読書ノート2004年

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書名 著者
知性はいつ生まれたか ウィリアム・カルヴィン
世界の終わりとハードボイルドワンダーランド(上・下) 村上 春樹
書きあぐねている人のための小説入門 保坂 和志
「ネットの未来」探検ガイド 歌田 明弘
螢川・泥の川 宮本 輝
道頓堀川 宮本 輝
春の夢 宮本 輝
博徒の幕末維新 高橋 敏
昭和史の決定的瞬間 坂野 潤治
変化球の大研究 姫野龍太郎
桜の文学史 小川 和佑
鋼の女 最後の瞽女・小林ハル 下重 暁子
真夏のパース 西方 保弘
摩擦の世界 角田 和雄
バイオコンピュータ 神沼 二真
老人力 赤瀬川源平
性的唯幻論序説 岸田 秀
俳句的生活 長谷川 櫂
遊ぶ日本語 不思議な日本語 飯間 浩明
江戸の恋 田中 優子
午後の曳航 三島由紀夫
一神教の誕生 ユダヤ教からキリスト教へ 加藤 隆
近代能楽集 三島由紀夫
前世の記憶 高橋 克彦
音楽 三島由紀夫
殉教 三島由紀夫
潮騒 三島由紀夫
愛の渇き 三島由紀夫
青の時代 三島由紀夫
葉隠れ入門 三島由紀夫
デジカメ写真は撮ったまま使うな! 鐸木 能光
宴のあと 三島由紀夫
T/Mと森のフシギの物語 大江健三郎
甘えの構造 土居 健郎
花ざかりの森・憂国 三島由紀夫
神聖喜劇 第一巻 大西 巨人
神聖喜劇 第二巻 大西 巨人
神聖喜劇 第三巻 大西 巨人
神聖喜劇 第四巻 大西 巨人
神聖喜劇 第五巻 大西 巨人
くちずさみたくなる名詩 下重 暁子

                                                   2008-02-04 up

書名 知性はいつ生まれたか 著者 ウィリアム・カルヴィン、澤口俊之 訳 No
2004-01
発行所 草思社 発行年 1997年11月 読了年月日 2004−01−09 記入年月日 2004−01−09

           
 
わかりにくい本。一気に読まなかったせいもあるが、内容が高度な上に、著者独特の言い回しがよく理解できないところがある。あるいは理論神経科学という著者の分野が、具体的な例証を欠いていることからくるなじみにくさも原因だろう。

 多様な知性は脳内のダーウイン的メカニズム、つまりニューロンの時空パターンのクローンの生成、変異、競争、選択というプロセスが関与しているというのが、基本的な主張。こうした過程による時空パターンの進化が秒単位で起きているという。こうしたプロセスの一つの例は、胎児においてあった過剰なニューロンが、減少することが挙げられる。

 知性の定義p24:知性を、以前やったことのない何かをする場合にあらわれる、個人の脳組織の様々な作用の結果と考える。
 言語の普遍文法という概念を認めている p117。
 ダーウイン的プロセスとは、単に自然選択のみのあるのではない 193〜195p
 脳内における複製の重要性、この場合パターンの複製である。それがなければものを投げるといった複雑な運動は実行できないと著者はいう。p227〜

                                  

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書名 世界の終わりとハードボイルドワンダーランド(上・下) 著者 村上 春樹 No
2004-02
発行所 新潮文庫 発行年 昭和63年刊 読了年月日 2004−01−30 記入年月日

 
読了直後のノートには以下のメモ書きしかなかった。同時進行する二つの物語からなる長編小説。あらすじをまとめるのが難しい。

 主人公のビール好きは、あるいは作者のビール好きの反映か。
 疲れを知らぬ肉体、暗闇の中で恐怖を知らぬ太った女。


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書名 書きあぐねている人のための小説入門 著者 保坂 和志 No
2004-03
発行所 草思社 発行年 2003年10月30日 読了年月日 2004−02−05 記入年月日 2004−02−07

 
好きな作家が書いた小説入門と言うことで飛びついた。著者の作品には特別のストーリー仕立てがないのに、読んでいて面白い。小説を書く場合にストーリーを考えることが一番のネックと思っているので、著者がそのことをどう考えているかに特に興味があった。勇気づけられる内容であった。

 一気に読んでしまったという小説はよい小説ではない。それは既成の小説であって、何か新しいものを付け加えるという小説本来の意味からすればよい小説とはいえない。ストーリーとは面白く読ませるための一手段であって、目的ではない。あらゆる物語のパターンはすでに旧約聖書の中にすべてある。

 小説とは書くことによって書き手が成長するもの。その時点で持っているものをすべてつぎ込み、出し惜しみをしないこと。
 
小説というのは読んでいる時間の中にしかない。読みながらいろいろなことを感じたり、思い出したりするのが小説であって、感じたり思い出したりするものは、その作品に書かれていることから離れたものも含む(140P)。まったく同感である。

 小説とは細部が全体を動かすと言う独特の力学を持った表現形式である。

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書名 「ネットの未来」探検ガイド 著者 歌田 明弘 No
2004-04
発行所 岩波アクティブ新書 発行年 2004年1月 読了年月日 2004−02−09 記入年月日 2004−02−12

 
グーグル検索への手引きが大変参考になる。ネットの広がり、そして、歴史資料として保存しようとする人々の熱意。

 グーグルそのものについても、また、使い方についても私は何も知らなかったのだ。特にキャッシュを使うことを本書によって教えられた。ちょうど本書を読んでいるときに今月のエッセイ「希望」を書いているときだったので、三田誠弘の書と本書とからヒントを得て、「希望・愛・感動・孤独・絶望そして白菜」を書いた。三田誠弘が小説を書く際に禁句として挙げた言葉をグーグルで検索してみた結果をエッセイにしたのだ。特に面白検索の例として、検索語2語で1件のヒットという遊びをヒントにした。本書では「集中治療室」と「かなぶん」などの例が挙げてあった。

 インターネットでは過去のサイトの内容も見られるようになりつつある。ネット上の全情報を定期的にそのまま取り込み保存しているサイトがすでに動き出しているという。デジタル化された情報は検索が容易だから、これは素晴らしい資料になる。例えば、ホワイトハウスのサイトは、クリントン時代の内容は今は一切ないが、米国議会図書館には保存されていて、見ることが出来るという。

 時間を超えるだけでなく、人と人との壁も超え、ファイルの共有化が進むという。私には具体的にどのようなものかイメージできなかった。


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書名 螢川・泥の川 著者 宮本 輝 No
2004-05
発行所 新潮文庫 発行年 平成6年 読了年月日 2004−02−14 記入年月日 2004−02−15

 
これも私のベッド脇の本棚にあった。息子が読んだのだろう。宮本輝の最初期の作品で、『螢川』は芥川賞を、『泥の川』は太宰治賞を取った作品。後者の方が先に書かれたもの。

 『泥の川』は昭和30年の大阪が舞台。川筋に住む小学校2年生の信雄と、向こう岸に繋がれた船の家に住む姉弟との交流を描く。信雄の両親は食堂をやっている。船の家はベニヤ板一枚で仕切られていて、入口は別々になっている。姉弟の母親はその一方の部屋で身体を売って生計を立てているのだ。そうした貧しい庶民の生活が描かれる。食堂のなじみの客であった馬車でくず鉄を運ぶ男は、ある日、橋の傾斜を登り切れず、力つきてバックしてきた自分の馬車にひかれて死んでしまう。そして、船に家もある日曳かれていくという筋。
 
 『螢川』は富山に住む中学3年生の竜夫の春から夏にかけて起こる出来事。北陸一帯で戦後事業を手広く興し成功した父。しかし、子供ができず、52才の時に旅館で働く女に身ごもらせ、妻と離縁した父。その父も、やがて事業が失敗し、失意の中でなくなる。竜夫は同級生の英子に秘かな思いを寄せるが、やはり同級生の関根も英子が好きである。その関根は釣りに行って神通川で溺死する。建具師の銀三爺さんから神通川の支流を遡ったところに螢が乱舞するところがあると聞かされ、竜夫は是非行ってみたいと思う。しかし、それは4月に大雪の降るくらい冬が長い年でなければダメだと言われて、連れて行ってやると言われてから5年も経っている。その年、4月に大雪が降り、銀蔵と母の千代と竜夫と、英子の4人で出かける。そして実際何十万という螢の乱舞に出会う。

 風景の描写が素晴らしい。大阪の安治川あたりの描写、あるいは富山の冬の描写。文章は簡潔で無駄がない。2作とも地味な作品であるが、庶民の生活を描いて胸にしむ。

             

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書名 道頓堀川 著者 宮本 輝 No
2004-06
発行所 新潮文庫 発行年 平成8年 読了年月日 2004−02−20 記入年月日 2004−02−23

 
前作に続いてベッド脇あった宮本輝の作品。息子ではなく、娘が読んでいたようだ。

 道頓堀川沿いに生活する人々が、暖かい目で描かれている。主人公の武内はかつては賭ビリヤードで日本一の腕前を持っていた男。今は戎橋のたもとで小さな喫茶店を開いている。彼の妻は、占い師の画家と駆け落ちをしてしまうが、やがて一人息子の政夫を連れて戻ってくる。武内は妻を蹴飛ばし、それが原因で数年後妻はなくなる。息子の政夫はやはりビリヤードが強く、金持ち相手に賭ビリヤードを行い、それで生活している。もう一人の主人公、邦彦は大学生であるが、両親をなくし武内の店に住み込み、店の手伝いをしながらから大学に通っている。その他にゲイのかおる、料理屋をやるまち子、ストリッパーのあけみ、ビリヤード屋の主人吉岡、邦彦の父の愛人弘美、など大阪切っての歓楽街に住む人々が登場する。皆それぞれに哀しみを抱えながらも精一杯生きている。作者はそれぞれの人物に暖かい目を注ぐ。前作でもそうであったが、登場人物が皆心暖かい人達ばかりである。

 この作品の本当の主人公は題の「道頓堀川」だ。地名や通りの名前、橋の名前がたくさん出てくる。私の40年も前の短い在阪体験を何とか思い出そうとしながら、一種の懐かしさを感じつつ読んだ。出だしの道頓堀川の描写をはじめ、歓楽街のずっとはずれの方の橋の上から邦彦とまち子が眺める川の描写など風景描写がすばらしい。

 最後は親子でビリヤード対決をするところで終わる。
 宮本輝の作品には、回想部分が多い。保坂和志は回想形式を否定していた。


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書名 春の夢 著者 宮本 輝 No
2004-07
発行所 文春文庫 発行年 88年 読了年月日 2004−02−28 記入年月日 2004−02−29

 
やはり大阪が舞台。大学生の哲之は父が死後に残した借金の取り立てから逃れるために奈良県に近いへんぴなところのアパートの引っ越して住む。母は梅田の料理屋に住み込みで働く。引っ越してきた夜、暗がりの中で、帽子を掛けるためのくぎを柱に打った際、気がつかずに小さなトカゲを打ち付けてしまった。翌日気がついたが、トカゲは死んでいなかった。釘を抜くのを躊躇しているうちに時間は過ぎていったが、トカゲは死なない。やがて、そのままの状態で買うことにして、餌と水を与え、「キン」という名前まで付ける。
 
 哲之は夜、ホテルのボーイとして働き、大学卒業を目指す。彼には陽子という育ちのいい優しい恋人がいて、将来は結婚するつもりでいる。その陽子に別の結婚話が持ち上がり、陽子も一度は心を動かす。ホテルでは哲之は社長の後継者争いに巻き込まれたり、あるいは客のドイツ人老夫妻を陽子と共に京都に案内し、その夫妻が自殺しようとしたのを未然に防いだりといった物語が進行する。生きることの肯定が作品のテーマか。哲之の友人中沢は親鸞の歎異抄に心酔しているが、哲之は歎異抄は人を死へ誘う毒を秘めたものとみる(例えば236p)。歎異抄に対する見方は作者自身のものかもしれない。

