読書ノート 1998

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書名 著者
遠野物語、山の人生 柳田国男
フランケンシュタイン メアリー・シェリー、 森下弓子訳
死言状 山田風太郎
禁色 三島由紀夫
物理学はいかに創られたか上下 アインシュタイン、インフェルト、石原 純 訳
七十七年間の軌跡 小佐嘉博
日本の恋歌 竹西寛子
生命と地球の歴史 丸山茂徳、磯崎行雄
禅と日本文化 鈴木大拙、北川桃雄 訳
羊の歌 加藤周一
らせん 鈴木光司
リング 鈴木光司
江戸の想像力 田中優子
ループ 鈴木公司
女ざかり 丸谷才一
マシアス・ギリの失脚 池澤夏樹
刑事たちの夏 久間十義
英文読解術 安西徹雄
ギリシャの美術 澤柳大五郎
日本社会の歴史(上・中・下) 網野喜彦
物語の女たち 下重暁子
燃えつきた地図 安部公房
外道の群 責め絵師・伊藤晴雨伝 団鬼六
福翁自伝 福沢諭吉、福田正文校訂
氷川清話 勝海舟。勝部真長 編
英語に強くなる多義語200 佐久間治
アウトブリード 保坂和志
徳川慶喜 松浦 玲
戊辰戦争から西南戦争へ 小島慶三
西郷南州遺訓 山田済斎 編
江戸の産業ルネッサンス 小島慶三
文明の技術史観、アジア発展の可能性 森谷正規
沈黙の春 レイチェル・カーソン、青樹梁一訳
遺伝子の夢 死の意味を問う生物学 田沼靖一
利己的な遺伝子 リチャード・ドーキンス、日高敏隆ほか訳
作家論 三島由紀夫
中吊り小説 吉本ばなな他
この人の閾 保坂和志
日本美の再発見 ブルーノ・タウト、篠田英雄 訳
翻訳と日本の近代 丸山真男、加藤周一
いよよ華やぐ 瀬戸内寂聴


書名 遠野物語、山の人生 著者 柳田国男 No
1998-01
発行所 岩波文庫 発行年 1976年刊、97年38刷 読了年月日 98−01−15 記入年月日 98−01ー19

「日本風景論」と共に、
12月に新橋の新橋亭に行くとき、少し時間があったので田村町交差点のところの本屋に入って、この本を見つけた。二つとも初めて目にする本だったので(名前は知っていた)、即座に買った。

 「遠野物語」は日本民族学の記念碑となった著作。読み始めて拍子抜けのする感じ。東北の早池峰山に近い遠野地方に伝わる民間伝承を、地元の佐々木鏡石氏より聞き書きしたもの。神隠し、天狗、狐や狸に化かされた話、山姥といったいずれも現在の我々の生活にはまず登場することのない色々なエピソードがたくさん盛られている。そうした物語は、私の七根の子供時代とダブり、懐かしい気持ちを起こさせる。我々の祖先がまだ森に囲まれ、森との対話をしていた頃、あるいは知的障害者が今のように日常から隔離されることなく、普通の人びとの中に混じっていた時代の話。初出は明治43年。

 「山の人生」は「山人」にまつわる日本各地に伝わる民話を引用し、それに彼なりの解釈を施そうとしたものである。「サンカ」という言葉は、子供の頃母から聞いた記憶がある。こちらを読み進めていくうちに、実は遠野物語が柳田の実証主義的民族学の真髄であることがわかってくる。こうしたフォークロアを通して彼が迫ろうとしたものは、日本民族の集団的無意識であったことが納得される。あたかも、ユングが個々表徴の実例から、人類の無意識に迫ろうとしたように。

p181 鬼子:生まれる前に胎内から「鬼子だが産まれて殺すなら出てやらない」という愛媛県地方に伝わる話は、芥川の「河童」を思わせる。ひょっとすると芥川はこの話しにヒントを得て「河童」を書いたのではないか。解説の桑原武雄は、作家で「遠野物語」を評価したのは芥川だけだと書いている。

p259、p266-267 「山の人生」の結びで、柳田は日本人の土着の信仰に言及している。彼はフォークロアの中にこそ土着宗教の源泉をたどる道があると説く。極めて説得力がある。


                           
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書名 フランケンシュタイン 著者 メアリー・シェリー 森下弓子訳 No
1998-02
発行所 創元推理文庫 発行年 84年初版 読了年月日 98−01−26 記入年月日 98−01−29

 
映画で有名な作品。解説にもあったが、原作を読んだ人より映画で知っている人の方がはるかに多いだろう。

 舞台は1700年代の末、ジュネーブ育ちのフランケンシュタインは、科学を学び優れた才能を現すが、科学への情熱が高じ、ついには人工生命を誕生させてしまう。それは人間ではあるが、見るもおぞましい醜い姿の怪物といえるものであった。彼は怪物を見捨てて実験室から逃げ出す。実験室を後にした怪物は、ドイツの田舎の物置に潜み、わずかな隙間から見える亡命一家の生活を通して、言語を覚え、人間らしい感情、理性に目覚めていく。だが人間的な交流を求めて、一家の前に姿を現した怪物の姿を見た彼らは、無惨にも叩き出す。自分はその姿故に人間社会に受け入れられないと悟った彼は、生みの親のフランケンシュタインに復讐する。弟を殺し、それをフランケンシュタイン家に同居する少女の罪にしてしまう。モンブランの氷河の中で怪物と出くわしたフランケンシュタインに怪物は身の上を語り、自分の孤独を訴え、伴侶を作ることを彼に求める。いったんは怪物の要求に沿って伴侶を作ったフランケンシュタインではあったが、完成直後に殺してしまう。怒った怪物は、さらにフランケンシュタインの親友を殺し、あげくの果ては、フランケンシュタインの結婚当夜、その花嫁エリザベスも殺す。

 逃げる怪物を追ってフランケンシュタインはロシアからついには北極海へと追う。そして氷に閉ざされた北極海で、イギリスの探検船に拾い上げられ、そこで息を引き取る。一方怪物も、フランケンシュタインの死を知って、自ら氷原の上で命を絶ち、自らの醜い肉体を燃やしてしまう。物語は、冒険船のウォルトン船長がフランケンシュタインから聞いた話として語られる。

 1816年の作。初版1818年。翻訳は1831年版による。原題は「FRANKENSTEIN;OR,THE MODERN PROMETHEUS」。この作品を書くいきさつは著者による前書きに詳しい。文学作品としての出来はよくない。また、SFとしても不満が残る。というのはどうやって人工生命を作り出したかという肝心の点には全くと言っていいほど触れていないし、怪物の肉体的能力に関しても詳しい叙述がない。しかし、色々な今日的問題を含んでいる。最大の問題は科学者の野心と功名心がもたらす結果。そしてもう一つ、いわれなき差別の問題。

 怪物が人間性を獲得していく課程は感動的ですらある。言葉を知らなかった怪物が、単にある家族の生活を隙間からながめるだけで、わずか1年ほどで、言語を覚え、やがては「若きヴェルテルの悩み」を読み感動し、さらに「失楽園」「ブルターク英雄伝」を読むというのはかなり荒唐無稽だが、人間と言語の関係を示すものとして興味深い。

 ジュネーブが舞台として出てくる。その中で「プランパレ」がジュネーブの郊外として描かれている。確かに旧市街から見れば郊外だ。そして、この小説でも気がつくことは、下層階級への蔑視。例えばP233。至る所に見られる。ヨーロッパの階級制度がいかに根強いものか思い知らされる。

p51には後に怪物を生むことになるフランケンシュタインの情熱の源泉として、子供の頃を回想して、次のように述べている:
まだ不幸に心をおかされることもなく、大いにためになる輝かしい夢想が暗く狭い内省に転じてしまうこともなかった時代。 
 私の回想にはこうした夢想がない。いつも暗い内省ばかりである。
 新藤純子による巻末の解説が詳しくわかりやすい。

                              
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書名 死言状 著者 山田風太郎 No
1998-03
発行所 角川文庫 発行年 1988年1月25日初版発行 読了年月日 98−01−29 記入年月日 98−01ー29

 
26日に郡山駅の売店で買った。持参した「フランケンシュタイン」を行きの新幹線の中で読み終わってしまったので、帰りに読むものとして売店に寄ったのだ。そしたらこの文庫本が平積みされていた。発行日が1日前の25日だ。おそらく、発行されてからもっとも早く読んだ本ではないか。

 著者歴年のエッセイから取った随筆集。藤沢周平のものよりざっくばらんで飾らない。著者の人柄がよく出ている。ただいつ書かれたものかの記載がないのが残念。例えば146Pでは、現在の日本の天下泰平はそう長くないと予測しているが、いつの予測だったのかわからない。その予測が昨今当たっているようなのでよけい残念だ。

 題名に関係する死生観を述べたのは最後の方だ。P265:
一般に、人間は長生きし過ぎる。長生きし過ぎて、せっかくの「完全」形をみずから壊している。
P274:
・・・その人の死が人生の大挫折であればあるほど、他からすれば完全型をなして見えることである。信長は本能寺で死んだから信長なのである。西郷は城山で死んだから西郷なのである。あらゆる欲望を充足し満喫し、死後の計らいをすべて終えて大往生などという人の死に方は、その人の全人生は、ひとの同情も共鳴も買わないという点で、芸術的には失敗作だ、という気がするんですがね。
 そして風太郎の理想の最後の言葉は「・・・死んだ・・・」と一言いうことだという。

 戦中派として、あの戦争に対して日本人が謝ってばかりいることを嘆き、さらに天皇制にもいい点があるとしている。また死刑廃止論に反対で、むしろ斬首刑他の死刑方法を考慮せよともいっている。もっともこれは半分は冗談だが。これらの主張は私としては意外であった。それでいて元号を日本国民を世界史から遮断するものと退けてもいる。
 風太郎が師事するのは江戸川乱歩、そして横溝正史。二人に纏わるエピソードもいくつか載っている。

 面白かったのは源氏物語を中年になって読んだが、谷崎の新訳も含めて難解で少しも面白くないといっていること。谷崎訳は主語がなくてよくわからないから「訳」としては失敗作だと言い切っている。そして、未読の名著を持つ人は意外に多く、乱歩も「吾輩は猫である」を読んでいなかったとし、鴎外は読んでいるかもしれないが、漱石は源氏を読んでいないのではないかと推測している。(P103)。

 明治天皇はじめ、明治の人物の肖像に比べて、戦後の著名人の顔が貧相に見える一因は髭のあるなしではないかといったことまで述べていて、とにかく楽しいエッセイだ。西郷だけは髭がないが、顔そのものが堂々としていて髭の力を借りなくてもいいのだという。

 あとがきの最後に「人は五歳にしてすでにその人である」という西洋のある哲学者の言葉を持ってきて、
「人間は一生、同じ歌を歌うものらしい。」と結んでいる。

                           
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書名 禁色 著者 三島由紀夫 No
1998-04
発行所 新潮文庫 発行年 昭和39年初版、平成9年66版 読了年月日 98−02−16読了 記入年月日 98−02−19

 
550ページを越す長編。「仮面の告白」に続く男色をテーマとした小説。

 年老いた作家檜俊輔は、知り合いの女学生康子の許嫁、南悠一を伊豆で初めて見る。彫刻のような美しい肉体と美貌も持つ青年だ。しかし彼は女を愛せないホモであることを俊輔に告白する。豪華な全集まであるこの老大家は、俊輔の男色であることを利用して、かつての女達に復讐を企てる。彼は3度の結婚に失敗し、また、浮気の相手にも手ひどく扱われてきたのだ。彼はそれらの女、元伯爵の鏑木夫人、そして恭子に悠一を近づけさせる。女達は悠一の美貌にたちまち虜になる。だが、彼は決して女を愛することはなく、ホモの世界に浸り、そのグループでの寵児となる。やがて同じくホモであった鏑木元伯爵とも関係を持つ。鏑木夫人には悠一と元伯爵が愛し合っている現場を、はからずも見られると言う形で復讐が行われ、恭子は悠一が誘い出し、酔った恭子の布団の中で悠一が俊輔に変わると言う形で復讐する。だが、妻康子との間に子供の出来た悠一は「現実」に引き戻される。そして、いつの間にか悠一に愛を感じだしていた俊輔は、現実に戻った悠一に絶望し、遺産すべてを悠一に残して自殺する。

 横溢する博識、それは西洋の古典や美術であり、日本の古典であり、また人生に対する鋭い洞察であり、そんなものが随所にちりばめられている。三島作品を読む楽しみの一つはこうした著者の博識に接することだが、この作品では度が過ぎている。難しい漢語を多用し読みにくい日本語になっている。そして比喩は至る所にちりばめられており、比喩に対する並々ならぬ執念をすら感じる。登場する人物はいわゆる有産階級の人々。戦後間もない頃でもこうした人々は優雅で贅沢な生活をしていたのだと、読んでいて思う。三島の育った環境もそうしたものであったのだろう。

