|
建築士をしている弟から、机の整理をしていたらこんなものが出てきた、と「西武八ケ岳高原海の口地区開発構想」という冊子が送られてきました。 |

![]() |
| 基本計画書 |
昭和47年(1960)12月に西武グループの西武都市開発鰍ェ作ったものです。私がここに入ったのは昭和62年(1987)ですが、その前年に商号変更して叶シ洋環境開発となった 会社です。いまでも地元の人に「ああ、西武の別荘地ですね」と言われることが多いですが、当初はアタマに「西武」の名が大きく冠されていたことによるものです。この 基本計画書が作られたのは昭和47年ですが、このあたり一帯の開発計画はずっと以前の昭和30年代にスタートしています。現在の姿と比べると、はるか昔々の話になります。
横岳の尾根沿いにあたるこのあたり一帯は国有林でした。それが西武に払い下げられた時期と規模、金額はいま手元に資料がないのではっきりしませんが、戦後の混乱期だと思われます。 国有林を民間会社に払い下げるなど、今なら自然保護の観点からも考えられないことですが、戦後のわが国の林野行政は愚行の連続と言われるように、緑を守るどころか破壊の方向に向かっていました。 独立採算の名の下に職員の給料を払うために国有林を伐採したり、切り倒した樹木を運び出すために観光の名を借りてスーパー林道を通したりすることが、最近までまかり通っていました。
このあたりを管轄するのは臼田営林署ですが、私は以前3代にわたる署長と親交を結びました。そのうちの一人は平成24年現在、明治神宮の森を監督する総責任者を務めていますがいまだに行き来しているほどです。 森のことにまったく無知だったのでこうした専門家と付き合う必要があったのですが、おかげで我が敷地の植栽の多くは営林署員の手で植えられたので元気に育っていますが、逆に 戦後の林野行政の無茶を知ることにもなりました。
例えば直径1.5メートルはくだらないカエデの巨木を輪切りにしたテーブルと椅子を買わないかと言われたことがありますが、こんな巨木いまではどこを探してもないでしょう。数百年の年輪を刻んだ原生木を切り倒して いたことがわかります。
話を自然郷の由来に戻します。西武鉄道は箱根土地社長にすぎなかった堤康次郎氏が1932年(昭和7年)に経営危機に陥っていた武蔵野鉄道の株式を買い集め、再建に乗り出すところから始まった会社です。川越鉄道、武蔵野鉄道、西武農業鉄道 といったローカル鉄道をつぎつぎに取り込んで大きくして戦後は国会議員として衆議院議長までつとめました。この間、政界とのつながりがあったのかもしれませんが、八ヶ岳の土地は西武に払い下げられます。 何百万坪という広さですが、このほか同時に、ほぼ同規模といわれる稲子湯あたりの国有地も払い下げを受けました。
払い下げを受けた横岳東麓一帯の開発を行ったのが、西武都市開発(その後西洋環境開発)です。 現在は特別清算された会社なので、すこし開発の歴史に触れる必要があります。
※特別清算とは

西洋環境開発の歴史
1960年12月 西武都市開発鰍ェ「西武八ヶ岳高原海の口自然郷」基本計画書発表。
1964年 4月26日 堤康次郎氏、心筋梗塞にて急死(76歳)
9月1日 東京プリンスホテル開業(510室、開業直前に西武百貨店から西武鉄道に移管される)
父の遺言で兄はホテル経営には手を出さないことになっていたという取り決めに違反
したためという。
1968年10月30日 八ヶ岳高原ロッジ新築完成
1969年 八ヶ岳高原ヒュッテ開業
1970年 6月 西武化学(八ヶ岳の土地保有) が鉄道グループから流通グループへ移管
1972年 1月1日 西武化学から分離した西部都市開発鰍ェできる。
八ヶ岳高原キャンプサイトオープン。西武都市開発、豪華ヨット「シナーラ号」をチャーター
1986年 1月 西武都市開発鰍ェ叶シ洋環境開発に商号変更。
1987年 3月2日 ホテル西洋銀座開業。日本初の本格的スモールラグジュアリーホテル
1988年12月15日 西武セゾングループがインターコンチネンタルホテルズ社を2800億円で買収。
1995年 2月 西洋環境開発、広島県の第三セクター2事業からの撤退決定。
3月 西洋環境開発が5つのゴルフ場をゴルフ西洋に譲渡
