驚異の飛翔2200キロ アサギマダラの神秘

八ケ岳では初夏から夏半ばまでいつでも身近に見かけるアサギマダラ。
この小さな蝶が日本列島を縦断、さらに南の沖縄や台湾まで延べ2200キロb以上を飛んでい くのです。
翌年春、その逆のコースを日本に渡ってきます。 近年その不思議な旅が明らかになりつつあります。


(写真にマウスを当てて手形マークが出るものは 大きなサイズになります)

アサギマダラ
ヒヨドリバナにとまったアサギマダラ。八ケ岳では夏じゅう見られる。
バードフィーダー の縁で八ケ岳で 知り合いの及川正彦氏(八千代市)撮影。
夏、かなり長期間にわたって、我が山小舎の周辺はもちろんのこと、八ケ岳周辺のいたるところで見かける蝶のひとつにアサギマダラがいます。 左の写真をみれば、ああ知ってる!という方も多いでしょう。

しかし、私にとっては長い間、ただの蝶でした。最近まで名前も知らなければ、識別も出来なかったのですが、驚くべき習性を知ってすっかり魅せられました。

知らなければ野鳥も昆虫も植物も、ただ自然の一部ですが、ひとたび知識を得ると、そこから興味尽きない世界への扉が開かれる。そんなことも教えてくれたアサギマダラ の話です。

アサギマダラのプロフィール

八ケ岳では夏に長期間見かける、と書きましたが、このこと自体たいへん恵まれたことです。渡りの途中の平地などではほんのいっとき という場所も多いのです。八ケ岳はアサギマダラに夏の滞在地として大変気に入られていて、7月下旬から、旅立ちの時期は確認してませんが多分8月下旬から9月上旬 くらいまで見か けます。そう紹介したのですが、2013年5月23日、野辺山の標高1400bあたりでハルザキヤマガラシの花に止まっているアサギマダラを撮影したと「黒彪」さんからお知らせ をいただきました。そうすると、八ケ岳では5月末から9月まで見られるわけで、蝶の愛好家にとってはまさに夢のような場所なのです。

ヒヨドリバナの項で書きましたが、無知なときは草刈機を振り回して切り倒していたこの地味な植物が、 いまポーチから手の届くところで人間の背丈ほどに育っていますが、これがアサギマダラの主な食草というかお気に入りの花です。この花の蜜目当てに 他の蝶と一緒にアサギマダラがつぎつぎとやってきます。見ればだれでも名前を知りたくなるきれいな蝶です。


アサギマダラ
ヒヨドリバナにとまったアサギマダラ(八ケ岳2006年8月)
青っぽいところが浅葱色。

まだら模様
あごの下にもまだら模様がある
アサギマダラ (Parantica sita niphonica)はタテハチョウ科マダラチョウ亜科に属し、前羽が4〜6センチほどの大きさで、羽を広げると10センチ前 後になります。黒と褐色の模様と、ステンドグラスを思わせる透けるような薄い浅葱(あさぎ)色の斑(まだら)紋様の羽を持っています。胸にも特徴 ある斑模様があり、これが名前の由来です。

あさぎ色ってどんな色

「新選組」
大河ドラマ「新選組」の
隊士の服が浅葱色。
では、あさぎ(浅葱・浅黄)色とはどんな色でしょうか。辞書には英語で【pale (light])blue】、緑がかった薄い藍色。うすあお。しらあお。 などの説明があります。三原色の表記法はいろいろありますが【C=96,M=26,Y=32,B=3】、あるいは【 R=0,G=121,B=150】で分かる方 があるかもしれません。HTMLでホームページをつくることが出来る人は【00859B】と打てば出る色、といいましょうか。

浅葱色というのは“ねぎの葉の色”を表わすもので、淡い水色から濃い青、緑色に近いものまで幅広く含むようで、文献を調べても 色見本のない時代の言葉ですから、一色に限定することはできないのです。まあ、「薄い青」が共通の色認識でしょうか。最近のテレビでいえばNHKの大河ドラマ「新選組」 で隊士が着ている服の色、といえばとおりがいいかもしれません。これとて「推定」でしかないのですが。蝶の写真をみて薄青色の透き通りそうな部分の色というしかありません。

この色の言葉が生まれた背景は、江戸時代参勤交代で江戸に上ってきた地方の侍が、普通何度も染めて出す藍色を1、2回で済ませた安い「浅葱木綿」を羽織の裏地に したので田舎侍を馬鹿にして「浅葱裏」と呼んだことからきているそうです。ネギにちなんで「萌葱色(もえぎいろ)」というのもあります。ネギが芽を出すころの鮮やか な黄緑色をさします。アツモリソウ(敦盛草)の下りで書きましたが、一の谷で討たれた平敦盛は平家物語によると、この「萌葱匂い」の鎧を着ていました。

なぜこんな遠距離旅行をするのか

アサギマダラを有名にしたのはその渡りのすごさです。春から夏にかけては本州等の標高1000メートルから2000メートルほどの涼しい高原地帯を繁殖地とし、秋、気温の低下と共に適温の生活地を求めて南方へ移動を開始し、遠く九州や沖縄、さらに八重山諸島や台湾にまで海を越えて飛んでいきます。海を渡って1000キロ以上の大移動です。台湾・陽明山まで飛んだのはこれまで5個体が確認されていますが、これなど2100キロの飛翔になります。

また逆に冬の間は、暖かい南の島の洞穴で過ごしています。新たに繁殖した世代の蝶が春から初夏にかけて南から北上し、本州などの高原地帯に戻るという生活のサイクルをきちんと守っているのです。季節により長距離移動(渡り)をする日本で唯一の蝶なのです。

キジョラン
キジョランの葉は
多くの蝶の食草になる。
  少し前まで「アサギマダラは平地では5月ごろに成虫が現れ、夏は平地では見られず、山地へ集まる。そして、秋になると再び平地に見られるようになり、冬でも枯れないキジョラン(鬼女蘭)だけで幼虫越冬をする」と考えられていました。