 哲之の住まいまで押し掛けてきた借金取りのヤクザを訴え、刑務所に送ったのだが、ほぼ1年後にその仲間に仕返しされ、したたかに殴られ大怪我をする。ケガの癒えた哲之は母と将来は陽子共に住む家に越すことになる。1年ぶりでトカゲの釘を抜き、箱に入れて飼育する。ところが、箱の中の石ころの陰にいるものと思っていたトカゲはいつの間にか消えていた、というところで物語は終わる。
 釘付けにされたままなお生き続けるトカゲの驚異的な生命力が、象徴的であり、主人公はトカゲと一体化していく。例えば179〜。人生に必要なものは有機と希望と忍耐だという父の言葉を思い出し、キンこそその3つであると哲之は思う。

 夢を持ち出すことは回想形式を多用することと並んで、保坂和志はするなといっていたが、この小説では哲之が見る夢、トカゲになって何回も生き返る夢が大きな意味を占めている。

「道頓堀川」の方が作品としての出来が良い。登場人物の生きることの切なさがよく描かれていて感情移入しやすい。「春の夢」はストーリー展開が粗く、描写も細かくない。


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書名 博徒の幕末維新 著者 高橋 敏 No
2004-08
発行所 ちくま新書 発行年 2004年2月 読了年月日 2004−03−03 記入年月日 2004−03−06

 
タイトル通り博徒と幕末維新とのかかわり。取り上げられたのは竹居安五郎、勢力富五郎、武州石原村幸次郎、国定忠治、黒駒勝蔵、水野弥三郎らである。甲州竹居安三郎の子孫に残る古文書など新しい資料に基づき、任侠の世界に歴史学的手法を初めて適用したと、著者は言う。

 清水次郎長を初め、国定忠治、あるいは飯岡と笹川の血で血を洗う一騎打ちなど、これらは浪花節や大衆演劇の主人公である。祖父母達が愛した世界だ。私はこうした面には疎く、どんな人物が登場するのかもよく知らない。本書はそうした人々の歴史的実像に迫ろうというものだ。

 竹居安五郎は甲州の豪農の出。村のリーダー的存在の彼の兄と彼がどのようにして任侠の世界に入ったかは明らかでない。安五郎は召し捕られ、新島送りとなる。しかし、そこで名主を殺し、船を奪い島抜けする。たどり着いた網代では代官江川は折からの黒船来航の対策に忙しくて、安五郎の逮捕までは手が回らず、安五郎は甲府の郷里まで帰って復活する。さすがに最後は幕府もメンツにかけて捕らえ、彼は獄死する。安五郎は次郎長の敵役である。

 面白かったのは、村の百姓が署名を集め、名主役の安五郎の父に迫り、年貢徴収とそれに伴う費用等、村の出費の明細の公開を求めたというエピソード。その結果、年貢の収め方もこれら農民と、名主に肩入れするグループとで別会計で行うようになったという。文化年間、19世紀初頭の頃のことだ。江戸時代の農村の実体が描かれていて、興味があった。この他にも他村との水利権や入会地の争いがあり、それらに対処するなかでは当然暴力的になることもあり、親分子分の関係ができ、やがて任侠の世界に進んでいくというのが、彼らがヤクザになった理由のようだ。

 天保水滸伝というのがある。浪曲か講談だ。この言葉に私はなぜか母方の祖母を連想する。祖母が天保水滸伝を好きだったという具体的な記憶は残っていない。天保水滸伝の中身も知らなかった。私は河内山宗俊らの活躍する物語だと思っていた。実際は「飯岡と笹川の血で血を洗う一騎打ち」が天保水滸伝であった。これは銚子と利根川下流域を舞台とする天保年間からの両者の抗争を扱ったものだ。勢力富五郎は殺された笹川の一の子分で、親分を殺されてから凶暴化し、鉄砲などで重武装をして幕府に反抗する。幕府は5〜600人もの捕り方を動員し彼を包囲する。そして、富五郎は鉄砲で自らの命を絶つ。嘉永時代のことで本書では嘉永水滸伝として書かれている。嘉永の時代には幕府の権威はそれだけ衰えていた。そして、幕末にかけて次郎長や、黒駒勝蔵、石原村幸次郎らが躍り出てくる。

 国定忠治の処刑も嘉永年間である。彼は従容として磔刑につくことにより、自分の最後を演出し、腐敗した幕藩体制への抗議をしたと、著者は書いている。国定忠治のことも私は本書を読むまでほとんど知らなかったといっていい。
 石原村幸次郎は神出鬼没の行動力で、関東から駿河、甲州を荒らし回り悪事を働いた。幕府もなかなか捕まえることが出来なかった。

 次郎長の敵役として出てくる黒駒勝蔵も甲州の生まれで、島抜けした後の竹居安五郎を庇護する。勝蔵は維新の赤報隊に参加する。さらに官軍として東北の戦いにも参加するのだが、明治になって、博徒の頃の出入りでの殺人をとがめられ処刑される。 
 また、水野弥三郎は岐阜地方の大親分であるが、やはり赤報隊に加わり、赤報隊が一転賊軍とされた際に、捕らえられる。彼は獄中で縊死する。

 同じ博徒で、しかも出入りでの人殺しも行っている次郎長は、うまく明治維新を生き抜いた。勝蔵や弥三郎には次郎長にあった時流を見る目がなかったと著者は言う。それは批判ではなく、歴史に翻弄された人間への深い同情である。


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書名 昭和史の決定的瞬間 著者 坂野潤治 No
2004-09
発行所 ちくま新書 発行年 2004年2月1日 読了年月日 2004−03−10 記入年月日 2004−03−11

 
決定的瞬間は昭和20年8月15日でも、あるいは16年12月8日でも、11年2月26日でもない。本書では11年から12年にかけての時期に戦前日本の分岐点があったとし、それを資料に基づいて独特の視点から明らかにしていく。私が本書を読んだ感想としてあえて特定の日を挙げるならば、昭和12年の蘆溝橋事件の勃発した7月7日であろう。

 筆者は戦前の日本を一方の極に戦争とファシズムがあり、他方の極に平和と民主主義があり、前者が後者を追いつめて日中戦争に突入したという見方を取らない。民主化の頂点で日中戦争に突入し、それが民主主義を圧殺していったという見方を取る。

 筆者が特に重視するのは、11年2月の2・26事件の直前に行われた総選挙、および12年4月の総選挙での社会民主主義政党、社会大衆党の躍進である。最初の選挙では社会大衆党は軍拡と国民生活の安定の両方を主張し、軍部と結びついていたが、次の選挙では、国民は社会大衆党に民主化を期待したと分析する。この現象をもって、戦前の社会は12年に民主化の頂点にあったとする。軍部、民政党と政友会に代表される自由主義者、そして社会大衆党の社会民主主義勢力という三者の関係を詳細に明らかにしていく。

 本書では斉藤隆夫の有名な反軍演説を初め、政治家や著名な評論家の著作、政党のスローガン等が多数引用されている。その烈しい軍部攻撃の口調には戦後の時代でもこれほど思い切ったことはいえないと思うほど、びっくりするものがあり、この時代が決して言論が完全に抑圧されていたのではないことは明らかだ。「改造」や「中央公論」には人民戦線論者の大森義太郎の論文も載っていて、本書では彼の論文も重要な資料として随所に引用される。そういう意味でも民主化の頂点にあったという著者の主張は納得できる。ただ、蘆溝橋事件から始まる日中戦争の意義を多くの人が過小評価しその将来を楽観視していた。その持つ意味を見抜いていた一人は共産主義者で詩人の中野重治である。専門家が見抜けないことをかえって詩人の直感が見抜く例だ。ゴルバチョフの改革が、東欧の解放、ソ連の解体に進むと見抜いた福田恒存のことを連想させる。もう一人日中戦争が世界大戦に発展し、それは未曾有の惨禍をもたらすことを予言していたのは、反英国の右翼で、日中戦争肯定論者の軍事評論家武藤貞一である。彼の著書には後の日本の都市への空襲や原爆投下を予言するような記述があり驚く。武藤の本を山本五十六に読ませたかったと著者は言う。それ以上のことは言っていないが、山本の神格化を否定し、太平洋戦争開戦の責任を問うと言外ににおわせているのだろう。

 戦後の民主化が占領軍による押しつけだなどという見方は、とんでもないと著者は最後にいっている。戦前にすでにその伝統、素地は十分に見ることが出来るというのだろう。


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書名 変化球の大研究 著者 姫野龍太郎 No
2004-10
発行所 岩波アクティブ新書 発行年 2002年10月 読了年月日 2004−03−15 記入年月日 2004−03−16

 
野球の変化球はなぜ変化するかを科学的に解説したもの。基本は球が回転しながら進むことにより、球のそばの空気の相対的速度に差が出てきて、マグナス力という力が生じるからである。球の周辺の空気の流れは、縫い目の山によっても変化する。著者は理化学研究所で、変化球やコンピュータによる人体シミュレーションの研究に取り組んでいる。

 野球でカーブが投げられたのは1860年代のアメリカであるが、カーブが実際に曲がることを人々が納得したのは、1950年代である。カーブは進行中ずっと曲がっているのだが、打者の手元で曲がるように見えるのは視線角度の変化が手元近くで急激に大きくなるからである。

 著者はいわゆる直球というのは変化球であり、フォークボールが変化しない球だという。というのは、直球はバックスピンがかかっていて、そのために上向きのマグナス力がかかり、本来は放物線を描いて落ちるべきところを落ちないで進む。フォークボールはバックスピンがかかっていないので、放物線を描いて落ちる。こちらの方がナチュラルな球だという。私はフォークボールはトップスピンをかけて落とすものだと思っていたので、これは意外であった。

 面白いのはジャイロボールという球種。まだまったく一般的ではないが、これは進行方向と回転軸が一致した球種。この球だと途中で曲がる向きが変わったりする可能性があるという。どうしたらジャイロボールが投げられるかその投球方法まで説明してある。
 いろいろな球種の握り方が写真で示してある。私がかつて試したことのある、親指と人差し指・中指の間にはさんで投げる投げ方はどこにもでていなかった。この握りでトップスピンをかけるようにして投げると、大きく落ちる。だから私はフォークボールは人差し指と中指の間にはさんでトップスピンをかけるものだとばかり思っていたが、そうではなかった。私の投げ方は、チェンジアップだと田中は言った。チェンジアップ一種、OKボールの握りも写真がでていたが、これは親指と人差し指を丸め、そこと小指の間に球をはさんでバックスピンを殺して投げると解説してあった。そもそも、チェンジアップとは、同じフォーム同じ腕の振りで、握りだけを変え球速を殺す球であると解説してあった。そして、アメリカにはストレート、変化球という用語はなく、145キロ以上の速い球はファストボールと呼び、145キロ以下のストレートはチェンジアップと呼ぶとのことだ。また、日本のシュートと呼んでいる変化球はスクリューボールと呼ぶ。ストレート系のボールで手元で少し変化するのをムービングボールと総称するようだ。昨日だったか、オープン戦で2試合凡退した松井秀喜が、ムービングボールにやられたといっていた。

 最速の球を投げるためのコンピュータが計算したフォームも提示されている。空気抵抗の関係で、ジャイロボールが最も速い球の候補としてあげられる。クリケットの解説、不正投球の解説もある。
 私流の投げ方を誰かやってみないかと思った。

追記 2004−03−30
 今日、東京ドームでメジャーリーグ開幕戦が行われた。ヤンキース対デビルレイズである。ヤンキースのムシーナ投手のスローモーションを見ると、人差し指を折り曲げ、ボールを中指と親指ではさんで投げる球を多用していた。解説者は「ナックルカーブ」だと言っていた。大きく落ちる球である。初めて聞く球種であり、この本にも載っていなかった。ナックルとはいえ、回転はしている。ふと思いついたのだが、私が人差し指と親指の間にはさんで抜くように投げた球と同じ球質のものではないか。ムシーナ投手のは人差し指は恐らく球を押し出すように使うので回転は減少する。

