2024年8月 課題:夏場所
相撲と柔道
琴櫻は両差しになり、西土俵に豊昇龍を追い詰めた。だがここで諦めないのが豊昇龍だ。右手を琴櫻の首に巻き付け、右足を相手の股に差し込み跳ね上げると同時に体を右にひねった。琴櫻の189センチ175キロの体は空中で半回転し、背中から土俵に落ちた。「内股だ」と私は思わずつぶやいたが、かぶせるようにNHKテレビの解説者が「柔道の内股ですね」と言った。柔道の試合でもこれほど完璧な内股が決まったのを見たことがない。決まり手は首投げ。名古屋場所12日目の大関同士の対戦だ。豊昇龍はこの取り組みで、右足を痛め休場、琴櫻も四敗となり優勝戦線から脱落。
その後はパリ五輪。ライブではなくニュースで見た。女子柔道で巴投げを決めるシーンが放映された。48キロ級の角田夏実選手だ。巴投げという捨て身の珍しい技で金メダルを取った。角田選手の試合をまとめてネットで見た。巴投げの一本勝ちは準々決勝と団体戦。他は寝技との合わせ技か、技ありのポイントによる。私のイメージでは巴投げは、技をかけた方が肩をマットにつけた時には相手は空中に舞っているというものだ。角田選手の巴投げは、肩をマットにつけてから相手を引っ張り込み、足で持ち上げるもので、スピード感に欠ける。
そして、一番疑問に思ったのは準決勝。巴投げが決まらず、延長になり相手が三つ目の指導を取られて負けた。相手が積極的に技をかけていた時、審判が二人を分けた。私はてっきり角田選手の負けだと思った。消極的な態度が三つ目の指導に当たると思ったから。しかし、判定は逆だった。相手の選手は両手を広げ、審判に抗議したが覆らなかった。
かつて柔道はお互いに有利な組み手、例えば相手の奥襟を掴む、を狙ってなかなか組まず、お互い技をかけ合わないうちにだらだらと時間が経過していった。それを防ぐために、指導というポイント制が導入された。その指導というのが素人にはわかりづらい。角田選手の準決勝もその一例だ。「指導」などというポイントで決まる格闘技など観ていて面白くない。
柔道の勝敗の決め方には以下のようになっている。投げ技の一本勝ちは、技が決まったときに「スピードがある・力強さがある・背中が畳に着いている・相手をコントロールしている」の四つが全て満たされているときに一本となる。「背中が畳についている」以外は、審判の主観による。ここにも問題がある。そして指導の一例は、戦う意志が感じられず、極端に消極的な姿勢でいる、組む前や後に何の攻撃も仕掛けないときなどとされている。この判定も主審の主観による。角田選手の準決勝はこれに当たり負けと思ったのだが、相手側に上記以外の指導に当たる点があったのだろう。素人には不可解な判定だった。
一方相撲の勝ち負けは極めて単純だ。
土俵内において、足の裏以外の体の一部が早く砂についた者が負け。
土俵外の砂に体の一部でも早くついた者が負け。
誰が見てもわかる勝負の付け方だ。しかも、主審の行司の他に4人の検査役がいて、物言いという制度があり、取り直しという制度があり、さらにビデオ判定まであって公正を期している。ビデオ判定は早くも1969年に導入されたが、今世紀になり他のスポーツでも続々導入された。
柔道より相撲、相撲は世界一の格闘技だと私は常々思っている。
補足:相撲に関しては以下のような作品を書いている:
「フェアプレー」への疑問
初代若乃花と朝青龍
朝青龍引退相撲
モンゴルの壁
日馬富士と稀勢の里
日馬富士引退相撲
屈せず
2024-08-29 up
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