読書ノート2024

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書名 著者
生物進化と遺伝子のなぞ 伊原康隆
藤原道長と紫式部 関幸彦
フォン・ノイマンの哲学 高橋昌一郎
量子力学 有馬朗人
小學國語讀本 學海指針社編
クレーヴの奥方 ファライエット夫人、永田千奈訳、
季語で読む源氏物語 西村和子
 



書名 生物進化と遺伝子のなぞ 著者 伊原康隆 No
2024-01
発行所 三省堂 発行年 2022年8月 読了年月日 2024-01-07 記入年月日

 著者は私の高校時代のクラスメートで、整数論の世界的権威。数学者の観点から見た現代生物学。内容が高度で、とにかくすごい。専門の生物学者でも、これほど深い意味で遺伝と進化を理解しているだろうかと思った。

冒頭に「本書の意図と特徴」が述べられる。
 
一旦は区別すべき事柄を明示的に対比させそれを土台に話を進めた。中略 そのうえで、それらの間の関連性をなるべく原典に沿って学び、端的な表現を模索しました。
 対比の例として以下を挙げる:
生物間の差異と共通性
生体内分子の機能と構造
静的なDNAと動的なタンパク質 
進化、実は写像「機能→構造」の進化
必然か偶然か、それは知られているのかいないのか


 サブタイトルは「数学者目線」だが、それは「すぐ計算したがる心」ではなく「先ず構造の奥の構造を見たがる心」のことだという。

はしがき
 
およそ精密な構造を有する対象を「記述する言葉と研究する一般的方法」といった理系全体の基礎に関してなら、数学者は玄人と言えるでしょう。と述べ、生き物の仕組みは最も驚くべき見事さを持った構造です。従来の数学研究では出会えなかった種類の新鮮な驚きと未知の課題にしばしば啓発されもします。と続ける。

 生物の構造は長い歴史の産物で、生物学は史学でもあると認めた上で、ダーウィンやクリックの著作の中にも、随所に数学者的精神を垣間見るという。

 数学者は区別にうるさい。生物学の解説書には、区別があまり書かれていない。例えばコドンとアミノ酸の対応は偶然か必然か、何から何が決まるのかといったこと。また、既知と未知についても曖昧なところがある。既知か未知かをはっきりさせてから次に進めたいという。

 流布している解釈の偏りも気になるという。例えば進化論。
ダーウインの主張を二種類に分ければ、一つは生物間の「共通性」の認識で、もう一つが、徐々に分岐を生じたプロセスの説明としての「突然変異と自然選択」ですが、後の進化論で強調されているのはこの二つめに偏っていないでしょうか。珍しい生き物の提示が「ダーウィン」、生存競争礼賛が「ダーウィン」とされているのが歯がゆい。

 本書を書くに際しなるべく原論文に当たったという。驚くのはダーウィンも原著で勉強したという。原著は「Darwin-Online」ですべて閲読可能とのこと。

以下8章よりなる。
第1章 進化論1 ダーウィンの原典を直視する
 ダーウィンの主張を次のようにまとめる。
 
長い年月の間に、生き物たちはほぼ共通の祖先から「枝分かれ」してきた。これが最初の主張で、特に分類上の「種」は不変ではなかった。
 次いで、
枝分かれの主因は突然変異と自然選択。
 ダーウィンは最初の主張で「共通の祖先」という主張は推測で、「種は不変ではない」は強い主張であると言う。ダーウィンは証拠の弱い物と充分にある物とを区別して、それに応じた表現をしているという。

 進化と枝分かれ:通常使われている「進化」ではなく「枝分かれ」としたのは「descent with modification」(修正をともなう子孫への移行)とダーウィンが表現しているからだと。「進化」という言葉の持つ「進んだよい方向」というニュアンスはダーウィンの主張の中には込められていないと。「evolution」進化と言う言葉をダーウィンも使っているが、それは「胚からの細胞の発展」という意味である。

「種の起源」は読みにくいという。私は以前岩波文庫ので読み始めたが、読みにくくて、最後まで読み通せなかった。著者は「
読みづらいのは、いちいちあり得る反論をいろいろ想定して細部まで十分に検討しているからです」という。

第2章 進化論2 ダーウィンを周辺から眺める
 進化論でよく遭遇する誤解は、進化が目的であるような表現。突然変異がある目的を持って起こるという表現だ。実際は進化は結果であることを時として忘れてしまうことがある。著者もその点を指摘している。

 
偶然に起こる様々な変異の中から、環境に適した変異をたまたま受け継いだ子も生まれ、それが(わずかでも)高めの確率で子孫を残し、次世代にその変異も引き継がれ、これらの微小な変異の長期間の蓄積が種の大きな変異をもたらした。環境に応じて変異ができるのではなく、数多の変異の中から環境によって適者が選ばれる

