国指定の天然記念物であり、環境省から準絶滅危惧種に指定されているこのかわいらしい小動物に一度は会いたい、と望むのは八ヶ岳の自然を知った人なら誰しも。 でもめったに出会えない。活動するのは夜間で、寒くなったらさっさと冬眠してしまうからだ。ヤマネを恋うるの記。



このビデオはこのホームページで最初の動画です。本文は下にありますが
2002年夏、出会ったヤマネ一家を撮影(名古屋の萩原義昭・萩原電気社長)
したものです。技術がなくてそのままにしてありましたが2003年
どうやらアップにこぎつけた記念すべき1分21秒です。

ヤマネのプロフィール                 かわいさの極致


ついにヤマネと出会った!             触ることもできた

ヤマネ捕獲作戦                     専門家の手を借りて

ヤマネが森に帰った日                また会う日まで

「森の忍者・ヤマネ」(NHK)を見て        すばらしい記録映像です

豪邸を用意しました                   使ってネ

冬眠中のヤマネの動画                つついても起きません

ヨーロッパヤマネの写真集             かわいい写真をネットから

ふとんの間で冬眠中のヤマネを発見    毎年のようにヤマネ来訪

八ヶ岳のヤマネが宇宙旅行へ          壮大なことになってきた


番外編  
 
ヒメネズミの話                       似ているけどお呼びでない

家人お気に入りのキツネを紹介      毎晩日暮れとともに家族で現われる

目の前にテン(貂)がやってきた       ある朝突然珍獣が出現した

ヤマネのプロフィール

ヤマネ
背中の黒い筋がヤマネの特徴
よく知る人の記述によると、ヤマネはこんな動物だ。

姿はリスとネズミの中間。背中に1本黒いスジが通っているのが見分けるポイント。学術的にはネズミ目・ヤマネ科に属し齧歯類(げっしるい)に入る。一属一種の日本固有腫ながら存亡の危機に さらされた危急種で、国指定(1975年)の天然記念物になっている。

冬眠するのが特徴で、漢字ではその通り「冬眠鼠」と書く。英名はドーマウス(Dormouse)。直訳すると「まどろみ鼠」。本州以南の低山帯下部から森林限界までの山地の森林中に棲む。 北海道には棲まない。頭胴長8センチ、尾長5センチほど。ずぼらな性格で、そのへんの他の小動物の巣を借用するし、冬眠中風で巣から吹き飛ばされても そのまま寝ていたりする。マリのように転がっているから「マリネズミ」とか、雪上で凍ったまま発見されたりするから「コオリネズミ」、ほかにキネズミ、タマネズミなどよく特徴を現わす地方名がついている。

雑食性で、初夏はキイチゴ、夏には昆虫、秋にはアケビ、ヤマブドウを食べる。どちらかというと 主食は蛾やトンボ、クモなど昆虫のようだ。夜行性で単独で行動する。日没とともに活動、日の出前に巣に戻る。暗闇用のセンサーとして細くて長い触毛が鼻の周りや目の周りに生えている。

ヤマネは定温動物(恒温動物、温血動物とも。哺乳類、鳥類は周囲の温度が変わっても体温を一定に保つことができる。 そのほかは変温動物という)でありながら冬眠することで知られ、関東地方では11月半ばごろには冬眠に入る。 普段は体重15−20グラムほどだが、冬眠前だと脂肪を蓄え丸々と太って体重は夏の二倍ほど、30−40グラム にもなる。 冬眠中の体温は6〜10度に保たれ、触れると冷たい。寝姿は熱が逃げないように足を抱え込み尾っぽで覆い体を 球のように丸くする。いったん冬眠に入るとあとは省エネ生活で、体温が危険域まで下がると少し燃焼させるほか は春まで白河夜船の昏睡状態。ひたすら眠る。この省エネ生活のおか げで、齧歯類の寿命の倍ほど、7−8年は生きることができるのだ。春めいて気温が14度くらいになると目覚める。このヤマネ型冬眠をするものには、シマリスが いる。

ヤマネ1
山苔でつくった巣から顔を覗かせたヤマネ
でも、魅力を伝えるには不十分だ。写真を見ればいいのだがこれがまた、素人ではめったなことで撮影は出来ない。本(「ヤマネ-森に遊ぶ-」、西村豊著、講談社)やビデオ(「森の妖精 ヤマネ」西村豊監修、講談社)を買ってきたが、これも雪の中で冬眠する姿で、ビデオも静止画が多いのをみてもその困難さがわかろう。 ここで紹介するのもネットから拝借してきたものだが、一度でいいから自分のカメラで撮ってみたいものだ。

実は、一度だけ出会ったことがある。このログハウスを建てて間もない、秋も深まった頃だ。夜、本を読んでいたのでテレビも付けていなかったからわかったのだが、野菜が入った籠ががさがさする。危険な動物はいないことはわかっていたので、不安はなかったが、やがて、ひょいと顔を出したのがヤマネだった。 といっても、そのときは名前も知らない。ネズミとは違うなにかかわいらしい動物としかうつらなかった。調べるうち、魅力にとりつかれた。小淵沢に近い原村に和歌山県の中学校の先生がヤマネ研究のために滞在していることを知って、訪ねて行こうとしたこともあった。

