読書ノート 1990

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書名 著者
 Nineteen Eighty-Four  George Orwell
人間はどこまで動物か アドルフ・ボルトマン
生物進化を考える 木村資生
脳科学の現状 酒田英夫、安西祐一郎、甘利俊一
 A BRIEF HISTRY OF TIME  Stephen. W. Hawking
香水・・・ある人殺しの物語 パトリック・ジュースキント
The Cocktail Party T.S. Elliott
夜明け前 島崎藤村
自省録{瞑想録} マルクス・アウレリュウス
脱工業化社会の幻想 J スティーブン・S・コーエン、ジョン・ ザイスマン
免疫学の時代 狩野恭一
敗者の維新史;会津藩士荒川勝茂の日記 星 亮一
文久二年のヨーロッパ報告 宮永 孝
チョムスキー 田中克彦
ドイツとドイツ人 トーマス・マン
南方熊楠全集 第一巻 十二支考 南方熊楠


書名 Nineteen Eighty-Four 著者 George Orwell No
1990-16
発行所 ペンギンブックス 発行年 読了年月日 87-01 記入年月日 87-01-28

 
主として通勤の時間帯で読了した。約1ヶ月かかった。
 人間性とはこんなに弱いものかというどうしようもないやり切れなさが、読み終えたときの感想である。幸いにして35年前に著者が予測した社会は我々には起こらなかった。
 最後の数章で、思想警察の手に落ちた主人公が自己のアイデンティティを、人間としての精神の尊厳を、失っていく過程は読んでいてやり切れなかった。


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書名 人間はどこまで動物か 著者 アドルフ・ボルトマン、高木正孝 訳 No
1990-01
発行所 岩波新書 発行年 1961年 読了年月日 88-06-05 記入年月日 88-06-12

 
動物としての人間の特徴は早く産まれすぎることだと言う著者の主張が、構造主義へ決定的な影響を与えている。浅田彰の「構造と力」と併せて読むと面白いだろう。

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書名 生物進化を考える 著者 木村資生 No
1990-02
発行所 岩波新書 発行年 1988年 読了年月日 1989-01-29 記入年月日 89-01-29

 分子レベルでの変異は自然淘汰に対して大多数は中立である。一個の変異体が集団として固定するには、自然淘汰によるのではなく偶然的要素の高い遺伝的浮動によるものである。
 以上が著者の有名な進化の中立説である。


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書名 脳科学の現状 著者 酒田英夫、安西祐一郎、甘利俊一 No
1990-03
発行所 中公新書 発行年 読了年月日 記入年月日 89-01-29

 
ゲーデルの不完全性定理:任意の数学体系において、その体系における定理で、体系の中では証明できないものが存在する。つまり、数学の体系はいかに精密なものであっても不完全である。もちろん、ある体系の中で証明できない定理をその体系に別の公理を付け加えて証明することはできるかも知れない。しかしそれは数学の体系をどんどん拡張してゆくことだけでいつまでも終わりがない。
 cf 「自己言及のパラドックス」
 

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書名 A BRIEF HISTRY OF TIME 著者 Stephen. W. Hawking No
1990-04
発行所 Bantam Books 発行年 1988年 読了年月日 90-01-04 記入年月日

 
やさしい英語で書かれていてすらすらと読めたが、内容は相対論から、量子力学までを駆使して、最先端の宇宙論を展開したきわめて高度な知的刺激に富むものだ。数式を使わずに分かりやすくは書いてあるが、理解するのは大変だ。

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書名 香水・・・ある人殺しの物語 著者 パトリック・ジュースキント、 池内紀 訳 No
1990-05
発行所 文芸春秋社 発行年 読了年月日 記入年月日 90-02-26

 
泊り育さんが貸してくれた。
 体臭を一切持たない天才調香師グルヌイユ(蛙)の奇想天外な物語。翻訳の文体が素晴らしい切れの良さとリズムを持っている。
 臭いの世界、なにやら神秘的に見える調香師の仕事部屋、臭いを通してみた18世紀のパリの町、そしてグラス、いずれも私にとって親しみと興味を覚えるものばかりで、一気に読んでしまった。もっともストーリーの意表さは上記のものに馴染みのない人々でも引きずり込んでしまうだけの不思議な魅力を持った本である。

