読書ノート 1992

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書名 著者
午後おそい客 日本エッセイストクラブ編
ガラパゴスの奇怪な事件 ジョン・トレハン
アンドロメダ病原体 マイケル・クライトン
タイムボキャブラリー1000ワード 森田勝之
大科学者達の肖像 ロイ・ポーター
現代詩手帖 4月号 現代詩手帖編集部編
リルケ詩集 リルケ
サンクチュアリ フォークナー
タイムボキャブラリー1000ワード Part II 森田勝之
タイムボキャブラリー Part3, イディオム編 森田勝之
右脳と左脳 角田忠信
カッコウはコンピュータに卵を産む 上下 クリフォード・ストール
ドメイン・アイデンティティ 水島温夫、山田英夫
「フォーチュン」ビジネスボキャブラリー 井上宗迪
化学繊維の実際知識 日本化学繊維協会編
寺山修司コレクションー1 寺山修司
繊維の化学 桜田一郎
活性炭素繊維 島田將慶
青春の門 筑豊篇 五木寛之
青春の門 自立篇 五木寛之
R.U.R. ロボット カレル・チャペック
遠いアメリカ 常盤新平
青春の門、放浪編 五木寛之
和宮様御留 有吉佐和子
青春の門、堕落編 五木寛之
華岡青州の妻 有吉佐和子
天璋院篤姫 宮尾登美子
青春の門、望郷編 五木寛之
ソフトウェアの話 黒川利明
ワープロ徹底操縦法 木村泉
戊辰落日 綱淵謙錠 
「魂」、「苔」、「妍」  綱淵謙錠
絶対子工場 カレル・チャペック
青春の門、再起篇 五木寛之
「西郷札」「啾啾吟」「父系の指」「断碑」  松本清張 
The Members of the Wedding Carson Mccullers
人斬り半次郎  池波正太郎
Seize the Day Saul Bellow



書名 午後おそい客 著者 日本エッセイストクラブ編 No
1992-01
発行所 文藝春秋社 発行年 1984年 読了年月日 92-01-01 記入年月日 92-01-01

 
金木さんが読むようにと貸してくれた。83年に雑誌に発表されたエッセイの中から日本エッセイストクラブが選んだベストエッセイ53編。84年8月初版。題名は城山三郎のエッセイの題から採ったもの。作家、評論家、芸能人など名前を知っている人もあれば、聞いたことのない人もいる。暮れから正月に読むには適した軽い読物。800編の既発表作品の中から選りすぐったというが、やはり出来不出来はある。谷沢永一夫妻のことを書いた開高健のものと、開高夫妻の結ばれるときのエピソードを書いた谷沢永一のものがさすがに光っている。筆者の中にエッセイストという肩書がかなり見られたが、そんな職業があるのだろうか。

 本書から
 「おだやかに繰り返される生活の支えなしに、幸福というものはあり得ない」と清岡卓行の言葉を引用したのは北上健介という医師の「診療夜話」というエッセイ。また、前述の谷沢永一のエッセイは、開高の小説を少し読んだという開高の73才の母親が「開高の一族にはあんなスケベエ、ほかには絶対にだぁれもおれへんちゅうこと、どっかへちゃんと書いといて貰えまへんやろか」と筆者に頼むところで終わっている。


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書名 ガラパゴスの奇怪な事件 著者 ジョン・トレハン、高野利也訳 No
1992-02
発行所 晶文社 発行年 1991年 読了年月日 1992-01-02 記入年月日 1992-01-03

 
泊り育さんが読んでみたらといって貸してくれた。金木さんの場合と同じでしばらくほったらかしになっていたので、正月休みに少しは読まないと悪いと思って2日一日かけて読み切った。

 今から60年程前にダーウィンの進化論で有名なガラパゴス群島の一つ、定住者のいない一番長いところで直径15キロほどのフロレアーナ島に住みついた3組の男女の実際にあった物語を、当時の記録を整理してたどったもの。3組の男女とは、ニーチェの超人思想を信奉し文明世界から逃れて新しい理想郷をこの島に築こうとまずやってきたドイツ人医師リターとその愛人ドール、次にやってきた子どもずれの実直なドイツ人のウィットマー夫妻、そして、三人の情夫を従えて、アメリカ人の金持ち相手のホテル建設を夢みてやってきた色情狂としか思えない自称女男爵(バロネス)のドイツ人。船はかなりひんぱんにやってきて、外界との接触もあるにはあるが、住民といえばこの3組の男女だけの熱帯の島で、医師とその愛人との間の葛藤、バロネス一行内部での葛藤、そして、とくにバロンがきてからの三つのグループ間での争いが絡み合って、最後はバロネスとその夫との失踪、そして医師の死にいたる1929年から1934年に至る約5年間の人間の記録である。記述に多少こみいったとこがあって、一日で読み切ったから読めたけれど、間をあけて読んだら読み切れなかったかも知れない。

 お互いに文明社会を逃れて理想郷をこの孤島に求めてやってきたのに、所有欲、支配欲、嫉妬などのために、些細なことにも感情を害しあい、憎みあい、争いあい、二つのグループは挫折してしまうという結末に、人間のおぞましさ、救いようのない業を見る。あるいはこれは自我というもののしっかり確立した西洋人だからのことであろうか。我々日本人だったら、おそらくこういう結末にはならなかったのではないかという気もする。特に自らを女帝と名乗り後からきて島の所有を主張し、かつての愛人を奴隷のように酷使するバロネスの様な人物の存在は我々の理解を越えている。写真でみる彼女は出歯でぎょろ目で少しも魅力的には見えない。

 著者は最後にバロネスとその夫は、かつての愛人ロレンツにより殺害され、医師のリターがそれを手伝ったと推理している。また、リターの中毒死には少なくとも愛人のドールの未必の故意があったと推理している。もっともな推理だが、死体もなにも発見されていないのだから、リターとロレンツの共犯、あるい本書が書かれた82年現在、唯一の生存者としてこの島のブラックビーチで暮らしており、ある意味では堅実で、現実的な模範的ドイツの主婦として描かれているウィットマー夫人の犯行というどんでんがえしだってありうるかもしれない。

 育さんが前に貸してくれた「香水」ほどではなかったが、結構面白かった。こんな変わった本を彼女はいったい何処で見つけてくるのだろうか。


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書名 アンドロメダ病原体 著者 マイケル・クライトン  浅倉久志 訳 No
1992-03
発行所 Hayakawa Novels 発行年 昭和45年 読了年月日 92-01-15 記入年月日 92-01-15

 
山田顧問が貸してくれた。暮れに山田顧問らと会食した際、小説の話になって、年が明けて顧問が持ってきてくれたもの。聞けば、顧問はかなりの読書家でSFなどもずいぶん読んでおられるようだ。

 宇宙からきた病原微生物を主題としたSF.最初の60ページばかり読んでいるうちは、これはノンフィクションで、アメリカ政府が極秘裏に葬り去った地球外生物による大きな被害をすっぱ抜いたものかなと錯覚していた。しかし、主人公の一人、細菌学者のストーンが、1961年細菌の復帰的突然変異に関する研究でノーベル賞を貰ったとあるところからこれはSFなんだとあらためて思った。それほど、ストーリーと書き方―いかにも政府の報告書といった書き方、何枚かのスケッチを所々に差しはさんだり、登場人物に後で回想の形で短いコメントを述べさせたり、巻末に関連文献のリストを載せるといった技法―に真実味があったということだ。

 生物、化学戦争に備えて、そのための特別の研究施設を極秘裏につくり、人工衛星で大気圏外の微生物を集めるという発想はいかにもありそうだ。そういった意味で、いままで読んだとっぴもないSFよりはるかに興味深く読めた。ただ、この病原菌を収集した衛星が落ちたアリゾナ州の小さな田舎町で、一瞬にして50人近くが死んでしまうのに、その5日後にはこの病原菌はもう突然変異によって無害なものになってしまったという最後の結末はあっけなく、物足りない。1969年に書かれた本書の科学的内容は、当時としては最新のものだったと思われるが、いま読むとかなり古いものに思える。それだけ、生物学とコンピュータの発達は凄いものなのだ。ここに描かれた、ワイルドファイア研究所の封じ込め施設は、今の遺伝子組替え用のP1、P4といったものに相当するものだ。当時は、遺伝子組替えなどは、まだ想像もつかなかったのだろう。

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書名 タイムボキャブラリー1000ワード 著者 森田勝之 No
1992-04
発行所 SSコミュニケーションズ社 発行年 読了年月日 92-04-10 記入年月日 92-04-22

 
丸善で見つけて買った。タイム誌に頻出する基本的な重要単語を、コンピュータで1000個選出し、それらを使われていた文脈の中で解説したもの。20日で読み切るようにアレンジされている。
 大変ためになったいい本だった。この本に取り上げられている1000の単語は、私にとってはほとんど馴染みのあるものだったのもうれしいことだった。取り上げられた記事の翻訳文に参考になるところが多かった。ニューズウィークよりも少し凝ったように思われるタイムの文体も興味があった。
 こうして読書録をつけるのは実に3カ月ぶりである。出向までのしばらくの本社勤務中にたくさん本が読めると思ったものだから、ほぼ2カ月ほど本を読まなかった。その窓際族の期間も後50日足らずになってしまった。


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書名 大科学者達の肖像 著者 ロイ・ポーター 編、 市場泰男 訳 No
1992-05
発行所 朝日選書 発行年 読了年月日 92-04-22 記入年月日 92-04-22

 
金木さんが読むようにと昨秋持ってきてくれたのも。著名な大科学者の思想とその業績、歴史的意義を手短にまとめたもの。通俗的な伝記ではない。アリストテレス、プトレマイオス、ガリレイ、ケプラー、ハーべー、ニュートン、プリーストリー、ラヴォアジエ、ワット、ファラデー、ダーウィン、パストゥール、アインシュタイン、ボーア、チューリング、ワトソンとクリックが取り上げられている。

