読書ノート2025 |
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書名 | 著者 |
中世騎士物語 | ブルフィンチ |
俳句と暮らす | 小川軽舟 |
カンタベリー物語 | チョーサー |
初葉 | 丸谷三砂 |
薤露行(かいろこう) | 夏目漱石 |
谷川俊太郎詩集 | 谷川俊太郎 |
杉俊郎 | 鶴田徹 |
ゼロからわかるケルト神話とアーサー王伝説 | かみゆ歴史編集部 |
戦艦大和ノ最期 | 吉田満 |
竹下しづの女の百句 | 坂本宮尾 |
NEXUS(ネクサス)情報の人類史(上) | ユヴァル・ノア・ハラリ |
睡眠の起源 | 金谷啓之 |
維新暗殺秘録 | 平尾道雄 |
日本を開国させた男,,松平忠固 | 関良基 |
紫式部日記 | 紫式部 |
今昔物語 | 角川書店編 |
三教指帰 | 空海 |
NEXUS(ネクサス)情報の人類史(下) | ユヴァル・ノア・ハラリ |
書名 | 中世騎士物語 | 著者 | ブルフィンチ作 野上弥生子訳 | No | ||||||
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2025-1 | ||||||||||
発行所 | 岩波文庫 | 発行年 | 1981年 | 読了年月日 | 2025-01-07 | 記入年月日 | ||||
初版は1942年。褐色がかって本棚の奥にあった。購入したままで読んだ記憶はない。多分読みかけて面白いと思わなかったのだろう。天為俳句会で有志がやっている神話で遊ぶのケルト神話編もあと2回で終わるころになって本書が目に入り読んでみる気になった。 本書は以下の三つの内容から成る: アーサー王とその騎士たち マビノジョン 英国民族の英雄伝説 マビノジョンの第1章ブリトン人には以下の記述がある: 「ブリトンの最古の住民は、ケルト民族として歴史上に知られている民族の一分派だったと推察されている。」 「ローマ人はジュリアス・シーザーが浸入してからずっと、西暦四二〇年頃になって自発的に軍兵を引上げるまで、およそ五百年間ブリトンを占領していた。その間にローマ人の技芸と教養が、非常に広く土着民の間へ伝播したことは疑いのない事実である。道路、都市、城砦の遺跡は、ブリトンの開発進歩のために彼らが多大の貢献をしたことを物語っている。中略 しかし、ローマの支配は主として兵力によって保たれていたものであるから、決してブリトン島全体には拡がり得なかった。現在のスコットランドに当たる北部地方はローマ人から独立を保ち、ウェイルズとコーンウォルのある西部地方は、名義上だけローマに属していた。中略 西暦四四九年、ヘンギストとホーサに率いられたサクソン人が到着した時分、ブリテンの西海岸は全部先住民に占有されていた。そして、それらの先住民たちは、侵略者と絶間なく戦争していたのであった。 それ故、本来のブリトン人の血統は、彼らの間だけ、交じりもののない純血で反繁栄ているというのが、ウェイルズとコーンウォルの人々にとって、大いに誇りとなっているのである。」 「シーザーのブリテンへの侵攻によって、初めてイギリスが世界史へ登場した」というチャーチルの言葉をどこかで読んだ記憶がある。 アーサー王とその騎士たちの序章には以下のような記述がある: 5世紀頃、ローマ帝国が滅亡すると、北部ヨーロッパには国家的な政府はほとんど亡くなり、地方の領主たちが領地内で権力を振るった。もし領主たちが勝手に権力を振るったら野蛮時代に戻ってしまう。こうした状態を食い止めたのは領主たちが先ずお互いに対抗し牽制し合っていたこと。次いで動機は何であれ、弱いものを守るという教会の影響があった。最後に人間の心に生まれながらに宿っている正義感と寛大さによる。この最後の原因から騎士道は起こった。無敵の力量、勇気、正義、謙譲、目上に対する忠誠、同輩への礼節、弱者への憐憫、教会への献身などの諸徳を有する英雄的性格の理想を作り上げた。それは現実生活では到達されないとしても、なお学ぶべき最高の典型として人々に承認されていた理想であった。 アーサー王の物語については: 「アーサー王の取り柄は、彼が必ずしも常勝の戦士ではなかったけれども、常に勇敢な戦士であったという点である。彼は絶大な果断をもって異端のサクソン人の浸入に対抗した。そしてアーサーの思い出は、同国人なるブリトン人によって最も高く評価され、ブリトン人はそれをウェイルズに持ち込み、アルモニカの血族匤ブルターニュに持ち込み、アーサー王の功績は国民的自負心によっていつしか誇張され、果てはシルリア(南部ウェイルズ)人の小領主が、イギリス、ゴール、ヨーロッパの大部分の征服者にまで祀り上げられてしまった。ついにアーサー王の系図は次第に架空的なブルータス(ローマのあのブルータスとは別人)へまで持って行かれ、さらにトロヤ戦争の時代へまで持って行かれ、ウェイルズ語やアルモリカ語でアーサー王の年代記のようなものが作られ・・・・」 作句のテキストとして使った『ゼロからわかるケルト神話とアーサー王伝説』ではよく分からなかった歴史的背景が本書により理解が進んだ。アーサー王伝説はギリシャ・ローマやメソポタミアの神話と比べてずっと後のものである。そして、キリスト教伝播の後の物語である。 『ゼロからわかるケルト神話とアーサー王伝説』では記載のなかったランスロットとギニヴィアの最期は本書の「アーサー王とその騎士たち」の終わりに載っていた。 アーサー王の死を知ったギニヴィアは居城を抜け出し、アームズペリへ行き、そこで尼となった。いかなる罪人もそれほどまでとは思われぬ厳しい修行を行い、断食と祈祷と慈善で暮らし、その地で尼たちに長老となり皆をおさめた。 一方ランスロットはモルドレッドの反乱を知り海を渡り英国に赴くが、アーサーの死を知る。とき既に遅いことを知ったランスロットは自分ひとりでせめて王妃を訪ね出したいといって皆と別れる。彼が西へ西へと馬を進め、とある尼寺に差しかかったとき、ギニヴィアはその姿を見つける。一旦は気絶したギニヴィアであったが、気がつきランスロットを案内するように命じた。そしてもう二度と私に会わないで下さい、国に帰って妻をめとり幸福と神の恩寵に恵まれてお暮らしなさいとギニヴィアは言う。ランスロットは自分もあなたと同じ道を歩み神に仕えましょうと言って深い嘆きと涙の末に別れた。 ランスロットは一つの礼拝堂と隠者の庵のあるところに出た。それはアーサーが葬られている庵で、彼の最期まで一緒だった、ベディヴィアのいるところだった。ランスロットはベディヴィアからアーサーの最期を聞く。そしてそこで彼は6年間の苦行を行った。ある夜ランスロットに一つの幻が現れアームズペリへ行くことを命じた。彼が着いてみるとギニヴィアは半時間前に亡くなっていた。彼が葬儀を取り仕切った。 それ以来ランスロットは一切の食物と飲み物を断ち、嘆きに沈んでいたが、6週間ほど経ったとき病にかかった。キリスト教による最期の儀式が行われ、彼は死んだ。「彼は宛然微笑んでいるような面持で、まわりには、彼らがこれまで知らなかった、甘美な匂いが充ち漂っていた。」ランスロットの遺骸はギニヴィアの棺を運んだ棺台に乗せて運ばれ、聖歌壇の下へ納められ、賛美歌を歌いねんごろな祈祷が捧げられた。 不義の恋にしてはなんと甘美な終焉だろう。 本書の「アーサー王とその騎士たち」は、トマス・マロリが21巻に分けて、1485年に完成したものを、もとにブルフィンチが1858年に書いたものである。 野上弥生子が翻訳したというのが意外だった。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 俳句と暮らす | 著者 | 小川軽舟 | No | ||||||
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2025-2 | ||||||||||
発行所 | 中公新書 | 発行年 | 2016年 | 読了年月日 | 2025-01-11 | 記入年月日 | ||||
帯には「平凡な日常が、かけがえのない記憶になる」とある。さらに裏表紙の帯には「日々の小さな発見を折に触れ書き留められるところにこそ、俳句本来の魅力がある」。本書をひと言で言えばこの通り。同感である。何も日常だけに限ることはないが俳句の基本は発見であると私は思う。親しみやすい俳句入門、解説書。誰かに勧められた本だと思うが、誰だったか記憶にない。 飯を作る、会社で働く、妻に会う、散歩をする、酒を飲む、病気で死ぬ、芭蕉も暮らすの7章からなる。サラリーマンでもあり単身赴任していたから飯を作る、妻に会うという章がある。 本書から: 俳句とは記憶の抽斗を開ける鍵のようなものだ。読者がそれぞれの抽斗を開けてこそそこに見出すものは同じではない。俳句が引き出す情景は作者が頭に思い浮かべていた情景に限定されない。読者それぞれの抽斗が引かれればそれでよいのだ。 草田男の句 妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る 妻に対する情欲をこんなに正直に詠った俳句も珍しい 中略 虹に謝す妻よりほかに女知らず よくぞここまでいったという句である。中略 草田男はそのことを少しも恥じていない。むしろそのことを運命に感謝する。他に女を知っていては妻との愛の聖性が損なわれ、妻が救い主ともならなかった。だから感謝するのである。日本が戦争に向かう暗澹とした時代に、「腐った男」のこの求道的な愛だけはまばゆいばかりである。 「腐った男」とは父の死後いつまでも一人前になれない長男の草田男を親戚が面罵した言葉。「草田男」の俳号の背景である。 森澄雄の句 木の実のごとき臍もちき死なしめき 急逝した妻への句。澄雄は療養中で妻の死に目に会えなかった。 「この世のものではなくなってしまった妻を思うとき、まっさきに目に浮かんだのが妻の「木の実のごとき臍」だった。つまりは出臍だったのだろうけれど、「木の実のごとき」と眺められるとなんと愛くるしいことか。ほのかなユーモアで妻に微笑みかけながら、臨終を見とどけてやることもできずに妻を死なせてしまった悔恨の念は底知れず深い。」 私たちの生きる時間は、後戻りすることなく前に進んでいく。時間は私たちに否応なく年を取らせ、やがて死をもたらす。けれども、時間は死という終点に向かって、ただまっすぐに進んでいくわけではない。前へ進み続ける時間がある一方で、四季をめぐって循環する時間がある。春、夏、秋と過ぎて冬になっても、それで終わりではなく、また春が来る。葉を落として枯れつくした木々も、また芽吹いて再生する。 俳句が季語を必要とするのは、俳句が後戻りすることなく進む時間と四季を繰り返して循環する時間の交わりに生まれる詩だからと考えることができるるだろう。