 読みながら先頃みた「ベント」というナチ時代に迫害された同性愛者の受難を描いた映画を思った。三島は本書426ページで、ナチズムの内に「かくされた男色的原理」をみている。これは鋭い指摘だ。

 私が「男色」という言葉を聞いたのはおそらくこの小説のことが話題になった際のことだと思う。当時高校くらいだろうか、その意味の正確なところはわからなかった。それ以来三島のこの小説は、禁断の趣を帯びて私の心に残っていた。先頃本屋の店頭で文庫本を見つけて手に入れたのだ。「禁色(きんじき)」とは男色に関係する三島の創作した言葉と思っていたが、立派に辞書に載っている言葉で、貴族や僧侶の階位により定められた服装の色で、他の人が身に纏うことが出来ない色のことだ。

 前後2編に分かれ、後編が完成したのは昭和28年。

98−03−14
 最近、三島と実際に同性愛関係にあったという人が、三島との交流を本にして、大きな話題となっている。
 福島次郎「三島由紀夫」、文芸春秋社。

 鈴木元伯爵がやったという靫の皮を利用した靴の製造:「20世紀1938年」という雑誌に、このことが出ていた。


                           
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書名 物理学はいかに創られたか上・下 著者 アインシュタイン、インフェルト 石原純 訳 No
1998-05
発行所 岩波新書 発行年 1939年初版、97年78刷 読了年月日 98−02−21 記入年月日 98−02−21

 
かつて高校時代に読んだ本。上下2巻。今月のエッセイ教室に相対性理論のことを書いた。「縮む時間」と言うエッセイだ。参考のために本書を購入した。下巻から読んだ。数式を使わないで、身近な例を引いてわかりやすく書いてある。半世紀以上も読み続けられているのももっともだ。こういう本を書けるということがすごい。それはワトソンの「遺伝子の分子生物学」を読んだときも感じたことだ。

 いかに易しくわかりやすく書いてあると言っても、一般相対性理論の説明になると、私には理解できない。その他にも理解できないところがかなりある。私のエッセイがみんなにまったくわからないといわれたが、無理からぬことだ。

 40数年前に読んだ印象は、特殊相対性理論のみが解説してあった印象が強いのだが、今度読んでみて、古典力学に対してもその考え方の本質が詳しく書いてある。題名が示すように、物理学の歴史としてきわめて優れたものだ。アリストテレス的世界観(力は速度に比例する)から、ガリレオ、ニュートン的世界観、そして場の理論を経て相対性理論、量子論的世界観に至る進展が、その必然性を含めて、どのようになされたかが、よく書かれている。物理学の理論とはそれによって観測事実が無理なく説明され、さらにその理論を適用することにより、自然に対する新しい見方が広がるものであるとする。

 私がエッセイを書くために当座必要だったのは特殊相対論であったが、これには光の速度がどんな速度で運動する観測者にとっても、一定であるということが基本にある。かつて読んだときは確かローレンツ変換の公式が出ていたように思うのだが、63年改版の本書には数式はいっさい出ていなかった。もう一つかつて読んだときのことを思い出したのだが、それはエーテルについてのこと。本書を読んだクラスメートがエーテルというのは結局存在するのだと言う人と、いや存在しないのだという人に別れたことだ。私は存在しないと読んでいたのだが、かなり曖昧なところがあった。今度読んでみてもちろんその存在は否定されているが、電磁波を伝えるものと言う意味でのエーテルは認めているようなところがある(上巻の終わりの部分)。

 場の理論についての解説が私にとっては新鮮であった。
 マックスウエルの電磁方程式も、アインシュタインの相対性理論もいずれも構造を表す方程式である点で共通であるとしている。


                           
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書名 七十七年間の軌跡 著者 小佐嘉博 No
1998-06
発行所 発行年 読了年月日 98−02−26 記入年月日 98−02−26

 
会社の大先輩小佐さんの自伝。布表紙、箱入り、296ページの立派な本。JT印刷で作らせ、300部で180万円ほどかかったという。JTの本社部長以上、かつての同僚、先輩、部下などに配布。小佐さんはこれを書くためにと称して、週2回、私の職場に出てきたのだ。家にいるとどうも筆がはかどらないと言う。

 私が人びとの噂から聞いていた小佐さんのイメージは、ものなど書きそうもない、余り知的でない人物と言うものだったので、自伝を書くと言うことから意外だった。高年齢者の書いたものにしては、文章は明晰で、わかりやすい。この人の頭の良さにあらためて感心する。

 特に前半の生い立ちから、戦車隊に属し、マレー半島に行って九死に一生を得て帰るまでのところは興味深い。しぶとく、がめつい小佐さんの生活ぶりをみていて、何回も死にそうになって、そのたびに辛くも命を拾ってきた体験があればこその思いを強くする。

 後半の専売での仕事を書いたところは、事情を知っている人にはそれなりに面白いのだろうが、それでも、こうした書き物にありがちな手柄話はどうしても出てくる。本人は努めて押さえようとしているのだろうが、総務理事までやった人の軌跡だから、それも止むをえないのだろう。一つだけ読みづらかったのは、「・・へ」と書くべきところを「・・え」と書いているところ。日頃うるさい小佐さんにしては、これはミスだ。

 明日、フィルター工業会の志多さんと私が世話役で、JT製造関係、フィルター関係者、30名ほどが集まって、出版祝賀会を行う。小佐さんから本の送付先のリストをもらい、案内状を出す人の人選を進めたのだが、結局だれを呼ぶかは小佐さんの意向で決まってしまった。JTの現役ではだれを呼ぶかが問題であったが小佐さんと親しいJTの役員が2名もわざわざやってきて決めた。


                           
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書名 日本の恋歌 著者 竹西寛子 No
1998-07
発行所 岩波新書 発行年 1987年初版 読了年月日 98−02−26 記入年月日 98−03−03

 
古事記から与謝野晶子まで、恋の歌30を取り上げ、その背景、著者の思いなどを綴ったもの。ほとんどの歌が私には初めて接する歌。何百万と読まれた短歌の中で、恋の歌はその主流だろうから、私の知らない歌がほとんどと言っても当然だろう。著者が思いを入れているのは和泉式部と与謝野晶子。晶子の歌で有名な「清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢う人みなうつくしき」を取り上げ、恋の歌としている。「こよひ逢う人」がみな美しく見えるのは恋をしているに他ならないと言うのだ。なるほど。

 土岐善麿の「
春の夜のともしび消してねむるとき ひとりの名をば母に告げたり」というのもいい歌だ。
 もとは「婦人之友」に昭和60年から62年に連載したもの。


                           
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書名 生命と地球の歴史 著者 丸山重徳、磯崎行雄 No
1998-08
発行所 岩波新書 発行年 1998年1月20日発行 読了年月日 98−03−04 記入年月日 98−03−05

 
今まで生命の起源やその進化関係のことは興味があって、いくつかの本を読んできたが、その舞台となった地球の歴史に関しては、余り興味を持たず、本も読んでない。本書は地球の歴史がいかに生命の進化に影響を与えたか、また逆に、生命体が地球環境にどのような影響を及ぼしたかを、随所に図を入れて、かなり専門的に解説する。

 45.5億年の地球の歴史は読んでいて壮大で、興味尽きない。ただ、岩石の名前や、地質学の特殊専門用語が何の解説もなく多出するのには閉口した。プルームの存在とマントルの対流と言う概念が地球の歴史の基本にあるのだが、マントルって液体だっけと思うほど私には初めてのことが多かった。

 地球の歴史を冷却の歴史として捉える。内部の熱が宇宙空間に放出される課程で生ずる熱の対流と、それに伴う物質の対流が地球の歴史の根本にあるとする見方だ。つまりマントルは上昇し、海嶺から水平方向に広がってプレートとなり、それは海溝で今度は下方へと沈み込む。地球規模のこの動きが超大陸の形成やその離散等、数々の地殻変動の原因となり、さらにそれは生命環境を変え、生命の進化を促す。

 45億年前、地球が出来たとき、隕石の衝突等により地球は極めて高温で、表面はマグマの海だった。それが冷却し40億年前頃マントルが形成され、さらに海が形成され、海が炭酸ガスを吸収し、さらに一段と冷却する。そうした中で、生命は深海の熱水湧出部に誕生する。およそ35億年と推定する。無機独立栄養の原初生命はやがて原核細胞生物、真核細胞生物、光合成生物、多細胞生物、そして硬殻生物へと発展し、ついには500万年前に人類の誕生に至る。
 こうした説を裏付けるための最新の研究手法も述べられる。一つは地震波を使った地球内部の観察。まるで超音波で人体の診察をするのと似たものだろう。さらに、各種の岩石の分析。それもミクロン単位の岩石を分析する。そして超高圧を使った模擬実験。

 生物が地球環境に与えた唯一の例は、光合成細菌であるシアノバクテリアによる大量の酸素の生成。このため海水が酸化的状態になり、鉄が酸化鉄として沈殿していった。私達はこうして出来た鉄鉱石を利用し、今の文明を築いたと著者らは言う。また、酸素がオゾン層を形成し、そのために紫外線が遮断され、生物は表層へと上がることが出来た。
最初の超大陸は19億年前に出現し、それ以後超大陸の生成と分裂が繰り返されている。そして今から2億5千万年後には、オーストラリアはアジアにくっつき、アフリカもヨーロッパに一体化し、北アメリカ北部もシベリアと結びつくような超大陸が出来るとし、その図が出ている。
 生命が陸上へ上がったのは5.5億年前。それには海水の塩分濃度が上昇したことが原因である。

 何ともロマンに富む話の数々だ。書き方がもう少し親切であったらと思う。それとつまらないが重大なミスがある。パスカルを「ギリシャの哲学者」としていること。専門馬鹿丸出しとも思えるが、圧力の単位にもなっている人を、こんな書き方をするようでは、本書に書いてある専門のことの信憑性まで疑われる。それとDNAと書くべきところをRNAとしているところも目に付いた。


                           
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書名 禅と日本文化 著者 鈴木大拙、 北川桃雄訳 No
1998-09
発行所 岩波新書 発行年 97年5月63刷発行1940年9月30日初版 読了年月日 98−03−13 記入年月日 98−03−17

 
著者の名前だけは聞いて知っていた。禅を世界に紹介した人だとも知っていた。著作を読むのは初めてである。大拙といういかにも禅風の古風な名前から、どうせ抹香臭い、偏狭な日本文化礼賛者だと思っていた。ところがどうして。第一この本は英文で書かれたものなのだ。西洋文明にも造詣が深く広い観点から論じているのだ。禅から見た日本文化と言うことで、単に美術や茶道、儒教との関連だけでなく、武士道および剣道にも大きなスペースを割いている。本書に見られる著者の観察は鋭く、記述は説得力に満ちている。

 読んでみて、いかに我々の生活、心情に禅の精神がしみ込んでいるかをあらためて思う。いわく「剣道」、「柔道」、「棋道」、「華道」、「将棋道場」・・・など、「道」のつくものは多かれ少なかれ、禅につながっている。そして、禅の精神とは言ってみれば論理つまり言葉の否定に通じるものだ。現代社会でも、言葉を弄するよりも、あうんの呼吸あるいは以心伝心で相手の思っていることをくみ取ることが、企業においてすら大切であるとされる。言葉による伝達を最初から否定しているから、悟りの境地とは所詮説明不可能な個人的特殊体験でしかない。そして著者は悟りの境地を無意識によって動かされる状態と見、無意識に無限の可能性を見ている。この意味では禅はフロイトの心理学に通じるものを持っている。

 興味深かったのは、俳句もまた禅の影響を深く受けて成立したものであるとしていること。確かに「侘び・寂び」は禅の思想だ。剣が日本にあっては単に人を殺すためのものではなく、人格の修行の手段として剣「道」として確立していったことを、禅僧の沢庵が柳生但馬守宗矩に与えた指南書を長々と引用して、詳しく解明している。


                           
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書名 羊の歌 著者 加藤周一 No
1998-10
発行所 岩波新書 発行年 68年初版、97年41刷 読了年月日 98−03−19 記入年月日 98−03−20

 
生い立ちから、20代半ばの終戦の時までの半生記。さすがに加藤周一だと思わせる、中身の深い回想だ。何よりも自己を客観化し、内面に対する洞察が鋭い。私にはまず書けない回想録だ。

