驚異の飛翔2500キロ アサギマダラの神秘

八ヶ岳では初夏から夏半ばまでいつでも身近に見かけるアサギマダラ。
この小さな蝶が日本列島を縦断、さらに南の沖縄や台湾まで延べ2000キロb 以上を飛んでいくのです。2012年には香港まで2500`飛んだことが確認されました。
翌年春には、その逆のコースを日本に渡ってきます。 近年その不思議な旅が明らかになりつつあります。


(写真にマウスを当てて手形マークが出るものは 大きなサイズになります)

アサギマダラ
ヒヨドリバナにとまったアサギマダラ。八ヶ岳では夏じゅう見られる。
バードフィーダーの縁で八ケ岳で 知り合いの及川正彦氏(八千代市)撮影。
夏、かなり長期間にわたって、我が山小舎の周辺はもちろんのこと、八ヶ岳周辺のいたるところで見かける蝶のひとつにアサギマダラがいます。 左の写真をみれば、ああ知ってる!という方も多いでしょう。
しかし、私にとっては長い間、ただの蝶でした。最近まで名前も知らなければ、識別も出来なかったのですが、驚くべき習性を知ってすっかり魅せられました。 知らなければ野鳥も昆虫も植物も、ただ自然の一部ですが、ひとたび知識を得ると、そこから興味尽きない世界への扉が開かれる。そんなことも教えてくれたアサギマダラの話です。

アサギマダラのプロフィール

八ヶ岳では夏に長期間見かける、と書きましたが、このこと自体たいへん恵まれたことです。渡りの途中の平地などではほんのいっとき という場所も多いのです。八ケ岳はアサギマダラに夏の滞在地として大変気に入られていて、7月下旬から、旅立ちの時期は確認してませんが多分8月下旬くらいまで見かけます。ここは蝶の愛好家にとっては夢のような場所なのです。

ヒヨドリバナの項で書きましたが、無知なときは草刈機を振り回して切り倒していたこの地味な植物が、 いまポーチから手の届くところで人間の背丈ほどに育っていますが、これがアサギマダラの主な食草というかお気に入りの花です。この花の蜜目当てに 他の蝶と一緒にアサギマダラがつぎつぎとやってきます。見ればだれでも名前を知りたくなるきれいな蝶です。


アサギマダラ
ヒヨドリバナにとまったアサギマダラ(八ケ岳2006年8月)
青っぽいところが浅葱色。

まだら模様
あごの下にもまだら模様がある
アサギマダラ (Parantica sita niphonica)はタテハチョウ科マダラチョウ亜科に属し、前羽が4〜6センチほどの大きさで、羽を広げると10センチ前 後になります。黒と褐色の模様と、ステンドグラスを思わせる透けるような薄い浅葱(あさぎ)色の斑(まだら)紋様の羽を持っています。胸にも特徴 ある斑模様があり、これが名前の由来です。

あさぎ色ってどんな色

「新選組」
大河ドラマ「新選組」の
隊士の服が浅葱色。
では、あさぎ(浅葱・浅黄)色とはどんな色でしょうか。辞書には英語で【pale (light])blue】、緑がかった薄い藍色。うすあお。しらあお。 などの説明があります。三原色の表記法はいろいろありますが【C=96,M=26,Y=32,B=3】、あるいは【 R=0,G=121,B=150】で分かる方 があるかもしれません。HTMLでホームページをつくることが出来る人は【00859B】と打てば出る色、といいましょうか。

浅葱色というのは“ねぎの葉の色”を表わすもので、淡い水色から濃い青、緑色に近いものまで幅広く含むようで、文献を調べても 色見本のない時代の言葉ですから、一色に限定することはできないのです。まあ、「薄い青」が共通の色認識でしょうか。最近のテレビでいえばNHKの大河ドラマ「新選組」 で隊士が着ている服の色、といえばとおりがいいかもしれません。これとて「推定」でしかないのですが。蝶の写真をみて薄青色の透き通りそうな部分の色というしかありません。

この色の言葉が生まれた背景は、江戸時代参勤交代で江戸に上ってきた地方の侍が、普通何度も染めて出す藍色を1、2回で済ませた安い「浅葱木綿」を羽織の裏地にしたので田舎侍を馬鹿にして「浅葱裏」と呼んだことからきているそうです。ネギにちなんで「萌葱色(もえぎいろ)」というのもあります。ネギが芽を出すころの鮮やかな黄緑色をさします。アツモリソウ(敦盛草)の下りで書きましたが、一の谷で討たれた平敦盛は平家物語によると、この「萌葱匂い」の鎧を着ていました。