人の一生を限りあるものにする時間は無常なものだが、四季を繰り返しながらこの世はずっと続いてゆく。永遠にめぐる時間を私たちに束の間夢見させてくれるのが俳句だと言ってもよい。 直線的な時間と循環的な時間に関しては私も「冬至の太陽」という題でエッセイを30年前に書いている。 小諸に疎開していた虚子が弟子の若い女性に葉書で送った3句 浅間かけて虹のたちたる君知るや 虹たちて忽ち君の在る如し 虹消えて忽ち君の無き如し 翌年春この女性は結核のために29歳で亡くなった。 俳句は病気と相性がよい。これは多くの俳句を読んできた私の実感である。中略 俳句の選句をしていると、命を脅かす病気になり、やがて亡くなる者もいる。それでも多くの場合、俳句は最期まで作り続けることができる。訃報が伝えられた後で、生前投函された俳句を手にすることも多い。中略 ほんの少し前まで仲間が生きていた証を見るのは辛いことではあるが、最後の最後までその俳句を見てやれたことは、その人の最期を看取ってやれたに等しいと感じる。 私は著者のような選者の立場ではないが、たまたま昨年のあかつき句会で驚くような体験をした。句会はメール句会で、3句投句、4句選。10月の句会で私が選んだ4句の内3句はSさんの句であった。10年近いあかつき句会の中では初めてのことだった。そして11月にSさんは突然亡くなった。3句は遺詠となってしまった。メールによる句会で投句はすべて私の所に集まるので、私は選に際して作者を知ることが出来る。しかし、選句は作品本位で選ぶ。そして3句がたまたまSさんのものだった。3句ともどこにもSさんの最期の予感となるものはなかった。 最期の章は「芭蕉も暮らす」 芭蕉野分して盥に雨を聞く夜哉 を取り上げ、「句の背景には、杜甫に代表される漢詩の世界への憧れがある。中略 芭蕉の深川隠棲の狙いは身を以て漢詩の世界のパロディを実践することにあった。日本橋から深川に移った芭蕉は、この地で俳句とともに暮らす新しいスタイルを世間に示そうとしたのである。」 深川隠棲の意図をこのように説明したのは初めて見る芭蕉論だ。 奥の細道を終えて、芭蕉が「かるみ」の世界へ展開していく背景も簡潔の述べられている。 あとがき 日常にべったり両足を着けたままでは詩は生まれない。ちょっと爪先立ってみる。それだけで日常んは新し発見がある。その発見が詩になる。ちょっと爪先立ってみる――それが俳句なのだ。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | カンタベリー物語 | 著者 | チョーサー、金子健二訳 | No | ||||||
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2025-3 | ||||||||||
発行所 | 角川文庫 | 発行年 | 昭和48年 | 読了年月日 | 2025-01-23 | 記入年月日 | ||||
これも本棚の奥で眠っていて黄ばんだ文庫本。 出だし:甘露のような四月の雨がひとふりすると、かわききっていた三月の大地が底までうるおい、木木は生気をとりもどし、つぼみはほころびかけてきた。森の梢や灌木の茂みは西風のかぐわしい呼吸(いき)にふかれて、やわらかい小枝をのばす。まだ若い太陽は白羊宮に半分はいったところである。一晩じゅう目をあけて眠っていた小鳥は、節もおもしろくさえずっている。 四季の移り変わりを細やかに歌うのは日本の詩歌だけではないことに先ず驚く。『カンタベリー物語は』の舞台は1387年である。日本で言えば室町時代の前期、定家はすでになく、宗祇はまだ生まれていない。韻文で書かれているこの物語は、韻文に翻訳しようとした試みは今まで上手く行ったためしがないと、あとがきで訳者の金子健二は述べている。この出だし部分には韻文らしさが感じられる。 物語はカンタベリーへの巡礼に出かける一行29人が道中それぞれに物語を語り、誰が一番面白かったかを競うもの。騎士とその従者、粉屋、僧侶、商人、船乗り、修道士、医者、バースの町の機織り女など当時の社会の様々な階層の人が含まれる。本書はそのうち8人の話を載せている。 話は人間の金銭欲、色欲丸出しの話、というか下ネタといったもの。 例えば「送達吏の物語」。これはその前の「托鉢僧の物語」で送達吏が散々コケにされたので、その反撃として語れたもの。 村々を回って人々から金品をもらって歩く托鉢僧が、病人の百姓の家にやって来て、散々説教をし修道場を建てるために黄金をせびる。自分と修道場の資金と、キリストへの寄進とに三等分するというのだ。男の病人は今まで散々寄進してきたのに効果がなく治らないと言ってことわるが最後に承諾する。男は托鉢僧に自分の背中から手を入れて下の方を探ってくれ、尻の下の隠してあるという。托鉢僧が言われたようにして手を尻の裂け目のところにやった。男は托鉢僧の手の平に屁を一発ぶっ放した。荷馬車の馬よりも大きな屁だった。托鉢僧は狂ったライオンのように飛び上がって怒った。騒ぎを聞きつけて家の者が駆けつけ托鉢僧を追い出した。 托鉢僧はある荘園の地主のところまでやって来た。地主はちょうど食事中だった。托鉢僧は彼が受けた侮辱を地主に話した。地主は言った「単なる屁の音ないしは臭味を等分にするなどというような、そんな問題を出した人があろうか。実際ばかばかしい、高慢なやつだ。」これをきいていた地主の息子が坊さんたちに屁を平等に分配するくらい分けないことだという。 息子が提案したのは12本の輻(や)の着いている普通の車輪をもってきて、12人の坊さんにその輻のはじにすっかりと鼻をつけて座らせる。その百姓を呼んできて車輪の真ん中、轂(こしき)の上に座らせ、一発屁をやらせればいい。これをきいた地主、地主夫人も托鉢僧もこぞって言った。「まさしく幾何学のユーグリッドか、天文学のプトレミに匹敵するものである。偉いことを考えてものだ」。 14世紀の末と言えばもうルネッサンスの時代に入っていたのだろうか。本書にはユーグリッド、プトレマイオスといったたぐいの古典の引用がよく出てくる。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 初葉 | 著者 | 丸谷三砂 | No | ||||||
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2025-4 | ||||||||||
発行所 | 角川文化振興団 | 発行年 | 2022年7月 | 読了年月日 | 2025-02-01 | 記入年月日 | ||||
天為の有力同人丸谷三砂さんの初句集。三砂さんは天為の東京例会で特選を取る常連だ。私は3,4年前まで三砂さんの句を選んだことはなかった。最近になって比較的よく選ぶようになった。私の記憶では東京例会で私の句が三砂さんに選ばれたのは2回だけだと思う。 三砂さんは長年の天為への貢献、中でも分厚い『有馬朗人全句集』の編纂の中心であったことに対して今年の天為賞が与えられた。 昨年暮れに八王子の大鳥神社や子安神社への吟行で、初めて三砂さんと吟行をともにした。吟行句会での三砂さんのコメントは明解でとても参考になった。もっと三砂さんの句に触れたいと希望したら、本書を贈られた。 ハードカバーで1ページに2句、402句を収める。 驚いたのはこれが初句集であるとのこと。 深く細やかな観察と的確な措辞の五七五は、いずれも透明感に溢れ、読んでいてすがすがしい気分に充たされた。 小動物の句がたくさんある中で、猫の句が見当たらないのは意外だった。 帯の自薦句並びに坂本宮尾さんのお祝いの言葉を見る前に前に、私自身が特に注目した句: 紫の多摩の横山初電車 冒頭句 雛箱に薄るるわが名父恋し 戻り来て蜘蛛仮留めの糸はづす かはらけの飛んで万緑ゆるぎなし 百枚の軍手の干され原爆忌 ややありて隣村より威銃 インバネスむかし男は家を負ひ 独楽飛んで魂の抜けたる紐残る 夜の海へ漕ぎ出すごとく紙を漉く 吹き口の輪の銀いろや紙風船 金魚にも憂きこと泡をひとつ吐く 干されたる襁褓の下を羽抜鶏 笑ひそこねしハロウィンの南瓜かな 短日や立てて収むる猫車 雪吊の突然まはりだしさうな 十二神将眉間に虎落笛をきく 警棒の陵守にして桜守 水中に交差点あり熱帯魚 伸びきつて殻ひき寄する蝸牛 うすきこと涼しと思ふ鉋屑 着ぶくれて身の深きより電話鳴る マウスてふ我が掌中の嫁が君 脈を診るやうに芽吹きの枝に触る 匙を抜き卓にはらりとかき氷 月に引く手綱もしまひ鵜飼かな この道や盗人萩に遭ひしのみ 連山の風に打ち合ふ吊し柿 一瀑をもつて真二つに紅葉谿 蛇口より水つよく出し事務始 雪を踏む音していぶりがつこ噛む 深悼 有馬朗人先生 二句 (掉尾) 朴落ち葉この一音に師は逝けり 一万歩よりも遠くへ冬帽子 (朗人先生は一日一万歩を目標にされていた) ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 薤露行(かいろこう) | 著者 | 夏目漱石 | No | ||||||
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2025-5 | ||||||||||
発行所 | 青空文庫 | 発行年 | 読了年月日 | 2025-02-10 | 記入年月日 | |||||
『ケルト神話とアーサー王伝説』の巻末の解説に、アーサー王伝説が後世の文学作品に与えた影響の一つとして、1905年の漱石のこの作品が挙げられていた。漱石の作品は青空文庫で読めるので、早速読んでみた。擬古文の凝った文体で読みづらかった。 アーサー王伝説を題材に、騎士ランスロットを巡る三人の女性が登場する。王妃ギニヴィア、シャロットの女、エレーンである。 アーサー王一行は北での騎士の試合に出かける。ランスロットは病気と偽り出発を延ばし王妃のところに行く。王妃と別れてランスロットも北へ向けて発つ。その姿を高台から鏡の中で見下ろしていた女がいる。女は魔法がかかった鏡を通してしか外を見ることが出来ない。窓の外を直接見ると呪いが降りかかる運命になっている、鏡の中でランスロットは女に向かってくる。女は窓から顔を出す。鏡は粉々に壊れる女は倒れる。 ランスロットは旅の一夜をある城に求める。城には若い娘エレーンがいた。彼女はランスロットをひと目見て恋に落ちた。翌朝ランスロットは出立するが、娘は自分の衣服の一部を切り裂きランスロットに渡す。エレーンの兄の盾とエレーンの布を兜につけランスロットは発つ。 試合ではランスロットは勝つが、自身も負傷する。秘かに帰って城の近くで治療する。ランスロットへの思いを募らせたエレーンは衰弱して死ぬ。遺体は船に乗せて流してくれと遺言する。 カメロットでは王妃とランスロットの不倫を暴いたモーレットらがアーサー王に迫る。その時エレーンの遺体を乗せた船がカメロットに流れ着く。 この作品はウイキペディアで詳細に解説されている。薤露行 - Wikipedia 私は読んでいてキャメロットの女というのはギニヴィアのことだとばかり思っていた。しかし、別の女性だった。『中世騎士物語』には触れられておらず、その代わりエレーンが「シャロットの姫」として登場する。漱石はアーサー王物語と、もう一つテニソンの詩を題材にしてこの作品を書き上げた。キャメロットの女はテニソンの詩に登場する女性なのだろう。 薤露行という題は中国の中国の楽府の題名から来ている。薤はラッキョウのことで、葉が細いので露はとどまりにくくすぐ乾く、「人生は薤上の露の如く晞(かわ)き易し」に由来すると漱石は説明した。 作品は1905年11月号の中央公論に掲載された、この年の1月には『吾輩は猫である』がホトトギスに発表され、好評を得ていた。漱石は『薤露行』は『吾輩は猫である』にくらべて5倍も労力がかかったと虚子宛てに書いている。 発表当時から評判になった作品であるが、擬古文体の読みづらい作品で、余り一般化しなかったようだ。もちろん私も今回初めて知った作品である。この作品を巡っては大岡昇平と江藤淳の間で論争があった。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 谷川俊太郎詩集 | 著者 | 谷川俊太郎 | No | ||||||
