驚異の飛翔2500キロ アサギマダラの神秘

八ケ岳では初夏から夏の終わり、ときには秋半ばまで、身近に見かけるアサギマダラ。
この小さな蝶が日本列島を縦断、さらに南の沖縄や台湾や香港まで2500キロ 以上飛んでい くのです。
翌年春、その逆のコースを日本に渡ってきます。 近年その不思議な旅が明らかになりつつあります。


(写真にマウスを当てて手形マークが出るものは 大きなサイズになります)

アサギマダラ
ヒヨドリバナにとまったアサギマダラ。八ケ岳では夏じゅう見られる。
バードフィーダーで知り合った及川正彦氏(八千代市)撮影。
夏、かなり長期間にわたって、我が山小舎の周辺はもちろんのこと、八ケ岳周辺のいたるところで見かける蝶のひとつにアサギマダラがいます。 左の写真をみれば、ああ知ってる!という方も多いでしょう。

しかし、私にとっては長い間、ただの蝶でした。最近まで名前も知らなければ、識別も出来なかったのですが、驚くべき習性を知ってすっかり魅せられました。

知らなければ野鳥も昆虫も植物も、ただ自然の一部ですが、ひとたび知識を得ると、そこから興味尽きない世界への扉が開かれる。そんなことも教えてくれたアサギマダラ の話です。

アサギマダラのプロフィール

八ケ岳では夏に長期間見かける、と書きましたが、このこと自体たいへん恵まれたことです。渡りの途中の平地などではほんのいっとき という場所も多いのです。八ケ岳はアサギマダラに夏の滞在地として大変気に入られていて、5月下旬から、旅立ちの時期は確認してませんが晩秋まで見か けます。
2013年5月23日、野辺山の標高1400bあたりでハルザキヤマガラシの花に止まっているアサギマダラを撮影したと「黒彪」さんからお知らせ をいただきました。そうすると、八ケ岳では5月末から9月まで見られるわけで、蝶の愛好家にとってはまさに夢のような場所なのです。

ヒヨドリバナの項で書きましたが、無知なときは草刈機を振り回して切り倒していたこの地味な植物が、 いまポーチから手の届くところで人間の背丈ほどに育っています。これとヨツバヒヨドリなどがアサギマダラの主な食草というかお気に入りの花です。いずれもフジバカマ(藤袴) 系の花ですが、ここは標高が高いのでフジバカマは育たず、ヒヨドリバナやヨツバヒヨドリになり、この花の蜜目当てに 他の蝶と一緒にアサギマダラがつぎつぎとやってきます。見ればだれでも名前を知りたくなるきれいな蝶です。
アサギマダラ
ヒヨドリバナにとまったアサギマダラ(八ケ岳2006年8月)
青っぽいところが浅葱色。

まだら模様
あごの下にもまだら模様がある
アサギマダラ (Parantica sita niphonica)はタテハチョウ科マダラチョウ亜科に属し、前羽が4〜6センチほどの大きさで、羽を広げると10センチ前 後になります。黒と褐色の模様と、ステンドグラスを思わせる透けるような薄い浅葱(あさぎ)色の斑(まだら)紋様の羽を持っています。胸にも特徴 ある斑模様があり、これが名前の由来です。

あさぎ色ってどんな色

「新選組」
大河ドラマ「新選組」の
隊士の服が浅葱色。
では、あさぎ(浅葱・浅黄)色とはどんな色でしょうか。辞書には英語で【pale (light])blue】、緑がかった薄い藍色。うすあお。しらあお。 などの説明があります。三原色の表記法はいろいろありますが【C=96,M=26,Y=32,B=3】、あるいは【 R=0,G=121,B=150】で分かる方 があるかもしれません。HTMLでホームページをつくることが出来る人は【00859B】と打てば出る色、といいましょうか。

浅葱色というのは“ねぎの葉の色”を表わすもので、淡い水色から濃い青、緑色に近いものまで幅広く含むようで、文献を調べても 色見本のない時代の言葉ですから、一色に限定することはできないのです。まあ、「薄い青」が共通の色認識でしょうか。最近のテレビでいえばNHKの大河ドラマ「新選組」 で隊士が着ている服の色、といえばとおりがいいかもしれません。これとて「推定」でしかないのですが。蝶の写真をみて薄青色の透き通りそうな部分の色というしかありません。

この色の言葉が生まれた背景は、江戸時代参勤交代で江戸に上ってきた地方の侍が、普通何度も染めて出す藍色を1、2回で済ませた安い「浅葱木綿」を羽織の裏地に したので田舎侍を馬鹿にして「浅葱裏」と呼んだことからきているそうです。ネギにちなんで「萌葱色(もえぎいろ)」というのもあります。ネギが芽を出すころの鮮やか な黄緑色をさします。アツモリソウ(敦盛草)の下りで書きましたが、一の谷で討たれた平敦盛は平家物語によると、この「萌葱匂い」の鎧を着ていました。

なぜこんな遠距離旅行をするのか

アサギマダラを有名にしたのはその渡りのすごさです。春から夏にかけては本州等の標高1000メートルから2000メートルほどの涼しい高原地帯を繁殖地とし、秋、気温の低下と共に適温の生活地を求めて南方へ移動を開始し、遠く九州や沖縄、さらに八重山諸島や台湾にまで海を越えて飛んでいきます。海を渡って1000キロ以上の大移動です。台湾・陽明山まで飛んだのはこれまで5個体が確認されていますが、これなど2100キロの飛翔になります。

また逆に冬の間は、暖かい南の島の洞穴で過ごしています。新たに繁殖した世代の蝶が春から初夏にかけて南から北上し、本州などの高原地帯に戻るという生活のサイクルをきちんと守っているのです。季節により長距離移動(渡り)をする日本で唯一の蝶なのです。

キジョラン
キジョランの葉は
多くの蝶の食草になる。
  少し前まで「アサギマダラは平地では5月ごろに成虫が現れ、夏は平地では見られず、山地へ集まる。そして、秋になると再び平地に見られるようになり、冬でも枯れないキジョラン(鬼女蘭)だけで幼虫越冬をする」と考えられていました。

キジョランno
花
キジョランの花
キジョランというのは、蘭の名がついていますがガガイモ科キジョラン属の常緑のつる植物です。つるの長さは5メートルほどあり、 関東以西の山地の林内に木にからみついて生えます。幅10センチほどのほぼ円形の葉がありますが、これが多くの蝶の食草になります。 左の写真で葉に穴があるのはアサギマダラが食べた跡です。

キジョランの果実
キジョランの果実
キジョランの種子
キジョランの種子
キジョランは直径1センチたらずのかすかに芳香のある小さく白い花を咲かせ、その後に大きな実をつけます。果実は幅4センチ、 長さ10センチほどに成長し、晩秋に縦に裂けて長い冠毛を持った種子が風に乗って飛ぶのですが、この艶のある冠毛を 鬼女が髪を振り乱した姿に見立てたのが名前の由来です。

2009年3月、アサギマダラに魅せられ、キジョランを育てているという静岡県掛川市の中野二志男さんから花や種子の写真をいただきましたので、右上や左右で紹介しました。


マーキング調査始まる
長らくアサギマダラは各地でキジョランを食べて越冬すると考えられていたのですが、沖縄本島で観察をした人が、4月の中・下旬頃と秋の10〜11月頃のある日、突然ものすごい数のアサギマダラが現われたと思うと、 数日でまったく見られなくなる。その後、食草を調べても卵も幼虫も見られない・・・このことから、沖縄で見られるアサギマダラは、集団で移動する途中に 立ち寄るだけではないだろうか、と考えました。

そこで、1980年から鹿児島はじめ全国の有志によって、羽に油性ペンでマークをつけて放し、次にそのチョウ が見つかったところを結んで移動経路を調べようという調査が開始されました。マーキングといいますが、このおかげでいまではこのチョウが春と秋に北へ、南へという季節を変えた移動をしていることがはっきりしてきたのです。
大阪を拠点とする「アサギマダラを調べる会」(ホームページがあります)などが中心になって観察組織が作られていて小中学生までマーキングに参加しています。そうした人たちのおかげで近年そのルートが解明されてきていますが、毎年記録が更新されているといってもよいほどです。

分かってきた、そのすごい旅

渡りの地図
分かってきた渡りのルート。東北・関東から
いったん紀伊半島に集結、一気に喜界島まで
飛ぶ。なかには台湾にむけて飛ぶのがいる
こともわかってきた。(産経新聞05年10/30から)
当初は、こんなに長距離飛行するとは考えられていませんでした。信州松本でマーキングされた個体が、海を渡り1300キロ近く離れた沖縄で確認された。高知県大月町から沖縄県南大東島まで約783キロを3日で渡った。一日平均260キロも飛んだ、と驚いていました。

1995年9月29日に大阪府生駒山でマークされたアサギマダラが、10月18日沖縄・八重山諸島の与那国島まで1680キロを17日間で飛んだ記録がしばらく南下の最長移動記録でした。しかし、こんなものではなかったのです

2002年には、福島・北塩原村―沖縄・黒島の2140キロ・メートルが記録されました。これで東北以北で暮らす個体も沖縄以南へ渡っていることがはっきりしました。そしてこれが渡りの「日本記録」でした。4年ほどですが。

日本記録
いっとき渡りの日本記録だったアサギマダラ
=玉置高志さん撮影
さらに記録は伸びました。2006年8月、「アサギネット」を主宰している日本チョウ類保全協会代表理事で京都学園大非常勤講師の藤井恒さんらの研究グループが、山形・蔵王スキー場でアサギマダラ約1700匹にマーキングして放したのですが、そのうち同行した京都市の専門学校生、藤井大樹さん(21)が8月26日にマークしたメス1匹が、今度は11月20日に現地に出向いていた三重県松阪市の玉置高志さん(58)の手で、与那国島・久部良岳の山頂で見つかりました(06年11月27日 読売新聞)。直線距離にして2246キロ・メートル。2002年の記録を100キロ上回り、これが2006年時点で南下の最長記録でした。

実は11月初めには台湾南西部の島で、9月24日に長野県大町市で放されたアサギマダラが再捕獲され、この移動距離は約2190キロでした。4年間の日本記録を50キロ抜いたのですが、わずか半月でまた50キロ更新されたことになります。まだまだ記録は伸びるでしょう。


現在の最長飛翔距離は?

