おばさんの最後 2005−07−23 午前10時25分 おばさん死亡。1987年のお盆のときに我が家に迷い込んできてから18年と数日。推定で満18才と6ヵ月。 朝起きてみたら、ダイニングの段ボールの箱に横たわっていた。タオルの赤いシミが昨日よりずっと大きくなっていた。おばさんはもう動かない。時々下顎を大きく開ける。 10時過ぎに妻が呼びに来た。おばさんが2,3回あえぐように息をしたという。行ってみると口をあいたままで息をしているのかどうかもはっきりしなかった。「おばさん」と声をかけて撫でてみた。足がぴくぴくと動いた。注意して見ると胸のあたりがかすかに動いているようにも見えた。それから数回、足をぴくぴくしていたが、やがてその動きも止まった。再度撫でてやったが、もう反応はなかった。口と目をあいたままだ。時計を見ると10時25分だ。 やせ衰えて足が異常に長く見える。ゲッソリと肉の落ちた腰にあてがっていたオムツを妻がはずす。後ろ足がもう硬直しているという。オムツは濡れていて、最後まで腎臓は機能していたようだ。開いたままの口と目を閉じようとして指で上下から押してみたが閉じなかった。妻は動物病院の領収書を取りだし、その日付を確認し、おばさんの病状の進み具合とそれに対する処置を確認した。「十分な処置をしてあげたよね」と私に問いかける。「十分な処置をしてあげた。これ以上は寿命だから仕方ない」と私は答えた。ミーの時のように突然ではなく、覚悟はしていたので私も妻も冷静におばさんの死に立ち会えた。 段ボールの箱に庭の花を添え、床の間の前に置き、線香を立てる。 この間、ランは知らぬ顔で、2階の私のベッドの上で死んだように寝ていた。撫でてもびくともせずに寝入っている。死んでいないのは、豊かなお腹がリズミカルにふくらんだりへこんだりするのでわかる。 土曜日で娘は家にいた。次男に電話して、おばさんの死を知らせる。1時頃には家に帰れるという。 火葬をどこで頼むか。3つの候補があった。家までやってきてその場で車に積んだ炉で火葬してくれるところ。知人の話では煙もにおいも出ないと言う。まずそこに電話してみた。年配の男性の声で、今青山にいるが、青山の客が電話に出てこないので、これから相模原に帰るから、緑区なら1時頃には行けるという。応対はぞんざいでぶっきらぼうだった。1時なら次男が間に合うかどうかわからないのでとりあえず電話を切った。 動物病院がくれたパンフレットのところは二俣川で少し遠かったのでやめた。最後に前回ミーを頼んだところに電話した。今日の午後の立ち会い火葬は先約があり無理だが、もう一基炉があるので引き取って骨にして返すことなら今日の午後でも出来るとのことだった。ミーのとき頼んだことがあると言ったら「重ね重ねご愁傷様です」と丁寧な応対であった。妻と娘と相談して、結局ここに頼んだ。いくらにおいも煙も出ないとは言っても、家のすぐ近くでペットの火葬をしていることを知ったら、隣近所の人は余りいい気持ちはしないだろう。 1時過ぎに次男も帰ってきて、おばさんに線香をあげる。2時過ぎに中年女性が車でおばさんを取りに来た。段ボールに入ったおばさんをそのまま渡す。その女性が持参した書類のペット名には「おばさん」と入れた。体重は1.6キロとした。実際はそれよりも少ないかも知れない。明日も立ち会い火葬の予定が入っていて、立ち会い火葬は出来ないとのこと。 夜の7時過ぎにおばさんの遺骨が帰る。火葬代28000円はミーの時と同じだ。領収書に「愛猫おばさんの葬儀代」となっていた。ミーの時は「ミーちゃんの葬儀代」となっていたので、今度は「おばさんちゃんの葬儀代」になるのかと思ったが、そうではなかった。 床の間の前に遺骨を置いて線香をあげる。あばさんの写真の中からいいものを選び出し、プリントアウトし、額縁に入れて飾る。 在りし日のおばさん 2004年6月 このころ私の書斎の机の上が気に入りよくいた。 丈夫なネコであった。若い頃は夏になると耳や鼻先に日光疹ができて獣医に行ったが、それ以外は特に病気もしなかった。 衰えが目立つようになったのは、4年前の秋頃。それまで屋外でしていたオシッコを、屋内のマットや、雑巾の上でするようになった。後で獣医に聞いたところ、腎臓機能が低下して薄い尿がたくさん出るので、トイレまで間に合わなくなったのだという。 2002年の春には歯茎が炎症を起こした。そして左上の牙が一本ぽろりと抜け落ちた。さらに右上の牙もいつの間にかなくなっていた。さらに何本かの歯が抜けた。ネコの歯は食いちぎるためにあり、噛み砕くわけではないので普通のペットフードなら歯がなくても差し支えないと言われた。 2003年の夏に、老齢から来る腎疾患と診断された。