4月 西洋環境開発、西武百貨店などグループ各社に150億円の第三者割当増資
10月 第一勧業銀行など8行が返済繰り延べに応じる金融支援を西洋環境開発に実施
1996年11月 西洋環境開発、八ヶ岳高原音楽堂を西武百貨店に売却
1998年 2月4日 セゾングループがインターコンチネンタルホテルを英バス社へ売却(3700億円)
2000年 7月18日 西洋環境開発鰍ェ特別清算申請(負債5538億円)
西洋環境の巨額の負債がセゾングループの解体に至る原因とされるが、実態は
母体の西武百貨店の代わりに行なったリゾートや美術関連事業の借入金が膨大に
なったことが致命傷とされる。
その後西武百貨店は「そごう」と経営を統合し「ミレニアムグループ」となり、
さらに「セブンイレブン」を経営する「セブン&アイグループ」の傘下へ吸収されていく。
2006年6月 セブン&アイ・ホールディングスがミレニアムリテイリングを買収したことで完全子会社
(百貨店事業の中間持株会社化)され、西武百貨店とそごうはセブン&アイグループの一員となる。
2009年8月1日 株式会社「そごう・西武」設立(そごうが西武百貨店とミレニアムリテイリングを吸収する3社合併)。
株式会社「そごう・西武」の株主は株式会社「セブン&アイ・ホールディングス」。そごうとの提携
開始から9年目で一社化となった。
現在 「八ケ岳高原 海の口自然郷」の資産の所有会社は株式会社「そごう・西武」で、その下で
(株)「八ヶ岳高原ロッジ」が資産の運営管理を委託されているというかたちになっている。

すでに「八ヶ岳高原海の口自然郷」に山荘を構えている人なら思いは同じでしょうが、西洋環境開発がここだけの経営に専念していれば何の不都合も なかったことが上の年表からも読み取れます。バブル期に手を広げすぎ、土地を買い集めすぎ、金を借りすぎたことが破綻の原因で、この土地のリゾート開発の 構想そのものは多くの人の共感を得ていた事業だったのです。
セゾングループ、西武鉄道グループ、ともに一代で王国を築き、ほぼ同時に崩壊していった二つのグループは、背景となった兄弟の確執の歴史もまた ドラマチックなものがあります。「八ヶ岳高原海の口自然郷」はその確執と密接な関係があります。


昔は川越鉄道、武蔵野鉄道、西武農業鉄道と言ったローカル鉄道を一代で日本有数の私鉄、西武鉄道に育て上げたオーナーであり、政界では衆議院議長まで つとめた堤康次郎氏が亡くなったのは昭和39年(1964)4月26日だった。
ドンには多くの「第二夫人」がいた。遺志により、長兄ではあるが、堤清二氏が弱小の百貨店事業だけを受け継ぎ、本業の西武鉄道など本体部分は異母弟の 三男、堤義明氏が受け継いだ。このことがのちのち兄弟の確執につながった。
堤義明氏は西武鉄道のみならず、土地所有会社にすぎなかった「コクド」を足がかりに、日本中で100を超えるプリンスホテルを建て、あわせてゴルフ場、 スキー場を経営する一大レジャー産業に育て上げた。一方、堤清二氏の方も西武百貨店にとどまらずパルコ、西友、クレディセゾンなど小売流通部門に手広 く事業を展開、一時は世界一流のホテルグループ、コンチネンタルホテルを買収、ホテル西洋を経営し、ヨットハーバーまで運営するセゾングループ (旧・西武流通グループ)を作り上げた。辻井喬のペンネームで小説家、詩人としても高名で日本芸術院会員でもある。
セゾングループの中にあって小売業を脱して生活総合産業を標榜した堤清二氏の理想を具体化する企業が西洋環境開発(旧:西武都市開発)だった。 さらに言えば、この会社のみならずグループの理想をかたちにした核になる事業が現在の「八ヶ岳高原海の口自然郷」だった。
堤清二氏 当初は「西武海の口自然郷」という名称だったが、日本に多いチマチマした小区画の別荘団地にしてはならないというコンセプトで一族の女性たちが積極的 にアイデアを出したという。ヨーロッパ型のリゾート地を目指して事業は順調に進んだ。堤清二氏本人はじめ妹、堤邦子さん(パリに客死)など一族の別荘 が自然郷の中心部にあった(現在は処分されているようだ)。彼女は日本で結婚・離婚、フランスに渡り30余年間をパリで生活、この間カジノ船「ソシ エテ・リディア」を開業(フランス)したが4年で倒産、セゾングループが後始末をしたと言われる。