 人付き合いが下手で、女性の扱い方も知らず、それでいて早熟で、知識欲旺盛で、合理的精神に満ちた人柄に、私自身近いものを感じ、親しみを覚える。ただ、育った境遇は天と地ほど違う。なにしろ母方の祖父はヨーロッパを遊び回った人物であり、また父は地方の大地主の次男として生まれ、東大の医学部を出て、名士相手の開業医をやっていたという上流階級の育ちなのだ。渋谷に大邸宅を構え一般庶民とは別世界の生活を送り、夏は信州追分けで過ごすという境遇は、6畳と4.5畳の家で思春期を過ごした私とはあまりにも違いすぎる。うらやましく、多少の反感はあっても、著者の内面描写には感心し、同感することが多い。特に熊谷の祖父の家に行ったときの情景を書いた「土に香り」はいい。著者たち都会の人間をちらっと眺め、走り出し、またその先で眺める村の子供達の描写などすばらしい。著者の人柄がよく出ているし、文章も美しい。もう一つ印象に強く残るのは、一高で横光利一を囲んで論議をふっかけるところ。これには多少の修飾がありそうだが、それを割り引いても、軍部に取り込まれ、いたずらに日本精神の高揚を説くこの高名な作家を、追いつめていく加藤周一ら当時の一高生の論理は遙かに筋が通っていて、レベルが高い。その中には日本の伝統を「化政の江戸」にあるとする荷風の説まで引用している。「化政の江戸」とは良い言い方だと感心した。戦後、横光はこの時のことがよほど応えたらしく、胃潰瘍で死んだが、中島健蔵から著者は「おまえ達が殺したんだ」と冗談を言われたと書いている。

 戦前の資産家に生まれた著者が、これほどリベラルな考えをもてたことの方がむしろ不思議な気がするが、それには徹底した合理主義者であった医者の父の影響が大きい。
 著者は日本がアメリカとの戦争に突入した日、夜新橋演舞場に文楽の公演を見に行き、義太夫に耳を傾ける。そして本書は8月15日に、新しい日本に希望を感じるところで終わる。初出は66年からの「朝日ジャーナル」連載。

 16日に平凡社の百科事典のCD-ROM版を購入した。その編集長が加藤周一だった。
 ここしばらく岩波新書が続く。ちょうど今岩波新書のフェアを開催中で、たくさんの本がひら積みされていて、その中には「禅と日本文化」やこの本のように長期ベストセラーもあって、購入したわけだ。高校時代から読んでいる岩波新書だが、読みやすく、いずれも期待を裏切られることが少ない。


                           
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書名 らせん 著者 鈴木光司 No
1998-11
発行所 角川ホラー文庫 発行年 平成9年12月初版 読了年月日 98−03−24 記入年月日 98−03−28

 評判のホラー小説で、いま映画が上映されている。

 
25年前に強姦され、殺され井戸に投げ込まれた若い女の怨念が、その井戸の上に立つリゾート施設のビデオテープに映像化され、それを見た人が1週間後に死ぬというのがホラーのあらすじ。実は作者にはもう一つリングという小説があって、これがらせんの前編に当たるもの。私は同時にこの2冊を買ったのだが、らせんから読み始めてしまったのだ。読んでいて、ビデオの素性を突き止めるくだりがやけに簡単すぎて物足りないと思ったのだが、それは今読んでいるリングに詳しいのだ。そしてらせんはビデオに込められた怨念の解明に手を貸した高山の死体を司法解剖するところから始まる。解剖を担当した安藤がこちらの主人公。死因は心臓の冠動脈にできた腫瘍による心筋梗塞である。その腫瘍からは天然痘に似たウイルスが検出される。実は強姦された山村貞子の相手は日本で最後の天然痘ウイルスの保菌者であったのだ。そのウイルスが女の念力を通じてビデオを見た人々に感染し、死に至らしめるのだ。高山から検出されたウイルスのDNA配列にはまた、彼のダイングメッセージが込められていて、その暗号を安藤は友人の宮下の助けを借りながら解く。本書はそうした医学や科学の知識が、ウイルスの写真やダブルヘリックスの図などを入れて、ふんだんに出てくる。

 ビデオを見た中に高山の教え子に高野という大学生がいる。彼女がそれを見た日はちょうど排卵日であったので、山村貞子の怨念は彼女のDNAを天然痘ウイルスの一つ一つに断片化して組み込み、高野の卵子の中に入り込みそのDNAに置き換わる。そして1週間後に生誕し、高野は死ぬ。貞子は短時間で死んだときまでの年齢に成長する。しかもすべての記憶を有しているのだ。著者がここで、DNAのイントロン配列までコピーされるから記憶もすべてコピーされるのだといっているのが興味を引いた。私もイントロンという長いDNAの意味の分からない部分は記憶とか意識と関連しているのではないかと思うことがあるからだ。かくして山村貞子は再生する。そして安藤と一夜を過ごす。

 山村貞子はメディアを通して自分の怨念、あるいはDNAを広めたかったのだ。前編の主人公浅川がいきさつとビデオの中身を書いた「リング」にも、彼女の念力は込められている。安藤はこの出版を何とかくい止めたいと思うのだが、彼はある条件でそれを断念し、貞子に協力する。その条件とは、彼が不注意で溺死させた幼い息子の命を復活させると言うことだった。実は山村は両性具有者で、自分自身で自分のコピーを作ることができる体だったのだ。そのことを彼女は安藤と性交したとき気がついたのだ。それで彼女の子宮から受精卵を取り出しそれに、残っていた息子の毛髪からDNAを取り出して注入し、息子を再生したのだ。このようにして、高山も再生される。書籍「リング」は今やベストセラーとなり、山村貞子の念力は人々の間に浸透していく。やがて人類は彼女のDNAに乗っ取られるかもしれない。

 生物進化の背景には意志の力が働いていて、それには目的あるいは方向性があるという考えが、基本にはある。


                          
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書名 リング 著者 鈴木光司 No
1998-12
発行所 角川ホラー文庫 発行年 平成5年初版 読了年月日 98−03−29 記入年月日 98−03−29

 
らせんの前編。こちらは週刊誌の編集者浅川と、大学講師高山が主人公。秋の初め予備校生2人と、女子高生2人が同時刻に突然死する。たまたまその一人が妻の姪であったことと、偶然に乗ったタクシーの運転手の話から、不審に思って浅川はこの不思議な事件に巻き込まれていく。その結果わかったのは、どうやら箱根のリゾート施設にあった一本のビデをテープに原因がありそうだということ。それを調べていくうちに、大島生まれで、おさない時から超能力を発揮していた山村貞子に行き着く。その過程がサスペンス風に詳しく述べられる。何しろ主人公の浅川は後一週間の命なのだ。だが、古井戸から貞子の頭蓋骨を拾い出した浅川は期限の一週間がきても命を落とすことはなかった。しかし、その一日後、やはりビデオを見た高山は、突然の心不全で死んでしまう。薄れ行く意識の中で高山は、貞子の念力の意図に気がつき、さらにその行き着くところまでを悟るのだ。貞子を強姦した長島医師から彼女が両性具有者であることを聞いた高山は、子供の産めない彼女の願いは、その念力、つまりビデオがウイルスのように増殖することであると見抜いたのだ。高山の死に呆然とした浅川もそのことに気がつき、偶然ビデオを見てしまった妻と幼い子の命を救うために、妻の実家の両親にそのテープをダビングして見させようと、車で急ぐところでこの小説は終わる。

 「らせん」では浅川の妻子も、妻の両親も死ぬ。そして浅川は精神に異常を来してやがて死ぬ。


                           
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書名 江戸の想像力 著者 田中優子 No
1998-13
発行所 筑摩学芸文庫 発行年 92年6月第1刊 読了年月日 98−04−07 記入年月日 98−04−09

 
86年に出版されたこの本が江戸ブームのきっかけを作ったとされる。確かに私の中に巣くう、抑圧され、鎖国で閉じこもった江戸というイメージからはほど遠い、伸び伸びとし、世界との交流で独自の文化を形成して行く江戸中期の姿が描かれている。だが内容は専門的で高度で、そんなに読みやすい文章ではない。

 取り上げるのは18世紀後半から19世紀にかけて。平賀源内、金唐革、草本学、連、説話文学、「風流志道軒伝」、「マテオ・リッチ地図」、上田秋成、「春雨物語」、列挙、などがキーワード。

 冒頭の部分でまず、読者への模擬試験みたいな形で、平賀源内の創案になるとされていた、紙で作った一種の人工皮革的な「金唐革」が実はそうではなくて、中国やヨーロッパと広く繋がったものであることを明らかにして行く。それだけでも大変な作業だと思う。
 落語や蒲焼きの起源についての考察もある。

 読んでいて思ったのは、こうした労作こそが、真の文化を進めるものだということ。それに比べると、多くのジャーナリズムをにぎわせている、評論家達の書いたものなど、知的刺激のまったくない、どうでもいいものばかりだ。著者田中優子の対極にあるものとして、なぜか曾野綾子のことが浮かんできた。後者の書く常識的なことなど、文化に何の貢献もしていない。それどころか、彼女の書くものには、本書のような知的な冒険、進歩を否定するようなところがある。いや、曾野綾子ばかりではなく、今の日本全体にそうしたムードが漂っているような気がしてならない。

本書から
p163から164:物語における歴史的時間。日本の物語はそれを欠き、中国の物語はそれにそって書かれる。
p254から:列挙について。列挙することは接続詞を欠くことであり、従って物事の関連、あるいは論理を欠くことである。だが、そのためにかえって読み手に列挙されたことの関連を想像する余地を大きく残す。列挙による相対化をなしたものとして、秋成の「春雨物語」をとらえている。

P239から240:情報の変化が早すぎるために完成しない知と、ある時点で完結してしまって一般化した知との対比。歴史の残るのは前者であって、後者は埋もれてしまう。後者の例として江戸後期の人びとの世界認識をあげる。それはマテオ・リッチの地図によるもので、当時の一般の人びとは大人国や小人国、あるいは胸に穴の空いた住民の国、一つ目の住人の国が世界に存在すると本気で信じていた。そうしたことから歴史を重層的に認識することの大切さを指摘する。


                           
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書名 ループ 著者 鈴木光司 No
1998-14
発行所 角川書店 発行年 平成10年1月31日初版 読了年月日 98−04−12 記入年月日 98−04−16

 
「リング」「らせん」に続く3部作。主人公は科学好きの20歳の医学生、馨。彼の父は転移性ヒト癌ウイルスによる癌にかかつて、回復の見込みがない。父は日米共同の人工生命プロジェクト「ループ」にかかわった科学者だ。父の同僚であった科学者が次々に同じ病に倒れていく。原因はどうやらそのプロジェクトにあるらしい。そして、その解決の鍵を握るものが、アメリカのアリゾナやコロラドの州境にありそうだと馨は感じる。それは彼が10歳の時父にねだって、家族旅行の約束を取り付けて、果たせていないところだった。何としても父の命を、年上の愛人に身ごもらせた自分の子供の命を、救いたい馨は、ようやっとそこにたどり着く。彼がそこで見たのは人工生命プロジェクトがコンピュータ上に作り上げた仮想世界だった。それはRNAから始まり、人類の誕生と文明の発展に至る生命進化のプロセスを忠実に再現したものであった。そしてその仮想世界は「リングウイルス」が蔓延して、全体が癌化し出したので、プロジェクトは途中で中止されてしまったのだ。馨の父の病はどうやら仮想世界の住人、高山に関係があるらしい。

 そこで馨はこのプロジェクトの責任者の老科学者エリオットに会う。彼が馨に明らかにした真相は驚くべきものであった。つまり仮想世界で高山が死ぬ間際に願ったのは現実世界をそとであやつる「あちらの世界」に行きたいということだったのだ。その老科学者は高山のその願いを聞き入れ、高山をこちらの世界に生まれさせる。そしてそれが誰あろう馨自身であったのだ。そしてこちらの世界に蔓延する転移性ヒト癌ウイルスの情報を得るためには、馨にニュートリノを照射し、位相のずれからその身体の分子の全情報を明らかにしなければならないと説く。馨はそれに応じ、地下数千メートルの分析装置の中に入って分子情報を提供し、自らの肉体は消滅する。こちらの世界に於ける馨の20年間の生涯は、仮想世界つまり「らせん」の舞台では、高山が死んで再生するまでの時間であったのだ。最後は、「らせん」の最後と同じ海岸で高山が、安藤と生き返ったその息子に会いに行くところで終わる。

 何とも意外な結末であった。つまり、前2作の世界の他にそれを包むもっと大きな世界があったということだ。前2作に起こったことはコンピュータの中でのシミュレーションにしかすぎなかったというわけ。世界は入れ子構造になっていて、我々の世界も結局はもっと大きな世界の仮想現実に過ぎないというわけだ。夢野久作の「どぐらまぐら」を思わせる。夢の中の夢。どこまでが夢でどこまでが現実か。あるいはこの世はすべて夢か。

 ホラーとしては最初の「リング」が一番恐怖感がある。次の「らせん」は「リング」の科学的謎解きで、怖さはあまりない。「ループ」はSF的要素が強い。科学知識と哲学的省察が随所に出てくる。そういう意味では面白い。

 本書318p以降にはニュートリノ振動から、脳の活動状態、記憶を含んだ生体の持つすべての情報を記録することが可能になると述べられている。かつて私が脳波の連続的な記録から、その人の意識すべてがそっくり再現できるというSF的アイデアを思いついたが、これはそれに類似する。