香港に渡った個体
香港まで渡り最長飛翔距離をたてた個体
まだまだ記録は伸びると書いた5年後、案の定さらに飛翔距離が伸びました。
2011年10月10日に和歌山県から放たれたマーキングしたアサギマダラが、83日後の12月31日に約2500キロ離れた香港で捕獲されたのです。この個体は途中高知県でも捕獲されていて、世界第2位の長距離の移動が確認されました(1位はアメリカとメキシコを往復するオオカバマダラの「3300キロ」)。

現在「最長飛翔記録」なので、この個体の移動のあとをたどっておきます。

和歌山県日高町西山 2011年10月10日(標識・放蝶:崎山孝也)
   ↓
高知県香美市香北町谷相白尾林道 2011年10月20日(再捕獲・再放蝶:土居敬典)
   ↓
中国・香港深水湾 2011年12月31日(再捕獲:鳳園蝴蝶保育區 Colleen Chiu ほか)

香港の鳳園蝴蝶保育區の調査チームのColleen Chiuさんから1月4日に連絡があり、1月5日には写真も届いたが、日本で報道するより先に、香港の新聞に掲載され、翌日、日本の新聞各紙でも報道されたが、現地紙で「2500キロ」と書かれたため、この数字が独り歩きしているが、研究者によると実際には少し短いという。「西山から香美市まで124キロ、香美市から香港まで2304キロで、飛翔距離は2428キロ、ざっと2430キロといったところのようだ。しかし、それまでの記録を180キロあまり抜いたのだから、立派な最長飛翔記録ではある。

香港
香港まで渡り最長飛翔距離をたてた個体
ここで再捕獲された場所が「香港」だったことに注意したい。この項で「台湾まで飛翔した例が多いことからアサギマダラの最終目的地が台湾のように思われているが、実際には中国大陸の奥に大集合場所があるのではないか」、と書きました。大陸まで渡ったのは今回で2例目ですが、サイトの亭主は香港よりもっと西、広東省のどこかに彼らが目指す最終目的地があるのではないかと推測しています。

今回、香港で再捕獲されたということはこの地にアサギマダラに興味を持ち、マーキング活動のことも熟知している人がいたということで、はからずも「大陸飛翔説」に光を当てることになりましたが、問題はその先にあります。広東省はじめ中国内陸部ではアサギマダラに興味を持つ人は皆無と言ってよい少数派です。問題解決のためには中国人への啓蒙活動から始めねばならないかもしれません。中国政府も東シナ海や南沙諸島を貪欲に軍事拠点化を図っていますが、すこしはこうした文化活動に目を向けてもらいたいものです。

与那国島について

与那国島
与那国島
2006年まで「日本記録」だった個体は、与那国島・久部良岳の山頂で再捕獲されました。調査のため現地に出向いている人もいるくらいですから、こういうことはかねてから予想されていました。与那国島(よなくにじま)というのは沖縄本島から遠 く離れた八重山諸島の中にあります。沖縄本島と与那国島の距離を、放した山形県・蔵王から本州の地図に当てはめると岡山県くらいの距離でしょうか、途中の島々 を点々としたのでしょう。ここは日本最西端の碑があることで知られますが、ほんのお隣が台湾という位置で、北上の飛翔ルートを調べる時に使われる台湾・陽明 山より緯度は南になるという場所なのです。

台湾遠望
沖縄・与那国島から見える台湾の山並み
(与那国町観光協会提供)
ここで少し与那国島のことを書きます。近年、安全保障上の観点からこの島の重要性が見直されています。 海洋進出の動きを活発化させている中国に至近の場所なのに、沖縄本島から与那国島までの約500キロの地域は、陸自部隊が配備されていない「空白域」でしたので、自衛 隊の常駐が検討されてきました。その結果2016年3月28日、「与那国沿岸監視隊」がスタートしました。隊員約160人で、付近の艦船や航空機を地上レーダーで監視、情報収集 や警戒監視の能力を高め、尖閣諸島など南西諸島の防衛態勢を強化する役目を負っています。

2017年5月、島嶼防衛の重要性を認識させる出来事がありました。太平洋に展開する米軍の最高司令官であるハリス米太平洋軍司令官と日本の制服組のトップである河野克俊統幕長がそろって 与那国町の「日本最西端の碑」を訪れたのです。 ハリー・B・ハリス・ジュニア司令官はアメリカ人の父親(海軍兵曹長)と神戸出身の日本人の母親を持ち横須賀生まれ。アメリカ海軍史上初めての日系の大将であり、第24代アメリカ太平洋軍司令官として赴任以来、母親から「義務と義理を学んだ」と語り、自分は日米同盟の向上に尽力する義務があると述べている人物です。

最西端の碑の前で
「日本最西端の碑」を訪れた米太平洋軍のハリス司令官(左から3人目)と
河野克俊統合幕僚長(同4人目)=防衛省統合幕僚監部提供

ハリス米太平洋軍司令官は17日、自衛隊トップの河野克俊統合幕僚長とともに、日本最西端の沖縄県与那国町にある陸上自衛隊与那国駐屯地を訪問し、部隊を視察しました。自衛隊と米軍の高官がそろって自衛隊駐屯地を訪問するのは極めて異例で、日米の制服組トップが「日本最西端の碑」の前に勢ぞろいした一枚の写真は、海洋進出を進める中国を牽制する上で大きな意味があるものです。

アメリカ大使が異例の与那国視察 

エマニュエル駐日米大使
与那国町を訪れたエマニュエル駐日米大使(左)と、
出迎えた糸数健一・与那国町長(2024年5月17日)
 沖縄県の与那国島と石垣島を、エマニュエル駐日米大使が2024年5月17日に訪問した。米大使が与那国を公式訪問するのも、米軍機が民間の与那国空港を使うのは、記録が残る1997年以降で初めてで、台湾有事に備えて地元と関係をつくり、米軍の活動範囲を広げておきたいとの米側の狙いが透けて見える。

エマニュエル駐日大使は糸数健一・与那国町長の出迎えを受け、談笑しながら東シナ海を眺め、島の最西端にある灯台や陸上自衛隊の駐屯地を視察し、港で漁業関係者と意見交換した。その後、記者団に対し、「(自衛隊の)抑止力は与那国にとって重要。これは日本の戦略的ビジョンにも盛り込まれ、米国の戦略と相互補完するものだ」と述べた。さらに、日本産水産物の輸入禁止措置を取る中国が日本近海で漁を続けているとした上で「中国の言葉は偽善的で、言っていることとやっていることが違う」と非難した。

 防衛省は中国を念頭に、与那国駐屯地を「南西地域の防衛上極めて重要な拠点の一つ」(防衛白書)と位置づける。2022年11月には島で初めて日米共同訓練が行われた。その際、米兵は自衛隊輸送機で島に入ったが、今回の大使の視察は米軍機によるもので、与那国空港を使うのは初めて。

 米国はこれまでも、日本の民間空港・港湾を米軍が使用できるよう求めてきた。昨年1月の日米外務防衛担当閣僚の安全保障協議委員会(2プラス2)の共同発表では「空港及び港湾の柔軟な使用」の重要性が強調され、今年4月の日米首脳共同声明では「南西諸島を含む地域における同盟の戦力態勢の最適化」を「さらに推進する」ことで合意している。

駐屯部隊
与那国駐屯地には自らも陸自出身の中谷元防衛相が
訪れ隊旗を授与した(2016年3月28日)
私は石垣島に は何度も訪れ、たぶん「日本最南端」でのゴルフをしたこともあります。その先の小浜島にある当時ヤマハが運営していた高級リゾート「はいむるぶし」にも2、3度宿泊しました。「はいむるぶし」とは沖縄のことばで「南十字星」 という意味で、そのとおり南半球の夜空を代表するこの星を見ることができるというので人気があるところです。そこから船で2、30分の西表島(いりおもてじま)にも上陸もしまし たが、さらに先にある与那国島には行き そびれました。国境の島に無理しても行っておけばよかったと思います。発足した「与那国沿岸監視隊」にはレーダー監視のほか、特別任務としてアサギマダラの観察を 是非加えてもらいたいと思います。

中国を念頭に与那国島の重要性は高まるばかり
1700人の島に200人超の自衛隊員が駐留する「本土防衛」の拠点

近年、与那国島の軍事的重要性は増すばかりです。ここで、アサギマダラばかりでなく「台湾有事」に備えての安全保障上の観点からこの島を見てみます。
台湾から約110キロの距離にある沖縄県の与那国島では、このところ中国軍による動きが目に見えて活発化している。2022年4月7日、中国のY9電子戦機が、与那国島から宮古島南方の太平洋上を初めて往復した。Y9電子戦機は、機体の下部にアンテナを搭載し、電波情報の収集や妨害電波を発信することを目的とした軍用機である。

与那国島
与那国島久部良漁港
その約1カ月後には、中国海軍の空母「遼寧」が7隻の艦艇を伴い、沖縄本島と宮古島の間を南下。艦載機の離発着訓練を100回以上も実施している。「台湾有事」や与那国島のすぐ北側の尖閣諸島侵攻を想定した中国の軍事行動は拡大している。

与那国島は、日本の最西端に位置する島で人口は約1700人。台湾とは約110キロしか離れていない。天気が良い日には台湾の東岸が目視できる。ちなみに尖閣諸島とも150キロ程度の距離にあり、尖閣諸島を行政区域としている石垣市からの距離よりも近い。

与那国島は台湾と終戦直後まで交易で栄えた。終戦までの50年間、台湾は日本が統治しており、与那国島とは人々が自由に行き交っていた。米軍統治が始まり、台湾に自由に渡航できなくなったが、1950年ごろまで島は交易の拠点で、町史などによると、47年の島の人口は約5700人だったが、商人や台湾からの引き揚げ者を加えた住民は1万2000人以上と推定され、裁判所や警察署も置かれていた。

「商人や船乗りで昼夜問わずにぎわっていた。人がぎっしりで、肩と肩がぶつかった。バーも70軒以上、岩陰にまでできた」と古老は記憶する。家々の軒先には、台湾から持ち込まれた米や卵が山積みになり、沖縄本島からは米軍払い下げの衣類や油類などが入った。「卵も食べられない時代に、皆ぜいたくな暮らしをしていた」。島では「道にこぼれた米粒を鶏もつつかなかった」と語り継がれる。

軍事的重要性 自衛隊の配備
与那国島の軍事的重要性は地図で御覧の通り 南西諸島への自衛隊の配備

与那国島は、台湾に一番近い島であり、中国が台湾や尖閣諸島に侵攻した場合は最前線となる島である。「台湾有事」では台湾侵攻から逃れた人々が真っ先に殺到することが予想される。その「避難施設」づくりも急務になっている。現に島民からはシェルター建設の要望も出されている。

全国各地の自衛隊施設周辺で、外国籍と見られる者の土地買収が目立ち始め、遅ればせながら政府は2022年9月、自衛隊基地周辺や国境離島など安全保障で重要となる土地の取得や利用の制限に乗り出した。与那国島の場合も、駐屯地から1キロの範囲は特別注視区域として制限の対象になる予定だ。

