読書ノート 1994

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書名 著者
中上健次
免疫の意味論 多田富雄
エロ事師たち 野坂昭如
仕事を楽しむ 泉田豊彦
文章教室 金井美恵子
仮面の告白 三島由紀夫
Not a Penny More, Not a Penny Less Jeffrey Archer
安部公房
愛の生活 金井美恵子
野火 大岡昇平
金井美恵子詩集 金井美恵子
Shall We Tell The President? Jeffley Archer
ベッドタイムアイズ 山田詠美
そんなバカな! 遺伝子と神について 竹内久美子
思想としての近代経済学 森嶋通夫
男と女の進化論 竹内久美子
電気の謎をさぐる 本間三郎山田作衞
色ざんげ 宇野千代
人間失格 太宰治
ドグラ・マグラ 夢野久作
歯車 芥川龍之介
パニック・裸の王様 開高健
地球を救う大変革 比嘉照夫
脱走と追跡のサンバ 筒井康隆
蒲団・一兵卒 田山花袋
暗夜行路 志賀直哉
グッド・バイ 太宰治
白痴  坂口安吾
あいびき  二葉亭四迷
にごりえ、たけくらべ  樋口一葉
十九歳の地図  中上健次
黒髪  近松秋江
冥途・旅順入場式  内田百間
春昼・春昼後刻  泉鏡花
江戸川乱歩傑作選  江戸川乱歩
女坂   円地文子
曽根崎心中  近松門左衛門
ある女  有島武郎
鈍牛にも角がある  早坂茂三 
破戒   島崎藤村
 遠藤周作
富士  武田泰淳
金閣寺 三島由紀夫
吾輩は猫である 夏目漱石
さよなら、ギャングたち 高橋源一郎
放浪 岩野泡鳴
三島由紀夫おぼえがき 澁澤龍彦


書名 著者 中上健次 No
1994-01
発行所 文春文庫 発行年 読了年月日 94−01−13 記入年月日 94−01−14
 
 
芥川賞受賞の「岬」の他、「黄金比の朝」、「火宅」、「浄徳寺ツアー」所載。いずれも昭和49年から50年の作品。最後の一つを除き、他はいずれも複雑な肉親関係が作品の背景にある。読んでいて、高度成長をとげ、日本が繁栄の時代に入りつつある頃の作品とは思えないと思った。明るく、スマートな日本とは無縁の、暗く、どろどろとした日本の一面にうごめく主人公の激情といったものが作品のテーマだ。

「岬」の主人公は土方であり、土を掘り返し、シャベルですくうという単純な労働が好きであり、何も考えずに土に向かうとき人生の充実を感じている。現代の日本文学がまず取り上げることのない主人公だ。特にこの小説は、人物の血縁関係がわかりにくくて、読みづらいところがある。主人公が自分の腹違いの妹と思っている、青線の女と、心のうっぷんを晴らすかのように性交する場面でこの小説は終わる。「それでも作家になりたい人のためのガイドブック」では、作品の終わり方の例として引用して、激賞してあった場面だ。場所は女のいる酒場の二階の4畳半。決してしゃれたホテルなんかではない。じめじめして、かびくさい臭いまで漂っていそうな部屋だ。

「黄金比の朝」、「浄徳寺ツアー」では、主人公に激烈な、新左翼に対すする罵倒の言葉を吐かさせる。これが作者の思想かどうかは知らない。
 文章は短い文章をぶっきらぼうに連ねた独特の文体だ。会話のうまさが目立つ。実際のものに近く、その分わかりにくい面もある。

「黄金比の朝」の中にこんな素晴らしい比喩があった:・・
大地にではなく青い空にむかって根を張ったような、リンパ腺の解剖図を思わせる、裸のケヤキがみえた。(p10)大地にではなく青い空にむかって根を張ったような、リンパ腺の解剖図を想わせる、裸のケヤキが見えた。

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書名 免疫の意味論 著者 多田富雄 No
1994-02
発行所 青土社 発行年 1993年 読了年月日 94−01−15 記入年月日 94−01−18

 
朝日新聞の大佛次郎賞を受賞した本。著者の腸管免疫に関する講演を、食品産業センターかなにかの会合で聞いて感銘を受けたことがある。年末に大学クラスメートの忘年会で、岸さんがこんな本を読んでいると得意げに出してみたのがこの本だった。私も、買ってはいたがまだページを開いてはいなかった。

 雑誌「現代思想」に12回にわたって連載されたもの。題にもあるように主題は免疫を通してみた自己とは何かということ。免疫学的に見ると自己と非自己との境界はきわめてあいまいなものである。癌、ウイルス、寄生虫などを免疫系は非自己と認識できないことがある。一方、自己の蛋白を非自己とみなし排除しようとすることもある。こうしたことから著者は、「
自己というのは、自己の行為そのものであって、自己という固定したものではないことになる」と主張する。本書の最後で、その理由のとして、免疫反応性を決定する遺伝子MHC(主要組織適合遺伝子複合体)により作られる蛋白が、その立体構造上のポケットで異物を認識する様式は、異物蛋白をペプチドまで分解しなければならないからだとする。ペプチドまで分解された蛋白はもはや元の蛋白とは別の情報を持つことになり、異物の蛋白からのペプチドでも、切れ方によっては自己の蛋白からのペプチドと同じものができるからだ。

 免疫は複雑でむつかしい。我々の体にはもともと何百万という異物に対応できる抗体のクローンが備わっているという説を知ったときは衝撃だった。そして、その多様性のメカニズムを遺伝子レベルで解明し、ノーベル賞をもらったのが、高校の一年後輩の利根川進であった。バーネットの「クローン選択説」に関する自著書を中研の図書から借りて読もうとしたが、難解で歯が立たなかった。「図説免疫学」とかいう大判のカラーの立派な本があって、これでどうやら基礎知識を身につけた。7〜8年前のことだから、それ以後の進歩も大きいのだろうと思う。あらゆる生命現象の基本にあるものは、蛋白分子の立体構造であると思うが、免疫学はそれがもっとも顕著に表れたものだ。蛋白の一次構造からその立体構造を推定する方法の確立が、21世紀に向けての大きなテーマであろう。本書は著者の深い学識、洞察に満ちており、真の専門家、知識人とはかくあるべきだと思わせる名著だ。

本書から
 インターロイキンは免疫系と関係ない多くの細胞でも作られ、その作用もまたきわめて多様で、神経系や、内分泌系にまで作用する。
 そうだとすると、精神と免疫と内分泌系、つまり病気と精神の関連もインターロイキンを通して、科学的に解明されるのかもしれない。

 T細胞の教育と選別は、胸腺内でHLA(human leukocyte antigen)抗原の認識をもと に行なわれる。HLAを認識できないT細胞は殺される、また強く反応したT細胞も死滅させられる。こうしてT細胞の自己認識が完成する。

 免疫系の老化は胸腺の縮退が原因である。実際老年の胸腺はほとんどなくなる。その胸腺を制御しているものはどこか別のところにあるが、今のところまったくわからない。
 ここにもまた、例の生物学の循環論が顔を出す。

 マラリアには免疫ができない。人体内で種々に姿を変え、また表面蛋白が深く折り畳まれていて、抗体と結合できないようになっているからである。


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書名 エロ事師 著者 野坂昭如 No
1994-03
発行所 新潮文庫 発行年 昭和45年初版 読了年月日 94−01−19 記入年月日 94−01−19

 
エロ本、エロ写真、ブルーフィルムの制作販売から始まって、本番ショウ、コールガールの斡旋、乱交パーティー、さては満員電車の中での痴漢体験の世話といった、男の欲望にこたえるもろもろの商売をてがける一味の話。

 ところは大阪、時は東京オリンピックの頃。彼らを取り巻く顧客の欲望と、それに応えてだんだんと中身をエスカレートさせていく一味に、全編セックスに対するそこまでしなくてもとさえ思う男の、尽きることのない浅ましいばかりの欲望を扱ってはいるが、しかしそれはやがて、人間の業の深さ、悲しさであると思うようになり、さらにその先に感じたのはユーモアであった。電車の中で読んでいて何回も何回もこみあげてくる笑いをこらえた。猥雑な中身にもかかわらず、そう感じた一因は、作品が大阪弁の会話と、それがいつのまにか地の文と一体化した独特の語りにより展開される著者特有の文体により書かれているからだ。息の長い文章だが、独特の快いリズムがあって、それに乗せられて、あっという間に読み終えてしまう。中上健次の文体とは好対照をなす。登場人物もいかがわしい人物ばかりだが、それでいてみなそれぞれに使命感や誇りがあって、からっと明るく、愛すべき人物達だ。もちろん日本の文学で今までだれも取り上げなかった人たちだ。

 主人公のスブやん(丸くて酢豚を連想させるからそう呼ばれている)は、こうした仕事をしているうちにインポになってしまうのだが、それが最後に交通事故であっけなくいってしまう。背骨を打たれたスブやんの死体は、ペニスが月を目指すロケットのように雄々しくにょっきりと立って、褌から出ているのだ。運び込まれた病院のベッドの上で、放り出されるように往生したばかりのその仏様の、顔にではなく、起立したものの方に、なくなった妻の連れ子の娘(実は連れ合いの死後、スブやんは高校生のこの娘を抱こうとするのだが、立たず、今度こそは今度こそはと思いつつ死んでしまったのだ)がハンカチをかぶせてやるところで小説は終わる。この場面でもアイロニーというより、ユーモアが先に立つ。

 あるいは、カキヤと呼ばれるエロ本書きは、自分で書いた場面に自分で興奮できなければいい作品ではないといつも言っていたが、心臓マヒで死んでしまう。下半身はだけて、書きかけの原稿を前に机にうつぶして死んでいた。自分の書いた場面に興奮し、オナニーに耽り、精液をまきちらし、その最中に発作を起こしたのだ。芸術至上主義者!身寄りのないカキヤ(この名前にはマスターベーションのカキヤという意味も込められているのだろう)を仲間が弔うのだが、彼らは、麻雀が好きだったカキヤのため、仏様を入れた茶箱を台にして麻雀をやるのだ。気色悪くなるような場面だが、私はむしろ彼らのこころやさしさとユーモアを感じる。

 この作品を読んでいて、開高健の傑作「日本三文オペラ」を思った。社会の隅で生きる、バイタリティーあふれる人々の姿は関西でないと描けないのだろうか。

 本書も「それでも作家になりたい人のためのブックガイド」推薦の本だ。「免疫の意味論」の次が「エロ事師たち」とはわが乱読も極まった感じである。

「ブックガイド」の短評;作者の最初で最後の傑作。語り口に注目。


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書名 仕事を楽しむ 著者 泉田豊彦 No
1994-04
発行所 ビジネス社 発行年 92年 読了年月日 94−01−19 記入年月日 94−01−20

 
暮れに森川社長から郵便で届いた本。読むようにとのことだった。事務所で半日もかからず読んだ。なるほど、ふむ、そうか、で終わり。何も残らない本だ。

 
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書名 文章教室 著者 金井美恵子 No
1994-05
発行所 福武書店 発行年 」1985年 読了年月日 94−01−31 記入年月日 94−02−01
 
 
これもまた「それでも作家になりたい人のためのブックガイド」による。もっとも、この本にあげてあった金井美恵子の作品は日比谷図書館では見当らなかったので、適当に選んだのが本書。

 サラリーマンの夫妻と大学生の一人娘の一家とそれをめぐる人々の男女関係を描いた小説。夫は会社の部下とのふとした浮気をし、妻は絵本作家との不倫、一度妊娠までさせられた男に捨てられた娘は、今度は大学の研究室で英文学を研究する男にひかれ結婚を望む。この男の両親はとっくに離婚し、母親の手で育てられるが、彼にはイギリス留学中に知合ったイギリス人の恋人がいる。彼女の両親も離婚していて、精神を病む老いた母の面倒は彼女がみている。妻の通う文章教室の講師をしている現役作家は新宿の文化人が集まる酒場の若い娘に夢中になるといった具合で、色々な形の男女関係がお互いに関連しあいながら展開する。一度は娘に結婚する気はないといった男も、イギリスの女に別の男がいることがわかり、結局は娘と結婚し、平凡な夫に漠然と不満を持って実家へ家出の真似事をした妻も、不倫の相手から縁を切られ、現役作家は女に逃げられるがその顛末を小説にしたて、文学賞をとる。やや知的というか高い文化的環境の中でまことに軽やかに展開する現代的な男女関係である。その間に、娘の相手や、作家を通して作者の文学論(かなり学究的・専門的である)が披瀝される。この辺りの論議は私にはわからない。やや鼻につくものだ。なんといってもこの小説の魅力はその独特の文体とスタイル。

書出のところ;
 
最初はといえば、園芸。
<桜子は出来の良い娘だったので、友人や知人の受験生の母親のように、ハラハラしたり>心配やら気をつかうあまりのノイローゼ気味になるという、家中挙げての<これは本当に戦争なのよ、とつくづく感想をもらす友人の気持も味わうことはなかったし>国立大学に現役で合格してすぐに自分で手続きをすっかり済ませて奨学金を受ける資格もとり、まったく<青春を謳歌>しているように見えた。おおいに楽しみなさいね、と母親として絵真はいくらか上の空で言い、自分を大切にして、という陳腐な決まり文句――自分を大切にする、ということがどういう意味なのか、漠然としながら、あんたみたいな優秀な娘は若い男にでも若くない男にでも自分を安売りすることはないでしょうけれど、でも、母親似のおかげでまあまあの美人で優等生の若い女の子は、まあ、若い女の子でなくなってからでも、とんでもないクズみたいな大酒飲みの男かなにかに、ぞっこん惚れ込んじゃうことが、まま、あるんだからね、気をつけなさい、自尊心はポッキと折れるのよ、ということを匂わせたつもりであった。


 そしてこれに続く文章は約半ページの長さであって、ついで1ページ半にもおよぶ長い文章が続く。そして、最初から数えて4ページ目にやっと園芸の話が出てくる。このように文の中にまた文を入れていく構造の長文であるが、意外に読みやすい。リズムが良いのと、語り口がやさしいからだろう。そしてストーリーのテンポが小気味よく展開することも、文章の長さが気にならない原因でもある。「ブックガイド」には長い文章を書いてみることの大切さの強調していた。
 <・・・>は佐藤絵真のノート『折々のおもい』からの引用を表す。《・・・》は雑誌、単行本その他からの引用をおおむね表す・・・という註がいちばん最初にのっている。こういう小説は初めてだ。上にもみたようにこのふたつが随所で地の文に挿入されている技法的に面白い小説だ。

「海燕」1983ー1984掲載。
金井美恵子1947年生まれ。群馬県立高崎女子高校卒。67年現代詩手帖賞受賞 


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書名 仮面の告白 著者 三島由紀夫 No
1994-06
発行所 新潮文庫 発行年 昭和25年初版 読了年月日 94−01−29 記入年月日 94−02−07
  
 
これまた「ブックガイド」の50選の一つ。三島24才の時の自伝的作品。読んでいて、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」を思った。恋愛、失恋を通して示されたゲーテの深い人間洞察に感銘し、慰められ、勇気づけられたものだ。もちろん、三島の作品はウェルテルとは違う。同性愛、倒錯的性欲が中心テーマとなるが、青春の心理を見事に捕らえていると同時に、とても24才の作者のものとは思えない人生に対する透徹した洞察に満ちた恐ろしい様な作品だ。

 わき腹に二本の矢を打ち込まれた、聖セバスチャンの裸身の殉教絵図に性的興奮を感じ、初めての自慰行為を経験する主人公。私にはそうした感情はあったとしても自覚したことのないものだが、不良の同級生に対する同性愛(近江に初めて恋心を感じる雪の朝の校庭のシーンの情景描写、心理描写のすがすがしさは三島の若さを感じさせる)は、私とてそれらしき経験はある。高校時代のKに対する心酔と、彼がやっていた柔道への2年からの転部はまさに、三島的男性らしさへの憧れ以外のなにものでもなかったろう。

