アナスタシア(アーチャ)が一人立ちするときが来た。哀しいことにエディーの死と同時に、いやおうなく
やってきた。 |
アナスタシアのひとり立ち 犬にもペットロス症候群 さらには高校野球、箱根駅伝の危機
5歳の秋、児童虐待に怒る 鬼畜にも劣る輩 |
エディーとアナスタシアはいつも一緒だったから |
エディーの腰にあごを乗せるアナスタシア得意のポーズ |
PTSDは英語で「Post-Traumatic Stress Disorder」といい。日本語では「心的外傷後ストレス障害」と訳している。 事故や災害、犯罪などの被害に遭遇したあと発症する。トラウマ(心的外傷)というのは本来は戦場体験のことを指していて、1970年代にアメリカでベトナム戦争で極限を超える悲惨な体験をした兵隊の精神的後遺症が、大きな問題になったとき生まれた病名だ。泣き叫ぶ帰還兵をニュース映画で見てショックを受けたことがある。ところが、その後同じような症状がレイプの被害者や自然災害の被災者など事件、事故に巻き込まれた人たちにも現れることがだんだんわかってきた。
2001年6月8日、大阪教育大付属池田小学校で侵入した犯人(宅間守は2004年9月死刑執行)により8人が死亡、15人が重軽傷を負った事件では8人の児童がPTSDを発症したが、初めて障害見舞金が支払われた。2005年4月28日、死者107人、負傷者550人を出したJR福知山線の脱線事故ではPTSDにも治療費を支払うことで合意するなど、今では社会的にも認知されてきている。
自分や身近な人のショッキングな体験から引き起こされるのは同じだが、現れる症状はさまざまだ。トラウマ体験を思い出したくないのに何度も思い出し、他人との疎外感があったり、眠れなくなったり、胸がドキドキしたり、震えたりする。同時に強烈な不安や恐怖心、無力感が生ずる。トラウマを思い出すと、それが今まさに起こっているような錯覚(解離性フラッシュバック)に陥りパニックになる。福知山線の事故では、バスの揺れで恐怖感にとらわれ、座席にしがみついたりする人が報告されている。
PTSDとペットロスの症状は同じようなことが多い。だから、私は医者ではないが、クスリや対症療法は同じではないかと思えるのだ。そして、多くの場合「時間が一番のクスリ」ではある。最近、米国ではつらい体験をあえて思い出させることで治療する「持続暴露療法」が有効とされている。事件・事故の時の服や言葉、そのとき周囲の様子をあえて詳細に聞き取る。犯罪なら犯人と同じ体格の人間をじっと見つめる訓練をして「思い出しても、今は安全なので怖くはない」と実感させるのだという。荒療治のようで、訓練を受けた心理専門家などが立ち会う必要があると思うが。、
そういうことを踏まえて、本来のペットロスに戻るが、ペットの死に直面したとき、いまでは無視できないほど多くの人が「ペットロス」に陥る。その症状も深刻なものが多い。
1 「泣く」。ペットの死に直面した時。葬る時。ペットの話をしたり思い出を語る時、とめどなく涙が出る。
ペットロスは昔からあったろうが、いま深刻になってきた原因を考えると、
1 昔は犬などは庭先などの戸外で飼われていたが、家の中で飼う人が増え「家族」になっている。
人の心の中の問題だから、ずばりこう、という治療法や対応策があるわけではない。私の個人的な処方箋とことわったうえで次のようなことをおすすめする。
上述したように、ペットロスに陥る人は性格が誰よりも優しく、それまでの人生も心豊かに過ごしてきた人に多い。感受性豊かなのだ。専門のサポートを受ける機会があるならそれもよい。涙を受け止めてくれる人がいればその人にすがるもよい。だが、感受性豊かな人は自分でコントロールできる力があると思う。
そういう人におすすめしたいのが、ペットとの楽しかった日々のことばかりを思うことだ。膝の上で寝込んでいびきをかいていた姿。ボールを取ってきて得意顔で千切れるように尻尾を振っていた姿。その時、自分もどんなに嬉しかったか。そうだ、逆に私が癒されていたのだと知れば、彼ら彼女らへの感謝の気持ちが芽生える。「幽明境を異にしてしまったけどあの時は楽しかったね。ありがとう」と言えれば、あなたがペットロスから脱却した瞬間だ。
私はそうしてたくさんの犬たちとの別れを乗り越えた。
もう数年以上も前からのことらしいが、ネットで読まれ始めた英詩に「虹の橋」がある。作者不詳。どこか英語圏の人が作ったのだろうが、今では独、仏、日など各国語に訳され、愛する犬や猫やその他の動物との別れを経験した人は、涙で読んでいるという。
天国の手前に「虹の橋」と呼ばれるところがある。この世で人と愛し合った動物は死ぬとそこで幸せに暮らしている。やがて愛する人がやってくる。二人は手を取り合って虹の橋を渡っていく---というストーリーだ。
