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読書ノート2025

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書名 著者
中世騎士物語 ブルフィンチ
俳句と暮らす 小川軽舟
カンタベリー物語 チョーサー
初葉 丸谷三砂
薤露行(かいろこう) 夏目漱石
谷川俊太郎詩集 谷川俊太郎
杉俊郎 鶴田徹
ゼロからわかるケルト神話とアーサー王伝説 かみゆ歴史編集部
戦艦大和ノ最期 吉田満
竹下しづの女の百句 坂本宮尾
NEXUS(ネクサス)情報の人類史(上) ユヴァル・ノア・ハラリ
睡眠の起源  金谷啓之 
維新暗殺秘録  平尾道雄
 日本を開国させた男,,松平忠固  関良基
紫式部日記   紫式部
 今昔物語  角川書店編
 三教指帰  空海
 NEXUS(ネクサス)情報の人類史(下)  ユヴァル・ノア・ハラリ
 敦煌  永井孝彦
 田沼時代  辻善之助
 土佐日記  紀貫之
   福永法弘
 聖河  庄田ひろふみ
 俳句における取り合わせと意味ネットワーク  庄田宏文
俳句認知における切字の役割   庄田宏文
 熊谷佳久子句集  熊谷佳久子
 生命の起源を問う  関根康人
 近現代俳句  小澤實
 高原の風  染葉三枝子
 ダーウイン  鈴木紀之
 多神  内村恭子
 古墳時代の歴史  松木武彦
   吉野かおる
   


書名 中世騎士物語 著者 ブルフィンチ作 野上弥生子訳 No
2025-1
発行所 岩波文庫 発行年 1981年 読了年月日 2025-01-07 記入年月日

 初版は1942年。褐色がかって本棚の奥にあった。購入したままで読んだ記憶はない。多分読みかけて面白いと思わなかったのだろう。天為俳句会で有志がやっている神話で遊ぶのケルト神話編もあと2回で終わるころになって本書が目に入り読んでみる気になった。

 本書は以下の三つの内容から成る:
 アーサー王とその騎士たち
 マビノジョン
 英国民族の英雄伝説

 マビノジョンの第1章ブリトン人には以下の記述がある:


ブリトンの最古の住民は、ケルト民族として歴史上に知られている民族の一分派だったと推察されている。
ローマ人はジュリアス・シーザーが浸入してからずっと、西暦四二〇年頃になって自発的に軍兵を引上げるまで、およそ五百年間ブリトンを占領していた。その間にローマ人の技芸と教養が、非常に広く土着民の間へ伝播したことは疑いのない事実である。道路、都市、城砦の遺跡は、ブリトンの開発進歩のために彼らが多大の貢献をしたことを物語っている。中略 しかし、ローマの支配は主として兵力によって保たれていたものであるから、決してブリトン島全体には拡がり得なかった。現在のスコットランドに当たる北部地方はローマ人から独立を保ち、ウェイルズとコーンウォルのある西部地方は、名義上だけローマに属していた。中略  西暦四四九年、ヘンギストとホーサに率いられたサクソン人が到着した時分、ブリテンの西海岸は全部先住民に占有されていた。そして、それらの先住民たちは、侵略者と絶間なく戦争していたのであった。
 それ故、本来のブリトン人の血統は、彼らの間だけ、交じりもののない純血で反繁栄ているというのが、ウェイルズとコーンウォルの人々にとって、大いに誇りとなっているのである。


 「シーザーのブリテンへの侵攻によって、初めてイギリスが世界史へ登場した」というチャーチルの言葉をどこかで読んだ記憶がある。

 アーサー王とその騎士たちの序章には以下のような記述がある:

 5世紀頃、ローマ帝国が滅亡すると、北部ヨーロッパには国家的な政府はほとんど亡くなり、地方の領主たちが領地内で権力を振るった。もし領主たちが勝手に権力を振るったら野蛮時代に戻ってしまう。こうした状態を食い止めたのは領主たちが先ずお互いに対抗し牽制し合っていたこと。次いで動機は何であれ、弱いものを守るという教会の影響があった。最後に人間の心に生まれながらに宿っている正義感と寛大さによる。この最後の原因から騎士道は起こった。無敵の力量、勇気、正義、謙譲、目上に対する忠誠、同輩への礼節、弱者への憐憫、教会への献身などの諸徳を有する英雄的性格の理想を作り上げた。それは現実生活では到達されないとしても、なお学ぶべき最高の典型として人々に承認されていた理想であった。

アーサー王の物語については:
 「
アーサー王の取り柄は、彼が必ずしも常勝の戦士ではなかったけれども、常に勇敢な戦士であったという点である。彼は絶大な果断をもって異端のサクソン人の浸入に対抗した。そしてアーサーの思い出は、同国人なるブリトン人によって最も高く評価され、ブリトン人はそれをウェイルズに持ち込み、アルモニカの血族匤ブルターニュに持ち込み、アーサー王の功績は国民的自負心によっていつしか誇張され、果てはシルリア(南部ウェイルズ)人の小領主が、イギリス、ゴール、ヨーロッパの大部分の征服者にまで祀り上げられてしまった。ついにアーサー王の系図は次第に架空的なブルータス(ローマのあのブルータスとは別人)へまで持って行かれ、さらにトロヤ戦争の時代へまで持って行かれ、ウェイルズ語やアルモリカ語でアーサー王の年代記のようなものが作られ・・・・

 作句のテキストとして使った『ゼロからわかるケルト神話とアーサー王伝説』ではよく分からなかった歴史的背景が本書により理解が進んだ。アーサー王伝説はギリシャ・ローマやメソポタミアの神話と比べてずっと後のものである。そして、キリスト教伝播の後の物語である。

『ゼロからわかるケルト神話とアーサー王伝説』では記載のなかったランスロットとギニヴィアの最期は本書の「アーサー王とその騎士たち」の終わりに載っていた。

 アーサー王の死を知ったギニヴィアは居城を抜け出し、アームズペリへ行き、そこで尼となった。いかなる罪人もそれほどまでとは思われぬ厳しい修行を行い、断食と祈祷と慈善で暮らし、その地で尼たちに長老となり皆をおさめた。

 一方ランスロットはモルドレッドの反乱を知り海を渡り英国に赴くが、アーサーの死を知る。とき既に遅いことを知ったランスロットは自分ひとりでせめて王妃を訪ね出したいといって皆と別れる。彼が西へ西へと馬を進め、とある尼寺に差しかかったとき、ギニヴィアはその姿を見つける。一旦は気絶したギニヴィアであったが、気がつきランスロットを案内するように命じた。そしてもう二度と私に会わないで下さい、国に帰って妻をめとり幸福と神の恩寵に恵まれてお暮らしなさいとギニヴィアは言う。ランスロットは自分もあなたと同じ道を歩み神に仕えましょうと言って深い嘆きと涙の末に別れた。

 ランスロットは一つの礼拝堂と隠者の庵のあるところに出た。それはアーサーが葬られている庵で、彼の最期まで一緒だった、ベディヴィアのいるところだった。ランスロットはベディヴィアからアーサーの最期を聞く。そしてそこで彼は6年間の苦行を行った。ある夜ランスロットに一つの幻が現れアームズペリへ行くことを命じた。彼が着いてみるとギニヴィアは半時間前に亡くなっていた。彼が葬儀を取り仕切った。

 それ以来ランスロットは一切の食物と飲み物を断ち、嘆きに沈んでいたが、6週間ほど経ったとき病にかかった。キリスト教による最期の儀式が行われ、彼は死んだ。「
彼は宛然微笑んでいるような面持で、まわりには、彼らがこれまで知らなかった、甘美な匂いが充ち漂っていた。」ランスロットの遺骸はギニヴィアの棺を運んだ棺台に乗せて運ばれ、聖歌壇の下へ納められ、賛美歌を歌いねんごろな祈祷が捧げられた。

 不義の恋にしてはなんと甘美な終焉だろう。  

 本書の「アーサー王とその騎士たち」は、トマス・マロリが21巻に分けて、1485年に完成したものを、もとにブルフィンチが1858年に書いたものである。

 野上弥生子が翻訳したというのが意外だった。

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書名 俳句と暮らす 著者 小川軽舟 No
2025-2
発行所 中公新書 発行年 2016年 読了年月日 2025-01-11 記入年月日

 帯には「平凡な日常が、かけがえのない記憶になる」とある。さらに裏表紙の帯には「日々の小さな発見を折に触れ書き留められるところにこそ、俳句本来の魅力がある」。本書をひと言で言えばこの通り。同感である。何も日常だけに限ることはないが俳句の基本は発見であると私は思う。親しみやすい俳句入門、解説書。誰かに勧められた本だと思うが、誰だったか記憶にない。

 飯を作る、会社で働く、妻に会う、散歩をする、酒を飲む、病気で死ぬ、芭蕉も暮らすの7章からなる。サラリーマンでもあり単身赴任していたから飯を作る、妻に会うという章がある。

本書から:
 
俳句とは記憶の抽斗を開ける鍵のようなものだ。読者がそれぞれの抽斗を開けてこそそこに見出すものは同じではない。俳句が引き出す情景は作者が頭に思い浮かべていた情景に限定されない。読者それぞれの抽斗が引かれればそれでよいのだ。

 草田男の句
妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る
 妻に対する情欲をこんなに正直に詠った俳句も珍しい

 中略
虹に謝す妻よりほかに女知らず
よくぞここまでいったという句である。中略 草田男はそのことを少しも恥じていない。むしろそのことを運命に感謝する。他に女を知っていては妻との愛の聖性が損なわれ、妻が救い主ともならなかった。だから感謝するのである。日本が戦争に向かう暗澹とした時代に、「腐った男」のこの求道的な愛だけはまばゆいばかりである。

「腐った男」とは父の死後いつまでも一人前になれない長男の草田男を親戚が面罵した言葉。「草田男」の俳号の背景である。

 森澄雄の句
木の実のごとき臍もちき死なしめき
 急逝した妻への句。澄雄は療養中で妻の死に目に会えなかった。

この世のものではなくなってしまった妻を思うとき、まっさきに目に浮かんだのが妻の「木の実のごとき臍」だった。つまりは出臍だったのだろうけれど、「木の実のごとき」と眺められるとなんと愛くるしいことか。ほのかなユーモアで妻に微笑みかけながら、臨終を見とどけてやることもできずに妻を死なせてしまった悔恨の念は底知れず深い。

 
私たちの生きる時間は、後戻りすることなく前に進んでいく。時間は私たちに否応なく年を取らせ、やがて死をもたらす。けれども、時間は死という終点に向かって、ただまっすぐに進んでいくわけではない。前へ進み続ける時間がある一方で、四季をめぐって循環する時間がある。春、夏、秋と過ぎて冬になっても、それで終わりではなく、また春が来る。葉を落として枯れつくした木々も、また芽吹いて再生する。
 俳句が季語を必要とするのは、俳句が後戻りすることなく進む時間と四季を繰り返して循環する時間の交わりに生まれる詩だからと考えることができるるだろう。人の一生を限りあるものにする時間は無常なものだが、四季を繰り返しながらこの世はずっと続いてゆく。永遠にめぐる時間を私たちに束の間夢見させてくれるのが俳句だと言ってもよい。


 直線的な時間と循環的な時間に関しては私も「冬至の太陽」という題でエッセイを30年前に書いている。

 小諸に疎開していた虚子が弟子の若い女性に葉書で送った3句

浅間かけて虹のたちたる君知るや
虹たちて忽ち君の在る如し
虹消えて忽ち君の無き如し

 翌年春この女性は結核のために29歳で亡くなった。

 
俳句は病気と相性がよい。これは多くの俳句を読んできた私の実感である。中略
 俳句の選句をしていると、命を脅かす病気になり、やがて亡くなる者もいる。それでも多くの場合、俳句は最期まで作り続けることができる。訃報が伝えられた後で、生前投函された俳句を手にすることも多い。中略 ほんの少し前まで仲間が生きていた証を見るのは辛いことではあるが、最後の最後までその俳句を見てやれたことは、その人の最期を看取ってやれたに等しいと感じる。


 私は著者のような選者の立場ではないが、たまたま昨年のあかつき句会で驚くような体験をした。句会はメール句会で、3句投句、4句選。10月の句会で私が選んだ4句の内3句はSさんの句であった。10年近いあかつき句会の中では初めてのことだった。そして11月にSさんは突然亡くなった。3句は遺詠となってしまった。メールによる句会で投句はすべて私の所に集まるので、私は選に際して作者を知ることが出来る。しかし、選句は作品本位で選ぶ。そして3句がたまたまSさんのものだった。3句ともどこにもSさんの最期の予感となるものはなかった。

 最期の章は「芭蕉も暮らす」

 
芭蕉野分して盥に雨を聞く夜哉
 を取り上げ、「
句の背景には、杜甫に代表される漢詩の世界への憧れがある。中略 芭蕉の深川隠棲の狙いは身を以て漢詩の世界のパロディを実践することにあった。日本橋から深川に移った芭蕉は、この地で俳句とともに暮らす新しいスタイルを世間に示そうとしたのである。

 深川隠棲の意図をこのように説明したのは初めて見る芭蕉論だ。
 奥の細道を終えて、芭蕉が「かるみ」の世界へ展開していく背景も簡潔の述べられている。
 
 あとがき
 
日常にべったり両足を着けたままでは詩は生まれない。ちょっと爪先立ってみる。それだけで日常んは新し発見がある。その発見が詩になる。ちょっと爪先立ってみる――それが俳句なのだ。

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書名 カンタベリー物語 著者 チョーサー、金子健二訳 No
2025-3
発行所 角川文庫 発行年 昭和48年 読了年月日 2025-01-23 記入年月日

 これも本棚の奥で眠っていて黄ばんだ文庫本。

 出だし:
甘露のような四月の雨がひとふりすると、かわききっていた三月の大地が底までうるおい、木木は生気をとりもどし、つぼみはほころびかけてきた。森の梢や灌木の茂みは西風のかぐわしい呼吸(いき)にふかれて、やわらかい小枝をのばす。まだ若い太陽は白羊宮に半分はいったところである。一晩じゅう目をあけて眠っていた小鳥は、節もおもしろくさえずっている。

 四季の移り変わりを細やかに歌うのは日本の詩歌だけではないことに先ず驚く。『カンタベリー物語は』の舞台は1387年である。日本で言えば室町時代の前期、定家はすでになく、宗祇はまだ生まれていない。韻文で書かれているこの物語は、韻文に翻訳しようとした試みは今まで上手く行ったためしがないと、あとがきで訳者の金子健二は述べている。この出だし部分には韻文らしさが感じられる。

 物語はカンタベリーへの巡礼に出かける一行29人が道中それぞれに物語を語り、誰が一番面白かったかを競うもの。騎士とその従者、粉屋、僧侶、商人、船乗り、修道士、医者、バースの町の機織り女など当時の社会の様々な階層の人が含まれる。本書はそのうち8人の話を載せている。

 話は人間の金銭欲、色欲丸出しの話、というか下ネタといったもの。

 例えば「送達吏の物語」。これはその前の「托鉢僧の物語」で送達吏が散々コケにされたので、その反撃として語れたもの。

 村々を回って人々から金品をもらって歩く托鉢僧が、病人の百姓の家にやって来て、散々説教をし修道場を建てるために黄金をせびる。自分と修道場の資金と、キリストへの寄進とに三等分するというのだ。男の病人は今まで散々寄進してきたのに効果がなく治らないと言ってことわるが最後に承諾する。男は托鉢僧に自分の背中から手を入れて下の方を探ってくれ、尻の下の隠してあるという。托鉢僧が言われたようにして手を尻の裂け目のところにやった。男は托鉢僧の手の平に屁を一発ぶっ放した。荷馬車の馬よりも大きな屁だった。托鉢僧は狂ったライオンのように飛び上がって怒った。騒ぎを聞きつけて家の者が駆けつけ托鉢僧を追い出した。

 托鉢僧はある荘園の地主のところまでやって来た。地主はちょうど食事中だった。托鉢僧は彼が受けた侮辱を地主に話した。地主は言った「単なる屁の音ないしは臭味を等分にするなどというような、そんな問題を出した人があろうか。実際ばかばかしい、高慢なやつだ。」これをきいていた地主の息子が坊さんたちに屁を平等に分配するくらい分けないことだという。

 息子が提案したのは12本の輻(や)の着いている普通の車輪をもってきて、12人の坊さんにその輻のはじにすっかりと鼻をつけて座らせる。その百姓を呼んできて車輪の真ん中、轂(こしき)の上に座らせ、一発屁をやらせればいい。これをきいた地主、地主夫人も托鉢僧もこぞって言った。「
まさしく幾何学のユーグリッドか、天文学のプトレミに匹敵するものである。偉いことを考えてものだ」。

 14世紀の末と言えばもうルネッサンスの時代に入っていたのだろうか。本書にはユーグリッド、プトレマイオスといったたぐいの古典の引用がよく出てくる。

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書名 初葉 著者 丸谷三砂 No
2025-4
発行所 角川文化振興団 発行年 2022年7月 読了年月日 2025-02-01 記入年月日

 天為の有力同人丸谷三砂さんの初句集。三砂さんは天為の東京例会で特選を取る常連だ。私は3,4年前まで三砂さんの句を選んだことはなかった。最近になって比較的よく選ぶようになった。私の記憶では東京例会で私の句が三砂さんに選ばれたのは2回だけだと思う。

 三砂さんは長年の天為への貢献、中でも分厚い『有馬朗人全句集』の編纂の中心であったことに対して今年の天為賞が与えられた。

 昨年暮れに八王子の大鳥神社や子安神社への吟行で、初めて三砂さんと吟行をともにした。吟行句会での三砂さんのコメントは明解でとても参考になった。もっと三砂さんの句に触れたいと希望したら、本書を贈られた。

 ハードカバーで1ページに2句、402句を収める。
 驚いたのはこれが初句集であるとのこと。

 深く細やかな観察と的確な措辞の五七五は、いずれも透明感に溢れ、読んでいてすがすがしい気分に充たされた。
 小動物の句がたくさんある中で、猫の句が見当たらないのは意外だった。

帯の自薦句並びに坂本宮尾さんのお祝いの言葉を見る前に、私自身が特に注目した句:

紫の多摩の横山初電車  冒頭句
雛箱に薄るるわが名父恋し
戻り来て蜘蛛仮留めの糸はづす
かはらけの飛んで万緑ゆるぎなし
百枚の軍手の干され原爆忌

ややありて隣村より威銃
インバネスむかし男は家を負ひ
独楽飛んで魂の抜けたる紐残る
夜の海へ漕ぎ出すごとく紙を漉く
吹き口の輪の銀いろや紙風船

金魚にも憂きこと泡をひとつ吐く
干されたる襁褓の下を羽抜鶏
笑ひそこねしハロウィンの南瓜かな
短日や立てて収むる猫車
雪吊の突然まはりだしさうな

十二神将眉間に虎落笛をきく
警棒の陵守にして桜守
水中に交差点あり熱帯魚
伸びきつて殻ひき寄する蝸牛
うすきこと涼しと思ふ鉋屑

着ぶくれて身の深きより電話鳴る
マウスてふ我が掌中の嫁が君
脈を診るやうに芽吹きの枝に触る
匙を抜き卓にはらりとかき氷
月に引く手綱もしまひ鵜飼かな

この道や盗人萩に遭ひしのみ
連山の風に打ち合ふ吊し柿
一瀑をもつて真二つに紅葉谿
蛇口より水つよく出し事務始
雪を踏む音していぶりがつこ噛む

深悼  有馬朗人先生 二句 (掉尾)

朴落ち葉この一音に師は逝けり
一万歩よりも遠くへ冬帽子

(朗人先生は一日一万歩を目標にされていた)

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書名 薤露行(かいろこう) 著者 夏目漱石 No
2025-5
発行所 青空文庫 発行年 読了年月日 2025-02-10 記入年月日

ケルト神話とアーサー王伝説』の巻末の解説に、アーサー王伝説が後世の文学作品に与えた影響の一つとして、1905年の漱石のこの作品が挙げられていた。漱石の作品は青空文庫で読めるので、早速読んでみた。擬古文の凝った文体で読みづらかった。

 アーサー王伝説を題材に、騎士ランスロットを巡る三人の女性が登場する。王妃ギニヴィア、シャロットの女、エレーンである。

 アーサー王一行は北での騎士の試合に出かける。ランスロットは病気と偽り出発を延ばし王妃のところに行く。王妃と別れてランスロットも北へ向けて発つ。その姿を高台から鏡の中で見下ろしていた女がいる。女は魔法がかかった鏡を通してしか外を見ることが出来ない。窓の外を直接見ると呪いが降りかかる運命になっている、鏡の中でランスロットは女に向かってくる。女は窓から顔を出す。鏡は粉々に壊れる女は倒れる。

 ランスロットは旅の一夜をある城に求める。城には若い娘エレーンがいた。彼女はランスロットをひと目見て恋に落ちた。翌朝ランスロットは出立するが、娘は自分の衣服の一部を切り裂きランスロットに渡す。エレーンの兄の盾とエレーンの布を兜につけランスロットは発つ。
 試合ではランスロットは勝つが、自身も負傷する。秘かに帰って城の近くで治療する。ランスロットへの思いを募らせたエレーンは衰弱して死ぬ。遺体は船に乗せて流してくれと遺言する。

 カメロットでは王妃とランスロットの不倫を暴いたモーレットらがアーサー王に迫る。その時エレーンの遺体を乗せた船がカメロットに流れ着く。

 この作品はウイキペディアで詳細に解説されている。薤露行 - Wikipedia

 私は読んでいてキャメロットの女というのはギニヴィアのことだとばかり思っていた。しかし、別の女性だった。『中世騎士物語』には触れられておらず、その代わりエレーンが「シャロットの姫」として登場する。漱石はアーサー王物語と、もう一つテニソンの詩を題材にしてこの作品を書き上げた。キャメロットの女はテニソンの詩に登場する女性なのだろう。

 薤露行という題は中国の中国の楽府の題名から来ている。薤はラッキョウのことで、葉が細いので露はとどまりにくくすぐ乾く、「人生は薤上の露の如く晞(かわ)き易し」に由来すると漱石は説明した。

 作品は1905年11月号の中央公論に掲載された、この年の1月には『吾輩は猫である』がホトトギスに発表され、好評を得ていた。漱石は『薤露行』は『吾輩は猫である』にくらべて5倍も労力がかかったと虚子宛てに書いている。

 発表当時から評判になった作品であるが、擬古文体の読みづらい作品で、余り一般化しなかったようだ。もちろん私も今回初めて知った作品である。この作品を巡っては大岡昇平と江藤淳の間で論争があった。


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書名 谷川俊太郎詩集 著者 谷川俊太郎 No
2025-6
発行所 岩波文庫 発行年 2013年刊、2024年24刷 読了年月日 2025-02-14 記入年月日

『天為』ネット句会で1月投句の中に「俊太郎の嚔に宇宙ふくらみて」という句があった。面白い句で選んでみたくなった。ただ、谷川俊太郎の詩はまったく知らないかったので先ずネットで検索した。

 国語の教科書にも載る詩として
二十億光年の孤独」があって、その終わりの4行が「宇宙はどんどん膨らんでゆく/それ故みんなは不安である/二十億年の孤独に/僕は思わずくしゃみをした」であった。

 俳句はこの詩を本歌としてうまく詠んでいると思い選に入れた。

 この詩は俊太郎18歳の時の詩である。本書は自選句集で、60冊を越える詩集から173編が選ばれている。文語は使わず定型詩でもないが平易な言葉により作り出される軽快なリズムが心地よい。

二十億年の孤独」の次にあるやはり18歳の時の作品「ネロ――愛された小さな犬に」が良い。

 
ネロ/もうじき又夏がやってくる/お前の舌/お前の眼/お前の昼寝姿が/今はっきりと僕の前によみがえる 中略

 ネロお前は死んだ/誰にも知れないようにひとりで遠くへ行って/お前の声/お前の感触/お前の気持ちまでもが/今はっきりと僕によみがえる

 しかしネロ/もうじき又夏がやってくる/新しい無限に広い夏がやってくる/そして/僕はやっぱり歩いてゆくだろう/新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ/春をむかえ さらに新しい夏を期待して/すべての新しいことを知るために/そして/すべての僕のの質問に自ら答えるために


 
 うんち、へ、ひもなど卑近なものを題材にしている。ことばあそび、ひらがなばかりの詩も多い。
かえる
 
かえるかえるは/みちまちがえる/むかえるかえるは/ひっくりかえる

 きのぼりかえるは/きをとりかえる/とのさまがえるは/かえるもかえる

 かあさんがえるは/こがえるかかえる/とうさんがえる/いつかえる


 かと思えば死のことを歌った詩が多い。俊太郎は死を暗く哀しいものとしては歌わない。明るく肯定的なものとして歌ってる。
「臨死船」という本書でも最長の部類の詩の一部:

 
おや どこからか声が聞こえてきた/「おとうさん おとうさん」と言っている/どうやら泣いているようだ/聞き覚えのある声だと思ったら女房の声だった/なんだか妙に色っぽい/抱きたくなってきた もうカラダは無いはすなのに/

 きょろきょろ見回して女房の姿を探した/すぐそばにいたが幽霊のように影が薄い/手を握るとまるで手ごたえがない/その代り気持ちが手に取るように分かる/本気で悲しんでいるのはいいが/生命保険という打算も入っているのが気になる


モーツアルトへの傾倒

人を愛することの出来ぬ者も
これが一番いいもの/澄みきった九月の青空には及ばないかもしれないが/もしかすると世界中の花々を全部あわせたよりもいいもの/束の間たゆたってすぐに大気に溶けこんでしまうけれど/その一瞬はピラミッドよりも永遠に近い
中略
これが一番いいもの/この短い単純きわまりない旋律が/ぼくは息をこらす ぼくはそっと息をはく/人を愛することの出来ぬ者もモーツアルトに涙する/もしもそれが幻ならこの世のすべては夢にすぎない

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書名 杉俊郎 著者 鶴田徹 No
2025-7
発行所 鶴鳴社 発行年 令和5年12月 読了年月日 2025-02-19 記入年月日

サブタイトルは「病を推して戦中戦後の昆虫出版を担った男

 高校のクラスメート、鶴田徹さんから送られてきた。鶴田さんが9歳年上の俊郎叔父の業績をまとめたもの。杉俊郎は幼くして脊椎カリエスを発病し、病気と闘いながら好きな昆虫関係の情報誌、著作を刊行し昭和35年に満30歳という若さでなくなった。多数の写真、そして杉俊郎が書いた多数のイラストと文章がびっしりと掲載されたA4版130ページを越える労作。古い文献を閲覧するために国会図書館に通い、文章はすべて自身で打ち直した。

 筆者の杉俊郎に対する深い敬愛がなければできなかったであろう。読み終えて感じたのはそのことであり、杉俊郎もあの世で喜んでいるだろうという思いだった。

 杉俊郎は幼い時から昆虫好きであった。戦前の14歳から戦後の20歳頃までに10報もの蝶などの観察記録を昆虫関係の雑誌に発表している。しかし、杉の本領は雑誌の編集にあった。絵も好きであったので10代に10数編の手作り本を作っている。

 1945年7月には「蟲界速報」という雑誌を創刊した。紙面はすべて16歳でカリエスを病む杉俊郎の手書きで石版印刷された。その後活版印刷になったがその第一号には共同編集者のつてで柳田国男「蟻地獄と子供」が連載されたと言うから驚く。戦後の物資不足、インフレの中で「蟲界速報」は昆虫研究者、愛好者の情報交換誌として35号まで出版された。

「蟲界速報」に載った杉俊郎の文章は季節感に溢れる。例えば昭和21年3月1日号:

小春日*陽射しは柔らかに納屋に照り、梅の香が縁先にまで漂ってくる。年老いた猫も炬燵から下りて縁に来て顔を洗っている。全くのどかだ。陽を受けていると何もしないで何時までもじっとこうしていたくなる。落葉樹の芽も萌え出た。鶯の囀りも聞こえる。空も淡く霞んで本当に春が来たのだと感じる。(p46)。

 17歳、俳人のような季節の描写。小学校3年までで学校には通わず、多くの本を読んで文章を磨いたと著者は言う。

「蟲界速報」の後は「蟲・自然」、さらにもう少し本格的な「生態昆虫」を刊行。昆虫の研究は単なる虫の記録からその生活史の究明に進むべきだと杉は常々主張していた。優れた見識だと思う。杉は書籍の刊行のために自ら陸水社という出版社を創る。陸水社の単行本には今西錦司『動物社会の論理』昭和33年といった本もある。

 亡き叔父に倣ったのだろう、鶴田徹さんも自著『元老院議官 鶴田皓 ――日本近代法典編纂の軌跡――』の出版に際し出版社を作り、本書はその「鶴鳴社」から発刊された。

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書名 ゼロからわかるケルト神話とアーサー王伝説 著者 かみゆ歴史編集部 No
2025-8
発行所 文庫ぎんが堂 発行年 2019年 読了年月日 2025-03-05 記入年月日

 これも「ゼロからわかる」と前書きの付いた神話シリーズ。神話で遊ぶ俳句の台本。15ヶ月にわたったこのシリーズも昨日最後の投句をした。

 前回の『メソポタミア神話』と全く同じ形式で書かれていて、人物ひとりに見開き2ページ、主要な人物にはアニメ風の1ページの挿絵と、概説が突いている。作句は本書の記述を基本とするが、ほとんどの場合ネットを引いてもう少し詳しい情報を得て行った。前回のメソポタミア神話に比べて、アーサー王とか、ランスロロットなど名前は聞いたことのある人物が登場する。もっとも彼らは名前だけ知っていてどんな人物でどんな活躍をするのかは初めて知った。

 後世には騎士道として賛美されるものが、実際は殺伐とした殺し合いだったことが分かる。

 本書に触発されて本棚にほこりをかぶっていたブルフィンチの『中世騎士物語』、チョーサーの『カンタベリー物語』、そして漱石の『薤露行』を読んだことは収穫だった。

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書名 戦艦大和ノ最期 著者 吉田満 No
2025-9
発行所 講談社文芸文庫 発行年 1994年 読了年月日 2025-03-17 記入年月日

 次次に襲ってくる米軍機の攻撃に吹き飛ばされバラバラになった同量の肉体、沈没した大和から海中に放り出されて、自爆する大和、沈みゆく大和の作る渦に飲み込まれてゆく兵士・・・すさまじい戦闘シーンが描かれる。作者が生き延びたのが不思議というか奇跡と思える。作者自身も何度も自身の幸運を口にする。本書は敗戦直後、一日で書き上げたという。

 
昭和十九年末ヨリワレ少尉、副電測士トシテ「大和」ニ勤務ス。で始まる。著者吉田満21歳である。昭和20年3月29日呉軍港から大和は出港。この時点では出撃とはなっておらず、このような突然の出港は前例が無いので、あるいは出撃かと思った。

 後に判明したのだが、この作戦にこの艦隊の司令長官伊藤は当初より強く反対した。その論拠の一つは、空軍護衛機が皆無であること。

 4月5日、大和及び第二水雷戦隊に海上特攻として沖縄方面への出撃命令が出る。この日、著者ら下士官は戦艦対航空機の優劣を激論する。戦艦優位を主張する者はなかった。

 4月6日、駆逐艦よりの燃料搭載作業。訓練のため乗っていた士官候補生退艦。さらに退勤他部署への転勤辞令の出た者も退艦。出撃を前に退艦はまことの残念であるという彼らの口吻に「
危ウク虎口ヲ脱セシ安堵窺ワル」と記す。午後4時出撃、総員3332名。

 豊後水道を直進する大和の艦橋の中央に立って哨戒の直についた著者の右2メートルには長官(中将)、左1メートルには参謀長(少将)がおり、「
新参ノ学徒兵トシテ、コノ身ノ幸運ヲ想ウ

 艦橋にて作戦談を聞くとして、沖縄突入は表面の目的に過ぎず、真の目的は、米精鋭機動部隊の集中攻撃の標的にほかならないと記す。それゆえ、全艦の燃料搭載量は往路を満たすのみで、帰還の方策、成否は一顧だにされていなかった。この話は私でも知っている大和出撃の目的で、大和が沈んだ後に明らかになったことだと思っていたが、すでに大和の下士官クラスには共有されていたのだ。

 終戦後の釈明によれば、駆逐艦30隻相当の重油を食らう巨艦の維持は益々困難になり、また神風特攻機に対する水上部隊の面子もあってあえて敢行した作戦であり、6隻の優秀な戦艦と数千人の人名を喪失した。

 士官の間の激論が続くが、作戦の必敗論が圧倒的に強いと記す。

 4月7日、黎明に大隅海峡を通過。夜は潜水艦、昼は航空機が常に監視している。これは著者の任務が今で言うレーダー観測であったからだろう。「
出動以来、ワガ動静ハ隈ナク把握セラレツツアリ

 7日12時過ぎ、敵機来襲。最初のグラマン2機は、霧のごとき小雨のため、「
機影発見スルモ至近ニ過ギ、照準至難、最悪ノ形勢ナリ」。続いて百機以上の編隊が突入してくる。艦長の命令「射撃始メ」で高角砲24門、機関銃120門が一瞬で砲火を開く。

 伊藤司令長官は、本艦の傾覆まで砲煙弾雨の中、終始腕組みをして巌の如く動かなかった。最後は私室に入り扉を閉めたままであった。官を賭しての反対を押し切られての作戦であれば、長官としてこれを主導するを潔しとしなかったのだろうか。海戦史に残るべき無謀愚劣な作戦の、最高責任者として名を止むる宿命への無言の反抗か。(p69~70)

 著者の持ち場である電探室は直撃された。駆けつけてみると、四周に鉄壁をめぐらせた電探室は真っ二つに裂けていた。整備に整備を重ねてきた兵器は四散して残骸すら残っていなかった。一切が吹き飛ばされたかと見れば、壊れた壁の腰に叩きつけられた肉塊。四肢、首などの突出物をもがれた胴体だ。4体を認め、抱きかかえて自分の前に置く。・・・他の8名は飛散して屍臭すら漂わず。(p78~79)
空戦ノ利刃、対空電探、カクテ緒戦ニ粉砕サル

 以後空からの波状攻撃。海からは魚雷を受け、バランスをとるために船体への注水が行われる。退避命令が遅すぎて、注水に飲み込まれる機関室員。

 著者は圧倒的な技術力の差を指摘する。そして米軍への賞賛さえも述べられる。「
戦闘終了マデ、体当リノ軽挙ニ出ズルモノ一機モナシ。正確、緻密、沈着ナル「ベスト・コース」ノ反復ハ、一種ノ「スポーツマンシップ」ニモ似タル爽快味ヲ残ス。我ラノ窺イ知ラザル強サ、底知レヌ迫力ナリ。」(p92)

 護衛艦もやられる。「朝霧」は「敵機30機と交戦中」との通信を最後に消息を絶つ。爆沈し、一名の生存者もなかったという。

 「
窓ヲヨジリ出デ、未練ニモ振向ケバ、イトシキ艦橋ヨ、横転シテホノ暗シ。意外ニ狭ク穴ノ如クナルニ心打タル」と脱出の瞬間を記す。(p122)、その後に以下の記述があるが、伝聞ではなく、著者が見たこととして書かれている。

 航海長、掌航海長はともに再三の脱出のすすめも固辞し、身体の三カ所を固縛して船と運命を共にする。著者は艦橋にあって有賀艦長の最後も見とどける。鉄兜、防弾チョッキ姿で、身三カ所を羅針儀に固縛する。

 大和は90度傾いたため、砲弾がすべり、壁に当たり次次に爆発する。自爆に飛び散る弾片が海に漂う兵士を襲う。著者らは艦体の陰にあったためにその被害を免れた。沈みゆく大和の煙突に飲まれたものも多数であった。生還後、全生還者の入水後の位置を図示したもものを見て、著者は5歩右にいたら危なかったろうという。
 以後は重油の海を漂い、駆逐艦に救助される。その間も、著者は幸運に恵まれる。

 徳之島ノ北西二百浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨体四裂ス。水深四百三十米。今ナオ埋没スル三千ノ胸中果シテ如何。で本書は終わる。

 主に歴史を知るという観点から本書を見てきたが、本書のもう一つの読みどころは、筆者が接した隊員個人のそれぞれのエピソードだろう。彼らの戦争への思い、国への思い、家族への思い、艦内でのちょっとした出来事など。

 本書が出た当時、戦争賛美だという非難があったという。読んだ限りではそのようなものはまったく感じなかった。淡淡と事実を記すことで、戦争の悲惨さを示す反戦の書ではないか。

 著者はその後日銀の監事になっている。

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書名 竹下しづの女の百句 著者 坂本宮尾 No
2025-10
発行所 ふらんす堂 発行年 2024年9月 読了年月日 2025-03-19 記入年月日

 天為同人の丸谷三砂さんからプレゼントされた。著者の坂本宮尾さんには『真実の久女』というすぐれた評伝があり、すでに読んでいる。
 サブタイトルは「新領域の開拓者」

 竹下しづの女という俳人については何も知らないが、一つだけ歳時記にある次の句を知っていて、すごい句だなと印象に強く残っている。

短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)