 南仏グラスのある香料会社の建物の地下室で、初めて目にしたアンフラージュ法によるジャスミンだったかバラだったかの香りの採取用に使う獣脂を薄く伸ばした多数の板が目の前に浮かんだ。主人公はこの方法を用いて人間の処女の臭いを集めて回るのだ。


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書名 The Cocktail Party 著者 T.S. Elliott No
1990-06
発行所 faber and faber 発行年 読了年月日 記入年月日 90-03

 
結末の残酷さにこのドラマは一種の不条理劇だというのが私の第一印象だった。不条理というのは、ReillyとJuliaとAllexとがグルになって理由もなしにCiliaを殺してしまったというふうに読めるからだ。このような解釈が成り立つのか、あるいは、今までにこの作品をこのように読んだ人がいるのか、大変興味深い。特にそう思ったシーンは二つある。ひとつは、ReillyがCiliaを診察した後、その晩どこかに連れさったこと。その二は、最後のシーンでCiliaの死にたいして、彼が考えを述べるが、それがCiliaの死を聞いたときの彼の無関心、冷淡さの弁解としては余りに説得力があるように思えないのだ。確かにこの部分は理屈の上ではこのドラマの核心であろうが、全体の持つムードはミステリアスで、不条理なものだ。 

91-08-03
 エリオット全集2(中央公論社)の中に、この戯曲は福田恒存の訳・解説で載っていた。
 解説の中で福田は、ライリー卿を次元を「異にする動因者」としてこのドラマが進行するとし、「
登場人物の一人でありながら、同時に作品機構の全体を知悉し、他の登場人物を操りうるライリー卿の様な気どりやは・・・」と述べている。さらに「エリオットの時間の意識においては、未来がすでに最初から存在する。そしてわれわれがふつう未来と称するものの中に、かれが発見するのは過去である・・・・未来と過去とは同時に存在するのだ」と述べたあとさらに「戯曲において最大の禁物は論理的に理解しえぬ陰をもつということだが、その点ではカクテルパーティーよりも(「秘書」の方が)「芝居になっている」といえよう。簡単にいえば「秘書」では全てが辻褄が合っているのである。」と述べている。しかし、彼はカクテルパーティーのほうをドラマとして優れていると買っているのだ。

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書名 夜明け前 著者 島崎藤村 No
1990-07
発行所 新潮文庫 発行年 昭和29~30年 読了年月日 1989-11-23 記入年月日 1989-11

 
文庫本で1400頁近いこの長編大作を1カ月余で読み終えた。

 きっかけは先頃亡くなった篠田一士の「二十世紀の十大小説」という評論を読んだことだ。たまたま日経紙の書評覧で眼に止まったこの評論(篠田氏の遺作となった)を読む気になって、書店から取り寄せたのは春ごろだったろう。何しろ分厚い評論で決して読みやすい本ではなかった上に、「夜明け前」に関する記述は一番最後に出て来るものだから、そこを読み終わったのは10月だった。10月の中旬にたまたま東大へ行く用事があったとき、いつものように生協の書籍部に寄ってみたところ、折からの文庫本フェアで、4巻本の「夜明け前」が眼に止まり手にすることが出来た。

 戦時中の中学時代にこの小説を読んで文学への開眼をしたという篠田氏はその著の中で「
藤村ひとりだけが、西洋に対抗しうる文学を創り出したという評語に、ぼく自身は、なんの異論もない。「夜明け前」一巻あれば、その証を十二分に立てることができるからである。」と述べ、日本近代文学の空前にして絶後の傑作であるとしている。

 50才にして初めてこの小説を読んだ。大げさないい方をすれば、いままで生きてきてこの傑作に巡り会えたことに感謝したい気だ。 その構想、スケールにおいて私が親しんできた従来の日本の小説をはるかに抜きんでている。高校時代に慣れ親しんだ漱石、鴎外、芥川、川端らの作品も「夜明け前」の前には色あせる。源氏物語に肩を並べうる長編小説ではないかと思う。

