2004年2月 課題 「希望」
 
希望・愛・感動・孤独・絶望そして白菜
                                                        

 作家の三田誠弘に『天気の好い日は小説を書こう』という本がある。図書館で目にとまり拾い読みした。小説とは浮き浮きした気分で書くべきものだという。そして次の5つを使ってはいけない言葉としてあげていた:孤独、愛、絶望、希望、感動。こうした言葉を小説に持ち込むことがきらいなようだ。これらの言葉を用いず、それぞれの意味するものを表現するのが小説を書くことだという。
 
 インターネットで上の五つの言葉をキーワードにして日本語のホームページの検索を行ってみた。各の言葉を入れて「検索」をクリックすると瞬時に該当するページがリストアップされる。やる度に感心するインターネットの技術だ。ヒット件数は以下のようであった:希望 1040、 愛 450、 感動 151、 孤独 48、絶望 23(単位は万、万以下は切り捨て)である。希望の1040万という数字にまず驚く。絶対値の大きさのみならず、他の言葉に比べてダントツに多い。愛の倍以上ある。愛には愛情、恋愛、愛人、愛知県などの言葉も含まれるから、なおさら希望の多さが目立つ。日本語としてよく使われている言葉なのだ。

 希望と絶望のペアはどうであろうか。「希望」と「絶望」の間にスペースを入れて検索ボタンを押すだけでいい。その数8万件余りであった。それでは三田誠弘が使ってはいけないとした5の言葉を全部含むホームページの数は?3850件と出てきた。この数字をどう見るか。多いと思う。この5つの言葉はそれだけよく使われる言葉なのだ。あるいはそれだけ手垢がついているということだろう。だから、三田誠弘は禁句として挙げたのだ。

 この5つの言葉とまったく関係のなさそうな言葉との組み合わせはどうなるかと興味をそそられた。それで、希望・愛・感動・孤独・絶望の後に「白菜」と入れて検索してみた。私はこの6つの言葉を同時に含むページなどないと予想して検索ボタンをクリックした。驚いたことに33件もヒットした。そのほとんどが個人の日記風のホームページであった。インターネットの広がり、特に個人への広がりを痛感した。当然ながら「白菜孤独絶望から救った希望に満ちた感動の物語」といった文脈で現れるのではなく、それぞれの言葉はページ内で別々のところに登場し、お互いに関係しあうことは少ない。白菜は「今日は白菜鍋を食べた」というような文脈で出てくる。

 希望と白菜の組み合わせでも17000件ヒットした。リストのトップは「韓国製キムチ白菜」に関するページで「ご希望の方」はどこどこへ申し込んでくださいというものだった。なるほど、希望という言葉はこういう使い方が圧倒的に多い。だから、一千万件を越すページに出てくるのだ。「明日への希望」といった意味での使い方はその内のごく一部であろう。

 こんなことを調べて何の役に立つのかと言われればそれまでだ。しかし、こうしたささやかな発見が、高齢者の仲間入りをし、気ままに生きる私の日々の楽しみ、誇張して言えば「明日への希望」である。

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