なぜこんな遠距離旅行をするのか

アサギマダラを有名にしたのはその渡りのすごさです。春から夏にかけては本州等の標高1000メートルから2000メートルほどの涼しい高原地帯を繁殖地とし、秋、気温の低下と共に適温の生活地を求めて南方へ移動を開始し、遠く九州や沖縄、さらに八重山諸島や台湾にまで海を越えて飛んでいきます。海を渡って1000キロ以上の大移動です。台湾・陽明山まで飛んだのはこれまで5個体が確認されていますが、これなど2100キロの飛翔になります。

また逆に冬の間は、暖かい南の島の洞穴で過ごしています。新たに繁殖した世代の蝶が春から初夏にかけて南から北上し、本州などの高原地帯に戻るという生活のサイクルをきちんと守っているのです。季節により長距離移動(渡り)をする日本で唯一の蝶なのです。

キジョラン
キジョランの葉は
多くの蝶の食草になる。
  少し前まで「アサギマダラは平地では5月ごろに成虫が現れ、夏は平地では見られず、山地へ集まる。そして、秋になると再び平地に見られるようになり、冬でも枯れないキジョラン(鬼女蘭)だけで幼虫越冬をする」と考えられていました。

キジョランno
花
キジョランの花
キジョランというのは、蘭の名がついていますがガガイモ科キジョラン属の常緑のつる植物です。つるの長さは5メートルほどあり、 関東以西の山地の林内に木にからみついて生えます。幅10センチほどのほぼ円形の葉がありますが、これが多くの蝶の食草になります。 左の写真で葉に穴があるのはアサギマダラが食べた跡です。

キジョランの果実
キジョランの果実
キジョランの種子
キジョランの種子
キジョランは直径1センチたらずのかすかに芳香のある小さく白い花を咲かせ、その後に大きな実をつけます。果実は幅4センチ、 長さ10センチほどに成長し、晩秋に縦に裂けて長い冠毛を持った種子が風に乗って飛ぶのですが、この艶のある冠毛を 鬼女が髪を振り乱した姿に見立てたのが名前の由来です。

2009年3月、アサギマダラに魅せられ、キジョランを育てているという静岡県掛川市の中野二志男さんから花や種子の写真をいただきましたので、右上や左右で紹介しました。


マーキング調査始まる
長らくアサギマダラは各地でキジョランを食べて越冬すると考えられていたのですが、沖縄本島で観察をした人が、4月の中・下旬頃と秋の10〜11月頃のある日、突然ものすごい数のアサギマダラが現われたと思うと、 数日でまったく見られなくなる。その後、食草を調べても卵も幼虫も見られない・・・このことから、沖縄で見られるアサギマダラは、集団で移動する途中に 立ち寄るだけではないだろうか、と考えました。

そこで、1980年から鹿児島はじめ全国の有志によって、羽に油性ペンでマークをつけて放し、次にそのチョウ が見つかったところを結んで移動経路を調べようという調査が開始されました。マーキングといいますが、このおかげでいまではこのチョウが春と秋に北へ、南へという季節を変えた移動をしていることがはっきりしてきたのです。
大阪を拠点とする「アサギマダラを調べる会」(ホームページがあります)などが中心になって観察組織が作られていて小中学生までマーキングに参加しています。そうした人たちのおかげで近年そのルートが解明されてきていますが、毎年記録が更新されているといってもよいほどです。

分かってきた、そのすごい旅

渡りの地図
分かってきた渡りのルート。東北・関東から
いったん紀伊半島に集結、一気に喜界島まで
飛ぶ。なかには台湾にむけて飛ぶのがいる
こともわかってきた。(産経新聞05年10/30から)
当初は、こんなに長距離飛行するとは考えられていませんでした。信州松本でマーキングされた個体が、海を渡り1300キロ近く離れた沖縄で確認された。高知県大月町から沖縄県南大東島まで約783キロを3日で渡った。一日平均260キロも飛んだ、と驚いていました。

1995年9月29日に大阪府生駒山でマークされたアサギマダラが、10月18日沖縄・八重山諸島の与那国島まで1680キロを17日間で飛んだ記録がしばらく南下の最長移動記録でした。しかし、こんなものではなかったのです

2002年には、福島・北塩原村―沖縄・黒島の2140キロ・メートルが記録されました。これで東北以北で暮らす個体も沖縄以南へ渡っていることがはっきりしました。そしてこれが渡りの「日本記録」でした。4年ほどですが。

