八ヶ岳の高地で育つ 木 も の

山ですから木はいっぱいあるのですが、カラマツと白樺が大半です。鬱蒼(うっそう)として原始林かと思うところもありますが、実は 二次林です。戦後の日本の林野行政は愚行の最たるものでしょう。人件費を出すために国有林の大木をただ切り倒してきたのですから。敷地にも 朽ち果てた大木の切株が残っています。そのあと勝手に生えてきたのが今の姿です。広葉樹林に戻そうとまでは思いませんが、いろいろな 木々を見てみたいので、植えまわっています。木の生命に比べれば泡沫(うたかた)のわが身ですが。



この項の目次

カラマツ(落葉松)  ミズナラ(水楢)   モミ(樅)
シラビソ(白檜曽) コメツガ(米栂)   トウヒ(唐檜)
シラカンバ(白樺)ダケカンバ(岳樺)
(他にヤエガワカンバ、ウダイカンバ 、オノオレカンバ も)

ライラック アカシア ボタン(牡丹) シャクヤク(芍薬)

「ライラック」の項に「私のタロ・ジロ物語」があります

ハマナス(浜茄子) 
〔カエデ(楓)について〕(以下の3種を紹介)
ハウチワカエデ(羽団扇楓) コハウチワカエデ(小羽団扇楓) ウリハダカエデ(瓜膚楓)  

紅葉のメカニズム

ツツジの仲間について
レンゲツツジ(蓮華躑躅)  クロフネツツジ(黒船躑躅)
サラサドウダンツツジ(更紗灯台躑躅 )
  ミツバツツジ(三つ葉躑躅)  トウゴクミツバツツジ(東国三葉躑躅)

イチョウ(銀杏) ダンコウバイ(檀香梅 ) イボタノキ(水蝋樹・疣取木)
ヤマザクラ(山桜) (大山桜霞桜大島桜深山桜、蝦夷紅山桜について)
ヤマボウシ(山法師)  サワフタギ(沢蓋木)

ウメ(梅)  サンショウ(山椒) ナナカマド(七竈)
  マユミ(檀 真弓)(ニシキギ、コマユミ、ツリバナ)
バイカウツギ(梅花空木)   ニシキウツギ(二色卯木)

オオデマリ(大手毬)
オオカメノキ(大亀の木)  キンロバイ(金露梅)
シャクナゲ(石楠花) (キバナシャクナゲは「八ヶ岳特有の植物」に
 

(チョウノスケソウ、ヤマナシとコナシ については、
それぞれ「花の物語」の中に詳細があります )

 

・クリックでその項に飛びます。手形マークが出る写真は、クリックで大きなサイズになります




【 カラマツ(落葉松) 】
八ヶ岳の周りは全山がカラマツ林といってもよいほどです。常緑樹が多い「針葉樹マツ科」の中で、黄葉が見られる 日本特産の木です。秋に全山「八ヶ岳イエロー」に彩られる時は一幅の絵のようで見事です。そして、長い冬を越してのカラマツの若葉もまた、黄葉に負けずに美しく、やっと訪れた春を感じさせてわくわくさせます。

山小舎へ入るエントランスで最初に出会うのが2キロほど続くカラマツ並木です。この美しさが気に入って別荘を 購入したという人も多く、日本離れした風景のせいか、クルマのCM撮影にも使われたりしたこともあります。我が 家の犬たちもみな道路の真ん中に座ったベストショットを残しているほどです。

(カラマツの四季のスライドショー9枚で す)

ここを通るとき北原白秋の詩「落葉松」を思い浮かべるのは私だけではないでしょう。

落葉松

         一
   からまつの林を過ぎて、
   からまつをしみじみと見き。
   からまつはさびしかりけり。
   たびゆくはさびしかりけり。

         二
   からまつの林を出でて、
   からまつの林に入りぬ。
   からまつの林に入りて、
   また細く道はつづけり。

         三
   からまつの林の奥も
   わが通る道はありけり。
   霧雨のかかる道なり。
   山風のかよふ道なり。

         四
   からまつの林の道は、
   われのみか、ひともかよひぬ。
   ほそぼそと通ふ道なり。
   さびさびといそぐ道なり。

         五
   からまつの林を過ぎて、
   ゆゑしらず歩みひそめつ。
   からまつはさびしかりけり、
   からまつとささやきにけり。

         六
   からまつの林を出でて、
   浅間嶺にけぶり立つ見つ。
   浅間嶺にけぶり立つ見つ。
   からまつのまたそのうへに。

         七
   からまつの林の雨は
   さびしけどいよよしづけし。
   かんこ鳥鳴けるのみなる。
   からまつの濡るるのみなる。

         八
   世の中よ、あはれなりけり。
   常なれどうれしかりけり。
   山川に山がはの音、
   からまつにからまつのかぜ。

   

北原白秋 『水墨集』から

全編八節の五七調。もともと日本人の耳に心地よい五七調に加えて、頭韻、脚韻ともそろっていますから 文字通り「調子のよい」詩で暗誦に向いています。それと気づかないうち、やわらかい、母音の「あ」音」の 連続にしびれるように作られています。いまは4節くらいで降参ですが、私もおぼえた時代がありました。

白秋は、大正10年(1921年)の晩春から初夏にかけて軽井沢を訪れ、その折に浅間山麓を歩いてこの詩をつくりま した。軽井沢は八ヶ岳からすぐの場所で、植生もほとんど同じです。
白秋の故郷は九州・柳川の水郷です。私も何度か訪れたことがあります。時間の流れが川の流れのようにゆったりした日本の ふるさとのような町です。詩人も信州のカラマツ林を渡る風のリズムに共鳴したのでしょう。

カラマツの葉
春、カラマツの葉がびっしり。
これが晩秋にすべて落葉する。
カラマツは漢字では「落葉松」とか「唐松」とか表記されますが、マツ科カラマツ属です。その英名「Japanese larch 」が示すように日本特産の木なのです。さらに正確にいうと 「種子植物門裸子植物亜門球果植物網球果植物目マツ科カラマツ属」となります。本州の宮城・新潟県以南から中 部山岳地帯に自然分布します。北海道にいくとエゾマツ(蝦夷松)がありますが、非常にカラマツに近い種類です。 火山地帯に生育することが多く、荒れ地・痩せ地・湿地に生育し、林形成の過程で最初に生えるパイオニア的性格 を持つ樹木です。本来の生育地は亜高山帯からブナ帯上部ですが、生育が早いので全国各地で広く植林され、今 ではいたるところで見られます。樹高は30メートル近くになり、直径も1メートルを越えるものがあります。

カラマツの雄花と雌花
先端の黄色いのが雄花。
中央の赤いのが雌花。
カラマツの球果

葉は線形で長さ2〜3センチ。短枝だと葉は円形に、枝先などの長枝では螺旋状に配列されます。花は5月頃に 咲きます。その後 右上の写真 のように卵形の球果を結びます。和名の「唐松」は葉の付いた様子が唐文様に似ているとことから付いたものです。落葉するので「落葉松」(ラクヨウショウ)、富士山に生育するので「富士松」(フジマツ)の呼び方もあります。

カラマツの黄葉
カラマツの黄葉
カラマツは雌雄同株の落葉高木で、秋に黄変し、落葉する裸子植物です。全国どこのカラマツも黄変するのですが、八ヶ岳で は特に「八ヶ岳イエロー」と言われ、見事な黄葉が愛されています。 カラマツは成長が早いこと、耐久・耐湿性があり家屋の土台や屋根板、炭鉱などの坑木、電信柱、鉄道枕木、船舶 用木材として多用されていたことなどから、長野県では、戦前戦後を通じて荒廃した野山に盛んに植樹された経緯 があり、特に多いようです。

成長が早いカラマツは寒冷地での植林樹主として盛んに利用されたものの、衰退に向かいます。電柱がコンクリートになり需要が激減したところに、木材価格が低迷 したからです。同じカラマツでも価格の安いロシアから輸入されるありさまでした。加えて、乾くと硬い上にヤニがたくさん出て加工しにくく、ヤニが多い のでパルプ用材としても使いにくいし、曲がるので家の柱には向かないなどマイナス面が多いことも嫌われ、カラマツ林の間伐の手間賃も出ないと山林は荒れる一方でした。

しかし、近年(2007年)曙光が見え始めました。木材価格が上昇してきて国産カラマツも採算ベースに乗るようになってきたのです。しかも合板技術の進歩で欠点 とされた特徴も克服され、建材として利用価値が高まったのです。カラマツが多い長野県でもやっと間伐などの手入れをしてカラマツ林の「経営」に乗り出す動きところが 増えてきました。

カラマツの新緑
八ヶ岳では全山ほぼカラマツといってよいほど。
カラマツはストーブで燃やすととんでもないことになります。このログハウスを建てたとき、たくさんのカラマツの切り株 が積んでありました。よく燃えそうだなとストーブに放り込んだら、煙突からヤニがしたたり始めたのです。知らなか ったのですが、成分にそうしたものが多く、薪ストーブに針葉樹は禁物なのです。さらによくないのは、煙突内で その成分が蜂の巣状にこびりつき、一定量になると、今度は発火薬のように、煙突を真っ赤にするほどの高温で 燃え、火事の危険が出るというのです。つまり周りに一番多い木が使えないのです。

けちをつけたついでにいうと、秋に落葉した枯葉が道端にこんもり溜まります。雨で流れて側溝にうず高く積もり、 片付けるのに人手がかかる上、冬には強風で互いにこすれて落ちるカラマツの枯れ木が敷地一面にたまり、春先 集めると一山をなすほどです。

カラマツの黄葉
八ヶ岳イエローに覆われた晩秋の八ヶ岳。
カラマツの迷惑を強調しましたが、この木はおいしいキノコであるハナイグチと共生することが知られています。ハナビラタケもこの木に生え、晩秋になるとキヌメリガサも発生する森の恵みの木でもあります。家内は秋に松ぼっくりがついたカラマツを集めクリ スマスリースを作るのを楽しみにしています。樹皮はタンニンを含み染料につかわれます。樹脂からテレピン油がと れます。大きく育った天然生のカラマツは、今ではかなり山奥でないとありませんが銘木として珍重されています。 自然の中では迷惑ばかりかける敵役(かたきやく)という木はありません。みなそれぞれが共生しているのがわかります。 カラマツもまた同じです。春先の片付け作業は骨が折れますが。

世界中のカラマツの故郷、川上村

八ケ岳の横岳に登る稜線の真下にあたるところに別墅(べっしょ)を構えてほぼ20年。まわりにカラマツが多い ので四季の写真とともにいささかの薀蓄を上に書きました。ところが、このあたりのカラマツが見事なのも当たり前で 明治時代からすぐ隣の川上村がカラマツの苗木の世界一の生産地で、この辺りはもちろんのこと、東北、北海道 からヨーロッパにいたる世界中のカラマツの故郷であることを、最近になって(2006年)知りました。北原白秋が歌った軽井沢高原 のカラマツ林も、ヨーロッパや韓国のカラマツもみな川上村の苗木なのです。

我が山小舎の周りの林はカラマツだらけですが、薪としては使えないことは上に書きました。しかし建材としては評価は違います。 天然のカラマツは「天カラ」と呼ばれ、時間がたつほど赤みが増して、いい風合いになり貴重なものとされます。天然ものはそう手に 入らないので植林が行われるようになったのです。

以下は、長野県でカラマツの研究を専門にしている武井富喜雄氏(現長野県林業総合センター学習展示館館長)が川上村で カラマツについて講演した内容などからの引用です。

はじめは山びき苗(山から採集した苗)を植林していた(1830年頃、佐久)のですが、やがて養苗技術の発達で大規模造林 がはじまりました(明治少し前、松本、南佐久で)。最初のカラマツの造林を行ったのは小諸藩(1852年)で、この林は今も残っているそうで、非常に赤みの強い見事な材だといいます。川上村にはもっと古く、300年くらい前の人工林があるといいます。江戸時代にさかのぼる早くからこの辺りでは、すでに苗木の生産が行われていたようです。

1880年、高遠藩の中村弥六(なかむら・やろく)がドイツ・ミュンヘン大学に留学しました。高遠は今は桜の名所ですが八ケ岳からすぐの高遠市で「絵島生島事件」で大奥の江島がお預けになり生涯を過ごしたところとして有名です。

絵島生島事件(えじまいくしまじけん、絵島は江島とも表記) 

大奥女中江島と歌舞伎役者生島新五郎の起こしたスキャンダル。正徳4年1月12日(1714年2月26日)、江戸城大奥の御年寄・江島は、仕えている月光院の名代(みょうだい)で前将軍家宣の墓参りに行き、その帰りに山村座の生島新五郎の芝居を見た。芝居の後、江島は生島らを茶屋に招いて宴会を開いたが、夢中になり大奥の門限に遅れてしまった。大奥七ツ口の前で「通せ、通さぬ」の押し問答から大事件に発展する。

当時の大奥には、現将軍、家継の生母・月光院を中心とする勢力と、前将軍、家宣の正室・天英院を中心とする勢力があった。月光院は将軍の補佐役である新井白石らと親しいことから、月光院側が優勢だった。しかし天英院側はこの事件を利用して勢力挽回をはかった。

事件の関係者が徹底的に調べられ、大奥の規律の緩みが次々と明らかにされた。江島は死罪、江島の兄も切腹となった。月光院の嘆願により、江島については罪一等を減じて高遠藩へお預けとなった。生島新五郎は三宅島への遠島となり、山村座は廃座され、江戸中にあった芝居小屋は浅草聖天町(猿若町)へ移転させられた。最終的に1300人ほど処罰された。

この事件により天英院側が優勢となり、翌年家継が亡くなると、天英院が推していた紀州の徳川吉宗が次の将軍となった。

事件の方はともかく、明治維新の直後に早くもこの小藩から海外に雄飛した青年がいたというのにも驚きますが、彼はこのとき理由は分かりませんが日本カラマツの苗木をドイツに持っていきました。

中村弥六はドイツで肥料学を学んだようです。北大図書館に「實用肥料書 : 全 」( 望月紫霞三著 ; 中村彌六校訂並びに序文。 東京 : 有隣堂 1894.2 出版)というのが残っています。貴重図書として扱われていて貸し出し禁止扱いになっています。その後の中村彌六の詳細は分かりませんが、農学で一家を成した人のようです。

彼がドイツに植えたカラマツはその成長の早さがドイツ林業関係者の注目するところとなり、その後長野県で育苗に成功したこともあり、それからヨーロッパ中に川上村のカラマツの苗木が輸出されはじめたらしいのです。明治初年、村出身の若き教師の先見の明と努力で、良質の種子を確保し育苗に成功したのが発展の基礎となりました。そのヒーローの名前を知りたいと2006年6月、川上村に問い合わせたところ、

「教師の名は、川上の村長もなさった方で、井出喜重氏かと思量します。教師という肩書きを持っていたことを知りませんでしたので時間がかかってしまいました。 井出氏は、川上村の産業発展に様々の方面に寄与しました。カラマツ育苗について『落葉松栽培法』を著し、その基礎をつくりました。もう一人、川上村の初代村長、川上氾九郎氏の功績を讃える方もあり、諸説あります」(川上村役場産業建設課林務担当、山中光雄氏)

戦後になってもドイツでは川上村のカラマツは有名で、1956年にドイツから調査団が来日して川上村梓山からはじまって、八ヶ岳、乗鞍、上高地等、仙台から静岡に至るいろいろな所から種を集めて帰国しています。ドイツでその苗木をおこし、国の方々に植えて試験をし、40年後、成果集としてまとめています。今に至るも欧米では日本からのカラマツが大事にされているの に比べ、日本のカラマツ林は先の大戦でほとんど切られてしまいました。

今あるものは大部分戦後に植えられたもので、北海道に 46万ha、長野県24万ha、岩手県が12万ha、これが御三家です。ところが日本カラマツは世界地図では見事な成長をとげています。
韓国    50万ha(明治29年から)
ドイツ   4千ha(明治13年から)
イギリス  2万3千ha
デンマーク 4千ha
韓国が飛びぬけて多いのは、戦前の日本統治時代に川上村から運んだものでしょう。

いったん下火になった日本のカラマツですが、最近見直されているそうです。木材を蒸気で蒸すことで、ヤニを封じ込め、ねじれも直し乾燥 もさせるという(蒸して柔らかくなった材を押さえることで曲がりも直 す)技術の開発によって、柱、土台、板等、今までより多方面に使うことが可能になり、将来は明るいといいます。薪にもならないと、私が馬鹿にしていたカラマツにはこのような大きな物語が秘められていました。


中村弥六について「あまりよく分からない」と書きましたが、インターネットの普及のおかげでその後だいぶわかってきました。郷土史家が政治家としての彼を紹介しているからで す。それらによって判明したプロフィールは次のようなものです。(2012年7月3日、加筆)

◇ ◇ ◇

中村弥六
日本林学の父、中村弥六
中村 弥六(なかむら やろく)=安政元年(1854)- 昭和4年(1929)7月7日=は日本の林学者・農商務官僚・政治家(代議士)。号を「背水」または「背山」と称したことか ら「背水将軍」といわれた。日本で第一号の林学博士で、原敬首相の暗殺犯、中岡艮一の大叔父(中岡の父・精の叔父)にあたる。

現在の長野県伊那市(旧高遠町)に儒学者黒水の二男として生まれる。中村家は代々高遠藩の儒学者の家柄。明治2年(1869年)上京し安井息軒に学んだのち、翌年貢進生として 開成学校に入学する。卒業後、東京外国語学校の教師になる。

外国語学校から大阪師範学校の教師に転じたが、明治11年に廃校になったため内務省地理局に入り、ここで林業の重要さに開眼する。明治12年(1879年)ドイツに留学。翌年、現地 で大蔵省御用掛に任命され、官費留学生としてミュンヘン大学で勉強できるようになった。中村はミュンヘン大学に入学した初めての東洋人である。

帰国後は一時大蔵省にいたが、やがて農商務省に入り、さらに新設の東京山林学校教授になる。明治22年、山林学校が東京農林学校になり、さらに東京帝国大学農科大学に昇格した のを機会に退職、農商務省に戻る。

明治23年7月1日施行された第1回衆議院議員総選挙に郷里の長野県第6区から立候補し当選する。第1次大隈内閣では進歩党系となり司法次官となる。「何ぞ独り参政の権利を10円 以上の納税者のみに制限するの理あらんや……」との理由を付した、日本初の普通選挙案を憲政本党の河野広中らとともに衆議院に提出したものの、否決される。

大正10年(1921年)11月4日、親戚の中岡艮一が当時の首相原敬を暗殺した際、東京日日新聞(現毎日新聞)に「艮一の大叔父中村彌六氏談」という見出しでコメントが載った。 (ウイキペディア)

上で分かるようにもっぱら政治家としての面が取り上げられていますが、この項はカラマツの話なのでそちらに戻します。林学という学問は日本にはないものでした。明治政 府は最初はフランス式の林政を取り入れようとしました。これはくオランダを通して入手した文献がフランスのものだったからのようです。

しかし中村らがドイツに留学してからの明治治政府の林政はドイツの林学が主流になります。林政における独仏の違いはよく分かりませんが、もっと管理された林学ということの ようです。例えば中村弥六は政府に「林政意見」を発表していますが、その内容は「政府は山林事業を放擲している。木材不足は深刻化して、外材輸入で巨額の費用を流出させて いる。また山は禿山ばかりで、旱魃や洪水を引き起こし甚大な被害を出している。火災や風水害、誤伐で痛めつけられて、国有林は年々数千町歩ずつ減耗し、しかもろくに植林し ていない。だから年々一万数千町歩の禿山が増加している」と批判しています。なんだか平成の現在の貧弱な林政をさしているようでもあります。

そして彼は次のように訴えています。
・植林を進めて原野を完全な山林とする。
・国有林野を分割し、一部を国有とするほかは、自治体の法人、個人に売却する。
・深山幽谷に死蔵される原生林を利用する。
・山林土木の両政務を合わせて山川省を置き、全国の山林河川の業務を統一する。

そのために選ばれたのが成長が早く、まっすぐ育ち木材としての価値が高いカラマツということだったと思われます。彼の理論に同調した川上村の人たちの協力があって、川上村 は日本の、そして世界のカラマツの供給地に育っていったのです。


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【 ミズナラ(水楢)
ミズナラ

ミズナラ(水楢)は、このあたりでは忘れてはならない木のひとつです。八ケ岳山系にはクマはいませんが、ミズナラが不作の年は各地で人里にクマが出て大騒ぎになるのをみてもわかりますが、多くの動物が この木の恩恵を受けていて、リスやカケスはこの木のドングリなしでは生きていけないくらいです。



ミズナラの黄葉 ブナ科コナラ属の落葉高木で北は南樺太、南千島から国内では沖縄を除き北海道、本州、四国、 九州と全国に広く分布します。大きく成長し、樹高は30メートル、幹の直径1.5メートルに達するものもありますが、このあたりでは日照の関係か、わりに低い木が多く、我が敷地にも10本ほどあるものの、みな2−3メートルの高さです。写真右は自然郷の入り口にある比較的大きな木です。秋には見事に黄葉します。

単にナラというと、ミズナラ、コナラとそれに近い種類を含みますが、ミズナラが代表的で、木材関係ではナラというときにはミズナラをさしています。ミズナラの名前はその木の中に、多量の水分を 含んでいることに由来します。 ほかにオオナラ、ミズボウソウ、ミズマキとも呼ばれます。

高地の基本木でブナとともに紅葉樹林帯を形成しますが、ミズナラは林の中で陽あたりがよく、多少乾いて いてそれでいて養分の多そうな土地に散在しています。ブナは遅霜に弱いので、被害が出にくい尾根筋や朝日が当たる東側など立地条件の良い場所をまずブナが占領し、そこより物理的環境が厳しい場所でミズナラが優勢になる傾向があるようです。

ミズナラの花 ミズナラの花は新葉の展開と同時、5〜6月にうすい緑黄色の花を開きます。花は風媒花で、雄花序は新しい枝の下につき、6〜8センチのヒモ状に垂れ下がり、左の写真のように数珠状に多くの雄花をつけます。雌花序は新枝の上部の葉腋にでき、短い3-4個の雌花を穂状につけます。

葉は、比較的大きく6-20センチあり、枝先に集まってつけ互生します。倒卵状楕円形で上部は幅広く 葉先は、鈍いものからやや尖ったものもあります。上面は緑色、下面は淡い緑色。葉柄は短く、一見ないように見えます。葉の基部はくさび形となります。秋10月に茶褐色に黄葉します。

ミズナラの樹皮 若枝ははじめ淡褐色の毛がありますが、後に無毛です。樹皮は灰褐色から暗褐色で不規則に縦の裂け目があります。ミズナラの幹は、細いうちはツルツルですが、だんだんと大きくなると、写真右のように、幹に割れ目が入ってきます。ミズナラの根際にはマイタケが生える、といわれるので毎年注意しているのですが、まだ見たことはありません。


ミズナラのドングリ 秋になると2センチほどの堅果(ドングリ)をつけます。ドングリははじめ緑色ですが、やがて褐色になり10月頃落下します。とがっている方の部分の色が、より濃くなっています。ドングリを包んでいる袴(はかま)のようなものは、穀斗(ぼうし)といいます。お椀形で、あわつぶのようなものが密生してついています。

ミズナラはコナラと似ていますが、ミズナラには葉柄があるもののごく短くて、葉が枝から直につながっているように見えます。これに対し、コナラにはしっかりした葉柄があるところで見分けます。さらにドングリはコナラの方が小さくて細長いのに比べると、ミズナラは、ずっと大きく(2〜3センチ大)コロコロしています。

木材としてミズナラを見ると、日本産材のうちでもっとも重宝されるものです。家具や生活用品としてお盆や皿等の器物から額やペンシルケ−ス等の文房具まで幅広く利用されています。建築現場でも、フロ−リングや ドア等に多彩に活用されている木です。日本のミズナラに近いものが、英国や アメリカ北部に多く見られるオ−クです。「森の王様」と呼ばれ、古くから船舶、 家具の好材料として、欧米の人々の生活に深く根差した木です。世界的に 日本のミズナラは良材とされ、明治時代には函館から輸出されていたので「ハコダテオーク」と呼ばれ、多くがヨ−ロッパに送られました。戦後も北海道では輸出用木材として外貨獲得のための貴重な樹種でした。現在、ミズナラは家具材、洋酒の樽材、小径木は椎茸ほだ木などとして利用されています。

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【 モミ(樅)
モミ

モミはマツ科モミ属の常緑高木ですが、なによりクリスマスツリーの木として身近でしょう。我が山墅もそうで、娘二人が小さいころツリー用に1本植えました。ツリーの飾り付けに使えたのは2、3回で、どんどん成長して手が届かなくなり、今では20メートル以上の大木になり、電気店から衛星放送のパラボラアンテナの邪魔になるので切ってほしいと言われるほど。この間に孫娘3人が生まれ、ふたたびクリスマスツリーの需要が生じました。今度は似た樹形で周りにたくさんあるトウヒ(唐桧)で代用するようになりました。

サイトの亭主が「モミ」の名前を知ったのはNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」の舞台を取材に現地を訪れたことがきっかけでした。今見ると1970年の放映とありますから、その前年です。江戸時代前期に仙台藩伊達家で起こったお家騒動「伊達騒動」を題材にした山本周五郎の歴史小説がもとになっていますが、 主人公・原田甲斐の居城である船岡城址などを訪ねて宮城県柴田郡柴田町船岡館山あたりを歩き回りました。タイトル通りのモミの木の一本木はどこにもなくて遠く離れた土地に案内され「丘の上の一本のモミの木」の写真を撮って記事にしました。