私は4頭の犬との別れを経験したから、リズ、ティアラ、グレース、エディー・・・みんな橋のたもとで待っていてくれるのかと、つい涙した。犬と暮らした人なら分かるが、犬は人間よりはるかに天国にふさわしい魂の持ち主だ。あの潤んだ瞳と、人に会うと千切れんばかりに尻尾を振る、あの純粋で純情で従順な魂なら、間違いなく天国の門は開かれている。きっと「虹の橋」で待っていてくれるだろうが、私だけが天国の入り口で断わられるかもしれない。振り返っても、この世で彼らほどの善行を積んだ憶えはないから。
我が家の家族構成を考えると、私が一番先に犬たちに会うのだろうが、そのとき4頭とも連れて「虹の橋」を渡ってしまったら、後から来る家族は困るだろう。ほかの家族も等しく彼らを愛したのだから。さて誰と渡ろうかと思いを馳せたことだった。
アメリカなどではペットロスの人たちに、この詩をプリントして渡してくれる動物病院もあるようだ。この詩が印刷された紙に、動物の名前を書き込めばいいだけになって売られている「お悔やみカード」も出ている。詩が刷り込まれ、写真をはめ込むようになった高そうな 金のフォトスタンドもある。お悔やみ産業に利用されている面もある。
読んでみたが不満が残るのだ。まず原詩。口伝に近いから仕方ないが、まちまちの英文がある。伝承作品と思えば、それもいいが、詩というなら欠かせないはずの頭韻にも脚韻にも気を配った気配がない。各行のセンテンスの長さもばらばらである。どうみても散文に近い。ひるがえって、日本の和訳をいくつか見たが、どれも生硬で、ほとんど直訳だ。もっと気持ちよい日本語にしたいと思い、自分で翻訳を試みた。以下は私好みの「虹の橋」である。
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実はこの詩はもう一編の詩と対になっている。前編が幸せな動物編とすれば、こちらは不幸せな動物編とでもいおうか。語彙の使い方が前編と違ったりしているから、多分、気持ち優しい人が哀れに思って書き加えたものだろう。これまたたくさんの「作者不詳」(Anonymous)氏がいるが、こちらも紹介しておこう。
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AT THE RAINBOW BRIDGE
There is a bridge connecting Heaven and Earth.
It is called the Rainbow Bridge because of its many colors.
Just this side of the Rainbow Bridge,
there is a land of meadows, hills and valleys with lush green grass.
When a beloved pet dies, the pet goes to this place.
There is always food and water and warm Spring weather.
Those old and frail animals are young again.
Those who have been maimed are made whole again.
They play all day with each other.
Some of them here by the Bridge are different.
These pets were beaten, starved, tortured, and unloved.
They watch wistfully as their friends leave one by one,
to cross the bridge with their special person.
For them there is no one, no special one.
Their time on earth did not give them one.
But one day, as they run and play,
they notice someone standing by the road to the bridge.
This person wistfully watches the reunions of friends,
for during life, this person had no pet.
This person was beaten, starved, tortured, and unloved.
Standing there alone, one of the unloved pets approaches,
curious as to why this one is alone.