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2025-6 | ||||||||||
発行所 | 岩波文庫 | 発行年 | 2013年刊、2024年24刷 | 読了年月日 | 2025-02-14 | 記入年月日 | ||||
『天為』ネット句会で1月投句の中に「俊太郎の嚔に宇宙ふくらみて」という句があった。面白い句で選んでみたくなった。ただ、谷川俊太郎の詩はまったく知らないかったので先ずネットで検索した。 国語の教科書にも載る詩として 「二十億光年の孤独」があって、その終わりの4行が「宇宙はどんどん膨らんでゆく/それ故みんなは不安である/二十億年の孤独に/僕は思わずくしゃみをした」であった。 俳句はこの詩を本歌としてうまく詠んでいると思い選に入れた。 この詩は俊太郎18歳の時の詩である。本書は自選句集で、60冊を越える詩集から173編が選ばれている。文語は使わず定型詩でもないが平易な言葉により作り出される軽快なリズムが心地よい。 「二十億年の孤独」の次にあるやはり18歳の時の作品「ネロ――愛された小さな犬に」が良い。 ネロ/もうじき又夏がやってくる/お前の舌/お前の眼/お前の昼寝姿が/今はっきりと僕の前によみがえる 中略 ネロお前は死んだ/誰にも知れないようにひとりで遠くへ行って/お前の声/お前の感触/お前の気持ちまでもが/今はっきりと僕によみがえる しかしネロ/もうじき又夏がやってくる/新しい無限に広い夏がやってくる/そして/僕はやっぱり歩いてゆくだろう/新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ/春をむかえ さらに新しい夏を期待して/すべての新しいことを知るために/そして/すべての僕のの質問に自ら答えるために うんち、へ、ひもなど卑近なものを題材にしている。ことばあそび、ひらがなばかりの詩も多い。 「かえる」 かえるかえるは/みちまちがえる/むかえるかえるは/ひっくりかえる きのぼりかえるは/きをとりかえる/とのさまがえるは/かえるもかえる かあさんがえるは/こがえるかかえる/とうさんがえる/いつかえる かと思えば死のことを歌った詩が多い。俊太郎は死を暗く哀しいものとしては歌わない。明るく肯定的なものとして歌ってる。 「臨死船」という本書でも最長の部類の詩の一部: おや どこからか声が聞こえてきた/「おとうさん おとうさん」と言っている/どうやら泣いているようだ/聞き覚えのある声だと思ったら女房の声だった/なんだか妙に色っぽい/抱きたくなってきた もうカラダは無いはすなのに/ きょろきょろ見回して女房の姿を探した/すぐそばにいたが幽霊のように影が薄い/手を握るとまるで手ごたえがない/その代り気持ちが手に取るように分かる/本気で悲しんでいるのはいいが/生命保険という打算も入っているのが気になる モーツアルトへの傾倒 「人を愛することの出来ぬ者も」 これが一番いいもの/澄みきった九月の青空には及ばないかもしれないが/もしかすると世界中の花々を全部あわせたよりもいいもの/束の間たゆたってすぐに大気に溶けこんでしまうけれど/その一瞬はピラミッドよりも永遠に近い 中略 これが一番いいもの/この短い単純きわまりない旋律が/ぼくは息をこらす ぼくはそっと息をはく/人を愛することの出来ぬ者もモーツアルトに涙する/もしもそれが幻ならこの世のすべては夢にすぎない ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 杉俊郎 | 著者 | 鶴田徹 | No | ||||||
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2025-7 | ||||||||||
発行所 | 鶴鳴社 | 発行年 | 令和5年12月 | 読了年月日 | 2025-02-19 | 記入年月日 | ||||
サブタイトルは「病を推して戦中戦後の昆虫出版を担った男」 高校のクラスメート、鶴田徹さんから送られてきた。鶴田さんが9歳年上の俊郎叔父の業績をまとめたもの。杉俊郎は幼くして脊椎カリエスを発病し、病気と闘いながら好きな昆虫関係の情報誌、著作を刊行し昭和35年に満30歳という若さでなくなった。多数の写真、そして杉俊郎が書いた多数のイラストと文章がびっしりと掲載されたA4版130ページを越える労作。古い文献を閲覧するために国会図書館に通い、文章はすべて自身で打ち直した。 筆者の杉俊郎に対する深い敬愛がなければできなかったであろう。読み終えて感じたのはそのことであり、杉俊郎もあの世で喜んでいるだろうという思いだった。 杉俊郎は幼い時から昆虫好きであった。戦前の14歳から戦後の20歳頃までに10報もの蝶などの観察記録を昆虫関係の雑誌に発表している。しかし、杉の本領は雑誌の編集にあった。絵も好きであったので10代に10数編の手作り本を作っている。 1945年7月には「蟲界速報」という雑誌を創刊した。紙面はすべて16歳でカリエスを病む杉俊郎の手書きで石版印刷された。その後活版印刷になったがその第一号には共同編集者のつてで柳田国男「蟻地獄と子供」が連載されたと言うから驚く。戦後の物資不足、インフレの中で「蟲界速報」は昆虫研究者、愛好者の情報交換誌として35号まで出版された。 「蟲界速報」に載った杉俊郎の文章は季節感に溢れる。例えば昭和21年3月1日号: *小春日*陽射しは柔らかに納屋に照り、梅の香が縁先にまで漂ってくる。年老いた猫も炬燵から下りて縁に来て顔を洗っている。全くのどかだ。陽を受けていると何もしないで何時までもじっとこうしていたくなる。落葉樹の芽も萌え出た。鶯の囀りも聞こえる。空も淡く霞んで本当に春が来たのだと感じる。(p46)。 17歳、俳人のような季節の描写。小学校3年までで学校には通わず、多くの本を読んで文章を磨いたと著者は言う。 「蟲界速報」の後は「蟲・自然」、さらにもう少し本格的な「生態昆虫」を刊行。昆虫の研究は単なる虫の記録からその生活史の究明に進むべきだと杉は常々主張していた。優れた見識だと思う。杉は書籍の刊行のために自ら陸水社という出版社を創る。陸水社の単行本には今西錦司『動物社会の論理』昭和33年といった本もある。 亡き叔父に倣ったのだろう、鶴田徹さんも自著『元老院議官 鶴田皓 ――日本近代法典編纂の軌跡――』の出版に際し出版社を作り、本書はその「鶴鳴社」から発刊された。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | ゼロからわかるケルト神話とアーサー王伝説 | 著者 | かみゆ歴史編集部 | No | ||||||
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2025-8 | ||||||||||
発行所 | 文庫ぎんが堂 | 発行年 | 2019年 | 読了年月日 | 2025-03-05 | 記入年月日 | ||||
これも「ゼロからわかる」と前書きの付いた神話シリーズ。神話で遊ぶ俳句の台本。15ヶ月にわたったこのシリーズも昨日最後の投句をした。 前回の『メソポタミア神話』と全く同じ形式で書かれていて、人物ひとりに見開き2ページ、主要な人物にはアニメ風の1ページの挿絵と、概説が突いている。作句は本書の記述を基本とするが、ほとんどの場合ネットを引いてもう少し詳しい情報を得て行った。前回のメソポタミア神話に比べて、アーサー王とか、ランスロロットなど名前は聞いたことのある人物が登場する。もっとも彼らは名前だけ知っていてどんな人物でどんな活躍をするのかは初めて知った。 後世には騎士道として賛美されるものが、実際は殺伐とした殺し合いだったことが分かる。 本書に触発されて本棚にほこりをかぶっていたブルフィンチの『中世騎士物語』、チョーサーの『カンタベリー物語』、そして漱石の『薤露行』を読んだことは収穫だった。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 戦艦大和ノ最期 | 著者 | 吉田満 | No | ||||||
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2025-9 | ||||||||||
発行所 | 講談社文芸文庫 | 発行年 | 1994年 | 読了年月日 | 2025-03-17 | 記入年月日 | ||||