 見開きの右に1句、左に解説という構成で、句を味わいながらしづの女の生涯を知ることが出来、なかなか良い書き方だ。

 明治20年、福岡県生まれ、福岡県の女子師範学校卒。俳句を始めたのは大正8年。昭和8年夫が亡くなり、終戦直前には長男も結核で失う。しづの女が亡くなったのは昭和26年、64歳。
 情緒より理性を重んじる独特の俳風で、しっかりと個人が確立している。

警報灯魔の眼にも似て野分かな
固き帯肌おしぬぎて種痘かな  種痘は晩春の季語
婢少(わか)く背の子概ね日傘の外  這は「この」とよむ 婢はお手伝いさん
短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎
処女二十歳に夏痩せがなにピアノ弾け

畑打つて酔へるがごとき疲れかな
茸狩るやゆんづる張つて月既に
ことごとく夫の遺筆や種子袋
蓼咲いて葦咲いて日とっとっと
緑蔭や矢を獲ては鳴る白き的

痩せて男肥えて女や走馬灯
翡翠の飛ばぬゆゑ吾もあゆまざる
紅塵を吸うて肉(しし)とす五月鯉
夜学の灯断つて機と征き艦と征き
たんぽぽの女の智慧と黄金なり

吾が視線水平に伸びそこに鵙
人死なせ来し医師さぶし吾子を診る
征く吾子に月明の茄子捥ぎ炊ぐ(かしぐ)
国を裁つは誰が手ぞ吾が手単衣裁つ
つくくつし夕べの風を手折り来る

夕顔ひらく女はそそのかされ易く
米提げてもどる独りの天の川
絶つべきの愛情は絶つ利鎌月(とがまつき)
高く高く高く高くと鵙が吾が
黄砂来と涸れし乳房が血をそそる
ペンが生む字句が悲しと蛾が挑む

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書名 NEXUS(ネクサス)情報の人類史(上) 著者 ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之訳 No
2025-11
発行所 河出書房新社 発行年 25年3月30日 読了年月日 2025-03-29 記入年月日

 ネットで紹介されていた。サブタイトルは「人間のネットワーク」。NEXUS(ネクサス)とは本書には「つながり」「結びつき」「絆」「中心」「中枢」などの意としている。

 聖書、教会、魔女狩り、ギリシャ、ローマ帝国、DNA、近代科学、民主主義と全体主義、スターリン時代のソ連、ナチズム、中央集権と分散型等を広範な史料を引用して情報という観点から説いたもの。

下巻はAIが情報を支配したら

本書から
 
人類は大規模な協力のネットワークを構築することで途方もない力を獲得するものの、そうしたネットワークは、その構築の仕方のせいで力を無分別に使いやすくなってしまっているというのが、本書の核心を成す主張だ。というわけで、私たちの問題はネットワークの問題なのだ。されに具体的に言えば、それは情報の問題ということになる。(p10)

……サ
ピエンスが世界を征服したのは、情報を現実の正確な地図に変える才能があるからではなかった。成功の秘訣はむしろ、情報を利用して大勢の人を結びつける才能があるからだ。不幸にもこの能力は嘘や誤りや空想を信じることと分かち難く結びついている場合が多い。だからこれまで、ナチスドイツやソ連のような、テクノロジーが発達した社会でさえ、妄想的な考えを抱きがちだったのであり、そうした妄想によって、必ずしも弱体化しなかったのだ。それどころか、人種や階級といったものについての、ナチスドイツやスターリン主義のイデオロギーのよううな集団妄想は現に、何千万もの人々に足並みを揃えていっしょに進ませる上で役に立った。(p53)

 
物語や、歴史上の他のあらゆる情報テクノロジーと同じで、文書も現実を必ずしも正確に表してはいなかった。 中略 だが、正誤はともかく、文書は新たな現実を創り出した。文書が財産や税や支払いのリストを記録してくれたおかげで、行政制度や国王、宗教団体、交易ネットワークを生み出すのがはるかに楽になった。より具体的に言えば、文書は共同主観的現実を創出するために使われる方法を変えた。口承文化では、共同主観的現実は、多くの人が口で繰り返し、頭に入れておける物語を語ることで創り出された。したがって、人間が創り出せる種類の共同主観的現実には脳の容量という限界があった。人間は脳が」記憶できない共同主観的現実は創出できなかった
 
ところがこの限界は、文書を書くことによって乗り越えることができた。文書は、客観的で経験的な現実を表してはいなかった。文書そのものが現実だったのだ。……そのために文書は前例やモデルを提供し、それはやがてコンピュータに使われるようになる。共同主観的現実を創出するコンピュータの能力は、粘土板や紙片の力の延長線上にある。(p88~89)

 
情報ネットワークの歴史の中では、近世ヨーロッパにおける印刷革命は、それまでのカトリック教会が維持してきたヨーロッパの情報ネットワークの完全な支配体制を打ち破った勝利の時として、たいてい称賛される。人々が以前よりはるかに自由に情報を交換できるようになり、それが科学革命につながったとされるている。それにも一理ある。印刷術がなければ、コペルニクスやガリレオらはきっと。自分の考えを練り上げて広めるのが格段に難しくなっていたことだろう。

 
だが、印刷術は科学革命の根本原因ではなかった。印刷術にできたのは、文書を忠実に複製することだけだった。印刷機には、独自の新しい考えを思いつく能力はまったくなかった。印刷術を科学と結びつける人は、より多くの情報を生み出して広めるだけで、必ず人々を真実へと導けるものと思い込んでいる。実際には、印刷術のおかげで科学的な事実だけではなく宗教的な幻想やフェイクニュースや陰謀論もまた、急速に拡散するようになった。後者の最も悪名高い例は、魔王が率いる魔女たちの世界的な陰謀とされるものを人々が信じたことだろう。それが熱狂的な魔女狩りにつながり、近世ヨーロッパはその波に呑みまてた。(p144)
 この後魔女と魔女狩りの話が続く。

 
ヨーロッパでの熱狂的な魔女狩りは、中世の現象ではなく、むしろ近世の現象だったのだ。(p145)

 コペルニクスについて
 
地動説を唱えたコペルニクスの『天体の回転について』は1543年の初版400部は完売に至らなかった。第三版が登場したのは1617年であったと述べ「それは空前絶後のワーストセラーだった。科学革命を本当に勢いづけたのは、印刷機でもなければ、完全に自由な情報市場でもなく、人間の可謬性という問題への斬新なアプローチだった。」(p155)

 
教会はたいてい、不可謬の聖典という形で絶対的な真実を手にしているから教会を信頼するようにと人々に言った。科学の機関はそれとは対照的に、機関自体の誤りを暴いて正す強力な自己修正メカニズムを持っていたから権威が得られた。科学革命の原動力は、印刷というテクノロジーではなく、このような自己修正メカニズムだった。(p157)

 科学における自己修正メカニズムの例としてダニエル・シュヒトマンの準結晶のことを取り上げている(p169~)。後に準結晶と呼ばれるものを発見したというシュヒトマンの報告に対し、ライナス・ポーリングを初め、大家が個人攻撃を交えた批判をした。しかし、最終的にはシュヒトマンの発見は認められ、2011年にノーベル化学賞を受賞したという。

 自己修正メカニズムの限界
 
カトリック教会やソ連共産党の機関が強力な自己修正メカニズムを避けたのには理由がある。そうしたメカニズムは真理の追究には重要極まりないが、秩序の維持の点では高くつく。強力な自己修正メカニズムは、疑いや意見の相違、対立、不和を生み出したり、社会の秩序を保っている神話を損なったりしがちだからだ。(p172)

 可謬性、不可謬性、自己修正メカニズムと言う言葉は本書のキーワードでよく出てくる。

 
私たちは、古代アテナイやローマ帝国、アメリカ、ソ連のような歴史的システムにおける情報の政治学を理解して初めて、AIの台頭が持つ画期的意味合いを探る準備が整う。なぜなら、AIにまつわる重大な疑問の一つは、AIが民主的な自己修正メカニズムを助けるか、それとも損なうか、だからだ。(p174)

 
要するに、独裁社会は強力な自己修正メカニズムを欠いた中央集権型の情報ネットワークだ。それとは対照的に、民主社会は強力な自己修正メカニズムを持つ分散型の情報ネットワークだ。(p176)

 
強権的な指導者が民主制を切り崩すのに使う最もありふれた方法は、自己修正メカニズムを一つ、また一つと攻撃するというものであり、手始めに標的とされるのは、裁判所とメディアであることが多い。典型的な独裁者は、裁判所の権限を奪ったり、忠実な支持者だらけにしたりするとともに、独立した報道機関をすべて閉鎖しようとする一方で、自らのプロパガンダ機関を構築して至る所に浸透させる。(p180)。これはまるで今トランプがやっていることだ。

 
考古学と人類学の証拠から判断すると、民主制は古代の狩猟採集民の間では、最も典型的な政治制度であったようだ。もちろん、石器時代の生活集団は選挙や裁判所や報道機関のような正式の制度や機関は持たなかったが、彼らの情報ネットワークはたいてい分散型で、自己修正の機会をたっぷりと与えるものだった。(p197)

 
近代的なテクノロジーのおかげで、大規模な民主制だけでなく大規模な全体主義も可能になった。一九世紀に工業経済が台頭し始めると、政府は以前よりはるかに多くの行政官を雇い、電信やラジオといった新しい情報テクノロジーによって、それらの行政官をみな、素早くつなげて監督できるようになった。これにより、情報と権力の前代未聞の集中が促された。それを夢見てきた人々の願いがかなったのだ。
 
ボルシェヴィキは一九一七年の革命の後、ロシアの支配権を奪ったとき、まさにその夢に突き動かされていた。中略  彼らは、自分たちの構想や方法に疑問を投げ掛けかねないような自己修正メカニズムは何であろうと容認することを拒んだ。ボルシェヴィキ党はカトリック教会と同じで、個々の党員が誤りを犯すことはあるかもしれないが、党そのものはつねに正しいと確信していた。ボルシェヴィキは自らの不可謬性を信じていたので、選挙や独立した裁判所、政府の統制を受けない自由な報道機関、野党といった、ロシアの創生期の民主的な制度や機関を破壊し、全体主義の一党独裁政権を打ち立てた。(p225~226)

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書名 睡眠の起源 著者 金谷啓之 No
2025-12
発行所 講談社現代新書 発行年 読了年月日 2025-04-09 記入年月日

 ネットで取り上げられていた。

 筆者は1998年生まれの若い科学者。若い研究者にしてはテーマが大きすぎたのではないか。気負いすぎて余分な話が多く、分かりにくい。また、概論的で説明が大雑把である。例えば、体内時計の話なども、遺伝子が体内リズムを支配していると書き、DNA、メッセンジャーRNA、タンパク質の関係を説明するが、それが一日の中のリズムを産み出す詳細については説明がない。

 著者自身のヒドラの研究を通して睡眠は脳の支配下にはないと述べる。ヒドラには脳がないのに睡眠現象が見られ、その眠りのメカニズムはショウジョウバエや哺乳類などの他の動物と共通している。これが本書の一番のポイント。

本書から
睡眠の二過程モデル(p70)
 睡眠は睡眠圧と体内時計という二つの成分によって調整されている。睡眠圧とは覚醒の間に高まっていく眠らせようとする力。体内時計というのは逆に起こそうとする力で、24時間サイクルで繰り返される。睡眠は睡眠圧と体内時計による覚醒圧の差が大きくなったときに起きる。この差がなくなったときに目覚める。体内時計の仕組みは遺伝子が関与していることはすでに明らかになっているが、本書ではその詳しい説明はない。

 睡眠圧を高める物質としてプロスタグランジンD2などが同定されている。(p55)

吸入麻酔薬の標的となるタンパク質は、未だよく分かっていない。一八四〇年代から約一八〇年、なぜ効くのか分からないまま使われているのである。(p164)

意識についてのケンブリッジ宣言(2012年)
 
「新物質(大脳皮質のうち進化的に新しい部位で、哺乳類のみが有している)がないことにより、生物の感情状態を妨げられるとは考えられない。これまでに蓄積されてきた証拠は、ヒト以外の動物が、意図的な行動を示す能力とともに、意識状態の神経解剖学的、神経化学的、及び神経生理学的な基盤を備えていることを示している。このことは、意識の神経学的基盤を有する動物として、ヒトが特別でないということを示している。すべての哺乳類と鳥類、タコを含めた多くの非ヒト動物が、意識基盤をもっている。」(p168)」

 
全身麻酔は、動物の意識を完全に消失させる。・・・吸入麻酔薬が作用するのはヒトやマウスだけではない。鳥類に加え、魚や昆虫、線虫などありとあらゆる生物に対して作用する。ゾウリムシでさえ吸入麻酔薬に晒すと動かなくなって、外部からの刺激に反応しなくなる。興味深いことに、吸入麻酔薬は植物にだって作用する。オジギソウを麻酔薬に曝露させると、代謝が下がり、刺激に応じて葉を開閉させる反応が見られなくなる。そして麻酔の投与を止めると、再び反応性を示すようになるのだ。それを「覚醒」と呼ぶか、「意識」と呼ぶか――科学は未だ答えを出せていない。(p173)

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書名 維新暗殺秘録 著者 平尾道雄 No
2025-13
発行所 講談社学術文庫 発行年 2025年3月 読了年月日 2025-04-17 記入年月日

 これもネットで紹介されていた。

 初版は昭和5年だから今から95年前。本書の最初に取り上げられたのは井伊直弼の暗殺は、万延元年、1860年だから、本書刊行の75年前。太平洋戦争の開戦は今から84年前だから、本書の書かれた時点から明治維新を振り返ることは、今の時点であの戦争を振り返ることよりも身近であったのだ。

 巻末の解説によれば、幕末維新のわずか十数年の間に二百数十件もの暗殺が記録されているという。本書はそのうちの30件を取り上げ、時系列で記した。

 井伊直弼、吉田東洋から始まり、佐久間象山、坂本龍馬などをへて、大村益次郎、広沢真臣に終わる。ここに挙げたビッグネームにはなじみがあるが、初めて聞く名前も多い。暗殺者は尊皇攘夷を唱える志士とされる人物が主体で、暗殺されるのは佐幕派が多いが、龍馬のような逆の場合もある。

 本書は暗殺者グループの名前を漏らさずあげて当時の身分を記していて、暗殺後の消息も触れている。また、いわゆる斬奸状で自分らの行為の正当性を訴える。多くの場合漢文で書かれた斬奸状も本書ではほとんどの事例で記されている。

 有名な国学者である塙保己一の息子でやはり国学者の塙次郎も暗殺された。学籍の上では父の及ばなかったが、幕府に仕えていて、幕末維新前夜に廃帝の古例調査の疑いを受けて非業の最期を遂げた。幕府の廃帝説は、それが根拠のない風説であったにしても、当時の勤皇派の志士たちの血をかきたて、倒幕論につよい理由をあたえたことは否定できない。と本書は述べる。(p65)以下本書から:

 
その塙次郎を切ったのは長州の伊藤俊輔(博文)と山尾庸三の二人であった。これは後年、伊藤博文が告白したものだと、田中光顕(顕助)が伝えている。
 文久二年(1862)十二月二十一日のことである。塙次郎は知人の中坊陽之助を江戸駿河台の屋敷にたずね、夜に入ってから三番町の自宅へかえってきた。伊藤俊輔ら二人の刺客は、その門前に待ちかまえていた。提灯の明かりに塙次郎の顔をたしかめると、「奸賊、覚悟」と抜き打ちに斬って捨てる。その場で首を落とし麹町九段上まで持ち走った。その首をその辺の黒板塀の忍返しにさらしたのである。
 塙次郎儀、御国体を弁へながら幕府に加担して承久の故事を調査し、その陰謀に与れること明白なり。今月今日、天に代って成敗を加ふるもの也。
 この咎書は伊藤俊輔が自ら板ぎれに書いたものと言われ、翌十二月二十二日には日本橋、麹町三丁目にもほとんど同趣旨の罪状が掲げられていたのである。
(p66~67)

 同じような国学者で、鈴木重胤、中村敬介も襲われた。鈴木は殺され、中村は間一髪母親の機転で逃れ、後年文学博士、貴族院議員となり『西国立志伝』『自由之理』等の翻訳があると言う。

 暗殺者の多くは捕らえられて処刑されているが、伊藤博文は追求を逃れたのが不思議だ。

 テロリズムもここまでくると狂気の沙汰だ。しかもそれが後の明治政府の元老の手によって行われたことに言葉もない。もっとも、伊藤自身もハルビンで暗殺されたが。

 坂本龍馬と中岡慎太郎については本書は見廻組頭佐々木唯三郎他6人の犯行としている。これはメンバーのひとり、今井信郞が明治維新後に自白したことによる。今井は龍馬暗殺後は戊辰戦争で函館まで行って戦い、捕虜となった。彼は禁固刑の判決を受け、静岡藩に引き渡された。佐々木唯三郎他二名は鳥羽伏見の戦いで戦死し、他の者の消息は不明である。(p237)


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書名 日本を開国させた男、松平忠固 著者 関良基 No
2025-14
発行所 作品社 発行年 2020年11月 読了年月日 2025-04-21 記入年月日

 上田から毎月下重暁子のエッセイ教室に通ってくる清水まり子さんが、今月の作品に幕末の上田藩主、松平忠固のことを書いてきた。今月のテーマは転勤であったが、松平忠固は姫路藩主の十男で、養子として上田藩主にむかえられた。私には全くなじみのない名前だった。清水さんのエッセイでは、松平忠固は幕末の激動期に老中となり、堀田正睦と共に決断し、天皇の勅許を得ることなく日米修好通商条約を結び老中を解任された。幕府の責任回避のため、井伊大老の策略の犠牲になったと考えられていると書いてきた。そして、もっと松平忠固が評価されるべきだという。

 開国に際しての幕府側の努力を私は高く買っていて、井伊直弼、堀田正睦、阿部正弘、岩瀬忠震、川路聖護などは高く評価しているが、松平忠固の名前は私の記憶にはない。幕末維新史関連の本はかなり読んでいるので、読書ノートの中に松平忠固に触れたものがあるか検索してみた。1件だけヒットした。
松岡英夫著『岩瀬忠震』(中公新書、昭和54年刊)だ。

 松岡は井伊大老就任は保守派による一種のクーデターで、それを画策したのが松平忠固であるとする。その傍証として『昨夢紀事』のに記された、松平春嶽、伊達宗城、山内豊信の懇談を以下のように引用している(p161):「
もとより大老は不学無術の人なれば、さしたる伎倆はあるまじけれど、伊賀といえる奸物の附添ありて蠱惑せるなれば、伊賀をだにしりぞけれなば、大老は土偶人の如くなるべけれとて・・・

