読書ノート 1997

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書名 著者
不思議の国のアリス ルイス・キャロル、柳瀬尚紀訳
蝉しぐれ 藤沢周平
暦入門・・暦のすべて 渡邊敏夫
暗殺の年輪 藤沢周平
ありんす国伝奇 山田風太郎
深い河 遠藤周作
風の群像 杉本苑子
長門守の陰謀 藤沢周平
橋ものがたり 藤沢周平
たばこの社会史 ジョーダン・グッドマン、松浦いね監訳、高野真知子訳
おんな牢秘抄 山田風太郎
マイラストソング 久世光彦
海と毒薬 遠藤周作
三屋清左衛門残日録 藤沢周平
チャタレイ夫人の恋人 D.H.ロレンス、伊藤整 訳、伊藤礼 補訳
天保悪党伝 藤沢周平
一九三四年冬ー乱歩 久世光彦
沈黙 遠藤周作
贋作 天保六花撰 北原亞以子
20世紀の自然観革命 量子論・相対論・宇宙論 和田純夫
「ここに地終わり、海始まる」 宮本輝
「文化としての近代科学」―この人間的な営み 渡辺正雄
怪盗ニックを盗め エドワード・D・ホック、木村二郎訳
青い雨傘 丸谷才一
代表的日本人 内村鑑三
忍者枯葉塔九郎 山田風太郎
隠し剣秋風抄 藤沢周平
がんと人間 杉村隆、垣添忠生、長尾美奈子
武士道 新渡戸稲造
ミラージュ 下重暁子
スローカーブを、もう一球 山根淳司
科学論入門 佐々木力
もの食う人びと 辺見 庸
ハッブル望遠鏡が見た宇宙 野本陽代、R.ウイリアムズ
日本人はなぜ無宗教なのか 阿満 利麿
歌行燈 泉鏡花
ウインドウズとマックをつなぐ法 高橋浩子
イコン フレデリック・フォーサイス、篠原慎 訳
季節の記憶 保坂和志
すべての男は消耗品である 村上 龍
「複雑系」とは何か 吉永良正
小説の周辺 藤沢周平
サイエンス・パラダイムの潮流ー複雑系の基底を探る 黒崎政男 編
短歌パラダイスー歌合二十四番勝負ー 小林恭二
スティル・ライフ 池澤夏樹
猫に時間の流れる 保坂和志
辞書はジョイスフル 柳瀬尚紀
絵地図の世界像 応地利明
海の稲妻 神坂次郎
白河夜船 吉本ばなな
短歌をよむ 俵 万智
日本風景論 志賀重昂著、近藤信行校訂
遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子 芸術新潮編集部


書名 不思議の国のアリス 著者 ルイス・キャロル、 柳瀬尚紀訳 No
1997-01
発行所 ちくま文庫 発行年 1987年 読了年月日 97ー01ー14 記入年月日 97ー01ー18

 
58才にして読む児童文学の名作。柳瀬尚紀の翻訳にひかれて読んでみる気になった。原作と比較していないので確かなことは言えないが、それでも言葉遊びの苦心の跡は随所にうかがわれる。
 読んでいてどこというのではないが、人生の残酷さ、生きることの哀しみみたいなものが感じられる作品だと思った。

                          

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書名 蝉しぐれ 著者 藤沢周平 No
1997-02
発行所 文春文庫 発行年 1991年 読了年月日 97ー01ー20 記入年月日 97ー01ー23

 
西方さんご推薦の作家の初めて手にする作品。深い感銘を受けた。端正な作品で、読んでいてすがすがしい思いが胸中を占める。それは下級武士階級の主人公の生き方への共感となり、さらには武士の倫理、生き方、そして江戸封建制への肯定的な見方へと私を誘う。

 海坂藩の普請組に属する文四郎の父、助左衛門は、藩主の世継をめぐる政争に巻き込まれ、切腹を命じられる。父の死後、家の断絶は免れたが、禄高は減らされ、粗末な長屋に移され、母と二人でつらい生活を送る。そんななかで、文四郎は剣術の腕を上げていき、ついには見込まれて流派の秘伝を伝授される。文四郎の隣家にはふくという一人の娘がいた。お互いにほのかに惹かれていた。ふくは江戸に出ているとき、藩主の手がつき側室となりやがて男児を産む。江戸から秘かに戻ったふくは、城下町の外れの屋敷に人知れず暮らす。剣の腕を見込まれた文四郎は父に切腹を命じた政敵から、ふくの生んだ男児を奪ってくるように命じられる。だがそれは罠だった。ふくの住む屋敷内での乱闘を伝授の秘剣を用いて切り抜けた文四郎の活躍によって一件は落着する。

 文庫で450ページを越す長編。しかし一気に読ませる。ストーリーにあいまいな所や矛盾がなく骨組みがしっかりしている。従容として助左衛門の切腹を受け入れた母と文四郎。一人で荷車を引き父の遺体を真夏の太陽の下で運ぶ文四郎。坂道を前に倒れそうになる文四郎に、いつか現われたふくが手を貸して二人は遺体を家まで運ぶ。こうしたすざましい場面を、筆者は抑えた致筆で書き進める。

                           

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書名 暦入門・・暦のすべて 著者 渡邊敏夫 No
1997-03
発行所 雄山閣 発行年 昭和55年刊 平成6年新装刊 読了年月日 97ー01ー23 記入年月日 97ー01ー25

 
今月のエッセイの課題が「暦」であったので日比谷図書館の書架から借りてきた。面白く、教えられるところがたくさんあった。生活に密接した暦について、その起源、歴史、意義、あるいは各種の暦等について、いかに無知で、無関心であったかを思い知らされる。暦の奥は深く、面白い。そして今の暦・・1500年代の後半に法王グレゴリュウスによって決められた・・とて完全なものとは言えず、新しい暦の改善、提案が今でも考えられている。いわれてみれば、各月の日数が最大3日も違い、また1月1日の新年の意義が天文学的にはまったく意味のないものであるといったこと、日付と曜日が毎年変わること(あるいはその方が生活に変化があっていいかもしれない)、あるいは英語の月の名前でSEPTEMBERからDECEMBERまでは、ラテン語の数の数え方から2つずれていることなど、考えてみればおかしな点はある。だが今の暦は余りにも深く我々の生活に結びついていて、普段はそんな疑問は感じないのだ。だから明治の改暦によって太陽暦が採用されても、依然として長年慣れ親しんだ旧暦が残っていたのは当然だろう。私の記憶でも祖父母は旧暦を併用していたような気がする。少なくとも私の七根時代には、正月は旧正月で祝っていた。

本書から:
 カレンダー:ローマで朔日をカレンデと呼んだところから来ている。

 日本での太陽暦の採用:明治5年12月3日を明治6年1月1日とした。明治6年は旧暦(太陰太陽暦)では13カ月となり、官吏の給料を1カ月分余計に払わねばならず、財政難の新政府は急遽新暦採用に踏み切った。

干支:BC4世紀戦国時代の中頃から始まった年のあらわし方。
甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸・・・十干
子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥・・・十二支
甲子、乙丑、丙寅、丁卯、戊辰、己巳、庚午、辛未、壬申、癸酉、甲戌、乙亥
丙子、丁丑、戊寅、己卯、庚辰、辛巳、壬午、癸未、甲申、乙酉、丙戌、丁亥
戊子、己丑、庚寅、辛卯、壬辰、壬巳、甲午、乙未、丙申、丁酉、戊戌、己亥
庚子、辛丑、壬寅、癸卯、甲辰、乙巳、丙午、丁未、戊申、己酉、庚戌、辛亥
壬子、癸丑、甲寅、乙卯、丙辰、丁巳、戊午、己未、庚申、辛酉、壬戌、癸亥

 太陰太陽暦:いわゆる旧暦。月の運行を基準にして作る。満月から満月までは29・53日であるので、ひと月に29日(小の月)と30日(大の月)を置いた。1年は354・36日になるから、この端数をあわせるためにほぼ19年に7回、閏月を挿入して1年を13カ月とする。どこに閏月を挿入するかは年によって異なる。

 元号:645年の大化が始まり。901年より辛酉と甲子の年に改元が行われるのが原則となった。年号には私的年号もあった。天災や疫病の厄払いをするためだ。

 暦の専売:昭和20年までは伊勢神宮が国暦の専売権を認められていた。政府のたびたびの取り締まりにもかかわらず、俗暦が横行した。戦後は国暦に相当するものはなく、誰もが暦を作って売れる。

 六曜:旧暦時代にはまったく記載されていなかった。中国起源で、鎌倉末に入ってきた。旧暦に準拠してつける。

 九星:これも旧暦にはなかった。まったく人為的なもので、出所は1ー9の魔法陣である。

 週の初め:ユダヤ教では神の天地創造は日曜日に始まり、金曜日に終わり、土曜日が安息日である。キリスト教では日曜日をイエス・キリスト復活の日として週の最初におく。従って今のカレンダーは本来の意味で正しい表し方をしている。

                           

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書名 暗殺の年輪 著者 藤沢周平 No
1997-04
発行所 文春文庫 発行年 1978年 読了年月日 97ー01ー24 記入年月日 97ー01ー25

 
表題の他に「黒い縄」「ただ一撃」「溟い海」「囮」を含む中編集。いずれも昭和46年から48年の著者の初期の作品で、「暗殺の年輪」は48年度上期の直木賞受賞作。この作品は「蝉しぐれ」に似たところがある。藩の重臣から、目下の藩政を握る男の暗殺を頼まれた主人公は、その人物について調べていくうちに、それがかつて父が暗殺を企て果たせずに非業の死を遂げた相手であり、父の死後、母は家の断絶を防ぐためにその男に貞節を捧げたことを知る。そのことが主人公に知れたことを知った母は、自害する。そして主人公は暗殺の目的を果たすが、やはりそこには依頼主側の罠があって、主人公は襲われる。

 「溟い海」は、東海道五十三次で江戸の人気をさらった広重を、落ち目の北斎がやくざを使って痛めつけようとするが、直前になってやめてしまう話。初めて実在の人物にモデルをとった歴史物だ。

 「ただ一撃」は、仕官を求めてやってきた腕の立つ浪人に、御前試合で藩の若手が次々と打ちのめされるのを、最後は六〇近いよぼよぼの老人剣士が止める話。息子を通してこの話を持ち込まれた老人は、引き受け、しばらく野山に野宿し体に精気が甦る。そして、試合の前の日老人の誘いに応じて嫁は老人に抱かれる。次の日自らの命を絶った嫁のことに眉一つ動かさなかった老人は、一撃の下に相手の無頼浪人を倒す。いずれも主人公は男であるが、登場する女がいずれもすがすがしく、魅力的だが、この作品の三緒が中でもそうだ。

97ー02ー01
 この作品を読み終わったあと、すぐに藤沢周平が亡くなった。69才、肝臓疾患とのことで、新聞には井上ひさし、丸谷才一のコメントが載った。また、葬儀での二人の弔辞の一部も昨日かの新聞に載っていた。井上は海坂藩は理想郷でその地図を作るほど愛読していると述べている。丸谷は明治大正昭和を通じて最大の名文家であると弔辞で絶賛した。

                           

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書名 ありんす国伝奇 著者 山田風太郎 No
1997-05
発行所 富士見書房時代小説文庫 発行年 平成8年12月 読了年月日 97ー01ー30 記入年月日 97ー02ー01

 
藤沢周平との対比で風太郎を読んでみたくなった。題名からするように吉原を舞台にした文政から天保時代の物語。藤沢周平を読んだ後では読みにくい。それは花魁言葉がたくさん出てくるせいばかりではないだろう。やはり周平の端正な文体は明晰で、わかりやすい。ここに収められた作品6編は昭和30年代の初めのもの。ちょうど売春禁止法が施行された前後のものだ。私には初めて知る遊郭のしきたりや風俗である。それはきわめて独特のもので、厳しい。花魁にたてついたり、あるいはそのなじみ客を取った下級の女郎は、わずかな金で身を売る安女郎の住む一角に追放されるといったこと。吉原で心中した男女は裸にして犬猫同然に穴の中に放り込まれるといった風習。一方で最高クラスの花魁ともなればたとえ大名であろうとも屈しない気位の高さを持つ。「怪異投込寺」では、わずかなことで自身のプライドを傷つけられた花魁は、写楽を殺して闇に葬る。禿(花魁の身の回りの世話をする童女)等という言葉も知った。

 物語には実在の人物が登場し、作者の奔放な想像力に踊る。それがこの作者の最大の魅力なのだが、それも読者になじみの人物であればあるほど興味は深いのだが、ここに登場する人物は私にはあまりなじみのない人物で、その分、例えば「室町お伽草紙」などの方が面白い。登場人物は、鼠小僧次郎吉、北斎(この作品では北斎は風変わりではあるが、天才的画家として登場。郭で彼が描いた絵はすごい迫力をもつ。そして花魁を説得して大蛸と女体とのからみの絵を描く)、写楽、人切り役人の山田朝太郎、遠山金四郎、水戸斉昭、そして河内山宗俊と山村大膳など。最後の四人は「夜桜大名」に登場し、水戸藩の世継ぎにからむ騒動で、虚実の駆け引きをする。その中で最後にどんでん返しがあり、遠山金さんの桜の入れ墨の由来が明らかにされる。いわゆる「天保六花撰」の宗俊と大膳が実在の人物かどうかは私は知らない。「天保六花撰」という言葉は子供の頃聞いたことがあるもので、それがどんな物語なのか、知りたいと以前から思っている。松本清張の「天保図録」がそれに相当するのかと思ったが、そうではないようだ。もともと「天保六花撰」は歌舞伎なのか、浪花節なのか。川島さんが若い頃、麻雀でパイをつもって「とんだところへ北村大膳、そういうお前は河内山」と言っているのを耳にした。彼はよく知っているのだろう。この小説では北村ではなく山村である。

 こう入力してからすぐ、十日市場の図書館に行った。日本史大辞典(平凡社)というのをひいた。天保六花撰という項目があった。

 歌舞伎作品。講談の二世松林円伯が得意とした「天保六花撰」(明治初年完成)を題材に河竹黙阿弥が作り、明治七年に初演されたもの。1823年に(文政6年)獄死した宗俊と、連座した直次郎、遊女三千歳、金子市之丞、森田清蔵、暗闇の丑松の6人を言う。
 またこの辞典の河内山宗俊の項には、上野の使僧をかたり井伊邸でたかりをはかったとされる。彼らの悪行がかっこよく美化されて、後世に絶大な人気を博したとあった。
 というわけで「夜桜大名」は本筋においては天保六花撰を踏んでいることがわかった。もっともこの中では花魁のさくらは、山村大膳一味に一杯食わせる善玉として登場する。 

 明治の初めにできた歌舞伎であって見れば、私たちの祖父母が慣れ親しんだことは当然だし、戦後まで語り継がれたとしても不思議ではない。

                           

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書名 深い河 著者 遠藤周作 No
1997-06
発行所 講談社文庫 発行年 96年6月 読了年月日 97ー02ー06 記入年月日 97ー02ー06

 
遠藤周作は大江健三郎のノーベル賞受賞に対する新聞紙上でのコメントで、大江の文学を神によらない人間の魂の救済を探るものだと述べた。きわめて適切なコメントだと思った。本書は93年の作で、カトリック作家としての遠藤の思想が濃く出た作品だ。

 妻をガンで失った初老のサラリーマン磯辺。学生時代にクリスチャンのがちがちの堅物大津をからかい誘惑したこともあり、その後青年実業家との結婚に破綻した美津子。動物との対話ができると信じている童話作家の沼田。ビルマ戦線で地獄のような悲惨な体験を生き延びた木口(同僚はマラリアに倒れた木口を助けるために人肉を食べ、その心の傷で酒に溺れて命を落とす)。フランスの修道院で神父を目指し勉学しながら、あらゆる物に神の存在を否定しきれず、異端視される大津。この五人がインドのガンジス河のほとりヴァーラーナスイに集う。ここはヒンドウー教徒が年間百万も沐浴するところだ。前四者はインドツアーに同行した仲間。大津は、この地の教会にいて行き倒れの貧しい人々を見付けては、ガンジスの畔に運び火葬に付して葬るということを行なっている。沼田は亡き妻のまた生まれ変わるから探しにきてとい最後の言葉に従い、当地にそれを求めたきた。美津子はからかいの対象でしかない大津に心の底で気に掛け、やはり彼を探してインドにくる。

 インドの現実は各人を圧倒する。貧困、不潔、独特の強烈な匂い、貧富の差の激しさ、深い森林と自然、そして時には狂暴で淫猥な形相を見せるヒンドウー教の神々とその像。年間100万という人が、聖なるガンジスで沐浴するが、その水は白く濁り、すぐ近くでは死者を火葬にした灰を河に流しており、人々はその水で、体を清め、口をすすぐのだ。彼らが滞在中にガンジー首相は宗教上の対立がもとで暗殺される。磯辺は結局は妻の生まれ代わりを見付けることはできなかった。沼田は九官鳥を買い求め、それを深い森の中に放してやる。木口は川のほとりで経を読む。美津子は大津にあう。そして自らもガンジスの河に身を浸す。そして彼女はいつのまにか大津が追い求めているもの、あるいはもっと大きな永遠と言ったものに対して祈っているのだった。だが大津はツアーの中の心ないカメラマンが、火葬の現場をカメラにおさめたのがもとで、居合わせた群衆に暴行される。カルカッタの空港で大津が危篤状態であることを美津子が知るところで小説は終わる。

 構成がしっかりしていて、物語り性がある。解説で佐伯彰一が言っているように、美津子と大津の関係がやや無理につけた感じがするが、他の三人の場合はきわめて自然で、同化しやすい

                           

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書名 風の群像 著者 杉本苑子 No
1997-07
発行所 日経新聞連載 発行年 97ー02ー07終了 読了年月日 97−02−07 記入年月日

 
一年以上にわたって日経の夕刊に連載された小説。同時期朝刊の「失楽園」が大評判になったが、こちらの方も面白かった。題材は太平記。尊氏以下、お馴染みの面々が登場するが主人公は足利尊氏。ここに描かれた尊氏は高一族を裏切り、弟の直義を幽閉し死に至らしめ、落胤の直冬とは敵味方で戦うといった暗い面もあるが、その中にどこか優柔不断なところ、心根にやさしさがあって、憎めないのだ。それどころかそうした性格に人間としてのスケールの大きさを感じる。そうした人間的魅力があればこそ、後醍醐天皇に翻弄され、一度ならず命からがら落ち延びては、また復活することができたのだろう。童門冬二もそんな尊氏像を描いていたから、定説的尊氏像なのだろう。戦前は逆賊扱いされ、戦後の歴史でもなぜかあまり触れられなかったので、なんとなく暗いイメージを持っていたが、やはり日本史上に輝く英雄だ。

 この時代は人々がエネルギーに満ちた時代として、戦国や幕末に並ぶほど面白い。ただ、戦にしても、後の時代のような厳しさがなく、敵味方の離合集散が頻繁に起き、敗者への処置も驚くほど寛大なところがある。そうした時代背景が尊氏にも反映しているのだろうと思う。直義、後醍醐天皇、楠木正成、新田義貞、高一族、北畠父子、あるいは佐々木道誉らのいわゆるばさら大名たち。風のように十四世紀中葉をかけ抜けていった彼らはいずれも魅力的だ。

                           

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書名 長門守の陰謀 著者 藤沢周平 No
1997-08
発行所 文春文庫 発行年 1983年 読了年月日 97ー02ー10 記入年月日 97ー02ー11

 
昭和52年から53年にかけての作品5編。表題のものは江戸初期の庄内藩主酒井家の内紛を扱った歴史物。私としては初めて接する歴史物だが、短編にしては扱う時代のスパンが長く、また主人公というべき人物がぼけていて、いい小説とは思えなかった。あとは武士道ものが1つに、人情ものが3つ。これはいずれも女性が主人公であるがよく書けている。

「夢ぞ見し」は、夫の帰りが毎晩遅くいつも不満に思っている下級武士の若い(といっても26才で自分はもうお婆さんだといっている)妻、昌江のところへ、江戸から一人の若者が転がり込んできて、しばらく住み着く話。横柄な口の聞き方をするこの武士は美男子で、しかもからっとした青年で、昌江は密かに好意を抱く。ある夜、家の前でこの青年を狙った切り合いがあり、駆けつけた夫の活躍で難を逃れる。そしてその後すぐに青年は藩から姿を消す。そして2年後、子供をかかえた昌江に、町中で篭から声をかけた若者があった。実はそれは今は藩主となったかつての若者であったのだ。世継ぎをめぐって、水面下の暗闘があり、夫は現藩主の擁立に奔走して毎日遅かったのだ。といった筋だが、若者に密かな夢を見ながら、決して不倫な関係の陥ることのない武士の妻の心理が、さわやかに書けていて、読後にすがすがしい余韻が残る。

 他の3編の江戸を舞台にした人情ものでも、登場人物は、材木商の奉公人であったり(「春の雪」)、日雇いをしながら別れた先夫の子供を育てる女であったり(「夕べの光」)、お尋ね者の情人のためにいかがわしい酒場で働く女(「遠い少女」)であり、それぞれに生活の重さをずっしりと背負っている。男たちは、博打に足を染めて身を誤り、追われる立場といった境遇のものが多い。だがここに出てくる女は、やさしく、気位が高い。一旦は身を任せた男と一緒に江戸から落ち延びることに傾きながら、後を付けてきた先夫の子供のために結局はあきらめる「夕べの光」のおりん。岡っ引きに問いつめられても、情人の居所は決して言わないと胸を張る「遠い少女」のおこん。こうした女達がよく書けている。

                           

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書名 橋ものがたり 著者 藤沢周平 No
1997-09
発行所 新潮文庫 発行年 昭和58年 読了年月日 97ー02ー17 記入年月日 07ー02ー18

 
橋の上で出会い、別れる男と女。そんなモチーフで書いた10編の短編集。江戸の下町に生きる庶民の哀感がにじむ作品集。何らかの過去を背負った男と女。男は職人で、女は借金のかたに酔客に身体を売るような境遇にあると言った設定が多い。そして女の回りには博徒の影がちらつく。そんな境遇にある男女の、ひたむきな想い。いずれのストーリーも類型化した感じがあるが、それがかえって読み手を、今は失われたなつかしい江戸情緒の中へと誘い込む。ストーリーの展開も巧みだ。

 井上ひさしは解説の中で「雨の静かに降る日は、藤沢周平の職人人情もの、市井人情ものが一番ぴったりだ」という植草甚一の言葉を引用している。その通りだろう。

                           

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書名 たばこの社会史 著者 ジョーダン・グッドマン、松浦いね監訳、高野真知子訳 No
1997-10
発行所 TASC, 発行年 1996年3月 読了年月日 1997−02 記入年月日

 
良く書けたたばこの歴史である。膨大な数の文献をあたっている。それが最新の文献であるところが本書を信用に足るものとしている。

 第一章でまずたばこの植物学、化学、経済学が概観されているが、その中でニコチンについては、「人が煙草を吸うのは、どんな形であれ、ニコチンを取り込むためだということ、もう一つは、ニコチンはきわめて耽溺しやすいことである」と述べている。さらにニコチンは肺から吸収されると7秒で脳に達するが、静脈注射の場合は14秒かかる。肺から取り入れられたニコチンは15から20秒で体のすみずみまで行き渡る。

 新大陸の原住民はもともとたばこを幻覚性植物として利用していた。彼らの文化では幻覚体験が重視されていて、幻覚性植物は神聖視されていた。幻覚性植物は主としてナス科の植物であり、たばこはルスチカとニコチアナであり、ニコチン含量が現在の物より数倍高く、幻覚症状を起こせた。彼らはたばこの本質を精霊の世界と人間界との接点であるととらえていた。

 ヨーロッパでなぜたばこがあれほど急速に受け入れられたかの説明として、著者は16世紀のヨーロッパ人がきわめて複雑な文化空間に住み、そこでは向精神性薬物やその経験が重要な役割をはたしていたこと、そうした社会にたばこが新世界からの期待に満ちた万能薬として受け入れられていったの推定している。たばこの薬としての効用を推奨した人としてセビリアの医師モナルデスの名を強調している。ある産物が一つの文化を越えて別の文化に移ることができるかどうかは、その新しい対象にもともとの文化が意味を与えることができるかどうかにかかっていると著者は言う。

                           

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書名 おんな牢秘抄 著者 山田風太郎 No
1997-11
発行所 角川文庫 発行年 読了年月日 97ー02ー25 記入年月日 97ー02ー27

 
大岡越前守に霞という一人娘がいて、これが姫君お竜となのって小伝馬町の牢に潜りこみ、無実の女囚6人を救いだすという物語り。このじゃじゃ馬娘は、どんな男も引き付けてしまう美貌と、あどけなさの残る愛嬌と気品とを備え、そのうえやたらに頭が切れ、恐いもの知らずの度胸があり、心底心のやさしい武家娘だ。公方様のお命を狙った盗賊という触れ込みで、牢に入ったお竜は、さっそく牢の不合理なしきたりを改め、牢名主の畳を崩し、皆にも畳が行き渡るようにする。その外にも、理不尽なリンチから女囚を救ってやったりし、だんだん尊敬を集めていく。そして、女囚の話を聞いては、お調べと称して呼び出され、女囚の無実を証明していく。女囚らはいずれも男に対する純情を利用され、人殺しの罪を着せられるか、あるいは操られて人を殺して、やがては打ち首になる定めなのだ。彼女は女郎や賭場の客等に化けて、相手の男たちの懐に飛込み、命や、貞操の危機をもそのつど乗り越えて、同心主水介の協力を得て、真相を暴いていく。こうして、その無実を晴らしていくうちに、背後に吉宗の時代の歴史上の一つの大きな事件がにあることが示唆されていく。この辺りは、推理小説的要素が濃厚で、作者の構成力の巧みさが遺憾なく発揮されている。特に最初に大岡越前の机上の書類にあった人物名が最後になって初めて登場する下りなど、にくいばかりだ。6人の女を利用して人を殺したのは天一坊の一味で、殺された相手は、かって関西で、天一坊とともに悪事を働いていた連中だったのだ。

 天一坊がいよいよ江戸城に乗り込もうという朝、一味の正体はお竜の活躍で見破られ、彼らの陰謀は潰える。そして6人の女囚を陥れた男はことごとく捕まる。小伝馬町の処刑場で刀を持たせたこの6人を同時に相手にし、女囚たちの見る前で、お竜こと霞は、彼らを一瞬のうちに討ち果たして、女達の恨みを晴らす。そして、大陰謀を見事に暴いた褒美として、かねて恋する同心主水介との結婚を父に許してもらう。

 文庫本で600ページ近い長編。「室町お伽草紙」のスーパーヒロイン香具耶姫に共通するお竜だ。前の場合もそうであったが、今回も読み進めるうちに、ヒロインに惚れ込んでしまう。お竜が女郎になって吉原に潜り込むときなど、どうなることかとこちらがはらはらする。作者は女郎になっても、彼女の純潔は守れるよう、うまくストーリーを運んで、我々をほっとさせてくれる。

                           

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書名 マイラストソング 著者 久世光彦 No
1997-12
発行所 文芸春秋 発行年 読了年月日 98ー02ー28 記入年月日 97ー03ー01

 
死んでいくときに聴きたい歌は何かについて書いたもの。何か一つに絞ることができない著者は、色々の候補を挙げる。それは戦前から戦後間もない頃までに聴いた歌であることが多い。著者は昭和10年生まれ。あげられた歌のかなりの部分に共感を覚える。ただ、殆どはやらなかった特殊な歌を取り上げていることも多い。最初に出てくるのは「アラビアの歌」だ。私も著者と同じに、臨終に際して音楽を聴きながら死んでいけたらいいと、以前から思っているが、私の場合はモーツアルトと決めている。それもシンフォニー41番が今の所第一候補だ。だけど、「アラビアの歌」は子供の頃歌ったなつかしい歌で、著者の気持ちが分かるような気がする。そのほかに「港が見える丘」も共感がもてる。

 友人のSは私のエッセイを見て、久世光彦の文章に似ていると言った。それで気になっていた作家だったが、先日日比谷図書館で見つけて借りてきた。確かに文章の調子、文体など似ているところがあるとは思った。だが、内容の深さ、表現の巧みさでは私など足下にひざまずくだけだ。
雑誌「諸君」連載。

                           

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書名 海と毒薬 著者 遠藤周作 No
1997-13
発行所 角川文庫 発行年 昭和35年初版 読了年月日 97−03−14 記入年月日 97−03−29

 
戦時中の九州大学における米軍捕虜の生体解剖をあつかった作品。日本人の罪の意識、その希薄さを鋭くついた作品。それは神という絶対的な存在を心中に持たない日本人の避けられない特性であるということを、作者は言いたいのだろう。

 そういえば遠藤周作は大江健三郎のノーベル賞受賞の感想として、「宗教によらない人間の救済を求めた作家」と言っていたが、大江の本質、特に後期の大江の本質を見事についたものだと思った。世間に見せる顔は、どこかすねた、皮肉なところがあって、あまり好きではない遠藤周作ではあったが、「深い河」やこの作品を読むと、外見とは違った深い思索と人間洞察があって、いい作家だと思う。この作品を読んでみようと思ったのは、「深い河」を読んで、興味を覚えたからだろう。

                           

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書名 三屋清左衛門残日録 著者 藤沢周平 No
1997-14
発行所 文春文庫 発行年 92年9月初版 読了年月日 97−03−14 記入年月日 97−03−29

 
西方さんご推奨の周平作品。「蝉しぐれ」の晩年版といった内容。藩主の用人まで出世した清左衛門の定年後の日々を描く。引退後も、なにかと藩のごたごたの解決に引っぱり出される。そして最後は藩の派閥争いにも加担し、めでたく藩の危機を救うといった内容。その穏やかで、平衡感覚に富む人柄故だろう、現代のサラリーマンの誰もが理想としそうな、きわめて恵まれた定年後だ。女、特に行きつけの料理屋の女将、みさが魅力的に書かれている。また、嫁の里江も献身的ではあるが、物わかりのよい、なかなかできた嫁に描かれている。
                           

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書名 チャタレイ夫人の恋人 著者 D.H.ロレンス、伊藤整 訳、伊藤礼 補訳 No
1997-15
発行所 新潮文庫 発行年 平成8年11月 読了年月日 97−04−15 記入年月日 97−04−15

 
猥褻と判定され、削除されて出版されていた伊藤整の前書を、息子が削除文を含め補ったもの。文庫本560ページの大作。

 再読してみる気になったのは、もちろん最高裁まで行って猥褻とされたその性描写がどんなものであるかを見たかったからだ。「おまんこ」とか「ペニス」という過激な言葉がよく出てくるが、性描写そのものは、今にしてみれば、なぜこれが猥褻とされたか不思議なくらいだ。作品全体は、まじめな、まじめすぎて退屈で、重いほどだ。ローレンスの主張がこれでもかこれでもかと繰り返される。私がほかの訳者のチャタレイ夫人を読んだのは大学の頃だったと思う。物質文明、金万能主義に対する作者の強烈な批判の書であるという印象は残ったが、細かいストーリーは全く覚えていなかった。特に、最後は結局コニーとメラーズは別れ別れになるとばかり思っていたが、実はそうではなく、やがて生まれてくる二人の間の子供と一緒に生活する事が暗示されている結末だった。

 それにしても作者の上流階級に対する批判、拝金主義、物質文明への唾棄は強烈で、理屈っぽい文章が長々と続き、うんざりするほどだ。それに比べて、森の描写の細かく、美しいこと。そうした美しい森を舞台に繰り広げられる、二人の情事には、作者の理屈っぽい意味付けを越えて、ロマンティックなものを感じる。

 今回どのような状況下で二人が初めて結ばれるかに興味を持って読み進めた。208ページに至って、初めて二人のセックスが成立する。それは、コニーがキジの卵をかえそうと必死に暖める雌鶏の姿に、心を深く揺すられた後のことであった。キジを孵すための小屋の床に毛布を敷き、森番と、小説家として名をなし、この地方の炭坑のオーナーでもある、クリフォード郷の夫人コニーとは初めて結ばれる。これはなかなか感動的なシーンだ。

 本書を読んでいて感じたことの一つは、イギリス人の性に対す考えが、当時からかなり自由で、奔放であることだ。上流階級に属するコニーは結婚前にすでにドイツの青年と肉体関係を持っており、また結婚後も夫の友人相手と恋愛遊戯を行っている。これはグリーンやオーウエルを読んでも感じることだが、少し前の英王室の不倫スキャンダルも、こうした性に対する我々とは違う倫理観が背景にあるのだろう。
 翻訳はうまくない。

本書から:
110ー111p ストイシズム
153ー154p 植物の描写とコニーの心理  
194-185p 現代科学技術と感情的人間生活。
203-204p 雌鳥の母性
208-210p first sex
220p3行目 木の生命力と彼女の感情
280-281p 現代文明への批判
330-337p クリフォードの考え、階級社会、森の美しさ。
   
                           

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書名 天保悪党伝 著者 藤沢周平 No
1997-16
発行所 角川文庫 発行年 平成5年11月 読了年月日 97−04−21 記入年月日 97−04−21

 
これがいわゆる天保六花撰の物語だ。長年知りたかったこの物語の大要がつかめた。河内山宗俊とそのグループの悪行の数々を扱う。宗俊のたかりと強請、その片棒を担ぐばくち狂いのご家人片岡直次郎、森田屋清蔵の盗み、金子市之丞の辻強盗、金子たちの下働きをするくらやみの丑松、そして、直次郎や森田屋、金子のなじみである、吉原の花魁、三千歳。それぞれに一章をあてた六編の中編からなる。河内山は今の総会屋の超大物といった感じ。最後は、息子の仕官のための資金を得るために、水戸藩を強請り、墓穴を掘ることが暗示されて、この小説は終わる。皆が、困ったときは河内山を頼る。単身大名屋敷に乗り込み、堂々と啖呵を切って金を巻き上げるそのふてぶてしい態度には、すかっとしたものがあり、こうした無頼のやくざ者だけでなく、一般庶民を引きつけるものがある。どこか憎めない悪党達で、それが後年民衆のヒーロー的な存在になったのだろう。松江の藩主、松平出雲守を強請ったときに、北村大膳と言うのが出てきて、河内山の正体を見破る。これが川島さんが言っていた「とんだところに北村大膳」「そういうお前は河内山」の舞台だ。

 六人の悪漢(三千歳は悪というほどのものではない)の中では、河内山についで、森田屋が、すごい。ちょっとしたミスで父を殺された、庄内藩への復讐にもえ、禁制の品の密貿易に手を出させ、まんまとはめるのだが、藩は家老の腹を切ったきりで、取りつぶしまではならなかった。
 ただ、この間調べた辞典では、河内山が獄死したのは文政年間であり、天保と言うのは、後世黙阿弥が天保に舞台を移したせいだろうか。

 久世光彦の「一九三四年冬ー乱歩」には、数回「寝不足の河内山」という表現で、乱歩の表情を形容していた。河内山といえば、私の子供の頃の記憶では、大河内伝次郎がはまり役であったと思うのだが、イメージとして、目鼻立ちが大きく派手で、眉が太く、頬がたるんだような顔だ。

                            

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書名 一九三四年冬ー乱歩 著者 久世光彦 No
1997-17
発行所 新潮文庫 発行年 平成9年2月1日 読了年月日 97−05−08 記入年月日 97−05−10

 
連載中の小説「悪霊」が途中で書けなくなって家を逃げ出し、麻布の外国人相手のホテルに隠れ込んだ江戸川乱歩の4日間を描く。しかし彼はそこでかってノートに書き付けた題の中から「梔子姫」という題で、このホテルの美青年、翁華栄(衆道に興味を持っていた乱歩がこの美青年に性的に惹かれていることが、それとなく暗示される)との話から突然ひらめいた唖の娼婦の物語「梔子姫」の執筆を進める。そんな乱歩の身辺には奇怪な事件が起こる(だがこの事件は結局は猫の仕業とされ、本筋とはならない)。

 物語は作中作である「梔子姫」物語と乱歩の現実とそして彼が見る夢(それにしてもよく夢を見る人だ)とが折り重なって進行する。著者の熟達の文章と大変な博識ぶりに感嘆する。アラン・ポーの作品を初め、当時評判になった海外の探偵小説に関すする蘊蓄はもとより、今から60年前の昭和の初めがよみがえる様な、綿密な時代考証がなされている。例えば、乱歩が「悪霊」を書けなくなったのは、執筆中に「馬生」の火焔太鼓を聞いてばからしくなったのも一つの原因だと(P121)あり、その後に、馬生もそろそろ志ん生を名乗ってもいいころである、と書いている。志ん生が馬生と名乗っていたことなど、いまでは知る人もいないから、最初から志ん生の火焔太鼓としても良さそうなのに、わざわざ当時の名前を出す所など、作者の細かい気配りが快い。谷崎や宇野浩二、あるいは横溝正史ら私も知っている大家の作品に対する言及だけでなく、私の初めて耳にする作家の作品についても、いくつも立ち入って触れ、乱歩像を形作っていく。

 同時に進行する「梔子姫」の物語は、これまた乱歩の文体で、乱歩以上に奇怪、エロティックである。中国大陸から子供の頃連れてこられ、毎日酢を飲まされ、体中の骨がグニャグニャになった上、水銀を飲まされて唖にされ、男達の変態的欲望に応えることだけで生きているのが梔子姫だ。少女は背中から体を曲げ、自分の顔を股の間から出し、鞠のように丸まることが出来るのだ。そうした状態の梔子姫と乱歩は交わったりする。やがて乱歩は娘を救い出し、海の見えるところで密かに暮らしたいと思う。そして、その娼館に火を放つことを計画し、実行する。だがそこから先はどこまでが現実で、どこまでが幻かよくわからない。最後は梔子姫は乱歩の体の下で、女の喜びをあげられる普通の女に戻っていて、それから蝶になって空に飛んでいく。

 作者の並々ならぬ才能を感じる。文章がうまい。博識である。絢爛たる引用をちりばめ、探偵小説論、文学論を展開し、緻密な時代考証で、当時の雰囲気が生き生きと甦る。文庫本330ページにびっしり詰まった大作で、読み応え十分。山本周五郎賞受賞とのこと。

 例えば、第5章「ポインセチアの秘密」の最後のほう。277p:
・・・前歯でポインセチアの葉を噛む。なにやら粘っこい液体がトロリと唇を濡らす。味はない。指で拭ってみると、指先が白くなっている。・・・・乱歩は怖くなった。このまま黙って眺めていると、ポインセチアの花から滴る白い粘液は床を浸し、怨念のように隅々にまで流れて、やがてこの部屋に満ち、乱歩は白濁の海に溺れていく。
 
体内の白い血がゆっくりと梔子姫の中へ流れ込んでいくのが判ります。もう私の中には狂奔する赤い血は一滴も残っていないのでしょう。いま吸い取られているのは、人間の最後の白い血なのです。・・・

 現実と作中作の見事なつながりの一例だ。こうした現実から作中作への流れは随所に見られる。


                           
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書名 沈黙 著者 遠藤周作 No
1997-18
発行所 新潮文庫 発行年 昭和56年 読了年月日 97−05−17 記入年月日 97−05−25

 
緊迫したドラマ展開に満ちた作品。江戸初期、島原の乱の後、キリスト教禁止となった日本に布教にやってきたポルトガルの宣教師、ロドリゴが主人公。彼ともう一人の同僚ガルペが、わざわざ日本にやってきた背景には、日本での迫害にあって棄教したとされる、彼らの師でもあるフェレイラの消息を知りたいという願望もあった。マカオから日本人のキチジローに伴われてやってきた二人は、長崎のある村に潜入し、密かにそこの信徒達に、司祭としての役目を果たす。だが、二人はキチジローに密告され、ついには捕まる。そして、ロドリゴは取り調べの井上奉行(かつてフェレイラを棄教させた凄腕の奉行)との間で、宗教論議を戦わす。この論議にはキリスト教徒と日本人の本来的な考え方の相違がよく出ている。しかし、当局の迫害はこんな生ぬるい論議ですむものではない。やがて、彼の目の前で、信徒が次々に殺される。あるものは切られ、あるものはむしろに丸められ、海に投げ込まれる。同僚のガルペは、海に投げ込まれた信徒の後を追って自らも海底に沈む。

 そうした精神的迫害にも耐えて、信仰を守ったロドリゴではあるが、長崎に連行され、そこの寺で今は日本人に改名して、キリスト教の非を書物に書いているフェレイラに会う。ある晩、彼の押し込められた小屋に、人々のいびきが聞こえてくる。彼は、それはてっきり番卒のいびきだと思った。だが、それは穴に逆さにつるされた信徒達のうめき声だったのだ。フェレイラは自身もその拷問を受け、ついに棄教したのだった。結局ロドリゴも穴吊りされた信徒の苦痛を救うために、奉行側が差し出した板の上のキリスト像を踏みつけ、転ぶ。そして日本人妻をめとり、最後は江戸で死ぬ。

 殉教するのか、それとも棄教するのかという興味で最後まで緊迫して引っ張られる。私は、殉教するのだと思っていた。だからこの結末は意外であった。
「沈黙」という題は、主人公や信徒のどのような苦境にさいしても、神はいっさい沈黙を守ったということから来ている。

                           

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書名 贋作 天保六花撰 著者 北原亞以子 No
1997-19
発行所 徳間書店 発行年 1997年4月30日 読了年月日 97−05−23 記入年月日 97−05−25

 
新聞広告で目に入ったので買った新刊書。もちろん、作家も初めて読む人。片岡直次郎を主人公に、例の河内山や丑松らが脇役で出てくる。直次郎は酒場で隣で飲んでいた貧乏御家人の片岡清左衛門に見込まれて、一人娘あやのの婿になる。このあやのがもう一人の主人公だ。17才まで寝たきりであったあやのは奇跡的に回復し、直次郎と夫婦になったのだ。だが、世に出てからまだ数年しか立っていないあやのは、全くの世間知らずで、天真爛漫、純真無垢な女だ。清左衛門はあやのの病気のために莫大な借金を抱え、その返済のために、直次郎はばくち、強請り、美人局を行って金を稼いでくる。直次郎の仕事現場にあやののが飛び込んできて起こるごたごたが醸し出すユーモアが、この作品の最大の取り柄だ。悪の世界に住む直次郎だが、無垢なあやのにうんざりすることはあるのだが、どこかで惹かれていて見捨てることが出来ないのだ。あやのは直次郎を、物知りで、たくましい男と見ており、各所に囲う女は自分の足らないものを補っているのだと考えている。

 最後は六花撰がそろって水戸藩の富籤現場に乗り込み、多額の金額の強請りに成功する。だが、このままではすまないことを知っている彼らは、それぞれに都落ちする。清左衛門とあやのに害が及ぶことを恐れた直次郎は、金だけを渡し、一人で北に落ちていく。物語の背景は文政年間に取ってある。
 なおこの小説の河内山は、小男で容貌にすごみなど感じられない人物とされている。

 90年から96年にかけて「問題小説」掲載。

                           

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書名 20世紀の自然観革命 量子論・相対論・宇宙論 著者 和田純夫 No
1997-20
発行所 朝日選書 発行年 97年5月 読了年月日 97−05−31 記入年月日 97−05−31

 
この種の本にしてはかなりわかりやすく書けている良い本だ。素粒子論から始まり、量子論、相対論、そして宇宙論と、20世紀に大きく変化した人類の自然観を、それぞれに関連づけながら、わかりやすく解説してある。そして筆者の基本的立場は、科学の法則は客観的真実であるというものだ。

 例えば、両端が固定された弦の波をとっての電子の波としての挙動の説明(p107前後:固定された弦では、山の数はある整数値しか取れない。これが電子のエネルギー準位に相当する)などはわかりやすい。それでも量子論の解釈問題を扱ったところは難解だ。著者は多世界解釈論をとっている。多世界解釈とは、シュレーディンガーの「猫」が生きている世界と、死んでいる世界とがお互いに無関係に共存するという考え方だ。この考えを宇宙に当てはめれば、我々の見る宇宙以外にも無数の宇宙が存在するということになる。

 光は質量を持たない粒子、光子として電磁力を媒介する。自然界に働く力は何らかの粒子を媒介にして働く。重力の場合、それは重力子と呼ばれる量子論的粒子によって運ばれるはずである。ただ、重力はきわめて弱く、まだ発見されていない。

 宇宙の晴れ上がり:初期宇宙には物質が充満していて、光はそれに遮られて、宇宙はまだ暗かった。膨張につれて空間が増し、宇宙は光が届くようになり晴れ上がった。それは宇宙創世より30万年後のことである。従って我々はそれ以前の宇宙の状態に関しては観測できない。この30万年後というのが、銀河を中心とする現在の宇宙構造を形作る種が出来たときだ。

                           

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書名 「ここに地終わり、海始まる」 著者 宮本輝 No
1997-21
発行所 講談社文庫 発行年 94年10月 読了年月日 97−06−10 記入年月日 97−06ー11

「ロカ岬の落日」という題でエッセイを書いたとき、その中の「ここに地終わり、海始まる」という題の宮本輝の小説があると、受講生の林さんが私に言った。先日、十日市場の本屋でこの本を見つけたとき、ちょうど今度の九州出張に持参するのに良いと思い買った。上下2巻の文庫本。

 24歳の主人公志穂子は、18年間を北軽井沢の結核療養所で送り、出てきたばかりだ。あきらめかけていた彼女に奇跡が起こり、病巣がみるみる消えていくきっかけとなったのは、リスボンから届いた一枚の絵葉書。それはロカ岬の絵葉書で、一度療養所に慰問に来たミュージシャンの梶原からのもので、会いたいという恋文だった。葉書には碑文の文句「ここに地終わり、海始まる」が入っていた。志穂子は梶原を訪ねるが、彼らのグループは解散して、梶原の居所はつかめない。だが、梶原の友人尾辻と知り合いになり、梶原とも会えた。梶原が出した葉書は実は志穂子宛ではなく、同じ病棟にいた別の女万里に当てたものだったのだ。そして梶原は万里の母の経営する蓼科の山荘でひっそりと隠れていたのだ。

 志穂子は、ラグビー選手であった、誠実で、男らしい尾辻に惹かれながらも、心のどこかで、軽率で、かっての仲間由加とも、また万里とも関係を持つ梶原のことも気にかかる。尾辻から結婚を申し込まれるが、医師から子供を作ることは無理だと言われた志穂子は、その申し出を断る。そして、最後は荒れ狂う冬の越前岬の旅館で、梶原に抱かれる。

 ストーリーにはやや偶然が多すぎる。特に最後の、これから手作りソーセージの事業をはじめようと言う志穂子の父の友人の蓼科の家に、梶原が現れ志穂子と邂逅するというのはそうだ。だが小説の世界はこうした偶然がないとストーリーが展開しないのだろうからやむをえないか。ひたむきに生きる青春像といった、爽やかな後味の残る小説だ。こういう本だと電車やバスの中であっという間に読めてしまう。
 北原亞以子の「贋作天保六花撰」の、17歳まで寝たきりであった直次郎の妻あやのは、この物語の主人公からヒントを得たものではないかと思ったりした。

                           

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書名 「文化としての近代科学」―この人間的な営み 著者 渡辺正雄 No
1997-22
発行所 丸善 発行年 平成3年1月 読了年月日 97−06−21 記入年月日 97−06−21

 
エッセイ教室6月の課題「太陽」で、地動説のことを書いてみようかと思った。日比谷図書館で本書を見つけた。おもしろい内容であった。

 近代科学がなぜ西洋に生まれ、アジアには生まれなかったのかという問いは、常に私の中にあった。本書は比較的よくその疑問に答えてくれる。結論的にいえば、西洋社会を支配したキリスト教的世界観なしには、近代科学は生まれなかった。この世界を神の創造になるもと見、自然の中に神の意志をくみ取りたいという欲求なしにはそれは生まれなかった。本書は単なる科学史にとどまらず多くの詩文、特にミルトンの「失楽園」から多数の引用を行い、西洋の人々の当時の考え方を広く紹介し、大変ユニークな著作になっている。記述が特に詳しいのはコペルニクスから、ケプラー、ガリレオ、ニュートンに至るところだ。後半の化学、生物学革命も触れられているが、記述はそれほど詳しくはない。また、日本人の心情にも随所で触れ、西洋と日本の考え方の差を強調している。著者は東大名誉教授で、国際基督教大学教授。
以下、本書から:

新プラトン主義 p65
「プラトン主義では、アリストテレス哲学の此岸的な性格とは対照的に、目に見えるこの世界の事象は不安定で不完全なものに過ぎず、これを越えたイデアの世界にこそ永遠的な真理があって、目に見えるこの世界はイデアの世界の不完全な投影像であると考えられていた。・・・・これは眼に見える世界を数学的な永遠の顕現と見たピタゴラス学派の思想を受け継いだものである。・・・・新プラトン主義はこれをさらに一歩進めて、この数学においてこそ神の本性や宇宙の本質が見られるのだと考えた。・・・この新プラトン主義の考え方は、自然の本質を理解するということは現象を数学的に説明すること、それも簡単な形で説明することであるとする近代科学、現代科学まで綿々と引き継がれていると言えよう。 中略
 新プラトン主義のもう一つの特徴は、その太陽崇拝である。彼らの神観によれば、神は無限に生産的な神であり、この神は地上に光と熱と肥沃とを与える太陽によって最もよく象徴されているのであった。・・・新プラトン主義のこういう立場からすると、アリストテレスープトレマイオス体系における太陽の位置は決してふさわしいものではなかった。まさに太陽こそが宇宙の中心に位置すべきであった。・・・コペルニクスや、ハーヴェイ、ケプラーなどにこのような傾向は顕著に認められる。


The Whig interpretation of history ホイッグ史観(あるいは進歩史観)についての戒め p49
 
プトレマイオスの体系は天文観測のデータを驚くほど見事に説明する、きわめて合理的な体系であった。この点を十分に評価することなしには、それを乗り越えて進んだコペルニクス以後の新しい展開の意味を正当に理解することはできないであろう。紀元2世紀に出された彼の体系が以後15世紀近くにもわたってヨーロッパの天文学を支配し続けたのは、それがいかに見事な宇宙体系であったかの証拠でもある。中世は暗黒時代でその時代の知識、その時代の宇宙体系はどうせ間違いだらけのものだろうと最初から決めてかかることは危険である。その時代に身を置いて考察しようとしないで、現代の科学の眼鏡で過去を眺めるような態度をホイッグ史観という。

空想、思弁、美意識
今日でも、空想と思弁と、そしておそらく美意識なしには科学の発達は起こりえないのではあるまいか。 P39。

体系化 P51
 
ところで、さまざまの異なる要素を、全体的に位置づけ、論理的に整合する全体としてとらえなければ気がすまぬというところにも、日本には見られない、西洋に特質的な学問の気質といったものを見ることができるであろう。この特質はすでにギリシャの哲学の一特質であったが、キリスト教世界においては、全体的で整合的な関係がいっそう不可欠な事がらとして要請され、熱心に追求されることになったものと解することができる。これは、この世界の中のすべてが、ただひとりの神による被造物だと信じられていたからにほかならない。そして、このような追求から、さまざまの西洋的なものが生み出された。これから見ていこうとする中世の宇宙体系もそのひとつであれば、・・・・。

 近代科学とキリスト教について P164「ガリレオ裁判」についての記載で:
すなわち、このキリスト教的な西洋世界においてこそ、およそキリスト教的要因を欠いては形成されえなかったと思われる近代科学が出現したわけであるが、しかしまた、そこがキリスト教的世界であったがゆえに、そこにおいて近代科学が独立の歩みを開始するにあたっては、不可避的に「ガリレオ裁判」を起こすような障壁に出会って、これを乗り越えていかなければならなかったのである。

 本書にはミルトンの「失楽園」から原文ともに多数の引用がされている。ミルトンは「失楽園」の中では、地球が回っているというガリレオの説に好意的な立場から、天体の運動を述べている。つまり、壮大な天が地球を回るというのは、聡くつましい自然には不釣り合いな行いだといっている。日本で言えば「奥の細道」より少し前に書かれた「失楽園」の英語が、今読んでもそれほど抵抗なく読めるのには驚く。
 ベーコン、フック、ミルトンらは、禁断の実を食べ、楽園を追われた人類が、ある程度までその楽園を回復するためには、自然を深く考察し、それを改良し、利用しなければならないと考えた。(フィランソロピーとしての科学)。しかし、真の回復は宗教によらねばならないとも考えていた。

参考
「コペルニクス・天球回転論」;高橋憲一 訳、解説、みすず書房、1993年発行。
十日市場図書館

 1543年刊行のコペルニクスの太陽中心説の原典の翻訳と解説。同時に「コメンタリオルス」(小論文)も掲載。
その178ページには地動説の動機を推定して、従来の天文学的伝統に対する彼の批判として以下の2つの基準からなされたとしている。1)論理構成の原理的妥当性。2)理論の持つ現象予測能力。天動説のうち、同心天球説は1)のみを満たし、周転円説は2)のみを満たすと彼は考える。彼のいう原理とは完全運動の原理、つまり一様円運動の原理である。そしてさらに彼は、第3の規準として宇宙の体系性をあげる。この三つの中で、コペルニクスがもっとも力点を置いたのは1)である。2)は実際的な天文学では当然のことであり、また3)は彼の説の結果であるからだ。周転円説の中で彼が1)の規準に合わせて最もおかしいと思ったのは、エカントの採用であった。彼があくまでもこだわったのは一様円運動であった。そして彼はその原則から、いったんは地球の周りを太陽が回り、その太陽の回りを惑星が回るという、ティコの系を考えたと、推定されている。だが、この系では、火星の天球と太陽の天球が重なり合う。天球を数学的実在ではなく、実際のものと考えていたコペルニクスは、この系を取ることができなかった。
 かくして太陽の回りを各惑星が回る彼の系に到達する。地球が太陽の回りを回っているとなると、それが一日周期で自転していると考えるのは、ごく自然なことであった。つまり、地球自転の考えは、公転の必然的帰結として導かれたのであって、その論理的証拠はない。

参考
「科学の歴史」ー近代科学の成立と展開;溝口元、関東出版社、昭和60年1月発行(日比谷図書館)

 日本の科学の歴史も概説されている。その中で、地動説を初めて我が国に紹介したのは、長崎のオランダ通詞、仁太夫(本木)良永(1735〜94)であるとしている。彼は「阿蘭陀地球図説」(全3巻、1772)や、「天地二球用法」(全4巻、1774)、「星術本源太陽窮理了解天地二球用法記」(全7巻1793)を訳編しているが、最後の書は地動説を明確に述べたものである。これらの書は出版されなかったが、画家の司馬江漢(1738〜1818)により、通俗化された「和蘭天説」(1796)や「刻白爾図解」(1803)が出版され、地動説は広まるようになった。

 以上から、日本人が地球は太陽のまわりを回っていることを知るようになったのは、18世紀後半から、19世紀にかけてであることがわかった。信長はもとより、秀吉、家康、あるいは芭蕉、吉宗までおそらく、太陽が地球の周りを回っていると思っていたのだろう。

                            

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書名 怪盗ニックを盗め 著者 エドワード・D・ホック、木村二郎訳 No
1997-23
発行所 ハヤカワミステリ 発行年 91年6月再版 読了年月日 97ー06−16 記入年月日 97−06−18

 
山田社長が、自分の荷物を整理していて出たきたのだろう、飛行機の中ででも読んだらといってくれた。ハヤカワミステリという著名なシリーズは、初めて読む。

 値打ちのないものしか盗まない怪盗ニック・ヴェルヴェットの活躍を納めた12編の短編ミステリー。彼が顧客に頼まれて盗むものは、例えばプールの水とか、山の斜面の雪とか、教会のパイプオルガン、あるいは何でもない児童画といったもの。あげくは自分自身を盗まれたり、あるいは何も盗まないようにということで、規定の料金2万ドルを手にしたりする。もちろん、一見価値のないないものであるが、依頼主にしてみれば、それぞれに2万ドルという大金を出す価値があるのだ。その辺の事情が物語の進行とともに明らかにされていく。そのあたりのプロットはまあ巧みに仕組まれていて、ちょっとした謎解きを味わえる。

                          

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書名 青い雨傘 著者 丸谷才一 No
1997-24
発行所 文芸春秋社 発行年 95年3月 読了年月日 97−06−25 記入年月日 97−06−26

 
こふいふエッセイが書けたらなと思ふ。日本語の「・・・ら」という表現を論じたかと思えば、ヨーロッパ、中国、朝鮮との比較で、日本の椅子に座ることの歴史を考察したり、あるいはベートーベンとカラヤンを論じるかと思えば、牛乳を俎上に挙げ、水戸光圀とラーメンの関係を考察し、博識を軽やかに、さりげなくさらして、読むものを著者の世界に誘い込む。いずれのテーマに対しても、突き放してみていているところがあって、そこから鋭い風刺を伴ったユーモアがあふれる。読んでいてつい一人笑いしてしまう。突き放した見方は、テーマだけでなく、書き手の自分をも覚めた見方で客観化している。多彩な知識と、さめた見方と、ユーモアはエッセイの必須のものだ。例えば、日本語で「・・・ら」と言うとかなり軽蔑の意味が込められるが、そこから「ら」の考察が始まり、結局は「魔羅」というおどろおどろした言葉に行き着き、この語感の持つまがまがしさが「ら」にはつきまとうのだとしている。

 もちろん自己の体験から書いたものもあるが、他人の本からの引用が多い。それもほとんど聞いたことのない、特殊分野の著作だ。自分の体験だけに限っていたのでは、自ずと書くことが限られてしまうのは、誰でもそうなのだろう。まして、たくさんの著作を出している著者ならなおさらだ。ただ読んでいて気になったのは、どこまでが引用でどこまでが著者のものか曖昧なところがあること。私が理系の人間で、引用と自分のデータは厳密に区別して書くのが論文の基本で、それが身にしみているからだろう。文系の文章ではそのあたりがかなり曖昧だと思った。それにしてもよく本を読んでいて、またその内容をよく覚えている。

 オール読み物92年から94年連載。

                           

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書名 代表的日本人 著者 内村鑑三 No
1997-25
発行所 岩波文庫 発行年 95年7月 読了年月日 97−07−01 記入年月日 97−07−21

 
西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人の5人を取り上げ、簡潔にその生涯を述べ、コメントしてある。もちろん、各人の生き方を肯定賞賛している。原文は英語。まず、自身が熱心なクリスチャンである著者が選んだ人物の顔ぶれに驚く。国家主義者、封建領主、封建時代の篤農家、儒者、そして熱烈な仏教徒。およそクリスチャン的な人間ではない人ばかり。明治の人々の考えが、あるいはこれが最初に書かれた日清戦争当時の日本の代表的知識人の考えが、わかる人選だ。特に西郷隆盛の記述に見られる国家主義的観点は、日清戦争という時代背景を抜きにしては考えられない。上杉鷹山と日蓮のことは私は何も知らなかったので、初めて接した伝記として、興味があった。日蓮を日本に於ける真の宗教家だと高く称えている。
                           

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書名 忍者枯葉塔九郎 著者 山田風太郎 No
1997-26
発行所 講談社、大衆文学館 発行年 1997年 読了年月日 97−07−07 記入年月日 97−07ー21

 8編の忍者ものを集める。奇想天外、荒唐無稽の忍者物語。切り取った肉体の一部がまたくっついたり、殺した相手の忍者と交合することで、その死体が生き返りしかも、交合の相手として再生したり、等身大の蝋人形を抱くと本当の人間そっくりの動きをし、その人形の元となった実際の女が同時刻同じような動きをするとか、とにかくすごい。「忍者本田佐渡守」という比較的長い作品は少し毛色がかわっている。徳川家の秩序を守るために、思い上がった大久保一族を陥れた本田一族が今度は土井勝利に陥れられるストーリー。江戸幕府初期の歴史、人間関係が興味深い。もちろん忍者を使って色々画策するのはフィクションだろうが、大久保一族の鉱山奉行の岩見をつぶし、やがて大久保忠隣も陥れ、さらに本田の没落の一因になった、宇都宮釣り天井事件と言われるものなどは、史実だろう。徳川家を守るためには、誰かが悪役にならねばならぬことを本田は、後輩の土井に示したのだが、土井はその点に関しては師匠を完全に抜いたのだ。

 「忍者明智十兵衛」もすごい。朝倉家に使える明智は忍者で、切った自分の身体が再生すると言う術の持ち主だ。城下に丹波出身の若い兵法家の弥平次がいるが、明智は自らのクビをこの若者にはねさせ、念力で、弥平次のクビを再生させる。かくして二人になった弥平次の本物の方が、明智に代わって朝倉家への仕官に成功する。一方、本物の明智は、弥平次の主家の娘沙羅と一緒に出ていく。かつて仕えた織田信長の妹お市にそっくりの沙羅に惚れてしまったのだ。明智になった弥平次はやがて、本能寺に向かう。
 
 各作品は昭和30年代のもの。

                           

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書名 隠し剣秋風抄 著者 藤沢周平 No
1997-27
発行所 文春文庫 発行年 84年5月 読了年月日 97−07−15 記入年月日 97−07−21

 
剣の達人の話9編。いずれも海坂藩と思われる城下で起こる武士達の物語。9編の作品で見せる剣法がそれぞれ違っている。ある時は盲目の武士が、とぎすまされた感覚で、妻の不倫の相手を切り捨てる。主人公はあるいは復讐を遂げ、あるいは家名を保つと言ったストーリー。類型化しているが、それぞれに面白い。人物がよくかけていて、主人公に共感を覚えるからだろう。そして何よりも端正な文章という作者の魅力がよく発揮されていてすがすがしい。

 初出は昭和53年から55年にかけて「オール読み物」。

                           

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書名 がんと人間 著者 杉浦隆、垣添忠生、長尾美奈子 No
1997-28
発行所 岩波新書 発行年 95年 読了年月日 97−07−24 記入年月日 97−07−26

 
さすがに専門家の書いたものだけあって、がんの診断、治療の現状、がん研究の最先端、予防法などが簡潔に、よくまとめられている。

 長尾さんが書いたと思われる「DNAの病気・傷害とがん」の項は難しい。やたらに遺伝子とそれがコードするタンパク質がアルファベットの略号として出てくる。それだけ発ガンと発ガン抑制のメカニズムは複雑で、込み入っているということだろう。読み終わった日はちょうど、喫煙科学財団の研究発表会のあった日だったが、そこでの発表にも、本書に出てくるような略号がやたら飛び交い、部外者にはまったくわかりにくかった。ただ一つp53タンパクが発ガンのメカニズムに深く関わっていることはわかった。10年ほど前に横浜であったとき、長尾さんはこれから残りの時間でオンコジーンの研究をやってみたいといっていたが、その通りになったと言うことが、内容からわかる。ここで、彼女ははっきりとがんが遺伝することを言っている。ただし、それはごく限られたがんのごく限られた一部であるとは断ってはいるが。
 
 患者さんと言う言い方を徹底している。そして、がんが決して不治ではなく、適切な治療と、患者さん本人の心がけ次第で治ることをいくつかの実例を提示して主張している。がんの治癒率(5年間再発なく生存)がガンセンターでは55%であるという事実は驚きだった。本書は患者への心遣いが随所にあふれている。それはかつて義弟の宮沢をガンセンターに見舞ったときに、何となく感じた雰囲気だったが、ガンセンターの評判が高い理由は、トップ以下のこうした心遣いによるものだろう。当然のことながら、本書は喫煙をガンの目の敵にしている。

                           

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書名 武士道 著者 新渡戸稲造 No
1997-29
発行所 岩波文庫 発行年 1939年初版 読了年月日 97−08−21 記入年月日

 
切腹の章を朝の電車で読んだ。切腹の様子を目の当たりにした外国人が書いた文章を引用し、著者はこの行為をも肯定的に書いている。午前中にセイコーエプソンの製品開発担当の高尾さんという人がわざわざ諏訪から訪ねてきた。ホットティッシュー用の不織布を入手したいとのことだった。よくしゃべる人で、人の関心などお構いなく、のっけから一人で30分以上しゃべりまくった。セイコー社の開発に関わることだったので、今回の話に直接関係はなくても、面白かった。その中で、有名大学の工学部を出た人は、開発の仕事に就かされるが、何億もの金をかけて、20年近くもやっていて、成果が出ないことの方が多い。そうすると人間おかしくなって、会社を辞めていったり、夫婦仲が悪くなって離婚したり、あるいは、腹を切って死んだ人もいるという。倉の中で、ゾリンゲンの鋭利な刃物で腹を切って死んだという。有名大学の工学部出でメーカーなんかに入るのは悲劇だと言い切った。だから子供はそんな道を進ませない方がいいという。聞いていると、セイコーはかなり厳しい社風のようだ。高尾さん自身も前やっていた開発がうまくいかなくて、そのプロジェクト全体が解散させられ、今のローテク製品の開発担当になり、ポットジャー式のホットティッシュー器を作り出したとのことだった。私たちのいた専売公社中研は、ずいぶん楽な職場だったとあらためて思う。
 
 何よりもまず、著者の博識に驚嘆する。聖書は言うに及ばす、ギリシャローマの古典から、シェークスピア、さらには19世紀の同時代の思想家に至るまで、西洋の文献が縦横に引用されている。しかも、原著は英文である。これを維新後わずか32年の1899年に書いているのだ。明治人の気概を感じる。今の日本にこれだけのことが出来る知識人はいるだろうか。

 内容は武士道の分析とその肯定。全面的に賛成できる主張ではないが、衰えたとはいえ、今でも武士道の精神の幾ばくかは、我々日本人の精神構造を形成している。武士道の成り立ちとして、著者は仏教、神道、儒教からそれぞれの特長を引き出し、融合したものと分析している。例えば、「運命に任すという平静なる感覚、・・・生を賤しみ死に親しむ心」は仏教に由来する、と分析する。

138p:「我が国民が深慮なる哲学を欠くことの原因」は「武士道の教育制度において形而上学の訓練を閑却せしことに求められる」としている。さらに、「感情に過ぎ、事に激しやすき性質」、あるいは「自負尊大」もまた、「名誉心の病的結果である」として、武士道の持つ欠点についても指摘する、公平さと客観性を持っている。そして、明治の「蓬髪弊衣、大なる杖または書物を手にし、世事関せず焉の態度をもって大道を闊歩する多くの青年」は「武士道の最後の断片である」とする。

                           

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書名 ミラージュ 著者 下重暁子 No
1997-30
発行所 近代文芸社 発行年 97年7月 読了年月日 97−08−22 記入年月日 97−08−28

 
7月下旬、新宿紀伊国屋のサイン会で購入。流れるような達筆で「変身のとき」と、下重さんはサインしてくれた。還暦を迎え、今までの作風を変えてみたかったと下重さんは言った。ノンフィクションにフィクションを絡ませて、一種のメルヘンを目指したとのこと。原稿用紙10枚くらいの短編からなる。最初の都会を舞台とし、恋愛体験を下敷きにしたものはつまらなかったが、東京タワーに登る尺取り虫の話あたりから、軽井沢を舞台とした動物たちのメルヘン、そして最後の中東での体験をもとに書いたパーツと、結構面白い作品であった。余白の多い贅沢な作りの本。結構評判らしくて、明29日には八重洲ブックセンターで再度サイン会を行うとのこと。
                           

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書名 スローカーブを、もう一球 著者 山根淳司 No
1997-31
発行所 角川文庫 発行年 昭和60年 読了年月日 97−08−28 記入年月日 97−08−28

 
少し前に亡くなった著名なスポーツライターによるノンフィクション8編を集めたもの。本書の最後の物語、棒高跳びで日本記録を作った高橋選手を書いた「ポール・ヴォルター」の終わりはこうである:
「スポーツはすべてのことを、つまり、人生ってやつを教えてくれるんだ」
悪くはない台詞だ。
このカッコの中の言葉はヘミングウェイの言葉だ。スポーツマンに注ぐ著者の目はまさにこの言葉通りだ。

「江夏の21球」の江夏以外私の知っている選手は一人もいない。江夏の場合のように華々しい成功物語だけではない。「背番号94」は巨人軍のバッティング投手をやっている黒田選手の物語である。そのほかスカッシュの選手を取り上げた「ジムナジュウムのスーパーマン」、ボートのシングルスカルの選手を取材した「たった一人のオリンピック」など、マイナーなスポーツあるいは無名の選手をとりあげている。表題となった「スローカーブを、もう一球」は、素人監督に率いられた無名の高崎高校が、関東大会に優勝してしまうまでの軌跡を、エースでスローカーブを得意とする川端を中心に追ったもの。半分プロ化した高校野球の中にあって、勝負に全くこだわらず、のびのびと生徒を指導した素人の飯野監督の野球が、読後に爽快な印象を与える。他の作品も、読んだあとで、爽やかな気分になる。書かれた選手の心情や当時の生活の実際はもっとどろどろしていただろうと想像される。もちろん、著者はスポーツをやる人間のそうした心の葛藤や、挫折も書いている。ある意味ではそれこそが著者の書きたかったところなのだが、著者の端正な筆にかかると、どろどろした部分はそぎ落とされて、爽やかさのみが残る。

 江夏の21球は私もテレビで見ていた。ちょうどその日、日本でのテニスの大会の決勝もテレビでやっていた。ボルグとコナーズの試合だった。これはネットにでるでもなく、お互いにベースラインで来た球を打ち返してばかりいた。この時ほど、テニスの単調さと、それと対照的な野球の人間的な面白さとを感じたことはない。広島ー近鉄戦についていえば、佐々木の当たりが三塁線をわずかに切れるファウルになった場面が一番印象に残っている。あれがセーフだったら近鉄が優勝していただろう。江夏はあそこへ投げた球は絶対にファウルにしかならないと語っている。

 ここに納められた作品は80年から81年の初出である。読んでいてこれらの人々が今どうしているのだろうと興味を持った。江夏に関して言えば、その後アメリカで大リーグに挑戦しうまくいかず、麻薬か何かにおぼれ、刑務所暮らしをして最近出てきた。

                           

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書名 科学論入門 著者 佐々木力 No
1997-32
発行所 岩波新書 発行年 96年8月 読了年月日 97−09−22 記入年月日 97−09−23

 歴史的に科学と技術の成り立ち、西洋近代科学と東洋の科学の比較、科学と技術と社会、政治の関わり方等、簡潔に、よくまとめられている。数学者から転向し、数学史の専門家になったという著者は、古今東西の多数の文献に通じており、それをふんだんに引用している。一面では古代ギリシャからの思想史的な記述すらある。

 いわく、科学の発展は民主主義なしには考えられない。それは対話、つまり弁証法という手法抜きには成り立たないからだ。著者が古代科学者の最高峰と認めるのはアルキメデス。西欧近代科学の成立の歴史的背景も論究される。そして中国との比較で、中央集権的官僚支配の封建制をとる中国では、17世紀の西欧をおそった科学革命は起こりえなかったとする。

 科学も特に技術は社会や政治から独立したものとしてはあり得ないというのが本書の一つのバックボーン。その意味で著者は数学者、フォン・ノイマンの行き方を厳しく批判する。科学や技術の持つ社会的意味を考慮しないで研究を進めるやり方を「フォン・ノイマン問題」とまで命名している。著者は現代にあって、科学技術に対する専門的な批判の組織化の必要性を強調し、その一例として「原子力資料情報室」を挙げている。そして、最後に「環境社会主義」の必然を説く。であるから、著者は資本主義市場経済に対しては批判的であり、特にアメリカの科学技術には厳しい目を向ける。

 私も環境問題を考えれば、いずれ人類は「社会主義的」な経済システムをとらなければならないとは思う。しかし、現状は社会主義をとった国の方が、環境への配慮はずっと粗末であったし、資源に対する配慮も欠けていた。著者はチェルノブイリ原発事故を「スターリン的官僚主義」の弊害とし、特に当時の科学アカデミー総裁で、原子力問題の専門家のアレクサンドローフ一人の責任であるかのような書き方をしている。果たしてそうか。レーニンから始まる、社会主義体制そのものの中に、あの惨事の遠因も、あるいは、最近の宇宙ステーション「ミール」の相次ぐ事故の原因も潜んでいるのではないか。

 とにかくいろいろの示唆に富む本だ。  本書から:
p47:数学体系は絶対的真理というより条件的真理である。
p57〜8:機械的技芸が近代科学を生み出した一因である。
p93〜4:西欧近代科学隆盛の原因として、17世紀の政治経済にわたる巨大な危機とそれに有効に応えようとする変革運動の中での「機械的技芸」の地位向上とそれの国家への取り込み。
p96:キリスト教の役割。神という絶対者の前で人間の本質的平等をうたうキリスト教が、「働くことは祈ること」という標語を掲げ、労働を奨励した。そのような教義が、人間の労働を助ける目的で技術を鼓舞したとしても不思議ではない。
 また、技術の進展を停止することの利点として砲や鉄砲の発達がなかった江戸時代や、戦後日本の社会を例に挙げている。
p149以降:数学体系の不完全性はゲーデルにより証明されたが、自然科学もまた「決定不全」である。
p159:パラダイム 精密自然科学のような比類のない確固たる基盤を持つと見なされる知的営みにもまた、思想的・社会的深層構造が存在する。それは悪くとれば先入見あるいはドグマになりうるが、よくとれば自然科学を「より真らしく」させてくれる、デュエムのいう歴史的「良識」と解釈できる。

                           

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書名 もの食う人びと 著者 辺見 庸 No
1997-33
発行所 角川文庫 発行年 97年6月 読了年月日 97−09−25 記入年月日 97−09−25

 
食の文化史などといった上品ぶった書物ではない。食うという人間の本質的行為を通しての現実世界のルポルタージュである。バングラデシュの残飯屋の残飯から始まり、ミンダナオ島では残留日本兵により食われた人びとの住む村落を訪れ、あるいはベルリンの刑務所や、ポーランドの炭坑の昼食、旧ユーゴの戦火の中で老女の作るレザンツェ、チェルノブイリの立入禁止地帯に住む人びとの家庭料理、ウラジオストックのロシア艦隊の兵士の食事、そして、戦火の下飢えて死を目前にしたソマリアの少女、ウガンダのエイズ患者、韓国の元従軍慰安婦との食事・・・。

 自らの身体を通して世界の現実をとらえるというやり方に、私も強い共感を覚える。特に食うことを通してというのは、私も常々外国へ行った際には心掛けていることだ。それは決して一流レストランで食事をするということではない。ごく普通の食べ物を食べるということ。旅の関心は風景よりも、その土地の人々が何を食い、どのように恋し、どのように死んでいくかにある。もっとも、私にできることは、せいぜい、街のごくありふれた食い物屋に入ったり、立ち売りを食べたり、スーパーマーケットを見てる歩くことくらいだ。

 著者は元共同通信の記者で、芥川賞を受賞した作家。訪問先は一見出たとこ勝負のように書いてあるが、実は事前に綿密に計画されていたようだ。共同通信から地方紙に配信して、51回、1年間にわたり連載されたと解説にあった。単行本を今回文庫化したもの。カラー写真も掲載。

 なお、韓国の従軍慰安婦のことを書いた最後の部分は、従軍慰安婦の強制連行はなかったと主張する一部の人びとへの、痛烈な反論となっている。

                           

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書名 ハッブル望遠鏡が見た宇宙 著者 野本陽代。R.ウイリアムズ No
1997-34
発行所 岩波新書 発行年 97年4月 読了年月日 97−09−25 記入年月日 97−09−26

 
新書版の、たくさんのカラー写真を収め、専門的解説を施したもの。目次の少し後に載った見開きページの写真に驚嘆する。白くあるいは青白く光る、あるいはオレンジ色に輝く、丸、楕円、円盤、あるいは点が無数に写ったこの写真は、地球から見て最も暗く星の少ない北斗七星近くの空間をハッブルで撮影したもの。宇宙の最深部の写真で、宇宙誕生から10億年後、つまり130億光年も離れた銀河が写っている可能性があるものだ。その解像力のすごさに感嘆するが、それ以上にきらめく銀河の美しさに打たれる。

 木星や土星などの惑星の写真もすばらしい。木星上にその衛星イオが影を落としている写真とか、衝突した彗星が起こした衝撃の様子の写真、土星のリングと衛星の写真。あるいは初めて見る天王星や海王星の姿。いずれも息をのむ。さらに驚くのは、星雲の詳細な写真、あるいは遠い銀河団の写真だ。先月の九州からの帰りのフライトで目にした、にょきにょきとそそり立つ積乱雲の柱を思わせる星雲の形。その中では星が誕生しつるあるという。車輪のように外側にリングを持つ銀河。そんな予想外の形が宇宙にはたくさん観察されるのだ。天文学者はそうした写真から、星や銀河の生成、あるいは宇宙の生成を推論する。例えば車輪状の銀河の写真から、それはある銀河の中心をもう一つの銀河が突き抜け、その結果その衝撃で生じた衝撃波が空間のガスを輝かせているのだと推論する。「銀河の中心を別の銀河が突き抜ける!」。

 そして、そうした写真を撮ることを可能にした現代科学技術の成果のすばらしさに驚嘆する。最大の不思議は、宇宙空間でこの大きな望遠鏡の位置をどのように制御し、どのように狙った空間、それは視角度にして1秒にもならない微妙な調整が必要と思われるのだが、に集光面を向け、固定するのだろう。本書にはハッブル打ち上げとその後の修理に関する宇宙飛行士の活躍ぶりは書かれているが、私の疑問に答える内容は載っていない。
 
 膨張する宇宙、つまり宇宙にはビッグバンと呼ばれる始まりがあったという現代宇宙論は、人びとに与えた思想的な影響では、DNA構造の発見と分子生物学の発展以上の、あるいは、量子力学的世界観以上の影響をあたえた、20世紀科学の最大のインパクトではなかったかと、本書を読みながら思った。                            


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書名 日本人はなぜ無宗教なのか 著者 阿満 利麿 No
1997-35
発行所 筑摩新書 発行年 96年10月 読了年月日 97−09−30 記入年月日 97−10−04

 
我々が何気なく口にする「私は無宗教です」という言葉を、キーワードに日本人の宗教心を明らかにした好著。記述も平明でわかりやすい。日本人論としても面白い。

 著者は宗教を自然宗教と創唱宗教にわけ、真の意味の宗教とは創唱宗教であるとする。そして日本人には自然宗教は深く浸透しているのに、創唱宗教が受け入れられない理由を、明治以前と明治以後について論じている。明治以前の所では、近世になって確立されたこの世は所詮「浮き世」であって、くよくよしながら生きてもしょうがないという現世的な生き方が支配的になり、人生の根本的な意味を与えてくれる創唱宗教には関心を示さなかった。ただ、それでも死後のことがまったく気にかからなかったわけではなく、その代償として「葬式仏教」を広く受け入れた。

 明治になると上からの天皇制と神道の強制があって、その過程で、仏教も神道もお互いに自分たちを宗教ではないと、主張した。このような歴史的過程をへて、日本人は「無宗教」を標榜する。

162ページ以下には近世日本の「日常主義」が述べられている。日常生活の矛盾、不条理から生まれる創唱宗教と、日常生活の単純な肯定とは相容れない。この日常主義は仏教や村々の祭りのみならず、儒教にも強く現れた。儒者の伊藤仁斎は真理は世俗の中に満ちているとした。そして中国での日常主義の優位はすでに16世紀にはもっとあらわであったと述べている。つまり16世紀以来の商業の圧倒的隆盛は、世俗の生業の追求が真理に合致するという思想のたまものであった。このあたりの論議は、西洋近代科学の成立の思想的背景と比較して面白い。後半の日常主義を述べた所では、柳田国男への言及が至るところでなされる。私は柳田の著作は読んだことはないが、大変な仕事をした偉人であることが本書からもわかる。

45ページには井原西鶴の現世主義について述べられている。『日本永代蔵』の中で西鶴は以下のようなことを言っているという。
 人は13才までは、わきまえもないのでしょうがないが、それから24,5歳までの間は、みっちりと親の指図を受けねばならない。そしてそのあとは、ひたすら稼ぎに稼いで、一生暮らしてゆけるだけの家産を築き、45になって「道楽」の生活に入るのが人生の目的なのだ、と。
 ああ、まさしく私の考えていた人生だ。

                           

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書名 歌行燈 著者 泉鏡花 No
1997-36
発行所 岩波文庫 発行年 1936年初版 読了年月日 97−10−02 記入年月日 97−10−03

 
酔うような幽玄の世界。人生の神秘的な巡り合わせ。芸術至上主義。文庫本で100ページ足らずの短編。読みづらさは相変わらず。特に最初の方は「東海道膝栗毛」からの引用文が混じり込んでいたりして、人物の関係とか、イメージがつかめなかった。読み終わって再度最初の部分を読み返した。そして、ミステリーを思わせる良く練った構成になっていることにあらためて気がつく。

 場所は桑名。弥次喜多気取りの老人二人連れの旅人が、揖斐川河口の「湊屋」に宿を取る。途中で博多節を流して歩く旅芸人(門附という)を追い抜く。芸人はうどん屋で飲みながら、外を流す按摩の笛に異常におびえる。そして入ってきた一人の按摩に身をもませながら、3年前の不幸な出来事を語る。彼は巡業中にふと耳にした謡が気にかかり、その歌い手である、ある按摩のもとに乗り込み、謡ってくれとせがみ、聞きながら相手の調子を狂わせる拍子を入れ、相手に自分の方が芸が上であることを悟らせるのだ。そのショックに後ほどこの按摩は自ら命を絶つ。一方それを知った彼の養父は彼を破門してしまう。

 一方湊屋では二人に呼ばれた芸妓は、三味線も踊りもできない。だが、彼女、三重は舞を舞うことが出来た。それも一つだけ。それから彼女の身の上話が始まる。実は三重の父親は、うどん屋にいる旅芸人のために自らの命を絶つ羽目になったのだ。その後、彼女は女郎屋に売られ、逃げ出してある芸妓屋にいる時、明け方の山中で流しの芸人から舞を手ほどきされる。その旅芸人は父の死のきっかけを作った若者だったのだ。だがお互いはそのことを知らない。

 二人の老人は実は当代きっての謡と鼓の名手であった。その二人の鼓と謡にあわせて三重は舞う。老人のうち謡の名手はこの旅芸人の養父であるのだ。謡の声に引き寄せられてやってきた旅芸人が湊屋の軒先で謡う。月の明るい夜。朗々と響く謡。さっと舞扇をかざして舞う緑の黒髪。

                           

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書名 ウインドウズとマックをつなぐ法 著者 高橋浩子 No
1997-37
発行所 明日香出版社 発行年 96年11月 読了年月日 97−10−03 記入年月日 97−10−03

 
ニューズウイークの翻訳者平賀さんから借りた。というのは「あかつき」(エッセイ教室の作品集)の印刷をやってくれる印刷屋が、マックしか使っていないというので、ウィンドウズで入力した原稿をマックに変換しなければならないと思ったからだ。コンピュータに詳しい平賀さんに相談したら、この本を貸してくれた。その後、レーザープリンターで打ち出せば特にマックに変換しなくても十分な品質であることがわかったので、結局その必要はなくなった。(ついでながら、「あかつき」の最終プリントアウトは、青葉台の植物開発研究所のHPのレーザープリンターを借りた)。だから本書は全部は読まなかった。拾い読みした本書は、ファイルの概念を学ぶのに参考になった。

                           

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書名 イコン 著者 フレデリック・フォーサイス、篠原慎 訳 No
1997-38
発行所 角川書店 発行年 96年11月 読了年月日 97−10−16 記入年月日 97−10−16

 
山田前社長が貸してくれた本。フォーサイスの作品としては 「悪魔の選択」に続いて読む2作目。上下2巻の長編だが、やはり飽かせない。

 時は相変わらず混乱の極にある1999年のロシア。極右政党愛国勢力同盟の党首、コマロフのオフィスから、彼の直筆になる「黒い宣言」が、掃除夫によって持ち去れれる。コマロフがエリツィン(97年に大統領としては何もしないまま死んだことになっている)の次に大統領になったチェルカソフの急死に伴って、次期大統領になることは決定的である。彼の政策綱領である「黒い宣言」にもられた中身は、ヒットラーも顔負けのもので、少数民族、ユダヤ人の抹殺や、敵対勢力の収容所送りなどを盛り込んだ、戦慄的なものであった。この宣言はイギリス大使館の手に渡り、来るべき選挙でコマロフの当選を妨げるべく、イギリスの元SIS長官、アーヴィンと、CIAの元工作員モンクとがコマロフ「弱体化」の策謀を行うというスパイ小説。

 前半は、冷戦下の東西のスパイ合戦が、モンクと、今はコマロフの警護隊長を務めるグリシンとの活動を通じて、フラッシュバックの形で語られる。お互いに相手の組織の中に、味方を作り情報収集に当たらせるが、モンクがソ連に作った「資産」は、極めて重要な情報をもたらす。かたやグリシンはKGBのスパイ摘発の専門家であり、ソ連崩壊の直前までに、CIA内の裏切り分子によって密告された、モンクの資産4人はすべて、グリシンにより処刑される。

 スパイ小説としては前半の部分が面白い。何処までが本当で、何処までがフィクションなのか。当時のソ連共産党の幹部が沢山実名で出てくる。まるで山田風太郎の明治物を読んでいるようだ。長年にわたってソ連に西側の「資産」の情報を流していた裏切り者を摘発できなかった、当時のCIAの内部事情など、おそらく事実にかなり近いであろうし、また、モンクの4人の資産にまつわるエピソードもかなり本当ではないか。
 単身モスクワに乗り込んだモンクは、チェチェン人マフィアにかくまわれ、アーヴィンの立てたプランを次々に実行する。ロシア正教会総主教、退役した硬骨の軍人、テレビ局を支えるユダヤ人銀行家、モスクワのマフィア取締役責任者に黒い宣言を見せ、彼らを反コマロフに傾ける。虚々実々の手を使い、グリシン配下の目をかすめながらのスーパーマン的活躍だ。そして追いつめられたコマロフはグリシンにそそのかされて、1999年12月31日の夜半、ついに自分の「黒の軍団」を率いて、クーデターを決行する。だが、それもモンクの命がけの活躍で結局は失敗する。そして、明けて2000年の1月、ロシアは立憲君主制を国民投票で可決し、ロマノフ家と縁続きの、ウインザー家のある貴族を君主として迎え入れるところで小説は終わる。

 本家のイギリスで今、王室の存続に疑問がもたれているとき、混乱ロシアを救う手段として、君主制がイギリス人の手から提案されたことは何とも皮肉である。
 服部真澄の「龍の契」を読んだとき香港に行ってみたくなり、実際去年行ってしまったが、今回も読んでいて、モスクワの地図がほしくなったし、行ってみたくなった。

                           

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書名 季節の記憶 著者 保坂和志 No
1997-39
発行所 講談社 発行年 96年8月 読了年月日 97−10−20 記入年月日 97−10−21

