一般紙で馬術に関する専門の話が紹介されるのは珍しいのだが、2005年9月19日の新聞に「母衣引き」と「側対歩」(そくたいほ)のことが 掲載されている。
古式馬術「母衣引」23日に披露
皇室継承…江戸時代の勇壮な様式美
雅楽や正倉院の宝物などとともに皇室で継承されてきた古式馬術の「母衣引(ほろひき)」が23日、世田谷区上用賀のJRA 馬事公苑で行われる「愛馬の日」のイベントとして宮内庁主馬(しゅめ)班によって披露される。戦国時代には合戦などで使われ ていながら、現在では目にする機会のない「側対歩(そくたいほ)」とよばれる馬の走り方も見ることができ、子供たちにとって 生きた日本史の教材となりそうだ。
「母衣引」は、紋付きはかま姿の騎手2人が、木製の大和鞍(やまとぐら)をつけたそれぞれの馬にまたがり、背中につけた 長さ約10メートルの絹製の吹き流し「母衣」をなびかせながら疾走する。「ほろ」は戦場で矢を防ぐために使われた武具や、風 雨などを防ぐマントに由来するともいわれており、平安時代の文献にも「保侶」の表記で記述が見える。
その後、戦(いくさ)のなくなった江戸時代中期になると、様式美を伝える馬術として諸大名の催しで行われるようになった。 宮内庁主馬班は、この時代のものを伝承している。
10メートルの母衣がなびく見事な姿が最大の見せ場だが、同じくらい美しく、重要な役目を果たすのが「側対歩」だ。
通常、目にする馬の走り方は、右前足と左後足が同時に出るが、側対歩では右側の前足と後足を同時に出し、続いて左側と いう動きをする。側対歩ではスピードを上げても上下動が少ないため水平に進むことができ、長く伸びた母衣が揺れることなく地 面と並行になびく美しい姿を維持できるほか、側対歩の足の運び自体にも独特のリズム感と美しさがある。専門家によると、戦国時代の絵図には側対歩の調教場面が描かれていることや、上下動の少ない側対歩を使えば馬上で弓 を正確に射ることができることから、「合戦の際、側対歩が使われていた可能性が極めて高い」という。
馬に側対歩を覚えさせることは簡単ではなく、宮内庁主馬班の石井雅和車馬官によると「革製のベルトのような器具で左右そ れぞれの前後の足をつないで調教し、2−3年はかかる」と話す。
宮内庁主馬班は、外国の大使が着任した際、本国から持参した信任状を皇居・宮殿で天皇陛下に渡す「信任状捧呈(ほうて い)式」と呼ばれる国事行為に関する儀式の前後、大使らを東京駅から皇居まで儀装馬車で送迎するほか、古式馬術の継承も 行っている。
母衣引は同日午後2時35分から同公苑内のグラスアリーナで披露される。無料。また同公苑でNHK連続テレビ小説「ファイト 」が撮影された縁で、ヒロインの本仮屋ユイカさんと出演の馬「サイゴウジョンコ」が登場するほか、日光古式馬術保存会による 流鏑馬(やぶさめ)などが予定されている。(9月19日付、産経新聞)
側対歩での馬の脚の運び |
側対歩での馬の脚の運び(GIF動画) |
「母衣引き」の写真はこの項の「花の物語」→「アツモリソウ」で紹介した。「母衣引き」とか「流鏑馬」で馬を走らせる歩様は「側対歩」という。 通常、競馬馬や乗馬での馬の歩様は「斜対歩」という。左前−右後、右前−左後と対角線に結ばれた2本の肢がそれぞれ1組ずつ地面に着いたり、離れたりする歩法で歩く。 ところが、この歩様は馬体の上下動が大きいので、流鏑馬など照準を固める必要があるとき不都合である。そこで「側対歩」が必要になる。側対歩は 左前−左後、右前−右後と、同じ側の前後の肢が、それぞれ1組ずつ地面に着いたり、離れたりする歩法でこれだと振動が少ない。