 幕末の動乱期から、明治の20年頃までの日本の歴史の中でも最も興味深くかつまだ比較的身近に感じられる時代の流れを、木曽の馬篭の宿を主な舞台にして、主人公青山半蔵の悲劇的な生涯を扱ったこの「夜明け前」は、漱石や川端にはない物語性があり、鴎外や芥川に比べてはるかにスケールが大きい。長編小説、それも歴史に題材をとった小説という私のもっとも好きなジャンルであってみれば、私が引きずり込まれたのも当然であろう。かって「チボー家の人々」や「静かなドン」を吸い込まれるように読んだ日々の感激が、30余年経った今また戻ってきたのだ。まさに「西洋に対抗しうる」小説だ。

 決して名文ではない。むしろ日本語の用法としてかなり読みずらいところもある。しかしそんなことは、見事にとらえられた幕末から明治への時代の流れと、木曽山中の風物とそこに営まれる人々の生活の描写の前では小さなことだ。主人公の生きた時代は私の曾祖父の時代だろうか。そういう思いを込めて、さらに幼い頃の七根での、まだどこかに江戸時代の名残が色濃く残っていた生活の体験を重ね合わせて読んで行くと、この小説がきわめて身近に感じられる。少なくとも江戸は戦前までは残っていた。そして「夜明け前」にとらえられた江戸時代の人々の生活は、封建制の重圧下にありながら、今の時代にはない何かある種のあたたかみ、あるいは安らぎのようなものが感じられる。

 例えば食べ物だ。かなり頻繁にでてくる食べ物の描写に仕事がら興味を覚えたが、今からみれば決して豊かとは言えない素材でありながら、その土地と季節にあったすばらしいご馳走だと思ったことが何回となくあった。第一部第一章の初めの方で、出張から帰ってきた吉左衛門の労をねぎらって隣家の同僚金兵衛が夕食に招待するくだりがある。
 「
酒のさかな。胡瓜もみに青紫蘇。枝豆。到来の畳みいわし。それに茄子の新漬。飯の時にとろろ汁。すべてお玉の手料理の物で、金兵衛は夕飯に吉左衛門を招いた。・・・・お玉は膳を運んで来た。ほんの有り合わの手料理ながら、青みのある新しい野菜で膳の上を涼しくみせてある。
 簡素の中に何というさわやかで豊かな季節感にあふれていることだろう。酒飲みなら私ならずともよだれのでそうな酒肴だ。しかも、客は風呂までよばれて、二階の明け広げた部屋の俳人たちの絵と句のしたためてある掛軸の前でご馳走になるのだ。座敷を吹き抜ける木曽の涼風と、暖かな人と人とのふれ合いと、新茄子のこりこりした感触が生き生きと眼の前に浮かぶようだ。七根の田舎では近所どうし風呂をよばれ合った風習は今から40年前頃までは残っていた。

 助郷に代表される苦役、さらには動きのとれない身分制度、といった封建社会の暗い面にもってきて、主人公の悲劇の生涯を重ねあわせた作品ではあるが、今述べたようなわけで、私としてはこの小説に単なる悲劇をはるかに越えるものを読み取る。

 1989年は20世紀後半のもっとも特筆すべき歴史の転換点である。そうしたときにこの長編歴史小説を読んだというタイミングの良さも、感銘を一層深いものにしている。


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書名 自省録(瞑想録) 著者 マルクス・アウレリュウス、 鈴木照雄 訳 No
1990-08
発行所 中央公論社 発行年 読了年月日 記入年月日 90ー05

