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山ですから木はいっぱいあるのですが、カラマツと白樺が大半です。鬱蒼(うっそう)として原始林かと思うところもありますが、実は 二次林です。戦後の日本の林野行政は愚行の最たるものでしょう。人件費を出すために国有林の大木をただ切り倒してきたのですから。敷地にも 朽ち果てた大木の切株が残っています。そのあと勝手に生えてきたのが今の姿です。広葉樹林に戻そうとまでは思いませんが、いろいろな 木々を見てみたいので、植えまわっています。木の生命に比べれば泡沫(うたかた)のわが身ですが。 |
この項の目次
カラマツ(落葉松) ミズナラ(水楢)
ライラック アカシア ボタン(牡丹) シャクヤク(芍薬)
シラビソ(白檜曽) コメツガ(米栂) トウヒ(唐檜)
シラカンバ(白樺)とダケカンバ(岳樺)
ハマナス(浜茄子) カエデ(楓)
コハウチワカエデ(小葉団扇楓) ウリハダカエデ(瓜膚楓)
紅葉のメカニズム ツツジの仲間について
レンゲツツジ(蓮華躑躅) クロフネツツジ(黒船躑躅)
サラサドウダンツツジ(更紗灯台躑躅 )
トウゴクミツバツツジ(東国三葉躑躅)
イチョウ(銀杏) ダンコウバイ(檀香梅 ) イボタノキ(水蝋樹・疣取木)
ヤマザクラ(山桜) ヤマボウシ(山法師) サワフタギ(沢蓋木)
ウメ(梅) サンショウ(山椒)
マユミ(檀 真弓)(ニシキギ、コマユミ、ツリバナ)
バイカウツギ(梅花空木) ニシキウツギ(二色卯木)
オオデマリ(大手毬)
オオカメノキ(大亀の木) キンロバイ(金露梅)
シャクナゲ(石楠花)
( アズマシャクナゲ、ハクサンシャクナゲ、キバナシャクナゲ もこの中に )(チョウノスケソウ、ヤマナシとコナシ については、
それぞれ「花の物語」の中に詳細があります )


【 カラマツ(落葉松) 】
八ヶ岳の周りは全山がカラマツ林といってもよいほどです。常緑樹が多い「針葉樹マツ科」の中で、黄葉が見られる
日本特産の木です。秋に全山「八ヶ岳イエロー」に彩られる時は一幅の絵のようで見事です。そして、長い冬を越してのカラマツの若葉もまた、黄葉に負けずに美しく、やっと訪れた春を感じさせてわくわくさせます。
山小舎へ入るエントランスで最初に出会うのが2キロほど続くカラマツ並木です。この美しさが気に入って別荘を
購入したという人も多く、日本離れした風景のせいか、クルマのCM撮影にも使われたりしたこともあります。我が
家の犬たちもみな道路の真ん中に座ったベストショットを残しているほどです。
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全編八節の五七調。もともと日本人の耳に心地よい五七調に加えて、頭韻、脚韻ともそろっていますから
文字通り「調子のよい」詩で暗誦に向いています。それと気づかないうち、やわらかい、母音の「あ」音」の
連続にしびれるように作られています。いまは4節くらいで降参ですが、私もおぼえた時代がありました。
白秋は、大正10年(1921年)の晩春から初夏にかけて軽井沢を訪れ、その折に浅間山麓を歩いてこの詩をつくりま
した。軽井沢は八ヶ岳からすぐの場所で、植生もほとんど同じです。
白秋の故郷は九州・柳川の水郷です。私も何度か訪れたことがあります。時間の流れが川の流れのようにゆったりした日本の
ふるさとのような町です。詩人も信州のカラマツ林を渡る風のリズムに共鳴したのでしょう。
没後50年過ぎて著作権が消滅しているので、全文
を紹介しましたが、日本の詩歌だから縦書きでないと雰囲気が出ないという人には、句読点が上に紹介したものと
違いますが、恰好のサイトがあるので紹介します。
(縦書きで読みたい方はこちらへ)
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| 春、カラマツの葉がびっしり。 これが晩秋にすべて落葉する。 |
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| 先端の黄色いのが雄花。 中央の赤いのが雌花。 |
カラマツは雌雄同株の落葉高木で、秋に黄変し、落葉する裸子植物です。全国どこのカラマツも黄変するのですが、八ヶ岳で は特に「八ヶ岳イエロー」と言われ、見事な黄葉が愛されています。 カラマツは成長が早いこと、耐久・耐湿性があり家屋の土台や屋根板、炭鉱などの坑木、電信柱、鉄道枕木、船舶 用木材として多用されていたことなどから、長野県では、戦前戦後を通じて荒廃した野山に盛んに植樹された経緯 があり、特に多いようです。
成長が早いカラマツは寒冷地での植林樹主として盛んに利用されたものの、衰退に向かいます。電柱がコンクリートになり需要が激減したところに、木材価格が低迷 したからです。同じカラマツでも価格の安いロシアから輸入されるありさまでした。加えて、乾くと硬い上にヤニがたくさん出て加工しにくく、ヤニが多い のでパルプ用材としても使いにくいし、曲がるので家の柱には向かないなどマイナス面が多いことも嫌われ、カラマツ林の間伐の手間賃も出ないと山林は荒れる一方でした。
しかし、近年(2007年)曙光が見え始めました。木材価格が上昇してきて国産カラマツも採算ベースに乗るようになってきたのです。しかも合板技術の進歩で欠点 とされた特徴も克服され、建材として利用価値が高まったのです。カラマツが多い長野県でもやっと間伐などの手入れをしてカラマツ林の「経営」に乗り出す動きところが 増えてきました。
| 八ヶ岳では全山ほぼカラマツといってよいほど。 |
けちをつけたついでにいうと、秋に落葉した枯葉が道端にこんもり溜まります。雨で流れて側溝にうず高く積もり、
片付けるのに人手がかかる上、冬には強風で互いにこすれて落ちるカラマツの枯れ木が敷地一面にたまり、春先
集めると一山をなすほどです。
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| 八ヶ岳イエローに覆われた晩秋の八ヶ岳。 |
世界中のカラマツの故郷、川上村
八ケ岳の横岳に登る稜線の真下にあたるところに別墅(べっしょ)を構えてほぼ20年。まわりにカラマツが多い ので四季の写真とともにいささかの薀蓄を上に書きました。ところが、このあたりのカラマツが見事なのも当たり前で 明治時代からすぐ隣の川上村がカラマツの苗木の世界一の生産地で、この辺りはもちろんのこと、東北、北海道 からヨーロッパにいたる世界中のカラマツの故郷であることを、最近になって(2006年)知りました。北原白秋が歌った軽井沢高原 のカラマツ林も、ヨーロッパや韓国のカラマツもみな川上村の苗木なのです。
我が山小舎の周りの林はカラマツだらけですが、薪としては使えないことは上に書きました。しかし建材としては評価は違います。 天然のカラマツは「天カラ」と呼ばれ、時間がたつほど赤みが増して、いい風合いになり貴重なものとされます。天然ものはそう手に 入らないので植林が行われるようになったのです。
以下は、長野県でカラマツの研究を専門にしている武井富喜雄氏(現長野県林業総合センター学習展示館館長)が川上村で カラマツについて講演した内容などからの引用です。
はじめは山びき苗(山から採集した苗)を植林していた(1830年頃、佐久)のですが、やがて養苗技術の発達で大規模造林 がはじまりました(明治少し前、松本、南佐久で)。最初のカラマツの造林を行ったのは小諸藩(1852年)で、この林は今も残っているそうで、非常に赤みの強い見事な材だといいます。川上村にはもっと古く、300年くらい前の人工林があるといいます。江戸時代にさかのぼる早くからこの辺りでは、すでに苗木の生産が行われていたようです。
1880年、高遠藩の中村彌六(なかむら・やろく)がドイツ・ミュンヘン大学に留学しました。高遠は今は桜の名所ですが八ケ岳からすぐの高遠市で「絵島生島事件」で大奥の江島がお預けになり生涯を過ごしたところとして有名です。
絵島生島事件(えじまいくしまじけん、絵島は江島とも表記)大奥女中江島と歌舞伎役者生島新五郎の起こしたスキャンダル。正徳4年1月12日(1714年2月26日)、江戸城大奥の御年寄・江島は、仕えている月光院の名代(みょうだい)で前将軍家宣の墓参りに行き、その帰りに山村座の生島新五郎の芝居を見た。芝居の後、江島は生島らを茶屋に招いて宴会を開いたが、夢中になり大奥の門限に遅れてしまった。大奥七ツ口の前で「通せ、通さぬ」の押し問答から大事件に発展する。
当時の大奥には、現将軍、家継の生母・月光院を中心とする勢力と、前将軍、家宣の正室・天英院を中心とする勢力があった。月光院は将軍の補佐役である新井白石らと親しいことから、月光院側が優勢だった。しかし天英院側はこの事件を利用して勢力挽回をはかった。
事件の関係者が徹底的に調べられ、大奥の規律の緩みが次々と明らかにされた。江島は死罪、江島の兄も切腹となった。月光院の嘆願により、江島については罪一等を減じて高遠藩へお預けとなった。生島新五郎は三宅島への遠島となり、山村座は廃座され、江戸中にあった芝居小屋は浅草聖天町(猿若町)へ移転させられた。最終的に1300人ほど処罰された。
この事件により天英院側が優勢となり、翌年家継が亡くなると、天英院が推していた紀州の徳川吉宗が次の将軍となった。
事件の方はともかく、明治維新の直後に早くもこの小藩から海外に雄飛した青年がいたというのにも驚きますが、彼はこのとき理由は分かりませんが日本カラマツの苗木をドイツに持っていきました。
中村彌六はドイツで肥料学を学んだようです。北大図書館に「實用肥料書 : 全 」( 望月紫霞三著 ; 中村彌六校訂並びに序文。 東京 : 有隣堂 1894.2 出版)というのが残っています。貴重図書として扱われていて貸し出し禁止扱いになっています。その後の中村彌六の詳細は分かりませんが、農学で一家を成した人のようです。
彼がドイツに植えたカラマツはその成長の早さがドイツ林業関係者の注目するところとなり、その後長野県で育苗に成功したこともあり、それからヨーロッパ中に川上村のカラマツの苗木が輸出されはじめたらしいのです。明治初年、村出身の若き教師の先見の明と努力で、良質の種子を確保し育苗に成功したのが発展の基礎となりました。そのヒーローの名前を知りたいと2006年6月、川上村に問い合わせたところ、
「教師の名は、川上の村長もなさった方で、井出喜重氏かと思量します。教師という肩書きを持っていたことを知りませんでしたので時間がかかってしまいました。 井出氏は、川上村の産業発展に様々の方面に寄与しました。カラマツ育苗について『落葉松栽培法』を著し、その基礎をつくりました。もう一人、川上村の初代村長、川上氾九郎氏の功績を讃える方もあり、諸説あります」(川上村役場産業建設課林務担当、山中光雄氏)
戦後になってもドイツでは川上村のカラマツは有名で、1956年にドイツから調査団が来日して川上村梓山からはじまって、八ヶ岳、乗鞍、上高地等、仙台から静岡に至るいろいろな所から種を集めて帰国しています。ドイツでその苗木をおこし、国の方々に植えて試験をし、40年後、成果集としてまとめています。今に至るも欧米では日本からのカラマツが大事にされているの に比べ、日本のカラマツ林は先の大戦でほとんど切られてしまいました。 今あるものは大部分戦後に植えられたもので、北海道に 46万ha、長野県24万ha、岩手県が12万ha、これが御三家です。ところが日本カラマツは世界地図では見事な成長をとげています。いったん下火になった日本のカラマツですが、最近見直されているそうです。木材を蒸気で蒸すことで、ヤニを封じ込め、ねじれも直し乾燥 もさせるという(蒸して柔らかくなった材を押さえることで曲がりも直 す)技術の開発によって、柱、土台、板等、今までより多方面に使うことが可能になり、将来は明るいといいます。薪にもならないと、私が馬鹿にしていたカラマツにはこのような大きな物語が秘められていました。