 娘が友達から借りてきてくれたハードカバー本。娘は私が「らせん」を持っていると言ったら、夕食後それを持っていって一晩で読み終えたと言って、次の日、眠たそうな顔で出勤した。若さにはかなわない。


                           
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書名 女ざかり 著者 丸谷才一 No
1998-15
発行所 文芸春秋社 発行年 93年1月刊 読了年月日 98−04−16 記入年月日 98−04−17

 
これはパロディである。それも極めて良質のパロディである。読みながらおかしさをこらえきれずについ口元がゆるんでしまう。風刺されているのは新聞の論説委員、新聞社、現職の首相や与党の幹事長、哲学者、政治家に大きな影響力を持つとされる書家、そして日本の政治と社会。「ループ」よりやはりこちらの方が面白い。霧が丘の古本屋で買ったハードカバーを電車の中で読んだのだが、すっかり夢中になり、15日の日に松下氏のご母堂の葬儀に行った帰り、青葉台で降りたとき、4月の初めに買ったばかりの定期券をどこかに紛失してしまったが、一因はこの小説を読んでいて、少し放心状態にあったからであろう。

 主人公は45才で新日報社の論説委員に任命された南弓子。彼女がふとしたはずみで書いた中絶擁護論と女性の不倫を勧めるような社説が、ある宗教団体で問題視される。支持団体であるその宗教団体の圧力で、時の総理や幹事長が、新日報社に弓子の配転を迫り、それが出来なければ、新日報社が新社屋として予定している国有地の払い下げを取り消すと圧力をかける。あくまでも論説委員としてとどまりたい弓子は、頑強に抵抗し、最後は総理と戦前に同棲関係にあった伯母の女優に直接総理を説得してもらう。総理官邸に伯母と同行した弓子も、偶然に総理と会い直に訴える。そして彼女は自分の主張を貫く。

 例によって旧仮名遣いである。だが読んでいて、ほとんど抵抗がない。面白いのは箇条書きが何回も出てくること。それが違和感がないどころか、そのために論旨が明快でわかりやすくなっている。この作品のテーマの一つは、日本の社会が贈与関係で成り立っていると言うことを執拗なまでに暴いていること。最初に出てくる、弓子と同時に論説委員になった藤浦が書いた買収の戒めの社説から、このテーマを扱ったものであり、総理や幹事長の口からは、何回も見返りのことが口に出る。

 パロディの中でも最も面白いのは藤浦のこと。この男は社会部上がりなのだが、文章が書けない!のだ。買収の社説も実は弓子が全面的に書き直すのだ。そして彼は夫とは昔に別れた弓子に何かにつけ言い寄る。彼が弓子宛に書いた手紙の最後に黒々と消してある一文があった。弓子がすかしてみると「あなたとやりたい」と書いてある。このくだりなど吹き出しそうになる。

 弓子の一人娘千枝のボーイフレンドである、歴史学の助教授と大蔵官僚との間に交わされる、孝明、明治、大正、昭和の歴代天皇論も面白い。大正天皇と大正時代への高い評価、多分筆者の考えだろうが、が特に面白かった。この小説の発表直後の書評に、小説の中で首相官邸の内部が初めて詳細に明らかにされるのが大きな読みどころだとあったが、読んでみて特にすごいとも思わなかった。
 とにかく博識な人だ。


                           
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書名 マシアス・ギリの失脚 著者 池澤夏樹 No
1998-16
発行所 新潮社 発行年 93年発行 読了年月日 98−04−26 記入年月日 98−04−26

 
南の島、ナビダード民主共和国大統領マシアス・ギリは、政敵の大統領の急死にともなって、大統領に返り咲き、議会を停止し、独裁的な政治を行う。人口わずか7万人で戦前は日本の信託統治、戦後はアメリカ、そしてやっと独立を勝ち取る。ギリは旧日本軍将校のつてで日本に渡り、日本流のビジネスと、政界への人脈をつくり、島では初めてのスーパーマーケットを経営し、事業家として成功する。やがて初代大統領の引きで、2代大統領になるが、日本寄りの彼は前回の選挙では、ナビダードテイコクホテル建設にまつわる黒い噂から、不利な選挙となり、最後は頼みの日本からの選挙資金が届かず、破れたのだ。彼にところに日本からの密使がきて、群島内の珊瑚礁の中にタンカーを係留して一大石油基地にする事を提案する。もちろんナビダードにも、マシアスにも相応の金が入る。

 一方、島では土着の生活様式が残り、特に島民の精神生活は伝統的なものに強く支配されている。マシアスは石油基地の受け入れに傾く(日本は密かにこの備蓄基地を自衛隊の秘密基地とするつもりであり、ギリはそのことを知っている)。そんな中で、彼の愛人が経営する売春宿で、一人の若い女を見つける。彼女には霊的能力がある。彼女のその能力を政務に利用しようとマシアスはその女を官邸に入れる。備蓄基地予定地に女をともなって視察に訪れたマシアスは、女の霊力を通して、タンカーから油が流失して、珊瑚の海を覆う幻影を見る。
 エメリアナというその女は、マシアスのところから、彼が前大統領を殺害した証拠を探し出し、それを生まれ故郷のメルチョール島の長老のところに持っていく。この群島の精神生活は、ここの長老達によって決められているのだ。彼らから支持しないと宣言されたマシアスは、その宣言に法的なものはいっさいないにもかかわらず、もはや大統領職に止まるわけにはいかない。最後は生まれ故郷の島でエメリアナと会い、彼女から自分の子供(女)を身ごもっていることを聞いた後、専用機から飛び降りて命を絶つ。

 ハードカバー500ページを越す作品。作品の作り出す世界に引き込まれる。たくさんの要素が投入されている。政治、経済、民族、植民地の歴史、宗教。作者の博識に感心する。小説の一つのおもしろさは、大国に頼らざるを得ない南の小国という外部から、日本の政治、経済を見て、それを批判あるいは風刺していること。その日本の戦後を体現したようなギリが、最後は島を支配する伝統的な霊というべきものに敗退する。そこに沖縄に在住する作者の込められたメッセージを読みとってもいいだろう。

 とにかく面白い。構成がしっかりしている。元日本軍の慰霊団を乗せたバスが行方不明になってしまうエピソードや、200年前に初めてロンドンにわたり20才で客死した酋長の息子の亡霊など現実離れした話が出てくるが、これらはきわめて象徴的意味合いにおいて、作品の重要な構成要素であり、違和感がない。難をいえば、エメリアナが何故ギリのところから証拠の契約書を持ち出したかがややわかりにくい。しかし、彼女もこの小国を支配する精神界の象徴とすれば、彼女が自発的にギリの失脚を決めたとしてもおかしくない。物語の最後で、これはギリに雇われて、IWハーパー12年ものを毎日1本飲ませるという条件で、政敵を殺害した2人のホモの殺し屋が記録したことになっている。

 作者の博識には感心する。期待に違わない作家であり、丸谷才一の作品と似たところがある。
 購入したのは霧が丘の古本屋。


                           
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書名 刑事たちの夏 著者 久間十義 No
1998-17
発行所 日経新聞夕刊連載 発行年 5月2日完 読了年月日 98−05−06 記入年月日 98−05−06

 
経済省の高官白鳥が謎の死を遂げる。彼の残した「白鳥メモ」が、北海道の開発をめぐる大きな不正融資事件の鍵を握っている。この事件を追及する松浦刑事は、白鳥の背後に官僚や政界、金融界を巻き込む大きな疑惑があることを感じる。だが、警察内部での派閥抗争も絡み、その捜査は妨害され、彼の恋人で協力者であったヒロコは殺される。「白鳥メモを」手にした彼は、各方面からの圧力をはねのけて、独断でそれを公表しようとするが、その彼もヒロコの葬式の日に、暴力団員の手で路上で射殺されると言った筋。折からの大蔵省をめぐる疑惑が新聞紙上を騒がせていたときだったから、タイミングがいいと思っていた。きっと腐敗の構造を暴いて、胸のすくような結末だろうと期待していたのに、あっけなく主人公は殺されてしまった。松浦の死後、彼の協力者の女検事や同僚の刑事が真相究明を誓うところで終わっているにしても、肩すかしを食った感じだ。

                           
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書名 英文読解術 著者 安藤徹雄 No
1998-18
発行所 筑摩新書 発行年 95年9月 読了年月日 98−05−08 記入年月日 98−05−10

 
英語の例文にそってその読み解き方を解説したもの。この種の本は買ってもなかなか読み切ることがなくなった。ただ、この著者の「翻訳英文法」という本は、翻訳の勉強に熱を入れていた頃読んで、とてもよく書けていて参考になったので、著者にひかれてかなり前に買ってきて、積んであったもの。少し前のニューズウイークの翻訳で、2度ほど恥ずかしいとんちんかんな誤訳をやったので、反省の意味で読んでみる気になった。

 読み解き方がよく解説されている。関係代名詞は接続詞を補って考えろとか、無生物主語の訳し方とか、参考になる。それ以上に、引用されているSydney J.HarrisやRussell Bakerのコラムまたはエッセイの巧妙な書き方に参考になることが多かった。

apparently ということばは「多分らしい」という意味で、「明らかに」という意味で使われることはない。英語の辞書にもその意味のことは載っていないと書いてあった。

ユーモアとウイット:
みずからがみずからを笑うゆとりがユーモアで、ウイットは他者を笑い、揶揄し、さらには風刺する。

                           
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書名 ギリシャの美術 著者 澤柳大五郎 No
1998-19
発行所 岩波新書 発行年 1964年4月第1刷 読了年月日 98−05−13 記入年月日 98−05−13

 
多数の写真を掲載した厚手の岩波新書。ギリシャ美術の優れた解説書である。松島先生の西洋美術史の話を聞いて、何か解説書でもと思っていたとき、本書を六本木の書店で見つけて購入した。岩波新書創刊六〇年記念の復刊である。

 ミロのビーナスはじめ、パルテノン神殿等、私にもなじみの写真がたくさん載っている。著者はギリシャ美術の絶頂期を、紀元前五世紀、パルテノン神殿が出来た頃におく。特にフェイディアスが制作もしくは指導したパルテノンの破風におかれた彫刻やレリーフを最高の傑作としている。紀元前二世紀のミロのビーナスは、この最盛期の彫刻の模写品であり、そこにはむしろギリシャ美術の夕映えの美しさがあるとしている。なおパルテノンよりやや早い時期にできたオリンピア宮殿の破風の彫刻も同じように頂点を示す物として解説している。これについては西洋美術史の専門家、女子美術大学の松島先生の講演を聞いたことがある。

 191ページには以下のようにある:ミ
ケランジェロが悩み、またそれによってその彫刻が人の魂を打つような肉体と精神、内と外との乖離をギリシャ人は知らなかった。内と外との一致、精神と肉体との合一、我々がギリシャの美術を称揚する時によく使うこういう概念さえギリシャ人には理解できないのではなかろうか。一致とか合一という考え方が既にそれらが離れていることを前提とする。魂を肉体から引き離したのはクリスト教ではなかろうか。
 私が見たの古代彫刻はローマの美術館あるいはルーブルであるが、その時感じたのは、これはキリスト教に染まっていない異教の世界だという感慨だった。

 エルギンマーブル:1800年代のはじめイギリスの駐トルコ大使エルギン郷により、イギリスに運び出されたパルテノン神殿の彫刻群。
 模写:ギリシャの彫刻にはローマ時代に大量の模写が行われた。現存する多くは原作ではなくて、模写であることが多い。著者は原作と模写の違いを写真を挙げて強調する。
 

                           
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書名 日本社会の歴史 上・中・下 著者 網野喜彦 No
1998-20
発行所 岩波新書 発行年 97年4月 読了年月日 98−05−31 記入年月日 98−06−04

 
英雄や偉人の立場からではなく、社会とそれを構成する一般の人々の立場から書いた通史として評判の網野史学による日本史。日経新聞文化欄でも大きく取り上げられていた。そのことを黒須さんがエッセイに取り上げていた。例によって網野氏の著書を読みもしないでそれに対する批判めいたことが書いてあった。前々から読んでみたいと思っていたが、先月の黒須さんのエッセイがきっかけで全3冊を購入した。
 
 確かに今までの歴史書と違った斬新な視点で書かれている。先ず地図を逆にして日本列島をながめることから書き出している。列島はあたかもアジア大陸の東北から南西方向に伸びた架け橋のようであるとし、実際北は樺太から南は琉球列島までをとおして、日本はアジア大陸との密接な交流をもっていたのであると述べる。この架け橋を通してアジアの北と南が交流した。そうした大陸との交流の中で日本の社会と歴史をとらえる。それ故、東北北部や北海道のアイヌ、琉球王朝への言及が、いつの時代にも必ずなされ、それらが独自の豊かな文化をもった日本国とは独立した地域であったと言う視点から書かれている。これが本書の大きな特徴である。もっとも、特に北海道の「擦文文化」なるものの具体的な詳細は余り触れられていないという不満は残るが。また、大陸との交流という点からも、あるいは国内での交通手段としての海の重要性を常に強調し、海を生活とする人びとが歴史を動かす大きな力となっていたことを力説する。