与那国島では2016年3月、陸上自衛隊の駐屯地が設けられ、160人規模の沿岸監視隊が駐留して以降、着々と戦時への備えが進んでいる。かつては「拳銃2丁」と揶揄された与那国島。島内2カ所にある警察の交番だけが防衛の拠点だった島は、現在では中心部の小高い山に巨大レーダーが設置され、周辺を航行する中国軍の艦艇や航空機の監視を続けている。

自衛隊のレーダー
林立する自衛隊のレーダー
2022年4月1日には、航空自衛隊の移動式レーダー部隊も配備された。文字どおり、移動式の警戒管制レーダーを運用することによって、中国軍への警戒監視態勢を強化するためだ。陸上自衛隊の電子戦専門部隊の配備も予定されている。この電子戦専門部隊には、最新の車載型ネットワーク電子戦システム(NEWS)が導入され、電磁波の収集、そして侵攻を受けた際に、相手のレーダーや通信機器を無力化するための役割が与えられることになる。

その数は70人規模。これにより与那国島に駐留する自衛隊員の数は230人あまりと、島の人口の約15%を占めることになる。

以前自衛隊への島民感情は反感が強かったが、21世紀になって中国の船や航空機が頻繁に周辺海域や空域に接近するようになって意識が変わってきた。特に、ロシアのウクライナ侵攻以降、3カ月の間に、与那国島も石垣島も、宮古島や北大東島も、『明日はわが身』という気持ちから、住民の間でほとんど抵抗はなくなったという。

与那国島だけでなく、2019年には宮古島に駐屯地が置かれた。石垣島にも今年度中には陸上自衛隊の警備隊、地対艦ミサイル、地対空ミサイル部隊が配備される予定だ。

しかし、軍事的に見ると、この程度では「いざ鎌倉」という時には屁のツッパリにもならない。離島防衛の最重要課題は兵站(兵器類の整備修理、食料、燃料、弾薬などの補給、戦闘傷病者の医療処置など、前線の戦力を維持するための機能)である。島に駐屯地を作っても、有事が生じる前に武器弾薬を集積しておかないと間に合わない。それらはこれからである。

能天気な日本人には「台湾有事では米軍が守ってくれるはず」と思っている人が多い。これはとんでもない間違いである。

アメリカ政府は2012年、沖縄に駐留している海兵隊を、グアムやハワイ、オーストラリアに分散する方針を決めて、在日米軍再編計画の見直しに関する日米共同文書に盛り込んでいる。その理由の1つは、アメリカ軍の沖縄一極集中を緩和させるためだが、もう1つ、中国のミサイル攻撃を想定し、ダメージを最小限に食い止めるという説明だ。

つまり、中国軍が台湾や尖閣諸島に迫った場合、在沖縄アメリカ軍の大半は、グアムなど後方に下がるといっている。そうなれば、前線で中国軍と対峙するのは自衛隊だけになる。アメリカ軍が後方で体制を整え支援に来てくれるまで持ちこたえられるかどうか。

与那国島の軍事的プレゼンスは増すばかりである。


脇道にそれたので本来のアサギマダラの話に戻します。

大陸に渡った個体
中国大陸に渡った個体(藤井恒さん提供=読売新聞)
それにしてもなぜ日本から南下するアサギマダラが台湾や沖縄・与那国島など島に渡るのか不思議に思うところです。むしろ中国大陸に集合場所が あると考える方が自然ではないでしょうか。

中国地図
大陸までの渡りのルート
そんな矢先の2008年12月20日の読売新聞に大陸に渡った例が掲載されました。上でも紹介したアサギマダラ研究家の京都学園大非常勤講師の藤井恒 さんらのグループが確認したのです。2006年8月6日、石川県輪島市でマーキングされて放たれた1匹が、約2か月後の10月14日に、直線距離で1644 キロ・メートル離れている中国浙江省平湖市の公園で捕獲されていました。大陸での捕獲者から台湾の研究者に2年後に情報提供があった といいます。

中国本土では蝶の研究はそれほど注目されているわけではないので、こうしたタイムラグが出るのでしょうが、これは大変なことです。これまでアサギマダラは台湾に渡るとされていた ことが、修正されるかもしれないからです。今後大陸のどこかに一大集合地、一大繁殖地があることが明らかにされるかもしれません。

天皇皇后両陛下、与那国島へ
両陛下
日本最西端の碑をご覧になる天皇、皇后両陛下(2018年3月28日)

天皇、皇后両陛下は2018年3月28日、空路で与那国島入りし、日本最西端の碑がある岬・西崎(いりざき)などを巡られた。

天皇陛下は岬に立つと、「ここが西端になるのね」と感慨深げに話された。与那国町の外間守吉(ほかましゅきち)町長から、台湾は110キロ先で年に5、6回は見ることが できるという説明を聞き、「近い」と感想を述べられた。

map
両陛下の「離島の旅」

離島の人々の生活や文化も大切に見守ってきた両陛下は、これに先立ち、町立久部良(くぶら)小で、太鼓やドラに合わせて勇壮に舞う伝統芸能「棒踊り」を観覧し、拍手を送られた。 なぎなたの舞を披露した上原祐二郎さん(32)は、両陛下から「継承に頑張って下さい」と声をかけられた。「練習してきたが緊張した。島のことを気にかけてくれてありがたい」と話 していた。

この日は地元漁協で水揚げされたカジキや島固有の与那国馬なども見学された。8月には北の離島、利尻・礼文島を訪問される。(新聞各紙から要約)


アサギマダラ集結の名所、姫島と喜界島

秋にたくさんのアサギマダラが集結する場所として、大分県の姫島と奄美大島の東の喜界島(きかいじま、きかいがしま)が知られています。小さな島がある日突然アサギマダラだらけになり、3,4日で皆いなくなるといいます。これを見に愛好家が集まるほどです。まず姫島から。

すっかり有名になった中継地、大分・姫島のアサギマダラのすごい写真

群舞
大分県・姫島で見られるアサギマダラの群舞。
あまりにすごいので紹介しますが、中継地である大分県国東半島(くにさきはんとう)沖の姫島(姫島村)でのアサギマダラの群舞です。

絵画のように見えますが カメラマンによる実写です。2008年5月28日の毎日新聞に掲載されたものですが、役場によると毎年5月初旬から6月初めまで、島北部の、みつけ海岸に自生するスナビキソウの群生地に何千という数が集まるそうです。国内有数の大規模中継地といってよいでしょう。例年、5月上旬から6月上旬にかけて飛来、3〜5日ほど滞在して北に渡る体力をつけては次々と北に 飛び立っていくといいます。下で紹介したNHKの番組「ダーウィンが来た!」もこの姫島でのアサギマダラの乱舞の撮影から始まっています。今では蝶の愛好家ばかりでなく、観光客も春と秋に押し寄せるようになりました。




姫島
姫島
全景
行き帰りにアサギマダラが立ち寄る姫島
姫島は秋にも渡って来る大規模飛来地です。八ケ岳や東北、北海道の高地など涼しいところで世代交代をしたアサギマダラが、秋に今度はいっせいに南下するのですが、この南下の時にも姫島を経由していきます。スナビキソウの自生地保護や移動の調査などをしている「アサギマダラを守る会」によると、姫島では、年によっては1日千羽を超す時期もあるそうです。


清廉の人、西村英一

西村英一
田中派の大番頭、西村英一は姫島の出身
ここで少し脇道にそれます。このサイトの亭主は新聞記者時代、政治原稿を書いていました。その時の思い出話です。国東半島の沖に浮かぶ小島「姫島」は今ではアサギマダラで有名ですが、政治記者の間では田中派の大番頭、西村英一が出たところとして記憶にある場所でもあります。
田中派の竹下登(74代首相)が創政会(のち経世会)を立ち上げて田中派が分裂した時のことです。「本家」の田中派事務総長の小沢辰男と割って出た「分家」の創政会副会長の橋本龍太郎という両派の大幹部を従えて西村英一がこの小さな島にお国入りしたのです。裏事情をいえば両方とも、派閥継承の正当性を見せるために田中角栄からもっとも信頼されていて、回りから「じいさん」と呼ばれていた西村英一からお墨付きをもらうために同行したのですが、誰も知らない小さな島が永田町で一躍有名になったものです。

西村英一は大分中学から、七高(鹿児島)、東北帝大電気工学科を卒業後、鉄道省に入り、局長から政界に転じた。田中派ができると初代の七日会会長。大平内閣のとき自民党副総裁で大平、田中の主流派と福田、三木武夫、中曽根康弘ら反主流派が四十日抗争を繰り広げた際、副総裁として両陣営の調整役を務め、名采配ぶりで名を挙げ一時は次期首相候補に挙がったこともあった。

西村英一碑
西村英一顕彰碑
田中派というと金権体質のイメージだが、質素な私生活を貫いた。金丸信(のち副総裁)が西村の私邸を訪ねた時、玄関の引き戸がガタピシするので気を利かせて知り合いの業者に修繕させたところ、余計な事するなと怒鳴られたというエピソードがある。

田中が倒れた後だが、姫島に田中の筆になる「西村英一顕彰碑」が建立され、人口3000人の島に政界の大物が陸続と掛けつけた、上述の橋本龍太郎(82代首相)らを従えてのお国入りはその時のことである。田中派分裂では両派が入る東京・千代田区平河町の砂防会館の鍵を取り上げ、共に締め出すという「喧嘩両成敗」を地で行って骨のあるところを見せた。自民党の数々の政争の舞台になった砂防会館も老朽化で60年の歴史を終えて2016年3月で取り壊される。1987年9月15日死去。享年90。

2016年11月、姫島は「61年ぶりの村長選」というので有名になりました。人口2000人、車エビの養殖が主産業の村はこれまで61年間16回連続で無投票だったが、今回初めて対立候補者 が出たのだ。61年間で村長を務めたのはたった3人。したがって誰も選挙運動をしたことがなく、村民の多くが顔見知りのため選挙ポスターもない。土台、同村には、村長選、村議選でのポスター掲示場 の設置を定めた条例が存在しないという浮世離れした村の選挙。結果は現職が9選を果たした。

「蝶に超注意!」鹿児島県・喜界島のバタフライロード

喜界島
蝶の宝庫、喜界島
アサギマダラが渡りの途中立ち寄る大分県・姫島を上で紹介したが、もう一箇所、いろんな蝶が舞い翔ぶところとして鹿児島県。喜界島がある。

喜界島は、奄美大島の東へ位置する周囲約48.6kmの島。島の大半が隆起サンゴ礁で年間数ミリずつ隆起し続けていて、島一面にサトウキビ畑が広がり、特産品はサトウキビから作られる黒糖、黒糖焼酎で、また国内最大のゴマの産地としても知られている。、近年ではダイビングスポットとしても注目されている。