余談です。サイトの亭主は北大馬術部OBなのですが東京OB会の会長を長くつとめられた東園基文氏と昵懇でした。この東園先輩が伊達家の三男坊でした。貴族院議員などを務めた東園基光子爵の相続人となって東園家に入られ、夫人は旧宮家の北白川家から降嫁された方で明治天皇のお孫さんという家柄でした。今上天皇陛下が日光に疎開されていた時の侍従で、戦後秘話をたくさんお持ちでした。OB会が馬事公苑で毎年開いた「観桜会」では乗馬のあと苑内でジンギスカンをするのですが、御料牧場からのおいしいラム肉を差し入れていただいたものです。

東園基文氏は貞明皇后、皇太子、常陸宮の侍従、掌典長として秋篠宮の婚礼と、4人の皇族のお世話をしたあと神社本庁総理を最後に2007年4が96歳で亡くなられました。追想録は北大馬術部ホームページにあります。

さて本題のモミの話に戻ります。モミ(樅、学名:Abies firma)は、マツ科モミ属の常緑針葉樹で、日本に自生するモミ属で最も温暖地に分布し、その北端は秋田県、南端は屋久島に達します。

モミの樹皮
モミの樹皮
円錐形の樹形になるのが好まれてクリスマスツリーに重宝されることは前に書きましたが、本来は暖地を好み、日本海側に少ない樹種です。標高1000メートル以上のブナ帯になると、よく似たウラジロモミになる。ヨーロッパでクリスマスツリーとして使われる木は、一般的にはトウヒです。トウヒは次の項で書きましたが、八ケ岳にはふんだんにあるので、我が家もツリーはもっぱらトウヒにしています。

モミの樹高は40bにも達するものもありますが、標高の高い八ケ岳の我が山墅では1760bもあるので育ちは遅々としてして遅いです。娘の電飾用に求めたモミは30年近くなり、20bくらいに育っています。モミ属全般に樹皮が白っぽい灰色である樹種が多いが、モミの樹皮はかなり茶色がかっています。

日本に自生するモミ属では最も葉が大きくて硬い。葉は密生し、枝にらせん状に着き、葉柄は無く、葉の基部は細くなり丸い葉痕となる。若枝は淡黄緑色で、灰黒褐色の軟毛が生えます。葉は細くて固い針状で、先端は二叉して鋭く尖るが、老木では先の丸まった葉をつけます。球果は10 - 15aと大柄で、はじめ緑色、10月頃成熟すると灰褐色になる。成熟すると鱗片が脱落するので、松かさの様にそのままの姿で落下することはありません。リスなどがその種子を好んで食べるので、樹下に青い鱗片が集まって落ちているのを見ることがよくあるそうです。

モミの種子には薄い翼があり、果鱗の滑空で100bほど飛んで種子散布するという植物の知恵を持っています。

葉の付きかた
モミ、トウヒ、ツガは葉の付き方で見分ける
モミや次の項で紹介するトウヒの仲間はよく似ていますが、この種は常緑樹なので四季いつでも葉を付けているので葉の付け根での見分けが確実です。モミの葉柄は写真のように吸盤のように枝についていますが、トウヒ、ツガは根元に「葉枕」(ようちん)という膨らんだ部分があります。昼夜の別、接触などの刺激によって、葉が接近したり離れたり、葉の全体が垂れたり立ったりする植物で顕著にみられるものです。維管束が中央に寄り集まって器官が屈曲しやすくなっており、葉の表裏で組織の膨圧が変わり、一方では増加し他方では減少することによって、葉の姿勢が変化する仕組みです。

モミやシラビソ、エゾマツなどモミ属の仲間は松ぼっくりを上向きにつけますが、トウヒ属の仲間は松ぼっくりを下向きにつけます。トウヒは葉枕が発達、モミの葉基部は吸盤状、ツガは葉枕に葉柄がつきます。

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【 シラビソ(白檜曽)
シラビソ
八ヶ岳で過ごすためには覚えておかなければならない木があります。それが、シラビソ(白檜曽)、コメツガ(米栂)、トウヒ(唐檜)などの常緑樹です。かく言う私はここにやってきた時、まわりにわんさとあるカラマツが杉だと思っていたし、シラカバとダケカ ンバの区別もつかず、みな白樺ですましていたものです。

シラビソ(白檜曽)は亜高山帯に生育する球果植物門マツ科モミ属の日本特産の常緑針葉樹です。我が家ではクリ スマス近くに大活躍する木なのでもっぱら「樅(モミ)ノ木」で通っています。まんざら間違いではなく、クリスマスツリ ーで使うモミの木とほとんど同じです。

シラビソの雄花
シラビソの雄花
シラビソの雌花
シラビソの雌花
モミは北半球の寒冷地から温帯にかけて、約40種がありますが、日本に分布するのは、以下の5種。
1 モミ
2 ウラジロモミ
3 シラビソ
4 オオシラビソ
5 トドマツ

北海道に行くとトドマツ(椴松)があります。日本では北海道だけに生育する北方系樹木ですが、これはシラビソと同じく「球果植物門マツ科モミ属」の木ですから道内いたるところクリスマスツリー用の木があるわけです。

トドマツの球果
球果に特徴があり、枝先に上を向いて立上がっています。熟すと鱗片が剥がれ種子を散布するので球果の形で地上に落ちることはなく、枯れ枝の先に球果の芯だけが突き出した針のような形で残るので他のトウヒ属と区別できます。

トドマツはアイヌ語「トトロツプ」からきたものといわれます。トドの漢字「椴」はトドマツの枝が毎年一段ずつ輪生する特徴からこの字が使われたものです。この木は、枝は斜め上にまっすぐ伸び、独特の樹形をつくります。樹皮はなめらかで灰褐色。葉は細長い線形で、長さは3センチほどで、葉の先が少しへこんでふたつに見えるのが特徴です。

シラビソの幹 トドマツの幹
シラビソの幹 トドマツの幹

モミ属の果実と種子
モミ属の果実と種子の形の違い
日本のモミ属は上述のようにモミ、ウラジロモミ、シラビソ、オオ シラビソがありますが、いずれも葉の形、 実の形、樹肌などがよく似ていて、いずれも葉は先が二裂しています。
オオシラビソといってもシラビソの大きいタイプということではなく、全く別の種です。ただし、見た目がよく似ていて同じ場所に生育するため、植物に詳しい人でも間違えてしまうほどです。しかし、近年のDNA研究の進歩で、これら2種の関係は名前が似るのと逆に遠い関係であることが分かってきました。「分子系統分類学的手法」という、生物の種間関係をDNAの塩基配列の類似度から明らかにする学問が進んだ結果です。

オオシラビソとシラビソの葉
オオシラビソ(左)とシラビソの葉
その結果、オオシラビソは他の日本のモミ属とは全く違うグループに属する種であることがはっきりしたそうです。一方シラビソは北海道に分布するトドマツとほとんど違いがないこともわかりました。おそらくオオシラビソは、遠い昔に日本にまでたどり着いた(おそらくは北米の)グループがこの地にとり残され、独自の進化を遂げた結果生まれた種だと推測できています。この研究で、シラビソはトドマツと種分化してからあまり時間のたっていないことも推定できるそうです。

シラビソは亜高山帯の樹木で、「オオシラビソなどと混成するが、なかなか区別が付かない」といいます。なんでも、葉を見れば、枝に密集しているのがオオシラビソで、日本海の多雪地帯に多く、シラビソは積雪量の少ない大平洋側に多い、とありますが、素人には見分けは至難のことです。

最近の悩みは八ケ岳に目だって増えたシカとニホンカモシカです。冬の食糧難の時シラビソの幹をかじられるのです。太く育ったのは樹皮が堅いので大丈夫ですが、植えて2、3年のものはかじりやすいのかガリガリと表皮を剥いでしまいます。当然、春先から枯れ始めます。彼らの命の綱なのでしょうから黙認するほかないのですが、思案投げ首の樹木です。

シラビソの花
春に見られるシラビソの花
シラビソの球果
シラビソの球果
別名のシラベ(白檜)という名前は、ヒノキ科にクロベ(黒檜)があるのでつけられたようですが、樹皮が明るい色 をしています。マツ科の樹木の樹皮は一般的に深く裂けてはげおちますが、シラビソの樹皮はなめらかで樹脂溜が 見られます。樹皮に割れ目がほとんどなく、枝が概して短く、上向きにつきます。葉の長さは2.5センチほどの線形 で、オオシラビソよりも少し長めです。春に紫色の花を付け、夏には黒紫色の球果を付けます。

すぐ近くですが北八ヶ岳の北端近く、蓼科山の少し南に縞枯山があります。蓼科ロープウェイで上ると見えてくる縞 枯山(しまがれやま)の山頂付近の右手に、縞模様の山肌が見えます。これは、シラビソの樹林のある部分が帯状に白く枯れ、そ の上下に緑の生木が繁る「縞枯れ」が見られます。縞の幅は約10メートル、長さは300〜800メートル、縞の間隔は 約100メートルありますが、世界的にも珍しい現象なのです。

縞枯れ
縞枯山で見られる
シラビソの縞枯れ現象

縞枯れが発生する原因は長らく謎でしたが、最近少しずつわかってきたようで、有力な説の一つは、「大きな原因 は諏訪側から吹き上げる南西の風と台風などの強い風とここ特有の土壌。縞枯山一帯は火山噴出物の岩石にお おわれた腐植土が浅い土地で、シラビソは浅い張り方しかできない。強風が吹くと幹が揺すられ、根は浮かされて 細い根が切れてしまう。そのため水分・養分の吸収ができにくくなり立枯れていく。10メートルくらいに成長した木 が風当たりを強く受け、そろって枯れる」(木村允・東京都立大学理学部教授)というものです。

縞枯れは、斜面上方や側方に進行するもので、縞枯れの先端が近づくと付近の樹木に対する風当たりが強くなり 一斉に枯れ死します。斜面が変わると風の影響力も変わり、縞枯れは止まります。明るくなった林床に幼木が発 芽・育成し天然更新され白い帯は再び緑となります。立ち枯れの縞はおよそ70年くらいのサイクルだといいます。

私がこの木が大事だと思う理由は、カラマツ、シラカバ、ナナカマ(七竈)など周りに落葉樹が多い中で、冬に防風、防雪 のためこの常緑樹を植える必要があるからです。 この木は耐陰性が強く、夏場にいろいろな木が繁って暗くなる林床でもすくすく育ちます。高さ20−30メートルの 大木になりますが、あまり寿命は長くないそうです。 大木にする必要もないので、門からのエントランスに生垣代わり、また防風、防雪のために植え、毎年てっぺんを カットしてあまり大きくしないようにしています。 都会だとかなり費用もかかるのでしょうが、林に入るとこぼれ種からの実生がたくさん生えていて無料で手に入りま す。

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【 コメツガ(米栂)
コメツガ

コメツガ(米栂)は本州、四国、九州の標高1500〜2200メートルの亜高山帯にある日本特産のマツ科ツガ属の常緑針葉樹です。葉が小さく小型であるところか ら「米」の名がついていますが、大木になります。樹齢150年くらいになると、高さ が20 〜 30 メートル、幹の直径が1メートル前後になり、風雪と共 に生きてきた年輪は緻密でかたく、建築、土木、パルプ、船舶材、楽器に重宝されている木です。床材や梁材に使われています。

日本には温暖帯に生えるツガと亜高山帯に生えるコメツガの2種が分布しています。ともによく似てますが、コメツガの1年生の若枝には黄褐色の短毛があり、 葉は小さいので区別できます。ツガは、関西では「トガ」の呼び名で親しまれている樹種で、昔から最高級の材料を使った数寄屋として、「トガ普請」は有名 です。針葉樹の中では特に堅いこと、ほぼ真っ直ぐに通る木目が鮮明なことなどが特徴です。


ツガとコメツガの葉 ツガの葉ウラ コメツガの葉ウラ
ツガ(左)とコメツガ(右)の葉 ツガの葉 コメツガの葉


モミの葉 トウヒの葉 シラビソの葉
モミの葉 トウヒの葉

シラビソの葉


☆亜高山帯(subalpine belt) 
植物の垂直分布」による区分けで、シラビソ、オオシラビソ、コメツガなどの針葉樹林が主体となることから針葉樹林帯とか、シラビソ帯とも呼ばれます。 本州中部では、標高1500〜2500メートルを指します。我が山墅の標高は1760メートルですからまさに亜高山帯のまん中で、そのとおりの植物分布が見られます。 東北地方になるとオオシラビソ、コメツガが主体となり、北海道ではトドマツ、エゾマツ、アカエゾマツが主体になります。亜高山帯の上部では樹高がしだい に低くなり森林限界(forest limit)に達すると、それ以上はもはやハイマツなどしか育たない高木限界(tree limit)になる。

コメツガの実
コメツガの実
ツガは本州中部から屋久島にかけて分布、モミとよく混成しますが、モミは山腹に生育、ツガは尾根や岩場などの表土の少ない場所によく生育します。葉は扁 平な針状で先端が二つに分かれます。モミの葉は先端が尖っているのに対して、ツガは丸まっていて、枝からの葉の付き方がモミとは若干異なっていることで 識別できます。ツガは4〜5月頃に開花して緑色の球果をつくり、10月頃に熟して褐色となり、開いて種子を散布します。この種子には翼があり、風に乗っ て遠くまで運ばれます。


コメツガの林
コメツガの林
コメツガは九州(祖母山)や四国、本州の、ツガより高い高度の冷温帯上部から亜高山帯にかけての山岳地帯に分布します、ツガと酷似しますが、自生する高 度の違いと葉がやや小さい点で識別します。

八ヶ岳ではシラビソ(白檜曽)と混在しています。シラビソはモミ属でコメツガはツガ属です。コメツガの葉は小枝の左右にほぼ2列に並びます。葉の形は線 形で密に互生し長さは6〜15ミリほど。扁平で先端が丸く艶やかです。葉を裏返しすると写真右上のように白いすじ(気孔線という)があります。モミも2列の気孔線がある ので、見分けるポイントは葉と樹皮、樹形です。コメツガの樹皮は、灰褐色で亀甲状に浅く裂けます。樹形は枝先が左右対称に見えるのがシラビソで、枝先 が斜めになるのがコメツガです。


【 トウヒ(唐檜)
トウヒ

漢字では「唐檜」と書き、名前からすると中国から伝わったヒノキという感じですが、マツ科トウヒ属の常緑針葉樹。北半球の温帯から亜寒帯にか けて広い範囲に30種以上が分布します。


トウヒの幹
トウヒの幹は松と似る
八ヶ岳では珍しくありませんが本州中央部の1500メートル以上の山地と北海道だけに分布する高山性の樹木で す。八ヶ岳に多いシラビソ、コメツガと似ています。北海道のエゾマツとほとんど同種で、分類上はエゾマツの変種がトウヒとされています。太古 には日本列島に広く分布していたものです。


ヤツガダケトウヒ
我が家ではクリスマスのモミの木として
野外での飾り付けに使われている。(2006年Xマス)
我が家ではトウヒというより「モミノ木」と呼ばれています。孫娘がいるとき、クリスマスの電飾はポーチの前に地植えされているトウヒを使いますが 、誰一人本来の名前を知りません。みんな、これが本来のモミの木だと思っています。右の写真で孫娘を抱いて写っている娘がまだ幼かった20年前、管理事務所に頼んでクリスマス用に モミを植えてもらいました。今は屋根より高くなって電飾するにも手が届きません。そこでこのトウヒを使い始めました。孫娘は中学1年生になりました(2017年)。写真のトウヒは現役ですがどんどん手が届かなくなってきました。

トウヒ属の種名に「バラモミ」「ハリモミ」と名づけられているのが多いように、樹形や葉の付 き方はモミ属と非常によく似ているのです。樹皮が暗赤褐色で小さな鱗片状に剥がれること、葉の先端が尖っていること、下で述べるように枝に「葉沈 」と呼ばれる突起があってそこから葉がのびていること、球果(松ぼっくり)が枝から下に垂れ下がること、などがモミ属と異なっています。



トウヒの葉ウラ
トウヒの葉ウラ
長さ1センチほどの葉は線形・偏平で、枝にらせん状または蒲鉾状に多数が密につきます。トウヒの葉先は見てくれは鋭いですが、触れても痛くな いほどのやわらかさです。葉は中央部がやや太く湾曲した扁平で、断面は四角形です。裏には白い気孔線が2状あり、この点コメツガと似ています。 若枝は黄褐色、剛直、無毛です。葉柄などの基部にあるふくらみを「葉枕」(ようちん)といいますがその両端の溝が深くなっています。この葉枕 の形がトウヒ属の特徴です。

花は5−6月に咲き、球果は、長さ6〜10センチで、初め紅紫色で秋には黄緑色から褐色に熟して下垂しています。八ヶ岳では結実期は少し遅く 夏になりますが、このころヤニ状のものがトウヒの球果から撒き散らされます。カーポートのクルマの屋根やボンネットに一夜で(日中も散ってい るのだが)細かいヤニが一面に付着して洗剤でも落ちないと高級車で我が家を訪れた人たちをあわてさせますが、なに水を掛けて少し根気よく布で 拭けば取れるものです。

ヤツガタケトウヒ(八ヶ岳唐檜)
ヤツガダケトウヒ
生きた化石、ヤツガダケトウヒ。
我々がいる八ヶ岳の「お隣」といってよい西岳付近の海抜1500〜2000メートルから南アルプス・仙丈ヶ岳にかけてだけ貴重種「ヤツガタケ トウヒ」(八ケ岳唐檜)が生育しています。西岳にはその遺伝子保存林があります。
この木は約2万年前の氷期には、広く東日本に分布していた「生きた化石」です。ヤツガダケトウヒの樹皮は灰褐色で浅い裂け目であること、 葉は太くやや湾曲し断面が四角形などの識別点がありますが、素人には難しいです。

ヤツガタケトウヒは、高さ約30メートルにもなる樹木で太古には広く日本列島に分布していたものの、その後温暖化で八ケ岳や南ア北部のように 、高山で比較的雨量が少なく氷期に似た環境を保っている場所に生き残ったと考えられています。

西岳にある保存林
西岳にある保存林
環境省レッドデータブックで「絶滅危惧2類」に 指定され、同時に分布が確認されている長野県諏訪郡富士見町の西岳西斜面の約6ヘクタールを「西岳ヤツガタケトウヒ等林木遺伝資源保存林」と して保護しています。八ケ岳は2005年12月、環境保護団体の科学者らが米科学アカデミー紀要に発表した、世界各地の希少種の「最後の生息地」 の1カ所に選ばれています。

エゾマツの球果

エゾマツの球果
エゾマツの球果
北海道に行くと、昭和41年9月30日に「北海道の木」に指定されたエゾマツ(蝦夷松)があります。これは八ケ岳に多いトウヒと非常に 近い樹木です。樹皮の様子が似ているので右にエゾマツの果実を掲げましたが、これもトウヒとそっくりです。それもそのはずで、エゾマツも同じ マツ科トウヒ属 の常緑針葉高木なのです。樹皮は白っぽく(樹齢により茶色っぽいものも)、横に線が入ります。葉は細くて固い針状で先端は2つ に分かれるトウヒ属の特徴を持っています。

もうひとつ、北海道には近縁のアカエゾマツ(赤蝦夷松)があります。地元では「ヤチシンコ」とも呼ばれ、 エゾマツと共に「北海道の木」に指定されていますが、こちらは道東や道北に多く、エゾマツやトドマツと混生しています。 高さ30〜40メートルにもなり、太さも1.5メートルほどの巨木になります。樹皮は鱗状をしていて、紫色を帯びた赤褐色なので「赤エゾマツ」と呼ばれます。br> エゾマツ、アカエゾマツひっくるめて「エゾマツ」と総称することも多く、この 場合には、アカエゾマツと対比してエゾマツをクロエゾマツあるいはクロエゾと呼んでいます。

北海道のエゾマツは平野部でも見られますが、トウヒは紀伊半島の大台ケ原を南限とし、中部、関東、東北の亜高山帯に分布します。高さ30メートル直径90センチくらいの大木になる木です。このトウヒとまったくよく似た材で、北半球から輸人されている木が「スプルース」です。「米檜」(べいひ)とも呼ぱれていますが、これもヒノキではなくマツ科の木です。トウヒもスプルースも柔らかくて素直でクセのない木なので、建具、内装材によく使われます。緻密な柾目(まさめ)なので、儀礼用の三方、絵馬、高級ウイスキーの化粧箱に使われています。

また、トウヒ(唐檜)は音楽には欠かせない木です。木製の楽器類には、種類、部位に応じて、特定の樹種の木材が欠かせません。ヴァイオリンの表板やピアノの響板には、ドイツトウヒが珍重されています。ドイツ語で「フィヒテ」で英語で「スプルース」と呼びますが、中でもヨーロッパ・ルーマニア地方の北 の斜面で育った年輪の詰まった真っ白なトウヒは特に貴重とされています。ヴァイオリンづくりと「唐檜」との関係については「アトリエ・みやざき」のなかの「手作りヴァイオリンのおもしろさ」でも触れていますので参照してください。

さらに、楽器作りでは、樹種に加えて、密度、年輪幅、材色などについて厳しい選別が行われています。音響学からみると、 これらの樹種の木材は、振動面から優れています。密度が比較的小さく、繊維方向の音速が大きく、振動の減衰が小さい特性をもち、したがって、振動の エネルギーが音のエネルギーに変換される効率(音響変換効率)が高いという、楽器響板にとって有利な性質を備えているのだそうです。 ギターやマンドリンの表板にもこれらの樹種が使用されていますし、和楽器である琴や琵琶の表板にはキリ材が使用されていますが、この樹種も音響 変換効率が高い樹種なのです。

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シラカンバ(白樺) ダケカンバ(岳樺) 
(他にヤエガワカンバウダイカンバオノオレカンバ

林での混在

八ヶ岳にやってきてしばらくの間、シラカンバ(白樺)とダケカンバ(岳樺)の区別がつきませんでした。というより、すべて「シラカバ」で片付けていたのですから、無知も極まれり、です。 でも、我々の山小舎が植生の上では微妙なところに位置していることも事実なのです。

山小舎は高度1760メートルにあります。 シラカンバは1000〜1500メートルくらいまでを好む植物です。一方ダケカンバは、亜寒帯に分布し、標高約1500〜1800 メートルあたりを好みます。まさしく、我が山小舎は両方が混在するところに位置するのです。事実、周りを見渡す とそのとおりになっています。敷地でも両方が大きく枝を広げて棲み分けています。

上の写真は我が山小舎のすぐ前の林ですが、 中央の茶色っぽいのがダケカンバ、周りを取り囲んでいる白いのがシラカンバです。このように、混在しているのは高度差にしてごくわずかな 間に見られるちょっと珍しい林相です。

カバノキ科カバノキ属の木は落葉広葉樹で、北半球の亜寒帯から温帯にかけて広く分布します。一般にカバ、カンバ、カバノキ(樺・樺の木)などと総称されます。木材としての呼び方ではカバザクラ (樺桜)、あるいは単にサクラ(桜)とも呼ばれます。
世界に約40種、日本には約10種があります。我が山墅のまわりたくさんあるので、高原の木としてのシラカンバと亜高山帯のダケカンバをやっと覚えたところで、ウダイカンバ、ヤエガワカンバ、オノオレカンバと 知っておくべき名前がぞくぞくと登場してきました。その特徴などを紹介します。

 シラカンバ(白樺)
シラカンバの林
シラカンバの樹皮
シラカンバの樹皮
シラカンバは一般には「シラカバ」と呼ばれることが多いですが、北海道以南から岐阜県以東の本州に分布する「カバノキ科 カバノキ属」の落葉高木です。樹皮は白く、シラカンバ(白樺)の由来となっています。 横に引き延ばされた皮目が点々とあります。樹皮は薄くはがすことができ、細工物などに利用されることが多いですが、樹皮をはがした跡は黒 色になり再生はできません。成長速度は速く、比較的短期間で直径40センチほどになるものの、大きく成長したも のは中心部が腐朽していることが多く、風などによって倒伏しやすいく、木の寿命としては短いほうです。 シラカンバは、夏冬の気温差が大きく積雪の少ない内陸性気候を好み、豪雪地帯にはない樹木です。その生育地 は土地がやせている場合が多く、シラカンバ林はやがてはブナ林に代わる前の段階の森林です。

我が山墅からすぐ近くですが佐久穂町の八千穂高原には、約500haに50万本が林立している白樺の自然林があります。多くの観光客が集まり、よくポスターに つかわれるところですが、これほどの群生は珍しくよほど生育環境があっていると思われます。

シラカンバの種子
シラカンバの種子。
葉の形状は三角状卵形、長さ5〜7センチほどで2枚の葉が互生します。葉先はと がっていて、縁(ふち)には不規則なぎざぎざがあり、葉脈が6〜8本明瞭にあります。 開花期は4〜5月。雌雄の花穂(かすい)は互いに近いところにあり、雄花穂は前年の秋に枝の端から垂れ下 がり、冬中裸出していて長さ5〜6センチです。雌花穂は短く1.5〜2.5センチで、雄花穂よりも上部の枝端に上向きにつきます。

シラカンバの樹皮が白色に変わるのは3年目からで、それまでは色からはシラカンバとは気づかないほどです。白 い幹は紙状に剥離するようになり、めくると樹肌の内皮は褐色で、若い枝には粘質の分泌物が出ます。樹皮は若 木では赤褐色から灰褐色で光沢があって美しく、薄く横にはがれます。老木では白色が強くなり、縦に割れ目がで きます。

