読書ノート2025 |
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書名 | 著者 |
中世騎士物語 | ブルフィンチ |
俳句と暮らす | 小川軽舟 |
カンタベリー物語 | チョーサー |
初葉 | 丸谷三砂 |
薤露行(かいろこう) | 夏目漱石 |
谷川俊太郎詩集 | 谷川俊太郎 |
杉俊郎 | 鶴田徹 |
書名 | 中世騎士物語 | 著者 | ブルフィンチ作 野上弥生子訳 | No | ||||||
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2025-1 | ||||||||||
発行所 | 岩波文庫 | 発行年 | 1981年 | 読了年月日 | 2025-01-07 | 記入年月日 | ||||
初版は1942年。褐色がかって本棚の奥にあった。購入したままで読んだ記憶はない。多分読みかけて面白いと思わなかったのだろう。天為俳句会で有志がやっている神話で遊ぶのケルト神話編もあと2回で終わるころになって本書が目に入り読んでみる気になった。 本書は以下の三つの内容から成る: アーサー王とその騎士たち マビノジョン 英国民族の英雄伝説 マビノジョンの第1章ブリトン人には以下の記述がある: 「ブリトンの最古の住民は、ケルト民族として歴史上に知られている民族の一分派だったと推察されている。」 「ローマ人はジュリアス・シーザーが浸入してからずっと、西暦四二〇年頃になって自発的に軍兵を引上げるまで、およそ五百年間ブリトンを占領していた。その間にローマ人の技芸と教養が、非常に広く土着民の間へ伝播したことは疑いのない事実である。道路、都市、城砦の遺跡は、ブリトンの開発進歩のために彼らが多大の貢献をしたことを物語っている。中略しかし、ローマの支配は主として兵力によって保たれていたものであるから、決してブリトン島全体には拡がり得なかった。現在のスコットランドに当たる北部地方はローマ人から独立を保ち、ウェイルズとコーンウォルのある西部地方は、名義上だけローマに属していた。中略 西暦四四九年、ヘンギストとホーサに率いられたサクソン人が到着した時分、ブリテンの西海岸は全部先住民に占有されていた。そして、それらの先住民たちは、侵略者と絶間なく戦争していたのであった。 それ故、本来のブリトン人の血統は、彼らの間だけ、交じりもののない純血で反繁栄ているというのが、ウェイルズとコーンウォルの人々にとって、大いに誇りとなっているのである。」 アーサー王とその騎士たちの序章には以下のような記述がある: 5世紀頃、ローマ帝国が滅亡すると、北部ヨーロッパには国家的な政府はほとんど亡くなり、地方の領主たちが領地内で権力を振るった。もし領主たちが勝手に権力を振るったら野蛮時代に戻ってしまう。こうした状態を食い止めたのは領主たちが先ずお互いに対抗し牽制し合っていたこと。次いで動機は何であれ、弱いものを守るという教会の影響があった。最後に人間の心に生まれながらに宿っている正義感と寛大さによる。この最後の原因から騎士道は起こった。無敵の力量、勇気、正義、謙譲、目上に対する忠誠、同輩への礼節、弱者への憐憫、教会への献身などの諸徳を有する英雄的性格の理想を作り上げた。それは現実生活では到達されないとしても、なお学ぶべき最高の典型として人々に承認されていた理想であった。 アーサー王の物語については: 「アーサー王の取り柄は、彼が必ずしも常勝の戦士ではなかったけれども、常に勇敢な戦士であったという点である。彼は絶大な果断をもって異端のサクソン人の浸入に対抗した。そしてアーサーの思い出は、同国人なるブリトン人によって最も高く評価され、ブリトン人はそれをウェイルズに持ち込み、アルモニカの血族匤ブルターニュに持ち込み、アーサー王の功績は国民的自負心によっていつしか誇張され、果てはシルリア(南部ウェイルズ)人の小領主が、イギリス、ゴール、ヨーロッパの大部分の征服者にまで祀り上げられてしまった。