【 ミズナラ(水楢) 】
ミズナラ(水楢)は、このあたりでは忘れてはならない木のひとつです。八ケ岳山系にはクマはいませんが、ミズナラが不作の年は各地で人里にクマが出て大騒ぎになるのをみてもわかりますが、多くの動物が この木の恩恵を受けていて、リスやカケスはこの木のドングリなしでは生きていけないくらいです。
ブナ科コナラ属の落葉高木で北は南樺太、南千島から国内では沖縄を除き北海道、本州、四国、
九州と全国に広く分布します。大きく成長し、樹高は30メートル、幹の直径1.5メートルに達するものもありますが、このあたりでは日照の関係か、わりに低い木が多く、我が敷地にも10本ほどあるものの、みな2−3メートルの高さです。写真右は自然郷の入り口にある比較的大きな木です。秋には見事に黄葉します。
単にナラというと、ミズナラ、コナラとそれに近い種類を含みますが、ミズナラが代表的で、木材関係ではナラというときにはミズナラをさしています。ミズナラの名前はその木の中に、多量の水分を 含んでいることに由来します。 ほかにオオナラ、ミズボウソウ、ミズマキとも呼ばれます。
高地の基本木でブナとともに紅葉樹林帯を形成しますが、ミズナラは林の中で陽あたりがよく、多少乾いて いてそれでいて養分の多そうな土地に散在しています。ブナは遅霜に弱いので、被害が出にくい尾根筋や朝日が当たる東側など立地条件の良い場所をまずブナが占領し、そこより物理的環境が厳しい場所でミズナラが優勢になる傾向があるようです。
ミズナラの花は新葉の展開と同時、5〜6月にうすい緑黄色の花を開きます。花は風媒花で、雄花序は新しい枝の下につき、6〜8センチのヒモ状に垂れ下がり、左の写真のように数珠状に多くの雄花をつけます。雌花序は新枝の上部の葉腋にでき、短い3-4個の雌花を穂状につけます。
葉は、比較的大きく6-20センチあり、枝先に集まってつけ互生します。倒卵状楕円形で上部は幅広く 葉先は、鈍いものからやや尖ったものもあります。上面は緑色、下面は淡い緑色。葉柄は短く、一見ないように見えます。葉の基部はくさび形となります。秋10月に茶褐色に黄葉します。
若枝ははじめ淡褐色の毛がありますが、後に無毛です。樹皮は灰褐色から暗褐色で不規則に縦の裂け目があります。ミズナラの幹は、細いうちはツルツルですが、だんだんと大きくなると、写真右のように、幹に割れ目が入ってきます。ミズナラの根際にはマイタケが生える、といわれるので毎年注意しているのですが、まだ見たことはありません。
秋になると2センチほどの堅果(ドングリ)をつけます。ドングリははじめ緑色ですが、やがて褐色になり10月頃落下します。とがっている方の部分の色が、より濃くなっています。ドングリを包んでいる袴(はかま)のようなものは、穀斗(ぼうし)といいます。お椀形で、あわつぶのようなものが密生してついています。
ミズナラはコナラと似ていますが、ミズナラには葉柄があるもののごく短くて、葉が枝から直につながっているように見えます。これに対し、コナラにはしっかりした葉柄があるところで見分けます。さらにドングリはコナラの方が小さくて細長いのに比べると、ミズナラは、ずっと大きく(2〜3センチ大)コロコロしています。
木材としてミズナラを見ると、日本産材のうちでもっとも重宝されるものです。家具や生活用品としてお盆や皿等の器物から額やペンシルケ−ス等の文房具まで幅広く利用されています。建築現場でも、フロ−リングや ドア等に多彩に活用されている木です。日本のミズナラに近いものが、英国や アメリカ北部に多く見られるオ−クです。「森の王様」と呼ばれ、古くから船舶、 家具の好材料として、欧米の人々の生活に深く根差した木です。世界的に 日本のミズナラは良材とされ、明治時代には函館から輸出されていたので「ハコダテオーク」と呼ばれ、多くがヨ−ロッパに送られました。戦後も北海道では輸出用木材として外貨獲得のための貴重な樹種でした。現在、ミズナラは家具材、洋酒の樽材、小径木は椎茸ほだ木などとして利用されています。
【 シラビソ(白檜曽) 】
シラビソ(白檜曽)は亜高山帯に生育する球果植物門マツ科モミ属の日本特産の常緑針葉樹です。我が家ではクリ
スマス近くに大活躍する木なのでもっぱら「樅(モミ)ノ木」で通っています。まんざら間違いではなく、クリスマスツリ
ーで使うモミの木とほとんど同じです。
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| シラビソの雄花 |
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| シラビソの雌花 |
北海道に行くとトドマツ(椴松)があります。日本では北海道だけに生育する北方系樹木ですが、これはシラビソと同じく「球果植物門マツ科モミ属」の木ですから道内いたるところクリスマスツリー用の木があるわけです。
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| トドマツの球果 |
トドマツはアイヌ語「トトロツプ」からきたものといわれます。トドの漢字「椴」はトドマツの枝が毎年一段ずつ輪生する特徴からこの字が使われたものです。この木は、枝は斜め上にまっすぐ伸び、独特の樹形をつくります。樹皮はなめらかで灰褐色。葉は細長い線形で、長さは3センチほどで、葉の先が少しへこんでふたつに見えるのが特徴です。
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| シラビソの幹 | トドマツの幹 |
日本のモミ属は上述のようにモミ、ウラジロモミ、シラビソ、オオ シラビソがありますが、いずれも葉の形、 実の形、樹肌などがよく似ていて、いずれも葉は先が二裂しています。
オオシラビソといってもシラビソの大きいタイプということではなく、全く別の種です。ただし、見た目がよく似ていて同じ場所に生育するため、植物に詳しい人でも間違えてしまうほどです。しかし、近年のDNA研究の進歩で、これら2種の関係は名前が似るのと逆に遠い関係であることが分かってきました。「分子系統分類学的手法」という、生物の種間関係をDNAの塩基配列の類似度から明らかにする学問が進んだ結果です。
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| オオシラビソ(左)とシラビソの葉 |
最近の悩みは八ケ岳に目だって増えたシカとニホンカモシカです。冬の食糧難の時シラビソの幹をかじられるのです。太く育ったのは樹皮が堅いので大丈夫ですが、植えて2、3年のものはかじりやすいのかガリガリと表皮を剥いでしまいます。当然、春先から枯れ始めます。彼らの命の綱なのでしょうから黙認するほかないのですが、思案投げ首の樹木です。
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| 春に見られるシラビソの花 |
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| シラビソの球果 |
すぐ近くですが北八ヶ岳の北端近く、蓼科山の少し南に縞枯山があります。蓼科ロープウェイで上ると見えてくる縞
枯山(しまがれやま)の山頂付近の右手に、縞模様の山肌が見えます。これは、シラビソの樹林のある部分が帯状に白く枯れ、そ
の上下に緑の生木が繁る「縞枯れ」が見られます。縞の幅は約10メートル、長さは300〜800メートル、縞の間隔は
約100メートルありますが、世界的にも珍しい現象なのです。
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| 縞枯山で見られる シラビソの縞枯れ現象 |
縞枯れが発生する原因は長らく謎でしたが、最近少しずつわかってきたようで、有力な説の一つは、「大きな原因 は諏訪側から吹き上げる南西の風と台風などの強い風とここ特有の土壌。縞枯山一帯は火山噴出物の岩石にお おわれた腐植土が浅い土地で、シラビソは浅い張り方しかできない。強風が吹くと幹が揺すられ、根は浮かされて 細い根が切れてしまう。そのため水分・養分の吸収ができにくくなり立枯れていく。10メートルくらいに成長した木 が風当たりを強く受け、そろって枯れる」(木村允・東京都立大学理学部教授)というものです。
縞枯れは、斜面上方や側方に進行するもので、縞枯れの先端が近づくと付近の樹木に対する風当たりが強くなり 一斉に枯れ死します。斜面が変わると風の影響力も変わり、縞枯れは止まります。明るくなった林床に幼木が発 芽・育成し天然更新され白い帯は再び緑となります。立ち枯れの縞はおよそ70年くらいのサイクルだといいます。
私がこの木が大事だと思う理由は、カラマツ、シラカバ、ナナカマ(七竈)など周りに落葉樹が多い中で、冬に防風、防雪 のためこの常緑樹を植える必要があるからです。 この木は耐陰性が強く、夏場にいろいろな木が繁って暗くなる林床でもすくすく育ちます。高さ20−30メートルの 大木になりますが、あまり寿命は長くないそうです。 大木にする必要もないので、門からのエントランスに生垣代わり、また防風、防雪のために植え、毎年てっぺんを カットしてあまり大きくしないようにしています。 都会だとかなり費用もかかるのでしょうが、林に入るとこぼれ種からの実生がたくさん生えていて無料で手に入りま す。
【 コメツガ(米栂) 】
コメツガ(米栂)は本州、四国、九州の標高1500〜2200メートルの亜高山帯にある日本特産のマツ科ツガ属の常緑針葉樹です。葉が小さく小型であるところか ら「米」の名がついていますが、大木になります。樹齢150年くらいになると、高さ が20 〜 30 メートル、幹の直径が1メートル前後になり、風雪と共 に生きてきた年輪は緻密でかたく、建築、土木、パルプ、船舶材、楽器に重宝されている木です。床材や梁材に使われています。
日本には温暖帯に生えるツガと亜高山帯に生えるコメツガの2種が分布しています。ともによく似てますが、コメツガの1年生の若枝には黄褐色の短毛があり、 葉は小さいので区別できます。ツガは、関西では「トガ」の呼び名で親しまれている樹種で、昔から最高級の材料を使った数寄屋として、「トガ普請」は有名 です。針葉樹の中では特に堅いこと、ほぼ真っ直ぐに通る木目が鮮明なことなどが特徴です。
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| ツガ(左)とコメツガ(右)の葉 | ツガの葉 | コメツガの葉 |
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| モミの葉 | トウヒの葉 | シラビソの葉 |
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| コメツガの実 |