次次に襲ってくる米軍機の攻撃に吹き飛ばされバラバラになった同量の肉体、沈没した大和から海中に放り出されて、自爆する大和、沈みゆく大和の作る渦に飲み込まれてゆく兵士・・・すさまじい戦闘シーンが描かれる。作者が生き延びたのが不思議というか奇跡と思える。作者自身も何度も自身の幸運を口にする。本書は敗戦直後、一日で書き上げたという。 昭和十九年末ヨリワレ少尉、副電測士トシテ「大和」ニ勤務ス。で始まる。著者吉田満21歳である。昭和20年3月29日呉軍港から大和は出港。この時点では出撃とはなっておらず、このような突然の出港は前例が無いので、あるいは出撃かと思った。 後に判明したのだが、この作戦にこの艦隊の司令長官伊藤は当初より強く反対した。その論拠の一つは、空軍護衛機が皆無であること。 4月5日、大和及び第二水雷戦隊に海上特攻として沖縄方面への出撃命令が出る。この日、著者ら下士官は戦艦対航空機の優劣を激論する。戦艦優位を主張する者はなかった。 4月6日、駆逐艦よりの燃料搭載作業。訓練のため乗っていた士官候補生退艦。さらに退勤他部署への転勤辞令の出た者も退艦。出撃を前に退艦はまことの残念であるという彼らの口吻に「危ウク虎口ヲ脱セシ安堵窺ワル」と記す。午後4時出撃、総員3332名。 豊後水道を直進する大和の艦橋の中央に立って哨戒の直についた著者の右2メートルには長官(中将)、左1メートルには参謀長(少将)がおり、「新参ノ学徒兵トシテ、コノ身ノ幸運ヲ想ウ」 艦橋にて作戦談を聞くとして、沖縄突入は表面の目的に過ぎず、真の目的は、米精鋭機動部隊の集中攻撃の標的にほかならないと記す。それゆえ、全艦の燃料搭載量は往路を満たすのみで、帰還の方策、成否は一顧だにされていなかった。この話は私でも知っている大和出撃の目的で、大和が沈んだ後に明らかになったことだと思っていたが、すでに大和の下士官クラスには共有されていたのだ。 終戦後の釈明によれば、駆逐艦30隻相当の重油を食らう巨艦の維持は益々困難になり、また神風特攻機に対する水上部隊の面子もあってあえて敢行した作戦であり、6隻の優秀な戦艦と数千人の人名を喪失した。 士官の間の激論が続くが、作戦の必敗論が圧倒的に強いと記す。 4月7日、黎明に大隅海峡を通過。夜は潜水艦、昼は航空機が常に監視している。これは著者の任務が今で言うレーダー観測であったからだろう。「出動以来、ワガ動静ハ隈ナク把握セラレツツアリ」 7日12時過ぎ、敵機来襲。最初のグラマン2機は、霧のごとき小雨のため、「機影発見スルモ至近ニ過ギ、照準至難、最悪ノ形勢ナリ」。続いて百機以上の編隊が突入してくる。艦長の命令「射撃始メ」で高角砲24門、機関銃120門が一瞬で砲火を開く。 伊藤司令長官は、本艦の傾覆まで砲煙弾雨の中、終始腕組みをして巌の如く動かなかった。最後は私室に入り扉を閉めたままであった。官を賭しての反対を押し切られての作戦であれば、長官としてこれを主導するを潔しとしなかったのだろうか。海戦史に残るべき無謀愚劣な作戦の、最高責任者として名を止むる宿命への無言の反抗か。(p69~70) 著者の持ち場である電探室は直撃された。駆けつけてみると、四周に鉄壁をめぐらせた電探室は真っ二つに裂けていた。整備に整備を重ねてきた兵器は四散して残骸すら残っていなかった。一切が吹き飛ばされたかと見れば、壊れた壁の腰に叩きつけられた肉塊。四肢、首などの突出物をもがれた胴体だ。4体を認め、抱きかかえて自分の前に置く。・・・他の8名は飛散して屍臭すら漂わず。(p78~79) 「空戦ノ利刃、対空電探、カクテ緒戦ニ粉砕サル」 以後空からの波状攻撃。海からは魚雷を受け、バランスをとるために船体への注水が行われる。退避命令が遅すぎて、注水に飲み込まれる機関室員。 著者は圧倒的な技術力の差を指摘する。そして米軍への賞賛さえも述べられる。「戦闘終了マデ、体当リノ軽挙ニ出ズルモノ一機モナシ。正確、緻密、沈着ナル「ベスト・コース」ノ反復ハ、一種ノ「スポーツマンシップ」ニモ似タル爽快味ヲ残ス。我ラノ窺イ知ラザル強サ、底知レヌ迫力ナリ。」(p92) 護衛艦もやられる。「朝霧」は「敵機30機と交戦中」との通信を最後に消息を絶つ。爆沈し、一名の生存者もなかったという。 「窓ヲヨジリ出デ、未練ニモ振向ケバ、イトシキ艦橋ヨ、横転シテホノ暗シ。意外ニ狭ク穴ノ如クナルニ心打タル」と脱出の瞬間を記す。(p122)、その後に以下の記述があるが、伝聞ではなく、著者が見たこととして書かれている。 航海長、掌航海長はともに再三の脱出のすすめも固辞し、身体の三カ所を固縛して船と運命を共にする。著者は艦橋にあって有賀艦長の最後も見とどける。鉄兜、防弾チョッキ姿で、身三カ所を羅針儀に固縛する。 大和は90度傾いたため、砲弾がすべり、壁に当たり次次に爆発する。自爆に飛び散る弾片が海に漂う兵士を襲う。著者らは艦体の陰にあったためにその被害を免れた。沈みゆく大和の煙突に飲まれたものも多数であった。生還後、全生還者の入水後の位置を図示したもものを見て、著者は5歩右にいたら危なかったろうという。 以後は重油の海を漂い、駆逐艦に救助される。その間も、著者は幸運に恵まれる。 徳之島ノ北西二百浬ノ洋上、「大和」轟沈シテ巨体四裂ス。水深四百三十米。今ナオ埋没スル三千ノ胸中果シテ如何。で本書は終わる。 主に歴史を知るという観点から本書を見てきたが、本書のもう一つの読みどころは、筆者が接した隊員個人のそれぞれのエピソードだろう。彼らの戦争への思い、国への思い、家族への思い、艦内でのちょっとした出来事など。 本書が出た当時、戦争賛美だという非難があったという。読んだ限りではそのようなものはまったく感じなかった。淡淡と事実を記すことで、戦争の悲惨さを示す反戦の書ではないか。 著者はその後日銀の監事になっている。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 竹下しづの女の百句 | 著者 | 坂本宮尾 | No | ||||||
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2025-10 | ||||||||||
発行所 | ふらんす堂 | 発行年 | 2024年9月 | 読了年月日 | 2025-03-19 | 記入年月日 | ||||
天為同人の丸谷三砂さんからプレゼントされた。著者の坂本宮尾さんには『真実の久女』というすぐれた評伝があり、すでに読んでいる。 サブタイトルは「新領域の開拓者」 竹下しづの女という俳人については何も知らないが、一つだけ歳時記にある次の句を知っていて、すごい句だなと印象に強く残っている。 短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか) 焉(えん) 見開きの右に1句、左に解説という構成で、句を味わいながらしづの女の生涯を知ることが出来、なかなか良い書き方だ。 明治20年、福岡県生まれ、福岡県の女子師範学校卒。俳句を始めたのは大正8年。昭和8年夫が亡くなり、終戦直前には長男も結核で失う。しづの女が亡くなったのは昭和26年、64歳。 情緒より理性を重んじる独特の俳風で、しっかりと個人が確立している。 警報灯魔の眼にも似て野分かな 固き帯肌おしぬぎて種痘かな 種痘は晩春の季語 這婢少(わか)く背の子概ね日傘の外 這は「この」とよむ 婢はお手伝いさん 短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎 処女二十歳に夏痩せがなにピアノ弾け 畑打つて酔へるがごとき疲れかな 茸狩るやゆんづる張つて月既に ことごとく夫の遺筆や種子袋 蓼咲いて葦咲いて日とっとっと 緑蔭や矢を獲ては鳴る白き的 痩せて男肥えて女や走馬灯 翡翠の飛ばぬゆゑ吾もあゆまざる 紅塵を吸うて肉(しし)とす五月鯉 夜学の灯断つて機と征き艦と征き たんぽぽの女の智慧と黄金なり 吾が視線水平に伸びそこに鵙 人死なせ来し医師さぶし吾子を診る 征く吾子に月明の茄子捥ぎ炊ぐ(かしぐ) 国を裁つは誰が手ぞ吾が手単衣裁つ つくくつし夕べの風を手折り来る 夕顔ひらく女はそそのかされ易く 米提げてもどる独りの天の川 絶つべきの愛情は絶つ利鎌月(とがまつき) 高く高く高く高くと鵙が吾が 黄砂来と涸れし乳房が血をそそる ペンが生む字句が悲しと蛾が挑む ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | NEXUS(ネクサス)情報の人類史(上) | 著者 | ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之訳 | No | ||||||
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2025-11 | ||||||||||
発行所 | 河出書房新社 | 発行年 | 25年3月30日 | 読了年月日 | 2025-03-29 | 記入年月日 | ||||
ネットで紹介されていた。サブタイトルは「人間のネットワーク」。NEXUS(ネクサス)とは本書には「つながり」「結びつき」「絆」「中心」「中枢」などの意としている。 聖書、教会、魔女狩り、ギリシャ、ローマ帝国、DNA、近代科学、民主主義と全体主義、スターリン時代のソ連、ナチズム、中央集権と分散型等を広範な史料を引用して情報という観点から説いたもの。 下巻はAIが情報を支配したら 本書から 人類は大規模な協力のネットワークを構築することで途方もない力を獲得するものの、そうしたネットワークは、その構築の仕方のせいで力を無分別に使いやすくなってしまっているというのが、本書の核心を成す主張だ。というわけで、私たちの問題はネットワークの問題なのだ。されに具体的に言えば、それは情報の問題ということになる。(p10) ……サピエンスが世界を征服したのは、情報を現実の正確な地図に変える才能があるからではなかった。成功の秘訣はむしろ、情報を利用して大勢の人を結びつける才能があるからだ。不幸にもこの能力は嘘や誤りや空想を信じることと分かち難く結びついている場合が多い。だからこれまで、ナチスドイツやソ連のような、テクノロジーが発達した社会でさえ、妄想的な考えを抱きがちだったのであり、そうした妄想によって、必ずしも弱体化しなかったのだ。それどころか、人種や階級といったものについての、ナチスドイツやスターリン主義のイデオロギーのよううな集団妄想は現に、何千万もの人々に足並みを揃えていっしょに進ませる上で役に立った。(p53) 物語や、歴史上の他のあらゆる情報テクノロジーと同じで、文書も現実を必ずしも正確に表してはいなかった。 中略 だが、正誤はともかく、文書は新たな現実を創り出した。文書が財産や税や支払いのリストを記録してくれたおかげで、行政制度や国王、宗教団体、交易ネットワークを生み出すのがはるかに楽になった。より具体的に言えば、文書は共同主観的現実を創出するために使われる方法を変えた。口承文化では、共同主観的現実は、多くの人が口で繰り返し、頭に入れておける物語を語ることで創り出された。したがって、人間が創り出せる種類の共同主観的現実には脳の容量という限界があった。人間は脳が」記憶できない共同主観的現実は創出できなかった。 ところがこの限界は、文書を書くことによって乗り越えることができた。文書は、客観的で経験的な現実を表してはいなかった。文書そのものが現実だったのだ。……そのために文書は前例やモデルを提供し、それはやがてコンピュータに使われるようになる。共同主観的現実を創出するコンピュータの能力は、粘土板や紙片の力の延長線上にある。