日本記録
渡りの日本記録のアサギマダラ
=玉置高志さん撮影
さらに記録は伸びました。2006年8月、「アサギネット」を主宰している日本チョウ類保全協会代表理事で京都学園大非常勤講師の藤井恒さんらの研究グループが、山形・蔵王スキー場でアサギマダラ約1700匹にマーキングして放したのですが、そのうち同行した京都市の専門学校生、 藤井大樹さん(21)が8月26日にマークしたメス1匹が、今度は11月20日に現地に出向いていた三重県松阪市の玉置高志さん(58)の手で、与那国島・久部良岳の山頂で見つかりました(06年11月27日 読売新聞)。 直線距離にして2246キロ・メートル。2002年の記録を100キロ上回りました。

実は11月初めには台湾南西部の島で、9月24日に長野県大町市で放されたアサギマダラが再捕獲され、この移動距離は約2190キロでした。4年間の日本 記録を50キロ抜いたのですが、わずか半月でまた50キロ更新されたことになります。まだまだ記録は伸びるでしょう。


与那国島
与那国島
調査のため現地に出向いている人もいるくらいですから、こういうことはかねてから予想されていました。与那国島(よなくにじま)というのは沖縄本島から遠 く離れた八重山諸島の中にあります。沖縄本島と与那国島の距離を、放した山形県・蔵王から本州の地図に当てはめると岡山県くらいの距離でしょうか、途中の島々 を点々としたのでしょう。ここは日本最西端の碑があることで知られますが、ほんのお隣が台湾という位置で、北上の飛翔ルートを調べる時に使われる台湾・陽明 山より緯度は南になるという場所なのです。

最西端の碑
与那国島にある日本最西端の碑
近年、中国大陸に至近の場所というので安全保障上この島の重要性が見直され、自衛隊の常駐が検討されています。私は石垣島には何度も訪れ、その先の小浜島にも南十字星が見られるというので2,3度 滞在したことがあります。西表島はそこから船で2、30分ですから上陸もしましたが、さらに先にある与那国島の重要性がそれほど問題になってなくて行きそびれました。国境の島に無理しても行っておけばよかったと思います。 自衛隊員の特別任務としてアサギマダラの観察を是非加えてもらいたいくらいです。


大陸に渡った個体
中国大陸に渡った個体(藤井恒さん提供=読売新聞)
それにしてもなぜ日本から南下するアサギマダラが台湾や沖縄・与那国島など島に渡るのか不思議に思うところです。むしろ中国大陸に集合場所が あると考える方が自然ではないでしょうか。

中国地図
大陸までの渡りのルート
そんな矢先の2008年12月20日の読売新聞に大陸に渡った例が掲載されました。上でも紹介したアサギマダラ研究家の京都学園大非常勤講師の藤井恒 さんらのグループが確認したのです。2006年8月6日、石川県輪島市でマーキングされて放たれた1匹が、約2か月後の10月14日に、直線距離で1644 キロ・メートル離れている中国浙江省平湖市の公園で捕獲されていました。大陸での捕獲者から台湾の研究者に2年後に情報提供があった といいます。

中国本土では蝶の研究はそれほど注目されているわけではないので、こうしたタイムラグが出るのでしょうが、これは大変なことです。これまでアサギマダラは台湾に渡るとされていた ことが、修正されるかもしれないからです。今後大陸のどこかに一大集合地、一大繁殖地があることが明らかにされるかもしれません。

香港のアサギ
2500キロ飛んだアサギマダラ(写真上)。
下は羽のマーキングで高知の再捕獲と同じ。
(香港、大埔環保会提供)
只今の最長飛翔記録 和歌山ー香港2500キロ!

上で大陸のどこかに一大繁殖地が見つかるかもしれないと書きました。そのとっかかりになるようなアサギマダラの飛翔が2012年正月に確認されました。そし てこれが目下の最長飛翔記録です。

和歌山県→高知県→香港 への移動確認!