 これは井伊大老就任直後の春嶽らの感想だ。完全に井伊の力を見くびっている。ここで「伊賀」というのは、松平忠固である。もっとも松平忠固は、堀田正睦とともに井伊により老中の座から追われている。忠固の増長も原因だが、慶喜派の堀田を切ったのと抱き合わせにして、一橋派への政治的配慮をしたのだろうと、松岡はいう。
 どうやらこれが松平忠固に対する一般的な見方のようだ。

 本書はこの見方を頭から真っ向反論する。
 本書の最大の論点は、日米修好通商条約の調印は、井伊直弼の決断ではなく堀田と松平忠固の決断であるとする点だ。

 安政5年(1858年)6月19日の午前、条約調印の可否をめぐって幕閣の評議があった。その席で、井伊大老は「京都の意向を厚く尊重し、それこそ最優先に考えてもらいたいと言葉を尽くした」という。それに猛然と反論したのが忠固であった。井伊本人がその日の夕方、松平慶永に語ったことによれば、忠固は次のように主張したという。

公卿の希望にかなうようなどと議論をはじめれば、それはきりのないことである。いまこの江戸において決めてしまわなければ、我々は覇府としての権威も失い、好機も逃し、天下の大事を誤ってしまう」(『昨夢紀事』の現代語訳)

 井伊はその午後、井上清直と岩瀬忠震を呼び寄せ「天朝からの勅許が得られるまで、調印を先延ばしせよ」と命令した。井上は「仰せの通りにしたいと思いますが、どうしようもなくなった場合は調印してもよいですか」と問う。直弼は「その場合は致し方ないが、なるべく引き延ばせ」と回答したとされる。『史料公用方秘録』。

 その場合は仕方ないという言質を取った井上と岩瀬はポーハンタ号に赴き、躊躇することなく調印に踏み切った。当然ながら井上も岩瀬も忠固の意見に賛成であった。
 このピソードを引いて、忠固が開国の決断を導いたと本書は言う。(p129~131)。

 忠固は堀田とともに4日後の23日に罷免され、謹慎を命じられる。この辺りの事情は将軍継嗣問題に絡む一橋派の弾圧とも見られるが、よく分からない。堀田は一橋慶喜を推したが、紀伊派と見られている忠固は本書では途中から一橋派に心を寄せたように書いてある。謹慎から1年3ヶ月後に、上田に戻ることなく江戸藩邸で死去する。藩邸では家臣を集め「交易は世界の通道なり、皇国の前途を公益により大いに隆盛を図るべきなり」と説いた。実際上田藩は忠固の下で養蚕業に力を入れていて、蚕の品種改良などを行っており、開港にともないその生糸は海外で高く評価された。生糸の輸出による収益は日本の近代化の大きな資力となった。著者は開国と並んで養蚕業の振興を図ったことを忠固の二大業績としている。

 「日米修好通商条約は不平等条約ではない」と本書は強調し、幕府をおとしめるために作られた不平等条約史観をつよく否定する。その主張の根拠は、幕府が結んだ条約では日本に20%の輸入関税が認められていた。インドや中国はイギリスとの協定で5%という低関税率を押しつけられたことを見れば、日本の20%という関税は幕府外交の勝利だとする。

 本書160p以下には、
アメリカは、近代国家建設における関税の重要性を認識していた。それゆえハリスは日本が高い関税率を課すことを後押しした。・・・一八世紀後半から一九世紀初頭まで、連邦政府の歳入はほぼ関税に依存しており、歳入に占める関税の比率は九〇%を超えていた。・・・アメリカは、南北戦争以降においては、四〇%以上という高率な関税を課してイギリスの工業製品に対抗し、国内産業を保護・育成しようとした
 昨今の世界を揺るがすトランプ政権の関税政策は伝統的なアメリカの政策に根差しているのだ。

 日本はアメリカに最恵国待遇をあたえたが、アメリカは日本に最恵国待遇をあたえなかった。このことも不平等条約説の根拠であるが、著者は日本は5%の輸出関税を課することが認められ、一方アメリカは輸出関税を設定しないことで最恵国待遇をあたえないことと相殺したという。

 領事裁判権についても、著者は当時の国情を考えればむしろよかったとさえ言う。その理由はアメリカと日本の刑罰の重さが大きく違うことをあげる。日本では幕府への批判言動でも厳しく罰せられる。外国人に対して、日本の刑罰を適用することは、かえって反発を招くというのが主な理由だ。

 本書を貫くのは皇国史観と結びついた攘夷論への徹底した批判だ。その象徴として水戸斉昭への批判がことあるごとに述べられる。幕末の過激な攘夷派によるテロはまかり間違えば外国との戦争になり、日本の独立が侵されたかも知れないという。その典型例が4カ国艦隊に対する長州藩の敗北である。それはさらに薩摩、長州への批判となり、薩長主体で作られた明治新政府への批判、教育勅語に象徴される皇国史観と攘夷思想の行き着くところが今次大戦という見方まで展開される。

 私自身かなり共感する部分の多い本であった。
 著者は京都大学の農学部卒で農学博士。現在拓殖大学教授。意外な経歴だ。

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書名 紫式部日記 著者 紫式部、山本淳子編 No
2025-15
発行所 角川ソフィア文庫 発行年 平成21年 読了年月日 2025-05-06 記入年月日

 各段が現代語訳、原文、解説の順におさめられた一冊。
 こなれた現代訳、懇切な解説とも読みやすい。20版を重ねているのがうなずける。

 宮廷の生活の細かい点がよく分かる。大河ドラマ「光る君へ」のいくつかのシーンはこの日記によっている。典型的な例は、敦成親王生誕50日の祝宴での公家たちの醜態。この場面は式部日記が忠実に再現されていた。その他、ドラマで描かれた中宮彰子の物静かで、穏やかなではあるが芯のしっかりした性格も式部日記が捉えている。

 この日記の前半は敦良親王の生誕の記録を残すためのものである。生誕の際の大がかりの加持祈祷、御産の実際、そして生後の数々の祝。そんな中に、なかなか知り得ない平安貴族、あるいは中宮彰子の様子が描かれている。

 例えば道長。親王が生まれて一ヶ月もしない頃、夜中と言わず未明と言わず、乳母のところにやって来て懐を探る。そして首も据わらない親王を抱く。ぐっすり寝込んでいる乳母はわけも分からず寝ぼけ眼で目を覚ます。あるとき、親王はおしっこをして道長にひっかける。それでも道長は上機嫌で着ていた直衣を脱ぎ、几帳のうしろで女房にあぶらせた。

 後半は「消息体」と言われ、中宮彰子の後宮の様子。

著者(山本)は中宮彰子の後宮の様子を書いた日記から3つの問題点を指摘する。
 一つは後宮に能力のある女房に恵まれなかった。二つ目は中宮自身の性格が繊細過ぎて後宮が上品で抑制的で、消極的なものになっていること。そして三つめにその結果として男性貴族からはこの後宮は面白くないと見られたこと。定子自身の明朗闊達な性格の下、清少納言やその同僚のような才気あふれる女房たちが機知に満ちたやりとりを繰り広げた後宮を人々はなつかしんでいると著者は言う。清少納言の『枕草子』と読み比べると、著者のいうことはよく理解できる。

 その清少納言を論じた式部日記の中ではもっとも知られたところ。和泉式部、赤染衛門、そして清少納言と三人才女が俎上に載せられる。

 和泉式部は手紙、恋文のうまさを褒める。歌も見事だとするが頭を下げるような歌人とは思わない。赤染衛門は格調の高い歌風で、耳にする限り頭が下がる詠みぶりだ。
 そして清少納言:
清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。中略 そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ。

 最後のところの著者による現代語訳は;
その「上っ面だけの嘘」になってしまった人の成れの果ては、どうして良いものでございましょう。

 著者は文学史上最も効果のあったのはこの最後の一文であったという。この一文に促されて清少納言は晩年を田舎で過ごしたとか、京にいたが風流どころではない事件に巻き込まれたとかの推測がなされたという。そういう式部自身の晩年も分からず没年も不明であることを思えばなんとも皮肉だ。

 『枕草子』には、式部の夫藤原宣孝が金峯山寺詣での際に場違いな派手な服装をして周囲があきれたことが書かれている。式部の清少納言への痛烈な批判はその仕返しではないかという見方もあるようだ。しかし『枕草子』を読んだ限りでは、こういう人もいるよと紹介する程度の軽いもので、私には特に非難したものには見えない。

 式部自身は宮仕えに向いた性格ではなく、苦悩を抱えながらであったが、それを乗り越えて、立派な女房になっていくことが日記から読み取れる。

 日記は1008年の夏から1010年の正月まで。執筆は1010年の夏から秋にかけて。夫の藤原宣孝は1001年に死亡している。


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書名 今昔物語 著者 角川書店編 No
2025-16
発行所 角川ソフィア文庫 発行年 平成14年刊 読了年月日 2025-05-17 記入年月日

 現代訳、原文、解説の順に並ぶ。今昔物語の千数十に及ぶ説話から、よく知られたものをピックアップしてある。

 今昔物語と言えば、芥川龍之介の「鼻」、谷崎潤一郎の「少将滋幹の母」が題材にしたことは知っていたが、その他にどんな話かが書かれているかは知らない。紫式部、清少納言、藤原実資などの日記や著作は読んだが、それら上流階級とは違った平安朝庶民の暮らしぶりを知ってみたくて、手にした。

 天竺、中国、本朝の三部からなる。
 第1話は天竺の部の釈迦の誕生。私には初めて知る話だ。天上界に住んでいたボサツは人間界に生まれてブッダになる志を立てた。そしてカビラエ国のジョウボン王とその妃マヤ夫人を選んだ。夫人は就寝中にボサツが六本の牙のある白象に乗り、大空を飛んできて、夫人の右脇の下から体の中に入ったという夢を見た。ボサツが志を立てたとき五衰の相が現れた。それは生まれ変わり、つまり転生を意味するという。三島由紀夫が『豊饒の海』の最終部を『天人五衰』としたのは全編を貫く転生の思想の究極にある老衰という人生の真実を取り上げたものだと、解説される。

 天竺部は5話、中国部は1話、そして本朝部が23話本書には収められる。しかも、1話の全部が載っているのではなく、さわりの部分だけが掲載されている。今昔物語が膨大な説話集であることがわかる。

 本朝部の話は、人々の生活が生き生きと描かれていて、面白く興味深い。
 芥川の「鼻」の話は載っているが、谷崎の「少将滋幹の母」は載っていない。

 驚いたのは弘法大師がライバルの僧を祈り殺した話。嵯峨天皇の時代、空海とともに天皇を守護する護持僧に修円僧都がいた。あるとき天皇は修円が法力で栗を茹でたことを空海に話した。空海はそれでは私がいるとき修円を呼んで栗を茹でさせて下さいと言った。修円を呼んで茹でさせたがうまく行かなかった。空海が隠れていて法力を阻止したのだ。姿を現した空海を見て修円はそのことを悟り、二人の中は険悪なものになった。二人は相手を死ねと何度も期間をおいて祈りあった。弘法大師はある計略を追いついた。弟子たちに市場で葬儀用品を買わせ、空海は死んだと言わせた。弟子からそのことを聞いた修円は祈祷を終わった。空海は修円が祈祷を止めたことを聞くと、精魂を傾けて祈祷をしたのでやがて修円は死んでしまった。弘法井大師にはそぐわないすごい話だ。

 清少納言の夫、橘則光が剛刀一閃強盗一味を切り捨てた話は面白い。宮中の警護役で則光が若かった頃、夜抜け出して女のもとへ通う道で賊に襲われた。次次に襲ってくる三人の賊を身をかわしながら三人とも切り捨ててしまった。こんなことがばれるとまずいなと思って翌朝行ってみると、現場では人だかりがしていて、男が一人自慢げに、俺がやったと喋っていた。それで則光は安心したが、ずっと後になって、実は自分がやったことを明らかにしたという。切り捨てる剣の捌きの描写が詳しく、本書の解説では則光を元祖橘一刀流と称しても良いと言う。清少納言との間には息子則長がいる。清少納言とは離婚したが性格や教養レベルの差が禍したのではないかと解説はいう。

 紫式部の父、藤原為時が除目に際し詩を作り一条天皇に差し出して、この詩に感動した道長の口添えもあって、越前守に任官された話も載っている。これはそのままNHK大河ドラマ「光る君へ」で採用された。ちなみに為時の詩は

 
苦学寒夜 紅涙霑襟 除目後朝 蒼天在眼

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書名 三教指帰(さんごうしいき) 著者 空海著、加藤純隆、加藤精一訳 No
2025-17
発行所 角川ソフィア文庫 発行年 平成19年 読了年月日 2025-05-21 記入年月日

 真言宗はたまたま私の属する宗派である。開祖の空海の書いたものは読んだことがない。たまたまの『今昔物語』を読み、空海がライバル僧を祈り殺した話があり、また巻末の角川ソフィア文庫の既刊リストの中に本書を見つけたので手にした。

 兎角公(とかくこう)と名乗る空海が、蛭牙公子(しつがこうし)という粗暴で、礼儀や義理など全く無視し、飲酒、博打に耽るどうしようもない甥をまともな道に導いて欲しいと、儒教、道教、仏教の師に意見を求めるという構成。

 儒教は亀毛先生、道教は虚亡隠士(きょぶいんじ)、仏教は仮名乞児(かめいこつじ)の三師がそれぞれの信じるところを語る。そして、仏道に入ることが良いと言う結論を導く。

 空海は15歳の時上京し(当時は長岡京)、18歳で「大学寮」に入るが、中退する。本書を著したのは24歳の時。『三教指帰』は漢文、その書き下し文が現代語訳のほかに本書には掲載されている。驚くのは三つの教えに対する理解の深さだ。24歳にしてこれほどの学識を身につけていたのだ。特に儒教への理解が深い。仮名乞児を通して空海は仏教の優位を説くが、儒教や道教への強い非難はしていない。仏教は全体の真理で、儒教・道教は仏教の一部分であると説く。

 仮名乞児の話を聞き終わった亀毛先生と虚亡隠士の二人は、世俗を超えた最高の教えを聞いた、周公・孔子の説く儒教や、老子・荘子の説く道教は仏教と比較してなんと一面的であり、うわべの教えでしょうといい、今後は全身全霊をもって仮名乞児先生の慈しみ深い教えを身につけましょうという。

 仮名乞児の説く六道輪廻とか地獄とか大乗仏教の教義はわからないしなじめない。それに比べると儒教の現世的な立身とか、忠孝の考えはわかりやすい。道教の説く世俗の欲を離れ、仙人の境地に入るというのもわかる。

 仮名乞児は人生の無常を説く。仏教的無常感は平安末期の末法思想と結びつき阿弥陀仏信仰、浄土宗あたりから出て来たと私は漠然と思っていた。空海の時代にすでに強く意識されていたことを知った。


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書名 NEXUS(ネクサス)情報の人類史(下) 著者 ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之訳 No
2025-18
発行所 河出書房新社 発行年 2025年3月30日 読了年月日 2025年3月30日 記入年月日

サブタイトルは「AI革命」
 
AIの新の新しさとは何か?それは、自ら決定を下したり、新しい考えを生み出したりすることができようになった史上初のテクノロジーだという点にある。私たちは、ついに「人間のものとは別な異質の知能(エイリアン・インテリジェンス)」と対峙することになったのだ。
 カバーに書かれた文だ。本書ではAIをAlien Intelligence として使っている。

 本書の最初第6章「
新しいメンバー ――コンピューターは印刷機とどうちがうのか」にはコンピューター、あるいはアルゴリズムの持つ恐ろしい影響が示される。

 それは2016~17年に起こったミャンマーのロヒンギャで起こったイスラム教徒に対する民族浄化作戦だ。
ミャンマー軍と仏教徒の過激派が武器を持たないロヒンギャの一般人7000~25000人殺害した。この暴力はロヒンギャに向けられた強烈な憎しみに煽られたものだった。そしてその憎しみは多くがフェイスブックで拡散する反ロヒンギャプロパガンダに焚きつけられたものだった。(p13)

 仏教徒の穏健派と過激派との間で、
注意を引こうとする戦いがオンライン上で繰り広げられたとき、勝敗を決める力を振るったのがアルゴリズムだった。ユーザーのニュースフィードのトップに何を載せるかや、どのコンテンツを推薦するかや、フェイスブックのどのグループに加わるようにユーザーに薦めるかは、アルゴリズムがきめていたからだ。アルゴリズムは、慈悲についての説教や料理教室を推薦することも選択できただろうが、憎しみに満ちた陰謀論を拡散することに決めた。(p16)

 
なぜアルゴリズムは慈悲ではなくて憎悪を推奨したのか

 
当時の、フェイスブックのビジネスモデルは「ユーザーエンゲージメント」を最大化することを拠り所としていた。ユーザーエンゲージメントとはユーザーがプラットフォーム上で費やす時間と「いいね!」ボタンをクリックしたり、投稿を友人とシェアしたりするためなどの行った動作のことを指す。中略 すると、アルゴリズムは膨大な数のユーザーを対象に実験を行い、憤慨や憎悪を煽って攻撃的な言動に走らせるようなコンテンツがエンゲージメントを産み出すことを発見した。(p17)~)

 アルゴリズムは試行錯誤を繰り返しながら、憤慨や憎悪を煽って攻撃的な言動に走らせるようなコンテンツがユーザーエンゲージメントを生み出すことを学習し、上からの命令なしに、その種のコンテンツを推奨することに決めた。すなわち自ら学習し、自ら行動する能力こそがAIの特徴だ。
中略 これは史上初めての、人間以外の知能が下した決定に責任の一端がある組織的な民族浄化活動だったのだ。もっともこれが最後とはなりそうにない。中略 二〇二〇年代の初めには、アルゴリズムはすでに自らフェイクニュースや陰謀論まで創作する段階まで進んでいた。(p17~18)

 私自身に照らしてみると、ポータルサイトのマイクロソフトエッジを開くと、私の見たいサイトに近いものが並んでいる。ユーチューブも私がよく見る将棋の棋譜のサイトが優先的に表示されるが、こちらは個人攻撃(見ない)や低俗なゴシップ(たまに見る)のサイトもかなり表示される。私としては便利だと思うが、それは私の興味の対象がこれらのアルゴリズムにしっかりと把握されていることの証明だ。マイナンバーカードを保険証の代わりに使っているが、それは私の病歴がすべて記録され国家に握られていることだと気がついた。

 情報化社会の到来ということが言われたのは前世紀末の頃だったろうか。情報化社会になれば多くの情報を手軽に得られる便利な時代だと思っていた。当時、私個人のデーターも同様に簡単に他人に知られてしまうことまでは考えてもみなかった。