And as the unloved pet and the unloved person get nearer to each other,
a miracle occurs,
for these are the ones who were meant to be together,
the special person and the beloved pet
who never had the chance to meet while on Earth.
Finally, now, at the edge of the Rainbow Bridge,
their souls meet, the pain and the sorrow disappears,
and two friends are together.
They cross the Rainbow Bridge together, never again to be separated.
Anonymous
謎だった『虹の橋』の作者が判明
画家のステラ・ビオラーノ氏による2009年の油絵『虹の橋』。 |
上で『虹の橋』の作者は「Author Unknown」とか「Anonymous」(作者不詳)と書いたのだが、2023年、その作者が探し当てられた。科学雑誌「National Geographic」(ナショナル ジオグラフィック)2023年3月6日の記事によると以下のような経緯で現存の作詞者が判明したという。
◇ ◇ ◇
ペットを亡くした経験がある人なら、『虹の橋』という詩を知っているかもしれない。飼い主が動物たちが待っている天国に架かる橋のたもとで愛するペットと再会する姿を詠んだ詩は、シンプルだが胸に響く内容になっている。この詩は、ペットを失った飼い主に向けて、多くの動物病院から贈られたり、ソーシャルメディアのメッセージに掲載されたりしている。
たくさんの人々に感動を与えてきたこの『虹の橋』の作者はこれまで不明とされてきたが、今回、英スコットランド在住の82歳の女性、エドナ・クライン=リーキーさん(Edna Clyne-Rekhy) さんと判明した。芸術家で動物愛好家でもあるクライン=リーキーさんは、60年以上前に愛犬メイジャーのために書いた詩がこれほど多くの人々を慰めてきたことを、つい最近まで知らなかったという。「ほんとうに驚きました。今もまだ呆然としています」という。
探し当てたのは、米アリゾナ州ツーソンで美術史家、作家として活動するポール・コウドゥナリス氏。ネコの飼い主でもある氏は、ここ10年ほどをかけてペットの墓地についての本を書いており、その調査の過程で何度も『虹の橋』を目にしていた。
「かなり前から、誰が書いたのだろうと思っていました。亡くなったペットを悼むときにこれほどよく使われる詩が、作者不詳のままであるということが納得できなかったのです」
詩が広まったきっかけは1994年2月、新聞の有名なコラム「アビーおばさんの人生相談」に米ミシガン州の読者がこの詩を送ったことだった。アビーおばさんは実際に詩を掲載し、「ちょっと泣いてしまいました」と打ち明けた。さらに、世界中1400の日刊紙の読者1億1000万人の読者に向けて、「残念なことに作者の名前がないので、これを読んでいる方で作者をご存知の方がいたら、ぜひ教えてください」と訴えた。
名乗り出た人はいなかったが、これを機に『虹の橋』はあちこちで見られるようになった。1995年以降、米国著作権局に『虹の橋』というタイトルで、15件の申請があったこともわかった。コウドゥナリス氏は、詩に関係があると思われた25人近くの候補者リストを作成し、1人ずつ調べ、最後に残ったのがエドナ・クライン=リーキーさんだった。
コウドゥナリス氏がクライン=リーキーさんのことを知ったのは、あるオンラインチャットグループで、スコットランドのエドナ・「クライド」という人が、息子の愛犬を亡くして詩を書いたという情報を見つけたからだ。ネットを検索したところ、クライン=リーキーさんが亡き夫と飼っていた犬について本を書いていたことがわかり、リストに加えた。候補者の中でただ一人の女性で、米国人でないのも彼女だけだった。