 面白かったのはハーベーとチューリング。私は特に後者に関してはほとんど何も知らなかった。血液循環を唱えたハーベーは一見典型的な機械論者に見えるが、実はアリストテレス学派の忠実な使徒であったというくだりは、現代の目で歴史上の科学者を見ることへの戒めとなっている。

 チューリングが一連の大科学者の中に伍して取り上げられていること自体が私には奇異であったが、ホモセクシャルを非難され、ついには42才(1954年)で自殺するというその生涯は読んでいてびっくりした。ガリレオは「それでも地球は動く」などとは言わなかったと本書にはあったが、こうした記述は本書では珍しい部類に入る。あくまでも思想あるいは科学もしくは技術が中心である。そう言った意味ではアインシュタインとボーアの項は相対性理論と量子論に、私にとっては新しい観点を与えてくれる面があった。ただしかなり難解であるが。一つの科学理論を理解するのには、それを唱えた科学者の時代に自分自身をおいて、その当時の科学の水準に併せて考えてみることがきわめて有効である。これはよく体験することだ。

 一番馴染み深く、よく理解できたのは当然ワトソンとクリック。

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書名 現代詩手帖 4月号 著者 現代詩手帖編集部編 No
1992-06
発行所 思潮社 発行年 読了年月日 記入年月日 92-05-02

 
ニューズウィークの土野編集長との会食に出かけた際、時間があったので市ヶ谷の山脇ブックガーデンに立ち寄ったらこの本が目についたので買ってみた。

 10代の頃抱いた詩に対する関心が最近また蘇ってきた。言葉が触発するイメージ、言葉の持つ力というのは最近の私自身の大きな関心事であるばかりでなく、いつまでたっても小説などものにすることはできそうにないが、それに比べると詩の形式は自分自身の心情を吐露するのに、散文よりも入りやすいという面もあるからだ。

 巻頭に安東次男の俳句集「花筧」をめぐって、大岡信、粟津則雄、それに作者の安東によるかなり長い鼎談が載っている。題は「定型、非定型の差異をめぐって」だが、中身は安東の句の鑑賞を、大岡と粟津が本人にぶつけ、それに作者が答えるというのが大半であったが、一句の創作に示される作者の言葉に対する思い入れ、微妙な言葉のニュアンスに対する研ぎ澄まされた感覚、言葉という素材を使ってあたかも彫像を練り上げていくような作句の過程などが明らかにされ、これが面白かった。たくさん引用された句にある硬質の若々しさと色気とも言えるはなやかさは、作者が70才を過ぎた老人であるとはとても想像できないものだ。大岡と粟津をもってしても、その意味を作者自身に問わねばならぬ句が多かった。俳句の読みと鑑賞の難しさを示すものだ。

 現代詩という標題の雑誌だが、詩だけでなく旧来型あるいは前衛的俳句や短歌、評論など詩的言語の総合雑誌といったものだ。


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書名 リルケ詩集 著者 リルケ 富士川英郎訳 No
1992-07
発行所 新潮文庫 発行年 読了年月日 記入年月日 92-05-02

「現代詩手帖」を買った2日後の4月17日購入した。出かけた先で2時間空きができ、あいにく読む本を会社に置いてきてしまったので、藤が丘の東急ビルの一階の本屋へいってみた。文庫本の前に立ってみると何冊かの詩集が並んでいた。ゲーテ、シェリー、ハイネ、バイロン、リルケ、ワーズワース。青葉台の文教堂や東京堂より小さいこの本屋にして、この一連の文庫本は意外だった。一つだけ買って、近くの喫茶店でめくってみようと思った。何を選ぶか?

 シェリーという名は余り馴染みがなかった。ワーズワースは田園詩人だくらいの知識はあったが、田園詩を今は読みたいとは思わなかった。恋愛詩がいいと思った。ゲーテをめくってみた。面白そうな恋愛詩も入っていそうだった。「バイロン、ハイネの熱なくも、芭蕉のさびをばよろこばず」のバイロン、ハイネでは余りにも通俗すぎるような気がした。リルケにした。リルケという名には清廉で高潔な響きがあると思った。リルケの「ポルトガルぶみ」という書簡体による熱烈な恋愛文学を大学のドイツ語の授業で読んで、面白かった記憶がある。

 生涯の各時期から満偏なくピックアップされた詩集。自分の内面をじっと見つめ、静かに歌った歌が多い。こうした詩集を何の解説もなしに読み通し、鑑賞するのは難しいことだ。

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書名 サンクチュアリ 著者 フォークナー 加島祥造訳 No
1992-08
発行所 新潮文庫 発行年 読了年月日 92-04-27 記入年月日 92-05-02

 
羽村市にある関連会社に挨拶に行った際、時間調整のため羽村の駅前の西友をぶらぶらしていたら、書籍のコーナーがあったので覗いてみて、買ってしまった。

 高校時代、学校の図書館にあった黄色いハードカバーの新潮の現代世界文学全集に収録されていた作品だ。その短い解説文に性的不能者の倒錯した世界というような文章があったのが強く印象に残っている。そのため、サンクチュアリという英語の意味がわかった割合最近まで、それは本来の意味とは全く関係のない性的な変態を表すものだとばかり思い、特に若い頃の私にとっては禁断の怪しい光を放つ言葉だった。

 随所にちりばめられた絢爛たる形容、修辞、比喩はフォークナーそのもの。密造酒グループの生態、そこに紛れ込んだ女子学生への強姦、無実の男への有罪判決と市民による焼殺という凄惨なリンチ、等ストーリーは我々の常識からみれば異常なものばかり。決して読みやすい小説ではない。ポパイの生い立ちが小説の一番最後に一気に明らかにされるといったように時間の前後関係がいりくんでいたり、とうもろこしの穂軸による強姦という事実がはじめはきわめて象徴的にしか記述されていなかったりする。それでいて全体としての強い余韻が残るところはさすがだと思う。

 この小説を読んでいて、その暴力シーンの多出にびっくりする。かつてアメリカのSFの暴力肯定的な書き方に疑問を感じたが、フォークナーにしてまたしかりなのだ。あるいはこれは、アメリカの国民性なのか。

 翻訳について。彼と彼女の頻用が目につく。なかには、彼の指す人物が実際には誰なのかよくわからないようなのもあった。彼、彼女はできるだけ使わないようにと私は習ったが。

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書名 タイムボキャブラリー1000ワード Part II 著者 森田勝之 No
1992-09
発行所 SSコミュニケーションズ社 発行年 読了年月日 92-05-01 記入年月日 92-05-02

 
前の続編。それだけにここに出て来る1000ワードはかなり難しい。私のボキャブラリーとなっているものは半分ぐらいだろう。それだけにまた一層勉強になった。単語の解説が、辞書には載ってない様な解説や、斬新な訳語があったりしてわかりやすくできている。このシリーズをThe Cardにデータベース化したらいいだろうと思う。

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書名 タイムボキャブラリー Part3, イディオム編 著者 森田勝之 No
1992-10
発行所 SSコミュニケーションズ
発行年 読了年月日 92-05-14 記入年月日 92-05-16

 
第3部はイディオム編。頻出イディオム約500。基本的なものだからほとんど私のボキャブラリーとなっているものばかりだった。

 例えばこんな解説がある。
ivory tower 象牙の塔
  フランスの作家Charles Augustine Sainte-Beuve(1804-1869)が1837年に書いた詩の中の一節「思慮深いヴィニーは、自分の象牙の塔(tour d'ivoire)にいるかのように、正午を待たず引っ込んでしまった」から。

 このシリーズ3冊を読み終えて、ニューズウィークの翻訳の技量が向上したのではないかと思う。

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書名 右脳と左脳 著者 角田忠信 No
1992-11
発行所 小学館ライブラリー 発行年 読了年月日 92-05-18 記入年月日 92-05-18

 
著者は自身が考案した簡単な仕掛「ツノダテスト」を使用し、いろいろな種類の音が左右の脳半球のどちら側で認識されるかという問題を追求し、日本人では母音や、動物や虫の鳴き声、日本楽器の音などが、西洋はじめ韓国や台湾の人々とは違って、言語認知の役目を果たしている左脳で優先処理されることを明らかにした。その原因として、日本語は母音の占める割合が他の言語に比して大きく、母音そのもので意味ある単語を形成しているという特色があり、こうした日本語の中で幼児期を過ごす日本人は、その脳の機能が他の言語を話す民族とは違ったものとなるのだというのが著者の主張の基本だ。この大変興味ある発見を中心にして、前半は脳科学の解説のみならず、日本語および日本語に養われた日本文化の特色まで話は展開する。脳、言語、文化という私のいま最も興味を持っているテーマであり、独創的な視点、ユニークな結論に大いに興味をそそられた。

 「ツノダテスト」での実験を重ねて、著者は人間の脳には40及び60という数に特に感じる機能、太陽系の運行に正確に同期する年輪感覚、1.00000秒の精度を保つ基本時計の作用、さらには地殻の変動を察知する能力まで備えていると主張する。前半の部分は説得力ある展開だったが、ここまでくると本当だろうかと疑ってみたくもなる。例えば、40、60ヘルツの音とその倍音に対して脳が特異的な反応を示すことは認めたとして、だからといって、分子量180(60の3倍)近辺の物質、例えば庶糖に対して脳が特異的に反応するという理由にはならないであろう。あるいは、地殻の歪によりツノダテストの結果が大きく影響されるということであれば、そもそも、音に対して左脳優位という結果など容易には出なかったことではなかったかという疑問も湧く。本書には、著者の主張を裏付ける実験データがその都度載ってはいるが、私にはこのデータを批判する能力はない。しかし、400.0000Hzの音と、399.9999Hzの音では処理する脳半球が逆転するという図示されたデータはにわかには信じがたい。