 社会の歴史であって、それは民衆の生活史ではない。だから内容は支配制度や法令等の中身など、かなり専門的、かつ高度であって、しかも専門用語が解説もなく出てくるから、決して読みやすいものではない。しかし、一気に読んでしまうだけの本であった。また社会の歴史ではあっても、思った以上に政治的な側面から書かれている。縄文時代の文化の豊かさから、平安中期までを扱った上巻が特に面白かった。古代人の生活の中に民族の心情が見いだせると思った。
本書から:
 「倭」と言う国名に代わる「日本」、および「大王」に代わる「天皇」の称号の正式な制度化は、689年の持統天皇の浄御原令の時である。本書ではそれ以前は天皇ではなく大王を使っており、例えば「大王仁徳」である。日本と言う国名、天皇という呼称はいつから始まったかと言った重要で興味あることが、今までの史書では案外無視されていたことを本書を読んでいて感じた。
 漢字は5世紀後半までには朝鮮からの移民により入ってきていた。
 大宝律令では文書による報告を各地の役人に求めたので、このころから文字の修得熱が盛り上がった。こうした記述は他の歴史書ではまずないだろう。
 律令制で作った「六道」は直線を主体としたものであって、やがて人びとは余り利用しなくなって衰退した。

 日本文化は中央構造線を境として東西に別れる地域性をもっている。こうした地域性の違いを強調することは本書の大きな特徴である。

上巻72ページには、弥生時代以来水田耕作を基盤とし、首長を中心として祭りが営まれてきたが、そうした農耕儀礼が大王の即位儀礼の中核として形を整え、特に西日本では水田が祭祀と儀礼の中心となり、このことが後の列島社会に大きな影響を与えたと言う主旨の記述がある。読んでいて、田川の献穀田のことが頭に浮かんだ。

 中巻117p:関東、関西とい呼び方は、13世紀初めの承久の乱の後、勝利した鎌倉側が従来の呼称「関東」を正式に名乗り、西国を関西と呼んだのが起こりである。

中巻134p:西国に比べて狩猟の伝統が強く、武人の世界である東国では穢れに対する忌避感が少なかったことが、たぶんその後の被差別民の存在の東西の差異の原因であろうとしている。田川に行きだしてから、不思議に思っていたことの一つに対する明快な回答である。被差別民の東西差については以後でも言及される。

 下巻151から153pには「明治一新」に対する著者の厳しい批判的な見方が示される。明治時代は江戸時代を否定し、日本人像を捏造したとして否定的に見る。そして、市場、取引、相場、手形、切手、株式、寄付、大引などの言葉は翻訳語ではなく、古代中世までさかのぼる在来の言葉である、明治以前の列島社会が、きわめて高度な社会制度を持っていたことを明らかにする。こうした記述はきわめて魅力的であり、説得力がある。


                           
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書名 物語の女たち 著者 下重暁子 No
1998-21
発行所 くもん出版 発行年 98年4月 読了年月日 98−06−02 記入年月日 98−06−04

 網野史学を読んだ後では、なんと軽くて読みやすいこと。イザナミから始まり、泉鏡花の竜潭譚の美しき女までの18人のヒロインを取り上げ、論じたもの。いずれも男から自立した生き方をした女としてとらえているか、あるいはそうした生き方を望む立場から書かれている。

 例えば、かぐや姫は、多くの男の求婚を断って、月の世界に帰るが、「
『竹取物語』は、男に支配される現実から逃れ出たい女の願望伝説だったのではないか」として、川端康成の、処女崇拝、天上憧憬、永遠美の幻想とする捉え方を否定している。こうした著者の観点からは、源氏物語では当然紫の上に対する評価は高くない。むしろ、源氏の愛を拒んだ空蝉や、二人の男への愛に自らの命を絶とうとし、救われ横川の僧都のもとにいるところを訪ねてくる薫大将を断る浮舟に、自立した女の生き方を見る。さらに夕顔や、末摘花をとりあげ、源氏物語の面白さは、こうした上流でない女性の個性的な生き方にあるとしている。

 面白かったのは、時々、ヒロインに託して、下重さんが自分のかつての成就しなかった熱烈な恋愛を、チラッチラッと重ね合わせていること。相手はどうやら良く知られた人物で、クラッシックを含めた広い意味での芸能界の人物のようだ。

 私は下重さんから言われて本書を日比谷通りの「書源」で見つけたが、上村さんは八重洲ブックセンターでも見つからなかったと言っていた。女性の顔を描いた装幀がしゃれている。


                           
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書名 燃えつきた地図 著者 安部公房 No
1998-22
発行所 新潮社 発行年 昭和42年刊、53年28刷 読了年月日 98−06−08 記入年月日 98−06−18

 
面白い小説。前に読んだ「壁」よりも面白い。

 失踪した夫の捜索を依頼された興信所の調査員の主人公は、依頼主の妻から事情を聞くのだが、それが何とも要領を得ない。本心から夫に返ってきて欲しいのかも不明な、この妻はビールばかり飲んでいて、どこか夢見るようで現実離れがした存在として描かれる。妻から与えられたわずかな手がかり、それは喫茶店のマッチ、をたよりに捜索を開始する。依頼主である妻には一人、弟がいるが、その弟が僕の行く先々に現れる。そしてどうやら怪しい組織につながっている。失踪した男の勤めていた燃料問屋の得意先を訪れた僕は、そこでも弟に会い、その夜、弟が取り仕切る飯場近くの河原の特殊飲食施設で、騒動に巻き込まれる。弟はその時死ぬ。弟はある暴力団のホモばかりの若者集団の組頭であったのだ。そして失踪者は闇タクシーの運転手の手配みたいなことと関係していたのではないかと思わせる。

 僕自身が妻とは別居している。失踪者の部下で、僕に何かと情報を提供してくれた田代君も、その嘘を僕に見抜かれ、今から自殺すると僕に電話をかけてきた直後にほんとに自殺してしまう。僕は最大の手がかりである喫茶店を再度訪れたとき、襲われる。そして、依頼人の女のアパートに行き、眠りに落ち、目覚めたときは自分のアイデンティティを失っている。大都会の失踪者を追っているうちに、本人がいつの間にか失踪者になってしまっているという話し。現代社会の寓話としての意味があるのだろう。

 読んでいて気がついたのだが、比喩が多い。至る所に出てくる。言語の本質が比喩にあると長尾真は言っていたが、この小説はその見本みたいだ。そして作者は具体的な数値にこだわる。だから「少しの距離を」といった言い方はしないで、「30メートルほど歩き」といった言い方をする。私も比較的数値を文章の中に入れる方で、そのことにすこし疑問を感じていたのだが、この作品を読んで安心した。安部文学が、従来の文学とは異質とされる理由はこんな所にもあるのだろう。
 霧が丘「ぽんぽん船」で購入。

                          
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書名 外道の道 責め絵師・伊藤晴雨伝 著者 団鬼六 No
1998-23
発行所 幻冬社アウトロー文庫 発行年 平成9年8月 読了年月日 98−06−18 記入年月日 98−06−19

 
田川の会社の先にある本屋で買った。ちょうどもっていった安部公房「燃えつきた地図」を読み終わり、今夜は麻雀も成立しないので、帰りに寄って買ったのだ。題名にひかれてこの本を選んだ。もちろん初めて読む作者。

 緊縛され、責められる女性を専門に描いた伊藤晴雨という人をモデルにして書いた小説。時代は大正中期。伊藤晴雨という名は、初めて聞く名前だからどこまでがフィクションでどこまでがノンフィクションであるかは不明。世間の非難や、官憲の弾圧に屈することなく、残酷画を書き続け、また変態性欲者の集まりを主催したという。

 晴雨の若いモデルで、愛人でもある兼代を、晴雨とはまったく違う画風で、晴雨の絵を下手くそな猥褻画と決めつける竹下夢二にとられると言ったストーリーがメインとなっている。その間に、日本橋の呉服屋に集まった異常性欲者の人びとの話などが、おり混ざって出てくる。晴雨自身サディストで、兼代との情交は、女を後ろ手に縛っていたぶってから、女を上に乗せてやるというものだ。この他にも情交を他人に見せることで興奮する露出症の夫妻、毛相学の大家、一人の女を妻と愛人という関係で共有する二人の男といった人物の話が折り重なって出てくる。あるいは大杉栄をめぐる神近市子と伊藤野栄との確執などが同時代のエピソードとして登場する。こうした変態的な性のあり方は、普通の人間のどこかに潜むものであり、その上文章に比較的品があるから、読んでいていやらしい感じがしない。ユーモアさえ感じさせる文章だ。

 晴雨は愛人と逃げ出した兼代を、夢二のもとに連れ戻しにいって、その時同行した同じモデル仲間のキセ子と結婚する。やがてセキ子は妊娠し、晴雨は自宅での外道研究会で、妊娠8ヶ月の妻を逆さ吊りにして皆に見せるところで終わる。苦痛にあえぐ妻を下ろすことも忘れて、恍惚状態に陥った晴雨は「お葉、思い知ったか」と叫ぶ。同じく妊娠8ヶ月のお葉(兼代)を妻の姿にダブらせていたのだ。

 笑ってしまったのは、この会でやっとのこと一人の毛相を見ることのできた、毛相学の大家が、その見立てから近々東京地区で大地震があるというところ。鑑定を依頼されたある女性の上の方の性毛が逆立っているからそういう見立てが出たというのだ。関東大地震はかくして、一女性の毛相から予言されていたことになる。


                           
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書名 福翁自伝 著者 福沢諭吉 福田正文校訂 No
1998-24
発行所 ワイド版岩波文庫 発行年 読了年月日 98−07−03 記入年月日 98−07−04

 
明治31年、65歳の時に口述筆記させたもの。諭吉の人柄と、幕末から明治へかけての時代世相がよく出ている。福沢の人柄を一言でいえば、在野を貫いた反骨のやん茶坊主で、大酒飲みの徹底した開国論者とでも言おうか。そして金銭面に関しては世渡りの上手な合理主義者。幕末にみずから志願して3回も外国へ行く進取の気性は大したものだ。

 酒に関しては57pに、月代を母にそられる代わりに酒をせがんで、幼少時から飲ませてもらっていたとある。先月のエッセイ教室で「父のバリカン」という題で、父に頭を刈ってもらった話を書いたが、それとつき合わせて面白かった。また76pには酒をやめる代わりにたばこを吸って、結局禁酒も、禁煙もできなくなった話が書いてある。309から311pには、きわめて微妙な酒の味の違いがわかると自慢げに書いている。そして鯨飲したのは35歳までの10年間であって、それ以後は段々弱くなったとしている。221pには、中津で訪れた客と深夜過ぎまで酒を酌み交わし、談論していたおかげで、刺客の襲撃を免れたと、大酒の効用を述べている。明治3年のことで、維新後も諭吉は暗殺の脅威にさらされていたのだ。

 204pには明治4年に島原藩の中屋敷を新政府から借り、そこに新銭座から塾を移し、今の慶應義塾の基礎となった。この土地の入手法なども述べているが、かなりちゃっかりしていて、実務家としてもしたたかな諭吉の面をうかがわせる。
 下級士族というがそれでも結構いい生活であるという感想は、中津の生家を見たとき思ったが、例えば50pには、父のおびただしい漢書の蔵書の事が書いてあり、徳川250年の間に蓄積された文化的水準の高さと、士族の生活水準を思わせる。例えば易教注集13冊などという蔵書があるが、いったい何に使ったのだろう。諭吉は蔵書他を処分して40両の金を作り、借金を返すが、上述の本だけは売らなかったという。

 攘夷・佐幕に関しては徹底した開国論者で、184pには井伊直弼すら攘夷主義者だと断じている。開国を行った幕府の本質は攘夷にあるとしており、藩閥体制は憎むべきものであるが、かといって倒幕派はさらに一層攘夷を主張するからもっと嫌いだという。同じ184pには「コンペチション」の訳語として「競争」という言葉を当てたことが出ている。
 286pには東大・官学への批判が述べられている。
 今まで余り関心を引かなかったが、福沢諭吉というのは傑出した人物である。


                           
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書名 氷川清話 著者 勝海舟、勝部真長編 No
1998-25
発行所 角川文庫 発行年 昭和47年初版、平成9年48版 読了年月日 98−07−15 記入年月日 98−07−25

 
勝海舟が経験や人生論、人物評等を縦横に語ったものを速記としてまとめたもの。かつて私が高校生の頃、父から「氷川清話」と言う本を見つけたら買ってきて欲しいと頼まれた。それ以来だから40余年ぶりと言うことになる。もう10数年前に岩波文庫で「勝海舟座談」と言うような題の本を見つけ、買って途中まで読んだ記憶がある。それに比べるとこっちの方が面白い。