キジョランno
花
キジョランの花
キジョランというのは、蘭の名がついていますがガガイモ科キジョラン属の常緑のつる植物です。つるの長さは5メートルほどあり、 関東以西の山地の林内に木にからみついて生えます。幅10センチほどのほぼ円形の葉がありますが、これが多くの蝶の食草になります。 左の写真で葉に穴があるのはアサギマダラが食べた跡です。

キジョランの果実
キジョランの果実
キジョランの種子
キジョランの種子
キジョランは直径1センチたらずのかすかに芳香のある小さく白い花を咲かせ、その後に大きな実をつけます。果実は幅4センチ、 長さ10センチほどに成長し、晩秋に縦に裂けて長い冠毛を持った種子が風に乗って飛ぶのですが、この艶のある冠毛を 鬼女が髪を振り乱した姿に見立てたのが名前の由来です。

2009年3月、アサギマダラに魅せられ、キジョランを育てているという静岡県掛川市の中野二志男さんから花や種子の写真をいただきましたので、右上や左右で紹介しました。


マーキング調査始まる
長らくアサギマダラは各地でキジョランを食べて越冬すると考えられていたのですが、沖縄本島で観察をした人が、4月の中・下旬頃と秋の10〜11月頃のある日、突然ものすごい数のアサギマダラが現われたと思うと、 数日でまったく見られなくなる。その後、食草を調べても卵も幼虫も見られない・・・このことから、沖縄で見られるアサギマダラは、集団で移動する途中に 立ち寄るだけではないだろうか、と考えました。

そこで、1980年から鹿児島はじめ全国の有志によって、羽に油性ペンでマークをつけて放し、次にそのチョウ が見つかったところを結んで移動経路を調べようという調査が開始されました。マーキングといいますが、このおかげでいまではこのチョウが春と秋に北へ、南へという季節を変えた移動をしていることがはっきりしてきたのです。
大阪を拠点とする「アサギマダラを調べる会」(ホームページがあります)などが中心になって観察組織が作られていて小中学生までマーキングに参加しています。そうした人たちのおかげで近年そのルートが解明されてきていますが、毎年記録が更新されているといってもよいほどです。

分かってきた、そのすごい旅

渡りの地図
分かってきた渡りのルート。東北・関東から
いったん紀伊半島に集結、一気に喜界島まで
飛ぶ。なかには台湾にむけて飛ぶのがいる
こともわかってきた。(産経新聞05年10/30から)
当初は、こんなに長距離飛行するとは考えられていませんでした。信州松本でマーキングされた個体が、海を渡り1300キロ近く離れた沖縄で確認された。高知県大月町から沖縄県南大東島まで約783キロを3日で渡った。一日平均260キロも飛んだ、と驚いていました。

1995年9月29日に大阪府生駒山でマークされたアサギマダラが、10月18日沖縄・八重山諸島の与那国島まで1680キロを17日間で飛んだ記録がしばらく南下の最長移動記録でした。しかし、こんなものではなかったのです

2002年には、福島・北塩原村―沖縄・黒島の2140キロ・メートルが記録されました。これで東北以北で暮らす個体も沖縄以南へ渡っていることがはっきりしました。そしてこれが渡りの「日本記録」でした。4年ほどですが。

日本記録
渡りの日本記録のアサギマダラ
=玉置高志さん撮影
さらに記録は伸びました。2006年8月、「アサギネット」を主宰している日本チョウ類保全協会代表理事で京都学園大非常勤講師の藤井恒さんらの研究グループが、山形・蔵王スキー場でアサギマダラ約1700匹にマーキングして放したのですが、そのうち同行した京都市の専門学校生、藤井大樹さん(21)が8月26日にマークしたメス1匹が、今度は11月20日に現地に出向いていた三重県松阪市の玉置高志さん(58)の手で、与那国島・久部良岳の山頂で見つかりました(06年11月27日 読売新聞)。直線距離にして2246キロ・メートル。2002年の記録を100キロ上回り、これが目下のところ南下の最長記録です。

実は11月初めには台湾南西部の島で、9月24日に長野県大町市で放されたアサギマダラが再捕獲され、この移動距離は約2190キロでした。4年間の日本記録を50キロ抜いたのですが、わずか半月でまた50キロ更新されたことになります。まだまだ記録は伸びるでしょう。


与那国島
与那国島
調査のため現地に出向いている人もいるくらいですから、こういうことはかねてから予想されていました。与那国島(よなくにじま)というのは沖縄本島から遠 く離れた八重山諸島の中にあります。沖縄本島と与那国島の距離を、放した山形県・蔵王から本州の地図に当てはめると岡山県くらいの距離でしょうか、途中の島々 を点々としたのでしょう。ここは日本最西端の碑があることで知られますが、ほんのお隣が台湾という位置で、北上の飛翔ルートを調べる時に使われる台湾・陽明 山より緯度は南になるという場所なのです。

最西端の碑
与那国島にある日本最西端の碑
近年、安全保障上の観点からこの島の重要性が見直されました。 海洋進出の動きを活発化させている中国に至近の場所なのに、沖縄本島から与那国島までの約500キロの地域は、陸自部隊が配備されていない「空白域」でしたので、自衛 隊の常駐が検討されてきました。その結果2016年3月28日、「与那国沿岸監視隊」がスタートしました。隊員約160人で、付近の艦船や航空機を地上レーダーで監視、情報収集 や警戒監視の能力を高め、尖閣諸島など南西諸島の防衛態勢を強化する役目を負っています。

駐屯部隊
与那国駐屯地には自らも陸自出身の中谷元防衛相が
訪れ隊旗を授与した(2016年3月28日)
私は石垣島に は何度も訪れ、たぶん「日本最南端」でのゴルフをしたこともあります。その先の小浜島にある当時ヤマハが運営していた高級リゾート「はいむるぶし」にも2、3度宿泊しました。「はいむるぶし」とは沖縄のことばで「南十字星」 という意味で、そのとおり南半球の夜空を代表するこの星を見ることができるというので人気があるところです。そこから船で2、30分の西表島(いりおもてじま)にも上陸もしまし たが、さらに先にある与那国島には行き そびれました。国境の島に無理しても行っておけばよかったと思います。発足した「与那国沿岸監視隊」にはレーダー監視のほか、特別任務としてアサギマダラの観察を 是非加えてもらいたいと思います。