和歌山県から放たれた大型のチョウのアサギマダラが約2500キロ離 れた香港で捕らえられた。香港の環境団体・大埔環保会のメンバーが 先月31日、香港島の川辺で捕獲した。

羽のマーキングは、マジックで「10/10」「西山」などと書かれていたことから、同会がアサギマダラを研究している 大阪市立自然史博物館に問い合わせたところ、昨年10月10日に和歌山県日高町の西山、さらに同20日に高知県香美市で研究者が位置などを示すマーキングを したことが分かった。83日間の飛翔だった。

同博物館の金沢至主任学芸員によれば、アサギマダラはこれまで、日本から台湾や中国浙江省、韓国に渡ったケースが確認されていて、香港への飛来は初めて。大陸へ渡った3例 目になる。金沢氏は「過去最長の移動距離は長野県―台湾間の約2300キロ。今回は間違いなく、それを上回っている」と指摘した。 (2012年1月7日 香港時事)


高知で再捕獲の時
高知で再捕獲された時の個体
アサギマダラの会の記録によるとこの個体は次のような経路をたどっています。 和歌山県日高町西山 2011年10月10日(標識・放蝶:崎山孝也)   ↓ 高知県香美市香北町谷相白尾林道 2011年10月20日(再捕獲・再放蝶:土居敬典)   ↓ 中国・香港 2011年12月31日(再捕獲:Colleen Chiu ほか)

アサギマダラの研究は始まってかれこれ10数年ほどですので、毎年のようにこうした「新記録」「発見」があります。この個体は目下「2500キロの日本 記録」保持”蝶”ですが、これとてすぐ記録は塗り替えられるでしょう。もっといえば、最初にマーキング されたのは和歌山ですが、日本のどこかから飛んできたわけで、和歌山までのルートはわかっていません。ひょっとすると私がいる八ヶ岳かもしれないし北海道かもしれません。その距離を加算する とものすごいレコードになります。

アジアマップ
もしかしたら東南アジアを広範囲に飛翔する蝶かも
もうひとつ、今回の香港での捕獲はアサギマダラが中国大陸へ渡ったことの証明ですが、さらに大陸での発見がつづくなら、 これまで紹介してきた沖縄や台湾などの島々はじめ香港も、単なる渡りの途中地点であって、さらに南に一大集合場所があるかもしれないということを示し ているのではな いでしょうか。もともと東南アジアの気温24℃くらいのところがこの蝶の起源と推測されていますから、彼らがベトナムやタイを目指していると考えた方が自然です。

しかし、この地域は中国を主に複雑な紛争地帯です。どこの国もアサギマダラの研究などしたくともできる環境ではありません。中国大陸含め香港から先 の地点はアサギマダラの研究では「未開の地」です。まず蝶たちの飛行ルートを調べることの意義から知ってもらわねばならないでしょう。関係国への理解を 求める日本政府の働きかけが必要です。

このように、アサギマダラの一大繁殖地を知ることはこの地域が平和であって初めて可能なのです。そういうことを考えると、人間が線引した国境など超越して南へ北へと 飛ぶこの小さな蝶は、人間に平 和を教えるために飛翔しているのだとも考えられます。何か哲学的な教訓すら感じるのは私だけでしょうか。


◇ ◇ ◇

渡りの地図
喜界島は渡りの途中の
集結場所として有名。
ところで、秋にたくさんのアサギマダラが集結する場所として、奄美大島の東の喜界島(きかいじま、きかいがしま)が知られています。小さな島がある日突然アサギマダラだらけになり、3,4日 で皆いなくなるといいます。これを見に愛好家が集まるほどです。

群舞
大分県・姫島で見られる
アサギマダラの群舞。
あまりにすごいので紹介しますが、左は北上の中継地である大分県国東半島(くにさきはんとう)沖の姫島(姫島村)でのアサギマダラの群舞です。

絵画のように見えますが カメラマンによる実写です。2008年5月28日の毎日新聞に掲載されたものですが、役場によると毎年5月初旬から6月初めまで、島北部の、みつけ海岸にあるスナビキソウの群生地に何千という数が集まるそうです。国内有数の大規模中継地といってよいでしょう。北に渡る体力をつけては次々と 飛び立っていくといいます。

マーキング調査により、本州のアサギマダラは徐々に南下して、いったん和歌山県に終結、紀伊半島あたりから四国・阿南市付近に上陸し、少しずつ移動 しながら室戸岬付近に集まり、風を見計らって室戸岬や足摺岬などから大海原へ出ていくという流れがあると考えられています。

これは、ある年の9月14日に長野県上村のしらびそ高原で標識をつけた19匹のうちの1匹が、約1か月後の翌10月18日、約350キロ離れた和歌山県白浜町内で発見され、同じそのアサギマダラが11月2日、さらに約950キロ南下した沖縄・南大東島の魚釣場で再々捕獲されたことから判明したのです。約1か月半かけて、和歌山県を中継地に、長野ー沖縄・南大東島まで移動しています。驚くべき飛翔力です。
さらに近年では長崎あたりから、台湾に飛ぶルートもあることが報告されています。 移動のルートが判明し始めるとともに、どうも大空に蝶たちが通う「蝶の道」があるのではないかと推測されはじめています。行きと帰りでルートが違うことも明らかになってきています。