 例えば第2章の書き出し;
 「
すでにここ一年あまり、私は奇体な玩具をあてがわれた子供の悩みを悩んでいた。十三才であった。
その玩具は折りあるごとに容積を増し、使いようによっては随分面白い玩具であることをほのめかすのだった。ところがそのどこにも使用法が書いてなかったので、玩具のほうで私と遊びたがりはじめると、私は戸惑いを余儀なくされた。この屈辱と焦燥が、時には募って玩具を傷つけてやりたいとまで思わせることがあった。しかし結局、甘やかな秘密をしらせ顔の不逞な玩具に私のほうから屈服し、そのなるがままの姿を無為に眺めている他はなかった。


 読んだときどっきとした。玩具に例えたこの文章のぎりぎりのきわどさは、それ自体その年頃の少年の心理と生理そのものである。それでいて文章の格調は失われていない。

 例えば中程、東京の空襲が激しくなり始めた頃のこと;
 「・・・
私が留守中に私の家が丸焼けになり、父母兄妹が皆殺しにされていたら、それもさっぱりしてよかろうと考えた。別段酷薄な空想とは思えなかった。想像しうる限りの事態が平気で起こるような毎日なので、却ってわれわれの空想力が貧しくされてしまっていた。たとえば一家全滅の想像は、銀座の店頭に洋酒の瓶がズラリと並んだり、銀座の夜空にネオンサインが明滅したりすることを想像するよりもずっと容易いので、易きに就くだけのことであった。抵抗を感じない想像力というものは、たといそれがどんなに冷酷な相貌を帯びようと、心の冷たさとは無縁のものである。それは怠惰ななまぬるい精神の一つのあらわれにすぎなかった。
 24才の青年の洞察とは思えない。 

比喩;「
昭和二十年の冬はしつこかった。春がもう豹のような忍び足で訪れていはしたものの、冬はまだ檻のように、仄暗く頑なに、その前面に立ちふさがっていた。星明りにはまだ氷の輝きがあった。

 この作品にはいままでのどの作品よりも三島の天才を感じる。そしてこの作品にもすでに、その衝撃的な死は予見される。

「ブックガイド」の短評;聖性と汚穢をめぐる律儀な一篇。比喩の構造化の生真面目な模範例多し。

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書名 Not a Penny More, Not a Penny Less 著者 Jeffrey Archer No
1994-07
発行所 Coronet Books 発行年 読了年月日 94−02−06 記入年月日 94−02−08
 
 
アーチャーの長編としては初めて読むもの。彼の初めての長編であるとのことだ。1974年作。
 得意のどんでんがえしがあって、ストーリーは相変わらず面白い。

 ウォールストリートのメッセンジャーボーイから身を起こし、世界的な大富豪にのしあがったHarvey Metcalfeは、当然のことながら危ない橋を渡り、汚い手段をもちいて金をつかんできた。今回狙ったのは北海油田の開発。油田開発の会社を設立し、会社の鉱区で油田を掘り当てそうだというインチキ情報を流し、自社株を高く売りつける。買ったのはオックスフォードにいる若いアメリカ人数学者、ロンドンの開業医、フランス人の画商、そしてイギリスの貴族。いずれも中流以上の人々だ。高値で買った彼らの株は、情報が嘘であることがばれて紙屑同然になる。

 そこで、彼らは数学者の発案で、失った100万ドルをとり返す作戦を開始する。各人がそれぞれの案を考え、4人が協力して、Harvey には気付かれないように巧妙にとり返 していく。画商はゴッホの偽物を売り付け、医者は胆石と偽って腹を切り、高額の手術料を巻き上げる。数学者はオックスフォードへの寄付と偽って25万ドルをせしめる。だが、貴族だけはどうしてもいい案が浮かばない。彼は、美しいファッションモデルと恋に落ち、本来秘密であるべき彼らの計画を彼女にはしゃべってしまう。二人は結婚の約束をかわす。彼はオックスフォードでの一世一代の大芝居でHarveyをかついだばかりの足で 、ロンドンに帯在中の彼女の父に会いに駆け付ける。その父とは彼らの仇Harveyその人であったとは。彼は彼女と結婚するが父のやり方に批判的であった彼女は、父から結婚祝いに25万ドルをせしめ、それを4人に返す。でめでたしめでたしなのだが、最後の最後の数行でまたどんでん返しがある。

 アーチャーはかなりの食通、ワイン通のようで、食卓の描写が詳細で、専門的だ。

 
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書名 著者 安部公房 No
1994-08
発行所 新潮文庫 発行年 読了年月日 94−02−12 記入年月日 94−02−19
 
 
名前を失って、自分の胸の中に砂漠が広がり、やがてその砂漠に壁が生じ、段々成長していく男の物語という第1部のほか、とらぬ狸に影を盗まれ目だけ残して透明になった男の話の第2部、人間が液化しその洪水のために人類は再び滅亡し、その後の世界を作ろうと壁に絵を書き続けていた画家が、結局は壁と一体化してしまったというような話の第3部から構成されている。カフカの「変身」を思わせる作品。寓意は現代社会の疎外といったものだろう。正直いってよくわからなかった。同じ作者の、テーマも同じ様な作品なら「砂の女」の方が分かりやすいと思う。日本のSF作品を読んだことがないのでわからないが、こうした乾いた空想力は従来の日本の作家には異色のものだろう。安部公房が広く国際性を持った作家である由縁だ。

発表誌
 壁 S・カマル氏の犯罪 「近代文学」 s26年2月号
   バベルの塔の狸   「人間」   s26年5月号
   赤い繭       「人間」   s25年12月号


「それでも・・ブックガイド」の評;古き良き寓意。田舎の優等生向き。

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書名 愛の生活 著者 金井美恵子 No
1994-09
発行所 新潮文庫 発行年 昭和48年 読了年月日 94−02−24 記入年月日 94−02−25

 
国会図書館で新規事業関係の調べものをしている際、借りだして読んだ。1時間程で読み終える短篇。

 デザイン事務所で働こうとしている女の、起きてから(彼女が起きたときにはもう夫はいない)、新宿に行って、夕方帰りかける迄の半日の心の動きを記述したもの。大学ので教える夫のF、京都にいる男友達、彼女がその日会う画家、これらの3人の男性に対する彼女の思いが、過去の回想を織り混ぜて綴られる。したがって時間は現在から過去へと自由に飛び回る。主人公が寝ている間に、自分で朝食をすませて出ていく夫を、愛しているのかいないのか?京都の男に対する気持ちは?いずれもはっきりしない。これが「愛の生活」か?最後に、彼女の後ろから少年と少女の会話が聞こえてくる。

−−
30才まで生きたくないって?死にたきゃ勝手に死ぬがいいわ。出来もしないこと、言わないことね。
−−願望だよ。みっともない大人になりたかないんだ。願望なんだ。
−−前略・・・甘ったれないで。自殺でもしてみたら。

この会話の直後に少年と少女は車に轢かれて、少女の方は即死するというショッキングなシーンで終わる。

「それでも・・・ブックガイド」推薦。短評;一流の作家になるには小説ばかり読んでいては駄目ということを痛感させる初期の逸品。痛感できたなら、「岸辺のない海」に挑むべし。


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書名 野火 著者 大岡昇平 No
1994-10
発行所 新潮文庫 発行年 昭和29年発行 読了年月日 94−03−01 記入年月日 94−03−03
 
 
かつて耳にした評判通りのすごい小説だ。

 フィリピンのレイテ島を舞台にした一敗残日本兵の、極限状況下での心理を扱った小説。肺浸潤の病をもつ田村一等兵は、敗色濃い軍隊から、口減らしのため放り出される。こうして、彼のレイテ島の山野への放浪がはじまる。彼は心の底では生には執着していない。山間にまだ日本軍の掠奪の手を逃れたいも畑を見付けたりして、どうやら食いつなぐ。その間に、たまたま遭遇したフィリピン人の女を、反射的に撃ち殺す。だがその後すぐその銃を川に投げ捨ててしまう。やがて出会った日本兵達と集結命令の出ている地点を目指す。だが、それも米軍に阻まれ、再度、山野を彷徨する。熱帯の山野には、傷つき、行き場を失った飢えた日本兵、あるいはその死体にあちこちで出会う。そんなときに出会った瀕死の一将校は、彼に自分を食ってくれといって死ぬ。右手に剣を持ち、将校の腕の肉を削ぎ落とそうとしたが、彼の左手がそれをおさえる。だが、将校の死体に群がる血を吸って膨れた山ひるはとってその血を吸う。さらに彷徨ううちに、かつて野戦病院の前で知合った二人連れの兵に会い、彼らから供される「猿の」干し肉を食べる。最後は二人連れの若いほうの兵士が、歳とった方を殺し、食べようとする。田村はその兵士を撃ち殺してしまう。

 こうした一連の事件の中で、インテリである田村一等兵の心理と彷徨う熱帯の山野の描写が克明になされる。
例えば主人公がはるかに見えた十字架に惹かれて入っていった海辺の村落のその会堂での描写;
 「
会堂の階段の前の地上にあった数個の物を、私がそれまで何度もそこに眼を投げたにも拘らず、遂に認知しなかった理由を考えてみると、この時私の意識が、いかに外界を映すという状態から遠かったかがわかる。不安な侵入者たる私は、ただ私に警告するものしか、注意しなかったのである。「物」と私は書いたが、人によっては「人間」と呼ぶかも知れない。いかにもそれは或る意味では人間だあったが、しかしもう人間であることを止めた物体、つまり屍体であった。
・・・・・・・・・・・・

 
頭部は蜂にさされたように膨れ上がっていた。頭髪は分解する組織から滲み出た液体のため、膠で固めたように皮膚にへばりつき、不分明な境界をなして、額に移行していた。以来私はこの光景を思い出すことなく、都会の洋裁店等に飾られた蝋人形の、漠然たる生え際を見ることが出来ない。
・・・・・・・・・・・・
 今平穏な日本の家にあってこの光景を思い出しながら、私は一種の嘔吐感を感じる。しかしその時私は少しもそれを感じた記憶がない。嘔吐感は恐らくこの映像を、傍観者の心で喚起するためである。平穏な市民の観照のエゴイズムの結果、胃だけが反応するからである。
 その時私の感じたのは、一種荒涼たる寂寥感であった。孤独な敗兵の裏切られた社会的感情であった。この既に人間的形態を失った同胞の残骸で、最も私の心を傷ましめたのは、その曲げた片足、拡げた手等が示すらしい、人間の最後の意志であった
。」

 またこんな描写もある;
 「
林の中は暗く道は細かった。樫や櫟に似た大木の聳える間を、名も知れぬ低い雑木が隙間なく埋め、蔦や蔓を張りめぐらしていた。四季の別なく落ち続ける、熱帯の落葉が道に朽ち、柔らかい感触を靴裏に伝えた。静寂の中に、新しい落葉が、武蔵野の道のようにかさこそと足許で鳴った。私はうなだれて歩いて行った。
 奇怪な観念がすぎた。この道は私が生まれて初めて通る道であるにも拘らず、私は二度とこの道を通らないであろう、という観念である。私は立ち止まり、見廻した。
・・・・・・・・・・・・・
 比島の林中の小径を再び通らないのが奇怪と感じられたのも、やはりこの時私が死を予感していたためであろう。我々はどんな辺鄙な日本の地方を行く時も、決してこういう観念には襲われない。好む時にまた来る可能性が、意識下に仮定されているためであろうか。してみれば我々の所謂生命感とは、今行なうところを無限に繰り返し得る予感にあるのではなかろうか。

 
 漢語の多用は、人肉食というきわめて重い、深刻なこの小説のテーマによくあった文体だ。米軍の支配する国道を横断しなければ目的の集合地にはいきつけないのだが、真夜中の横断を察知され、大方の日本兵はやられてしまう。この戦闘場面の描写も迫力に富み、グレアム・グリーンの「Quiet American」の中の戦闘シーン、あるいは開高健の「夏の闇」を思わせた。

 フィリピンの自然とそこで繰り広げられた敗残兵の惨状は、映像としては表すことは出来るだろう。しかし、主人公の心理をその映像から汲み取ることは出来ないだろう。それはどうしても言語による表現しかありえない。文学万才といっていい。
 巻末の解説で吉田健一が日本の現代文学に始めて小説と呼べるに足るものが出現したと本作品を激賞している。

「それでも・・ブックガイド」推薦。
同誌の短評;極限状況を描いてスタンダール的「心理小説」をこえたかもしれない戦後文学の記念碑。野間宏「暗い絵」よりずっと上。

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書名 金井美恵子詩集 著者 金井美恵子 No
1994-11
発行所 思潮社 発行年 1973年 読了年月日 93−03−04 記入年月日 94−03−04
 
 
日比谷図書館で見付けた薄手の本。詩の他に短篇小説、評論、自伝等が収められている。詩の数も詩集というにしてはきわめて少ない。数えてみると著者26才の時の詩集だから止むを得ない。むしろ26才にしてこうした全集に取り上げられることのすごさを思うべきだ。

 詩集は私にはなじみにくい怪奇的、あるいはサディスティックなイメージに富むものだ。そのメチャクチャとも思える奔放な言葉の氾濫に、私のイメージはついてはいけない。それでいて投げ出したりは出来ない詩だ。なんとなく心にかかる。尻とか舌、口といった肉体の部分がよくでてくる。
 恐らく彼女の代表作であろうと思われる「マダム・ジュジュの家」という詩の一部を引用してみよう;

 
都市の内蔵のツルツルした腸中に転ずる/矢印にしたがって/回転する海のドームの上のマダム・ジュジュの家へ。/・・・・・・・・・・・・/大理石の深部の桑の実色のアザを/あなたが鮮やかに吸いあげるのが見られるわ。/回転する海の上の苺畑で/娘たちが引きずる垂れ流しが見られるわ。/・・・・・・・/あえやかな叫び声は/マダムのふり落とす鞭の下のあなたのお尻につきささる/永続的な痙攣なのよ。/・・・・・・・/マダム・ジュジュは鞭をふりあげながら/歌うようにやさしく あなたを励ますのよ。/《みなもとの矢種は貫けよ!/告げられる愛の言葉の暴力を/虚ろへの眼力にしぼって/ああ 愛の生一本。》・・・・・・

 裏表紙におかっぱ頭の高校生のような著者の写真が載っている。この少女のどこにこんな詩のイメージがひそんでいるのかと思うような詩と、写真との乖離だ。「愛の生一本」とか「見よ韜晦の朝あけて」といったパロディまがいのフレーズが所々に出てるのがご愛嬌だ。

 小説の方はわかりやすい。「春の画の館」も詩と同じように幻想的な怪奇的作品だがイメージしやすい。「覚え書 余生について」という短い自伝ふうのエッセイも別のところで引用したが、共感を覚えるものだ。

 
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書名 Shall We Tell The President? 著者 Jeffley Archer No
1994-12
発行所 CORONET BOOKS 発行年 1986 revised edition 読了年月日 94−02−26 記入年月日 94−03−07

 
前の作品よりは英語が読みやすかった。アメリカ史上初の女性大統領に対する暗殺計画の情報をキャッチした若いFBI捜査官が、犯人グループを割り出し、寸前に暗殺を防ぐというスリリングなストーリー。

 舞台はワシントン。時代はレーガンの後という設定だ。大統領の提案した武器の規制法案(今アメリカで大きな問題となっていて、先頃ブレイディ法案が通過し、武器規制に向けて踏み出そうとしている。こうした事情を見ると、アーチャーの先見性は大したものだ)をなんとしてでも阻止したい一上院議員が、最後の手段として殺し屋グループを雇い、大統領の暗殺を計画する。上院議員がからんでいるということと、決行の日は3月10日ということだけが情報提供者(彼は情報提供直後に病院で殺される)からえられた情報だ。それだけを手がかりに、若いFBIの捜査官がグループの割り出しに奔走する。このことを知っているのはFBIの長官だけだ。犯人をその場で押さえたいと思う長官は、一切を秘密にし、大統領にも知らせない。最初はがせねたにも思えたこの情報は、同僚の捜査員が殺されるにおよび真実味を増してくる。マークは全上院議員の行動を調査し、次第に網を絞っていく。時間は限られている。その間に、マークは情報提供者の殺された病院の、美貌の女医に恋をする。彼女の父は上院議員で、武器規制法には反対だ。状況証拠から女医の父が首謀者のような雰囲気で進行する。