 
ここ2年ほど前から書評覧などで目についた本をカードに書き留めておいて機会があったとき購入するようにしている。どこでみたかはもう覚えていないがこのマルクス・アウレウスの「瞑想録」もそうした本の一つで、もともと西洋の古典には興味があるほうでかつてブルタークの英雄伝をかじりよみしたり、シーザーの「ガリア戦記」を読んだ事があり、この「瞑想録」もその存在は知っていた。この本を読んでみたいと思った一因は「瞑想録」あるいは「自省録」という謙虚な題の書物を表したのがローマ皇帝という地位にあった人物だということだ。当時の世界の最高権力者が書物を表すということ自体がたいそう奇異に感じられるのに、その題が「瞑想」だとか「自省」とかいうので益々その権力と不釣合いな感じがして、それだけでもこの本は読む価値があると思っていた。今回、会社の軽井沢での集合研修で読後感を求められる機会があって、カードをめくっていたらたまたま眼に入ったので読むことにした。私の読書傾向は、いわゆるビジネス物はまず読んだ事がなく、文学物か、歴史、あるいは科学物が中心であり、今回のような場合にはやはり哲学物がふさわしいと思ったこともこの本を読むことにした理由の一つだ。まさか開高健の絶筆「珠玉」の読後感というわけにもいくまい。

 出典は中央公論社の世界の名著である。この全集では「自省録」となっている。余談だが買った本のうち読むのはせいぜい三分の一ぐらいだろうか。これは全集物を含めた場合であって、実際に単発で購入する本に限れば七割ほどではなかろうか。

 マルクス・アウレリウス( 121 ― 180 )、ローマ帝国のいわゆる五賢帝の最後の皇帝。ストア派哲人として晩年の10年間ほどに政務の間、あるいは戦陣にあって日頃の思うところをギリシャ語で綴ったのが本書である。 58才で現在のウイーンの戦陣で病没。

 日本で言えばその存在場所さえはっきりしていないヤマダイコクの時代の前にかかれた本書に西洋の歴史の圧倒的重みを感じる。
 アウレリウス帝の時のローマはその繁栄の頂上を曲がったときであろうか、そう考えると現代の日本と対比してこの時代を考え、本書を読むのも興味ある見方だ。
 ストア派の主張は一言で言えばきわめて男性的で、潔いものだ。
 生々しい現実の政治、あるいは戦陣のなかにあって、それらに一言も触れることなく、ひたすら自己の内面をのみ見つめ、宇宙、神、人生を深く省察したと言うことはまったくの驚異である。
 精神の自由は何人にも与えられていると言う近代西欧思想の先駆をストア派の人々の主張にみる。

 ちょうど午後2時頃に当たる衰退に向かうローマ帝国を、双肩に担うクリエイティビティはこのストイックな賢人からは発揮されなかったと、トインビーはその著「歴史の研究」の中で述べている。しかし、それでも常に自己の内面に目を向け、厳しくそれを律していったこの著者の精神の軌跡には強い感銘を受ける。こうしたストア学派の生き方は、現在の私個人としての心のよりどころとするに足るものであり、また実際、ここ10年近く実践しようと努めてきたものである。例えば、セネカの「人生の短さについて」の中の「
生きることの最大の障害は期待を持つということであるが、それは明日に依存して今日を失うことである。運命の手中に置かれているものを並べて、現に手元にあるものを放棄する。」という一節は私のもっとも感銘を受けた言葉で、その実行を心がけてきたものだ。

 トインビーからの抜粋
 
この書が他人の目に留まることを彼がどの程度まで意識していたかははっきりしない。それは戦闘と執務のさなかにあって彼独自の省察を散文と短詩を交えて書きとめた断片録であり、それによって彼は若い時代に学んだストア的箴言を保持し、膨大な責務を負った彼自身を激励したのである。それは決して独創的な哲学ではないが、実生活術としてのストア哲学が、二世紀の一人の高まいなローマ人にとってどんな意義を持っていたかを示す貴重な映像となっている。この書について最も興味があるのは、一人のローマ皇帝の最も内奥的な思想がギリシャ語で書かれたこと、従ってギリシャ・ローマの文化的融合がそこまで現実となっていたということであろう。マルクスの「独語録」が高まいで献身的であった彼の生涯を反映していることは疑う理由はない。・・・・
 彼は義務感や法律、財政問題に献身的ではあったが、安逸のうちにも老衰しかけたローマ世界に新しい息吹を注入する創意には欠けていた。ストア派哲人の「自己満足」は限られた理想であったし、諸蛮族の辺境に対する圧力が彼の精力をあまりにも消耗させたのであった。