シラカンバの樹皮が白いのは、「ペチュリン」という結晶性の化合物のせいで、これが白の色素をもっているためで す。シラカンバの木を触ると、手に白い粉がつくことがありますが、この結晶です。我が山小舎ではリスの渡り廊下 としてシラカンバの木がふんだんに使われています。写真を撮影する時にリスや野鳥が白の背景だと浮き出て、ク リアな写真が撮れるのです。しかし、2年ほどですぐ樹皮がはがれてしまいます。腐りやすい木です。

シラカンバはロシアに多い木で「バーチ」と呼ばれています。ギリシャ人にとってのオリーブ、ドイツ人にとっての菩 提樹に比される、愛と生命と幸福の象徴になっていて、少女たちは赤い布をシラカンバの樹の枝に結び、枝が数日 後に枯れていなければ吉兆としたといいます。バーチは悪霊を追い払うといわれ、家々に飾られていました。バ ーチの樹液はロシアでは薬用ワインを作るのに使われたり、葉はお茶として飲用されてきました。また、スキンロー ションやヘアトニック、香水にも用いられています。

また、日本でも昔からよく知られた木で、シラカンバの皮をお盆の迎え火に焚くという習慣は現在でも広く行われています。信州では時期になると白樺の皮が店頭で売られているほどです。

シロップ採取
GWの頃、シロップ採取に夢中になる
我が家族の姿です(060512)
幸せの象徴だけあって、シラカンバはいろいろと薬効がある木です。「平成」に変わる頃でしたが、ゴールデンウイークに関西に住む弟が山小舎にやってきました。いきなりドライバーで幹の途中に直径1センチほどの穴を開けまし た。ポタポタと樹液が出てきてたちまちペットボトル一杯になるほどです。 なんでも、アイヌは不老長寿の効がある魔法の水として飲んでいるという話が、関西で広まり、わざわざツアーを 組んで北海道に飲みに行く人があるほどのブームだというのです。少し甘くて香りがあるシロップでした。それは いいのですが、どんどん湧き出る樹液をどうして止めるのか弟は教わってこなかったので大変な騒ぎになりました。 穿った穴にチューインガムを詰め込んでその上から粘着テープで覆ってもあふれてきます。そのうち夜になり太陽が沈むと自然に 湧出はとまり、事なきをえました。

いまも通信販売が盛況のようで、その宣伝文句に「北海道十勝の森で採取されたシラカンバ樹液(白樺樹液)です。 1年のうち4月初旬から5月初旬にかけてのわずか1ヶ月間のみ採取できる樹液には、カルシウム、マグネシウム、 亜鉛、カリウムなど豊富なミネラルが含まれています。口に含んだとき、このミネラル分が独特の森の香りになって 広がり、まろやかで甘みのある味わいです。そのままミネラルウォーター代わりに、またはコーヒー、紅茶、ハーブ ティー、カクテルなどに使用しても、まろやかな美味しさが味わえます。720ミリリットル1050円」とあります。

樹液が出るのは若葉が展開する少しの期間だけだそうです。葉が光合成を行わないため、吸い上げた水分が、す べて下に還流するのだそうで、出る樹液の量は1本のシラカンバで200リットルにもなります。しかし、シラカンバで、なぜ葉が出ない時期に樹液が溢出し、開葉と同時に出なくなるのか、そのメカニズムは分かっていないといいます。

またシラカンバの葉もよく利用されます。葉に勢いがある季節に採取して日干しにして乾燥したものを使います。 葉は煎じて飲むと利尿の効き目があるほか、シラカンバの葉には精油が含まれ、若い枝には分泌物がある ので、葉と若い枝ともに沐浴剤として用います。肌がつやつやになり、気分が壮快になる効果があります。 北欧では、サウナにシラカンバの葉と若い枝を入れて入浴するのは、このためです。 シラカンバの含有成分は、クレオソート、クレゾール、グアカコールで、効能としては皮膚病、リューマチ、痛風に外用として使います。私は美食家でもないのに痛風持ちです。発症したとき会社でしたが、あまりの痛さに靴も 履けず、裸足で電車に乗ってうなっていました。このとき知っていれば八ヶ岳に走ったのに、と思います。

筑波の森林総合研究所にいた学生時代の友人が山小舎にやってきて、もっと木を切れとか、この木は植えちゃダメだとかアドバイスを受けました。彼は林産が専門でシラカンバのセルロースを研究していました。シラカンバは木としては パルプなどの原料や割箸やアイスクリームのスティック、さらにナメコ栽培用の原木になるくらいで、目立ったもの はないかもしれないが、将来いろいろ役立つ可能性を持った木だといいます。

 ダケカンバ(岳樺))

ダケカンバの幹
ダケカンバの幹(冬)
ダケカンバの林
ダケカンバ(岳樺)もやはり「カバノキ科 カバノキ属」に分類され、北海道から本州の中部以北・四国、千島・樺太・朝鮮・中国・カムチャツカなどに分布する落葉高木です。北海道では低地でも生育しエゾノダケカンバ(蝦夷岳樺)とも呼ばれますが、中部山岳地帯では亜高山帯に生育し、樹高20メートルにも達するものがあります。

ダケカンバの枝には、よく伸長して葉を互生する「長枝」と、短くて葉が1対しかない「短枝」の別があります。葉は卵 型をした三角形状で、長さは5〜10センチ、幅は4センチくらいで、先は尖り、基部は丸みを帯びて、葉の縁には鋭 い鋸歯があります。柄の長さは1〜4センチで、葉の裏面は淡い緑色で、たくさんの腺点(せんてん)というものが あります。腺点はブツブツ状の突起でサンショウなどでは、葉をもんだり、たたいたりすると強い芳香がでるように、 植物の油とか匂いの分泌に関係しているものです。

ダケカンバの花
ダケカンバの雄花。
すぐ近くで上向いているのが雌花。

5月〜6月に緑色の花が開きます。花には雌雄の別があり、同じ株に両方がついています。雄花は多数が密集して 細長いしっぽのような花序をつけます。これは早くも前年の秋には長枝上に現れ、晩春から初夏に新葉が展開するととも に伸びて、長さ5センチくらいとなり、垂れ下がります。雌花の方はぐっと短く、短枝の頂に直立してつきます。

ダケカンバの種子
ダケカンバの種子
雌花序は成熟すると小さな果実が密集する果穂(かほ)となりますが、垂れ下がらずに直立します。この点、同じ属 ながらシラカンバと区別できる点です。シラカンバでは、下垂していますから。秋に出来る果実は長さ幅ともに2〜3 ミリの小さな、扁平した堅果で、左右に半透明の翼がついていて風で遠くに飛散できるようになっています。飛行術 を身に着けた、自然の妙というべき仕組みです。

森の輪廻からいうと、ダケカンバやシラカンバは「先駆植生」というのだそうです。森を覆っていたブナやシラビソの 大木が倒れて陽が当たるようになると、まっ先に出てくる陽樹の代表です。自分が大きくなり日陰を作ると今度は 陰樹であるブナが育ち始め、日あたりが悪くなってダケカンバが倒れ、再びブナなどの林に戻ることを繰り返しま す。

ダケカンバの樹皮

ダケカンバの樹皮2
ダケカンバの古木では
樹皮がこんなにめくれるものも。

ダケカンバの樹皮は薄い削りぶしみたいにはがれますが、昔は紙の代わりにしたこともよく知られています。ロシア のノブゴロドで発見されたカレリア語の文書、モンゴルの白樺文書などが残っています。ダケカンバのことを別名ソ ウシカンバ(草紙樺)とも言いますが、これは、ひらひらとめくれやすいダケカンバの樹皮を紙(=草紙)に見立て たものです。シラカンバ、ダケカンバともに燃えやすく、山で遭難したらこれで暖を取れ、と山男に伝えられていま す。

葉っぱで見分ける
シラカンバの葉(左)とダケカンバの葉(右)
シラカンバとダケカンバの見分け方ですが、木肌の違いのほか、葉脈の数で見る方法があります。シラカンバでは 6〜7対、ダケカンバでは10〜13対です。葉の形で見るなら、楕円形に近いのがダケカンバ、葉柄に近い方が広が り、三角形に近いのがシラカンバ。葉の表面にロウを塗ったように光沢があるのがシラカンバです。







 ヤエガワカンバ(八重皮樺)

ヤエガワカンバ
八ケ岳高原ロッジにあるヤエガワカンバ
ヤエガワカンバ(八重皮樺)という種類があることを知ったのは上述の2つのカバノキ科の植物をアップして数年たった2010年のことです。八ケ岳高原ロッジ の入り口にこの名前と「絶滅危惧 U」のプレートがかかった一本の木を見つけました。そして同時に我が山墅の敷地にあり、これまでダケカンバで片付けて いて人様にもそう説明していたものが、どうもその絶滅危惧種の「ヤエガワカンバ」らしいと気づきました。

調べると少し間違いがあるようです。プレートで見たヤエガワカンバの「絶滅危惧 U」という説明は、環境省のレッドリストとそれにもとづいて作成される レッドデータブックによる呼称で「絶滅危惧類II類 Vulnerable (VU) 」(絶滅の危険が高まっているもの )というランクですが、実際はそれより一段下の 「準絶滅危惧類 Nea Threatened(NT)」(これからの環境変化で危険が高まってくる種)というランク付けです。意味するところは、現時点では絶滅危険度 は小さいものの生息条件の変化によっては「絶滅危惧」に移行する可能性のある種ということになります。

ダケカンバの樹皮2
判然としないが我が敷地のヤエガワカンバ。
ダケカンバの古木かも。
レッドデータは国のほか都道府県単位でもランク付けしていて、ヤエガワカンバは現在7県で「NT」に指定されています。いずれにしても、大事に扱う必要が ある木です。それが我がガラス窓のそばにあるのですからすっかり見直してしまいました。

ヤエガワカンバは本州の関東と中部地方、それにぐんと飛んで北海道に隔離分布しています。隔離分布というのは地理的に連続せずポンと飛び離れて分布する と言う意味です。局地分布ともいいます。関東では長野県の八ケ岳、山梨県の瑞牆山(みずがきやま)、群馬県に集中して生育します。もっとも大陸の朝鮮、 満州、ウスリー、アムールではこの木はきわめて普通に見られるそうです。

カバノキ科カバノキ属 で高さ20メートルほどになる落葉高木です。学名 Betula davurica Pall. 。ヤエガワカンバ(八重皮樺)の名の通り、灰褐色の樹皮が 何重にもバリバリと鱗片状に剥がれているのが特徴です。シラカンバやダケカンバのようにツルッとした木肌とは明らかに違うのですが、私は樹齢が古くなる とこうなるのだとばかり思っていました。

はばかる命名ですが山の人夫からは「マラクソカンバ」と呼ばれているとか。また「コオノオレ」とも言います。これは私の推測で当たっているかどうかわ かりませんが、後述する「オノオレカンバ」(斧折れ樺)より小さい「小斧折れ樺」という意味ではないかと思います。

ヤエガワカンバの葉
ヤエガワカンバの葉
ヤエガワカンバの葉裏
ヤエガワカンバの葉裏
葉は6センチ程度と小さめで、オノオレカンバの葉に似ています。葉身は卵形〜ひし形でシラカンバに似るもののやや小さく、硬い。葉は長枝には互生し、 短枝には2枚つき、側脈は6〜8対と少ないです。小枝は有毛で、腺点が多く、葉には不揃いの鋸歯があります。






 ウダイカンバ (鵜松明樺)

ウダイカンバ
用材として珍重されるウダイカンバの樹皮と葉。
葉は葉柄が切れ込んで側脈が10-12と多いのが特徴
ウダイカンバは漢字で「鵜松明樺」とあるように「鵜飼(うがい)の松明(たいまつ)」、つまり「ウタイマツカンバ」から転訛しての命名です。ウダイカン バは文字通り燃えやすく、雨の中でも消えないので、鵜飼いがこの木の樹皮を松明として用いました。また古くから灯火(ともしび)に使われていて、「ト モシカンバ」の名もあります。中国でもこの樺の木を灯火に使いました。これを「華燭」と言いました。”途中で消えない”ので縁起が良とされ「華燭の典 」の由来となりました。

カバノキ科の広葉樹で、本州の中部以北(岐阜県あたりが南限とされる)から北海道にかけて分布しています。シラカンバが海抜1000メートル以上の山地に生 育しているのに比べ、ウダイカンバはそれより低い山地でも生育しています。大きいものは高さ30メートル、幹の直径80センチにもなり、カンバ属の中でもっ とも大木になる落葉高木です。広葉樹のうちではまっすぐで、幹も丸く、枝下長は長く、樹冠は広卵形に育ちます。シラカンバはやせた土地にも生育します が,ウダイカンバは肥沃で日当たりのよい場所を好みます。
シラカンバは直径50センチを超せば大木で、寿命は最大でも120年ほどですが、ウダイカンバは寿命が200年以上の個体もあります。

ウダイカンバの葉
ウダイカンバの葉と果穂
(写生=ネットから借用)
裸地や森林が破壊された所で比較的湿潤で肥沃な場所を選んでまず最初に生えてきて群生する浅根性の陽樹です。成長も早く、緩斜面にハルニレ、アサダ、ミ ズナラ、ハリギリ、シラカンバと混生しています。
樹皮は黄褐色または灰褐色で、横に紙状に剥がれ、横長のはっきりした皮目があります。葉は広卵形または卵円形です。5月ごろに花が咲きますが、やがて9 月に成熟、長円柱形の果穂となって垂れ下がります。

 

シラカンバに比べ樹皮の色がやや灰色がかっています。また水平の点線のような縞模様と、枝が落ちた跡がくっきりと黒く残るのが特徴です。横に剥がれた 樹皮は、乾くと丸くなってしまいますが、燃やすととても火力が強く、焚き火などの種火になります。

カバ属の中で最も優れた材質を持ち、硬くて強く加工性にも優れ、なおかつ反りや狂いも少ないため高級材として扱われています。一般には、カンバ(樺) の代表としては、シラカンバをさしますが、木材を利用する家具業界では、カバといえば、ウダイカンバをさします。また、ウダイカンバは本当のカバノキ という意味でマカバ、マカンバあるいは単にカバと呼ばれます。樹皮の特徴から「サイハダカンバ」と呼ばれたりします。

北海道産広葉樹の代表的な樹種で、生育面積も広いのですが、材質が優れているため戦時中から戦後にかけて乱伐され、現在では、材質良好のものを得るの はなかなか難しくなっています。高級家具材、フローリング材、楽器材、特にピアノのハンマーとして使われているのがこの木です。

 オノオレカンバ(斧折樺)

オノオレカンバ
1年に0.2ミリしか育たない
オノオレカンバの樹皮
オノオレカンバは樹高は15メートル前後、胸高直径40センチ程度のカバノキ科の落葉高木です。 中部地方以北から東北地方は青森県までの太平洋側に分布し ます。 標高500メートル以上の土壌の浅い尾根や岩石地に根を張り、年に0.2ミリほどしか太くならず1センチ幹が太くなるのに50年、樹齢300年を越えて もやっと直径40cmほどという成長は遅いけどその分非常に堅い木です。名前は斧が折れるほど堅いというところからきています。大日本有用樹木効用編には 「此樹ヲ伐ルトキハ斧ノ折ルルコト多キヲ以テ斧ヲレト云フ」とあります。

雌雄同株で晩秋には雄花序が上向きに付き、5月頃展葉と同時に尾状花序となり垂れ下がり、雌花序は短枝に直立して付きます。 葉は互生で短枝では2枚ず つ付き、 葉身は広卵形〜卵状楕円形で、側脈は9〜12対、先端は鋸歯に達しています。 葉の上面は凹み下面は隆起しているのが特徴です。陽光を好む陽樹で 、枝は周囲に大きく張り出します。根もよく張り保水力があるので、山を守ります。

オノオレカンバの比重は0.9〜0.94で水に浮かべても沈む日本一重い木で、トチやニレの倍以上の堅さです。自然林の中でも数が少なく、また成長が遅いため 、植林もほとんどされず、いまでは貴重な木の一つとされています。長野県では八ケ岳に近い佐久地方とと伊那地方に多く分布しています。

木曽の名産品「お六櫛」(後述)は「みねばり」の木から作られています。この「みねばり」というのはオノオレカンバのことです。「みねばり」の呼称は地 方名で、ほかにウダイカンバ、ミズメ、ヤシャブシ、ヒメヤシャブシ、アオハダ等もこの名で呼ばれています。「みねばり」は漢字で書くと「峰榛」で、山 の岩地から「峰に張り出す」ように生育する榛(ハリ=ハンの木)という意味で、いずれも群生する場所と堅さをとらえた名前です。方言ではカナギ、カタカ ンバ、ナタオレ等すべて堅い樹木をあらわす名前です。

お六櫛
お六櫛。現在も生産・販売されている
「お六櫛」の伝説では、妻籠の旅籠屋に「お六」という美しい乙女がいましたが、いつも頭の病に悩まされていました。旅人が教えてくれた御嶽大権現に願掛 けをしたところ「みねばりという木で作ったすき櫛で、朝夕髪を梳かせば必ずや治る」というお告げがありました。お六は言われるとおりにみねばりの櫛を作 り、朝夕髪を梳かしているうちに、日ならずして病が治りました。このことがあって、近くで取れるみねばりで作った櫛を旅人に売り出したところ大変な評判 になり、全国に知れわたるようになったと言われています。
「お六櫛」は長さ三寸二分(9.7センチ)、幅一寸八分(5.5センチ)の片側におよそ100本、中には143本もの歯が挽きこまれています。静電気がおきず、髪や 地肌にとてもよいと、今も名産品として販売されています。

材木としてのオノオレカンバは昔は馬そりの橇(そり)の部分に欠かせなかったものですし、今 でも高級家具、建築内装材(床柱、床板、敷居など)で珍重されるほか、三味線や琵琶の撥(ばち)、木刀、そろばんの珠、靴や足袋の木型、印鑑、箸、銃 床、ステッキ、船舶の櫂(かい)、その他たたくと澄んだよい音を立てるので琴の音板、木琴、木魚、にも使われています。

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【 ライラック 】
ライラック
我が家より一足先に咲いたお隣のライラック。

英語でライラック、フランス語でリラ。この木を植えたのも札幌がヒントです。北国に春を告げるイベントとして「さっぽろライラックまつり」があります。長い冬を過ごして春が来た喜びを、この花で代弁するものでもあります。札幌の代表的な花としてして扱われていて、毎年5月の最終日曜日を最終日とする3日間、大通公園で開かれています。昭和35年に市民投票で「札幌の木」に選ばれています。私はこの頃ちょうど札幌で学生生活を送っていました。今もそうでしょうが、道庁前などの街路樹として植えられ、北大構内にも見かけたのを思い出しました。きっと寒さに強いだろうと東京の園芸店で求めて、八ケ岳に持って上がったのですが、一発で活着しました。

しかしまだ1メートルに満たない若木なので、花を付けるまでには時間がかかりそうです。そうこうしているうちに、山でお隣の方が植えたのが2006年春6月一足先に咲きました。上にその写真を紹介しました。我が家とあわせて合計4本あることが分かりました。この高い山で、匂いだけはいずれパリや札幌並みに楽しめるのではないか、と期待しています。

ライラック
札幌市大通り公園のライラック(2011.5.25)
「さっぽろライラックまつり」ですが、2006年で第48回とあるのを見て驚きました。私が北大に入学した昭和34年春に第1回が開かれたのを憶えて います。祭りは憶えているものの中身についてはほとんど記憶にありません。しかし48回ということは、学生生活を送ってからまもなく半世紀がたつわけで、この間何をしてきたのかと忸怩たる花でもあります。

ライラックは木犀(もくせい)科ハシドイ属。 和名「紫丁香花」(むらさきはしどい)が 与えられています。学名 「 Syringa vulgaris 」 の Syringa(シリンガ)は、ラテン語の「Syrinx」(シュリンクス)(管、笛)が語源です。この木の幹の内部に髄が詰まっていて、それを取り除いて笛、パイプを作ったことからの命名です。

ライラックは英名Lilac、仏名Liraですが、ともに。ペルシャ語でリラッグまたはニラッグ、アラビア語でライラックと言っていたのがスペインに入り、さらにフランス語、英語になったものです。ペルシャ語のニルは青、ニラッグは青っぽいで、サンスクリット語のニラ(暗青色)にも関係があり、この花が伝播してきた土地の歴史が偲ばれます。

ライラックは育つと高さ2〜7メートルにもなります。ハート型の葉は対生し有柄で、長さ5〜12センチ。無毛で光沢があります。花期は4〜6月。札幌では5月末、八ケ岳では6月末です。このころ総状の円錐花序が密に付きます。芳香があり、花冠は長さ1センチほど。ひとつひとつの花は筒状で、先が4つに切れ込んでいます。ライラックの花びらは普通4枚ですが、たまに5枚の花びらをもつものがあり、「ラッキーライラック」として、それを見つけると幸せを呼ぶものとして喜ばれています。ロシアでは幸福の5枚の花びらを持つライラックの花は、アクセサリーのモチーフとされてきました。

ライラック

ライラックは寒冷な土地を好みます。原産地はイラン北部の山地といわれ、12世紀のペルシャの絵に出てくるので、古くから鑑賞されていたようです。十字軍によってヨーロッパにもたらされ、14世紀にはイタリアに入り、18世紀の後半にはフランスで最初の種間雑種が作り出されました。19世紀に、フランスのビクトル・レモアンが息子とともに改良を進め、花色を豊かにし、八重咲きを作ったりしました。それらは「フレンチ・ライラック」と呼ばれます。中国は野生種のライラックの宝庫だったので、20世紀初頭、アメリカ農務省から中国に派遣されたフランク・メイヤーは中国産のライラックを次々とワシントンへ送りアメリカでも盛んに栽培されるようになりました。中国ではライラックは「紫陽花」と書きます。アジサイではありません。

ライラックは強い香りが特徴です。香水の世界でライラックは、バラ、ジャスミン、スズラン、スミレ、ガーデニアと共に「六大花香」に数えられます。ライラックの香りはスズランと同じようなバイオレット系の甘い香りがしますが、これはライラックアルコールが主成分です。ですが、花から直接採集することは出来ません。

日本には明治になって導入されました。明治19年に出版された松村任三編『帝国大学理科大学植物標品目録』で「ムラサキハシドイ」の和名が与えられました。日本の自生種のものはハシドイです。ハシドイとは、枝先に房なりの花を密に咲かせることから「端に集う」が語源になっています。

宮部金吾記念館前にある最古のライラック
宮部金吾記念館前にある
日本最古のライラック(左手)
札幌には明治22年、北星学園の前身であるスミス女学校の創始者サラ・C・スミス女史が故郷のアメリカから運ばせたものが広がったといいます。現在、北大植物 園内の宮部金吾記念館(旧事務所)前にある樹は日本最古のライラックの株と言われ、昭和の初めにスミス邸から移植された時に、運んだ橇(そり)ごと穴に入れたものの今度は抜くことがで きず、そのまま埋め込まれているという伝説付きの大株です。その後、子孫の株などが増え、大通公園には現在、約400本(白30本、紫系370本)あるそうです。

北大植物園の話が出たところで脱線します。大学でフランス語の先生は日本人の病院長と結婚したフランスの女性でした。「こんな素晴らしい春の日に教室にいるのは馬鹿よ」とクラス全員を歩いて10分ほどの北大植物園に連れ出し、芝生に座らせて、教科書にはない「Lira」の発音を教え、折から60年安保闘争最盛期で、クラス全員がデモに参加したりしたりすると「もっとやれ」とけしかけ、革命の原点だと「ラ・マルセイエーズ」を暗誦させたりする人でした。おかげで今でもフランス国歌とフランス童謡が原語で歌えます。日本の国歌と唱歌もままならぬというのに。

試験で落第点を取ると、呼び出して「今朝起きてから今までをフランス語で説明して」と教科書の1ページ目にあるような「歯を磨いて、食事して、勉強に来ました」程度のことを言うと「ボン」と合格にしてくれました。

私のタロ、ジロ物語

犬飼教授とタロ
北大植物園前の犬飼教授とタロ
=北大植物園のサイトから
昭和36年1月、カラフト犬「タロ」が札幌に帰ってきました。南極から生還して日本中を感動させた直後で、育ての親である北大農学部の犬飼哲夫教授のところに引き取られたことは知っていましたが、どこにいるかは知りませんでした。春に北大植物園を散歩していると、芝生にぶっ刺した鉄棒から伸びる長さ5メートルほどのロープの先に「タロ」がのんびりしていました。

周囲に人はおらず、だれでも触れる状態です。しかし、真っ黒で精悍な顔つきなので人間の方が敬遠していました。私は毎日馬の世話をしていたので同じ要領で近づき、撫でると、されるままになっていました。剛毛といった感じの硬い毛並みでしたが、折から春先の生え変わりの時期で抜け毛が風に舞っていました。

タロ、ジロが人の心を打ったのは、その無心でしょう。ニュースを知った時は涙が出ました。 1年間捨て置かれたのにしっかり生き残り、戻ってきた隊員たちをうらみもせず尻尾を振って駆け寄ってくる。多くの人の胸を打ったのはこの犬たちの健気さでしょう。その時のことが記録されています。
一号機で飛び、犬たちにファーストコンタクトしたのは第一次の大塚正雄越冬隊員でした。その大塚の証言を第三次越冬隊の深瀬和巳隊員が聞き取って書き残しています(「からふといぬ」犬飼哲夫編所収)。