ヤマネ2
ヤマネは一年の半分は寝て暮らす
一方、我が山小舎のがさがさは何年にもわたって続いていた。ベッドの枕の下、コップの中、冷蔵庫の裏からヒマワリの種がわんさと見つかる。こんな貯食の習性があるのはリスだ、同じようなヤマネもするに違いないと考え、わざわざヒマワリを置いて帰ることもした。でも、被害もひどいことになってきた。毛皮のコート類がみなむしられて、穴を開けられる。 冬支度をして外に出るとコートを引っかけた家族の衣類が穴だらけという始末。

あるとき管理事務所の人に「ネズミの便はころころしていて、ヤマネはべったりしてますがどちらですか」といわれた。うちはころころ型だった。清水の舞台から飛び降りる心境でねずみ取りを仕掛けたのは98年の秋だった。かかったのはヒメネズミだった。 ヤマネもヒメネズミも「家の中にどこから入ったのかわからない」のが特徴だという。ヒメネズミがだめでヤマネはいいという人間の手前勝手は申し訳ないのだが、ヤマネに会いたい、という気持ちは募るばかりである。

1.5キロほど下に医者をしているいとこ夫婦の山荘があるのだが、99年事件が起こった。トイレでヤマネが水死していたのだ。水を飲もうとして、つるつるした陶器なのではい上がれなくなったという気の毒な事件だが、これで2度目だった。 それほど狭いところに、どこからか入ってくるという困った習性なのである。そのときは埋葬してやって、以後、帰る時には便座周囲をテープで巻くという心優しいことでしのいでいるが生きているヤマネを見るのは至難のことなのだ。登山中の山小屋で、夜やってきたヤマネに手を出したら指をかじられたというサイトの記述を見たりするとうらやましくて仕方がない。

我が山墅のすぐ下にある清里の清泉寮にある財団法人、キープ協会がヤマネの保護に熱心で「やまねミュージアム」を設立して保護と研究に取り組んでいる。 下で紹介した湊秋作氏が館長をしている。そのホームページで折々の季節のヤマネの生態の紹介と写真、ニュースを 見ることができる。「やまねミュージアム」はわが国唯一のヤマネの研究保護センターで、夜行性の習性に合わせて夜間の観察会なども開いている。入館料 おとな420円。開館日:土・日・祝日(月〜金は団体専用日:要予約)

ついにヤマネと出会った!

この山小舎を建ててから15年、片鱗しかお目にかからなかったヤマネ だが、2002年8月3日と15日、たてつづけに二度も”接近遭遇”した。 それも写真は撮らせる、手には乗るというサービスぶりで、居合わせた 家族や知人ともども大フィーバーだった。

「こさかい」さん宅で出会ったヤマネ。
まもなく林に帰っていった。

八ヶ岳に出かけた翌日、すぐ下の美鈴地区の「こさかい」さんから電話が かかった。以前このHP「八ヶ岳の東から」を見て「まりのかあさん」として メールを頂戴したことがあり、ご主人や娘さんとでお訪ねいただいたことが ある。

「今ヤマネがいます。しばらくぶりにやって来たら、台所の裏にいました」との ことで、1キロほど下の山荘にかけつけ、はじめてヤマネと対面した。 他にもいたのだろうが、うろうろしていた1匹だけつかまって、私が来るまで ゴミ箱の中に入れられていた。手に乗せるとピョンと飛んで、空いていた戸から 林の中に消えた。つぶらな目が印象的だった。

それからすぐ我が家恒例の夏のイベント、八ヶ岳杯コンペが開かれた。ことしで 十数回を数え親戚、友人など20人ほどが参加する。ゴルフをしない人までやって くるが、我が家だけでは収容できないので2キロほど下に山荘を構える従妹夫婦 のところと分宿する。娘の婚約者も初参加していた。この日は我が山小舎で前夜祭 ということになっていた。

従妹夫婦が持参した紙袋の中には
つぶらな瞳のヤマネの母さんと
4匹の子供が・・・

上がってきた従妹夫婦が紙袋を差し出した。開けてびっくり、母親ヤマネ1匹とヨチ ヨチ歩きの4匹の赤ん坊ヤマネが肩を寄せ合っていた。(写真右)

この日到着して掃除をしていたら、冷蔵庫の横に、今年工事をした時出たカンナ くずを持ち込んで巣を作っていたという。父親も居たのかもしれないが、見つけた 時は5匹で固まっていたそうだ。

翌日のコンペに出るほぼ全員が居合わせたが、全員ヤマネを見るのは初めて。名前も初 めて聞くという人もいて、ビデオやカメラを持ち出しての大撮影会となった。このページの一番上に ビデオをアップしてあるが、音声も入っているので聞いていただくと分かるがみな興奮している。 もっとも奥の方でヤマネなど我関せずで飲むのに専念している声も入っている。この人たちは 後日、ほぞをかむこととなった。
こんなに近くでヤマネを見るのは初めてだが、
おびえるでもなく 親子でモデルをつとめていた。