 島内はオオゴマダラやアサギマダラなどの蝶が舞い飛び、「蝶が舞う隆起サンゴの島」をうたう。島内には「蝶道(バタフライロード)」がある。「蝶に超注意!」。そんなユニークな標識で訪れる人を和ませるこの道は今、多くのチョウでにぎわいを見せている。

 標高203メートルの百之台公園近くの三差路に「蝶道(Butterfly Road)」と記された案内板が立っている。そこから約2キロの林道「滝川線」が蝶道だ。

オオゴマダラ ツマムラサキマダラの♀
オオゴマダラ ツマムラサキマダラの♀

 道幅の狭いアスファルト路面だが、両脇の木々が生い茂り、昼間でもやや薄暗い。人や車の行き来は少なく、しばらくして目にしたのはリュウキュウアサギマダラだ。すぐ下にはツマムラサキマダラの姿も。近くには渡りチョウとして知られるアサギマダラやアオタテハモドキが道沿いの花にとまっては蜜を吸っている。

アオタテハモドキ シロオビアゲハ
アオタテハモドキ シロオビアゲハ

 先に進むと、アサギマダラの絵と「蝶に超注意!」の標識が立つ。喜界町企画観光課によると、20年近く前に町の職員が設置した。町道ではないが、チョウの保護を目的としつつ、面白く、印象的な文言にしたという。

 雌雄のペアとみられるシロオビアゲハが戯れるように舞っている。蝶道から分かれた小道の先にはルリタテハが羽を休めていた。

ルリタテハ ホウライカガミの葉に止まるオオゴマダラ
ルリタテハ 食草ホウライカガミの葉に止まるオオゴマダラ

 金色のさなぎで知られる「オオゴマダラ」は喜界島が生息域の北限とされる。喜界町は1989年、オオゴマダラ保護条例を制定し、成虫の捕獲や卵の採取を禁じている。

 羽を広げると15センチ前後になる日本最大級の蝶、オオゴマダラは、ふわりと飛ぶ優雅な姿から「南の島の貴婦人」とも言われる。町の農産物加工センターでは、中庭に食草のホウライカガミを植えて卵や幼虫、さなぎ、成虫を観察できるようにしている。

オオゴマダラの食草としても知られるホウライカガミは、海岸近くに多く生育していて、つる性の植物で茎は長く伸びて木に巻きつく。葉は楕円形で厚く光沢があり、花は白く小さな星のような可愛らしい形をしている。キョウチクトウ科で有毒があり、オオゴマダラの幼虫はホウライカガミの葉を食べて、体内に毒を蓄えて天敵から身を守っている。成虫になっても体内に毒が残り、野鳥がオオゴマダラを食べても吐き出してしまうという。

 喜界島観光物産協会などによると、羽化する光景が見られるのは春先から。秋口にかけて孵化や羽化を繰り返す。現在も卵や幼虫の姿を間近で観察することができるという。(2024年5月23日、読売新聞)

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マーキング調査により、本州のアサギマダラは徐々に南下して、いったん和歌山県に終結、紀伊半島あたりから四国・阿南市付近に上陸し、少しずつ移動しながら室戸岬付近に集まり、風を見計らって室戸岬や足摺岬などから大海原へ出ていくという流れがあると考えられています。

これは、ある年の9月14日に長野県上村のしらびそ高原で標識をつけた19匹のうちの1匹が、約1か月後の翌10月18日、約350キロ離れた和歌山県白浜町内で発見され、同じそのアサギマダラが11月2日、さらに約950キロ南下した沖縄・南大東島の魚釣場で再々捕獲されたことから判明したのです。約1か月半かけて、和歌山県を中継地に、長野ー沖縄・南大東島まで移動しています。驚くべき飛翔力です。
さらに近年では長崎あたりから、台湾に飛ぶルートもあることが報告されています。 移動のルートが判明し始めるとともに、どうも大空に蝶たちが通う「蝶の道」があるのではないかと推測されはじめています。行きと帰りでルートが違うことも明らかになってきています。

北上の記録は1995年5月31日鹿児島県種子島から飛び立って、7月16日福島県白河市で確認された1羽で、46日間で1200キロ飛びました。 北限としては、山形県藤島町が報告されています(2000年9月)。しかし、いまでは、津軽海峡を越えて函館から報告が来るようになりました。後述のように地球温暖化とも 関係しますが、どんどん北上しているようなのです。

上ノ国
北海道・上ノ国町まで飛んだ個体
上ノ国町
上ノ国町は道南にある
例えば、2013年6月6日の記事ですが、「アサギマダラが、大分県から約1160キロ離れた北海道上ノ国町に飛来。九州から北海道までの 移動は初確認」と見出しにあります。函館市の愛好家グループ「道南虫の会」メンバーらがアサギマダラ1匹を捕獲したもので、羽に「ヒメ」「5/21」などと書かれており、大分県姫島村の「アサギマダラを守る会」が5月21日、村から放った 雄と判明した。捕獲したチョウは再びマーキングして放した。道南虫の会の事務局長で函館工業高校教諭の対馬誠さん(56)は「どこから来たのかやっと解明できた。今後も 調査を進め、飛行ルートの解明につなげたい」と話した。(産経新聞電子版)

上ノ国町は津軽海峡を渡ってすぐの江差と隣り合った所で北海道では比較的暖かいところです。姫島というのは上でアサギマダラの群舞の写真とともに紹介したように 渡りの途中の場所として有名な島です。ここでマーキングされたのですが、姫島に来るまでに台湾 か中国のもっと南で生まれているわけで、1160キロどころではない飛翔距離になる可能性があります。と同時に飛んでいく先は札幌、旭川、稚内、ひょっとしてサハリン‥‥という 可能性も秘めています。温暖化の影響とともに研究が待たれるところです。

国境を越えて日本に来ていることは、2000年に台湾台北市北部の陽明山でマークされた2個体が、鹿児島県と滋賀県でそれぞれ再捕獲されて、初めて明らかになりました。 でも、移動の範囲の全貌は明確になっていなくて、まだまだ謎だらけの蝶です。

アサギマダラ 卵から幼虫→蛹→羽化まで

これまではアサギマダラの移動のすごさばかりに焦点を当ててきましたが、本来の生態について説明します。

アサギマダラは日本の南西部、中国南部から西北ヒマラヤにかけて分布し、成虫は長距離を移動することで有名です。南西諸島では冬でも卵から成虫まで全てのステージが見られ、決 まった越冬態はありません。

熱帯に種数の多いマダラチョウ科は本来南国のチョウですが、アサギマダラはその中でも温帯で越冬できる耐寒性の強い種で、関東以西の沿岸部付近などでは、冬が近づくと常緑性で あるキジョランなどの食草の葉裏に産みつけ、九州以北では非休眠の1〜3齢幼虫または卵で越冬します。

越冬できる北限は東京付近までで、これは冬でも利用できる常緑の食草であるキジョランの北限に一致します。夏世代の幼虫はカモメヅル、オオカモメヅル、コバノカモメヅル、イ ケマなどの落葉生のガガイモ科植物も利用しています。幼虫はなかなか派手な姿で、黒の地に黄色の斑点が4列に並び、その周囲に白い斑点がたくさんある姿をしています。前胸部と 尾部に2本の黒い角があります。

東京以南の低山の林では新緑の頃、キジョランの葉に丸い孔をあけたような独特の食痕を残しながら成長しているのが見られます。このような食痕ができるのは、まず円形に噛み傷を 付けてから、その中を食べるためですが、このような面倒なことをするのは、ガガイモ科植物が持つアルカロイド系の防御物質の通り道を噛み傷によって遮断し、食べるべき場所を隔離 してから食べ始めるためです。またキジョランなどは幼虫のかじりあとから乳液を出しますが、この乳液で食べやすくしているためだと考えられています。

このような有毒物質を遮断する噛み傷を付けることをトレンチングといいます。トレンチングはウリ科の葉をたべるウリハムシやトホシテントウなど、系統的に離れた分類群 に見られ、独立に進化した現象であることがわかります。4〜5齢に育った幼虫は葉の基部に噛み傷をつけて1枚の葉をしおらせて丸ごと食べるようになります。

その後、蛹(さなぎ)になりますが、蛹は垂蛹型で、尾部だけで逆さ吊りになります。蛹は青緑色で、金属光沢のある黒い斑点があります。(森林総研HP、自然探訪2009年5月などから)

【卵】

アサギマダラの卵
アサギマダラの卵
アサギマダラの寿命は羽化後4〜5カ月で、与えられたその生涯時間内で2000キロを移動するのですが、この間に代をつなぐべく産卵します。卵はキジョランなどの葉の裏にポツンと1個から3個ほど産みつけます。9月中旬までに生まれた卵は、11月上旬までに羽化して南下の旅に加わり、それよりあとに産卵されたものは、幼虫のままキジョランの葉裏で冬を越してからさなぎになります。


【孵化から幼虫まで】

蝶の一生は大まかに分けると、卵→幼虫→蛹(さなぎ)→成虫の4ステージがあります。卵から孵化したばかりのものを「1齢幼虫」といい、体長はわずか3ミリほどで頭が黒く、 体は灰色をしています。体が大きくなった幼虫は脱皮をして、「2齢幼虫」になるというように、脱皮ごとに「齢」をふやしていきます。

孵化近し まず噛みあと サークル内を食べる
卵の先が黒くなると孵化が近い 幼虫は葉にまず噛み跡をつける サークル内をたべつくす。
白いのは葉から出た乳液

ヘッドカプセル
ヘッドカプセル
4齢
これは4齢くらい。蛹化が近い。
何齢くらいか見分ける方法です。幼虫が脱皮した時に残る頭部の殻をヘッドカプセルといいますが、その頭部の幅を計測することで見分けます。2齢くらいから前後に肉角とよばれる突 起が出てきます。アサギマダラの場合「5齢幼虫」くらいまであり、その後、幼虫は最後の食事を終えると、蛹になる準備に入ります。

【蛹から成虫まで】

蛹になる前、幼虫は、まず糸で台座を作り、背中には帯糸(たいし)という紐みたいなものをかけて、じっとしています。これを前蛹(ぜんよう)といいます。しばらくすると また脱皮をして今度は蛹になります。蛹になったばかりの頃は体が透き通ったような状態ですが、2日ほどたつと黒い点がはっきり見え、金色に輝く部分が現れます。やがて蛹から 成虫になることを羽化(うか)といいます。