 その他にも人差し指、中指、薬指の3本を立てて投げる球もスロービデオで写った。大リーグのピッチャーは速球とフィンガースピリットボールだけを投げるのではなく、色々な球を投げるのだと驚いた。
 もう一つ、松井の第3打席はセカンドゴロだったが、そのシーンのスロービデオを見て、私は「ツーシーム」だとつぶやいた。そしたらすぐに、解説者が「ツーシムボールでしたね。大リーグ特有のボールです」と解説した。ツーシームボールは本書に詳しく解説してある。本書のサブタイトルは「野球が面白くなる」であるが、それを実感した。

 ナックルボールの話を息子にしたら、日本のピッチャーでこの球を投げるのはオリックスの加藤だという。

                              

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書名 桜の文学史 著者 小川 和佑 No
2004-11
発行所 文春新書 発行年 2004年2月 読了年月日 2004−03−26 記入年月日 2004−03−27

 
日本人に桜がどのように受け入れられてきたか。上代から現代まで、文学に現れた日本人の桜感をぎっしりと詰め込んだ読みでのある本。

 植物としての桜の歴史にも触れられていて、初めて知ることが多かった。現在主流のソメイヨシノは江戸末期に関東で交配種として作り出され、明治時代に全国的に広まっていったもの。上代の桜の主体は山桜であった。それは花の数も少なく、花弁も少なく、色も淡くてソメイヨシノよりはずっと清楚である。ソメイヨシノの樹齢は普通100年に満たない。ただ、枝垂れ桜は樹齢がずっと長いので、各地に残る樹齢数百年と称する桜はほとんどが枝垂れである。

「桜愛」「桜愛者」という言葉で多くの人を取り上げる。藤原定家、西行、世阿弥、芭蕉、蕪村、一茶から、梶井基次郎、三好達治、谷崎潤一郎、渡辺惇一・・・・。
 桜という文字の初出は古事記で、それは5世紀初頭の命名起源としてである。それが歴史的事実であったかどうかは不明であるが、少なくとも記紀が編纂された8世紀には人々の意識の中に桜の美しさはしっかりと確立されていたと著者は言う。それは土着の信仰の域を脱し、貴族による都市文化の一部としての桜美である。

 定家や西行により確立された桜観には、梶井基次郎以後に持ち込まれた桜に死を見るという観念は全くなかった。あくまで生の賛歌としての桜である。
「桜の樹の下には屍体が埋まってゐる!」という梶井の衝撃的な一文は、多く誤解された。彼は桜に生の輝きの絶頂を見たのであり、死と再生を願ったのだと著者は言う(225p〜)

一番興味があったのは、戦前の日本で国家と結びついた桜への賞賛を全面的に否定していること。その源流となった本居宣長に対しては、定家や西行などが作り上げた桜観をねじ曲げたと手厳しく批判している。
 武士の花としての桜も著者は否定する。この結びつきは忠臣蔵劇の塩谷判官の切腹場面により広まったという。

 日本文学の至る所に桜は取り上げられている。最近のJポップは桜を取り上げていないと著者は述べている。その後で括弧書きで、21世紀になって福山雅治の「桜坂」と森山直太郎の「桜」が出てきたと記した。桜=花の下での酒宴あるいはかつての軍国の象徴としての桜、というイメージから桜はニューミュージックやその流れをくむJポップでは敬遠されてきたのだろ。

135p:武門の桜。哲学としての桜の否定、
169p:本居宣長
180p:明治政府はイギリス人の指導により銀座の並木として桜と松を植えた。

さまざまの 事おもひだす 桜かな   芭蕉 

 以前のJTのカレンダーにこの句が載っていた。何気ない句でありながら、深い共感を覚える。日本人の心性を見事に掴んだ句だ。作者芭蕉とあるのに少し驚いた記憶がある。現代の俳人の句かと思った。わびとかさびとは遠く、近代的な匂いがする。芭蕉らしくない。逆に言えば詩人芭蕉の大きさを認識した句である。彼こそは日本の生んだ最大の詩人である。

 4月3日の土曜日に横須賀の塚山公園から三浦半島最高峰の大楠山ハイキングを計画した。いずれも桜が良い場所だという。今年の桜は記録的な早咲きで、18日に東京などの開花宣言がされた。4月3日ではもう散ってしまうだろうと覚悟していたが、その後、昨日あたりまで低温が続き、開花が進んでいない。どうやらぎりぎり間に合いそうだ。Sさんにさそいのメールを出したら、別の予定があって行けないが、たくさんの桜を見たいと思っているので残念だと返事が来た。私も出来るだけたくさんの桜を見ておきたいと思う。

                             

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書名 鋼の女 最後の瞽女・小林ハル 著者 下重暁子 No
2004-12
発行所 集英社文庫 発行年 2003年8月 読了年月日 2003年8月 記入年月日 2004−04−09

 
エッセイ教室で下重さんが持ってきて皆に紹介した。

 新潟県地方を中心に活躍した瞽女のライフヒストリー。小林ハルは1900年生まれで、2003年103才になるが、まだ健在である。下重さんはハルさんやハルさんの面倒を見ている人々からその生涯を聞きだし、本書とした。ハルさんは幼いときから目が見えず、瞽女になる決意をし、厳しい親方の下で修行を積む。そして9才の時から旅に出る。特に徒弟制度の厳しい中にあって、意地悪な親方の下での旅の厳しさは、いくら昔とはいえ、ひどすぎる。食事は盛り切りのご飯にみそ汁と漬け物。文句を言えばぶたれる。その日の泊まり場所探しから、親方の荷物の世話、洗濯等幼いハルはそれを黙って行う。大人になってからは、旅先で夜ばいをかけられる。しかしハルは身を守り生涯独身を通した。後年自身が弟子を取ったが、ハルは弟子には自分のした苦労を決して押しつけなかった。

「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」というのが彼女のモットーであった。そうした中から鋼のような強靱な女が生まれていく。それはしっかりと自立した女である。下重さんはそこに引かれて彼女の生涯を綴ってみたかったのだ。
 ハルさんはその芸を認められて、人間国宝に指定される。
 瞽女という業があり、その生態がどのようなものであったかを知ることが出来た。

 初出は1990年、新潟日報に連載。

                             

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書名 真夏のパース 著者 西方保弘 No
2004-13
発行所 発行年 読了年月日 2004-04-30 記入年月日 2004−05−01

 
西方さんがパースでのホームステイと語学研修の3週間を記録したもの。例によって一日の行動が詳細に記されている。3度の食事とそれに対するコメント、あるいは体調と飲んだ薬、ステイ先のホストとの会話、学校での授業、留学にかかった費用の詳細が全部・・・・。
 以下のようなメールを送った。

『真夏のパース』読み終わりました。
帰る前日、展望台でお孫さんに「モザンビークに来てくれ」と言われ、二人を抱きしめたというところを読んで、貴兄のホームステイが素晴らしいものだったと思いました。淡々と記された事実の中から、アレク・アンナ夫妻の人となりが浮かび上がってきます。
 卒業スピーチも立派なスピーチでさすがです。
 色々と積極的に発言し、日本の若者をたしなめたりするシーンが多々ありますが、いつもの貴兄の調子で大きな声でやっているのだろうと想像しながら楽しく読みました。私にはとても真似できないことです。
パースは私たち夫妻で初めて訪れた外国です。ロットネスアイランドをバスで回ったとき、丘の上に砲台があり巨大な大砲が北方向、パースに向けられていました。説明では、パースに攻めてくる日本軍に備えたものだとありました。その時、日本はオーストラリアとも戦争をしたのだと再認識しました。
 パースの駅から電車に乗った際、別方向の電車に乗ってしまい、また戻ったこともありました。私が駅員に駅の名前を言って確かめたのですが、その時bとvの発音が悪く、駅員が誤解したのだろうと言うことになりました。
 読みながら、11年前のパース旅行の断片が蘇ってきました。
重ねてありがとうございました。

注) 西方さんは職場の同僚で、定年後、英語学習のため単身パースにホームステイした。
             


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書名 摩擦の世界 著者 角田 和雄 No
2004-14
発行所 岩波新書 発行年 94年11月 読了年月日 2004−04−28 記入年月日 2004−05−05

 
今はもうなくなった霧が丘の古本屋で見つけた本。長いこと放ってあったのを見出し、読んだ。

 摩擦が日常のあらゆるところまで絡んでいることを説く。多くの場合摩擦は少ない方がいいが、しかし全くなかったら我々は歩けないし、自動車は走れない。木をこすって火を得た太古の昔から、今でもマッチやライターなどの着火器は摩擦を基本としている。地震は地殻の摩擦で起こり、雷は空気の摩擦で発生し、火事は各種の摩擦から起こり、そして、親父と息子との間には文化摩擦があると著者は言う。

 日本は世界に比較して近世に車輪を利用する乗り物が発達しなかった。それは馬方や船方の保護のために車つきの乗り物が制限されたためだという説を引用している。
 車輪の歴史は極めて古く、紀元前30−40世紀にシュメール人によって発明された。

 後半は著者の専門の軸受けを中心に専門的な話になる。写真や図面が多く、説明がわかりやすい。自動車や機械は摩擦との戦いである。軸受けの中に固体と固体の間に液体が入ることで、固体同志が接触しないものがある。流体型軸受けと言うそうだ。
 当然ながら、軸受けのしゅう動面の研究もミクロの世界に進み、表面の分子状態の考察まで進む。最後の方にはそうしたことも紹介されている。

 トライボロジー:
「接触して相対運動する表面、それに関連する諸問題、実際への応用についての科学と技術」1966年イギリスで提唱された術語で、その後正式に認められた。その際、摩擦の研究による経済効果はイギリスで年間5000億円、当時のGNPの1.3%であると言われ、大きな反響を呼んだ。

 ハードディスクの記録面とヘッドとの間は動圧型空気ベアリングで、その間の間隙は0.2マイクロほどであるという。

                              

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書名 バイオコンピュータ 著者 神沼二真 No
2004-15
発行所 日本経営出版会 発行年 85年3月 読了年月日 2004−05−10 記入年月日 2004−05−18

 
これも本棚の奥から見つけて読んだもの。多分題に惹かれて買ったものだろう。バイオチップの具体的な例を中心に書かれたものとの期待があったのだろうが、まったく裏切られた。コンピュータやバイオテクノロジーに関する著者の断片的エッセイといったもの。シドニー・ブレンナーのノーベル賞のことにも触れられている。今の時点で読むと、当時(20年ほど前)の考えや予測が余り当たらないものであるのを感じる。

 コンピュータの方向として第5世代コンピュータや並列処理といったことが当時論議されていたが、今はそうした話は聞かない。コンピュータの発展はPCによるネット構築へと進んでいった。人間に近いコンピュータというこの本でも取り上げられている方向も、余り進んでいないような気がする。脳科学の進展が当時期待したものほどではないのではないか。

                             

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書名 老人力 著者 赤瀬川 源平 No
2004-16
発行所 筑摩書房 発行年 1998年9月 読了年月日 2004−05−17 記入年月日 2004−05−18

 
下丸子の実家の本棚を整理してたら出てきた。母がこんな本を読むというのが不思議な気がした。恐らく読み通してはいないだろう。題名に惹かれて何気なく買ってみたが、内容は母の想定とはまったく違っていただろうと思う。

 一時期はやった言葉である。加齢と共に現れる物忘れ、体の不調などを「老人力」として肯定的に考えようと言うのが主旨。老人力という言葉は、南伸坊や藤森照信らの路上観察学会の仲間から著者の物忘れのひどさに対して提案された。著者はこれを老人力という新しい力の発見と称する。

「侘び」「さび」と言った日本伝統の美意識も言ってみれば老人力の一種で、アメリカには老人力がないという。鋭い指摘かもしれない。

 雑誌「ちくま」に連載されたものを主体にまとめたもの。

           

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書名 性的唯幻論序説 著者 岸田 秀 No
2004-17
発行所 文春新書 発行年 平成11年7月 読了年月日 2004−05−27 記入年月日 2004−06−01