落ち着いているのをいいことに、母ヤマネを順番に手に乗せて撮影しているうちに、母さんヤマネが突然ピョンと飛んだ。テーブルくらいの高さから ジャンプする能力があることも知らなかったから驚いたが、床にペシャッと着地して大急ぎで台所の流しの後ろに 入り込んでしまった。

手のひらに乗った赤ちゃんヤマネ。 赤ちゃんでも、背中にはすでに特徴である
1本の黒い筋が現われている。

結構な高さのジャンプだったが別段ケガもしてないようで安堵した。だが、これからが大変だった。撮影会がすんだら林に帰してやることにしていたのだが、逃げ込んだとこ ろは解体作業でもしないと届かない奥深いところ。それよりも、残された赤ちゃん4匹はまだ 自分でエサも取れないから、このままでは死んでしまう。

すぐ近くの清里にある清泉寮はソフトクリームで有名だが、ここはキープ協会がやって いて、「やまねミュージアム」が併設されているのを思い出した。ヤマネの保護、育成、研究をしている。 電話して相談すると「必ずこどものところに戻ってきますから、近くにこどもが入った袋をそのまま 置いてください。食べるのはリンゴとかヒマワリの種とか蛾とかの昆虫です。巣を作り直すのに必要ですから ティッシュペーパーなども近くに置いてください」とのことだった。

その深夜、目撃した人の話では母ヤマネは子供を1匹ずつくわえて裏に運び込んでいたという。 手に吸盤でも付いているのか、垂直の紙袋を難なく上り下りしていたという。意外な能力も持ち合わせているのに驚いた。

これはヤマネの母さん。そばの乾電池と
比べると その小ささがわかる。

一件落着したように見えるが困ったことになった。ヤマネ一家5匹が逃げこんだところは、流しの裏だが 昨年ヒメネズミの跋扈に悩んで、業者に頼んで、床下の水回りでネズミが入り込めそうなところは みな塞いでもらったばかり。つまり入れないということは、ヤマネ一家が出て行けないということでもあるのだ。

エサを与えられる今はよいにしても、冬は水もエサも不足することになる。加えて彼らのずぼらな習性がある。 気温がマイナス十数度になると木の上などからポトンと落ちてその場で冬眠するという。 それゆえにキツネなどに食べられて、数が減ったというのだから困ったものだ。 皆で穴の入り口近くにリンゴやピーナッツ、蛾も食べるというので急いで捕虫した昆虫も並べて一家のご機嫌伺いに熱中した。 翌朝かなり食べているのでほっとした。その後の観察で、すき焼きなどに使う牛脂も食べているのがわかった。これは専門家も知らない発見だ。

「こさかい」さんからメールが来た。「冬にしばらく家を空けるときは食料品は密閉容器に入れた方がいいですよ。 米を袋のまま置いておいたら、ヤマネがせっせとやかんの中にため込み、ティッシュで口をふさいでいたそうです。 父はそれに気づかずにティッシュだけ取って水を入れて沸かし、やかんでお粥を炊いてしまいました。 今頃お宅がどうなっているか、ちょっと期待(失礼)してしまいます」とある。

さてこの先どうしたものか。

ヤマネ捕獲作戦

秋が深まるとともに心配になってきた。親子5匹はあれっきり姿を見せないが、リンゴ、ヒマワリ、牛脂のほかにバター にまで歯型がついている旺盛な食欲ぶりから元気なのはわかっていた。

問題は近づく冬である。大きな声ではいえないが、夏前に私ひとりと犬2頭でやってきた時、居眠り運転で八ヶ岳高原 ロッジの少し手前で立ち木に突っ込んだ。人畜に大した怪我はなかったが、4WDは大破して廃車になった。 補償した立ち木修復の請求書と村の駐在さんへの事故届に痕跡をとどめているほか、くだんの立ち木は今も腹巻姿で、 立っていて、通るたびに申し訳ない気持になる。

これ以来、我が家で残るのはセダン1台。これで冬場凍った道路をやってくるのは気が重い。昨年までの頻度は望むべくもない。 ということはヤマネにエサをやるにも事欠くわけだ。来春、ヤマナシの木の立ち枯れやヤマネの餓死の報に接するのは忍びない。

で、上述した清里・清泉寮の「やまねミュージアム」に相談した。「11月ごろから4月までが冬眠期間でこの間エサも水もとりません」という。 じゃあ死ぬことはまあなさそうだと一安心したが、湊秋作館長も出てきて「体重15グラム以下だと越冬はむずかしい。20グラムはないと・・・」という。 8月に見たこどもヤマネ4匹はひよわだった。その後どのくらい育ったか調べるすべはない。流しの奥深くはいったままだから。

「わかりました。調べてみましょう」と湊館長がトラップ(わな)5個を持ってやってきてくれた。カステラの容器みたいな形で、 好物のリンゴなどを食べたとたん後ろの扉が閉まる仕掛けになっていて、ヤマネを傷つける心配はない。翌朝早くも1匹かかっていた。