  以下に本書からの引用を挙げる:

◇ ◇ 我が養父からは、温厚にして、熟慮のうえ決定したかぎりのものは揺るがず堅持する人柄を。世に名誉とされるものにまつわる虚栄から超脱せる精神を。勤労を好み、不撓不屈なる精神を。 … 人に対しては、必ずその値打に相応した取扱をする心がけ。力を入れるときと力を抜くときとを見分ける熟練。…評議の際、精緻な検討をなす粘り強さ、その場の考えに満足し、研究を中途半端に終らせることなき徹底さ。 … おのれに向けられる賞賛や、阿諛追従の全てを拒否すること。たえず政治の必要事に心を配り、国家の財を経済的に管理し、それ故に生じる非難攻撃に耐える心を。

◇ ◇ 一個の人間の、人類全体との類縁関係のいかに深いものであろうか―もちろん、血や子種の共有でなく、理性の共有、という意味であるが、ともかく、それがいかに深いものであるかということを、さらに、各人の内なる理性は神であり、神を源としてそれより流出したものであるということを(忘れてはならない)。

◇ ◇ 万物は変転しつつ生起するもの、という事実を不断に観じ、加うるに、万有の本性は、諸物変転のうちに、同じ類の者を新たにつくりだしてゆくことをなによりも好み求める、という事実を、心に想う習慣を身につけよ。

◇ ◇ すすんでわが身をすべて運命の女神に委ねよ。

◇ ◇ 人間のことはかげろうのごとくはかなく、とるにも足らぬものであり、昨日の子種も明日はミイラとなり灰となる冷酷な事態を、つねに認識すること。永からぬこの時を自然の性に従って生きとおし、オリーブの実が、熟すれば自分を実らせてくれた大地を称え、自分を生んでくれた幹に感謝しつつ、大地に落ちるごとく、心穏やかにその時を終えることである。

◇ ◇ 総観すれば、人生は短し。現在をこそ、心慎み、道理にしたがい、正義に則って、その成果を摘み取るべきである。正気を失うな。冷静な心眼を澄ませ。ただし、いたずらな過度の緊張に堕することなく、心のびのびとした状態であれ。

◇ ◇ 最高の人格とは、日々をおのが終焉の日のごとくに暮らし、心いたずらに激せず、無気力にもならず、偽善に陥らぬを、その内容とする。

◇ ◇ 心の底まで「皇帝」になってしまい、それに染まりきることのないよう心せよ。これは実際に起こる現象なのだから。されば、よく気をつけ、おまえを単純素朴にして善良な、汚れなく、謹厳にして虚飾なき、正義を友とし、神を敬い、心に笑みを忘れず、親愛に満ち、おのれの義務に有能な者とせよ。つねに哲学がおまえを形づくろうと欲したごとき人物であるよう、競って励め。神を畏敬し、人々の安全を計れ。人生は短い、この地上における生の成果はただひとつ。すなわち、敬けんな心構えと公共を想う行為である。

◇ ◇ 過ちを犯す者をも愛することは、人間のみ能くするところである。そしてこの行為は、以下のことに想いをいたすときには実現される。すなわち、彼らはもともとおまえと類を同じくする者であること、無知ゆえにそうとは知らず過ちを犯すのであるということ、われもひとも遠からず死にゆく者であること、

◇ ◇ 行動においては、遅滞せざること。会話にあっては、話をもつれさせぬこと。心の想いにあっては、いたずらな彷徨に身を任せざること。魂については、衝動的に萎縮したり跳び上がらんばかりの興奮をせざること。日々の生活にあっては、あくせくとしていたずらに忙しがらぬこと。