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| コメツガの林 |
八ヶ岳ではシラビソ(白檜曽)と混在しています。シラビソはモミ属でコメツガはツガ属です。コメツガの葉は小枝の左右にほぼ2列に並びます。葉の形は線 形で密に互生し長さは6〜15ミリほど。扁平で先端が丸く艶やかです。葉を裏返しすると写真右上のように白いすじ(気孔線という)があります。モミも2列の気孔線がある ので、見分けるポイントは葉と樹皮、樹形です。コメツガの樹皮は、灰褐色で亀甲状に浅く裂けます。樹形は枝先が左右対称に見えるのがシラビソで、枝先 が斜めになるのがコメツガです。
漢字では「唐檜」と書き、名前からすると中国から伝わったヒノキという感じですが、マツ科トウヒ属の常緑針葉樹。北半球の温帯から亜寒帯にか けて広い範囲に30種以上が分布します。
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| トウヒの幹は松と似る |
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| 我が家ではクリスマスのモミの木として 野外での飾り付けに使われている。(2006年Xマス) |
トウヒ属の種名に「バラモミ」「ハリモミ」と名づけられているのが多いように、樹形や葉の付 き方はモミ属と非常によく似ているのです。樹皮が暗赤褐色で小さな鱗片状に剥がれること、葉の先端が尖っていること、下で述べるように枝に「葉沈 」と呼ばれる突起があってそこから葉がのびていること、球果(松ぼっくり)が枝から下に垂れ下がること、などがモミ属と異なっています。
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| トウヒの葉ウラ |
花は5−6月に咲き、球果は、長さ6〜10センチで、初め紅紫色で秋には黄緑色から褐色に熟して下垂しています。八ヶ岳では結実期は少し遅く 夏になりますが、このころヤニ状のものがトウヒの球果から撒き散らされます。カーポートのクルマの屋根やボンネットに一夜で(日中も散ってい るのだが)細かいヤニが一面に付着して洗剤でも落ちないと高級車で我が家を訪れた人たちをあわてさせますが、なに水を掛けて少し根気よく布で 拭けば取れるものです。
ヤツガタケトウヒ
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| 生きた化石、ヤツガダケトウヒ。 |
ヤツガタケトウヒは、高さ約30メートルにもなる樹木で太古には広く日本列島に分布していたものの、その後温暖化で八ケ岳や南ア北部のように
、高山で比較的雨量が少なく氷期に似た環境を保っている場所に生き残ったと考えられています。
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| 西岳にある保存林 |
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| エゾマツの球果 |
もうひとつ、北海道には近縁のアカエゾマツ(赤蝦夷松)があります。地元では「ヤチシンコ」とも呼ばれ、 エゾマツと共に「北海道の木」に指定されていますが、こちらは道東や道北に多く、エゾマツやトドマツと混生しています。 高さ30〜40メートルにもなり、太さも1.5メートルほどの巨木になります。樹皮は鱗状をしていて、紫色を帯びた赤褐色なので「赤エゾマツ」と呼ばれます。br> エゾマツ、アカエゾマツひっくるめて「エゾマツ」と総称することも多く、この 場合には、アカエゾマツと対比してエゾマツをクロエゾマツあるいはクロエゾと呼んでいます。
北海道のエゾマツは平野部でも見られますが、トウヒは紀伊半島の大台ケ原を南限とし、中部、関東、東北の亜高山帯に分布します。高さ30メートル直径90センチくらいの大木になる木です。このトウヒとまったくよく似た材で、北半球から輸人されている木が「スプルース」です。「米檜」(べいひ)とも呼ぱれていますが、これもヒノキではなくマツ科の木です。トウヒもスプルースも柔らかくて素直でクセのない木なので、建具、内装材によく使われます。緻密な柾目(まさめ)なので、儀礼用の三方、絵馬、高級ウイスキーの化粧箱に使われています。
また、トウヒ(唐檜)は音楽には欠かせない木です。木製の楽器類には、種類、部位に応じて、特定の樹種の木材が欠かせません。ヴァイオリンの表板やピアノの響板には、ドイツトウヒが珍重されています。ドイツ語で「フィヒテ」で英語で「スプルース」と呼びますが、中でもヨーロッパ・ルーマニア地方の北 の斜面で育った年輪の詰まった真っ白なトウヒは特に貴重とされています。ヴァイオリンづくりと「唐檜」との関係については「アトリエ・みやざき」のなかの「手作りヴァイオリンのおもしろさ」でも触れていますので参照してください。
さらに、楽器作りでは、樹種に加えて、密度、年輪幅、材色などについて厳しい選別が行われています。音響学からみると、
これらの樹種の木材は、振動面から優れています。密度が比較的小さく、繊維方向の音速が大きく、振動の減衰が小さい特性をもち、したがって、振動の
エネルギーが音のエネルギーに変換される効率(音響変換効率)が高いという、楽器響板にとって有利な性質を備えているのだそうです。
ギターやマンドリンの表板にもこれらの樹種が使用されていますし、和楽器である琴や琵琶の表板にはキリ材が使用されていますが、この樹種も音響
変換効率が高い樹種なのです。
【 シラカンバ(白樺)と ダケカンバ(岳樺) 】
八ヶ岳にやってきてしばらくの間、シラカンバ(白樺)とダケカンバ(岳樺)の区別がつきませんでした。というより、すべて「シラカバ」で片付けていたのですから、無知も極まれり、です。 でも、我々の山小舎が植生の上では微妙なところに位置していることも事実なのです。山小舎は高度1760メートルにあります。 シラカンバは1000〜1500メートルくらいまでを好む植物です。一方ダケカンバは、亜寒帯に分布し、標高約1500〜1800 メートルあたりを好みます。まさしく、我が山小舎は両方が混在するところに位置するのです。事実、周りを見渡す とそのとおりになっています。敷地でも両方が大きく枝を広げて棲み分けています。上の写真は我が山小舎のすぐ前の林ですが、 中央の茶色っぽいのがダケカンバ、周りを取り囲んでいる白いのがシラカンバです。このように、混在しているのは高度差にしてごくわずかな 間に見られるちょっと珍しい林相です。
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| シラカンバの樹皮 |
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| シラカンバの種子。 |
シラカンバの樹皮が白色に変わるのは3年目からで、それまでは色からはシラカンバとは気づかないほどです。白
い幹は紙状に剥離するようになり、めくると樹肌の内皮は褐色で、若い枝には粘質の分泌物が出ます。樹皮は若
木では赤褐色から灰褐色で光沢があって美しく、薄く横にはがれます。老木では白色が強くなり、縦に割れ目がで
きます。
シラカンバの樹皮が白いのは、「ペチュリン」という結晶性の化合物のせいで、これが白の色素をもっているためで
す。シラカンバの木を触ると、手に白い粉がつくことがありますが、この結晶です。我が山小舎ではリスの渡り廊下
としてシラカンバの木がふんだんに使われています。写真を撮影する時にリスや野鳥が白の背景だと浮き出て、ク
リアな写真が撮れるのです。しかし、2年ほどですぐ樹皮がはがれてしまいます。腐りやすい木です。
シラカンバはロシアに多い木で「バーチ」と呼ばれています。ギリシャ人にとってのオリーブ、ドイツ人にとっての菩
提樹に比される、愛と生命と幸福の象徴になっていて、少女たちは赤い布をシラカンバの樹の枝に結び、枝が数日
後に枯れていなければ吉兆としたといいます。バーチは悪霊を追い払うといわれ、家々に飾られていました。バ
ーチの樹液はロシアでは薬用ワインを作るのに使われたり、葉はお茶として飲用されてきました。また、スキンロー
ションやヘアトニック、香水にも用いられています。
また、日本でも昔からよく知られた木で、シラカンバの皮をお盆の迎え火に焚くという習慣は現在でも広く行われています。信州では時期になると白樺の皮が店頭で売られているほどです。
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| GWの頃、シロップ採取に夢中になる 我が家族の姿です(060512) |
いまも通信販売が盛況のようで、その宣伝文句に「北海道十勝の森で採取されたシラカンバ樹液(白樺樹液)です。
1年のうち4月初旬から5月初旬にかけてのわずか1ヶ月間のみ採取できる樹液には、カルシウム、マグネシウム、
亜鉛、カリウムなど豊富なミネラルが含まれています。口に含んだとき、このミネラル分が独特の森の香りになって
広がり、まろやかで甘みのある味わいです。そのままミネラルウォーター代わりに、またはコーヒー、紅茶、ハーブ
ティー、カクテルなどに使用しても、まろやかな美味しさが味わえます。720ミリリットル1050円」とあります。
樹液が出るのは若葉が展開する少しの期間だけだそうです。葉が光合成を行わないため、吸い上げた水分が、す
べて下に還流するのだそうで、出る樹液の量は1本のシラカンバで200リットルにもなります。しかし、シラカンバで、なぜ葉が出ない時期に樹液が溢出し、開葉と同時に出なくなるのか、そのメカニズムは分かっていないといいます。
またシラカンバの葉もよく利用されます。葉に勢いがある季節に採取して日干しにして乾燥したものを使います。
葉は煎じて飲むと利尿の効き目があるほか、シラカンバの葉には精油が含まれ、若い枝には分泌物がある
ので、葉と若い枝ともに沐浴剤として用います。肌がつやつやになり、気分が壮快になる効果があります。
北欧では、サウナにシラカンバの葉と若い枝を入れて入浴するのは、このためです。
シラカンバの含有成分は、クレオソート、クレゾール、グアカコールで、効能としては皮膚病、リューマチ、痛風に外用として使います。私は美食家でもないのに痛風持ちです。発症したとき会社でしたが、あまりの痛さに靴も
履けず、裸足で電車に乗ってうなっていました。このとき知っていれば八ヶ岳に走ったのに、と思います。
筑波の森林総合研究所にいた学生時代の友人が山小舎にやってきて、もっと木を切れとか、この木は植えちゃダメだとかアドバイスを受けました。彼は林産が専門でシラカンバのセルロースを研究していました。シラカンバは木としては
パルプなどの原料や割箸やアイスクリームのスティック、さらにナメコ栽培用の原木になるくらいで、目立ったもの
はないかもしれないが、将来いろいろ役立つ可能性を持った木だといいます。

ダケカンバ(岳樺)もやはり「カバノキ科 カバノキ属」に分類され、北海道から本州の中部以北・四国、千島・樺太・朝鮮・中国・カムチャツカなどに分布する落葉高木です。北海道では低地でも生育しエゾノダケカンバ(蝦夷岳樺)とも呼ばれますが、中部山岳地帯では亜高山帯に生育し、樹高20メートルにも達するものがあります。