引き取りにみえた湊館長と酒を飲みながら話しているうち、この項の始めに「小淵沢に近い原村に和歌山県の中学校の先生がヤマネ研究のために滞在していること を知って、訪ねて行こうとしたこともあった」と書いたが、湊館長がまさにその人だったことがわかった。ただし滞在先は原村ではなく、また小学校の先生だったそうだが、 その後和歌山からこちらに移り住んで、研究に没頭しているという。不思議な縁だ。

一見写真のように見えるが、ぬいぐるみ
とワラで ヤマネの巣を再現してある。
右に写っているのが本。

その夜、いろいろ珍しい習性をうかがった。上の記述もかなり間違っていることがわかった。それくらいまだ分からないことだらけのヤマネだという。 「ねぼすけねずみ ヤマネ」(湊秋作著、ワークショップ・ミュー発行、1800円)=写真左=という出版されたばかりの本を頂戴した。 これに新しくわかった習性や食べ物のことがくわしい。

捕獲した1匹はえらく元気で、移し変えたケージの中を走り回っていた。だがみたところ14グラムほどだろうという。あと6グラムほど足りない。 冬眠まで残り1ヶ月ほど。「できるだけ太らせてみます。今年中に20グラムになったら林に帰してやりますよ」と言って頂いて、 残りのヤマネの捕獲や環境省への届(天然記念物なので飼育には許可が要る)などもおまかせして帰京した。その後3匹がトラップに かかった。母親ヤマネもいた。残るはあと1匹だ(2002年10月末現在)。いずれも体重不足で、1匹は死んだもののあとは元気だという。規定体重までケージ で飼うのでヤマネに名前をつけてくださいといわれて家族で頭をひねった結果、ママが「風(ふう)」と名づけた。迷い込んできた風来坊であり、Who are you?のWho だ。雪が降る前に我が山小舎の敷地に放せるだろうという。

ヤマネが森に帰った日

冬眠中のヤマネ
ヤマネの冬眠スタイル=「やまねミュージアム」提供
11月はじめに3連休があった。久しぶりに我々夫婦と犬2頭で八ヶ岳に出かけようとしているところに、湊館長から電話が入った。 「3匹とも元気に育っています。規定体重になりました。今年は冬の訪れがとても早く、時間がないのでもう山に帰します」という。実は 「風1」「風2」「風3」と会いたいので、出来ることなら家族の目の前で放してほしいと願っていた。でも、自然が相手ではやむをえない。

夕方到着した時は雪の花が舞っていた。私は長年、「氷点下10℃くらいで冬眠する」と思っていた。ところが、前回ヤマネミュージアムの女性館員の方に、 「最近の観察では0度前後で活動がにぶってきます。ですから、このあたりでは11月にはもう冬眠に入るのが出てきます」と教わった。起きるのは4月 遅く気温が10数度になってからだというから、まるまる半年寝ていることになる。この間水も餌もとらない省エネ生活だ。

ひたすら眠る。
11月から4月下旬まで半年間も。
この姿から毬ネズミの名も
前回、湊館長がみえたとき、酒を呑みながら「小原庄助さんも顔負けですね」「冬眠中は、体温が下がりすぎて危険になると、少し脂肪を燃やして体温を上げますが、呼吸の音も、匂いも いっさい出しません。だからキツネなど冬に林を徘徊する動物のセンサーにもかかりにくいんです。これで、氷河期から生き延びてきたんでしょう」 という会話をした。

翌朝、林に鳥の巣箱のような箱があった。「風1」「風2」「風3」の3匹はこれに入れられて運ばれてきて、夜の間に自然に帰っていったのだろう。鳥の巣箱が5つほど林間に下がっているので、 念のため覗いてみたが空だった。どこを見渡してもそれらしき痕跡もなかった。まるで忍者が林に隠れたようだった。

悲劇はこのあと見つかった。ママが「ヤマネが2匹、流しの中で死んでいる!」と大声をあげた。ここの水はまだ凍っていなかった。飲みに来て、垂直の排水口を上がれなくなったらしい。 かわいそうなことをした。冬の訪れがさらに早くて、凍結がもっと早かったら、と思わないでもなかった。研究用の標本にしたい、という「ヤマネミュージアム」に放生箱(私の勝手な命名です) と一緒に届けに行った。 彼らの死も少し報われるような気がした。

しかし、勘定があわない。8月15日見たときは確かに親子5匹だった。林に帰ったのが3、死んだのが3、計6匹だ。どこからか さらに1匹やってきたのだろうか。でも山小舎に彼らの出入り口がないことがこの騒ぎの発端だった。首をかしげているうち激しく雪が降り出した。 11月4日もう積雪5センチ。今年の冬は1ヶ月早い。林に戻った3匹はもう冬眠に入ったに違いない。

「森の忍者・ヤマネ」(NHK)を見て 

2004年1月19日よる、NHKの地球・ふしぎ大自然シリーズの「森の忍者・ヤマネ」が放送された。知らない方含め3人から事前にお知らせいただいたので、 見逃してなるものかとビデオもセットして拝見した。甲府放送局の制作なので八ヶ岳といっても「やまねミュージアム」がある山梨県高根町(清里)が舞台で、私たちがいる こっち側(長野県)にもたくさんいるよ、といいたかったが、シラカバの洞(うろ)にああして寝ているのかとか珍しい映像が楽しかった。