 だが、マークが真の首謀者をもう一人の法案反対の議員であることに気が付いたのは暗殺予定時刻の直前であった。FBI側も直前になるまで暗殺の実行方法を見抜けなかった。だが長官の機転で別コースを取った大統領は、暗殺予定現場の議事堂正面には現われなかった。これを知った狙撃者は、大統領を出迎える議員連の中の首謀者の上院議員を撃つ。狙撃者も口を割る前に落命するように仕組まれている。というわけで事件の真相はマークと長官だけの胸に収められる。
 翌日、長官とマークはホワイトハウスに招待されるが、何も知らない大統領の待つ大統領執務室に向かいながら、マークは長官に「Shall we tell the president?」きくところでこの小説は終わる。この文句は他にも2 回ほど出てくる。もちろん、答は「No」だ。

 鋼のように強靭な精神をもつ長官がきわめて魅力的に描かれている。男の一つの理想像のような長官だ。こんな凄い人物が警察にいる限り我々の日常生活も保証される。知合って一週間でベッドをともにすることになるマークと女医の恋は、いかにもイギリス流の物語り展開だと思う。


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書名 ベッドタイムアイズ 著者 山田詠美 No
1994-13
発行所 河出文庫 発行年 読了年月日 94−03−09 記入年月日 94−03−09

 
薄い文庫本で、しかも活字が普通の倍ほどあり、間隔も大きく開けてあるので30分程で読めてしまう小説。これも「それでも・・ブックガイド」に例文として取り上げ、解説してあった小説なので買った。

 米軍相手のクラブの歌手が、黒人脱走兵と愛し合うようになり、脱走兵は最後は軍事機密を売っていたかどで逮捕されるというだけの話。言葉もかわしたことのない二人が、お互いに視線で感じ合い、いきなり動力室みたいなところで、コンクリートの壁にもたれながらセックスするところから二人の関係は始まる。ベッドシーンと英語の俗語が頻出する。著者は二人の愛を、距離をおいたり、高いところからは描こうとしない。あくまでも登場人物と同じ視点からとらえる。即物的官能の世界だけを描く。だが、いままで自堕落な生活と自ら認める生活を送り、何人もの男と寝ていた(事実、黒人兵と同棲してからも、他の男と寝たりしている)女が、黒人兵に感じた思いは初めての愛であった。彼女が尊敬し慕う、ストリッパーのマリア姉さんと黒人兵が寝ている現場を見たとき、彼女はマリアに嫉妬を感じ、自分の黒人兵に対する感情が愛であることを悟る。ナウい「愛の生活」。

 こうした作品を読むと、どこまでが作者の体験かという興味が先に立つ。作者に関しては私は何も知らないが、黒人の愛人でもいたのだろうか。
 1987年発行

94ー04ー09;先日の新聞の文化欄に山田詠美の写真入りのコラムが載っていた。まだ若い、なかなかの美人であった。コラムは、書くことに決めてから、もうかなりたつのにまだ1行も書いていない長編のことで、自分の怠惰ぶりを自嘲していた。だが最後にいたり、最初の1行が書ければその小説はもうできたも同然というような落ちがついていた。


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書名 そんなバカな!遺伝子と神について 著者 竹内久美子 No
1994-14
発行所 文藝春秋社 発行年 91年3月 読了年月日 94−03−12 記入年月日 94−03−28
 
 
生物は単に利己的な遺伝子が自分を増やすための乗り物にすぎないのだというドーキンスの説で、色々な生物、社会現象を斬って見せたもの。語り口は明快で、強引で、軽く、快調に展開する。サラサラと読めてしまって、「そんなバカな」という思いも深いものではない。アリ、ミツバチ、人類猿などの主として生殖行動を取り上げ、それから動物としての人間に当てはめる。その基本にあるのが利己的な遺伝子。人間の場合はこれに、ミームと称する文化を遺伝子に見立てたものが支配する。人間はこの二つの乗り物でしかないというのだ。

 例えば姑と嫁の争いという永遠の課題が、なぜ永遠なのか著者によれば以下のようになる:
 母親は当然自分の息子の繁殖に多大の期待をかける。自分の遺伝子を少しでも多く残したいからだ。閉経して自分では繁殖できなくなった母親は、息子が別の女との繁殖活動を持つことを望む。財力があれば息子は家庭外の繁殖ができる。しかし一般にはそうはいかない。それで次にとる手段として嫁をいじめて家にいられないようにする。嫁が子供ずれで実家に帰れば、養育費も不用になり、息子の繁殖にも有利となる。ここに嫁と姑の壮絶な戦争が始まる。

 また著者は「
人間の人間たる最大の特徴は自分のやっていることの意味を・・・いつまでたっても気が付かない、あるいは自分の姿を無意識のうちに歪曲した形でとらえてしまうという性質であると結論せざるを得ない」と述べ、こうした性質は遺伝子のコピーを増やすのに役立っているとする。ではそれはどこからきたか。それは女が閉経後も男とセックスできること、男もそれを喜んで受け入れるというチンパンジー等には見れない、人間だけの生理的特徴に由来するというのだ。

 私自身しょせんは遺伝子に支配された乗り物でしかないという思いは、いつも心の隅にある。こういう割り切り方は一つの逃避であるが、心の平安のよりどころでもある。
 本書の前半では動物行動学や生物学一般の解説が、エピソードをまじえて世界的な研究者の学説を通して行われている。その中で「自由な魂の遍歴」としてクリックにも1章をさき、自伝「What Mad Pursuit」に言及し、日本語の「熱き探求の日々」という題は感心しないといっている。原題はキーツの詩の一文で、邦題はその味が出ていないというのだ。
 山田専務がこんな面白い本があるから読んでみたらといって2月に田川に行った時貸してくれた。意外だった。


 
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書名 思想としての近代経済学 著者 森嶋通夫 No
1994-15
発行所 岩波新書 発行年 94年2月 読了年月日 94−03−21 記入年月日 94−04−09

 
リカード、ワルラス、シュンペーター、ヒックス、高田保馬、ヴィクセル、マルクス、ウェーバー、パレート、フォン・ミーゼス、ケインズを取り上げる。

 一言で言えば、実際に完全な自由市場の成立する場はない。それ故に、それを前提として展開される経済学説には色々の矛盾が生じるということだろうか。
従って完全な価格機構も今の世では成立しない。また「供給はそれ自身の需要をつくる」というセイの販路法則も成立しない。経済学はいろいろな社会科学と統合された広い視野を持たなければ、現実の経済現象を説明できない。


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書名 男と女の進化論 著者 竹内久美子 No
1994-16
発行所 新潮文庫 発行年 94年2月 読了年月日 94−04−01 記入年月日 94−04−09
 
 
前著に続くもの。「女のシワは何故できる」から始まり、「芸術は威嚇だ」「ポルノは地球を救う」と続き「私、チャールズ(ダーウインのことで、ダイアナ妃と別居中のあのチャールズではない)の味方です」で終わる刺激的な章を並べている。

例えば「背の高い男は何故モテるか」という章の答えはこうだ;
狩猟採集で生きていた人類は当時背の高いということはそれだけ有利であった。草原での見通しは効くし、足も早い。また他の肉食獣に対する威嚇効果もあった。男の狩りの現場を見ることのなかった女にとって、背の高いということは男の甲斐性の証明であった。のみならず、背の高いということは、食料が十分であるということの結果でもある。こうした男とならたくさんの子供を残すことが出来るというわけだ。とここまではまあ常識的といえる推論だ。

 だが著者はさらに想像をたくましくする。すなわち人類が直立歩行を獲得した進化の要因として、女の背の高い男を好むというこの性質を挙げているのだ。人間が完全に直立する前は、女は背の高さではなく体全体の長さで男を評価していたに違いない。体の短い男は上体を反らし気味にして自分を大きく見せようとした。女はそんな男を勘違いしてその妻となり、母親のそういう形質はまた娘にも継がれ、人間は男も女も徐々に立ち上がったのではないかというのだ。女の勘違いが直立歩行という人類の進化史上の最大イベントを推進したのではないかというわけだ。とならば、背の高い男に夢中になる女も許されようというものだ。

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書名 電気の謎をさぐる 著者 本間三郎、山田作衛 No
1994-17
発行所 岩波新書 発行年 94年3月 読了年月日 94−04−12 記入年月日 94−04−13

 
電気は目に見えず私もっとも苦手とするところだ。今までの電気に対する理解になにか新しい地平が拓けるかと思って本書を手にした。羽田空港の本屋で田川に向う前のことだ。摩擦による電気現象の発見から、原子の概念、電磁波の発見、量子力学、素粒子論の展開まで、電気の本質とはなにかを記述する中で、実はこれは物理学の解説であり、歴史の概略にもなっている。原子核の発見に至るまでの古典的電気論を述べた第3章までは非常にわかりやすい。電気の古典的な意味での本質をクリアにしてくれる。おもしろかったのは電子の電荷がマイナスなった下り。フランクリンに敬意を表してのこと。ここまでの著者は本間。

 電磁波の発見から、量子論、素粒子論にいたる後半の4章はよく理解できなかった。第4章ではいきなりマックスウエルの電場と磁場の方程式が出てきて、その「対称性」から、電場と磁場とは一体のものであると説明される。わたしなりにその方程式を眺めていて、電磁波とは電場により磁場ができ、その磁場がまた電場を作り、また磁場ができというふうにして空間を伝わる波だという、従来の私の理解は当たっているということにした。光も電磁波の一つであるということは、光の源が電気と同じようになんらかの電子の運動によるものであることを考えれば、理解しやすい。

 素粒子論になるとなじみがなくて半ばお手上げ状態。自然はどこまで細分化されていくのだろうかという疑問が付きまとう。いま究極の素粒子とされているクオークでも、もっと大エネルギーの加速器ができれば、さらに細かい粒子に分割されるのではないか。こうして物理学も、生物学と同様循環論に陥る。それはあたかも数学におけるゲーデルの公理のようなもので、ひとつの粒子では説明できないことがかならずあり、そのためにさらに細分化された粒子を必要とし、こうして次々と新しい粒子が生まれてくる。粒子を概念と置き換えてもいい。これも反面では、人間理性の無限の可能性というとらえ方もできるのだろう。

 電子と陽子の電荷が釣り合っている理由も、電荷には最小単位がある理由もまだわかっていないと本書の最後に書いてある。宇宙はどうしてできたのかという根本的な問題とかかわることなのだろう。
 著者は二人とも東大原子核研究所の教授。本間さんの記述はわかりやすく、親切で、どんな人が書いているのだろうと、読みながら思わず、巻末の著者の肩書きを見てしまった。

96ー02ー10
 二、三日前の新聞にクォークより小さい粒子が確認されたという記事が出ていた。まだ学会に認められたわけではないが、やがてクォークを構成する素粒子探しに物理学者が競争する時代が来るだろう。そして人間の理性は果てしない細分化の泥沼から抜け出せないのだ。

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書名 色ざんげ 著者 宇野千代 No
1994-18
発行所 新潮文庫 発行年 昭和24年 読了年月日 94−04−19 記入年月日 94−04−20
 
 
アメリカ帰りの画家をめぐるつゆ子、とも子、高尾の三人の女たちの恋の物語。主人公の湯浅は妻子まである身で、つゆ子、とも子に激しい恋情を抱き、とも子とは結婚までする。だがつゆ子との関係がばれてとも子には逃げられてしまう。つゆ子との心中をはかった湯浅は自分だけが助かり女は死ぬ。三人の女の行動もまたエキセントリックだ。特にはじめに出てくる高尾の行動はその感が強い。

 巻末の解説に情痴小説という、今では死語に近い言葉が出ていた。解説者の河盛好蔵は単なる情痴小説ではないといってこの作品を高く評価している。とくに女たちのひたむきな恋愛は読者を圧倒するといっている。同感だ。昭和9年から10年にかけての作品。当時の上流階級の生活や、東京の様子がしのばれる。アメリカへはもちろん船で行く。四谷は広大なお屋敷町であり、洗足は田舎だ。そんな時代に、こんなに行動力のある女たちを描けた作者自身が進んでいたのだろう。

 ただ抑えたというよりもほとんどないに等しい性愛描写は、戦後の文学と大きく違うところだ。情痴小説というからにはもっときわどい男女の場面があってよさそうなものだが、唯一のそういう場面は、湯浅が高尾にホテルに連れ込まれるところだけ(湯浅が高尾を連れ込むのではない!)。それもたいしたことなく一夜が明けてしまうのだ。作家が今のような自由な性愛描写の市民権を得たのはここ25年くらいのことのようだ。曾野綾子の先頃読んだ新聞の連載小説ですら、かなり突っ込んだセックスシーンがあった。 

「それでも・・・作家・・」評;男の一人称で印象的なヒロインを描こうとする女性は、必読。この人は「人生相談のお婆さん」だけではない。

 
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書名 人間失格 著者 太宰治 No
1994-19
発行所 新潮文庫 発行年 昭和27年 読了年月日 94−04−23 記入年月日 94−04−30

 
まず「それでも・・・作家・・」評;主人公の自意識過剰の卑劣漢ぶりは、谷崎潤一郎「卍」の名脇役・綿貫と双璧。

 次々に女のところに転がり込んで、養ってもらい、あげくは心中して女だけを死なせたり、あるいは平気で捨てたりする主人公の生き方は、常軌を逸しており、卑劣漢呼ばわりされても当然だ。自分の同棲相手が他の男に犯されている現場を目にしながら、逃げ出してしまうところなど腹が立ってくる。だが、私がそうした場面に遭遇したら、やっぱり同じような振る舞いをするのではなかろうかと思う。特に第一の手記と第二の手記の前半部分の主人公の幼年時代から少年時代を述べた部分は、私の少年時代の心情に似たところがあると思う。人を恐れ、世の中を恐れ、すねたように心を閉ざしところが。だが、この小説の主人公は「道化」を演じることで世の中に生きていく術を身につけるのだ。私にもそうした傾向はあった。しかし、本気で道化を演じることはできなかった。そのかわり私の子供時代はただ意味もないのにいつも顔に笑いを浮かべていた。東京に出てきたての頃、クラスで「笑いの仮面」というあだ名をもらったことがある。私の場合顔の表情を緩めることが太宰の場合の道化に相当したのだ。世間に対する精一杯の武装であったように思う。

 主人公が津軽の田舎から東京の高校へ上京してきて、友人堀木に関するこんな記述がある:
 
堀木と附き合って救われるのは、堀木が聞き手の思惑などをてんで無視して、その所謂情熱の噴出するがままに、(或いは、情熱とは、相手の立場を無視する事かもしれませんが)四六時中、くだらないおしゃべりを続け、あの、二人で歩いて疲れ、気まずい沈黙に危惧が、全く無いという事でした。

 私の生涯はそうした情熱とは無縁のものだ。他人のそうした情熱を疎ましく思う一方で、持ちえたらもっと社会的に評価される実績を残し得たようにも思う。

 また次のような記述もある:
 
それにまた、青春の感激だとか、若い人の誇りだとかいう言葉は、聞いていて寒気がして来て、とても、あの、ハイスクール・スピリットとかいうものには、ついて行けなかったのです。教室も寮も、ゆがめられた性欲の、はきだめみたいな気さえして、自分の完璧に近いお道化も、そこでは何の役にも立ちませんでした。

 旧制高校の寮をそのまま引き継いでいた大学の教養課程時代の寮を思い出す。当時私の精神は昂揚の絶頂にあったが、寮のあの雰囲気には絶対になじめないものをかぎとっていた。旧制高校のあのバンカラムードの本質を太宰は見事にえぐり出している。太宰の「斜陽」を読んだのは20歳前後と思う。大学に入りたての私の気持ちとはまったくそぐわない小説だという印象が残っている。

 昭和23年、太宰の最晩年に書かれた自伝的要素の強いこの小説に対し、巻末の長い解説の最後を、奥野健男は以下のように結んでいる:
 