◇ ◇ 傲慢などつゆ知らぬといいたげな仮面のもとに隠れた傲慢な者こそ、世に比べようもなく厄介な人間ではある。

◇ ◇ … しかし、人生においては、たとえ三幕でも劇全体をなり立たしめるものである。かつて結合の原因をなし、いま分解の原因をなす者が、その完了を決めるからである。しかし、おまえにはそのどちらの責任もない。だから、心穏やかに去れ。おまえを去らす者もまた、心ら穏やかな者であるから。


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書名 脱工業化社会の幻想 著者 J スティーブン・S・コーエン、ジョン・ ザイスマン、大岡哲、岩田悟志訳 No
1990-09
発行所 TBS プリタニカ 発行年 1990年 読了年月日 1990-05-25 記入年月日 90-05

 原題は「MANUFACTURINGMATTERS」で、サブタイトルが「THE MYTHICAL OF POST-INDUSTRIAL ECONOMY」。
 邦題のサブタイトルは「製造業が国を救う」。

 
本書の主張の要点;
 1 :製造業が重要である。製造業こそが一国の経済にとってなくてはならないものである。製造業を失うということは、サービス業での賃金の高い高度な雇用もなくすということになるのである。製造業の工場が閉鎖され、海外進出により産業が空洞化すれば、アメリカの国力も国富も急激に減少するであろう。

 2 :デジタル通信器、ロボットなどの電子技術の大規模な利用によって国際競争の姿も変化しつつある。また同じように製造技術というものも大きく変わりつつある。そして、この変化は経済面の基本的変化を招き、アメリカも含め、世界各国の国際社会の順列に影響を与えるようになっている。

 3 :アメリカはこうした世界経済の変化にうまく対応していない。競争力の低下を示す様々な証拠がある。

 4 :生産面での弱点が、国際競争力の崩壊をもたらしており、かなり重症である。物を作る能力というのが製造会社の競争力にとって決定的要因であることは明かである。生産していないものをコントロールすることができようはずがないのである。アメリカの企業はまず、製造技術の能力を再構築しなければならない。

 5 :政策というものは、競争条件を定めたり、新しい技術が展開していく環境を形づくったりするものである。従って政策は、一国の競争力を上昇させることも、生産者に対して、ハンディキャップを負わせて生産能力の弱体化を加速させることも、新しい製造技術の導入を遅らせることもできるのである。

 この文もまた管理職研修の際に事前に作ったものである。提出したのは「自省録」のほうであった。

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書名 免疫学の時代 著者 狩野恭一 No
1990-10
発行所 中公新書 発行年 読了年月日 記入年月日 90-08-26

 
200頁足らずの本に広範な免疫学の中身がよく紹介されている。

 相互に複雑に絡み合った免疫系のことを読むたびに、このシステムを発展させてきた生物進化の長い道のりに気の遠くなる思いがする。
 免疫系はまさに生命の神秘の一つであろう。本書では、発生、分化といった面からも免疫系が論じられていて興味深かった。
 また、われわれの体には、何百万という抗体のクローンがあって、抗体の可変領域のわずかなアミノ酸配列の違いが、何百万の抗原の違いを見分けているという定説は、いつ読んでもにわかには信じられないほどだ。

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書名 敗者の維新史;会津藩士荒川勝茂の日記 著者 星 亮一 No
1990-11
発行所 中公新書 発行年 読了年月日 記入年月日 90ー08ー28

 
常々、敗者の歴史があまり語られることがないのに不満を感じていた。戦国の敗者、浅井長政、朝倉義景、松永久秀、三好義継といった武将の生涯だって取り上げてみればそれぞれに興味がありそうに思えるのだが。

 近いところで言えば明治維新の敗者徳川幕府だろう。本書は最後まで薩摩、長州に抵抗した会津藩の一藩士の日記だ。

 落城、謹慎、下北半島での藩再興、そして会津の地への帰還という激動、辛酸の中で、荒川は妻や子を次々に失っていく。彼自身は明治の末まで生き、ちょうど私の曾祖父と同じ年代を生きたことになるが、豊かな高豊の地で、おそらく明治維新も遠い出来事として受け取ったであろう曾祖父の恵まれた人生との落差はなんと大きいことだろう。落城後の辛酸の中でも、誇りを失わず、師弟の教育に励んだ会津藩からは、後の東京帝大の総長を勤めた山川健次郎のような人物が出た。荒川の歩んだ人生に比べれば、戦後、父や母のたどった人生の苦難もいかほどの物であろう。