北上の記録は1995年5月31日鹿児島県種子島から飛び立って、7月16日福島県白河市で確認された1羽で、46日間で1200キロ飛びました。 北限としては、山形県藤島町が報告されています(2000年9月)。しかし、いまでは、津軽海峡を越えて函館から報告が来るようになりました。後述のように地球温暖化とも関係しますが、どんどん北上しているようなのです。

上は国内の飛行記録ですが、2000年に台湾台北市北部の陽明山でマークされた2個体が、鹿児島県と滋賀県でそれぞれ再捕獲され、この蝶の移動範囲が国境を越えていることがはじめて明らかになりました。 でも、移動の範囲の全貌は明確になっていなくて、まだまだ謎だらけの蝶です。

まだまだナゾだらけ

キジョラン
日本中にある
ガガイモ科の植物が食草。
アサギマダラが北上して各地で「さまよい」、そして南下の行動を誘発する時の刺激要因は何かもまだわかっていません。 蝶は羽化後10数日で死にます。ですから、南下するアサギマダラと北上するアサギマダラはそれぞれ別の個体です。世代を またいでどうしてこの行動を伝えているのか不思議なことです。

普通、蝶の翅(はね)は燐粉におおわれています。蝶は羽化後1週間ほどで翅はボロボロになりますが、アサギマダラの翅には鱗粉がほとんどありません。1000キロ飛んだあともそのままなのも不思議といえば不思議なことです。

幼虫
幼虫は日本中にある
ガガイモ科の植物が食草。
アサギマダラの本州での食草はキジョランやイケマ、サクラランというガガイモ科の植物です。ガガイモは地下茎で伸びるつる植物で、路傍でよく繁茂している植物です。 いずれも毒をもっています。これを食べているアサギマダラには他の昆虫や鳥も近づけないのです。 近年、摂取したアルカロイドをどうして他の動物への防御物質に転用するのか、その生化学の解明も注目されています。

他のマダラチョウと同様に擬態現象を行うものは、食草中のアルカロイドの影響だと考えられています。そのメカニズムの解明も 注目されはじめています。オスは吸蜜植物からピロリヂディンアルカロイドを摂取しないと成熟できず、オスがヒヨドリバナ属など の花に強く誘引されるのはこのためだというのも分かってきているそうです。

アサギマダラは上述したようにタテハチョウ科マダラチョウ亜科に属します。近縁種は8種ありますが、気温24℃を好むので、東アジアでこの平均気温の一帯に広く分布しています。近似種、亜種はインド、ネパール、タイ、ベトナム、中国に分布していますが、みなこの温度の前後です。DNA鑑定が進んで、今ではアサギマダラとタイワンアサギマダラは約2300万年前に分枝したというところまで研究が進んでいます。日本のアサギマダラの故郷は台湾・陽明山あたりだと推察されます。ほとんどの近縁種は南西諸島に見られるのですが、日本本土まで土着しているのはアサギマダラだけです。これもナゾのひとつです。

アサギマダラの研究のおかげで地球の温暖化がすすんでいることもわかっています。近年、移動の時期がどんどん早くなる一方、従来は日本では東北地方あ たりが北限だったものが、今では北海道・函館山あたりがアサギマダラの名所になってきました。例えば下記の記事です。

函館から
函館から放蝶された個体
函館で放されたチョウ 2カ月で1200キロ飛び下関で捕獲
北海道函館市近郊から今年8月に放されたチョウ「アサギマダラ」が、本州最西端の山口県下関市の市立公園・リフレッシュパーク豊浦で捕獲された。 2カ月間の飛行距離は実に約1200キロ。チョウは下関から再び放され、さらなる南下の旅路についている。

同公園によると、アサギマダラは8月19日、飛行ルート解明などを目的に函館市の愛好グループ「道南虫の会」が近隣の山から放し、10月24日に公園 のバタフライガーデンに飛来した。捕獲されたアサギマダラは雌で、羽に「ハコダテ」「8/19」などとマーキングされていた。(2011.10.30 産経新聞)