 一方で、本書には触れられていないが、2011年のいわゆるアラブの春で、エジプト、チュニジア、リビアで強権、独裁政権を崩壊させたのは、フェースブック情報の交換、伝播の力が大きかったとされた。

 
人間が何万年にもわたって地球という惑星を支配してきたのは、私たちだけが企業や通貨、神、国民といった共同主観的存在を創り出して維持し、そうした存在を利用して大規模な協力を組織することができたからだ。だが今やコンピューターは、それに匹敵する能力を獲得するかもしれない。
 これは必ずしも悪い事態ではない。コンピューターは、接続性と創造性を欠いていたら、たいして役に立たないだろう。私たちはしだいにコンピューターに頼り、自分のお金を管理させたり、乗り物を運転させたり、環境汚染を低減させたり、新しい薬を発見させたりしている。そして、それはコンピューターが直接互いに通信したり、私たちにはできない状況でパターンを見つけたり、私たちにはけっして思いつけないようなモデルを構築したりできるからにほかならない。私たちが直面している問題は、どうやってコンピューターから創造的な行為主体性をすべて奪うかではなく、どうやってコンピューターの創造性を正しい方向に導くかだ。それは私たちが、人間の創造性に関してつねに抱えてきたものと同じ問題だ。人間が発明した共同主観的存在は、文明のあらゆる業績の基盤となったが、十字軍の遠征や聖戦や魔女狩りにもつながることがあった。コンピューター間の存在はおそらく未来の文明の基盤になるだろう。だが、コンピューターは経験的データを集め、数学を使ってそれを分析するからといって、コンピューター版の魔女狩りを始めることがありえないというわけではない。
(p134)

 
文明は官僚制と神話の結合から誕生する。コンピューターベースのネットワークは新しい種類の官僚制であり、これまで私たちが目にしてきた人間ベースのどんな官僚制よりもはるかに協力で執拗だ。このネットワークはまた、コンピューター間神話を創作する可能性が高く、そのような神話は人間が生みだしたどんな神話よりも格段に複雑で、人間には思いもよらない異質のものになるだろう。このネットワークの潜在的な利点は途方もなく大きい。逆に、潜在的な欠点は人間の文明を破壊しかねないことだ。(p153)

 デジタル時代に民主社会がどうすれば生き延びて繁栄できるか:著者は4つ原則を挙げる。(p159~)

 第1は「善意」。
コンピューターネットワークが私につての情報を集めるとき、その情報は私を操作するのではなく助けるために使われるべきだ。

 第2は「分散化」。
民主社会は、すべての情報が一カ所に集中するのをけっして許すべきでない。各種のデーターベースの合併は非常に危険である。効率はよくなるが全体主義への道をいともたやすく開きやすい。

 第3の原則は「相互性」。
もし民主社会が個人の監視を強めるのなら、同時に政府や企業の監視も強めなければならない。

 第4は監視システムに「変化と休止」の両方の余地を残すこと。

創造性
 
創造性は、パターンを認識し、それからそのパターンを打破することというふうに、しばしば定義される。もしそうなら、多くの分野でコンピューターは私たちより創造的になりそうだ。なぜなら、コンピューターはパターン認識に秀でているからだ。
 さらに、感情的知能を感情を正しく認識して最適な形で反応することを意味するなら、コンピューターは感情的知能でも人間を凌ぐだろう。感情もパターンだ。怒りは私たちの体の中の生物的パターンにすぎない。恐れもやはり、その種のパターンだ。あなたが怒っていたり恐れていたりすることが、わたしにはどうしてわかるか?それは私が長年の間に、あなたの言葉の中身だけではなく声の調子や表情やボディランゲージも分析して、人間の感情のパターンを認識することを学んだからだ。
(p168)

トランプについて
 
・・・二〇一〇年代から二〇年代の初めには、多くの民主社会で保守政党がドナルド・トランプらの非保守的な指導者にハイジャックされ、過激な革命政党に変えられてしまった。アメリカの現共和党のような新種の保守政党は、既存の制度や伝統を維持するために最善を尽くす代わりに、そうした既存のものに強い不信の目を向ける。たとえば、彼らは科学者や公務員、世の中のために働いているその他エリートたちに対して、これまで払って当然だった敬意を退け、彼らを軽蔑の目で見る。中略  トランプの打ち出す政策は、既存の制度を破壊し、社会に大変革を起こすことを訴える。中略 多くのトランプ支持者は、連邦議事堂の襲撃を熱狂しながら見守った。トランプの支持者は、既存の制度は完全に機能不全に陥っているので、打ち壊してまったく新しい構造を一から築き上げる以外に選択肢はないと説明するかもしれない。だが、この見方は、正しいかどうかにかかわらず、保守派ではなく典型的な革命主義者のものだ。革新派は保守派の自滅にすっかり不意を撞かれ、アメリカの民主党のような革新派の政党は否応なく、旧来の秩序と既成の制度の守護者になった。(p175)。

 本書の日本の発行日は2025年3月30日だが、これはまさに現在進行中のことだ。

 
もし私たちが真に賢いのなら、なぜこれほど自滅的なことをするのだろう?私たちは地球上で最も賢いと同時に最も愚かな動物だ。飛び抜けて賢いので、核ミサイルやスーパーインテリジェンスを持つアルゴリズムを作ることができる。そして、飛び抜けて愚かなので、制御できるかどうか不確かなまま、そして、制御できなければ破滅を招きうるのにもかかわらず、かまわずそれらを作っている。なぜそんなことをするのか?自滅ヘの道を突き進ませるものが、何か私たちの本性の中にあるのか? 
 それは本性ではなく、情報ネットワークのせいだと、本書では主張してきた。人間の情報ネットワークは、真実よりも秩序を優先するせいで、これまでたびたび多くの力を生み出したが、知恵はほとんどもたらさなかった。たとえば、ナチスドイツは非常に効率的な軍隊を築き上げ、狂気の神話のために使った。それが途方もない規模の苦難と、何千万人もの人の死と、最終的にはナチスドイツに崩壊にもつながった。

 もちろん、力そのものは悪くはない。力は、賢く使えば恩恵をもたらす道具となりうる。たとえば現代文明は、飢饉を防ぎ、感染症を抑え込み、ハリケーンや地震のような自然災害の影響を緩和する力を獲得した。一般に、力を獲得すればネットワークは外部からの脅威により効果的に対処できるが、同時に、ネットワークがそれ自体に及ぼす危険も増す。ネットワークが強力になるにつれて、ネットワークそのものが生み出す物語の中にだけ存在する想像上の恐ろしい事物のほうが、自然災害よりも危険になりうるのだ。旱魃や豪雨に直面した現代国家は、そのような自然災害が国内に大規模な飢餓を引き起こすのを、たいてい防ぐことができる。だが、人間が作り上げた空想の虜になった現代国家は、一九三〇年代前半にソ連で起こったように、途方もない規模で人為的に飢餓を引き起こすことができる。
(ナチスドイツとスターリンのソ連は本書でよく引きあいにだされる例だ)

 
したがって、ネットワークが力をつけるにつれて、自己修正メカニズムがいっそう重要になる。(p271)

 
幸い私たちは、危険に気づかないまま自己満足したり、やみくもに絶望するのを避ければ、自らの力を制御し続けられるような、バランスのとれた情報ネットワークを創出することができる。そうするのは、新たな奇跡のテクノロジーを発明したり、これまでのすべての世代がなぜか見落としてきた素晴らしいアイデアを思いついたりするというのとは違う。より賢いネットワークを創り出すには、むしろ、情報についての素朴な見方とポピュリズムの見方の両方を捨て、不可謬という幻想を脇に押しやり、強力な自己修正メカニズムを持つ制度や機関を構築するという、困難でかなり平凡な仕事に熱心に取り組まなければならない。それがおそらく、本書が提供できる最も重要な教訓だろう。(p273)

 不可謬性の例として教会とソ連時代の共産党がよく引用される。

 105ページに「
私は二〇〇二年に最初期のLGBTQソーシャルメディアプラットフォームの一つで夫と出会った。」という一文があり驚いた。

 ウイキペディアを見ると、精悍な感じの男性で、カミングアウトしたとあった。
 現在エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教えるかたわら、ケンブリッジ大学生存リスク研究センターの特別研究員でもある。

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書名 The Coming Wave 、AI を封じ込めよ 著者 ムスタファ・スレイマン、マイケル・バスカー  上杉隼人訳 No
2025-19
発行所 日本経済新聞出版 発行年 2024年9月 読了年月日 2025-06-20 記入年月日

 表の帯には「AI、合成生物学、量子コンピュータが招く未曾有の大惨事!」とあり、さらに裏の帯には「来たるべき波は、史上最強かつ最大規模の失敗をもたらす可能性がある。全世界の注視が必要だ。どうすればよいか?答えはまだ誰も出していない。一見、封じ込めは不可能に見える。だが、全人類のために、封じ込めは可能にせねばならない。

 著者はAlphaGo を開発したDeepMind の共同創業者で、 Microsoft AI CEO。

本書から  226p~ 現在の状況を以下のように記す。
 情報を光の速さで広めるツールがなかった時代、新しいテクノロジーが目の前に現れると、当時の人々はそれが引き起こす影響を理解しないまま、場合によっては何十年もありがたく利用した。たとえ理解したとしても、その広範囲な影響を完全に認識するには、長い年月と、最終的には想像力を必要とした。だが、今日、世界はすべての人々の反応をリアルタイムで見ている。

 すべてがリークされ、コピーされ、反復開発され、改良される。多くの人が同じ分野で探求し、お互いの動向に注意し、発見から学び合っているから、必然的に誰かが次のブレイクスルーを見つける。封じ込めは期待できない。封じ込めようとしても、別の誰かが同じ発見をするか、類似の手法を見つけるからだ。戦略的な可能性、経済的利益、名誉といったインセンティブを見出す人々が、それそ追求する。

 これが、私たちが新しいテクノロジーに「ノー」と言えない理由だ。来たるべき波を阻止し、封じ込めることの難しさを説明している。今やテクノロジーは日常生活、社会、経済のあらゆる側面に浸透した不可欠なメガシステムであり、誰もそれなしではやっていけない。テクノロジー開発を追求するインセンティブはすでに深く根付いており、開発をさらに急進的に推し進める。新しいテクノロジーの方向性は誰も完全にコントロールできない。これははるか昔の哲学的な概念でも、技術決定論者の極論でも、現実離れしたカリフォルニアのテクノセントリズム(技術中心主義)の見方でもない。紛れもなく私たちが生きている世界、私たちがずっと昔から生活してきた世界の話だ。
 ついで228pには国家への期待が述べられる。意外にも国家による規制が本書の主張である。

 テクノロジーの封じ込めには、複雑で相互に強め合うダイナミクスを回避する必要がある。来たるべき波に影響を与えられる時間軸で、これを実行する方法を考えるのは難しい。解決策を示せるのは、政治体制を支え、社会が生み出すテクノロジーの最終責任を負う主体、すなわち「国民国家」だけだ。

 テクノロジー業界で強い影響力を持つ人の中には、国家主導の世界の終焉を強く願っている者もいる。国家はもはや邪魔者だと考えている。これらは著者とは根本的に異なる見解だと述べたあと: 237p

 私はロンドン育ちのイギリス人だが、シリアの血も半分引いている。シリアが近年経験した恐ろしい戦争に、家族も巻き込まれた。だから国家が破綻すればどうなるかがよくわかる。端的に言えば、想像を絶するひどさだ。悲惨だ。シリアで起こったようなことは「自分の国では決して起こらない」と思うのは、現実を甘く見ている。人間はどこにいても人間だ。私たちの国民国家体制は完璧ではない。完璧からは遠くかけ離れている。それにもかかわらず、なんとしても国民国家を強化し、保護しなければならない。国民国家を保護することは、本書の目的のひとつだ。

 波がもたらす不安定から私たちを救ってくれる魔法の解決策はなく、中期的に国民国家以外の選択肢は存在しない。

 本書は冒頭に用語解説がある。
 テクノロジー:広義の科学的知識を使い、ツールや実用的な効果を生み出すこと。
 波:新たな汎用技術を軸とした、新世代のテクノロジーが全世界に普及・拡散すること

 巻末に30ページを越す参考文献。

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書名 敦煌 著者 永井孝彦 No
2025-20
発行所 文学の森社 発行年 令和7年6月20日 読了年月日 2025-06-21 記入年月日

 天為同人永井孝彦さんの第7句集。
  巻末の著者略歴を見ると、私より5歳若い。俳句を始めたのは50歳近くになってからのようだが、すでに第7句集とは驚く。天為東京例会では顔を会わすがほとんど話したことはないが、今回初めて送られてきた。こういうケースは多いけれど、私も同人になり、名簿に住所が載ったので送られてきたのだろう。

 本句集の特徴はテーマに対する連作を中心としていること。そのテーマも多岐にわたっているのも驚きだった。
 例えばコロナ肺炎、帯状疱疹、心臓細胞などの病気。中でも後者二つは自身も罹って命に関わる病気でありながら、冷静に自己を見つめて、それをたくさんの句にしたためる。長い俳歴で培われた俳人魂を見る思いだ。

 そして、ベートーベン、古関裕而の音楽、次いで平安文学三点でのたくさんの作句。中でも「在五物語」への26句には驚きだ。
 最後は題名の『敦煌』ともなった西域シルクロードへの旅吟。

 西村我尼吾さんの「序」と永井さんの自薦句を見る前に私自身が拾い上げた句を以下に

糸の月見る春の夜の万歩計
綿虫や背負ふ荷を置く時の来て
富士ヶ嶺の白の厚みや風薫る
鴟尾遠く光りてゐたり返り花
星の恋鍵盤に置く長き指

運命の四連打音鷹渡る
英雄に葬送の章秋深し
星流るとんがり帽子の時計台
数寄屋橋知らぬ人なし星の恋
梅雨に入る政子の恋の急傾斜

丈高き椿の森や尼寺の跡
滾滾と水湧く京や秋澄めり
野紺菊浮舟に似し鄙育ち
浮寝鳥言問の名はとこしなへ
着ぶくれて仮名の日記を書き始む

啓蟄のブラックホール煙草吐く
手術室へ担架の滑る青葉闇
大寒や屋根ゆく風の夜の音
大地また流れゆくもの能登の雪
汗血馬夢見し武帝夏の月
夏の星砂漠をつなぐ狼煙台



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書名 田沼時代 著者 辻善之助 No
2025-21
発行所 岩波文庫 発行年 1980 読了年月日 2025-07-22 記入年月日

 今年のNHK大河は「べらぼう 蔦重栄華乃夢噺」。蔦重とは初めて聞く名前、江戸中期の出版プロデューサーとして、歌麿などの作家を育てた。時代は田沼時代。大河ドラマが初めて取り上げる人物と時代。前半を終わって舞台は吉原が中心となるが、背景として江戸城内での権力争いが絡むという、かなり異色なドラマ。吉原を描くきわどいシーンが物議を醸したこともある。後半は田沼意次の没落になるが、今のところ田沼時代を肯定的に描いている。

 多分若い頃耳にした話から描いたイメージだと思うが、田沼意次の時代は腐敗した賄賂政治で人々が苦しめられたというイメージがある。しかし、このドラマは田沼時代を肯定的に描いている。そのものズバリの本書があったので手にした。
 驚いたのは大河ドラマは意次の時代をほぼ本書と同じ見方で描いていること。しかも、本書の初出は1915年、大正4年。本書の解説によれば、本書以後戦中にかけて、松平信綱の寛政の改革を評価して、田沼時代を賄賂政治の横行という見方が支配的になり、それは戦後も続いたという。

以下の構成よりなる。
緒言
第1 意次の専横
 本書の特徴は史料をふんだんに載せていること。読むのは少し煩わしいが、当時の雰囲気をが直に伝わってきて興味深い。
 例えばこの段では田沼意知を佐野善左衛門が切りつけた事件に関して、善左衛門が書いたとされる意知の罪17条。著者はこれは擬作であろうと言うが、世間が善左衛門に託してその鬱憤を漏らした物として全文を載せている。さらに当時はやった落首も載せるが、なんとそのなかにはオランダ人がローマ字で記した落首が原文と日本語表記で4ページにわたって記される。当時大流行した黄表紙の一つとして山東京伝作、『将門秀郷時代世話二挺鼓』なるものを載せる。これは歌麿門人行麿の絵入りである。内容は意知を平将門、善左衛門を藤原秀郷に見立て、秀郷が将門を討つ話で、絵は秀郷が将門の首をはねた瞬間を載せる。

第2 役人の不正
第3 士風の廃頽
第4 風俗の淫靡
第5 天変地妖
第6 百姓町人の騒動
第7 財政窮迫と貨幣の新鋳
第8 開発 座 運上

第9 田沼の没落
 この段にはついに意次が罷免された後、松平定信が将軍にあてた意見書の全文が14ペ-ジわたって載せられている。その中で一度ならず意次を刺そうと懐剣しのばせたことがあると記されている。意次を刺せば名を挙げることができようが、将軍に不忠になり、将軍の不明をあらわし、老中衆にも相済まぬ事ゆえ思いとどまったと述べている。

第10 新気運の潮流
 この段では第1から第8段で述べたことがすべてこの時代の暗黒面を示すものであると述べ、「しかしながら吾人はこの暗黒時代において一道の光明の閃くもののあるのを認める。それは即ちこの時代における新気運の潮流である。」と述べ、第一に民意の伸張、第二に因習主義の破壊、第三に思想の自由と学問芸術の発達を挙げる。特に学問芸術の項では漢学、諸藩学校の興隆、国学、俳諧、小説、絵画、音楽、趣味の発達と小項目を立て、広範に論じている。「化政時代が江戸文化の満開であるならば、田沼時代はそのまさに綻瓶とする蕾である。かように観じ来たれば、この時代は近世史上に最も意味の深い、また興味の多い一期を成すものと言わねばならぬ。」とこの段を終える。

第11 蘭学の発達と開国思想ならびに貿易政策
第12 結論
 
・・・田沼時代は一面においては渾沌濁乱の時代であるがまた他の一面においては新気運の勃興せんとする時代で、新文明の光の閃きを認める時代である。もっともその新気運というのは幕府それ自身に取っては下り坂に赴くことを意味するのであって、徳川氏のためには不祥なる次第であるけれども、日本全体の文化から見ればまさに一転変を来そうとする時代であるので、慶すべき現象と言わんければならぬと思う。いわがこの時代は新日本の幕開きである。日本最近世史の序幕を成すものである。幕末開国の糸口はこの時代に開かれたのである。明治の文化はこの時代において胚胎したのである。従来はこの時代における光のある側は殆ど顧みられずして、ただ暗黒なる側のみが最も強く言い触らされたのである。そうした暗黒面は殆ど全く田沼意次一人の所為がしからしめたように言われたのである。しかしながら一つの時代の潮流は一人の力によって左右せられるものでないことは今さら申すまでもない。・・・意次はただ、その時代の代表者となっただけの事であって、意次の政治によって時代が作られたとは言えないのである。