 253pに本書の論旨が述べられている。

 
人間は本能が壊れているのでみんな基本的に不能である。人類の性文化はこの基本的不能を何とか克服し、男と女を性交させるために作られたものである。性交に際してはペニスが勃起することが必須であるので、ペニスの勃起が優先された。そのため性文化は最初から男性優位的で、女性差別的である。この性差別により人類は不能の問題を解決してきた。男の強い性欲を基盤として資本主義がまず西欧で成立し、それが他の地域に広がったので、性差別はますますひどくなった。

 人類の性文化は性交を何らかの幻想と結びつけ、男をその幻想へと引き寄せる形で、性交へと引き寄せるというのが基本である。
 こうした観点から性の問題を論じる。

 西欧キリスト教社会は、女をロマンチックな憧れの対象と娼婦とに2分化した。男はそのいずれとも性交するためには金が必要であった。そのために男は奴隷的に働くことになり、それが資本主義を発展させた。
 西洋で作られた性差別的観念が、明治以後の日本にももたらされ、確立していった。それ以前の日本の性文化は差別的なものではなく、もっと開放的で自由な男女間の関係であったと著者は言う。
 こうした差別的性文化が、近年の性革命により壊され、男が性的な幻想を抱けなくなったので、性的不能者が増えたのが現在であるという。それは、著者にとっては望ましい状態だという。

 「人間は本能が壊れている」という大前提の説明がなされていないのが不満であるが、この大前提を認めると、後の展開は大筋において納得できる。私の性意識は古い性文化にどっぷりと浸かり、それが随までしみ込んでいたことを思い知らされる。

 著者は精神分析の専門家で、私より5歳年上。所々出てくる著者の若い頃の個人的体験には共感を覚える。私の若い頃は、いつも性衝動に突き動かされていた。男同士が集まると猥談、女の話ばかりし、コンパでは猥歌を高唱し、体験者の一晩に何回やったと言った話しに感心したものだ。こうしたことは今の若い人は余りやらないのではないかと常々思っていたが、本章を読むとどうやらそうらしい。今の若い人は、ずっと自由にセックスできるので、そうしたことではけ口を求める必要がないのだ。

 結婚での処女へのこだわりや、女には性欲がないと言う思いこみも今の若い人には見られない。

 98年から99年『文学界』に連載。
            

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書名 俳句的生活 著者 長谷川 櫂 No
2004-18
発行所 中公新書 発行年 2004年1月 読了年月日 2004−06−01 記入年月日 2004−06−14

 これも好著。俳句に関するエッセイとも言えるが、俳句を肯定し、俳句の精神を基に人生を肯定する著者の姿勢が力強い。

「切る」「生かす」から「平気」「老い」にいたる12の章から構成される。

「切る」の章ではいきなり宮本武蔵の物語がでてくる。テレビドラマでも見た柳生石舟斎が武蔵に芍薬をお通を通して渡す話だ。その切り口の鋭さに武蔵は並々ならぬ力量を推察する。一方吉岡伝七郎はそれに気がつかなかった・・・。こんな話から俳句における「切れ」の大切さを述べる。句を切ることによって生み出される間があるからこそ、俳句は文章や詩に匹敵する、あるいはそれ以上の内容を伝えることが可能なのだという。

 例えば「古池や」の句についても、切れ字「や」が入ることで、現実世界で起きている「蛙とびこむ水の音」とは切り離された心の中に現実ならざる古池を浮かび上がらせている。p12−13。
 著者は読売新聞勤務から転じて俳人となった。特定の流派に属さず、飴山実という山口大学の教授に師事して俳句の道に入った。飴山という人は発酵学が専門とのこと。本書には古典から現代文学まで、著者の博識を窺わせる広い引用がある。「捨てる」の章には著者の「五千冊売って涼しき書斎かな」の句が引用されている。

 いずれの章もそれぞれに興味深い。私自身の年齢のせいか、子規の晩年を中心に論じた「平気」と、高浜虚子と谷崎潤一郎の晩年を論じた「老い」という最後の2章が心に残る。

 子規は笑いを排しリアリズムに徹することを主唱したととらえられているが、滑稽家という一面があることを紹介している(大岡信がそうした子規を再発見した)。従来悲壮な面ばかり強調されてきた最後の3句も、滑稽家としての子規の面目が出た句であるとする。特に「糸瓜咲いて 痰のつまりし 仏かな」は病苦にあえぐ自分を冷静に眺め、しかもそれを戯画にしている筋金入りの滑稽の精神が存在する、という。「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」と、子規は「病床六尺」に書いた。子規を支えたこの「平気で生きて居る事」という悟りは、実は晩年の芭蕉が唱えた「かるみ」のことであった、と著者は書く(p146)。数日前、NHKのテレビで永平寺の103歳の管主の日常を特集していたが、その中で、管主は子規のこの言葉を引用して、悟りというものを説いていた。

「老い」の章では文豪について述べている(p264)。文豪の「豪」には「豊か」と言う意味と「強い」と言う意味がある。「強い」と言う意味からすれば、芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫、川端康成のように自らの命を絶った人は文豪とは呼べないと切っている。真の意味で文豪の代表は谷崎である。

罠にも似た人生を中途で見切らずに最後まで見届ける。何のために?何のためでもなく、ただこの世の果てを見届けるために見届ける。これが滑稽の精神である。それを芭蕉は「かるみ」にまで高め、子規は「平気」といいかえた。自殺は俳句の対極にある。(p265)

やわらかに 人分け行くや 勝角力  几菫

黒柳召波について述べた部分もある(p90から)
                             

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書名 遊ぶ日本語 不思議な日本語 著者 飯間 浩明 No
2004-19
発行所 岩波アクティブ新書 発行年 2003年6月 読了年月日 2004−06−08 記入年月日 2004−06−14

 
源氏物語から、近現代作家の小説、政治家の演説、テレビでの色々な場面での発言、新聞、週刊誌、インターネットのHP・・・など、驚くほど多彩な場面から言葉を拾って、日本語を論じている。著者は早稲田大学の非常勤講師。源氏物語時代の古語と現代語との相違を研究しているとのこと。

 人々、山々と言うようなのを塁語と呼ぶそうだ。人々とは言えても、「猫々」と言えないのはなぜか。本書によれば塁語化が可能なのは、一つ一つが独立的に取り扱えるもの、つまり個性が認められるものである。それは程度問題であるから、例えば動物病院で次々に来る猫を見る獣医は「訪れる猫々に注射をしたり薬を与えたりして・・・」といっても比較的抵抗はないのではという。実際「穴々」(島木健作)、「丘々」(中島敦)、「教室々々」(島崎藤村)といった例を挙げている。

 やっかいだと言う意味で「悩ましい」という言い方を耳にする。私は抵抗を感じるのだが、著者はそれは新しい用法ではないという。すでに源氏物語にそうした使い方が出ていて、「悩ましい寝姿」という意味での使い方の方がかえって新しいのだという。

「モーニング娘。」という言い方についても論じている。「。」が入ることによって、文章となり、人に語りかける感じが出る。逆に語りかける感じを出したくない場合は「。」をとってしまえばいいと言い、その例として、たばこのパッケージの「・・・・・吸い過ぎに注意しましょう」という文を挙げている。この文により売り上げが減っては困るので、意識して「。」をとっているのだろうと皮肉っている。
 ちなみに、いま「モーニング娘」と入力したら、自動的に「。」が入った。辞書に登録されているのだろうか。それとも以前の入力を記憶していたのか。検索してみたが、以前に「モーニング娘。」と入力した実績はなかった。ということは辞書にすでに登録されているのだ。

 こうした言葉の収集は面白い。私も少しばかり心がけているが、本書のような広い収集はとても及ぶところではない。「方向性」「月極」という言い方に私は疑問と抵抗を感じるが、本書には取り上げられていなかった。著者の資料にはもうあるのだろうか。

 著者は書いていないが、源氏物語などの古典のデジタル化はもう完成していて、単語の検索はすぐ出来るのだろう。コンピュータが強力な力を発揮する分野の一つであろう。

                              

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書名 江戸の恋 著者 田中 優子 No
2004-20
発行所 集英社新書 発行年 2002年4月 読了年月日 2004−06−16 記入年月日 2004−06−17

 
渋谷に出掛けるとき、車中で読む文庫あるいは新書が手元になかったので、長津田乗り換えのわずかな時間で本屋により探した。江戸時代の男女関係はおおらかで自由であったとしていた「性的唯幻論序説」の事が頭にあって迷わず本書を買った。

 前書きで、江戸時代を「封建制度」「鎖国」「閉塞社会」といったキーワードからだけ見ることをやめ、もっと他の切り口から見ることを説く。江戸の恋はどこか冷静で、自分を突き放していて、どこか冗談ぽい、つまり「粋」の原点であり、閉塞していない。むしろ現代の恋のほうが、ストーカーなどに見られるように閉塞している。同様に、現代日本もアメリカとの関係に閉塞していて、広く世界を見ていないと鋭く批判する。

 江戸の男女関係を論じているのだが、自分の恋の体験を随所に織り交ぜて書いていて、楽しい本である。著者の人となりがわかる。前に同じ著者の「江戸の想像力」を読んだとき、読み進めながら、何回も曽野綾子のことが浮かんだ。田中優子の仕事は知の新しい分野を切り開き、構築していくのに反して、曽野綾子の書くものは通俗的で常識的なものばかりで、何も新しいものを生み出していないという感想であった。それなのに曽野綾子ばかりがのさばっている世の中はおかしいというちょっとした憤りさえ感じた。

 さすがに江戸学の大家、たくさんの資料を引いて江戸の恋の実体を浮かび上がらせる。それは岸田秀が述べたものと本質的に同じで、自由で、開放的である。江戸時代の遊女のプライドの高さ、遊郭の格調は、それらが立派な文化であることを認識させる。

 結婚の形式もむしろ女の方が強かった。持参金には夫は手をつけることが出来なかった。また、離婚も多く、女が家に縛られることも少なかった。家という観念は姓を認められた明治以後に発達したもので、江戸の庶民には余りなかった。養子が多いのも男女関係が自由で、誰の子ということがあいまいだったことに原因があるという。
 春画も今のポルノと違い、男女とも裸で、しかも外界に通じる風景の中での男女の絡みという構図が多いという。

 引用は西鶴や近松などの文学作品、あるいは黄表紙が多い。文学がいつの世にもその時代を反映するものなのだ。『好色一代男』というときの好色とは、単にセックス好きという意味よりずっと広く、「
流行に敏感でセンスがよく、口の利き方も気が利いていて、人への気遣いも慣れていて、教養があって、芸もでき、恋心についてもよく知っている、というような人をさす」と述べている(p27)。私などとても「好色男」にはなれそうもない。

 最後の「老い・死・恋」の章で、「
後ろ向き、衰微、影、寂しさ、憂鬱、死の予感―そのほうが恋に似合っている。恋はしないが、恋に似合う人。そんな人が現れたら恋をしそう!」と、離婚歴のある著者は書く(p189)。さらに続けて、「死の影を持った恋。それが究極の恋である。」という。恋と死別というテーマでは、上田秋成の『雨月物語』他の作品が引用される。

追記 2004−07−05
 学士会会報 2004−IV  No847 p104に「ヘルシンキでの浮世絵春画展」という記事が載っていた。それはまさに本書の述べるおおらかな江戸の性の表現で、ヘルシンキでも暖かく迎えられ、日本の江戸時代の再評価につながったというものであった。
 勝川春潮の『好色図絵十二候』の、8月の図の書き入れを紹介している。中年夫婦が中秋の月見をしながら坐位で交わっている絵柄である。

 
亭主「今夜は月見のせゐかたいへん味がええ」
 女房「私も今夜はたいへんいいよ。丁度五度ほど気がいった」
 亭主「ちょっと息継ぎに一口飲もう」
 女房「あんまり酒ばかり飲みなさんな、体に毒だよ」
 亭主「酒よりてめへが毒だ