大陸に渡った個体
中国大陸に渡った個体(藤井恒さん提供=読売新聞)
それにしてもなぜ日本から南下するアサギマダラが台湾や沖縄・与那国島など島に渡るのか不思議に思うところです。むしろ中国大陸に集合場所が あると考える方が自然ではないでしょうか。

中国地図
大陸までの渡りのルート
そんな矢先の2008年12月20日の読売新聞に大陸に渡った例が掲載されました。上でも紹介したアサギマダラ研究家の京都学園大非常勤講師の藤井恒 さんらのグループが確認したのです。2006年8月6日、石川県輪島市でマーキングされて放たれた1匹が、約2か月後の10月14日に、直線距離で1644 キロ・メートル離れている中国浙江省平湖市の公園で捕獲されていました。大陸での捕獲者から台湾の研究者に2年後に情報提供があった といいます。

中国本土では蝶の研究はそれほど注目されているわけではないので、こうしたタイムラグが出るのでしょうが、これは大変なことです。これまでアサギマダラは台湾に渡るとされていた ことが、修正されるかもしれないからです。今後大陸のどこかに一大集合地、一大繁殖地があることが明らかにされるかもしれません。

渡りの地図
喜界島は渡りの途中の
集結場所として有名。
秋にたくさんのアサギマダラが集結する場所として、奄美大島の東の喜界島(きかいじま、きかいがしま)が知られています。小さな島がある日突然アサギマダラだらけになり、3,4日 で皆いなくなるといいます。これを見に愛好家が集まるほどです。

すっかり有名になった中継地大分・姫島のアサギマダラ
群舞
大分県・姫島で見られる
アサギマダラの群舞。
あまりにすごいので紹介しますが、中継地である大分県国東半島(くにさきはんとう)沖の姫島(姫島村)でのアサギマダラの群舞です。

絵画のように見えますが カメラマンによる実写です。2008年5月28日の毎日新聞に掲載されたものですが、役場によると毎年5月初旬から6月初めまで、島北部の、みつけ海岸に自生するスナビキソウの群生地に何千という数が集まるそうです。国内有数の大規模中継地といってよいでしょう。例年、5月上旬から6月上旬にかけて飛来、3〜5日ほど滞在して北に渡る体力をつけては次々と北に 飛び立っていくといいます。下で紹介したNHKの番組「ダーウィンが来た!」もこの姫島でのアサギマダラの乱舞の撮影から始まっています。今では蝶の愛好家ばかりでなく、観光客も春と秋に押し寄せるようになりました。


姫島
姫島
全景
行き帰りにアサギマダラが立ち寄る姫島
姫島は秋にも渡って来る大規模飛来地です。八ケ岳や東北、北海道の高地など涼しいところで世代交代をしたアサギマダラが、秋に今度はいっせいに南下するのですが、この南下の時にも姫島を経由していきます。スナビキソウの自生地保護や移動の調査などをしている「アサギマダラを守る会」によると、姫島では、年によっては1日千羽を超す時期もあるそうです。


西村英一
田中派の大番頭、西村英一は姫島の出身
ここで少し脇道にそれます。このサイトの亭主は新聞記者時代、政治原稿を書いていました。その時の思い出話です。国東半島の沖に浮かぶ小島「姫島」は今ではアサギマダラで有名ですが、政治記者の間では田中派の大番頭、西村英一が出たところとして記憶にある場所でもあります。
田中派の竹下登(74代首相)が創政会(のち経世会)を立ち上げて田中派が分裂した時のことです。「本家」の田中派事務総長の小沢辰男と割って出た「分家」の創政会副会長の橋本龍太郎という両派の大幹部を従えて西村英一がこの小さな島にお国入りしたのです。裏事情をいえば両方とも、派閥継承の正当性を見せるために田中角栄からもっとも信頼されていて、回りから「じいさん」と呼ばれていた西村英一からお墨付きをもらうために同行したのですが、誰も知らない小さな島が永田町で一躍有名になったものです。

西村英一は大分中学から、七高(鹿児島)、東北帝大電気工学科を卒業後、鉄道省に入り、局長から政界に転じた。田中派ができると初代の七日会会長。大平内閣のとき自民党副総裁で大平、田中の主流派と福田、三木武夫、中曽根康弘ら反主流派が四十日抗争を繰り広げた際、副総裁として両陣営の調整役を務め、名采配ぶりで名を挙げ一時は次期首相候補に挙がったこともあった。

西村英一碑
西村英一顕彰碑
田中派というと金権体質のイメージだが、質素な私生活を貫いた。金丸信(のち副総裁)が西村の私邸を訪ねた時、玄関の引き戸がガタピシするので気を利かせて知り合いの業者に修繕させたところ、余計な事するなと怒鳴られたというエピソードがある。

田中が倒れた後だが、姫島に田中の筆になる「西村英一顕彰碑」が建立され、人口3000人の島に政界の大物が陸続と掛けつけた、上述の橋本龍太郎(82代首相)らを従えてのお国入りはその時のことである。田中派分裂では両派が入る東京・千代田区平河町の砂防会館の鍵を取り上げ、共に締め出すという「喧嘩両成敗」を地で行って骨のあるところを見せた。自民党の数々の政争の舞台になった砂防会館も老朽化で60年の歴史を終えて2016年3月で取り壊される。1987年9月15日死去。享年90。

2016年11月、姫島は「61年ぶりの村長選」というので有名になりました。人口2000人、車エビの養殖が主産業の村はこれまで61年間16回連続で無投票だったが、今回初めて対立候補者 が出たのだ。61年間で村長を務めたのはたった3人。したがって誰も選挙運動をしたことがなく、村民の多くが顔見知りのため選挙ポスターもない。土台、同村には、村長選、村議選でのポスター掲示場 の設置を定めた条例が存在しないという浮世離れした村の選挙。結果は現職が9選を果たした。

