詩と芝居と経営と:9 引退劇は失敗

■元セゾングループ代表・作家 堤清二(辻井喬)さん

 ――セゾングループ内では東京シティファイナンスのほかに、西洋環境開発が巨額の不良債権を抱えていた。いずれもバブル期の不動産投資が主な原因。西環は2000  年、東京地裁に特別清算を申請した。

 

1994年でしたか。(取引銀行の)日本興業銀行(現みずほコーポレート銀行)の頭取がちょっと会いたいと言う。行ってみると「あなたのところの西環は危険水域に  入っていますよ。どうしますか」と言う。やっぱりそうだったか、という思いでした。

 

西環への融資残高は第一勧業銀行(現みずほ銀行)が一番多かった。なのに説明は興銀からでした。銀行間で微妙な何かがあったんでしょう。僕に早く忠告した方がいいと  いう情け心があったのかもしれません。

■残高維持を頼んだ
 

僕は91年に引退表明してましたが、引退を完全にするには、一つだけはっきりさせておかなければいけないことがあった。僕は第一勧銀へ行って、頭取に会った。「私  はあなたのところへは一度も融資の依頼に行ったことはありませんでしたね」と言った。頭取は「そう、来てない。でも、役員の名簿を見たら、あなたの名前があった。だ  からあなたにも責任がある」という言い方でしたね。

 

僕は「じゃあ、私ができる限りのことはしますから、グループのほかの会社の残高維持は約束してほしい」と言いました。ほとんどの企業は黒字を計上していました。先方  は「お考えはわかります」と言った。そのとき、僕は「その代わり、私財を放出します」と言っちゃったんですね。

 

創業者利潤というのかな。西武百貨店、西友、レストラン西武……。持っている株式を計算したら時価100億円ぐらいだった。頭取は言いました。「他の銀行も説得しな  ければならない。私財提供のお話をもってグループ会社の残高維持を検討しましょう」

 

会社を助けないと、私は辞められないわけですから。「それでお願いします」と言った。第一勧銀にしてみれば「堤君は自らの責任をとって、計100億円を超す私財を  出した。だから、みなさん、残高を維持しようじゃありませんか」と言える。

 

でも、もともと、僕は裸一貫というのかな。全学連崩れで、手ぶらで商売を始めたわけですから。それで、グループのためになる、と言われると、そういう気に無理なく  なっちゃうみたいなところがありましてね。今、考えると、あまりにもさっぱり諦めすぎたかなあ。私財、洗いざらい出しちゃったから。

 

僕は西環の人たちに「絶対に、不動産を転がしてもうけようと思うな。確実に開発して、社会的価値を増やしたものを売りなさい。そうじゃないと虚業になるよ」と言っ  ていた。でも、やっちゃってるんだな。貸す方が、バブルの時にうまいこといってる。借りる方も自分が着服するわけじゃないから乗りやすいよね。

 

例えば、銀行から「ここに50億円あります。これ使いなさい。今土地に投資すれば、すぐ70億円になりますよ」と言われる。「いや、上から転がすなといわれている  」とは言いにくいわけね。いやあ、それは本当にいい勉強させてもらいました。

 

西環は三重県の志摩半島で「タラサ志摩スパアンドリゾート」というリゾート開発を手がけましたが、これも不良債権の一つでした。当時の西環の社長が「1週間後にオー  プンするから見に来てくれ」というので、行ったら山の中にこつぜんと巨大なビルが出てきた。「あれは何だい」と言ったら、「いや、あれが今日、お見せする……」と  言うわけです。

 

あれはしまったなと思いましたね。タラソテラピーという自然健康法を生かそうとした。確かに、欧州では盛んでした。ただ、それが志摩の山奥で成功する確証はないわ  けですから。バブルの影響もあったんでしょう。感覚が麻痺している経営者が出てきた。

■約束は破られた


 

でも、銀行との残高維持という約束は守られませんでした。僕の経験不足なんだろうけど、銀行は約束を破っちゃうわけですよ。当時、第一勧銀で総会屋を巡る不祥事が  発覚して経営陣が退陣して、知ってる人、いなくなっちゃった。後任の人は「文書残ってますか」と言う。僕が「こういうことは文書に残しようがないじゃない」と言う  と、残ってないと常務会を通らないっていう。

 

考えてみると、セゾングループ全体をみる人材がいませんでした。それは失敗ですね。僕の失敗。後継者づくりがきちんとできないまま、そのときの各社のトップ権限を  与えちゃった。権限委譲は悪いことではない。でも、委譲するには、いくつかの仕組みが、準備が、必要だったんだろうけど、それが十分ではなかったですね。条件をも  っと厳密に設定すべきだった。

 だから、どこも苦境にあるグループ企業を助けられないわけです。「うちはそんな余裕はありません」と。我が身が大事。もう私には権限がないわけですから、助けられ  ないような感じになっていた。どうしようもないですね。僕の引退劇は、失敗として展開されたと言うしかないですね。(聞き手=編集委員・多賀谷克彦)