これなど二つの点で注目されます。一つは上述したように本州を南下して長崎あたりから台湾方向に向かうコースをとっていた個体ではないかということ。も し台湾などで再捕獲されると最長距離記録を書き換える可能性があります。もう一つは、地球温暖化でアサギマダラの渡りの地がどんどん北上していて函館はもう 途中経過地でしかないということです。現に今では釧路や利尻島、はてはロシアの沿 海州あたりからも観察の報告がされるようになってきました。アサギマダラは地球の危機のシグナルも発しているのです。こちらの面からの研究も待たれるところです。

アサギマダラの大移動についてのナゾは他にもあります。

■か弱そうに見えるあの小さな体の何処に海を渡って1000kmもの長距離を 飛び続ける力が秘められているのだろうか。
■秋に南下する時は、強い偏西風に逆らうことになる。逆風をどうして克服でき、しかも洋上の 小島を探し出すのだろうか。
■海を渡っている間の食餌はどうしているのか、夜は何処で休んでいるのだろうか。
■新しく生まれた蝶は4か月程度の寿命です。つまり渡りをする蝶はいつも新しい世代です。それなのに蝶が南へ、あるいは北へ、渡りの時期が来きたことをどうして知るのか。そして、どうやってはるかな土地の方角を知るのだろうか。
■食草はその土地に1年中あるのに、何故その土地の環境に順応せず、危険の伴う旅を続けるのだろうか。

アサギマダラには、まだまだわからないことが多いのです。そこがまた多くの人を魅了する所以(ゆえん)でしょう。





オオカバマダラ
アメリカで発行されたオオカバマダラの切手

日本のアサギマダラにも驚きますが、北アメリカにはさらに「渡り」で有名なオオカバマダラがいます。マダラチョウの仲間で、8〜10センチほどのきれいな黒とオレンジの翅(はね)を持ち(右写真の切手では茶色っぽく見えますがオレンジ系統の色です)、「Monarch Butterfly」(王様の蝶)と呼ばれて、切手にもなっているほどです。アメリカのオオカバマダラはロッキー山脈を境に、西部個体群と東部個体群に住み分けていて、秋になると西部個体群はカリフォルニア、東部個体群はメキシコに移動し、集団で越冬します。

カナダからメキシコまではざっと3800キロメートルです。さらにすごいのは、越冬地で過ごしたオオカバマダラは、春になると今度は北に戻るのです。同じチョウが、です。

この不思議さに魅せられた男の話が「ニューヨーク・タイムズ紙」に掲載され、2005年11月17日の読売新聞で紹介されています。名前はフランシスコ・ギティエレス氏(44)といい、この渡りの不思議を解明しようと、超軽量飛行機の羽に、チョウの色彩、文様を描き、一緒に飛ぶことをはじめてすでに6年、「もはや人間というよりチョウの気分」だとか。こうして、オオカバマダラがなんと高度4000メートル付近まで上昇し、グライダーのように滑空を主にした飛行方法で1日100キロメートルも飛ぶことや、ナイアガラ瀑布(ばくふ)上空からニューヨーク、テキサスを経て越冬地のメキシコに向かうコースを発見したのだそうです。蝶も面白いけどこの人間模様も面白いと思いました。

こうした人の執念の追跡や日本と同じようにマーキング調査で個体を調べる方法で、今ではかなりその行動がわかってきました。それがまた驚きの内容なのです。

[秋の移動]

メキシコ
メキシコ中西部ミチョアカン州で木の幹を埋め尽くすオオカバマダラ。
カナダから4000km以上を渡り鳥のように移動してここで越冬する。
夏の間カナダなどで発生を繰り返したオオカバマダラは8月の下旬、渡りの準備に入ります。蛹(さなぎ)から羽化した成虫は交尾もせず、南へと移動を始めます。花の蜜を吸いながら栄養を蓄え、夜は集団で木陰などで休みます。南へ移動するにつれその数が増え続けます。その数、ひとつの集団で1億頭(蝶の数え方は1頭、2頭)、羽を休めた森林は、岩を打つ波音のように羽音が響き、蝶の重さで木々は地面に届くほど枝垂(しだ)れ、上空を埋める蝶で太陽の光が遮られて暗くなるほどだといいます。

オオカバマダラは非常に飛翔技術に優れた蝶で、上述のギティエレス氏の報告にあるように、それほど羽ばたかなくても気流に乗り滑空し続ける事が得意です。それにしてもずば抜けた飛行距離です。記録ではカナダでマークされた個体がメキシコで確認され、その移動距離が3,300キロにもなることが判明しました。