ダケカンバの枝には、よく伸長して葉を互生する「長枝」と、短くて葉が1対しかない「短枝」の別があります。葉は卵
型をした三角形状で、長さは5〜10センチ、幅は4センチくらいで、先は尖り、基部は丸みを帯びて、葉の縁には鋭
い鋸歯があります。柄の長さは1〜4センチで、葉の裏面は淡い緑色で、たくさんの腺点(せんてん)というものが
あります。腺点はブツブツ状の突起でサンショウなどでは、葉をもんだり、たたいたりすると強い芳香がでるように、
植物の油とか匂いの分泌に関係しているものです。
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| ダケカンバの雄花。 すぐ近くで上向いているのが雌花。 |
5月〜6月に緑色の花が開きます。花には雌雄の別があり、同じ株に両方がついています。雄花は多数が密集して
細長いしっぽのような花序をつけます。これは早くも前年の秋には長枝上に現れ、晩春から初夏に新葉が展開するととも
に伸びて、長さ5センチくらいとなり、垂れ下がります。雌花の方はぐっと短く、短枝の頂に直立してつきます。
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| ダケカンバの種子 |
森の輪廻からいうと、ダケカンバやシラカンバは「先駆植生」というのだそうです。森を覆っていたブナやシラビソの
大木が倒れて陽が当たるようになると、まっ先に出てくる陽樹の代表です。自分が大きくなり日陰を作ると今度は
陰樹であるブナが育ち始め、日あたりが悪くなってダケカンバが倒れ、再びブナなどの林に戻ることを繰り返しま
す。
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| ダケカンバの樹皮 |
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| ダケカンバの古木では 樹皮がこんなにめくれるものも。 |
ダケカンバの樹皮は薄い削りぶしみたいにはがれますが、昔は紙の代わりにしたこともよく知られています。ロシア
のノブゴロドで発見されたカレリア語の文書、モンゴルの白樺文書などが残っています。ダケカンバのことを別名ソ
ウシカンバ(草紙樺)とも言いますが、これは、ひらひらとめくれやすいダケカンバの樹皮を紙(=草紙)に見立て
たものです。シラカンバ、ダケカンバともに燃えやすく、山で遭難したらこれで暖を取れ、と山男に伝えられていま
す。
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| シラカバの葉(左)とダケカンバの葉(右) |
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| 我が家より一足先に咲いたお隣のライラック。 |
英語でライラック、フランス語でリラ。この木を植えたのも札幌がヒントです。北国に春を告げるイベントとして「さっぽろライラックまつり」があります。長い冬を過ごして春が来た喜びを、この花で代弁するものでもあります。札幌の代表的な花としてして扱われていて、毎年5月の最終日曜日を最終日とする3日間、大通公園で開かれています。昭和35年に市民投票で「札幌の木」に選ばれています。私はこの頃ちょうど札幌で学生生活を送っていました。今もそうでしょうが、道庁前などの街路樹として植えられ、北大構内にも見かけたのを思い出しました。きっと寒さに強いだろうと東京の園芸店で求めて、八ケ岳に持って上がったのですが、一発で活着しました。
しかしまだ1メートルに満たない若木なので、花を付けるまでには時間がかかりそうです。そうこうしているうちに、山でお隣の方が植えたのが2006年春6月一足先に咲きました。上にその写真を紹介しました。我が家とあわせて合計4本あることが分かりました。この高い山で、匂いだけはいずれパリや札幌並みに楽しめるのではないか、と期待しています。
「さっぽろライラックまつり」ですが、2006年で第48回とあるのを見て驚きました。私が北大に入学した昭和34年春に第1回が開かれたのを憶えています。祭りは憶えているものの中身についてはほとんど記憶にありません。しかし48回ということは、学生生活を送ってからまもなく半世紀がたつわけで、この間何をしてきたのかと忸怩たる花でもあります。
ライラックは木犀(もくせい)科ハシドイ属。 和名「紫丁香花」(むらさきはしどい)が 与えられています。学名 「 Syringa vulgaris 」 の Syringa(シリンガ)は、ラテン語の「Syrinx」(シュリンクス)(管、笛)が語源です。この木の幹の内部に髄が詰まっていて、それを取り除いて笛、パイプを作ったことからの命名です。
ライラックは英名Lilac、仏名Liraですが、ともに。ペルシャ語でリラッグまたはニラッグ、アラビア語でライラックと言っていたのがスペインに入り、さらにフランス語、英語になったものです。ペルシャ語のニルは青、ニラッグは青っぽいで、サンスクリット語のニラ(暗青色)にも関係があり、この花が伝播してきた土地の歴史が偲ばれます。
ライラックは育つと高さ2〜7メートルにもなります。ハート型の葉は対生し有柄で、長さ5〜12センチ。無毛で光沢があります。花期は4〜6月。札幌では5月末、八ケ岳では6月末です。このころ総状の円錐花序が密に付きます。芳香があり、花冠は長さ1センチほど。ひとつひとつの花は筒状で、先が4つに切れ込んでいます。ライラックの花びらは普通4枚ですが、たまに5枚の花びらをもつものがあり、「ラッキーライラック」として、それを見つけると幸せを呼ぶものとして喜ばれています。ロシアでは幸福の5枚の花びらを持つライラックの花は、アクセサリーのモチーフとされてきました。
ライラックは寒冷な土地を好みます。原産地はイラン北部の山地といわれ、12世紀のペルシャの絵に出てくるので、古くから鑑賞されていたようです。十字軍によってヨーロッパにもたらされ、14世紀にはイタリアに入り、18世紀の後半にはフランスで最初の種間雑種が作り出されました。19世紀に、フランスのビクトル・レモアンが息子とともに改良を進め、花色を豊かにし、八重咲きを作ったりしました。それらは「フレンチ・ライラック」と呼ばれます。中国は野生種のライラックの宝庫だったので、20世紀初頭、アメリカ農務省から中国に派遣されたフランク・メイヤーは中国産のライラックを次々とワシントンへ送りアメリカでも盛んに栽培されるようになりました。中国ではライラックは「紫陽花」と書きます。アジサイではありません。
ライラックは強い香りが特徴です。香水の世界でライラックは、バラ、ジャスミン、スズラン、スミレ、ガーデニアと共に「六大花香」に数えられます。ライラックの香りはスズランと同じようなバイオレット系の甘い香りがしますが、これはライラックアルコールが主成分です。ですが、花から直接採集することは出来ません。
日本には明治になって導入されました。明治19年に出版された松村任三編『帝国大学理科大学植物標品目録』で「ムラサキハシドイ」の和名が与えられました。日本の自生種のものはハシドイです。ハシドイとは、枝先に房なりの花を密に咲かせることから「端に集う」が語源になっています。
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| 宮部金吾記念館前にある 日本最古のライラック(左手) |
北大植物園の話が出たところで脱線します。大学でフランス語の先生は日本人の病院長と結婚したフランスの女性でした。「こんな素晴らしい春の日に教室にいるのは馬鹿よ」とクラス全員を歩いて10分ほどの北大植物園に連れ出し、芝生に座らせて、教科書にはない「Lira」の発音を教え、折から60年安保闘争最盛期で、クラス全員がデモに参加したりしたりすると「もっとやれ」とけしかけ、革命の原点だと「ラ・マルセイエーズ」を暗誦させたりする人でした。おかげで今でもフランス国歌とフランス童謡が原語で歌えます。日本の国歌と唱歌もままならぬというのに。
試験で落第点を取ると、呼び出して「今朝起きてから今までをフランス語で説明して」と教科書の1ページ目にあるような「歯を磨いて、食事して、勉強に来ました」程度のことを言うと「ボン」と合格にしてくれました。
私のタロ、ジロ物語
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| 北大植物園前の犬飼教授とタロ =北大植物園のサイトから |
タロ、ジロが人の心を打ったのは、その無心でしょう。ニュースを知った時は涙が出ました。
1年間捨て置かれたのにしっかり生き残り、戻ってきた隊員たちをうらみもせず尻尾を振って駆け寄ってくる。多くの人の胸を打ったのはこの犬たちの健気さでしょう。その時のことが記録されています。
一号機で飛び、犬たちにファーストコンタクトしたのは第一次の大塚正雄越冬隊員でした。その大塚の証言を第三次越冬隊の深瀬和巳隊員が聞き取って書き残しています(「からふといぬ」犬飼哲夫編所収)。
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| 北村泰一隊員に擦り寄るタロとジロ |
「確かに気持ちが悪かった。どのように変わっているのかわからないし、第一、生きていたということ自体にまだ不思議な気 がしているのだから。しかし、私はこの前この犬たちと一年間基地で暮したのだし、止むを得なかったからとはいうものの、置 き去りにしていった者の一味には違いない。犬に対してはやはり何かひっかかる感情はあったわけです」
「お互いにシリごみしているのをみているうちに、やはり私が行ってみることだと思った。たとえ狂暴化していて、腕の一本や 足半分ぐらいくいちぎられても仕方がない。わたしたちが残してきた犬なんだからと、ちかづいてみました」
「ところがどうでしょう。ほえもしないしあとずさりもしない。ちゃんと昔の主人をむかえてくれた。シッポをふる。体をすり寄せて くる」
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| 昭和基地でのタロ(左)とジロ |
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| 北大植物園でのタロ |

【 ボタン(牡丹) 】
これは意外でした。寒牡丹などというのがあって、上野公園の牡丹園で雪囲いしてある写真を見ていただけに、そんなに寒さに強いとは思いませんでした。しかし、
99年6月見事な花を咲かせました。きっかけは98年の晩秋、ある家の不幸で北海道千歳市を訪れました。すべて終わって飛行機まで時間があるので土地の人に
園芸店でもないかと聞いたら千歳森林組合があると教えられ、
タクシーで出かけてみました。
園内に牡丹の苗がごろんと転がっています。このあたりでは根伏せして冬を越し春に植え替えて咲かせているといいます。求めて八ヶ岳まで運びましたが、
もう冬が駆け足で迫っており、地面も凍り始めていて、根伏せどころではない状況。プランターに赤玉土を入れて植え付け、戸外に出して枯れ草を根の周りに敷くのがやっとという
あたふたぶりでした。雪の下に埋まっていればまだしも、
マイナス10数度の雪面に20センチほど枝が出た状態で越冬したので、だめだろうと思いつつ、行くと、上述のようにピンクや赤の見事な花を咲かせたのです。
【 シャクヤク(芍薬) 】