 読んだ動機は同じ幕臣としての福沢との対比。そして結論は、人柄の魅力は勝、在野を貫いた生き方への共感は福沢、というところか。後世への影響の大きさでは、江戸を戦火から救ったことの大きさと、橋本首相を初め人材を輩出している慶應義塾を作ったことの大きさは、優劣つけがたい。勝はこの座談で一度も福沢のことには言及していない。よほど嫌いであったのだろう。一方福沢は「福翁自伝」で、咸臨丸艦長の勝については触れている。二人とも貧乏育ちを標榜している。だが中年以降の彼らは今の水準からすると、大金持ちだ。勝も50両と言う大金をポンと料亭の女将にやったりしている。

 なんと言っても目に付くのは西郷に対する傾倒ぶり。それは江戸無血開城が海舟の生涯にとって最大の快事であったからに他ならない。歴史上の人物としては、信長、信玄、早雲、細川頼之、あるいは鎌倉幕府の北条家等を高く評価している。しかし、西郷への心酔ぶりに比べればたいしたことはない。

 意外だったのは二宮尊徳にも一度会っていること。正直な人間で、ああいう時勢にはああいう人物がたくさん出るものだと、わずか2行で人物評を片づけている。

 勝は政治の要諦を「正心誠意」と言っている。江戸開城の西郷との談判のことを読むと、政治には言語や論理を越えた、非論理的、言語で表せない以心伝心といったもの、言い換えれば、お互いの人間のスケールの大きさと言ったもので、動かされると言う気がする。私にはない素質を政治は要求する。時の流れを見る目の正確さ、そしてその流れに沿った決断力とを持ち合わせた勝は、きわめて優れた政治家であった。

 だが、こうした曖昧とも言える決着の付け方、つまり文書での確認などない個人間の約束だけがすべてというのは、どこかおかしいという思いがする。果たして、勝の自宅は江戸明け渡し後、数百名の官軍に囲まれ、踏み荒らされてしまうのだ。幸い勝は留守にしていて難を免れるが、これを見ても、西郷と勝との約束が極めて個人的なもので、危うい一筋の道でしかつながっていなかったことを示す。日本や中国の政治にはこうした伝統が多いのではないか。

 この座談がまとめられたのは、日清戦争に勝った後のことだが、勝は中国人のスケールの大きさを見抜き、それに大きな尊敬を払っていて、中国を侮ることを強く戒めている(191,205ページ)。これは卓見だ。150ページには英雄は経済を重視したとし、芭蕉も大変な経済家であったとしている。

 188ページには「行政改革」と言う言葉が使われている。100年も前から言われている言葉なのだ。
 巻末の勝海舟伝は、座談のエピソードに沿うように書かれていて、勝の生涯の紹介としてはよくまとまっている。

「氷川清話」の初出は明治31年10月と推定され、編者は吉本襄である。


                           
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書名 英語に強くなる多義語200 著者 佐久間治 No
1998-26
発行所 ちくま新書 発行年 1998年2月20日 読了年月日 98−07−27 記入年月日 98−07−31

 
題通りの本で、主要な多義語の意味と、どうしてそのような意味が出てきたかを、歴史的に考察してある。この考察は時としてこじつけみたいなところもあるが、面白く、英語と言わず、言語の本質を示すようなところがある。

 Batteryと言う言葉を、定義の多さと、各定義間の隔たりの大きさという点では、もっとも多義語らしい多義語として取り上げている。「電池」「野球のバッテリー」「砲台、砲列」「一揃い」「殴打」。batteryはbattleやcombatと同じ語幹batを有し原義は「打つ、打ちのめす」である。そしてこの原義から「砲撃」が出て、さらに「砲台、砲列」になった。batteryはそもそもローマ時代の戦争の陣形に由来する。つまり幾重にも隊列を組み、それぞれに異なる武器を配備した効率のいい陣形である。こうした戦闘態勢から「一揃い、一組」の意義が派生し、さらに重層密集型とも言える陣形から「平板状のものを組み立てて、これらを密に積み重ねる構造」を意味するようになった。ここから蓄電池(cellの集まったもの)と言う意味が生まれる。この蓄電池を用い無線で通信したが、その発信者と受信者のペアをbatteryと呼ぶようになり、それがピッチャーとキャッチャーとの関係に転用された。


                           
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書名 アウトブリード 著者 保坂和志 No
1998-27
発行所 朝日出版 発行年 1998年6月1日 読了年月日 98−07−31 記入年月日 98−08−01

 
著者がすでに発表した文章を集めたエッセイ集。前半は書評が多く、後半は自作の小説に関することを通して、文学論、あるいは世界観が語られる。いずれも難解でハードな内容だが後半の方が面白く、理解しやすい。

 著者に言わせれば
「世界を認識し記述することを忘れて何が文学かーーーというわけです」(209ページ最後)。小説は人生観ではなく、世界観を提示すべきであると著者は言う。本書の165ページから200ページにかけてのところが面白く、核心である。ハイゼンベルクの著作を引用しながら、科学観、世界観、言語観が展開される。人間はモデル(=フィルター)を通して世界を認識する(165ページ)。そして「古典物理学と現代物理学だけでなく、科学というものの古典と現代を分けるものは、じつはモデルによる思考で実体を語ることの限界に対する自覚」であるとしている(171ページ)。172ページでは「身のまわりの科学」による解説を否定し「科学という思考は、日常の感覚・知覚から一度バッサリ切れている」と述べる。

182ページ:「生
の感覚はなくて、感覚が機能するときには経験とか抽象が同時に働いている」。また「生の思考はなくて、思考しているときにはすでに確立している常識なり見解なりが働いている」。この二つの間には切断があり、そこに介在しているのが言語である。

 また195ページから196ページにかけては西欧近代科学の起源について、アウグスティヌスの果たした思想的役割との関連で著者の考えが述べられている。一言で言えば論理的思考の伝統が科学を作った。

 27ページ以下の「羽生→数理→小説」も興味深く、わかりやすい。その中では文学を以下のように述べている:
人間の感覚はほかの動物と同じように、自分が個体として環境に適応していく必要性として発達してきたものであって、世界の実体を知るために発達してきたわけではない。同様に、理性も大部分は環境に適応する能力の一環として発達してきた。だから素朴文学趣味の好む(等身大の私)などいくら駆使してみても、環境適応性の次元でしか世界を把握することはできない。本当に世界の実体を知りたいと思うなら、(私)の次元をいったん切り捨てて、世界の法則や掟を知る喜びを見いだしなさい。
 そして、安部公房をはじめ、文学に理系の知識を持ち込むと、人間性を貶めた作品になるのは何故かという疑問も解いてみたいとしている。

 アウトブリードとは競馬で言う「異系繁殖」だ。現代物理学まで積極的に吸収しようとする著者の態度に共鳴した。ところで、著者は競馬好きで、猫好きで、将棋にも興味があるらしい。「羽生」という著作もある。今度読んでみよう。猫好きは猫を主人公にした小説もあるほどだ。「草の上の朝食」という小説の解説の中で「
猫と半日遊ぶことができるのは、人間としての成熟だと思う。ぼくはそういう人を読者として考えながら書いた」と言っている(244ページ)。柳瀬尚紀も将棋と無類の猫好きだ。私も保坂や柳瀬の仲間に入れればいいが。

                           

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書名 徳川慶喜 著者 松浦玲 No
1998-28
発行所 中公新書 発行年 1975年初版、1997年増補版 読了年月日 98−08−09 記入年月日 98−08−12

 
今年のNHKの大河ドラマの主人公であり、勝海舟の仕えた最後の将軍でもある徳川慶喜の名前が目に付き買った。

 私の慶喜に対するイメージは、指導力も、政治力もなく、その上薄情な最後の将軍というものだ。それは主として宮尾登美子の「天璋院篤姫」と吉村昭の「天狗争乱」に描かれた慶喜像による。だが、明治政府に批判的な立場に立つ本書によれば、慶喜は決して凡庸な君主ではなかった。政治家として先見の明もあり、また島津久光や松平慶永、あるいは京都の反幕府派の公家連中を相手に、堂々と持論を述べ、時には恫喝を用いてすら自説を通している。また、幕政改革にも熱心で、ある意味では明治の改革を先駆けした大胆な改革を行っている。その中にはフランスの力を借りた軍制の改革も含まれ、当時の幕府軍は近代的な制度と装備を備えるに至っている。幕末史の中で、薩摩と長州、特に薩摩が武力討伐に次第に傾いていくのだが、慶喜は反幕府雄藩を叩きつぶそうと思えば出来たと本書は言う。もしそうなったら明治の近代化はまた別の道をたどったであろう。これはとても興味ある仮定だ。著者は、その可能性が失われて幕府が倒れたことを残念に思っているようだ。

 慶喜は討幕派の先手を打って大政奉還をする。これがそのまま通ると、徳川の権力は依然として残る。これを見た薩摩を中心とする討幕派は、王政復古のクーデターで、慶喜の意図をくじく。そして幕府を挑発し、鳥羽伏見の戦いへと導く。では何故、人員の上で圧倒的優勢で「負けるはずのない」を誇る幕府軍が、鳥羽伏見の戦いであっけなく敗れたか。本書にはそれは、京都に向かう幕府軍が和戦両様の構えで、その目的がはっきりしなかったこと、そのため志気が上がらなかったことを主原因としている。それはつまり慶喜の優柔不断であって、その意味で最後の最後に決断力を発揮できなかったのだ。その間慶喜は大阪城に止まったままだった。

 隠居した慶喜は結局大正2年、77歳まで生きる。実に45年という信じられない長さの余生だ。どんな心境で余生を送ったかは定かではないが見た目には優雅なものだ。毎日のように狩りに行き、あるいは清水港へ投網うちに出かけ、あるいは側室を2人連れて伊豆の温泉に行く。そして子作りに励む。正妻には一人しかできなかったが、側室には次々と子供を産ませ、明治になってから10人以上の子供をもうける。明治30年頃からはカメラに凝り、たくさんの写真を残す。これは本書にもいくつか載っているが、明治の世相を知るのに貴重な映像である。

 勝海舟は、徳川の家臣が何とか食っていけるようにと新政府に掛け合い、必死の努力をするのに、かつての殿様のこの優雅な余生はどうだ。ここらあたりから、凡庸という評価が出てくるのではないか。慶喜は明治も30年過ぎに新政府より伯爵を授与され、最高の勲章も貰う。そうした慶喜の名誉回復を見届けて、勝海舟は77年の生涯を閉じる。そして勝家を継いだのは、養子として入った慶喜の十男、精である。幕府側の人の長命ぶりに比べて、維新政府側の人々の短命ぶりが際立つ。西郷、大久保、木戸、岩倉、いずれも50前後で亡くなっている。そして、慶喜より15歳若い明治天皇の崩御まで慶喜は目にする。

 本書は幕末史としても面白い。ペリーやハリスの態度は開国をめぐる正常な交渉ではなく、脅迫であるとしている。そうした中で、強力な指導者、つまり将軍を欠いた幕府は、勅許を求めるといった、朝廷の力を借りるという、自らの衰亡を早める手段をとっていく。慶喜の将軍後見職就任にしても、朝廷の意向に従うもので、幕府の権威を大いに弱めた。こうしたところを述べる著者の筆には、幕府への歯がゆい思いがあふれている。幕府が朝廷の意向を伺うようになった背景には、国学の普及を通して、尊皇の思想が当時かなり行き渡っていたことが背景にある。あの徹底した徳川の支配体制を倒したのが、基本のところでは国学というイデオロギーであるなら、思想の力と言うのは凄いものだ。

 井伊は渋々開国した。彼は積極的開国論者ではなかった。慶喜は条約後は開国派に転じた。慶喜は安政の大獄では何もしていないのに罰せられたが、その理由がわからないと著者は言う。攘夷派が朝廷を動かし、条約の破棄と攘夷の即時実行を幕府に迫り、幕府も、その後の開港を見込んで、一旦は条約を破棄する事にまとまる。そこへ慶喜が登城し、そんなことが国際常識として通じないことを堂々と述べ、国を開き外国との交わりを進める必要性を自ら朝廷に進言すると言い切るあたり(p77)は、政治家としての優れた資質を見る。慶喜が30歳になるかならないときのことだ。


                           
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書名 戊辰戦争から西南戦争へ 著者 小島慶三 No
1998-29
発行所 中公新書 発行年 96年8月 読了年月日 98−08−17 記入年月日 98−08−20