タロとジロ
北村泰一隊員に擦り寄るタロとジロ
「確かに気持ちが悪かった。どのように変わっているのかわからないし、第一、生きていたということ自体にまだ不思議な気 がしているのだから。しかし、私はこの前この犬たちと一年間基地で暮したのだし、止むを得なかったからとはいうものの、置 き去りにしていった者の一味には違いない。犬に対してはやはり何かひっかかる感情はあったわけです」

「お互いにシリごみしているのをみているうちに、やはり私が行ってみることだと思った。たとえ狂暴化していて、腕の一本や 足半分ぐらいくいちぎられても仕方がない。わたしたちが残してきた犬なんだからと、ちかづいてみました」

「ところがどうでしょう。ほえもしないしあとずさりもしない。ちゃんと昔の主人をむかえてくれた。シッポをふる。体をすり寄せて くる」

タロとジロ
昭和基地でのタロ(左)とジロ
タロ
北大植物園でのタロ
後年、映画「南極物語」でさらに有名になりました。制作にわれわれのグループが関係していて、そのとき私は新聞社内で広報・宣伝の責任者のような立場でした。しかし、手許に届いた宣伝用に作られたタロ、ジロのぬいぐるみは茶色と白ばかり。映画人というのはずいぶんいい加減な人種だなという思いでした。ジロは若くして南極で死にましたがタロは長寿(昭和45年8月11日。14歳7か月)を全うしたのは、涼しい札幌にいたせいでしょう。タロは私が撫でていたすぐ後ろの北大博物館で、ジロは上野の国立科学博物館で剥製になってますが、一緒にさせてやろうという運動があるようです。


◇ ◇ ◇

ここにある「私のタロ・ジロ物語」は以上のストーリーのほか、南極に置き去りにしなければならなかった事情やエピソード、さらには北大植物園のHPにあるタロの剥製と動画、他の樺太犬の消息などを 加筆して「エディーとリズの物語」の中に移設し詳述しました。

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【 アカシア 】
アカシア
これは失敗談。やはり札幌にアカシア並木があったし、97年に訪ねた中国の大連は満鉄の時代からアカシアの街として有名だったし、寒さに強いのは間違いない 、と考えました。で、園芸店でアカシアを求めて植えたのですが、99年春行ってみるとみごとに枯れていました。 おかしいなと思いつつ、6月ごろNHKの衛星放送をみていたら、たまたま大連からの中継でした。そして、 はたと原因がわかったのです。アナウンサーがこんなことを言っていたのです。「本当はニセアカシアというのです。 アカシアというのは亜熱帯から熱帯にかけて育つものです」。そういえば、園芸店の名札にアカシア(ミモザ)と書いてあったし、 葉もユーカリのような銀色を帯びた色をしていたっけ、と気がついたが後の祭り。亜熱帯の植物をマイナス20℃の地に植え付けたのではひとたまりもありません。
園芸店に出直したものの、ニセアカシアはなくて、そばに「バラアカシア」というのを見つけました。葉の形がニセアカシアのようだったので、まあ、近い種類だろうと、 勝手に決めて、これを植えてみました。発芽が遅く、毎年、枯れ鉢として処分しようとするころ芽を出してくるので困るのですが、少しずつ伸びています。ただまだ花をみる までにはいたっていないので、写真を紹介できるのは先の話です。



【 ボタン(牡丹)
ボタン
これは意外でした。寒牡丹などというのがあって、上野公園の牡丹園で雪囲いしてある写真を見ていただけに、そんなに寒さに強いとは思いませんでした。しかし、 99年6月見事な花を咲かせました。きっかけは98年の晩秋、ある家の不幸で北海道千歳市を訪れました。すべて終わって飛行機まで時間があるので土地の人に 園芸店でもないかと聞いたら千歳森林組合があると教えられ、 タクシーで出かけてみました。

園内に牡丹の苗がごろんと転がっています。このあたりでは根伏せして冬を越し春に植え替えて咲かせているといいます。求めて八ヶ岳まで運びましたが、 もう冬が駆け足で迫っており、地面も凍り始めていて、根伏せどころではない状況。プランターに赤玉土を入れて植え付け、戸外に出して枯れ草を根の周りに敷くのがやっとという あたふたぶりでした。雪の下に埋まっていればまだしも、 マイナス10数度の雪面に20センチほど枝が出た状態で越冬したので、だめだろうと思いつつ、行くと、上述のようにピンクや赤の見事な花を咲かせたのです。


【 シャクヤク(芍薬)
シャクヤク
これなら同じ仲間(木か草か違うだけ)だから、シャクヤク(芍薬)も、うまく土に埋めれば育つのではないかと考えました。ミレニアムの2000年、3株を越冬させたら、 これも大成功(写真左)。初年度花が咲いたのは1株でしたが、 2年目から大株になり、3株ともたくさん花芽がつくようになりました。牡丹といい芍薬といい、あの寒さに耐えて春一気に美しい花を咲かせるのは不思議でなりません。 しかし、家人にこういわれました。「きれいだけれどここには似合わない」。華麗ではあるが八ヶ岳の自然と合わないというのです。 植物の越冬ばかりに気を取られていて、それ以前のバランスということを忘れていたようです。

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【 ハマナス(浜茄子)
ハマナス
学生時代に歩いた北海道・網走の原生花園の群生ぶりを知っていました。北大寮歌のひとつに 「瓔珞(ようらく)みがく」があります。その中で「浜茄子(ハマナス)紅き磯辺にも 鈴蘭薫る谷間にも 愛奴(アイヌ)の姿薄れゆく 蝦夷の昔を懐ふかな」と歌われるくらいですから、寒冷地の植物です。

また、イギリス人はバラ好きで知られていますが、風土が寒いので、なんとか寒さに強い品種改良をしようと、苦心して見つけたのが、同じバラ科の日本のハマナス。これを元に寒さに強い品種が 生み出された、と何かで読んだことがあります。注文したのですが、秋も深くなって 千歳森林組合から届いたものは、枯れ木と見まごうばかりでした。すでに凍りはじめた土地に突き刺すだけという状態でしたが、99年6月、青々とした芽吹きをみて生命力に感嘆したものです。

ハマナスは漢字では「浜梨」「浜茄子」などと書かれます。実が梨と似ていて浜辺に咲くので「浜梨」とされたものがなまって「ハマナス」になったという牧野富太郎博士の説をめぐって賛否半々、その喧々囂々たる論争ぶりは「花の物語」の中で書きました。敷地に移植して様子を見ていますが、もともと海岸沿いの砂地に育つ植物だけに、肥料もやらないのですが定着しています。


星野家の本陣跡
甲州街道沿いにある星野家の本陣跡。
入り口すぐ右手に寮歌の記念碑がある。

以下は余談です。
八ケ岳の行き帰り、中央道が渋滞した時など下の甲州街道を走るのですが、あるとき、大月で下り、少し走ったところに「本陣跡」という立派な建物をみかけました。国指定の文化財というので見学したのですが、その一角に「瓔珞みがく」の碑がありました。山梨県の山間の宿場跡に何で北大寮歌が、と驚いたのですが、この本陣の当主が作曲者だったのです。正しくは<櫻星会歌「瓔珞みがく」>で、櫻星会は現在の体育会、その会歌として作られたもので寮歌ではないのですが、学生に親しまれ、いまでは寮歌の扱いを受けている歌です。


「瓔珞みがく」の碑
入り口すぐ右手にある
「瓔珞みがく」の記念碑。

置塩 竒(おしお くすし)氏は大正9年 北海道帝国大学予科に在学中にこの歌を作曲し、のちにこの本陣の所有者である星野家に養子に入った方です。歌碑はすでに札幌の北大植物園の中にあるのですが、昭和45年、北大東京同窓会が記念碑を建設し寄贈したものです。

10年後の昭和55年に作詞者の佐藤一雄氏未亡人とともに札幌を訪れた星野さん夫妻の新聞記事が残っています。このとき84歳で「私と違って作歌者の佐藤君は豪放な人でした。その佐藤君の詩に私が曲をつけたのですが、夜中、布団に横になりながら頭に浮かんだメロディーをもとに、次の朝、恵迪寮食堂にあったオルガンで譜面を書きました。実はそのオルガンに昨日対面しました。昔のままで、懐かしい思いがしました」。「アインス ツバィ ドライ」で、全員で「瓔珞みがく」が歌われた。足腰が弱くなって手放せないはずのツエを背広の前ボタンにかけ、両足でふんばった星野さんも声を張り上げていた。(昭和55年4月27日北海道新聞朝刊)

江戸時代に整備された甲州街道は、最終的に下諏訪までの道筋に45の宿駅が設置されました。下諏訪で温泉「旦過の湯」(たんがのゆ)に入った時、そのまん前が甲州街道の旧道で狭い石畳が残っていました。甲州街道の内、大月市内だけで下鳥沢宿から黒野田宿までに12もの宿場がありました。江戸の守りのため、国境の小仏峠以西を重要視し、いざという時に敵の侵入を食い止めるために宿駅を多く配したといいます。

かつて本陣や脇本陣などだった家も多数あったのですが、老朽化のため、建替えや改築した家が多く、江戸時代の本陣建築を伝えるのはいまでは「星野家住宅」だけとなり、主家と籾蔵および味噌蔵、文庫蔵の三棟が宅地を含めて重要文化財に指定されています。

「瓔珞みがく」の歌詞
本陣にかかっている「瓔珞みがく」の歌詞。

星野家は、近世初頭から下花咲宿の本陣と問屋を兼ねていましたが、甲州街道は高遠・諏訪・飯田のわずか三藩の大名しか利用しなかったため、本陣の収入だけでは経営が成り立たず、地主・穀物商・金融業の他、酒造や林業、養蚕、薬屋など手広く商いを営んでいました。現在は一般公開されていて(木曜を除く毎日。10:30〜12:00、13:30〜16:30。大人300円、中高生150円)室内に額入りの「瓔珞みがく」の歌詞も展示されています。(寮歌のリンク先に歌詞とメロディーがありますが、作曲者の名前が間違っています。)



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【 カエデ(楓)
カエデ

カエデのたぐいはみな寒さに強健です。何年か前、途中の長野県・南牧村の農道に植えつけられたばかりのカエデを見ましたが、細くて雪と強風にあおられる姿はか細いばかりでした。でも、2年後には2倍の2メートルを超す高さになり枝振りもこんもりとなってきました。 自生しているカエデについてはこの後の項目で説明しますが、ここで紹介するのは寒さに強いというので東京で求めたものを八ケ岳に植えたものです。

デショウジョウ(出猩猩)(写真左上)という色鮮やかな種類は見事に根付きました。春先といってもこのあたりでは6月ころのことですが、緑一色の中に文字通り異彩をはなっていたのですが、2001年春背丈が半分になってしまいました。亡くなった愛犬グレースが雪の上に出ている部分をかじったためですが、見るたびに思い出して、追憶のカエデになっていました。大事にしていたのですが、2005年枯れました。春先の緑の少ないときにシカが来て新芽を食べてしまったからです。

ベニサンゴカクモミジ

山梨県の大泉村にある園芸店でベニサンゴカクモミジ(写真左)というのを見つけました。樹皮がサンゴのように真っ赤。葉は鮮やかなグリーンです。名前からは一見南方系の植物に見えますが、カエデの仲間は寒さに強いので2000年春求めて林の中に植えました。こういう名前のカエデはないので園芸種のようです。「珊瑚閣」という名前の園芸種があるので名前はここから来たようです。

カラマツとシラカバの林の中に1本だけ赤い幹。赤とグリーンのコントラスがきれいですが、これも愛犬グレースが冬に雪の上に出ていた部分をかじり、半分の背丈になり、次に2005年の森が不作の時に飢えたシカが食べてついに枯れたのです。上記のカエデ2種はもうないのですが、寒冷地で育つことを確認するため、この項を残しておくことにします。

カナダ国旗
カナダ国旗はサトウカエデ
カエデで連想するのはカナダの国旗です。カエデを中央に配した赤白赤の旗は「(The Maple Leaf Flag)と言われ、描かれているのはサトウカエデ(Sugar maple 学名:Acer saccharum)という西洋カエデの1種です。


サトウカエデの葉
日本でも街路樹に使われているサトウカエデの葉
サトウカエデは北アメリカ原産の木で高さは30〜40メートルにもなり、葉も日本の在来種のカエデと比べるとかなり大ぶりで、特徴ある形状をしています。樹木はその堅牢性から、家具などに利用されています。この木の樹液を煮詰めたものがカナダ名産のメープルシロップです。

日本には明治時代以降に入ってきましたが、どうしてか樹液採取はあまり行われず、樹勢が強いこともあってもっぱら街路樹として用いられていて札幌大通公園や東京などの街中で見られます。サトウカエデは黄色に黄葉するものと、赤に紅葉するものがあります。



【 ハウチワカエデ(羽団扇楓)

ハウチワカエデ
ハウチワカエデ
ハウチワカエデ(羽団扇楓)は北海道および本州の低山帯から亜高山まで分布し、低山帯から亜高山帯下部の山地の谷間などに生育するカ「双子葉植物 離弁花類 カエデ科 カエデ属」の落葉高木です。葉の形が、天狗の羽団扇に似ているためについた名前です。学名「Acer japonicum」でわかるように日本固有種で、同じ株に両性花と雄花が生ずる雄性同株。名月楓(めいげつかえで)の別名があります。八ヶ岳では秋にはカラマツをはじめとして黄葉が多いのですが、鮮やかな紅葉を見せてくれるハウチワカエデは「紅葉の主役」といった存在です。

樹高は5〜15メートルに達します。冬芽の鱗片は4対あり、今年枝は赤褐色または紅紫色で、鱗片葉は長さ2.5〜3センチで紅紫色を帯びています。葉は対生し、形は「掌状浅裂(しょうじょうせんれつ)」というもので、葉柄の先から数本の脈をもった葉が、9から11の浅い切れ込みをもちます。裂片は「卵形」をしています。裂片の先端は鋭くとがり、基部は心形になり、縁には重鋸歯がある。花時の葉両面には白色の軟毛があるが、成葉では裏面の脈上や脈腋に毛が残ります。葉柄は葉身の4分の1から2分の1の長さで、2-4センチ。葉は花時だけわずかに白い長軟毛を散生させますが、後に落ち無毛で光沢がある葉に変わります。


ハウチワカエデの展葉 若葉と花
ハウチワカエデの展葉。
葉が出ると同時に花が出る。
若葉と花が出たところ。

10月のハウチワカエデ
10月末のハウチワカエデの紅葉。
花期は5-6月。展葉と同時に、若枝の先に散房花序を出し暗紅紫色の花を先端から下垂させます。花は10〜15個つき、雄花と両性花が混生します。萼片は長さ6〜7ミリで暗紅色、花弁は萼片より短く、淡黄色でそれぞれ5個、雄花の雄蕊は長さ5ミリで8個あり、葯は黄色です。両性花の子房には黄白色の軟毛があります。10〜11月に紅葉します。

果期は7〜9月。果実は偏平な翼果というもので2個の分果からなり、分果の長さは2.5センチほど。熟すとこれが竹トンボと同じように風に乗りプロペラを回転させながら、より遠くに果実を運びます。造化の妙には感心させられるばかりです。

樹皮は若いうちは、灰青色で滑らかですが、老木になると、不規則に剥がれるようになり、幹はでこぼこになります。類似のカエデと比較し、葉柄が葉身の半分以下と短い、葉柄が有毛、裂片の切れ込みが浅い、などの特徴があり、ここで見分けます。


ハウチワカエデの葉裏 雄花と両性花
ハウチワカエデの葉裏。
葉柄にわずかに毛が残る。
雄花と両性花を付ける(雄性同株)。
花弁に見えるものは萼片。

【 コハウチワカエデ(小羽団扇楓)
コハウチワカエデとウリハダカエデ
八ケ岳の秋を彩るコハウチワカエデ(奥の紅葉)と
ウリハダカエデ(手前の黄葉)

八ケ岳の紅葉を語るとき主役となるのがこのコハウチワカエデです。八ケ岳はカラマツが多いせいで、 紅葉というより、黄色が勝った「黄葉」のイメージなのですが、山のあちこちに見事な紅葉が見られます。それがこのコハウチワカエデなのです。左の写真は2006年秋のものですが奥がコハウチワカエデの紅葉で手前がこのあと取り上げるウリハダカエデの黄葉です。

コハウチワカエデの「小葉」というからには「大葉」があるわけですが、それはただ「ハウチワカエデ」といいます。小さな相違点はあるもののほとんど同じです。八ケ岳には両方生育していますが、「小葉」の方が高所を好むせいか、こちらが多くなっています。

5月のコハウチワカエデ
新緑の時のコハウチワカエデ。
葉の下にあるのは花。
これより小振りのコハウチワカエデは本州・四国・九州に分布する落葉小高木です。冷温帯にも尾根筋などの風の強い場所にも生育する適応性があります。別名、「イタヤメイゲツ」(板屋名月)と呼ばれ、牧野植物図鑑によると、板屋とはちょうど板で屋根を葺いた板屋根のように雨水が漏れないという意味だということです。名月は丸い葉の形からです。

葉の形は整っていて、やや堅く、葉身は長さ4〜7.5センチ、幅5〜10センチで、主に9裂していますが、7〜11裂のものもあります。葉柄は長さ3〜7cmで、葉身よりもやや短くなっています。若葉では両面に毛が多いものの、成葉では裏面と葉柄に少し毛が残ります。当年生の枝には必ず軟毛があり、前年枝にも毛が残るのが本種の特徴の1つであり、同定ポイントです。

ハウチワカエデ コハウチワカエデ
ハウチワカエデの葉 コハウチワカエデの葉

コハウチワカエデの種子 カエデの仲間は子孫を残すためにすばらしい仕組みを持っています。最初は果実は緑色ですが秋に熟すと茶色になり「翼果」=写真右=というものになります。一つ一つの長さは1.5〜2センチほどで短い軟毛があります。翼はほぼ水平に開きます。子どもの時遊んだ竹とんぼとそっくりで、木から落ちるとくるくると回りより遠くへ飛散しようと風に乗っていきます。プロペラに軟毛があるのはより空気抵抗を増やすためで、自然の妙というほかありません。

ところで、モミジ(紅葉)とカエデ(楓)の違いですが、園芸上は、葉の切れ込みが深くだいたい7裂の切れ込みのあるのをモミジ、切れ込みが浅い葉や、13から15裂に切れ込むものをカエデとしているようです。カエデは世界中にたくさん分布していますが、そのなかで、我が国だけに自生するものをイロハモミジ、オオモミジ、ヤマモミジなど「モミジ」と呼んでいるようです。

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【 ウリハダカエデ(瓜膚楓)

ウリハダカエデの黄葉
上の項で紹介しましたが、ウリハダカエデも八ケ岳の紅葉ウを彩る主役の一つです。秋が深まると黄色からやや朱色を帯びただいだい色に紅葉します。葉が半ば透けて見えるのも美しいものです。

ウリハダカエデの木肌
ウリハダカエデの木肌。
ウリハダカエデの名前は、樹皮がウリに似ていることからの命名です。若い木の樹皮は薄い緑色の地に濃い緑色の縦筋が目立ち、太くなるにつれて地の緑色は淡褐色に変わり、やがてコルク質が発達して淡灰褐色となってウリとは全く異なった木肌になります。瓜肌は若木の間だけで、大きくなると、縦の割れ目に直交する縮緬状の小さな割れ目が特徴になります。

黄葉のウリハダカエデの葉
ウリハダカエデの黄葉。
ウリハダカエデは本州から九州に分布するカエデ科カエデ属の落葉高木です。本州、四国、九州の丘陵帯から山地帯まで広く生育します。葉はカエデの仲間では大きく、長さ10〜15センチで質はやや厚みがあります。基本は3脈3裂ですが、若木ではわずかに5裂するものも。葉身はほぼ五角形です。若葉では褐色の縮れ毛があり、その後ほとんど脱落し、裏面脈上と脈腋にわずかに残る程度となります。枝は無毛で、若枝の先端は白粉を帯びて粉白色を帯びています。


ウリハダカエデの紅葉
ウリハダカエデの紅葉。
左の写真もウリハダカエデです。黄葉のイメージがありますが、寒さとともに微妙に色彩が変化するのです。 紅葉の仕組みは面白くて、葉緑素の分解で、もともとあった色素が目立ってくる「黄色の紅葉」が第一段階です。ついで気温の低下で葉に閉じこめられた糖分が「アントシアン」という色素に変化して「赤い紅葉」にもなるのです。ウリハダカエデは2つの反応が複雑に作用し合い、微妙な色合いを見せる樹木なのです。

ウリハダカエデの新芽と花 ウリハダカエデの花
新緑の時のウリハダカエデの葉と花 ウリハダカエデの花のアップ
ウリハダカエデの種子 ウリハダカエデは雌雄異株(まれに同株)。花は5月頃に咲き、前年枝から一節の若枝をのばし、1対の葉の間から花序を伸ばします。花序の長さは5〜10センチほどで、十数個の1センチほどの花が付きます。花弁は5枚で黄緑色。雄花の花弁は長さ5ミリほど。雄しべは8本で、雌花にも退化したものが8本あります。果実は翼果と呼ばれるもので夏(7〜10月) に実り、長さ2〜3センチのものが斜めに開きます。コハウチワカエデの果実は竹とんぼ型ですが、こちらは片翼で羽子板の羽に近く、羽の根元に茶色い種子を抱いています(写真右)。 やはり風を待って遠くに飛ぶ工夫なのです。




【 紅葉のメカニズム 】

紅葉は正確には葉が赤く色づく「紅葉」と、葉が黄色くなる「黄葉」に分けられます。「音読みではどちらも「こうよう」ですが八ケ岳では「黄葉」が主であることは説明しました。紅葉の色はその植物の種類によって、赤くなるもの、黄色くなるもの、褐色になるものが決まってます。ちなみに黄色くなっても褐色になっても紅葉といいます。

紅葉するものはウルシ(漆)、楓、ネム(合歓)、ブドウ(葡萄)、柿、梅、柏、桜、蔦、ツツジ(躑躅)など。
黄葉するものはカラマツ(落葉松)、桂、ホオノキ(朴木)、ダンコウバイ(壇香梅)、マンサク(満作)など。
カエデの仲間でもイタヤカ エデ(板屋楓)は黄葉します。八ケ岳ではカラマツ(落葉松)が多いため、こちらのイメージです。

褐色に変化するものは、ケヤキ(欅)、コナラ(小楢)、ミズナラ(水楢)、栗、イヌブナ(犬撫)などブナ科の植物に多く見られ ます。

樹木はなぜ葉を落とすのか

樹木は常緑樹と落葉樹に大別されます。落葉樹は春に冬芽が発芽して葉を展開し、夏の間に盛んに光合成をして、成長し、種子を作るための養分を貯蔵します。これがもし、落葉樹が秋になり気温が下がってきても緑の葉をつけたままだとどうなるでしょう。日照時間が少なく、また寒さのために葉緑体での光合成能力が落ちてしまい植物体を維持できないばかりか、冬には乾燥により葉裏の気孔からどんどん水分を奪われて、木全体が死んでしまいます。こうした生育に不利な時期には、一度落葉して、休眠芽や冬芽の形で休眠する必要があるのです。冬のあいだ、鱗片葉(鱗のような葉)の膨らみの中でじっとしながら少しずつ大きくなっていきます。

常緑樹(冬にも緑の葉を付けている樹木)は常緑といっても全く落葉しないわけではありません。毎年新しい葉が展開して、古いものから落葉していきます。目立たないだけです。八ケ岳の我が山小舎の周りに常緑樹のシラビソがありますが、秋に下を通りかかるとハラハラと首筋に入るほど多量の落葉です。春に新葉と交替するときに一番たくさん落葉しますが、素人目ながら全体の三分の一の葉は落ちるでしょうか。落葉には樹の中の老廃物や大気の汚染物質を外に吐き出す作用もあるのです。アラカシやクスノキ等の常緑広葉樹では春に落葉します。

【紅葉と黄葉では色づくメカニズムが違う】
【紅葉のしくみ】

紅葉は昼夜の気温差が深く関与しています。秋に、日が短くなると葉の老化が進み、気温の低下で葉と枝の間に「離層」と呼ばれる組織が形成されます。すると、光が当たる葉では、光合成によってつくられた糖分は枝に送れなくなって葉に蓄えられ、赤い色素アントシアニンの合成が進みます。落葉前に葉が赤くなるのは、気温が低くなるとアントシア二ンの量が増え、葉の中に赤い色素がつくられるからです。成分含有量のバランスにより、深紅になったり黄金色になったり色や濃度が異なるのは、それぞれの樹種の個性と言ってよいでしょう。

紅葉が美しい5種
紅葉5種
紅葉が美しい5種
【ヤマウルシ】
カエデよりも早く紅葉するのでよく目立ち、黄色から真っ赤に美しく紅葉します。「ウルシ科の木には紅葉のきれいな木が多く、朱色になるヌルデもその一つだが、ウルシ科なので不用意に触れるとかぶれる危険がある。
【ニシキギ】
紅葉の美しさを「錦」に例え、「錦木」と名づけられた。世界三大紅葉樹の一つで庭木にもよく用いられている。枝を見ると翼のような飾りが数ヵ所ついているのが特徴。
【ソメイヨシノ】
桜と言えば春だが、秋の紅葉も見どころ。桜紅葉(さくらもみじ)という言葉もあるほどです。くすみがかった赤を主体に橙色や黄色も交じり、味わい深い色合いになる。 【ハナミズキ】
庭木のほか街路樹としても植えられているので、都会でも深紅の葉をめでることができる。紅葉が比較的早く、秋の訪れを一番に告げる木だ。
【ドウダンツツジ】
我が山墅にはサラサドウダン、ベニドウダン、シロドウダンなど10数本ありますが、この木は小枝が密集して伸びるので、公園の生け垣や街路樹として親しまれている樹木です。春は白や更紗模様の壺型の花を咲かせて楽しませてくれ、秋になると真っ赤に紅葉し、花とは違った美しさを放ってくれます。