この作品は、ある性格を持って生まれた人々の、弱き美しきかなしき純粋な魂をもった人々の永遠の代弁者であり、救いであるのだ。太宰は「人間失格」一編を書くために生まれてきた文学者であり、この一編の小説により、永遠に人々の心の中に生き残るであろう。

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書名 ドグラ・マグラ 著者 夢野久作 No
1994-20
発行所 角川文庫 発行年 昭和51年 読了年月日 94−05−07 記入年月日 94−05−07
 
 
文学の豊饒を示す作品。日本文学はなにも私たちが中学や高校で習った漱石、鴎外、直哉、竜之介ら、正統派の作家と作品だけでなっているものではない。

 題からしておどろおどろしい小説だ。中身も題名から想像されるとおりの奇怪なもの。ちなみに「どぐら・まぐら」と入れて一太郎Ver5で変換させてみると、「土倉・真倉」と出てきた。本書中では主人公の呉一郎の治療に当たる若林教授が、ドグラ・マグラとは維新前まではキリシタンバテレンの使う幻魔術の長崎地方の方言で、「堂廻目眩」「戸惑面喰」という字を当てもいいと言っている。若林教授はさらにこの物語はエログロナンセンスの極みだとも言っている。

 一種の探偵小説の形を取っているが、一読わかったようで結局は何がなんだかわからないのだ。福岡地方に起こった中年の寡婦の殺人と、その1年後に起こったこの寡婦の姪の殺人事件がストーリーの中心。犯人は二つ目の殺人の後で発狂する寡婦の一人息子の呉一郎とされる。姪は彼の許嫁で、祝言の翌朝、倉の二階で絞殺される。この二つの惨劇の背後には、呉家に流れる狂人の血が関係し、遠い祖先の心理が一郎に遺伝したのだというのだ。1100年前、新婚の自分の妻を殺しその死体の腐敗する様を自ら絵にして、それを玄宗皇帝に献上して、皇帝に人生のはかなさを悟らせようとした臣下の呉青秀が呉家の祖先で、青秀の心理(実は変態性欲)がその家系の男子に遺伝しているのだ。呉一郎青年は、ある人物から絵巻に描かれた腐敗してゆく死美人の6葉の絵を見せられ、その絵にとらわれ、凶行に及ぶのだが、実はこの絵を見せたのは九大の精神科の正木教授だった。教授は心理遺伝とか、胎児の夢とか、精神病患者の解放治療といった独創的な自説を実証するための研究材料として一郎を使ったのだ。しかも、一郎は自分の子だった。一応事件の形はそれでつくのだが、最後までわからないのが、一郎と瓜二つの本小説の語り手である狂人の正体が何者であるかだ。しかも、これはすべて胎児の夢だといってこの小説は終わっている。

 呉青秀の心理を正木が語った中に以下の様な下りがある;
・・美人の剥き身が、少しずつ少しずつ明るみを失って、仄暗く、気味わるく変化して、ついには浅ましく爛れ破れて、みるみる乱脈な凄惨たらしい姿に陥って行く、その間に表現れて来る色と形との無量無辺の変化と推移は、ほとんど形容に絶した驚異的な観物であったろうと思われる。その間に千万無量に味わわれる「美の滅亡」の交響曲を眼の前に眺めつつ、静かに紙の上に移していく心持ちは、とても一国の衰亡史を記録する歴史家の感想なぞとは比較にならなかったろうと思われる。

 この本の別の魅力は、前半で展開される正木博士の「脳髄論」とか精神病患者の扱いに関する痛烈な批判、「胎児の夢」という独特の心理学的論述だ。
 胎児の夢;胎児は生まれるまでに母の胎内で系統発生を繰り返しつつ発達してくるが、その間に進化の過程のあらゆる面で夢を見るというのだ。この夢は激しい生存競争の夢だから当然悪夢となる。
 精神病患者の扱いを批判した部分では、オーウェルの「1984」を思わせる所もある。脳髄論と称する作者が渾身の力を込めて書いている部分には、ミンスキーのエージェントセオリーを思わせる主張もある。脳は考える器官ではなく、人間の全身の細胞が感覚を持ち、脳は単にそれら細胞の一つ一つと反射交換する機能しか持っていない、いわば電話交換局に過ぎないのだといった主張が延々と述べられる。

 この作者の小説は10年以上前に職場の同僚、泊りさんが貸してくれた「あやかしの鼓」という変態性欲を扱ったものを読んだことがある。泊りさんの読書傾向は変わっているなと当時思った。
 昭和10年自費出版として発行。作者は翌年47歳で死去。1500枚の大作。

「それでも・・作家・・」評;面白うてとてもヤヤコシイお話。


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書名 歯車 著者 芥川龍之介 No
1994-21
発行所 岩波文庫 発行年 読了年月日 94−05−08 記入年月日 94−05−13
 
 
芥川最晩年の作品。「歯車」の他に「玄鶴山房」と「或阿呆の一生」とを収める。いずれも短編。初期の作品に比してこれらの作品は私には理解できない。いったいこうした作品が文学としての普遍性、あるいは社会性を持ちうるのだろうかという疑問がどうしてもわく。特に、この作品集を開高健の「パニック」と平行して読んだからその感が強いのだろう。一個人の内面の苦悩を述べただけでストーリーと言ったものはあまりない。小説らしい形態を保っているのは「玄鶴山房」だけだ。その題名からして中国の古典に題材を求めた小説かと思ったが、まったく違って、複雑な家庭内の葛藤を描いたもの。この作品に登場する本妻の子供が作者自身ではないかと思った。この作品はまだわかる。いずれも昭和2年、作者の自殺の前に書かれたもの。

「それでも・・作家・・」評;馬鹿には小説が書けぬという見本。各断章間の疎密の調整ぶりが参考になる。

「或阿呆の一生」より:
「人生は一行のボオドレエルにも若かない。」

 
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書名 パニック・裸の王様 著者 開高健 No
1994-22
発行所 新潮文庫 発行年 昭和35年 読了年月日 94−05−18 記入年月日 94−05−21
 
 
連休の谷間の4月30日の土曜日に青葉台の新妻皮膚科に魚の目の治療に行った際、診療待ちの人が50人位いたので、このまま1時間も待たされたのではたまらないとばかり、隣のビルの文教堂に行き目に入った本書を購入した。

 表題の二編の他に「巨人と玩具」「亡流記」を収録。いずれも先の芥川の小説と対比をなす。はるかに親しみを覚える。ねずみの大発生とその間の人間の対応(主として官僚組織の硬直性)を描いた「パニック」、今でいう自閉症の子どもの心を、絵を描くことによって開こうとする画塾の若い教師の苦闘を扱った「裸の王様」、大手製菓メーカーの宣伝部員を主人公とし、激烈な宣伝競争を題材とした「巨人と玩具」。いずれも普遍性、社会性を持ち、読んでいても共感を覚える。「流亡記」は秦の始皇帝の時代を舞台にしたちょっと変わった小説、あるいは独特の歴史解釈と言ったもの。これも社会組織の一員としての人間のあり方を扱ったもの。先の3編は芥川の前記の小説からちょうど30年後に発表されたもの。しかも「裸の王様」は芥川賞を得ている。その30年の歳月の間にある隔たりは大きい。しかし、開高のこの小説から、時代はもう35年以上たっているのだ。にもかかわらず、開高の小説は今読んでも新鮮で、共感を覚える。驚くべきことに、昭和32年8月「パニック」、同10月「巨人と玩具」、12月「裸の王様」と発表されているのだ。「パニック」の最後は、ねずみの大群が、何物かにつき動かされたように、後から後から湖に入っていくところで終わるが、作者の内部にもそれに似た爆発的エネルギーが蓄えられていたのだろう。

 「裸の王様」では、アンデルセンの童話を題材にとり、子ども達にその場面の絵を描かせるコンクールを行うのだが、自閉症の子どもの書いた裸の王様はなんと、城の石垣と堀の前の松並木を背景にした、ちょんまげ、越中ふんどしに刀を差した殿様の絵だった。はっと胸を突かれるような発想だ。だが、大人はこの絵を理解しない。「巨人と玩具」は「パニック」「裸の王様」に比して高くは評価されていないようだが、キャラメルの歴史的考察、宣伝合戦など専門家顔負けの知識に基づいて書かれていて、感心する。新規事業の一環としてキャンディーの事業化の一端を担いでいた私の知識などいったい何であったろうと思うほどだ。これらの作品を読むと、自分にも小説が書けそうだという気持ちが消し飛んでしまう。

 開高の作品を読んでいて、その文体が三島の文体と似通ったところがあると感じた。比喩の古典的な格調を感じさせる華麗さがそう思わせるのかもしれない。

 94-05-19
 特許庁に行ったら一階のロビーの壁面に子どもの絵が展示されていて、そこだけパッと明るく、異様な光彩を放っていた。科学技術週間か何かの催しで、募集した作品の中から入賞したものなのだろう。フロンを喰う鳥、柄のない傘、ごみ処理ロボット、などなど、たくさんの楽しい絵が一面に並べられていた。発想やデッサンはまあ大したことはないとも思えたが、その原色を使った色彩のあざやかで、豊かなことには目も眩むばかりだった。


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書名 地球を救う大変革 著者 比嘉照夫 No
1994-23
発行所 サンマーク出版 発行年 93年10月 読了年月日 94−06−01 記入年月日 94−06−04

 
琉球大学の教授の書いた、たいそうな題の本である。EM(Effective Microorganism)と称するものが、農業、環境、さては病気までにもよく効き、病める地球環境と人類を救うと言うもの。

 EMとは好気性菌と嫌気性菌との混合微生物系で光合成細菌、乳酸菌、酵母などが含まれるという。これを使うと、化学肥料や農薬は使わずにあらゆる作物の収穫が上がり、著者の試算では世界の人口が200億になっても食糧は大丈夫だという。またこの微生物を使って家庭の生ゴミの処理ができ、環境浄化に大いに役立つ。さらに進んで、EM菌の培養液を飲んで末期癌が劇的に治った例もあるとさえいう。世界各地での実例をあげてその効用を述べている。有機質肥料としての効用、あるいは環境浄化作用はまあ納得できても、癌の話になるとまゆつばものだ。著者によれば、この微生物系の作り出す抗酸化物質あるいは抗酸化状態がこうした効果の基本であるとのこと。原始地球の好気的条件からやがて大量に発生した酸素は本来生体には有害なものであり、この有害な酸素の作用をEMは守ってくれるという。

 森川社長が面白いといって勧めてくれた。実際は原部長の本。原さんの所には実際にEM菌があって、社長は庭の野菜にかけてその効用を試しているところだ。3月だったか、この菌を使って家庭ごみの脱臭システムを考えたいと原さんがいってきた。4月の初め、高校時代のクラスメート池田さんから電話があって、機械学会の世話役をやっている彼が、春の学会で比嘉教授のこの話を特別講演に頼んで、大変面白かったとわざわざ言ってよこした。そして一昨日JTの本社に行ったとき、たまたま監査室の若山さんという人が河内さんの所にEM農業のことを聞きに来た。なんでもどこかの会合で、EM農業普及に協力しているという人に会ったのだが、 EM農業と言う耳慣れない言葉で、何のことかわからなかったと言うのだ。若山さんには本書を紹介しておいた。

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書名 脱走と追跡のサンバ 著者 筒井康隆 No
1994-24
発行所 角川文庫 発行年 昭和49年初版 読了年月日 94−06−02 記入年月日 94−06−04
 
 
下水管を通り、マンホールから別の世界に入り込んだ主人公のSF作家と、その尾行者、尾行を依頼した主人公の女友達正子の奇妙な物語。その中で現代社会のパロディがふんだんに盛り込まれる。

 主人公が逃れようとするのは、情報の束縛、時間の束縛、空間の束縛の三つ。情報の束縛ではテレビ局のスタジオとコンピュータが徹底的にパロディ化される。時間の束縛では天文台と大学の研究室でどたばた劇が展開される。そして空間に関しては、主人公と尾行者が互いに自分の精神で宇宙を支配しようとせめぎあう。最後には尾行者も、正子も俺の分身であるとする。以前読んだ「文学部唯野教授」よりもわかりずらい。

 著者は差別用語があるとして自分の作品の発表が中止されたことに抗議して目下抗議の断筆中。この作品にもきわどい表現はある。こうした表現は作者の文体であるように思われ、それがまずいと言われることは作家としての死命に関わるものであろう。

「それでも・・ブックガイド」評:前衛的ユーモア志向派はとりあえず必読。

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書名 蒲団・一兵卒 著者 田山花袋 No
1994-25
発行所 岩波文庫 発行年 1930年第1版 読了年月日 94−06−06 記入年月日 94−06−11
 
「蒲団」、自然主義文学の傑作、あるいは私小説の嚆矢として文学史に位置づけられ、教科書にもその名が必ず出てくる作品。はじめて読む。

 出版社で地図の校正などをやりながら作品を書いている妻子のある30代半ばの小説家の、自分をたよって上京した文学志望の19歳の若い女に対する恋情が主題。女には神戸の学生の恋人がいる。二人は清い恋を主張するが、京都で肉体関係までいったことが明らかになり、女は岡山の山奥の実家に連れ戻される。主人公は口では二人の関係に対し、大人としての分別を説き、保護監督者の立場をとるが、内心は女に対する激しい恋い心にとらわれている。そうした内面をありのままに綴り、明治40年発表されると、文壇に大きな衝撃をあたえた作品。こうした私小説といわれるものは若い頃の私は意識的に軽蔑し、避けてきた。今になって読んでみて、文体も、内容も予想以上に読みやすく、面白い作品だった。面白いと思ったのは、当時も若者の新しい生き方、行動、恋愛感が大人の旧式の人生観や道徳観と鋭く対立するものとしてとらえられていること。もちろん「新しい婦人」と言われるものの言動も今から見ればなんと古風なという感じのするものであるのは致し方ない。

 「それでも・・ブックガイド」評;いじこい中年男と文学少女のみみっちい恋を描いて、これまたせこいが、結末の作り方のひとつの定番としては参考になる。

 その有名な結末(私も中学か高校時代に耳にしたことがある。そのあまりの女々しさにこの作品を読んでみようという気にならなかったのだろう)はこうだ;

 ・
・・その向こうに、芳子が常に用いていた蒲団--萌黄唐草の敷蒲団と、綿の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引き出した。女のなつかしい油のにおいと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟のビロードの際だって汚れているのに顔を押し付けて、心ゆくばかりなつかしい女のにおいをかいだ。
 性欲と悲哀と絶望とがたちまち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷たい汚れたビロードの襟に顔を埋めて泣いた。
 薄暗い一室、戸外には風が吹き暴れていた。

 
 「一兵卒」は日露戦争の際に、満州の戦場で一人寂しく戦病死する豊橋連隊出身の兵士の話。

 
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書名 暗夜行路 著者 志賀直哉 No
1994-26
発行所 岩波文庫 発行年 1938年第1版 読了年月日 94−06−22 記入年月日 94−07−02

 
日本近代文学の代表的長編。作者自身を思わせる主人公の心の遍歴を綴ったもので、ストーリーの劇的な展開と言ったものはない。それでいて退屈せずにすらすらと読めた。それは日本語の一つの頂点を示すと思われる引き締まった、簡潔な文体によるものだろう。そして芸術の喜びは細部にあるということ。

 前編は主人公謙作の幼時の回想から、芸者遊びに放蕩を尽くす若者時代、一念発起創作に専念しようと移り住んだ尾道へと続く。そこで彼は東京で一つ屋根の下に住んで生活上の面倒を見てくれていた年上のお栄への結婚を決意する。お栄は謙作の祖父の愛人であった女だ。もちろんその結婚は父の強力な反対にあって成就しないがその過程で、謙作は自分が祖父と母の間の不義の子であると知る。出生の秘密は謙作を悩ます。後編では京都の旅館で見初めた娘と結婚し安定した新家庭を京都に営む。だが最初の子は丹毒で生後間もなく死んでしまう。妻は謙作の留守に従兄弟の男に貞操を犯されるといった不幸が謙作を襲う。謙作は大山の山腹にこもる。そこで彼は一つの境地に達しつつあった。