「最初は、一番可能性が低いと思いましたが、最終的には、もっとも興味をそそる候補者になっていました。そしてもちろん、実際の作者だったのです」
ようやくクライン=リーキーさんに連絡がついたのは、今年1月のことだった。『虹の橋』の作者かどうか聞いたとき、クライン=リーキーさんは「いったいどうしてわかったの!」と驚いた。
クライン=リーキーさんと、最初の愛犬メイジャー。 1959年にメイジャーが死んだときに書いたのが、『虹の橋』だった。 |
翌日もずっと泣き続けていると、心配した母親に声をかけられた。メイジャーがいなくなり、悲しくてしかたがないというと母親は「気持ちを書いてみたらどうかしら」と声をかけた。
その助言に従い、自宅の居間で、まず紙にこう記した。「天国のこちら側は『虹の橋』という場所」。すると、言葉が自然にあふれてきて、表も裏もいっぱいになった。
『虹の橋』 |
※shineing (sic):スペルミスmisspellingだが、原文を尊重してそのままです。
天国の「虹の橋」と呼ばれる場所。人に愛され過ごした動物たちは、旅立つと「虹の橋」にやってきます。そこには草原や丘が広がり、みな走ったり遊んだりしています。食べものや水、日ざしがいっぱいで、温かく、気持ちよく過ごせます。病気や年老いた体も、健康でたくましさを取り戻し、傷ついた体も回復し、天国に行く前の姿のようです。誰もが幸せで満たされていますが、たった一つだけ、足りないものがあります。それは、別れなければならなかった、自分たちにとって特別な恋しい人です。仲間と一緒に走り回り、遊んでいたある日、突然、ある一匹が立ち止まり、遠くを眺めます。目を輝かせて、体を震わせます。仲間のもとを急いで離れて、草原を駆け抜け、飛ぶように走って行きます。そしてついに、あなたはこの特別な友だちと再会します。幸せの中で彼を抱きしめれば、もう二度と離れることはありません。あなたも彼も涙を流し、もう一度頭をなで、もう一度信頼に満ちた目で見つめます。長いこと離れていても、決して心から消えることはありませんでした。そして今、一緒に「虹の橋」を渡っていくのです。「心から言葉が湧き上がってきました。まるでメイジャーに話しかけているようでした。私は感じたままのことを記したのです」
その後、ノートに書き留めた原案はクライン=リーキーさんによってずっとしまわれていたが、ジャック・リーキーさんという男性と結婚し、夫にも詩を見せた。詩を素晴らしいと思ったジャックさんは、出版するようエドナさんに提案したが、彼女は「この詩は愛犬メイジャーと私のプライベートなもの」と、公にすることを望まず、しまいこまれた。ただ、夫の強い勧めがあり、友人と共有できるほどの数のコピーを自身がタイピングして作成した。
クライン=リーキーさんはこの詩を公表するようなことはなかったが、数人の友だちに見せたという。みんな涙を流し、これを持ち帰りたいと言うので写しを渡したが、名前は入れなかったという。
最初に『虹の橋』を紹介したコラム 「アビーおばさんの人生相談」 |
それは圧倒的な反響を呼び、感動したペットの飼い主からの手紙が山ほど届く結果になったという。コラム担当者は、「詩の著者が誰であるか知っている人がいたら教えてほしい」と尋ねたが、誰も知らず、虹の橋は著者が不明として伝えられるようになった。
クライン=リーキーさんは、今もこの詩の手書き原稿を持っている。それを見せてもらったコウドゥナリス氏は、すぐに本物だとわかったと言う。「その後の彼女の話も聞いて確信しました。でもこの詩の持つ力を十分には説明できません」
コウドゥナリス氏は、人から人へと伝わる中で、原作者とのつながりがわからなくなっていき、詩が一人歩きを始めるようになったのだろうと考える。また、言葉遣いの違いから、この詩は考えられているより古いものではないかとも予測していた。
たとえば、あるバージョンでは「手足を失った動物たちはそれを取り戻す」となっていたり、別のバージョンでは「若返る」となっていたりした。「このような微妙な違いがあることから、重要なことがわかりました。それは、この詩がかなり前から出回っていたということです」