【黄葉のしくみ】

「黄色い色素のカロテノイドは常に葉にありますが、ふだんは光合成を行う緑の色素クロロフィルの方が多いため葉は緑色に見えます。しかし、落葉前にはクロロフィルが分解されて失われてゆき、後に残った黄色が目立つようになるのです。

冬が近づくと植物は葉を落とすための準備として葉と枝の境に「離層」を形成することは上で説明しました。この「離層」によって、葉の中で生産された糖分は枝の方に移送されるのが妨げられ、葉の中に残るのですが、この状態で葉緑体の中にある、葉を緑色に見せる色素、クロロフィルは老化してアミノ酸に分解されます。葉緑体の中には黄色の色素カロチノイドも含まれています。クロロフィルの量はカロチノイドに比べて8倍とはるかに多いため、春夏は緑の葉に見えます。しかし秋になりクロロフィルが分解されると緑色が消え、隠されたカロチノイドの黄色が表にでてくるため葉は黄色くなります。イチョウなどはこのようにして黄葉します。

カエデなどの葉が赤くなるのは上述のように、が、糖分やアミノ酸を材料にアントシアニンという赤色系の色素が合成されるからですが、褐色になる場合も赤色と同じ仕組みで、フロバフェンという色素ができるためです。

橙色(だいだい色)は、カロチノイドとアントシアニンが適度にバランスされた時の色で、紫はクロロフィルの分解が十分でない時にアントシアニンが合成された場合に出る色です。

ついでに言えば、カロチノイド系の色素は黄色から橙色まで様々ですが、代表的なのはニンジンカロチンです。クチナシの黄色素は「栗きんとん」や「中華麺」の着色料として広く用いられていま。トマトのトマト色もリコピンというカロチノイド系の色素です。

黄葉が美しい5種
黄葉5種
黄葉が美しい5種
【ブナ】
白神山地に代表されるブナ林の圧倒的な黄葉の美しさは有名だ。冷温帯を代表する樹種だが、残念ながら八ケ岳では少ない。
【ミズナラ】
秋にはどんぐりの実をつけま、わが山墅でもリスが運んできたどんぐりが毎年十数本芽を出す。年によって色鮮やかな年とそうでない年とありるようだ。
【シラカバ】
正式にはシラカンバだが、カエデが春に葉を開いて1年中その葉を維持しているのに対して、シラカバは一つの芽から春に2〜3枚葉を開いた後、夏にも葉を数枚開き、白い樹皮に緑や黄色のグラデーションが美しい。
【カツラ】
カツラの木は秋に甘い香りを放ち、イチョウのように美しく黄葉する。樹高が高く、葉はハート形。万葉集や古事記にもその名が登場し、水辺で多く見られます。

【美しい紅葉になる条件】
紅葉の美しさはいかに多くの糖分が葉に蓄えられたかと、葉緑体がいかに早く分解されるかで決まります。日中は温暖で夜間に急激に冷え込むとクロロフィルの分解は促されます。夜の気温が高いと昼に蓄えた糖分が呼吸などに使われてしまうため、昼と夜の温度差が大きいというのが紅葉が美しくなる第一のポイントです。次に空気が澄んでいて、葉が充分に日光を受けるということも必須条件です。

【新緑の候の紅葉もある】

アカメガシワ、アセビ、カナメモチなどでは5月頃に出る新芽が赤くなるという紅葉が見られます。その紅葉は鮮やかですが、間もなく新緑へと変化します。若葉の紅葉という現象は秋の紅葉と同様、アントシアニンで起こります。アントシアニンの赤い色素はクロロフィルが生産できるまで、若葉の生長を紫外線から守る働きをしています。葉緑体を保護するため紅葉する常緑植物はスギ、ナンテン、ヤブコウジなどです。日当りのいいところに生えている杉の葉は冬になると赤くなります。

【紅葉(もみじ)という植物はない】
紅葉見物を「もみじ狩り」といい「渓谷のもみじが美しい」と言います。また秋になって葉が赤く色づく桜を「桜もみじ」いう時の「もみじ」という語彙は、紅葉する樹木の総称、いわば、俗称で、学術的には「もみじ」という植物はありません。紅葉を「もみじ」と読ませるのは色を揉み出すところから来ています。「もみいず」(揉み出ず)→「もみじ」(揉出)となったようです。

学術的には「もみじ」という植物はない、と書きましたが、ややこしいことに、現実には「ヤマモミジ」、「イロハモミジ」などモミジという名がついた植物はあるので混乱します。カエデ属という大きなくくりの中に、モミジという種があるのわけです。カエデ科の植物は日本には30種類以上があります。

そのカエデという名前の由来は万葉集だといわれています。カエデの葉がカエルの手に似ているということから「蛙手」(かえるで)と歌に詠まれていました。「蛙の手」→「かえで」になったものです。盆栽の世界ではカエデとモミジはきちんと区別されています。イロハモミジのように葉の切れ込みが五つ以上のカエデ属だけをモミジと呼び、その他のカエデ属をカエデと呼んでいます。

我が山墅にもカエデが何本かありますが、その成長の遅いことはまどろっこしいほどです。1年でおよそ10センチほどしか伸びませんから、10メートルほどの成木になるまでに20年以上もかかるのです。しかし、成長が遅い分、カエデ科の木材は堅く、弦楽器やビリヤードのキュー、そしてボウリングのピンやレーンなどに使われています。ちなみに国ではカエデ属植物はすべてmaple(メープル)と呼ばれ、『もみじ』はJapanese maple(日本のカエデ)と英語圏では表現されます」

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ツツジとサツキとシャクナゲについて

八ケ岳では以下に紹介するようにいろいろなツツジが見られます。 ツツジ(躑躅)は、植物分類学ではツツジ科ツツジ属の植物の総称です。日本ではこの中に含まれる ツツジ、サツキ、シャクナゲを古くから区別して呼んでいます。この区別では学術的な分類とはしばしば食い違うことがあります。。

ツツジやサツキは民家の庭先や公園や道路の分離帯におなじみですが、日本では古くから栽培の歴史を持ち、古木では800年とか1000 年というものもあるくらいで、早くから育種も進んでいた「ツツジ先進国」でした。元禄5年(1692年)に伊藤伊兵衛により刊行された「錦繍枕」(きんしゅうまくら)は、世界最古のツツジ、サツキ専門書とされています。

盆栽などで親しまれているサツキ(皐月、学名 Rhododendron indicum)はツツジ科の植物で、本来山奥の岩肌などに自生し ていたものです。他のツツジに比べ一か月程度遅く、旧暦の五月(皐月)の頃に咲き揃うところからサツキツツジ(皐月躑躅) などとも呼ばれていたものですがいつかサツキとなりました。

サツキとツツジは見分け方が難しいです。開花時期が違うほか、サツキはツツジに比べ、花弁がろう細工のような光沢を 持つこと、また一つの株に、単色花と絞り咲きの花、覆輪花などが混じって咲く品種が多く、花色が豊富だということがあ げられます。

意外かもしれませんがシャクナゲもツツジ属 の仲間です。ツツジ属 (Rhododendron) は便宜上、落葉性のツツジ類と常緑の シャクナゲ類とに分類されますが、日本で「シャクナゲ」と 言う時はホンシャクナゲの仲間に限られ、常緑であってもそれ以外のものは「シャクナゲ」とは呼ばないのが普通です。

園芸店で「ロードデンドロン」とか「アザレア」とかツツジに似た花を見かけますが、これはアジアにあった常緑のツツジ類が ヨーロッパに持ち込まれて園芸化されたのがロードデンドロン(*Rhododendron) と呼ばれ、 アメリカに持ち込まれた落葉性のものが品種改良されたものがアザレア(Azalea) と呼ばれるものです。私も二子玉川の大型店で 新種かと思って「エクスバリーアザレア」を求め、八ケ岳に運び上げたことがありますが、これは、八ケ岳にふんだんにある あのレンゲツツジ等から作られた園芸品種です。

*ロードデンドロン Rhododendronは、rhodon(バラ)+ dendron(樹木)の意味。

ツツジ属は、大きくヒカゲツツジ亜属とツツジ亜属に分類されます。

【ヒカゲツツジ亜属】 エゾムラサキツツジ

【ツツジ亜属】 ヒラドツツジ、キリシマツツジ、レンゲツツジ、ヤマツツジ、サツキ(サツキツツジ)、 ミツバツツジ、クロフネツツジ

またツツジは常緑性ツツジと落葉性ツツジに分けられます。落葉性ツツジには、レンゲツツジ、クロフネツツジ、ゴヨウツツジ、ミツ バツツジ、などがあります。こうした高山性の種類は耐暑性がないので、あまり庭木には使われませんが逆に、八ケ岳のような ところではうってつけといえます。落葉性ツツジでもクロフネツツジやミツバツツジ、トウゴクミツバツツジは耐暑性があり九州でも 植えられています。

【 レンゲツツジ(蓮華躑躅)
レンゲツツジ
我が山墅のレンゲツツジ(八ケ岳2024年6月14日)
レンゲツツジは八ヶ岳一帯春になるとどこでも見られます。春といってもこのあたりでは6月ごろですが、いっせいにオレンジ色の花を 咲かせます。ただ年によって花が少ないとき、花色が見事なとき、差があるようです。何年かごとに大発生する 毛虫が葉を食べるせいなのかと思ったりします。日光が当たる場所にある木は花つきがいいようです。ただ開花期が 短くて、満開の時に出会うのはなかなか難しいですが、一面のレンゲツツジの絨毯になったときは見事なものです。

春一番の私の作業の中で時間をかけて行うのが「レンゲツツジの裾からげ」と勝手に名づけている ものがあります。この木はずいぶん枝が曲がって八方に広がるので、林の中を歩くのに邪魔ですから紐でくくって 一からげにするのです。かねてから癖の悪い樹木だと思っていたら、ある年ハッと気づかされました。雪の重みで 広がるのです。本来はまっすぐ上に伸びるはずのものなのです。自然の厳しさに耐える姿だったか、と思うと急に しおらしく感じたりします。

漢字で「蓮華躑躅」と書きます。つぼみや花と葉が輪状に展開する様子を仏(ほとけ)が座る蓮華(蓮の花)に 見立てたことから名付けられたというのですが、有毒植物だというのはごく最近まで知りませんでした。 ツツジ科植物の有毒性は古くから知られていて、紀元前4世紀のギリシャの哲学者クセノフォンの著書のなかで 兵士たちがツツジ属植物の蜜をとった蜂蜜で中毒した様子を記録しているほか、 最近でもトルコでツツジ属の花からとった蜂蜜で人間の中毒事故が起きたという報告があるそうです。

レンゲツツジ

全木にグラヤノトキシンという毒があり、嘔吐、血圧低下、麻痺、痙攣 を起こすというから穏やかではありません。 本能でこれは有毒だと知っている牛や馬の家畜はもちろん食害が問題になっているシカも食べないから放牧地の富士、浅間、八ヶ岳などの山麓で大群落をつくる のだといいます。そういえば周りにはレンゲツツジの名所になっている丘陵地がたくさんあります。

しかし、敷地で見ていると、この有毒植物にもいろんな昆虫がやってきます。彼らは中毒にならないどころか、葉も有毒なのに 毛虫がむさぼっていたりします。山墅の周りの高山植物はあらかたシカに食べられて全滅状態ですが、レンゲツツジだけは大手を振って咲き誇っています。 自然の妙に感心しながら毎年見ています。

名前の由来も面白いです。ツツジの漢名「躑躅」(てききょく)というのは「二、三歩行っては止まること。ためらうこと」をあらわします。レンゲツツジの漢名は「羊躑躅」です。「羊が毒にあたって二、三歩行っては止まること」から名づけられているというからすさまじい命名です。

レンゲツツジの花
レンゲツツジの花
レンゲツツジは高さ1〜2メートルになるツツジ科の落葉低木で、北海道西南部・本州・四国・九州の広い範囲に分 布しています。日当たりのよい高原などに自生しますが、園芸樹としても多数植えられています。4〜6月に長さ5〜10センチ の葉をつけます。葉は光沢がなく、ときに裏白もあります。葉がで た後、すぐ直径5センチほどの大きなロート状の花をつけます。花の色は朱赤色ですが、南へ行くほど黄色味が増し キレンゲツツジ(黄蓮華躑躅)もあります。八ヶ岳では赤みが強い品種も見かけます。

ツツジ(躑躅)という名の植物はありません。百合などと同じくツツジ科ツツジ属の植物の総称です。世界に約82属、2500種もありうち日本では43種が分類されています。シャクナゲもツツジの仲間です。葉は常緑または落葉性で互生し、鋸歯がなく、先端に水孔があります。花は鐘形ときに筒形で、先が5〜8裂します。おしべは花冠裂片と同数か2倍あり、葯は先端に穴が開いて花粉を散らします。堕果(さくか)は4〜5室からなり、室の背面が縦に裂けて多数の小さな種子をまき散らします。

混同している人が多いようですが、ツツジとサツキの区別は園芸植物かどうかという点です。サツキは日本で江戸時代から園芸化され、花の美しい品種が多く、盆栽や鉢花、庭木に栽培されるツツジ科の低木をいいます。和名「サツキツツジ」の略称で、5月(皐月)に開花することから名付けられたものです。

レンゲツツジのさく果
レンゲツツジのさく果。
レンゲツツジの種子
秋になると種子は周囲に散る。
9〜10月 になると果実をつけます。長楕円形のさく果で毛があり、この中に小さい種子が出来ます。四方に飛散して翌年あちこち で発芽するので増やすのも簡単です。

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【 クロフネツツジ(黒船躑躅) 】
クロフネツツジ

北海道・千歳市での葬儀に出席した折り、立ち寄った森林組合で「寒さに強い木は?」と尋ねて、 教えられたのがこのクロフネツツジでした。
別名、 カラツツジ。中国北部、朝鮮半島原産とありますから寒さには強いわけです。  学名の種小名「Rhododendron schlippenbachii」は発見者であるシュリッペンバッハ男爵に因む命名だそうです。

冬に葉が落ちる落葉性ツツジです。 春真っ先4月〜5月、八ケ岳では6月に入ろうとする頃に直径5センチにもなる大きな 花を枝先に数個付けます。このうすいピンク色の花には芳香があります。花冠は漏斗形で5中裂し、雄しべは10個あ ります。
花をつけた後から葉が出ます。葉は倒卵形から広倒卵形で、枝先に5枚葉を輪生状に互生します。若枝には腺毛が密生します。

ツツジの女王
ツツジの女王の異名を
とるクロフネツツジ
千歳で説明されたように、寒さに滅法強く、氷点下20℃もものともしません。一方暑さにも耐え、ほぼ日本全国で栽培されています。気品に満ちた薄桃色の花は「ツツジの女王」とも呼ばれます。左上に写真を掲出しましたが、実はその後、だんだん花が咲かなくなって、今では枝葉は出るものの開花まで至らない状態がつづいています。残念でたまりません。上で寒さに強いと書きましたが、ここ八ケ岳は冬に氷点下20℃を超すことも珍しくありません。どうも寒すぎるのではないかと思われます。

日本に持ち込まれた時期ははっきりしていて、寛文8年(1668年)朝鮮半島から渡来したとされます。韓国では多くの自治体で 市花などに採用されているそうです。なんで「黒船躑躅」なのか。黒船がやってくるはるか昔に渡来しているだけに命名の由来は さだかではありません。

樹高は1〜1.5メートル、中には4、5メートルになるものもあるというのですが、我が家のものは数年たつのにまだ素焼き の植木鉢です。寒地の植物だけあって成長は遅いです。 その後知ったのですが北大植物園にあるクロフネツツジが大木として有名です。

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【 サラサドウダンツツジ(更紗灯台躑躅 )

サラサドウダンツツジ サラサドウダンツツジは八ヶ岳の気候と土壌に一番あった植物で、いたるところで見かけます。我が敷地にも移植 分を含め大小20本ほどが育っています。最初に持つ疑問が「なんでこれがツツジなんだろう」ということです。ヒメ リンゴの実か赤いスズランかと見まごうばかりのきれいな花がびっしりとぶら下がったところは見事です。ツツジ科 に属するための名前ですが、ツツジとはだいぶイメージが違います。

このあたりを管轄する臼田営林署の署長さんと知り合い、カラマツ以外何もない(実際はたくさんの花や木が笹の下に隠れていた)ので、何かないかしら、と相談したら 、八ヶ岳全山に多く、土質が土地にあっているからと勧められました。そのうち2,3本担いでこられて敷地に植えていかれました。最初、ただの木でしたが3年ほど後の6月、突然花をつけました。きれいな花にこのときはじめてびっくりしたのです。

まずこれと似たドウダンツツジ(灯台躑躅)を知る必要があります。植物学的な説明は後述してありますのでそちらを見ていただくとして、ここでは、和名の話を書きます。ドウダンツツジは漢字だと「燈台躑躅」とか「満天星躑躅」、花の形から「風鈴躑躅」と呼ばれることもあります。字面を見ているとますます読めないし、わけがわからなくなりますが、ここでいう「燈台」は昔の油皿を乗せた行灯(あんどん)型の燭台をさします。古くはドウダンツツジではなく「トウダイツツジ」といっていたのが変化したものです。

怪談『鍋島化け猫騒動』などでおなじみですが、化け猫がぺろりぺろりとなめることになっている行灯の油は、昔3本の細い木の棒の中ほどの一か所をひもでくくり、上下を開いて立てた上に油皿を置いて使いました。こういうのを「結び燈台」といいました。やがて足が一本の簡単な台付のものとなり、丈の高いものを高燈台、低いものを切燈台と呼びました。ドウダンツツジは1か所からたくさんの細い枝が放射状に出ることから「燈台」にあやかって付けられた名前なのです。 「満天星」の由来は後述します。

ドウダンツツジ属は日本に四種がありますが、花色は白のほかに赤の「ベニドウダン」、白地に赤い縞模様が入 る「サラサドウダン」が主なところです。「サラサドウダンツツジ」のサラサは「更紗」で同じモチーフが 無限に繰り 返されていく江戸更紗、京更紗の染め模様からの命名でしょう。

サラサドウダンツツジを下から見上げると
これこそ「満天星躑躅」。木の下にもぐると見事だ。
サラサドウダンツツジは都会では生け垣などに使われていて、いたるところで見かけますが、スズランに似た花が 鈴なりになっているのを見る機会は少ないでしょう。八ヶ岳一帯には自生していて、育てるのはそう難しくない植物 です。しかし、成長が遅いです。10年ほど前臼田営林署の方が植えていってくださったのがありますが、背丈は 当時よりやっと30センチほど伸びたかなという程度のスローな成長ぶりです。だだ枝振りが全体にがっしりしてき て、ここ2、3年は毎年たくさんの花房をつけるようになりました。木の下にもぐって上を見るとそれこそ「満天星」 の感じで、春の一番の楽しみになりました。

紅葉のサラサドウダンツツジ
都会で生け垣を見ただけでは、この木がどのくらい大きくなるものなのか、多くの人は知らないでしょうが、このあ たりには数十年以上もたった3メートルをゆうに超す大木もあって見事な花を付けています。また晩秋の紅葉の 美しさはそれこそ「錦秋」の言葉どおりです。 右に八ヶ岳高原ヒュッテの近くの周遊道路にあるサラサドウダンツ ツジの見事な紅葉を紹介します(ロッジのHPから)が、これほど大きくなります。何十年という単位ですが。こう いうのを見ると、歳月を考えてしまいます。

さて、ドウダンツツジとサラサドウダンツツジの違いはどうでしょうか。
@誰でもわかるのが、花色の違い。サラサドウダンツツジは淡い地色に濃い紅色のタテの条(すじ)がある更紗 模様。
A花の形が、先端にいくほど狭くなる壷形がドウダンツツジ。先端が広がり鐘形をしているのがサラサドウダンツツジ。
Bサラサドウダンの方が花期が1か月ほど遅い(八ヶ岳はもっと遅くて6月上・中旬が満開)のと、葉が完全に展開してから花が開く。
もっと植物分類学的に違いを説明すると、以下のようになります。

【ドウダンツツジ4種の見分け方】

ドウダンツツジにはドウダンツツジ、サラサドウダン、ベニドウダン、ツクシドウダンの4種があります。いずれもツツジ科ドウダンツツジ属に属し、葉が互生し枝先に集まって輪生状につく点でよく似ています。

次の特徴により見分けます。

この4種は、まず葉が小さいドウダンツツジとベニドウダン、葉が大きいサラサドウダンとツクシドウダンの2組に分けることができます。その上で、

★ドウダンツツジ(灯台躑躅・満天星躑躅)

ドウダンツツジ
ドウダンツツジの白い花
ドウダンツツジは春先に葉が出る前に白い壺形のかわいらしい小花を付けるのと、秋の紅葉(10月中旬から11月)がすばらしいので庭木によく植えられている日本原産の落葉樹です。基本は白色ですが別に「シロドウダン」という樹種があります。こちらはベニドウダンの白花品種で、「シロバナベニドウダン」とも呼ばれています。花の先端に切れ込みがあるのとやや黄色を帯びているので、ドウダンツツジと見分けます。

日本原産ですが、現在、各地でドウダンツツジとして売られているものは、小葉の優良個体を選抜したものです。刈り込みに耐え、小枝が密に出るので、生け垣用として、戦後急速に全国に広まりました。野生のドウダンツツジは葉が大きく、枝の出方が粗めで現在「ヒロハドウダンツツジ」と呼ばれているものです。

漢字表記で「満天星躑躅」ですが、これは道教の神である太上老君が霊薬をつくるときにこぼした霊水が地上に降り注ぎ、まるで満天の星のように輝いたという中国の伝説から、「満天星」と呼ばれたことに由来、中国語名の表記をそのまま引用し和名のドウダンツツジの読みを充てたものです。また、「灯台躑躅」とも書かれますが、こちらは昔、夜間の明かりに用いた灯台(結び灯台)の脚部と似通っていることに由来し、その「トウダイ」から転じたものです。

日本の本州、四国、九州の低地に分布し温暖な岩山に生え、関東以西の温暖な地の庭や公園の植え込みとして多く用いられています。

低木で、大きくても3メートルほど。株立ちして枝を出し、若木の樹皮は灰褐色をしていて、成木になると表面が不規則にはがれてまだら模様になる。葉は、菱形に近く、大きさは通常約2センチ 。花期は、葉が出てから約1週間後(4月上旬から5月中旬頃、地方によって違う)。花は、白色、釣り鐘のような形で、0・5センチ ほど。紅葉はツツジ科の中でもひときわ美しく鮮やかな赤色に紅葉する。 @葉が小さく、葉身は 長さ 2〜4センチ、幅 0.8〜2センチの倒卵形、A葉柄は0.2〜0.7センチと短い、B葉の先端は急に狭まって短く尖り先端に腺状突起があり、基部は楔形で葉柄に流れる、C葉縁には細かい鋸歯があり先端は鉤状となる、D花は白色の壷形、E果実は果柄が上向きに伸びてつく。

★ベニドウダンツツジ(紅灯台躑躅)

ベニドウダンツツジ
ベニドウダンツツジ
 関東以西から九州に自生する高さ2〜3メートルほどになる落葉低木です。また、庭園にもよく植えられています。

@葉が小さく、葉身は 長さ 2〜5センチ、幅 1〜2センチの倒卵形、A葉柄は0.4〜0.6センチと短い、B葉の先端は短く尖り先端に腺状突起があり、基部は楔形で葉柄に流れる、C葉縁には細かい鋸歯があり先端は鉤状となるが、ドウダンツツジよりは明らかに大きい、D花は枝先に下垂した長さ3〜4センチの朱紅色をした鐘形の総状花序をつけます。花冠は朱紅色で、長さ3〜6mmあり、広鐘形で先端が不ぞろいに細裂します。ベニサラサドウダンよりも一回り小型で、赤色が濃く、花びらの先がギザギザになっていますが、サラサドウダンのような縦縞は見えませんE萼は広鐘形で深く5裂し、裂片の先端は鋭くとがりますF果実は果柄の先が下向きから急に反転して上向きにつきます。

花柱が花冠よりも長く突き出るものをチチブドウダン(秩父燈台)として区別する向きもあります。


★サラサドウダンツツジ(更紗灯台躑躅)

(サラサドウダンの写真は上で何枚か我が山墅付近で撮影したものを掲出していますので、そちらを参照のほどを)

 北海道西南部、本州全域、四国の徳島県に分布し、庭木としても植えられている日本固有種です。ドウダンツツジの仲間では最も北方まで分布している種です。深山の岩地に生育する落葉樹で、高さ4〜5メートルほどになります。我が山墅は標高1760bありますが、環境が合うのか10数本あるドウダンツツジの木の半分以がこのサラサドウダンです。