 著者自身もそのあとがきで、学会の大勢が認めようとしないことを残念だと述べている。データの再現性に問題があって、批判に十分耐えられないためだろうか。今日の夕刊に、アメリカのカリフォルニアの学者が人間の脳に長さ50マイクロメーターほどの磁性物質を見つけたと報告したことが載っていた。記事はこの研究者に対しては学会では懐疑的で、Nature,Science は論文の掲載を断わったとあった。

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書名 カッコウはコンピュータに卵を産む 上下 著者 クリフォード・ストール、池史耿 No
1992-12
発行所 草思社 発行年 読了年月日 92-05-20 記入年月日 92-05-20

「日経サイエンス」の読書欄で新入生だったか新入社員の読書案内として推薦してあった。たまたま、本社の小野沢さんの書棚に見つけて借りて3日で読み終えた。

 アメリカのカリフォルニアのローレンス・バークレイ研究所のシステム担当の若き天文学者が、研究所のコンピュータに侵入したハッカーを突き詰めるまでの過程を、本人自身が綴ったノンフィクション。著者はハッカーが侵入する度にその記録を全部とっておき、FBI, CIA、等とのやり取りもすべて日記に記録しておいたのだ。この記録をもとに本書は出来ている。

 1年近くにおよぶ追求の果てに正体がわかったハッカーはなんと西ドイツの青年の一味だった。彼らはハノーバーから電話回線で大西洋を越え、アメリカのネットワークに忍び込み、軍事施設のコンピュータへの侵入を執拗にはかり、驚いたことには沖縄の米軍基地のコンピュータまで潜り込んだのだ。その手口はコンピュータのOS プログラムの欠点をついて、それを自分達用に書換え、あたかもカッコウが他人の巣に自分の卵を産みつけ、かえすように、コンピュータに入り込み、厳重なセキュリティをかいくぐるのだ。あるいは、トロイの木馬よろしく、一度誰かがパスワードを使えば、それがすっかり彼らのものとなる様な仕掛をするのだ。

 その専門的なことはさておき、現代社会がネットワーク化されたコンピュータに、どれほど深く依存しているかをかいまみさせてくれる本書であった。何万台ものコンピュータが回線で結ばれ、世界中の何処からでも電話一つでアクセスできるというのはまさに驚異だ。そのなかで、アメリカが軍や、NASAのコンピュータをこれほどネットワーク化してその情報を広く公開していることは、この国の度量というか、立派さだろう。

 本書の魅力の大きな部分は、CIA本部の高官連に講義する時にも、ジーパンにジャケット、スニーカーという反体制左翼を標榜する若い研究者である著者が、日頃、軍や、FBI, CAIといった体制には強い反感を持っていながら、コンピュータネットは、人間相互の信頼関係の上に成り立つものであり、ハッカーはその許し難い敵であり、その追求のためには腰の重いこれら体制側の機関をも動かす必要があると信じるに至る、著者の偽らぬ心の動きにもある。テクノロジーの進歩は体制・反体制、右・左といった割り切り方を越えた見方を要求するのだ。さらに、法律専攻の同棲相手とのちょっとした日常生活の記述がまた大変面白い。要するに著者の人間性が生き生きと読み手に伝わってくるのだ。

 ハッカーは得られた情報を、東ベルリンのソ連の諜報組織に売り渡していたというのが結末だが、彼らが摘発されたのは1987年6月、それから2年半もたたぬうちにベルリンの壁は崩壊し、そして今ではソ連すら存在しない。東側の崩壊の大きな原動力が、上からの統制だけではもはや止めようもない情報の流れであり、それをもたらしたテクノロジーの進展であったことは間違いない。


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書名 ドメイン・アイデンティティ 著者 水島温夫、山田英夫 No
1992-13
発行所 ダイヤモンド社 発行年 読了年月日 92-06-08 記入年月日 92-06-08

 
新規事業をいかにして創造し、拡大していくかに関する著者らの提案する一つの手法。著者は三菱総合研究所事業コンサルティング室所属。要点は、企業を顧客、技術、機能の三つの面から見直し、特に機能面からみることを重視し、新しい事業領域を求めようというもの。ドメイン・アイデンティティというのはこうして見いだされた事業領域。CIと類似するが、DIの方がより具体的で、中期の目標となる。例として松下が、自分達の機能を単なる家庭電化製品の提供ではなくアメニティを提供することだと規定し、それにこだわったことで、1/fのファジー扇風機を作ることとができたのはその典型であるとしている。

 新しい職場での私に期待されていることは、新規事業の芽を作ること。参考になるかと思って、勤務時間中に読んだ。この本自体は、著者の水島氏の話を食品工業クラブの例会で聴き、興味を感じたので後の懇親会で水島氏とコンタクトをとったところ、資料と供に送ってきたものだ。もう2年ほど前のことだろうか。そのまま机の上にほっておいたものを今回読んだわけだ。

 思い込みとこだわりを持った10数人を選抜し、徹底した論議を通して、企業のDIを確立するという手法は、むずかしいものではない、いわば常識的なものだが、たばこのフィルターという、きわめて限られたものしか作っていなかったわが社でそのような人物を見つけることが出来るであろうか。


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書名 「フォーチュン」ビジネスボキャブラリー 著者 井上宗迪 No
1992-14
発行所 SSコミュニケーションズ
発行年 90年10月 読了年月日 92-06-10 記入年月日 92-06-11

 
「タイム」ボキャブラリーシリーズの続き。生きた経済記事の英文として大変参考になった、のみならず経済用語の解説も簡潔でわかりやすく、経済の勉強にもなった。90年10月の発行だが、もっと早く読んでいれば大いにニューズウィーク翻訳の参考になっただろう。

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書名 化学繊維の実際知識 著者 日本化学繊維協会編 No
1992-15
発行所 東洋経済新報社 発行年 読了年月日 92-06-15 記入年月日 92-06-20

 会社の事務所にある数少ない書籍の一つ。興味深く読み通した。実用的な面から化学繊維を中心に繊維の化学、技術を平易に解説したもの。繊維の技術的な奥の深さ、面白さを感じる。それに比べて、たばこなどいかに狭い特殊な産業であり、技術であることか。衣、食、住というくらいだから繊維の持つ意味はたばこなどとは比較にならないほど大きいから、当り前といえば当り前だが。

 それは実際に先生が試験管の中で作ってみせたものか、あるいは教科書にあったビスコース液の記述をもとに私が頭の中に描いたイメージに過ぎないのか、今はさだかではないが、いずれにせよ銅ーアンモニア溶液に溶けたセルロースのねばねばした深い青色のイメージが中学時代、私の想像力をかきたて、化学への夢を育み、その後の私を作ったといえる。レーヨンの製法を読んでいるとそのころが思い出されて懐かしい思いがした。


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書名 寺山修司コレクションー1 全歌集全句集 著者 寺山修司 No
1992-16
発行所 思潮社 発行年 読了年月日 記入年月日 92-06-28

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 この歌の解説は知らない。海とは津軽の海か、それとも大陸からの引き上げ船の甲板の上でのことかも知らない。「身捨つるほどの祖国」という言葉に衝撃を受ける。しかも、霧深き海の心象風景と「身捨つるほどの祖国はありや」が見事につながっている。この歌を知ったのはおそらく5〜6年前であろう。一身を投げ打っても仕えるべき祖国を喪失した我々世代だからこそこの歌に強い共感を覚えるのだ。祖国という言葉は死語に等しかった我々世代であっても、祖国のために身を投じて散った一世代前の青春への羨望は心の底に本能的に持っているのだ。寺山のもっとも有名なこの歌はその我々の心情を見事について衝撃的である。この他にも共感を覚える歌が多い。その歌の持つ思想性やテーマは俵万智より大きく、感銘ははるかに深い。

 寺山修司といえば、20年ほど前報知新聞の競馬欄に寿司屋の政とか、トルコの桃ちゃんが登場する独特の競馬の予想を書いていた人物で、観客をつれて他人の部屋を覗くことが主宰する劇団の公演の中身だったりして、そのため警察に摘発されたりした変わった人だという印象くらいしかなかった。20年前はこんなに素晴らしい詩人であるとはつゆ知らなかった。死後9年いま寺山修司ブームだという。丸善で本書を見つけた。

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書名 繊維の化学 著者 桜田一郎 No
1992-17
発行所 三共出版 発行年 1978年初版 読了年月日 92-07-23 記入年月日 92-07-26

 
会社の本棚にあった。前に読んだ「化学繊維の実際知識」と同じ様な感想を持った。繊維の化学は大変興味深い。この本の方がもっと基礎的で、化学的で面白い。各種の繊維の基礎的、かつ実用的性質が、その分子の構造、特に高分子の立体構造と関連させて考えて説明することが出来るという点で、たばこや、食品などよりはるかにクリアーであり面白く、奥が深い。

 著者の文化勲章受賞(77年)の翌年の出版であり、実際に著者が書いたかどうかは疑問だが、世界的高分子学者が書いた本にしては、繊維の実際面、実用面への記述、配慮が行き届いていているのは感心する。これは、さきに述べた分子構造が直接に実用面と結び付くという繊維化学の性質のしからしめる所だろう。


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書名 活性炭素繊維 著者 島田將慶 No
1992-18
発行所 冬樹社 発行年 読了年月日 92-07-27 記入年月日 92-08-01

 
またしても仕事関連。日比谷図書館で初めて借りた本。読んで字のごとく繊維状の活性炭の性質や作り方を解説した90ページ足らずの本。筆者は東洋紡の研究者。岡山のクラレケミカルの工場見学に向かう新幹線の車中でほとんどを読んでしまった。かなり奥の深い活性炭の入門書といったところだが、図表の説明が不親切だ。