蛹直後 蛹23日目 羽化間近
蛹直後は透き通っている 蛹23日目くらいで斑模様が 羽化間近には黒くなる

アサギマダラは蛹になったばかりの頃は体が透き通ったような状態ですが、2日ほどたつと黒い点がはっきり見え、金色に輝く部分が現れます。羽化直前になると蛹は全体的に黒っぽくな り、緑の部分は見られなくなります。頭部に空気の層が見え始めるといよいよ羽化です。

【羽化】

孵化
羽化した直後
まず頭部が出てきます。数分がかりで足で殻を掴んで外に出てきますが、このとき翅はしわくちゃな状態ですが、1時間ほどでのびきります。翅がのびきってもすぐには飛び立たず 、数時間はこの状態で翅を乾かしています。


NHK番組で紹介されたアサギマダラの動画

2015年1月11日、NHKの番組でアサギマダラが取り上げられました。ダーウィンが来た!「日本縦断2000キロ!旅するチョウを追え」 という30分番組です。

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番宣によると「 春は南から北へ、秋は北から南へ。日本列島を縦断して2000キロもの旅をするチョウ、アサギマダラが主人公。広い海を越えてこれほど長距離移動するチ ョウは世界でも他に例がありません。羽に印をつけて放す”マーキング調査”と呼ばれる地道な研究で、謎だらけの渡りの様子が次第に分かってきました。番組取材班も調査に参 加。アサギマダラに「ダーウィン」のマークを付け、視聴者の皆さんからの目撃情報を頼りに壮大な旅を徹底追跡しました」とあるとおりかなり力を入れたものです。

スナビキソウに止まる
スナビキソウに止まるアサギマダラのオス=番組から=
番組のスタートは上の写真でも紹介した大分県姫島からで、海岸のスナビキソウに群がるアサギマダラの群舞が見事です。気温21℃前後を好み、暑さに弱く、29.6℃ともな るといっせいに木陰の葉裏で休んでいる姿が紹介されています。アサギマダラが渡りをする最大の理由はこの「温度」。暑さや寒さに弱いため、春は暑さから逃れるため北に向か い、秋は気温の低下に追われるように南下していくというわけです。

上で少しフェロモンのことに触れました。番組では姫島のスナビキソウに集まるのはすべてオスだけであることが紹介されています。オスのアサギマダラはスナビキソウやフジ バカマ、ヨツバヒヨドリなど特定の花からしか蜜を吸いません。これらの植物には、オスがメスを誘うために欠かせないフェロモンの材料となる物質が含まれているためです。オ スは、そうした特定の花の開花前線を追いかけて旅をするのです。

北上するアサギマダラがたくさん集まる場所として富士山中腹が紹介されていますが、ここ八ケ岳も同じです。卵を産み付け1週間ほどで孵化する様子も撮影されていますが、 途中次の世代を残しながら北上を続けているわけで新旧の世代が北を目指していることを初めて知りました。

番組では裏磐梯で新しい世代交代が行われ、秋に南下を始めるとありますが、地球温暖化で今では北海道にまで渡る個体があることは上で紹介しました。「21℃」を求めて移動していると思われます。 南下の場面では、上昇気流に乗って上に上がり、次に滑空で前に進むという飛翔の様子がよくカメラに捉えられています。一日100キロも飛ぶ北上に比べ南下に倍も時間がかか るのは季節風の関係ですが、番組では、伊良湖岬に集まり一気に紀伊半島まで海を渡る姿を詳細に追っていました。

初めて知ったのですが、海に落ちて死んでいるかと思えるアサギマダラが、近づくとパッと飛び上がる様子がとらえられていました。漁師は「波の上で四つん這いになっていたの が一気に浮上する」と語っていました。アサギマダラは海の上でこうして休養しながら海を超えているとする最近の専門家の観察も紹介されていました。

蝶の数え方
チョウを数えるのにここでは「匹」を使いました。学術用語では「頭」です。これは英語で家畜などを数えるのに「head」を使ので、それが動物学でも広まり、鳥と魚を除 くすべての動物は一頭、二頭と「頭」を用いて数えるようになったものですが、現在では「匹」も「頭」もどちらも使われており、辞書でも、一般用語では「匹」、学術用 語では「頭」という説明が主流です。

学名はヒンズー教の女神から

アサギマダラの学名は「Parantica sita niphonica」(パランティカ・シータ・ニッポニカ)といいます。「日本」の名が冠されていることでもわかるように北海道から沖縄まで我が国に馴染み深い蝶なのです。分類学では「動物界節足動物門昆虫綱チョウ目アゲハチョウ上科タテハチョウ科アサギマダラ属 」に入ります。

学名が出たところで、また脇道にそれます。この脇道は学名の由来がヒンズー教の女神から来ているというロマン溢れる話です。またヒマラヤで九死に一生を得た山男が八ケ岳登山の途中にこの蝶に出会い、マーキング調査に没頭する一方、その姿を追って全国を歩き回って「約束の蝶」とまで恋い焦がれる話でもあります。

日本山岳会の会報に、掲載されたものですが、長いので下記に別稿を立てて紹介します。

【「約束の蝶」アサギマダラ】
(クリックでアサギマダラに魅せられた山男の話に飛びます)

まだまだナゾだらけ

キジョラン
日本中にある
ガガイモ科の植物が食草。
アサギマダラが北上して各地で「さまよい」、そして南下の行動を誘発する時の刺激要因は何かもまだわかっていません。 蝶は羽化後10数日で死にます。ですから、南下するアサギマダラと北上するアサギマダラはそれぞれ別の個体です。世代を またいでどうしてこの行動を伝えているのか不思議なことです。

普通、蝶の翅(はね)は燐粉におおわれています。蝶は羽化後1週間ほどで翅はボロボロになりますが、アサギマダラの翅には鱗粉がほとんどありません。1000キロ飛んだあともそのままなのも不思議といえば不思議なことです。

幼虫
幼虫は日本中にある
ガガイモ科の植物が食草。
アサギマダラの本州での食草はキジョランやイケマ、サクラランというガガイモ科の植物です。ガガイモは地下茎で伸びるつる植物で、路傍でよく繁茂している植物です。 いずれも毒をもっています。これを食べているアサギマダラには他の昆虫や鳥も近づけないのです。 近年、摂取したアルカロイドをどうして他の動物への防御物質に転用するのか、その生化学の解明も注目されています。

他のマダラチョウと同様に擬態現象を行うものは、食草中のアルカロイドの影響だと考えられています。そのメカニズムの解明も 注目されはじめています。オスは吸蜜植物からピロリジジンアルカロイド( Pyrrolizidine alkaloid、略称:PA)を摂取しないと成熟できず、オスがヒヨドリバナ属など の花に強く誘引されるのはこのためだというのも分かってきています。

アサギマダラは上述したようにタテハチョウ科マダラチョウ亜科に属します。近縁種は8種ありますが、気温24℃を好むので、東アジアでこの平均気温の一帯に広く分布しています。近似種、亜種はインド、ネパール、タイ、ベトナム、中国に分布していますが、みなこの温度の前後です。DNA鑑定が進んで、今ではアサギマダラとタイワンアサギマダラは約2300万年前に分枝したというところまで研究が進んでいます。日本のアサギマダラの故郷は台湾・陽明山あたりだと推察されます。ほとんどの近縁種は南西諸島に見られるのですが、日本本土まで土着しているのはアサギマダラだけです。これもナゾのひとつです。

アサギマダラの研究のおかげで地球の温暖化がすすんでいることもわかっています。近年、移動の時期がどんどん早くなる一方、従来は日本では東北地方あ たりが北限だったものが、今では北海道・函館山あたりがアサギマダラの名所になってきました。例えば下記の記事です。

函館から
函館から放蝶された個体
函館で放されたチョウ 2カ月で1200キロ飛び下関で捕獲
北海道函館市近郊から今年8月に放されたチョウ「アサギマダラ」が、本州最西端の山口県下関市の市立公園・リフレッシュパーク豊浦で捕獲された。 2カ月間の飛行距離は実に約1200キロ。チョウは下関から再び放され、さらなる南下の旅路についている。

同公園によると、アサギマダラは8月19日、飛行ルート解明などを目的に函館市の愛好グループ「道南虫の会」が近隣の山から放し、10月24日に公園 のバタフライガーデンに飛来した。捕獲されたアサギマダラは雌で、羽に「ハコダテ」「8/19」などとマーキングされていた。(2011.10.30 産経新聞)

これなど二つの点で注目されます。一つは上述したように本州を南下して長崎あたりから台湾方向に向かうコースをとっていた個体ではないかということ。も し台湾などで再捕獲されると最長距離記録を書き換える可能性があります。もう一つは、地球温暖化でアサギマダラの渡りの地がどんどん北上していて函館はもう 途中経過地でしかないということです。現に今では釧路や利尻島、はてはロシアの沿海州あたりからも観察の報告がされるようになってきました。アサギマダラは 地球の危機のシグナルも発しているのです。こちらの面からの研究も待たれるところです。

アサギマダラの大移動についてのナゾは他にもあります。

■か弱そうに見えるあの小さな体の何処に海を渡って1000kmもの長距離を 飛び続ける力が秘められているのだろうか。
■秋に南下する時は、強い偏西風に逆らうことになる。逆風をどうして克服でき、しかも洋上の 小島を探し出すのだろうか。
■海を渡っている間の食餌はどうしているのか、夜は何処で休んでいるのだろうか。
■新しく生まれた蝶は4か月程度の寿命です。つまり渡りをする蝶はいつも新しい世代です。それなのに蝶が南へ、あるいは北へ、渡りの時期が来たことをど うして知るのか。そして、どうやって渡るべきはるかな未知の土地の方角を知るのだろうか。
■食草はその土地に1年中あるのに、何故その土地の環境に順応せず、危険の伴う旅を続けるのだろうか。

アサギマダラには、まだまだわからないことが多いのです。そこがまた多くの人を魅了する所以(ゆえん)でしょう。

アサギマダラの雌雄はこうして見分ける

誰(たれ)か烏(からす)の雌雄を知らんや
という言葉があります。烏の雌雄の区別を誰がつけられようか。それほど人の心や物事の善悪・優劣を判定するのは難しい、といった意味で、「詩経」にある のですが、これに倣うと、「誰がアサギマダラの雌雄を知らんや」、それほど雌雄の判定は難しいのですが、実は見分け方があります。

