2006年3月 課題 「野原」

野原を断崖のように歩く

                             
 開高健は今でも大好きな作家だ。『日本三文オペラ』は私の中では日本の小説の5指に入る。エッセイもルポルタージュ、紀行もいい。知的で、男性的で、力強く、ユーモアを含む文体は出来たら自分のものとしたい。そして、何よりもエネルギッシュで行動的な生き方に惹かれる。

 メコンデルタのジャングルで危うく一命を落としそうになったベトナム戦争従軍、中東やビアフラの戦場の取材、あるいは南北アメリカ大陸縦断の釣り紀行。あるいは食べることと飲むことへの異常なまでの関心と情熱。これらはすべて、イデオロギーや観念を頼りに物事を見ることを拒否し、現実に体当たりしていった彼の作家としての生き方の表れだろうと思う。

 太く短くという生き方を地でいったかのように、開高は89年、60才を前に亡くなった。3年後には異例の早さで「開高健賞」が設立された。

「書くということは野原を断崖のように歩くことだろうと思う」

 開高健賞の募集広告にいつもついていた開高自身の言葉だ。心の中でエコーする忘れがたい言葉だが、どうとるべきか迷う。初出は78年の『週刊朝日』の「私の文章修業」。解釈のヒントになるものがあるだろうと思って、今回原典に当たってみた。開高は原稿用紙10枚程の短い内容のほとんどすべてを自らの読書歴に当てて、最後に上の一文を放り出すように置いている。結局、原典を読んでも、解釈の参考になるものは得られなかった。

 あえて私なりの解釈をすれば以下のようだろうか。

 野原のような平坦なところでも、あたかも崖を歩く気持ちで、細心の注意と緊張感を持って歩けば、野原は決して平坦な変化のないところではなく、そこには山も谷もある。書くということは、一見平凡に見える事象に潜むそうした山や谷をえぐり出すことである。

 エッセイ教室に通い出してから、12年目に入った。私なりに解釈した開高の言葉がわかるような気がする。物事を表面的に見ていては他人の心に響く文章は書けない。もっと深く事象を見つめ、背後にある物を突き詰める努力をしないといけない。

 想像力を羽ばたかせねばならない。例えば、企業の生産現場で働く労働者から出された作業改善提案に与えられた1枚の表彰状から、そうした慣行が日本の製造業の強さへとつながり、さらに日本の経済的繁栄を基本で支えているのだと、思いを広げていくことが大切だ。

「野原を断崖のように歩く」ためには不断の緊張を強いられる。だが、そう心がけることにより、今まで見えなかったものが見え、人生が豊かになったことは断言できる。

 開高は俺の名文句にこんな俗っぽい薄っぺらな解釈をつけやがってと、あの世で苦笑するだろう。

                              2006-03-16 up

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