ついにアーサー王の系図は次第に架空的なブルータス(ローマのあのブルータスとは別人)へまで持って行かれ、さらにトロヤ戦争の時代へまで持って行かれ、ウェイルズ語やアルモリカ語でアーサー王の年代記のようなものが作られ・・・・」 作句のテキストとして使った『ゼロからわかるケルト神話とアーサー王伝説』ではよく分からなかった歴史的背景が本書により理解が進んだ。アーサー王伝説はギリシャ・ローマやメソポタミアの神話と比べてずっと後のものである。そして、キリスト教伝播の後の物語である。 『ゼロからわかるケルト神話とアーサー王伝説』では記載のなかったランスロットとギニヴィアの最期は本書の「アーサー王とその騎士たち」の終わりに載っていた。 アーサー王の死を知ったギニヴィアは居城を抜け出し、アームズペリへ行き、そこで尼となった。いかなる罪人もそれほどまでとは思われぬ厳しい修行を行い、断食と祈祷と慈善で暮らし、その地で尼たちに長老となり皆をおさめた。 一方ランスロットはモルドレッドの反乱を知り海を渡り英国に赴くが、アーサーの死を知る。とき既に遅いことを知ったランスロットは自分ひとりでせめて王妃を訪ね出したいといって皆と別れる。彼が西へ西へと馬を進め、とある尼寺に差しかかったとき、ギニヴィアはその姿を見つける。一旦は気絶したギニヴィアであったが、気がつきランスロットを案内するように命じた。そしてもう二度と私に会わないで下さい、国に帰って妻をめとり幸福と神の恩寵に恵まれてお暮らしなさいとギニヴィアは言う。ランスロットは自分もあなたと同じ道を歩み神に仕えましょうと言って深い嘆きと涙の末に別れた。 ランスロットは一つの礼拝堂と隠者の庵のあるところに出た。それはアーサーが葬られている庵で、彼の最期まで一緒だった、ベディヴィアのいるところだった。ランスロットはベディヴィアからアーサーの最期を聞く。そしてそこで彼は6年間の苦行を行った。ある夜ランスロットに一つの幻が現れアームズペリへ行くことを命じた。彼が着いてみるとギニヴィアは半時間前に亡くなっていた。彼が葬儀を取り仕切った。 それ以来ランスロットは一切の食物と飲み物を断ち、嘆きに沈んでいたが、6週間ほど経ったとき病にかかった。キリスト教による最期の儀式が行われ、彼は死んだ。「彼は宛然微笑んでいるような面持で、まわりには、彼らがこれまで知らなかった、甘美な匂いが充ち漂っていた。」ランスロットの遺骸はギニヴィアの棺を運んだ棺台に乗せて運ばれ、聖歌壇の下へ納められ、賛美歌を歌いねんごろな祈祷が捧げられた。 不義の恋にしてはなんと甘美な終焉だろう。 本書の「アーサー王とその騎士たち」は、トマス・マロリが21巻に分けて、1485年に完成したものを、もとにブルフィンチが1858年に書いたものである。 野上弥生子が翻訳したというのが意外だった。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 俳句と暮らす | 著者 | 小川軽舟 | No | ||||||
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2025-2 | ||||||||||
発行所 | 中公新書 | 発行年 | 2016年 | 読了年月日 | 2025-01-11 | 記入年月日 | ||||
帯には「平凡な日常が、かけがえのない記憶になる」とある。さらに裏表紙の帯には「日々の小さな発見を折に触れ書き留められるところにこそ、俳句本来の魅力がある」。本書をひと言で言えばこの通り。同感である。何も日常だけに限ることはないが俳句の基本は発見であると私は思う。親しみやすい俳句入門、解説書。誰かに勧められた本だと思うが、誰だったか記憶にない。 飯を作る、会社で働く、妻に会う、散歩をする、酒を飲む、病気で死ぬ、芭蕉も暮らすの7章からなる。サラリーマンでもあり単身赴任していたから飯を作る、妻に会うという章がある。 本書から: 俳句とは記憶の抽斗を開ける鍵のようなものだ。読者がそれぞれの抽斗を開けてこそそこに見出すものは同じではない。俳句が引き出す情景は作者が頭に思い浮かべていた情景に限定されない。読者それぞれの抽斗が引かれればそれでよいのだ。 