オオカバマダラ渡りルート
オオカバマダラの渡りのルート。
このほか西部グループがある。

やがて越冬地に到着した蝶たちは松やモミなどの木にとまり、越冬の準備を始めます。オオカバマダラの越冬地はカリフォルニア州太平洋沿岸数カ所と、メキシコの2カ所に集中しており、ロッキー山脈西側の蝶たちはカリフォルニアに、東側の蝶たちはメキシコに集まります。左の渡りのルート図はロッキーの東側の蝶の行動図です。

次々と到着する蝶たちは、渡りを始めた時に比べ体重が増えている事が確認されています。南に移動してくる途中、あちこちで蜜を吸うのですが、そのひとつであるトウモロコシについて、「遺伝子組み換えトウモロコシの花粉を食べた蝶は体重も減り、44%死んだ」という研究発表がされ、自然保護団体などがこれを金科玉条として、反対運動などをしていますが、一方で、メキシコでの個体数が増えたという報告もあります。「実験レベルでは影響が見られるが、自然状態では、オオカバマダラ個体群の存続に与える影響は無視できる」と結論づけられました。

オオカバマダラの渡りで不思議なのは、越冬地では毎年同じ木に蝶たちが集まる事です。蝶たちがどのようにして同じ場所に戻ってくるのかは未だに解明されていません。

[春の移動]

不思議はまだまだ続きます。まず早春の3月下旬頃、気温が暖かくなり始めた頃に、蝶は今度は北へ移動を始めるのです。越冬したメキシコ中部にあるシェラマドレ山脈のふもとの森から飛び立つと、秋の移動と違って今度はそれぞれバラバラに動きます。全体としては北上します。アメリカ合衆国の南部まで行き、そこで食草のトウゴマを見つけたメスは交尾をし卵を産み付け、その一生を終えます(1世代目)。

そこで、羽化した子どもたちは、アメリカ合衆国の中部まで行って、産卵します(2世代目)。2世代目の成虫は寿命が短く、3〜4週間ほどしか生きられません。孫にあたる3世代目が、さらに北上してカナダとの国境にあるエリー湖にたどり着きます。その孫たちは、秋になると最初に祖父母たちが出発したシェラマドレ山脈のふもとの森まで、4000kキロの道のりを気流に乗って、一気に飛行して帰っていくのです。オオカバマダラがこのような大移動をくり返していることはようやく最近になってわかってきたのです。



「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていつた」

蝶の渡りで思い出すのがこの一行詩です。俳句ではなく、前衛詩に分類されますが、小学校の教科書に入っているので若い世代のほうがなじみ があるかもしれません。読み方や受け止め方、教師の教え方などいろいろの場面で取り上げられるものです。安西冬衛(1898〜1965)の作品で昭和4年に出された詩集「軍艦茉莉」に載っています。

安西冬衛
安西冬衛
奈良で生まれ、父親の転勤により東京、大阪などを移り住み、大正8年から15年間、大連に在住しました。大正10年満鉄入社、このとき膝関節疾患のため右足を切断しています。昭和9年から堺市に住んで市の職員となり、文化的事業の推進にあたり、戦後も関西の著名な文化人として多彩な活動をした人です。頼まれるまま作詞した校歌、市歌、社歌、歌謡はかず知れず、です。昭和40年8月24日、67歳で亡くなったときは、友人の小野十三郎は弔辞で「日本の詩人のなかで君ほど言葉を愛し大切にし、言葉と現実との関係を綿密に考え計算して事に当たった詩人を知らない」と述べたほど、言葉、語感を大事にしました。

堺市にある詩碑
堺市にある安西冬衛の詩碑
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていつた」

このサイトの「「ブン屋のたわ言」で大連の霧の中で、寺山修司の短歌「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」が思い浮かんだことを書きましたが、同時に「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていつた」も思い浮かんだのです。

韃靼海峡(だったんかいきょう)というのが現実にあるわけでなく、この語感が欲しかったのでしょう。間宮海峡のことだと言われます。このころは間宮海峡を挟んだ樺太の半分は日本領でした。「韃靼人」とはモンゴル人の一部族であるタタール人のことを指したのが、13世紀には北アジア全体の遊牧民の呼称 になったといいます。司馬遼太郎の小説でも「韃靼」は出てきますが、作者は、現在の中国の東北地方に住んでいた小民族、女真人のことを江戸期の日本の呼び方を踏襲し、あえて「韃靼」という名称を使った、とことわっています。毎年八月の安西冬衛の命日に開かれる追悼会「韃靼忌」にその名を残しています。