 変異と進化の関係は偶然性に依存する。単純な因果関係で天体運動を説明したガリレオの地動説などとは生物の世界は本質的に異なるという。
 弱肉強食を人間社会に適用し生まれた優生学などは、ダーウィンの共通性に目を向けるとは別に、相違点から差別の根拠を探すという益々離れた方向に行ったものだという。

 
関連してニーチェの『人間的な、あまりにも人間的な』の中の以下の文を引用し、著者も同感であるという。
 結果として進歩をもたらすためには「はずれ」傾向、指向が極めて重要である。全体の進歩には部分的弱化が先行する。強者は自分を変えようとしない、弱者はそこを何とかしようとする。個人レベルでもそうであり、何らかの欠陥が他の面の強化をもたらさない例は少ないだあろう。たとえば争乱のなかで病弱者は孤独と閑かさを得て、「より賢く」なる。この意味で「survival of the fittest」はヒトや人種の進歩や強化を説明できる唯一の視点とは自分には思えない――。

 生物学の本にニーチェが引用されるなど見たことがない。「survival of the fittest」適者生存はダーウィンではなく、スペンサーの言葉という。

 本章の最後にはメンデルの法則が述べられる。
 メンデルが大きな一歩を踏み出せたのは物理学を学んだことが役立っている。つまり、メンデルは問題に対して定量的なアプローチをとったからである。彼の慎重な実験と洗練された定量分析は、時代をはるかに先駆けていたと、ワトソン・ベリーの著書を引用している。

第3章 タンパク質――機能と構造
 タンパク質の機能として、抗体、ホルモンとその受容体、酵素の説明。
 構造では一次構造でタンパク質構成元素の説明から、共有結合、アミノ酸の構造、ペプチド結合、SS結合などが説明される。次いで一次構造から立体構造へでは水素結合、疎水性、親水性の説明がなされる。このあたりは完全な有機化学。親水性疎水性の説明で、「
極性のある分子、つまり電子濃度に無視できない局所的な差がある分子は基本的に親水性です」とあり、なるほどと感心した。

 アミノ酸の配列という一次構造から立体構造が決まるのは、「分子シャペロン」が、アミノ酸のN端から出発してつながってゆくのを少しずつ慎重に正しい立体構造が形成されるように手助けをしているからだという。これはこの分野の先駆者である永田和宏氏の説明という。歌人の永田和宏は京都大学の生物科学者だとは聞いていたが、科学者としても一流であることを知った。伊原さんとは同じ京都大学で、接触があるのだろう。
 タンパク質は1次元の表現様式をもつ3次元構造である。
写像
 
機能と分子構造を結ぶ「写像」が生物を特徴づける
 ここは数学者の本領発揮の説明だが、私には「写像」の概念がよく理解できなかった。

アミノ酸プール 
 食物から摂ったタンパク質の分解で生じるアミノ酸が入り、それとほぼ同量のアミノ酸が排泄などにより出て行く。しかし、それらの約2.5倍のアミノ酸がすでにある体タンパクの分解により入り、ほぼ同量のアミノ酸が体内タンパクの合成に使われる。
私は初めて知ったことだが、こんな卑近な話まで載っているところがすごい。
 アミノ酸プールの実態は、細胞内に散在するリボソームであろうという。

第4章 DNAとRNA
DNAを生命のプログラムとか暗号といった誤解を招く言葉は使いたくないと言い、
DNAの主な機能は、タンパク質の需要と供給をとりもつ自動連結装置である」とする。
 この私にとっては初めて目にするこの定義が著者独自の物かどうかは不明である。

また、遺伝子については
遺伝子(gene)とは、とりあえず狭い意味では、DNA分子の中で「生体内の個々のタンパク質の作成と(直接または間接的に)関わる部分」としている。

化学構造
 DNAのかなり堅固な化学物質である。しかし、それ自体は溶液中で揺らぎつつ、周辺からの刺激に応じて隙間を突いてくる他の化学物質と随時化学反応を起こし、それによって機能を発揮している。それゆえ、その働きには偶然性も日常的に介入しており、塩基配列の規則性がすべてを決めてはいないという。
 「DNAが溶液中で揺らいでいる」という表現にはっとする。こんな言い方をした人はいただろうか。

 DNAの構造について歴史的に述べられる。
 遺伝子の科学的実体がタンパクかDNAかに決着を付けたのは、ハーシー・チェイスの実験(1952年)で、リンが入っていたらDNA、硫黄が入っていたらタンパク質というものであった。
 