草田男の句 妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る 妻に対する情欲をこんなに正直に詠った俳句も珍しい 中略 虹に謝す妻よりほかに女知らず よくぞここまでいったという句である。中略 草田男はそのことを少しも恥じていない。むしろそのことを運命に感謝する。他に女を知っていては妻との愛の聖性が損なわれ、妻が救い主ともならなかった。だから感謝するのである。日本が戦争に向かう暗澹とした時代に、「腐った男」のこの求道的な愛だけはまばゆいばかりである。 「腐った男」とは父の死後いつまでも一人前になれない長男の草田男を親戚が面罵した言葉。「草田男」の俳号の背景である。 森澄雄の句 木の実のごとき臍もちき死なしめき 急逝した妻への句。澄雄は療養中で妻の死に目に会えなかった。 「この世のものではなくなってしまった妻を思うとき、まっさきに目に浮かんだのが妻の「木の実のごとき臍」だった。つまりは出臍だったのだろうけれど、「木の実のごとき」と眺められるとなんと愛くるしいことか。ほのかなユーモアで妻に微笑みかけながら、臨終を見とどけてやることもできずに妻を死なせてしまった悔恨の念は底知れず深い。」 私たちの生きる時間は、後戻りすることなく前に進んでいく。時間は私たちに否応なく年を取らせ、やがて死をもたらす。けれども、時間は死という終点に向かって、ただまっすぐに進んでいくわけではない。前へ進み続ける時間がある一方で、四季をめぐって循環する時間がある。春、夏、秋と過ぎて冬になっても、それで終わりではなく、また春が来る。葉を落として枯れつくした木々も、また芽吹いて再生する。 俳句が季語を必要とするのは、俳句が後戻りすることなく進む時間と四季を繰り返して循環する時間の交わりに生まれる詩だからと考えることができるるだろう。人の一生を限りあるものにする時間は無常なものだが、四季を繰り返しながらこの世はずっと続いてゆく。永遠にめぐる時間を私たちに束の間夢見させてくれるのが俳句だと言ってもよい。 直線的な時間と循環的な時間に関しては私も「冬至の太陽」という題でエッセイを30年前に書いている。 小諸に疎開していた虚子が弟子の若い女性に葉書で送った3句 浅間かけて虹のたちたる君知るや 虹たちて忽ち君の在る如し 虹消えて忽ち君の無き如し 翌年春この女性は結核のために29歳で亡くなった。 俳句は病気と相性がよい。これは多くの俳句を読んできた私の実感である。中略 俳句の選句をしていると、命を脅かす病気になり、やがて亡くなる者もいる。それでも多くの場合、俳句は最期まで作り続けることができる。訃報が伝えられた後で、生前投函された俳句を手にすることも多い。中略 ほんの少し前まで仲間が生きていた証を見るのは辛いことではあるが、最後の最後までその俳句を見てやれたことは、その人の最期を看取ってやれたに等しいと感じる。 私は著者のような選者の立場ではないが、たまたま昨年のあかつき句会で驚くような体験をした。句会はメール句会で、3句投句、4句選。10月の句会で私が選んだ4句の内3句はSさんの句であった。10年近いあかつき句会の中では初めてのことだった。そして11月にSさんは突然亡くなった。3句は遺詠となってしまった。メールによる句会で投句はすべて私の所に集まるので、私は選に際して作者を知ることが出来る。しかし、選句は作品本位で選ぶ。そして3句がたまたまSさんのものだった。3句ともどこにもSさんの最期の予感となるものはなかった。 最期の章は「芭蕉も暮らす」 芭蕉野分して盥に雨を聞く夜哉 を取り上げ、「句の背景には、杜甫に代表される漢詩の世界への憧れがある。中略 芭蕉の深川隠棲の狙いは身を以て漢詩の世界のパロディを実践することにあった。日本橋から深川に移った芭蕉は、この地で俳句とともに暮らす新しいスタイルを世間に示そうとしたのである。」 深川隠棲の意図をこのように説明したのは初めて見る芭蕉論だ。 奥の細道を終えて、芭蕉が「かるみ」の世界へ展開していく背景も簡潔の述べられている。 あとがき 日常にべったり両足を着けたままでは詩は生まれない。ちょっと爪先立ってみる。それだけで日常んは新し発見がある。その発見が詩になる。ちょっと爪先立ってみる――それが俳句なのだ。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | カンタベリー物語 | 著者 | チョーサー、金子健二訳 | No | ||||||