雌雄の見分け方
雌雄を見分ける「性標」と「ヘアペンシル」
アサギマダラのオスの後羽根(後翅)には黒褐色の大きな斑紋があります。「性標」といいますが、メスにはこれがありません。次にオスの腹部先端にはフェロモンを分泌する 「ヘアペンシル」という器官があります。「ヘアペンシル」は、マダラチョウ科の仲間に見られるもので、古い筆の穂先がほぐれたような形をしていて、通常は腹部に納 められていて見ることが出来ませんが、メスに遭遇した時や捕獲された時などに見ることが出来ます。メスに求愛行動をとる時、腹部の先端からこのヘアペンシルを出し 、後翅の性標にすりつけて、匂いをつけ、独特の匂いのするフェロモンを出して、メスに交尾を促すのです。 

ヘアペンシル
アサギマダラのオスのヘアペンシル
アサギマダラの腹部は10の節からなり、9、10節は外部生殖器になっていて、交尾器があります。この交尾器の左右に一対の毛の束があり、これがへアペンシルです。 普段は腹部内にあって、薄い膜状の袋に入っていて、この袋が反転すると、ヘアペンシルが外に押し出される仕組みです。

オスはこのヘアペンシルをどのように使うのでしょうか。これは下の項でオオカバマダラのことを書きましたが、オオカバマダラのオスの行動がわかっています。オスは メスが飛んでいるのを見つけると、メスの後を追って飛び、しばらくすると今度は前に回って、腹部の先端のヘアペンシルの毛をタンポポの綿毛のようにふくらませます。

メスはヘアペンシルを触角で触り、気に入ると葉の上に降り立ちオスを受け入れますが、気に入らなければそのまま飛び去ります。そこで疑問ですが、いったいメスが気に 入る、気に入らないを決める要素は何かということです。オオカバマダラのオスはキョウチクトウ科、キク科などの樹液を吸いますが、これらの樹液にはピロリジジン・ア ルカロイドというかなり毒性の強い物質が含まれています。オスはこの毒物質を摂取し、体内でダナイドンという物質に変換してヘアペンシルに貯め、これをメスが感じ とると、オスを受け入れることが分かりました。毒のある樹液を与えないで、蜜だけを吸わせてもメスには見放されます。

これと同じことがアサギマダラの雌雄の間でも起こっていると、最近の研究者の報告で分かって来ています。

昆虫では雌雄の出会いは不可欠で、チョウ類も例外ではありません。オスとメスが遭遇し、種ごとに決まった求愛行動を経て最終的に交尾に至る一連の行動過程を 「配偶行動」と呼びますが、この間の雌雄の認知には視覚だけでなく、嗅覚や時には味覚も重要な働きをしています。これに関与する化学情報(物質)は性フェロモンと 称され、チョウの場合は普通、オスが翅、腹部、腹などに特殊な発香器官を持ち、ここから性フェロモン様物質を出すと考えられています。

分泌物成分は概して複雑ですが、日本のアサギマダラや多くのマダラチョウでは共通してヒヨドリバナなどから性フェロモンの前駆物質であるピロリジジンアルカロイド (PA)を摂取します。PAを摂取したオスはお尻からヘアペンシルを出し、後翅の性標にこすりつけてPAを性フェロモンに変えて(生体内変換)、その臭いでメスを誘い ます。PAを摂取してからオスが分泌する性フェロモンからはダナイドン、ダナイダール、ヒドロキシダナイダールといった物質が検出されています。

これ以上はあまりに専門的になるので省きますが、チョウ類の数々の謎に挑戦している研究者はたくさんいて、近いうちに次第に解明されるものと信じています。

アサギマダラは2000キロを超える距離を北上あるいは南下しながら、キジョランやイケマ、サクラランなどというガガイモ科の有毒の植物(防御物質)をせっせと食べ て他の動物が近づけないようにしながら、一方ではこれらの食草から摂取したピロリジンシンアルカロイド(PA)を性フェロモンに変え、性標やヘアペンシルから分泌さ せてメスを誘って種の保存をはかる。いやはや、自然の造化の妙とは言いながら不思議さに圧倒される思いです。

アサギマダラ♂は特定の化学物質を摂取しないと交尾しない

2018年4月、アサギマダラの不思議な習性の一端が明らかにされたので、紹介します。

アサギマダラの交尾
アサギマダラの交尾。右がオス(本田教授提供)
アサギマダラ」の雄は、植物の蜜や汁から特定の化学物質を摂取しないと交尾しないことを発見したと、広島大と玉川大(東京都)の研究チームが発表し た。交尾に不可欠な物質を外から得る動物は珍しいという。

この化学物質はピロリジジンアルカロイド(pyrrolizidine alkaloids)=PA=の一種で、キク科やムラサキ科などの植物に含まれる。毒性があり、アサギマダラはこの蜜を吸うこ とで体内にPAを保有し、鳥などから身を守ることも分かっている。 物質は中枢神経に働きかけ、刺激薬のような役割を果たす。

チームはアサギマダラの雄をPAを与えた集団と与えない集団に分類し、雌を入れた部屋に放して比べた。PAを与えた雄は約6割が交尾をしたが、与えていない雄は性フェロモ ンを持っていても交尾をする個体はなかった。PAを与えた雄は求愛行動も顕著になったという。

PAは性フェロモンの原料の一つだが、交尾のためにPAをさらに取り込んでいることになる。チームの本田計一・広島大名誉教授(化学生態学)は「性フェロモンだけで は交尾できない動物は聞いたことがない。同じような生態を持つ絶滅危惧種がいるかもしれず、保護・繁殖に向けた研究につながる可能性がある」と話す。

研究成果は、英科学誌サイエンティフィック・リポーツ電子版に掲載された。 (毎日新聞、2018年4月17日 )

◇ ◇ ◇

上は広島大の研究発表ですが、共同研究のもう一方、玉川大も「チョウが植物の成分を薬物として利用することを発見!」と2018年4月4日付で発表しています。

玉川大学農学研究科佐々木謙教授は、広島大学の本田計一名誉教授の研究グループとの共同研究の成果を"Scientific Reports-nature"に発表しました。
チョウ類には成長や生存維持に必ずしも必要ではないと思われる成分を植物から摂取する種がいます。「アサギマダラ」というチョウもその一種で、アサギマダラの雄はヒヨドリ バナやフジバカマなどの花から「ピロリジジンアルカロイド」という成分を摂取します。

雄はこの成分を原料にして性フェロモンを作っていますが、本研究から、それだけでは交尾できないことが分かりました。この成分は脳や胸部の中枢神経系に作用して、生体アミン類 という行動を活性化させる物質の量を増やすことも分かりました。つまり、このチョウの雄は植物の成分を栄養分としてではなく、性フェロモンの原料や交尾行動を活性化させる 物質として摂取していると考えられます。

このような習性は「薬物食性」と呼ばれ、一部の昆虫や動物でも知られてはいますが、薬物によって行動が活性化されるという例はこのアサギマダラの雄で初めて発見されました。

 

 ◇ ◇ ◇

スナビキソウ
スナビキソウ
補足すると、ピロリジジンアルカロイドが含まれるキク科の植物では、上で紹介したようにアサギマダラの食草であるヒヨドリバナ、ヨツバヒヨドリ、フジバカマがある。ムラサキ科 の植物には姫島の項で紹介したスナビキソウがふくまれます。

アサギマダラの水吸い
スナビキソウに集まるアサギマダラの吸水行動。(本田教授提供)
姫島では、スナビキソウに集まる蝶としては、アサギマダラ以外にも、モンシロチョウやヒメアカタテハ、アカタテハなども吸蜜に来ることが観察されています。アサギマダラの場合は 、花だけでなく枯葉、茎、地下茎でも吸っているといいます。本田教授提供の右の写真を見ると、スナビキソウ本体から離れたところに群がっています。「スナビキソウの汁を吸うア サギマダラ」という説明があり、地下茎から吸っているとも見えますが、周りにたくさんあるスナビキソウの茎には一つも寄り付いていません。撮影場所の説明がありませんが、どう も次の項で紹介している家畜などの尿に群がっているようにも見えます。

※ムラサキ科 ムラサキは日本固有の種で、花は白いがその根は紫色の染料や生薬としても利用されてきた。ムラサキ科は従来シソ目に含まれていたが、分類学会取り決めで2016年か らムラサキ目の下に属すことになった。ムラサキ、スナビキソウ、ワスレナグサ、ヘリオトロープ、オオルリソウなど多数の品種がある。

雄のチョウが家畜や人の尿などでできた水たまりに集まる不思議な習性

本田教授
本田計一広島大名誉教授
上述の本田計一広島大名誉教授(化学生態学)は今回研究発表に先立つ2012年8月に発表した研究論文があります。これは、雄のチョウが家畜や人の尿などでできた水たまりに集まる不思議 な習性があるが、これは子孫繁栄のための行動であることを突き止めている。尿に含まれるアンモニアは、雌を追いかけるのに欠かせない筋肉や精子などをつくる働きをしている、というもの で今回のアサギマダラの性行動研究の先鞭になったものなので、概略を紹介しておきます。

羽化間もない主に雄のチョウやガは、水たまりに集まって、長いときは数十分間にわたって「吸水行動」をとることが知られている。こうした吸水行動はこれまでナトリウムの摂取の ためというのが通説だった。チョウは幼虫の頃に植物を食べて育つが、植物にはナトリウムが少なく、成虫になって筋肉を動かすのに必要なナトリウムの欠乏状態になっていることが知 られていた。このため、チョウの吸水行動はナトリウムの摂取が主な目的とされてきた。

本田名誉教授らはチョウがふん尿や死体にも集まることに着目。アンモニアも摂取していると仮説を立てた。琉球諸島に生息、頻繁に吸水するシロオビアゲハを学内で繁殖、ショ糖(砂糖 の主成分)と塩化アンモニウムの水溶液を、羽化翌日から5日間与えて解剖したところ、アンモニアをナトリウムの1・16倍も摂取していた。

砂糖水だけを与えた個体群に比べて、受精に直接関わる有核精子の割合が3割ほど多くなっていた。蝶の体内でアンモニアを原料にしてアミノ酸を合成、精子や精液タンパク質、胸 部筋肉組織の製造に使っていることも判明。

これらのデータはいずれも精子の競争や飛行力のアップなど、繁殖に有利になることから、吸水行動は繁殖成功度を高めるためと結論づけた。ほかのチョウでも同様の合成を行っ ている可能性があるという。

実験に当たった生物圏科学研究科大学院生の高瀬浩行さんは「繁殖の成功度を高めるために積極的にアンモニアを取り入れているのではないか。チョウの飼育、絶滅危惧種の保全にも 役立てられるかもしれない」と話している。 研究結果は、独科学誌に掲載された。