相補的な2塩基は2本の主鎖の内側で向かいあう
 X線回折でロザリンド・フランクリンは主鎖は外側であることを認識しており、またシャルガフがAとT、CとGがほぼ同量ずつ含まれていることを報告していて、それをもとにワトソンとクリックのモデルが出て来た。

 主鎖が逆方向なのは、逆方向に引っ張ってこそ引き締めが効き安定する。
 平行走ではなく二重らせんなのは離れてしまうのを防ぎやすいから。
  こうした見方も初めて接する。逆方向の二重らせんということは、当たり前のこととしてその意味も考えたことはなかった。
 隙間に水分子が入り込んで相補塩基対の間の水素結合が邪魔されないためにも、DNA分子には一定の長さが必要である。
 2本鎖の螺旋には2つの溝があり、広い方を主溝、狭い方を副溝と呼び、伝令タンパク質は広い方の溝を使って近づいてくる。

 この後染色体、減数分裂、ヒトゲノムなどの記述がある。
 DNAの複製には校正機能も付随し、そのお陰でそれがない場合に比べて複製のミスは2桁も少なくなってる。
 PCRテストについても触れる。使用されるポリメラーゼの主要部は保存性が高い、つまり異なる生物間での共通性が多い。これはこの酵素が重要なために変異を許せなかったためだろうという。

 飲み込まれた他の生物のDNA:ヒトの膵液にはDNA分解酵素が入っているから、遅くとも腸から吸収される前にはヌクレオチド単位には分解される。

第5章 DNAからRNA、タンパク質へ
 先ずDNA配列がアミノ酸配列を決める法則が歴史的に述べられる。前章に続く分子生物学の核心部。本章でもクリックの「What Nad Pursuit」(1988年)邦訳『熱き探求の日日』を引用しているが、この本の後半部の下訳は私が行った。後半部分はまさに本章に該当し、内容はおぼろげながら理解していた。しかし本書の記述は、それ以後の進展も踏まえてくわしく、初めて知ることが多い。

 コドンとアミノ酸の対応は全生物に共通であるが、それは必然かあるいは偶然か。
 化学的に必然であるとすれば、tRNAとアミノアシルtRNA 合成酵素との複合体が最も安定であるからと考える。このことはまだ証明されていないが、最新の研究ではその可能性が示されたという。
 一方偶然に選ばれたとするなら、一個の共通祖先の個体があってそれがランダムに選んだ仕組みが、結果的にすべての子孫に伝わっている可能性が高い。立証できる可能性があるのは、化学的な必然性だろうと、著者は言う。

 リボソームにはタンパク質も住んでいるが、それは酵素的働きには関わっておらず、リボゾームRNAが酵素の働きをしているという。
 最後の部分ではDNAが読み取られるきっかけの仕組みが、モノーとジャコブの大発見から、DNA読み取りの阻害因子と活性化因子で述べられる。
 ここまで来て「DNAの主な機能は、タンパク質の需要と供給をとりもつ自動連結装置である」という前章で述べられた言葉の意味が理解できた。

 転写の調節に関わるタンパク質は総括して転写因子と呼ばれる。転写因子はタンパク質であり、DNAと結合できるサブユニットをもち、特定の遺伝子との結合によりその発現を調整できる。転写因子のタンパク質の遺伝子を活性化するには別の転写因子が必要になる。そのまた転写因子が必要となり無限連鎖になってしまう。
 これを解決する一つの考えは、
最初の細胞に含まれる必要があるのは基本タンパク質自体ではなくも、それをコードするmRNA と、道具としてのtRNAやrRNAであればよかろうということから「基本的な酵素の元祖はRNA分子だったのではないか?という話になってきます。
 これに関連して本書の最後ではRNAワールドについて述べられる。

第6章 進化論3 子孫に伝わる変異
 遺伝するのは裸のDNAであって、修飾されたDNAではない。変異はDNAの塩基配列自体の受けた変異と限定する。修飾されたDNAとはメチル化されたDNAやDNAを取り巻くヒストンの化学修飾など、後天的な影響で起きた変化のこと(エピデミックな修飾)

中立の変異に対する説明が特に参考になった:
(a)その配列から作られるタンパク質には変化をもたらさない変異。
(b)変化をもたらしても子孫を残せるかどうかには影響の少ない変異。
(a)はさらに二つに分かれる。(1)遺伝子と関係ない部位またはイントロン部位の変異。(2)コドンは変わっても対応するアミノ酸は変わらない変異。

