承久の乱に関しては、慈円は乱の勃発前から、事態を憂慮していたという。これも三谷脚本に取り入れられていて、後鳥羽上皇のそばにいて色々アドバイスしていた慈円が、乱の少し前に院を去って行くシーンが描かれた。著者は言う「天皇はたんに天皇であるがゆえに正当な支配者たりうるのではなく、正しい政治をおこなうがゆえにその地位を保ちうるのだ、という認識に達しえた点で、承久の乱はまことに大きな政治思想史上の意義をもつのである。」(p383) 義時を継いだ泰時は名執権とされ、御成敗式目を作製し、執権政治を安定させた。本書では芭蕉の句が引かれる。 名月の出づるや五十一ヶ条 芭蕉 (p403) 初めて知る芭蕉の句だ。『芭蕉全句集』(岩波文庫)では、「武蔵守泰時 仁愛を先とし、政以ヲ去欲爲先ト」という前書きがある。泰時を名月に喩えたのだ。こうした文芸作品まで拾っているところが本書の特色だ。 本書には同時代の法然、親鸞、道元、栄西がその信仰とともにくわしく記述される。他にも平家物語、『方丈記』『新古今和歌集』などの文芸、さらに運慶に代表される彫刻もわかりやすい解説がなされる。 彫刻については、鎌倉時代は天平時代と並ぶ日本の彫刻の二つ頂点であったとする。東大寺南大門の仁王像はわずか72日で完成された。大仏師二人のもとに130名以上の専門家が分担して作製した。手法は寄木法。寄木法は完璧なまでに発達していたという。(p249)。10月の初めにこの仁王像は見てきたばかりだ。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |