読書ノート2003年

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書名 著者
幸福論 第二部 ヒルティ
幸福論 第三部 ヒルティ
分子生物学入門 美宅成樹
新世紀デジタル講義 立花隆 他
十三夜 樋口一葉
小説教室 高橋源一郎
大つごもり 樋口一葉
風流仏 幸田露伴
五重塔 幸田露伴
言語の興亡 R.M.W.ディクソン
精神の危機 ポール・ヴァレリー
寺田寅彦随筆集 第2集 寺田寅彦
言語の脳科学 酒井 邦嘉
イラクとアメリカ 酒井 啓子
デモクラシーの帝国 藤原 帰一
日本の分水嶺 堀 公俊
寺田寅彦随筆集 第3集 寺田寅彦
芭蕉・蕪村 尾形 仂
寺田寅彦随筆集 第4集 寺田寅彦
寺田寅彦随筆集 第5集 寺田寅彦
ヤクザの文化人類学 ウラから見た日本 ヤコブ・ラズ
地球持続の技術 小宮山弘
猿蓑 幸田露伴 評釈
赤と黒(上下) スタンダール
生物はなぜ進化するのか ジョージ・ウイリアムズ
陛下 久世光彦
私の日本浪漫派 江藤秀男
天平の甍 井上靖
古事記の読み方―八百万の神の物語― 坂本 勝
新撰組 松浦 玲

                                                                   2008-02-11 up

書名 幸福論第二部 著者 ヒルティ、草間平作・大和邦太郎訳 No
2003-01
発行所 岩波文庫 発行年 1962年11月 読了年月日 2003−01−10 記入年月日 2003−01−11

 
前編よりさらにキリスト教への信仰を強く打ち出したもの。「罪と憂い」「キリスト教序説」といった章は特にそうだ。罪の概念は私にはなじみのないもので理解できなかった。「人間知について」と「人生の段階」とがわかりやすく、興味をひいた。

 特に気がついた点。
 想像力を災いと見る点ではアランと共通
ダンテの神曲からの引用も多い。ヒルティはダンテを模範的なキリスト教徒と見ている。
 ゲーテの引用もよくあるが、その見識と生涯を神への信仰を欠くために、幸福な生涯とは見ていない。
 ゲルマン民族を特別な民族と見る誇りが感じられる。

本書から
憂いの効用
44〜45p:傲慢や軽薄に陥るのを防ぐ、他人に対する同情を芽生えさせる、神を信じてその助けを求めさせる、という3つの効用がある。
仕事の効用
51p:仕事には憂いを忘れさせる効用がある。
教会と祈りの効用
53p:
カトリックがプロテスタントよりずっと優れている点は、立派な美しい教会を持ち、それがいつでも開かれていることである。人々はそこで身近に神を感じることができる。
 ヒルティは多分プロテスタントであろうと思うが、あるいは聖書のみに原点をおくキリスト教徒といった方がよさそうだ。カトリック教会へのこの見方は興味ある。

恐れ
80p:
恐れがなくなると怒りもなくなる。怒る人は勇気ある人ではなく、恐れているのである。
家柄
96p:家柄重視という貴族主義的考えが述べられる。
「高い教養の人が、自分よりも教養の程度の低いものと結婚するとしたら、それも大きな誤りであり、自分の子孫に対して過ちを犯すものといってよいくらいである」と断言している。
中・老年
98p:
「ひとは老年になると、その生活の姿が、以前よりもはるかに明瞭にあらわれるのが普通である。」
貴族主義
104p:
「良い人はすべて、貴族的な天性を持つものと期待してよろしい。民主主義は、政治的信念としては正しいけれど、人の生まれつきの素質としてなら、好ましいものではない。」

嫉妬心
107p:
「嫉妬心は実に、生涯のいやな随伴者であって、普通、生涯の終わりになってようやく消えるものである。」としたうえで、嫉妬心が過大な崇拝から自己を守るという。
116の終わりから117p:
全くむら気がなくて、いくらか冷やかで、といって利己的でなく、むしろだれにも愛想よくやさしい気質は、恐らくみんなに好かれるのに、最も都合よい性質であろう。こういう人たちは、特別に「愛すべき人」として通り、世間一般から重んじられる、その癖、たいてい、世の中の進歩にはこれといって目立った実際の貢献もしないのに。それだから、賢明にもそういう気質を器用に身につけようとする人達さえある。だが、このような愛すべき人々は、結局「彼らの才能を埋も」らせたのではないかどうか、それはまた別個の問題である。
 耳の痛い一文だ。著者の洞察力の鋭さに脱帽。

敵 
127p:
真に気高い人々、精神の貴族は、常に敵を持っている。
156終わりから157p初:
自己主義的人生観の持ち主は真の教養人とはいえない。
209p:
苦悩の浄化力を信じ、したがって苦悩の必然性を信じることは、あらゆる真の倫理学の核心であり、中心点である。
216p:
幸福は、猟人の如く追えば必ず捕らえられるというものではない。勇気と諦念とをもって 戦いとらねばならぬものだ。
233p終わり:
キリストの復活は歴史的事実であり、それが事実でないならば2000年来の世界史全体が一つの錯覚に過ぎないとヒルティはいう。それは当時数百人の人が目撃したことで、疑いようがないという。そして、それこそ生命の永続性の証であるとする。
256p:
芸術というのはどんな野卑な道徳とも結びつきうるものであって、したがって芸術は人間の最高の努力や成果ではあり得ない、とする。

264p:使徒の人物評で、ペテロやパウロのように名誉を余り受けられず屈辱を受けた人の方が、ヤコブやヨハネよりも親しみを感じ、受ける影響も大きいという。後者は冷ややかで近づきがたいという。ヨハネが黙示録を書いたとされるパトモス島の教会は一昨年行った。確かに急な坂を下りた岩窟は人を寄せ付けない感じがする。

287p:
人生の適当な時期に自分の素質を的確に判断することは、人生の決定的な重要事である。それは30代早々に来るという。孔子の「30にして立つ」と共通するところが面白い。この前後の記述は大変興味がある。
346p:
過ぎ去った生活段階の回顧に停滞するのは退化であって、真にすぐれた人たちには決して認められないことである。と述べ、モーゼもペテロもパウロも、クロンウェルも、若い日のことは余り語らず、ましてキリストの若き日を省みた言葉は一言も知られていないという。

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書名 幸福論 第三部 著者 ヒルティ、草間平作、大和邦太郎訳 No
2003-02
発行所 岩波文庫 発行年 1965年 読了年月日 2003−02−14 記入年月日 2003−02−16

 
やっと読み終わったという感じ。文章は平易で、わかりやすい。原文もそうなのだろうが、翻訳もきっといいのに違いない。ただ、著者の主張は断定的だ。例えば、何々することこそ何々であり、それ以外の道はない、といった言い方だ。恐らくそうした言い方のいくつかは、相矛盾していて、「それ以外の道」がいくつも示されているのではないか。そこまでは詳しくは読んでいないが。

 この編はますますキリスト教が前面に出てくる。世俗的な幸福、つまり金銭、名声、享楽、といったものの徹底的な否定。神の力と結びつき、仕事に励むこと。それが幸福の源泉である。そして、信仰は才能でも、知識でもなく意志の力であり、その後の経験であるという。神を信じる道に至るためには、苦悩は有力な力となる。

p52:人間はサルから進化したのだというダーウインの進化論と、ニーチェの思想を厳しく否定している。進化論については、ほんの少し前まで、最も教養の高い人々が自分では証明もできないのに、一部の科学者のいうことを信じていたとある。ヒルティがこれを書いた20世紀初頭には進化論はもう下火になっていたのだろうか。ニーチェについてはその病的な素質は理性的な人なら早くから推測できたとさえ言っている。

p59:4つの生き方。この謎に満ちた人生を乗りきっていくには4つの生き方しかないという。すなわち、宿命論、克己主義、利己主義、信仰。それぞれの結末は違っていて、第1の道は人を鈍感にし、第2の道は冷酷に、第3の道は邪悪にする、第4の道のみが人を善良にしそして幸福にするという。克己主義の代表がカントの哲学であるという。

p66:キリストの復活。
この歴史的事実が本来キリスト教のすべてであった。もし使徒たちにとって、キリストが十字架にかけられ、墓に葬られたままで終わったならば、キリスト教を世に伝える勇気を彼らは持たなかったであろう。
 もし復活が真実でないとしたら、キリスト教全体が誤謬か錯覚(だが、いずれにしても、同時に五〇〇人以上の者にそうした錯覚が起こるとはとうてい考えられない)に基づくばかりでなく、虚偽の上に立つことになる。

p190:本書には「病人の救い」という付章があるがその中に、神経症にはケーフィル(アルコール分を含む酸乳)がいいと書いてある。
p246:
最上のキリスト者は軍人であって、決して哲学者でも神学者でもなかった。

p247:
神は「秩序の神」であり、ひとが一つの国、一つの民族に属することは、神の秩序であって、その秩序を全く無視しようとする国際的なもの、人道主義的なもの、あるいは社会主義的なものは、あらゆる真の成功の唯一の源である神の祝福を受けることができないからである。
 祖国スイスという国の実体を考えるとき、ヒルティのこの考えは意外である。あるいはキリスト教の国際性的な性格を考えても、意外である。また、わざわざ言及しているのをみると、社会主義国家はできていなかった当時でも、そうした社会主義運動はすでに大きな力を持っていたのだろう。

 ラッセル、アラン、ヒルティと書かれた時代を遡って3大幸福論を読んだ。やっぱりラッセルが良い。アランもいいが、文章が難解でわかりにくいところがある。ヒルティは最もわかりやすい。ただ、キリスト教への信仰を強調しすぎ、私にはついていけない。神の存在と言うことを時々考えることがある。私の場合それは秋晴れの穏やかな一日に神の存在を感じるといった汎神論的なものであって、世俗の宗教とは一致しない。

 三つの幸福論とも、極めて力強く、男性的な論陣である。
 セネカやマルクス・アウレリュウスの著作を再読する必要がある。


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書名 分子生物学入門 著者 美宅成樹 No
2003-03
発行所 岩波新書 発行年 2002年3月 読了年月日 2003−02−22 記入年月日 2003−02−23

 
ヒルティの本と比べてなんと楽にすらすらと読めること。題名その物の本。それがすらすらと読めると言うことは、私の基本的な知識として分子生物学はまんざらでもないということだろう。ゲノム情報とコンピュータあるいは情報科学との融合を今後の分子生物学の進む道だとした章以外は、DNAの構造から始まって複製、相補性、転写、翻訳、タンパク合成、タンパクの立体構造、膜タンパク、各種情報伝達系など、私の知識範囲内の記述だ。書き方はコンパクトで、物理学的観点から見た分子生物学の解説はわかりやすい。情報の流れという観点から生物や細胞を見るという点が新鮮だ。

 著者はタンパクの立体構造をコンピュータで求める研究を行っている。そのプログラムは著者の研究室が、研究状況の進展に応じて随時書き替えていっているが、特に古いプログラムを整理することをしていない。そのため汚いプログラムになっているという。このプログラムを著者は生物の遺伝情報に、つまり生物そのものになぞらえる。生物はこうしてプログラムを書き替え進化してきた。その際、古いプログラムはそのまま残っていることが多く、DNA配列の圧倒的部分が発現しない配列となっているという。この見方はなるほどと思う。

本書から
p44:クレオパトラのワイン 水の安定性
p124:カルシウムイオンは、卵細胞が受精したとき急激に濃度が高まり受精卵の細胞分裂の引き金になる。
 感想として、ではカルシウムイオンの増加をもたらすものは何か、というふうに追っていくと循環論に陥らないのか。受精という現象にすべてが行き着くのか。

p152:精子の場合は翻訳後修飾のカスケードにより複雑な構造が作られる。DNA転写の段階での制御ではなく、タンパク質の機能制御によって鞭毛や先端部の複雑な構造が形成される。
p158:リボソームはRNAを成分とする酵素である。エンザイムではなくリボザイムである。これは生命の誕生におけるRNA説との関連で興味深い。
p161:タンパク質の凝集で起こる病気 アルツハイマーや狂牛病。狂牛病はプリオンの凝集で起こる。プリオンは生体に対して重要な役目を果たしているらしいが、不明である。正常なヒトのプリオンと狂牛病のプリオンとのアミノ酸配列は全く同じである。立体構造の違いが発病とつながる。タンパク凝集による病気は多い。

                           

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書名 新世紀デジタル講義 著者 立花隆、南谷崇、橋本毅彦、児玉文雄、安部浩、+東京大学教養学部立花隆ゼミ No
2003-04
発行所 新潮文庫 発行年 平成14年11月1日 読了年月日 2003−03−06 記入年月日 2003−03−07

 
どこかへ外出した際、電車の中で読む本を持っていくのを忘れ、途中の本屋で買った。立花隆ははじめに、この本は拾い読み、とばし読みして欲しいと言っている。情報が氾濫する今の時代ではそうした読み方が正しいのだという。私は律儀に500ページを超すこの本を全部読んでしまった。

 コンピュータとそのネットワークについて基礎的なことが書いてある。特にコンピューティングの基礎となる理論回路にもかなり詳しく触れていて、従来の本のようにその部分をブラックボックス扱いしないところがいい。やっと私が知りたいと思っていたことが書いてあった。立花もそうした基礎を知ることの重要さを強調していた。それでも、こうした回路が小さなチップの上に何億も作られ、一時に動き、全体として一つの計算をするというのがやはり信じられない感じだ。

 インターネットについても詳しく書かれている。そして社会に対する影響も予測している。ただ、その予測は、2003年の段階で見て、ネットを少し過大評価していると思う。インターネットの真の価値は分散性、双方向性にあるのだが、私の利用においても圧倒的に情報収集に偏っている。発信してこそ価値があるのだと反省させられた。掲示板へたまに投稿するくらいでは真の利用とは言えず、やはりHPを持つべきだろう。

p67 コンピュータの理論:
 
大切なことは、コンピュータというのは、記号論理学マシンであるということだと思います。言語表現を含めて、人間が主張することはすべて記号論理学の表現に置き換えることができる。記号論理学上の表現はすべて2価値論理のプール代数に置き換えることができる。プール代数はすべて電子回路で置き換えることができる。この三つの等価関係が結局コンピュータをつくっているのです。
                           

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書名 十三夜 著者 樋口一葉 No
2003-05
発行所 集英社、日本文学全集3  発行年 昭和49年 読了年月日 2003−03−07 記入年月日 2003−03−08

 
かつて同じ職場にいた女性からのメールに「十三夜」を読み返したとあった。身分的な差別に女が如何に虐げられたかを再確認したという。私は返事に「十三夜は読んだことがない」と書き送ったら、すぐに返事が来て「十三夜」を読んだことのない人など本好きの風上にもおけないといわんばかりの書き方をしてあった。

 それで、十日市場図書館から借りてきて読んだ次第。短いので一時間もかからずに読める。同じ文語体でも「にごりえ」よりは読みやすいと思った。身分違いの男から見初められ、結婚して子供までいる主人公阿関が、夫の余りにもひどい差別的な態度についに離縁を決意して、夜両親のいる実家に帰ってくる。そして、決意をうち明けるのだが、阿関の弟の就職も含めて、今の家族が嫁ぎ先から大きな恩恵を受けていることや、世間体を考えて、ここは我慢しろという父親の説得で、また戻る。戻るために乗った車をひいていたのが、実はかつて阿関が将来はこの男のそばで店先に座るのだと思っていたたばこ屋の息子であった。この男、録之助は主人公が嫁いで以来、身を持ち崩し、妻や子供と別れ今では木賃宿に身を置き車引きをしている。仕事も気が向かなかったら途中でも投げ出すと言った働きぶりで、この夜も途中で女を下ろそうとする。

 見事な構成の小説だ。身分の違いに引き裂かれた二人の男女の不幸な結婚。前半の部分だけだったら、どうということもないストーリーだが、これにかつての男が絡んでくることで、そのドラマ性が一気に増す。そして、流れるような流麗な文体。読んでいて快いリズムである。

                           

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書名 小説教室 著者 高橋源一郎 No
2003-06
発行所 岩波新書 発行年 2002年6月 読了年月日 2003−03−07 記入年月日 2003−03−08

 
著者は小説の概念を広くとる。エッセイや詩や、写真にそえられた文章なども含む。小説という一番新しい言語表現の可能性を広く考え、従来の小説が銀河系の中心に位置する星であるならば、著者が考える小説は、周辺で今まさに星になろうとしている星雲のようなものを意味すると言っている。変わった小説の書き方入門だ。

 最大の特徴は、自分が気に入った作家の文章をとにかく赤ん坊のようにまねすることだという点。あらゆる小説は既存の作品のマネであるという。そして、彼自身が太宰の文章をまねて書いたものを対比して載せている。その他にも村上春樹の作品はレイモンド・チャンドラーのマネであるとして、これも両者を引用している。ただ、村上の場合翻訳文をまねていることになるので、本当のマネだろうか。翻訳文は翻訳者の文体だと思うが。もっとも村上は翻訳も得意でやっているから、英語の文体そのものからまねしたのかもしれない。

 その他の引用も、正統的な小説には入らないへんてこりんなものが多い。そして、読むべき本としてあげている作家も、一風変わっている。例えば:漱石「ケーベル先生」、啄木「ローマ字日記」、竜之介 全作品、実篤 全作品、小林秀雄 全作品、坂口安吾 エッセイ、小説はまねしない方が無難、吉田健一「時間」「詩について」、内田也哉子「会見記」、耕治人「天井から降る哀しい音」、森茉莉「どっきりチャンネル」、片岡義男 全作品、「現代詩文庫」など

                            

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書名 大つごもり 著者 樋口一葉 No
2003-07
発行所 集英社、日本文学全集3 発行年 昭和49年 読了年月日 2003−03−13 記入年月日 2003−03−15

 
「十三夜」に続いての一葉の作品。貧しい女の物語。幼いころに両親を亡くし、伯父夫妻に育てられたお峯は、奉公に出ている。人使いが厳しく、吝嗇な主人一家ではあるが、峯は一生懸命下女として働く。伯父の家も貧しい。大晦日に伯父が返さなければならない借金、2円の工面を伯父から頼まれる。お峯は主人になんとか頼むことを考え、伯父に請け合う。ところが、主家のケチなおかみは2円の前借りを許さない。懸け硯の引き出しに20円の札束があるのを知っていたお峰は思いあまって、その中から、2円を抜き取る。そして、ばれたら舌を噛みきって死ぬ覚悟でいると、その札束は、この家の放蕩息子で、おかみとは継子に当たる長男が、遊興費ほしさにお峯の後から持ち去ってしまったことが判明し、お峯の盗みは発覚せずに済んだというもの。

 物語としてよくできている。

                           

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書名 風流仏 著者 幸田露伴 No
2003-08
発行所 集英社、日本文学全集3 発行年 昭和49年 読了年月日 2003−03−15 記入年月日 2003−03−15

「五重塔」の嵐の部分は教科書で読んだことがあるかもしれないが、初めて読む露伴の小説。出世作と解説にあった。

 仏教用語の漢字がたくさん出てくる文語体の小説。句読点が少なく、文章が延々と続くのは一葉と同じ。
 若い仏師珠運は諸国の仏像を見る旅に出る。木曽路の須原で泊まった宿の花漬売の若い女と恋に陥る。宿の主人の薦めで二人は結婚することになった。祝言の当日、東京からきた男が娘、お辰を連れて行ってしまう。実は、維新で功績があった、岩沼子爵の娘であったのだ。岩沼は京都で知り合った辰の母との間に辰をもうけ、その誕生も見ないで、官軍に投じ、各地を転戦し、維新後その功績で子爵になっている。辰の母は、幼い辰を弟に託してなくなる。しかし、叔父七蔵は博打狂いで、婿に入った木曽須原の家を潰してしまう。辰はその家のそばのあばら屋に一人住み、花漬を売ってひっそりと生活しているが、美貌の上に、気だてもいい。

 珠運は辰が忘れられず、須原に留まり、そこで杉の板にお辰の面影をモデルに仏像を彫る。最初、その像を色々な花で飾っていたが、珠運は花をすべてそぎ落とし、裸身の辰の像とする。それは見事な傑作であった。恋に悶々とする珠運に辰の結婚話が載った新聞が届く。落胆のあまり倒れた珠運に、その仏像が優しく語りかけ、手を述べ、二人は昇天するところで終わる。最後の部分はお辰自身が現れたかのようにもとれるし、また、仏像の奇跡ともとれる。

 明治22年9月刊。

 追記:木曽路の須原宿には舞台となった花菜漬けの店が現在もJR須原駅前で営業している。露伴の文学碑もある。中山道歩きで、2010年4月に須原宿を通った。

                           

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書名 五重塔 著者 幸田露伴 No
2003-09
発行所 集英社、日本文学全集3 発行年 昭和49年 読了年月日 2003−03−16 記入年月日 2003−03−17

 
露伴の代表作。一途な職人気質がテーマ。腕はいいのだが、仕事がバカ丁寧で、そのうえ世間つき合いの下手で「のっそり」とあだ名されている大工職人十兵衛は、谷中感応寺の5重の塔の建設の話を聞きつけ、自らの手でやってみたいと思い立つ。十兵衛の親方にあたる源吉は、すでに塔建設の図面も見積もりも出している。そんなところへ十兵衛は感応寺の上人に直接頼み込む。人柄に見るべきものがあると見た上人は、十兵衛が作った模型を持ってこさせる。それは精巧な模型だった。源吉か十兵衛かどちらとも決めかねた上人は二人に話し合って決めるように言い渡す。恩を仇で返すような十兵衛に腹の立つ源吉ではあるが、もともと侠気に富む親分、大いに譲歩して、共同でやろうと持ちかける。しかし、十兵衛はかたくなに断る。何が何でも自分一人でやりたいという。二人の間に話し合いは成立しない。そうした一途な職人気質を見込んだ上人が結局選んだのは十兵衛だった。源吉としては全く面白くないが、それでも図面を見せたり、建築資材の仕入れの口利きなどで十兵衛に協力しようと申し出るが、十兵衛はそれも断り、二人は絶縁状態になる。

 そして、自ら陣頭に立って塔の建設に励む。源吉配下の若い者に現場で襲われ、片耳をそぎ落とされ肩にもけがをするのだが、それでも次の日には現場に出ていく。そして、完成。落成式を前にした冬のある日、猛烈な嵐が襲う。十兵衛のあばら屋の屋根は吹き飛ばされるほどだ。感応寺の塔も前後左右に大きく揺れる。心配した上人の配下が、十兵衛を呼びにやる。しかし、自分の作に自信を持つ十兵衛は行くことを拒み、上人が直々に来いというなら行くという。思いあまった配下は、再度使いを出し、上人が呼んでいると偽りを言う。自分の作品がそれほど信頼されないかと落胆した十兵衛は、塔の釘一本たりとも抜けたなら死ぬつもりで出かけ、嵐で揺れる五重塔の5層に登る。ノミを手にし、下を見ると、一人の男が雨の中を塔の回りをぐるぐる回っていた。塔を心配した源吉だった。
 嵐が去って、十兵衛の塔は釘一つ抜けぬままに残った。

 江戸っ子気質の源吉棟梁とその妻、十兵衛とその妻の二組の夫婦の関係が面白い。源吉の妻は夫が十兵衛に甘いことを厳しく非難する。一方、十兵衛の妻は、共同で建設しようと言う源吉を断った夫を恩知らずだといさめる。
 明治24年初出。

 一葉、露伴とも、小説的構成がしっかりしていて、いずれも面白い。

                           

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書名 言語の興亡 著者 R.M.W.ディクソン 大角 翠 訳 No
2003-10
発行所 岩波新書 発行年 2001年6月 読了年月日 2003−03−17 記入年月日 2003−03−18

 
イギリス生まれで、オーストラリアで研究する言語学者の著作。言語の変化に断続平衡論理というのを展開している。言語の変化は、長い平衡期間と平衡が破られる短い中断期間があり、言語系統樹で説明できる言語の分裂が起こるのは中断期間であるというのが主要点。長い平衡期間には言語はゆっくりと変化し、共通の言語に収斂する傾向があるという。そして、言語の分裂、生成、発展には農耕の普及とか、人の移動、侵略などの社会的要因が関与する。そうした社会的面を考慮しなければ言語の変化は研究できない。

 インドヨーロッパ語に適応される系統樹、あるいは特に語族という概念に常に疑いを投げかける。そして、それら語族の「祖語」なるものにも信憑性をおかない。祖語の再建は不可能であるという。
 また、言語の深層心理といったチョムスキー流の言語学も鋭く批判する。著者は、地球上に現存する5000ほどの言語の多くが、このままだと、15世紀から始まった植民地化、近代化の結果として、大言語に飲み込まれて消滅すると警告する。それは人類のかけがえのない宝であるから、言語学者は何よりもまず、それら言語の記録をとるべきだと主張する。オーストラリア、アマゾン、パプアニューギニア地区などでフィールドワークに従事してきた著者の主張は現場中心主義である。そして、これらの地域の言語の数の多いのに驚く。熱帯雨林の多様な植生を連想させる。言語の間の複雑さの差は少ない。話し手が少なく絶滅に瀕している言語でもその構造上の複雑さは大言語と変わらないと言う。

追記:2008−02−06
 昨年(2007年)夏に、ユネスコ事務局長松浦晃一郎さんの講演を聴く機会があった。松浦さんは、有形の世界文化遺産は指定しすぎるほど作ったので、これからは無形の文化遺産保護に力を入れたいと語った。なかでも、絶滅の危機にある言語の収集保存に力を入れていきたいと語っていたことを思い出した。本書の主張とまったく同様のものであった。
                                                  

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書名 精神の危機 著者 ポール・ヴァレリー、杉 捷夫 訳 No
2003-11
発行所 中央公論社、世界の名著81 発行年 昭和55年 読了年月日 2003−03−17 記入年月日 2003−03−19

 
二つの手紙形式で、第1次大戦直後、ヨーロッパ精神の危機を訴えたもの。その質の重み故に、ヨーロッパはそれ以外の世界と天秤にかけた場合、人口や面積がはるかに少ないにもかかわらず、その天秤はヨーロッパに傾いていたのに、ヨーロッパの生み出した科学、あるいは民主制といったものが、世界に拡散するに従って、天秤は上がっていくと警告する。

 イラク問題でアメリカと鋭く対立するフランス。その知性の代表として手元にあったヴァレリーを読んでみたくなった。驚くほどのヨーロッパ中心主義である。
 喩えがわかりやすい。天秤の喩えもわかりやすい。

 文化の拡散と物理的拡散現象の対比、1滴の葡萄酒の拡散と、それがまた分離するという喩え。そうした分離を天才と呼び、あるいは精神と呼ぶ p387

 希望:p377下段
 
しかし、希望とは存在が己の精神の精密な予測に対して示す不信にほかなりません。希望は、存在に都合の悪い結論はすべて精神の誤謬であるはずだと示唆します。
 平和:p381上段
 
平和とはそもそも何か?平和とは、おそらく、人間相互の間に存在する本然の敵対状態が、戦争がそうするように破壊によって表されるのではなく、創造行為によって顕在化される事態のことであろう。創造的競争の時代、生産競争の時代である。
                           

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書名 寺田寅彦随筆集 第二巻 著者 寺田寅彦 No
2003-12
発行所 岩波文庫 発行年 1947年 読了年月日 2003−04−13 記入年月日 2003−04−14

 
大正の末期から昭和の初期に発表されたものが主体。科学者の目から世相を斬るという趣旨のもの、あるいは科学論といったものが多い。いずれも達意の文章で、75年後の今読んでも新鮮な感じをあたえ、日本語としての違和感がない。

 最初の作品「蓄音機」。中学に持ち込まれ、生徒一同の前に置かれた蓄音機に向かって、髭をはやした謹厳実直な文学士がまず声を吹き込み、蝋管に記録させるのだが、その文学士が発した一声が「ターカイヤーマーカーラア」という文句だったというものだ。忠臣愛国仁義礼智といった徳目からはまったく関係のない「高い山から谷底見れば、うりやなすびの花盛り」という私も知っている俗謡だ。著者は30数年後もその時の記憶を鮮明に残しているという。そして、その時の体験が漠然とあった科学へ愛着に大きな衝動をあたえたという。教育とは単に知識の詰め込みではないと著者は言う。

「一つの思考実験」は、ラジオのない時代の新聞批判。新聞の取り上げる記事が価値の低いものが多すぎるので、いっそ止めてしまったらという。新聞もそうだが、特にテレビの現状を考えれば、この批判は現代でも通用する。

「ルクレチウスと科学」は本書の中では最長編の作品。ローマ時代の詩人の著作の英語版を読んだ著者の感想。詩として表現されたレクレチウスの思想の中に、現代科学の本質に通じるものが数々あるという。著者は当時勃興しつつあった量子論にも言及している。

 この他にも「相対性原理側面観」という作品もあり、相対性原理の解説となっている。その中で(75p):
私は科学の進歩に究極があり、学説に絶対唯一のものが有限な将来に設定されようとは信じ得ないものの一人である。と述べ以下に科学論を展開している。ゲーデルの不完全性定理を意識してのことだろうか。また「備忘録」の中ではひまわり、線香花火、金平糖など身の回りのものを取り上げ、科学論を展開する。(135p以下)。金平糖のあの突起の生成する由来の説明は宇宙での銀河の形成論理につながるのではないかと思った。

 あるいは労働争議の際に初めて登場した煙突男のことを取り上げ、その独創性を評価している。それから日本人の独創性についての論議を展開する。(291p以下)

 日本語として当時と現在での意味が違うのが一つあった。「不倫」という言葉だ。今では結婚している相手との恋愛をいうが、当時はもっと広い意味であった。男女の間のことは言わなかったのではないかと思わせる。173pにはその一例で:
また自分が本分を忘れて、他人の門戸をうかがうような不倫をあえてするに至った・・・。これは比較言語学への統計的手法の導入を提案した作品の中の一文で、著者が専門外の分野に意見を述べることを「不倫」といっている。ついでに著者は言語についても関心が深く、楽器の名称の比較などもしている。ただ、単に発音の類似といった面のみが取り上げられていて、こじつけのように思われる。
                           

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書名 言語の脳科学 著者 酒井 邦嘉 No
2003-13
発行所 中公新書 発行年 2002年7月 読了年月日 2003−04−19 記入年月日 2003−04−19

 
人間を人間たらしめている言語能力の普遍性、というチョムスキーの主張に最初に触れたのは、もう20年以上前だろう。その時感じたことは、それでは普遍的な言語能力は、脳のどのような部位にどのようにして書き込まれていて、どのようにその力を発揮するのだろうかという疑問だった。チョムスキーの主張の物質的根拠はいつ明らかにされるのだろうかという疑問だった。

 本書はチョムスキーの生成文法の熱心な支持者の書いたもの。人間の言語能力は、遺伝的に脳に備わっていて、それを脳科学的に明らかにすることが、今世紀の最大の問題の一つであるという。著者は物理学を専攻した後、言語の脳科学に取り組む。著者の仕事の一端が紹介されているが、それはfMRIを用いて、言語を司る脳の分野を特定したもの。

 そうした研究、あるいは従来からの失語症の研究から脳の言語分野は特定の分野に特定されている。それはウェルニッケ野、ブローカ野といったところだ。脳は刺激に対する活動部位の血流が増加する。血液中の脱酸素ヘモグロビンはfMRIの信号を乱すが、酸素結合ヘモグロビンはそうではない。それで、脳の動脈血の増加による酸素結合ヘモグロビンの増加はMRI信号を増加させるというのが原理で、1ミリ程度の空間分解能がある。

 言語分野の特定は出来ても、それから先はまったく闇である。文法の生成がどのようなニューロン活動と結びついているのか、それを明らかにする方法論さえ見つからないと言うのが現状であろう。20年以上前の私の疑問への回答にはほど遠い。それほど脳の研究は難しい。以前読んだ雑誌「科学」の特集記事でも感じたが、要するに何もわかっていないのだという感想が残る。神経回路のモデル、ニューラルネットを作るというのは、一つの有力な手法であろう。「科学」の特集では、ニューラルネット側からアプローチしている人々は、脳内の特定の言語領域という考えに反対であった。本書の結論からはその考えは否定されている。

 言語と脳科学のたくさんのことが浅く書かれている。詳しい索引があるから便利ではある。毎日出版文化賞受賞。

p95に直前に読んだ寺田寅彦の言語学への統計的手法の提案について触れ、単語の類似性のみではなく、文法の類似性も統計的に検討すべきであるという寅彦の示唆を評価している。それは結局チョムスキーによって行われ、普遍文法という概念に行き着いた。同じページに、言語の起源について「コミュニケーションのために適応してきた」という考えを否定し、あらゆる言語起源説は科学的でないと一蹴している。言語は必要により発生したのではないというのがチョムスキー一派の考えである。チョムスキー一派の最大の、そして唯一とも言えるよりどころは、子供が文法の知識もないのに、正しい文法を使い、決して間違った語順の発話をしないことだ。こうした子供の言語習得過程の不思議はすでにギリシャの昔から注目されていて、プラトンの問題と言われる。チョムスキーは生得的な脳の機能という概念でこの問題への回答を出したのだ。

 先日地図を買いに青葉台のブックファーストに行ったとき、目について購入した。最近ではアマゾンでネット経由で購入することが多いが、たまには本屋の店頭を見るのもいい。

                           