                              

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書名 午後の曳航 著者 三島由紀夫 No
2004-21
発行所 新潮文庫 発行年 昭和43年 読了年月日 2004−06−26 記入年月日 2004−07−05

 
ストーリー展開、風景描写、格調高い文体、すべてに圧倒される。私はこの小説は初期のものと思っていたが、三島の円熟期、昭和38年に書き下されたものである。

 エッセイ教室の時、三島の作品は殆ど読んだと豪語したが、先日新橋の本屋で三島のところを見たら、まだ読んでない作品がかなりあった。

 13歳の登が、母の寝室と自分の寝室を隔てる本棚の小さな穴から、母の裸体をのぞき見するところから始まる。最初から緊張感に富む。5年前に夫を亡くした母は33歳である。母は横浜元町で高級輸入洋品店を営む。登は自身が天才であり、世界はいくつかの単純な記号と決定で出来上がっていること、生殖は虚構であり、従って社会も虚構であって、父親や教師は父親や教師であるということだけで大罪を犯していること、などを確信している。母房子は船の好きな登に頼まれて、入港中の貨物船を見学に行く。その時案内してくれたのが、2等航海士の竜二である。

 初めて竜二が母と食事をして、夜遅く家に帰ってきたとき、登は母の寝室での二人の姿を覗いてしまう。ここの描写は極めてスリリングである。壁の穴から覗くという趣向は三島の他の小説にもあった。

 世の中の俗悪なものに対する烈しい敵意に燃えた登の学校友達の集団があり、登もそこに属している。彼らは、父親をその俗悪なものの象徴として憎んでいる。猫を捕まえて生皮をはぐといった残虐行為で、世界に対する憎悪、各人の勇気を試し、団結を固めている。彼らの首領が語る言葉は、13歳の少年の言葉ではないが、それは、決してこの作品の欠陥ではない。

 当初、海、船、そして船乗りの竜二は、登達にとっては純粋なものの象徴であった。しかし、やがて彼の母は竜二と結婚し、竜二は船を下りて、母の洋品店で働くことになる。それは彼とその仲間にとっては許せないことであった。ある夜、覗き穴からほのかに漏れる灯りから、登ののぞきが露見する。竜二は登に対して父親ぶった態度をとる。彼らの仲間は竜二を「処刑する」ことを決める。
 そして、竜二をだまして彼らが杉田の造成中の新興住宅地に見つけた洞窟へと誘い出す。タッグボートに引かれるように、竜二はついていく。
 洞窟で少年達に海の話し、航海の話をしているうちに、彼は房子を得たために失ったものの大きさに気づき、後悔寸前まで行く。

174p:
死が海の輝きの中から、入道雲のようにひろがり押し寄せて来ていた。彼はもはや自分にとって永久に機会の失われた、荘厳な、万人の目の前の、壮烈無比な死を恍惚として夢みた。世界がそもそも、このような光輝にあふれた死のために準備されていたものならば、世界は同時に、そのために滅んでもふしぎではない。
 血のように生あたたかい環礁のなかの潮。真鍮の喇叭の響きのように鳴りわたる熱帯の太陽。五色の海。鮫。……:


 ここにも、三島の最後を予感させるものがある。
 この直後、彼は登の差し出した睡眠薬入りのぬるい紅茶を飲み干す。
 
 横浜港周辺の風景描写が素晴らしい。

                              

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書名 一神教の誕生 ユダヤ教からキリスト教へ 著者 加藤 隆 No
2004-22
発行所 講談社現代新書 発行年 2002年5月 読了年月日 2004−06−23 記入年月日 2004−06−26

 
上記「江戸の恋」と同時に買った。ユダヤ教からキリスト教が誕生した歴史が、大筋で解説されている。なぜ、キリストが処刑されねばならなかったは大きな疑問であったが、その背景は本書で明らかになった。つまりユダヤ教とキリスト教の基本的な相違点が大筋でつかめた。

 ユダヤ教では神と人との関係は契約である。紀元前8世紀にユダヤの北王国がアッシリアにより滅亡されたが、その時神は動かず、ユダヤ民族を救わなかった。残った南王国の人々は、民が罪を負っていて神の前で義を果たしていなかったからであると考えた。つまり神と民との間には契約があって、果たすべきことを果たしていないという考えが、発展した。罪の状態にある民に対して神は圧倒的優位な立場にたつ。その結果、人は今までのように都合に応じて多くの神を選ぶことが出来なくなる。その結果、ヤーベの神のみが唯一神として崇められる。そして罪ある人間は神に働きかけても神は動かない。つまり神と民との間には断絶がある。そうしたことから律法主義・神殿主義へと傾いていった。

 一方イエスは神の愛は人の状態如何にかかわらず、神の側から一方的に人々に及ぶと説く。それはユダヤ民族を越えた普遍的な愛である。そして、ユダヤ教の律法と神殿主義を排する。そのことがイエス処刑の直接の原因である。

 キリスト教はその後、教会組織を通じ神と通じる聖職者が世俗の民を支配するという、人による人の支配を西欧社会にもたらす。その人による人の支配という構造は極めて安定したものであり、長く西欧社会の安定に寄与した。こうした二重構造は近代では世界的に拡大していると、著者は言う。

                              

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書名 近代能楽集 著者 三島由紀夫 No
2004-23
発行所 新潮社 発行年 昭和43年 読了年月日 2004−07−09 記入年月日 2004−07−11

 
三島の戯曲集。能楽を現代に翻案したものだが、必ずしも原典にはとらわれていないとのこと。内容は形而上学的、抽象的、あるいはシンボリックであり、難解である。そういう意味では能の本質を受け継いでいるのだろう。8作品よりなっているが、ほとんどが上演され、好評を博したと、三島のあとがき、およびドナルド・キーンの解説にあった。
                             


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書名 前世の記憶 著者 高橋克彦 No
2004-24
発行所 文藝春秋社 発行年 1996年 読了年月日 2004−07−18 記入年月日 2004−07−19

 
長いこと本棚に放ってあったハードカバー。表題の他、全部で8編の作品を収載。いずれも記憶、幼年時代から少年時代にかけてのエピソードを主人公が思い出すというもの。「前世の記憶」は催眠療法により、幼時の記憶からさらに進んで前世の記憶が蘇るというもの。

 出版当時何かの書評で取り上げられたのを目にして購入したのであろう。記憶は私にとっても大きなテーマである。高橋克彦の作品は初めて読んだが、面白い作品であった。
 失われた記憶を辿る過程で明らかにされていく悲劇。謎解きの要素を含んだストーリー展開が読者を引き込む。いずれも盛岡とその近辺が舞台となる。そして、いくつかの作品に学校あるいは病院の火事、父親と母親の不倫と言ったものが出てくる。作者の出身は盛岡である。両親の不仲、あるいは学校の火事などは実際に経験したものであろうか。

「針の記憶」というのはレコードから流れる流行歌が触発する記憶の話である。ある歌手の最も有名な曲よりも、その歌手の5,6番目に流行った曲がかえってある出来事を強烈に思い出させるという。戦時中流行った轟夕起子の「お使いは自転車に乗って」からたぐり寄せられた記憶は、主人公の祖父の実家の納戸の奥でひっそりと亡くなった伯母のものであった。しかし、主人公の私が生まれたのは伯母が亡くなったずっと後のことであり、ここでも記憶が時間を超越している。その謎解きは特になされていない。

                             

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書名 音楽 著者 三島由紀夫 No
2004-25
発行所 新潮文庫 発行年 昭和45年 読了年月日 2004−07−23 記入年月日 2004−07−31

「音楽が聞こえない」と、自分の不感症を表現する若い女性麗子とその治療に当たる精神分析医の物語。三島と精神分析という取り合わせは対極にあるような気がするのだが、精神分析に関する記述は詳細で、並の知識などではかけないレベルのもの。巻末に三島が付けた参考文献にはドイツ語と英語の著書が並んでいる。

 性の問題が全編のテーマであるが、記述はあくまでも学問的で扇情的なところはない。文章も過剰な修辞がなくて読みやすい。女性の過去の秘密が段々に明らかになっていく過程は上質のミステリー。その過程で、医師が当の女性に微妙な感情を抱くところが物語を一層味わいのあるものにしている。しかし、それはこの小説の主テーマとはならない。あくまでも不感症の原因追及というのがメインである。麗子の兄との幼時の近親相姦がこの不感症の大元にあることが明らかにされていく。麗子の最初の訪問から、医師との駆け引きというか、なかなか真実を語らない麗子を如何に心を開かせるか、医師として面接のたび毎にどういう方針で挑むかが説明されている。この過程が興味深い。精神分析の手法に精通していなければ書けない。

 最後に医師と麗子が落ちぶれた兄を探して山谷のどや街を歩くのだが、山谷の雰囲気がよくとらえられている。三島は山谷のような所にも実際に足を運んだのだろうか。

 途中に右翼を語った立場からの精神分析批判が挿入される。それは花井という麗子が伊豆で知り合った男性からの脅迫的な手紙の形をとる。p125:
「精神分析分析学は、日本の伝統的文化を破壊するものである。欲求不満などという陰性な仮定は、素朴なよき日本人の精神生活を冒涜するものである。人の心に立ち入りすぎることを日本文化のつつましさは忌避して来たのに、すべての人の行動に性的原因を探し出して、それによって抑圧を解放してやるなどという不潔で下品な教理は、西洋のもっとも堕落した下賤な頭から生まれた思想である、…」

 紋切り形の考えだが、ひょっとすると三島の本心なのではないかと思った。
 三島の多才ぶりを見せつける作品。

                              

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書名 殉教 著者 三島由紀夫 No
2004-26
発行所 新潮文庫 発行年 昭和57年 読了年月日 2004−07−31 記入年月日 2004−08−19

 
三島自身が選んだ9編の短編集。愛、美に対する三島独特の思想が各作品を貫いている。

 物語性も豊かである。軽王子と衣通姫は日本の古代に時代を設定した悲劇。三島自身は各作品への簡単なコメントを残しているが、この作品には「貴種流離」としている。巻末の高橋睦郎の解説では他の作品も一種の「貴種流離」と言えるとのこと。「スタア」という映画スターの題材にした作品、あるいは折口信夫をモデルにした「三熊野詣」など、題材も多彩である。短編と言うよりは中編とも言える作品群だ。

                              

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書名 潮騒 著者 三島由紀夫 No
2004-27
発行所 新潮文庫 発行年 昭和30年 読了年月日 2004−08−06 記入年月日 2004−08−19

 一度ならず映画化もされた三島の作品中ではもっともよく知られた作品。この文庫版はなんと120刷である。

 爽やかな読後感が残る。主人公の新治は恐らく三島が理想とした日本男児であろう。強靱な体力と純朴な精神。健康にあふれ海女としての能力も島でトップクラスという相手の初江は女性の理想だろう。あるいは漁業を専業とする伊良湖岬と伊勢の間に浮かぶこの小さな島の住民、その生活振り、風景がすべて理想郷かもしれない。三島の筆にはそうしたものへの愛惜が感じられる。母子家庭で豊かではないが、愛情と絆で結ばれた新治の家庭。新治を支える大人の漁師達、灯台長の夫妻。初江の家は村の有力者であり、父親は初江の結婚相手に別の男を考えていた。その男、安夫の器量を見るために新治と安夫を遠洋航海に出す。航海中、台風に遭遇した時、新治は生命を賭して船を救う。それを聞いた初江の父は、新治と初江の結婚を承諾する。ハッピーエンドで終わる青春物語。

「豊饒の海」第4巻「天人五衰」では、船の出入りを監視する仕事に従事する主人公が出てくる。こうしたタイプの職業を持つ主人公を私は意外に思った。そして「午後の曳航」は外洋船の航海士に憧れた少年の、憧れを裏切られた物語である。「潮騒」はまた、海と漁師と航海が舞台であり主役である。三島にとって、海、航海、海の男は終生の憧れであったようだ。