(p88~89) 情報ネットワークの歴史の中では、近世ヨーロッパにおける印刷革命は、それまでのカトリック教会が維持してきたヨーロッパの情報ネットワークの完全な支配体制を打ち破った勝利の時として、たいてい称賛される。人々が以前よりはるかに自由に情報を交換できるようになり、それが科学革命につながったとされるている。それにも一理ある。印刷術がなければ、コペルニクスやガリレオらはきっと。自分の考えを練り上げて広めるのが格段に難しくなっていたことだろう。 だが、印刷術は科学革命の根本原因ではなかった。印刷術にできたのは、文書を忠実に複製することだけだった。印刷機には、独自の新しい考えを思いつく能力はまったくなかった。印刷術を科学と結びつける人は、より多くの情報を生み出して広めるだけで、必ず人々を真実へと導けるものと思い込んでいる。実際には、印刷術のおかげで科学的な事実だけではなく宗教的な幻想やフェイクニュースや陰謀論もまた、急速に拡散するようになった。後者の最も悪名高い例は、魔王が率いる魔女たちの世界的な陰謀とされるものを人々が信じたことだろう。それが熱狂的な魔女狩りにつながり、近世ヨーロッパはその波に呑みまてた。(p144) この後魔女と魔女狩りの話が続く。 ヨーロッパでの熱狂的な魔女狩りは、中世の現象ではなく、むしろ近世の現象だったのだ。(p145) コペルニクスについて 地動説を唱えたコペルニクスの『天体の回転について』は1543年の初版400部は完売に至らなかった。第三版が登場したのは1617年であったと述べ「それは空前絶後のワーストセラーだった。科学革命を本当に勢いづけたのは、印刷機でもなければ、完全に自由な情報市場でもなく、人間の可謬性という問題への斬新なアプローチだった。」(p155) 教会はたいてい、不可謬の聖典という形で絶対的な真実を手にしているから教会を信頼するようにと人々に言った。科学の機関はそれとは対照的に、機関自体の誤りを暴いて正す強力な自己修正メカニズムを持っていたから権威が得られた。科学革命の原動力は、印刷というテクノロジーではなく、このような自己修正メカニズムだった。(p157) 科学における自己修正メカニズムの例としてダニエル・シュヒトマンの準結晶のことを取り上げている(p169~)。後に準結晶と呼ばれるものを発見したというシュヒトマンの報告に対し、ライナス・ポーリングを初め、大家が個人攻撃を交えた批判をした。しかし、最終的にはシュヒトマンの発見は認められ、2011年にノーベル化学賞を受賞したという。 自己修正メカニズムの限界 カトリック教会やソ連共産党の機関が強力な自己修正メカニズムを避けたのには理由がある。そうしたメカニズムは真理の追究には重要極まりないが、秩序の維持の点では高くつく。強力な自己修正メカニズムは、疑いや意見の相違、対立、不和を生み出したり、社会の秩序を保っている神話を損なったりしがちだからだ。(p172) 可謬性、不可謬性、自己修正メカニズムと言う言葉は本書のキーワードでよく出てくる。 私たちは、古代アテナイやローマ帝国、アメリカ、ソ連のような歴史的システムにおける情報の政治学を理解して初めて、AIの台頭が持つ画期的意味合いを探る準備が整う。なぜなら、AIにまつわる重大な疑問の一つは、AIが民主的な自己修正メカニズムを助けるか、それとも損なうか、だからだ。(p174) 要するに、独裁社会は強力な自己修正メカニズムを欠いた中央集権型の情報ネットワークだ。それとは対照的に、民主社会は強力な自己修正メカニズムを持つ分散型の情報ネットワークだ。(p176) 強権的な指導者が民主制を切り崩すのに使う最もありふれた方法は、自己修正メカニズムを一つ、また一つと攻撃するというものであり、手始めに標的とされるのは、裁判所とメディアであることが多い。典型的な独裁者は、裁判所の権限を奪ったり、忠実な支持者だらけにしたりするとともに、独立した報道機関をすべて閉鎖しようとする一方で、自らのプロパガンダ機関を構築して至る所に浸透させる。(p180)。これはまるで今トランプがやっていることだ。 考古学と人類学の証拠から判断すると、民主制は古代の狩猟採集民の間では、最も典型的な政治制度であったようだ。もちろん、石器時代の生活集団は選挙や裁判所や報道機関のような正式の制度や機関は持たなかったが、彼らの情報ネットワークはたいてい分散型で、自己修正の機会をたっぷりと与えるものだった。(p197) 近代的なテクノロジーのおかげで、大規模な民主制だけでなく大規模な全体主義も可能になった。一九世紀に工業経済が台頭し始めると、政府は以前よりはるかに多くの行政官を雇い、電信やラジオといった新しい情報テクノロジーによって、それらの行政官をみな、素早くつなげて監督できるようになった。これにより、情報と権力の前代未聞の集中が促された。それを夢見てきた人々の願いがかなったのだ。 ボルシェヴィキは一九一七年の革命の後、ロシアの支配権を奪ったとき、まさにその夢に突き動かされていた。中略 彼らは、自分たちの構想や方法に疑問を投げ掛けかねないような自己修正メカニズムは何であろうと容認することを拒んだ。ボルシェヴィキ党はカトリック教会と同じで、個々の党員が誤りを犯すことはあるかもしれないが、党そのものはつねに正しいと確信していた。ボルシェヴィキは自らの不可謬性を信じていたので、選挙や独立した裁判所、政府の統制を受けない自由な報道機関、野党といった、ロシアの創生期の民主的な制度や機関を破壊し、全体主義の一党独裁政権を打ち立てた。(p225~226) ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 睡眠の起源 | 著者 | 金谷啓之 | No | ||||||
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2025-12 | ||||||||||
発行所 | 講談社現代新書 | 発行年 | 講談社現代新書 | 読了年月日 | 講談社現代新書 | 記入年月日 | ||||
ネットで取り上げられていた。 筆者は1998年生まれの若い科学者。若い研究者にしてはテーマが大きすぎたのではないか。気負いすぎて余分な話が多く、分かりにくい。また、概論的で説明が大雑把である。例えば、体内時計の話なども、遺伝子が体内リズムを支配していると書き、DNA、メッセンジャーRNA、タンパク質の関係を説明するが、それが一日の中のリズムを産み出す詳細については説明がない。 著者自身のヒドラの研究を通して睡眠は脳の支配下にはないと述べる。ヒドラには脳がないのに睡眠現象が見られ、その眠りのメカニズムはショウジョウバエや哺乳類などの他の動物と共通している。これが本書の一番のポイント。 本書から 睡眠の二過程モデル(p70) 睡眠は睡眠圧と体内時計という二つの成分によって調整されている。睡眠圧とは覚醒の間に高まっていく眠らせようとする力。体内時計というのは逆に起こそうとする力で、24時間サイクルで繰り返される。睡眠は睡眠圧と体内時計による覚醒圧の差が大きくなったときに起きる。この差がなくなったときに目覚める。体内時計の仕組みは遺伝子が関与していることはすでに明らかになっているが、本書ではその詳しい説明はない。 睡眠圧を高める物質としてプロスタグランジンD2などが同定されている。(p55) 吸入麻酔薬の標的となるタンパク質は、未だよく分かっていない。一八四〇年代から約一八〇年、なぜ効くのか分からないまま使われているのである。(p164) 意識についてのケンブリッジ宣言(2012年) 「新物質(大脳皮質のうち進化的に新しい部位で、哺乳類のみが有している)がないことにより、生物の感情状態を妨げられるとは考えられない。これまでに蓄積されてきた証拠は、ヒト以外の動物が、意図的な行動を示す能力とともに、意識状態の神経解剖学的、神経化学的、及び神経生理学的な基盤を備えていることを示している。このことは、意識の神経学的基盤を有する動物として、ヒトが特別でないということを示している。すべての哺乳類と鳥類、タコを含めた多くの非ヒト動物が、意識基盤をもっている。」(p168)」 全身麻酔は、動物の意識を完全に消失させる。・・・吸入麻酔薬が作用するのはヒトやマウスだけではない。鳥類に加え、魚や昆虫、線虫などありとあらゆる生物に対して作用する。ゾウリムシでさえ吸入麻酔薬に晒すと動かなくなって、外部からの刺激に反応しなくなる。興味深いことに、吸入麻酔薬は植物にだって作用する。オジギソウを麻酔薬に曝露させると、代謝が下がり、刺激に応じて葉を開閉させる反応が見られなくなる。そして麻酔の投与を止めると、再び反応性を示すようになるのだ。それを「覚醒」と呼ぶか、「意識」と呼ぶか――科学は未だ答えを出せていない。(p173) ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 維新暗殺秘録 | 著者 | 平尾道雄 | No | ||||||
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2025-13 | ||||||||||
発行所 | 講談社学術文庫 | 発行年 | 2025年3月 | 読了年月日 | 2025-04-17 | 記入年月日 | ||||