                                            
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書名 文久二年のヨーロッパ報告 著者 宮永 孝 No
1990-12
発行所 新潮選書 発行年 読了年月日 記入年月日 90ー10ー02

 
130年前、おりからの攘夷の高まりに困惑し幕府が開港、開市の延期を求めて初めてヨーロッパに送った使節団の記録。

 言葉のまったく出来ない人がほとんどで、よく行ったと思う。フランス、イギリス、オランダ、ドイツ、ロシア、ポルトガル、と各国を精力的に回り、厳しい船旅にもかかわらず、一人として落伍者も出ず全員無事帰国できた体力はまったく驚異ですらある。

 使節団の首脳だった幕府の高級官僚は、その後の歴史の中でまったく埋もれてしまったけれど、下級の通訳として参加し、団員の中でも、最も精力的に西洋の文物を吸収した、福沢と松木(後の寺島宗則)は、維新後に大活躍する。

 この書も一種の敗者の歴史とみることが出来る。とかく明治政府の立場からわれわれは維新史を見るが、当時の政権側の幕府の努力にももっと目を向けるべきだ。本書はそうした努力の一端をよく示している。さらに言えば、当時の考明天皇の朝廷や、薩摩、長州の攘夷とは一体なんであったのか。世間知らずの反動主義ではなかったのではないか。高杉晋作、あるいは吉田松陰なども歴史に竿さす反動ではなかったか。

 84年の5月、ヒースロー空港からロンドンに向かう電車からみた白い花は、空木であると本書で初めて教えられた。使節団の一行もまた、初夏のイギリス、バーミンガムに向かう車窓より、雪景のごとき一面の空木の白い花を目にしたのだった。


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書名 チョムスキー 著者 田中克彦 No
1990-13
発行所 岩波同時代ライブラリー 発行年 読了年月日 記入年月日 90ー10ー05

 
チョムスキーに対する痛烈な批判の書。しかしその言説が厳しければ厳しいほど、かえって批判される側の思想なり、主張なりが鮮明になるということはよくあることだが、本書もその典型であろう。

 著者の批判のポイントの一つは、チョムスキーが人間に生得的に備わった普遍的な言語の深層構造なるものをアプリオリに仮定したことに対するものだ。このような仮定は科学的なやり方ではないと著者は言うが、優れた仮定は科学を飛躍的に発展させる物であり、普遍的深層構造の存在を事実で証明していく過程は科学そのものであって、これからやって行かねばならぬことだ。私のかじり読みしたチョムスキーでは、彼の仮定はかなり説得力があり、妥当だと感じている。深層構造を司る精神器官に物質的根拠を与えることはまだまだ先のことであろうが、きわめて壮大な、魅力的テーマだ。 チョムスキーの日本語訳はどれも読みにくいという著者の主張は同感。「
私は、人にむかって、あまりよくわからない文章を平気で書いたり、翻訳する人は、本質的にエリート気質の持ち主で、権威・権力の好きな人だと思っているので・・・」ここら当りに本書の激しい口調の原因があろう。

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書名 ドイツとドイツ人 著者 トーマス・マン 青木順三 訳、 No
1990-14
発行所 岩波文庫 発行年 読了年月日 記入年月日 90-11-02

 ドイツの統一という大きな出来事のあった今年、多くの人がドイツとドイツ人を理解するのに格好の書として勧め、ベストセラーになった本。トーマス・マンのドイツ人観、芸術観、政治的立場について語った6つの講演集からなっている。正直いってそんなに読み易いものではなかった。多くの人がはたして最後まで読み通したのだろうか。それとも、本書を読みづらく思ったのは、私の年齢的な衰えなのか。