後編の260ページにはその心境をこう述べている:
 
人間が鳥のように飛び、魚のように水中を行くという事ははたして自然の意志であろうか。こういう無制限な人間の欲望がやがて何かの意味で人間を不幸に導くのではなかろうか。人知におもいあがっている人間はいつかそのためむごい罰をこうむる事があるのではなかろうかと思った。
 かつてそういう人間の無制限な欲望を賛美した彼の気持ちはいつかは滅亡すべき運命を持ったこの地球から殉死させずに人類を救い出そうという無意識的な意志であると考えていた。当時の彼の目には見るもの聞くものすべてがそういう無意識的な人間の意思の現れとしか感ぜられなかった。男という男、すべてそのためあせっているとしか思えなかった。そして第一に彼自身、その仕事に対する執着からいら立ちあせる自分の気持ちをそう解するよりほかなかったのである。
しかるに今、彼はそれがまったく変わっていた。仕事に対する執着も、そのためいら立つ気持ちもありながら、一方ついに人類が地球とともに滅びてしまうものならば、喜んでそれも甘受できる気持ちになっていた。彼は仏教の事は何も知らなかったが、涅槃とか寂滅為楽とかいう境地には不思議な魅力が感ぜられた。

 そして大山登山の途中で大腸カタルにかかり、生死の境をさまよう。駆けつけた妻に手を握られたまま、また眠りに落ちて行くところで小説は終わる。主人公の生死は読む者の想像に任せる余韻を残した結末だ。

 この小説が長編にならざるを得ないのは、一見ストーリーとはまったく関係ないような描写が至る所にはめ込まれているからだ。そしてそれが物語に厚みをもたせ、リアリティを与え、ある場合には主人公の心象の反映となっている。

後者の例には後編243ページに鳥取からの車窓の描写にこんな例がある;
「ああ稲の緑が煮えている」彼は興奮しながら思った。
 実際稲の色は濃かった。強い熱と光と、それをまともに受け、押し合い、へし合い歓喜の声をあげているのが、謙作の気持ちにはあまりに直接に来た。彼は今さらにこういう世界もあるのだと思った。人間には穴倉の中でいがみ合っている猫のような生活もあるかわりに、こういう生活もあるのだと思った。きょうの彼にはそういう強い光が少しもまぶしくなかった。

 それにしても作者の描写は淡々とし、簡潔で美しく、ある意味では非情ですらある。美しい例は大山山腹の夜明けの描写、非情な例は生後間もない子どもの丹毒の経過の描写など。文学の本質はこうした細部の描写にあるということをこの作品は思い起こさせる。そしてもう一つの文学の楽しみとしての、描かれた時代の風俗や風物へのつきない興味だ。大正の初めの銀座、吉原の様子、あるいは京都の様子(まだ牛車が町中を走っている一方で、最初の東京大阪間の飛行機が墜落したりする)など興味つきない。
 「最近」「ひがむ」などという言葉の意味が今とは違っているのも面白い。

「それでも・・・ブックガイド」評;「小説の神様」の最大傑作。ただし、たんなる「私小説」をこえる説話論的構造とその自在な幅にくれぐれも注意せよ。

昭和12年、作者54才の時完成。足掛け25、6年かかったという。


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書名 グッド・バイ 著者 太宰治 No
1994-27
発行所 新潮文庫 発行年 昭和47年 読了年月日 94−07−07 記入年月日 94−07−09

 
福岡までの飛行機の中で「暗夜行路」を読み終えてしまったので、天神のバスセンターの小さな売店で何か読む本はないかと思って入ってみたら、場違いな感じの本書があった。表題の未完の作品の他15編を収録。いずれも終戦直後から死ぬまでの間の作品。題材も、舞台も戦中から終戦直後の混乱期にとっている。こうした時期に現れる強欲、優しさ、色欲といった人間の本質を鋭くついている。「苦悩の年鑑」、「15年間」といったコンパクトな自伝的要素の強い作品、女性に対する作者の本質的な恐れを吐露した「グッド・バイ」、「男女同権」等。中でも「冬の花火」、「春の枯草」の津軽を舞台にした2編の戯曲が、劇的な盛り上がりが見事に形成されていていい。雑誌社から頼まれて上野駅の浮浪児の中を歩くよう頼まれることを書いた「美男子と煙草」の中で、浮浪児達に焼き鳥を恵んでやった後で、主人公の心境を述べたこんな一節がある;
 
もし、私のその時の行いが俗物どもから、多少でも優しい仕草と見られたとしたら、私はヴァレリイにどんなに軽蔑されても致し方なかったんです。
 ヴァレリイの言葉、--善をなす場合には、いつも詫びながらしなければいけない。善ほど他人を傷つけるものはないのだから。


 同じテーマは、作者が妻と幼い子どもを抱えて、着の身着のまま満員の列車を乗り継いで、東京から津軽へ戦火を逃れる途中で、ひもじい思いの車中で、食べ物を恵んでくれた若い女のことを書いた「たずねびと」にもある。この作品の最後を作者はこう結ぶ;
 
逢って、私は言いたいのです。一種のにくしみを含めて言いたいのです。 「お嬢さん。あの時は、たすかりました。あの時の乞食は、私です。」と
ここまでくれば自尊心の過剰ではないかと思う。


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書名 白痴 著者 坂口安吾 No
1994-28
発行所 新潮文庫 発行年 昭和23年初版 読了年月日 94−07−13 記入年月日 94−07−16
 
 
初めて読む安吾の作品。表題の他に6編を収める。

 いずれも戦中から戦後の混乱期を背景にして、人間の愛欲の姿を大胆に綴ったもの。先に読んだ太宰の作品とダブる。「堕落論」という評論の名は知っていたが、安吾というのは私は硬い学者肌の人かと思っていた。だから作品を読んで驚いた。肉体の愛の大胆な肯定が主張されている。太宰の作品以上に終戦直後の下降するもののもつデカダンスのエネルギー、活力があり、それが魅力となっている。こうした作品はもう私には書けない。もし私に小説が書けるとすれば、志賀直哉の作品のに近いタイプのものになるだろう。

「白痴」は、戦時下、娼婦などの住む安アパート群が建つ東京の場末にすむ映画の演出家伊沢の所に、ある夜隣家の白痴の嫁が逃げ込むという異常な設定。隣家の息子である白痴女の亭主も「気違い」であると述べられている。米を炊くことも味噌汁を作ることも知らず、しゃべることも自由でないこの女を伊沢は家にかくまい、そして抱く。「
その日から白痴の女はただ待ちもうけている肉体であるにすぎずその外の何の生活も、ただひときれの考えすらもないのであった。・・・伊沢の手が女の肉体の一部にふれるというだけで、女の意識する全部のことは肉体の行為であり、そして身体も、そして顔も、ただ待ちもうけいるのみであった。」そしてその肉体は眠っているときでさえ伊沢が触れると同じ反応を起こすのであった。

 やがて大空襲。3月10日は幸い難を逃れるが、4月15日は彼らの住む一角も火の海となる。その中を伊沢は女の手を引き、濡れた蒲団をかぶりながら必死で逃げ延びる。群衆の逃げる方へ一緒に逃げようとする女を引き留め:「
馬鹿!」・・・・「そっちへ行けば死ぬだけなのだ」女の身体を自分の胸にだきしめて、ささやいた。「死ぬ時は、こうして、二人一緒だよ。怖れるな。そして、俺から離れるな。火も爆弾も忘れて、おい俺達二人の一生の道はな、いつもこの道なんだよ。この道をただまっすぐ見つめて、俺の肩にすがりついてくるがいい。分かったね」女はごくんと頷いた。その頷きは雅拙であったが、伊沢は感動のために狂いそうになるのであった。ああ、長い長い幾たびかの恐怖の時間、夜の爆撃の下に於いて、女が表した始めての意志であり、ただ一度の答えだあった。そのいじらしさに伊沢は逆上しそうであった。今こそ人間を抱きしめており、その抱きしめている人間に、無限の誇りを持つのであった。二人は猛火をくぐって走った。・・・

 やがて夜が白み二人は助かる。「
米軍が上陸し、天地にあらゆる破壊が起こり、その戦争の破壊の巨大な愛情が、すべてを裁いてくれるだろう。考えることもなくなっていた。」という主人公の心理描写で終わる。

 ここに収められた作品と比して、太宰の作品における戦中戦後の描写の方が悲惨さが少ない。太宰の作品には戦後のどさくさにも関わらずよくもまあこんなに酒ばかり飲んでいられたなあと思う記述がよく出てくる。

 天性のおめかけさんに生まれついたような女を主人公にした「青鬼の褌を洗う女」のなかに相撲に関する一考察があった: 
 
相撲の勝負はシマッタと御当人が思った時にはもうダメなので、勝負はそれまで、もうとりかえしがつかない。外の事なら一度や二度シマッタと思ってもそれから心をとり直して立ち直ってやり直せるのに、それのきかない相撲という勝負の仕組みはまるで人間を侮蔑する様に残酷なものに思われた。相撲取りの心が単純で気質的に概してアッサリしているのは、彼らの人生の仕事が常に一度のシマッタでケリがついて、人間心理のフリ出しだけで終わる仕組みだから、だから彼等は力と業の一瞬に人間心理の最も強烈、頂点を行く圧縮された無数の思考を一気に感じ、常に至極の悲痛を見ているに拘わらず、まるでその大いなる自らの悲痛を自ら嘲笑軽蔑侮辱する如くにたった一度のシマッタですべてのケリをつけてしまい、そういう悲劇に御当人誰も気付いた人がなく、みんな単純でボンヤリだ。
 相撲と相撲取りの本質を見事に突いていると思う。

「それでも・・・ブックガイド」評;白痴女を抱き締める切なさ懐かしさ。

 
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書名 あいびき 著者 二葉亭四迷 No
1994-29
発行所 集英社日本文学全集1 発行年 昭和49年 読了年月日 94−07−27 記入年月日 94−07−30

 
ツルゲーネフの小説の中の一場面を翻訳したもの。驚いたのは、100年前の訳文とは思えないほど現代的であること。樋口一葉の作品と同時に読んでみると、その違いには唖然とするほどだ。恐らく当時としては画期的な文体だったのだろう。

出だしはこうだ;
 「
秋九月中旬というころ、一日自分がさる樺の林のなかに座していたことがあった。今朝から小雨が降りそそぎ、その晴れ間にはおりおり生ま暖かな日かげも射して、まことに気まぐれな空ら合い。
 この林の中で男と女が会う。木陰からのぞいていると、男は主人についてペテルブルグへ行くといって、女を捨てて行ってしまうというだけのはなし。

 「それでも・・・ブックガイド」評;近代文学最大の輸入品たる「描写」の意義を確立した歴史的名翻訳。「浮雲」とあわせて読むべし。

 このブックガイドの五〇編の中にはもう一つ翻訳ものとして鴎外の「即興詩人」(4年ほど前に読んだ)が挙げてある。今日では、日本文学の代表作として翻訳ものが挙げられることはまずないだろう。それだけこの2編のインパクトは大きかったのだ。二つとも素晴らしい名訳であることは一読でわかる。

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書名 にごりえ・たけくらべ 著者 樋口一葉 No
1994-30
発行所 岩波文庫 発行年 1927年初版 読了年月日 94−07−29 記入年月日 94−07−30
 
 
文語調の流れるような文章が美しく、ところどころ文脈や単語によく理解できないところはあっても、リズミカルで心地よい。今からちょうど1世紀前、明治中期の東京の下層庶民の生活がよく描かれている。またしても時代の風俗を味わうことの楽しみ。文学は何よりもその時代の証人だ。

 「にごりえ」は貧しい家に生まれ酌婦となったお力が主人公。菊の井の看板酌婦のお力には金持ちの愛人ができるのだが、かつて彼女に入れ揚げ、働く気もなくし、家庭を赤貧に陥れた男に殺されるという物語。その男の子供に道で高級な菓子を買い与えたのが、男の妻の逆鱗にふれ、夫婦喧嘩となり、逆上した男がお力を殺し、自分も命を断ったのだ。お力の住む銘酒屋の生活より、この男の悲惨な家庭の描写に胸を打たれる。

 「それでも・・・ブックガイド」評;かつてこの複雑な文語体が読まれた事実を肝に銘じたい。あわせて、後半部の「偶然」導入における野蛮さに注目。
 
 男勝りの勝ち気な少女美登利を主人公に、下町の少年少女達の思春期を描いた「たけくらべ」。美登利をめぐる正太、信如の、恋とはいえないような淡い心情が、祭りとか、酉の市とかの下町の風物の中に流れるような文語で描かれている。美登利はやがて女になる日を迎え、今まで遊んでいた正太らとはもう遊ばなくなる。彼女の姉は大黒屋の売れっ子娼婦で、美登利は両親と大黒屋の寮に住んでいる。そして大人になった彼女もまた姉と同じ道をたどらねばならぬ運命が示唆される。色町に平然と住む子供たちという当時の現実が私たちの理解を越えるが、一葉はこう述べている;
・・・かかる中にて朝夕を過ごせば、衣の白地の紅に染む事無理ならず、美登利の眼の中に男という者さつても怕からず恐ろしからず、女郎という者さのみ賎しき勤めとも思はねば、過ぎし故郷を出立の当時ないて姉をば送りしこと夢のように思はれて、今日此頃の全盛に父母への孝養うらやましく、お職を徹す姉が身の、憂いの愁らいの数も知らねば、まち人恋ふる鼠なき格子の呪文、別れの背中に手加減の秘密まで、唯おもしろく聞きなされて、廓ことばをまちにいふまで去りとは恥かしからず思へるも哀れなり、年はやうやう数への十四、・・・

 若い一葉がどうしてこのような廓とその周辺の事情をこれほどまで生き生きと表現できたのかも不思議な気がする。そして美登利の人生に幸薄かった明治の下層の女達の運命と、一葉の一生が重なり合う。

 修業のために町をあとにするお寺の跡取り信如が、大人になった恥ずかしさで家にこもっている美登利の家の格子門に、水仙の花を差して行く結末はほのぼのとする。


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書名 十九歳の地図 著者 中上健次 No
1994-31
発行所 河出文庫 発行年 1981年 読了年月日 94−07−27 記入年月日 94−07−30
 
 
熊野の地、若くして自殺した兄、白痴、朝鮮人、不虞者、浪人生といった中上健次の世界が濃密な、粘りつくような、重い文体で展開される。表題の外に「一番はじめの出来事」「蝸牛」「補陀落」を収める。

 「十九歳の地図」は、新聞配達の浪人生が、自分の受け持ちの家々に脅迫めいたでたらめの電話を掛けることにより、行き場のない怒りを社会にぶっつけるという話。都会の片隅に生きる若者のこうした孤独、憎しみ、怒りは今の若者にはもう昔のことなのだろうか。「黄金比の朝」と同じ系統の作品。1973年「文芸」発表。

 「それでも・・・ブックガイド」評;世界に対する瑞々しい憎しみのかたち。読める者はむろん「枯木灘」と合わせて読むべし。

 「一番はじめの出来事」は熊野の田舎町での小学校五年生の出来事。すでに朝鮮人、白痴、が登場し、そして主人公をつれて再婚した母、その母に反抗し家を飛び出し、やがては自殺する兄といった背景は「岬」「補陀落」と同じものだ。そうしたどろどろした世界であるが、町の小高い山の頂上に木の枝を集めて自分たちの秘密の城を築くというエピソードを中心にこの作品に描かれた子どもの世界は、子ども特有の残酷さとすがすがしさがある。熊野の地のにおい、海の光、風の音の描写の中に、詩人としての作者の特質がよく出ていて、好感の持てる作品だ。1969年「文芸」。

 文学の本質は詩、ディテールへのこだわり、そして比喩、そんなことを中上健次の作品は感じさせる。 
 補陀落(ふだらく):観音の宮殿があるというインドの山。この言葉は近松の「曽根崎心中」にも確か出てきた。


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書名 黒髪 著者 近松秋江 No
1994-32
発行所 筑摩書房日本文学全集 発行年 昭和49年刊 読了年月日 94−08−15 記入年月日 94−08−15
 