これもネットで紹介されていた。 初版は昭和5年だから今から95年前。本書の最初に取り上げられたのは井伊直弼の暗殺は、万延元年、1860年だから、本書刊行の75年前。太平洋戦争の開戦は今から84年前だから、本書の書かれた時点から明治維新を振り返ることは、今の時点であの戦争を振り返ることよりも身近であったのだ。 巻末の解説によれば、幕末維新のわずか十数年の間に二百数十件もの暗殺が記録されているという。本書はそのうちの30件を取り上げ、時系列で記した。 井伊直弼、吉田東洋から始まり、佐久間象山、坂本龍馬などをへて、大村益次郎、広沢真臣に終わる。ここに挙げたビッグネームにはなじみがあるが、初めて聞く名前も多い。暗殺者は尊皇攘夷を唱える志士とされる人物が主体で、暗殺されるのは佐幕派が多いが、龍馬のような逆の場合もある。 本書は暗殺者グループの名前を漏らさずあげて当時の身分を記していて、暗殺後の消息も触れている。また、いわゆる斬奸状で自分らの行為の正当性を訴える。多くの場合漢文で書かれた斬奸状も本書ではほとんどの事例で記されている。 有名な国学者である塙保己一の息子でやはり国学者の塙次郎も暗殺された。学籍の上では父の及ばなかったが、幕府に仕えていて、幕末維新前夜に廃帝の古例調査の疑いを受けて非業の最期を遂げた。幕府の廃帝説は、それが根拠のない風説であったにしても、当時の勤皇派の志士たちの血をかきたて、倒幕論につよい理由をあたえたことは否定できない。と本書は述べる。(p65)以下本書から: その塙次郎を切ったのは長州の伊藤俊輔(博文)と山尾庸三の二人であった。これは後年、伊藤博文が告白したものだと、田中光顕(顕助)が伝えている。 文久二年(1862)十二月二十一日のことである。塙次郎は知人の中坊陽之助を江戸駿河台の屋敷にたずね、夜に入ってから三番町の自宅へかえってきた。伊藤俊輔ら二人の刺客は、その門前に待ちかまえていた。提灯の明かりに塙次郎の顔をたしかめると、「奸賊、覚悟」と抜き打ちに斬って捨てる。その場で首を落とし麹町九段上まで持ち走った。その首をその辺の黒板塀の忍返しにさらしたのである。 塙次郎儀、御国体を弁へながら幕府に加担して承久の故事を調査し、その陰謀に与れること明白なり。今月今日、天に代って成敗を加ふるもの也。 この咎書は伊藤俊輔が自ら板ぎれに書いたものと言われ、翌十二月二十二日には日本橋、麹町三丁目にもほとんど同趣旨の罪状が掲げられていたのである。(p66~67) 同じような国学者で、鈴木重胤、中村敬介も襲われた。鈴木は殺され、中村は間一髪母親の機転で逃れ、後年文学博士、貴族院議員となり『西国立志伝』『自由之理』等の翻訳があると言う。 暗殺者の多くは捕らえられて処刑されているが、伊藤博文は追求を逃れたのが不思議だ。 テロリズムもここまでくると狂気の沙汰だ。しかもそれが後の明治政府の元老の手によって行われたことに言葉もない。もっとも、伊藤自身もハルビンで暗殺されたが。 坂本龍馬と中岡慎太郎については本書は見廻組頭佐々木唯三郎他6人の犯行としている。これはメンバーのひとり、今井信郞が明治維新後に自白したことによる。今井は龍馬暗殺後は戊辰戦争で函館まで行って戦い、捕虜となった。彼は禁固刑の判決を受け、静岡藩に引き渡された。佐々木唯三郎他二名は鳥羽伏見の戦いで戦死し、他の者の消息は不明である。(p237) ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 日本を開国させた男、松平忠固 | 著者 | 関良基 | No | ||||||
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2025-14 | ||||||||||
発行所 | 作品社 | 発行年 | 2020年11月 | 読了年月日 | 2025-04-21 | 記入年月日 | ||||
上田から毎月下重暁子のエッセイ教室に通ってくる清水まり子さんが、今月の作品に幕末の上田藩主、松平忠固のことを書いてきた。今月のテーマは転勤であったが、松平忠固は姫路藩主の十男で、養子として上田藩主にむかえられた。私には全くなじみのない名前だった。清水さんのエッセイでは、松平忠固は幕末の激動期に老中となり、堀田正睦と共に決断し、天皇の勅許を得ることなく日米修好通商条約を結び老中を解任された。幕府の責任回避のため、井伊大老の策略の犠牲になったと考えられていると書いてきた。そして、もっと松平忠固が評価されるべきだという。 開国に際しての幕府側の努力を私は高く買っていて、井伊直弼、堀田正睦、阿部正弘、岩瀬忠震、川路聖護などは高く評価しているが、松平忠固の名前は私の記憶にはない。幕末維新史関連の本はかなり読んでいるので、読書ノートの中に松平忠固に触れたものがあるか検索してみた。1件だけヒットした。 松岡英夫著『岩瀬忠震』(中公新書、昭和54年刊)だ。 松岡は井伊大老就任は保守派による一種のクーデターで、それを画策したのが松平忠固であるとする。その傍証として『昨夢紀事』のに記された、松平春嶽、伊達宗城、山内豊信の懇談を以下のように引用している(p161):「もとより大老は不学無術の人なれば、さしたる伎倆はあるまじけれど、伊賀といえる奸物の附添ありて蠱惑せるなれば、伊賀をだにしりぞけれなば、大老は土偶人の如くなるべけれとて・・・」 これは井伊大老就任直後の春嶽らの感想だ。完全に井伊の力を見くびっている。ここで「伊賀」というのは、松平忠固である。もっとも松平忠固は、堀田正睦とともに井伊により老中の座から追われている。忠固の増長も原因だが、慶喜派の堀田を切ったのと抱き合わせにして、一橋派への政治的配慮をしたのだろうと、松岡はいう。 どうやらこれが松平忠固に対する一般的な見方のようだ。 本書はこの見方を頭から真っ向反論する。 本書の最大の論点は、日米修好通商条約の調印は、井伊直弼の決断ではなく堀田と松平忠固の決断であるとする点だ。 安政5年(1858年)6月19日の午前、条約調印の可否をめぐって幕閣の評議があった。その席で、井伊大老は「京都の意向を厚く尊重し、それこそ最優先に考えてもらいたいと言葉を尽くした」という。それに猛然と反論したのが忠固であった。井伊本人がその日の夕方、松平慶永に語ったことによれば、忠固は次のように主張したという。 「公卿の希望にかなうようなどと議論をはじめれば、それはきりのないことである。いまこの江戸において決めてしまわなければ、我々は覇府としての権威も失い、好機も逃し、天下の大事を誤ってしまう」(『昨夢紀事』の現代語訳) 井伊はその午後、井上清直と岩瀬忠震を呼び寄せ「天朝からの勅許が得られるまで、調印を先延ばしせよ」と命令した。井上は「仰せの通りにしたいと思いますが、どうしようもなくなった場合は調印してもよいですか」と問う。直弼は「その場合は致し方ないが、なるべく引き延ばせ」と回答したとされる。『史料公用方秘録』。 その場合は仕方ないという言質を取った井上と岩瀬はポーハンタ号に赴き、躊躇することなく調印に踏み切った。当然ながら井上も岩瀬も忠固の意見に賛成であった。 このピソードを引いて、忠固が開国の決断を導いたと本書は言う。(p129~131)。 忠固は堀田とともに4日後の23日に罷免され、謹慎を命じられる。この辺りの事情は将軍継嗣問題に絡む一橋派の弾圧とも見られるが、よく分からない。堀田は一橋慶喜を推したが、紀伊派と見られている忠固は本書では途中から一橋派に心を寄せたように書いてある。謹慎から1年3ヶ月後に、上田に戻ることなく江戸藩邸で死去する。藩邸では家臣を集め「交易は世界の通道なり、皇国の前途を公益により大いに隆盛を図るべきなり」と説いた。実際上田藩は忠固の下で養蚕業に力を入れていて、蚕の品種改良などを行っており、開港にともないその生糸は海外で高く評価された。生糸の輸出による収益は日本の近代化の大きな資力となった。著者は開国と並んで養蚕業の振興を図ったことを忠固の二大業績としている。 「日米修好通商条約は不平等条約ではない」と本書は強調し、幕府をおとしめるために作られた不平等条約史観をつよく否定する。その主張の根拠は、幕府が結んだ条約では日本に20%の輸入関税が認められていた。インドや中国はイギリスとの協定で5%という低関税率を押しつけられたことを見れば、日本の20%という関税は幕府外交の勝利だとする。 本書160p以下には、アメリカは、近代国家建設における関税の重要性を認識していた。それゆえハリスは日本が高い関税率を課すことを後押しした。・・・一八世紀後半から一九世紀初頭まで、連邦政府の歳入はほぼ関税に依存しており、歳入に占める関税の比率は九〇%を超えていた。・・・アメリカは、南北戦争以降においては、四〇%以上という高率な関税を課してイギリスの工業製品に対抗し、国内産業を保護・育成しようとした。 昨今の世界を揺るがすトランプ政権の関税政策は伝統的なアメリカの政策に根差しているのだ。 日本はアメリカに最恵国待遇をあたえたが、アメリカは日本に最恵国待遇をあたえなかった。このことも不平等条約説の根拠であるが、著者は日本は5%の輸出関税を課することが認められ、一方アメリカは輸出関税を設定しないことで最恵国待遇をあたえないことと相殺したという。 領事裁判権についても、著者は当時の国情を考えればむしろよかったとさえ言う。その理由はアメリカと日本の刑罰の重さが大きく違うことをあげる。日本では幕府への批判言動でも厳しく罰せられる。外国人に対して、日本の刑罰を適用することは、かえって反発を招くというのが主な理由だ。 本書を貫くのは皇国史観と結びついた攘夷論への徹底した批判だ。その象徴として水戸斉昭への批判がことあるごとに述べられる。幕末の過激な攘夷派によるテロはまかり間違えば外国との戦争になり、日本の独立が侵されたかも知れないという。その典型例が4カ国艦隊に対する長州藩の敗北である。それはさらに薩摩、長州への批判となり、薩長主体で作られた明治新政府への批判、教育勅語に象徴される皇国史観と攘夷思想の行き着くところが今次大戦という見方まで展開される。 私自身かなり共感する部分の多い本であった。 著者は京都大学の農学部卒で農学博士。現在拓殖大学教授。意外な経歴だ。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 紫式部日記 | 著者 | 紫式部、山本淳子編 | No | ||||||
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2025-15 | ||||||||||
発行所 | 角川ソフィア文庫 | 発行年 | 平成21年 | 読了年月日 | 2025-05-06 | 記入年月日 | ||||