その年の秋にはかなり弱って、あと1ヵ月半も保てばいいと言われた。しかし、点滴と薬で回復し、年を越し元気になった。 2004年の5月頃からまた腎臓機能の低下による脱水症状が続き、夏にかけて点滴の治療を続けた。8月にランが来た。ランに刺激されたかのように、おばさんの状態がよくなった。ランが来てからは点滴も必要ではなくなった。ランがちょっかいを出すたびにおばさんは怒り、そのことによりアドレナリン初め、ホルモン分泌がよくなったのかもしれない。 2005年春頃からまた衰えが目立ちだした。 以後の経過は以下に: 2005−06−25 オムツ しばらく前から、おばさんネコがトイレの外にオシッコをするようになった。ネコ砂を入れたバットの中に入ることは入るのだが、お尻の部分がバットの外に出たままでオシッコをするので、漏れてしまうのだ。そのたびに雑巾で拭き取らねばならない。放っておくと廊下にシミが出来てしまう。昼間は気がつくからそのたびにふき取っているが、夜はそうはいかない。それで夜はオムツをすることにした。紙おむつを寝る前にする。おばさんはいやがることもない。朝起きると、紙おむつがびっしょり濡れている。1個128円もするオムツだ。 おばさんは一日中食卓の周りにうずくまっている。好物の魚の缶詰も余り食べなくなった。足つきもよろよろしているが、特に病気らしい症状は見せない。満18才。「ネコの気持ち」という最近創刊された雑誌を見ていたら、18才は人間に換算すると、96才とあった。昨年の全国平均のネコの平均寿命は9.9才とのこと。 2005−07−08 マグロ、点滴 おばさんの具合がよくない。缶詰の餌も食べないで、1日台所の隅にうずくまっている。数日前、夕食の刺身をやったところ、パクパクと食べた。昨日も朝から何も食べようとしないので、昼間マグロのぶつ切りを買ってきて、あたえた。4切れあたえたがすぐに食べてしまい、さらに欲しそうにしていたので、2切れ追加してあたえた。これもペロッと食べてしまった。 今朝、おばさんが下利便をしていたと妻がいう。今日は昨日の残りのぶつ切りをあたえたが、まったく食べなかった。他のものも食べない。夕方動物病院へ連れて行った。 獣医は不在で、若い女性の助手と獣医夫人が診療に当たっていた。おばさんの状況を説明すると、夫人はすぐに点滴をした。もう頭ももうろうとしているからオシッコをトイレの出来なくなるのも仕方がない、食べなくてもすぐに死ぬようなことはない、刺身など食べさせるのは最悪だ、下痢をすると脱水症状がひどくなる。 「あと1ヵ月半くらいは大丈夫ですよ」と言われたのは、一昨年であったがその後元気で、18才を越えたと私は言った。夫人も助手も、このネコはものすごく丈夫だかからここまで生きられるのだと言った。 点滴を終え、2415円払って帰る。おばさんは少し元気になったようだった。右の前足の付け根から胸、腹にかけて点滴の液が皮膚の下にたまってだぶついている。これが明日までに引いていないようだと、利尿剤を飲ませる必要があるから、明日も来て欲しいと言われた。 2005−07−09 点滴 再度おばさんを連れて行く。昨日点滴された液は幸いうまく吸収されたようだ。利尿剤の必要はないとのこと。それでもう一度点滴をして帰る。体重を量ってもらったら1920グラム。ランの半分もない。痩せているから長生きできるのだと獣医夫人はいう。おばさんは点滴が効いたのか、夜は声が出るようになった。 2005−07−16 点滴、ペット斎場のパンフ おばさんは先週、続けて2回点滴をしてもらったら、食欲も出てきたので、その後は放っておいた。昨日あたりからまた食べなくなった。今朝は姿が見つからなかった。近所の家の庭でのたれ死にしてはいないかと心配で、いつもいる車の周辺を探したが見つからなかった。昨夜のオムツをつけたままだという。そのうち、庭にいるのを見つけたが、オムツはとれていた。夜にしていたオムツが朝なくなっているのはこれで2度目だ。いずれもどこに行ったか不明だ。 今日も何も食べなかった。夕方、ぐったっとしているので、動物病院に連れて行った。診療台に乗せたおばさんは一段と痩せて小さくなった感じ。先週ここで測ったときは1920グラムであったが、今はもっと少ないだろう。脱水状態がひどいという。腎臓の機能が低下している。尿が出ないのではなく、濃い尿を作れず、そのために薄い尿をたくさん出す。それで脱水が起きるとのこと。夏場は特にきつい。今年は同じようなネコがたくさんいるとのこと。食欲が出て、ものを食べるようになると、活性炭の入った薬を飲ませるといいと言う。活性炭が、腸内で老廃物を吸収してくれる。以前その薬を与えたことを思い出した。食べられるようになったらもらうことにする。 