アサギマダラの食草と吸密植物

アサギマダラが寄ってくる植物は、卵を産み付けたり幼虫が食べる「食草」と成虫が蜜や汁を求めて集まる「吸蜜植物」があります。

【幼虫が食べる草】

アサギマダラの食草は本州付近ではキジョラン、イケマ、カモメヅル、ガガイモなどのガガイモ科(現在はキョウチクトウ科ガガイモ亜属に分類されている)です。 キジョランは上述しましたが、常緑のツル性植物で、関東地方より西の各地に自生しています。イケマの語源はアイヌ語のikema(神の足)に由来しています。 愛知県南知多町で自 生しているコイケマによく似ているものの、花柄が葉柄よりはるかに大きいです。 ガガイモは 多年性のツル性植物です。冬、地上部は枯れてしまいます。

イケマ カモメヅル ガガイモ
イケマ カモメヅル ガガイモ

南西諸島ではツルモウリンカ、サクララン、タイワンキジョラン(イリオモテキジョラン)などのガガイモ科が食草となっています

ツルモウリンカ サクララン タイワンキジョラン
ツルモウリンカ サクララン タイワンキジョラン

ツルモウリンカは常緑で伊豆諸島、九州から琉球列島の海岸の岩場で見かける暖地性のつる性の植物です。沖縄の蝶 リュウキュウアサギマダラの食草として有名です。

【成虫が蜜などを求めて集まる草木 】

フジバカマ
オスはフジバカマ(藤袴)属の花に集まる
アサギマダラのオスは上述のように、成熟して交尾するためにはPA(ピロリジジンアルカロイド)を摂取する必要があります。それが豊富に踏まれている花はヒヨドリバナ(鵯花)、ヨツバヒヨドリ(四葉鵯) 、 サケバヒヨドリ(裂葉鵯)、フジバカマ(藤袴)などフジバカマ属の花です。 ヒヨドリバナは 山野に多く自生しています。ヨツバヒヨドリは標高の高いところでもよく育ち、八ケ岳の我が山墅の手が届くと ころにもあって間近に観察できたのですが、近年シカが増えて激減し、アサギマダラも比例して減少しました。


ヒヨドリバナ ヨツバヒヨドリ サケバヒヨドリ
ヒヨドリバナ ヨツバヒヨドリ サケバヒヨドリ

一方メスは特に吸蜜植物を選ぶ必要がないのかいろんな花に寄ってきます。

このほかアサギマダラがよく集まってくる植物は以下のように多種にわたります。

アザミは種類が大変多いですが、八ケ岳ではあちこちに見かける花でよくアサギマダラがとまっているのを見かけます。フジバカマは中国原産のキク科多年性植物で、秋の七草の一つです。 スイゼンジナ(水前寺菜)は沖縄県では「はんだま」といい、金沢市周辺では金時草(きんじそう、きんときそう)と呼ばれている熱帯アジア原産のキク科サンシチソウ属の多年草です 。沖縄では健康野菜としても売られています。初夏に咲く花には北上するアサギマダラが集まります。

スナビキソウは上述の姫島ところでも書きましたが、ムラサキ科スナビキソウ属の植物で海岸で地下茎が砂の中に長い地下茎を引いて増えるので「砂引草」の名前がつきました。花は5裂し、 茎の先にかたまって、集散花序という形で白い花を咲かせます。分布は北海道、本州、四国、九州と広範囲にわたり、コルク質の実が海水に浮かんで遠くに運ばれます。

センダングサ(栴檀草)は栴檀の花に似ることからつけられ、関東地方以西の河原や荒れ地に群生します。種子は「ひっつき虫」になります。サザンカ(山茶花)は、 童謡『たきび』の歌詞に登場して誰でも知っていますが、これま たアサギマダラが好む植物です。ツワブキ(石蕗)は常緑の多年草で海岸地帯に自生します。

スイゼンジナの花 センダングサ ツワブキ
スイゼンジナの花 センダングサ ツワブキ

このほか、ウツギやアサガラなどの白い花に、ナンゴククガイソウ、ノリウツギ、オタカラコウ、オオモミジガサ、テンニンソウなどにも集まります。喘息誘因とされるセイタカアワダチソ ウにも来ますしシロノセンダングサや、晩秋になるとビワやサザンカもアサギマダラが好む植物です。



以下にネットで見つけたアサギマダラの美しい写真を。いろいろアサギマダラの写真を紹介したが、後翅の「赤」がなかなか表現できていないものが多い。フォトショップでカラー修正できるのだが、赤を強調すると「あさぎ色」が出ないというジレンマがある。その点、この写真は半逆光を利用して赤とあさぎ色がうまく出ている秀逸な写真といえる。

アサギマダラ
アサギマダラ(2015 TLPmediaplayer Animal Kingdom Part 33)

リュウキュウアサギマダラとタイワンアサギマダラについて

上でアサギマダラについて縷々書いてきましたが、ちょっと見だと同じに見えるリュウキュウアサギマダラ(琉球浅葱斑)とタイワンアサギマダラ(台湾浅葱斑)があります。どちらも日本では奄美大島以南で見られるものですが、アサギマダラのように遠く南北に渡りをするのではなく、野鳥で言う「留鳥」というのか、同じ場所にいる「留蝶」という生活パターンで、気温が15℃以下になるとそのまま木の枝に止まって「冬眠」生活に入り、暖かくなると動き出します。

【リュウキュウアサギマダラ 】

リュウキュウアサギマダラ
リュウキュウアサギマダラ
分類学上、アサギマダラは「チョウ目タテハチョウ科マダラチョウ亜科マダラチョウ族アサギマダラ属アサギマダラ種」ですがリュウキュウアサギマダラは「 チョウ目タテハチョウ科マダラチョウ亜科マダラチョウ族リュウキュウアサギマダラ属 リュウキュウアサギマダラ種」で別の「属」を与えられています。英名は「 Ceylon Blue Glassy Tiger 」です。

いかにも南国らしい翅を持つチョウでアサギマダラより一回り小さく、前翅長4〜5センチほどです。前翅と後翅で地色が同じであることでアサギマダラと区別します。また、翅の模様もより細かいのが特徴です。


越冬
越冬するリュウキュウアサギマダラの群落
成虫の食べ物はセンダングサ類やヒヨドリバナ類の花のミツなど。幼虫の食べ物はガガイモ科のツルモウリンカです。ガガイモ科植物に含まれるアルカロイドを体内に持ったまま成虫になるので、鳥は毒蝶と判別し、食べられることがないので緩やかに飛び、人にも恐れず近寄ってくるほどです。

成虫は厳冬期は南西諸島でも越冬することが知られています。右の写真は2021年1月16日の読売新聞からですが、記事には「鹿児島県奄美大島の林などで、枯れ枝などにぶら下がり、寒さに耐えるかのように身を寄せ合っているリュウキュウアサギマダラ。東南アジアや南西諸島に分布し、奄美大島が北限とされている。奄美市の昆虫愛好家(48)によると、12月から翌2月頃にかけ、気温が15度以下になると動かなくなり、暖かくなると再び飛び回る」とあります。

次の項で、何万という個体が集団で越冬するメキシコのオオカバマダラの話を紹介しましたが、リュウキュウアサギマダラ方はそれには遠く及ばないまでも、数十から百単位の大きな集団で越冬をします。

アサギマダラとリュウキュウアサギマダラ両方の蝶が美しく舞う、クリアな画像が見られる動画が「四季の風2」というサイトにありましたので紹介します。



  

【タイワンアサギマダラ】

タイワンアサギマダラ
タイワンアサギマダラ
こちらは分類学的には「マダラチョウ族アサギマダラ属タイワンアサギマダラ種」となっていてアサギマダラと同じ属に入ります。台湾、東南アジア、ヒマラヤなどに分布、図鑑では「毎年5月から6月に石垣島や西表島で記録されている」という記述があって、沖縄島では滅多に見ない迷蝶とのこと。前翅長45ミリ内外。成虫は花の蜜を吸う。幼虫の食草はガガイモ科の植物、というのも同じです。

タイワンアサギマダラは、アサギマダラと同じ属に分類されるだけあってとても良く似ています。区別点は
・後翅裏面の色はアサギマダラとあまち変わらない。(ただし、白部の模様が少しちがう)。
・後翅表面を見ると、アサギマダラに比べて明らかに黒っぽい。
・腹部が黄褐色であるのが特徴。飛んでいても腹部の赤さが見える。



オオカバマダラ
アメリカで発行されたオオカバマダラの切手

日本のアサギマダラにも驚きますが、北アメリカにはさらに「渡り」で有名なオオカバマダラがいます。マダラチョウの仲間で、8〜10センチほどのきれいな黒とオレンジの翅(はね)を持ち(右写真の切手では茶色っぽく見えますがオレンジ系統の色です)、「Monarch Butterfly」(王様の蝶)と呼ばれて、切手にもなっているほどです。アメリカのオオカバマダラはロッキー山脈を境に、西部個体群と東部個体群に住み分けていて、秋になると西部個体群はカリフォルニア、東部個体群はメキシコに移動し、集団で越冬します。

カナダからメキシコまではざっと3800キロメートルです。さらにすごいのは、越冬地で過ごしたオオカバマダラは、春になると今度は北に戻るのです。同じチョウが、です。


追跡
これに乗って蝶を追跡
蝶に魅せられた男
蝶に魅せられた男ギティエレス氏
この不思議さに魅せられた男の話が「ニューヨーク・タイムズ紙」に掲載され、2005年11月17日の読売新聞で紹介されています。名前はフランシスコ・ギティエレス(Francisco Gutierrez)氏(44) といい、この渡りの不思議を解明しようと、全長10メートルほどの超軽量飛行機(utralight airplane)の翼にチョウの色彩、文様を描き、一緒に飛ぶことをはじめてすでに6年、「もはや人間というよりチョウの気分」だとか。写真を見ると モーターパラグライダーに近いようだが、これに乗ってオオカバマダラがなんと高度4000メートル付近まで上昇し、グライダーのように滑空を主にした飛行方法で1日100キロメートルも飛ぶことや、ナイアガラ瀑布(ばくふ)上空からニューヨー ク、テキサスを経て越冬地のメキシコに向かうコースを発見したのだそうです。蝶も面白いけどこの人間模様も面白いと思いました。

こうした人の執念の追跡や日本と同じようにマーキング調査で個体を調べる方法で、今ではかなりその行動がわかってきました。それがまた驚きの内容なのです。

[秋の移動]