                                           
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書名 青春の門 筑豊篇 著者 五木寛之 No
1992-19
発行所 講談社文庫 発行年 読了年月日 92-07-29 記入年月日 92-08-01

 
500ページを越える本だが、ほとんど通勤の途上で読んでしまった。
 田川が舞台で親しみが持てたし、ストーリーも面白い小説だ。幼い主人公信介の心に焼き付いた香春岳の異様な山塊の描写などさすがだと思う。

 読み進めていくうちに同じ青春物語である「次郎物語」を思い浮かべた。20才前に読んだものだから、印象しか残っていないが、おなじ青春物語でもずいぶん違うものだと思う。次郎には性の目覚めなど一切なく、高まいな思想、人生の理想を説く、というより押し付ける道徳教科書といった印象を持ったが、青春の門にはそういった姿勢は全くない。炭坑地帯という風土を抜きにしては決して考えられないような、いろいろな出来事を通して成長していく少年の心が、素直に、肩肘張らずに述べられている。最後は炭坑事故で鑛内に閉じ込められた多くの炭坑夫を救うため、ダイナマイトを身体に巻き付け単身鑛内に入り、自らの命と引き換えに多くの炭坑夫を救った父重蔵と、重蔵に死後も忠誠を尽くし貧しい中にも気位を失うことなく薄幸の人生を閉じたタエが魅力的に描かれている。こうした典型的な筑豊人気質は、今の田川あたり、あるいは、九州フィルターの人々にも受け継がれているのだろうか。

 本編の一つのテーマは主人公の性の軌跡であろう。信介を胸に抱いたタエに父親が後ろから情交する場面から始まり、射精、自慰、そして織江との初体験まで、いたるところに性の描写が出て来るが、筆者の筆は冴えていて、しかも決していやらしくない。もし、高校の頃この小説があって、読んでいたとすれば、私の性に対する疑問や悩みはずっと軽減されていたであろう。次郎物語と対比してみて、時代の変化、あえていえば進歩は歴然たるものだ。

 信介が自分の本当にやりたいことを見つけたいと思って、塙竜五郎にも内緒で単身東京に旅立つところで本編は終わっている。50才をとっくに過ぎた私はまだ自分の本当にやりたいことが何かわからずに迷いの日々を送っている。


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書名 青春の門 自立篇 著者 五木寛之 No
1992-20
発行所 講談社文庫 発行年 読了年月日 92-08-07 記入年月日 92-08-08

 
東京に出てきてからの約半年の物語。舞台は早稲田、新宿、そして新宿二丁目の赤線。時は昭和20年代の後半か。風俗小説の趣を呈してくる。筑豊編では余り鼻につかなかったストリーの展開の荒さ、時代考証が本編では気になる。それは、時代と場所が私にもなじみのあるものであるからだろう。織江との再会はまあいいとしても、彼女が2回も信介が他の女といるところに偶然いきあい、それがもとで失踪すると言うのはかなり無理な展開だ。あるいは、これだけの多くのことをわずか半年たらずの間に経験するというのも現実離れし過ぎているし、描かれた時代の背景も昭和30年代の初めにしては、少し近代的すぎると思うし、最後に、旅に出る信介らの壮行会にカオルはまだいいとして、突然英子が出て来るというのも不自然だ。

 通勤の長津田から青山一丁目までで約100ページは読める。

                                            
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書名 R.U.R. ロボット 著者 カレル・チャペック、栗栖継 訳 No
1992-21
発行所 十月社 発行年 92年 読了年月日 92-08-12 記入年月日 92-08-12

 
ロボットの語源になった標題の戯曲と本邦初訳の「白疫病」というふたつの戯曲を収める。日比谷図書館から借りてきて読んだ。

 チャペックの名前は割合最近知った。1938年に48才で亡くなったチャッペックのこの二つの戯曲は、考えさせるところ多い作品だ。

 ロボット(1920年発表)は、ロボットを大量に製造して人間の労働の肩代りをさせている未来社会で、ついにはロボットが感情を持つにいたり、やがては人間に反抗し、人類を滅ぼしてしまうという未来社会の悪夢を思わせるストーリー。舞台はRossum's Universal Robots社。同社の幹部と、ロボットの人権擁護のために大西洋の島にある同社の本社兼工場に乗り込んできて、結局は総支配人ドミンの妻となる若い女性ヘレナが主要な登場人物。ロボットが感情を持つに至ったのはヘレナの要望により、生理研究部長のガルが秘かに作ったもの。人間に反旗を翻したロボットたちがR.U.R.社を包囲し、一人を残して皆殺され、人類は絶滅する。衝撃的な戯曲だが、ラストのシーンでロボットの男女がお互いの愛に目覚め、新しいアダムとイブになりその子孫がやがて地に満ちあふれることが、ただ一人生き残った人間、R.U.R.の建設部長アルキストにより暗示されており、作者も解説で述べているように、愛こそが新しい命を産む源であるというのがこの戯曲のメインテーマであろう。

 「白疫病」は50才前後の中年がかかる不治のレプラ。白い斑点が現れるとその人間は悪臭を放ちながら生きたままで腐っていくという恐ろしい伝染病。現代でいえばエイズを思わせる。この病気の唯一の治療法を見つけたのは、貧しい人々しか治療しない町医者のガレーン。徹底した平和主義者である彼はこの治療法を盾にとり、軍事産業の大ボスやヒトラーを思わす独裁者の元帥に戦争を思いとどまらせようとする。元帥は隣の小国に宣戦布告なく侵入したが、その時、彼もまた白疫病に深く犯されていて後数週間の命と告げられる。自分の命のためにやむなくガレーンの要求を受け入れ、各国と平和の協定を結ぶことにした元帥のところに向かうガレーンは、途中ふともらした戦争反対の言葉のために、戦争熱にあおれている群衆に殺されてしまうというストーリー。1936年の作。

 二つとも、まず発想の奇抜さに引きずり込まれ読み出したらやめられない。しかもいずれもが人類の運命に深くかかわってくる問題を取り上げていて、考えさせられるところが大きい。産業現場におけるロボットの進出と、エイズの蔓延を思うとき、第一次大戦直後あるいは第二次大戦直前にこうした戯曲を発表した作者の時代を見る目、人類に対する洞察力は素晴らしいと思う。チェコという、大国に挟まれ翻弄され続けた小国であればこそ、こうした深い洞察力は育まれるのだろうか。


                                           
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書名 遠いアメリカ 著者 常盤新平 No
1992-22
発行所 講談社 発行年 読了年月日 92-08-18 記入年月日 92-08-19

「遠いアメリカ」、「アル・カポネの父たち」、「おふくろとアップル・パイ」、「黄色のサマー・ドレス」の4点の作品よりなるシリーズもの。 
 時代は昭和の30年代の初め、私が大学に入った頃の話。早稲田と思われる大学の大学院に進んだが、いっこうに授業に出る気もなく、ひたすら古本屋でアメリカの古雑誌やペイパーバックスをあさってばかりいる主人公が、どうやら翻訳家として一人立ちできる見通しが得られるまでの物語。語られているのはアメリカ文化への切ないほどの憧れ。

 作者の分身と思われる重吉はじめ、椙江、重吉の父、母等、作者の描く人物が皆やさしく温かく、善意に満ちた人ばかりだ。文章も現在形で通していてこれもやさしく、軽快で登場人物同様好感が持てる。作者の人柄がそのまま現れているのではないかと思った。と言うのは、作者が時々書いている翻訳に関する短いコメントから察して、心のやさしい人だなという印象を強く持っていたからだ。

 平行して読んでいる五木寛之の「青春の門」と同時代を舞台にし、主人公もほぼ同じ年頃の作品だが、対照的な作品だ。昭和30年代の初めの私達インテリの卵は、観念的に反米であり、アメリカ文化を軽薄で低俗な資本主義の文化として軽蔑するのが流行であった。緒方達に代表される社会変革の情熱に燃える青春こそが価値あるもののように思えた。だが今は違う。読みくらべてみて「遠いアメリカ」の主人公の肩肘張らない生き方の方に共感を覚える。そこに吐露された切ないまでのアメリカに対する憧憬に懐かしさと共感を覚える。ハンバーガーとはハンバーグのことだろうかと悩み、クリネックスがどんな物か皆目見当もつかなかった時代。主人公はペイパーバックやアメリカの月遅れの雑誌類を買いあさり、アメリカ映画に心ときめかす。主人公がこれほどまでに夢中になったスージー・パーカーなる女優を残念ながら私は知らない。モンローやヘップバーンより高く買っているスージーの出る映画をビデオでぜひ見てみたいものだと思った。

 それにしても時代は変わった。ニューズウィークが今では日本語で読める(著者がニューズウィーク日本語版の内容は翻訳とはいえないと何かの機会に言っていた)。日本の車や電気製品がアメリカにあふれ、ジャパンマネーがハリウッドの映画会社や、大リーグのチームを買収している。そして、私の娘は夏休みの語学研修と称してスーツケース一つかかえて一人で出かけた遠い遠いアメリカで21才の誕生日を迎えた。

 85年から86年にかけて発表されたもの。確か作者の初の小説であり、直木賞を授賞した作品だ。私より少し年上だと思われるから、大変励みになる。

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書名 青春の門、放浪編 著者 五木寛之 No
1992-23
発行所 講談社文庫 発行年 読了年月日 92-08-20 記入年月日 92-08-20

 
信介は新しい演劇の創製を目指す緒方らのグループに加わって、北海道函館に行く。そこでいろいろな仕事につきながら生活を支え、大衆の中から新しい演劇のあり方を探る。港湾労働者を搾取する暴力団との対決をテーマとする劇の上演にやっとのことでこぎつけるが、市民を立ち上がらせ、暴力団支配、あるいはその背後にある体制を打ち破ることはできなかった。最後は札幌で織江にも会うというところで本編は終わる。港湾労働者を取り仕切る関西系の暴力団というのは山口組を思わせる。昭和の30年代の初めからそんなことがあったのだろうかとふと疑問に思った。改訂新版というのが気になる。ひょっとすると現代風に書き改めたのではないかと思った。「演劇フリーク」などという表現もはたして当時あった言葉であろうか。