「八ヶ岳高原海の口自然郷」の経営はよかった。だが、ほかでつまづいた。西洋環境開発は、バブル期に滋賀、宮城、群馬県などで積極的に大規模リゾート開発を手 がけたのだが、バブル崩壊で行き詰まり、経営が破綻する。1999年3月期には有利子負債5500億円、債務超過3700億円を抱えるまでになった。堤清二氏は「西 洋環境開発の処理ではセゾングループが最低1401億円を負担する」という確認書を銀行団に提出した。
グループのオーナーが決めたことだが、西武百貨店の社長や役員が反旗を翻す。グループとはいえ、西武百貨店が西洋環境開発の債務保証をしているわけで もないのに支援金を出すのは株主代表訴訟につながる、というもっともな理由だった。西武百貨店は交渉の席につかなかったため11月末に資金ショート寸前 まで追い込まれた。
その後セゾングループは西洋環境開発の特別清算について、第一勧業銀行など銀行団と話し合いが進み、合意にこぎつける。西洋環境開発が所有する未造 成宅地などの保有資産を売却し、傘下のマンション管理会社、不動産仲介会社などを営業譲渡する。 西洋環境開発に出資している西武百貨店、パルコ、西友、クレディセゾン、西洋フードシステムズの5社で 1000億円程度の支援金を負担する。そのうちグループ中核の西武百貨店は未上場企業の株式売却、池袋店を証券化して売却することで数百億円の資金を調達 するなどが骨子だった。このことは同時にセゾングループは堤清二氏と決別することを意味していた。
こうして2000年 7月18日、西洋環境開発鰍ヘ特別清算を申請した。負債総額は5538億円だった。堤氏は1991年にすでに「引退宣言」をしていたが、その後も、 セゾングループの実質的な代表の立場を保ってきた。しかし西洋環境開発の処理をきっかけに、名実共にグループの代表の立場から退いた。
西洋環境開発鰍フ消滅により同社が経営していた「八ヶ岳高原海の口自然郷」は、西武百貨店の管理下に移され、その後上の年表にあるように西武百貨店自体が持株会社の変遷や他の百貨店との合併を繰り返したことでめまぐるしく形態が変わったが、現在は株式会社「そごう・西武」の所有で、その下で関連会社の(株)「八ヶ岳高原ロッジ」が資産の運営管理を委託されているという形になっている。
一方、堤義明氏が経営する西武鉄道グループもつまずいた。東証一部に上場していたが、有価証券報告書の虚偽記載が発覚したため、2004年12月17日上場 廃止となり、さらに翌年には本人も証券取引法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕された。これを機に会社経営はもちろんスポーツ関係の要職からも一切 身を引く羽目に陥った。
堤義明氏 土地所有会社にすぎないコクドを舞台に多くのホテル経営やレジャー産業に手をひろげ、借入金を膨らませて帳面上は赤字経営にして税金をほとんど払わな いという手法も批判を受けた。こちらも 2006年3月27日、西武グループの再編を発表した。グループ持株会社の西武ホールディングスのもとにプリンスホ テルと西武鉄道が入り、コクドはプリンスホテルが吸収する形となった。
兄弟競いながら築き上げた二つの西武王国は、ほぼ同時に落日を迎え、カリスマ経営者も同時に姿を消した。サイトの亭主は双方を取材したことがある。堤清二氏のほうは 辻井喬という文学者としてのインタビューだったので経営の話は一切なかった。堤義明氏のほうは何度か食事を共にして、上毛高原プリンスホテルでゴルフを一緒にしたことがある。 何番ホールかのティーグランドに立ったら左の崖上からクマが駆け下りてきたのでよく覚えている。このときはヘリコプターでやってきた。両方とも部下に取り囲まれてまるで 大統領のような扱いだった。共通しているのは両方の社員とも、客であるこちらのことなどまるで気にかけていなくて、ご主人様の顔色だけ伺っていたものだ。両方とも女優やタレントに手を出すのも共通していて 、そちらの面でも父親譲りのようである。


![]() |
| 開発当初の「八ヶ岳高原海の口自然郷」ははげ山に近い姿だった。=昭和35年ごろの撮影=、 |