メキシコ
メキシコ中西部ミチョアカン州で木の幹を埋め尽くすオオカバマダラ。
カナダから4000km以上を渡り鳥のように移動してここで越冬する。
夏の間カナダなどで発生を繰り返したオオカバマダラは8月の下旬、渡りの準備に入ります。蛹(さなぎ)から羽化した成虫は交尾もせず、南へと移動を始めます。花の蜜を吸いながら栄養を蓄え、夜は集団で木陰などで休みます。南へ移動するにつれその数が増え続けます。その数、ひとつの集団で1億頭(蝶の数え方は1頭、2頭)、羽を休めた森林は、岩を打つ波音のように羽音が響き、蝶の重さで木々は地面に届くほど枝垂(しだ)れ、上空を埋める蝶で太陽の光が遮られて暗くなるほどだといいます。

オオカバマダラは非常に飛翔技術に優れた蝶で、上述のギティエレス氏の報告にあるように、それほど羽ばたかなくても気流に乗り滑空し続ける事が得意です。それにしてもずば抜けた飛行距離です。記録ではカナダでマークされた個体がメキシコで確認され、その移動距離が3,300キロにもなることが判明しました。

オオカバマダラ渡りルート
オオカバマダラの渡りのルート。
このほか西部グループがある。

やがて越冬地に到着した蝶たちは松やモミなどの木にとまり、越冬の準備を始めます。オオカバマダラの越冬地はカリフォルニア州太平洋沿岸数カ所と、メキシコの2カ所に集中しており、ロッキー山脈西側の蝶たちはカリフォルニアに、東側の蝶たちはメキシコに集まります。左の渡りのルート図はロッキーの東側の蝶の行動図です。

次々と到着する蝶たちは、渡りを始めた時に比べ体重が増えている事が確認されています。南に移動してくる途中、あちこちで蜜を吸うのですが、そのひとつであるトウモロコシについて、「遺伝子組み換えトウモロコシの花粉を食べた蝶は体重も減り、44%死んだ」という研究発表がされ、自然保護団体などがこれを金科玉条として、反対運動などをしていますが、一方で、メキシコでの個体数が増えたという報告もあります。「実験レベルでは影響が見られるが、自然状態では、オオカバマダラ個体群の存続に与える影響は無視できる」と結論づけられました。

鈴なり
メキシコ・ブラボー渓谷のピエドラ・ヘラダ(Piedra Herrada)サンクチュアリー
の樹の枝に鈴なりで越冬中のオオカバマダラの大群。
しかし農民の木の伐採と農薬使用で近年数が減ってきている。
オオカバマダラの渡りで不思議なのは、越冬地では毎年同じ木に蝶たちが集まる事です。途中、何世代も繁殖を繰り返し、元の土地を知らないはずの蝶たちがどのようにして同じ場所に戻ってくるのかは未だに解明されていません。

[春の移動]

不思議はまだまだ続きます。まず早春の3月下旬頃、気温が暖かくなり始めた頃に、蝶は今度は北へ移動を始めるのです。越冬したメキシコ中部にあるシェラマドレ山脈のふもとの森から飛び立つと、秋の移動と違って今度はそれぞれバラバラに動きます。全体としては北上します。アメリカ合衆国の南部まで行き、そこで食草のトウゴマを見つけたメスは交尾をし卵を産み付け、その一生を終えます(1世代目)。


越冬
ミチョアカン州のサンクチュアリ、エル・ロサリオ(El Rosario )
で越冬中のオオカバマダラの大群。
そこで、羽化した子どもたちは、アメリカ合衆国の中部まで行って、産卵します(2世代目)。2世代目の成虫は寿命が短く、3〜4週間ほどしか生きられません。孫にあたる3世代目が、さらに北上してカナダとの国境にあるエリー湖にたどり着きます。その孫たちは、秋になると最初に祖父母たちが出発したシェラマドレ山脈のふもとの森まで、4000kキロの道のりを気流に乗って、一気に飛行して帰っていくのです。オオカバマダラがこのような大移動をくり返していることはようやく最近になってわかってきたのです。

ゴールデンと蝶
ゴールデンの鼻先にとまったオオカバマダラ
オオカバマダラのスケールの大きい渡りに魅せられるひとは多く、新聞社に舞い込むAPなどの外電でもしょっちゅう取り上げられています。右上は2013年12月の越冬中の写真です。 左は遊び心いっぱいですが、ゴールデン・リトリーバー犬の鼻先にとまったオオカバマダラといった具合です。また検索でオオカバマダラの英名「Monarch butterfly」と入れると、幼生から渡りの途中にいたるまでたくさんの説明と写真に接することができます。



「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていつた」

蝶の渡りで思い出すのがこの一行詩です。俳句ではなく、前衛詩に分類されますが、小学校の教科書に入っているので若い世代のほうがなじみがあるかもしれません。読み方や受け止め方、教師の教え方などいろいろの場面で取り上げられるものです。安西冬衛(1898〜1965)の作品で昭和4年に出された詩集「軍艦茉莉」に載っています。

安西冬衛
安西冬衛
奈良で生まれ、父親の転勤により東京、大阪などを移り住み、大正8年から15年間、大連に在住しました。大正10年満鉄入社、このとき膝関節疾患のため右足を 切断しています。昭和9年から堺市に住んで市の職員となり、文化的事業の推進にあたり、戦後も関西の著名な文化人として多彩な活動をした人です。頼まれるまま 作詞した校歌、市歌、社歌、歌謡はかず知れず、です。昭和40年8月24日、67歳で亡くなったときは、友人の小野十三郎は弔辞で「日本の詩人のなかで君ほど言葉 を愛し大切にし、言葉と現実との関係を綿密に考え計算して事に当たった詩人を知らない」と述べたほど、言葉、語感を大事にしました。

堺市にある詩碑
堺市にある安西冬衛の詩碑
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていつた」

このサイトの「「ブン屋のたわ言」で大連の霧の中で、寺山修司の短歌「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」が思い浮かんだことを書きましたが、同時に「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていつた」も思い浮かんだのです。

韃靼海峡(だったんかいきょう)というのが現実にあるわけでなく、この語感が欲しかったのでしょう。間宮海峡のことだと言われます。このころは間宮海峡を挟んだ樺太の半分は日本領でした。「韃靼人」とはモンゴル人の一部族であるタタール人のことを指したのが、13世紀には北アジア全体の遊牧民の呼称 になったといいます。司馬遼太郎の小説でも「韃靼」は出てきますが、作者は、現在の中国の東北地方に住んでいた小民族、女真人のことを江戸期の日本の呼び方を踏襲し、あえて「韃靼」という名称を使った、とことわっています。毎年八月の安西冬衛の命日に開かれる追悼会「韃靼忌」にその名を残しています。

「てふてふ」という旧かなの表記もひらひらと飛ぶ蝶の姿を表現したかったのだと思います。間宮海峡を渡る1匹の蝶。渡って来るのか、渡って行くのか、から始まって、アゲハチョウなのかそれとも他の蝶なのか、個人の感性でいろいろな読み方ができる一行詩です。

蝶といえばこんなしゃれた一行詩があります。

二つ折の恋文が、花の番地を捜している。

ジュール・ルナール(Jules Renard 1864 - 1910)の「博物誌」にある「ちょう」という詩です。ルナールはフランスの小説家、詩人、劇作家で日本では「にんじん」が有名ですが、 自然を愛し草木禽獣のいのちを鋭く捕らえた観察眼の持ち主です。このほか、

ほたる
いったい、何ごとがあるんだろう? もう夜の九時、それにあそこの家では、まだあかりがついている。

あり
一匹一匹が、3という字に似ている。
それも、いること、いること!
どれくらいかというと、333333333333・・・・・・ああ、きりがない。

のみ
ばね仕掛けのたばこの粉。

りす
羽飾りだ!羽飾りだ! さよう、それに違いない。だがね、君、そいつはそんなとこへつけるんじゃないよ。

わけぎ━くせえなあ!
にんにく━きっと、また石竹のやつだ。

『博物誌』(1896年Histoires naturelles 岸田国士訳 白水社より)

魅力的なのでもっと読みたくなりますが、そのほかを期待すると裏切られるかもしれません。訳者の岸田国士(1890−1954)は有名な劇作家で、文学座の創設者。 次女は女優の岸田今日子ですが、あとがきによると「『ちっちゃなものを書くルナール』としてフランス文学界がむりに書かせた面がある。ことばのしゃれや、 安易な思いつきだけで書かれたものもある」ようです。もっとも、フランスの小中学校では書き取りの問題がこの『博物誌』から出ることが多いそうで、よく 読まれています。

「蝶」の文字の由来

”蝶”は、フラフラ飛んでいる姿からきた擬態語のように思いますが、薄くてヒラヒラした意味の「葉」(イェ・ヨウ)が「虫」と合体した会意文字(かいいもじ) です。会意文字というのは既成の象形文字や指事文字を組み合わせて作った文字で、例えば、「休」は「人」と「木」によって構成され、人が木に寄りかかって 休むことから「やすむ」の意味を表す字として作られようなものを指します。

なぜ「チョウチョ」(蝶々)なのか

蝶々は中国語で胡蝶と書きます。正確には虫ヘンに胡という文字の「蝴」で、これはヒゲとか触角のことです。 蝶の読みはdie=ティエで、胡蝶はフーティェになります。日本に入ってくる過程で、フーティェ→フーティエ → ティ ェフティェフ → テフテフ→ テオテオ →チョウチョと、もっぱら読みが変化してできた言葉だそうです。

蝶はフランス語でパピヨンPapillon。ギリシア語ではプシュケ。そのもとはサンスクリットで「揺らぐ」という意味をあらわす”ピル”だそうです。英語でButterfly ですが、これは黄色い蝶の形体からバターを連想したのでしょうか。

蝶を数えるとき、1羽、2羽と数えたくなりますが、正式には1頭、2頭と数えるものです。大型動物のような数え方ですが、明治のはじめに海外から標本が入っ てきたとき、ばらばらになった欠陥品が多く、正確な数がわかる頭の数を数えるようになったものだと言います。でも、「頭」ではなんだかしっくりこないので、 今は1匹、2匹が多いので、この項でも「匹」を使いました。



アサギマダラなど蝶々ばかりに感激しているが、自然界ではそのくらいいくらでもあるだろう、と言われそうです。確かにそうなのです。アサギマダラのあとに知ったのですが、家の周りでいっぱい飛んでいるアカトンボに似たウスバキトンボやウンカは、もっと遠い東南アジアや中国大陸から太平洋を飛び越えて日本に来ているのだそうです。鳥もはるばる渡りをします。

サケは数千キロも旅して生まれた川に戻ってきます。カツオやマグロやサンマも広い広い太平洋を回遊しています。「B級グルメ」の項でウナギがはるかマリアナ諸島沖のスルガ海山で産卵することがわかったことを書きました。そう、旅する生き物はいくらでもいます。自然界の不思議に驚くべきかもしれません。でも、やっぱりアサギマダラってすごいなあ、と思うのです。


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