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書名 和宮様御留 著者 有吉佐和子 No
1992-24
発行所 講談社 発行年 読了年月日 92-08-25 記入年月日 92-08-25

 
日比谷図書館より。ハードカバーの分厚い本だが、電車の中、昼の休み時間を利用して1週間足らずで読み切ってしまった。

 政略結婚の犠牲になった薄幸の皇女和宮は実は、替え玉であった、しかも2回もすりかえが行われたという作者の大胆な推理をストーリーにしたもの。この作者の作品は「恍惚の人」を初め、その時の話題になることが多いが、この作品もかなり前に発表になったとき話題になったことを記憶しており、テレビや映画、舞台にもなったと思う。作者が巻末の対談その他で述べている和宮替え玉説は、本物の行方もはっきりしないし、和宮の結婚は幕末の大事件でありながら、関係者のどこからもそうした噂が少しも漏れてきていないことなどから、専門的にみればとっぴもない考えなのだろう。しかし、そんなことは大した問題ではない。わずかな事実を豊かな想像力でつなぎ合わせて、作者が創り出す絢爛豪華な物語の世界とそこに息ずく和宮、その替え玉のフキ、母の勧行院、嗣子、少進ら登場人物がビッビッドなリアリティーをもって描かれていることこそが我々読者にとっての魅力なのだ。

 ほとんど人に会うこともなく日常が過ぎて行く宮中のやんごとない女性の生活ぶりが些細な点まで描かれていて、そうした世界を覗き見るという点からだけでも大変興味があった。他家を訪問するのに右足から出て、右足から入らなければ縁起が悪いとして、歩きながら「ヒンプクヒンプク」と繰り返す勧行院の兄で公家の橋本中將の描写などはユーモラスでさえある。公家の日常やしきたり、公家言葉等に対する作者の調査の綿密さに感心する。作者とは物知りで、勤勉でなければ務まらない職業だ。
 公家世界内での女同志の確執、京都方と関東方女の争い、宮様の生理の話など女でなければ決して書けない物語だ。

「概説維新史」という父の書箱にあった戦前の分厚い歴史書を参考までにめくってみたが、この小説のように和宮自身が関東への降嫁に強い難色を示したとのことだ。几帳の陰の文字どうり深窓に育った姫にもこんなに強い自己主張があったこと自体は意外な気がする。勧行院の反対、関東方の彼女やその兄に対する恫喝なども史書に載っている。

 歴史の陰に女ありという言葉は、男の女に対する想い、憧れ、情熱が男を突き動かし、それが歴史を動かす原動力の一つであるという意味にとるのが普通だろうが、この小説は、その言葉は女の執念そのものが歴史を作るということだと主張している。

 小説の最後、維新から10年経過し、箱根で息を引き取った和宮の枕辺に駆けつけ、読経の流れる中、宮の顔の白絹をとり、「宮様の御遺言、少進慎んでうけたまわります」と平伏し、1時間ほどして医師に再度宮様御臨終ですと言わさせた少進の気合いと、執念はすさまじい。自分が献身的に仕え、守ることを誓った和宮の替え玉のそのまた替え玉に対するこのような献身は、和宮降嫁の真実をあくまで隠し通すという歴史に対する強烈な使命感によるものだろう。つまり、女も歴史を作れるということだ。これまでの歴史が女を不当にないがしろにしていることへの不満が、この小説の主軸になっているかも知れないと著者はいっている。

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書名 青春の門、堕落編 著者 五木寛之 No
1992-25
発行所 講談社文庫 発行年 読了年月日 92-09-01 記入年月日 92-09-01

 
信介は北海道から再び東京に帰り、勉学をやり直す決心をする。砂川の基地闘争に参加したことをきっかけに、次第に前衛団体の活動家として認められるようになるが、運動と組織を守ためとはいえ、他セクトの女子学生スパイを査問というリンチもどきの暴力で痛めつけることに疑問を感じたりして、結局はその運動からも落伍し、新宿の町を全裸で走ったりし、ついにはチンピラヤクザの手先のような仕事までするところまで落ちる、といったストーリー。ヤクザとアクションというか暴力シーンが多出するのにはいささかうんざり。ストーリー展開の必然性も相変わらず乏しく、そのため、時々もらされる歴史を造ることに参画したいとか、どうしようもない自己嫌悪といった信助の心情に深みや現実味が感じられない。

 ジャズ音楽などアメリカ帝国主義の退廃的文化だと信介が思うくだりがあるが、「遠いアメリカ」の読後感を思いだしておかしかった。

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書名 華岡青州の妻 著者 有吉佐和子 No
1992-26
発行所 講談社 発行年 読了年月日 92-09-02 記入年月日 92-09-02

「和宮様御留」と同じ巻に載っている。天明から文化、文政、天保の江戸中期から後期にかけて活躍した、紀州の医師、華岡清州とその妻加恵、姑の於継の物語。清州は自分で創り出した麻酔薬で世界に先駆けて全身麻酔による手術を行った医師だ。その陰には麻酔薬の実験台になった母の於継と妻の加恵の献身があったのが史実だが、作者はその背後に壮絶な嫁と姑の争いを想定し、それを小説のテーマとしている。清州の作った漢方処方による麻酔薬の実験台にどちらが先になるかという争い、また、どちらがより長く麻酔状態にあったかをめぐる争いに、この姑嫁戦争は頂点に達する。加恵は2回目の実験で失明するが、心の底ではそのことにより姑に勝ったと思ってさえいる。こうした二人の女のすざましい献身の結果、清州は医師としての名声を獲得する。

 作者のテーマはここでも歴史における女の貢献を強調することだろう。
「どこの家にでもある女同志の争いも、結局は男一人を養うに役に立っているのとは違うかしらん」と、作者は二人の冷静な観察者であった清州の妹に死の床で言わせているが、痛烈な言葉だ。だが、作者の描く於継も加恵もきわめて魅力的だ。この二人の聡明さと明るさを見ていると、封建時代の女達がすべて忍従を強いられ、虐げられた存在だったという観念的な見方は成り立たない。何よりも、こうした封建制のもとで、清州の世界的偉業がなされたこと自体、その時代が我々が思うほど暗い時代ではなかったことを示している。作者は、女は何時の時代にあってもしっかり者で明るく、聡明だと主張したいのであろう。

 「和宮様御留」では井戸水汲みが一つのモチーフとなっていて、フキの井戸汲みの場面から始まり、その場面のイメージを用いて後半のクライマックスのフキの首釣り自殺の場面を描いているが、本小説でも、8才の加恵が初めて於継を見る書き出しの場面で、加恵の印象に強く残った朝鮮朝顔の白い花が全体を貫いていて、初めて加恵が夫と心の通いあうのを感じたのも、この白い花を摘んでいる時だし、やがてこの花から夫の清州は麻酔薬を調合するのだ。そうした作者の技法はにくいばかりに巧みだ。そうした巧みな物語が実に快テンポで、歯切れのいい、リズム感のある文章に乗って展開される。「才女」という形容詞がよく作者には与えられていたが本当だと思う。84年、53才で自らの命を絶った。もう8年も前のことかと思うとびっくりする。年表を見ると、実にたくさんの作品を出している。そして、私の今の年齢には死んでしまっているのだ。

 作品の中に触れられている吉益南涯という当時の医家の大家はきっと、大学の教養の時同じクラスだった吉益の祖先だろう。田園調布の広い敷地の大きな洋館にひっそりと、慎ましく暮らしていて、東大教授で精神医学の大家だったお父さんと同じように医学部に進み、精神科を専攻し、もう25年も前にロボトミー手術をして当時問題になったのを新聞で読んだが、今どうしているだろうか。


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書名 天璋院篤姫 著者 宮尾登美子 No
1992-27
発行所 講談社 発行年 読了年月日 92-09-21 記入年月日 92-09-24

 
日比谷図書館の日本歴史文学館を、今の勤務先にいる間、今後2年ちょっとの予定だが、で通読してしまおうと思う。和宮の姑に当り、しかも同じ女性作家の作品となれば、有吉佐和子の次に読むのにこれ以上の作品はない。

 どちらを取るかといえば、文句なく有吉の方だ。
 島津藩の一分家に生まれた敬子こと篤姫の、藩主島津斉彬に見いだされ、厳しい教育を施され、徳川13代将軍家定の御台所として大奥に入り、将軍の死、和宮の降嫁、幕末の動乱、明治維新と激動の時代を通しての生涯が描かれている。

 読んでいてこれは歴史小説と言うより幕末史そのものだという感じが強かった。特に有吉佐和子の小説を読んだ後ではその感が強かったが、作者もあとがきで歴史小説を書いた気はしないけど、歴史上の著名人を書いたつもりだと述べている。

 幕末の波乱に富んだ歴史の面白さはあっても、親の言うこと、主人の言うことには絶対の服従を誓い、家を守ることを何よりも大切に考える封建道徳の申し子である主人公の心理や苦悩はそれほどドラマティックではない。斉彬は慶喜擁立を謀るための一手段として篤姫の大奥入りを果たすのだが、自分に課せられた使命を十分に自覚していながら、慶喜に初めて会った印象でどうしても次期将軍に推す気になれなかった篤姫が、養父斉彬の死後、自分の大奥入りは斉彬の倒幕の野望のためでしかなかったことを悟り、深い絶望感と不信感にうちひしがれる前半の終わりの部分に、この小説のクライマックスがある。

