八ヶ岳の主峰、赤岳とその隣の横岳を毎日眺める場所です。
標高1760メートルあります。
夏涼しいのは いいとして冬の寒さは相当なものです。
でも多くの動植物がちゃんと越冬しています。
自然と闘う・・・なんて大それた気持ちなどさらさらないイージーな男が、
ぬくぬくとした部屋から眼前を眺めただけの植物観察記。

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       【花もの】     【木もの】     【実もの】

   【花の物語(魅力的なストーリーがある花です

【我が敷地の高山植物】(眼前400坪限定の観察記)


はじめに・・・その地理的状況など

ママ手作りのウェルカム・ボード八ヶ岳連峰の主峰、赤岳のとなり、横岳の東の中腹に位置しています。 ここにある西洋海ノ口自然郷(現在は八ヶ岳高原海の口自然郷)の中に1987年ログハウスを建てました。400坪の 敷地にいろいろな植物を育て始めたのがここのテーマですが、当初はこんなにたくさんのものが 育つとは思わず、ほったらかしでした。紹介するほとんどの例はここ数年でのことです。

「ガーデニング」をタイトルに使いましたが、まずかったなあ、と今ごろになって悔いています。書き始めたころ流行で、それまで「園芸」と言っていた 時と、けた違いのブームになりましたが、なに、やってることは同じです。イギリス人にぴったりの職業に、執事と庭師があります。英国人の性格、哲学が反映されています。 例えば、これをフランス人やイタリア人に置き換えると三日と持ちそうにないのがわかります。

その、本場イギリスから持ち込まれた「ガーデニング」に惹かれて名づけたものの、「ガーデニング」や「盆栽」、「園芸」には 人の力で植物を見栄え良く見せる、とか、庭園風に作り上げていくイメージがあります。私の場合、見てお分かりの通り、ほったらかしです。ただ、寒冷地で育つかどうか だけがポイントで、こんなの「ガーデニング」と呼べるのかということがあります。ま、スタートしてしまった ので仕方ありません。疑問をお持ちの方は、適当に翻訳してお読みください。

マイナス20℃で育つ植物があると、タイトルでうたいましたが、これも、正確に言うと「耐える」という意味です。 見出しに許される誇張とご寛容ください。またマイナス20℃というのも正確ではありません。 この地に至るのに国道141号線を通るのですが、高度1300メートルの野辺山駅近くに「ただいまの温度」という 表示板があり、ここがあるとき「マイナス19℃」を表示していたのです。

ログハウスはさらに登って1760メートルの地点にあるので、もう2,3度低いはずだというのが根拠です。1999年冬からデジタル温度計を付けたので 留守中の最低気温も記録されるようになりましたが、こちらは2001年2月に見たとき(日にちは特定できない)マイナス20.02℃でした。

-10℃くらいで見られるこういう寒い場所ですから,霧氷が見られます(左の写真はカラマツについた霧氷)。ちなみに自然郷内では「なご原地区」と呼ばれているのですが、 「なご」というのは土地の言葉で霧氷のことだそうです。

ダイヤモンドダストも見られます。空気中の水分が凍って、まわりの空間が、それこそダイヤモンドをまいたようにキラキラと輝く美しい現象です。快晴の明け方に多いようです。

私が体感した最低気温は北海道の名寄の近く北母子里(きたもしり)にある北大の雨龍演習林でのマイナス25℃です。現在、ここに日本最低気温の碑が立っています(写真右下)が、1978年(昭和53年)2月17日、ここで非公式ながら日本の最寒記録、マイナス41.2℃を記録しました。ニュースになり、取材のため記者とし て東京からカメラマンと2人飛んだのですが、ピークは過ぎていて、それしか下がらなかったのです。私はたまたま北大のOBですが、この地に大学の演習林があることは行くまで知りませんでした。

現在の住所で言うと北海道空知支庁雨竜郡幌加内町母子里となり、国立大学の法人化で雨龍演習林は「北海道大学北方生物圏フィールド科学センター森林圏ステーシ ョン雨龍研究林母子里教育研究棟」と恐ろしく長い名前になりましたが、とにかく、ここは寒いので有名なところです。内陸型の地形に加えて、近くに日 本最大の人造湖、朱鞠内(しゅまりない)湖があり、冷えやすい条件がそろっています。当時、記録計があったのが大学の演習林だけなのでそうなって ますが、湖側の方がもっと寒いのかもしれません。