「ダフニスとクロエ」の翻案であると、佐伯彰一の解説にはあった。
1954年作品

                              

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書名 愛の渇き 著者 三島由紀夫 No
2004-28
発行所 新潮文庫 発行年 昭和27年 読了年月日 2004−08−10 記入年月日 2004−08−19

 引退して大阪郊外で農園を営む一家が舞台。時代は戦後間もない頃。

 杉本弥吉は関西商船の社長を引退して、大阪郊外で農園をやっている。同じ家には長男夫妻、夫を亡くした次男の妻、悦子、シベリア抑留中の夫を待つ三男の妻とその子供。
 悦子は夫の浮気に苦しみながらも、腸チフスにかかった夫を、自身への感染も恐れず、冷然と看病し、看取る。そして、東京から引き上げ、ここに住んでいる。義父とは夜を共にし、そのことは他の家族の暗黙の了解であり、周囲の公然の秘密である。悦子は家の使用人である若い三郎に心を寄せている。三郎はやはり使用人である美代を妊娠させてしまう。悦子に詰問されても美代を愛していないと言う。彼には愛という概念がないのだ。悦子は天理教の集会に出掛けた三郎の留守の間に身重の美代を追い出してしまう。悦子は帰ってきた三郎と深夜農園で会い、自分が美代を追い出したことを話す。突然三郎は悦子を組み敷こうとする。逃げる悦子は不審に思ってやってきた弥吉が手にしていたクワで三郎の頭を割って殺してしまう。深夜の農園で悦子と弥吉は三郎を埋める。部屋に帰った悦子は寝付かれぬ弥吉の横で深い眠りに陥る。

 常軌を逸した悦子の行動と心理であるが、魅力的なヒロインである。三郎には大昔読んだ「沈める滝」の主人公に似たところがある。

 解説の吉田健一は完成度の高い作品であると絶賛している。
昭和25年の作品。

                             

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書名 青の時代 著者 三島由紀夫 No
2004-29
発行所 新潮文庫 発行年 昭和46年 読了年月日 2004−08−14 記入年月日 2004ー08−18

 
戦後の混乱期のマルチ商法による金融事件を主題とした小説。

 前半は幼年期エピソードで主人公川崎誠の特異なシニカルな性格が述べられる。
 後半は東大生として悪徳金融に乗り出し、その破綻を予感させるところで終わる。
誠は大学図書館に勤める燿子に関心を持つ。燿子は燿子で、特に金を必要としないのに、50万円の金が欲しいという。その金を作ろうと思って株に手を出し、失敗し、さらに悪徳金融業者にだまされる。それがきっかけで彼は友人と同様の金融業を始めるのだ。そして会社は順調に大きくなっていき、銀座に事務所を構えるまでになった。燿子は底の事務員として働くようになった。燿子が精神的に彼を愛するようになったら捨てようと決心している。燿子が他の男と通じていて、妊娠していることを興信所からの報告で知っていながら、ある夜、誠は強引に燿子を抱く。燿子は処女としての演技を完璧に演じる。その翌日、誠は興信所からの報告の入った封筒を燿子に渡す。
 昭和25年の作品。

 人生に対するアフォリズムは三島作品の大きな魅力である。この作品には特に至る所にちりばめられている。若さ故の気張りのが感じられる。ただ、理解しがたいものも多い。

 例えば68p:
凡ゆる愛国心にはナルシスがひそんでいるので、凡ゆる愛国心は美しい制服を必要とするものらしい。

 これはわかりやすい例だ。そして「盾の会」の制服姿で割腹自殺した三島の最後を思わせる。すでに彼は自分の死をこのように予言していたのだ。同時に思ったのは田中優子の「江戸の恋」の中の一文。13pには以下のようにある:
 私はある文章で次のようなことを書いた。「ナショナリストは日本が好きなはずなのに、絶対に着流しの着物に三味線を持って小唄(ラブソング)なんか歌わない。ナショナリストが好きなのは、どういうわけか軍服と日の丸で、三味線と唄ではなくて軍歌と君が代なのだ。軍服で死んだ三島由紀夫も、ギリシャ文化が好きで江戸文化が嫌いだった」と。それを読んだナショナリストが怒って手紙をよこした。「日本は着流しに三味線どころじゃなかったのだ」と書いてあった。私はその時から、「〜どころじゃない」という発想を、自分の中心から追い出すことにした。私たちは「〜どころじゃない」と言いながら、大事なことを次々と切り落としてきたに違いない。

 三島の言はナショナリストの本質を鋭く突いている。三島以上のナルシストはざらにはいまい。彼はそれに殉じた。そのことには私は賛同できない。田中の考えを支持する。

 解説は西尾幹二。この人が文芸評論家であったとは始めて知った。三島作品への解説陣は多彩だ。

                             

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書名 葉隠入門 著者 三島由紀夫 No
2004-30
発行所 新潮文庫 発行年 昭和58年 読了年月日 2004−08−26 記入年月日 2004−08−28

                  
 
「葉隠」を唯一の座右の書という三島由紀夫による解説。おそらく「葉隠」に対するこれ以上のことを語れる人はいないであろう。後半には附録として「葉隠」名言抄が原文と現代語訳の両方で掲載されている。

「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という有名な一句だけしか知らない私は、封建道徳の典型の書として、読んでみてもしょうがないと思っていた。確かに主家に対する忠義を貫くための心得が中心になっている。だが、死ぬことを積極的に肯定したうえで述べられる処世訓は、人間的魅力に富んでいて引き付けられる。「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という句は、著者山本常朝の逆説であったと三島は言う。「葉隠」そのものが逆説であると三島は言う。18世紀初頭の奢侈に流れた泰平の世であるからこそ「葉隠」は生まれた。「葉隠」の死については84pから90pに詳しく三島流の解説がしてある。本書の核心部分だ。

 三島は葉隠に三つの哲学を認めている。つまり行動の哲学、恋愛の哲学、生きた哲学である。

 以下は三島の解説ではなくて「葉隠」そのものについていくつか感想を記す。
 武士は「大高慢」「強み」がなければダメだという。さしずめ、強い情熱、エネルギー、あるいはその人物の押しといったものだ。私には縁の薄いものである。だから徒然草や撰集抄などに逃げた兼好や西行は卑怯者であるという(184)。

 赤穂浪人についても厳しい見方をする(121p)。彼らは討ち入り後泉岳寺で切腹すべきであったという。さらに、討ち入りが延び延びになってしまったがその間に吉良上野が病死でもしたらどうしようもない、と批判する。

 外見へのこだわりを述べたところもある。山本常朝は、13才の時に、利口そうに見える容貌を変えるために、1年間家に引きこもって毎日鏡に向かって表情を修正したという(137p)。利口そうに見える者は成功しないからだ。あるいは、武士たる者、紅粉を携帯し、酒の翌朝とか、顔色が悪い時は紅をつけて顔色をよく見せるべきだという(170p)。これらの記述には思わず笑ってしまう。しかし、三島は外見へのこだわりはもっとも男性的な道徳観であるという。

 153p以下には男色における注意事項が述べてある。当時の社会では男色は公然と認められ、ひろく行われていたことがわかる。男色においても、相手に貞節を尽くすことの必要性を説いている。

 155pには、恋の極限は忍ぶ恋であるとしている。
「恋の至極は忍恋と見立て候」。

 三島は葉隠の死について述べた上記のところで、以下のように書いている:
しかし、自由意思の極致のあらわれと見られる自殺にも、その死へいたる不可避性には、ついには自分で選び得なかった宿命の因子が働いている。87p。

 本書が書かれたのは、昭和42年、三島の死の3年前である。

            

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書名 デジカメ写真は撮ったまま使うな! 著者 鐸木 能光 No
2004-31
発行所 岩波アクティブ新書 発行年 2004−07−06 読了年月日 2004−09−02 記入年月日 2004−09−05
                  

 
デジカメのフリーソフトによる修正の方法を細かく解説してある。まだ私はダウンロードして試すまでにはいたっていない。

 デジカメの特徴を著者独特の視点から捉えていて、参考になる点が多い。画素数にこだわるのは意味がない、フラッシュはたくな、デジカメ自身が一種の望遠カメラだと思え、従って風景はワイドで撮って後から必要な部分を拡大しても十分見られる写真になる、人物こそ望遠でとれ・・・・。暗く撮っても後で明るさ調整で十分見られる写真になるという。その実例がいくつか出ていたが、処理後の写真では暗闇の中から動物の姿が浮かび上がってきて、びっくりする。フラッシュのことは私も常々そう思っていたので、特に家でのネコの写真はフラッシュをたかないで撮るようにしている。

 デジカメ選びのポイントは画素数ではなくてレンズの光学的明るさを優先させろ。画素数は普通のサイズにプリントアウトする分には今のデジカメで十分である。この主張はたまたま私が持っているデジカメがF1.8という極めて明るいレンズであったので、正解のカメラ選びだとうれしくなった。



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書名 宴のあと 著者 三島由紀夫 No
2004-32
発行所 新潮文庫 発行年 昭和44年 読了年月日 2004−09−10 記入年月日 2004−09−23

 
昭和30年代にあった、東京都知事選を題材にした小説。後にプライバシー侵害で訴えられ、裁判となった。その結果については私は知らない。巻末の西尾幹二の解説もそのことには触れていない。

 元外交官のエリートインテリと、たたき上げで政財界人が利用する料亭を築き上げた女将との物語。雪後庵の女将、福沢かづは、元外交官の野口に惹かれ、結婚する。野口は革新政党から担がれてと知事選に立候補する。かづは独自の現実感覚で選挙にのめり込む。そのためには料亭も抵当に入れて資金を調達する。選挙では終盤に保守陣営の怪文書や、大量の資金の流入で野口が負ける。負けたあとで、かづは野口を落選させた政財界のボスに奉加帳をまわし料亭再開の資金を集める。それを裏切りととった野口は結局離縁する。

 温かい血と人間らしい活力の象徴と、高潔な理想と美しい正義(229p)との対比。保守と革新の本質をかづと野口に代表させながら、三島は見事に把握している。そして、保守の強さと、革新の弱さも描ききっている。

 構成は相変わらず見事だ。そして、細部へのこだわり。一例としてあげれば、157pの、選挙運動中の寝る前のうがい風景。細かい動作の描写の中に、かづの夫に対する思いが見事に託されている。うがいという動作をこれほど見事に描いた小説は他にないであろう。

                              

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書名 T/Mと森のフシギの物語 著者 大江健三郎 No
2004-33
発行所 岩波同時代ライブラリー 発行年 1990年3月 読了年月日 2004−10−06 記入年月日 2004−10−14

 
ノーベル賞を貰う前の長編小説。長いこと積んでおかれていたたが、やっと読んだ。
 大江の生まれ育った四国の森に囲まれた共同体を題材として、その神話的物語、そして大江自身のことが書かれる。

 大江は自身の巻末の解説で、彼にとって小説とはナラティブを発見するためのものだったと述べている。本書の大半は祖母が幼い大江に語って聞かせる物語として進む。祖母は語りの前に、「あったか無かったかは知らねども、昔のことなれば無かった事もあったにして聞かねばならぬ。よいか?」と言って語った。そう言う語り口を借りて、外界から隔離されるようにして存続してきた一つの共同体の神話が語られる。この共同体はほぼ独立国家のような存在として描かれる。戦争中は帝国陸軍を相手に50日間も戦うといエピソードも語られる。

 Mはmatriarch、つまり女家長を、Tはtricksterペテン師を表す。この二つの組み合わせが軸となり物語が進む。

 まず「壊す人」とオシコメと呼ばれる女性による村の創生の物語。藩を追放された50人の青年とそれに同伴した50人の海賊の娘が、川を遡り人の住めない土地であった森の中の盆地を開き、村を作る。作者の想像力が羽ばたき奇想天外で痛快なエピソードが展開される。
 ついでは幕末から明治にかけて百姓一揆を指導した銘助さんとその母、あるいは銘助さんの生まれ変わりの童子と銘助さんの母のTMの組み合わせ。神話から歴史の時代に入って藩あるいは明治政府との戦いが語られる。
 次のMTの組み合わせは、大江の祖母と大江自身。大江は少年時代に負った後頭部の傷を銘助さんが負った後頭部の刀傷と関連づけ、自分がこの村の神話と歴史を書き残す使命を負っていることを自覚する。
 そして最後のMTは郷里に残る大江の母と、大江の息子光である。光は生まれつき後頭部に大きなできものがあり、その手術のあとが残る。