 
「それにしても男とは何と傲慢なもの、人に優れた頭脳を持てばそれを楯に女を手段の一つとして使い、新政府樹立、とまでの野望を持つのか、と思うと、常凡の生き方をしている人間のほうがはるかに誠実だという気がする」と作者は篤姫の心情を代弁しているが、作者の心情でもあり、この作品の動機でもあろう。
 ただ、篤姫にしても和宮にしても、いわゆる表や朝廷に対し攘夷を強硬に迫ったり出来る立場にあった点で、その後の女性とは比べものにならないほど恵まれた地位にあったといえる。前半の主人公は、実は余り登場こそしないが、篤姫の背後にある島津斉彬ではなかったかと思われる。斉彬は、病弱な家定に世継ぎが生まれないことを見越し(小説では実際篤姫はついに将軍との夫婦の交わりを持つことなく終わった)、なお凡庸な慶喜を擁立し自分が実験を握ろうと企んだのだ。

 後半は和宮との確執そして幕府崩壊へと。篤姫の側に立つこの小説を読んでいてさえ、姑の嫁いびり的なところが感じられる。しかし、あくまで体面を通し、権威を守ろうとする篤姫は、人の上に立つ者のあるべき姿を示してもいる。読んでいて、この小説に多少の反感を抱くのは、篤姫のこうした態度が私にとっては終生縁のありそうもないものだからであろう。

 篤姫は明治16年、48才の生涯を閉じた。強硬な攘夷論者であった篤姫は、鉄道の走る明治の世をどうみたのであろうか。あるいは、搬入のために、渋谷の薩摩藩別邸から江戸城までの切れ目ない行列が60日間も続いたという自分の輿入れの道具の調達係であり(この例にみられるように当時の大名や大奥の暮しぶりの贅沢さは信じがたいほどだ)、江戸城攻撃の指令官であった西郷の死をどのように受け取ったであろうか。維新をはさんでの人々の精神の変わり様と言うのはいつも興味がある問題だ。きっと歴史小説のいいテーマになる。
 1983年日本経済新聞連載


                                            
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書名 青春の門、望郷編 著者 五木寛之 No
1992-28
発行所 講談社 発行年 読了年月日 92-09-28 記入年月日 92-09-28

 
塙竜五郎が炭坑争議に巻き込まれ、負傷したことを新聞で知った信介は、筑豊に帰り、傾いた塙組の再建に奮闘する。だが塙竜五郎もついには死に、塙組を人に譲った信介は本当に一人ぼっちで筑豊を後にする。一方織江は下積みながらも歌手としてしっかりと自活していく。東京に帰った信介は、織江やカオル夫妻と再会する。彼女らは信介と違って貧しく恵まれてはいないが、しっかりと地についたそれぞれの生活を持っている。そんな中で信介は半ば自分から自動車にはねられ、それが縁ではねた車の持ち主の実業家の家に書生として住み込み新しい人生に踏み出す決意をする。

 この巻では今までなんとなく存在感の薄かった織江とカオルの存在ががぜん増してくる。特に織江が大人として魅力的に描かれている。


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書名 ソフトウェアの話 著者 黒川利明 No
1992-29
発行所 岩波新書 発行年 1992年8月 読了年月日 92-10-01 記入年月日 92-10-01

 
ソフトウェアとは何か、その作り方、使い方、権利保護の問題、ソフトウェアと文化といった項目で、ソフトウェアの解説というよりソフトに対する著者の見解を示したもの。著者は東京大学卒業後東芝に入社し、現在はIBMでソフトの研究に携わる技術者。著者は大変広い立場から本書を書いている。

 私が本当に知りたいのは、例えば、「A」のキーボードを押すと、ディスプレイにひらがなの「あ」が表示されるが、キーボードを押すことによる電気信号が、どこを通って、どこに入り、どのような仕組みでどう処理され、テレビの上の「あ」の字になるのかのプロセスだ。いわばかなりハードに寄ったソフトの解説がほしいいのだが、いままでお目にかかったことがない。このプロセスを一般人にもわかりやすく説明するのは無理なのだろうか。

 本書で一番啓発されたのは、デジタルとアナログの解説。アナログは連続した量であり、それを有限の数列においたものがデジタルであるという解説は、わかりやすいものだった。従って連続したある量を、数字として紙に書けば、それはデジタルとなり、その値は近似値である。世の中の数値はほとんど近似値であるという中学の時に習ったことのもう一つの意味がここにある。当時、思い浮かべたのは、物差しであるものの長さを測るとき、目盛りと目盛りの間に測る物体の端がきたとき、それをどう読むかは測る人の主観で、いろいろな数字がでてくるということだと理解したが、本質的には正しかったのだ。そして特に、言語の本質がデジタルであるということは一つの啓示であった。無限に連続する世の中の出来事や現象、あるいは人間の意識や、感情を有限の言葉で表すのだから、そこには厳密な意味での正確な記述は存在し得ないのだ。言語に関して感じるある種のもどかしさは、その本質がデジタルであるということに起因するのだ。


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書名 ワープロ徹底操縦法 著者 木村泉 No
1992-30
発行所 岩波新書 発行年 1991年 読了年月日 92-10-06 記入年月日 92-10-14

 
前述の「ソフトウェアの話」と同時に買った。ワープロを筆者の言葉でいえば離陸させるための手法と心構えが細かい点まで具体的に述べられている。市販のワープロ機およびソフトに対する具体的で、細かい注文には、私も快哉を叫びたいような指摘がかなりあった。私として特に操縦法で教えられるところがあったとすれば、辞書の作り方だろう。そのほか本書で特に力を入れているキーボード操作法は、ほぼタッチメソッドが出来るようになった今の段階では役に立つと言うものではなかった。

 本書の魅力は、私より3才年上で、東工大理学部の教授である筆者自身のワープロ体験に基づいて本書が構成されていて、そこに、とても50才過ぎとは思えない若々しい筆者の人間像がかいまみられることだ。特にQWERTY配列、OASYS配列、SKY配列という三種類のキーボード配列による入力の優劣を比較するために、自身がその全ての配列を試すくだりと(別々の入力法で翻訳書を1冊づつ仕上げるという徹底ぶりだ)、ワープロと手書きのスピードを自分で試すくだりは本書の圧巻だ。スピードの比較では、文章を覚えていては正確な比較は出来ないとして、かなりの間隔をおいて実施するという念の入りようだ。その科学者らしい実証精神は若々しく、ほほえましくさえある。ちなみに、短時間の比較でも、QWERTY配列入力によるワープロの方が、一応の楷書よりかなり早いという結果を得ている。こうした基本的できわめて重要と思われることが載っているワープロの解説書は今まであったかどうか。長時間の比較だったらその差はもっと大きくなるだろうと筆者は言うが、筆記の疲労度を考えればまったく同感だ。


                                            
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書名 戊辰落日 著者 綱淵謙錠 No
1992-31
発行所 講談社 発行年 読了年月日 92-10-11 記入年月日 92-10-14
                              

 
例えば最初の方で、会津の悲劇の発端を京都守護職をいやいやながらも引き受けなければならなかったことにあるとし、それも美濃高須藩主の六男から会津藩主として養子に入った容保としては断わりきれなかったことだと述べた後で、著者はいう「いま、後世という裁断の自由な、無責任な立場から思えば、どこまでも突っぱね通すべきだったといえるかもしれないが、いずれにしても幕府の頽勢が顕在化してくる段階になると、それを突っぱねたことにたいする非難が会津藩の重荷となったであろうし、また歴史の流れが会津藩のような文武ともに抜群の水準を保っていた藩を避けて明治維新を迎えることができたとは思われない。いうならば、このときの政策決定は、<運命的>というしかなかったであろう。」 また作者は、河井継之助についても同様の見方をしていて、継之助が和戦両様の心づもりで新政府の北越征伐の軍監岩村精一郎と会見したとき、もし相手が西郷とまではいわなくても、黒田清隆か山県有朋であったら、おそらく長岡藩の、そして継之助自身の悲劇もなかっただろうと述べている。二人の年齢も人物の大きさも余りにも違いすぎ岩村には継之助の腹が読めなかったことが悲劇の原因だったとしている。歴史のこうした見方は私も大好きだ。作者の歴史と人物に対する暖かい見方を直感しこの作品は面白いだろうと思った。

 敗者の歴史。もう3、4年前新聞でこの作品のことを知り読んでみたいと思っていた作品だった。一つの城を巡る攻防戦をこれほど詳しく、しかも敗者の側から書き記したものはまずないだろう。ほとんど手にはいる限りのあらゆる資料に基づいて詳述される小さな一つ一つの戦闘の叙述に迫力がある。しかもその引用資料の出典がその都度引用されていて、会津戦争の一つの歴史的記録となっているという感さえする。だが、正確な歴史の記述を連ねながら、全体としてみると、そこに描かれているのは、歴史の流れに流されていく人間の運命である。私が最も興味を持って読んだのも、敗れた会津藩士の、あるいは官軍側の一人一人の運命の落差の大きさだった。藩の大義に殉じて無駄死にとも思える死を選んだ人々、あるいはもっと悲惨なのは敵に恥をさらすことを恐れて自らの命を絶った女子、老人、そしてその道連れにされた子供達と、例えば、開城後命ながらえその後新政府の高官として活躍したり、東京帝大の学長になったりした人たち、あるいは男装して篭城し官軍と戦った後の新島譲の夫人となった山本八重子のような人々との間に作用した運命の差はきわめて僅かなものであったろう。

 たくさんの人物が出てくる作品だ。そうした人物の記述の最後に、あるいは括弧書きで、後に明治2年、だれだれ殺害のかどで斬首などと簡単に書かれている記述に最も深い感動を覚えた。あるいは、巻末の鑑賞の手引に乗っている人物の簡単な解説をその都度興味深く引きながら読んだ。