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2025-3 | ||||||||||
発行所 | 角川文庫 | 発行年 | 昭和48年 | 読了年月日 | 2025-01-23 | 記入年月日 | ||||
これも本棚の奥で眠っていて黄ばんだ文庫本。 出だし:甘露のような四月の雨がひとふりすると、かわききっていた三月の大地が底までうるおい、木木は生気をとりもどし、つぼみはほころびかけてきた。森の梢や灌木の茂みは西風のかぐわしい呼吸(いき)にふかれて、やわらかい小枝をのばす。まだ若い太陽は白羊宮に半分はいったところである。一晩じゅう目をあけて眠っていた小鳥は、節もおもしろくさえずっている。 四季の移り変わりを細やかに歌うのは日本の詩歌だけではないことに先ず驚く。『カンタベリー物語は』の舞台は1387年である。日本で言えば室町時代の前期、定家はすでになく、宗祇はまだ生まれていない。韻文で書かれているこの物語は、韻文に翻訳しようとした試みは今まで上手く行ったためしがないと、あとがきで訳者の金子健二は述べている。この出だし部分には韻文らしさが感じられる。 物語はカンタベリーへの巡礼に出かける一行29人が道中それぞれに物語を語り、誰が一番面白かったかを競うもの。騎士とその従者、粉屋、僧侶、商人、船乗り、修道士、医者、バースの町の機織り女など当時の社会の様々な階層の人が含まれる。本書はそのうち8人の話を載せている。 話は人間の金銭欲、色欲丸出しの話、というか下ネタといったもの。 例えば「送達吏の物語」。これはその前の「托鉢僧の物語」で送達吏が散々コケにされたので、その反撃として語れたもの。 村々を回って人々から金品をもらって歩く托鉢僧が、病人の百姓の家にやって来て、散々説教をし修道場を建てるために黄金をせびる。自分と修道場の資金と、キリストへの寄進とに三等分するというのだ。男の病人は今まで散々寄進してきたのに効果がなく治らないと言ってことわるが最後に承諾する。男は托鉢僧に自分の背中から手を入れて下の方を探ってくれ、尻の下の隠してあるという。托鉢僧が言われたようにして手を尻の裂け目のところにやった。男は托鉢僧の手の平に屁を一発ぶっ放した。荷馬車の馬よりも大きな屁だった。托鉢僧は狂ったライオンのように飛び上がって怒った。騒ぎを聞きつけて家の者が駆けつけ托鉢僧を追い出した。 托鉢僧はある荘園の地主のところまでやって来た。地主はちょうど食事中だった。托鉢僧は彼が受けた侮辱を地主に話した。地主は言った「単なる屁の音ないしは臭味を等分にするなどというような、そんな問題を出した人があろうか。実際ばかばかしい、高慢なやつだ。」これをきいていた地主の息子が坊さんたちに屁を平等に分配するくらい分けないことだという。 息子が提案したのは12本の輻(や)の着いている普通の車輪をもってきて、12人の坊さんにその輻のはじにすっかりと鼻をつけて座らせる。その百姓を呼んできて車輪の真ん中、轂(こしき)の上に座らせ、一発屁をやらせればいい。これをきいた地主、地主夫人も托鉢僧もこぞって言った。「まさしく幾何学のユーグリッドか、天文学のプトレミに匹敵するものである。偉いことを考えてものだ」。 14世紀の末と言えばもうルネッサンスの時代に入っていたのだろうか。本書にはユーグリッド、プトレマイオスといったたぐいの古典の引用がよく出てくる。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 初葉 | 著者 | 丸谷三砂 | No | ||||||
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2025-4 | ||||||||||
発行所 | 角川文化振興団 | 発行年 | 2022年7月 | 読了年月日 | 2025-02-01 | 記入年月日 | ||||