 
本屋の店頭で目に付いたので、ついでに幕末ものをと思って買った。明治維新通史として比較的よく書けている。筆者の立場は強いて言えば幕府寄り、と言うより江戸時代を高く評価する立場から、明治政府一辺倒の維新の見方をしない。筆者の祖父兄弟が忍藩の藩士で、維新では兄弟が官軍側と幕府側に別れたという事情があって、その祖先の足跡を調べているうちに、維新史にひかれて行ったと述べている。読んでいて、日本語としておかしな所が、時々出てきた。それで巻末の筆者欄を見たら、1917年生まれで、参議院議員とあった。本書が出版されたときは著者が80才近いときだから無理もない。論旨は明快である。
 例えば
 鳥羽伏見での幕府軍の大敗の原因を以下のようにあげている(61P以下):
1)戦意の差 2)幕府側の戦争目的の不明確さ 3)幕府側の計画性のなさ 4)近代的装備の差 5)幕府側の内紛と裏切り
そして、慶喜の行動をハムレット的であるとし、父、斉昭より朝廷を敬うことをたたき込まれた彼は、錦御旗を目にして大変なショックを受けて江戸へ逃げ帰ったとする。

 著者は明治維新を西南戦争の終わりまでとする。新政権樹立後から西南戦争の終わりまでの10年の歴史は、幕末史に劣らず波乱に富み、面白い。ここで際立つのは大久保の政治的手腕だ。それに比べると、西郷は甘い。江藤も甘い。木戸は影が薄い。一方、板垣や大隈の政治的手腕はかなりのものだ。

 攘夷をなし崩し的に開国に転化させて明治政府は覇権を握ったが、攘夷の意識は色濃く残った。この意識が後の富国強兵へとつながると述べている。P183。

 新政府になっても多くの武士は政権交代だくらいにしか思っていなかった。だが、彼らの身分には次々に変化が起こる、刀が差せなくなり、士農工商の身分制度が崩れ、そして秩録処分により収入が閉ざされ、さらに決定的に誇りを傷つけられたのは彼らの城が取り壊されたことである、と本書P189には書いてある。

 筆者も言っているように、幕末・維新史はのめり込むほど面白い。


                           
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書名 西郷南州遺勲 著者 山田済斎編 No
1998-30
発行所 岩波文庫 発行年 1939年2月第1刷、97年6月第43刷 読了年月日 98−08−19 記入年月日 98−08−21

 
文字通り西郷の思想を語ったもの。由来は元庄内藩の藩主らが、明治3年鹿児島に行き、西郷の話を聞いたものをまとめたものがもととなっている、とあとがきに書いてある。

 小島慶三の「戊辰戦争から西南戦争へ」のなかに、最後まで幕府側に立って戦った庄内藩は、23戦23勝だったとある。それだけ藩内が良くまとまっていたのだ。新政府に恭順した後、その処分が西郷の意見で極めて寛大なものであったので、以後、庄内藩はあげて最大の西郷ひいきになったという。本書の由来はそのことを物語っている。ちなみに庄内藩と言えば、藤沢周平の「海坂藩」のモデルである。

「敬天愛人」「子孫のために美田を買わず」といった、良く知られた西郷の人生観が出ている。その最大の魅力は無私ということだろう。多くの人を引きつけて止まない、スケールの大きさがあった。それ故にと言うか、大久保とは対照的な、政治家としての甘さがあり、それが城山の悲劇につながった。漢籍の素養が深いのには驚く。本書には、幕末の儒者佐藤一斎の言志録から西郷が抜き書きした、101編が乗せてある。原文と訳とが併記してあるが、訳を読んでも意味がはっきりしないものがある。それでも、西郷の思想がよくわかる抜き書きだ。そのほか自身の手になる碑文や、短い漢文、あるいはほとんど漢字ばかりの手紙などがいくつか収載されている。これらは読みにくい。昔の人はこうした文章で意志を通じ合ったのだ。

 かつて、西郷さんが島流しにあったとき、無聊を慰めるために、芭蕉が亡くなったのが今から何年前であったを計算するという話を、エッセイに書いたことがある。本書によると、西郷さんは遠島先では、村人や子供たちを集めて、漢籍の講義を行ったとのことだ。私の考えたように時間を持て余してばかりいたのではなさそうだ。

 藤田東湖と会ったときのことをしたためた手紙も収録されている。お互いにその人物に惚れ込んだ。勝海舟の人物評にも藤田東湖は出てくるが、大した人物ではないと言っているのが面白い。


                           
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書名 江戸の産業ルネッサンス 著者 小島慶三 No
1998-31
発行所 中公新書 発行年 98年4月 読了年月日 98−08−25 記入年月日 98−08−29

 
前著「戊辰戦争から西南戦争へ」の同じ著者の本書を見つけたので購入。題と中身が違う。「外国人が見た江戸時代」と言った方が正確だ。江戸が決して暗い時代ではなく、高度の文化、産業があったからこそ、明治以後これだけ急速な近代化を達成できたのだという、今では定説になった見方を、当時日本に来た外国人の書いたものを中心に検証しようと言うもの。その人数合計50人。様々な見方がされているが、江戸が決して西洋と比べて劣るものでないことは十分検証される。こうした外国人の指摘する江戸から幕末、明治にかけての、例えば、勤勉で外国の新しいものを何でもすぐに自分のものにしてしまう才能に優れ、また、旅行好きであるといった日本人の特質は、今も変わらない。
 本書の方が前の本より文章がわかりやすく読みやすい。設問をしそれに回答する形で書き進めているが、設問、回答とも明快である。以下本書から:

p36:
スペインやポルトガルなど大航海民族の没落を見ると、海は国民に大変な生命力の消耗を強いる。生命系産業や国土保全を怠ったのがこれらの国が衰退した原因である。
 このような観点から著者は農業の振興・保護を主張する。p83以下には光合成を行うのに好都合な、米作農業の優位性とそれが国土保全に役立ったことが述べられている。それ故、江戸は当時の世界で最大の人口(享保時代で130万)を養えたのだ。

p59には当時の世界との人口比較がされている。幕末の日本の人口は推定3228万。
p125:技術開発の出発点として、「からくり」が重要であったとしている。
p126:米とパンの差、つまり全粒で食するものと粉にして食する物の差が、西洋では動力を横向きにする歯車の発達を促した、とする福本和夫の説を取り上げている。

p160:以下には日本が植民地にならずにすんだ理由が挙げてある。
 
1)領土的野心の強かったアメリカ、ロシアがそれぞれ南北戦争とクリミア戦争を抱えていて余裕がなかったこと。
 2)日本にまだ多数の武士を動員できる力が残っていたこと。
 3)兵站線が長すぎる。
 4)占領コストに見合うメリットがない。


 ただ、本書で気になったところは、江戸という270年に及ぶ時代を一からげに見ていること。例えば、元禄と化政時代では、その文化の特質はかなり違うと思うが、同一視しているようなところがある。


                           
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書名 文明の技術史観 アジア発展の可能性 著者 森谷正規 No
1998-32
発行所 中公新書 発行年 98年6月 読了年月日 98−09−07 記入年月日 98−09−12

 
サブタイトルは「アジア発展の可能性」。梅棹忠夫の「文明の生態史観」をすぐに連想した。本書にもそれを意識して書いたとある。技術の発展から、歴史を概観してわかりやすく書いている。だだ、盛りだくさんのことが書かれていてこれといった印象を受けない。本書がすべて二次資料に基づいて書かれていることがそうした印象の薄さの一因であろう。

 著者はアジアの経済発展の限界を指摘したクルーグマンの説は間違いだという(139ページ以下)。クルーグマンの説とは、私もかつてニューズウイークで翻訳したことがあり、なるほどと思った説だが、アジアの発展は労働力と資本の集中的投入によるもので、技術発展による生産効率の向上を伴わないから、いずれは限界が来ると言うものだ。著者は、現在の工業技術は一つの頂点に達したもので、成熟期にあり、従来のようには大きく発展することはなく、そうした技術がアジアに移転されたわけで、もともと技術発展による大きな生産効率の向上は大きくはないというのだ。そして、アジアが投入できる資源、特に人的資源は膨大であり、従って今の発展を続けて、近い将来世界経済の中心となるというものだ。

 はたして現在の産業技術が成熟期にあるのだろうか。著者のその見方に疑問を感じる。情報化社会を目指して、好調を誇るアメリカ経済を見ていると、現在の産業技術が成熟期にあるとは言えないと思う。

 著者はアジアの成長に伴う環境問題こそ、21世紀の大問題だと、繰り返し述べている。私もそう思う。中国14億の人々が今の我々のレベルの生活レベルになったら、世界は保たないのではないかという思いは、正直言って私も持つ。アジアの成長を保証する著者の具体策を聞きたいのだが、アジアの成長と地球環境が抱える問題をどう調和させるかについては、何も触れていない。

 著者は言う:
技術を生み出す国は限られている。それを育てる国は多くあり、国によって育て方が違う。しかし、技術が伝えられる場合は、その国の特性はあまり関係しない。だから、イギリスに始まり、ドイツ、アメリカと発展してきた近代産業技術を日本が大量生産技術として完成させたものは、容易にアジア諸国に転移される。(112p) 

 アジアの戦争と西洋の戦争(126p):
西洋の戦争は同質文明内での「内なる争い」である。一方、アジアの戦争は異文明による「外からの争い」である。前者では争いは頻繁に起き、長く続くので、お互いが切磋琢磨し、組織や武器、戦法が進歩する。後者では、戦争は一方的で、外から戦争を仕掛ける新興の野蛮勢力が武力は強く、征服される文明側は、一般に戦法や組織を発展させなかった。それが、アジアが西洋にあっけなく屈した理由である。
ギリシャ、インド、中国、イスラムの「知のエートス」の比較から、アジアや日本に近代科学技術が生まれなかった理由。(97p)。

 著者は野村総研から東大先端技術研の教授になり、現在放送大学教授。


                           
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書名 沈黙の春 著者 レイチェル・カーソン 青樹梁一訳 No
1998-33
発行所 新潮文庫 発行年 昭和49年初版、平成10年49刷 読了年月日 98−09−18 記入年月日 98−09−19

 
十日市場の池田書店でこの文庫本が目に入った。その時は少しビックリしたきりで買おうとは思わなかった。エッセイ教室の今月の課題が「沈黙」であったので、この本のことを思い出し、とりあえず読んでみようと思った。

 文庫本で350ページの力作である。もう30年ほど前に読んだことがある。だが、こんなにボリュームがあったという記憶はない。多分抄訳であったのだろう。そして訳者も当時東大の田村研が主宰した植物調節研究会の、事務局をやっていた女性の上頭さんだったという記憶がある。今回巻末の解説書によれば、青樹氏訳で「生と死の妙薬」という題で1964年新潮社から出版されたという。

 化学農薬、特にDDTの大量無差別散布に対する告発を中心にしているが、本書の基本は自然の生態系に対する人間の無知、あるいは思い上がりに対する厳しい告発である。著者は海洋生態学者。たくさんの広範な事例を引いて展開される著者の論理は説得力に富み、決してヒステリックではない。さらに進むべき道として、化学農薬に頼るのではなく、生物学的防除の成功例をいくつかあげ、そうした方法をもっと押し進めるべきことを提案している。そんなところに、この本が30年以上もたって版を重ねている理由があるのだ。

 読んでいて、カーソンの主張は、その後の農薬開発の方向を示したこと、さらにそれ以上に20世紀後半の一般の人々に深く浸透していると思う。その意味で、本書は20世紀の世界を動かした著書の一つではないか。出てはうたかたのように消える本ばかりの今の世にあって、こうした本こそ物書きの本望であろう。


                           
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書名 遺伝子の夢 著者 田沼靖一 No
1998-34
発行所 NHKブックス 発行年 97年10月 読了年月日 98−09−25 記入年月日 98−09−27

 
サブタイトルは「死の意味を問う生物学」
 きっかけはTASKが出している季刊誌「談」の特集「死の哲学」で著者、田沼靖一氏の対談を読んだこと。相手は忘れたが、その中で、著者の展開する理論に興味を覚えたので、買ってきた。

 我々の生き物の細胞には2種類あって、一つはリンパ細胞や、皮膚細胞、あるいは肝臓などの再生を繰り返すことの出来るもの。もう一つは心筋や脳神経細胞のように一度分化してしまったら、もう再生で生きない細胞。その両者にはそれぞれ細胞死が遺伝的に組み込まれていて、細胞はある時期が来ると自ら死んでいく。この現象は前者ではアポトーシス、後者ではアポビオーシスといわれる。特に後者は著者が提唱している現象で、命名も著者による。この二つの細胞死により、生物には個体としては一定の寿命というものがあり、それは遺伝的に組み込まれている。つまり死とは我々生き物に最初からプログラムされた課程なのである。ところが、大腸菌などの細胞が分裂して増える生き物にはこうした死という概念は当てはまらない。死というものは有性生殖の始まりとともに生まれたものである。その点から考えて、死は新しい個体の生成のために進化の過程で生命体が獲得したものである。さらにいえば、個体の有性生殖と死によってのみしか、遺伝子は自己を更新し、より良いものへとリシャッフルすることが出来ないのだ。有性生殖では染色体数の減少を伴う生殖細胞の生成があるが、この課程で遺伝子の組み替えが起こり、遺伝子の多様化が図られる。そして。受精によりさらに一段の多様化が図られる。しかし、その個体がいつまでも生きていたのでは、古い遺伝子を除去することが出来ない。古い遺伝子には有害なものが蓄積している可能性がある。それ故、個体とともにこうした遺伝子を葬り去り、さらなる発展を図るために、死というものが出現した。