 
京都の娼婦を引こうとして4年間にわたり金をつぎ込み、気をもんだあげくに、相手にはもうすでにいい男がいたという話。男のすけべなお人好の心情が描かれている。解説によれば私小説だとのことだ。特に見るべき点は女の描写のうまさだ。冒頭のかなり長い、女の描写を読んでいると、容貌と言い、態度と言い、会ってみたくなるような魅力を感じる。

 作家の名前は始めて聞く名前。この作品が作者の最高傑作とされているそうだ。内容からして高校の教材には出てこない作品だ。大正11年発表。

その出だしの部分;
・・・その女は、私の、これまでに数知れぬほど見た女の中で一番気に入った女であった。どういうところが、そんなら、気に入ったんかと訊ねられてもいちいち口に出して説明することは、むずかしい。が、何よりも私の気に入ったのは、口のききよう、起居振舞いなどの、わざとらしくないもの静かなことであった。そして、生まれながら、どこから見ても京の女であった。・・中略・・
 そして、何よりもその女の優れたところは、姿のいいことであった。本当の背はそう高くないのに、ちょっと見て高く思われるのは身体の形がいかにもすらりとして意気にできているからであった。手足の指の形まで、すんなりと伸びていて、白いところにうす蒼い静脈の浮いているのまで、ひとしお女を優しいものにしてみせた。・・中略・・  けれども私に、いつまでも忘れられぬのはその眼であった。いくらか神経質な、二重瞼の、あくまでも黒い、賢そうな大きな眼であった。彼女は、けっして、人に求めるところがあって、媚を呈したりして泣いたりなどするようなことはなかったけれど、どうかした話のまわり合わせから身の薄命を省みて、ふと涙ぐむ時など、じっと黙っていて、その大きな黒眸がちの眼が、ひとりでにいっそう張りを持ってきて、赤く充血するとともに、さっと露が潤んでくるのであった。私は、彼女の、その時の眼だけでも命を投げだして彼女を愛しても厭わないと思ったのである。
・・後略」

「それでも・・・ブックガイド」評;
 小心なスケベ心が生む身勝手な執着の哀感。第二、第三の「男流文学論」むき。


 
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書名 冥土・旅順入場式 著者 内田百 No
1994-33
発行所 岩波文庫 発行年 1990年 読了年月日 94−08−18 記入年月日 94−08−20

 
巻末の解説で種村季弘は「いまかいまかと怯えながら、しかし来るべきものがいつまでも出現しないために気配のみが極度に濃密に先鋭化してしまった世界気分」がこの作品群の根本気分であると述べている。ハーンの「怪談」を思わせる世界。あるいは日本の昔話を思わせる。どこまでも続く夕暮れ道をどこまでも行くといった設定が多い。あるいは土手がよく出てくる。幼年時代の私の心象風景とも重なる。そこに古き日本の情緒を、あるいはある種のなつかしさを感じる。私の子供時代にはこうした得体の知れない恐怖がまだまだ夜の闇に、あるいは大人の話の中にひそんでいた。今の子供たちでもこうした迫りくる、姿の見えぬ恐怖といったものを感じるのだろうか。あるいは夢の世界。作者は夢から題材をとったのかもしれない。私の夢の記録を整理すればあるいは似たような作品が書けるかもしれないが、筆力はまるで違う。何気なく見えて、考え抜かれた文章が展開される。名文だ。

例えば「柳藻」の書き出しの部分:
 
春の末らしかった。あたたか過ぎる日の午後、空一ぱいに薄い灰雲が流れて、ところどころ、まだらなむらが出来て居た。西日の光が雲の裏ににじみ渡り、板や屋根や町なかの森に赤い影が散って居た。その影が薄くなったり濃くなったりして、しきりに動いた、風が坂の上から吹き下りた。私は風を嚥みながら坂を上がって行った
 この坂道の途中から一人の老婆と女の子が出てくる。私はこの女の子を老婆から取り戻そうと、どこまでもどこまでもついていく。そしてついには野原の中で老婆を殺して女の子を奪うのだが、握った女の子の手が冷たくなり、ぽきりと折れたので見返るとそれは老婆だったという話。ここでは、めずらしく私が積極的な行動に出ている。他の多くは得体の知れないものにつきまとわれるという筋のものが多い。

 表題の「冥土」は、私が小屋掛けの一膳飯屋で飯を食っていると、影のように見える4、5人ずれの客の中に確かに死んだ父がいる。だが姿もはっきりしない。話も聞こえるようで聞こえない。呼んで見たが通じない。そしてこの一団は、暗い土手の上をいずことなく消えてしまうというもの。360ページの文庫本の中にこうした話がなんと48編も収められている。そのいずれもが読むものに得体の知れない緊張を与える。「昇天」と「山高帽」の2編は比較的長い短編小説で(いずれも傑作だ)二つで75ページを占めるから、後の40編以上は平均で10ページに満たない。

 百閧フこうした独特の文学世界に接し得たことは夏の収穫だ。

「それでも・・ブックガイド」評;幻想じたての短篇の最高傑作集。受身型人物の典型として怯える「私」の妙味。


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書名 春昼・春昼後刻 著者 泉鏡花 No
1994-34
発行所 岩波文庫 発行年 1987年 読了年月日 94−08−22 記入年月日 94−08−22
 
 
読み終わって慄然とした。それは最後の結末の凄さだけでなく、作品全体の持つ優れた文学性から来る感動とが相まってくる背筋の寒くなるような感情だ。東京から近いと思われる海辺の小さな町を舞台に、爛漫たる春の景色の中に潜む妖しい鏡花の世界が絢爛、華美な文体で展開される。この世と霊界の交信。

 書き出しは漱石の「草枕」を思わせる。のどかな春。語り手の散策人がある屋敷の石垣で青大将を見つけそのことをその屋敷の人に知らせてやる。それから散策人は山にある寺に行く。そこである恋歌の書き付けを見つける。語り手が住職から聞いたその歌にまつわる話は、この寺に逗留した男と町の若い人妻との不思議な恋の物語。祭りの日に遠くから聞こえる囃しの音に誘われて男は山の奥わけいり、そこで女の霊と会う。それからしばらくして男は水死体として発見される。話し手は山寺からの帰り、先ほどの屋敷を通ったときその女主人から礼を言われる。この女こそが死んだ男の相手で、山寺に歌を書き付けた人だ。春の土手で話し手はしばし女の話を聞く。そこへ角兵衛獅子の2人の子供が来る。この幼い方の子に女は入水自殺した男への思いを書いた紙切れを渡す。その子どもはその紙切れを持ったまま誘い込まれるように海に入り、溺れてしまう。そしてその翌日女も男とまったく同じ場所に水死体として発見されると言うもの。

 私は中学から高校にかけて小泉八雲と泉鏡花を混同してた。だがこの物語はそれも一理あることを示す。霊界との交流でついには命を落とすといくだりは、小泉八雲の「耳なし芳一」の話に似ているところもある。文学的価値はまるで違うだろうが。

 長岡前東証理事長がこの間退任のインタビューの中で、これからは好きな泉鏡花の作品をじっくりと読み直してみたりしたいといっていたが、鏡花が熱烈なファンを持っているのも、この作品を読めばうなずける。この想像力は天才といっていいものだ。

 それにつけても「それでも・・ブックガイド」の選んだ50選は、なぜこうも濃厚なのだろう。続けて読んでいるとそのエッセンスの余りの濃密さに、感触が麻痺する。たまにはこのシリーズを離れてもっと軽いもの、あるいははっきり言ってもっと駄作を読んで、舌を休めることも必要とさえ思われる。今まで読み進めて中で、期待を裏切られたというかよくわからなかったのは芥川の「歯車」だけ。後はいずいずれもそれぞれに強烈な読後感を与える。この50編を選んだ選者の目はただ者でない。

「それでも・・・ブックガイド」評;エクリチュールが生む魅力的なお化け。


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書名 江戸川乱歩傑作選 著者 江戸川乱歩 No
1994-35
発行所 新潮文庫 発行年 昭和35年刊 読了年月日 94−08−30 記入年月日 94−09−03
 
 
名探偵明智小五郎が初登場する「D坂の殺人事件」他8編の初期の作品を集める。
 
 大正の終わり頃の作品。子供の頃読んだ少年雑誌の「怪人20面相」のイメージとは違う。人間洞察に富んだ立派な文学作品だ。初登場の明智小五郎は大きな棒縞模様の和服姿で、肩を振りながら歩く。後年テレビの「少年探偵団」で活躍した明智小五郎はもちろん背広で、しぶめのダンディな中年男だった。大正時代はまだ一般に人々は和服を着ていたのだ。この作品の和服の棒縞にはちょっとした読者に対するトリックとして使われる。この作品の密室の謎解きはいきなり同じ長屋のそば屋が出てくるのだが、そのでかたがやや唐突なような気がする。

 処女作「二銭銅貨」はポーの影響が強く、ペンネームの由来が理解できる。ここで用いられている真田軍旗の六文銭と「南無阿弥陀仏」の組み合わせによる暗号というアイディアは素晴らしいし、最後のドンデン返しもいい。

「鏡地獄」という作品も面白い。全面が鏡の部屋に入ったらどんな像が見えるのだろうと今でも時々思うのだが、この作品の主人公は鏡に対する興味が高じて、ついには球形の内部に鏡を張ったものをつくりその中に入る。そしてその後発狂してしまうという筋。実際どのような像が見られるのか作者は何も言っていないが、一人の人間が発狂するほどものすごく恐ろしいものなのだろうか。

「芋虫」は戦争で手足をもぎ取られながらも奇跡的に命を取り留めた軍人と妻の話。寝たきりで、しゃべることもできない夫を献身的に看護するという評判を取る妻ではあるが、実は身動きのできなくても性的能力だけはある夫を相手に異常なまでの自分の情欲を処理し、夫を慰めものにしている。その夫は最後は妻に失望し、部屋を空けた隙に渾身の力をふるって自ら広い邸宅の一隅にある古井戸まで這っていき、ついにはそこに身を投げてしまう。グロテスク趣味の極地のような作品。発表当時は伏せ字だらけで、戦時中は発禁処置を受けていたと言う。

 そのほかの作品の推理トリックは心理的盲点をついたものが多い。中学の頃読んだ江戸川乱歩のトリックで今も鮮明に覚えているのは、怪人20面相が黒いカーテンの舞台で観客の前で消えるというもの。普通の服装の下に黒ずくめの装束をしていて上を脱ぎ捨ててしまえば背景の黒いカーテンにとけ込んで見えなくなるというトリックだ。それともう一つは、20面相を尾行した小林少年が、お屋敷町の通りで角を曲がったところで20面相を見失うシーンだ。かなり長い道でしかも両側は塀になっていて左右どちらにも逃げ道はない。さて。尾行されていた男は小脇に大きなお盆のようなものを包んで抱えていたのだ。実はこれをすっぽりかぶればポストになるのだ。ポストの郵便物の投入口から、目の前を小林少年が通り過ぎるのを見つめる20面相。ポストの中にすっぽり入ってしまうという発想は、大きな椅子の中にすっぽり入ってしまう椅子職人の話「人間椅子」にも共通する。こうした願望は誰にでもあるが、椅子の中にはいるというアイディアは卓抜だ。

「それでも・・・ブックガイド」評;文学的伝統にあふれる団子坂に颯爽と登場し、辺りの風景を一変させた名探偵・明智小五郎。

追記:「芋虫」は「キャタピラー」という題で、若松孝二監督の手で映画化され、主演の寺島しのぶが2010年のベルリン映画祭で、主演女優賞を取った


 
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書名 女坂 著者 円地文子 No
1994-36
発行所 新潮文庫 発行年 昭和36年 読了年月日 94−09−04 記入年月日 94−09−10
 
 
これまた一気に読まざるを得ない傑作。明治の女の忍従の一生を描いて感動的な作品だ。

 明治の10年代、福島県令の補佐役の大書記官の妻白川倫が、夫のために妾を捜しに上京するところから始まる。倫はおとなしい15歳の須賀を見いだし福島に帰り、妻妾同居の生活が始まる。やり手の官僚である夫の行友は女に関しては近代的道徳観念は持ちあわせていない。やがて一家は上京するが、須賀のほかにも小間使の由美も自分のものとする。明治も20年代になり、憲法が施行され官員の力は衰えたことを見抜いた行友は自適の生活に入る。夫妻には倫が15歳の時生んだ長男がいるが、これがまったく社会性を欠いたわがまま息子。それでも倫は苦労して嫁(2番目)を迎えてやるが、行友はこの嫁の美夜にも手を出し、半ば公然と肉体関係を続ける。こうした想像を絶するような夫と家庭の一切を倫は支え、切り回す。妾達にもやさしい思いやりをかけ、息子やさらには孫達のことまで気を使う。痔疾でふせっている須賀が倫の肩にすがって便所に行き、倫がふと見ると廊下に点々と血痕が落ちている。倫が自らそれを始末するところなどはぞっとするほどの場面だ。

 倫の一生を描いて物語の流れはスムースで、心地よい。倫、行友、須賀、由美、美夜等の人物がそれぞれにみごとに描き分けられている。そして何よりここでも時代の風俗がいきいきと描かれ、登場人物のリアリティーを高めている。それにしても妾を抱え、40代で早くも隠居したにも関わらず、東京中に家作をもち、品川の海の見える高台の2000坪の屋敷に住むという明治初めの官員の生活振りは信じられない。

 倫のこうした忍従と献身は愛情とは別のものだ。第一章の終わり頃、引退する少し前の行友の感慨としてこんなところがある;「
倫は影法師のように離そうとしても自分から離れないまま、恐らく一生この家に年老いて家霊のようになって死んでゆくことであろう。そう思うほど、白川には倫が自分のわがままに易々として従って来る根が愛情とか献身とかとは遥かに遠い冷厳な意志であることを漠然と意識して憎悪に近い強い感情をかき立てられる。須賀や由美を愛するのとまるで逆などう押しても破れない城に篭もっている敵のように倫を手強く感じるのである。

 晩年倫はこんな風に思う;「
・・・まるで不老長寿の薬を取りにやった支那の王様のように生命に対して貪婪な欲望を持っている行友をみながら、倫は時々夫が自分と一干支違いの辰歳なのを思い出してみる。行友が八十まで生きたとしても、自分はまだその時に七十にはなっていない。それまでの辛抱なのだ。それまでに行友に負けてはならない。自分の命が行友に勝たなければならないのだと思い、同時にその考えが夫と妻という関係で結ばれている世間一般の通念から何とかけ離れて遥かな冷たさの中に保たれているかと、わが身も凍るような寂しさを感じるのだった。」

 だが皮肉なことに倫の方が早く不治の病を得てしまう。臨終の迫ったある夜、倫は突然看病の親戚のものに言う;「
『豊子さん、おじさま(行友のこと)のところへ行ってそう申し上げて下さいな。私が死んでも決してお葬式なんぞ出して下さいますな。死骸を品川の沖へ持って行って、海へざんぶりと捨てて下されば沢山でございますって・・・』
 
倫の眼は昂奮に輝いて生々していた。それは日頃の重くたれた眼瞼の下に灰色っぽく静まっている眼ざしとは似ても似つかぬ強さにあからさまな感情を湛えていた。

 風俗に関してはこんなのがある;「
神楽坂の坂上で、友禅の長い袂の雛妓が追羽根をついている。それを傍に立って見ている妲さん芸者はまだ昼間だというのに変わり色のお座敷着の褄をとって、鹿の子絞りの長襦袢の裾をこれ見よがしにのぞかせていた。ここらの芸者にしては、着物も帯も品がよく、ことに手に下げている吉右衛門の『石切梶原』の大羽子板は、薬研堀の市でも二十円よりは値切れまいと思う上物である。三、四年続いたヨーロッパの大戦争のお陰で、軍需品や船会社の株は驚くばかり騰貴した。有名な船成金が大阪の芸者の出の裾模様にダイヤの大粒をちりばめた噂さえあって花柳界は戦争景気でどこも繁盛している。お神楽芸者などと安く扱われる山ノ手の二、三流地でもこの程度の拵えをするのだから一流どころでは猶更だろう。
 こうした記述に文学を感じるのだ。