 
何のドラマもなく、事件も起こらない日常のことを書いた作品だが、読み終わって、暖かい余韻が残る。
私、中野は38才。妻とは離婚して、自宅でコンビニ本の編集をやって生計を立てている。5才の息子との二人暮らし。幼稚園に行っていない息子のクイちゃんと私は、近所の松井さんの家に入り浸っていて、しょっちゅう夕食を一緒に食べる。松井さんは44才の独身。24才の妹、美沙ちゃんとこちらも二人暮らし。松井さんは器用な人で、大工、左官他何でもこなし、今は便利屋をやっている。この四人が住むのが鎌倉の稲村が崎。
 私と息子と美沙ちゃんとは、毎日午前中稲村が崎の海岸か、あるいは山戸を散歩する。秋から初冬までの稲村が崎周辺の季節の移りが、この散歩を通して語られる。

 気になるのは、私と美沙ちゃんの関係。だが、作者は最初の方で二人とも結婚する気などまるでないと断ってある。それでも最後にはどちらからか、特に私の方から美沙に対する恋愛感情が少しは吐露されるのかと思って読み進めたが、結局皆無だった。二人の行く末に気を持たせることで、読者を引っ張っていく手法はうまい。私は美沙ちゃんが大好きだがと述べ、色々気に入っている点をあげ、最後に感傷的でないことをあげている。つまり、「小学生の頃・・・が出来なくて困った」というようなことは決して言わないのだ。これはこの3人に共通する性格だ。そして3人の間の関係もべたべたしたところが全くなく、その題名にもかかわらず、全体が感傷とは無縁の乾いたものとなっている。このことがこの小説の爽やかな読後感に結びつく。クイちゃんの言動がきっかけとなって、3人の大人の間で交わされる会話は、高度に知的である。中でもメインなテーマは言語と世界認識との関係。松井さんが言語至上主義みたいな意見をはくのが興味深い。

 この4人に、電話で登場する和歌山の蛯乃木さん、私の以前いた出版社の同僚でホモの二階堂さん、そして、離婚して近所の実家に帰ってきたナッちゃんと5才の娘のつぼみちゃんらの脇役が登場し、それぞれ物語に一寸したエピソードを加える。しかし、中心はあくまでも4人の間に流れる、淡々とした日常である。最後は海岸の方に散歩に出かけた3人が、江ノ島まで足をのばそうと言うことになり、稲村が崎の先のバス停で、バスを待つ間、クイちゃんと美沙が「切り通しから抜け出てくる車が、次は乗用車かトラックか、色は白か黒かそれとももっと鮮やかな黄色や赤か、と”当てっこ”をはじめていた。

 「
僕は、いつか何年かして思い出す日があるとしたら今日のような日なんだろうかと思いながら、二人と一緒に切り通しを抜けてくる車を眺めた。」というところで終わっている。

 本書を読んでみたいと思ったきっかけは、日経新聞文化欄の最近の文学の紹介を読んでのこと。なおこの作品は、今年度の谷崎賞と平林たい子賞を同時に受賞した。


                           

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書名 すべての男は消耗品である 著者 村上 龍 No
1997-40
発行所 角川文庫 発行年 93年初版 読了年月日 97−10−28 記入年月日 97−10−29

 
過激な言葉と主張がならぶ短いエッセイを集めたもの。暴論的ではあっても、共感を覚えるところも多い。P43:芸術、経済、政治、戦争、宗教、法律、文学、建築、それらの歴史こそは、男達の「母性に対する反逆」なのである。
 それで、女には勝てるか?
 勝てない。

そして父性というものは動物の中で人間にだけあるもので、つまり制度的なものであり、男はそんな制度に寄りかかることなく、女の強さを認めた上で、男も動物としてもっと強くなれというのが本書の言いたいことだろう。

 題名もそうだが、
「美醜、生まれ、育ち、運命、それらはすべて才能の一部だ」とか「『美人は三日で飽きる』というのはブスの自殺を救うための嘘である」とかいう表題は、過激だが痛快でもある。

 先週九州に行った帰り、ちょうど読む本を切らして、空港の売店で買ったもの。村上龍の作品は、芥川賞受賞の「限りなく透明に近いブルー」を受賞時に読んだだけだ。

                           

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書名 「複雑系」とは何か 著者 吉永良正 No
1997-41
発行所 講談社現代親書 発行年 96年11月 読了年月日 97−10−31 記入年月日 97−11−03

 
大学時代読んだ、岩波新書の中谷宇吉郎の科学論の中に、現代科学がいかに進歩しても、東京タワーの上から落とした一枚の紙切れが、どこに落ちるかを予想することは不可能であり、また、近代科学はそうしたこたことは最初から考慮していないという趣旨のことがあった。本書は、そうした近代科学が切り捨てていったものを、捨てるのではなく、見つめ、そこに新しいパラダイムがひらけることを期待しようという、最近の動きを紹介したものだ。

 カオス、カオスの縁、複雑適応系、自己組織化限界、創発といった言葉がキーワード。この分野の研究の中心はアメリカのサンタフェ研究所。そして、この研究所を中心に、複雑系研究の歴史を研究者個人のエピソードをまじえて明らかにしてくれる。

 こうした研究はコンピュータの発達なしには考えられないが、さらに進んで、コンピュータの中に人工生命体というべきものを作り出せると、この分野の研究者らは考えている。それは、我々に意識とは何かという問題も含め、生命観の一大変革を迫ることになるという。

 自然をあるがままに見つめようと言う態度は、本来的に日本人の心性とマッチするところがあるから、「複雑系」の研究には日本人が大きな役割を果たせそうだと著者は期待している。ただ、複雑系の研究がその複雑な現象の背後にある秩序を明らかにするものだとは、単純には言い切れないと著者は言っているようだ。複雑系の研究など果たして科学かという疑問も一般にはあることを認めたうえで、なおかつ、複雑系の研究が21世紀には自然に対する見方を一変する新しいパラダイムを提供するだろうと著者は言う。

 著者は大変な博学のようだ。古今の色々な古典を至るところで引用している。本書の構成はプルーストの「失われた時を求めて」を真似たものになっている。そして、近代科学の要素還元主義、そして決定論的な見方を強く批判し、さらに、そうした決定論のもたらしたものとしての社会主義の欠点まで指摘してみせる。
とにかく内容が豊富過ぎるほどだ。

いくつかの興味ある記述:
 ヒトの遺伝子の数、10万と、各遺伝子の結合数2という前提から、カオスの理論を使って、ヒトの細胞の種類254という数字に近い316(10万のルート)という数字が導き出される。つまり、発生・分化といういまだ謎に満ちた生物現象の背後に、単純な法則性があるかもしれないのだ。92p以降。

 地球と太陽という2体問題でなく、多体系としての太陽系が安定であるためには、各惑星間の公転周期の比が無理数でなければならない(ソ連の科学者が明らかにした)。そして、土星の衛星のリングの欠けた部分はこの比が有理数の部分であると考えれば説明できること。3つの物体の間の運動、つまり3体問題は従来の科学では解けないというのは、私には不思議でしょうがないのだが、これなども近代科学の限界の一例なのだろう。

                           

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書名 小説の周辺 著者 藤沢周平 No
1997-42
発行所 文春文庫 発行年 90年1月 読了年月日 97−11−03 記入年月日 97−11−03

 
エッセイ集。小説にまつわる裏話的なこともあったり、身辺雑事があったりする中で、故郷山形県鶴岡とその周辺に関することを書いたものも多い。私にとっての七根以上に、著者にとっての故郷は懐かしく、愛しいものであるようだ。いずれのエッセイにおいても、飾らない、控えめな作者の人間性が感じられる。中年の鬱積した気持ちのカタリシスとして小説を書き始めたという。ただ、どんな風に鬱積した気持ちだったのかは言っていない。作者は地元で中学の教師をしていて、結核が見つかり、上京して治療し、その後東京で業界紙の記者や編集をして長いこと過ごした。だが、業界紙の仕事は面白かったと言っている。

 サスペンス小説が好きでよく読むらしい。そしてグレアム・グリーンの「ヒューマン・ファクター」という小説をスパイ小説の傑作として絶賛し、それに比べると、フォーサイスの「ジャッカルの日」も影が薄く「悪魔の選択」は劇画でしかないと言っている。

                           

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書名 サイエンス・パラダイムの潮流ー複雑系の基底を探る 著者 黒崎政男 編 No
1997-43
発行所 丸善ライブラリー 発行年 平成9年8月 読了年月日 97−11−09 記入年月日 97−11−10

 
前書に続いて「複雑性」というキーワードにひかれて読んだ。やはり従来科学のパラダイムの転換を見据えたもの。フォーラムでの講演を基に編集したもので、中身と著者は以下のよう:

1)思想としての科学         野家啓一
2)生命と人工生命との間        佐倉 統
3)地球誕生のパラダイム       松井孝典
4)混沌を科学するカオス工学     合原一幸
5)脳の世界             養老孟司
6)人間の情報処理          安西祐一郎
7)決定論的カオスの思想       黒崎政男
8)対談「サイエンス・パラダイムをめぐって」 井関利明・黒崎政男

 面白かったのは3)、7)、8)。
 8)の中ではコンピュータが単なる機械ではなく、グーテンベルクの活版印刷術が近代西洋科学を生んだように、新しい科学、あるいは自然観を生むものとして評価されている。今まで不可能であった多数の変数を同時に処理することをコンピュータは可能にし、それにより、複雑な自然現象の背後にあるかもしれない本質に我々は迫ることが出来るからだ。

 7)は簡単な数式の繰り返しから、カオスが生まれる実例を示してあって、カオスの理解に役立つ。その式とは y=ax(1-x)で、xにはその前の計算でえられるyを入れて、次々に計算していってその答えをすべて出してみると、aの値で答えの分布がいくつかに分かれる。そしてa=4の場合は答えの分布は全くランダムとなる。

 3)では、地球の歴史を生成以来「冷却」し続けてきたという観点からとらえ、現在の地球のあり様を説明する。そして宇宙も又冷却という経過をへて今のような構造を取るようになった。

                                      

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書名 短歌パラダイス―歌合二十四番勝負― 著者 小林恭二 No
1997-44
発行所 岩波新書 発行年 1997年4月 読了年月日 97−11−13 記入年月日 97−11−15

 
現代歌人二十人による歌合戦の記録。
 歌合戦と言えば百人一首の中の「忍れど色にでにけり・・・」と「恋いすてうわが名はまだき・・・」のことがすぐに浮かぶ。後者の作者は負けたために発病したと、確か解説書にはあった。

 さて現代の歌合わせやいかにとページをめくってみたが、私の知っている歌人は俵万智のみ。男女ほぼ半数の歌人は若い人が多い。これが伊豆に一泊して昔の歌合戦の真似事をする。判者と呼ばれる審判長は高橋睦郎。最初の日は前もって与えられた課題に対する前もって作った歌を合わせる。二日目は前の夜に出された課題に対して一晩で作った歌の優劣を競う。この場合前日と違って作者名は明かさない。
最初の題「海」の2首を読んでびっくりした。

奪うため破壊するため(力あれ)海道をゆく和冦のように  田中槐
連綿と海老の種族を生みだしてわが惑星のくすくす笑い   井辻朱美

いわゆる現代短歌。しかも女性歌人の歌。しかし読んでみるといずれも力強く、雄大なスケールのいい歌だ。ちなみに判者は両方ともいい歌だとした上で、後者を取っている。以下ほとんどが現代短歌で、意味のくみ取りにくいものが多い。中にはど素人の私のみでなく、歌人仲間でも解釈が出来ないと言う歌もいくつかはある。しかし、小林恭二のわかりやすい解説と状況描写に、お互いに相手方の歌をけなし、自陣営の歌を誉める念人(おもいびと)の論議の面白さが加わり、大変興味深く読めた。面白かったのは、俵万智は3回とも負けていること。2日目の第10番「芽」での彼女の歌は

幾千の種子の眠りを覚まされて発芽してゆく我の肉体

という私にもわかりやすい良い歌だったが、これに対する歌の一つが大橋和子と言う人の

家々に釘の芽しずみ神御衣のごとくひろがる桜花かな

というものだった。小林はこの歌を今回の歌合わせ最大の秀歌とし、家に打ち付けられた釘を芽と見るすばらさ、そして桜を神御衣と見立てた歌は古今の短歌の中では始めてではないかと言って褒めちぎった。判者もコメントなしで今回はこれと一言で決めてしまった。俵万智の他の2作もいい歌だったが、運がなかったと言うしかないと著者もいっている。

 歌合戦と言う平安時代に遡る遊びを復活することにより、短歌を活性化し短歌の良さをもっとわかってもらいたい、という著者らの試みは成功しているのではないか。

                           

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書名 スティル・ライフ 著者 池澤夏樹 No
1997-45
発行所 中央公論 発行年 昭和63年2月 読了年月日 97−11−14 記入年月日 97−11−15

 知的なリリシズムにあふれた作品。先日の保坂和志の小説に似たところがある。

 ぼくはバイト先で佐々井というどこか不思議な雰囲気を持つ男と知り合う。彼はバーのカウンターで手に持ったグラスの水をじっと見つめ「ひょっとしてチェレンコフ光が見えないかと思って」といったりするのだ。その彼に頼まれてぼくは3か月ほど毎日株屋に通い、彼のいう通りの売買を繰り返す。実は佐々井は5年前に会社の金を横領し、時効までに株でもうけてその金を返済しようというのだ。まあそれで株もうまく儲かり、時効も成立し彼はまたリュック一つで去っていくというストーリーの表題の作品は芥川賞受賞作品。

 例えば55pから56pにかけて。ぼくは神社の境内で鳩の動きを観察している。鳩の動きはひどく単純に見えた。
「しかし、その下には数千年万年分のハト属の経験と履歴が分子レベルで記憶されている。ぼくの目の前にいるハトは、数千万年の延々たる時空を飛ぶ永遠のハトの代表に過ぎない。ハトの灰色の輪郭はそのまま透明なタイム・マシンの窓となる。長い長い時の回廊のずっと奥にジュラ紀の青い空がキラキラと輝いて見えた。単純で明快なハトの動きを見ているうちに、ぼくは一種の暖かい陶酔感を覚えはじめた。
 
今であること、ここであること、ぼくがヒトであり、他の人との連鎖の一点に自分を置いて生きていることなどは意味のない、意識の表面のかすれた模様に過ぎなくなり、大事なのはその下のソリッドな部分、個性から物質へと還元された、時を越えて連綿たる揺るぎない存在の部分であるということが、その時、あざやかに見えた。ぼくは数千光年の彼方から、ハトを見ている自分を鳥瞰してた。」