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書名 土佐日記 著者 紀貫之、西山秀人編 No
2025-22
発行所 角川ソフィア文庫 発行年 平成19年 読了年月日 2025-07-25 記入年月日

角川のビギナーズクラシックスシリーズの一つ。

 現代語訳、原文、解説の順に載る。この順で読む。口語調の現代語訳と懇切な解説が読みやすい。原文も仮名日記で読みやすい。

 私は土佐から京へ帰る船旅は海の穏やかな瀬戸内海を経由するとばかり思っていた。ところが太平洋を回って難波経由で京に行くのだった。地図で見ると、高知から瀬戸内海へは確かにとてつもない大回りだ。しかし、南回りも大変だ。貫之一行は12月27日に大津を出港し、京の山崎に着いたのは2月12日だ。郎党も引き連れた狭い船の旅で大変な1ヶ月半の船旅だ。例えば大津を出て浦戸を経て大湊に着くが、そこで何と10日も停泊する。大湊は浦戸から8キロほどしか離れていない。

 出発に当たっての送別会ラッシュ。新任の国司初め地元の人々。この風景は私が体験した職場での送別会を思い出させる。退職、転勤に際して別々のグループによる送別会が1週間は続く。
 大湊に停泊しているときも、地元の人から酒肴や酒が次次に差し入れられる。貫之の方もそれに返品をする。国司は在任中たっぷりを私腹を肥やしたのだろう。港港で差し入れと返品がある。

 土佐の官舎を出てから、京の自宅へ着くまでの55日を1日も欠かさず「男もすなる日記といふものを女もしてみむと」記録する。その間に詠まれた歌は58首。「船君」、あるいは「船の長(おさ)しける翁」とあらわされる貫之自身の歌の他、こども、老婆などの歌が披露される。いずれも貫之自身の手になるものだ。そして、詠まれた歌に対する寸評がつけられる。「船君」は余り歌のうまくない人物として描かれる。例えば船がやっと淀川の河口に着いた際に詠まれた2首もその前に淡路島で老婆が詠んだ歌には及ばない、詠まなければよかったと嘆く(p154)。こんなことからも、土佐日記は日記文学だと解説者は言う。

 土佐に赴任中、貫之は都から連れてきた女児を亡くす。船旅を通してこの子への思いを歌に託する。これは土佐日記のメインテーマとなっている。

 世の中におもいひやれども子を恋ふる思ひにまさる思ひなきかな

 一首の中に思いが3カ所も出てくるこの歌を、解説は俳諧歌に通じるものとしている。俳諧歌の滑稽的な性格は、中世以降の狂歌や俳諧連歌に受け継がれやがて俳句へと発展すると、解説は述べる。(p72)
 また和泉国について、船止めされている際には子を思う3首が詠まれている。読み手はそれぞれ違う人物である。(p133)
 淀川を上り都が近づいた際に母親が詠んだ歌は痛切だ。一行の中には土佐で子を産んで帰る人びともいた。それを見ての歌

 なかりしもありつつ帰る人の子をありしもなくて来るが悲しさ

 船中の様子を記したところも面白い。その代表は途中女性が水浴びをする記述。
 室戸岬の室津で女性達は、目隠しにもならない葦の陰で、構うものかと衣を脛の辺りまで持ち上げて「鮨鮑」(女陰の隠語)を海神に見せつけたと書く。

 生意気で強欲な船を操る船長の言動と、それに対する作者の不満の呟きも面白い。
 室津を回ると阿波国。海賊の来襲を怖れるが、幸い海賊は襲ってこなかった。解説ではでは紀氏は元来武芸兵法に通じた家で貫之もその流れを汲んでいて、海賊もそれを知って彼の在任中には土佐湾周辺で暴れることはなかったようだという。

 山崎で下船。都には人目を避けて夜中に入る。受領は地方でしこたま蓄財をするから荷物を人目にさらしたくなかったのだろう。こんなところも面白い。

 留守邸は隣人に管理を任せて折に触れて贈り物などを届けていたが、帰って見ると庭など荒れ放題。郎等達が騒ぎ立てるが、それを制して、お礼をせねばと書く。留守の間に庭に小さな松が生えていた。その松を見ると亡くなった女児への悲しみがわき上がる。亡き子への思いを詠んだ2首で日記を締めくくる。

 生まれしもかへらぬものを我が宿に小松のあるを見るが悲しさ
 見し人の松の千歳に見ましかば遠く悲しき別れせましや


余談
 貫之は藤原兼輔の家人となっていた。兼輔は風流な人で、その邸宅には一種のサロンが形成されていたようで、貫之も参加していた。兼輔の曾孫が紫式部であると解説される。

宇多の松原  詠んだ歌は実際の風景には及ばない。

77p 女性の水浴び 卑猥な表現
87p 歌合わせ
107p 海賊  
121p 1月30日、和泉国に着く。船出より三十九日
130p 舵取りへの不満
133p 亡き子を思う歌三首、いずれも万葉集の歌を踏まえていると解説。
151p、154p 自作歌の批評の例  他にもたくさんある  本書の特徴
160p 物々交換、女の使わない文字の使用。作者が男であることがばれる。

山崎で下船、夜京に入る。昼間は人目につくので避けた
旅吟として面白い

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書名 著者 福永法弘 No
2025-23
発行所 株式会社KADOKAWA 発行年 2024年10月25日 読了年月日 2025-07-26 記入年月日

 著者は天為同人会会長。自身の第四句集で、平成26年から令和6年までの句を載せる。

 表現、土地と歴史(特に著者在住の京都)など教えられるところ満載の句集であり、また俳諧味のある句が散見され、楽しい句集でもある。著者とは何回か吟行をともにしているが、吟行では特に俳諧味の句が詠まれる。

  かなり以前だが、歳時記をめくっていて「夭折はすでにかなはず梨の花」が眼に入った。若い頃夭折を怖れながらもどこかで憧れてい私の心情を詠まれたような衝撃を受けたが、著者の句でまた一層驚いた。

あとがきに以下のように述べる:
 還暦を過ぎ父の没年を越えて老境が進むに従い、若い頃には美的にすら捉えていた「死」という観念が、ともすれば、不条理の虚無の翼を広げて覆いかぶさってくる。それを振り払い、振り払い、今生の舞台で愉楽を貪る老残の我が身が哀れで滑稽で、しかし愛しい。

 著者は1955年生まれ。ビジネスの第一線で活躍中である。

以下本書から

現し世のほかに世はなし鳥雲に
青蔦や若かりし日を手繰り得ず     ○
田水張り佐渡国仲は鏡晴れ
暮るる雪今年も落ちる吉良の首
終戦日切手の裏へ絵柄透け

早引けの父が枯野を掘り返す
動かざる亀と向き合ふ端居かな
年の瀬や出世地蔵を梯子して
稲そよぐ仏・米・中に克ちし国
濁り酒振つて濁して注ぎあへり

紅葉見やきのふ叡電けふ嵐電
老境をキケロに学ぶ夜長かな      ○
鰭酒の継酒に所望「山頭火」
実のなる木ばかり士族の庭小春
あたたかや化石の竜に羽毛痕

風鐸のすがたしづかに月今宵      ○
木の葉髪遺言めくもの何もなし
どつち買ふ懸想文売り二人ゐる
のびのびとキリンの首は花の上
秋服を推古の風に翻へす

浦ごとに教会ごとに燕来る
祇園会に落としものあり赤き櫛
汗し食ぶカレーを夏の季語とせむ
屠蘇を汲む金の草鞋で得し妻と
引き締まるふぐり嬉しき出初式

のろのろと老いてのりひろ海苔拾ふ
さざなみは湖魚のゆりかご夕涼し
秋の蚊の生きる性根に血を与ふ     ○

○は自薦13句と一致した句。

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書名 聖河 著者 庄田ひろふみ No
2025-24
発行所 ふらん堂 発行年 2025-06-02 読了年月日 2025-07-30 記入年月日

 3日前に著者を選者とする句会があり、その際入手した。句会では事前投句した310句すべてに適切なコメントがなされていて、得るところ多い句会だった。

 著者は1976年生まれの天為の若手同人で、本書は第一句集。
帯には「恩師・有馬朗人先生に捧げる三百句」とある。

 有馬朗人の句には「乾いた叙情」という評価があるが、本書にも当てはまる。あるいは感情ではなく、感覚の鋭い句と言える。著者は大学の勤務医。
 細かい観察と、季語の絶妙の取り合わせ。いずれも秀句ばかりだが、あえてピックアップしてみた。

棘に立つ金平糖や若葉冷
塩利いてをり大寒の握り飯
天漢や闇にあまねく牛の棲む
聖河てふ泥の流れや冷し瓜
荼毘の灰さばりと呑みて河暑し

万緑を貫く泥の流れかな
寒晴やときに海向く風見鶏
一人分廊下の軋む花の冷
夜の秋船裏向きに干されけり
神の留守転がつてゐる砂時計

乾鮭や王も奴隷も首一つ
悴むや目次の長き解剖書
鳥雲に酸味の残る解熱薬
鐘鳴らすための歯車朝曇
古城址の土の堅さや秋の蛇
パン屑を鳩取り落とす冬日向

海に降る雪豊かなれ婚の朝
噴水の芯より太み始めけり
束にして絵具を洗ふ夏の川
山裾は水のまほろば春入日
朝涼や水匂ひたる象の檻

医の神の杖を離れて穴惑
爽やかや卵の白は太古より
永き日のみづから増ゆるヨーグルト
城跡に薊と自動販売機
蛸臥せて頭平らや原爆忌

鍵握る手の金臭き霜の夜
花束を逃れし蟻や卓の上
失せものは失せしところに春の闇
春灯の連なり湾を抱きけり
冬ぬくし唇より厚きマグカップ

瓶叩きアスパラガスを追ひ出しぬ
牛の背に毛の逆立つや夕立後
歳晩や犬集まりてすぐ散れり
王詰まず秋祭まだ始まらず
数式を解けば虚数や冬の星

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書名 俳句における取り合わせと意味ネットワー 著者 庄田宏文 No
2025-25
発行所 俳人協会 発行年 読了年月日 2025-07-31 記入年月日

 俳人協会主催の第10回新鋭評論賞 準賞受賞の作品。俳人協会のホームページ掲載

 取り合わせの句の善し悪しをヒトは何をもって判断するかを行動経済学の知見などをもとに紹介する。ヒトの認知には二つのシステムが働く。一つは素早く直観的な判断を行う「速い思考」で、もう一つは熟慮による遅い判断を行う「遅い思考」であるとする、ダニエル・カーネマンらの説を基本において、取り合わせ、季語の働きを論じたもの。

 速い思考は日常生活のかなりの部分を担っているが、かならずしもつねに合理的な判断が下せるわけではない。一方遅い思考は論理的かつ合理的な思考に基づいて判断を下すので思考のコストがかかる。

 句の鑑賞の場合取り合わせの句は、速い思考で季語ともう一方の事物に必然的な響き合いがあるかどうかを判断している。
菊の香や奈良には古き仏達  芭蕉
 この句を一読した瞬間に季語ともう一つの事物のほどよい距離感を認識する。

 蟾蜍長子家去る由もなし  草田男
 この句では、速い思考が直観的に蟾蜍と長子の響き合いを判断する。その上で遅い思考が長子の持つ日本的な因習や重みと、蟾蜍のずんぐりとした体躯でじっと動かないさまは、家という因習から離れられない長子に課せられた宿命を象徴するように読み取る。このように遅い思考でこの句のの本意が深く理解される。

 速い思考には潜在記憶が無意識的に活用される。一方、遅い思考は意識的に顕在記憶を活用し、言語化された記憶を活用し、潜在記憶の影響は受けないとされる。

 速い思考の判断準拠としては潜在記憶における意味ネットワークが重要である。意味ネットワーク上で季語と事象の距離が余りに近いと、「付きすぎ」となり、余りに離れていると「離れすぎ」「季が動く」となる。取り合わせの句における程良い距離とは意味ネットワーク上のの程良い距離を意味している。
 俳句作者の記憶における季語を中心とした意味ネットワークは、季寄せを初めとする過去の用例、経験、文学的・歴史的蓄積などをもとに記憶として形成され、季語に関連したネットワークは、俳人の間ではある程度標準化されている。俳句の初学においてはこのネットワークを共有する作業が大切になる。

 一方取り合わせにおける季語に対するもう一つの事物の意味ネットワークは、比較的パーソナルな記憶による。このようなネットワークが季語を中心とした意味ネットワークの辺縁に繋がるくらいの距離を持って接している場合に「不即不離」であると判断される。

 人ごみに誰か笑へる秋の風  飛鳥田孋無公(アスカダ レイムコウ)**は、1896年生まれの日本の俳人です。
 蟇だれか物いへ声かぎり    加藤楸邨

 を挙げ取り合わせにより、季語の意味ネットワークに拡大と変容をもたらした句として、詳細な解説がなされる。

 ダウンロードしたファイルを開くとこの文章は長いので要約しますかと出てくる。要約を押すとAIによる要約が表示される。以下参考までに:

この文書は、俳句の評価や解釈、句の選定基準について詳しく論じています。
俳句の評価基準
 俳句の評価には、季語や表現の独自性が重要視される。
 句の選定は、感情や情景の描写が豊かであることが求められる。
 評価者は、作品の背景や作者の意図を考慮する必要がある。

句の解釈
 句の解釈には、読者の感受性が大きく影響する。
 俳句は、短い言葉で深い意味を伝えることが求められる。
 作品の解釈は、時代や文化によって異なることがある。

俳句の選定プロセス
 俳句の選定には、複数の評価基準が存在する。
 評価基準には、技術的な要素と感情的な要素が含まれる。
 選定プロセスは、作品の質を高めるために重要である。

俳句の文化的背景
 俳句は、日本の伝統文化の一部であり、季節感を大切にする。
 俳句の表現は、自然や日常生活の美しさを反映している。
 文化的背景を理解することで、俳句の深い意味をよりよく理解できる。

 AIによる要約では、本書のポイント、つまり「速い思考」と「遅い思考」の関連が俳句という短詩型を成立させているということに全く触れていない。述べているのは俳句の一般論でしかない。

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書名 俳句認知における切字の役割 著者 庄田宏文 No
2025-26
発行所 俳人協会 発行年 読了年月日 記入年月日

 俳人協会主催第11回新鋭評論賞 正賞受賞(令和六年)..俳人協会ホームページ掲載

 切れ字の効用を理解するには、俳句に対する読者の認知の構造に関する考察が必要であると述べる。加えて、俳句形式自体にどのような読者の認知を引き出す仕組みを有しているかの考察も重要である。ここでも芭蕉の句を引く。

 菊の香や奈良には古き仏達  芭蕉

 読者は上五の「や」という切れ字により論理的な分節のつながりを断ち切られる事で、速い思考による認知が働き、文字情報から合理的に理解しうる範囲の「菊の香」を超えて、経験的なものを踏まえたより広い「菊の香」の世界を認知することが可能となる。

 17文字より成る俳句は文字情報として不完全なものである。そのため俳句は読者に文字情報を超えた認知を喚起することで成り立つ文芸である。

 ここで前論文の速い思考と遅い思考の考察が再び出てくる。遅い思考は例えば小説などの情報量の多い文芸に対して働く。一方、俳句のような情報が少ない文芸では、論理的なつながりや合理的な解釈を見出すことが難しい。俳句のような文芸では読み手の速い思考を誘導し、直感や経験により情報を喚起し補完することで、認知される世界をより豊かにするような手法が行われている。以下波郷の二句

 夜桜やうら若き月本郷に
 蛍火や疾風のごとき母の脈

 速い思考による読者の直感、そして経験をもとに情報が補完され、文字情報以上の情報が喚起される。このように広い世界が認知されうることが俳句の文芸としての価値を高めている。

 切字を入れることにより、読者は速い思考に導かれる。速い思考は一見合理的な因果関係はないが、見た目が一致する二つの現象の間に関係を見出したがる傾向がある。これは俳句における取り合わせの効果に繋がる。また、速い思考は過去経験を判断材料とするため、蓄積された過去の文学情報が認知される。

 藤田湘子が指摘した切字の効用「詠嘆」「省略」「格調」について、速い思考との関係から論じられる。

 さらに山本健吉の切字は一句に重みを与えるという説を引用する。特に「や」の持つ重要性に言及する。切字には読者を論理の流れから切りはなして、速い思考による認知へと誘導するだけではなく、韻文性に支えられた感嘆詞としての力により、速い思考による認知に重みを与える働きがある。切字によって喚起された認知世界は漠然とした憶測や焦点の定まらない空想の世界ではなく、実在感を伴った確固たるものとして捉えられる。 
 参考句として下記の句が挙げられている。

 天狼やアインシュタインの世紀果つ   有馬朗人
 玫瑰や今も沖には未来あり       中村草田男
 五月雨や蕗浸しある山の湖       渡邉水巴

 最後に、今はAIのデーターベースに日本語の取り入れ方が十分ではないので、AIの作る俳句は人間の作るものに及ばないが、例えば、切れ字による俳句認知の仕組みをアルゴリズム化することで作句能力が向上し、近い将来に俳句におけるシンギュラリティーに到達することは考えられるという。

 AIによる本文の要約:
俳句認知における切字の役割
この文書は、俳句における切字の役割とその認知について論じています。

切字の役割
 切字は俳句の構造を強化し、感情や意味を明確にする。
 切字を用いることで、句のリズムや流れが生まれる。
 読者に対して強い印象を与える効果がある。

認知と理解
 切字は俳句の理解を助け、読者の認知を深める。
 読者は切字を通じて、句の背景や情景をより豊かに感じ取ることができる。
 切字の使用は、俳句の解釈において重要な要素となる。

俳句の表現
 切字は俳句の表現力を高め、詩的な効果を生む。
 俳句における切字の使い方は、作者の意図や感情を反映する。
 切字を適切に使用することで、作品の深みが増す。

 前編の要約よりましだが、切字により論理的な分節のつながりが断ち切られ「速い思考」思考による認知が、合理的な関連を超えて、経験的なものを踏まえた認知に広がって行くという、本書のポイントの指摘はない。

 前編と合わせてわかりやすい俳句評論であった。


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書名 熊谷佳久子句集 著者 熊谷佳久子 No
2025-27
発行所 熊谷佳久子 発行年 令和7年3月25日 読了年月日 2025-08-04 記入年月日

 猛暑続きの今夏、句集は手頃の読み物、3冊目の句集。

 著者は札幌在住の天為同人。コロナ以前は毎月の天為東京例会に出席していて、毎回必ずと言って良いほど朗人師の特選を取っていた。7月の京都での天為同人会で会い、久しぶりに話をした。その後本句集が送られてきた。

 なんと言っても世界を股にかけて句が詠まれていることが特徴。私と同年生まれで5歳の頃から俳句に親しんでいる。各句に付けられた自注が、著者の半生を知る上で大変興味があった。俳句をもって自分史ができるというのは、俳句を始めたのが70歳過ぎの私にはうらやましい限り。

 私もサラリーマン時代は海外に少しは出かけたが、俳句を始める前のことで現地で詠むことはなかった。
 地中海の大夕焼け、リラ僧院、マッターホルン、パリーの石畳など、当時を思い出しながら味わった。
 なお、祖父から著者までの俳人家系三代を綴った『リラ冷えの彼方へ』(福永法弘著)を参照。

紺青の海に染まらず一泳者
地中海の大夕焼に泊(は)つるかな
病棟へ今宵くばらる根深汁
山深きリラ僧院の花林檎
ラヴェルのボレロ毛虫迷はず前進す

大枯野二つに分けし長き貨車
遣唐使船出の島や雁渡る
座せばすぐわが膝を占む寒の猫
流木は海の獣骨冬怒濤
落日の大石狩の銀芒

節分の鬼になりたき患者かな
暮るるまでマッターホルン見る端居
ヤン衆の寝場は一畳大西日
顔真卿の石碑重しと亀鳴けり
焼栗を買ひてパリーの石畳
聖堂に棲み恋猫にならずゐる

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書名 生命の起源を問う 著者 関根康人 No
2025-28
発行所 講談社ブルーバックス 発行年 2025年7月20日 読了年月日 2025-08-20 記入年月日

 生命はどうして生まれたのか?若い頃から関心が高かった。大学生のころオパーリンのコアセルベート説、カルビンの化学進化(光合成のカルビンサイクルの発見者がこのような著作を著すのが意外だった)、その後、モノーの偶然説、そして最後はクリックの宇宙からの飛来説とそれぞれ著作を読んできた。
 最新の学説はいかなるものか、本書を手にした。

 帯には「
生命の始まりは決して偶然ではない。それは地球だけで起きた特別なことなのか?