天為の有力同人丸谷三砂さんの初句集。三砂さんは天為の東京例会で特選を取る常連だ。私は3,4年前まで三砂さんの句を選んだことはなかった。最近になって比較的よく選ぶようになった。私の記憶では東京例会で私の句が三砂さんに選ばれたのは2回だけだと思う。 三砂さんは長年の天為への貢献、中でも分厚い『有馬朗人全句集』の編纂の中心であったことに対して今年の天為賞が与えられた。 昨年暮れに八王子の大鳥神社や子安神社への吟行で、初めて三砂さんと吟行をともにした。吟行句会での三砂さんのコメントは明解でとても参考になった。もっと三砂さんの句に触れたいと希望したら、本書を贈られた。 ハードカバーで1ページに2句、402句を収める。 驚いたのはこれが初句集であるとのこと。 深く細やかな観察と的確な措辞の五七五は、いずれも透明感に溢れ、読んでいてすがすがしい気分に充たされた。 小動物の句がたくさんある中で、猫の句が見当たらないのは意外だった。 帯の自薦句並びに坂本宮尾さんのお祝いの言葉を見る前に前に、私自身が特に注目した句: 紫の多摩の横山初電車 冒頭句 雛箱に薄るるわが名父恋し 戻り来て蜘蛛仮留めの糸はづす かはらけの飛んで万緑ゆるぎなし 百枚の軍手の干され原爆忌 ややありて隣村より威銃 インバネスむかし男は家を負ひ 独楽飛んで魂の抜けたる紐残る 夜の海へ漕ぎ出すごとく紙を漉く 吹き口の輪の銀いろや紙風船 金魚にも憂きこと泡をひとつ吐く 干されたる襁褓の下を羽抜鶏 笑ひそこねしハロウィンの南瓜かな 短日や立てて収むる猫車 雪吊の突然まはりだしさうな 十二神将眉間に虎落笛をきく 警棒の陵守にして桜守 水中に交差点あり熱帯魚 伸びきつて殻ひき寄する蝸牛 うすきこと涼しと思ふ鉋屑 着ぶくれて身の深きより電話鳴る マウスてふ我が掌中の嫁が君 脈を診るやうに芽吹きの枝に触る 匙を抜き卓にはらりとかき氷 月に引く手綱もしまひ鵜飼かな この道や盗人萩に遭ひしのみ 連山の風に打ち合ふ吊し柿 一瀑をもつて真二つに紅葉谿 蛇口より水つよく出し事務始 雪を踏む音していぶりがつこ噛む 深悼 有馬朗人先生 二句 (掉尾) 朴落ち葉この一音に師は逝けり 一万歩よりも遠くへ冬帽子 (朗人先生は一日一万歩を目標にされていた) ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 薤露行(かいろこう) | 著者 | 夏目漱石 | No | ||||||
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2025-5 | ||||||||||
発行所 | 青空文庫 | 発行年 | 読了年月日 | 2025-02-10 | 記入年月日 | |||||
『ケルト神話とアーサー王伝説』の巻末の解説に、アーサー王伝説が後世の文学作品に与えた影響の一つとして、1905年の漱石のこの作品が挙げられていた。漱石の作品は青空文庫で読めるので、早速読んでみた。擬古文の凝った文体で読みづらかった。 アーサー王伝説を題材に、騎士ランスロットを巡る三人の女性が登場する。王妃ギニヴィア、シャロットの女、エレーンである。 アーサー王一行は北での騎士の試合に出かける。ランスロットは病気と偽り出発を延ばし王妃のところに行く。王妃と別れてランスロットも北へ向けて発つ。その姿を高台から鏡の中で見下ろしていた女がいる。女は魔法がかかった鏡を通してしか外を見ることが出来ない。窓の外を直接見ると呪いが降りかかる運命になっている、鏡の中でランスロットは女に向かってくる。女は窓から顔を出す。鏡は粉々に壊れる女は倒れる。 ランスロットは旅の一夜をある城に求める。城には若い娘エレーンがいた。彼女はランスロットをひと目見て恋に落ちた。翌朝ランスロットは出立するが、娘は自分の衣服の一部を切り裂きランスロットに渡す。エレーンの兄の盾とエレーンの布を兜につけランスロットは発つ。 試合ではランスロットは勝つが、自身も負傷する。秘かに帰って城の近くで治療する。ランスロットへの思いを募らせたエレーンは衰弱して死ぬ。遺体は船に乗せて流してくれと遺言する。 カメロットでは王妃とランスロットの不倫を暴いたモーレットらがアーサー王に迫る。その時エレーンの遺体を乗せた船がカメロットに流れ着く。 