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書名 イラクとアメリカ 著者 酒井 啓子 No
2003-14
発行所 岩波新書 発行年 2002年8月 読了年月日 2003−04−28 記入年月日 2003−04−30

 
極めて適宜な解説書。イラクの現代史が、フセインの生い立ちと権力奪取から、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、軍備拡大と大量破壊兵器開発、それに対する国連査察およびイラクへの経済制裁をめぐる駆け引きまで、イラクに肩入れすることもなく、公平に書かれている。イラクのクエート侵攻も、もともとは同じ国に第1次大戦後イギリスにより人為的に引かれた国境線であることを考えれば、一方的にイラクの非を責めるわけにはいかない。

 本書を読むと、アメリカの今回のイラク攻撃が如何にご都合主義的なものであったかがわかる。最初アメリカはイランによるイスラム原理主義の輸出を警戒し、イラクを支援した。そして、化学兵器の原料となるものも供給した。イラン・イラク戦争が終結し、イランからのイスラム革命の輸出の脅威がなくなると、残ったのは、欧米の支援を得た軍事大国としてのイラクの脅威であった。一方フセインはイランとの戦争で疲弊したイラク国民の不平を逸らすために、クエートに侵攻し、アラブ世界の脅威となる。そこにいたって、アメリカもフセイン政権への対応を改める。
 
 イラクというより、中東の産油国は著者の表現を借りれば「レンティア国家(金利生活国家)」つまり、地下資源のあがりで食っていく国である。その石油収入を国家が一手に握り、それを如何に国民に分配するかが国のあり方の基本をなしてる。フセイン政権とてもその例外ではなく、石油から得られる富の分配を一手に握っている。GDPに占める国家部門の割合が80%を越えたこともある。国民はフセインのバアス党に反抗することは出来ない。それは富の分配に預かれないことを意味する。そうしたことを背景に、フセインは恐怖政治を施行する。そして、国内の反体制勢力であるクルド人に化学兵器を使用し、多数の市民を殺す。ところが、この時にも、アメリカは具体的な対イラク制裁に踏み切らなかった。

 国際政治の力関係、思惑の中で、フセインはソ連やフランス、アメリカ、イギリスなどをその時々に利用しながら、生き抜いてきた。それは、欧米に翻弄される中東の現実でもある。そして、フセインの生死は未だに不明である。アメリカのイラク攻撃の大義であった大量破壊兵器も、未だに発見されていない。今ではあの戦争の大義について問題にすることも少なくなっている。

 著者は、チョムスキーらによるアメリカの対イラク制裁反対の動きも紹介している。しかし、彼らの運動がフセイン政権に結果として利用されているとも述べ、批判的である。

 83pには、イラン・イラク戦争中に、フセインが好んで行ったのは、自分を12世紀のアラブの英雄「サラディン」とダブらせることだったとある。サラディンはフセインと同じティクリート出身であり、エルサレム解放というアラブの大義を成し遂げた英雄であるのがその理由だ。

 サラディンと十字軍の獅子王リチャードの会談場面については、子供の頃の読み物で読んだことがある。イスラム文化の洗練を示す以下のような物語として憶えている:

 砂漠のテントで十字軍の総大将獅子王リチャードと回教軍の総帥サラディンが会見する。和平が成立した後のことだ。互いに自分の強さを示すこととなった。まずリチャードがかなり太い鉄の棒を持ってこさせ、台に置くと、腰の頑丈そうな斧を取り出し、力一杯に振り下ろした。斧は鉄棒にめり込み見事に二つに分けてしまった。テント内に強力をたたえるどよめきが起こる。
 黙ってそれを見届けたサラディンは、腰の細剣を抜くと、目の高さに水平に構え、その上に自分の顔を覆う絹のベールを幾重にも折り畳んで乗せた。人々が見守る中、サラディンがそのしなやかな剣を横にサット引くと、ベールはいくつもの破片となって舞落ちた。

                           

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書名 デモクラシーの帝国 著者 藤原 帰一 No
2003-15
発行所 岩波新書 発行年 2002年9月 読了年月日 2003−05−07 記入年月日 2003−05−10

 
アメリカ一極支配の世界の現状を考察する上で、これは前書よりももっと時節にかなった本。これ以上のものはないのではないかと思わせる好著である。

 アメリカ現代外交史を語っているが、それはアメリカ自体を語ることである。著者は「地獄の黙示録」「インデペンデンスデイ」「スターウオーズ」などの著名なハリウッド映画をいくつも引用しながら、その中にアメリカ人の考え方の本質を読み取り、解説してみせる。専門は国際関係論ではあるが、アメリカの文化にも極めて造詣が深い。アメリカでの生活も長いようだ。

 デモクラシーと帝国という相容れないと思われる2つの概念をあえて結びつけ、アメリカの現状を「帝国」であると規定する。最初強引な規定だと思ったが、読み進めるうちに今やアメリカは帝国であると納得する。つまり帝国の条件として以下の4つをあげ、今のアメリカは満たしているというのだ。ぬきんでた軍事力、多民族を支配する国家、海外の植民地、世界経済における支配力。海外植民地の保有という点で引っかかるが、それも今の世界の各国の政治におよぼすアメリカの影響力、支配力を考えれば植民地は持たなくても実質的にはそれに等しいとする。

 p26以下に以下のような記述がある。これは善意に解釈した場合の今回のイラク攻撃の基本的な背景でありアメリカという国家の基本的性格の表現である。

 
しかし逆にいえば、「アメリカ国民」という観念は、特定の民族性や言語・宗教などによって支えることもできない。単なる民族の牢獄ではない多文化の共存を保持する制度を作ったからこそ、その多様性の統合を支えるためにも、普遍的な理念を絶えず確かめ、政治社会の統合を支えなければならない。正義やイデオロギーに訴えることなしには、政策の正当化が得られないだけでなく、社会統合も脅かされてしまう。民族という基盤に頼れない事情が、普遍主義への依存と政治のイデオロギー化を招くのである。
 さて、ナショナリズムには境界があり、何らかの民族集団を主体とすることはいうまでもない。だが、自由な市民という原則から政府をつくるときは、どのように境界を定めることができるだろうか。自由主義によって政治社会を定義すれば、その社会の外延や境界は、その原理が普遍主義的なだけに、直接決めることはできない。どこで自由が終わり、どこで市民が終わるのか、市民の杜会というだけでは国境は定まらないのである。
 国際政治における権力の主体とは、なによりも個別の政府であり、その政府が「国民」を代表しているという擬制に頼っている。しかし、デモクラシーという観念からは、「国民」によって世界を分断し、国民ごとに政府をつくるという世界は見えてこない。合衆国憲法が「われわれ人民」で始まり、ゲティスバーグ演説が「人民の人民による人民のための統治」を唱えたように、アメリカのデモクラシーの主体は、「人民」であり、「われわれ」である。
 もちろんその「人民」とは、実際にはアメリカ「国民」を指している。しかし、その「人民」は、「民族」のような共同性を前提としてはいないために、限りなく個人に分解することもでき、また「国民」としての外延が明確ではないことから、とめどもなく主体を広げることもできるだろう。合衆国政府の支配地域に住む人々に限られるのか、それとも世界の人々に広がるのか、この理念だけでは「人民」の境界が見えないのである。
 それでは、アメリカはどこで始まり、どこで終わるのか。より正確にいえば、どこで「アメリカ」が終わり、どこから「アメリカではない世界」が始まるのだろうか。この微妙な問題を考えるために、テレビ番組『スタートレック』を取り上げてみよう。


 この本が出てから半年後、ブッシュ政権はイラク侵略に踏み切った。著者はそれを見越して本書を書いたと思われるほど、分析と考察があたっている。著者は社会や文化の多様性を認める。しかし、だからといって専制政治までも認めてはいない。

 帝国に向かうアメリカの単独主義は決してアメリカ自身のためにもならないと著者は言う。アメリカを単独主義から、国際主義、国際協調に引き戻す努力が我々に求められていると著者は結んでいる。しかしその努力は実を結ばなかった。

 雑誌「世界」に昨年連載されたものを中心にまとめたもの。20歳前後に少し読んだきりでまったく縁のなかった「世界」ではあるが、こんな素晴らしい論文が載るのだ。著者は東大教授。

 142pに、「ばかだな、経済に決まっているじゃないか」と言うスローガンを掲げて、クリントンが選挙に勝ったと言う記述がある。「Its economy, stupid!」と言うのはスローガンだったのか?私は選挙運動中にクリントンが側近をしかりつけた際の言葉だと思っていたが。

                           

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書名 日本の分水嶺 著者 堀 公俊 No
2003-16
発行所 山と渓谷社 発行年 2000年9月 読了年月日 2003−05−20 記入年月日 2003−05−23

 
4月のエッセイ教室のテーマは水であった。それで「分水嶺」と言う作品を書いた。その際、「分水嶺」でネット検索を行い、本書の存在を知り、アマゾン経由で買った。

 北海道から九州、四国までの大分水嶺といくつかの枝分かれ分水嶺について、128箇所を取り上げ、景観や歴史、文学などを述べている。私はかつて、本州の大分水嶺を地図で辿ったことがある。その時は地図上で大体を辿ったので大分水嶺が通る具体的な地名は関心がなかった。本書にはその地名が記載されているので大変参考になった。エッセイを書くにあたって、碓氷峠、野麦峠、三国トンネルという地名は本書を利用させてもらった。いずれも大分水嶺を横切る著名な地点だ。

 地図上で分水嶺を辿るのはそう簡単ではない。一番いい方法は川がどちらに流れているかを見ることだ。この方法でもわからなかったのが猪苗代湖周辺だった。安積疎水というのがあって、それを考えると猪苗代湖の水がどちらへ行っているのか解らなかったのだ。本書によれば、猪苗代湖の水は太平洋と日本海両方に流れるとあった。とすれば、本州を分断する連続した一本の線という言い方は正確ではない。大分水嶺は分断されているのだ。

 色々面白い。例えば千歳新空港の滑走路辺りが太平洋と日本海の分水嶺になっているという。標高わずか20メートルほどの日本最低の分水嶺だ。しかし平坦なところだから正確な分水界がどの地点であるかは、大雨に降る日に滑走路にでも立って雨の流れる方向を見定めるでもしなければ見極められないと言う。

 津軽海峡を日本海ととるか太平洋ととるかは意見が分かれるようだ。本書は太平洋ととって、本州の大分水嶺の北端を津軽半島側にとっている。

 九州の分水嶺では、平尾台から仲哀峠を経て英彦山に至るラインが分水嶺なのだ。私は英彦山に登ったときも、平尾台に登ったときもそのことを意識しなかった。もっと前に本書を読んでいればと悔やまれた。英彦山川と金部川の源流まで遡ってみたいという考えはあったが、実現しなかった。これらの川の源流が九州の分水嶺を形成しているのだ。

                            

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書名 寺田寅彦随筆集 第3集
著者 寺田寅彦、 小宮豊隆 編 No
2003-17
発行所 岩波文庫 発行年 2000年11月 読了年月日 2003−06−18 記入年月日 2003−06−18