 本書の特徴は生命を物質循環の所産と見ること。循環は単に地球上の循環ではなく、宇宙規模の循環。著者の専門はアストロバイオロジー。初めて聞く専門分野だ。
化学進化とは宇宙における生命の起原への分子進化のことを意味する。

本書の構成:
【第1部 現在から過去をみる-1 化石の記憶 2 分子古生物学の出発点となる物質 3 微生物中の炭化水素 4 分子生物学】
【第2部 過去から現在をみる-5 化学進化 6 原始(前生)化学 7 分子の淘汰と成長 8 分子の成長および情報のカップリング 9 三次元構造と自己集合 10 膜構造の発生】【第3部 現在から未来をみる-11 意義を求めて】

 ユーリーの実験
 現在の火山ガスと同じと思われる原始地球の大気、二酸化炭素と水と少量の窒素はユーリーの想定した大気とは違う。従って、有機物の生成は起こらない。
 しかし、原始地球に大きな惑星が衝突して(ジャイアン・インパクト)月ができた際に、惑星の衝突角度によっては鉄がばらまかれ、それがマグマと反応して、メタンやアンモニアなどユーリーの原始地球大気組成ができる。但し、この衝突角度が起こる確率は低い。
 一方で、生命を作る化学物質は他の惑星からもたらされたという説。もたらされた化学物質が地球上に存在する間に、次の物質がもたらされる確率は低いと。
                                               
ルカ(Common Ancestral State) 全生物の共通祖先
ウーズ:
rRNAを用いた系統図 細菌ドメイン、古細菌ドメイン、真核生物ドメインに全生物を分類した。生物学に革命というものがあるとすれば、それはワトソンやクリックではなく、ウーズこそその栄誉を受けるにふさわしい。(p125)。ウーズにはノーベル賞が授けられなかったと。

 著者による生命誕生のシナリオが224p以下に述べられる。著者は物質循環の視点から生命誕生を考える。生命の誕生を単なる化学反応ではなく、地球システムにおける物質の流れとしてとらえる。実験室で行われる化学合成の手順を現実の地球上の物質循環に落とし込む、そして複数の物質循環がどこで接点を持つかを考えること、さらに、それぞれの物質循環をめぐる分子達の寿命を考えること。

 236p:
まず酸性の海水の浅瀬。ここでは大気から供給される硫黄を含む化合物が、紫外線照射や乾燥・濃縮を経てチオエステルをつくる。チオエステルは、分解されるまで数百キロメートルを移動し、大規模な物質循環に参加できる。チオエステルやそれから生まれるリン酸エステルは、高い結合エネルギーによりアミノ酸などの有機酸を重合し、初期代謝のための触媒を作りだす。(重合したアミノ酸が作りだす立体構造が触媒作用の空間を作る。チオエステルの重要性を著者は指摘する。アルカリ性ではチオエステルはリン酸エステルに置き換わり、リン酸エステルもチオエステルと同様酸から水を奪う、つまり重合を促進する)

 
次に熱水噴出孔。これには二種類あり、マグマが上昇する高温地域では、硫黄に富む酸性の熱水噴出口ができ、他方リンに富んだアルカリ性の熱水噴出孔もある。校舎は、地殻深部やマントルの岩石が地上に露出した場合に生ずる。これらの場ではエネルギーが生まれ、反応ネットワークが育つ。小胞がつくられ、その内部で触媒の助けを借りて、反応ネットワークが初期代謝となっていく。
 最後に、ハーバーボッシュ法を起こす金属鉄を含む熱水噴出孔である。シアン化水素やアミノ酸、核酸塩基、ヌクレオチドの前駆体が生まれる。これらの分子は比較的短時間で分解するため、この金属鉄の熱水噴出孔は、前述の酸性あるいはアルカリ性の熱水噴出孔の極めて近くに存在する必要がある。あるいは、金属鉄を含む熱水噴出孔で、同時に反応ネットワークが獲得されてもいい。
                         

 生命体を構成する窒素は極めて安定な分子であるが、窒素をアンモニアに還元するのには金属鉄が必要である。アンモニアは太陽光の当たる場所ではシアン化水素にもなる。この二つは多様なアミノ酸と核酸塩基を作る分子である。金属鉄はジャイアントインパクトの際に地球に隕石として降り注いで、クレーターを作った。
 遺伝物質の生成。小胞の中で、ヌクレオチドはリン酸エステルやアミノ酸重合体からなる触媒により生成する。水の中で脱水反応は極めて困難であるが、触媒機能を持つタンパク質の力を借りて、進行する。
 生命システムの誕生:p249
 
小胞内でヌクレオチドが重合すれば、それは原始生命のもつ遺伝物質、つまりRNA となる。そして、RNA自体もほつれた糸のような分子であることを忘れてはならない。RNAは。赤、緑、青、黄という積み木からなり、赤は緑と、青は黄とそれぞれくっつくことができる。RNAにランダムに配置されたそれらは引き合い、長い糸がループと腕をもつような独特の立体構造を作っていく。
 そして、アミノ酸の糸と同様、構造そのものが触媒となる。RNAはその構造に特有のアミノ酸を結び付け、ほつれた糸のようなタンパク質を作る。タンパク質には、RNAを作る触媒となるものがうまれる。RNAがタンパク質を作り、タンパク質がRNAの働きを強めるという相互作用――正のフィードバックにより、小胞は内部に一つのシステムをもちだす。金属を含む熱水循環由来のアミノ酸やヌクレオチドの前駆体と、大規模な循環とPNオーシャンズに由来するリン酸エステルが出会い、、機能をもつタンパク質やRNAを生み、さらにそれらが相互作用するシステムとなる。
 一方で、出来上がったシステムが非平衡状態――生きている状態を保つためには、アナログ時計が電池を必要とするように、絶えざるエネルギーの投入が必要である。それを果たすのは、小胞内の代謝ネットワークであり、それは周辺のローカルな熱水循環から水素をもらい代謝反応を回す。回すことでエネルギーを得る。エネルギーでリン酸エステルが再生産され、そのリン酸エステルがタンパク質を合成していく。つまり、タンパク質とRNAの相互作用に、つねにエネルギーが投入され、フィードバックが駆動され続ける。リン酸エステルはエネルギーを運ぶ分子であり、やがてエネルギーの通貨といわれるATP として生命システムを駆動する。
 生命とは、地球同様、一つのシステムであり、それらを構成するサブシステムの相互作用が始まり、それがエネルギーによって維持される。
 原始生命の誕生である。
 大規模な物質循環、ローカルな物質循環が交わる点、ここに生命システムを構成するサブシステム達が集まる。この循環する交点に生命が誕生する。
 とぼくは考えている。
 残念ながらその証拠は地球に残されていないが。


 本書を読んで一つ疑問に思ったのは、生命の最も基本的で最も重要な分子である地球上での水の生成について述べられていない。水の生成については、月に行った場合、炭素質のコンドライトという隕石には水を含んだ蛇紋岩という鉱物ふんだんにあり、この蛇紋岩を熱すれば水が水蒸気として放出されるとの記述があるのみ。p65.太陽系の他の惑星や衛星は存在しない水が、原始地球でどのように生じ、地球にはなぜ保たれたのかについての記述はなかった。

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書名 近現代俳句 著者 小澤實 No
2025-29
発行所 河出文庫 発行年 2025年5月 読了年月日 2025-08-28 記入年月日

 アフィニス句会の時、石黒さんから借りた。初出は2016年。

 江戸から明治への橋渡し俳人として井月から始めて、田中裕明まで50人の俳人を取り上げ、各人の5句を解説した。すでに逝去した俳人に限られているが、初めて聞く俳人も数名あり、また名前だけは知っているが作品をほとんど知らなかった俳人もいくらかいる。俳人の選定と特に取り上げた句に小澤實の好みが出ていて興味深い。尾崎紅葉、永井荷風、芥川龍之介は取り上げらているが、同じ作家でも夏目漱石は取り上げていない。俳人として漱石の方がむしろ優れていると思うが、小澤實の好みなのだろう。

 各俳人の生年と没年が示され、また師系、活躍した俳誌、俳句の特徴がひと言で書かれていて、明治以降の流れを掴む上で参考になった。俳人は兜太や虚子、青邨、風生など皆長生きかと思っていたが、50歳前後で亡くなった俳人が意外と多いのに驚いた。例えば最後に挙げた田中裕明は私より21年も後に生まれているのに、45歳で亡くなっている。

 50人の句を主に冒頭に示された句を一句ずつ挙げる。

井月(せいげつ) 1822?~1887 明治俳諧 江戸と明治をつなぐ
 春の日やどの児の顔も墨だらけ
内藤鳴雪(めいせつ) 1847~1926 
              正岡子規門 明治「ホトトギス」俳諧と新風と
 恋猫の妻も籠れり竈(へつい)の下
村上鬼城 1865~1938 高浜虚子門 大正「ホトトギス」 分身としての動物
 治聾酒の酔ふほどもなくさめにけり
正岡子規 1867~1902 大原其戎(きじゅう)門 近代俳句の始祖
 薪をわる妹一人冬籠
尾崎紅葉 1868~1903 明治文人俳句 談林から新派へ
 天渺渺海満満中にひよつくり鰹舟
河東碧梧桐 1873~1937 正岡子規門 
       明治大正昭和新傾向俳句  新しみを求めて
 愕然として昼寝さめたる一人かな
簗落(おち)の奥降らバ鮎(コ)はこの尾鰭(オド)る
   梁の奥、その上流で雨が降るとするなら、鮎はこの尾鰭をふるって躍るのだ。
  ルビ俳句。碧梧桐最後の試行となる。
高濱虚子 1874~1959 正岡子規門 明治大正昭和「ホトトギス」
              近代俳句最大の巨人
 君と我うそにほればや秋の暮
  遊郭でのかりそめの恋を詠んでいる。1906年作。
  近代俳句を導いたが、作者としての虚子の句には、生涯、女性の句、恋の句が多かっ  た。「どかと解く夏帯に句を書けとこそ」」
増田龍雨 1874~1934 久保田万太郎門 旧派雪中安十二世 余韻
 冷冷と舌に載せけり初鰹 
永井荷風 1879~1959
 しのび音も泥の中なる田螺哉
渡邉水巴 1882~1946 内藤鳴雪・高濱虚子門 
       大正「ホトトギス」 静かなる内面
 昼寄席に晒井の声のきこえけり
種田山頭火  1882~1940 荻原井泉水門 大正自由律俳句 
               葛藤の行乞(ぎょうこつ)  
 分け入つても分け入つても青い山
前田普羅 1884~1954 高濱虚子門 大正ホトトギス 山岳賛仰
 人殺す我かも知らず飛ぶ螢
富安風生 1885~1979 高濱虚子門 昭和ホトトギス
           単純化と愛唱性
よろこべばしきりに落つる木の実かな
死を怖れざりしはむかし老の春
数え年92歳の年頭句。風生最後の句は「九十五齢とは後生極楽春の風」
飯田蛇笏 1885~1962 高濱虚子門 大正ホトトギス。 地霊のちから
 芋の露連山影を正うす
原石鼎 1886~1951 高濱虚子門 大正ホトトギス 過剰なる自然
 杣が蚊帳の紐にな恋ひそ物の蔓
久保田万太郎 889~1963 松根東洋城門 昭和文人俳句 余技俳句を拠りどころ
 竹馬やいろはにほへとちりぢりに
杉田久女 1890~1946 高濱虚子門 全然ホトトギス あでやかさと存在感と
 花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ
 谺して山ほととぎすほしいまま
 橡の実のつぶて颪や豊前坊
   以上2句は英彦山で
芥川龍之介 1892~1927 高濱虚子門 大正文人俳句 切り立った感覚
 蛇女みごもる雨や合歓の花
水洟や鼻の先だけ暮れ残る 
自殺する前日に主治医で友人であった下島勲に渡した短冊にある句。あえて情けない状態を詠んでいるが、その間精神は安寧だったのではないか.壮絶な自画像である。
山口青邨 1892~1988 高濱虚子門 昭和ホトトギス 地名俳句の名手
 みちのくの雪深ければ雪女郎
水原秋櫻子 1892~1981 高濱虚子門 昭和ホトトギス 四S 豊かな内面
 葛飾や桃も籬も水田(みずた)べり
高野素十 1893~1976 高濱虚子門 昭和ホトトギス 四S 
                   客観写生からあふるるもの
 甘草の芽のとびとびのひとならび
   秋櫻子はこれらの句を「草の芽俳句」と呼び、瑣末主義と否定したが、それはあたら   ない。
川端茅舎 1897~1941 高濱虚子門 昭和ホトトギス 花鳥諷詠真骨頂漢
 金剛の露ひちつぶや石の上
橋本多佳子 1899 ~1963 山口誓子門 戦後「天狼」強い恋情 深い孤独
 夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟
阿波野青畝 1899~1992 高濱虚子門 昭和ホトトギス 四S にじむユーモア
 緋連雀一斉に立つてもれもなし
永田耕衣  1900~1997
白梅や天没地没虚空没
阪神淡路大震災で被災した
中村汀女 1900~1988 高濱虚子門 昭和ホトトギス 自在でのびやか
 ともあれと日向ぼこりに招じけり
西東三鬼 1900~1962 山口誓子門 新興俳句 生物のよるべなさ
 水枕ガバリと寒い海がある
日野草城 1901~1956 高濱虚子門 新興俳句の先駆 女人への憧れ
 春暁や人こそ知らね樹々の雨
 枕辺の春の灯は妻が消しぬ
  新婚初夜の男女双方から詠んだ句の一つ。水原秋櫻子、久保田万太郎は否定、室生犀  星は共鳴、騒動となった。
中村草田男 1901~1983 高濱虚子門 昭和ホトトギス 
                      人間探求派 振り切れる感情
 蟾蜍長子家去る由もなし
山口誓子 1901~1994 高濱虚子門 昭和ホトギス 四S 即物具象
 掃苔や餓鬼が手かけて吸へる桶
富澤赤黄男(かきお) 1902~1962 日野草城門 新興俳句 詩的な空間
 爛々と虎の眼に降る落葉
首のない孤獨 鶏(とり) 疾走(はし)るかな
  人間は首を失ってもなお孤独を生きないといけないのか。まず、「首のない孤獨」ということばが問いかけてくる.次に「鶏」が現れて、首を切られても、疾走しつづけるイメージへと変化する。このイメージは何の象徴か。深く考えずにつきすすむわれらが文明の姿だろうか.無季。
橋閒石(はしかんせき) 1903~1992 寺崎方堂門 戦後新興俳句系 
                            俳諧派の微笑
 冬死なば烏百羽は群がるべし
星野立子 1903~1984 高濱虚子門 昭和ホトトギス 繊細かつ放胆
 まま事の飯もおさいも土筆かな
大野林火 1904~1982 臼田亜浪門 昭和「石楠」 叙情の回復
 本買へば表紙が匂ふ雪の暮
松本たかし 1906~1956 高濱虚子門 昭和ホトトギス 
                      能よりもたらされたもの
 仕(つかま)る手に笛もなし古雛
京極紀陽 1908~1981 高濱虚子門 昭和ホトトギス 童心が見せるもの
 汗の人ギューツと眼つぶりけり
下村槐太 1910~1966 岡本松濱門 新興俳句を経て 貧を生きる
 路地の露滂沱たる日も仕事なし
石田波郷 1913~1969 水原秋櫻子門 人間探求派「馬酔木」 韻文精神
 バスを待ち大路の春をうたがはず
桂信子 1914~2004 日野草城門 新興俳句 女性が詠む女体
 窓の雪女体にて湯をあふれしむ
野見山朱鳥(あすか) 1917~1970 高濱虚子門 
                戦後ホトトギス 性愛から絶命まで
 手にふれし汗の乳房は冷たかり
  馴れ親しんだ乳房ではない。物描写による性愛の句である。虚子による句集「曼珠沙華」の序はただ一行「先に茅舎を失ひ今朱鳥を得た」。ふたりは病者であり、画家を志したことが共通する。ただ、茅舎には性愛の句はなかった。
 絶命の寸前にして春の霜
  絶命の寸前であっても、明確に認識して記録した俳人は以前にいただろうか。春の霜の微光はかの世のものではない、この世のものである。絶命へとむかういのちの刻々の変化を記録してきたがこれが最後の句である。朱鳥は「生命諷詠」を唱えたが、まさにその四字が刻印された句なのだ。
鈴木六林男(むりお) 1919~2004 西東三鬼門 戦後新興俳句派 関西前衛派
 遺品あり岩波文庫「阿部一族」
  太平洋戦争のフィリピンのバターン・コレヒドールの激戦での句。六林男は腕を負傷した。「射(う)たれたりおれに見られるおれの骨」
飯田龍太 1920~2007 飯田蛇笏門 戦後「雲母」 自然風土と向き合う
 春の鳶寄りわかれては高みつつ
天為同人の坂本宮尾さんが選者の句会に参加した際、「春の鳶」を季語とした句があった。「春の鳶」と言う季語は大歳時記にはなかったので、選者にこれを季語として認めて良いのかと質問した。
 春の鳶には飯田龍太の有名な句があり、季語として認められている。俳人によって、例えば片山由美子などは厳しいから、季語と認めないだろう。しかし、多くの俳人が認めて句を作れば季語として定着する。句会後、宮尾師はスマホで龍太のこの句を検索し私に見せてくれた。青空に舞う鳶画像が出ていた。

