2016年3月  課題:「壁」


モンゴルの壁


厚く、高い壁にようやく穴があいた。大相撲で、10年続いた外国出身力士の優勝が今年の1月場所で崩れた。大関琴奨菊が、モンゴルの三横綱を破って優勝した。カド番を何回も繰り返し、怪我にも悩まされもう限界と思われていた琴奨菊の優勝は意外だった。

 体幹を鍛える独特のトレーニングの効果など、体力の強化が琴奨菊の好成績につながったといわれる。相撲は「心技体」だといわれる。私はこの言葉を心、技、体の順に大切だという意味にとっている。今回の琴奨菊の優勝は、心の持ち方が一番大きな要因だった。大関自身が、場所後日本記者クラブでの会見でその事を語った:
 勝負の世界は勝たないと意味がないが、日本人力士は勝つ事への貪欲さが足りなかった。横綱でも勝つためには立ち会いに相手の間合いを外す。自分も今回は相手の軸をずらすとか、そういう事を真似て今回の成績を収められた。なぜモンゴル勢が強いかが分かった。

「勝つ事への貪欲さ」。この当たり前のことが不足していた。かつての大横綱、北の湖や千代の富士には勝負への貪欲さがあふれていた。相手を土俵に這わせると、手も差し出さずすたすたと勝ち名乗りに戻る北の湖は憎いほど強かった。軽量でありながら、闘志あふれる相撲で31回も優勝した千代の富士。横綱の時、寺尾を後ろ抱えにして空中につり上げ土俵に叩きつけた相撲はいまでも覚えている。北の湖の最後の優勝は1984年、同じく千代の富士は1990年である。外国人力士の活躍が始まったのは、千代の富士引退後である。90年代は小錦、曙、武蔵丸といったハワイ出身の大型力士たちが、貴乃花と優勝を争った。彼らの武器は「体」であった。

 21世紀に入ると、モンゴル勢が台頭してきた。彼らの特徴は強い精神力と多彩な技であった。2002年に朝青龍が初優勝して、さらに2006年には白鵬が初優勝した。それ以来日本出身力士はモンゴル勢の前になすすべもなかった。勝負の世界は「勝ってなんぼ」である。その基本がないがしろにされていると私には思えた。何故か。ひとつには日本が達成した豊かな社会の中で、ハングリー精神が失われていったことだろう。さらには、保守的な風潮が強まる中、相撲は日本の文化・伝統に深く根ざした相撲道ともいえるものでなくてはならないという主張が、日本人力士から勝負への執念を奪っていったのではないか。相撲道に反するとして朝青龍や白鵬の土俵上での闘志の表れでしかない所作が非難された。だが、彼らはそれに負けなかった。

 今場所9日目、横綱昇進をかける琴奨菊と稀勢の里の大関対戦があった。今場所最大の見どころの一番はあっけなかった。立ち会い一瞬、やや右に動いた稀勢の里が突っ込んできた琴奨菊を突き落として全勝を守った。立ち会いの小細工など一切しなかった今までの稀勢の里からは考えられないような取り口であった。稀勢の里も琴奨菊についで、やっと勝ちにこだわることに目覚めたのだ。彼もモンゴルの壁に小さな穴を開けてくれそうだ。

  2016ー03ー24 up

補足  2016-03-27

 稀勢の里は壁に穴を開けられなかった。11日目に白鵬に完敗し1敗で星が並び、12日目に日馬富士に破れ、結局14勝1敗の白鵬が36回目の優勝を飾った。琴奨菊は8勝止まり。

 13勝した稀勢の里に来場所が綱取り場所になるという意見がある。これは絶対にやめるべきだ。準優勝ではあるが、横綱昇進条件である「連続優勝もしくはそれに準ずる成績」の「準ずる成績」に該当するのは「同点優勝で決定戦で敗れた場合」というのが、従来の慣例だ。今場所の稀勢の里の成績は該当しない。

 そもそも、稀勢の里が大関に昇進したとき、3場所で33勝という通例を満たさず、32勝で昇進させた。モンゴル勢に対する日本人のホープとしての期待が先行し、甘い昇進になったのだ。もしあの時、昇進を見送っていたら、その悔しさをバネに、稀勢の里は精神的に強くなっていたと思う。



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