「てふてふ」という旧かなの表記もひらひらと飛ぶ蝶の姿を表現したかったのだと思います。間宮海峡を渡る1匹の蝶。渡って来るのか、渡って行くのか、から始まって、アゲハチョウなのかそれとも他の蝶なのか、個人の感性でいろいろな読み方ができる一行詩です。

蝶といえばこんなしゃれた一行詩があります。

二つ折の恋文が、花の番地を捜している。

ジュール・ルナール(Jules Renard 1864 - 1910)の「博物誌」にある「ちょう」という詩です。ルナールはフランスの小説家、詩人、劇作家で日本では「にんじん」が有名ですが、 自然を愛し草木禽獣のいのちを鋭く捕らえた観察眼の持ち主です。このほか、

ほたる
いったい、何ごとがあるんだろう? もう夜の九時、それにあそこの家では、まだあかりがついている。

あり
一匹一匹が、3という字に似ている。
それも、いること、いること!
どれくらいかというと、333333333333・・・・・・ああ、きりがない。

のみ
ばね仕掛けのたばこの粉。

りす
羽飾りだ!羽飾りだ! さよう、それに違いない。だがね、君、そいつはそんなとこへつけるんじゃないよ。

わけぎ━くせえなあ!
にんにく━きっと、また石竹のやつだ。

『博物誌』(1896年Histoires naturelles 岸田国士訳 白水社より)

魅力的なのでもっと読みたくなりますが、そのほかを期待すると裏切られるかもしれません。訳者の岸田国士(1890−1954)は有名な劇作家で、文学座の創設者。 次女は女優の岸田今日子ですが、あとがきによると「『ちっちゃなものを書くルナール』としてフランス文学界がむりに書かせた面がある。ことばのしゃれや、 安易な思いつきだけで書かれたものもある」ようです。もっとも、フランスの小中学校では書き取りの問題がこの『博物誌』から出ることが多いそうで、よく 読まれています。

「蝶」の文字の由来

”蝶”は、フラフラ飛んでいる姿からきた擬態語のように思いますが、薄くてヒラヒラした意味の「葉」(イェ・ヨウ)が「虫」と合体した会意文字(かいいもじ) です。会意文字というのは既成の象形文字や指事文字を組み合わせて作った文字で、例えば、「休」は「人」と「木」によって構成され、人が木に寄りかかって 休むことから「やすむ」の意味を表す字として作られようなものを指します。

なぜ「チョウチョ」(蝶々)なのか

蝶々は中国語で胡蝶と書きます。正確には虫ヘンに胡という文字の「蝴」で、これはヒゲとか触角のことです。 蝶の読みはdie=ティエで、胡蝶はフーティェになります。日本に入ってくる過程で、フーティェ→フーティエ → ティ ェフティェフ → テフテフ→ テオテオ →チョウチョと、もっぱら読みが変化してできた言葉だそうです。

蝶はフランス語でパピヨンPapillon。ギリシア語ではプシュケ。そのもとはサンスクリットで「揺らぐ」という意味をあらわす”ピル”だそうです。英語でButterfly ですが、これは黄色い蝶の形体からバターを連想したのでしょうか。

蝶を数えるとき、1羽、2羽と数えたくなりますが、正式には1頭、2頭と数えるものです。大型動物のような数え方ですが、明治のはじめに海外から標本が入っ てきたとき、ばらばらになった欠陥品が多く、正確な数がわかる頭の数を数えるようになったものだと言います。でも、「頭」ではなんだかしっくりこないので、 今は1匹、2匹が多いので、この項でも「匹」を使いました。



アサギマダラなど蝶々ばかりに感激しているが、自然界ではそのくらいいくらでもあるだろう、と言われそうです。確かにそうなのです。アサギマダラのあとに知ったのですが、家の周りでいっぱい飛んでいるアカトンボに似たウスバキトンボやウンカは、もっと遠い東南アジアや中国大陸から太平洋を飛び越えて日本に来ているのだそうです。鳥もはるばる渡りをします。

サケは数千キロも旅して生まれた川に戻ってきます。カツオやマグロやサンマも広い広い太平洋を回遊しています。「B級グルメ」の項でウナギがはるかマリアナ諸島沖のスルガ海山で産卵することがわかったことを書きました。そう、旅する生き物はいくらでもいます。自然界の不思議に驚くべきかもしれません。でも、やっぱりアサギマダラってすごいなあ、と思うのです。


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