クライン=リーキーさんは、医師だった夫とともに、インドやスペインのオリーブ園で過ごしていたことがある。米国や英国などで詩が広まっていたことを知らなかったのも、そのためかもしれない。
今はスコットランドで暮らす82歳の女性エドナ・クライン=リーキーさんと愛犬 |
コウドゥナリス氏が、「信じられますか? 英国中の獣医がこの詩を持っているのですよ!今では『虹の橋』はアメリカ全土で共有されていることを伝えると、エドナさんはとても驚いた様子を見せていたそうだ。
ペットを失って、ペットロスに苦しんでいる人々に、何かアドバイスがあれば教えてほしいと尋ねたところ、このように語った。
「新たにペットを飼ってあげてください。新しいペットとの関係が失ったペットとの関係と同じになることはありませんが、さまざまな方法で同じように特別で愛情深いものになる可能性はあります。あなた自身や愛する他の動物を否定する理由はありません。それに、あなたが見送ったペットは、あなたがペットなしで生きていくことを望んでいないでしょうから。」
コウドゥナリス氏は、『虹の橋』がとりわけ西洋の人々の心を打ち続けるのは、神学的なニーズを満たしているからだと考える。キリスト教徒は、動物には魂がないので、天国に行くことはできないと聞かされて育つことが多いからだ。
「ペットは死後の世界に値しないのではないかという不安を感じている人々にとって、『虹の橋』は心の隙間を埋めてくれるもの、希望を与えてくれるものなのです」
動物愛護団体「ヒューメイン・ソサエティー」のCEO兼代表のキティ・ブロック氏も、『虹の橋』はペットを失って悲しんでいるたくさんの人々の慰めになっていると感じている。
「この詩に根強い人気があることから、ペットとの関係は多くの人にとって重要なものであることがわかります。この確かなつながりこそ、家族の一員でもあり、より広い意味で動物を大切に扱うという根本的な義務を認識する鍵になるのです」
クライン=リーキーさんは、メイジャーやその後に飼ったペットたちの遺灰をいまも大切に保管している。そして、ペットたちとの具体的な再会の計画も立てている。
「私たちは、北海に散骨してもらうことになっています。いっしょにアザラシのエサになるんですよ」
「JKC本部は平成17年5月までの間、東京国税局による通常の税務調査を受けました。その結果、平成12年〜15年度の四ヵ年分につき、これまで本会が税務処理してきた前提となる公益事業と収益事業の区分経理に関し、国税当局と本会間で解釈に相違があったことに起因する事項等について、去る5月27日神田税務署に修正申告し、5月30日に納税したところです。 また、当会については、本日から農林水産省による法人検査が実施されることとなりましたので、その結果を受けて所要の改善策を早急に確立すべく鋭意努力する所存であります。 会員の皆様や関係各位に対して、今回の報道によりご心配をおかけしましたことをお詫びするとともに、今後とも健全なクラブ運営に努める所存ですので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。 2005年6月17日注意していないとわからないが、金額も半分以下になっていてヤミ報酬が悪質なカラ出張などでつくりだされたことなどどこかにいってしまっている。 一般にはわかりにくいだろうが、門外漢でも公表されたものからわかることがいくつかある。 「ジャパンケネルクラブ」は農林水産省所管の社団法人である。社団法人というのは利益を生み出してはならない公益性の高い団体に与えられる。私も県庁の監督を受ける立場の社団法人の責任者を務めたことがあるので厳しいのは知っているが、2、3年に一度県庁から担当の役人が2人ほど監査にやってきて書類をチェックしていった。JKCは神田須田町の交差点角にある9階建てかの大きなビルだ。血統書一枚発行するのにとてもこんな建物は必要ない。金が集まりすぎるので、ビルを建てたり、お手盛り手当てをばらまいたりしているとしか思えない。 新聞記者をしていたときのクセで人の名前をフルネームで覚えていることが多いが、この「理事長 永村武美 」で思い出したことがある。この人は農林省(当時)に入省以来、畜産畑を一筋に歩んだ。