 この部分は解説の江藤淳も引用して絶賛していた部分だ。江藤淳と円地文子の組合せというのも意外だった。倫の一生を家への忍従とはとらないで、家を国家に置き換え、そうした献身がなければ家も国家も成り立たず、従って我々の生活もないのだという主張はいかにも江藤らしい。

 「それでも・・・ブックガイド」評;忍従の美徳。女はいかに家に縛られるか。


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書名 曽根崎心中 著者 近松門左衛門 No
1994-37
発行所 岩波書店新日本古典文学大系 発行年 1993年 読了年月日 94−09−17 記入年月日 94−09−17

 
NHKのラジオを聞いていたら、外人が流ちょうな日本語で、近松は日本のシェークスピアだと言っていた。ふと読んでみたくなり日比谷図書館で借りてきた。近松の作品はみな浄瑠璃の台本である。こんなことも初めて知った。江戸文学の巨匠として、西鶴と並んで高校の教科書には必ずでてくる名前だが、西鶴と違って原文には接したことはない。やはりかなり読みづらい。有名な「曾根崎心中」を読む。

 醤油屋の手代徳兵衛は天満屋の遊女おはつと恋仲だが、叔父にあたる店の主人から妻の姪を嫁にと勧められる。銀二貫目をつけて嫁にすると言うのだ。徳兵衛の在所では継母がその二貫目の銀を受け取ってしまうが、かれは首尾よくその金を取り返し、主人に返し縁談を断ろうとする。だがその金を友人の九平次に貸し、しかもだまし取られてしまう。進退窮まった徳兵衛はおはつと曽根崎の森で心中する。

さわりの部分はこうだ;
この世のなごり。世もなごり。死にに行く身をたとふればあだしが原の道の霜。足づつに消えてゆく。夢の夢こそあはれなれ。
 あれ数ふれば暁の。七つの時が六つ鳴りて残る一つが今生の。鐘の響きの聞き納め。寂滅為楽と響くなり。鐘ばかりかは。草も木も。空もなごりと見上ぐれば。霊心なき水の音北斗は冴えて影映る星の妹背の天の川。梅田の橋を鵲の橋と契りていつまでも。われとそなたは女夫星。かならずさうとすがり寄り。二人が中に降る涙川の水かさも増さるべし。

 そして最後は「
未来成仏疑いなき恋の。手本となりにけり。」と結んで二人の心中を美化している。

 はつが徳兵衛を自分の打ち掛けの裾の中に隠して天満屋に引き入れ、心中を呼びかけるところ、あるいははつがそっと抜け出すとき行灯を消そうとして階段を滑り落ちたり、下女が火打ち石を打つ音に合わせて、その度に少しずつ戸を明けていく所など、劇的な緊張と盛り上がりに富む。

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書名 ある女 著者 有島武郎 No
1994-38
発行所 岩波文庫 発行年 1950年第1刷 読了年月日 94−09−24 記入年月日 94−09−25
 
 
葉子、倉地、木村、古藤、愛子、貞世
 英語の多様、心理描写の綿密さ、経済的自立を求めない不思議さ、男の寄生虫といった感じ。明治35年が舞台。常に2つの相反する心をもつ主人公の葉子。その激情。気位の高さ、しかも25歳という若さだ。奔放な恋。明治の末期にはこうした女性が考えられたということは驚きだ。

 全編が主人公葉子の心理の叙述に費やしたような長編小説。克明に葉子の心の動きを追う。その感情の振幅の激しさ、その生き方の激しさで私の知る限り葉子の右に出る女性は日本の文学にはいない。しいてあげれば、御霊となって死後も源氏に祟る源氏物語の六条御息所か。

 時は明治35年。一度同棲し子供まで設けた早月葉子は、アメリカに渡った木村と結婚すべく横浜から船に乗る。だが船中で出会った船の事務長倉地の、荒々しく酒と葉巻の臭いを体中から発散させる男性的魅力に引かれ、シアトルに着いても病気と偽って木村のもとに行くことを中止し、同じ船で引き返す。倉地は妻子を捨て、また葉子との一件が世間に知れ職まで失う。二人は世間を忍び激しい愛欲の生活にしばし浸る。葉子には愛子と貞世というまだ学校に通う二人の妹がいるが引き取って一緒に暮らす。倉地とは籍を入れるでもなく、別居でいわば妾の状態だ。そんな関係を続けながら一方で葉子を諦めきれない木村の純情を利用してアメリカからかなりの生活費を送らせる。葉子は倉地との関係でもだんだん猜疑と嫉妬にさいなまれるようになる。倉地は職を失いスパイもどきの仕事に手を染める。すぐ下の妹愛子を葉子は本能的に毛嫌いしているが、倉地や、葉子を姉のように慕う岡の関心がだんだん美しい愛子に移っていくと思った葉子の嫉妬はますます募り、ついにはヒステリーの発作を起こすようになる。そんな絶望的な精神状態の中で葉子は持病の子宮後屈の手術を受け、それがもとで死んでしまうというあらすじ。26歳のなんともすごい生涯だ。まわりの男を次々に手玉にとっていく葉子が、男にその生活費を全面的に依存して何とも思わないことは今の考えからすればまったく不思議だ。その生活振りたるや、今の日本の上流階級も及ばないと思われるほどの贅沢を尽くすのだ。

 葉子の心には常にと言っていいほど相反する心が存在するのが特徴で、またそれが彼女の悲劇にも連なる。例えば後編28ページにはアメリカから戻ってきて自分の子定子に会いに行く場面にこんな記述がある;
・・・婆やと定子・・・こんな純粋な愛情の中に取り囲まれて、落ちついた、しとやかな、そして安穏な一生を過ごすのも、葉子は望ましいと思わないではなかった。ことに婆やと定子とを目の前に置いて、つつましやかな過不足のない生活をながめると、葉子の心は知らず知らずなじんで行くのを覚えた。
 しかし同時に倉地の事をちょっとでも思うと葉子の血は一時にわき立った。平穏な、その代わり死んだも同然な一生がなんだ。純粋な、その代わり冷えもせず熱しもしない愛情がなんだ。生きる以上は生きてるらしく生きないでどうしよう。愛する以上は命と取りかえっこするくらいに愛さずにはいられない。そうした衝動が自分でもどうする事もできない強い感情になって、葉子の心を本能的に煽ぎ立てるのだった。この奇怪な二つの矛盾が葉子の心の中には平気で両立しようとしていた。葉子は眼前の境界でその二つの矛盾を割合に困難もなく使い分ける不思議な心の広さを持っていた。ある時には極端に涙もろく、ある時は極端に残虐だった。まるで二人の人が一つの肉体に宿っているかと自分ながら疑うような事もあった。それが時にはいまいましかった、時には誇らしくもあった。

 ここには葉子の性格がよく出ている。

 葉子が倉地とのめくるめくような官能の一夜を過ごした朝の心境の叙述にこんなのがある;
竹柴館の一夜はまさしくそれだった。その夜葉子は、次の朝になって自分が死んで見いだされようとも満足だと思った。しかし次の朝生きたままで目を開くと、その場で死ぬ心持ちにはもうなれなかった。もっと嵩じた歓楽を追い試みようという欲念、そしてそれができそうな期待が葉子を未練にした。それからというもの葉子は忘我混沌の歓喜に浸るためには、すべてを犠牲にしても惜しまない心になっていた。そして倉地と葉子とは互い互いを楽しませそしてひき寄せるためにあらん限りの手段を試みた。葉子は自分の不可犯性(女が男に対して持ついちばん強大なこ惑物)のすべてまで惜しみなく投げ出して、自分を倉地の目に娼婦以下のものに見せるとも悔いようとしなかった。二人は、はた目には酸鼻だとさえ思われるような肉欲の腐敗の末遠く、互いに淫楽の実を互い互いから奪い合いながらずるずると壊れこんで行くのだった。」(後編134ページ)
 なんともすざましい表現ではないか。クリスチャン作家のものとは思えない激しさだ。そして葉子の心境も明治の女のものとはとても思われない。
   
 英語もそのままで時々出てくる。cake walk という表現は最近知ったのだが、すでにこの作品に出てきている。前編165ページには倉地の人柄を現すのにこんな難しい英語を使っている:「
・・・そして機関室と船員室との間にある例の暗い廊下を通って、事務長が自分の部屋の戸をあけた時、ぱっと明るくなった白い光の中に、nonchalantなdiabolicな男の姿を今さらのように一種の畏れとなつかしさとをこめて打ちながめた。

 「それでも・・・ブックガイド」評:海を渡り戻る女の深い無意識に触れる書法が「細部」の異様な伸縮を生む名作。

 1919年(大正8年)刊。


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書名 鈍牛にも角がある 著者 早坂茂三 No
1994-39
発行所 光文社 発行年 1993年11月 読了年月日 94−10−05 記入年月日 94−10−07
 
 
函館の幼年時代から早稲田の政経学部を出て、日本共産党員になって、転向して東京タイムズの記者として過ごし、角栄に認められその秘書として活躍し、角栄引退後は「姫」こと田中真紀子に首を切られ今は評論家として活躍する著者の半生と、その人生観、政治的主張を述べた本。森川社長が先月田川の帰りに機中で読んでみたらと貸してくれた。著者が自身で書いたものであることは間違いなさそうだ。私より8歳年上。バイタリティのある人だ。函館、早稲田、日共と出てくる所は五木寛之の「青春の門」の信介を思わせる。スノーの「中国の赤い星」に感激し、「チボー家の人々」を愛読し、共産党に入党した人物と角栄との結びつきに意外な感じがした。ここらあたりに角栄の人間の幅の広さを感じる。著者は今でも角栄を信奉しており、金権政治を民主主義の潤滑油的なもとして認めている。彼が「悪党」として称える戦後政治家は角栄の他には、吉田、岸、池田だ。そしてこの本を書いた1年前には小沢を買っている。角栄が死んだのは本書の出版の1カ月後だ。

 
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書名 破戒 著者 島崎藤村 No
1994-40
発行所 新潮文庫 発行年 昭和29年初版 読了年月日 94−10−23 記入年月日 94−10−25
 
 
飯山の高等小学校の教師である主人公の丑松は部落民の出である。明治になり身分制度は撤廃され、形の上では差別は取り払われたが、実態は部落の出身であることがわかると、地域社会からは追放される。彼の父は部落の出であることはどんなことがあっても口外するなとかたく戒める。丑松の下宿に逗留していた金持ちが部落の出であることがばれ、追い出されるのを見た丑松は、いたたまれずに自分もその下宿をでて蓮華寺に新たに下宿する。

 学校では校長や視学らの権威主義的、俗物的教育者は丑松や同僚の銀之助ら若い教師を煙たく思っている。同じ部落民の出でありながらそれを公然と名乗り、鋭い論調で社会に切りこむ猪子蓮太郎の著作は大きく丑松の心をゆさぶる。そんななか上田の山奥でひたすら世間を避けて牧夫として働いていた父が種牛に突かれて命を落とす。葬儀に出掛けた丑松は途中で友人の弁護士と遊説中の廉太郎にあう。またそれと対立する高柳の一行ともあう。蓮太郎の思想に激しく揺さ振られる丑松は次第に物思いに沈むようになる。寺には同僚の貧しい飲んだくれの老教師の娘お志保がもらわれてきているが、お志保にほのかな感情を抱く。丑松は心の葛藤を隠し、自分の出生の秘密を他人に悟られまいとするが、同僚の疑念は深まるばかりだ。そんなおり、金目当てから丑松と同じ部落の出の娘と結婚した高柳は丑松にお互いの素性を漏らさないよう話を持ちかける。だが丑松はなんのことかわからとないしらを切り通す。高柳は丑松が部落の出身であるとひそかに漏らす。学校はその噂で持ちきりになる。そして丑松はついに父の戒めを破り自分の素性をみなの前で明かし町を去る。

 藤村の代表となる作品。高校時代に読んだ「桜の実の熟する時」よりもはるかによくできている。「破戒」でなくて「桜・・」を読んだ理由は、差別という主題をなんとなく敬遠したのかも知れない。ストーリーとしても学校内の教師間の確執、養女に手をだそうとする住職、貧乏教師の家庭の実態、高柳派の暴漢に教われて命を落とす廉太郎の最後、といった話がうまく絡み合っていてよくできている。主題は重い。今なお尾を引く問題だ。作品から作者の人間解放への思いは十分に読み取れる。そして丑松の苦悩、人間的成長もよく描かれている。だが、平野謙の解説でも触れられているように、最後に生徒を前に板敷きの上に手をつき「許して下さい」と謝る場面はひっかかる。あるいはそう思うのは今の時代であるからなのか。そして最後は丑松との結婚を暗示されるお志保の描き方が不十分で存在感が薄いという多くの人の指摘もまったく同感。

 巻末には作品の詳細な解説とともに、部落問題とこの小説の関わりの歴史がこれまた詳細に解説されている。この解説は日本における差別の歴史を簡潔に述べたものとしても優れたものだ。藤村は部落解放同盟の前身水平社との話し合いに基づき全面改正を加えたものを昭和14年になって出版した。本書は初版(明治39年)に基づくものであるが、その改版との比較が徹底してなされているが、昭和の改訂は文学的に見て改悪であったという解説者の主張はうなずける。今もって言論・表現の自由と被差別民の問題は筒井康隆の断筆宣言に見られるように容易に片の付かない厄介な問題だが、私の感想では作家は安易に表現を妥協すべきでないと思う。

「それでも・・・ブックガイド」評:告白と部落差別。せこい作品だが「主題」の積極性にかける作家の図々しさは参考になる。


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書名 著者 遠藤周作 No
1994-41
発行所 朝日新聞連載 発行年 読了年月日 94−10−30 記入年月日 94−10−30

 
お市の方から淀君、春日の局、江戸城の大奥の女達の争いまで、歴史上の女の生き方を綴ったもの。10カ月の連載だから短い。淡々と事実と著者の感慨が述べられている。前に読んだ「男の一生」よりさらに筆法は枯れたものとなってよけいなことは述べていない。森鴎外の歴史小説を思わせる。最初淀君を中心にしたものかと思ったが、大阪落城後も大奥のことなどで天保まで時代は下る。だが、筆者の思い入れはお市の方と淀君の生涯にある。自分の両親を滅ぼした秀吉に対する愛憎、その秀吉の子である秀頼への溺愛という複雑な心境を描いて前半は読ませるが、後半はそれに比べればパッとしない。

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書名 富士 著者 武田泰淳 No
1994-42
発行所 中公文庫 発行年 1973年初版 読了年月日 94−11−04 記入年月日 94−11−04

 
狂人と正常人との境はどこにあるのか。狂人が正常であって、我々が狂人でないという保障はどこのあるのか。そんなことを考えさせる力作の長編だ。文庫本でぎっしり600頁を超す。だがこれまた引きずり込まれるように読み切ってしまった。

 語り手大島の富士山麓の山荘の情景から書き出し、25年前の回想記の形を取る。若き大島は戦争末期、富士のみえるある精神病院の見習い医師として、敬愛する甘野院長のもとで患者の治療に当たる。自らを宮様と名乗る虚言症で大島の学友でもあった一条、誰とも口を利かない哲学少年の岡本、男性になる願望をもった分裂症の庭京子、てんかんの大食漢の大木戸、伝書鳩愛好の脳梅毒の間宮、などが患者だ。一条に好意を寄せるのは病院前の茶屋の田舎娘の中里理江と庭京子。甘野院長はすべての患者にやさしくをモットーに患者に接する。婦長のモットーもすべての患者に愛をもってである。大島も院長の教えに忠実に患者に接する。