朱鞠内湖畔に立つ日本最低気温の碑。
北母子里には国鉄の深名線で行ったのですが、まるでつらら列車でした。駅に降り立ったのは私たち2人だけ、鉄でできているものに触らないよう(瞬時にくっつく)注意されました。 息をすると鼻やのどがツーンとくる寒さ。まわりもキーンと音がしているようでした。 こういうところに列車を走らせる努力の方に感心したものです。やんぬるかな、深名線は95年廃線になりました。確か日本一、二の赤字路線でした。

北大演習林の教官、学生用の宿泊施設に泊めてもらいましたが、廊下や床の間がある木造の日本建築でした。このあたりで日本建築というと相当な豪華建築なのです。何しろ地面が地下深くまで凍って「凍上」(とうじょう)という現象が起きるのです。廊下など一晩で柱ごと持ち上げられて波打つようになります。家でも道路でも深く掘って砂で固める基礎工事が欠かせません。北海道の道路建設に本州の何倍も建設費がかかる理由です。

厳寒の地ではカメラの油が凍ってシャッターが下りなくなります。カメラマンはアノラックの中でカメラをカイロでくるみ、撮影の時だけ腹から取り出して撮影していました。直前にカメラメーカーと相談して南極昭和基地に持っていった時と同じ方法をとったといいます。八ケ岳でいまデジタルカメラを使いますが、氷点下10℃くらいでしばらく外気にさらすと、たちまち電池の機能が低下します。そのたびに北母子里を思い出します。これだけ寒くても電気冷蔵庫が動いていました。なんでも凍るなかで「保温」のためにあるのです。野菜が入っていました。牛舎が一番暖かくて、牛の体温で猛烈な湯気が建物を包むように立ちのぼって温泉地のようでした。

ちなみに世界一寒い記録は、むかし教科書 に載っていて、今でも破られないシベリアのベルホヤンスクで記録したマイナス67.8℃(1892年2月5日)です。ロシアのサハ共和国(主都ヤクーツク)にあります。非公式記録としては同じサハ共和国のオイミャコンでのマイナス71.2℃(1933年2月6日)というのがありますが、測候所の記録に残っていないので参考記録といったところです。
2006年1月日本列島は大寒波で大雪被害が出ました。このときオイミャコンも冷えてマイナス56℃(1月16日)。学校は休校になったものの工場や公共交通機関は動いていた(タス通信)といいます。

人が常住していないところでは、南極ヴォストーク基地(旧ソ連)での、マイナス89.2℃(1983年7月21日)。ちなみに日本の南極越冬基地の「ドーム基地」ではマイナス79.6℃(平成8年8月13日)を記録したことがあります。こうなると想像もできない気温です。

凍裂のため縦に深く裂けたシラビソ。
北母子里で経験したのですが、マイナス20数度になると「凍裂」(とうれつ)という現象が起きます。夜中から明け方に林の中でパーンという爆発音が聞こえて飛び起きます。私は熟睡型ですがそれでも気づくほどの大音量です。森の獣が驚いて穴から飛び出してくるといいます。

北海道にこの凍裂が地名になっているところがあります。道東の屈斜路湖のそばにあるニブシ(仁伏)で、やはり寒いところです。私は学生のころ初冬に友人とこの地を旅をし、この湖畔にある砂湯で、自分で掘った温泉に入りました。そのとき声を掛けてくれた人のトラックの荷台に便乗したことがあります。美幌峠を越え美幌町に着いたときには軽い凍傷で動けなくなり、抱えおろされ家中の人の看病を受けたことがあります。寒いのは実体験でわかります。アイヌ語で「二」は木をあらわし、音をたてて裂ける擬音語が「ブシ」。ニブシとは木が割れるほど寒いところという意味です。

物理学的には、「凍裂」というのは、樹木の中の水分が凍ることで体積が膨張、内圧に耐え切れなくなって内部から外皮ごと一気に破裂する現象です。導管に沿って縦に割れますが、その長さはまちまちです。これで樹木が枯れ死することはなく春からまた成長を続けます。亀裂が内部深くまで入るので木材としてはダメですが、成長には関係ありません。