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マーキング調査により、本州のアサギマダラは徐々に南下して、いったん和歌山県に終結、紀伊半島あたりから四国・阿南市付近に上陸し、少しずつ移動しながら室戸岬付近に集まり、風を見計らって室戸岬や足摺岬などから大海原へ出ていくという流れがあると考えられています。

これは、ある年の9月14日に長野県上村のしらびそ高原で標識をつけた19匹のうちの1匹が、約1か月後の翌10月18日、約350キロ離れた和歌山県白浜町内で発見され、同じそのアサギマダラが11月2日、さらに約950キロ南下した沖縄・南大東島の魚釣場で再々捕獲されたことから判明したのです。約1か月半かけて、和歌山県を中継地に、長野ー沖縄・南大東島まで移動しています。驚くべき飛翔力です。
さらに近年では長崎あたりから、台湾に飛ぶルートもあることが報告されています。 移動のルートが判明し始めるとともに、どうも大空に蝶たちが通う「蝶の道」があるのではないかと推測されはじめています。行きと帰りでルートが違うことも明らかになってきています。

北上の記録は1995年5月31日鹿児島県種子島から飛び立って、7月16日福島県白河市で確認された1羽で、46日間で1200キロ飛びました。 北限としては、山形県藤島町が報告されています(2000年9月)。しかし、いまでは、津軽海峡を越えて函館から報告が来るようになりました。後述のように地球温暖化とも 関係しますが、どんどん北上しているようなのです。

上ノ国
北海道・上ノ国町まで飛んだ個体
上ノ国町
上ノ国町は道南にある
例えば、2013年6月6日の記事ですが、「アサギマダラが、大分県から約1160キロ離れた北海道上ノ国町に飛来。九州から北海道までの 移動は初確認」と見出しにあります。函館市の愛好家グループ「道南虫の会」メンバーらがアサギマダラ1匹を捕獲したもので、羽に「ヒメ」「5/21」などと書かれており、大分県姫島村の「アサギマダラを守る会」が5月21日、村から放った 雄と判明した。捕獲したチョウは再びマーキングして放した。道南虫の会の事務局長で函館工業高校教諭の対馬誠さん(56)は「どこから来たのかやっと解明できた。今後も 調査を進め、飛行ルートの解明につなげたい」と話した。(産経新聞電子版)

上ノ国町は津軽海峡を渡ってすぐの江差と隣り合った所で北海道では比較的暖かいところです。姫島というのは上でアサギマダラの群舞の写真とともに紹介したように 渡りの途中の場所として有名な島です。ここでマーキングされたのですが、姫島に来るまでに台湾 か中国のもっと南で生まれているわけで、1160キロどころではない飛翔距離になる可能性があります。と同時に飛んでいく先は札幌、旭川、稚内、ひょっとしてサハリン‥‥という 可能性も秘めています。温暖化の影響とともに研究が待たれるところです。

国境を越えて日本に来ていることは、2000年に台湾台北市北部の陽明山でマークされた2個体が、鹿児島県と滋賀県でそれぞれ再捕獲されて、初めて明らかになりました。 でも、移動の範囲の全貌は明確になっていなくて、まだまだ謎だらけの蝶です。


NHK番組で紹介されたアサギマダラの動画

2015年1月11日、NHKの番組でアサギマダラが取り上げられました。ダーウィンが来た!「日本縦断2000キロ!旅するチョウを追え」 という30分番組です。

番宣によると「 春は南から北へ、秋は北から南へ。日本列島を縦断して2000キロもの旅をするチョウ、アサギマダラが主人公。広い海を越えてこれほど長距離移動するチ ョウは世界でも他に例がありません。羽に印をつけて放す”マーキング調査”と呼ばれる地道な研究で、謎だらけの渡りの様子が次第に分かってきました。番組取材班も調査に参 加。アサギマダラに「ダーウィン」のマークを付け、視聴者の皆さんからの目撃情報を頼りに壮大な旅を徹底追跡しました」とあるとおりかなり力を入れたものです。

スナビキソウに止まる
スナビキソウに止まるアサギマダラのオス=番組から=
番組のスタートは上の写真でも紹介した大分県姫島からで、海岸のスナビキソウに群がるアサギマダラの群舞が見事です。気温21℃前後を好み、暑さに弱く、29.6℃ともな るといっせいに木陰の葉裏で休んでいる姿が紹介されています。アサギマダラが渡りをする最大の理由はこの「温度」。暑さや寒さに弱いため、春は暑さから逃れるため北に向か い、秋は気温の低下に追われるように南下していくというわけです。

上で少しフェロモンのことに触れました。番組では姫島のスナビキソウに集まるのはすべてオスだけであることが紹介されています。オスのアサギマダラはスナビキソウやフジ バカマ、ヨツバヒヨドリなど特定の花からしか蜜を吸いません。これらの植物には、オスがメスを誘うために欠かせないフェロモンの材料となる物質が含まれているためです。オ スは、そうした特定の花の開花前線を追いかけて旅をするのです。

北上するアサギマダラがたくさん集まる場所として富士山中腹が紹介されていますが、ここ八ケ岳も同じです。卵を産み付け1週間ほどで孵化する様子も撮影されていますが、 途中次の世代を残しながら北上を続けているわけで新旧の世代が北を目指していることを初めて知りました。

番組では裏磐梯で新しい世代交代が行われ、秋に南下を始めるとありますが、地球温暖化で今では北海道にまで渡る個体があることは上で紹介しました。「21℃」を求めて移動していると思われます。 南下の場面では、上昇気流に乗って上に上がり、次に滑空で前に進むという飛翔の様子がよくカメラに捉えられています。一日100キロも飛ぶ北上に比べ南下に倍も時間がかか るのは季節風の関係ですが、番組では、伊良湖岬に集まり一気に紀伊半島まで海を渡る姿を詳細に追っていました。