一番驚いたのは、ヤマネが走る速さである。ヤマネのビデオを買ってきたり、このページの一番上で紹介したように我が家での姿をビデオで撮ったりしたのだが、冬眠中 だったり、こどもを守っているところで、じっとしている姿ばかり目立った。夜間あんなにすばやく枝から枝へ移動するとは知らなかった。カメラが追いつけないほど早いのだ。


レンジャー部隊のように細いロープのような枝に両手両足でぶら下がって走る秘密も解き明かされていたが、ここでテレビにも出てこなかった特ダネをひとつ。 なに、テレビ制作に協力、かつ画面にも登場していた湊秋作館長からの受け売りなのだが、イギリスにもヤマネはいるのだそうで、そこの研究者と話していたら向こうの、つまりヨーロッパのヤマネは日本と違い、枝の上を 歩くのだという。ユーラシアの両端で、氷河期からいるヤマネが枝の上と下とに分かれた原因は何か。これが東西の研究者の目下急務の研究テーマなのだという。

面白い!この魅力的なナゾ解きの研究に参加するだけの生物学の知識を持ち合わせてないのは残念だが、結果を早く知りたいと思う。とりあえずNHKはしっかり録画した。 今夏からは、何も知らないでやってくる無知な連中にムリにでも見せてやろうと、てぐすね引いている。

豪邸を用意しました

こんな立派な家まで用意いたしました。

敷地にヤマネを放して2年たったがいっこうに姿が見えない。習性が、気ままかつ夜遊び型だからめったに出会うことがないのはわかっているが 、どうにも寂しい。なんとか近くに来てもらえないか。知恵をしぼった挙句、彼らに住宅を提供すればいいのではないか、と思い至った。住んでくれれば 姿を見る機会が増える。

2004年6月にテネシー州に行ったとき何かないかと探したが、ヤマネの英語は何だっけ(dormouseというが、思い出せなかった)、だいたいアメリカにいない のではなかったか、など考えているうち時間が過ぎた。リスはかなり大きな営巣をする。エサ台や遊び道具や撃退道具はあっても住まいはなかった。 日本に戻ってホームセンターを覗いたら「セキセイインコの巣箱500円」というのがあった。入り口の大きさといい深さといい、うってつけだ。そのままでは そっけないとママが「Welcome Yamane !」と絵の具で歓迎のメッセージを書いた。このメゾネットタイプの豪邸をシラカバの木の上にすえつけた。

冬になった。写真のように雪が降った。魅力的なヤマネ御殿だ。だが、彼らが入居したかどうかわからない。なにせ、連中は寒くなると冬眠する習性だ。 中で眠っているのか、空き家なのか確かめる術はない。でも家族はみな中で眠っていると信じている。



冬眠中のヤマネの動画 

ヤマネの姿をとらえるのは難しい。まして動く姿となるとまず素人では無理だろう。2011年11月そのヤマネの姿がインターネット上にアップされた。しかも 冬眠中の姿が。 「Snoring Dormouse」というタイトル(Snoring は「寝言」)の動画をみると、ほとんど”人事不省”状態である。手の平に乗せられていること も知らず、ときどき口をパクパクしたり手をパタパタさせる姿があまりに可愛い、というので、動画サイトにアクセスが殺到したと外電にあった。

動画をアップしたのはイングランド南東部のサリー州野生動物トラスト会の哺乳類主任のデーブ・ウィリアムスさん。イギリスのヤマネは一生の3分の1は 眠って過ごす。動画では冬眠中でも大きな寝息と寝言を言うかのように口をパクパクさせ、寝返りでも打ちたいのか手足をパタパタさせている様子が見て取れるが 「これだけぐっすり眠っていてはちょっとやそっとでは起きないでしょう」とのことである。


こちらはドイツのヤマネ。やはり冬眠中で、同じように寝言を言いつつ熟睡している。

最近ではヤマネの動画をアップしてくれる研究者も出てきたので、検索に英語で「dormouse」、フランス語で 「Loir gris」、あるいは「hibernating」(冬眠)とか打ち込んで探すと”新作”にあたるかもしれない。

ヨーロッパヤマネの写真集(ネットから収集)

このサイトに「ヤマネに会いたい」をアップしたのは2001年だが、その頃はインターネット自体が揺籃期で、記事にも写真にもめったに出会わなかった。それが、ネットの普及ととも に、いまでは数多く紹介されるようになった。「かわいい」と思い、ヤマネに入れ込む人の心情は東西共通なのであろう。

ヨーロッパヤマネ
フランス・ドーバー海峡近くのヨーロッパヤマネ
2017年正月、ネット検索したら、おびただしい数の画像を見つけた。ただ、みな「ヤマネ」で片づけているが、「日本ヤマネ」と「ヨーロッパヤマネ」「オオヤマネ」の区別を知ってお いたほうがいいと思うので概略を書いてみる。

「日本ヤマネ」 は上で詳述したように、日本だけの固有種である。小さくて背中に一本黒い縦じま模様があるのが特徴だが、ほかのヤマネにはこの縦じま模様がない。


ヨーロッパヤマネ
これはヨーロッパヤマネ
「ヨーロッパヤマネ」 はイタリアからイギリス、ヨーロッパ、ロシア 西部までのヨーロッパにおもに分布するヤマネで、体色は美し い赤褐色、長い毛の生えた尾をもつ。体長6〜9センチ、尾長7〜7.5センチ、体重15〜40グラム。