@枝は輪生し斜上か横に広がります。A葉は枝先に輪状に集まり葉が大きく、葉身が長さ 3〜7センチ、幅 1〜3.5センチの倒卵状楕円形、初夏、枝先に総状の花穂を垂れ、、葉の先端は鈍く尖り中央に腺状突起があり、裏面の中央脈に沿って赤褐色の毛があります。B葉柄は約1センチと長めです。縁には細かい鋸歯があり、鋸歯の先端は毛となる、C花は花は小さな鐘状で淡紅白色で紅色の条(縦の筋)があります鐘形で、花冠は、上部が淡紅色、基部は黄白色で縦に紅色の筋が20本ほど入り、縁は浅く5裂する。D萼は淡緑色、花冠とともに5裂です。雄しべが10あります。E刮ハは下向きの果柄の先が鉤状に曲がったところに上向きにつきます。

サラサドウダンツツジはその花の形から別名「フウリンツツジ」(風鈴躑躅)とも呼ばれます。

ベニサラサドウダン(紅更紗灯台,紅更紗満点星)

ドウダンツツジ4種を挙げて説明していますが、このうちサラサドウダンともベニドウダンとも違う「ベニサラサドウダン」というのがあります。サラサドウダンの変種ですが、ここ八ケ岳高原「海の口自然郷」に多いので紹介しておきます。

北海道から本州の中国地方に分布する日本固有種です 。深山の林内や湿原のふちなどに生える落葉低木でサラサドウダンの変種です。花冠はサラサドウダンよりやや小さく、花色は鮮やかな淡江〜新紅色で、縦筋もほとんど見えません。

樹高は2〜3bほどで、幹は直立して上部に多くの枝を輪生状に付けます。葉は枝先に輪生状に集まって互生し、倒卵形で縁に細かい鋸歯があります。花は直径1センチほど、雄しべは10本あり花糸には白い毛が密生し、葯には刺状の突起が2本。花は下枝先に総状花序を付け、浅く5裂する鐘形で下向きに咲き、果実は垂れ下がった柄に上向きにつきます。

ベニサラサドウダン 対比
ベニサラサドウダン
(八ケ岳高原ロッジHP2024年6月9日から)
写真内で左がベニサラサドウダン、右端がベニドウダン。
花の形と大きさがずいぶんと違っている。

サラサドウダンとの違いは色だけではなく、生える環境にも微妙な差があります。一般にサラサドウダンより標高の高い亜高山帯の低木林の中や、湿原周辺の湿り気が多い場所を好みます。

八ケ岳高原「海の口自然郷」は標高1400メートルから1800メートルにあります。つまり亜高山帯で、ベニサラサドウダンツツジが育つ環境にここはまさにうってつけなのです。

ツクシドウダンツツジ
ツクシドウダンツツジ
★ツクシドウダン (筑紫燈台または筑紫満天星)) 
 @葉が大きく、葉身が長さ 3〜7センチ、幅 1〜3.5センチの倒卵状楕円形、A葉柄は約1センチと長く、しばしば赤みを帯びる、B葉の先端は鈍く尖り、中央に腺状突起はなく、基部は楔形で葉柄には流れない、C縁には細かい鋸歯が多数あるが、鋸歯の先端は毛とはならない、D花冠は濃紅色の筋が入った紅色で、縁は花冠の1/3〜2/3まで深く5裂するのが特徴。

文章ではなかなか見分けがつきませんが、画像つきで説明しているサイト、樹木検索図鑑「類似種の見分け方」(上記の説明文の引用先)があるので、そちらを参照ください。


【 ミツバツツジ(三つ葉躑躅)

ミツバツツジ
八ヶ岳のミツバツツジは春一番に咲く
八ヶ岳の春は遅くて、5月のゴールデンウイークはまだ冬の続きです。5月はじめはただ雪が溶けただけの状態で、下旬になってやっと花が咲き出すのですが、その芽吹きの新緑のな かで真っ先に紅紫色の鮮やかな色彩を見せるのがミツバツツジです。八ヶ岳ではミツバツツジもトウゴクミツバツツジもともに見られます。

ミツバツツジ(三つ葉躑躅)はツツジ科ツツジ属の落葉低木で、近縁のミツバツツジ類の総称としても使われます。ツツジの語源は「筒状花」からツツジバナ(躑躅花)になったとも 、「続咲木」(ツツキサキギ)からそうなったともいわれています。躑躅は漢名からで音訓は「てきちょく」と読みます。花が終わってから葉が出てくるのが特徴で、枝先に三枚の 葉がつくことからこの名がつきました。本州(宮城県以南、関東、長野、岐阜、三重県鈴鹿山麓)に多く、 関東地方(特に神奈川県 丹沢、箱根のブナ帯)から近畿地方東部の太平洋 側に分布し、主にやせた尾根や岩場、里山の雑木林などに生育します。

ミツバツツジの仲間は、地域により種を分けるものが多く、ミツバツツジの名が付くものには小葉の三葉躑躅、大山三葉躑躅、、清澄三葉躑躅(千葉県鴨川市の清澄山で採集された 標本を基に昭和5年に命名)、西国三葉躑躅、南国三葉躑躅、土佐の三葉躑躅、高隈三葉躑躅(鹿児島県大隈半島の高隈山系の固有種)など主に土地の名前がついたものがわんさ とあります。

ミツバツツジはイワツツジ(岩躑躅)ともいい、成木の高さは1〜3メートルにもなります。葉が出る前に、枝先に2、3個の花を横向きに咲かせます。蕾のときは立っているが、花 が咲くときは横を向いて咲くという特質を特っています。これは雄蕊(おしべ)が濡れないためです。水が溜まらず、昆虫が入りやすくなっているのです。

ミツバツツジのおしべ
ミツバツツジの雄しべは5本
花冠の筒部は直径3〜4センチの漏斗形で、深く5裂し、平らに開きます。雄蕊は5本。花糸は長短があり、先端は上を向き、孔裂する葯を付けています。子房は淡緑色で粘り気 のある腺点(せんてん)があり、花柱は雄蕊よりも長いです。

葉は長さ4〜7センチの菱形状で葉の中央より付け根寄りが最も幅が広い広卵形で、枝先に各節から3枚以上出て輪生しています。葉質は硬く、毛がなく、滑らかです。刮ハ(さく か)は、長さ1センチほどで秋に種子を落とします。

群馬県館林市はツツジの名所として知られますが、その伝説では、昔、お辻という美しい女性が館林城主の榊原康政の側室にいた。寵愛を一身に集めたお辻は正室から妬まれ、嫌 がらせ折檻を受け、その仕打ちに耐えかねたお辻は、仕えていたお松と一緒に城沼に身を投げてしまった。お辻を哀れんだ里人は、お辻の霊を慰めるために「おつじ」と音の似て いる「つつじ」を沼の南岸の龍燈の松のそばに植えたという。館林市の善長寺には、お辻とお松の供養塔があるそうです。



【 トウゴクミツバツツジ(東国三葉躑躅)
トウゴクミツバツツジ

春先、といっても八ヶ岳では5月下旬、一般では4〜6月ですが、山道や道路の横、またシラカバ林などでハッとするような、鮮やかなショッキングピンクというか赤紫色の花を見かけます。この前後の季節を通じて他にこんな花色はないので大変強い印象を持ちます。これがトウゴクミツバツツジ(東国三葉躑躅)です。

トウゴクミツバツツジの花

関東、 中部地方(宮城県から三重県鈴鹿山系まで太平洋まで)の山地に多いツツジ科の落葉低木です。高さ2〜3メートルあるうえ、葉が開く前に、直径3〜4センチの花を咲かせ 、遠くからでもよく目立ちます。花は、深く5つに裂け、おしべが10本(ミツバツツジは5本)あり、葉は枝先に輪状に3枚輪生します。これによりミツバツツジの名がつき ました。関東の山に多いので、トウゴクミツバツツジ(東国三葉躑躅)の名がつきましたが、西日本に多いサイコクミツバツツジ(西国三葉躑躅)というのもあります。 ユキグニミツバツツジ(雪国三葉躑躅)というのもあります。


トウゴクミツバツツジの葉柄
葉柄にも毛が密生
トウゴクミツバツツジの花柱
トウゴクミツバツツジの
花柱には毛が密生。
どれも良く似ていますが、トウゴクミツバツツジは、
1 花柱に腺のような毛があること。
2 葉柄にも毛が密生していること。
の2点で他とはっきりと異なっていることが分かります。

果実は刮ハ(さくか)。 刮ハとは 種を飛ばすために裂けた乾いた実のこと 自然に出来たドライフラワーといったところ 。長さ1〜1.5センチのゆがんだ円柱形をしていて、毛が密生する。10月ごろに熟しその後、裂開して種子を飛ばす。

ミツバツツジは寒さに強く早春から咲き出すので園芸用に品種改良されていて、家庭の庭や公園にもずいぶん植えられています。

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【 イチョウ(銀杏、公孫樹)
イチョウ

筑波にある森林総合研究所にいる友人からイチョウが送られてきました。専門家が届けてくれるのだから間違いありません。初めてイチョウが寒さに強いことを 知りました。99年春が初めての芽吹きでしたが、全体に葉が小さいようです。また、寒さが厳しいせいなのかまだわかりませんが、微々たる成長速度で、これでは 大きくなるのにかなりの年月を要する、という印象です。

細々と育っていたイチョウですが、近年シカとニホンカモシカが増え、冬に芽や樹皮を食べるようになりました。留守中にやられるのでどうしようもありません。 細いイチョウがますますやせ細り危険な状態ですが、寒さに強く八ケ岳に適合することは間違いないのでここに掲げておきます。

我が家では家内がイチョウ嫌いです。テニスをしていたら上からギンナンが落ちてきて額、鼻、アゴに一箇所ずつ当たったそうです。たちまちその3箇所が赤 くなり、やがて病院で顔中を包帯で巻かれ、透明人間のごとき姿になって以来です。かぶれるのはブチル酸のためで中に含まれるギンコール酸、ビロボールという成分のせいです。

イチョウ(銀杏)は中国原産で高さは10〜40メートルにもなる落葉高木でイチョウ科イチョウ属の裸子植物です。学名はGinkgo biloba。
   イチョウの仲間は古生代末に出現し恐竜と同じ中生代ジュラ紀には世界各地で繁茂していた植物なのでメタセコイアとともに「生きている化石」と呼ばれます。

イチョウの葉は扇形で、葉脈は付け根から先まで二又に分岐を繰り返し広がっています。大きな枝から、短枝という非常に成長が遅い小枝を出し、そこに毎年、 葉をつけます。雌雄異株で、花期の4月には雄株のつける花粉は風にはこばれ、雌株まで運ばれます。秋になると異臭のする肉質の外種皮におおわれた種子をつけま すが、酒のつまみや中華料理や日本料理に使われる銀杏(ぎんなんです。

しかし、こうした仕組みが解明されたのは明治時代で、雄木の精子は明治29年(1896)東京帝大助手、平瀬作五郎が発見しました。官立学校によく植えられたせいか東大、 阪大の校章はイチョウですし東京都のマークもこの木です。また街路樹に一番使われている樹種で全国で62万本植えられています。

東京で有名なのは我が家の愛犬アナスタシアもここでデビューした神宮外苑のイチョウ並木ですが、ここの146本は、大正12年(1912)に植えられ、 立体感を出すため手前の青山通り側は24メートルに、奥は21メートルに切りそろえるというほどよく手入れされています。

日本ではイチョウは信仰と深くむすびついた木で、大切にされてきたため、各地の神社や寺に巨樹がみられます。国指定の天然記念物にも20本を超えるイ チョウの名木があります。

近年、「イチョウ葉エキス」が注目されています。名前通りイチョウの木の緑葉のエキスです。 ヨーロッパでは、イチョウ葉エキスは血液循環改善剤として認可されて、脳血管障害、痴呆症患者に対して投与されています。またアメリカでアルツハイマー 症の患者に投与したところ、認識力の向上が見られたとかバイアグラの代替として効果があるとかの報告があったためです。

ドイツ、フランスで医薬品として認可されて、フランスでは全医薬品中の売り上げ1位となっています。イチョウ葉エキスの原料はそのほとんどが日本から 輸出されていて、毎年 1,000 トンにもなります。しかし2年間摂取した健康な女性が硬膜下血腫を発症した報告もあり、日本では医薬品としては認められておらず 、大手飲料メーカーも参加しての商戦ではもっぱらサプリメントとして通販など扱われています。

中国では「銀杏」のほか、「公孫樹」とも書き、また葉の形がカモの脚に似ていることから「鴨脚樹」とも表記されますが、この中国読みを日本人が「ヤーチャオ」と聞いたことから、やがて 「イチョウ」と呼ぶようになった経緯は『大言海』にあります。これが語源の定説と言っていいでしょう。

『大言海』(冨山房)5冊は、著者、大槻文彦の死後、兄や新村出らの協力により、1932〜37年(昭和7〜12)に刊行された一大国語辞典ですが、この辞書の特色は、 出典を示し、独特の語源解釈を試みていることで、たとえば銀杏(いちょう)の語源についてこのように書かれています。

北大のイチョウ並木
北大のイチョウ並木
『大言海』序文にある銀杏の語源

<銀杏(ぎんなん)の成る「いちよう」といふ樹あり。この語の語原、並に仮名遣は、 難解のものとして、語学家の脳を悩ましむるものにて、種種の語原説あり。

この語の最も古く物に見えたるは、一条禅閤(ぜんこう:兼良公、文明13 年80歳にて薨ず)の尺素往来に、「銀杏(イチヤウ)」とある、是れなるべし。

文安の下学集にも、「銀杏異名鴨脚(アフキヤク)、葉形、鴨脚(カモノア シ)の如し」とあり。字音の語の如く思はるれど、如何なる文字か 知られず。

黒川春村大人の硯鼠漫筆(けんそまんぴつ)に「唐音、銀杏の転ならむ」 などあれど、心服せられず。

降りて、元禄の合類節用集に至りて、「銀杏、鴨脚子、」と見えたれど、 是れも如何なる字音なるか解せられず、正徳の和漢三才図会(わかんさん さいずえ)に至りて、「銀杏(ギンナン)、鴨脚子(イチエフ)、俗云、一葉 (イチエフ)」とあり。

始めて、一葉の字音なること見えたり。然れども、一葉の何の義 なるか、不審深かりき。加茂真淵大人の冠辞考、「ちちのみの」の条にも、「いてふ」と見ゆ。

仮名遣は合類節用集か、三才図会かに拠られたるものならむか。語原は 説かれてあらず。さて和訓栞(わくんのしおり)の後編の出でたるを見れ ば(明治後に出版せらる)、「いてふ、一葉の義なり、各一葉づつ別れて叢生 (そうせい)せり、因て名とす」と、 始めて解釈あるを見たり。

十分に了解せられざれど、外に拠るべき説もなければ、余が曩(さき)に 作れる辞書「言海」には、姑(しば)らくこれに従ひて「いてふ」として おきたり。

然れども、一葉づつ別るといふこと、衆木皆然り、別に語原あるべしと 考へ居たりしこと、30年来なりき。  

然るに2、3年前、支那に行きて帰りし人の、偶然の談に『己れ 支那の内地を旅行せし時、銀杏の樹の下に立寄り、路案内する支那人に 樹名を問ひしに「やちやお」と答へたり。我が邦の「いちよう」と声似たらずや』と 語れるを聞きて、手を拍(う) ちて調べたるに、鴨脚の字の今の支那音は「やちやお」なり。

支那にては、この樹を公孫樹と云ひ、又、鴨脚とも云ふ)是に於 て、案ずるに、この樹、我が邦に野生なし、巨大なるものもあれど、樹 齢700年程なるを限りとす。

されば鎌倉時代、禅宗始めて支那より伝はりし頃、彼我の禅僧、相往来 せり。その頃、実の銀杏を持ち渡りたる者ありて、植ゑたるにて、その 時の鴨脚の宋音「いちやう」(今の支那音「やちやお」はその変なり)な りしものと知り得たり。

その傍証は、実の銀杏を「ぎんあん」(音便にて、ぎんなん)と云ふも、 宋音なり。実の名、宋音なれば、樹の名の宋音なるべきは、思ひ半(なか ば)に過ぐ。

畢竟(ひっきょう)するに、尺素往来の「いちやう」の訓、正しきなり。 是れにて、30年来の疑ひ釈然たり。因りて、この樹名の語原は、鴨脚の 宋音にて、仮名遣は「いちやう」なりと定むることを得たり。>

(『大言海』 の大槻文彦の序文「大言海の編纂に当たりて」から)

英語でイチョウは「ginkgo」です。これは日本語の「銀杏(ginkyo)からきています。日本には鎌倉時代に中国から渡来した木ですが、江戸時代にこんど は長崎から欧州に紹介されるとき、なぜか「y」と「g」を取り違えたようだといいます。中国生まれで日本育ちの「イテフ」は「ginkgo」として世界に広まっ たのです。

イチョウ並木では我が家の愛犬「アナスタシア」(アーチャ)がデビューした神宮外苑の銀杏並木が有名ですが、ここは右上に私のゆかりの風景を紹介します。 北大の北13条門から入ると、道の両側に300メートル以上続くイチョウ並木です。


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【 ダンコウバイ(檀香梅)

ダンコウバイ
春一番に黄色く芽吹くダンコウバイ
ダンコウバイ(檀香梅 )は一般には3月末から4月にかけて、八ヶ岳では4月中旬になりますが、葉の展開に先立ってまず真黄色い花を咲かせます。あたりは雪解 け直後で枯れ木立ですからひときわ明るく目立ちます。マンサクの花のイメージと似て真っ先に春を告げる木です。

関東・新潟以西の本州・四国・九州、朝鮮・中国に分布するクスノキ科クロモジ属の落葉低木です。谷筋などの二次林に生育します。本来、暖地の山地に生え、まば らに枝分かれして成木は樹高2.5〜7b、幹は直径18aほどの木です。若枝は、はじめ緑色で長い毛が密生するものの毛は落ちて灰褐色になり、楕円または円形の皮目 が目立ちます。樹皮は暗灰色で滑らかです。

ウコンバナ(鬱金花)、シロジシャ の別名 があります。以前は、ロウバイの一種の呼び名でしたが、明治以降分類学が進み本種に用いられるようになりました。檀香 はビャクダンの漢名で、クスノキ科の仲間は枝を折ると芳香がします。この木も同じように材に香りがあるため庭木や花材、楊枝や細工物また薬用としても使われてい ます。

ダンコウバイの葉
ダンコウバイの葉
葉は互生し、葉身はやや厚く、表面はつや消しの緑色の長さ5−15aの広い卵形で、浅裂するものとしないものがあり、葉脈は3本の脈があり(三行脈)、枝の根元の 葉はおむすび型で、先端の葉は幅が広く、3つに浅裂します。葉の表面には最初は黄色の毛があるものの、すぐ脱落します。裏面には白色の毛があり、これもやがて脱 落します。


ダンコウバイの雌花
ダンコウバイの雌花
ダンコウバイの雄花と頂芽
ダンコウバイの雄花と頂芽
雌雄異株で、前年の葉腋に散形花序を1〜3個付けます。雄花は1つの花序に6〜7の花が群れ咲き、花被片は6片、雄しべは9本あるが花粉は出しません。雌しべは 退化しています。雌花は雄花の数ほどは付かないので、多少小ぶりに見え雄株ほど鮮やかではありません。


ダンコウバイの果実
ダンコウバイの果実
ダンコウバイは、黄色の花の後は目立たない木ですが、秋になると、美しく黄葉してもう一度林の主役になります。冬芽は赤褐色。葉芽は、芽燐が4〜5枚の長卵形で 先が尖り、花芽は、芽燐が2〜3枚で、偏平な球形をしています。果実は直径7−8_の球形で、9−10月に赤色から黒紫色に熟します。朝鮮では種子の油を頭髪用に用い ています。


アブラチャンの花 アブラチャンの葉
アブラチャンの花 アブラチャンの葉

よく似た花を咲かすアブラチャン(油瀝青)というのがあります。 チャンとは瀝青(タール類、ピッチ)のことで、果実や樹皮の油を燃料したことがあるほどよく燃え る木です。同じクスノキ科クロモジ属で分布も本州、四国、九州 で川筋に生えるなど似ています。粘り強いので杖や輪カンジキにする地方もあります。葉の形が楕円 形で急鋭尖頭、葉柄は赤味を帯びているので区別します。


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【 イボタノキ(水蝋樹・疣取木)

イボタノキ
八ヶ岳では高山性のミヤマイボタになる
イボタノキ(水蝋樹・疣取木)はモクセイ科イボタノキ属の落葉低木で北海道から九州の山野・林下に自生します。本来ユーラシア大陸から、マレーシア、オ ーストラリア、ニューギニアの温帯から暖帯に分布するのですが寒冷な八ヶ岳でもよく見かけます。また庭木としても植えられている木です。川の緑に多い ことからカワネズミモチの別名があり、木自体もネズミモチに似ています。イボタノキ属は世界中に約50種ありますが、ネズミモチなどとともに園芸品種 の改良が進んでいます。

名前ですが、上で漢字表記しましたが、「水蝋」「疣取」ともイボタと読ませているものの、訓でも音でも、どこをとっても「イ・ボ・タ」の読みはなく、 使い道で呼ばれていた俗称から逆に命名されたもののようです。


イボタロウムシ
イボタロウムシがつくる白蝋
イボタノキは意外な使われ方をしてきました。この木の樹皮にはイボタ・ロウムシ(水蝋蝋虫)というのが寄生し、7月頃にイボタロウムシの雄が泡状の白蝋(はくろう) を分泌しこの中で蛹(さなぎ)になります。9月頃成虫になり、小さな穴を開け孵化して外へ飛び出します。秋から冬の初めにこの蝋を採取します。

この蝋をイボタ蝋といいますが、この白蝋はすべりがよく、ギシギシする戸障子に塗ってすべりをよくするのに使われたり、家具や家屋、鎌倉彫等の工芸品 の艶出しに欠かせないものです。桐箪笥ではこれでないといい艶が出ないとされます。また蝋燭の原料に用いられたほか、材が堅いため、楊枝や箸、農具 の柄等に利用され、薪炭材としても使われてきました。

次に「疣取」の由来です。「疣」は皮膚にできる出来物イボのことです。上述のイボタ蝋は薬として使われました。蝋を日干しにして、熱して溶かし、濾 (こ)して固めたものを粉末にします。それに水を加えて煮て熱いうちにイボの上に垂らすと取れるとされました。この「イボ取りの木」が語源です。また 切り傷の止血などには粉末をそのまま塗布しました。

イボタノキの花
ミヤマイボタの花。
イボタノキより花が少ない
ミヤマイボタの果実
イボタノキの果実
イボタノキの樹高は1.5〜3メートル。枝は灰白色で新枝には細毛があります。長さ2〜5センチの楕円形で先が丸い葉が対生し、5〜6月頃に筒状で先の四裂し たキンモクセイに似た芳香のある白い花を付けます。花をつけるのは本年枝で長さ2〜3センチの白い花が総状に多数咲き、花冠は長さ約7ミリの筒状漏斗 形です。晩秋10月 には楕円形の果実をつけます。果実は核果で紫黒色に熟します。

八ヶ岳にあるのは高山性のミヤマイボタ(深山水蝋)です。紹介した写真はすべてミヤマイボタですが、ほとんどイボタノキと変わりません。よく 比べると、葉が比較的細く先端が尖っているのと花の付き方がややまばらです。オオバイボタとというのもありますが専門的になるので省きます。



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【 ヤマザクラ(山桜)

ヤマザクラ
ヤマザクラ
この項はつい最近まで「エゾベニヤマザクラ」(蝦夷紅山桜)としていました。念のため、下にその全文を再掲載(青い文字の部分)しておきますが、園芸店で言われた通りの名前を使っていました。ところが最近「Google」の検索を見たら、なんとこんな雑な男の聞き書きが検索ランクでこの項目の一位になっていました。これはいかんと調べなおしたら、4種ほどある「ヤマザクラ」の亜種のうち「オオヤマザクラ」が別名「エゾベニヤマザクラ」と呼ばれているようなのです。つまり、私は「オオ ヤマザクラ」を植えたことになります。なので、この項は広く「ヤマザクラ」と改め、すこし考察を加えることにしました。

夷紅山桜
蝦夷紅山桜
蝦夷紅山桜と書くのでしょう。小淵沢の園芸店で見つけて、「えぞ」というくらいだから寒さに強かろうと数本求めて植えたのが98年6月。丸裸の根だけの状態で、すでに芽吹いていた葉もまもなく落ちてしまいました。これはダメかとあきらめていたのですが、99年6月小さいながら、みな芽吹きをみました。1本は上の 部分は枯れたものの途中から小さな葉を出しました。もちろん花などまだ望むべくもないのですが、そのうち赤みを帯びたサクラの下で高度1800メートルの花見 の宴が開けることを夢見ています。


二十間道路"
二十間道路のエゾヤマザクラ(蝦夷山桜)
その後わかったことですが、この桜並木は北海道の「二十間道路のエゾヤマザクラ(蝦夷山桜)」と呼ばれるものです。馬産地で知られるれる静内町(現在は日高郡新ひだか町)の静内田原〜静内御園間を通る二十間道路は、道路幅が二十間(約36m)あることからその名がつき、エゾヤマザクラを主に約3000本が直線で7キロにわたり道の両側に咲きそろい、「日本さくら名所100選」、「日本の道100選」、「北海道遺産」に選ばれているところです。




日本企業のナンバー1とナンバー2の社長が北大「恵迪寮」育ち

二十間道路の桜の話が出たところで少し脱線します。中曽根内閣の時、「三公社五現業」と言われた巨大国有企業の民営化がありました。その筆頭が「国鉄」でJR東日本など6つの地域別の「旅客鉄道会社」と1つの「貨物鉄道会社」などに分割、民営化されました。この時の立役者が松田昌士氏です。また同じく「日本電信電話公社」も民営化でNTT(日本電信電話)となったのですが、こちらの立役者が児島 仁氏です。