初めて知ったのですが、海に落ちて死んでいるかと思えるアサギマダラが、近づくとパッと飛び上がる様子がとらえられていました。漁師は「波の上で四つん這いになっていたの が一気に浮上する」と語っていました。アサギマダラは海の上でこうして休養しながら海を超えているとする最近の専門家の観察も紹介されていました。

蝶の数え方
チョウを数えるのにここでは「匹」を使いました。学術用語では「頭」です。これは英語で家畜などを数えるのに「head」を使ので、それが動物学でも広まり、鳥と魚を除 くすべての動物は一頭、二頭と「頭」を用いて数えるようになったものですが、現在では「匹」も「頭」もどちらも使われており、辞書でも、一般用語では「匹」、学術用 語では「頭」という説明が主流です。


まだまだナゾだらけ

キジョラン
日本中にある
ガガイモ科の植物が食草。
アサギマダラが北上して各地で「さまよい」、そして南下の行動を誘発する時の刺激要因は何かもまだわかっていません。 蝶は羽化後10数日で死にます。ですから、南下するアサギマダラと北上するアサギマダラはそれぞれ別の個体です。世代を またいでどうしてこの行動を伝えているのか不思議なことです。

普通、蝶の翅(はね)は燐粉におおわれています。蝶は羽化後1週間ほどで翅はボロボロになりますが、アサギマダラの翅には鱗粉がほとんどありません。1000キロ飛んだあともそのままなのも不思議といえば不思議なことです。

幼虫
幼虫は日本中にある
ガガイモ科の植物が食草。
アサギマダラの本州での食草はキジョランやイケマ、サクラランというガガイモ科の植物です。ガガイモは地下茎で伸びるつる植物で、路傍でよく繁茂している植物です。 いずれも毒をもっています。これを食べているアサギマダラには他の昆虫や鳥も近づけないのです。 近年、摂取したアルカロイドをどうして他の動物への防御物質に転用するのか、その生化学の解明も注目されています。

他のマダラチョウと同様に擬態現象を行うものは、食草中のアルカロイドの影響だと考えられています。そのメカニズムの解明も 注目されはじめています。オスは吸蜜植物からピロリジジンアルカロイド( Pyrrolizidine alkaloid、略称:PA)を摂取しないと成熟できず、オスがヒヨドリバナ属など の花に強く誘引されるのはこのためだというのも分かってきています。

アサギマダラは上述したようにタテハチョウ科マダラチョウ亜科に属します。近縁種は8種ありますが、気温24℃を好むので、東アジアでこの平均気温の一帯に広く分布しています。近似種、亜種はインド、ネパール、タイ、ベトナム、中国に分布していますが、みなこの温度の前後です。DNA鑑定が進んで、今ではアサギマダラとタイワンアサギマダラは約2300万年前に分枝したというところまで研究が進んでいます。日本のアサギマダラの故郷は台湾・陽明山あたりだと推察されます。ほとんどの近縁種は南西諸島に見られるのですが、日本本土まで土着しているのはアサギマダラだけです。これもナゾのひとつです。

アサギマダラの研究のおかげで地球の温暖化がすすんでいることもわかっています。近年、移動の時期がどんどん早くなる一方、従来は日本では東北地方あ たりが北限だったものが、今では北海道・函館山あたりがアサギマダラの名所になってきました。例えば下記の記事です。

函館から
函館から放蝶された個体
函館で放されたチョウ 2カ月で1200キロ飛び下関で捕獲
北海道函館市近郊から今年8月に放されたチョウ「アサギマダラ」が、本州最西端の山口県下関市の市立公園・リフレッシュパーク豊浦で捕獲された。 2カ月間の飛行距離は実に約1200キロ。チョウは下関から再び放され、さらなる南下の旅路についている。

同公園によると、アサギマダラは8月19日、飛行ルート解明などを目的に函館市の愛好グループ「道南虫の会」が近隣の山から放し、10月24日に公園 のバタフライガーデンに飛来した。捕獲されたアサギマダラは雌で、羽に「ハコダテ」「8/19」などとマーキングされていた。(2011.10.30 産経新聞)

これなど二つの点で注目されます。一つは上述したように本州を南下して長崎あたりから台湾方向に向かうコースをとっていた個体ではないかということ。も し台湾などで再捕獲されると最長距離記録を書き換える可能性があります。もう一つは、地球温暖化でアサギマダラの渡りの地がどんどん北上していて函館はもう 途中経過地でしかないということです。現に今では釧路や利尻島、はてはロシアの沿海州あたりからも観察の報告がされるようになってきました。アサギマダラは 地球の危機のシグナルも発しているのです。こちらの面からの研究も待たれるところです。

アサギマダラの大移動についてのナゾは他にもあります。

■か弱そうに見えるあの小さな体の何処に海を渡って1000kmもの長距離を 飛び続ける力が秘められているのだろうか。
■秋に南下する時は、強い偏西風に逆らうことになる。逆風をどうして克服でき、しかも洋上の 小島を探し出すのだろうか。
■海を渡っている間の食餌はどうしているのか、夜は何処で休んでいるのだろうか。
■新しく生まれた蝶は4か月程度の寿命です。つまり渡りをする蝶はいつも新しい世代です。それなのに蝶が南へ、あるいは北へ、渡りの時期が来たことをど うして知るのか。そして、どうやって渡るべきはるかな未知の土地の方角を知るのだろうか。
■食草はその土地に1年中あるのに、何故その土地の環境に順応せず、危険の伴う旅を続けるのだろうか。

アサギマダラには、まだまだわからないことが多いのです。そこがまた多くの人を魅了する所以(ゆえん)でしょう。

アサギマダラの雌雄はこうして見分ける

誰(たれ)か烏(からす)の雌雄を知らんや
という言葉があります。烏の雌雄の区別を誰がつけられようか。それほど人の心や物事の善悪・優劣を判定するのは難しい、といった意味で、「詩経」にある のですが、これに倣うと、「誰がアサギマダラの雌雄を知らんや」、それほど雌雄の判定は難しいのですが、実は見分け方があります。