「八ヶ岳高原海の口自然郷」が出来上がる背景にあった会社やしのぎをけずった二つの同族グループの浮沈をみたところで、当初に紹介したこの土地の開 発計画の話に戻ります。上の写真は「西武八ケ岳高原海の口地区開発構想」の最初の方に掲載されているものです。開発対象地区の航空写真ですが、冊子の発行された時期から見て 1960年(昭和35年)以前の撮影でしょう。
写真を見てまず最初に驚くのは、この土地が緑いっぱいの山林だと思ったら、まるではげ山に近い状態であることです。しかも、これから開発するという時期ではなく、すでに 何年も前から手がつけられていました。左端に少しS字型に湾曲した道路が見えますが、現在多くの人が気に入っていて写真にもよく撮られるカラマツ並木のエントランスです。ま だ樹高が低くて路面がむき出して写っていますから植樹されて間がないころでしょう。右端に上から下にほぼ直線で下りている道路が、現在、音楽堂前を通っている幹線道路です。
音楽堂はもちろんのこと、まだロッジもヒュッテもありませんでした。音楽堂前の道路の方が現在のエントランス道路より幅広いのが わかります。理由はこちらの方がメインだったからです。現在、誰でも「千が滝」方向から入って来ますが、この時期にはこの道路はありませんでした。 今では閉鎖されていますが、音楽堂前の道路の右側(北)の八ヶ岳林道側に入り口があったのです。
わが山墅のある区画を歩くと、直径1メートル前後はあったと思われる大きな木の切り株が残っています。真ん中部分が朽ちてそこからシラビソの苗木が育ったりしています。 戦後、国有地だったこの原始林に近い森を切り倒した跡です。当時の西武の総帥、提康次郎が払い下げを受けた経過は上述のようなことですが、なにか昨今の緑資源機構をめぐる国 のでたらめ林野行政を見る思いです。開発計画を見ると、ここばかりでなく同時に払い下げを受けた稲子湯のあたりに持っていた土地とあわせて大規模開発しようとしていたようです。
樹木が少なくて、写真でも区割りがわかるところは最初に売り出された小丸地区あたりですが、この時の売り出し区画は1000坪とか2000坪単位だったようで、広々としていました。現在は400坪前後に小分けされているので 隣とくっつきすぎています。それでも他の別荘地のように100坪とか150坪単位で団地のようになっているところよりはいいのでしょうが。現在では木が茂りすぎて、樹高も高くなり、赤岳や横岳も見えないとか、 男山方向や富士山も見えないということを聞きますが、現在、うっそうと視界をさえぎるまで育った樹木、主にカラマツが多いですが、これらはすべて、この写真以後に植えたかこぼれ種で育ったものです。
次に計画書を見て興味をひかれるのは、現在のロッジを中心とした地区にふんだんに池を作り水遊びができる場所が計画されていたことです。地中海クラブのようなマンションのような建物の構想もありました。 バブルがはじけておじゃんになったわけです。地中海クラブは真っ平ですが、ほかの地区がこの計画書通りになっていたらよほど魅力的なものになったことでしょう。惜しまれます。![]() |
| ふんだんに池や野外劇場が計画されていた当初の設計図。 |
この図は「センターゾーン」の設計図です。エントランスから周遊道路の曲がり方、登山口に至るなご原遊歩道、杣添川などの記述から、現在の八ヶ岳高原ロッジあたりと 思われます。このあたりはペンションやコテージ風の宿泊施設、林間学校やレストハウスが配置されています。一つとして実現していませんがこれでよかったと思わせられます。 やたら人が多く出入りするありふれたリゾートの光景になったでしょうから。
ここからサイクリングロードが四方に伸びていて温室や花木園が配置されその先にはテニスコートなどのスポーツ施設、グラウンド、さらには円形劇場まで計画されています。 そして合計5つの池と水路。この図からは外れますが他の図面ではボートが浮かぶ池がたくさん計画されています。こういうのは実現していたら面白かったと思います。造園をやっている 友人が見て、「山の中ではあるがここはよほど水に恵まれているのだろう。親水公園のようなものを目差したのではないか」といいました。
現在のなご原地区の上の方、富士見地区、唐沢地区、杣添地区、高石地区などはこの設計図にはまったくありません。ホームページの「八ヶ岳雑記帳」でウソと