 
昭和6年から7年にかけて発表された作品が主体。特に目をひくのはかなり長文で、1編にとどまらない俳諧と映画に関する専門的な考察。

 俳諧については、日本が世界に誇れる文芸であるとし、特に連句について詳しく分析解説している。連句と音楽の対比(p50)や、連句を映画のモンタージュ手法と類似したものであると論じたりしている(p162)。寅彦は芭蕉を絶賛する。私は本書を読んで、幸田露伴の「猿蓑」解説と、尾形の本を買ったほどだ。

 映画についても詳しい。エイゼンシュテインのモンタージュ手法に俳諧的なものとの共通性を見いだし、ルネ・クレールの「パリの屋根の下」や「自由をわれらに」を絶賛する。そして、当時のチャンバラ主体の邦画を嘆く。
 驚くほどの造詣の深さである。その他にも物理学者らしい作品もたくさんあり、読み応えたっぷりであった。

 p244:
昭和7年の東京市民は米露の爆撃機に襲われたときにいかなる処置をとるべきかを真剣に研究しなければならないことになってしまった。
 昭和7年といえば日本の置かれた立場はもうそんな状態だったのだ。

 p249:
われわれが存在の光栄を有する二十世紀の前半は、事によると、あらゆる時代のうちで人間がいちばん思い上がってわれわれの主人であり父母であるところの天然というものをばかにしているつもりで、ほんとうは最も多く天然にばかにされている時代かもしれないと思われる。

 p270:
そうして枯れ枝から古池へと自然のふところに物の本情をもとめた結果、不易なる真の正体は潜在的なるものであってこれを表現すべき唯一のものは流行する象徴による暗示の芸術であるということを悟ったかのように見える。かくして得られた人間世界の本体はあわれであると同時に滑稽であった。この哀れとおかしみとはもはや物象に対する自我の主観的の感情ではなくて、認識された物の本情の風姿であり容貌である。換言すれば事物に投影された潜在的国民思想の映像である。(中略)このようにして和歌の優美幽玄も俳諧の滑稽諧謔も一つの真実の中に合流してそこに始めて俳諧の真義が明らかにされたのではないかと思われる。
 芭蕉による俳諧の確立をこのように述べている。
 
                           

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書名 芭蕉・蕪村 著者 尾形 仂 No
2003-18
発行所 岩波現代文庫 発行年 2000年4月 読了年月日 2003−06−22 記入年月日 2003−06−23

 
寺田寅彦に触発されて、幸田露伴の評釈「猿蓑」を探しにブックファーストに行った際に見つけて買った。バルト海クルーズに携行し、芭蕉の部分はその際に読んだ。

 決して通俗的な芭蕉と蕪村の俳諧の解説ではない。国文学の研究書である。文学あるいは歴史の研究がどのようにして行われるかを知ることが出来る点でも興味があった。意外だったのは芭蕉や蕪村についての新資料が戦後もいくつも出てきていること。そういえば数年前に芭蕉自筆の作品が出てきたと新聞に報道された。そうした資料の発掘から始めて、著者は資料の考察の上に立って、芭蕉と蕪村の作品の発想を促したその時代的背景、その知的環境を綿密に探り、印象による解釈や鑑賞とは違った意味づけ、鑑賞を多数提出する。

 芭蕉と蕪村の扱い方は紙数の上でも、注ぐ敬愛の情においてもまったく等分である。著者の博識ぶりには舌を巻く。万葉、古今、新古今、色々な俳諧は言うにおよばず、漢詩までを縦横に引用し、それらの中の歌やあるいは文言が、芭蕉と蕪村の作品の背後にあると指摘する。
 芭蕉が晩年「かるみ」の境地を見いだしたの対し、蕪村の晩年の作品は「磊落」であるという。同じ「しぐれ」を読んでも、蕪村の句にはわび・さびではなく、老いの艶、老いの「生理」の臭いを感じるという。それは、芭蕉が経験することのなかった老齢を65才まで生きた蕪村ならではのことという。

 芭蕉も蕪村も一つの句を作るのに、幾段もの推敲を重ねて、数々の作品候補を作っていることがわかる。
 芭蕉が渥美半島の伊良湖岬に足をのばしていることを知ってうれしかった。

奥の細道』p77
 つまり、『おくのほそ道』という作品は、「行く春」「行く秋」をつなぐ線を底辺とし、「平泉」の章を頂点とする三角形の構成を通して、流転の相に身をゆだねることによって永遠なるものにつながろうとする、俳人としての芭蕉の到達した人生観・芸術観を総合する"不易流行"の理念を大きく語りかけていると見ることができるであろう。

「奥の細道」が書かれたのは旅の4年後であると推定し、さらにその頃の政治社会情勢と、それに伴う当時の俳諧のあり方等を考察した上で、著者は上のように述べている。頂点に位置する「夏草や」の句は現地で作られたものではなく、その後作られたもので、「奥の細道」がいかに綿密の構成されたかを示す。

 蕪村を「籠居(カザニエ)の詩人」というとのこと。 
                                                   

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書名 寺田寅彦随筆集 第4集 著者 寺田寅彦、 小宮豊隆 編 No
2003-19
発行所 岩波文庫 発行年 1948年 読了年月日 2003−07−20 記入年月日 2003−07−21

 
一段と興味ある内容で、読みやすい。昭和8年から9年にかけて中央公論等に発表したもの。科学者として、文学者として、常識人として共感を覚えるところが多い。

パリの町並み 62p
 銀座の町並みはでこぼこでニューヨークに似ていおり、凸凹には「
『近代的感覚』があってパリの大通りのような単調な眠さがない」
 これは私とはまったく逆の見方、感じ方である。先月行ったパリはやはり世界でもっとも美しい町並みだと再認識したばかりである。

震災 66p
 銀座アルプスの頂上毎に「ちょっと待て、大地震の用意はいいか」という銘板を掲げたらどうかと提唱。
コーヒー、ペテルブルグ
 各国のコーヒー文化について述べ、ロシア人の発音する「コーフィ」が日本流の発音によく似ているとしている。そして、昔のペテルブルグの一流のカフェで出された菓子は贅沢でうまいものであり、こうした点にこの国の社会層の深さが知れようと述べている。
 ペテルブルグはやはり先月訪問したが、寅彦とまったく同じ感想を持った。私はカフェの菓子ではなく、町並みの美しさ、そして何よりエルミタージュのすごさにそう感じたのだが。

涼しさ 150p
 日本の俳句や歌に表れた「涼しさ」は日本独特のもので、「
涼しさとは暑さと冷たさとが適当なる時間的空間的周期をもって交代する時に生ずる感覚である」という著者特有の定義を示し、それは日本の気象的、地理的条件が必然的にもたらすとしている。この他「おぼろ」「薫風」「花の雨」「初あらし」「秋雨」「村しぐれ」などという気象上の言葉もそれに類し、翻訳不能だろうという。

ヒトラー批判 133p
 
風鈴の涼しさは風まかせに鳴ることによるのであり、機械仕掛けでメトロノームのように鳴ったのでは涼しくも何でもなく、またがむしゃらに打ち振るなら号外屋の鈴か、ヒトラーの独裁政治のようなものになる、といっている。このころ日本はまだドイツと手を結んでいなかったのだろうか。
匂いと記憶 161p以下
 いわゆる「マドレーヌ効果」についての体験を述べている。

歴史 183p
 
史実というものは文学を離れては存在することが困難なように思われる。単なる年代表のようなものはとにかく、いわゆる史実が歴史家の手によって一応合理的な連鎖として記録される場合は結局その歴史家の「創作」と見るほかはない。「日本歴史」というものはどこにも存在しなくて、何某の「日本歴史」というものだけが存在するのである。ところが必要な鎖の輪が欠けているために実際は関係のよくわからぬ事件が、史家の推定や臆測で結びつけられる場合が多いであろう。それでいわゆる歴史と称するものは、ほんとうの意味での記録としてずいぶんたより少ないものと考えられるのである。事がらがごく最近に起こった場合でもその事がらの真相が伝えられることは存外むつかしいものである。
 一つの見方としてもっともである。歴史教科書をめぐる少し前の論議を先取りしたような見解であろう。

エッセイ論 194p前後
 
こういう見方を進めて行くと、結局、いわゆる創作とは、つじつまを合わせるために多少の欺瞞を許容したこしらえものの事であり、随筆とは筆者の真実、少なくも主観的真実を記録したものであるというふうにも見られる。こういうふうに見ると、すでに前条に述べたような「人生の記録と予言」という意味での芸術としての文学の真諦に触れるものは、むしろ前者よりも後者のほうに多いということになりはしないかと思われる。そうして後者のほうは、同時にまた科学に接近する、というよりもむしろ、科学の目ざすと同一の目的に向かって他の道路をたどるもののようにも見えるのである。

生命について 213p
 
こうして秋草の世界をちょっとのぞくだけでも、このわれわれの身辺の世界は、退屈するにはあまりに多くの驚異すべく歓喜すべき生命の現象を蔵しているようである。今でも浅間の火口ヘ身を投げる人は絶えないそうである。そういう人たちが、もし途上の一輪の草花を採って子細にその花冠の中に隠された生命の驚異を玩味するだけの心の余裕があったら、おそらく彼らはその場から踵を返して再び人の世に帰って来るのではないかという気もするのである。

盆踊り 213p
ここにもまた盆踊りについて触れている。

書く理由 270p
 
国展の会場ざっとひと回りして帰りに、もう一ぺんこの「秋庭」の絵の前に立って「若き日の追憶」に暇請いをした。会場を出るとさわやかな初夏の風が上野の森の若葉を渡って今さらのように生きていることの喜びをしみじみと人の胸に吹き込むように思われた。去年の若葉がことしの若葉によみがえるように一人の人間の過去はその人の追憶の中にはいつまでも昔のままによみがえって来るのである。しかし白分が死ねば自分の過去も死ぬと同時に全世界の若業紅葉も、もう自分には帰って来ない。それでもまだしばらくの間は生き残った肉親の人々の追憶の中にかすかな残像のようになって明滅するかもしれない。死んだ自分を人の心の追憶の中によみがえらせたいという欲望がなくなれば世界中の芸術は半分以上なくなるかもしれない。自分にしても恥さらしの随筆などは書かないかもしれない。

ナンジャモンジャの木 271p
 教科書で読んだあるいは紹介されていた随筆にやっと巡り会えた。わずか半ページのボリュームだ。

                           

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書名 寺田寅彦随筆集 第5集 著者 寺田寅彦、 小宮豊隆 編 No
2003-20
発行所 発行年 読了年月日 2003−08−12 記入年月日 2003−08−13

 
本編で完了。優れたエッセイ集である。昭和10年に発表した作品が主体。寅彦の最晩年なのだろう。円熟の境地というか、とにかく読みやすく、共感を覚える部分が多い。そして作品の分量が多く、多分野に渡っていることにも感心する。特に俳諧と映画への造詣は素人ではない。自然や人事に対する細やかな観察がエッセイの基本にある。

「自由画稿」には以下のように随筆を書くことの意義を述べている。p93:
・・・現代の読者にはあまりに平凡な尋常茶飯事でも、半世紀後の好事家には意外な掘り出し物の種を蔵しているかもしれない。中略  これが私の平生こうした断片的随筆を書く場合のおもなる動機であり申し訳である。