これなら同じ仲間(木か草か違うだけ)だから、シャクヤク(芍薬)も、うまく土に埋めれば育つのではないかと考えました。ミレニアムの2000年、3株を越冬させたら、
これも大成功(写真左)。初年度花が咲いたのは1株でしたが、
2年目から大株になり、3株ともたくさん花芽がつくようになりました。牡丹といい芍薬といい、あの寒さに耐えて春一気に美しい花を咲かせるのは不思議でなりません。
しかし、家人にこういわれました。「きれいだけれどここには似合わない」。華麗ではあるが八ヶ岳の自然と合わないというのです。
植物の越冬ばかりに気を取られていて、それ以前のバランスということを忘れていたようです。
また、イギリス人はバラ好きで知られていますが、風土が寒いので、なんとか寒さに強い品種改良をしようと、苦心して見つけたのが、同じバラ科の日本のハマナス。これを元に寒さに強い品種が 生み出された、と何かで読んだことがあります。注文したのですが、秋も深くなって 千歳森林組合から届いたものは、枯れ木と見まごうばかりでした。すでに凍りはじめた土地に突き刺すだけという状態でしたが、99年6月、青々とした芽吹きをみて生命力に感嘆したものです。
ハマナスは漢字では「浜梨」「浜茄子」などと書かれます。実が梨と似ていて浜辺に咲くので「浜梨」とされたものがなまって「ハマナス」になったという牧野富太郎博士の説をめぐって賛否半々、その喧々囂々たる論争ぶりは「花の物語」の中で書きました。敷地に移植して様子を見ていますが、もともと海岸沿いの砂地に育つ植物だけに、肥料もやらないのですが定着しています。
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| 甲州街道沿いにある星野家の本陣跡。 入り口すぐ右手に寮歌の記念碑がある。 |
以下は余談です。
八ケ岳の行き帰り、中央道が渋滞した時など下の甲州街道を走るのですが、あるとき、大月で下り、少し走ったところに「本陣跡」という立派な建物をみかけました。国指定の文化財というので見学したのですが、その一角に「瓔珞みがく」の碑がありました。山梨県の山間の宿場跡に何で北大寮歌が、と驚いたのですが、この本陣の当主が作曲者だったのです。正しくは<櫻星会歌「瓔珞みがく」>で、櫻星会は現在の体育会、その会歌として作られたもので寮歌ではないのですが、学生に親しまれ、いまでは寮歌の扱いを受けている歌です。
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| 入り口すぐ右手にある 「瓔珞みがく」の記念碑。 |
置塩 竒(おしお くすし)氏は大正9年 北海道帝国大学予科に在学中にこの歌を作曲し、のちにこの本陣の所有者である星野家に養子に入った方です。歌碑はすでに札幌の北大植物園の中にあるのですが、昭和45年、北大東京同窓会が記念碑を建設し寄贈したものです。
10年後の昭和55年に作詞者の佐藤一雄氏未亡人とともに札幌を訪れた星野さん夫妻の新聞記事が残っています。このとき84歳で「私と違って作歌者の佐藤君は豪放な人でした。その佐藤君の詩に私が曲をつけたのですが、夜中、布団に横になりながら頭に浮かんだメロディーをもとに、次の朝、恵迪寮食堂にあったオルガンで譜面を書きました。実はそのオルガンに昨日対面しました。昔のままで、懐かしい思いがしました」。「アインス ツバィ ドライ」で、全員で「瓔珞みがく」が歌われた。足腰が弱くなって手放せないはずのツエを背広の前ボタンにかけ、両足でふんばった星野さんも声を張り上げていた。(昭和55年4月27日北海道新聞朝刊)
江戸時代に整備された甲州街道は、最終的に下諏訪までの道筋に45の宿駅が設置されました。下諏訪で温泉「旦過の湯」(たんがのゆ)に入った時、そのまん前が甲州街道の旧道で狭い石畳が残っていました。甲州街道の内、大月市内だけで下鳥沢宿から黒野田宿までに12もの宿場がありました。江戸の守りのため、国境の小仏峠以西を重要視し、いざという時に敵の侵入を食い止めるために宿駅を多く配したといいます。
かつて本陣や脇本陣などだった家も多数あったのですが、老朽化のため、建替えや改築した家が多く、江戸時代の本陣建築を伝えるのはいまでは「星野家住宅」だけとなり、主家と籾蔵および味噌蔵、文庫蔵の三棟が宅地を含めて重要文化財に指定されています。
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| 本陣にかかっている「瓔珞みがく」の歌詞。 |
星野家は、近世初頭から下花咲宿の本陣と問屋を兼ねていましたが、甲州街道は高遠・諏訪・飯田のわずか三藩の大名しか利用しなかったため、本陣の収入だけでは経営が成り立たず、地主・穀物商・金融業の他、酒造や林業、養蚕、薬屋など手広く商いを営んでいました。現在は一般公開されていて(木曜を除く毎日。10:30〜12:00、13:30〜16:30。大人300円、中高生150円)室内に額入りの「瓔珞みがく」の歌詞も展示されています。(寮歌のリンク先に歌詞とメロディーがありますが、作曲者の名前が間違っています。)
【 カエデ(楓) 】
カエデのたぐいはみな寒さに強健です。何年か前、途中の長野県・南牧村の農道に植えつけられたばかりのカエデを見ましたが、細くて雪と強風にあおられる姿はか細いばかりでした。でも、2年後には2倍の2メートルを超す高さになり枝振りもこんもりとなってきました。 自生しているカエデについてはこの後の項目で説明しますが、ここで紹介するのは寒さに強いというので東京で求めたものを八ケ岳に植えたものです。
デショウジョウ(出猩猩)(写真左上)という色鮮やかな種類は見事に根付きました。春先といってもこのあたりでは6月ころのことですが、緑一色の中に文字通り異彩をはなっていたのですが、2001年春背丈が半分になってしまいました。亡くなった愛犬グレースが雪の上に出ている部分をかじったためですが、見るたびに思い出して、追憶のカエデになっていました。大事にしていたのですが、2005年枯れました。春先の緑の少ないときにシカが来て新芽を食べてしまったからです。山梨県の大泉村にある園芸店でベニサンゴカクモミジ(写真左)というのを見つけました。樹皮がサンゴのように真っ赤。葉は鮮やかなグリーンです。名前からは一見南方系の植物に見えますが、カエデの仲間は寒さに強いので2000年春求めて林の中に植えました。こういう名前のカエデはないので園芸種のようです。「珊瑚閣」という名前の園芸種があるので名前はここから来たようです。
カラマツとシラカバの林の中に1本だけ赤い幹。赤とグリーンのコントラスがきれいですが、これも愛犬グレースが冬に雪の上に出ていた部分をかじり、半分の背丈になり、次に2005年の森が不作の時に飢えたシカが食べてついに枯れたのです。上記のカエデ2種はもうないのですが、寒冷地で育つことを確認するため、この項を残しておくことにします。![]() |
| 八ケ岳の秋を彩るコハウチワカエデ(奥の紅葉)と ウリハダカエデ(手前の黄葉) |
八ケ岳の紅葉を語るとき主役となるのがこのコハウチワカエデです。八ケ岳はカラマツが多いせいで、 紅葉というより、黄色が勝った「黄葉」のイメージなのですが、山のあちこちに見事な紅葉が見られます。それがこのコハウチワカエデなのです。左の写真は2006年秋のものですが奥がコハウチワカエデの紅葉で手前がこのあと取り上げるウリハダカエデの黄葉です。
コハウチワカエデの「小葉」というからには「大葉」があるわけですが、それはただ「ハウチワカエデ」といいます。小さな相違点はあるもののほとんど同じです。八ケ岳には両方生育していますが、「小葉」の方が高所を好むせいか、こちらが多くなっています。
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| 10月末のハウチワカエデの紅葉。 |
葉は枝に「対生(たいせい)」で枝の一節に左右に向かい合って付きます。葉と枝の間は、葉の長さの半分ほどの長さの「葉柄(ようへい)」があります。葉の形は「掌状浅裂(しょうじょうせんれつ)」というもので、葉柄の先から数本の脈をもった葉が、9から11の浅い切れ込みをもちます。裂片は「卵形」をしています。
花は5月頃に咲き、萼(がく)は暗紅色で花弁は淡黄色です。花の付き方は「散房花序(さんぼうかじょ)」で花軸に柄のある花が付きます。![]() |
| 新緑の時のコハウチワカエデ。 葉の下にあるのは花。 |
葉の形は整っていて、やや堅く、葉身は長さ4〜7.5センチ、幅5〜10センチで、主に9裂していますが、7〜11裂のものもあります。葉柄は長さ3〜7cmで、葉身よりもやや短くなっています。若葉では両面に毛が多いものの、成葉では裏面と葉柄に少し毛が残ります。当年生の枝には必ず軟毛があり、前年枝にも毛が残るのが本種の特徴の1つであり、同定ポイントです。
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| ハウチワカエデの葉 | コハウチワカエデの葉 |
カエデの仲間は子孫を残すためにすばらしい仕組みを持っています。最初は果実は緑色ですが秋に熟すと茶色になり「翼果」=写真右=というものになります。一つ一つの長さは1.5〜2センチほどで短い軟毛があります。翼はほぼ水平に開きます。子どもの時遊んだ竹とんぼとそっくりで、木から落ちるとくるくると回りより遠くへ飛散しようと風に乗っていきます。プロペラに軟毛があるのはより空気抵抗を増やすためで、自然の妙というほかありません。
ところで、モミジ(紅葉)とカエデ(楓)の違いですが、園芸上は、葉の切れ込みが深くだいたい7裂の切れ込みのあるのをモミジ、切れ込みが浅い葉や、13から15裂に切れ込むものをカエデとしているようです。カエデは世界中にたくさん分布していますが、そのなかで、我が国だけに自生するものをイロハモミジ、オオモミジ、ヤマモミジなど「モミジ」と呼んでいるようです。
【 ウリハダカエデ(瓜膚楓) 】

上の項で紹介しましたが、ウリハダカエデも八ケ岳の紅葉ウを彩る主役の一つです。秋が深まると黄色からやや朱色を帯びただいだい色に紅葉します。葉が半ば透けて見えるのも美しいものです。
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| ウリハダカエデの木肌。 |
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| ウリハダカエデの黄葉。 |
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| ウリハダカエデの紅葉。 |
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| 新緑の時のウリハダカエデの葉と花 | ウリハダカエデの花のアップ |
ウリハダカエデは雌雄異株(まれに同株)。花は5月頃に咲き、前年枝から一節の若枝をのばし、1対の葉の間から花序を伸ばします。花序の長さは5〜10センチほどで、十数個の1センチほどの花が付きます。花弁は5枚で黄緑色。雄花の花弁は長さ5ミリほど。雄しべは8本で、雌花にも退化したものが8本あります。果実は翼果と呼ばれるもので夏(7〜10月) に実り、長さ2〜3センチのものが斜めに開きます。コハウチワカエデの果実は竹とんぼ型ですが、こちらは片翼で羽子板の羽に近く、羽の根元に茶色い種子を抱いています(写真右)。