 それにしても、敵も味方も戦死者の首を取って持ち帰ることが慣例であり、また捕虜という概念がなく、投降者はおろか使者までその首をはねてしまうような残虐な戦闘がつい120余年前まで行われていたことは、信じられないくらいだ。また、新政府軍は、会津落城後半年も城内や、市街、野原に散乱する会津藩士の戦死体の収容を厳禁したというのも信じがたい話だ。そうした新政府側の残忍な戦闘ぶりからすると、容保父子を初め、首脳陣の首がつながった戦後の会津藩に対する処置は、寛大すぎると言っていいほどだ。もっとも、下北半島に移され、28万石から3万石に減封され、辛酸をなめはしたが、それでも、篭城組みの生き残りのほとんどが生きながらえたことと、戦争中の皆殺し戦略としか思えない政府軍の行動との落差は大きすぎると思う。
 昭和48年「新評」に連載


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書名 「魂」、「苔」、「妍」 著者 綱淵謙錠 No
1992-32
発行所 講談社 発行年 読了年月日 92-10-14 記入年月日 92-10-17

 
戊辰落日の同じ巻に収められていた短編もしくは中編(苔)。内容は戊辰落日の続編ともいうべきもの。

 魂(実際は白へんを書く)は戦後の遺体収集の話。落城後半年もたった翌年春にやっと明治政府の許可がおり、会津藩の遺族達は自分の肉親を弔うことが出来た。だが、戦のさなかにそこらに手あたり次第に埋められたり、あるいは放置された遺体はもう身元の確認が出来ない。父日向左衛門の遺体を捜しまわっていた娘のユキはやっとのことでそれと思われる白骨を竹薮の中から見つける。ユキにその場に案内された継母のひでが、着物の上からその白骨を抱きしめるのをみて、はじめて継母の父に対する情愛の深さに心打たれる。骨に血をたらすと、遺骨が肉親なら、血がしみていくという言伝えを知っているユキは、懐刀で自分の小指を切り、既に眼かの抜けている頭蓋骨に血を滴たらせる。
 
「沁みて行くわ、血が沁みていくわ」
 十九才の乙女の血が、いつまでも白骨の上に滴りつづけていた。

という最後の記述は凄愴で感動的だ。 

 苔、と妍は明治9年に起きた政府転覆運動に絡む警官殺傷事件の思案橋事件の犯人達の会津藩士を扱ったもの。苔はその犯人達5人の墓を作者が昭和46年に探して歩くエピソードをまじえて明治と昭和を行き来しながら展開する。戦後会津藩は下北に転封されるが、本州最北の地(斗南藩と称した)で結局は藩の運営はうまく行かず、ひとびとは辛酸をなめる。斗南藩を選択した三人の会津藩幹部のそのことへの責任のとり方はそれぞれに違ったものだった。山川浩(後の東大総長山川健次郎の兄)は、新政府側に入って、汚名をそそぎ、藩士の糊口の道を考えようとし、広沢安任は下北に留まりその地の開拓に一生を捧げた。本編の主人公永岡久茂のとった第3の道は、政府転覆により怨念を晴らそうというものだった。処刑された3人と自害した一人の墓はあったが、刀傷がもとで獄死した主犯永岡の墓はついになかった。

 古びた墓の苔を洗い、その人物の事績を調べる人を掃苔家というそうだが、苔とはそこからきている。この事件を調べている過程で作者は会津藩にのめり込んで行って、戊辰落日を書くに至ったという。苔でも綿密な文献資料の考証がなされていてそれぞれの人物の事件との関わりが描かれている。そして、会津藩の汚名が本当にそそがれたのは昭和になり、容保の孫が秩父宮に嫁した時だという。私も作者と同じように墓地で墓碑銘を見て歩き、歴史的感興が心に高まってくるのを味わうのが好きだ。

 処刑や自害の場面の描写は真に迫るほどリアルで、詳細だ。こうした残酷で、身震いするような場面の描写は作者の得意とするところのようだ。

 妍は永岡の後妻になった日本橋芸者せんの物語。これは、今までのと違い、フィクションの部分が主体。事件当日、一人寝床で夢を見たせんは目覚めてみると足の付け根のすぐ上の脇腹部に赤い傷が付いているのを発見するが、実はそれは永岡が乱闘のさなかに負った刀傷と同じ場所だった。せんは獄中の永岡に毎日面会を求めて出かけるが結局は会うことが出来ず、永岡は傷がもとで獄死する。
 思案橋事件を首謀者の妻から見、芸者上がりのせんの心意気と純愛を描く。

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書名 絶対子工場 著者 カレル・チャペック、金森誠也 訳 No
1992-33
発行所 木魂社 発行年 1990年 読了年月日 92-10-19 記入年月日 92-10-19

 
日比谷図書館。三編目のチャペック作品。今回のは小説。1922年発表。

 1943年、技師のマレクが炭素を原料とする原子炉を発明し、それを旧友のボンディが自分の工場の動力源として利用することで、またたく間にこの原子炉は世界に広がる。しかし、物質の持つエネルギーを完全に解放し(E=MC)、利用しつくすこの過程において絶対子なるものが放出され、これが人間に取り付くと、その人はたちまち宗教的感情の虜になり、また、奇跡さえ行えるようになるという問題をはらんでいた。この炭素原子炉の普及に伴って、いろいろな宗派を名乗るものが続出し、やがてそれらはそれぞれに対立するようになり、ついにはこうじて世界のあらゆる国々を巻き込んだ大戦に発展する。この世界大戦は1944年から53年まで続くが、炭素原子炉を破壊し、絶対子を駆逐することにより人類の破滅寸前で終結する。戦後の世界は各人の宗教よりもまず人間を信頼しなければならない世界に戻っている。

 ざっとこんなストーリー。30近くの章に別れて書かれているストーリーは、途中の展開に一度読んだだけでは意味の十分に理解できないところが多々あるが、それはおいても、実際の原子力エネルギーがフェルミによりウランから解放されるちょうど20年前にこのような作品が発表されたことは大変なことだ。原子炉から発散される目に見えない絶対子は、あたかも放射能を連想させる。原子力エネルギーのもたらす恩恵と、それが一面では人類の破滅につながるものになりうることを早くも見抜いたチャペックの洞察力の凄さにはただただ脱帽。のみならず、共産主義の崩壊をも予測しているのだ。絶対子が人間の世界を支配したことにより、世界がめちゃめちゃになるが、そのいくつかの罪状の中でチャペックはこう述べている。「
第三にあれは、きわめて素朴な理論しかもたない共産主義者として貨幣本位制を破壊させたが、これによってたちまち生産物の流通が麻痺した。あれは市場の法則が神の掟より強力なことを知らなかった。あれは商業なき生産がまったく無意味であることを知らなかった。」この他にもシーア派とスンニ派との対立なども一言触れられている。

 さらにこんな洞察も素晴らしい。「
われわれが、何か大変忌むべきことを体験し、これが世界創造以来の、不愉快きわまる「最大」の害悪であることを発見すると、特別に満足をおぼえる。これは、われわれの人間性の本性に根ざしたものであろう。たとえば、酷暑に襲われたとき、新聞がこれを「1881年以来の最大の酷暑」と伝えているのを知ると、われわれはことのほか満足する。さらにそのさい、いまの酷暑よりひどかったといわれる1881年の酷暑には、いい感じがもてないものだ。・・・・・最上級に達したということは、いかなる種類のものであれ、つねにわれわれに、何か特別な記録やぶりの物事を経験したという、誇らしい満足感を与えてくれる。

                                            
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書名 青春の門、再起篇 著者 五木寛之 No
1992-34
発行所 講談社 発行年 読了年月日 92-10-24 記入年月日 92-10-24

 
最終篇。信介が実業家林氏の家に書生として住み込み2年以上が経過。筑豊の炭坑地帯にもエネルギー転換による炭坑合理化の波が押し寄せてきだした。林の一人娘みどりは、秘かに信介に好意を寄せる。信介は、織江やカオル、緒方とは没交渉で自分の生活に満足してきたが、ふとラジオから流れる織江の歌を耳にし、織江に会うことになる。歌手として飛躍への最後の努力をしたいから、マネージャーになって欲しいという織江の頼みを、信介は結局引き受ける。そして彼は林家を出る。宇崎老人や、笠井らの協力を得て二人は新曲の作成に向けて踏み出す。作詞は宇崎老人、作曲は、かつて田川でタエに好意を抱いていた朝鮮人の金。いまは強盗殺人事件の犯人として死刑を宣告されている身だ。もちろんこれは無実で、後に今は労働組合の専従となっている緒方が再審請求運動を行っていることを信介は知る。そんな中でカオルの夫の石井が死ぬ。カオルはまた夜の町に戻ると言って行方不明になる。みどりは信介をしたって家を飛び出してくるが説得されて帰る。おそらくアメリカへの留学することになるだろう。こうしてそれぞれの人物がそれぞれの道を歩いて行こうとしている中にあって、信介は人間はしょせんは一人だという深い孤独感に襲われる。そんな深刻な孤独感に捕らわれている信介に、おでんの材料を仕入れてきた織江が明るい笑い声をたてて、体を強く押しつけてくる。信介はその温かさを感じながら二人の住む安アパートの方に向かって歩いて行く所でこの長編は終わっている。

 通勤の電車の中で読むには格好の本で、実際机の前で読んだことはほとんどなかった。筑豊篇が一番いい。だんだんとレベルが落ちるような気がする。映画やテレビになったのも、筑豊篇が中心であるのも当然だろう。この巻のラストなども盛り上がりに欠けているし、信介の感情に必然性を感じないし、共感を覚え難い。むしろこの巻でも織江がたくましく、魅力的に生き生きと描かれている。筑豊篇で描かれた、線の細い、足の悪い弱々しい女の子のイメージとはまったく違った女に成長している。
昭和46年から週刊現代に連載。


                                            
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書名 「西郷札」「啾啾吟」「父系の指」「断碑」 著者 松本清張 No
1992-35
発行所 文芸春秋臨時増刊号 発行年 92年10月 読了年月日 92-10-30 記入年月日 92-11-03