いつもの点滴をする。皮下へ注入するから、3,4分で終わる。皮下だから糖分は体内に吸収されないので輸液の中にには入っていない。ナトリウムなどの無機塩主体で、オシッコの成分に近いものだとい言う。黄色くなっているのはビタミン類が入っているから。 点滴を終え、代金を払うと、領収書と一緒に、これも差し上げますと言ってパンフレットをくれた。見ると、ペットの葬祭場の案内だった。瀬谷区にある立派な葬祭場で、お寺までついている。この状態では、いつすーと逝ってしまうかもわからないと獣医は言う。それは覚悟である。医者が葬儀屋の心配りまでしてくれる。ペットの葬式にとまどう人が多いので獣医がそうしたサービスをやっているのだろと善意に解釈し、パンフレットをもらって帰った。 2005−07−17 活性炭入り薬 昨日に続き、今日も点滴。獣医夫人が出てくる。おばさんネコの命は「お父さんがどれだけがんばれるかにかかっている」という。つまり、1回2400円もする点滴をどれだけ、続けられるかにかかっているというのだ。家で点滴を行えば、ずっと安くできるとは1年半前の時に聞いていたが、今回も、頻度が多いようだったら家でやることも考えた方がいいと示唆された。昨日聞いた活性炭の薬の話を持ち出したら、サンプルとして4日分くれた。この薬は、人間の慢性腎炎の薬と同一のもので、人の場合は、この薬により人工透析の開始時期を遅らせるために使うとのこと。夫人の親戚も毎日飲んでいるが、10個ほどのカプセルが1枚のシートに入っていて、毎食このシートを1枚ずつ服用するとのこと。ネコの場合は、1カプセルで充分という。 2005−07−18 行方不明 昼に菜園から帰ってきたら、おばさんがいなかった。外に出したのだが、まだ帰ってこないと言う。おばさんは6時過ぎても帰ってこなかった。この炎天下にどこかで倒れてしまったのではないかと、妻と二人で家の回り、公園まで探したが見つからなかった。 7時過ぎて暗くなり始めた頃、妻が隣の家の車の下にいるのを見つけて連れて帰った。いつも野良猫に餌をやりに来るおばさんがたまたま通ったので、聞いてみたら、隣家の車の下にいるのを見掛けたと教えてくれたとのこと。一安心。 2005−07−19 点滴、行方不明 今日も点滴。腎臓をやられると視野狭窄になり、狭い、暗いところに入りたがる。そうした現象が、ネコは死に場所を自分で見つけていなくなると解釈されているのだと言う。昨日は少し食欲が出て、チーズを半切れほど食べたと話したら、チーズなど最悪だ、腎臓機能が衰えているのに、塩分の高いものはよくないとのこと。もっともここまで来たら好きなものを食べさせてあげるのも一つの方法だという。チーズのように臭いの強い人間の食べ物をネコは好むが、こうした食品は塩分が高くてネコにはよくないという。 おばさんは今日も、ランが開けた網戸からいつの間にか出ていっていなくなったという。探したらやはり隣家の車の下にいたとのこと。 2005−07−20 点滴 休診日であるが、昨日言ってあったので8時に行ったらもうドアは開いていた。点滴だけしてもらう。明日も休診日だが、早朝なら治療してくれるという。缶詰の餌もほとんど口にしないから、薬を飲ませることも出来ない。 2005−07−21 点滴 やはり8時に連れて行って点滴。乳酸リンゲル液300ml。ヒトの場合輸液が点滴装置をポタポタと滴になって落ちていくスピードで点滴するのだが、ネコの場合は切れ目のない流れとなって、輸液が落ちていく。黄色いのはビタミンが入っているせいだ。 点滴をしているときにおばさんがオシッコをした。オシッコが出なくなったらもう治療は終わりにするとのこと。 おばさんは骨と皮ばかりだ。抱き上げると、本当に骨格標本を抱き上げている感じだ。餌も食べない。一日中オムツをつけて横になっている。たまによたよたと歩く。息づかいが少し荒い以外は特に苦しそうな表情を見せない。本当に丈夫なネコだが、それがかえって可哀想でもある。今度はもうだめだと思う。1回2400円する点滴だが、必要な限り続けてやろうと妻と話し合う。 2005−07−22 点滴 朝、動物病院で点滴。昨日の点滴がきれいに吸収されている。これが吸収されなくなったら終わりだと言う。 帰ってきてダイニングの床のタオルの上に置く。横たわったままで動かない。食べ物も水も飲まない。 外出して夜帰ってきたが、昼間のままの姿で同じところに横たわっていた。口から小さな血の塊を吐いたという。タオルに薄く赤いシミがある。体内組織の壊疽がおきつつある。もう、回復の見込みはない。 おばさんが18年前に我が家にやってきた事情については「おばさん猫」を参照 (2005-08-19 up) |