やはり風を待って遠くに飛ぶ工夫なのです。

「黄葉」も「黄葉」も音読みではどちらも「こうよう」ですが八ケ岳では「黄葉」が主であることは説明しました。
紅葉の色はその植物の種類によって、赤くなるもの、黄色くなるもの、褐色になるものが決まってます。ちなみに黄色くなっても褐色になっても紅葉といいます。
紅葉するものは、漆、楓、合歓、葡萄、柿、梅、柏、桜、蔦、躑躅など。
黄葉するものは落葉松、桂、朴木(ホオノキ)、壇香梅(ダンコウバイ)、マンサク(満作)など。カエデの仲間でも板屋楓(イタヤカ
エデ)は黄葉します。八ケ岳ではカラマツ(落葉松)が多いため、こちらのイメージです。
褐色に変化するものは、欅(ケヤキ)、小楢(コナラ)、水楢(ミズナラ)栗(クリ)、犬撫(イヌブナ)などブナ科の植物に多く見られ
ます。
樹木はなぜ葉を落とすのか
樹木は常緑樹と落葉樹に大別されます。落葉樹は春に冬芽が発芽して葉を展開し、夏の間に盛んに光合成をして、成長し、種子を作るための養分を貯蔵します。これがもし、落葉樹が秋になり気温が下がってきても緑の葉をつけたままだとどうなるでしょう。日照時間が少なく、また寒さのために葉緑体での光合成能力が落ちてしまい植物体を維持できないばかりか、冬には乾燥により葉裏の気孔からどんどん水分を奪われてしまい、木全体が死んでしまいます。こうした生育に不利な時期には一度に落葉して、休眠芽や冬芽の形で休眠する必要があります。冬のあいだ、鱗片葉(鱗のような葉)の膨らみの中でじっとしながら少しずつ大きくなっていきます。
常緑樹(冬にも緑の葉を付けている樹木)は常緑といっても全く落葉しないわけではありません。毎年新しい葉が展開して、古いものから落葉していきます。目立たないだけです。八ケ岳の我が山小舎の周りに常緑樹のシラビソがありますが、秋に下を通りかかるとハラハラと首筋に入るほど多量の落葉です。春に新葉と交替するときに一番たくさん落葉しますが、素人目ながら全体の三分の一の葉は落ちるでしょうか。落葉には樹の中の老廃物や大気の汚染物質を外に吐き出す作用もあるのです。アラカシやクスノキ等の常緑広葉樹では春に落葉します。
紅葉の化学
紅葉と黄葉ではその色づくメカニズムが違います。
冬が近づくと植物は葉を落とすための準備として葉と枝の境に離層を形成します。この離層によって、葉の中で生産された糖分は枝の方に移送されるのが妨げられ、糖分は葉の中に残ってしまいます。この状態で葉緑体の中にある、葉を緑色に見せる色素、クロロフィルは老化してアミノ酸に分解されます。葉緑体の中には黄色の色素カロチノイドも含まれています。クロロフィルの量はカロチノイドに比べて8倍とはるかに多いため、春夏は緑の葉に見えます。しかし秋になりクロロフィルが分解されると緑色が消え、隠されたカロチノイドの黄色が表にでてくるた
め葉は黄色くなります。イチョウなどはこのように黄葉します。
カエデなどの葉が赤くなるのはこの時、これらの糖分やアミノ酸を材料にアントシアニンという赤色系の色素が合成されるからです。褐色になる場合も赤色と同じ仕組みで、フロバフェンという色素ができるためです。
橙色はカロチノイドとアントシアニンが適度にバランスされた時の色、紫はクロロフィルの分解が十分でない時にアントシアニンが合成された場合に出る色です。
ついでに言えば、カロチノイド系の色素は黄色から橙色まで様々ですが、代表的なのはニンジンカロチンです。クチナシの黄色素は「栗きんとん」や「中華麺」の着色料として広く用いられていま。トマトのトマト色もリコピンというカロチノイド系の色素です。
美しい紅葉になる条件
紅葉の美しさはいかに多くの糖分が葉に蓄えられたかと、葉緑体がいかに早く分解されるかで決まります。日中は温暖で夜間に急激に冷え込むとクロロフィルの分解は促されます。夜の気温が高いと昼に蓄えた糖分が呼吸などに使われてしまうため、昼と夜の温度差が大きいというのが紅葉が美しくなる第一のポイントです。次に空気が澄んでいて、葉が充分に日光を受けるということも必須条件です。
新緑の候の紅葉もある
アカメガシワ、アセビ、カナメモチなどでは5月頃に出る新芽が赤くなるという紅葉が見られます。その紅葉は鮮やかですが、間もなく新緑へと変化します。若葉の紅葉という現象は秋の紅葉と同様、アントシアニンで起こります。アントシアニンの赤い色素はクロロフィルが生産できるまで、若葉の生長を紫外線から守る働きをしています。葉緑体を保護するため紅葉する常緑植物はスギ、ナンテン、ヤブコウジなどです。日当りのいいところに生えている杉の葉は冬になると赤くなります。
紅葉(もみじ)という植物はない
紅葉見物を「もみじ狩り」といい「渓谷のもみじが美しい」などといいますが、「もみじ」は色づく葉を持つ植物を指す俗称で学術的には「もみじ」という植物はありません。紅葉を「もみじ」と読ませるのは色を揉み出すところから来ているようです。「もみいず」(揉み出ず)→「もみじ」(揉出)となったようです。
ヤマモミジ、イロハモミジなどモミジという名がついた植物はすべてカエデ科の植物で、日本には30種類以上があります。我が山小舎にもカエデが何本かありますが、その成長の遅いことはまどろっこしいほどです。1年でおよそ10センチほどしか伸びませんから、10メートルほどの成木になるまでに20年以上もかかるのです。しかし、成長が遅い分、カエデ科の木材は堅く、弦楽器やビリヤードのキュー、そしてボウリングのピンやレーンなどに使われています。
そのカエデという名前の由来は実は万葉集だといわれています。カエデの葉がカエルの手に似ているということから「蛙手」(かえるで)と歌に詠まれていました。また盆栽の世界ではカエデとモミジはきちんと区別されています。イロハモミジのように葉の切れ込みが五つ以上のカエデ属だけをモミジと呼び、その他のカエデ属をカエデと呼んでいます。

八ケ岳では以下に紹介するようにいろいろなツツジが見られます。 ツツジ(躑躅)は、植物分類学ではツツジ科ツツジ属の植物の総称です。日本ではこの中に含まれる ツツジ、サツキ、シャクナゲを古くから区別して呼んでいます。この区別では学術的な分類とはしばしば食い違うことがあります。。
ツツジやサツキは民家の庭先や公園や道路の分離帯におなじみですが、日本では古くから栽培の歴史を持ち、古木では800年とか1000 年というものもあるくらいで、早くから育種も進んでいた「ツツジ先進国」でした。元禄5年(1692年)に伊藤伊兵衛により刊行された「錦繍枕」(きんしゅうまくら)は、世界最古のツツジ、サツキ専門書とされています。
盆栽などで親しまれているサツキ(皐月、学名 Rhododendron indicum)はツツジ科の植物で、本来山奥の岩肌などに自生し ていたものです。他のツツジに比べ一か月程度遅く、旧暦の五月(皐月)の頃に咲き揃うところからサツキツツジ(皐月躑躅) などとも呼ばれていたものですがいつかサツキとなりました。
サツキとツツジは見分け方が難しいです。開花時期が違うほか、サツキはツツジに比べ、花弁がろう細工のような光沢を 持つこと、また一つの株に、単色花と絞り咲きの花、覆輪花などが混じって咲く品種が多く、花色が豊富だということがあ げられます。
意外かもしれませんがシャクナゲもツツジ属 の仲間です。ツツジ属 (Rhododendron) は便宜上、落葉性のツツジ類と常緑の シャクナゲ類とに分類されますが、日本で「シャクナゲ」と 言う時はホンシャクナゲの仲間に限られ、常緑であってもそれ以外のものは「シャクナゲ」とは呼ばないのが普通です。
園芸店で「ロードデンドロン」とか「アザレア」とかツツジに似た花を見かけますが、これはアジアにあった常緑のツツジ類が ヨーロッパに持ち込まれて園芸化されたのがロードデンドロン(*Rhododendron) と呼ばれ、 アメリカに持ち込まれた落葉性のものが品種改良されたものがアザレア(Azalea) と呼ばれるものです。私も二子玉川の大型店で 新種かと思って「エクスバリーアザレア」を求め、八ケ岳に運び上げたことがありますが、これは、八ケ岳にふんだんにある あのレンゲツツジ等から作られた園芸品種です。
*ロードデンドロン Rhododendronは、rhodon(バラ)+ dendron(樹木)の意味。
ツツジ属は、大きくヒカゲツツジ亜属とツツジ亜属に分類されます。
【ヒカゲツツジ亜属】 エゾムラサキツツジ
【ツツジ亜属】 ヒラドツツジ、キリシマツツジ、レンゲツツジ、ヤマツツジ、サツキ(サツキツツジ)、
ミツバツツジ、クロフネツツジ
またツツジは常緑性ツツジと落葉性ツツジに分けられます。落葉性ツツジには、レンゲツツジ、クロフネツツジ、ゴヨウツツジ、ミツ バツツジ、などがあります。こうした高山性の種類は耐暑性がないので、あまり庭木には使われませんが逆に、八ケ岳のような ところではうってつけといえます。落葉性ツツジでもクロフネツツジやミツバツツジ、トウゴクミツバツツジは耐暑性があり九州でも 植えられています。
【 レンゲツツジ(蓮華躑躅) 】![]() |
| 6月末、我が山荘の敷地一杯に咲くレンゲツツジ。 これは少し盛りを過ぎている。(06年6月25日) |
春一番の私の作業の中で時間をかけて行うのが「レンゲツツジの裾からげ」と勝手に名づけている ものがあります。この木はずいぶん枝が曲がって八方に広がるので、林の中を歩くのに邪魔ですから紐でくくって 一からげにするのです。かねてから癖の悪い樹木だと思っていたら、ある年ハッと気づかされました。雪の重みで 広がるのです。本来はまっすぐ上に伸びるはずのものなのです。自然の厳しさに耐える姿だったか、と思うと急に しおらしく感じたりします。
漢字で「蓮華躑躅」と書きます。つぼみや花と葉が輪状に展開する様子を仏(ほとけ)が座る蓮華(蓮の花)に 見立てたことから名付けられたというのですが、有毒植物だというのはごく最近まで知りませんでした。 ツツジ科植物の有毒性は古くから知られていて、紀元前4世紀のギリシャの哲学者クセノフォンの著書のなかで 兵士たちがツツジ属植物の蜜をとった蜂蜜で中毒した様子を記録しているほか、 最近でもトルコでツツジ属の花からとった蜂蜜で人間の中毒事故が起きたという報告があるそうです。

全木にグラヤノトキシンという毒があり、嘔吐、血圧低下、麻痺、痙攣 を起こすというから穏やかではありません。 本能でこれは有毒だと知っている牛や馬の家畜が食べないから放牧地の富士、浅間、八ヶ岳などの山麓で大群落をつくる のだといいます。そういえば周りにはレンゲツツジの名所になっている丘陵地がたくさんあります。
しかし、敷地で見ていると、この有毒植物にもいろんな昆虫がやってきます。彼らは中毒にならないどころか、葉も有毒なのに 毛虫がむさぼっていたりします。ここにも自然の妙があります。
名前の由来も面白いです。ツツジの漢名「躑躅」(てききょく)というのは「二、三歩行っては止まること。ためらうこと」をあらわします。レンゲツツジの漢名は「羊躑躅」です。「羊が毒にあたって二、三歩行っては止まること」から名づけられているというからすさまじい命名です。
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| レンゲツツジの花 |