 70年後の今読んでいて、意外な掘り出し物に出会うことが多い。

5p「地図をながめて」: 一枚の5万分の1の地形図に詰まった情報は、言葉で表したら膨大のものになるという。寅彦も地図が好きだったようだ。
56p「天災と国防」:
 政治家が利益誘導のためにやたらと造った建物が地震や、台風で真っ先にやられたという。70年後、そうした政治家の態度は少しは変わりつつあるか。愛国心のあり方についても、軍人の勇ましいエピソードを強調するだけではなく、別の発露の方法があるという。

観察の細かさ例えば73p以下の花水木とヤマボウシ、「あひると猿」、78pには猿がたばこを食べる話が出ている。

103p:キャサリーン・ヘップバーン 昭和10年頃にもう世界的な女優だったのだ。
106p:干支の話しに西郷が出てきてびっくり。寅彦も干支の効用を説いている。「
この前の乙亥(きのとい)は明治八年であるが、もしどこかに、乙亥 の年に 西郷隆盛が何かしたという史実の記録があれば、それは確実に明治八年の出来事であって、昭和十年でもなくまた文化十二年でもないことが明白である」という。
 私が「年号・西暦・干支」で西郷を持ち出したのは、その時か少し前にNHKの大河ドラマで幕末ものをやっていて、それが印象深かったからだ。しかし、寅彦のこのエッセイと読み比べた読者は、私が西郷を持ち出したのは寅彦を意識してのことだと思うだろう。それはさておき、不思議な縁だ。(「それはさておき」というのは寅彦がよく用いる言葉だ。下重さんに言わせれば、書かない方がいいという類の文句だ)。

169p:「耳立つ」という言葉が使われている。この言葉は他でも1箇所使われていた。「目立つ」と同じ趣旨で、耳に際立った音のことである。
227p:雨の名称で「春雨」「五月雨」「しぐれ」などは、外国語にはない言葉であるという。この話は、鈴木孝夫の日本語に関する本で読んだことがあるし、その他でも日本人の感性を表す表現として、よく引き合いに出される話だ。寅彦が初めて指摘したものなのかどうかは不明だが、少なくとも、すでに昭和10年には言われていたことなのだ。

237p:科学と風土について
 
人間の力で自然を克服せんとする努力が西洋における科学の発達を促した。何ゆえに東洋の文化国日本にどうしてそれと同じような科学が同じ歩調で進歩しなかったかという問題はなかなか複雑な問題であるが、その差別の原因をなす多様な因子の中の少なくも一つとしては、上記のごとき日本の自然の特異性が関与しているのではないかと想像される。すなわち日本ではまず第一に自然の慈母の慈愛が深くてその慈愛に対する欲求が満たされやすいために住民は安んじてそのふところに抱かれることができる、という一方ではまた、厳父の厳罰のきびしさ恐ろしさが身にしみて、その禁制にそむき逆らうことの不利をよく心得ている。その結果として、自然の充分な恩恵を甘受すると同時に自然に対する反逆を断念し、自然に順応するための経験的知識を集収し蓄積することをつとめて来た。この民族的な知恵もたしかに一種のワイスハイトであり学問である。しかし、分析的な科学とは類型を異にした学問である。
 たとえば、昔の日本人が集落を作り架構を施すにはまず地を相することを知っていた。西欧科学を輸入した現代日本人は西洋と日本とで自然の環境に著しい相違のあることを無視し、従って伝来の相地の学を蔑視して建てるべからざる所に人工を建設した。そうして克服し得たつもりの自然の厳父のふるった鞭のひと打ちで、その建設物が実にいくじもなく壊滅する、それを眼前に見ながら自己の錯誤を悟らないでいる、といったような場合が近ごろ頻繁に起こるように思われる。

 これは「日本人の自然観」の中の一節である。このエッセイ全体は和辻哲郎の「風土」を連想させる内容である。著者は「風土」から影響を受けたと後書きに書いている。

2003−12−30
 今日、十日市場整形で「週刊文春」を見ていたら、写真入りで今年亡くなった有名人がリストアップされたいが、その中にキャサリン・ヘプバーンがあった。享年96才である。

                           

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書名 ヤクザの文化人類学 ウラから見た日本 著者 ヤコブ・ラズ  高井宏子 訳 No
2003-21
発行所 岩波現代文庫 発行年 2002年7月 読了年月日 2003−08−31 記入年月日 2003−08−31

 
ユダヤ人学者によるヤクザ世界のフィールドワークを基にした日本文化論。本書の魅力は、外国人という特長を生かして、親分や組員と酒を酌み交わし、家庭に招かれ、祭りの屋台の店先でテキ屋の手伝いをするほどヤクザの世界に入り込んだ5年間の経験から得られた、ヤクザの世界、彼らの生態、考え方、テキ屋の日常、あるいは歴史などの生き生きとした記述である。

 ヤクザの世界は決してカタギの世界と対立するものではなく、それは日本文化、日本人の本質に深く結びついたものだという。あとがきで著者は言う:
ヤクザは社会の闇の側、ヤクザ自身の表現によれば本音の側を引き受ける他者的自我を表象する者である。したがって日本社会やその法の強制者たる警察はヤクザの撲滅・絶滅を完遂することはありえない。(362p)
 政界、芸能界、実業界とヤクザの結びつき、あるいは映画やドラマにみられるヤクザ世界にロマンを求める心情を考えると、この主張には同意せざるを得ない。

 本書から
53〜54p 「
ヤクザは日本人の中心的自我の一つの変形である」ということ、ヤクザというレッテル貼りは恣意的であることなど、著者の基本的考え方が述べられている。
86p:
他者とはわれわれの心を構成するものの一つであり、われわれの自己を補うもの、あるいは、自己の隠れた部分の現実化であるはずだ。
166p 「
二相安定システム」としての人間。2つの極を反転するものとしての人間という考え方。

171p:
アイデンティティとは単一の安定した一貫性のある性質から成るものではなく、対立しあう性質から成るということである。
194:
ヤクザは心の一つの状態であり、一つの役割である。ということは潜在的にはどんな日本人の人格の一部にもなりうる。一つの役割として、ヤクザはこのような潜在的な役割を実現したのである。この役割は、一連の様式、規範、色、ポーズ、装置などを通して、つまり簡単にそれとわかる決まった特定の記号の組合わせを通して実現される。

262p 祭りについて。客が観客であると同時に役者でもある祭りを、本当に演出しているのは神社やお寺の関係者に加えて、行商人である。
268p 香具師の起源あるいは語源について記されている。戦国時代の忍者、占い師、浪人に結びつけられてもいる。香具師、野士、野子、矢師、八師などの字が当てられるという。

 7月に夜中に十日市場駅からの帰途、3人組の暴漢にいきなり後ろから襲われたが、この本を読んで、あれはテキ屋のショバ争いに絡む怨恨だったという推定が動かぬものとなった。ちょうど夏祭りあるいは、花火大会の最盛期の日曜日で、電車の中で若い女の浴衣姿を多く見かけた日だった。各地で出された出店のショバ割をめぐって、不満があった3人のテキ屋が、恩師の通夜帰りで黒服を着た私を組員と間違えたのだ。テキ屋にとってショバが命であることは本書に詳しい。
                           


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書名 地球持続の技術 著者 小宮山弘 No
2003-22
発行所 岩波新書 発行年 99年12月 読了年月日 2003−09−18 記入年月日 2003−09−19

 
高校のクラスメート関君の通夜の帰り同期生の京極さんが薦めた本。東電で原発建設にかかわってきた関口さんも来ていて、ちょうど夏の電力危機が話題になり、その際、京極がこの本を読むといいと勧めた。原発をめぐるいくつかの不正報告、虚偽報告などで、東電の原発がいくつか操業中止になったため、夏の電力消費ピーク時に停電の危機があると言われた。冷夏のため、幸いにも停電はなかった。

 前半は色々な素過程におけるエネルギー消費について解説してある。例えば、輸送は本質的にはエネルギー消費はゼロである。分離にはエネルギーの消費を伴うと言ったことだ。そして低温の熱として捨てられたエネルギーは使うことができないと言う。これはエントロピー概念の基本の説明である。

 後半は2050年においていかにエネルギー消費と化石燃料や鉄鉱石などの資源の消費を抑えて、地球環境を持続させていくかの具体的な方策が提言されている。例えば製鉄所のエネルギー効率を何%アップし、鉄資源のリサイクルをどれだけ上げるかと言った具体的な数字を示し、発展途上国が現在の先進国並みの(米国はのぞく)エネルギー消費を行っても、資源の急速な枯渇を防ぎ、地球温暖化を防ぐことが可能であるとする。著者はその中で、50年時点では太陽光発電はエネルギー源としては大きなものとはならないとしている。それは21世紀後半の技術である。あるいはライフスタイルの急激な変化を強要することもしない。むしろ、日常生活と物つくりの場においてエネルギー効率を改善することで、それを実現することができると具体的な数字を挙げて示す。また、鉄やコンクリート、プラスチックなどの資源の回収による新規地下資源の消費を抑える方策について述べる。その意味で、未来技術にすべてを依存する夢物語としての提言ではない。

 壮大な提言である。社会生活の多方面に渡る提言であるので、実現には強力なリーダーシップが必要だろう。そのためにこれからは個々の技術に特化するのではなく、もっと広い観点から技術と社会との関わり合いを考えていく必要があると説く。そして、資源と環境を考えれば、手放しの市場経済には賛成できないとしている。

 先日如蘭会のトワイライトフォーラムで京極さんにあった時、本書の話をした。彼は名著で、数式を使わないでエントロピーの概念を説明しているところなど素晴らしいと言った。

                           

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書名 猿 蓑 著者 幸田露伴 評釈 No
2003-23
発行所 岩波文庫 発行年 2001年9刷 読了年月日 2003−09−28 記入年月日 2003−09−28

 
寺田寅彦の随筆集の中に連歌、連句への言及がしばしばある。日本独特の誇るべき文化として賞賛する。それで、本書を購入した。

 連句集だけでなく、前半は発句を集めたものが掲載されている。一つ一つの句に露伴の評釈がつく。これがまた、初めて見るような漢字が多用してあってきわめて読みづらい。それでも大意は通じる。

 面白いのは後半の連句部分。露伴の解説がなければ、句自体の意味、そして、それが前句とどう関係するのかはまずわからない。難しい漢字が出てくるし、今は使われない言い回しや、ものの名前、事象が出てくる。それ以上に、背景にある西行や、漢詩、あるいは万葉の歌のことを知らないと理解できない。それを露伴は該博な知識をもって解き明かす。猿蓑には旧来から多くの評釈があったようで、露伴はそれらの評釈に容赦ない批判を浴びせる。露伴の注釈は、一つ一つの句をあまりひねって考えるなというのが基本である。また、連句の善し悪しにも遠慮ない評価を下す。当然芭蕉の句はほとんどの場合高く評価される。それでも、拙句だという句もあった。去来の句に対しては特に厳しい。

 万葉から西行、漢詩、あるいは源氏や枕草子の歌や場面を踏まえた句を座に連なった全員が理解しあうというのはすごいことだ。いわゆる蕉門と言われる人々の教養の高さはとりもなおさず、元禄という時代の豊かさの反映であろう。