 院長には気丈夫な夫人と一人娘のマリがいる。憲兵隊は精神病に隠れて不穏分子はいないかとこの病院にも目をつける。高い煙突の上に間宮と岡本が登ったり、懐中電灯を男根に見立てて宿直の大島を襲う庭京子、その争いのはずみで庭の下腹部に空気銃の先を突き刺してしまう大島。京子はそのことで身ごもったと主張する。病院の食糧事情は悪化するばかりで、患者は衰弱あるいは自殺していく。てんかんの大木戸も発作で死ぬ。その次の日間宮は院長宅に押し入り家族に危害を加えようとする。だが子守女を殺したところで、院長宅に泊まっていた大木戸夫人にシャベルで殴り殺される。一条はいつのまにか脱走する。そしてT陵に参拝にきた実際の宮様に近ずき自分も宮であると名乗り憲兵隊に連行され殺される。

 こうした一連の事件の中に病院の雰囲気は異様なものになって、秩序は次第に崩壊に向かっていく。中里理江は自分は一条の宮の妃であると名乗る。庭京子は一条の復活を信じ皆に言い触らす。そして実際の宮様から下賜されたトラック一杯の食糧と酒を皆が楽しむ日はまるで祭りの様に職員と患者の気持ちは高揚していく。その夜はついに今まで治療する側とされる側とを分けていた垣根が取り払われたような一種の無秩序状態が出現する。そして院長宅は二度目の放火にあい全焼する。翌日院長は応召して南方の前線に行ってしまう。
 最後は大島と彼の妻となったマリがこの病院を訪れる所で終わる。

 「
『奥さんが希望なさるのでしたら、いつでも入院はひきうけますよ。作業も娯楽も前よりずっと自由になっていますから』
妻が席をはずしているあいだに、彼は私にそう言った。
 帰途の車の中でも、甘野(あるいは大島)マリはすこぶる上機嫌だった。『わたし、あそこにいると、何だか安心するわ』と、彼女は上気した顔で、はしゃいだ声で言った。
 『あそこにいると、わたしが普通の人で、大丈夫な人間のように思われるもの。わたしを馬鹿にする人もいないし、わたしが偉くなったみたいで』


 この部分の解釈に悩む。というのは序章の終わりに私大島は「いつでも入院する資格のある患者」であり、この手記は精神病院長に勧められて書いているとある。一方上の最後の部分は妻のマリが精神を病んでいるようにとれる。マリには、幼い頃に三度も目の前で家族を襲った悲劇のために将来の精神の異常が暗示されている。

 登場人物の会話が極めて哲学的であり、十代の田舎娘の中里理江の口から何回も何回も「男根」などという言葉を吐かせたり、小説の会話は日常会話とはかけ離れたものであるといことの見本みたいな作品でもあるが、そのことを否定したらこの作品は成り立たない。演劇にしたら極めて面白いものが出来るだろう。また一条が大島に吹きかける議論は、理論がしっかりと通っていて、考えようによっては、果たして彼が狂人で、大島医師に代表される我々が本当に健全なのかと考えさせられる様なものが多い。
 雑誌「海」連載、昭和46年上梓

「それでも・・・ブックガイド」評;「全体小説」をめざして並の「全体」をこえてしまった狂気の一作。埴谷雄高『死霊』より上。

以下本書から:
オンナが君のかたわらで、見せびらかすようにして二本の脚をみぎひだり交互にこすりあわせて歩いて行くこと。それを、君は耐え忍ばなければならぬ。二本の脚。オンナの脚。ああ、神はどうしてこんなにまで悪魔的な魅力をたたえた白い肉の柱を彼女たちにおあたえになったのであろうか。足なるものは、たかが脚ではないか。・・・・・」87頁
たしかに、すべての人間は、何物かにさせられて、現在の自分であり得ているにちがいないのだ。」128頁
もしも人間が人間を真に(異常と正常の別なく)理解できるようだったら、地上の歴史はまるで異なったものになっていたのにちがいないのだから。」176頁
ーーー『絶滅』という日本語があって、やはりそれは重要な因子であるように思われる。ネズミを絶滅することは絶対不可能という予感があるため、絶滅とネズミが結びつくのであろうか。リスの方は、人間がそれを望まないでも、一族の子孫が絶えてしまうという予感がある。したがって、リスと絶滅はどうしても結びつかない。わざわざ結びつける必要が、もともとないのであるから。今のところ人類はまだまだ、増え続ける予想が強いので、かえって『絶滅』が不吉な実感として迫ってくるのである。」25頁

ついこのあいだ、私は和文和訳の「常陸国風土記」を読んだ。
その訳文は、次のようなものである。
『古老がいうことには、ーー昔、祖の神尊(母神)がおおくの[御子]神たちのところをお巡りになって、駿河の国の福慈(富士)の岳にお着きになると、とうとう日が暮れてしまった。そこで一夜の宿りをとりたいと頼んだ。この時、福慈の神が答えていうには、『いま新粟の初嘗をして家中のものが諱忌をして[他人との接触を絶って]おります。今日のところは残念ながらお泊まりいただくわけにはまいりません』といった。ここにおいて神祖の尊は恨み泣き、ののしって『わたしはお前の親なのだぞ。どうして泊めようとは思わないのだ。これから、お前が住んでいる山は、[お前が]生きているかぎり、冬も夏も雪が降り霜がおり、寒さ冷たさがつぎつぎに襲いかかり、人民は登らず、酒も食べ物も捧げる者も無かろうぞ』といった。』
」22ー23頁
あまりにも愛したてまつるために、暴力行為に出ることを、五・一五事件、二・二六事件が、すでに立証ずみである。」328頁

 
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書名 金閣寺 著者 三島由紀夫 No
1994-43
発行所 新潮文庫 発行年 昭和35年 読了年月日 94−11−14 記入年月日 94−11−19

 
金閣寺を焼くに至った一人のどもりの青年の心理を一人称で語ったもの。「仮面の告白」と同じスタイルだが、こちらの方がさらに表現が古典的な格調に満ちている。

 敦賀の貧しい僧侶の息子として生まれた私はどもりという欠陥をもっている。そのために世の中にうまく溶け込めない。私の中で美とは父から聞いた金閣寺である。私はやがて金閣寺に預けられ僧侶となるべく修行を積む。終戦にも金閣寺は残る。いや終戦と同時に私にとって金閣の意味は違ったものとなる。敗戦の衝撃、民族的悲哀などというものから超越した金閣寺の堅固な美に、私は金閣と私の関係が絶たれてしまったと感じる。内反足という同じようなハンディをもつ大学の友人柏木にそそのかされる形で女を抱こうとするが、その度に金閣が私の前に立ちはだかり私は目的を達せない。私の金閣寺に対する思いは次第に憎悪に変わって行く。私は師であり、育て親でもある鹿苑寺の住職が祇園の芸妓と連れだっているところに出くわす。住職からそのことに関して、何か一言あるかと待っているのだが、何もない。私の心には悪への抑えがたい欲望が目覚める。金閣を消滅させると決心した私は、娼婦相手に童貞を捨て、ついには金閣寺に火をつける。

 本作品もまた、実際の会話と小説の会話はまったく別であることの見本だ。特に大学生の柏木が自分の思想を私に語って聞かせるくだりなど、会話体ではないがあまりにも哲学的すぎる。風景と心理の描写の格調の高さには圧倒される。

本書から:
ある月の夜柏木は金閣寺の手すりにもたれて尺八を吹く。その後でこんな記述がある。美の対象であった金閣は、すでに憎悪の対象になりつつある。
それにしても音楽の美とは何とふしぎなものだ!吹奏者が成就するその短い美は、一定の時間を純粋な持続に変え、確実に繰り返されず、蜉蝣のような短命の生物をさながら、生命そのものの完全な抽象であり、創造である。音楽ほど生命に似たものはなく、同じ美でありながら、金閣ほど生命から遠く、生命を侮蔑して見える美もなかった。」138頁。
 金閣を飛び出し、警察に保護されて帰る山門の前に、私を金閣寺の跡継ぎにすることだけを夢見て郷里で暮らしている母が待っていた。その場面。
小刻みにゆく塩垂れた帯の背を眺めながら、母を殊更醜くしているものは何だと私は考えた。母を醜くしているのは、・・・・それは希望だった。湿った淡紅色の、たえず痒みを与える、この世の何ものにも負けない、汚れた皮膚に巣喰っている頑固な皮癬のような希望、不治の希望であった。」197頁。

 最後の方、私が金閣に火をつける前の金閣の記述は優れた金閣寺の解説ともなっている。249頁から251頁。
昭和31年作。

                                         
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書名 吾輩は猫である 著者 夏目漱石 No
1994-44
発行所 新潮文庫 発行年 昭和36年 読了年月日 94−12−06 記入年月日 94−12−17
 
 
まず「それでも・・・ブックガイド」評;高校現代国語版「こころ」の漱石は一日も早く卒業せよ。

 確かに。その有名な出だしの部分は誰でも知っている。そして私の長年の思い込みではぶどう酒のかめに落ちて死ぬという吾輩の最後も知っている。それに高校時代に漱石の作品は「行人」に至るまで読んだので、この作品も読んでいたような気になっていたが、実際は読んでなかった。高校時代に読んだとしてもその面白さ、良さは今ほどは理解できず、退屈しただろう。珍野苦沙彌先生はじめ、苦沙彌家に出入りする美学家迷亭にしろ、詩人の東風、学者の寒月にしろ、太平楽を決め込み、世間から悠然としているが、彼等に対しては「こころ」とか「それから」に出てくる何もしないでぶらぶらしている高等遊民的な主人公に対する様な反感はまったく感じない。いずれも実に愛すべき人物であり、今の私には理想的な生き方に見える。また苦沙彌先生の奥さんというのが素晴らしい。明治の世にこれほど現代感覚に近い夫婦関係があったとは信じがたいようないい夫婦だ。私は読む前何となく苦沙彌先生というのはもう50過ぎのいいおじさんかと思っていたのだが、英語のリーダーの教師になってまだ9年というから、30台半ば前なのにはびっくりした。

 ストーリーといっては大学で物理を研究する寒月君の縁談をめぐり、同じ町内の金持ちの実業家金田家(金田家では令嬢を寒月君と結婚させようともくろむ)と、そんな俗物とは全く肌の合わない苦沙彌先生との対立があるといったていど。後は迷亭の機知と皮肉に満ちた美学論、東風のバイオリンの話とか、独仙の哲学論、そしてなにより吾輩による人間世界の痛烈な批判が本書の主体をなしている。話の中には西洋の古典からの引用など著者の博識ぶりが遺憾なく発揮されている。例えばホーマーの「オデッセイ」の中で、オデッセイが家に帰り、妻をいじめた女中たちを何人か縄に掛け一時に絞首刑にする場面を、寒月君に物理的に不可能だといわせたりしている。時代は日露戦争の勝利に日本中が酔っている頃。よく「20世紀の世では」といった発言が会話の中に出てきて、当時のインテリの間ではやはり世紀の変わりという事がかなり意識されていたことを示している。

 吾輩はネズミも捕れないくせに人様を見下した生意気な猫だ。猫の生態、行動がよく書けている。わが家に猫がいるからよけいこの作品に親しみを感じるのだろう。吾輩の最後は、主人や客の飲み残したコップのビールを飲んで酔っぱらって水瓶に落ちて死ぬと言うものだった

 中学の時社会科の関先生が、飯を炊くときに一緒に蛇を釜の中にいれ、熱くなった蛇が釜にあけた穴から頭を出した時、それをつかんでしごいて皮と骨を身から分離するという蛇飯の作り方なるものを話したことがあったが、そのネタはこの小説だった。

 明治38年から39年にかけて「ホトトギス」連載。
 「金閣寺」も本書も新橋駅の構内の100円均一セールで入手したもの。


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書名 さよなら、ギャングたち 著者 高橋源一郎 No
1994-45
発行所 講談社文庫 発行年 1985年 読了年月日 94−12−12 記入年月日 94−12−17

それでも・・・ブックガイド」推薦の最後にある本。よくわからない小説。あるいは言語の異化作用という文学の大きな構成要素の見本みたいな作品。贅沢な作品でもあり、例えば「いやなかんじ」という一行で終わっているページもあれば、漫画やイラストのページもある。

 主人公は自分でやっている詩の学校の詩の先生。「中島みゆきソング・ブック」という名、略してSBという名の女と、「ヘンリー4世」というミルクとウォッカのカクテルのなによりも好きな猫と住んでいる。話は作者の奔放な詩的イメージのほとばしるままのまったくとっぴなもの。例えばヴェルギリウスが冷蔵庫になって主人公の前に現れるといったエピソードが展開される。これは小説というより詩だ。

「それでも・・・ブックガイド」評;80年代の正しい狂い方小説。

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書名 放浪 著者 岩野泡鳴 No
1994-46
発行所 新潮文庫 発行年 昭和30年 読了年月日 94−12−21 記入年月日 94−12−23

 
五部の作品からなる連作の第三編目。時代は明治の四〇年代。日露戦争後の樺太で蟹の缶詰製造を試み、失敗して新しい事業への金策のために北海道に戻ってきた文士の田村がしばらく札幌の友人宅等に寄寓した間の話。「破戒」「蒲団」よりももっと典型的な、これぞ自然主義の見本と言った作品。物事が何の飾りもなく淡々と述べられていく。それは例えば三島由紀夫の「金閣寺」と比べてみれば、際だった対照をなす。新潮文庫復刊版の腰巻きには「日本近代リアリズムの一極致をなす泡鳴文学白眉の雄編」とある。

 田村義雄は東京の妻子を捨て、また愛人をも捨てて、樺太での事業に手を出す。札幌では友人の永峰が新しい実業雑誌を出そうと苦心しているところ。義雄も札幌で蟹缶事業の建て直し以外にも木材の切り出しとか牧場の経営などを考える。他の編を読んでいないので文士の義雄がなぜ実業に入りたいと思ったかは詳しくはわからないが、この小説を読んでいると、当時は新しい事業にかける貪欲なまで起業家精神にあふれた人々がうようよしていたのだということがわかる。日露戦争に勝ち、急カーブを描いて上昇する若々しい日本が髣髴とする。そうした明治の男たちの性道徳は今の我々とはまったく違う物であったようで、義雄や永峰は金もないのに遊郭に入り浸る。

「それでも・・・ブックガイド」評:「自然主義のドンキホーテ」の楽天的苦悩。ことに、男女の「会話」が珍妙にして痛快。

 この「会話」に関しては最初の部分の義雄と、友人の教師の有馬の奥さんとの会話、最後の方の義雄と娼婦の会話、あるいは義雄が東京に残してきた愛人との手紙のことだ。


 
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書名 三島由紀夫おぼえがき 著者 渋澤龍彦 No
1994-47
発行所 中公文庫 発行年 昭和61年 読了年月日 94−12−26 記入年月日 94−2−29

 
今年最も気にかかった作家と言えば三島由紀夫もその一人だ。新橋の100円ブックフェアで「金閣寺」に続き本書も買った。このフェアではもう10冊以上を購入しているが、読んだのは「吾輩は猫である」「金閣寺」に続きこれが3冊目。三島と生前個人的にも親しかった評論家の三島に関する断片的な文章を集めたもの。

 三島に対する傾倒ぶりは、山口裕弘との対談の中で作品の登場人物の名前から、そのせりふの細かいことまでしばしば引き合いに出しているところからもよくわかる。例えば三島が筆まめで、ユーモアに富んだ手紙を著者にいくつか出していると言った三島の人となりや、思想を知る上で参考になる。もし生きていれば大江健三郎とノーベル文学賞を争ったかもしれず、また大江の受賞を彼ならどうとらえただろうかと思いながら読み進めた。三島も世界に通ずる論理を持った作家だった。著者は三島の文学を「世紀末デカダンの文学」につながるものだと見ている。またその生涯はコクトーと同じように「自己劇化」の生涯であったとしている(58ページ)。この見方は直裁で説得力がある。本書では特に三島の戯曲「サド侯爵夫人」に関する解説が詳しい。

 本書から;
直線的時間=男性的概念、円環的時間=女性的概念という区分けがなされている。103ページ。
また163ページには死に対する態度で人間を二分するフランスの女流評論家ユルスナールの、明察が記されている。

 三島の作品は今までに「鏡子の家」「美徳のよろめき」「沈める滝」「美しい星」「文章読本」と結構読んできたのだ。下重暁子さんもかつて三島の文章を書きなぞって文章の勉強をしたことがあるといっていた。

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