この作品はウイキペディアで詳細に解説されている。薤露行 - Wikipedia 私は読んでいてキャメロットの女というのはギニヴィアのことだとばかり思っていた。しかし、別の女性だった。『中世騎士物語』には触れられておらず、その代わりエレーンが「シャロットの姫」として登場する。漱石はアーサー王物語と、もう一つテニソンの詩を題材にしてこの作品を書き上げた。キャメロットの女はテニソンの詩に登場する女性なのだろう。 薤露行という題は中国の中国の楽府の題名から来ている。薤はラッキョウのことで、葉が細いので露はとどまりにくくすぐ乾く、「人生は薤上の露の如く晞(かわ)き易し」に由来すると漱石は説明した。 作品は1905年11月号の中央公論に掲載された、この年の1月には『吾輩は猫である』がホトトギスに発表され、好評を得ていた。漱石は『薤露行』は『吾輩は猫である』にくらべて5倍も労力がかかったと虚子宛てに書いている。 発表当時から評判になった作品であるが、擬古文体の読みづらい作品で、余り一般化しなかったようだ。もちろん私も今回初めて知った作品である。この作品を巡っては大岡昇平と江藤淳の間で論争があった。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 谷川俊太郎詩集 | 著者 | 谷川俊太郎 | No | ||||||
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2025-6 | ||||||||||
発行所 | 岩波文庫 | 発行年 | 2013年刊、2024年24刷 | 読了年月日 | 2025-02-14 | 記入年月日 | ||||
『天為』ネット句会で1月投句の中に「俊太郎の嚔に宇宙ふくらみて」という句があった。面白い句で選んでみたくなった。ただ、谷川俊太郎の詩はまったく知らないかったので先ずネットで検索した。 国語の教科書にも載る詩として 「二十億光年の孤独」があって、その終わりの4行が「宇宙はどんどん膨らんでゆく/それ故みんなは不安である/二十億年の孤独に/僕は思わずくしゃみをした」であった。 俳句はこの詩を本歌としてうまく詠んでいると思い選に入れた。 この詩は俊太郎18歳の時の詩である。本書は自選句集で、60冊を越える詩集から173編が選ばれている。文語は使わず定型詩でもないが平易な言葉により作り出される軽快なリズムが心地よい。 「二十億年の孤独」の次にあるやはり18歳の時の作品「ネロ――愛された小さな犬に」が良い。 ネロ/もうじき又夏がやってくる/お前の舌/お前の眼/お前の昼寝姿が/今はっきりと僕の前によみがえる 中略 ネロお前は死んだ/誰にも知れないようにひとりで遠くへ行って/お前の声/お前の感触/お前の気持ちまでもが/今はっきりと僕によみがえる しかしネロ/もうじき又夏がやってくる/新しい無限に広い夏がやってくる/そして/僕はやっぱり歩いてゆくだろう/新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ/春をむかえ さらに新しい夏を期待して/すべての新しいことを知るために/そして/すべての僕のの質問に自ら答えるために うんち、へ、ひもなど卑近なものを題材にしている。ことばあそび、ひらがなばかりの詩も多い。 「かえる」 かえるかえるは/みちまちがえる/むかえるかえるは/ひっくりかえる きのぼりかえるは/きをとりかえる/とのさまがえるは/かえるもかえる かあさんがえるは/こがえるかかえる/とうさんがえる/いつかえる かと思えば死のことを歌った詩が多い。俊太郎は死を暗く哀しいものとしては歌わない。明るく肯定的なものとして歌ってる。 