二人とも北大出身で、東大卒が幅を利かすなかで日本企業のナンバー1とナンバー2の社長が北大出というので夕刊フジのトップ記事になったほどです。サイトの亭主は、ともに豪放磊落な二人の知己を得て一方ならぬお世話になりましたので記録にとどめる意味で横顔を紹介します。

児島
児島 仁氏
児島 仁(こじま まさし)  1930年〈昭和5年〉12月5日北海道深川市生まれ。札幌第一中学校(現札幌南高等学校)を経て1953年北海道大学法経学部卒業。北大時代は恵迪寮の生活で、クラーク博士と松下村塾への思いを募らせたという。日本電信電話公社民営化に尽力し、1985年にNTTが設立されると常務、翌年に副社長に昇格。1990年から6年間代表取締役社長。2023年5月31日、肺炎のため、死去。92歳。

サイトの亭主は氏がNTT社長時代一方ならぬお世話になりました。上にある恵迪寮の縁からです。恵迪寮は運動部や文化部ごとに数人で一部屋与えられるのですが、氏はラグビー部でした。この時の同室の親友に産経新聞でながらく運動部長を務めた野口裕(故人)さんがいました。北大の同窓会報「エルム」の編集長もしていて、サイトの亭主も北大のOBなので野口先輩とは飲み仲間でした。

このとき、サイトの亭主は夕刊フジの営業局長をしていて主催の女流囲碁名人戦のスポンサー探しをしていたので、「それならNTTにつないでやる」と言われて社長室で3人で会いました。「私も恵迪寮に入寮希望を出したのですが親に収入があったので撥ねられました」というと、「そうなのよ。あそこは貧乏の程度が優先だから」と笑いとばしていました。結婚するまでリンゴ箱1個に布団を一組しか持っていなかったとも。スポンサーの方はたいした説明もしないうちにポンと1200万円だったか出していただいたものです。

このとき、北海道に別荘を持っていて毎年、二十間道路の桜を楽しみにしている、という話だったので、季節になると開花情報をお届けしたものです。北海道の山荘で、馬と犬と一緒に生活をするのが夢だったそうで、私が馬術部だったというと必要な広さや飼料のことなどをこまごまと聞き取っていました。

「新渡戸稲造や内村鑑三など人材を育て抜き、わずか8か月で帰っていったクラークさんはすごい教育者であり、指導者であり、人格者であっただろう。私にとっては理屈なしで尊敬できる人だ」と著書で語っている通り豪放磊落を地で行った人生でした。

もう一方の雄、松田昌士氏も北大の縁でお付き合いがありました。北大生なら必ず歌うのが寮歌「都ぞ弥生」ですが、もうひとつよく歌うのに櫻星会歌「瓔珞みがく」というのがあります。「瓔珞みがく石狩の、源(みなもと)遠く訪(と)ひくれば、原始の森は闇くして、雪解の泉玉と湧く」という歌詞です。この歌碑が山梨県大月市の甲州街道沿いにある「星野家の本陣跡」に建っています。作詞は置塩竒(おしお くすし)氏といい、のちにこの本陣の所有者である星野家に養子に入った人です。

この歌碑など北大寮歌の史跡を訪ねるバス旅行が北大連合同窓会主催で開かれたことがありました。この時JR東日本社長ながら同窓会会長も引き受けていた松田昌士氏がバスに同乗していて一日、ご一緒したのです。碑は本陣入ってすぐのところにあり、昭和45年、北大東京同窓会が記念碑を建設し寄贈したものです。この時の「星野家の本陣跡」にある「瓔珞みがく」探訪記はこのページの「ハマナス」の項にアップしてあります。

松田
松田 昌士氏
松田 昌士(まつだ まさたけ) 1936年1月9日 北海道常呂郡野付牛町(現・北見市)で鉄道員の5人兄妹の三男として生まれる。札幌北高等学校卒。北海道大学法学部卒業後、大学院法学研究科修了。大学では柔道部。そのまま大学に残る考えだったが、札幌駅長を務めた父の後を継いで国鉄に入社。
 東京大法学部卒がひしめく旧国鉄キャリア組の中で、労組との協調路線を取る経営陣を目の当たりにし、「本社を根本的に変えるしかない」と決意。当時の経営陣ににらまれて左遷を経験しても、井手正敬氏(後のJR西日本社長)や、葛西敬之氏(同JR東海社長)らと組んで国鉄分割・民営化を主導した。 1987年4月に民営化で発足したJR東日本の常務に就任。93年から2000年まで社長を務め、。2005年12月25日に発生したJR羽越本線脱線事故の責任を取り、JR東日本代表取締役会長を辞し、取締役相談役に就任。2020年5月19日、肝臓がんのため死去。84歳

一勝負15分の早碁と、一口だけ吸って終わりの紫煙を生涯の友とした、こちらも豪放磊落の人生でした。エポックメーキングなお二人の知遇を得たというのはまさに人生の僥倖だと思えます。

◇ ◇ ◇

ついでに北海道のサクラについて説明すると、札幌にもソメイヨシノがあります。北大の恵迪寮の花見に付き合ったことがあるのですが、入学してだいぶたった1か月ほどたっていたと思います。 「都ぞ弥生」を歌いながら北大から円山公園までゆっくり歩きました。市民が最後尾についているリヤカーに酒やつまみを投げ入れてくれるのですが、円山公園に着くころには山盛りになっていたものです。 このあたりまでのサクラはソメイヨシノでした。北海道ではソメイヨシノは北海道西部までが北限で、それ以外ではタカネザクラ、エゾヤマザクラ、ミヤマザクラ、 カスミザクラ、チシマザクラなどです。札幌ではウメとサクラが同時に咲きます。東京生まれ大阪育ちですがこんなに遅い花見をしたのは後にも先にもこのときだけです。

◇ ◇ ◇

日本の桜の自生種は10品種ほどあります。そのうち、ヤマザクラ群にはヤマザクラ、オオヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラの4品種があります。いずれ も、葉が展葉すると同時に淡い紅色の花が開花します。

 

日本の山野に咲く主なサクラとしては、ヤマザクラ、オオヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラ、エドヒガンザクラ、マメザクラ、タカネザクラ、チョウジザクラ、ミヤマザクラなどがあります。そして、これらの変種を合わせると、数十種以上が自生し、また、これらの種を基本に育種されている栽培品種は、600種類以上にもなります。全世界に ある花を楽しむサクラのほとんどは、日本のものばかりです。ここでは蝦夷紅山桜、山桜、大山桜、霞桜、大島桜、深山桜について説明します。

サクラの種は、葉の鋸歯の形や、鋸歯の先端の形、葉柄の毛の有無、蜜腺、鱗片、花序の形、萼片の鋸歯の有無やその形、樹形、花期、花弁の色、形、枚数などで分類します。

〔ヤマザクラ〕

ヤマザクラは日本固有種で、「ヤマザクラ」という品種もありますが、日本に自生するオオシマザクラ、カスミザクラ、エドヒガンなど10種ほどある野生のサクラを総称して「ヤマザクラ」(山桜)ということもあります。

yamazakura
ヤマザクラ(2023年4月23日八ケ岳高原ロッジHPから)
他よりピンクが濃い。この年は例年より2週間ほど早かった
日本の国花として古くから愛好され、4月に花期を迎えるヤマザクラの花は5枚花弁で一重咲き。花の色は白が多いですが、縁や先端だけが淡紅色になるものや、咲き初めは淡紅色でだんだん白っぽく変化するもの、また散り際に白い花の中心が化粧をしたように紅色に染まるものなど、さまざまな花の色があります。花が咲き終わると5〜6月頃に黒い小さな実がなります。

白や淡いピンクの花と同時に葉が出るのが特徴です。樹高が20メートル、大きなものでは30メートルに達することもあり、サクラのなかでは高木に分類されます。若葉の色は赤紫色、褐色、黄緑色、緑色など、様々な色合いがありますが、花が咲き終わって散ると葉も緑色になります。

エドヒガンに次いで長命で200〜300年も長生きするとされています。岡山県の尾所には樹齢500年を超える個体も存在します。その分、発芽してから花が咲くまでに時間がかかり、早くて5年、長くて10年以上、寒冷地ではさらに遅くなることもある。

以前は「Prunus jamasakura」と表記され、プラム、すなわちスモモ属の仲間とする傾向にありましたが、最新ではCerasus、サクラ属との表記が多くなり、世界的に最終的な決定ではありませんが「jamasakura=ヤマザクラ」と日本名で表記されるようになっています。

ヤマザクラの幹は、反りや狂いが少ない上に粘りや耐水性を備えた材木として重宝されています。磨くと光沢が出るので、楽器や仏壇の材料としても役立てられています。樹皮は質感を活かして樺細工などに利用されます。また、浮世絵などに使われる版木としては最高の材とされ、歌川広重の作品『名所江戸百景』や『箕輪金杉三河しま』の浮世絵に描かれた空や水のところに、ヤマザクラの年輪模様が出ているものがあります。

桜の名所、奈良県大峰山系北端の吉野山には約3万本のヤマザクラが植えられています。一目千本と言われ、北部の山裾から南の山上へ順に、下千本、中千本、上千本、奥千本と呼ばれてます。

これらは、もともと自生ではなく、行者が植えたものです。金峰山寺を開いた役小角(修験道の開祖)が、桜の木に蔵王権現を彫ったことから、金峰山寺蔵王権現のご神木であるとされ、桜が信仰の対象となり、行者たちは競って桜の苗を寄進する風習となり、平安時代から多くの桜が植えられるようになったのが、現在の姿になったものです。

見分け
ヤマザクラの見分け方

ヤマザクラの葉
ヤマザクラの葉
ヤマザクラの葉は形が整っており、美しいのが特徴です。新芽から展開しかけの若い葉の色は一般に赤みを帯びていますが、これとて、変異が大きく、赤紫色、褐色、 黄緑色、緑色などがあります。葉は長楕円形で先端は長く尾状に伸びています。鋸歯は二重鋸歯で、若木では鋸歯は荒いが、成木では小さく、葉の裏面が白色を帯び ているのが特徴です。
葉柄は赤色を帯びることが多く、いぼ状の蜜腺が二つほどあります。若葉では表面にはわずかに毛があるものの基本的には無毛です。


ヤマザクラの花弁
ヤマザクラの花弁
ヤマザクラの樹皮
ヤマザクラの樹皮
花弁は5枚の楕円形で、先端が凹形をしています。色は白色から、淡紅色を中心に、淡紅紫色や先端が濃い色のものなどがあり、葉の色とともに異変種が多い種類です。 花は直径3〜3.5センチで、総花柄は短く、2〜3個の無毛の花柄を出して花を咲かせます。萼筒は長い筒状で、萼片は全縁。雄しべは40本ほどです。

樹皮は暗褐色または暗灰色。若枝の樹皮は赤紫色をして、桜らしい色です。大きくなると灰褐色になります。ヤマザクラの樹皮は紫褐色でつやつやとして、乾くとし まる特性があるため、刀の鞘や弓、茶入れなどの最も良質な材 として樺細工に利用されてきました。


〔オオヤマザクラ〕(大山桜)

オオヤマザクラ
オオヤマザクラ
オオヤマザクラは本州中部以北、北海道、南千島、樺太、朝鮮半島に分布します。分布を見ても分かるように、耐寒性が強く、土質もあまり選びません。オオヤマザ クラは北海道の野山ではごく普通に見られるサクラで、街路樹や公園樹としても、広く利用されています。日本にある10数種の野生のサクラの中では、花色の赤みが 最も濃く美しいことから、ベニヤマザクラとも呼ばれます。ヤマザクラより寒い地方に咲くので少し遅く、4月下旬〜5月上旬頃。北海道ではソメイヨシノよりも開花 が早く、5月上旬、葉の芽吹きとほぼ同時に、淡紅色の花を咲かせます。一般に開花は開葉より少し早くなります。ヤマザクラと分布が重なる地域では、より標高の 高いところに見られます。

分布図
オオヤマザクラの分布図
名前の由来は、花や葉がヤマザクラより大きいことからオオヤマザクラ(大山桜)の名がついたもので、 別名、エゾヤマザクラ(蝦夷山桜)、 ベニヤマザクラ(紅 山桜)とも呼ばれています。上述のように、当初この項で、園芸店での呼び名「エゾベニヤマザクラ」(蝦夷紅山桜) と表記していましたが、どうもこの二つの別 名をごちゃ混ぜにして売っていたようです。本来、高さ20メートル以上と非常に大きくなる樹種です。

ヤマザクラとよく似ていますが、葉も花もヤマザクラより大きく、芽の鱗片が著しくねばることが違いです。葉は両面とも毛がなく、裏面はヤマザクラと同様に粉白 色を帯びる。葉の裏は青みを帯び、枝は丈夫で暗紫色です。葉の色は紅紫色から褐色でやや光沢があります。若葉は紅茶色で、成葉の鋸歯は粗く三角形状なのが特徴 です。

ヤマザクラの果実
ヤマザクラの果実。発芽率は低い。
花は中輪で一重咲き、花弁はふつう卵形5枚、淡紅色ですがヤマザクラより紅色が濃く、大きめで美しい品種です。花序は散形状で1〜3花付け、花柄は殆どありません。 果実は卵状の球形で黒紫色に熟します。

樹皮は平滑で紫褐色、やや黒色を帯び、横に長い皮目が目立つのが特徴です。秋田名産の樺細工はこの樹皮を用います。





〔カスミザクラ〕(霞桜)

カスミザクラ
カスミザクラ
オクヤマザクラとも呼ばれ、日本列島では、九州と沖縄を除くほぼ全域に分布します。ヤマザクラとよく似ていますが、樹皮は灰褐色をしています。葉の色は主に 緑色で、有毛の場合が多いので、ケヤマザクラ(毛山桜)の別名を持ちます。

花弁は倒卵形または楕円形5枚で主に白色。ただ、ヤマザクラほどではないが異変種が多く、葉に無毛のものや花の色、大きさなどいろいろなものが見られます。 開花期は関東地方で4月中旬〜下旬、東北で5月上旬、北海道では5月下旬頃です。


〔オオシマザクラ 〕(大島桜)

オオシマザクラ
オオシマザクラ
伊豆大島から青ヶ島までの伊豆諸島に分布。カスミザクラの島嶼(とうしょ)型、またはヤマザクラの海岸型とも考えられています。伊豆半島、三浦半島や房総半島 南部に生育するものは薪炭用に栽培されていたものが野生状態になったとする見方もあります。

樹形には異変種が多く、葉は濃い緑色、裏面は淡緑色で鋸歯は粗くて先端が伸び、鱗片の内側以外は無毛。花弁は長楕円形、楕円形、倒卵形など変異が多く、 色は白色を中心に微淡紅色、淡紅紫色、先端などの色が濃いものなどがあります。葉も花も大きく、芳香があることが特徴です。園芸品種の元親として、たくさ んの品種がこの桜から作られています。開花期は伊豆大島で3月下旬頃です。

〔ミヤマザクラ〕(深山桜)

ミヤマザクラ
ミヤマザクラ(2012.6.10八ヶ岳高原海の口自然郷で撮影)
名前の通り深山、亜高山に咲くバラ科サクラ属ミヤマザクラ群に分類され、日本列島と環日本海地域にまたがっており、千島、樺太や沿海州にも見られる桜の野生種の一つです。関 東・東北ではふつうの山地でも見られ、暑い場所より涼しい場所を好みます。八ヶ岳高原海の口自然郷ではヤマザクラもミヤマザクラもありますが、別名「シロザクラ」の名がある ようにちょっと目には咲く時期が同じのコナシと間違うほどです。

花期は5月下旬から6月とサクラの中ではもっとも遅く咲きます。学名、Prunus maximowiczii Rupr.でチョウノスケソウのくだりで説明したように函館にやってきたロシアの植 物学者マクシモビッチの名前がついています。

部分の名前
ミヤマザクラの花弁内部名称
葉が出たあとから花が咲き、花は五枚一重で、花の大きさ、花弁の大きさはかなり小さいですが、小枝から長さ4〜8センチの総状花序に白色の花が4〜10個びっしりと咲きます ので、それは綺麗で上品な桜です。花弁は5個で丸く先端は切れ込んでいません。小さいために開ききると重なりあわず、伸びて突き出ている雄蕊(おしべ)が特徴です。雄蕊の 先端は黄色で花柄に小さな葉がつくことも特徴のひとつです。かすかに香りがあります。


ミヤマザクラの花
ミヤマザクラの花。ツボミと咲きかけと開花した花弁
花の各部名称
ミヤマザクラ各部名称
萼に伏毛があり萼筒は3.5ミリの鐘形、萼片には鋸歯があります。花柄は1〜1.5センチでこれにも毛があります。花柄基部には長さ5〜8ミリの葉状の緑色の苞があり縁には 歯牙があります。この苞は果期まで残っていてよく目立ちます。


ミヤマザクラの葉
ミヤマザクラの葉
葉は卵のような楕円形で、4〜8センチ、幅2〜6cmで基部は広いくさび形〜切形をしていて先端は尾状に鋭く尖り葉の端はぎざぎざの重鋸歯というものです。葉に葉柄にも薄い 毛がはえています。


ミヤマザクラ果実
ミヤマザクラ果実
果実は直径1センチほどの球形で7〜8月に赤から黒色に熟します。果柄は赤みを帯び、褐色の毛があり、果柄基部には葉状の苞が残ります。

樹木としては高さ10メートル、直径10〜20センチ程度まで大きくなり、樹皮は紫褐色で、しばしば黒色を帯びています。

他のサクラとの区別点ですが、桜の花はほとんどが散形状ですが、こちらは総状花序で先端に切れ込みがないのが特徴です。また葉の鋸歯先端が腺になり、葉柄や葉裏の主脈上に 伏毛が多いことがポイントです。白色の花だけ見るとアズキナシやウラジロノキの花によく似ていますが葉が異なっています。



【 ヤマボウシ(山法師)

ヤマボウシの実
ヤマボウシの実
秋に山でお近くの方の敷地でイチゴのような赤い実をご馳走になりました。甘いのですがツブツブの種が多くフルーツにはとても分類できません。
ヤマボウシ(山法師)は本州から九州、朝鮮から中国にも分布する落葉のミズキ(水木)科ミズキ属の10メートル以上にもなる亜高木です。別名、 ヤマグワ(山桑)とも呼ばれます。実の表面が桑のようにブツブツしているところからきています。近年街路樹や都市の庭園などに植栽されることが多い ので、暖地性の樹木のように見えますが八ケ岳のような寒冷地でもよく育ちます。


ヤマボウシの花アップ
ヤマボウシの花のアップ
葉は対生し楕円形、卵円形をしています。長い柄がある頭状花序が枝上に直立して鈴なりになります。白い花に見えますが、これは総苞といい、その中心に 微小な20-30個の花が球状に集まっているのが花。写真の真ん中に見えるポチポチ一つずつが花です。 これが秋に球状の集合果になり、紅熟して食べられるようになります。木材は、色は黄白色から黄褐色の散孔材で重硬です。器具、機械、薪炭などに使われます。

ヤマボウシの花
春に満開のヤマボウシの花
北米から渡来、公園などに植えられているアメリカヤマボウシ(ハナミズキ=花水木)と似ていますが違います。花(本当は花ではなく総苞)の色が白だけであることや、総苞の先がとがっていて、実の形で見分けます。アメリカヤマボウシは下界では4月頃に花が咲きますが、ヤマボウシはそれより 1 カ月くらい遅れます。八ケ岳では6月です。 ハナミズキは葉が開く前に開花するので、花が目立ち、観賞植物として好まれますが、ヤマボウシは開花期が遅く、葉が展開した後に、咲くので、樹の下に入ると花が見えません。紅葉も美しく、春・夏・秋と楽しめます。

「山法師」の名前は、中央の丸い花穂を坊主頭に、4枚の白い花びらを白い頭巾に見立てて比叡山延暦寺の「山法師」になぞらえたものです。学名「Cornus kousa」の Cornus(コーナス)は、ラテン語の「cornu(角)」が語源で、材質が堅いことからきています。

実のアップ
実のアップ
初夏に木全体を白く染めるように咲いた花は、秋には、黒っぽいブツブツがついた1センチ前後のサクランボに似た真っ赤な実をつけます。生のままかじると、中は黄色で、パパイヤのような味と香りがします。この実は食用になり、食べると甘味があるのでジャムの材料に使われることもあります。また、その実を収穫して果実酒を作ることもできます。飲めるのは翌年春以降です。

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【 サワフタギ(沢蓋木)

サワフタギ
サワフタギ(2008.6.23)
サワフタギ(沢蓋木)は北海道から九州、朝鮮や中国に分布するハイノキ科ハイノキ属の落葉低木です。名前のように、山間の渓流沿いに群生し沢一面を 覆うように茂るのが由来です。

サワフタギの花
葉にある鋸歯
高さ5bほどになるものもありますが多くは2b前後で、互生する葉は幅2〜5a、長さ3〜 5aで長いもので5〜10aと環境でさまざまです。楕円形・倒卵形 の葉にはつやがなく、縁には細い鋸歯があります。5〜6月頃に新しい枝先に長さ3〜6aの白色の花を円錐花序に咲かせます。 花弁は白色5裂で、おしべ は多数で花弁より少し長いです。

 

サワフタギの花
サワフタギの花
サワフタギにはニシゴリという別名があり、漢字では錦織木と書きますが染色に使われたことからきた名前です。草木染では、繊維と色素を結びつけ、色を 定着・発色させる「媒染」という工程があります。この工程にハイノキ科の植物の灰が使われました。今でも、ハイノキ(灰の木)やクロバイ(黒灰)など のよ名前が付いているものが多いのはこのためです。


サワフタギの花
秋に瑠璃色の実をつける
秋田県鹿角地方に古くから伝わる紫根染(しこんぞめ)や茜染(あいぞめ)には、サワフタギの灰汁が 使われていました。サワフタギから灰を作るときに、季節や部位、燃やすときの温度などで、灰のアルカリ度や含有金属の量が異なると染めの仕上がりが変 わるほどでした。この地方では、少しでも品質の良い灰を求めて専門の灰作り職人から買い求めていたほどです。

サワフタギにはルリミノウシコロシ(瑠璃実の牛殺し)というすごい別名もあります。サワフタギは秋に深い藍色つまり瑠璃色の実をつけますが、昔はサ ワフタギの木材を牛の鼻輪に使ったことに由来するものだそうです。材は器具材、彫刻材、薪炭用として使われました。


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【 ウメ(梅)
ウメ
99年4月末、同じ八ヶ岳東麓にある川上村の緑化市を訪ねました。最終日でもう後かたづけが始まっていて、あまり苗木も残っていなかったのですが、 農家の人に「マイナス20℃?じゃあこれが大丈夫だ」といわれて買い求めたのが豊後梅。花を見るウメなのか実ウメなのかも知らないのですが、棒の先に根が露出している状態で買い求め、 はたして根付くか心配でしたが、いわれたとおり上の部分を切り落とし、植えてみますと、まもなく芽が出始めました。確かに寒さに強いようですが、花はまだつきません。

余談ですが、このあたりで果実酒を作るとおいしく仕上がります。梅酒、プラム酒、ヤマナシ酒など我が家も種類がふえてきました。すぐ下にある八ヶ岳高原ロッジのバーに行くと、 このあたりでとれた10種類ほどの果実酒が並んでいます。



【 サンショウ(山椒)
サンショウ
東京で鉢植えの葉サンショ(山椒)を育てていたのですが、大きくなりすぎていらないといわれ、仕方なく山に露地植えしました。翌年枝の部分が枯れたのでやっぱりダメかと思ったのですが、 しばらくたって下から新芽がのびてきていました。翌年も枝の部分ではなく地ぎわから芽が出てきました。そうめんに彩りを添えたりするにはこれで十分なのでまあ自分では活着した 部類に入ると思っています。
【 ナナカマド(七竈)

ナナカマド
ナナカマド(上高地で)
ナナカマドは八ヶ岳にはふんだんに存在する植物です。我が山墅にも幹の直径1メートルほど屋根を覆わんばかりになっているのがあります。よく真っ赤な紅葉が美しいといわれるのですが、眼前のものはしょぼしょぼと茶褐色になっていくタイプなので、美観にも程遠く持て余しています。

かくも野放図に育った理由は、私が牧野富太郎博士の「七度(ななたび)竃(かまど)に入れても燃えない」という語源説を信じ、ストーブで燃やすこともできず、長年放ったらかしにしているうちに育ちすぎて素人の手に負えなくなったものです。

ところが、この牧野説がどうも誤りではないか、と居を構えて23年もたった(2010年)今頃思い始めました。その訳などは後述するとして、まず、どんな植物なのかというあたりから。

バラ科ナナカマド属の落葉高木です。ナナカマド属(英名mountain ash)は北半球の温帯から亜寒帯に約60種が分布しています。赤く染まる紅葉や真っ赤な果実が美しいので、北海道や東北地方では街路樹としてよく植えられています。日本各地の低山帯から亜高山帯に自生しており、千島列島南部、サハリン、朝鮮半島に分布します。ナンテン(南天)とよく似ていることからヤマナンテン(山南天) の別名があります。