ツツジ(躑躅)という名の植物はありません。百合などと同じくツツジ科ツツジ属の植物の総称です。世界に約82属、2500種もありうち日本では43種が分類されています。シャクナゲもツツジの仲間です。葉は常緑または落葉性で互生し、鋸歯がなく、先端に水孔があります。花は鐘形ときに筒形で、先が5〜8裂します。おしべは花冠裂片と同数か2倍あり、葯は先端に穴が開いて花粉を散らします。堕果(さくか)は4〜5室からなり、室の背面が縦に裂けて多数の小さな種子をまき散らします。
混同している人が多いようですが、ツツジとサツキの区別は園芸植物かどうかという点です。サツキは日本で江戸時代から園芸化され、花の美しい品種が多く、盆栽や鉢花、庭木に栽培されるツツジ科の低木をいいます。和名「サツキツツジ」の略称で、5月(皐月)に開花することから名付けられたものです。
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| レンゲツツジのさく果。 |
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| 秋になると種子は周囲に散る。 |
北海道・千歳市での葬儀に出席した折り、立ち寄った森林組合で「寒さに強い木は?」と尋ねて、
教えられたのがこのクロフネツツジでした。
別名、 カラツツジ。中国北部、朝鮮半島原産とありますから寒さには強いわけです。
学名の種小名「Rhododendron schlippenbachii」は発見者であるシュリッペンバッハ男爵に因む命名だそうです。
冬に葉が落ちる落葉性ツツジです。 春真っ先4月〜5月、八ケ岳では6月に入ろうとする頃に直径5センチにもなる大きな
花を枝先に数個付けます。このうすいピンク色の花には芳香があります。花冠は漏斗形で5中裂し、雄しべは10個あ
ります。
花をつけた後から葉が出ます。葉は倒卵形から広倒卵形で、枝先に5枚葉を輪生状に互生します。若枝には腺毛が密生します。
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| ツツジの女王の異名を とるクロフネツツジ |
日本に持ち込まれた時期ははっきりしてて、寛文8年(1668年)朝鮮半島から渡来したとされます。韓国では多くの自治体で 市花などに採用されているそうです。なんで「黒船躑躅」なのか。黒船がやってくるはるか昔に渡来しているだけに命名の由来は さだかではありません。
樹高は1〜1.5メートル、中には4、5メートルになるものもあるというのですが、我が家のものは数年たつのにまだ素焼き の植木鉢です。寒地の植物だけあって成長は遅いです。 その後知ったのですが北大植物園にあるクロフネツツジが大木として有名です。
【 サラサドウダンツツジ(更紗灯台躑躅 ) 】
サラサドウダンツツジは八ヶ岳の気候と土壌に一番あった植物で、いたるところで見かけます。我が敷地にも移植
分を含め大小20本ほどが育っています。最初に持つ疑問が「なんでこれがツツジなんだろう」ということです。ヒメ
リンゴの実か赤いスズランかと見まごうばかりのきれいな花がびっしりとぶら下がったところは見事です。ツツジ科
に属するための名前ですが、ツツジとはだいぶイメージが違います。
このあたりを管轄する臼田営林署の署長さんと知り合い、カラマツ以外何もない(実際はたくさんの花や木が笹の下に隠れていた)ので、何かないかしら、と相談したら 、八ヶ岳全山に多く、土質が土地にあっているからと勧められました。そのうち2,3本担いでこられて敷地に植えていかれました。最初、ただの木でしたが3年ほど後の6月、突然 花をつけました。きれいな花にこのときはじめてびっくりしたのです。
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| ドウダンツツジの白い花 |
ドウダンツツジは漢字だと「燈台躑躅」とか「満天星躑躅」、花の形から「風鈴躑躅」と呼ばれることもあります。 字面を見ているとますます読めなく、わけがわからなくなりますが、ここでいう「燈台」は昔の油皿を乗せた行灯 (あんどん)型の燭台をさします。古くはドウダンツツジではなく「トウダイツツジ」といっていたのが変化したものです。
怪談『鍋島化け猫騒動』などでおなじみですが、化け猫がぺろりぺろりとなめることになっている行灯の油は、 昔3本の 細い木の棒の中ほどの一か所をひもでくくり、上下を開いて立てた上に油皿を置いて使いました。こういうのを「 結び燈台」といいました。やがて足が一本の簡単な台付のものとなり、丈の高いものを高燈台、低いものを切燈 台と呼びました。ドウダンツツジは1か所からたくさんの細い枝が放射状に出ることから付けられた名前です。 「満天星」は白いたくさんの花からイメージした当て字でしょう。
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| ベニドウダンの赤い花 |
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| これこそ「満天星躑躅」。木の下にもぐると見事だ。 |

都会で生け垣を見ただけでは、この木がどのくらい大きくなるものなのか、多くの人は知らないでしょうが、このあ
たりには数十年以上もたった3メートルをゆうに超す大木もあって見事な花を付けています。また晩秋の紅葉の
美しさはそれこそ「錦秋」の言葉どおりです。 右に八ヶ岳高原ヒュッテの近くの周遊道路にあるサラサドウダンツ
ツジの見事な紅葉を紹介します(ロッジのHPから)が、これほど大きくなります。何十年という単位ですが。こう
いうのを見ると、歳月を考えてしまいます。
さて、ドウダンツツジとサラサドウダンツツジの違いはどうでしょうか。
@誰でもわかるのが、花色の違い。サラサドウダンツツジは淡い地色に濃い紅色のタテの条(すじ)がある更紗
模様。
A花の形が、先端にいくほど狭くなる壷形がドウダンツツジ。先端が広がり鐘形をしているのがサラサドウ
ダンツツジ。
Bサラサドウダンの方が花期が1か月ほど遅い(八ヶ岳はもっと遅くて6月上・中旬が満開)のと、葉が完全に展開
してから花が開く点。

春先、といっても八ヶ岳では5月下旬、一般では4〜6月ですが、山道や道路の横、またシラカバ林などでハッとするような、鮮やかなショッキングピンクというか赤紫色の花を見かけます。この前後の季節を通じて他にこんな花色はないので大変強い印象を持ちます。これがトウゴクミツバツツジ(東国三葉躑躅)です。
関東、中部地方(宮城県から三重県鈴鹿山系まで太平洋まで)の山地に多いツツジ科の落葉低木です。高さ2〜3メートルあるうえ、葉が開く前に、直径3〜4センチの花を咲かせ、遠くからでもよく目立ちます。花は、深く5つに裂け、おしべが10本(ミツバツツジは5本)あり、葉は枝先に輪状に3枚輪生します。これによりミツバツツジの名がつきました。関東の山に多いので、トウゴクミツバツツジ(東国三葉躑躅)の名がつきましたが、西日本に多いサイコクミツバツツジ(西国三葉躑躅)というのもあります。ユキグニミツバツツジ(雪国三葉躑躅)というのもあります。<。
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| 葉柄にも毛が密生 |
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| トウゴクミツバツツジの 花柱には毛が密生。 |
果実は刮ハ(さくか)。 刮ハとは 種を飛ばすために裂けた乾いた実のこと 自然に出来たドライフラワーといったところ 。長さ1〜1.5センチのゆがんだ円柱形をしていて、毛が密生する。10月ごろに熟しその後、裂開して種子を飛ばす。
ミツバツツジは寒さに強く早春から咲き出すので園芸用に品種改良されていて、家庭の庭や公園にもずいぶん植えられています。
【 イチョウ(銀杏、公孫樹) 】
筑波にある森林総合研究所にいる友人からイチョウが送られてきました。専門家が届けてくれるのだから間違いありません。初めてイチョウが寒さに強いことを 知りました。99年春が初めての芽吹きでしたが、全体に葉が小さいようです。また、寒さが厳しいせいなのかまだわかりませんが、微々たる成長速度で、これでは 大きくなるのにかなりの年月を要する、という印象です。
細々と育っていたイチョウですが、近年シカとニホンカモシカが増え、冬に芽や樹皮を食べるようになりました。留守中にやられるのでどうしようもありません。 細いイチョウがますますやせ細り危険な状態ですが、寒さに強く八ケ岳に適合することは間違いないのでここに掲げておきます。
我が家では家内がイチョウ嫌いです。テニスをしていたら上からギンナンが落ちてきて額、鼻、アゴに一箇所ずつ当たったそうです。たちまちその3箇所が赤 くなり、やがて病院で顔中を包帯で巻かれ、透明人間のごとき姿になって以来です。かぶれるのはブチル酸のためで中に含まれるギンコール酸、ビロボールという成分のせいです。
イチョウ(銀杏)は中国原産で高さは10〜40メートルにもなる落葉高木でイチョウ科イチョウ属の裸子植物です。学名はGinkgo biloba。
イチョウの仲間は古生代末に出現し恐竜と同じ中生代ジュラ紀には世界各地で繁茂していた植物なのでメタセコイアとともに「生きている化石」と呼ばれます。
イチョウの葉は扇形で、葉脈は付け根から先まで二又に分岐を繰り返し広がっています。大きな枝から、短枝という非常に成長が遅い小枝を出し、そこに毎年、 葉をつけます。雌雄異株で、花期の4月には雄株のつける花粉は風にはこばれ、雌株まで運ばれます。秋になると異臭のする肉質の外種皮におおわれた種子をつけま すが、酒のつまみや中華料理や日本料理に使われる銀杏(ぎんなんです。
しかし、こうした仕組みが解明されたのは明治時代で、雄木の精子は明治29年(1896)東京帝大助手、平瀬作五郎が発見しました。官立学校によく植えられたせいか東大、 阪大の校章はイチョウですし東京都のマークもこの木です。また街路樹に一番使われている樹種で全国で62万本植えられています。東京で有名なのは我が家の愛犬アナスタシアもここでデビューした神宮外苑のイチョウ並木ですが、ここの146本は、大正12年(1912)に植えられ、 立体感を出すため手前の青山通り側は24メートルに、奥は21メートルに切りそろえるというほどよく手入れされています。
日本ではイチョウは信仰と深くむすびついた木で、大切にされてきたため、各地の神社や寺に巨樹がみられます。国指定の天然記念物にも20本を超えるイ チョウの名木があります。
近年、「イチョウ葉エキス」が注目されています。名前通りイチョウの木の緑葉のエキスです。 ヨーロッパでは、イチョウ葉エキスは血液循環改善剤として認可されて、脳血管障害、痴呆症患者に対して投与されています。またアメリカでアルツハイマー 症の患者に投与したところ、認識力の向上が見られたとかバイアグラの代替として効果があるとかの報告があったためです。
ドイツ、フランスで医薬品として認可されて、フランスでは全医薬品中の売り上げ1位となっています。イチョウ葉エキスの原料はそのほとんどが日本から 輸出されていて、毎年 1,000 トンにもなります。しかし2年間摂取した健康な女性が硬膜下血腫を発症した報告もあり、日本では医薬品としては認められておらず 、大手飲料メーカーも参加しての商戦ではもっぱらサプリメントとして通販など扱われています。