雌雄の見分け方
雌雄を見分ける「性標」と「ヘアペンシル」
アサギマダラのオスの後羽根(後翅)には黒褐色の大きな斑紋があります。「性標」といいますが、メスにはこれがありません。次にオスの腹部先端にはフェロモンを分泌する 「ヘアペンシル」という器官があります。「ヘアペンシル」は、マダラチョウ科の仲間に見られるもので、古い筆の穂先がほぐれたような形をしていて、通常は腹部に納 められていて見ることが出来ませんが、メスに遭遇した時や捕獲された時などに見ることが出来ます。メスに求愛行動をとる時、腹部の先端からこのヘアペンシルを出し 、後翅の性標にすりつけて、匂いをつけ、独特の匂いのするフェロモンを出して、メスに交尾を促すのです。 

ヘアペンシル
アサギマダラのオスのヘアペンシル
アサギマダラの腹部は10の節からなり、9、10節は外部生殖器になっていて、交尾器があります。この交尾器の左右に一対の毛の束があり、これがへアペンシルです。 普段は腹部内にあって、薄い膜状の袋に入っていて、この袋が反転すると、ヘアペンシルが外に押し出される仕組みです。

オスはこのヘアペンシルをどのように使うのでしょうか。これは下の項でオオカバマダラのことを書きましたが、オオカバマダラのオスの行動がわかっています。オスは メスが飛んでいるのを見つけると、メスの後を追って飛び、しばらくすると今度は前に回って、腹部の先端のヘアペンシルの毛をタンポポの綿毛のようにふくらませます。

メスはヘアペンシルを触角で触り、気に入ると葉の上に降り立ちオスを受け入れますが、気に入らなければそのまま飛び去ります。そこで疑問ですが、いったいメスが気に 入る、気に入らないを決める要素は何かということです。オオカバマダラのオスはキョウチクトウ科、キク科などの樹液を吸いますが、これらの樹液にはピロリジジン・ア ルカロイドというかなり毒性の強い物質が含まれています。オスはこの毒物質を摂取し、体内でダナイドンという物質に変換してヘアペンシルに貯め、これをメスが感じ とると、オスを受け入れることが分かりました。毒のある樹液を与えないで、蜜だけを吸わせてもメスには見放されます。

これと同じことがアサギマダラの雌雄の間でも起こっていると、最近の研究者の報告で分かって来ています。

昆虫では雌雄の出会いは不可欠で、チョウ類も例外ではありません。オスとメスが遭遇し、種ごとに決まった求愛行動を経て最終的に交尾に至る一連の行動過程を 「配偶行動」と呼びますが、この間の雌雄の認知には視覚だけでなく、嗅覚や時には味覚も重要な働きをしています。これに関与する化学情報(物質)は性フェロモンと 称され、チョウの場合は普通、オスが翅、腹部、腹などに特殊な発香器官を持ち、ここから性フェロモン様物質を出すと考えられています。

分泌物成分は概して複雑ですが、日本のアサギマダラや多くのマダラチョウでは共通してヒヨドリバナなどから性フェロモンの前駆物質であるピロリジジンアルカロイド (PA)を摂取します。PAを摂取したオスはお尻からヘアペンシルを出し、後翅の性標にこすりつけてPAを性フェロモンに変えて(生体内変換)、その臭いでメスを誘い ます。PAを摂取してからオスが分泌する性フェロモンからはダナイドン、ダナイダール、ヒドロキシダナイダールといった物質が検出されています。

これ以上はあまりに専門的になるので省きますが、チョウ類の数々の謎に挑戦している研究者はたくさんいて、近いうちに次第に解明されるものと信じています。

アサギマダラは2000キロを超える距離を北上あるいは南下しながら、キジョランやイケマ、サクラランなどというガガイモ科の有毒の植物(防御物質)をせっせと食べ て他の動物が近づけないようにしながら、一方ではこれらの食草から摂取したピロリジンシンアルカロイド(PA)を性フェロモンに変え、性標やヘアペンシルから分泌さ せてメスを誘って種の保存をはかる。いやはや、自然の造化の妙とは言いながら不思議さに圧倒される思いです。



最後にネットで見つけたアサギマダラの美しい写真を。上でもいろいろアサギマダラの写真を紹介したが、後翅の「赤」がなかなか表現できていないものが多い。フォトショップでカラー修正できるのだが、赤を強調すると「あさぎ色」が出ないというジレンマがある。その点、この写真は半逆光を利用して赤とあさぎ色がうまく出ている秀逸な写真といえる。

アサギマダラ
アサギマダラ(2015 TLPmediaplayer Animal Kingdom Part 33)



オオカバマダラ
アメリカで発行されたオオカバマダラの切手

日本のアサギマダラにも驚きますが、北アメリカにはさらに「渡り」で有名なオオカバマダラがいます。マダラチョウの仲間で、8〜10センチほどのきれいな黒とオレンジの翅(はね)を持ち(右写真の切手では茶色っぽく見えますがオレンジ系統の色です)、「Monarch Butterfly」(王様の蝶)と呼ばれて、切手にもなっているほどです。アメリカのオオカバマダラはロッキー山脈を境に、西部個体群と東部個体群に住み分けていて、秋になると西部個体群はカリフォルニア、東部個体群はメキシコに移動し、集団で越冬します。

カナダからメキシコまではざっと3800キロメートルです。さらにすごいのは、越冬地で過ごしたオオカバマダラは、春になると今度は北に戻るのです。同じチョウが、です。


追跡
これに乗って蝶を追跡
蝶に魅せられた男
蝶に魅せられた男ギティエレス氏
この不思議さに魅せられた男の話が「ニューヨーク・タイムズ紙」に掲載され、2005年11月17日の読売新聞で紹介されています。名前はフランシスコ・ギティエレス(Francisco Gutierrez)氏(44) といい、この渡りの不思議を解明しようと、全長10メートルほどの超軽量飛行機(utralight airplane)の翼にチョウの色彩、文様を描き、一緒に飛ぶことをはじめてすでに6年、「もはや人間というよりチョウの気分」だとか。写真を見ると モーターパラグライダーに近いようだが、これに乗ってオオカバマダラがなんと高度4000メートル付近まで上昇し、グライダーのように滑空を主にした飛行方法で1日100キロメートルも飛ぶことや、ナイアガラ瀑布(ばくふ)上空からニューヨー ク、テキサスを経て越冬地のメキシコに向かうコースを発見したのだそうです。蝶も面白いけどこの人間模様も面白いと思いました。