 登場人物はいずれも森からその命の源を汲んでいる。森のフシギとは人々に命を与えるものだ。
 大江の代表作「蔓延元年のフットボール」にも郷里の森の持つ生命力のことが描かれていたという記憶がある。

                              

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書名 甘えの構造 著者 土居 健郎 No
2004-34
発行所 弘文堂 発行年 昭和46年 読了年月日 2004−10−12 記入年月日 2004−10−14

 
これまたほこりをかぶっていた本。前の大江の本よりもずっと古い。

 日本人論として評価の定まった本。「甘え」というキーワードで日本と日本人の心性を切る。

幼児的依存を純粋に体現できるものこそ日本社会で上に立つ資格があることになる」と言う一文(62p)こそ、私が日頃思っていることである。私にはそうした意味で上に立つ資格を持たない。他人に依存することなく自らの手ですべてをやりたいのが私であり、幼児的依存には強い嫌悪感を持っている。こう書いている今でも、私が仕事の上で遭遇したそうした人物の何人かの顔が浮かんでくる。今の有名人で言えば、それは長嶋茂雄であり、その対極にあるのがイチローであり、もちろん私は圧倒的にイチローファンだ。
 天皇という存在はその典型でありさらに、義理人情、大和魂の本質も甘えにあると説く。同感である。

日本人は甘えを理想化し、甘えの支配する世界を以て真に人間的な世界と考えたのであり、それを制度化したのが天皇制であったということができる。」(p64)
「義理人情とか報恩の思想とかあるいは大和魂でも、・・・・・・それの本質が甘えの心理に存していること・・・・」(p64)

 ただ、土居は日本社会に広く浸透する甘えの心理を悪いものであると切り捨ててはいない。それにはそれなりの価値を認めており、外国でも日本的甘えが広がりつつあるという記述がいくつか見られる。

 外国には日本語の「甘え」「甘える」に相当する語が無いという観察から、甘えを日本人特有の心理ととらえたのが発端である。例えば英語には本当に無いのだろうか。spoilという言葉の訳語に甘やかすと言うのが当てられているが、日本語の甘やかすとは同一ではないようだ。

 著者の対象は全共闘運動や、父性の喪失、被害者意識など当時の世相をも甘えをキーワードに切る。論旨には本質的に共感を覚える。

 著者は精神分析医。

                              

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書名 花ざかりの森・憂国 著者 三島由紀夫 No
2004-35
発行所 新潮文庫 発行年 昭和43年 読了年月日 2004−11−03 記入年月日 2004−11−07

 
表題の処女作を含む短編集。「花ざかりの森」は16才の時の作品である。やはり幼さが残り私には意味がよくわからない作品である。巻末の解説は三島自身の手になるが、この短編集の表題に「花ざかりの森」というのを入れるのは反対したが、出版側の強い要望でそうなったと語っている。

 もう一つの「憂国」は手短に作者を知るために一つあげるとすれば、これを読んで欲しいという。これは二二六事件の後に、同僚の反乱軍と戦うことをよしとせず、妻と共に自刃した新婚の下士官の物語である。「
ここに描かれた愛と死の光景、エロスと大義との完全な融合と相乗作用は、私がこの人生に期待する唯一の至福であると云ってよい。」と三島は云う。切腹の描写がリアルで、介錯を伴わない切腹がいかに苦痛に満ちたものであるかを思い知らせる。

 私が興味を惹いたのは「卵」という作品。まったく三島らしくない奇想天外な物語。あるいはメルヘンといってもよい作品。巻末の解説で三島は、この作品は評論家からも読者からもまったく省みられなかったが、自身の偏愛の作品であるという。

「橋づくし」はかつて池下さんが口にしたことがある作品。彼女は作品に登場する橋巡りをしたという。陰暦八月一五日の夜中に七つの橋を渡ると願い事が叶うという。それぞれに願いを秘めた新橋芸者三人が橋巡りに出掛ける。橋を巡りきるまでは決して口を利いてはいけないというのが掟だ。三人にもう一人、芸者の家の家事手伝いの女もついて四人で歩き出す。しかし、途中で腹痛を起こしたり、知人にあったり、巡査にとがめられたりして、結局無言で7つの橋を渡りきったのはこの田舎出の娘であったという話し。

110p「詩を書く少年」:
われわれの内的世界と言語との最初の出会いは、まったく個性的なものが普遍的なものに触れることでもあり、また普遍的なものによって錬磨されて個性的なものがはじめて所を得ることでもある。
 言語と内的世界の関係、あるいは表現の本質を突いている。

195p「女方」:
・・・・大ていの中傷に平気になっていることは、卑屈とは云えないまでも、自分を滅ぼすような誠実さとは縁のない人間であることを示すものであった。
 私は自分のことをいわれているように思った。
                              

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書名 神聖喜劇 第一巻 著者 大西巨人 No
2004-36
発行所 光文社文庫 発行年 2002年7月 読了年月日 2004−11−14 記入年月日 2004−11−15

 
声を出して笑いながら読み終えた600ページ近い大作。

「それでも作家になりたい人のためのブックガイド」の必読小説50選の中で私にとっては最後に残っていたもの。そのボリュームの大きさをいつか十日市場図書館で見て、今まで二の足を踏んでいたのだ。先日都心へ出掛けるに際し、車中の読み物がないので青葉台の文教堂に寄った。文庫・新書は2階にある。どれにするか決めかねているところに、「神聖喜劇」全5巻の文庫本が目に入った。乗るべき電車の時間が迫っていたので、その第1巻を買った。田園都市線の中で読み始めた。主人公が船で対馬へ渡るところから始まる。予想に反して読みやすそうだった。

 読み進めていくうちに引き込まれた。「それでも作家・・・・」の短評は:
軍隊内「合法闘争」としての言語フェティシスムの精緻にして壮大無比の大作。笑えてじつにタメになる。
 まさにその通り。

 主人公である語り手は東堂太郎二等兵。昭和17年正月、招集されて対馬の重砲連隊に教育訓練兵として向かう。九州大学中退で新聞社に勤める。著者略歴を読むと同じである。東堂は超人的な記憶力の持ち主で、古今東西の典籍に広く通じている。東堂は虚無主義的な心情をもっていて、この戦争で死ぬことを想定し自ら志願するような形で応召する。
 東堂が属する教育班の班長は大前田軍曹。中国大陸で戦ったのちここに来ている。班長付きと称される教育係は神山上等兵。インテリぶった古参兵だ。その他、やはり教育係の村崎、東堂と同じ召集兵の橋本、白水、冬木その他が登場人物。彼らの出身は様々であるが、教育程度は低い。

 この巻の大きなテーマは「忘れました」と「知りませんでした」論争。朝の点呼招集時間が変更になり、そのことを聞かされていなかった東堂らが時間に遅れた。彼らはそれでひどく怒られたのだが、遅刻の理由として招集時間を「忘れました」と答えさせられる。しかし東堂は「知りませんでした」を押し通す。そして、陸軍規則のどこに「忘れました」と答えなければならないと書いてあるかと、大前田や神山に迫る。旧日本軍がこれほど規則づくめであったかと驚くほど、細かいことまで規則で規定している。法科出身の東堂はこの規則を一読、その細部まで記憶し、それを逆手にとって上官に理論闘争を挑むのだ。武器は言葉と論理。
 
 一つの事象に触発されて東堂の心には多様な記憶がわき上がる。その多くは彼がそれまでに接した古今東西の典籍からの言葉である。それについての解説が長々と続き、話はいつの間にかその典籍を巡る話に脱線していく。英文も出て来るから、本を横にして読まねばならぬところもある。こうした脱線を繰り返しながら、彼の今までの人生が浮かび上がってくる。学生時代には左翼文献を所持していたことで警察に検挙され、それが原因で大学を中退する。このマルクス主義文献からの引用がまたすごい。東堂はその経歴は隠しているが、上官に知れるのではないかと不安を持っている。

「知りません」拒否「忘れました」強要の現実から、東堂はその背景として軍隊内での上級者の下級者に対する責任阻却という一つの特徴を推論する。(p297〜)。上級者は下級者に対して責任を負わない。この壮大な段階を突き詰めていくと、最後は天皇に行き当たる。ことは天皇制の無責任性に及ぶのだ。

 大前田班長、あるいはその他上官と、橋本、鉢田、冬木といったいわゆる下層出身者とのやりとりがユーモラスで声を出して笑う。無学な彼らの発言がかえって物事の本質を鋭く突き、突然新しい視点がひらけ、事態が急転し、上官連中はたじたじとなる。大前田は大陸では中国人捕虜や一般人に対して暴虐の限りを尽くし、それを自慢する。農民出で教養とは無縁の鬼軍曹で東堂とはまったく共通点がなくことごとく東堂を目の敵にする。でありながら、東堂はインテリ風を吹かせる班長付きの神山への反感とは裏腹に、大前田に憎めないものを感じている。軍人としてのその挙動には感動すら覚える。第一巻の終わりは、野砲の横に立ち、戦争の意義を皆に説き終わった大前田の姿に、東堂が源為朝の武者姿を描写した保元物語の一節を思い出すところで終わっている。


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書名 神聖喜劇 第二巻 著者 大西巨人 No
2004-37
発行所 光文社文庫 発行年 2002年8月 読了年月日 2004−12−08 記入年月日 2004−12−09

 
第一巻は大前田班長がその戦争観を述べるところで終わった。「殺しぶったくり合うのが戦争だ」という中国大陸での体験からでた戦争観である。これを遠くで聞いていた村上少尉というエリート士官がそれに反論するところからこの巻は始まる。村上の戦争観は武士道の精神にそうものであり、むやみな殺戮や略奪をきつく戒め、今度の戦争を解放戦争であると説く。村上の話に触発されて東堂はもちろん得意の古典文献の中の色々な文言を思い浮かべ、それについて思いを巡らす。しかし、この部分での彼の回想の中心は「安芸の女」との「11月の夜の媾曳」である。夫を戦場でなくした若い未亡人との、召集令状をもらった直後の一夜を通して東堂の戦争観、死生観が展開される。この夜、女は陰毛を剃ってくれと頼む。東堂は迷いながらもその要望に応えまた、彼自身も陰毛を剃る。陰毛を剃るという行為によって、戦争観や死生観を語り合う2人の間の重苦しい空気から逃れられ、ホッとしたものを東堂は感じる。もちろんこの部分では陰毛といわゆる毛無しについての古今の文献を引用した蘊蓄が傾けられる。

 大前田と村上少尉の戦争観の対立は橋本、鉢田両二等兵の「皇国の戦争目的は殺して分捕ることであります」という答えで決着を見る。

 その後、本巻のトピックは金玉論争に移る。軍隊の規則では金玉は褌の左の入れて置くべしとある。東堂はこれの根拠を求めて大前田や神山に問う。軍隊では魔羅は使うことができず、左遷状態だから、金玉も左にあるのだという答えなど、珍答が続出するが、誰もがその根拠を答えられなかった。後になって村上少尉が、銃を構える時に右の股に銃尾を置くから、その邪魔にならないように左に置けというのだろうと漏らしたことを伝え聞いた東堂は、納得する。

 後半ははじめての集団外出を巡る話し。軍隊は下層階級から見れば衣食住を供給され、その上給料までもらえるから、下層民にとっては恵まれたものだという見方が、軍隊内では支配的である。しかし、現実は決してそうではないと、村崎古参兵は実例を挙げ詳細に東堂に語る。