 連句における規則は何も知らない。ただ、前句のイメージを受け継ぎ、関連したものでなければならないことだけが私の連句の知識だ。評釈を読んでいると、前句にあまり付き過ぎてもいけないようだ。イメージからイメージへと展開していくその流れが軽快でなくてはならない。わずか17文字あるいは14文字だからこそ、わくイメージは多様で、どうにもとれるのだ。第3者から見れば、句と句はほんの皮1枚でつながっているように思える。それも、かなり強引な理屈をつけてつながりを作っている。だから、古来から多様な評釈がなされているのだ。注釈がなければ理解できない、あるいは意味が一様でないことが、桑原武夫に俳句をして「第二芸術」と言わしめた一因だ。

 露伴の評釈を頼りに読み進めると、猿蓑の連句の世界は面白い。しかし、これは高度に知的な営みであり、しかも、気心の知れた、同程度の知的レベルを持った人の集まりでなければ成立しないものだろう。その後、発句から独立した俳句に移っていき連句がすたれていったのは無理もないか。

 露伴の博識ぶりは、例えば「風呂」という言葉について、その来歴と意味について10ページ近くを費やしている所にも表れている(222p以下)。ちなみに風呂とは「むろ」のことで、今のように水の入った湯船をいうのではなく、囲いのある所、蒸し風呂を指したとのこと。

                           

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書名 赤と黒(上・下) 著者 スタンダール、小林正 訳 No
2003-24
発行所 新潮文庫 発行年 昭和33年初版 読了年月日 2003−10−26 記入年月日 2003−10−30

 
高校時代から読まなければならないと思っていた世界的名作。今は閉店した霧が丘の古本屋で見つけて買ってきて放ってあった。

 舞台は1830年前後、王政復古のフランスが舞台。スイスに近いヴェリエールという架空の町の製材所の息子、ジュリヤン・ソレルが、優れた学才を武器に上流貴族社会に食い込み、21才の若さで断頭台に立つまでの物語。

 読んでいて理解できないことがよく出てきた。一つは当時の社会情勢、あるいはナポレオン没落後の政治情勢への知識なしには、この小説は読めない。フランス革命についての大ざっぱな知識は高校の歴史で習い、フランスはその後自由と民主主義の道をまっしぐらに歩んできたとばかり思っていたが、そうではないのだ。ナポレオン没落の王政復古からの19世紀フランスの歴史は決してそんな単純なものではなかった。王党派と自由主義者の間の葛藤、貴族・聖職者と一般大衆の対立と言ったものは熾烈であった。主人公ジュリヤンはナポレオンの崇拝者であるが、当時の町を支配していた人達の前では絶対に口にすべき事ではなかった。ナポレオンのことを書いた本すらひた隠しに隠す。このことにまず驚く。今ではナポレオンはフランスの大英雄であるが、1830年頃の支配者層には唾棄すべき人物であったようだ。こうした理解がないと主人公の行動や、心理は理解できない。

 そうした当時の政治情勢とそれに伴う社会状況と風俗がきわめて要領よくまとめられ、この小説の意味、(階級対立という新しい面を描いた)が巻末に述べられている。イタリアの評論家の名を借りた解説であるが、実は作者自身が書いたものだ。これを読んで初めて理解できたといっていい。

 ジュリヤンは父や兄たちからは製材所の仕事もろくにできない厄介者扱いにされているが、ラテン語で聖書を暗記するといった才能を示す。その才能を買われてヴェリエールの町長のレーナル氏の家庭教師に見込まれ住み込む。そこで、レーナル夫人に恋し、ある晩夫人の部屋に忍び込んでしまう。敬虔なレーナル夫人はそのことを深く後悔し、ジュリヤンは職を失いパリの神学校に入る。そこでの才能を認められてさらにラ・モール侯爵の家の住み込みの秘書としての職を得る。パリの有力者である侯爵のサロンには上流貴族階級に属する人々が毎晩のように集まる。彼らは日々の生活に倦み、自尊心と虚栄の世界に生きている。ジュリヤンはそうした上流階級に強い反発を感じながらも、彼らの世界に入っていく。侯爵には娘のマルチドがいる。まれに見る美貌の持ち主であるが、傲慢で自尊心の塊の様な女だ。若い伯爵と結婚すると周囲から見られている。しかし、マルチドは、ジュリヤンに並はずれた才能、とりわけ取り巻きの若い貴族にはない真の情熱を見いだし、心をひかれる。ジュリヤンも彼女にひかれていく。しかし自尊心の強い二人の間の恋は、一筋にはいかない。愛しいと思ったすぐ後では烈しい憎しみと軽蔑を抱く。そして、ここでもジュリヤンはかつてレーナル夫人の部屋に忍び込んだときと同じように、梯子をかけてマルチドの部屋に忍び込む。しかしその後でも、二人の気持ちは愛と憎しみの間を揺れる。そして、ジュリヤンは他の女との恋を装い、マルチドの気を引き留めることに成功する。やがてマルチドは妊娠する。

 ラ・モール家にレーナル夫人からジュリヤンと自分との不倫を告白し、ジュリヤンを誹謗する手紙が届く。これは夫人がジュリヤンの敵の聖職者に書かされたものであるが、そうと知らないジュリヤンは夫人に復讐するために、ピストルで撃つ。幸い急所を外れ、夫人は助かるが、ジュリヤンは裁判にかけられ、死刑の判決を受ける。マルチドとレーナル夫人は懸命にジュリヤンの助命に奔走するが、彼はそうしたものを一切拒否し、断頭台に立つ。最後のシーンでは、遺体を引き取ったジュリヤンの友人の部屋で、テーブルの上のジュリヤンの首の額に、マルチドはキスをする。

 なぜ、レーナル夫人は夫とベッドを共にしないで、一人自室で寝ているのかとか、膨大な蔵書をかかえた図書室を有する貴族の館の構造とか、当時の貴族の生活ぶりが理解できないだけでなく、もっと理解できないのは、ジュリヤンとマルチドの間の感情の揺れである。あるいは階級間の軽蔑と敵意の大きさである。これは、この小説より少し後に書かれた、「嵐が丘」の時にも感じた。あれに匹敵する激情であり、階級間憎悪である。

下巻28pに、パリの墓地でジュリヤンが抱きつき泥棒に会い、後で気がつくと時計がなくなっているのに気がつくというシーンがある。このころから、こうした類の泥棒はあったのだ。

                           

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書名 生物はなぜ進化するのか 著者 ジョージ・ウイリアムズ、長谷川真理子訳 No
2003-25
発行所 草思社 発行年 98年4月 読了年月日 2003−10−31 記入年月日 2003−10−31

 
徹底して適応論的アプローチに立って書かれた進化論の本。適応論的アプローチとは、ある生物の一つの特徴は、生きのびて遺伝子を伝えようとする生物の努力とどのような関係にあるのかと、常に問いかける立場である。

 25pに本書の特徴が要約されている:
・・・つまり自然選択は、発明者のいない発明品を作りだすことができるのだということ、そして、そのようなプロセスは、機能的に洗練された特徴を生みだすだけでなく、一種の歴史的な仕事の積み重ねであるために、気まぐれかつ機能的でない構造をも生物にもたらすということである。 こうした立場から老化や医療、さらには哲学的な考察まで行っている。

 機能的でない構造の一例として、ヒトの男性の生殖腺の構造を見事なイラストで説明している(232p〜)。そして、「
自然選択は現時点では少しだけ適応度が増すような目先の事にしか関心がなく、現在の変化が将来どのような結果をもたらすかにはまったく無頓着である」と述べ、その一例として上述のほ乳類の生殖腺に起こった変化をあげている。

第1章 ヒイラギの発光体を例に適応の説明。
第2章 自然選択はむしろ種の定常性を保つ方向に働いている。有性生殖における生殖細胞は、どれ一つとして同じ遺伝子を持たない。このため、個体の遺伝子はすべて違う。
第3章 性選択の重要性、利己的な遺伝子。
第4章 細胞内遺伝子の競争、核遺伝子とミトコンドリア遺伝子の例。

第7章 老化と死
 201p 年をとること自体が死の原因となることはない。人はみな進化適応を壊すような致命的な問題で死ぬのである。老化はそのような問題による死の確率を高めるが、はっきりとした死のプログラムというものはない。
208p あらかじめプログラムされた自然の死とか、あるいは種に固有の寿命というものはない。


第8章 適応の医学  
 238p以下にダーウイン医学について記されている。発熱や咳、痛みと言った症状は生体の防衛反応であるから、むやみに抑えることはかえって良くないと言う考え。
 237p 石器時代は歴史時代の100倍以上続いたのであり、現代の人間性は石器時代のそれと変わっていない。そのことから、農耕の普及が必ずしも人間にとってプラスにはなっていないと説く。

                           

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書名 陛 下 著者 久世光彦 No
2003-26
発行所 新潮社 発行年 1996年 読了年月日 2003−11−01 記入年月日 2003−11−02

 
もうかなり前に買って放置して置いた小説。
 昭和11年、2・2・6事件前の東京の白山上にある遊郭「花廼家」を中心舞台として語られる、青年士官と娼婦の物語。

 剣持梓は軍人の家の次男。岩手の渋民村出身の若い弓の常連客である。梓は花廼家で開かれた同期の下士官たちの集まりで北一輝を知る。北にひかれた梓は彼に会って、2年前にシナで戦死した兄は、5・15事件への関与を避けるために、北一輝が軍に手を回し事前にシナへやられていたことを知る。梓の姉は兄の死後精神に異常を来しはじめ、それがもとで陸軍少将の父は軍務を退く。梓は同期の下士官たちのグループとは距離を置いているが、北の周りにはいつも刑事が張り込んでいる。北は梓にかってシナで共に革命に奔走し、上海で暗殺された宋教仁の面影を見る。北は義眼の右眼の底には「陛下」の像が貼り付けてある。

 弓は家が貧しく16の時に売られて故郷を後にし、前に売られてやはり娼婦をしていた姉は身投げ自殺をしてるという悲惨な境遇であるが、同じ渋民村の歌人、啄木を女々しいと毛嫌いするようなたくましい精神を持っている。弓の啄木観は著者自身のものであろう。弓のところにはかつての先生や、浅草で千里眼を売り物にする芸人などが来るが、特別の好意を寄せるのは梓だ。しかし、梓の本当の恋人は「陛下」である。金木犀の香りに包まれた陛下に愛されたいと5才の時から思っているのだ。あるとき、梓は弓とのことの最後に「陛下」と叫ぶ。

 青年将校の一団は昭和11年2月26日、雪の朝、ことを決行する。その同じ頃、弓は小学校時代の教師に抱かれて、梓の子と確信する子を流産しそうになるが、危ういところで助かる。そして、意識を取り戻した病床の弓を見回す同僚たちに向かって感謝の気持ちを込めて叫んだのは「陛下」であった。

 当時の東京はこうであったろうと思われる雰囲気が、ディテールの描写により全編に醸し出されている。これがこの小説の最大の魅力だ。戦前へのノスタルジー。私より上の人だったら誰ももっているだろう。ノスタルジーを強調しているのが、随所に入れられた当時の流行歌、あるいは人々に愛された詩の一節だ。例えば「巷に雨の降る如く・・・」というヴェルレーヌの詩まで引き出されている。同じ著者による「マイラストソング」という本を思い出す。歌が好きなのだ。そして、夢の記述、あるいは幻想的なシーンの多出はやはり同じ著者の「一九三四年冬―乱歩」とよく似ている。