三橋敏雄 1920~2001 渡辺白泉・西東三鬼門 新興俳句の少年 叙情と告発と
 かもめ来よ天金の書をひらくたび
高柳重信(じゅうしん) 1923~1983 富澤赤黄男門 戦後新興俳句系
                      多行表記
 夜のダ・カポ/ダ・カポのダ・カポ/噴火のダ・カポ
波多野爽波 1923~1991 高濱虚子門 昭和ホトトギス 単純かつ不穏
 鳥の巣に鳥が入つてゆくところ
寺山修司 1935~1983 戦後の高校生俳句から 俳句という謎
 目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹
摂津幸彦 1947~1996 昭和平成新興俳句系 さみしさとなつかしさと
 南国に死して御恩のみなみかぜ
  太平洋戦争の南方の戦場で、多くの兵士たちが死んだ。病死や餓死も多かったようだ。その南国から故国日本へ南風が吹くのも、天皇のおかげであるとする痛切なイロニーである。ただ、何かを告発するというよりも、美意識を凝らしたアナクロニズムの別天地に遊んでいるのではないか。
田中裕明 1959~2004 波多野爽波門 昭和平成「青」 生の実相
 大学も葵祭のきのふけふ
  日本文化の核である京都のもっとも京都たるところを、大学という近代的な場所で捉えている。「嬉しくもなき甘茶仏見てゐたり」
 悉く全集にあり衣被

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書名 高原の風 著者 染葉三枝子 No
2025-30
発行所 本阿弥書店 発行年 2025年9月22日 読了年月日 2025-10-03 記入年月日

 著者の第一句集。著者は浜松在住の天為同人。コロナ以前は浜松の句仲間6,7人と毎月の天為東京例会に出席いて、私たちオリーブ句会メンバーとは席が近かったこともあり、交流があった。コロナ以後は東京例会には欠席投句を続けていた。私は三枝子さんの句を東京例会でよく選んでいた。
 著者の人柄をあらわすような、破調がなく、姿の正しい句集。

伊勢海老の髭のはみ出す祝ひ膳
けはひ良き男の子より買ふ懸想文
梅雨晴れ間稚も布団も日の匂ひ
風音の半音上がり冬に入る
潮の香を吐きつつ栄螺焼かれけり
等伯の不屈の松や立葵
逆さ富士過る遊船海賊号
亀帰る風紋深き月夜かな
海苔粗朶に金波銀波の落暉かな
軽トラの禰宜駆け付くる御田植 ○
早乙女の足ふくよかに水を蹴る
地歌舞伎の桟敷煮物を回し合ふ
極月の各階止まる昇降機
星涼し城門はるか絹の道
大空へ吹く水涼し像の鼻
鳥渡る飛鳥に唐の水時計
ビル街を彼方に花の佃島     ○
はらはらと花の帽子や六地蔵   ○
少年の夢は発明雲の峰      ○
秋澄むや水ほどほどに宥座の器  ○

 ○は東京例会の際私が選んだ句。

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書名 ダーウイン 著者 鈴木紀之 No
2025-31
発行所 中央公論新社 発行年 2024-07-25 読了年月日 2025-11-21 記入年月日

帯:なぜ進化は世界を変えたか。
 とあり、さらに小さな字体で「
人類の起源、心理学、宗教観、競争、性、農業、古生物学、地質学、優生学――すべての道はダーウィンに通ず。73年の人生を辿り、全体像を描き出す。
 口絵にはダーウィンの銅像、自宅のほかにイグアナ、アフリカフジツボ、チリクワガタ、マダガスカルのランとスズメガ、カウスリップなどの花など、関連するカラー写真が掲載され、彼の幅広い興味の対象が示される。

 もうずいぶん昔だが岩波文庫の『種の起源』に挑んだが、挫折してしまった。生物学が専門ではなくて、特にフィンチの細かい観察が続く辺りで投げ出した記憶がある。

 本書で驚いたことは、帯にもあるように、ダーウィンの業績が単に進化論にとどまらず、多様であり、しかもそこに述べられた考えは先見的で、ダーウイン後にその正しさが認められたものが多いこと。著者はこれらの業績についても専門的な解説を施している
 もう一つは、ビーグル号の航海が4年9ヶ月に及んだ長旅であったことと、ビーグル号が全長27メートル、幅7メートルの小さな帆船で、70名以上を乗り込んだこと。プリマスから出航したのは1831年12月27日、帰還したのは1836年10月である。ダーウィンは若かったとはいえ、タフな身体と精神をもっていたのだ。
 
 著者は最後に述べる:p241
 
進化論は、ダーウィンひとりの天才ですべてが解決したわけではなかった。その土台には一九世紀までの地質学と生物学の歴史があったし、ダーウィンが相手の身分を問わずコミュニケーションに積極的だったことは本書で見てきた通りである。
 ガラパゴス諸島でフィンチを見たとたんに進化論を思いついたというのは俗説だ。実際には、世界中のさまざまな生き物の生態や地質学の知見をもとに、人口増加や分業といった経済学の論理が組み合わさって、ようやく人類がたどり着いた叡智である。革命的なアイディアは一瞬にして天から降ってきたのではなく、地道で泥くさい道のりを踏みしめていく必要があったのだ。


 巻末の関連年表
1809年 イギリス シュルズベリーで生誕
1825年 エジンバラ大学医学部に入学
1831年 ビーグル号で世界周航へ出発
1835年 ガラパゴス諸島に上陸
1836年 イギリスに帰国
1839年 エマ。ウエッジウッドと結婚
1842年 『サンゴ礁の構造と分布』
1858年 ウォレスのテルナテ論文が到着
      リンネ学会にて進化論の共同発表
1859年 『種の起源』初版出版
1862年 『ランの受精』出版
1865年 『蔓植物の運動と習性』出版
1868年 『家畜と栽培植物の変異』出版
1872年 『種の起源』第6版出版
『人間と動物における感情の表出』出版
1871年 『人間の由来と性淘汰』出版
1875年 『食虫植物』出版
1876年 『植物の受精』出版
1877年 『花のかたち』出版
1880年 『植物の運動力』出版
1881年 『ミミズと土』出版
1882年 73歳で死去

 本書を読んだ後、朝日カルチャーのオンライン講座で本書の著者による「生物と競争」という講座が4回にわたってあり、受講した。その中で「生物間の競争」はいわれるほど明確なものではなく、曖昧だという。食料を巡る競争も、森林は食料に溢れていて、それを巡る争奪が種の繁栄を決定するものではない。著者は種間の優劣を決める要因の一つとして繁殖干渉という現象をあげ、詳しく説明する。近隣の種が同じ所に棲む場合、種間の交雑が起きる。その際、その交雑が一方の種に優位に働いてもう一方の種を圧倒して行くことをテントウムシを用いて明らかにしている。イヌフグリの在来種が外来のオオイヌフグリに圧倒され、現在はほとんど見られないこと、さらに、ネアンタール人が滅んだのはホモサピエンスとの繁殖干渉の結果ではないかとも言っていた。



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書名 多神 著者 内村恭子 No
2025-32
発行所 東京四季出版社 発行年 2025-11-10 読了年月日 記入年月日

 著者は天為同人で、『天為』の編集にも携わっている。句会で会うことはあまりないが、ネット句会や鍛錬会の吟行では何回もあっている。内村さんの第二句集。

 多彩な句材に驚く。著者の専門が何であるかは知らないが、聞き慣れない専門語を詠み込んだ理系の句が特に目についた。私も理系の人間だが、こんな風に理系の句を読むことはできない。海外詠も多く、色々なところで詠まれている。広い知識に基づく硬質な詩情の句集だが、巻末にかけては俳諧味のある軽い句もあり、楽しい。

あとがきにタイトルについて述べられている
:タイトルは語呂合わせのようでありますが、(注 第一句集のタイトルが『女神』)作句とはいつも万物に宿る心を掬いとることのような、そんな実感でもあります。ミッションスクールで長く教育を受けましたが、どうも私には神様は一人では足りないようです。

例によって自薦句を見る前に

大和路や春はささやくやうに来て 冒頭句
耳成山の形やはらか春霞
夜桜に少したましひ置き帰る
もじひとつ消ゆ苗札を深く差し
点るまで闇の親しき大文字

酒器も絵も我も沈めて濁り酒
見上げてもつばしか見えぬ夏帽子
檸檬実るゲーテ眺めしその丘に
秋冷やプレパラートに我が組織
薄く切る生ハム冬が見ゆるほど

葛湯飲む親水コロイドと思ふ
非接触電脳決済冷房裡
ラテアート描けば泣き顔梅雨深し
絵日記に嘘のはじまる夏半ば   
裏庭の記憶よいつも無花果は

AIに潜む悪意やそぞろ寒
日記買ふ白く輝く日々を買ふ   トリエチルヘキサノインの初化粧 酸のグリセリンエステル 湿潤と柔らかさを付与
初読は「素粒子」亡き師偲びつつ
耳たぶのかたさと習ふ寒厨
蝶生まる前世に殿様の記憶     私も参加した細川庭園吟行句

日盛や風乗り換へるだけの駅
夏季講習アノマロカリスオパビニア    カンブリア紀の節足動物
ゴンドワナ大陸語りつつ氷菓
試験管の様子見にゆく霜柱
冬天の最も青き場所に富士

ああドアはオートロックよ寒昴
春光のやけに眩しき日の追試
啓蟄や鞄はみ出すケーブル類
蟻も乗せ島から島へ渡し舟
サングラス村の人ではなささうな

凍雲にきつと先生鵬翼忌
万歩忌の冬のポケット膨らませ
 最後の二句、朗人師追悼

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書名 古墳時代の歴史 著者 松本武彦 No
2025-33
発行所 講談社現代新書 発行年 2025-10-20 読了年月日 2025-11-21 記入年月日

 古墳と言えば大和地方に限られると思っていたが、街道歩きをしていた際、意外なところに小さな古墳があることに驚いた。そして、10年ほど前に、行田の稲荷山古墳群を見て、円墳、前方後円墳の作りの立派なの驚いた。11月の初めに奈良に吟行したが、訪れた桜井市の安倍文殊院の敷地内にも立派な古墳があり、巨石をきれいに揃えた横穴式石室に驚き、後世の作り直しではないかと思ったほどだ。本書はネットで著者自身が解説していたので、手にして読んだ。ネットの解説では〈日本列島に「16万基」もある古墳〉という言葉が出てくる。驚くべき数字だが、いわゆる古墳だけではなく墳墓も含めての数だろう。

 帯:古墳はなぜ造られた?巨大化した理由は?

古墳の出現:p64
 「
弥生時代の終わりから古墳時代の始まりにかけて集団の関係性が変質し、それを表現する新たな作法の「原理」として編み出された「装置」が古墳群だった」古墳研究者の西川修一氏の研究を紹介する。この新たな集団の関係性を西川氏は「氏族」と解釈し、古墳群は、そのつながりの拠りどころとなる血縁関係を、墓の並びという形で視覚的に表したものと理解した。
 共同墓地的な墳丘墓から古墳への移り変わりは、共同体の伝統的社会から3世紀頃からの氏族主導の社会への変遷の反映とみる。

古墳の始まりは東国:」p70以下
 古墳出現の基盤となったのは、遠距離交易と水田開発であるとする。
 
この二つは「倭国乱」の変動期に各地に進んだ社会編成の中で、生き残りをかけた新たな手段として多くの集団がこぞって着手した。そしてこれらの試みはすでに古くから拓かれていた水田が密集し定住人口も多かった近畿以西より、未開の地に移住者達が押し寄せて広がるという灯会から関東にかけての「新開地」においてこそ、より成功度の高い氏族の「事業」となったにちがいない。
 水田開発や遠距離交易のために結集した人びとが氏族というきずなを形成し、氏族どうしは同じ地域や交易網で結びついて、ときには連携してことを進める必要や、ときには競争して力を見せ合う場面が、その活動が活発になればなるほど増えたであろう。墓の形を同じくすることに連携を、規模の大きさを見せ合うことに競争を、それぞれ表示するメディアとしての古墳群を築く習わしが、農産物や物資を運ぶ交易網に乗って、各地の氏族にいっきに広く共有されたのである。そしてそれはまもなく、単なる習わしから、氏族間の関係を表す政治的モニュメントへと発展した。
p72

 3世紀前半には大和に交易の中心としての「マチ」ができ、多くに人が集まり、子不運が発展する。その典型は纏向こふんぐんである。纏向古墳群ののちに形成された箸墓古墳群はさらにスケールが大きく一種のモニュメントとみられ、文字による制度が現れる前には神の居場所や儀礼の舞台として人びとの心を引きつけ、社会のしくみを絵解きし、生産や流通までもをつかさどるという重要な働きをする歴史段階があった。日本の古墳は古い共同体に代わって新しく社会の主役に立った氏族の儀礼と権威誇示の場としてマチや開拓地に現れたが、箸墓はそれがさらに強烈な政治的性格を持ち始めたことの、はっきりとした表明であった。箸墓の登場をmって古墳時代の開始と見る研究者も多い。

邪馬台国:吉野ヶ里遺跡は規模や他地域産土器が示す物流の量や拡がりの点で邪馬台国の候補とみることは難しいとする。奈良盆地が邪馬台国であったとするほうがすっきりすると言う。箸墓が卑弥呼の墓の有力な候補であるとは認めるが、それが近畿説の結論にはならない。著者は当時の近畿地方と博多湾沿岸を対立的にとらえるのではなく、密接に繋がり互いの役割を分担していたと考える。仮にどちらかが邪馬台国と呼ばれていたとしても、両地方は邪馬台国の体制のもと、ほぼ一体の枠組みの中にあったと見るほかないという。p97。

古墳=大和王権ではない
 
五世紀に規模のピークに達した巨大前方後円墳それ自体は、これまでにいわれてきたような、「王権」の体現者としての倭王の地位など、示していないと理解できる。それは、たがいに競合し、牽制しながら、政治・社会・経済さまさまな面での権益や地位を争っていた門閥氏族の長たちのために築かれたものであって、「倭王」のそれとして「王権」の発達とともに巨大化したようなものではない。事実それらは、五世紀の半ばにピークに達したあと、すぐに縮小のプロセスに向かうのである。p213.

 
三七〇年前後、百済との通交開始を契機として、カハチに分派して力を伸ばした門閥氏族が、カハチを本拠として力を強めた。このカハチ、門閥氏族はさらに二派に分かれ、古市古墳群・百舌鳥古墳群をそれぞれ競覇的に築造した。p242
これら二つの古墳群は世界遺産に登録されている。古市古墳群は、応神、仲哀、允恭の各天皇の御陵、百舌鳥古墳群には仁徳、履中、反正各天皇の御陵とされている古墳がある。著者はこうした巨大古墳も大和王権とは結びつかないとする。
 続いて著者は言う:
 
「大王」を名乗って中国南朝に使いを送る地位を争う百舌鳥と古市のカハチ二大有力有力氏族間の頻繁な抗争は、奈良時代に書かれた『日本書紀』などにも記されている。これらの抗争の多くは、四五〇年から四七五年ごろを中心に力を振るった「ワカタケル」(雄略大王)という人物の仕業として描かれていて、兄の「木梨軽皇子」、従兄弟の「市辺押磐皇子」として伝えられる人物などを、追放したり殺したりしている。
 この結果、中国南朝に「大王」を名乗って遣使できるような実力をもった後継者はいなくなり、百舌鳥や古市の大型前方後円墳群は、四七五年ごろまでに急激に減少し、規模も小さくなる。
p243.
五〇〇年~五七五年 「大王」と「大王家」が成立
 近畿中央部各所に点々と単独で築かれた六世紀の大型前方後円墳には、水を満々と溜めた深い周濠があり、それも勘案すると他の前方後円墳を凌駕しているから、六世紀歴代の大王墓の可能性が高いといってよい。p246

 一例を挙げれば高槻市今城塚古墳は継体大王(五三一年没)。
 
六世紀を迎えるとともに大王家を確立し、よく知られるようにその初代当主となったのは、継体大王であった。それとともに、五世紀までは抗争などを通じて、中国南朝に使いを送る地位を争ったカハチやヤマトの門閥氏族に地位は、継体から始まる新たな大王家を群臣として支える地位にとどまるようになった。

 仁徳天皇を門閥氏族の一つの長であるとする驚くような内容の本書であった。

 本書の初めに、古墳の年代決定が放射性炭素による測定により正確に出来るようになったことが、古墳を研究する上で多いに役立ったと述べる。

 読み終わった翌日、11月22日 等々力から、多摩川台を経て多摩川駅まで3時間歩き、多摩川の左岸の丘陵にある 御嶽山古墳、蓬莱山古墳、亀甲山古墳などを巡った。多摩川駅の先、下丸子に私の実家はあったが、こんな所に古墳群があるとは初めて知った。

 

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書名 著者 吉野かおる 他 No
2025-34
発行所 発行年 2025-09-03 読了年月日 2025-12-24 記入年月日

 吉野かおるさんたち女性4人の合同句集。4人は私が世話役をしているメール句会「あかつき」の会員。40ページという小冊子だが、センスの光る句集。

 構成が斬新。春夏秋冬で20句、自由作品20句、好きな俳句を5句、エッセイ1編を各人が載せる。さらに、編集後記も各人が執筆。こんな句集は見たことがない。俳句に寄せるメンバーの思いがよく表れる。

 4人の中には句歴3年ほどという人もいるが、他の句会などにも参加しており、上達が早い。

 私も一文を依頼された。一文の最後に、あかつき句会で私が特選に選んだ各人の1句を添えた:

 テレワークしばし金魚に餌をやり   吉野かおる
 牡蠣殻の内なる虹の宇宙かな     山路久美子
 餞に汽笛を三度島は春        森美奈子
 水甕の昏きへゆらり鏡餅       千葉寛美



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