 もう一つの作品は高校生の娘と二人暮らしのシステムエンジニアと、ロシアの材木商と名乗るシベリア生まれの男との交流を描いた「ヤー・チャイカ」。

 主人公は少年時代人類初の女性宇宙飛行士テレシコワに、投函することはなかった手紙を書いたことがある。その時の彼の心境を表して137pには以下のように記述されている:
地球は青く、白く、うっすらと雲をまとい、全く無言の世界に浮いて、彼女の目の下でゆっくりと安定して自転を続けていた。彼女自身はその自転とはまた別の方向に、地球を斜めに帯を掛けるように、なめらかにまわり続けた。地球は彼女の軌道という多彩な糸で四十八時間かがられた手鞠になった。その時の文彦にとって大事だったのは、上天に見える星々の間に紛れ込んで下を見下ろしている彼女の視線、地球の各部分をそっと撫でてゆく彼女の視線だった。それを、その視線を感じたことを彼は降りてきたテレシコワに伝えたいと思った。地球は軌道を周回する彼女の宇宙船というベールをかぶせられ、その淡い薄い蜘蛛の糸の織物が、暖流と寒流や、モンスーンの風や、層雲や、オーロラ・ポレアリスや、ヴァン・アレン帯以上に美しく、地球を飾った。その織物を文彦は夜の空に見た。上空の目に見られていると感じた。

 またこれに続く惑星探索機への思いを書いたところもいい。宇宙旅行が可能になったら文学者もまず連れて行くべきだという説があったと思うが、この部分を読んでいるとその説に説得力がある。

 先週の土曜日、小林医院の帰り日石ガソリンスタンドの先にある古本屋の店先で買ったハードカバー。百円で、こんな小説が読めるなんて。この作家、好きになりそうだ。

                           

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書名 猫に時間の流れる 著者 保坂和志 No
1997-46
発行所 新潮文庫 発行年 平成9年8月 読了年月日 97−11−22 記入年月日 97−11−26

 
九州に行くとき羽田空港の売店で「辞書はジョイスフル」と一緒に買った。面白いのは、柳瀬尚紀も無類の猫好きで、「辞書・・・」にも当然猫の話がでてくること。

 表題の他に「キャットナップ」をおさめる。いずれも猫の話。事件も何も起こらない平凡な日常の中に流れる時間。恋愛関係に陥りそうでそうらならない男女。先に読んだ「季節の記憶」と同じような世界が端正な文章で描かれていて、爽やかな読後感を与える。「猫に時間の流れる」では、東京のアパートに住む3人の住人を通して、付近のボス猫で野良猫らしい「クロシロ」の生涯を書いたもの。
 猫の生態に対する著者の観察眼は鋭い。かなりの猫好きなのだろう。

                           

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書名 辞書はジョイスフル 著者 柳瀬尚紀 No
1997-47
発行所 新潮文庫 発行年 平成8年7月 読了年月日 97−11−24 記入年月日 97−11−24

 
辞書にはこんなことも出ている、そして日本語や漢語にはこんな言葉があり、こんな表現ができると、著者は国語辞典、英和辞典、OED、漢和辞典等の辞書を縦横に引きまくり、言葉の面白さを、日本語の可能性を追求し、読者に示す。著者がジェイムズ・ジョイスの翻訳不可能といわれた「フィネガンズ・ウエイク」の翻訳を完成させたということは聞き知っていた。そのためにはどれだけ辞書を引いたかは本書に詳しいが、本書はその余録で出来たようなもので、題名ももちろんジョイスにあずかっている。フィネガンズ・ウエイクの原文と著者の訳がかなり出てくるが、その翻訳がいかに難事業であったかを、それらの例を通してかいま見ることが出来る。

 著者が英語の辞書として絶賛してやまないのが岩波の「熟語本位英和中辞典」(斉藤秀三郎著)である。驚いたことにこの辞書の初版本は1915年、大正4年とのこと。そして昭和27年に現在の増補版が出たというものだ。例えば100pにはこんな訳が出ている:
an old sinner (所謂)頭禿げても浮気は止まぬ。
現代は一億総染毛、総カツラ時代だから、「カツラつけても艶乱す」・・・と、訳してみたところで、やはり斉藤訳にはかなわない。

 私にすれば柳瀬訳もジョイスフルだと思うが。ちなみに、「艶乱す」は「アデランス」と読む。

 初めて知るOEDの歴史、語意を時代順に挙げていくという独特の手法等その特徴の解説は興味深かった。また電子辞書の便利さも予想されたとおりだった。

 この本も今月の田川行きの際の搭乗口近くの書店で買ったものだが、猫好きで有名な著者は本書でも猫を所々に登場させて、その愛猫ぶりを発揮している。

                            

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書名 絵地図の世界像 著者 応地利明 No
1997-48
発行所 岩波新書 発行年 96年12月 読了年月日 97−11−29 記入年月日 97−12−02

 
前半は現存する日本最古の日本地図、仁和寺蔵日本図(1305年)のやや後に書かれた、金沢文庫蔵日本地図の中に記された羅刹国と雁道という二つの異界の意味を、今昔物語を典拠として探る話。傍証を駆使したかなり専門的な歴史の謎解きのプロセスが詳述される。これら二つの国は、日本国家の四至の外の穢れた空間に存在する異域であり、そこには人の形をした異類が住むとする。

 後半は1364年に書かれた現存する最古の世界地図「五天竺図」から、当時の人びとの世界認識を考察する。後半の部分が本書の題名から(この題名にひかれて読む気になったのだが)いって面白い。日本・唐・天竺というのが当時の人たちの世界観で、その中でも天竺は仏教発祥の地として常に人びとの憧れの地であった。
 16世紀後半にオランダやポルトガル人がもたらした世界地図で、天竺の観念が変容し、ついにはその呼び名も消失する。

143pには日本という国名の意義についての考察がある。それは玄奘が現した「大唐西域記」の中で述べた記事と関連する。玄奘は当時のインドの国々での東を最尊とする考えに対して、中国での南面を最良とする思想の優越性を述べている。七世紀中頃には日本に入ってきたこの「大唐西域記」のこうした中華思想に対して、東方を優位とする思想で対抗しようとして「日の本」という国名を用いだしたのではないかと推定している。なお雁道も羅刹国も、元はこの「大唐西域記」の記述によっているとしている。

                           

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書名 海の稲妻 著者 神坂次郎 No
1997-49
発行所 日経新聞夕刊連載 発行年 読了年月日 97−12−01 記入年月日 97−12−01

 
昨日曜日で終わった連載小説。403回だからもう1年以上に渡ったことになる。つまり、「失楽園」の連載終了からもう1年と1月以上経っているということ。

 根来海賊衆の御曹司として種子島に育った助左衛門の少年の日から、海の男としてたくましく育ち、戦国時代を生きていく様を書いたもの。特に後半では堺商人の仲間として、時の太閤秀吉にたてつき、マニラから持ち帰った安物の壺を、茶器として高く売りつけたりして秀吉とその取り巻きを愚弄したりする。そして最後は一党とともに南の海を目指して出ていく。徹底して秀吉を権力欲にとりつかれた、残忍な人間として描いているところがこの小説の特徴か。


                           
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書名 白河夜船 著者 吉本ばなな No
1997-50
発行所 福武書店 発行年 1989年7月 読了年月日 97−12−02 記入年月日

 
池澤夏樹の本と一緒に古本屋で購入。初めて読む吉本ばななの作品。

 表題の作品は大学を出て定職に就かず、妻のある男性の愛人である若い女と、男と、そして女がかって一緒に住んでいた女友達の話。主人公寺子はいくらでも眠れる、しかも男からの電話がかかったときだけ、目が覚めるという特技を持っている。男の妻は交通事故で意識を失い植物人間状態である。そして、寺子の友達しおりは疲れた男のそばに添い寝するという仕事をしている。性交渉はしない。しおりの仕事は川端康成の「眠れる美女」を連想させる。ただ、この場合はしおりは決して眠ってはいけないのだ。疲れて目を覚ました男のそばに目覚めていて、決して一人ではないということを悟らせるのだ。そのしおりが自殺する。

 私たちには理解できない今時の若い女の生活感が、さらりとした文体で書きつづられていて、独特の世界を作っている。その中にも、都会人の闇のような孤独を感じさせる。あるいは、題からするようにこの小説のテーマは眠りなのかもしれない。

 このほかに「夜と夜の旅人」、「ある体験」を収載。

                           

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書名 短歌をよむ 著者 俵 万智 No
1997-51
発行所 岩波新書 発行年 93年10月 読了年月日 97−12−08 記入年月日 97−12−11

 
NWJの翻訳の帰り、目黒の権の助坂の古本屋に立ち寄り目に入った。

 第1章は短歌を読むで、万葉から現代に至る短歌を引用してそれを味わう。サ行の音の爽快さに言及したところが目を引く。
 第2章は短歌を詠むで、自作の制作過程を披瀝し、短歌の作り方を示す。「こころのゆれ」をどう捉え、それをいかに31文字にまとめるかが、具体的に示される。
 第3章は短歌を考えるで、寺山修司ほか何人かの現代歌人を引き、特に途中で短歌をやめたり、あるいは中断したしりした人達の生き方を論じて、近代短歌の特徴について述べる。明治以来ここ100年、短歌が素人の時代になり、一人の歌人にとって読み進めれば進むほど技巧は上達するのに、歌の心は希薄化し、マンネリ化するというジレンマを抱えると指摘する。

 いずれの章も明快でわかりやすい短歌入門となっている。本書に引用された現代歌人の中には、先に読んだ「短歌パラダイス」に登場する歌人がかなりいた。

                           

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書名 日本風景論 著者 志賀重昂著、近藤信行校訂 No
1997-52
発行所 岩波文庫 発行年 1995年9月 読了年月日 97−12−26 記入年月日 97−12−28

 
日本の風景の美しさ、多様さ、動植物の豊かさを意気軒昂たる美文で綴る。初出は明治27年、日清戦争のさなかで、高まる国家主義的風潮を背景に日本の風景の優位性を強調するという、愛国的情熱に貫かれた著作である。地質学の専門家である著者によれば、日本の風景を世界に冠たらしめている要因は以下のようなものである:気候、海流の多様性。水蒸気の多量なること。火山(火山岩の多きこと)。流水浸食の激しさ。
 そして、おおいに登山を起こすべきと主張し、登山のマニュアルを著している。この本に刺激され、日本山岳会が出来たとは解説にあった。解説も含め395ページの大作。

 出だしはこうだ:
「江山洵美是吾郷」(大槻磐渓)と、身世誰かわが郷の洵美をいはざる者ある。青ヶ島や、南洋告渺の間なる一頃の噴火島、爆然轟裂、火光煽々、天日を焼き、石をふらし、灰を散じ・・・・。

 著者は火山とそれにつぎ花崗岩を、日本の風景美の中心に据えるから、千島から南西諸島、あるいは南洋諸島の小島に至るまで、小さな山まで取り上げてその美を論じているのに、秩父岩から成る南アルプスにはまったく言及しない。火山礼賛は、西洋文明の源泉たるイタリアは火山故にシーザー、ダンテ等を生みだしたというまでに至る(p190-91)。言われてみると、確かに富士山のような優しい円錐形の山はアルプスやヒマラヤにはない、日本的なもので、これは火山でなければ生成しない形なのだ。しかも多孔質な火山岩は植物を育てるのに絶好で、このため豊かな植生に覆われた日本の山ができるのだ。面白いのは鑓ケ岳の高さを3531メートルとしていること(p238)。また白砂青松というのは三河以西のことであって、湘南、駿河、遠州は灰砂青松であるといっている(p241)。これにはまったく同感。七根の海岸は白砂青松の東限なのだ。太平洋側では川は南に流れるといった記述も私が思いつく前に本書にはとっくに述べられている。意外だったのは英彦山(本書では彦山)が火山として分類されていること。登ってみた感じでは火山らしさはどこにもなかった。

 登山に関しては、草履が良いか長靴が良いかといった比較がでている。テントを使うという記述はないから、100年前はまだなかったのだろう。山麓までのアプローチは殆どが徒歩。あるいは人力車を利用してどこどこまで至るといった記述がたくさん出てきて、先人の苦労が忍ばれる。

 地質学に進学しようかと少しだけ思ったことがある私だから、漢文の紀行や漢詩、あるいは短歌が縦横に引用されていて読みづらい本書ではあったが、興味深く読みすすめられた。山登りに熱中していた頃本書を読んでいたら良かったろう。

 前書きに引用された貝原益軒の、風景を愛でることの楽しみを述べた「限りなき楽しみ」という小文がまた素晴らしい。

                            

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書名 遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子 著者 芸術新潮編集部 No
1997-53
発行所 芸術新潮 発行年 1997年10月号 読了年月日 97−12 記入年月日 97−12−28

 
11月だったか、NWJの翻訳の時、竹内さんが、下の階に色々な資料を置いてある部屋があると言ったので、待ち時間に行っててみた。大したものはなかったが、雑誌の書架に芸術新潮の10月号があって、その表紙に表題の特集が目に入った。ぱらぱらとめくってみると、たくさんの絵画でイエスの生涯を追ったもので、面白そうだった。十日市場の池田書店に頼んで、バックナンバーを取り寄せてもらった。

 遠藤周作の「イエス・キリスト」を引用して豊富な西洋の絵画を載せて、キリストとその使徒たちの関係を解説してある。イエスを裏切ったのは単にユダだけではなかった。ペテロ初め、他の弟子たちも、イエスが逮捕された日、ペテロを代表者として、彼らがイエスとは無関係であることを公言して、命を逃れるのだ。だが、十字架のイエスの教えの本質がそうした弟子たちをも許す「愛」であることを悟った彼らは、そこで目覚め、つまりイエスは彼らの心の中に復活し、以後熱烈な伝道者として各地に行くのだ。そして、最後まで生を全うしたのはヨハネ他わずかであり、ほとんどは殉教している。ペテロはローマで逆さ磔の刑にあうのは知っていたが、例えばヤコブはユダヤの王に首をはねられ、バルトロマイ(バーソロミュー)は、インドで皮剥の刑にあったりする。こうした場面が生々しい絵画入りで解説されている。私にとってはキリスト教、ひいては西欧文化を理解する上でなかなか為になる読み物だった。

 イエスが自分の教えを色々な寓話として話していることが書かれている。少し前にNWJの翻訳で、今評判の米国の新興宗教の女性教祖が、集会で話すことは単なる楽しい寓話であるが、そうした例は最古の歴史を持つものだと言った文章に出会ったことがある。この本を読んでいて、あれはイエスのことを言っていたのだと思い当たった。また、参考文献として載っていたキリスト教関係の本の中に田辺希久子翻訳の本があった。これは毎日曜日の私の真ん前に座る彼女だった。
 
                            

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