いう野鳥が大好きな
山口さん夫婦の話を紹介しましたが、私よりだいぶ古く、この図面が引かれた後に登山口近くに山荘を建てたのですが、こんな話をしていました。
「クルマで来るのですが、上の方は道路がありませんでしたね。今のヒュッテがホテルで、ここにクルマを置き、長靴に履き替えリュックを背負って登山口まで2キロほどでしょうか
家族でハイキングがてら歩きました」
なんだか、この時代が自然に還る原点だったような気がします。

私がいる八ケ岳高原海の口自然郷では「標高 1,500m」という広報の小冊子を季節ごとに出していて、頼まれて2009年4月発行の春の号の 「リレーエッセー」に原稿を書きました。
山上のシルクロード Y-632 宮崎 健八ヶ岳のカッコウの初啼きは5月20日です。この日付に3度も聞いたので結論づけました。ご近所のバードウォッチャーの方からも「それでいいでしょう」とお墨付き を頂きました。
昨年9月には8年に一度のヤスデの大発生を見ました。行列をつくって這い回っているのを3歳と1歳の孫娘が腕に這わせて遊びに興じていました。挙句クルマに乗せ て東京まで連れて帰るといいます。母親が震え上がって叱ろうとするので「この子達は一生虫が嫌いになるよ」と注意しました。
数年前に通りかかった方から「息子がヤスデの研究をしています。毒はなく無害ですが以前小海線の線路をふさいでから汽車ヤスデといわれてます」と8年ごと の大発生の理由と習性を教えていただいていました。孫たちはきっと「虫愛ずる姫君」のまま大きくなってくれるでしょう。
長年船医をされて陸に上がってからは八ヶ岳で過ごされていたご夫婦とお茶を一緒にしました。ヨーロッパの港町で仕入れた知識だそうですが、さらさらとタンポポ ワインのレシピを英語で書き残されました。さっぱりしたおいしいワインは今なお棚に健在です。
アメリカから持ち帰ったバードフィーダーに家内がテネシー州で買いました、と添え書きしたのをみて立ち止まった方と「私はナッシュビルのバンダービルト大学 にいました」と立ち話がはずみました。翌年、創立者のバンダービルドの館を訪れました。ロックフェラーと並んで全米で5本の指に入る途方もない鉄道王は別荘 までの専用線路を敷設しました。そのワインセラーで食事してアメリカ史の一端を知ることが出来ました。
「ヤマネに会いたい」と自分のホームページ「八ヶ岳の東から」に書いたところ、美鈴池近くの方から「今米びつの下に押し込めましたよ。早く来てください」と電 話。念願の対面をしました。その直後、音楽堂の前にいる従妹夫婦がネズミかしらと紙袋に入れて我が山墅に持参したのはヤマネでした。先日見たばかりなのですぐ わかりましたが、その夜一家5匹が台所の裏に逃げこみました。
餓死されたら困ると、清泉寮に付設の「やまねミュージアム」に相談したら湊秋作館長がトラップを持って駆けつけてくれました。「イギリスのヤマネは木の枝の 上を歩きますが、日本のヤマネは枝の下をぶら下がりながら走ります。目下、この違いが東西の専門家の最大の研究テーマです」。ともに酒好きだったので夜半ま で不思議な習性をうかがいました。こんな面白い話を独り占めするのはもったいない、自然郷の人たちに聞かせたいと思ったことでした。
ログハウスを建てて22年になります。私は「八ヶ岳シルクロード」と呼んでいますが、通りがかる方々からお話を伺うだけでソローの「森の生活」を読むように 、八ヶ岳の楽しみが深まるばかりです。 (次回は谷口様です)
◇ ◇ ◇
この「リレーエッセー」では次回の執筆者を指名できます。「次回は谷口様」というのは私が推薦した方で、谷口千吉夫人、谷口薫、つまり八千草薫さんです。こちらの文章は「八ヶ岳雑記帳」の 「八千草薫さん、お願いです!」の文末に掲載しました。

「海の口自然郷」のオーナー会ができました(2012年4月)