 以上が著者のいう死から見た生物学である。著者は死という現象から見ると、遺伝子は決して利己的な遺伝子ではなく、むしろ利他的であるとする。そして新しい生死観を確立する必要を説く。
 専門的ではあるが、平明な記述で、しかも繰り返し主要点は述べられているからわかりやすい。


                           
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書名 利己的な遺伝子 著者 リチャード・ドーキンス 日高敏隆他訳 No
1998-35
発行所 紀伊国屋書店 発行年 91年2月刊 原著は初版1976年、第2版1989年 読了年月日 98−11−11 記入年月日 98−11−11

「遺伝子の夢」を読んでいて、長い間本棚に積んであったこの本をどうしても読まねばならないと思った。

 第1章 淘汰は群あるいは種に対して働くものではなく、個体に働くものである。さらに言えば淘汰は遺伝子に働くのだ。このことを多くの生物学者が、誤解している。例えばローレンツもその典型である。そして生き残るのは決して利他的な個体あるいは遺伝子ではなく、利己的な個体、遺伝子である。集団の中で利他的に見える個体も、遺伝子から見ればすべて利己的である。つまり遺伝子は利己的なものである。

 第2章 自己複製分子の発生と分子の淘汰、進化

 第3章 DNA。特に減数分裂に於ける染色体の交叉の重要性が強調される。このことにより我々の生殖細胞は一つとして同一のDNA組成ではない(免疫細胞の多様性も一部はこの交叉による)。このことから我々個人が一人一人決して同じものではあり得ないということが導かれる。これは私の長年の疑問、なぜ同じ両親から産まれた子供が同じにならないかという疑問に答えるものだった。つまり一人一人は皆かけがえのない存在である。減数分裂での遺伝子組み替えは田沼靖一の著書でも強調されていた。
 P62−63あたり、たとえが巧みで分かり易い。

第4章
 我々は遺伝子の操る機械である。コンピュータのチェスのプログラム作成者を遺伝子になぞらえている。

第5章
 ゲーム理論による進化に安定な戦略(ESS)という概念を示す。これにより利己的な遺伝子お互い個体どうし殺し合わないことを説明する。細かい点は理解できないところがある。動物の社会組織もすべてESSで説明できるとする。

第6章
 肉親、近親への愛。同じ遺伝子を含むから、そのコピーを増やそうとすることに基づく。利他的に見えるこの行動も、遺伝子から見れば利己的である。
 自分から見て親と、兄弟との近親度はそれぞれ2分の1で同じである。

第7章
 子の数は多い方がいいとは限らない。それは集団のために利他的に子の数を調節するためではなく、あくまでも利己的遺伝子の観点から説明される。
 遺伝子プールがあってその中で遺伝子どうしが競争しあうというのが、本書のメインテーマ。210−212Pにカッコウの例を引いて説明してある。

第8章
 親子、兄弟間の競争もまたどれだけ自分の遺伝子を増やせるかという観点から説明している。母親が子供に投入するエネルギーとそれにより自分の遺伝子が増える効率とから、子殺し等の母親の行動を説明する。

第9章
 雌雄関係もまた相互不信と相互破壊の関係と見る。雌雄を区別する最大の特徴は、その生殖細胞の大きさと数である。この観点から性の発生が論じられる。母親が一般に父親より子供の面倒を見るのは、卵子という大きな生殖細胞にすでに雄よりも多大のエネルギーを投入していることも一因である。

第10章
 一見利他的と見られる生物の行為も利己的遺伝子で説明する。鳥の警戒音、トムソンガゼルのストッティング、ミツバチの例で詳しく説明。p290 遺伝子コロニー。p300 人間の脳の発達

第11章
 ミーム。人間と特異性として「文化」がある。現代人の進化は遺伝子だけでは説明できない。p306 生物の基本原理。p321 最後

第12章
 p324 囚人ゲームの説明。面白い。こんな単純な規則のゲームにいろいろな戦略を募集し、コンピュータにそれぞれの戦略の優劣を競わせるとい発想は(アクセルロッドという人が行った)、まず日本の風土では発達しないだろう。結論は気がよく、寛容で、妬まない奴が勝つというのがまた意外だ。第一次大戦の前線の各地で、局地的に「我も生きる、他も生かせ」現象が生じた。

第13章
 遺伝子の長い腕。p385 一つの生物個体中の遺伝子が、他の生物個体の体に延長された表現型効果を持つことがある。
 p415以後:ボトルラックとスプラージウィードの話。一旦単細胞に帰り、そこから次世代が始まることの意義。現代の体細胞クローンはスプラージ型への回帰であることが皮肉である。

 巻末に膨大の補注がついている。これは初版に対する批判に著者が専門的に反論したものである。この補注をもってドーキンスは本書を第2版としている。

 本書を読んでいて、竹内某の本がドーキンスの全くの受け売りであることがわかった。例えば「ミーム」という概念はドーキンスが提唱したものだが、私は竹内の本を読んで彼女のオリジナリティになるもののような錯覚をしていた。彼女はドーキンスのことには言及していなかったと思う。恐ろしいことだ。


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書名 作家論 著者 三島由紀夫 No
1998-36
発行所 中公文庫 発行年 昭和49年初版 読了年月日 98−10−25 記入年月日 98−10−28

 
霧が丘の古本屋で見つけた。意外な感じのする題名で買ってみた。

 鴎外、鏡花、川端康成、谷崎潤一郎、円地文子らを取り上げ、鋭い分析をしている。三島の多才ぶりを遺憾なく示す著作だ。林房雄論は一番長いが、これは別に書いた物で、あとは全集の解説として書いた物である。意外だったのは、何れの作家に対してもきわめて好意的であること。三島は後書きで、好きな作家しか解説を引き受けなかったから好意的になるのは当然であるという意味のことを書いている。もう一つ意外なのは、作品の細部まで読み込み、それを引用して作者の本質に迫ろうとしていることだ。例えば、円地文子の「女坂」の中で使われている、「浅草花川戸」「鉄仙の蔓花」「連子窓」「花畳紙」「継羅」「銀杏返し」等、明治の風俗を表す言葉を列挙し、もうこれだけでこの小説の世界が形成されているという下り。

P47:谷崎にあっては、老いはそれほど悲劇的な事態ではなく、むしろ性の三昧境への接近の道程であったとし、谷崎の長寿は芸術的必然性のあった長寿であるとする。それに反して「
老いが同時に作家的主題の減衰を意味する作家はいたましい。肉体的な老いが、彼の思想と感性のすべてに逆らうような作家はいたましい。(私は自分のことを考えるとゾッとする)。」と述べている。そして、ヘミングウェイも佐藤春夫もそのような悲劇的作家であったし、林房雄も石原慎太郎もそのような予感に生きているだろうとしている。

 P176:「
しぶとく生き永らえるものは、私にとって、俗悪さの象徴をなしていた。私は夭折に憧れていたが、なお生きており、この上生きつづけなければならなぬことも予感していた。かくて、林氏は当時の私にとって必須な、二重映像をなしていた。すなわち時代の挫折の象徴としてのイメージと、私が範とせざるをえぬしぶとく生きつづける俗悪さのイメージと。言いかえれば心もうずく自己否定の映像と、不合理な、むりやりの、八方破れの、自己肯定の映像と。」

 三島由紀夫は自らの老残をさらすことを拒否し、あのような最期を遂げたのだと言う説は直接にはこの辺りからでているのだろう。ちなみにこの作品は三島最晩年の作品である。

                           
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書名 中吊り小説 著者 吉本ばなな他 No
1998-37
発行所 新潮文庫 発行年 平成10年5月 第10刷 読了年月日 98−11−13 記入年月日 98−11−21

 
「沈黙の春」を買った際、新潮文庫2冊でプレゼント進呈とあったので、本書を取り上げた。阿刀田高、常盤新平、曾野綾子ら、多数の作家が書いている。オリジナルは電車の中刷りに掲載されたもの。私もJR横浜線で常盤新平のものを見たことがある。こんなものを通勤電車で読む人がいるのかと疑問に思ったが、こんなにたくさんの作品が掲載されたところを見ると、結構ファンがいたのだろう。
 超短編を、同じ作者のもの5,6編ずつ集めたものであるが、それぞれの作家の特長みたいなものは、出て来るものだ。


                           
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書名 この人の閾 著者 保坂和志 No
1998-38
発行所 新潮文庫 発行年 平成10年8月 読了年月日 98−11−20 記入年月日 98−11−21

 
作者の芥川受賞作品の表題の作品の他、3編を収録。これらの作品が一つの流れとなって、「季節の記憶」になったような作品。いずれも淡々たる日常に流れる時間が主題だ。

 この人の閾は大学時代のサークル友達で、今は二人の子供の母親に収まっている真紀さんをある日私が訪ね、庭の草取りをやりながら、あるいは居間でビールを飲みがら過ごした半日の記録である。二人の間に男と女の特別な感情は起こらない。少し高級な会話を通して、二人の世界観の一端みたいなものが語られるだけの小説。それでいてさわやかな読後感を残す。保坂和志の小説には「癒し」の効果があると前々から思っているが、この小説もそうだ。
 二人の男女の身体的特徴あるいは服装には一切触れられていない。意識的なのか、それとも苦手なのか。

 帯の解説で大貫妙子と言う人が述べている:
「この人の閾」から見えてくる風景は、日常を通して連綿とつながる時の海だ。その海を越えて何処かへ行こう、ということではない。不確かでわからないことだらけの、この海を肯定することだと思う。
 著者の小説の主題はプルーストと同じように「時間」である。著者の小説を読んでいて、「失われた時」を読んでみようかと一瞬思った。


                           
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書名 日本美の再発見 著者 ブルーノ・タウト 篠田英雄訳 No
1998-39
発行所 岩波新書 発行年 1939年初版、1962年改版、1998年2月46刷発行 読了年月日 98−12−09 記入年月日 98−12−31

 
有名な桂離宮礼賛論が載っている。桂離宮のすばらしさを世界に知らせたのは著者ではなかったか。恐らく本書の元版がその役目を果たしたのだろう。その他に飛騨から裏日本を通る旅行記、日本建築に関する講演録が掲載されている。ボリューム的に最も多いのは旅行記である。

 ドイツ人であるタウトの建築に対する考え方は、実用的であることを基本におく。その点から桂離宮は彼の絶賛の対象になるのだ。彼が日本建築の中で世界的奇跡と賞賛してやまないのは桂と伊勢神宮。そしてくそみそに貶すのが日光の陽明門。

 旅行記で面白いのは日本の旅館のトイレの臭さをいつも耐えられないものと述べていること。どんな良い部屋に泊まらされても、トイレの臭いが直撃してはたまらないと愚痴をこぼしている。


                           
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書名 翻訳と日本の近代 著者 丸山真男、加藤周一 No
1998-40
発行所 岩波新書 発行年 98年10月20日 読了年月日 98−12−12 記入年月日 98−12−31

 
著者二人の対話集。主に加藤が丸山に聞いている。丸山は対話後しばらくして亡くなった。幕末から明治の日本近代化の課程での翻訳の意味と同時に、江戸時代の漢学の翻訳にも多くの紙数が投じられている。特に荻生徂徠に関して多く述べられている。丸山真男は荻生徂徠と福沢諭吉にいかれていると告白している。

 現代日本を代表する知性の二人の学識の深さに圧倒される。こうしたインテリジェンスを否定する傾向が昨今強すぎることは、日本の将来にとってゆゆしき問題だろう。


                           
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書名 いよよ華やぐ 著者 瀬戸内寂聴 No
1998-41
発行所 日経新聞連載 発行年 98−12−14完 読了年月日 98−12−14 記入年月日 98−12−31

 
現役で銀座で小料理屋をやりながら、俳句を趣味とするもうじき百歳になるというスーパーおばあさん阿沙の愛欲物語。モデルは鈴木真砂女と言う俳人。時々この人の俳句が引用される。

 急死した姉の後釜に義兄と結婚し、千葉の宿屋を継いだ主人公は、そこの客であった海軍士官と恋に落ち、不倫の関係を結ぶ。物語はその不倫関係を回想する形で、娘(と言っても70近い)と初老の男との関係、あるいは仲のいい女友達の男性愛歴や、かかりつけの医者と若い女との不倫、といった様々な道ならぬ男女関係が進行する。いかにもこの作者らしい作品であるが、以前のような脂ぎった感じはあまりなく、どこか枯れた感じがある。作者の年齢のせいだろうか。100歳近くで色気を失わず、しゃんと生きている主人公に、作者は不況に打ちひしがれる日本へ、元気を出せと言うメッセージを込めているのかもしれないと思った。特にこれが載ったのが日経の朝刊であるから。


                           
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