ハシバミで巣
ハシバミの葉や茎、コケで作ったヤマネの巣
習性は他のヤマネ類に似るが、森林、とくにハシバミの茂みの地上1〜2メートルの高さに草 の葉やコケを集めてしばしば巣をつくり、ハシバミの実 を好んで食べる傾向がある。気温が15〜16℃以下に下がるようになると地下で冬眠に入る。冬眠期間は9か月に達することがある。(Wikipedia)


ヨーロッパヤマネ イギリスのヤマネ
ヨーロッパヤマネただいま熟睡中 イギリスのヤマネも熟睡中

オオヤマネ
オオヤマネ
「オオヤマネ」 はヤマネ類のなかで最も大きく、尾を除いて14-19センチ、それに加えて尾が11-13センチほどになる。体重は1 20-150グラム程度だが、冬眠直前にはその2倍近くになることもあ る。体はリスに似ていて、耳は小さく、脚は短いが、足は大きい。体のほとんどが灰色か灰色がかった茶色の毛に覆われており、白い肌の露出した腹部とははっきりとした境界がある。他 のヤマネ類とは違い、眼の周りの淡いリング状の部分を除けば、顔に黒い模様はない。尾は長く、体の毛よりもわずかに色の暗い毛に覆われている。

オオヤマネは他の動物に尾を掴まれると、尾の皮膚は容易に破れて中の骨から外れるので、オオヤマネは逃げることができる。その後露出した脊椎は折れて外れ、傷は治癒する。

古代ローマでは養殖され、主に軽食として食べられていたため、英語では食用ヤマネ(Edible dormouse)と呼ばれる。今日でも、野生のオオヤマネはスロベニアで食用になっており、珍味と みなされている。(Wikipedia)

オオヤマネ生息地
オオヤマネが生息する地域
いやはや、ローマ人から今に至るまでグルメの対象になっていたとは驚きである。オオヤマネの生息地は右の地図にあるように、ヨーロッパ中央部からギリシャ、イタリアにかけてである。 イギリスにポツンと小さくオオヤマネの生息地があるが、その理由が、昔英国貴族が飼っていたいたのが逃げ出して狭い地域で繁殖しているためだという。

木の上を歩く
木の上を歩くのもいれば
ぶら下がって歩く
日本と同じくぶら下がって歩くのも

ヨーロッパヤマネは地図で残りの部分、フランスなどの沿岸部に生息している。上でイギリスのヤマネは日本とは逆に枝の上を歩くと紹介したが、画像を見てその発信地を見ると、 フランスやドイツでは日本と同じく「下にぶら下がって歩く」ヨーロッパヤマネもいるようだ。

ネットでは、こうした区別が一切書かれていなくて写真や動画だけポンとアップされている。研究者でもないから仕方ない、読むほうでこうした知識を持って区別するしかないが、 かわいさは東西同じである。とはいえ、ヒメネズミと見まごう外国のヤマネに比べ、黒い一本筋が入っている日本ヤマネのほうが数段可愛いと思うのは私だけではあるまい。

ふとんの間で冬眠中のヤマネを発見(2013年春) 
湊館長の話では清泉寮の「ヤマネミュージアム」に保護されるヤマネの多くはサイトの亭主がいる海の口自然郷からやってくるという。それほど多いということだが、春になるとお あちこちの山荘で「どこから入ってきたのかわからない」ながら冬眠中のヤマネとの出会いの話でもちきりだ。

冬眠中のヤマネ
2013年小船山荘のふとんの間で冬眠中のヤマネ。

音楽堂の前に練馬で開業医をしている従妹夫婦の山荘があるのだが、毎年のようにヤマネが出産する。上でサイトの亭主の山荘でのヤマネが台所の裏に逃げこんだ騒動の顛末を 紹介したが、この時のヤマネの親子もこの従妹の山荘からやってきたものだ。2013年春には長男夫婦の家族が2Fのふとんの間で冬眠中のヤマネを見つけた。右がその時の写真だが、 手にとって撮影したりしているうちに人間の手のぬくもりで冬眠からさめはじめたかもぞもぞ動き出したのであわててふとんの間に戻してやったという。1か月程後に行った時にはヤマネはどこかに消えていたという。

大きさからみるとおとなのヤマネのようだ。冷蔵庫の横だったり階段の途中だったり、今回のようにふとんの中だったり場所は違うが毎年のようにやってくるのはどこが気に入られたのかと一同喜びつつ不思議がっている。 この山荘ではコウモリもまた毎年のように部屋のなかに入っていて訪問客を驚かせている。



八ヶ岳のヤマネが宇宙旅行へ

冬眠から覚めたヤマネ(やまねミュージアム提供)
ヤマネの冬眠能力を宇宙旅行に活用できないか調べるため2015年、八ヶ岳のヤマネがロケットで打ち上げられるという。以下はその新聞記事だが、同時にあの 「やまねミュージアム」の湊秋作館長が関西学院大教授(動物行動学)に就任していたこともわかった。小さいヤマネの壮大な計画に胸が躍る。