中立変異には進化の主因として以外の重要性がある。その一つはDNA判定への応用。中立変異は放っておかれるために消えないままに子孫に蓄積され、それが血縁関係や犯人特定のDNA判定に使われる。イントロン部位に挿入されたCACACA反復列の長さの差などが決め手になるという。もう一つは分子時計としての進化論への学問的応用。こうした部位での変異の蓄積度合いからその種が誕生してからの期間の長さが概算できる。これには1世代で単純なコピーミスが生じる確率が計算できるようになったためである。

正の変異:ごく稀な全ゲノムの重複、それよりは起こりやすい遺伝子重複、そして選択的スプライシングがある。
 全ゲノム重複は減数分裂でDNAは複写されたのに細胞が分裂しなかった場合に生ずる。植物でよく見られる倍数体がその例。
 重複遺伝子:遺伝子が重複していると、一方が本来の機能を果たしている間に、他方は環境のプレッシャーから解放され、気まぐれ機能を持つ余裕ができ、新しい環境の変化にも対応できる。

 点変異の実例:ABO式血液型、鎌形赤血球、乳頭耐性、新型コロナウイルスの変異株がそれぞれ説明される。
 動く遺伝子(トランスポゾン)ゲノム上の位置を移動する断片的なDNA配列。哺乳類の脳の形成に正の変異として関与したとされる。

第7章 動植物分岐のなぞ
 動物と植物を以下の3つの観点から区別する。1.独立栄養か従属栄養か。2.器官の形。3.ゲノムレベル
 2と3が私にとっては全く新しい観点であった。

 器官の形とは鞭毛の数。鞭毛1本をユニコンタと言い、これが動物の祖先。鞭毛2本をバイコンタと言い植物の祖先。「
容易に増減しそうな鞭毛の個数が真核生物の基本的な分類の鍵として長く認められていること自体が既に驚きでした」と著者は言うが、全く同感。

 動物界は原生(単細胞)動物と後世(多細胞)動物に分類されており、前者の中では襟鞭毛虫が海綿を介して後生動物に近いとされている。海綿は襟鞭毛虫の子孫であろうと考えられているので、襟鞭毛虫は我々の祖先として重要ですという。

 ゲノムレベルでは、あらゆる生物に共通な仕組みの一つであるヌクレオチド合成酵素をコードする遺伝子群に関するもの。これらの酵素のうちで関連しあった数個の酵素の遺伝子が、融合しているか離れているかの相違。ピリミジン系ヌクレオチド合成に関与する3つの酵素の遺伝子がユニコンタでは融合していて、バイコンタでは非融合。もう一つ別のピリミジン系ヌクレオチド合成酵素をコードする2つの遺伝子がバイコンタでは融合していてユニコンタでは融合していない。
 このように鞭毛の個数と特定の遺伝子の融合の有無がキッチリと対応する。このことに必然性はあるのかと著者は例によって自問する。結論として偶然であるとする。

第8章 進化論5 共通の祖先、RNAワールド仮説
あらゆる生物の共通の祖先たあったとしても、それは個体としてではなく形態としてであろう」と言う考え方の方が納得しやすいと著者は言う。私は「形態」の意味がよく理解できない。
 共通祖先に関しては2016年の研究が紹介されている。それによれば特徴として嫌気性、高熱性、二酸化炭素固定能、窒素固定、水素依存性。

 最後はRNAワールドについての記述。
 ウロイドという植物につくタンパク質の殻を持たないむき出しのRNA分子が1971年に発見されている。そして、これこそRNAワールドの現存する名残ではないかといわれた。RNAワールドはクリックの仮説によれば:
初期の生物では遺伝情報もそれを機能させる酵素もともにRNAが担っていたのではないか。そしてそれが進化して遺伝情報はRNAより安定したDNAに、酵素はRNAより多彩で複雑な働きをもてるタンパク質にと置き換わってきたのであろう。

 1980年代にはRNAが実際に触媒機能を持つことが複数発見された。そして触媒作用を持つRNAが現存する生物のなかに存在することが明らかとなった。
 RNAワールドを裏付けるものとして、さらに古代の隕石の中からリボースが出てきた。いくつかの小さなRNA分子は宇宙に存在したはずの素材から試験管内で合成できる。さらに、与えられたRNAを特定の位置で切断する触媒機能をもつRNAがいろいろ合成できる。
 このようにRNAワールドを支持するデータは多いが、タンパク質の立体構造の形成を助けるのには、シャペロンというタンパク質が必要であった。RNAのシャペロンはRNAではなくタンパク質であるとのこと。

 以上のことから純粋なRNAワールドは想定しにくいと著者は言う。しかし、「だから究極の創造主がおられるのです」というのは、思考停止への呼びかけに思える。もっと研究を続けて下さいとエールを送りたいと著者は言う。