 さらに、外出の日の昼食時、「普通名詞」論争が起こる。神山は本日の外出先の対馬の大船越という地名に関し、「船越」というのは普通名詞としての性格もあるという。大前田は「普通名詞」が何であるかを理解しない。ほとんどの召集兵も何のことか理解できない。大前田は「名詞」を「名刺」と取った。大前田は神山に反論して、軍隊には基本的に自由がないと意外な見解を述べる。外出の話から、兵隊と女の話になり、大前田は自由がない典型として、女とやることもできないことを強調する。ここでは遊女の起源や生態について古くは万葉集を初め、多数の文献が引用される。

                             
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書名 神聖喜劇 第三巻 著者 大西巨人 No
2004-38
発行所 光文社文庫 発行年 2002年9月 読了年月日 2004−12−25 記入年月日 2004−12−20,12−30

 
この巻では、厳原閥と称され、地元出身で、学歴を鼻にかける神山の取り巻き連中と、東堂らの対立が描かれる。そして、2月の日曜日、兵器に絡んだ何か重大な事件が起こったことを臭わせる。

 読み進めながら、この作品は映画化できるだろうかと思った。上官と新兵の間のやりとりは極めておもしろい。ストーリー展開もミステリアスなところがあって、映画にしたらおもしろそうだ。第3巻の今読んでいるところがちょうどそんな雰囲気なので、映画にしたらと思いついたのだろう。ただ、本書の特徴である古今東西の文献からの引用による東堂の想念の記述をどう処理するかが難しそうだ。それを省いてしまうと深みに欠けるものになりはしないか。「野火」を読んだ時、主人公の心理は決して映画やドラマでは伝えられないもの、文字でしか伝えられないものという感想を持った。それと同じで、この作品も東堂の想念は文字としてしか表せないのではないかと思った。

 そんなことを思って、2,3日した2004年12月20日の朝日新聞朝刊の1面下の本の広告欄に以下のような広告が出ていてびっくりした:
シナリオ神聖喜劇 大西巨人原作、荒井晴彦脚本 とあり、キャッチコピーは ・不滅の大長編小説が映画化への道を歩き始めた! ・映画史上最長級の読むシナリオ ・文学と映画に挑戦する「無謀な脚本」である。太田出版、菊版上製364頁 2940円

 事件とは銃剣の鞘が損傷されていて、それがすり替えられていたというものであることが明らかになっていく。些細なことであるが、これは陸軍の刑罰の対象になると云うので、班長連中は犯人探しに関係訓練新兵を足止めにし、尋問を開始する。そして、冬木2等兵に嫌疑を向ける。その理由はどうやら冬木が特殊部落出身で、また何らかの前科持ちであることに由来するようだ。第1巻ですでに特殊部落出身者への差別のことが論じられ、橋本が出身者であることを自ら名乗る。東堂と仲間の、生源寺、室町、村田、曽根田が部落民差別について話し合う。この問題はこの小説の大きなテーマの一つである。私の育った環境では部落差別ということはまったく意識にすら上がらなかったが、九州の北部には今も大きく残っていることは田川勤務で実感した。招集された新兵のほとんどが福岡県とその周辺の出身者であるから、彼らの意識の中には部落差別の問題は日常的なものであるようだ。

 3巻までの感じでは、事件の犯人はどうも厳原閥の中でも最もたちの悪い吉原で、それが告げ口をして冬木に罪を押しつけているのではないかと思う。冬木は第一巻の「忘れました」「知りません」問答で、ただ一人東堂に荷担して「知りませんでした」と言った人物である。
321p 啄木の「家」

             

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書名 神聖喜劇 第四巻 著者 大西巨人 No
2004-39
発行所 光文社文庫 発行年 2002年10月 読了年月日 2005−01−03 記入年月日 2005−01−06

 
この巻は銃剣鞘すり替え事件を中心に進行するが、最初は時間を遡って、東堂が堀江部隊長と用具係の片桐伍長に尋問される所から始まる。東京帝大出身で、転向左翼の片桐は、冬木を事件の犯人にだと決めている人物だ。その人物像が尋問を通して明らかになる。

 ことの起こりは、現役兵の名札を書くように命じられた東堂が、筆の小手調べに書いた漢文をゴミ箱の中から見つけられ、その内容が東堂の反軍、反国家的な思想を表すものだとこじつけた片桐が連隊長に告げて、喚問になった。東堂が書いたのは、江戸化政期の田能村竹田という九州出身の文人の漢詩である。私は初めて目にする名前だ。それから延々と田能村竹田についての蘊蓄が傾けられる。高校時代のクラスメート山田恭右が勧めた「江戸の詩壇ジャーナリズム」という本に出てくる頃の人だ。東堂は小学生の頃から、父の影響で漢文を素読していた。そのため、竹田の漢詩もすらすらと思い出すことができ、それを紙に書いたのだ。

 この巻では東堂の仲間たちが、今回の事件をひそひそと話し合う形で銃剣鞘すり替え事件の展開が語られる。その仲間の一人、生源寺は神主で、インテリである。そうした仲間と特に部落民差別に関する論議が展開される。

 柿本班長が郵便物の受け渡しの便宜を図ってくれたので、東堂が唯一心を許す新聞社の同僚、杉山に頼んで冬木の前歴について調べもらった手紙を受け取る。それには冬木が特殊部落の出身者であり、なおかつ傷害致死事件を起こし、執行猶予の判決を受けたことが明記されていた。

 片桐らはそのことを事前に知っていて、それだけで冬木を銃剣鞘差し替え事件の犯人に仕立てるのだ。これは理不尽不当な言いがかりであると感じた東堂は冬木弁護に立ち上がることを決意する。

「老松」のこと328p

                              

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書名 神聖喜劇 第五巻 著者 大西巨人 No
2004-40
発行所 光文社文庫 発行年 2002年11月 読了年月日 2005−01−08 記入年月日 2005−01−14

 
冬木に対する仕打ちに対し、軍の規定にある「不条理上申」と「意見具申」をそれぞれ冬木と、東堂が上官に対して行う。一応はこれが効いた形で冬木への不当な尋問も中止される。訓練は進み、3月の上旬には海岸から海に浮かぶ標的に向かっての実弾射撃が行われる。野砲の砲撃は1組6人の組で行われ照準を合わせる2番砲手がチームの花とされている。目の前にある問題には何事も真剣に取り組む東堂は、訓練の当初から立派な砲手になることを決めていた。休み時間にも秘かに訓練を積んでいた東堂は、2番砲手としては最優秀であった。彼らのチームは上官からは疎まれ、吹きだまりと思われているメンバーで構成されていた。しかし、実弾射撃で標的に見事命中したのは東堂のチームであった。

 この巻では「私はこの戦争に死すべきである」と考えていた東堂の最初の虚無的な態度が、冬木や橋本と接することにより、少しずつ変わっていく。

 兵営外での訓練の日、午後の休憩時間の時、規則を破って付近の民家からイカを入手してきた第1班の末永に対して、仁田班長は罰として死刑執行のまねごとをする。この2等兵は少し知恵遅れの召集兵であったので、本当に死刑にされるのかとおびえきってしまう。木に縛り付け、目の前で左右から銃剣を交差させ、磔の真似を仁田は命じるのだ。これを見ていた東堂と冬木は同時に立ち上がり、そのような非人間的行為は直ちに中止するように求める。第1班の教育係が東堂と冬木に詰め寄り制裁を加えようとした時、自分の配下のことだからといって、阻止したのは村崎古参兵であった。さらに、村崎は苦難に陥っている軍友の末永の身代わりになるものはいるかと呼びかける。10数人が直ちに立ち上がる。もちろん、橋本も生源寺もその他東堂と親しい連中も立ち上がった。この長編小説の最も感動的な場面である。

 しかし、このことは上官に対する反抗ととられ、村崎、東堂、冬木、橋本、末永がそれそれ重営倉入りを命じられる。第2巻で武士道の精神にも通じるまっとうな戦争観を述べ、東堂らからも信頼を得ていた村上少尉は、この件に関しては、上官への反抗であると強硬に主張した。それが、東堂らの重営倉処分という結果をもたらした。

 教育も終わる頃、鶏知の部隊にいる親戚を訪問してきた「安芸の人」の同僚に、風邪のため休養を命じられていた東堂は、兵営外で面会する。白石教官の許可は取ってあったのだが、大前田の許可は取らなかった。それは軍紀違反であった。鬼の首でも取ったように大前田は東堂に私的制裁を加える。往復ビンタ48回以上。

 いよいよ訓練終了となったが、全員が引き続き招集となった。3箇所の任地があり、東堂は下関重砲部隊を希望したが、どういうわけか、鶏知の連隊本部付けとなる。同じく本部付けとなった吉原は、東京での詐欺がばれて、逮捕される。連行される直前に書いた東堂宛の手紙で、吉原は銃剣鞘すり替えは自分がやったことであると告白する。

 竹敷の近くにある火薬庫の衛兵勤務中、大前田は愛人の元ミス竹敷と、勤務をサボって逢い引きをしたことがばれる。逃亡した大前田は捕まえられ、陸軍刑務所へ送られる。東堂はそれを一人見送る。
 東堂はやがて対馬の棹崎砲台配属となる。彼は戦争を生き延びる。大前田が予言したようにすべてを焼き尽くす兵器が出現し、「安芸の人」はその犠牲になる。

 55年に起筆して、完成は80年である。これだけの長編で、25年という歳月をかけて書き上げられた小説でありながら、構成が細部に至るまで矛盾していないのは見事である。細部と細部が関連しあいながら、それがより大きな流れへと統合されていく。大前田の最後のお笑いぐさのような転落はすでに、第2巻の金玉論争で「左遷された金玉」と述べたあたりから周到に準備されている。あるいは冬木の描き方も、第1巻の「知りません」「忘れました」論争の所から終わりまで一貫している。その他、橋本、神山など、人物像にぶれがない。第4巻の巻末解説で武田信明は本書は2回読めという。2回読んだら、この小説の構成の見事さがもっとはっきりするであろう。

 もう一つ感じたことは、旧日本軍は軍生活の細部まで規制していたが、それがことごとく文書化されていたということ。これにも驚いた。官僚制の典型とみる見方もあるが、以心伝心、なあなあの日本社会の中でこの文書化はむしろ賞賛されるべきことのようにも思われる。これがなければ、東堂の闘争もありえなかったし、この小説も成り立たない。

 なお、第2巻の解説者、阿部重和は、昨日芥川賞を受賞した。

                              

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書名 くちずさみたくなる名詩 著者 下重暁子 選、著、朗読 No
2004-41
発行所  海竜社 発行年 2004年12月15日 読了年月日 2004−12−05 記入年月日 2004−12−31

 
今年の東海大学公開講座で下重さんは詩の朗読をやった。3回のコースだが、聴講者が少ないので1回限りでもいいから参加してくれと、担当の後町さんに頼まれた。初回の12月2日だけ行った。聴講料は3分の1の2000円でいいとのこと。

 教室で、出来上がったばかりの本書を教材としてもらった。下重さんの朗読CDつきで、詩の簡単な解説もある。定価1800円だからずいぶん得した気分だ。

 藤村の「初恋」から始まり、「やまのあなた」、「春の朝」、漢詩「春暁」など外国の詩も含め全45編が収められている。ポピュラーなものが多いが、私が初めて目にする詩人と、詩もいくつかあった。特に茨木のり子、石垣りんの二人の女流詩人の詩が新鮮で、印象的であった。教室で下重さんが特別に大好きな詩がある人はいますかと聞いた時、隣にいた同じ下重エッセイ教室の受講生池下さんがすかさず手をあげ、茨木のり子の詩を挙げた。この本には載っていない詩である。下重さんもその詩もいい詩だとほめた。

 下重さんの朗読は心地よい。下重さん自身、詩は谷川俊太郎がやっているように、作者が朗読するのがもっとも良いという。
 このような本が出るのは「声に出して読みたい日本語」という少し前の大ベストセラーの影響だろう。


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