ヤマネ:宇宙の寝心地は…ISSで冬眠実験へ

 八ケ岳山麓(さんろく)に生息する国の天然記念物、ヤマネを国際宇宙ステーション(ISS)で飼育する計画が進んでいる。冬眠時に体温を0度近くまで下げ  、覚めるとすぐに活発に動く特異な性質を無重力下でも調べ、人類の長期の宇宙滞在に生かす狙いだ。人工冬眠しながら宇宙旅行――。小さなヤマネがSFの  ような夢を開くかもしれない。

   石原昭彦・京都大教授(宇宙医学)▽「やまねミュージアム」(山梨県)館長の湊秋作・関西学院大教授(動物行動学)▽宇宙航空研究開発機構(JAXA)の石岡憲昭教授らの研究グループ。人が宇宙に長期滞在する際、無重力状態が体に与える影響が大きな課題になっている。重力の負荷がないため、次第に筋肉が 萎縮し、骨密度も減ってしまうのだ。

   ヤマネは成体でも体長8センチ、約20グラムの小型哺乳類。体温を0〜5度に下げて冬眠し、飲まず食わずで半年間眠り、目覚めると元通りに動き始める。筋肉や骨を保つ仕組みを持つとみられ、研究グループが注目した。

   JAXAは2015年冬にISSの実験棟「きぼう」に設置する小動物実験装置を打ち上げる。これでヤマネを宇宙に運び、無重力で冬眠するか、冬眠前後の体の状態はどうかなどを調べる予定。 (2014年02月06日付毎日新聞)


ヒメネズミの話

日本名の「姫(ひめ)」は小さいことからついた。体長8センチくらい。北海道から九州まで、高山から低地まで広く分布する森にすむネズミ。 日本特産種。木登りが得意で長い尾を器用に細い枝にからめて体を支えながら登る。ヤマネと違い冬も活動する。

ヒメネズミ
可愛いけれど我が家では嫌われ者のヒメネズミ(森林総研HPから)
虫や木の実を食べる雑食性だが、臼歯(きゅうし)が小さいので繊維質のものは苦手。そのせいか野イチゴや、消化のいい高たんぱく の虫などを好む美食家。 落ち葉の下や地面の穴に木の実や種子の食料を蓄える貯食の習性がある。でもリスと違い、隠した場所は覚えていて、 きちんと食べるそうだ。

1905年についた最初の学名は「ゲイシャ」。初めて採集したイギリスの学者が「Geisya mouse」としたが、現在は違う学名がついている。 ヒメネズミは山の自然度を測るバロメーターとされる。都会のドブネズミとクマネズミが高山に進出したことがあり、このときはライチョウが襲 われたりしたが、やがて寒さに適応できなくなり、高山の森はヒメネズミの天下に戻ったという。森の木が切られると、体が大きいアカネズミが進出してくるの で、ヒメネズミが多いことは森の自然度が高いとされる。フクロウやキツネが食べ、森の食物連鎖の上でも大事な役割を持っている。

夜行性で、危険な昼間は穴にもぐっていてほとんど見かけない。春先、雪解けのとき地面に縦横に掘られたトンネルが出てくる。冬は雪の下で自由に行き来 しているようだ。我が家では邪魔者扱いだが、よく見ると大きな目がかわいい。近ごろは駆除するのに気が引けるようになった。

なぞの穴をあけたのは? これは何の穴?
2002年1月のこと。大雪のあとで行ってみると、野鳥とリスのえさ台(といってもそうめんのあき箱ですが)の上もご覧のような雪。その下に写真のように横穴があいていた。
これがヒメネズミの仕事なのだ。彼らはここにえさがあるのを知っている。少しの雪なら上から掘ればいいが、この大雪では遠いので、横から最短距離にトンネルを掘ったのだ。 ピーナッツの殻が「かまくら」の中にあった。彼らはこんな賢い行動もみせてくれる。
家人お気に入りのキツネの紹介

キツネ
これが我が家のキツネ(2009年9月26日)
この「ヤマネの項」を拝借してヤマネの天敵ではあるものの、毎晩現われ、家内とは”友人”関係を築いている「我が家のキツネ」を紹介します。

我が山墅(さんしょ)ができてすぐの頃の厳冬でした。周りはすべて冷凍庫のようなものなので、翌日使う予定のすき焼き用の牛肉をポーチ (屋根のあるベランダです)に置いといたのですが、翌朝見あたりません。わざわざ取り寄せた米沢牛なので、あわてて探したら縁の下に転がっていました。かなり 大きく重いコチンコチンの氷塊になっていて大人でも持ち上げるのに力がいるというのに10メートルほども動かしていました。せっせと 巣にでも運ぼうとしたのでしょうが、家人が起きてきたため、あわてて放り出して逃げたものと見えます。