こうした人の執念の追跡や日本と同じようにマーキング調査で個体を調べる方法で、今ではかなりその行動がわかってきました。それがまた驚きの内容なのです。

[秋の移動]

メキシコ
メキシコ中西部ミチョアカン州で木の幹を埋め尽くすオオカバマダラ。
カナダから4000km以上を渡り鳥のように移動してここで越冬する。
夏の間カナダなどで発生を繰り返したオオカバマダラは8月の下旬、渡りの準備に入ります。蛹(さなぎ)から羽化した成虫は交尾もせず、南へと移動を始めます。花の蜜を吸いながら栄養を蓄え、夜は集団で木陰などで休みます。南へ移動するにつれその数が増え続けます。その数、ひとつの集団で1億頭(蝶の数え方は1頭、2頭)、羽を休めた森林は、岩を打つ波音のように羽音が響き、蝶の重さで木々は地面に届くほど枝垂(しだ)れ、上空を埋める蝶で太陽の光が遮られて暗くなるほどだといいます。

オオカバマダラは非常に飛翔技術に優れた蝶で、上述のギティエレス氏の報告にあるように、それほど羽ばたかなくても気流に乗り滑空し続ける事が得意です。それにしてもずば抜けた飛行距離です。記録ではカナダでマークされた個体がメキシコで確認され、その移動距離が3,300キロにもなることが判明しました。

オオカバマダラ渡りルート
オオカバマダラの渡りのルート。
このほか西部グループがある。

やがて越冬地に到着した蝶たちは松やモミなどの木にとまり、越冬の準備を始めます。オオカバマダラの越冬地はカリフォルニア州太平洋沿岸数カ所と、メキシコの2カ所に集中しており、ロッキー山脈西側の蝶たちはカリフォルニアに、東側の蝶たちはメキシコに集まります。左の渡りのルート図はロッキーの東側の蝶の行動図です。

次々と到着する蝶たちは、渡りを始めた時に比べ体重が増えている事が確認されています。南に移動してくる途中、あちこちで蜜を吸うのですが、そのひとつであるトウモロコシについて、「遺伝子組み換えトウモロコシの花粉を食べた蝶は体重も減り、44%死んだ」という研究発表がされ、自然保護団体などがこれを金科玉条として、反対運動などをしていますが、一方で、メキシコでの個体数が増えたという報告もあります。「実験レベルでは影響が見られるが、自然状態では、オオカバマダラ個体群の存続に与える影響は無視できる」と結論づけられました。

鈴なり
メキシコ・ブラボー渓谷のピエドラ・ヘラダ(Piedra Herrada)サンクチュアリー
の樹の枝に鈴なりで越冬中のオオカバマダラの大群。
しかし農民の木の伐採と農薬使用で近年数が減ってきている。
オオカバマダラの渡りで不思議なのは、越冬地では毎年同じ木に蝶たちが集まる事です。途中、何世代も繁殖を繰り返し、元の土地を知らないはずの蝶たちがどのようにして同じ場所に戻ってくるのかは未だに解明されていません。

[春の移動]

不思議はまだまだ続きます。まず早春の3月下旬頃、気温が暖かくなり始めた頃に、蝶は今度は北へ移動を始めるのです。越冬したメキシコ中部にあるシェラマドレ山脈のふもとの森から飛び立つと、秋の移動と違って今度はそれぞれバラバラに動きます。全体としては北上します。アメリカ合衆国の南部まで行き、そこで食草のトウゴマを見つけたメスは交尾をし卵を産み付け、その一生を終えます(1世代目)。


越冬
ミチョアカン州のサンクチュアリ、エル・ロサリオ(El Rosario )
で越冬中のオオカバマダラの大群。
そこで、羽化した子どもたちは、アメリカ合衆国の中部まで行って、産卵します(2世代目)。2世代目の成虫は寿命が短く、3〜4週間ほどしか生きられません。孫にあたる3世代目が、さらに北上してカナダとの国境にあるエリー湖にたどり着きます。その孫たちは、秋になると最初に祖父母たちが出発したシェラマドレ山脈のふもとの森まで、4000kキロの道のりを気流に乗って、一気に飛行して帰っていくのです。オオカバマダラがこのような大移動をくり返していることはようやく最近になってわかってきたのです。

ゴールデンと蝶
ゴールデンの鼻先にとまったオオカバマダラ
オオカバマダラのスケールの大きい渡りに魅せられるひとは多く、新聞社に舞い込むAPなどの外電でもしょっちゅう取り上げられています。右上は2013年12月の越冬中の写真です。 左は遊び心いっぱいですが、ゴールデン・リトリーバー犬の鼻先にとまったオオカバマダラといった具合です。また検索でオオカバマダラの英名「Monarch butterfly」と入れると、幼生から渡りの途中にいたるまでたくさんの説明と写真に接することができます。



「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていつた」

蝶の渡りで思い出すのがこの一行詩です。俳句ではなく、前衛詩に分類されますが、小学校の教科書に入っているので若い世代のほうがなじみがあるかもしれません。読み方や受け止め方、教師の教え方などいろいろの場面で取り上げられるものです。安西冬衛(1898〜1965)の作品で昭和4年に出された詩集「軍艦茉莉」に載っています。