凍裂にあった木材の断面。
中心から表面まで亀裂が走っている。
翌朝、森を見ると何年にもわたる「凍裂」のあとを散見しました。北海道はエゾマツ(蝦夷松)、トドマツ(椴松)がほとんどなので被害もそうしたものに集中していましたが、「凍裂」は樹種を選ぶわけではないのでどんな木にも発生します。 中には相当昔にやられたような大木もあり、自然のたくましさに感嘆しました。

八ケ岳ではエゾマツ、トドマツはそれぞれトウヒ(唐桧)、シラビソ(白桧曽)と言い換えることができます。ほとんど同じ樹種です。森に入る時には注意していますが、カミナリにやられたようなのはあるものの「凍裂」と見えるものにはまだ出会っていません。そこまでいかないから、いくぶん暖かいということでしょうか。そういえば、 ダイヤモンドダスト現象は、北母子里では毎日見られましたが、八ヶ岳では時折りといった感じです。

このほかに自生しているものはカラマツ、シラカバ、ダケカンバ、ナナカマド、ヤマザクラ、レンゲツツジ、サラサドウダンツツジが代表格で、そのまわりは腰までもある笹が茂っています。


サラサドウダンツツジの錦秋。うしろは横岳。


きっかけはスズラン

こういうところですから園芸品種などが育つとは夢にも思わず、ながらく自然にまかせていました。しかしカラマツとシラカバばかりでは寂しいので、1株のドイツスズランを植えました。札幌で学生生活を送った経験からはそれぐらいしか思いつかなかったのです。もちろん翌春に花を咲かせてくれたのですが、いまだにこの1株だけで、増えません。

ある夏、大学時代の馬術部仲間で林産学を専攻、つくばの森林総合研究所にいる友人が遊びに来ました。植物というのは葉面積に比例、それも等比級数的に伸びることを教えられました。とりあえず、笹を刈り、カラマツを間引きして林に太陽光線を入れるように言い残していきました。いざとなると、木にノコギリを入れるのが痛ましいのと、どのカラマツを切ればよいのかわからず、とりあえず笹刈りに 挑戦しました。東京での新聞記者生活の合間の笹刈りですから、2年かかりました。

ササ(笹)についての植物学はこちらにあります。

ある春、といっても八ケ岳では6月のことです。行ってみて驚きました。一面のスズラン畑が出現していたのです。笹を刈った後に最初に姿を見せたのはスズランでした。 それも大輪の花を付けていました。最初に植えたドイツスズランも周りを自生の日本スズランに取り囲まれていました。もともとこのあたりにはスズランがあったのに、私が気がつかなかっただけでした。笹の下で細々と育っていたのが、笹を刈ったおかげで一気に増えたのです。 この“事件”からです、ここで育つ園芸植物をさがしはじめたのは。

スズランの群落
春6月、我が敷地はごらんのようにスズランが群生する。
今では笹を圧倒している。(06年6月25日)

スズラン(鈴蘭)についての植物学はこちらにあります。

「八ヶ岳笹刈倶楽部」ご案内

この笹との格闘2年の経験から、「笹刈り」は「男の趣味」の立派な一つのジャンルである、と確信するに至りました。考えるに、男の趣味としての「必要十分条件」は二つあります。

まず、儲からないこと。儲かるなら趣味ではなく仕事です。次に、奥が深いこと。マニュアルでだれでも簡単に習得できるような底が浅いものは、女子供にはよくても道を極めようとする男の 趣味には適さないと言わざるをえません。馬術、ヨット、スキー、ラジコン、史跡めぐり、日本一周鉄道一筆書きの旅、無人島暮らし、切手収集、自分が手がけたか志したものを並べましたが、 他でも世の男どもが血道をあげている趣味を見ればここの必要十分条件が必須であることは自明です。

この定義を眼前のテーマ、笹刈りに当てはめるとどうなるか。 背丈が高く茎がかたい笹には鋼(はがね)のカッターで、今年出たやわらかい芽にはビニールカッターで対処します。刈るときは 腕でなく、腰で刈るのがコツです。草刈機は2サイクルエンジンですが、気候、温度で空気の混合比を変えるなど、 実に奥が深いのです。男の趣味としての必要十分条件を見事に満たしていることが分かります。