動物で先天的にこの「側対歩」で歩くのはキリン、ラクダ、ゾウくらいで馬では少ない。日本の在来馬(和種)も、かつては側対歩をしていた ようだが、現在では木曽駒でもまったく見られないという。わずかに北海道 にいる「和種」の道産子(どさんこ)がこの歩き方をする。しかし、すべての「道産子」が側対歩をするとは限らない。もともと東北の 南部駒あたりを北海道開拓に持ち込んだのが道産子だが、道産子が先天的に側対歩をするということではなく、重い荷物を背負って険し い山道などを歩くうちに、馬自身が自然に会得したもののようだという。側対歩は、元来子が親を真似て憶えるものではないかともいう。
馬を泳がせると側対歩になっている。 |
昭和43年まで日本でも行われていた「繋駕速歩競走」は、この側対歩によるレースで、流れるように馬車を引くのが見ものだった。 繋駕速歩競走は、欧米では現在も盛んに行われている。
流鏑馬(やぶさめ)に残るように、武道の上からも側対歩が重宝された。上下動がないので弓を射るのに適し、しかも、弓を正面 に射る時に馬の首や頭が邪魔だが、側対歩だと馬は、身体を進行方向に斜めにして前進できる。また、ヨーロッパでは障害を 持った人たちのリハビリに馬術が効果があるとされ「障害者乗馬」(ホース・セラピー)があるが、上下動がないのでこの 側対歩が注目されている。
この項、側対歩について書いたのは2005年頃であるが、今思うと「嚆矢」だったようで、GOOGLEの検索を掛けて出てくるのは拙稿くらいだった。 2017年時点で同じことをすると100サイト以上がピックアップされている。だいぶ理解が深まったようだ。同時に「馬の歩き方」で検索したら、下のような 少年が馬と一緒に泳ぐ水中写真まで出てきた。これなどまさしく「側対歩」である。水中写真を専門にするスペイン人写真家の作品とあるだけで詳細はわからないが、 きれいな側対歩である。
側対歩で泳ぐ馬(Pinterestから) |
その後もネットを見ていると科学誌や動物写真コンテストの入賞作品で馬が泳ぐ姿をとらえたものを見かける。撮影時に側対歩を意識したものではないが、いずれもきれいに 「側対歩」というものが本能で備わっていることがわかる。写真はいずれも「The Atlantic」 Hooves in the Water: Alan Taylor May 29, 2018から
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特別な歩き方のように思えるのだが、ほんの少し前の日本人は側対歩だったという。江戸時代の飛脚の飛ぶような走りがそれだ。スピードがあり疲れない。この走法を陸上短距 離のエース・末續慎吾が取り入れて注目を浴びた「ナンバ走り」はこの走法だ。
【ナンバ走り】右手と右足、左手と左足を同時に出すような感覚の走り方。江戸時代の飛脚に見られるように古来から日本人の歩き方や走り 方はこうであったともいわれている。日本では、明治時代の初期に腿を高 く上げて、腕を大きく振るという西洋式の走り方、つまり右手と左足、左手と右足を同時に出して体をねじりながら走るという走り 方や歩き方が学校で推奨されるようになってから、この「ナンバ走り」は排除されてきた。これに対して、武術家・甲野義紀氏は 近代スポーツの常識とは異なる日本古来の身体操法に基づく武術を研究して、「ナンバ走り」を提唱。『古武術で蘇るカラダ』( 共著、宝島社)を著して有名になった。
その神髄は、転びそうで転ばない限界のところで重心を低く保つという走り方で、近代ス ポーツの常識である体のひねりやねじり、鞭のようなしなりを排除している。この走法を陸上短距離の末續慎吾などアマチュア スポーツ選手やプロ野球選手が取り入れて注目を浴びた。
「ナンバ」の語源については諸説ある。