ナナカマドの花
ナナカマドの花
ナナカマドの花のアップ
ナナカマドの花のアップ
高さ7〜10メートル程度になり、5月から7月に径1センチに満たない白い五弁花を複散房花序に密に多数つけます。長さ3〜7センチの葉は枝先に集まって着く奇数羽状複葉と呼ばれます。秋にはあざやかに紅葉し、液果と呼ばれる球形から楕円体の果実径0.5〜0.6センチの赤い実を成らせます。実は鳥類の冬の食用となるほか人間も果実酒として利用しています。北欧などではシラカバなどとともに魔よけの植物にもなっています。材は器具の柄、細工物、薪炭などに用いられています。


ナナカマドの葉
ナナカマドの葉
ナナカマドは種類が多く、ウラジロナナカマド(裏白七竈)、ナンキンナナカマド(南京七竈)、タカネナナカマド(高峰七竈)、ヨーロッパナナカマド等があります。ウラジロナナカマドは葉の裏が白く、ナンキンナナカマドは低木(2〜3メートル)で枝が細く、タカネナナカマドはさらに低木(1〜2メートル)で亜高山〜高山にあり、ヨーロッパナナカマドは園芸品種が多く果実の色も白や黄色があります。

タカネナナカマドは中部地方の山岳地帯以北、北海道にかけて育つちます。花がうつむき加減に咲き葉も艶があって鋸歯が荒いのが識別点です。生け花ではタカネナナカマドの変種のミヤマナナカマドを、ミヤマナンテンと呼んで花材としてよく使います。

ウラジロナナカマドも、中部地方以北の高山帯に生え、前述のタカネナナカマドの分布とも似ているが、花がいっそううつむいていて実はほぼ下向きにつきます。葉は葉の先端の鋭さが無く、どちらかというと楕円形の葉で、裏面が粉白色であるのが名前の由来です。鋸歯は上半分に目立ちます。

ナンキンナナカマドは別名「コバノナナカマド 」(小葉七竈)の呼び名があるように細い幹とやや小さい葉が特徴で福島県から九州の山地に生えます。長楕円形の側小葉があり、小葉の数は7〜9枚。先端の小葉がもっとも大きいのが特徴。葉柄の基部には大きな托葉があります。小葉の表面は灰緑色、裏面は粉白緑色。葉縁は鋸歯があります。花は淡黄白色で直径1センチほど。果実は直径6〜8ミリの赤いナシ状果をつけます。若木の樹皮は淡褐色で楕円形の皮目があり、成木になると暗灰色です。

そこで先の語源の話です。「ナナカマド」という和名は、"大変燃えにくく、七度(ななたび)竃(かまど)にくべても燃えない"ということから付けられたという説が、広く流布しています。あの牧野富太郎博士の牧野新日本植物図鑑」に書かれているからです。

しかし、和歌山名産の優良炭「備長炭」(びんちょうたん)は材料としてナナカマドを使います。火力も強く火持ちも良いので極上品とされていますが、こちらの地方では「七度焼くと良質の炭になる」というのがナナカマドの語源とされているのです。ついでながら「備前、備中」から岡山の方かと連想しますが、「備長」は人名で、紀伊国田辺の商人、備中屋長左衛門(備長)がこの硬い炭を販売したことによるものです。

ナナカマドの炭は火力が強く、700度から1200度 くらいあります。このためうなぎを焼くのに備長炭が重宝されてきました。こちらの地方では「極上の堅い炭を作るため七日間かまどで蒸し焼きにする。つまり”七日竈”が命名のもと」とされているのです。

私は八ヶ岳に入った当初から、牧野博士の説を信じて、周りに沢山あるのに一度もナナカマドをストーブに入れたことはありませんでした。毎年切ったナナカマドの廃木が出るのですが、腐らすほかないと信じて敷地の歩道との境目に敷くなどしてきましたが、たまる一方で困っていました。この山墅で20年ほど過ごしてからこの「燃える」説に出会い、2009年に試してみました。そうしたら、確かに燃えるのです。時間はかかりますが、本来の形のまま燃え残ることもなく、完全に灰になったのです。いまでは、体験的に牧野学説は誤りである、と信じるようになりました。

ナナカマドの実
ナナカマドの塾した実を使う
この項を書くのに調べものをしてはじめて知りましたが、「ナナカマド酒」がつくれるそうです。

【ナナカマド酒のつくり方】

私が毎年5月ごろ自分でつくっている梅酒とまったく同じ要領なので簡単です。

☆4リットルほどの広口の容器を用意します。あらかじめ消毒し乾燥させておきます。
☆よく水洗いし、水分をよく切ったナナカマドの実800グラムを用意します。
☆容器に入れ、氷砂糖200-300グラムと、35%の市販のホワイトリカー1升(1800ml)とともに漬け込みます。
☆4-5個のレモンの表皮をむき、白い綿の部分も取り去り、4つ程度の輪切りにしたものを入れます。
☆レモンは苦味が出てくるので1ヵ月ほどで取り出します。
☆最低4ヵ月、6ヵ月ほど漬ければ出来上がりです。

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【 マユミ(檀 真弓)
マユミ

漢字一字では[檀]と表記します。昔この木を用いて弓を作ったことから、真弓(まゆみ)と呼ばれ、こちらの 方が一般的です。古くから関東ではケヤキ、中部ではアズサ、関西ではマユミが弓の材料に使われていたようです。 別名は「ヤマニシキギ(山錦木)」。和紙の原料や印鑑、櫛の材料になるなど生活に密着した植物です。八ケ岳ではいたるところで見られる植物ですが、いまどき弓はもちろんのこと和紙に使われることもなく、ほとんど雑木扱いです。しかし、紅葉が美しいのと野鳥がこの実で生き延びているという有用な植物なのです。

マユミの実
秋には葉も実も紅葉で美しい

ニシキギ科の落葉低木または小高木で、我が国では北海道南部から小笠原、琉球まで生育しています。海外ではサハリン、朝鮮半島、中国東北に分布しています。学名「Euonymus sieboldianus」からすると幕末の長崎にオランダ商館の医官としてやってきて医学や博物誌を伝えたシーボルトに由来するのでしょう。日本国内での呼び名は、果実の色や形にちなんで「タマテバコ(玉手箱)」「サルノジュウバコ(猿の重箱)」「ミコノスズ(巫女の鈴)」「イチゴマス(苺枡)」など様々に親しまれています。

花期は5〜6月で、はじめは周りの緑に埋没して目立ちませんが、やがて紅葉し独特の果実がつく10〜11月には野山の主役になる美しい木です。樹高3〜5メートル。樹皮は灰褐色。老木は縦に筋が入ります。葉は単葉で対生。葉身は楕円形または長楕円形。長さ5〜15センチ、幅3〜8センチ。葉の表面は濃緑色で裏面は淡緑色。葉縁は波状の細かい鋸歯があり、葉先は鋭く、側脈は9〜11対あります。

マユミの果実
マユミの果実
本年枝の葉腋より集散花序を出し、一つの花序に1個から7個の花をつけます。花弁は4個で先に直径約1センチの緑白色の小さい花をつけます。雌雄異株で雄しべの花糸と雌しべの花柱に長短があり、長花柱短花糸(雌株)、長花糸短花柱(雄株)があります。雄株には果実はならないで、雌株につく果実は直径1センチほどの四角状の朔果で淡紅色に熟しやがて4裂します。果皮がはじけると中から真っ赤な種子が垂れ下がり、濃桃紅色から淡い桃色、稀には乳黄白色の果皮がつきます。その果実の美しさから緑化木として利用されたりします。マユミの実は、昼間開いて夜は閉じます。この実はなんと「有毒」で、心臓発作を起こすこともあるそうです。 


ニシキギ科・ニシキギ属の類似のものにニシキギ、コマユミおよびツリバナなどがあります。

ニシキギ
ニシキギは写真のように翼がある
ニシキギ(錦木)は、北海道から九州の山地に普通に自生している落葉低木です。紅葉が美しいため、庭や公園にも植えられています。紅葉の見事さでモミジ、スズランノキと共に三大紅葉樹に数えられています。 若い枝では表皮を突き破ってコルク質の2枚の翼(ヨク)が伸長するのでここで識別します。これがかみそりの刃と似ているので「カミソリノキ」の別名があります。この翼が出ないものがコマユミです。

葉は対生で細かい鋸歯があり、マユミやツリバナよりも小さく枝葉は密に茂ります。 初夏に、緑色で小さな四弁の花が多数つきますが色が埋没してあまり目立ちません。 果実は楕円形で、熟すと果皮が割れて、中から赤い仮種皮に覆われた小さい種子が露出します。これを果実食の鳥が食べて、仮種皮を消化吸収したあと、種子を糞として排泄し、種子散布が行われます。

上述のように枝に硬いコルク質の翼がありますが、これは漢方では薬に使われます。枝にあるコルク質の翼を採集し日干しにしたものを「衛矛」(えいぼう)と呼び腹痛、生理不順に使われます。変わったところではトゲ抜きには、衛矛を黒焼きにしてご飯粒とともに練り、布か和紙にのばして患部に貼り1日2〜3回貼りかえるとすっと抜けるといいます。

コマユミ
コマユミ
コマユミ(小真弓)はやはり山野に多い落葉低木で、高さ2〜5メートルになる木です。春5月〜6月に目立たない黄緑色の4弁花を咲かせますが、秋には紅葉し、果実は熟して橙赤色の仮種皮に包まれた種子を出すのでかなり目立つのはマユミ、ニシキギと同じです。枝にコルク質の翼が発達するものをニシキギといい、コマユミとニシキギの違いはこのひれのような翼があるかないかの違いだけです。

花は淡い緑色で6ミリほどの大きさ、葉腋から柄を出し2〜3個の花をつけます。葉は対生し、先端の葉はとがっていて、2枚出ます。マユミとほとんど同じですが、マユミとの区別は葉柄でつけます。柄がほとんどない(1〜3ミリ)ものがコマユミで、マユミは5〜20ミリの柄があります。

ツリバナ
ツリバナ

ツリバナ(吊花)は北海道から九州、朝鮮、中国に分布する落葉低木あるいは小高木で樹高5〜6ほどになります。落葉広葉樹林中に生育し、谷筋などやや水分が多いところを好みます。葉は対生し、卵形から長楕円形で先端は長く尾状に伸びて、縁に細かい鋸歯があり尖(と)がっています。冬芽が細長く尖がっているのもツリバナの特徴です。花は5月から6月に咲き、葉腋に長い柄のある花序(花の集まり)を出し、その先に薄い緑か紫の花を付けます。花も果実も長い柄からぶら下がるので、これが和名の由来です。秋に割れて中から真っ赤な種子がのぞき紅葉も美しいです。朔果(さくか)は熟すると5裂して朱色の仮種皮に包まれた種子が露出します。

ニシキギ科のマユミの類とツリバナの類は果実の柄の長さによって名がつけられており、柄が長いのがツリバナに分類されています。この果実は殺虫効果があり、戦時中これでアタマジラミの駆除をしたというほどです。

絵画のデッサンに使う木炭をFusain(フュザン)といいますが、独特の軽さと感触はこのこの木から生み出されます。ヨーロッパのマユミから作られ、輸入しています。日本には炭焼き技術があることだし国産でもいいものが出来ると思うのですが。理屈からいえば、マユミでもコマユミでもツリバナでもいいはずです。



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【 バイカウツギ(梅花空木)
バイカウツギ
例の小樽の園芸店で「バイカウツギが寒さに強いですよ」と教えられました。ユキノシタ科ウツギ属で、ウツギほどには集まって咲かないが、花の1つ1つはウツギより大きい、2mほどの灌木とのこと。 枝の先端に固まって咲く花は四角いサイコロのように集まるそうです。バイカはもちろん梅花で、花が似ているから。「さつまうつぎ」とも呼ばれる、とあります。 2000年春、買い求めて植えました。翌春元気に芽を出してきました。



【 ニシキウツギ(二色卯木)
ニシキウツギ
花色が白から紅に変わるニシキウツギ

スイカズラ科タニウツギ属。宮城県から奈良県の本州、四国、九州の太平洋側の山地に生える日本特産の落葉低木です。 ニシキは錦でなく二色のことです。またウツギの名前があるものの、「卯の花」と呼ばれるウツギとはまったくの別種です。 ニシキウツギは本来標高1500〜2000メートルの山地の瓦礫地のやや湿った所に自生する高さ5メートルほどになる低木です。

最初は淡黄白色の花が咲きますが、次第に紅色を帯びるので、木には赤と白の花が同時に咲いたように見えます。花の色が 白から赤に変化する点などもハコネウツギ(箱根空木)に似ています。ハコネウツギは庭木としてよく植えられている木です。 両者で「ウツギ」の漢字表記が違います。ニシキウツギは“卯木”と書きますが、名前の由来は“空木”からきています。茎を折っ てみると中が中空になっているのがわかります。芽が付く節の部分は埋まっていて中空ではありません。まったく竹のような構 造です。ハコネウツギは海岸近くに、ニシキウツギは山地に生えるそうですが、両者の移行型もありなかなか区別しにくいそうで す。

ニシキウツギの実
ニシキウツギの実
樹皮は、暗い灰褐色で縦裂します。枝には稜にそって毛があり、若い枝には短毛が密生します。葉は対生し、楕円形〜広楕円 形で先は尖り、縁に細かい鋸歯があります。葉は表に短毛を散生し裏面は白毛を密生します。花期は5〜6月です。秋には右の写真のような実をつけます。
長野県では南の天竜村へいけば濃い紫紅色をしたヤブウツギが、北の小谷村へいけば淡いピンク色の花のタニウツギがありま す。花が咲いていれば同定できますが、花のない時期には葉や枝に生える毛で区別ができます。

化学的には、咲きはじめの白は、フラボンおよびフラボノールの色だそうです。これは紫外線を吸収しますので昆虫には色とし て認識できるようです。白から紅色に変化していくときには、新たにアントシアニンがつくられるため花色が変わるそうです。 ウツギのような低木は多数の枝が株立しますが、中心になるように1本の通った幹はありません。ニシキウツギでは中は白いス ポンジ状の髄が詰まっています。 これは少ないエネルギーで、ある程度に強度があり、長い枝を作るには、パイプのような中空 の構造の枝が最も効率がよいからだそうです。同じ形態がみられるものには、スイカズラやハルジオンがあります。

ウツギの仲間にはヒメウツギ、バイカウツギ。ニシキウツギの仲間はヤブウツギ、タニウツギ、ツクバネウツギ、ミツバウツギなど いろいろあります。

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【 オオデマリ(大手毬)

オオデマリ
オオデマリ
夏前、我が山墅のすぐそばのお宅に招かれました。そこで見事なほど真ん丸で白い花が木か らこぼれおちそうに満開でした。直径10メートル以上もある白い大きな手鞠を作っている オオデマリ(大手毬)でした。同じ高度ですからウチでも越冬するということです。しかも土地は肥沃な湿気の多いところを好むようで、まさに我が敷地にうってつけ。2000年11月 、清里近くの園芸店で買い求め植えつけました。

ヤブデマリ
ヤブデマリ
調べると、原産地は日本で、日本の山野に自生しているヤブデマリ(藪手毬)の園芸品種ということです。ただし学名上はオオデマリが基本種扱いで、原種のヤブデマリは変種扱い になっています。これは品種登録のときオオデマリの方を基準標本として記載したことによります。

オオデマリ( 学名:Viburnum plicatum var. plicatum f. plicatum) は高さ3メートルにもなる落葉低木でスイカズラ科ガマズミ属。別名をテマリバナ(手毬花)とも言います。 原種のヤブデマリは両性花(雄しべと雌しべがあり、実を付けることができる花)なので花序の周辺にだけ花をつけ実もつけますが、オオデマリは品種改良によって花序の花すべてが 装飾花となったものなので実はつきません。装飾花とは、花粉を運ぶ昆虫への目印になるように特に大きく発達した花のことです。装飾花の役割は「虫を呼ぶ」というただそれだ けです。


オオデマリ
オオデマリの装飾花と特徴ある葉
オオデマリの花アップ
オオデマリの花のアップ
葉は丸に近い卵形で縁にギザギザがあります。葉脈の部分がへこんで、表面にくっきりとした凹凸が出ます。オオデマリの学名は上述のように「ビバーナム・プリカツム・プリカ ツム」と言いますが、プリカツムとは「プリーツ(ひだ)のある」という意味で、この葉の様子からきています。葉は秋に紅葉して冬は落葉します。

5〜6月に球状に密集したアジサイに似た白い花を咲かせます(近年はピンクのものもある)。花は咲き始めが黄緑色で、開くと白色になります。丸く大きな見事な花なのでアメリカ では「Japanese Snowball」といって珍重されています。


コデマリ
コデマリ
八ヶ岳での花期は6月下旬です。2012年6月28日アナスタシアが死にました。八ヶ岳で生まれた子なので山に埋葬しましたが、折からオオデマリが満開でした。同時にスズランとサ サバギンラン、レンゲツツジも花盛りで、オオデマリの大きな白い花いっぱいに包まれて逝きました。

オオデマリというと、コデマリ(小手毬)と同属でその大型のものと思いがちですが、科も属も全く異なります。コデマリは離弁花のバラ科シモツケ属になります。 中国広東原産の落葉低木で、名前は小さな手毬状の花姿に由来します。日本でも古くから知られており、「スズカケ(鈴掛)」の古名があり、江戸時代の初めには庭木などに利用されてい ました。剪定もあまり必要がないなど、手入れしやすいので公園などにも広く植栽されています。

樹高は1〜1.5bで枝は細くて長く、伸びたものはゆるく弓状にしなります。開花期は4月〜5月で、5枚の花びらをもつ径7ミリ程の小花がまとまって咲き、およそ3センチの手毬状に なります。満開時は枝に沿ってびっしりと手毬状の花が付き見事です。こちらも秋に紅葉して、冬は葉を落とします。

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【 オオカメノキ(大亀の木) 】(ムシカリ)
オオカメノキ

アジサイの一種かと思うほど似ていますが、東京でアジサイを見かける はるか前、ゴールデンウイークごろに八ヶ岳で咲き出します。いたるところに あるのですがよく目立ちます。まず、雪解け直後、 葉が十分に展開しないうちから真っ白に開花するので春の訪れを感じさせます。 周りの白い5弁の花は装飾花で、雌しべも雄しべも退化。内側の白いポチポチが本当の花です。

オオカメノキ(大亀の木)は<スイカズラ科ガマズミ属ムシカリ> といい、「ムシカリ」(虫喰)が正式名です。葉によく虫がつくので『虫食われ』が転訛したもの 名の由来は、葉によく虫がつくので「虫食われ」が転訛したといいます。卵円形の葉の形を 亀の甲羅に見立てて「オオカメノキ」(大亀之木)と別名で呼ばれることが多い木です。 標高1,500メートルを越えるあたりから見られるため、標高を知る目安として知られます。

亜高山に育ち、南千島、サハリンから屋久島、対馬にまで分布する落葉小高木で樹高は2メートルから6メートル。 枝は粗く広がり、強靭で折れにくい。葉は卵形または円形で長さ10〜20cm、鋸歯があり、葉の上面は、葉脈が へこんで いるのでしわ状になる特徴があります。


オオカメノキの紅葉 オオカメノキの実 夏には丸い葉が大きくなり、秋が近づくと、葉も黄色と赤色にあざやかに紅葉してきます。(写真=左)  秋も深まると今度は果実が真っ赤に熟してきます。赤から黒く熟してくるころ食べられます。(写真=右)  干柿のような甘みがあっておいしい そうですが、このころに出くわしたことがないので、まだ食べたことはありません。


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【 キンロバイ(金露梅)
キンロバイ

キンロバイは本来、本州中部以北から北海道の高山の礫地に生えるバラ科キジムシロ属の落葉小低木です。 自然にあるものは高山植物に入りますが、平地でも育つのと開花期間が長く、観賞価値もあり、夏に咲く低木として 庭の花木や盆栽として重宝されています。

八ヶ岳では山荘の生垣に使われていることが多い木で、近くでは八ヶ岳高原ヒュッテの回りにたくさん見かけます。 このあたりではたくさん見かけるのですが、園芸目的の盗掘により、絶滅危急種にリストされているといいますから、 よく育つのと鮮やかな黄色が災いしているといえます。

キンロバイの花
キンロバイの花

属にあるキジムシロの名前の由来ですが、本来は高山の岩盤にしがみつくように生え、その形がキジ(雉)が座るむしろ(莚) のようだというところからきています。高山では植物は岩にしがみつくように生育する必要があるので、細根が多く、高さも風に向かうため、せいぜい30〜50センチと低いです。

キンロバイの花期は6〜8月で、夏に茎項に1〜3個の花をつけ、 直径 2、3 センチの黄色の五弁の花を次々と咲かせますが、鮮やかな黄色なので遠くからもよく目立ちます。 葉は卵状楕円形の奇数羽状複葉で、小葉は 1 〜3 対で3〜7枚ほど。長さは1〜2センチ、 両面に褐色の長い綿毛があり、葉柄の基部には托葉があります。

漢字では「金露梅」と書かれ、花が黄色く、梅の花びらような形に似るところから名付けられました。白花もありこれは 銀露梅とか白露梅とか呼ばれます。キジムシロ属は世界に約500種もあるそうですが、ほとんどが多年草で、そのわずかな木本性の1種がこのキンロバイです。 この属はとても交雑しやすく非常に分類がむずかしいようです。

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【 シャクナゲ(石楠花)

園芸品種まで含めるとシャクナゲは多岐の品種にわたります。東日本の山岳地帯で見られる高山性のものはアズマシャクナゲ、ハクサンシャクナゲ、キバナシャ クナゲの3種類です。キバナシャクナゲについては2009年6月「八ヶ岳特有の植物」に移しましたので、ここではそれ以外の2種とシャクナゲ全般について触れます。

【シャクナゲの名前の由来】
シャクナゲの語源は、枝が曲がっていてまっすぐな部分が1尺としてないことから「シャクナシ」、これがなまってシャクナゲ になったといいます。和名では漢字で「石楠花」あるいは「石南花」と表記しますが、石南はバラ科のオオカナメモチのこと で本来は違う植物です。

【シャクナゲの分類学】 分類学的にはシャクナゲはツツジ科ツツジ属のうちシャクナゲ亜属の総称です。ツツジ科にはおよそ30の属がありますが、その中の 一つにツツジ属があ り、さらにシャクナゲ亜属に別れています。シャクナゲは主に、中国西部からヒマラヤに分布し、ほとんど高山植物といってよいほど 寒冷地の植物です。シャクナゲが広く厚い葉を持つのは、空中湿度の高いモンスーン地帯の風土に適応したためと考えられています. シャクナゲは一般に酸性土壌を好みますが、これもそうした厳しい生育地の背景からです。シャクナゲはレンゲツツジと同様、毒をも っているので鹿などの食害にあわないという利点もあります。

シャクナゲには1,000種以上を数える野生種がありますが、これらは4つのグループに分けられます。
  1 マレーシアやニューギニアで種が分化したマレーシャクナゲ群(ビレアの仲間)
  2 日本人になじみの深いツツジ、アザレアの仲間
  3 いわゆるシャクナゲらしい姿の無燐片シャクナゲ
  4 ヒカゲツツジなどが含まれる有燐片シャクナゲ

日本シャクナゲと呼ばれるもの(ホソバシャクナゲ、ツクシシャクナゲ等)は、無燐片シャクナゲの中に入ります。

日本のシャクナゲの品種改良の歴史は浅く、18世紀からですが、これは日本では、シャクナゲは深山に咲くその神秘性から 「忌み木」として一般の庭園に持ち込む事を敬遠したためですが、逆に、西洋ではシャクナゲの園芸化が進み、現在も 種類が多く花色も豊富です。

【高所で咲くシャクナゲ】
ここでは八ヶ岳などの高地に育つ3つのシャクナゲのうち二つを取り上げます。キバナシャクナゲについては「八ヶ岳特有の植物」に記載しました。

アズマシャクナゲ
アズマシャクナゲ
アズマシャクナゲ(東石楠花)は深山に生える常緑低木です。花色も多くいちばん華やかです。5月下旬から6月上旬に、亜高山帯の針葉樹林に鮮やかなピンクの花を 咲かせます。宮城県南部から中部地方が生育地域なので、「アズマ」の名前がついたようです。 高さ 3 メートルくらいになります。こんなに大きくなるのはアズマシャクナゲだけなので、私が上述のように本沢温泉でみたのは、キバナシャクナゲではなく 、これでしょうというのがメールをいただいた三重野さんの推理です。

アズマシャクナゲの刮ハ
アズマシャクナゲの刮ハ
アズマシャクナゲの花冠は淡紅色の漏斗型で先端は 5 裂し、雄しべは 10 本。8〜15 センチの細長い葉の裏面は灰褐色の 軟毛があります。果実は図のような「さく(凵j果」と呼ばれるものです。

ハクサンシャクナゲ
ハクサンシャクナゲ
ハクサンシャクナゲ(白山石楠花)は亜高山帯上部の林内に主に生育しますが、さらに標高の高い植物限界の上、ハイマツ帯の中でも育ち、 7月に入ってからクリーム色の花を咲かせます。林内のものは高さが2〜3メートルほどありますがが、ハイマツ帯に生育してい るものは地面をはうように伸び背は低いのは環境に適応したせいでしょう。葉は厚く長さ10-15センチで外側に巻き込み、長さ 2センチほどの葉柄があるのが特徴です。花は10個ほど集まって咲きます。 ハクサンシャクナゲとアズマシャクナゲの大きな違いは葉の基部です。ハクサンシャクナゲの葉は長楕円形、基部は円形また は少し心形ですが、アズマシャクナゲは葉柄に沿って流れてついています。葉の下面は淡緑色で無毛です。花は白色または淡紅色です。



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