サイトの亭主が多くの時間を過ごしている山墅は「八ヶ岳高原 海の口自然郷」と呼ばれていて、上述のように開発が手がけられてから半世紀以上が経ちます。今では1300戸ほどが建ち、それぞれの生活を楽しんでいますが、 2011年夏突然地デジ問題が起こりました。それとともにお盆休みという1年で一番にぎわう時期に大規模な断水事故が発生、一滴の水もないのでは生活できないと、何軒かは 下山を余儀なくされました。追い討ちをかけるように死体遺棄事件が発生。自然郷に西武の系列会社ロフトの寮があり、ここの部長の犯行で週刊誌をにぎわすこととなりました(すでに1審判決終了)。
断水事故の対応のまずさや地デジ問題への説明不足と対応策が示されないことなどから、夏の間に自然郷内のあちこちで入居者の立ち話が自然発生的に起こり、そのうちの問題意識を持った人たちがすでに関係機関に働きかけていることもわかりました。 いずれの人も南牧村役場や地デジ関係部署をたらいまわしにされていました。典型的な役所仕事相手では個人個人が立ち向かっても打開策が開けないと訴えていました。
何とかせねばと富士見地区の原田威夫氏が自然郷で知り合った人を一人ひとりたどって話し合ううちに自然発生的に数人の有志が集まりました。ほとんどが東京在住だったこともあり、霞ヶ関のクラブなどで会合を重ね、総務大臣へ陳情するまでに こぎつけました。
どういう返事があるかわかりませんが、回答しだいで次の策を考えています。また、自然郷にはこのほかにも多くの問題が発生していて、管理事務所任せでなくオーナーが自ら解決しなければならないことも多くなっています。こうしたことから「海の口自然郷」 の皆さんの参加を呼びかけることになりました。役所相手には「数は力」です。ご賛同いただける方はぜひお隣、ご友人に声をかけてください。以下はこれから自然郷内で配布予 定の趣意書と「参加申し込み書」です。お近くの地区幹事または直接、下記メールまで連絡ください。フロントページ記載のサイトの亭主のメールアドレスでも結構です(ただし夏季は不在です)。
「海の口自然郷オーナー会」へ参加のお誘い
私たちが自然を楽しんでいる「八ヶ岳高原 海の口自然郷」は開発以来、半世紀がたちました。共通の思いは、静かに暮らしたいというただひとつかと思います。 ところが昨年来そうもいかなくなりました。おぞましい事件や大規模な断水事故などは一過性ですが、暮らしと環境を大きく左右することが、どこからも説明がなく対策も示されぬまま、捨て置かれる事態が続きました。
きっかけは地デジ問題でした。自然郷は男山にある中継局からの電波を受けていたのですが、地形上、電波が届くところ届かないところ、富士見・唐沢地区のように管理事務所が敷設したケーブルテレビの増幅波に頼るところなど入り組んでいました。
そこに突然の地デジ騒動です。大した説明もないまま、総務省の文書の上では、自然郷の地デジ対策は「南牧村経営のケーブルテレビに加入する」地区とされました。その加入には南牧村が全国にも例がない23万円以上の加入費・工事費を要求して いる理不尽などは一切考慮せずに昨年放送が打ち切られました。
自然郷の有志が昨夏以来、個々に総務省、NHKなど放送局、関東信越電波管理局などに働きかけた結果、自然郷1300戸全体が「難視聴地区」と認定され、「B-CASカード」の番号を通知すれば衛星放送経由でNHKと民放の3局が視聴できるようになりました。
しかし、これはあくまで暫定的救済策でしかなく、新規の受付は平成24年3月末で打ち切られました。そこで、平成24年4月中旬、総務大臣宛に有志数名の名前で、@男山からの送信再開、A一方的に高額なケーブルテレビ経費の負担を押し付ける南牧村への行政指導、BBS経由での地デジ暫定受信の期間延長を陳情しました。
この間、個々の力は弱く、自然郷がまとまってアピールする必要性を痛感しました。地デジ以外にも、自然郷にはごみ処理、カラマツ伐採、ニホンカモシカとシカの食害、放置家屋対策、蝶の標本業者の侵入、外来植物による在来植物の後退・・・さま ざまなテーマが発生しています。互いの知恵を出しあって住みよい自然環境を作っていくために、志ある方々のオーナー会へ参加を呼びかける次第です。
(連絡先)最寄りの地区幹事(後日掲載) または==========================================================
参 加 申 込 書
区画番号: お名前:※上記に書ききれない分や、取り上げてもらいたい(困っている)テーマがあれば記入してください。