中国では「銀杏」のほか、「公孫樹」とも書き、また葉の形がカモの脚に似ていることから「鴨脚樹」とも表記されますが、この中国読みを日本人が「ヤーチャオ」と聞いたことから、やがて 「イチョウ」と呼ぶようになった経緯は『大言海』にあります。これが語源の定説と言っていいでしょう。
『大言海』(冨山房)5冊は、著者、大槻文彦の死後、兄や新村出らの協力により、1932〜37年(昭和7〜12)に刊行された一大国語辞典ですが、この辞書の特色は、 出典を示し、独特の語源解釈を試みていることで、たとえば銀杏(いちょう)の語源についてこのように書かれています。
『大言海』序文にある銀杏の語源
北大のイチョウ並木
<銀杏(ぎんなん)の成る「いちよう」といふ樹あり。この語の語原、並に仮名遣は、 難解のものとして、語学家の脳を悩ましむるものにて、種種の語原説あり。この語の最も古く物に見えたるは、一条禅閤(ぜんこう:兼良公、文明13 年80歳にて薨ず)の尺素往来に、「銀杏(イチヤウ)」とある、是れなるべし。
文安の下学集にも、「銀杏異名鴨脚(アフキヤク)、葉形、鴨脚(カモノア シ)の如し」とあり。字音の語の如く思はるれど、如何なる文字か 知られず。
黒川春村大人の硯鼠漫筆(けんそまんぴつ)に「唐音、銀杏の転ならむ」 などあれど、心服せられず。
降りて、元禄の合類節用集に至りて、「銀杏、鴨脚子、」と見えたれど、 是れも如何なる字音なるか解せられず、正徳の和漢三才図会(わかんさん さいずえ)に至りて、「銀杏(ギンナン)、鴨脚子(イチエフ)、俗云、一葉 (イチエフ)」とあり。
始めて、一葉の字音なること見えたり。然れども、一葉の何の義 なるか、不審深かりき。加茂真淵大人の冠辞考、「ちちのみの」の条にも、「いてふ」と見ゆ。
仮名遣は合類節用集か、三才図会かに拠られたるものならむか。語原は 説かれてあらず。さて和訓栞(わくんのしおり)の後編の出でたるを見れ ば(明治後に出版せらる)、「いてふ、一葉の義なり、各一葉づつ別れて叢生 (そうせい)せり、因て名とす」と、 始めて解釈あるを見たり。
十分に了解せられざれど、外に拠るべき説もなければ、余が曩(さき)に 作れる辞書「言海」には、姑(しば)らくこれに従ひて「いてふ」として おきたり。
然れども、一葉づつ別るといふこと、衆木皆然り、別に語原あるべしと 考へ居たりしこと、30年来なりき。
然るに2、3年前、支那に行きて帰りし人の、偶然の談に『己れ 支那の内地を旅行せし時、銀杏の樹の下に立寄り、路案内する支那人に 樹名を問ひしに「やちやお」と答へたり。我が邦の「いちよう」と声似たらずや』と 語れるを聞きて、手を拍(う) ちて調べたるに、鴨脚の字の今の支那音は「やちやお」なり。
支那にては、この樹を公孫樹と云ひ、又、鴨脚とも云ふ)是に於 て、案ずるに、この樹、我が邦に野生なし、巨大なるものもあれど、樹 齢700年程なるを限りとす。
されば鎌倉時代、禅宗始めて支那より伝はりし頃、彼我の禅僧、相往来 せり。その頃、実の銀杏を持ち渡りたる者ありて、植ゑたるにて、その 時の鴨脚の宋音「いちやう」(今の支那音「やちやお」はその変なり)な りしものと知り得たり。
その傍証は、実の銀杏を「ぎんあん」(音便にて、ぎんなん)と云ふも、 宋音なり。実の名、宋音なれば、樹の名の宋音なるべきは、思ひ半(なか ば)に過ぐ。
畢竟(ひっきょう)するに、尺素往来の「いちやう」の訓、正しきなり。 是れにて、30年来の疑ひ釈然たり。因りて、この樹名の語原は、鴨脚の 宋音にて、仮名遣は「いちやう」なりと定むることを得たり。>
(『大言海』 の大槻文彦の序文「大言海の編纂に当たりて」から)
英語でイチョウは「ginkgo」です。これは日本語の「銀杏(ginkyo)からきています。日本には鎌倉時代に中国から渡来した木ですが、江戸時代にこんど は長崎から欧州に紹介されるとき、なぜか「y」と「g」を取り違えたようだといいます。中国生まれで日本育ちの「イテフ」は「ginkgo」として世界に広まっ たのです。
イチョウ並木では我が家の愛犬「アナスタシア」(アーチャ)がデビューした神宮外苑の銀杏並木が有名ですが、ここは右上に私のゆかりの風景を紹介します。 北大の北13条門から入ると、道の両側に300メートル以上続くイチョウ並木です。
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| 春一番に黄色く芽吹くダンコウバイ |
関東・新潟以西の本州・四国・九州、朝鮮・中国に分布するクスノキ科クロモジ属の落葉低木です。谷筋などの二次林に生育します。本来、暖地の山地に生え、まば らに枝分かれして成木は樹高2.5〜7b、幹は直径18aほどの木です。若枝は、はじめ緑色で長い毛が密生するものの毛は落ちて灰褐色になり、楕円または円形の皮目 が目立ちます。樹皮は暗灰色で滑らかです。
ウコンバナ(鬱金花)、シロジシャ の別名 があります。以前は、ロウバイの一種の呼び名でしたが、明治以降分類学が進み本種に用いられるようになりました。檀香 はビャクダンの漢名で、クスノキ科の仲間は枝を折ると芳香がします。この木も同じように材に香りがあるため庭木や花材、楊枝や細工物また薬用としても使われてい ます。
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| ダンコウバイの葉 |
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| ダンコウバイの雄花と頂芽 |
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| ダンコウバイの雌花 |
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| ダンコウバイの果実 |
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| アブラチャンの花 |
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| アブラチャンの葉 |
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| 八ヶ岳では高山性のミヤマイボタになる |
名前ですが、上で漢字表記しましたが、「水蝋」「疣取」ともイボタと読ませているものの、訓でも音でも、どこをとっても「イ・ボ・タ」の読みはなく、 使い道で呼ばれていた俗称から逆に命名されたもののようです。
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| イボタロウムシがつくる白蝋 |
この蝋をイボタ蝋といいますが、この白蝋はすべりがよく、ギシギシする戸障子に塗ってすべりをよくするのに使われたり、家具や家屋、鎌倉彫等の工芸品 の艶出しに欠かせないものです。桐箪笥ではこれでないといい艶が出ないとされます。また蝋燭の原料に用いられたほか、材が堅いため、楊枝や箸、農具 の柄等に利用され、薪炭材としても使われてきました。
次に「疣取」の由来です。「疣」は皮膚にできる出来物イボのことです。上述のイボタ蝋は薬として使われました。蝋を日干しにして、熱して溶かし、濾 (こ)して固めたものを粉末にします。それに水を加えて煮て熱いうちにイボの上に垂らすと取れるとされました。この「イボ取りの木」が語源です。また 切り傷の止血などには粉末をそのまま塗布しました。
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| ミヤマイボタの花。 イボタノキより花が少ない |
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| イボタノキの果実 |
八ヶ岳にあるのは高山性のミヤマイボタ(深山水蝋)です。紹介した写真はすべてミヤマイボタですが、ほとんどイボタノキと変わりません。よく 比べると、葉が比較的細く先端が尖っているのと花の付き方がややまばらです。オオバイボタとというのもありますが専門的になるので省きます。
この項はつい最近まで「エゾベニヤマザクラ」(蝦夷紅山桜)としていました。念のため、下にその全文を再掲載(青い文字の部分)しておきますが、園芸店で言われた通りの名前 を使っていました。ところが最近「Google」の検索を見たら、なんとこんな雑な男の聞き書きが検索ランクでこの項目の一位になっていました。これはいかんと 調べなおしたら、4種ほどある「ヤマザクラ」の亜種のうち「オオヤマザクラ」が別名「エゾベニヤマザクラ」と呼ばれているようなのです。つまり、私は「オオ ヤマザクラ」を植えたことになります。なので、この項は広く「ヤマザクラ」と改め、すこし考察を加えることにしました。
蝦夷紅山桜と書くのでしょう。小淵沢の園芸店で見つけて、「えぞ」というくらいだから寒さに強かろうと数本求めて植えたのが98年6月。丸裸の根だけの状態 で、すでに芽吹いていた葉もまもなく落ちてしまいました。これはダメかとあきらめていたのですが、99年6月小さいながら、みな芽吹きをみました。1本は上の 部分は枯れたものの途中から小さな葉を出しました。もちろん花などまだ望むべくもないのですが、そのうち赤みを帯びたサクラの下で高度1800メートルの花見 の宴が開けることを夢見ています。
蝦夷紅山桜
NTT前社長の児島仁氏は北海道生まれで北大出身の方ですが、仕事でお会いしたとき東京の桜は終わった頃でした。だが、北海道の桜はまだこれから。浦河の方 に延々と続く見事な桜並木があり、山荘がある阿寒からクルマをとばして見に行くという話を伺いました。なんとなくソメイヨシノを考えていたのですが、そんなわ けないのでやはりこのエゾベニヤマザクラではないかと今頃思ったりしていますが、それにしても、日本の桜の季節の長いこと。
二十間道路の桜並木
その後わかったことですが、この桜並木は「二十間道路のエゾヤマザクラ(蝦夷山桜)」と呼ばれるものです。馬産地で知られるれる静内町(現在は新ひだか町)の静内田原〜静内御園間を通る二 十間道路は、道路幅が二十間(約36m)あることからその名がつき、エゾヤマザクラを主に約3000本が直線で7キロにわたり道の両側に咲きそろい、「日本さくら名所100選」 、「日本の道100選」、「北海道遺産」に選ばれているところ。
◇ ◇ ◇
日本の桜の自生種は10品種ほどあります。そのうち、ヤマザクラ群にはヤマザクラ、オオヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラの4品種があります。いずれ も、葉が展葉すると同時に淡い紅色の花が開花します。
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| ヤマザクラ |
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| 遠くから見ると山の中に 霞むように咲いている |
ヤマザクラは個体変異が多く、開花時期、花つき、葉と花の開く時期、花の色の濃淡と新芽の色、樹の形など少しずつ違っています。同じ場所でも一週間程度の開花時期が ずれるのはよくあることです。
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| ヤマザクラの葉 |