 
いずれも文春の特別号に掲載されているもの。田川滞在中か田川から京都に向かう新幹線のなかで読んだ。

 「西郷札」は週刊朝日の懸賞に応募した清張の処女作に当たるもの。西南の役に従軍し西郷札と呼ばれる軍票を作った主人公の樋村雄吾は、戦後上京し人力車夫として働く。ある日、乗せた明治政府の役人の妻が別れ別れになっていた腹違いの妹季乃(父の後妻の連れ子)だとわかる。二人は夫には内緒で会うようになるが、そんなとき、雄吾は西郷札を政府に買い上げさせ、それに乗じて買占めにより大儲けしようとある紙問屋の主人から持ちかけられる。雄吾は、大蔵省の新進のやり手である季乃の夫塚村に西郷札の買い上げを頼みに行く。塚村が願いを聞きとどけたので、雄吾と紙問屋は全財産をはたき、宮崎に残る西郷札を集める。しかし、結局は政府による買い上げなどなかった。さも政府が西郷札を買い上げるかのような情報を与えたのは、雄吾の季乃に対する愛情を直感した塚村が、嫉妬にかられて雄吾を陥れるための陰謀だったのだ。最後は雄吾の復讐を暗示して終わっている。昭和26年「週刊朝日」

 「啾啾吟」は幕末の弘化3年のくしくも同じ日に鍋島藩に生まれた3人の人生をたどったもの。一人は藩主の嫡男、一人は家老の伜慶一郎、そして最後は下級武士の伜、嘉門。3人は特別の取り計らいで机を並べて学ぶ。嘉門は特に頭がよかったが、下級武士の家柄で、出世は出来なかった。彼の性格にどことなく人に受け入れられないところがあった。嘉門は慶一郎の従姉妹の千恵を好きになるが、千恵は慶一郎と結婚する。それを機会に嘉門は出奔する。時は明治となり、慶一郎はイギリスに留学し、帰国後司法省の役人として活躍する。そんな慶一郎の前に現れた過激な主張を叫ぶ自由民権のはなばなしい闘士嘉門は、実は運動弾圧のために官憲が放ったスパイになりさがっていたのだ。そのことがばれて、結局嘉門は同志に殺されるというストーリー。彼は、結局どこへ行っても、他人になじみ、とけ込むことが出来なかったのだ。それは、下級武士の生まれという自出からくるひがみだけが原因ではなさそうだ。頭の切れる人間の宿命的性格によるところが大きいようだ。「オール読物」昭和28年。

 「父系の指」は中国山地の寒村に生まれた父を息子が語ったもの。父はお人好しで、学問が好きな癖に結局はなに一つものにならず、一生貧乏のどん底で、故郷を出てからついに一度も帰ることもなく一生を終わる。一方その弟は成功し東京の田園調布に邸宅を構えるまでになる。この兄弟は手紙のやり取りすらないほどまったく疎遠な仲である。主人公は、自分の手の指が父にそっくりなのに、常日頃いい知れぬ不快感を抱いているのだが、初めて田園調布の叔父の家を訪ねたとき、叔父はもう亡くなっていたが、その息子の指が自分とそっくりなのを見て、血がつながっていることに対するいい知れようのない嫌悪を感じるのだった。私の父は故郷に帰れないほど貧乏したわけではなかったが、小説の父と共通点が多く、私は特に若い頃そうした父の性格を嫌悪し、強く反発した。自分にも父の血が色濃く流れているのを知っていたからだ。「新潮」昭和30年。

「断碑」一考古学者の話。主人公は中学卒で奈良県で代用教員をしていた。考古学に興味を持った主人公の木村は、やがて京都大学に出入りし刺激を受ける。更に進んで東京博物館の考古学の大家にも見いだされ、上京し考古学の専門家として立つ。土出品から当時の生活、文化をこそ探ることが考古学が本来目指すべきことであるという彼の主張は当時としては画期的なものであった。こうして彼は独自の一派を形成するが、惜しくも失意のうちに昭和11年、34才という若さで結核のために死ぬ。自分の学説のためには京大や、東京博物館の世話になった恩人をも容赦なく攻撃し、次第に孤立して行く主人公の偏狭とも言える性格故の悲劇が語られている。昭和29年「別冊文芸春秋」

 以上清張の初期の四篇、屈曲した心理の生み出す悲劇、あるいは社会的弱者の復讐といった、清張の得意とするテーマを扱い、いずれも鋭い人間観察に基づく、密度の濃い傑作だ。これらと一緒に載っていた芥川賞受賞の「或る『小倉日記』伝」も再読した。田川から小倉に出て、新幹線で初めて関門海峡をくぐった日の翌日、滋賀県の守山から帰宅する車中だった。

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書名 The Members of the Wedding 著者 Carson Mccullers No
1992-36
発行所 Pengin Books 発行年 読了年月日 92-11-21 記入年月日 92-11-29

 
Mccullers の作品はこれが3本目。題名から、晴やかな結婚式と、そこに参列した着飾った男女の間に繰り広げられるロマンチックな物語を想像したが、そんなものとはまったく無縁の内容。舞台はやはり南部の小さな都市。時は第2次大戦の終わる頃。母親がおらず父親と暮らす12才の少女Frankieが主人公で、兄の結婚を機会に、若い新婚カップルに付いて行けば、今の逼塞したこの田舎の都市から逃れるとふと思いつく。こう思い付いた主人公には今までとまったく違った人生が開ける思いで、翌土曜の朝、別人物になった気分で、街の誰彼となく自分は明日この街を出て、遠くへ行きもう帰ってこないのだと言い触らす。作者はそれまでのFrankie という呼び名から、この場面からF.Jasmineという人称に代えている。ここらあたりの手法は心憎い。

 Jasmine家の中年の黒人家政婦のBereniceは、新婚の兄夫婦についていくなどとんでもないことだとFrankieを諭す。全体で180頁の小説の90頁から140頁にわたって続く、ダイニングルームでのFrankieとBereniceの会話の場面は、この小説の圧巻だ。部屋の中や、庭に注ぐ光線の微妙な移り変わりに投影される南部の夏の午後から夕暮れにかけての時の流れを描く作者の描写は素晴らしく その中で、Frankie, Berenice,それにJohn Henryの3人はそれぞれの思いを語る。そこには例によって屈曲した南部の人々の思いと重い現実が、読む者の胸にのしかかってくる。

 Frankieは昼間約束した兵士とのデートにその夜出かけ、ホテルの一室で危うく兵士の魔手から逃れる。こうした行動は我々にとっては不可解だというのは、しょせん我々には12才という微妙な年齢の、大人になる前の少女の心理など理解できないということなのか。

 すっかり準備を整えたスーツケースを手に、Frankieは翌日皆と一緒に遠い街の結婚式に出かける。だが、彼女を待っていたのは無惨な現実であった。兄夫婦は当然ながら、泣き叫ぶFrankieをおいて、二人で空かんを付けた自動車で出かけてしまった。帰った夜彼女は家出をはかるが、結局は連れ戻される。

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書名 人斬り半次郎 著者 池波正太郎 No
1992-37
発行所 講談社 発行年 読了年月日 92-11-28 記入年月日 92-11-29

 
幕末から維新に活躍し、西南戦争で西郷と運命を供にした中村半次郎こと桐野利秋の生涯を扱ったもの。題名は半次郎だが、中身は西郷隆盛が主人公といってもおかしくないほどだ。従来幕末ものへの関心は、明治維新までで終わってしまい、維新後の歴史、特に自由民権運動までの期間の歴史にはとんとうとかったが、本書は維新後10年間にわたり活躍した二人の人物を主人公に据えての小説であり、幕末から西南戦争への時の流れを一望するのには参考になった。歴史は、明治と年号が改まってそこで明確に区切りがつくものではない。これは一昨年のNHKの大河ドラマ西郷と大久保の生涯を扱った司馬遼太郎の「翔ぶがごとく」を見ていてそう思ったのだが、明治元年から西南戦争にかけての歴史も大変面白い。本書は云ってみれば典型的な通俗(俗に通づるという大変優雅な日本語だ)小説で、すらすらと読めてしまう。しかし、胸を突かれるような歴史に対する新鮮な、あるいは深い洞察はなく、イメージをかき立てるような表現もなかった。昭和37年から39年に「アサヒ芸能」連載。

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書名 Seize the Day 著者 Saul Bellow No
1992-38
発行所 Penguin Books 発行年 読了年月日 92-12-20 記入年月日

 
ノーベル賞受賞のユダヤ系作家の中編。ラジオの原作シリーズ、9月から来年の3月にかけてのもの。ニューヨークでホテル住まいをしている一人の中年男の一日を描いたもの。人物も主人公Wilhelm,の他は、同じホテルに住むその父で医師のAdlerと、得体のしれない精神科医のTamkinが主なもの。ホテルのレストランでの父との気まずい朝食を通して、ウィルヘルムの父との関係、離婚、勤めていた会社をやめたこと、挫折の過去が明らかにされる。別れた妻の元に送らねばならない二人の子供の養育費等を算段するために、タムキンと組んでラードの相場に手を出す。後半はこのタムキンとウィルヘルムとの会話と、商品取引所の光景を中心に展開する。結局相場は失敗し、主人公は街中の教会での見知らぬ人の葬列に加わり、大勢の参列者の中でウィルヘルム一人が声をあげて泣き続けるという結末で終わる。

 120頁足らずの小説だから、ストーリーを理解するだけの読み方なら比較的短時間で読めた。しかし、表現の一つ一つに込められた作者の文学的意図をくみ取って読むには、高度の英語の素養と、文化的な知識が必要だ。そうした読み方をしなけば、決して文学作品は読んだことにはならない。ラジオの講座は懇切な解説で、勉強になることが多い。


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