 あとがきに生命化学研究に従事する長女に負うところがたくさんあったと記す。

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書名 藤原道長と紫式部 著者 関幸彦 No
2024-02
発行所 朝日新書 発行年 2023-12-31 読了年月日 2024-01-15 記入年月日

 今年のNHK対がドラマは「光る君へ」は紫式部と藤原道長を中心とする、王朝物語。初回を見たが、登場人物の男性はほとんどが藤原姓で、名前も似ていてよく分からない。
帯は「日本史上最長の400年の平安時代を徹底解剖!大河ドラマ「光る君へ」を読み解くための必携書」

 ドラマを見る上で役立ったのは所々に出てくる藤原氏と天皇家の系図、そして入内した藤原の姫達の系図である。例えばp42には仁明から後三条に至る18代の天皇と藤原氏の子女との関係が、p84と85の見開き2ページに摂関期婚姻関係図が示される。藤原の男子のみならず、女子の名前が覚えづらい。というのは名前が漢字二字で、しかも下はすべて「子」なのだ。

 それ以上に興味を引いたのは、平安時代のとらえ方。                
十世紀末から十一世紀にかけての当該期は、律令国家にかわって、中世的ゾーンの王朝国家の段階となる。武家政権の前提となるこの時期は、来たるべき中世国家の第一ステージに位置した。古代律令システムが中国(唐)をお手本としたのと比べると、『源氏物語』を誕生させた王朝時代は、お手本が希薄になっていった段階である。」と述べ、漢字から仮名へ、天皇号の漢風表現からの脱却、「平安京」から王朝都市「京都」への脱却、神仏習合の成熟などがこの期に登場したとする。(p31)

『百人一首』に登場する女房歌人の圧倒的多くがこの一条天皇の時代に集中する。女流歌人のオンパレードといってもよい。それほどまでに王朝という語感に当てはまる時代が一条朝だった。二十五年という長期にわたる在位の影響もあるが、それを補翼した道長の存在はさらに大きい。(p109)。百人一首の56番から62番は女房達の歌。(p129)。

 「御堂関白」:
道長は関白にならなかった。道長は内覧の地位に固執したのは関白には内覧の権限がなかったから。内覧とは太政官で作製された文章を、天皇に示す以前にむることができる役目。関白にはその権限がなかった。関白ではなかったが、それと同様の地位にあったので通称として「御堂関白」の呼称が用いられた。(112)

 
道長の主導した王朝の体制は、天皇が政治からあるいは権力から距離を保つためのシステム、要は天皇不執政の布石を準備させたともいい得る。(p126)

 女房たちには受領層の娘たちが多い。狭い世界しか知らない天子のために、話題の豊かさは后妃であることの条件であった。それを伝授するのが女房達に期待された役目であった。彼女たちは地方という世間を知っていたという。(p130)

 紫式部と和泉式部:
王朝文学は色恋沙汰を抜きにしては語れない。(中略)自身がその虜になることもあった。そんな自己をも許容するか否かが、紫式部と和泉式部の違いかもしれない。紫式部は、色恋に酩酊できないタイプだったと思われる。それへの彼女なりの自覚が散文へと走らせた。けれども彼女はそれなりに」愛欲の世界も心得ていたが故に”仮想現実”を伝えることもできた。光源氏の義母の藤壺への禁断の恋のように、である。他方、和泉式部の場合は、為尊(ためたか)・敦道両親王(父冷泉天皇)たちとの恋愛事情が語るように、恋の世界に没入できた。(p134)、この後『尊卑分脈』には紫式部を「御堂関白道長ノ妾」と記されていると、付け加えている。

 以後、紫式部の生い立ちなどが綴られる。最後の章として王朝時代の諸相が述べられる。
 
大唐帝国の解体にともない、文明的システムからの脱離により、独自路線(文明主義から文化主義への転換)が十世紀を通じて進行した。天皇の名(追号)の変化はその象徴だった。その内実にあるのは、天皇自身の文化的存在への転換だった。(p210)

 
天皇親政観それ自体は、権威としての『至尊』と権力としての『至強』を一人格に収斂さえようとする、中華的皇帝主義の産物に他ならない。『至尊』=『至強』の立場をとる限りは、新たなる政治権力の出現で皇帝は打倒される運命にある。皮肉ながらわが国の天皇システムが存続し得た理由は、十世紀王朝国家が天皇を政治から分離させたことであった。(p211~)。なかなか説得力のある論旨だ。王朝国家の成立に当時の大陸の事情が絡んでいたとするのが面白い。

 なお、天皇の追号について:天智、天武、文武、聖武、桓武などに対して、宇多、醍醐、村上などの京都の地名へ、さらに道長・式部時代の一条、三条など。

「刀伊(とい)の入寇」官人3年(1019年)道長の時代に起こった、女真族の襲来についても触れられている。初めて知ることだが、道長・式部の時代も決して平穏一筋ではなかったようだ。