各段が現代語訳、原文、解説の順におさめられた一冊。 こなれた現代訳、懇切な解説とも読みやすい。20版を重ねているのがうなずける。 宮廷の生活の細かい点がよく分かる。大河ドラマ「光る君へ」のいくつかのシーンはこの日記によっている。典型的な例は、敦成親王生誕50日の祝宴での公家たちの醜態。この場面は式部日記が忠実に再現されていた。その他、ドラマで描かれた中宮彰子の物静かで、穏やかなではあるが芯のしっかりした性格も式部日記が捉えている。 この日記の前半は敦良親王の生誕の記録を残すためのものである。生誕の際の大がかりの加持祈祷、御産の実際、そして生後の数々の祝。そんな中に、なかなか知り得ない平安貴族、あるいは中宮彰子の様子が描かれている。 例えば道長。親王が生まれて一ヶ月もしない頃、夜中と言わず未明と言わず、乳母のところにやって来て懐を探る。そして首も据わらない親王を抱く。ぐっすり寝込んでいる乳母はわけも分からず寝ぼけ眼で目を覚ます。あるとき、親王はおしっこをして道長にひっかける。それでも道長は上機嫌で着ていた直衣を脱ぎ、几帳のうしろで女房にあぶらせた。 後半は「消息体」と言われ、中宮彰子の後宮の様子。 著者(山本)は中宮彰子の後宮の様子を書いた日記から3つの問題点を指摘する。 一つは後宮に能力のある女房に恵まれなかった。二つ目は中宮自身の性格が繊細過ぎて後宮が上品で抑制的で、消極的なものになっていること。そして三つめにその結果として男性貴族からはこの後宮は面白くないと見られたこと。定子自身の明朗闊達な性格の下、清少納言やその同僚のような才気あふれる女房たちが機知に満ちたやりとりを繰り広げた後宮を人々はなつかしんでいると著者は言う。清少納言の『枕草子』と読み比べると、著者のいうことはよく理解できる。 その清少納言を論じた式部日記の中ではもっとも知られたところ。和泉式部、赤染衛門、そして清少納言と三人才女が俎上に載せられる。 和泉式部は手紙、恋文のうまさを褒める。歌も見事だとするが頭を下げるような歌人とは思わない。赤染衛門は格調の高い歌風で、耳にする限り頭が下がる詠みぶりだ。 そして清少納言:清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。中略 そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ。 最後のところの著者による現代語訳は;その「上っ面だけの嘘」になってしまった人の成れの果ては、どうして良いものでございましょう。 著者は文学史上最も効果のあったのはこの最後の一文であったという。この一文に促されて清少納言は晩年を田舎で過ごしたとか、京にいたが風流どころではない事件に巻き込まれたとかの推測がなされたという。そういう式部自身の晩年も分からず没年も不明であることを思えばなんとも皮肉だ。 『枕草子』には、式部の夫藤原宣孝が金峯山寺詣での際に場違いな派手な服装をして周囲があきれたことが書かれている。式部の清少納言への痛烈な批判はその仕返しではないかという見方もあるようだ。しかし『枕草子』を読んだ限りでは、こういう人もいるよと紹介する程度の軽いもので、私には特に非難したものには見えない。 式部自身は宮仕えに向いた性格ではなく、苦悩を抱えながらであったが、それを乗り越えて、立派な女房になっていくことが日記から読み取れる。 日記は1008年の夏から1010年の正月まで。執筆は1010年の夏から秋にかけて。夫の藤原宣孝は1001年に死亡している。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 今昔物語 | 著者 | 角川書店編 | No | ||||||
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2025-16 | ||||||||||
発行所 | 角川ソフィア文庫 | 発行年 | 平成14年刊 | 読了年月日 | 2025-05-17 | 記入年月日 | ||||
現代訳、原文、解説の順に並ぶ。今昔物語の千数十に及ぶ説話から、よく知られたものをピックアップしてある。 今昔物語と言えば、芥川龍之介の「鼻」、谷崎潤一郎の「少将滋幹の母」が題材にしたことは知っていたが、その他にどんな話かが書かれているかは知らない。紫式部、清少納言、藤原実資などの日記や著作は読んだが、それら上流階級とは違った平安朝庶民の暮らしぶりを知ってみたくて、手にした。 天竺、中国、本朝の三部からなる。 第1話は天竺の部の釈迦の誕生。私には初めて知る話だ。天上界に住んでいたボサツは人間界に生まれてブッダになる志を立てた。そしてカビラエ国のジョウボン王とその妃マヤ夫人を選んだ。夫人は就寝中にボサツが六本の牙のある白象に乗り、大空を飛んできて、夫人の右脇の下から体の中に入ったという夢を見た。ボサツが志を立てたとき五衰の相が現れた。それは生まれ変わり、つまり転生を意味するという。三島由紀夫が『豊饒の海』の最終部を『天人五衰』としたのは全編を貫く転生の思想の究極にある老衰という人生の真実を取り上げたものだと、解説される。 天竺部は5話、中国部は1話、そして本朝部が23話本書には収められる。しかも、1話の全部が載っているのではなく、さわりの部分だけが掲載されている。今昔物語が膨大な説話集であることがわかる。 本朝部の話は、人々の生活が生き生きと描かれていて、面白く興味深い。 芥川の「鼻」の話は載っているが、谷崎の「少将滋幹の母」は載っていない。 驚いたのは弘法大師がライバルの僧を祈り殺した話。嵯峨天皇の時代、空海とともに天皇を守護する護持僧に修円僧都がいた。あるとき天皇は修円が法力で栗を茹でたことを空海に話した。空海はそれでは私がいるとき修円を呼んで栗を茹でさせて下さいと言った。修円を呼んで茹でさせたがうまく行かなかった。空海が隠れていて法力を阻止したのだ。姿を現した空海を見て修円はそのことを悟り、二人の中は険悪なものになった。二人は相手を死ねと何度も期間をおいて祈りあった。弘法大師はある計略を追いついた。弟子たちに市場で葬儀用品を買わせ、空海は死んだと言わせた。弟子からそのことを聞いた修円は祈祷を終わった。空海は修円が祈祷を止めたことを聞くと、精魂を傾けて祈祷をしたのでやがて修円は死んでしまった。弘法井大師にはそぐわないすごい話だ。 清少納言の夫、橘則光が剛刀一閃強盗一味を切り捨てた話は面白い。宮中の警護役で則光が若かった頃、夜抜け出して女のもとへ通う道で賊に襲われた。次次に襲ってくる三人の賊を身をかわしながら三人とも切り捨ててしまった。こんなことがばれるとまずいなと思って翌朝行ってみると、現場では人だかりがしていて、男が一人自慢げに、俺がやったと喋っていた。それで則光は安心したが、ずっと後になって、実は自分がやったことを明らかにしたという。切り捨てる剣の捌きの描写が詳しく、本書の解説では則光を元祖橘一刀流と称しても良いと言う。清少納言との間には息子則長がいる。清少納言とは離婚したが性格や教養レベルの差が禍したのではないかと解説はいう。 紫式部の父、藤原為時が除目に際し詩を作り一条天皇に差し出して、この詩に感動した道長の口添えもあって、越前守に任官された話も載っている。これはそのままNHK大河ドラマ「光る君へ」で採用された。ちなみに為時の詩は 苦学寒夜 紅涙霑襟 除目後朝 蒼天在眼 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 三教指帰(さんごうしいき) | 著者 | 空海著、加藤純隆、加藤精一訳 | No | ||||||
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2025-17 | ||||||||||
発行所 | 角川ソフィア文庫 | 発行年 | 平成19年 | 読了年月日 | 2025-05-21 | 記入年月日 | ||||
真言宗はたまたま私の属する宗派である。開祖の空海の書いたものは読んだことがない。たまたまの『今昔物語』を読み、空海がライバル僧を祈り殺した話があり、また巻末の角川ソフィア文庫の既刊リストの中に本書を見つけたので手にした。 兎角公(とかくこう)と名乗る空海が、蛭牙公子(しつがこうし)という粗暴で、礼儀や義理など全く無視し、飲酒、博打に耽るどうしようもない甥をまともな道に導いて欲しいと、儒教、道教、仏教の師に意見を求めるという構成。 儒教は亀毛先生、道教は虚亡隠士(きょぶいんじ)、仏教は仮名乞児(かめいこつじ)の三師がそれぞれの信じるところを語る。そして、仏道に入ることが良いと言う結論を導く。 空海は15歳の時上京し(当時は長岡京)、18歳で「大学寮」に入るが、中退する。本書を著したのは24歳の時。『三教指帰』は漢文、その書き下し文が現代語訳のほかに本書には掲載されている。驚くのは三つの教えに対する理解の深さだ。24歳にしてこれほどの学識を身につけていたのだ。特に儒教への理解が深い。仮名乞児を通して空海は仏教の優位を説くが、儒教や道教への強い非難はしていない。仏教は全体の真理で、儒教・道教は仏教の一部分であると説く。 仮名乞児の話を聞き終わった亀毛先生と虚亡隠士の二人は、世俗を超えた最高の教えを聞いた、周公・孔子の説く儒教や、老子・荘子の説く道教は仏教と比較してなんと一面的であり、うわべの教えでしょうといい、今後は全身全霊をもって仮名乞児先生の慈しみ深い教えを身につけましょうという。 仮名乞児の説く六道輪廻とか地獄とか大乗仏教の教義はわからないしなじめない。それに比べると儒教の現世的な立身とか、忠孝の考えはわかりやすい。道教の説く世俗の欲を離れ、仙人の境地に入るというのもわかる。 仮名乞児は人生の無常を説く。仏教的無常感は平安末期の末法思想と結びつき阿弥陀仏信仰、浄土宗あたりから出て来たと私は漠然と思っていた。空海の時代にすでに強く意識されていたことを知った。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | NEXUS(ネクサス)情報の人類史(下) | 著者 | ユヴァル・ノア・ハラリ、柴田裕之訳 | No | ||||||
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2025-18 | ||||||||||
発行所 | 河出書房新社 | 発行年 | 2025年3月30日 | 読了年月日 | 2025年3月30日 | 記入年月日 | ||||
サブタイトルは「AI革命」 AIの新の新しさとは何か?それは、自ら決定を下したり、新しい考えを生み出したりすることができようになった史上初のテクノロジーだという点にある。私たちは、ついに「人間のものとは別な異質の知能(エイリアン・インテリジェンス)」と対峙することになったのだ。 カバーに書かれた文だ。本書ではAIをAlien Intelligence として使っている。 本書の最初第6章「新しいメンバー ――コンピューターは印刷機とどうちがうのか」にはコンピューター、あるいはアルゴリズムの持つ恐ろしい影響が示される。 それは2016~17年に起こったミャンマーのロヒンギャで起こったイスラム教徒に対する民族浄化作戦だ。ミャンマー軍と仏教徒の過激派が武器を持たないロヒンギャの一般人7000~25000人殺害した。この暴力はロヒンギャに向けられた強烈な憎しみに煽られたものだった。そしてその憎しみは多くがフェイスブックで拡散する反ロヒンギャプロパガンダに焚きつけられたものだった。(p13) 仏教徒の穏健派と過激派との間で、注意を引こうとする戦いがオンライン上で繰り広げられたとき、勝敗を決める力を振るったのがアルゴリズムだった。ユーザーのニュースフィードのトップに何を載せるかや、どのコンテンツを推薦するかや、フェイスブックのどのグループに加わるようにユーザーに薦めるかは、アルゴリズムがきめていたからだ。アルゴリズムは、慈悲についての説教や料理教室を推薦することも選択できただろうが、憎しみに満ちた陰謀論を拡散することに決めた。(p16) なぜアルゴリズムは慈悲ではなくて憎悪を推奨したのか。 当時の、フェイスブックのビジネスモデルは「ユーザーエンゲージメント」を最大化することを拠り所としていた。