安西冬衛
安西冬衛
奈良で生まれ、父親の転勤により東京、大阪などを移り住み、大正8年から15年間、大連に在住しました。大正10年満鉄入社、このとき膝関節疾患のため右足を 切断しています。昭和9年から堺市に住んで市の職員となり、文化的事業の推進にあたり、戦後も関西の著名な文化人として多彩な活動をした人です。頼まれるまま 作詞した校歌、市歌、社歌、歌謡はかず知れず、です。昭和40年8月24日、67歳で亡くなったときは、友人の小野十三郎は弔辞で「日本の詩人のなかで君ほど言葉 を愛し大切にし、言葉と現実との関係を綿密に考え計算して事に当たった詩人を知らない」と述べたほど、言葉、語感を大事にしました。

堺市にある詩碑
堺市にある安西冬衛の詩碑
「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていつた」

このサイトの「「ブン屋のたわ言」で大連の霧の中で、寺山修司の短歌「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」が思い浮かんだことを書きましたが、同時に「てふてふが一匹韃靼海峡を渡っていつた」も思い浮かんだのです。

韃靼海峡(だったんかいきょう)というのが現実にあるわけでなく、この語感が欲しかったのでしょう。間宮海峡のことだと言われます。このころは間宮海峡を挟んだ樺太の半分は日本領でした。「韃靼人」とはモンゴル人の一部族であるタタール人のことを指したのが、13世紀には北アジア全体の遊牧民の呼称 になったといいます。司馬遼太郎の小説でも「韃靼」は出てきますが、作者は、現在の中国の東北地方に住んでいた小民族、女真人のことを江戸期の日本の呼び方を踏襲し、あえて「韃靼」という名称を使った、とことわっています。毎年八月の安西冬衛の命日に開かれる追悼会「韃靼忌」にその名を残しています。

「てふてふ」という旧かなの表記もひらひらと飛ぶ蝶の姿を表現したかったのだと思います。間宮海峡を渡る1匹の蝶。渡って来るのか、渡って行くのか、から始まって、アゲハチョウなのかそれとも他の蝶なのか、個人の感性でいろいろな読み方ができる一行詩です。

蝶といえばこんなしゃれた一行詩があります。

二つ折の恋文が、花の番地を捜している。

ジュール・ルナール(Jules Renard 1864 - 1910)の「博物誌」にある「ちょう」という詩です。ルナールはフランスの小説家、詩人、劇作家で日本では「にんじん」が有名ですが、 自然を愛し草木禽獣のいのちを鋭く捕らえた観察眼の持ち主です。このほか、

ほたる
いったい、何ごとがあるんだろう? もう夜の九時、それにあそこの家では、まだあかりがついている。

あり
一匹一匹が、3という字に似ている。
それも、いること、いること!
どれくらいかというと、333333333333・・・・・・ああ、きりがない。

のみ
ばね仕掛けのたばこの粉。

りす
羽飾りだ!羽飾りだ! さよう、それに違いない。だがね、君、そいつはそんなとこへつけるんじゃないよ。

わけぎ━くせえなあ!
にんにく━きっと、また石竹のやつだ。

『博物誌』(1896年Histoires naturelles 岸田国士訳 白水社より)

魅力的なのでもっと読みたくなりますが、そのほかを期待すると裏切られるかもしれません。訳者の岸田国士(1890−1954)は有名な劇作家で、文学座の創設者。 次女は女優の岸田今日子ですが、あとがきによると「『ちっちゃなものを書くルナール』としてフランス文学界がむりに書かせた面がある。ことばのしゃれや、 安易な思いつきだけで書かれたものもある」ようです。もっとも、フランスの小中学校では書き取りの問題がこの『博物誌』から出ることが多いそうで、よく 読まれています。

「蝶」の文字の由来

”蝶”は、フラフラ飛んでいる姿からきた擬態語のように思いますが、薄くてヒラヒラした意味の「葉」(イェ・ヨウ)が「虫」と合体した会意文字(かいいもじ) です。会意文字というのは既成の象形文字や指事文字を組み合わせて作った文字で、例えば、「休」は「人」と「木」によって構成され、人が木に寄りかかって 休むことから「やすむ」の意味を表す字として作られようなものを指します。

なぜ「チョウチョ」(蝶々)なのか

蝶々は中国語で胡蝶と書きます。正確には虫ヘンに胡という文字の「蝴」で、これはヒゲとか触角のことです。 蝶の読みはdie=ティエで、胡蝶はフーティェになります。日本に入ってくる過程で、フーティェ→フーティエ → ティ ェフティェフ → テフテフ→ テオテオ →チョウチョと、もっぱら読みが変化してできた言葉だそうです。

蝶はフランス語でパピヨンPapillon。ギリシア語ではプシュケ。そのもとはサンスクリットで「揺らぐ」という意味をあらわす”ピル”だそうです。英語でButterfly ですが、これは黄色い蝶の形体からバターを連想したのでしょうか。

蝶を数えるとき、1羽、2羽と数えたくなりますが、正式には1頭、2頭と数えるものです。大型動物のような数え方ですが、明治のはじめに海外から標本が入っ てきたとき、ばらばらになった欠陥品が多く、正確な数がわかる頭の数を数えるようになったものだと言います。でも、「頭」ではなんだかしっくりこないので、 今は1匹、2匹が多いので、この項でも「匹」を使いました。



アサギマダラなど蝶々ばかりに感激しているが、自然界ではそのくらいいくらでもあるだろう、と言われそうです。確かにそうなのです。アサギマダラのあとに知ったのですが、家の周りでいっぱい飛んでいるアカトンボに似たウスバキトンボやウンカは、もっと遠い東南アジアや中国大陸から太平洋を飛び越えて日本に来ているのだそうです。鳥もはるばる渡りをします。

サケは数千キロも旅して生まれた川に戻ってきます。カツオやマグロやサンマも広い広い太平洋を回遊しています。「B級グルメ」の項でウナギがはるかマリアナ諸島沖のスルガ海山で産卵することがわかったことを書きました。そう、旅する生き物はいくらでもいます。自然界の不思議に驚くべきかもしれません。でも、やっぱりアサギマダラってすごいなあ、と思うのです。


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