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書名 フォン・ノイマンの哲学 著者 高橋昌一郎 No
2024-03
発行所 講談社現代新書 発行年 2021年2月刊 読了年月日 2024-01-18 記入年月日

 ネットの記事から読んでみたくなった。帯は「人類史上最恐の頭脳」と大書してある。
 ノイマンについてはコンピュータの生みの親という認識しかなかった。本書では原子爆弾の製作と投下にも深く関わったことが述べられる。そんなことから本書のサブタイトルは「人間のフリをした悪魔」である。さらにゲーム理論や天気予報などにも関わったと本書は言う。

 フォン・ノイマンという言い方はドイツの貴族の呼称なので、以前から不思議に思っていた。本書でその由来が明らかにされる。ノイマンは1903年、オーストリア・ハンガリー帝国のブダペストで生まれる。父はユダヤ人で、法学博士の号を取得し、ブダペスト銀行の顧問であった。1913年に父はオーストリア・ハンガリー帝国の皇帝から貴族に叙せられた。以後、ドイツ語で「フォン・ノイマン」を名乗ることになった。

 ノイマンの天才ぶりは幼い頃から発揮された。父のマックスの趣味はギリシャ時代や古代ローマの文芸と音楽であったが、8歳の頃のノイマンは父と古典ギリシャ語で冗談を言い合った。同じく8歳の頃にはドイツの歴史家の書いた『世界史』44巻をドイツ語で読破した。一度読んだ本や記事を一言一句たがわず引用する能力は生涯続き、後年アメリカのプリンストンに渡ったノイマンは、ディケンズの『二都物語』の第一章を暗唱し始め、周囲が止めるまで延々と続けたと。

 10歳でブダペスト大学の数学科の問題を見事に解いた。後にノーベル物理学賞をもらったウイグナーは12歳の時、散歩しながら11歳のノイマンから群論を教えてもらったという。

 本書は「はじめに」でノイマンの生涯が要約されていて、便利だ。
 ノイマンと原爆投下については、空軍は皇居、横浜、新潟、京都、広島、小倉をあげた。ノイマンは、戦後占領統治まで見通して皇居への投下に反対した。そのお陰で日本は命令系統を失わないまま3ヶ月後に無条件降伏できた。その一方で、ノイマンは京都への投下を強く主張した。文化的歴史的価値の高い京都に投下すれば日本人の戦意が喪失すると。これにはスチムソン陸軍長官が、それではアテネ、ローマを破壊したことになり戦後非難されると、強硬に反対したという。横浜はすでに破壊され、新潟は情報不足で除かれ広島になった。(p13~)。

 本書の後半には原爆開発のことがくわしく書かれている。ノイマンはロスアラモス研究所の顧問として、深く関わる。彼が中心になって進めたのが「爆縮型」原爆の設計。臨界点に達していないプルトニウムに爆薬を配置して、その爆発の衝撃で一気に臨界点に転化する方式。

 原発の開発には罪悪感を持つ科学者も少なくなかった。そんな一人ファインマンはノイマンから、「我々が今生きている世界に責任を持つ必要はない」という考え方を教えられ、『社会的無責任感』を持つようになったという。ファインマンはそれ以来とても幸福な男になったという。(p172)

 さらに続けて本書は述べる:
要するに、ノイマンの思想の根底にあるのは、科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道主義」、そして、この世界には普遍的な責任や道徳など存在しにという一種の「虚無主義」である。(p175)。

 原爆投下をルーズベルトに強く勧めたのはチャーチルだったこと。科学者のなかには、原爆を無警告で都市に投下するのは非人道的だから、日本人を呼んで、砂漠か無人島でその威力を見せつければいいという提案もなされたこと。トルーマンは原爆の使用を躊躇したが、通常の上陸戦ではアメリカ軍の損害が甚大になるのを恐れて非人道的兵器の使用を認めた。

 ドイツが降伏した時点で日本も降伏の道を探るべきであった。7月16日の原爆実験成功のニュースは、日本にも届いていた。にもかかわらず日本の指導者は無条件降伏を考えず、本土決戦に固執した。そうしたことから、著者は原爆投下をやむを得ないことと考えているようだ。(p132~)

 ノイマンは水爆開発も一貫して推進すべきだという立場だった。なぜなら、アメリカこそつねに世界で最大の武器を保有すべきであるから。(p246)

 1956年10月にハンガリー動乱が起き、蜂起したブタペストの市民がソ連軍により多数殺害された。生地を蹂躙されたノイマンは、一刻も早く合衆国がソ連に先生核攻撃をすべきだと強硬に主張した。(p15)