その犯人ですが、オコジョ、ハクビシン、テン、キツネ、タヌキ・・・いろいろ容疑者の名前が挙がりましたが、分かりませんでした。その後もフライドチキンの骨などを 出しておくと翌日無くなっているのですが姿は目撃されませんでした。3年目くらいに、夜ポーチの照明をつけた家人がちょうど骨をくわえて逃げるキツネを見かけ、ようやく やっと誰が犯人か分かったのです。

この写真を見たママが一目で「これはリーガだ」と言いました。なんでも前年春現われたときにガリガリにやせていたので「ガリ」と名づけたものの、ちょっと気の毒な 命名に思えて「リーガ」にしたと言います。

野生はこんなものかと思うのですが、我が家のママに言わせると「やせすぎている。きっと山は食糧難なのだ」ということです。人里に出てきたクマが射殺されたというニュースを 聞くと涙を流す人なので、山は食糧難と決め付け、かつ同情するのにそう時間はかかりません。こちらも協力してクマのために敷地にはミズナラの苗木をたくさん植 えています。実は八ヶ岳にはクマはいません。でも、リスなどドングリを当てにしている動物はたくさんいるので無益ということにはならないと思って続けています。

このあたりではキツネが食物連鎖の頂点にいる動物なのですが、やせているのは獲物が少ないのかもしれないと、その後食べ物の余りを切り株に置いたり、これは私の発案ですが東京の ラーメンのダシにでもする大きな牛脂の塊を業務用スーパーマーケットで買ったり、高速の下り口にある肉屋に頼んで切り捨てた牛脂を貰ったりして山に 運ぶようになりました。

春には家族で秋には子別れがすんだのか1頭で来るリーガ
(2010年9月19日)
長い交流なので向こうも慣れてきて(特に家内に)灯りをつけても驚かないばかりか、春先だと家族全員4,5匹を引き連れて母親らしいのがみんなにいきわたるように気を配っている 姿も見えます。子供らしいのが順番に餌の牛脂に現われるそばで母親が見張っているので、そうだと思うのですが。カメラを構えてもこちらを見たまま逃げないほどです。 写真(2009年9月26日撮影)はそうした瞬間のものですが、なんだかポーズを決めているようにさえ見えます。

左の写真は2010年9月19日撮影のものですが、春よりふっくら太っているように思います。バーベキュー用のU字溝のふたにあるのは牛脂、青いプラスチックの皿にあるのはてんぷら油の廃油です。ネコかキツネか忘れましたが怪談もので行灯の油をペローリペローリ と舐めている話を聞いたことがあるので、試したところ、大好物と判明しました。



目の前にテン(貂)がやってきた

ちらり捉えたテンの後ろ姿(2013年8月29日)

八ケ岳に山小舎を建てて長年、といっても、かれこれ20数年になろうが、窓ガラスの向こうにバードフィーダーを並べてやってくる野鳥を飽かず眺めているが、2013年 8月29日初めて姿を見せた動物がいる。

テン(貂)である。といっても、それまで名前は知っているもののじっくり見たこともないし、正確な姿を認識しているわけでもなく、当初は「かもしれない」といった 程度で、のち調べて確認したのだが実に愛らしい顔をしている。

餌場といっても差し渡した丸太に板切れを乗せ、ヒマワリの種とピーナッツ、それに水を提供しているだけである。水はとびきり上質の八ケ岳の「天然水」だが、ヒマワリと ピーナッツは中国産である。「カラの巡邏(じゅんら」と言われるシジュウカラ、コガラ、ゴジュウカラなどが入れ替わり立ち代わりやってくるが、彼らは中国産だから といって別段文句も言わないので安さ第一でやっているが、今年からこれに沖縄の黒糖と牛脂が加わった。

家内の姉の友人が島の地主だとかで毎年「年貢」のようにたくさんの黒糖が届く。そのおすそ分けにあずかっているのだが、使い切れないので水に溶いて皿ごと出している。 この砂糖水にはまずミツバチがやってきて、つぎに彼らを追い出すようにしてスズメバチがぎっしり群がっている。ついでにリスやカケスやカラ類も蜜を吸っている。甘い ものに目がないのは鳥やリスだけではなくテンも同じと見えてこの匂いにつられてやってきたようだ。

テンの表情は実にかわいい
数日前から夜のうちに誰かがやってくるらしく、朝には砂糖水と牛脂の皿が空になっていることが続いていた。カケスが早朝に食べたのだろうと思っていたのだが、お茶を 飲んでいた午前8時前にいきなりテンがやってきたのである。あわててカメラを取り出して数枚撮影したが、みなピンぼけでかろうじて1枚だけ後ろ姿が撮れた。これでは顔 がわからないので、ネットから1枚顔がわかる写真を拝借した。

電気工事にやってきた佐久のお兄さんにデジカメの写真を見せたら「このへんではムジナといってます」とのことだった。ムジナ(貉、狢)とは、主にアナグマのことを 指すようだが、地方によってはタヌキやハクビシンを指したり決まった名前はないらしい。そういえば顔はタヌキに似ていないでもない。

テン(貂)
低山地から亜高山帯針葉樹林にかけて生息する。単独で生活し、雑食で、昆虫、甲殻類、小型哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、果実(マタタビ、ヤマグワなど)などを食 べている。


▲ページトップへ

このHP「八ヶ岳の東から」TOPへ