「臨死船」という本書でも最長の部類の詩の一部: おや どこからか声が聞こえてきた/「おとうさん おとうさん」と言っている/どうやら泣いているようだ/聞き覚えのある声だと思ったら女房の声だった/なんだか妙に色っぽい/抱きたくなってきた もうカラダは無いはすなのに/ きょろきょろ見回して女房の姿を探した/すぐそばにいたが幽霊のように影が薄い/手を握るとまるで手ごたえがない/その代り気持ちが手に取るように分かる/本気で悲しんでいるのはいいが/生命保険という打算も入っているのが気になる モーツアルトへの傾倒 「人を愛することの出来ぬ者も」 これが一番いいもの/澄みきった九月の青空には及ばないかもしれないが/もしかすると世界中の花々を全部あわせたよりもいいもの/束の間たゆたってすぐに大気に溶けこんでしまうけれど/その一瞬はピラミッドよりも永遠に近い 中略 これが一番いいもの/この短い単純きわまりない旋律が/ぼくは息をこらす ぼくはそっと息をはく/人を愛することの出来ぬ者もモーツアルトに涙する/もしもそれが幻ならこの世のすべては夢にすぎない ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 杉俊郎 | 著者 | 鶴田徹 | No | ||||||
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2025-7 | ||||||||||
発行所 | 鶴鳴社 | 発行年 | 令和5年12月 | 読了年月日 | 2025-02-19 | 記入年月日 | ||||
サブタイトルは「病を推して戦中戦後の昆虫出版を担った男」 高校のクラスメート、鶴田徹さんから送られてきた。鶴田さんが9歳年上の俊郎叔父の業績をまとめたもの。杉俊郎は幼くして脊椎カリエスを発病し、病気と闘いながら好きな昆虫関係の情報誌、著作を刊行し昭和35年に満30歳という若さでなくなった。多数の写真、そして杉俊郎が書いた多数のイラストと文章がびっしりと掲載されたA4版130ページを越える労作。古い文献を閲覧するために国会図書館に通い、文章はすべて自身で打ち直した。 筆者の杉俊郎に対する深い敬愛がなければできなかったであろう。読み終えて感じたのはそのことであり、杉俊郎もあの世で喜んでいるだろうという思いだった。 杉俊郎は幼い時から昆虫好きであった。戦前の14歳から戦後の20歳頃までに10報もの蝶などの観察記録を昆虫関係の雑誌に発表している。しかし、杉の本領は雑誌の編集にあった。絵も好きであったので10代に10数編の手作り本を作っている。 1945年7月には「蟲界速報」という雑誌を創刊した。紙面はすべて16歳でカリエスを病む杉俊郎の手書きで石版印刷された。その後活版印刷になったがその第一号には共同編集者のつてで柳田国男「蟻地獄と子供」が連載されたと言うから驚く。戦後の物資不足、インフレの中で「蟲界速報」は昆虫研究者、愛好者の情報交換誌として35号まで出版された。 「蟲界速報」に載った杉俊郎の文章は季節感に溢れる。例えば昭和21年3月1日号: *小春日*陽射しは柔らかに納屋に照り、梅の香が縁先にまで漂ってくる。年老いた猫も炬燵から下りて縁に来て顔を洗っている。全くのどかだ。陽を受けていると何もしないで何時までもじっとこうしていたくなる。落葉樹の芽も萌え出た。鶯の囀りも聞こえる。空も淡く霞んで本当に春が来たのだと感じる。(p46)。 17歳、俳人のような季節の描写。小学校3年までで学校には通わず、多くの本を読んで文章を磨いたと著者は言う。 「蟲界速報」の後は「蟲・自然」、さらにもう少し本格的な「生態昆虫」を刊行。昆虫の研究は単なる虫の記録からその生活史の究明に進むべきだと杉は常々主張していた。優れた見識だと思う。杉は書籍の刊行のために自ら陸水社という出版社を創る。陸水社の単行本には今西錦司『動物社会の論理』昭和33年といった本もある。 亡き叔父に倣ったのだろう、鶴田徹さんも自著『元老院議官 鶴田皓 ――日本近代法典編纂の軌跡――』の出版に際し出版社を作り、本書はその「鶴鳴社」から発刊された。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 著者 | No | ||||||||
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2025- | ||||||||||
発行所 | 発行年 | 読了年月日 | 記入年月日 | |||||||
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