 1957年がんのため死去、54歳だった。

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書名 量子力学 著者 有馬朗人 No
2024-04
発行所 朝倉書店 発行年 1994年 読了年月日 記入年月日

『天為』1月号で、選者の一人西村我尼吾氏が選んだ句が

 曖昧は人つつみたり涼新た 松井ゆう子  だった。

 そのコメントに我尼吾氏は分子・原子と遡って有馬先生の量子の世界まで行くと、一つに決まっていない、と述べ、本書の名を挙げていた。

 シュレーディンガーの波動方程式や、ハイゼンベルグの不確定性原理、あるいは量子論を認めようとしなかったアインシュタインとボーアの論争など、一般書で定性的な知識は得ていた。それゆえ、有馬朗人がそのものずばりの本、教科書を書いていると知って、読んで見たくなった。有馬朗人の専門は原子核物理だと思っていたので、量子論とは意外でもあった。30年前の本だが、幸いアマゾンに在庫があった。

 明けてビックリ玉手箱。200ページを超える全編が、見慣れぬ数式の羅列。微分、積分、偏微分、行列式・・・。しかも、これは大学での講義録をもとにして書かれたものだ。

 私は物理が好きで、大学の受験も理科は物理と化学で受験した。しかし、高校の物理と大学の物理はまったく違うと知った。物理を専攻するには数学が必須だった。数学の抽象的な思考は私の全く苦手の分野だった。

 朗人先生が亡くなる4ヶ月前、句会の終了後、先生を含む4人でランチを共にした。その際、物理は好きだったが、数学が苦手で物理学はあきらめたと先生に話した。先生は「そうだ、数学ができなければ物理はできない」と即座に言った。本書を見てまさにその通りだった。それにしても有馬朗人の俳句しか知らない私には、同じ人間のなかにこんな数式と俳句が共存できることに衝撃を覚えた。

 本書の第一章は「量子力学前夜」で、量子力学が誕生する歴史で、これなら私にも理解できるだろうと読んでみた。しかし、私が親しんできた一般教養書とはまったく違い、数式に基づいて光の粒子性と波状性、黒体輻射の問題、原子核の模型などが説明されていた。

 一行の数式で世界を表してしまう物理学者は、17音の短詩型で世界を切り取る俳句に向いているのかもしれない。

 本書を読み通すことなど諦めてしまったが、亡き有馬朗人先生を偲ぶよすがとして記す。

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書名 小學國語讀本  著者 學海指針社編 No
2024-05
発行所 集英堂 発行年 明治33年刊 読了年月日 2024-01-31 記入年月日

 昨年12月の句仲間に誘われ世田谷のボロ市に初めて行った。同行の女性達はそれぞれ目的があって、帯を買ったり、九谷焼の壺を買ったりしたが、私は特になく、厚揚げ豆腐と本書を買った。

 明治33年発行の和綴じ本。高等小学校用の国語副読本だから、今の学制によれば小学校5年から、中学2年が対象。紙も印刷もしっかりしていて、字も大きく、挿し絵も入っていて読みやすい。内容は紀行文や偉人の話、身近な動植物のことなど。
 旧漢字で、読むのはさておき、こんな漢字を小学校で書いていたのかと感心する。私の小学校時代には習わなかったような気がする漢字がたくさん出て来る。此處・彼處、奬勵、蠶。

 歴史物としては太田道灌の山吹の話、山内一豊の妻の話、貝原益軒の教えなど。これらの話は私も子ども時代に読んだか、聞いたかしている。

「軍旗」という題では、天皇から奪われていた兵馬の権が明治維新により、天皇のものになったと述べ、軍人勅語の一部が引用されている。続いて「黄海の戦」で、日清戦争における海戦の勝利が述べられる。

 かと思えば「茶ト珈琲ト」では嗜好品について述べられる。珈琲はすでにこの頃広く飲まれていたようだ。この章は片仮名表記になっている。

「たばこ」についても述べられ、「ニコチンといふ毒があるから」幼年の者には吸うことが禁じられていると書く。

 歴史の資料として面白い。


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書名 クレーヴの奥方 著者 ファライエット夫人、永田千奈訳、 No
2024-06
発行所 光文社古典新訳文庫 発行年 2016年刊 読了年月日 2024-02-02 記入年月日

 昨年秋、高校のクラスメートの桐村さんから手紙が来て、『クレーヴの奥方』を読んだ感想が長々としたためてあった。桐村さんは何人かに同じ手紙を出し、この小説の要約を述べ、単婚制への是非を問うてきた。俳句の投句が一段落したので、読んでみる気になった。