 ドイツ語を習っていた20才前後、人間の内面の苦悩を深く見つめたヘッセや、カロッサ、あるいはゲーテの文学を通じてあらわされるドイツの国民性に強く引かれ、若い頃を通しての憧れの国はドイツであり、ドイツに留学し、アルプスの高峰にピッケルを立てたいというのが最大の夢だった。憧れの対象は決してアメリカでもなく、ましてイギリスでもなく、ドイツであった。

 そのころから、内面性、神秘性、理想主義、あるいは悪魔性といった言葉で表されるドイツの国民性、すなわちロマン主義的国民性の行き着くところにナチズムがあるのではないかと感じていたが、そうしたドイツ人の国民性に対する全面的肯定と、あれ程までの激しいナチスに対する批判がマンのなかでどのように両立するのか、本書ではいま一つわからなかった。ドイツ国民の美徳とされるものの否定なしには、ナチズムの否定は困難だと思うのだが、マンの中ではそれが可能なようだ。


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書名 南方熊楠全集 第一巻 十二支考 著者 南方熊楠 No
1990-15
発行所 乾元社 発行年 1951 読了年月日 記入年月日 1990-12-09

 
南方の名前を耳にしたのは何時のことだったか、はっきりしない。かすかに、奇人で、それでいてかなりのことをやった人だと言うくらいの知識しかなかったが、機会があったらその著作にも触れてみようかなとはどこかで思っていたのだろう。研究所の図書室の片隅にふるびた全集があったのは以前から知っていた。その全集の一つを夏の頃ふと手にしてみようという気になったわけははっきりしない。本のうしろにある貸出カードには二人の名前が記してあった。二人とももう退職した意外な人物だった。その先輩達の名前に刺激されて読む気になったとも言える。本を借りだしてからしばらくして、新聞の広告覧に南方の写真が大きく載り、和歌山県が生んだ天才として、郷土のPRに使われていた。大酒飲みの奇人というイメージとは程遠い端正で、風格にあふれた風貌でびっくりした。

 何しろ40年近くも前に出版された本だ。
 第一巻には、とら、兎、竜、蛇、馬に関する色々のことが述べられている。この色々のことと言うのが並み大抵のことではないのだ。中国の古典、仏教の教典、西洋の古典、日本の各種の著作、各地に伝わる民間伝承などを縦横に駆使して、これら動物に関する生物学的、生態学的、民族学的、言ってみれば博物学的知識をぎっしりと詰めてあるのだ。そのうえ、話はしばしば主題の動物から脱線するのだ。例えば、昔のローマでは馬の乳が美容にいいといって貴婦人は毎日馬乳の風呂に入っていたと言う話から、漢方薬の話になり、さらに香の話へと発展し、日本の香道の歴史を論ずると言ったぐあいだ。その博覧強記にはただただ圧倒される。そこに展開されるのは、絢爛たる古き時代の博物学。こうした学問こそ本来なら、私にもっともあった分野ではあろう。しかし、私が選んだ有機化学という分野にはまだかなり博物学的要素は残っているとはいえ、こうした記憶だけがたよりの学問を意識的に否定してきたのが私の道だった。しかし南方のスケールには何人も及ばない。毛筆で書いたメモの写真が載っているが、パソコンがあればきっと便利だったろうと思う。

 南方はしばしばネイチャーを引用している。また彼がネイチャーに論文を投稿していると言う話は意外だった。今世紀の初めのネイチャーはまだ博物学を大切にしていたのだろう。今でもわずかながらこの伝統は残っているようだ。

 それにしても、こうした博物学の基本的欠点なのだろうが、著者はこれほどたくさんの事実や伝承を集めて何が言いたかったのだろうかと言う基本的疑問は残る。その博覧強記ぶりには感心こそすれ、著者の思想は見えないし、中身も特に印象に残るものがない。それともう一つ、大正の初めに書かれたこれらの論文の何と読みづらいことよ。特に漢籍からの直接の引用が多いせいもあって、漢字がやたら多い。日本語の変遷の早さを目の当たりにみる思いだ。


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