2012年2月 課題: 龍あるいは辰

朝青龍引退相撲

                               
2010年10月3日、国技館に足を運んだ。朝青龍引退断髪披露大相撲だ。相撲は大好でテレビでの観戦は欠かさなかったが、国技館に行ったのは、40年ほど前、上京した義父を連れて行った1回だけである。綱を締めた生の朝青龍を是非見たいと思いネットで4000円のチケットを入手した。

 席は西正面の2階上の方の椅子席。振り返ると真後ろに朝青龍の優勝額があった。最後の優勝、1月場所のものだ。額の中の朝青龍から土俵に真っ直ぐに伸ばした線が私の体の真ん中を通っていた。そのことだけで朝青龍への私の熱い思いが報われたと感じた。

 客の入りは8分程度。土俵周りには鋏を入れると思われる人々で埋まって行く。その中に森喜朗元首相と江田五月前参議院議長が並んで座っているのが見えた。向こう正面の2階席には「ドルジありがとうそしてごめんなさい 不滅の大横綱朝青龍」と、ファンの横断幕がかかる。

 相撲甚句、十両取り組みなどが終わって、朝青龍の土俵入り。太刀持ち日馬富士、露払い朝赤龍を従え、雲竜型。さすがに遠くから見ても筋肉が少したるんでいるように見えたが、しなやかな肉体を包んだ肌の輝きに、「あと2年間はやりたかった」という引退表明時の本人の言葉が重なった。

 土俵入りが終わるとすぐに羽織袴姿で現れて、土俵に置かれた椅子に座る。招かれた、あるいは希望した有名人が次々に鋏を入れて行く。森喜朗、モンゴルの首相、江田五月などVIPが終わると、50音順に人々が呼ばれて土俵に上がる。中に堀江貴文もいた。「ホリエモン」が朝青龍のファンだというのは分かるような気がした。延々と続く著名人の列にややうんざり。あの人たちはご祝儀をどのくらい包むのだろうか、10万、いや、森喜朗クラスは100万か、などと考える。終わり近く父親、北の湖、白鵬らの相撲関係者と続き、最後を元大関朝潮の高砂親方が髻(もとどり)を切って終了。400人近い人が鋏を入れたので、予定を1時間近くオーバーしてしまった。朝青龍は最後の挨拶を終え、土俵を下りるや、いきなり膝を折り土俵にキス。最後まで朝青龍健在であった。

 次いで、幕内全力士による取り組み。地位の同じ同士がぶつかる。結びは白鵬対日馬富士。白鵬が寄り切って勝。初めて見る引退興行相撲だが、面白くなかった。真剣勝負ではなく、怪我もしたくないのだろう、すべてが四つに組み合っての寄り切り。土俵上に這った力士は1人もいなかった。投げ技も、引き技も、まして立ち会いの一瞬の変化など、まったくなかった。相撲が正攻法といわれる寄り、あるいは押しだけであったら、いかにつまらないものであるかの見本であった。そして、生涯の決まり手数41という、現役力士では誰も持っていない多彩な技に、朝青龍の魅力があったことを改めて感じた。

 相撲は心技体という。それはまさに朝青龍のためにある言葉だ。力士としては決して恵まれてはいない身体でありながら、25回の優勝、7連覇という偉業を達成できたのは、ひとえに、強靱な精神力と、多彩な技であった。
 
 私は朝青龍引退後、大相撲のテレビ放映をほとんど見なくなってしまった。


教室で:講師の下重さんは、コメントの中で、断髪式の祝儀については、森さんがどれくらい出したか、聞いてみると言った。下重さんは森喜朗夫人とは大学の同級生である。

参考:朝青龍に関しては、他にも以下の作品を書いている:「鬼がいなくなった」「オリンピックと朝青龍 」「初代若乃花と朝青龍

   最後の土俵入り                 土俵への別れのキス


2012-02-22 up


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