 題名はどこかで聞いたことがある。十六世紀のアンリ二世のフランス宮廷を舞台にした恋愛心理小説で1678年刊行された。

 最初の方ではアンリ二世、フランソワ一世、フランソワ二世、後のスコットランド女王となメアリ・ステュアートなどが実名をもって登場し、小説の史的背景が述べられる。本書の最初にある相関図を見ながら読み進めた。

 ヒロインのクレーヴ夫人は王妃や王太子妃の側に仕える名門貴族の出。16歳でクレーヴ公に見初められ結婚する。しかし、宮廷で見かけたヌムール公にいつしか恋心を抱く。そしてヌムール公もクレーヴ夫人に恋心を抱く。この二人の男性も名門貴族で、王の傍近くに仕える。

 翻訳がよくできていて読みやすい。近代小説の祖といわれる。心理描写に繊細さがもっと欲しいのと、ストーリー展開が偶然に依存しすぎるところが不満だが、芭蕉とほぼ同じ年代の作家であることを思えば、やむを得ないか。

 物語は、クレーヴ夫人が夫に、ヌムール公への恋心を打ち明けるのを、たまたまヌムール公が立ち聞きする。(このシーンなども無理して偶然を重ねる)。妻の本心を知ったクレーヴ公は嫉妬にさいなまれ、病に倒れ、亡くなる。こうして寡婦となったクレーヴ夫人は、晴れてヌムール公と結婚するかと思いきや、修道院に入ってしまう。修道院に訪れたヌムール公にも面会を拒否する。
 
 この最後は源氏物語の最後、尋ねてきた薫に会うことを拒んだ浮舟とよく似ている。浮舟も既に仏門に入っている

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書名 季語で読む源氏物語 著者 西村和子 No
2024-07
発行所 飯塚書店 発行年 2007年 読了年月日 2024-02-23 記入年月日

 句仲間から紹介された。初版は2007年だが、2023年9月第4刷。
 初音から始まり。衣くばりに終わる57の季語で、源氏物語のいろいろなエピソードを切り取ったもの。配列は源氏の54帖順ではなく、少しの乱れはあるが、冬から始まり秋に終わる順で配列されている。源氏物語の場面を思い浮かべながら読んだ。

 取り上げられた各場面が、そういうことだったかと新しく見方で示される。作者は相当源氏物語を読み込んでいるなと感心した。今までに読んだ、丸谷才一や大野晋流の解釈とは違う観点、女性の観点から源氏を読み解いていて、面白く、もう一度源氏を読んでみたくなるほどであった。

 例えば「霞」では源氏の須磨へ旅立ちを取り上げる。そこに書かれた、三月二十日過ぎの出発、有明の月、名残の花、舟の旅、三千里の旅、離別の涙などは芭蕉の「奥の細道」の旅立ちの一節の下敷きになっているのではないかという。

 著者は言う:
奥の細道の「月は有明にて光おさまれる物から」という一節は、そのまま「源氏物語」の帚木の巻の、空蝉との後朝の別れの場面の言葉である。

 「月は有明にて光をさまれるものから、影さやかに見えて、中々をかしき曙なり。何心なき空の気色も、ただ見る人から、艶にも凄くも見ゆるなりけり」という帚木の一節を、芭蕉は愛読し諳誦していたに違いない。何故ならこのくだりは、十七歳の源氏が、受領階級の人妻との初めての恋に心を震わせ、無心の自然も、見る者の心のありようによって艶を増したり、ぞっとするほど恐ろしくもなったりするのだと知った、記念すべき朝の詠嘆であるからだ。

 それ自体は何心もない空のけしき、自然界の万象も、それを見る人間の喜びや悲しみによって、印象深く、様々に見えて来るのだという発見は、恋や人生を知り初めた青年期の大きな感慨であり、詩ごころの目覚めでもある。人は今まで無心に見えていた空のけしきにあわれを感じとり、ぞっとするものを覚えたりした時、まさに「春秋を知る」のだ。人生の感慨と、自然界の万象、四季の風物とが密接に結びつき響き合った時、自然や風景は奥行きを持ち始める。

 光源氏の自然観の目覚め、詩心開眼の感動がこめられたこの一節に、芭蕉が共感しないはずがない。句ごころの源も、まさにここにあるからだ。芭蕉の心の内にくり返されていた一節はやがて血肉となり、旅立ちの高揚した心にわが言葉のごとく浮かび上がって来たものだろう。


 本書の最後は季語ではなく「最後の春秋」という項で、光源氏の{幻」の帖を扱っている。

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書名 著者 No
2024-01
発行所 発行年 読了年月日 記入年月日

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