ユーザーエンゲージメントとはユーザーがプラットフォーム上で費やす時間と「いいね!」ボタンをクリックしたり、投稿を友人とシェアしたりするためなどの行った動作のことを指す。中略 すると、アルゴリズムは膨大な数のユーザーを対象に実験を行い、憤慨や憎悪を煽って攻撃的な言動に走らせるようなコンテンツがエンゲージメントを産み出すことを発見した。(p17)~) アルゴリズムは試行錯誤を繰り返しながら、憤慨や憎悪を煽って攻撃的な言動に走らせるようなコンテンツがユーザーエンゲージメントを生み出すことを学習し、上からの命令なしに、その種のコンテンツを推奨することに決めた。すなわち自ら学習し、自ら行動する能力こそがAIの特徴だ。中略 これは史上初めての、人間以外の知能が下した決定に責任の一端がある組織的な民族浄化活動だったのだ。もっともこれが最後とはなりそうにない。中略 二〇二〇年代の初めには、アルゴリズムはすでに自らフェイクニュースや陰謀論まで創作する段階まで進んでいた。(p17~18) 私自身に照らしてみると、ポータルサイトのマイクロソフトエッジを開くと、私の見たいサイトに近いものが並んでいる。ユーチューブも私がよく見る将棋の棋譜のサイトが優先的に表示されるが、こちらは個人攻撃(見ない)や低俗なゴシップ(たまに見る)のサイトもかなり表示される。私としては便利だと思うが、それは私の興味の対象がこれらのアルゴリズムにしっかりと把握されていることの証明だ。マイナンバーカードを保険証の代わりに使っているが、それは私の病歴がすべて記録され国家に握られていることだと気がついた。 情報化社会の到来ということが言われたのは前世紀末の頃だったろうか。情報化社会になれば多くの情報を手軽に得られる便利な時代だと思っていた。当時、私個人のデーターも同様に簡単に他人に知られてしまうことまでは考えてもみなかった。 一方で、本書には触れられていないが、2011年のいわゆるアラブの春で、エジプト、チュニジア、リビアで強権、独裁政権を崩壊させたのは、フェースブック情報の交換、伝播の力が大きかったとされた。 人間が何万年にもわたって地球という惑星を支配してきたのは、私たちだけが企業や通貨、神、国民といった共同主観的存在を創り出して維持し、そうした存在を利用して大規模な協力を組織することができたからだ。だが今やコンピューターは、それに匹敵する能力を獲得するかもしれない。 これは必ずしも悪い事態ではない。コンピューターは、接続性と創造性を欠いていたら、たいして役に立たないだろう。私たちはしだいにコンピューターに頼り、自分のお金を管理させたり、乗り物を運転させたり、環境汚染を低減させたり、新しい薬を発見させたりしている。そして、それはコンピューターが直接互いに通信したり、私たちにはできない状況でパターンを見つけたり、私たちにはけっして思いつけないようなモデルを構築したりできるからにほかならない。私たちが直面している問題は、どうやってコンピューターから創造的な行為主体性をすべて奪うかではなく、どうやってコンピューターの創造性を正しい方向に導くかだ。それは私たちが、人間の創造性に関してつねに抱えてきたものと同じ問題だ。人間が発明した共同主観的存在は、文明のあらゆる業績の基盤となったが、十字軍の遠征や聖戦や魔女狩りにもつながることがあった。コンピューター間の存在はおそらく未来の文明の基盤になるだろう。だが、コンピューターは経験的データを集め、数学を使ってそれを分析するからといって、コンピューター版の魔女狩りを始めることがありえないというわけではない。(p134) 文明は官僚制と神話の結合から誕生する。コンピューターベースのネットワークは新しい種類の官僚制であり、これまで私たちが目にしてきた人間ベースのどんな官僚制よりもはるかに協力で執拗だ。このネットワークはまた、コンピューター間神話を創作する可能性が高く、そのような神話は人間が生みだしたどんな神話よりも格段に複雑で、人間には思いもよらない異質のものになるだろう。このネットワークの潜在的な利点は途方もなく大きい。逆に、潜在的な欠点は人間の文明を破壊しかねないことだ。(p153) デジタル時代に民主社会がどうすれば生き延びて繁栄できるか:著者は4つ原則を挙げる。(p159~) 第1は「善意」。コンピューターネットワークが私につての情報を集めるとき、その情報は私を操作するのではなく助けるために使われるべきだ。 第2は「分散化」。民主社会は、すべての情報が一カ所に集中するのをけっして許すべきでない。各種のデーターベースの合併は非常に危険である。効率はよくなるが全体主義への道をいともたやすく開きやすい。 第3の原則は「相互性」。もし民主社会が個人の監視を強めるのなら、同時に政府や企業の監視も強めなければならない。 第4は監視システムに「変化と休止」の両方の余地を残すこと。 創造性 創造性は、パターンを認識し、それからそのパターンを打破することというふうに、しばしば定義される。もしそうなら、多くの分野でコンピューターは私たちより創造的になりそうだ。なぜなら、コンピューターはパターン認識に秀でているからだ。 さらに、感情的知能を感情を正しく認識して最適な形で反応することを意味するなら、コンピューターは感情的知能でも人間を凌ぐだろう。感情もパターンだ。怒りは私たちの体の中の生物的パターンにすぎない。恐れもやはり、その種のパターンだ。あなたが怒っていたり恐れていたりすることが、わたしにはどうしてわかるか?それは私が長年の間に、あなたの言葉の中身だけではなく声の調子や表情やボディランゲージも分析して、人間の感情のパターンを認識することを学んだからだ。(p168) トランプについて ・・・二〇一〇年代から二〇年代の初めには、多くの民主社会で保守政党がドナルド・トランプらの非保守的な指導者にハイジャックされ、過激な革命政党に変えられてしまった。アメリカの現共和党のような新種の保守政党は、既存の制度や伝統を維持するために最善を尽くす代わりに、そうした既存のものに強い不信の目を向ける。たとえば、彼らは科学者や公務員、世の中のために働いているその他エリートたちに対して、これまで払って当然だった敬意を退け、彼らを軽蔑の目で見る。中略 トランプの打ち出す政策は、既存の制度を破壊し、社会に大変革を起こすことを訴える。中略 多くのトランプ支持者は、連邦議事堂の襲撃を熱狂しながら見守った。トランプの支持者は、既存の制度は完全に機能不全に陥っているので、打ち壊してまったく新しい構造を一から築き上げる以外に選択肢はないと説明するかもしれない。だが、この見方は、正しいかどうかにかかわらず、保守派ではなく典型的な革命主義者のものだ。革新派は保守派の自滅にすっかり不意を撞かれ、アメリカの民主党のような革新派の政党は否応なく、旧来の秩序と既成の制度の守護者になった。(p175)。 本書の日本の発行日は2025年3月30日だが、これはまさに現在進行中のことだ。 もし私たちが真に賢いのなら、なぜこれほど自滅的なことをするのだろう?私たちは地球上で最も賢いと同時に最も愚かな動物だ。飛び抜けて賢いので、核ミサイルやスーパーインテリジェンスを持つアルゴリズムを作ることができる。そして、飛び抜けて愚かなので、制御できるかどうか不確かなまま、そして、制御できなければ破滅を招きうるのにもかかわらず、かまわずそれらを作っている。なぜそんなことをするのか?自滅ヘの道を突き進ませるものが、何か私たちの本性の中にあるのか? それは本性ではなく、情報ネットワークのせいだと、本書では主張してきた。人間の情報ネットワークは、真実よりも秩序を優先するせいで、これまでたびたび多くの力を生み出したが、知恵はほとんどもたらさなかった。たとえば、ナチスドイツは非常に効率的な軍隊を築き上げ、狂気の神話のために使った。それが途方もない規模の苦難と、何千万人もの人の死と、最終的にはナチスドイツに崩壊にもつながった。 もちろん、力そのものは悪くはない。力は、賢く使えば恩恵をもたらす道具となりうる。たとえば現代文明は、飢饉を防ぎ、感染症を抑え込み、ハリケーンや地震のような自然災害の影響を緩和する力を獲得した。一般に、力を獲得すればネットワークは外部からの脅威により効果的に対処できるが、同時に、ネットワークがそれ自体に及ぼす危険も増す。ネットワークが強力になるにつれて、ネットワークそのものが生み出す物語の中にだけ存在する想像上の恐ろしい事物のほうが、自然災害よりも危険になりうるのだ。旱魃や豪雨に直面した現代国家は、そのような自然災害が国内に大規模な飢餓を引き起こすのを、たいてい防ぐことができる。だが、人間が作り上げた空想の虜になった現代国家は、一九三〇年代前半にソ連で起こったように、途方もない規模で人為的に飢餓を引き起こすことができる。(ナチスドイツとスターリンのソ連は本書でよく引きあいにだされる例だ) したがって、ネットワークが力をつけるにつれて、自己修正メカニズムがいっそう重要になる。(p271) 幸い私たちは、危険に気づかないまま自己満足したり、やみくもに絶望するのを避ければ、自らの力を制御し続けられるような、バランスのとれた情報ネットワークを創出することができる。そうするのは、新たな奇跡のテクノロジーを発明したり、これまでのすべての世代がなぜか見落としてきた素晴らしいアイデアを思いついたりするというのとは違う。より賢いネットワークを創り出すには、むしろ、情報についての素朴な見方とポピュリズムの見方の両方を捨て、不可謬という幻想を脇に押しやり、強力な自己修正メカニズムを持つ制度や機関を構築するという、困難でかなり平凡な仕事に熱心に取り組まなければならない。それがおそらく、本書が提供できる最も重要な教訓だろう。(p273) 不可謬性の例として教会とソ連時代の共産党がよく引用される。 105ページに「私は二〇〇二年に最初期のLGBTQソーシャルメディアプラットフォームの一つで夫と出会った。」という一文があり驚いた。 ウイキペディアを見ると、精悍な感じの男性で、カミングアウトしたとあった。 現在エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教えるかたわら、ケンブリッジ大学生存リスク研究センターの特別研究員でもある。 ページトップへ 書名索引へ 著者名索引へ |
書名 | 著者 | No | ||||||||
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2025-19 | ||||||||||
発行所 | 発行年 | 読了年月日 | 記入年月日 | |||||||
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