林に響くエンジン音を聞くと”雄雄しく”一人で自然に立ち向かう男のロマンを感じます。まあ、独りよがりですが。
炎天下、手弁当で林の下草刈りに行く「草刈十字軍」をしていた男がこの山小舎に来ていたことがありますが、当時は ごくろうさんなこととしか思わなかったのが、今わかるのです。 この男は「レンゲの会」というのをつくって中国から輸入した種をあちこちに蒔いていました。汽車の窓から 蒔くのを手伝ったことがありますが、無駄な努力にみえる中に面白みを感じるのが男の趣味というものです。

「八ヶ岳笹刈倶楽部」をつくりました。奥義を伝授しようと思うのですが、目下、会長の私一人で、山でお向かいの森さんのご主人が 会員1号になるかどうか迷っている段階です。無理もありません。入っても何のメリットもないのがこの会の特徴ですから。 森夫人のメールに「ウチの笹はトラ刈りです。よく仕込んでください」とあって、苦闘の様子がうかがえます。そうこうしているうち、 ご主人は門柱の配線を笹ごと刈り飛ばし家族の非難を浴びていました。刃先でなくその先の局面を見る、これが笹刈り道の奥義です。何事も先を見ないといけません。 人生も山登りも難しいところを乗り越えたところに喜びがあるのです。

家内など「作業の前と後に酒が入るなんて、ただの呑み会じゃない」と冷ややかなものです。「女子と小児は養いがたし」という格言が浮かんできますがあ えて抗弁はしません。 作業の前の酒、と言いますが、これとて深い意味があることなのです。

キリスト教にしろイスラム教にしろ一神教の世界では、他の神を認めないため殺伐とした抗争に発展します。すぐ殉教だ報復だとなる イラクやアフガニスタンを見ても分かります。

然るに我が日本では万物すべてに神宿ります。ここが自然にも人にもやさしい多神教のありがたいところで、この地に当てはめれば、森にも笹にも 神様がいるわけです。ですから、これから作業をはじめますと挨拶し、お神酒を供するのはごく自然です。ただ亭主が酒飲みで木や笹に撒くのはもったいないから、自分の 腹の中に撒く、という仕儀です。作業後の酒は無事すんだお礼ですから、欠かすわけにはいきません。かくのごとく挨拶とお礼という儀式にのっとった酒なのに 「単なる呑み会」とは憤慨に堪えないところです。まあ、男の趣味の深遠なる境地はなかなか理解されないものです。

作家の山口瞳が呑み助について書いています。「純粋である。だから酒にむかってゆく。傷つきやすい。だから酒を飲む」(『酒食生活』)。まるで私のことを言っているようです。 このナイーブさは悲しいかななかなか理解されません。バードフィーダーの普及と笹刈倶楽部、最近ではヤマネの保護活動まで、NGOというかNPOというかボランティアというか、はっきりいって道楽ですが、 周囲の冷淡な眼にめげず忙しくなってきました。それもこれも、スズランが始まりです。


以下に超寒冷地で育つことを確認した植物を、我流の分類ですが、「花もの」、「木もの」、「実もの」などに分けて紹介します。 おもしろいストーリーがある花を「花の物語」として、また、家のまわりに限っても、かなりの高山植物があるので「我が敷地の 高山植物」としてピックアップしてみます。

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【花もの】   【木もの】   【実もの】

【花の物語(魅力的なストーリーがある花です

【我が敷地の高山植物】(眼前400坪限定の観察記)

このあたりで見られる花を集めた絶好のサイトがあります。
学校教育用の「八ヶ岳の自然」(草花)で、リンク先は以下です。
URL:http://www.crdc.gifu-u.ac.jp/mmdb/marc4/kanagawa/index.html


山小舎の冬
冬の寒さだけは北海道に負けない。
これで越冬する植物が多いのだから驚く
バックは赤岳と横岳。
     
晩秋の山小舎
晩秋の山墅。右側にスズランと姫イズイ、
左の奥にコイワカガミ、ミヤマエンレイソウが咲く。
左の小屋は陶芸用の電気炉。


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