「陛下」への愛は官能的なまでに高まっている。愛する相手に殺されることさえ愛だと感じながら、2・2・6事件に加わっていく。そのよってくるところが何であるかは明らかでない。また、梓が2・2・6の決起に加わる心理的過程も明らかではない。

 1995年 小説新潮連載。
                                                  

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書名 私の日本浪漫派 著者 江藤秀男 No
2003-27
発行所 発行年 読了年月日 2003−11−15 記入年月日 2003−11−17

 
久しぶりに江藤先生をお招きして高校3年のクラス会をやった。その時、先生が10冊持ってきて、2人に1人で読んでくれと言って、皆に配った本。

 まずレベルの高さに驚く。立派な文芸評論として通用すると私には思われる。とにかく資料の調査が広範で、かつ綿密なことに舌を巻く。大変な読書量だ。先生のライフワークであるが、80才にしてこのような本が書けることに驚く。そして、江藤先生のことを私たちは全く知らなかったことを恥ずかしく思う。

「日本浪漫派」は昭和10年頃、起こった文学運動で、西洋近代に代わって日本人特有の心情を重視する立場である。プロレタリア文学への対抗でもあるが、戦争の進行と共に国家主義と結びつき、軍に利用され、戦意高揚の道具とされたため、戦後は厳しく批判され、省みられなかった。昭和40年代になり、見直しがなされたとのこと。この運動の中心的存在は保田輿重郎、亀井勝一朗、中谷孝夫。また詩人の伊藤静雄もその一人であった。私には日本浪漫派も、保田輿重郎も伊藤も全くなじみのがない。江藤先生は若い頃日本浪漫派に関心を持ち、それを生涯持ち続けたようだ。

 前半は先生の生い立ち。昭和17年、繰り上げで2年半で東大の国文を出て、海軍の学校で教鞭を執り佐世保の兵学校で終戦まで教えていた。戦後は一宮の中学校教師を経て、日比谷高校の先生となる。先日のクラス会の時、原爆投下が日本の敗戦を早め、そのために有為な若者の命が失われずに済み、戦後の復興が早かったと言う意味のことを言われた。私にはびっくりする発言であったが、その背景は、兵学校当時、教え子が次々に戦争でなくなっていったのを目の当たりにしたからであろう。

 歴史に対する認識は、妥当だと思う。マッカーサーと会見した天皇の写真を見て、愛国が忠臣と結びついたと吐露しているが、決して戦前を賛美したり、国家主義に偏ったりはしていない。むしろリベラルな見方である。そうした見方の背景に、軍に関与し、若者を戦地に送りだしたことに対する負い目があるのかも知れない。

 後半は、保田輿重郎と伊藤静雄についての評論。こちらの部分が主力である。
 保田は芭蕉の中に後鳥羽院に連なる日本の伝統を見いだしている。私は、朝廷文化の対極にあるものが芭蕉の俳諧であると感じていたので、これは意外であった。

                            

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書名 天平の甍 著者 井上靖 No
2003-28
発行所 新潮文庫 発行年 昭和29年3月初版 読了年月日 2003−11−24 記入年月日 2003−11−24

 
先日、金沢の横浜市のゴミ処理工場を見学に行った。その時、廊下に本棚があり、そこに職員が持ち寄った古本が置いてあり、見学者が自由に持ち帰っていいとのことであった。その中に本書があった。

 唐招提寺の開祖、鑑真の日本渡航を背景に、それにかかわった日本から唐への留学僧5人の物語である。簡潔に出来事のみが記載されていく中で、5人のそれぞれの生き方が鮮明に浮かび上がってくる。この作者の特徴である清潔な読後感を持った作品。

 鑑真が当時日本では行うことの出来なかった、授戒をもたらすために、日本に渡ることを決意して、実際にそれが実現したのは、10年後である。何回も船出はしたのだが、途中で難船したり、ある時は流されて、海南島へ漂着する。そして鑑真が第10次遣唐使の帰船に同乗してやっとのことで渡日したときは60歳を過ぎ、彼は失明していた。

 一緒に唐に渡った留学僧の中で、鑑真の招聘に一番熱心であったのは栄叡。彼は受戒師を連れてくることこそ、伝来後200年経った日本に本当の仏教を確立するために一番必要なことと考えている。しかし、海南島から鑑真の居住地である揚州へ帰る旅の途中で死ぬ。戒融は仏典を学ぶよりも広い世界を見る方をとり、唐の各地を遍歴する旅に出る。玄朗は還俗し唐の女性と結婚し、子をもうけ唐に住み着く。最も常識的な考えの持ち主に見える晋照が結局は鑑真に最後まで同行し、彼を伴って困難の末、日本に帰る。日本を出てから20年の歳月が経っていた。

 この4人の留学僧の前に唐に渡っていた業行はひたすら写経に時を過ごしている。彼は、日本にとって本当に必要なのはまだ日本にない教典の数々であると信じて、自らは僧としての修行を放棄して写経に励んでいた。そして、鑑真らの渡日の際に大量の写経と共に舟に乗り込むのだが、彼の乗った第1船は、沖縄から本土に向かう際、難船し、その写経本はすべて失われてしまう。この船は30数年ぶりで帰国する阿倍仲麻呂も乗ってたのだが、どこか南方に漂着し、乗員のほとんどは土民に殺されるが、仲麻呂は命からがら長安に戻り着く。

 当時の船旅が如何に困難に満ちたものであったか。波に翻弄される船の中で人々は死んだように横たわり船酔いを堪え忍ぶ。漕ぎ手のいない船は風まかせで、揚州から日本に向かったものが、海南島に漂着すると言った具合だ。にもかかわらず、鑑真は決して日本行きをあきらめなかった。そして、遣唐使たちも海を渡り、唐の文物を取り入れた。

                           

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書名 古事記の読み方―八百万の神の物語― 著者 坂本 勝 No
2003-29
発行所 岩波新書 発行年 2003年11月20日
読了年月日 2003−12−23 記入年月日 2004−01−08

 
文庫、新書版で未読の本が手元になく、仕方なしに手ぶらで出掛けたとき、長津田駅の本屋で見つけて購入。古事記については、天の岩戸のエピソード他、断片的にわずかに知っているだけである。本書は、古事記の成立の歴史的な背景から、記載された数々のエピソードの解説まで、わかりやすく解説してある。

 54p以下で古事記成立の背景を述べている。人間の生活は常に自然との緊張関係で成り立つ。人間の文化は必ず自然破壊をもたらす。弥生時代にもたらされた稲作は、森林を確実に破壊していった。都市と国家の成立は自然と人間との緊張関係に危機をもたらすが、7世紀日本はそうした危機に初めて直面した時代である。そして、自然と社会との結節点に立つことで自らの権威を維持する古代王権にとってそのことは危機的状況であった。そうした中で天武天皇により古事記の編纂が命じられた。目的は「邦家の経緯」「王権の鴻基」を確立することであったが、実際には「邦家」や「王化」の新たな原理を確立した「近代」の歴史には背を向け、ひたすら前近代を語ろうとする。古事記3巻は、大きくダイジェストすれば、アマテラスが主宰する高天原の神が地上に降臨し、その子孫が天皇となって天下を統治した、と言うことになる。確かに天皇の歴史ではあるが、そこに自然と社会の根源的な関係が主題化されている。古事記を読む価値はまさにそこにある。 

 同じ頃編集された正史である日本書紀は漢文で書かれているが、古事記は表意漢字と表音漢字とを併用した変体漢文で書かれている。これは、話し言葉を通しての母語への愛着があるからであり、また、書かれた内容にも日常の些細な生活感情の表れがある。例えば、海彦山彦の物語の釣り針の話し(p77)、あるいはオホナムヂの鼠の話し(p79)。 

 後半は古事記の中の個々の神々をとりあげ、筆者の特に少年時代の生活体験と重ね合わせながら物語を解説してある。幼いころはまだ自然との一体感が強いから、古事記の記述とも結びつくものがあるのだろ。それぞれのエピソードそのものは短い。

「葦原」について 
 p19以下。古代の人々が自分たちの暮らす地上世界を葦原のイメージでとらえていたのは、水辺の湿地、葦原が稲作に最も適していたからであろう。神武天皇が后と初めて交わったのは葦原であり、葦原は神聖なものの宿る異界であり、そこで結ばれることは聖なる儀式という特別の意味合いを持つ。

                             

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書名 新撰組 著者 松浦 玲 No
2003-30
発行所 岩波新書 発行年 2003年9月19日 読了年月日 2003−12−28 記入年月日 2004−01−08

 
これも出掛けたとき、書店の店頭で見つけて購入。2004年のNHK大河ドラマが新撰組である。岩波新書も、それを意識して出したのだろうか。

 新撰組については、いくつもの研究書が出されている。そのなかで、本書は今まで余り注目されることのなかった、近藤勇が郷里に宛てて送った手紙を中心資料として、新撰組の誕生から終焉までを追っている。従来の研究としては、作家の子母澤寛が圧倒的存在感を誇っているのが面白い。

 近藤勇が当初尊皇攘夷の熱烈な信奉者であったと言うのが意外であった。各地で浪士が騒ぎ、それが薩長土を刺激し、朝廷に上申し、幕府に攘夷実行という難題を吹っかけてくる。これを防ぐために、「尽忠報国」の志のある浪士を募集し、幕府側につけようとして組織されたのが、「浪士組」である。近藤、土方、沖田はいずれもこの浪士組に参加した。

 将軍上京に伴って京都に派遣された浪士組はやがて分裂し、清河八郎らは帰京し、近藤らは残る。残ったのは、攘夷の実行をたてに薩長が幕府を責め立てるので、それを京都にいて防ごうと言う考えだ。残った組が後に新撰組となる。尽忠報国の心とは、尊皇攘夷であると近藤らは信じる。長州の激派に近い考えだ。しかし、幕府は攘夷を実行しない。近藤は今は実行しなくてもやがては実行すると期待する。自分たちの使命である攘夷が実行されるまでは幕臣として禄をもらうことも拒む。やがて、幕府に攘夷実行の意思のないことが判明し、近藤らの役目は京都における長州や土佐の動きを牽制し、治安を維持することが残る。

 幕末の攘夷とか勤皇とか佐幕と言うのは微妙でわかりにくい。当事者にとっては攘夷から開国への転換、あるいは佐幕から勤皇への転向は必然、あるいはやむを得ぬことであったかもしれないが、後世から見れば理解しがたいところがある。攘夷論者の近藤が、のらりくらりと攘夷実行を引き延ばす幕府に見切りをつけず、かえって荷担するに至る心情は今ひとつ理解できない。

 鳥羽伏見の戦い、甲州鎮撫隊、流山と新撰組は転戦する。流山で近藤がつかまり、処刑された後も、東北、箱館と新撰組は官軍と戦った。そして土方は函館の戦いで戦死する。
 本書の最後は次のように結ばれる:
箱館で降伏したときに百人の規模。こんな組織は他に無い。滅びる徳川幕府の最後の輝きだった。それを支えたのが武州多摩、多摩はやがて自由民権の一大拠点となる。

 新撰組結成当時からの有力隊員の何人かは大正時代まで長生きした。例えば永倉新八。この人は新撰組関係の膨大な資料を残した。本書でも引用されるが、記憶違いなどによる真偽を吟味する必要があると断っている。

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