2001年、初代の畜産部長に就任したものの、「国内では絶対発生しない」と公言した直後、BSE(牛海綿状脳症)牛が国内で発生したために、2002年1月に事実上の引責辞任をした。 さらに、そのBSE対策で実施した国産牛肉買い上げ事業をめぐる偽装牛肉事件で、全国同和食肉事業協同組合連合会(全同食)が4億2000万円の補助金を不正に受給したなど計約50億4000万円の助成金を不正に得て詐欺と補助金適正化法違反、証拠隠滅教唆の罪に問われた大阪府羽曳野市の大手食肉卸「ハンナン」元会長の浅田満被告(66)=2005年5月27日、大阪地裁で懲役7年(求刑懲役12年)の判決=との関係でも名前があがった人物だ。 いつの間にか牛から犬に乗り換え、出身の農林水産省所管の団体「ジャパンケネルクラブ」に理事長として天下っていたのがわかる。農水省が自分のところの天下り先を監査した結果にどれほどの信憑性があるだろうか。
社団法人ジャパンケネルクラブ
理事長 永村 武美 」 その農水省による法人検査の結果が、7月22日の朝刊に載っている。いわく、
「農水省は7月21日、最近5年間で不適切な支給が総額1億1700万円にのぼるとする検査結果を発表した。 検査結果によると、JKCは平成12年ー16年の5年間で会長、名誉顧問、顧問の3人に計1200万円、非常勤理事と監事(各年度計19人)に7000万円のヤミ報酬を支給。一般職員にも規定外の報酬を計3500万円支払った」とするそっけないもの。
「トランプ」はあの「東京畜犬事件」でやってきた。
「東京畜犬事件」昭和45年「東京畜犬」(資本金6億円)という会社が負債40億円をかかえて倒産した。各家庭を訪問し「犬を飼いながら2年間に4倍の財テクができる」「世界に誇るアフターサービス」と持ちかけ、約10万家庭との間に15万頭の犬の飼育契 約を結び、一時は年商70億円を超えるまでになった。同社の「飼育契約」は契約者が保証金を支払って子犬(メス) を預かって育て、生まれた子犬は会社が1匹について12.5%の飼育料を支払って買い取るほか20匹を出荷すれば保証 金も全額返還されると言うもの。契約犬が病気になった場合は、専属獣医が治療にあたるほか、交配も同社の繁 殖係員が直接行う事になっていた。 東京畜犬の子犬には、ジステンパーワクチンが無料で接種されていたし、さらに、病気になった場合には、東京畜犬の社員である獣医師の無料往診≠ェ受けられた。そればかりか、東京畜犬は「バーガービッツ」というアメリカ製のドッグフードを販売しており、このフードを購入すると、契約飼育の契約者でなくても、東京畜犬の獣医師による診療を、開業獣医師の「協定料金」の2割5分(75%引き)の料金で受けられた。さらに、500円の保険料を支払えば、2割5分の料金だけで終生往診も受けられた。現在でも、この条件なら愛犬家は飛びつくに違いない内容だった。 東京畜犬の事業が拡大するにつれ既存の繁殖業者や販売業者を圧迫するようになり、やがて対立、 仔犬の売買が詐欺商法とされた。読売新聞のキャンペーンもあって、資金繰りが滞り、やがて獣医師法、薬事法違反に問われ昭和45年5月に倒産した。負債総額は40億円に達するといわれ、同社が全国10万人と公称していた契約 飼育者から預かった保証金だけでも20数億円にのぼるとみられていたがこれも回収不能に。 静岡県御殿場市では、数千万円の債権者である東京の某自動車販売会社からの申し立てで、静岡地裁沼津支部に 差し押えられた同社のイヌ139匹が、裁判所の手で競売に付されるという事態になった。 前代未聞の「イヌの競売会」は、5月末どしゃ降りの雨の中行われた。申請から競売まで10日間。異例の早さだが、 10日でエサ代が20万円もかかって裁判所も急いだのだ。
ウイスキー(左)はよく知っているのだが、ラベルをよく見たことはなかった |
「Black & White」
の絵柄は人気があって クリスマスバージョンのポスターやゴルフウェアーもある |
トランプは私の靴の紐をかじっている。いつの間にか、何が何でも連れて帰ってやるぞ、という気持になっていた。セリ値は2万円を超えた。財布には2万円しかなかった。カメラマンにいくら持っているか聞いた。足らなければ運転手にも頼むつもりだった。また手を上げた。2万3000円。この日の最高落札価格だった。原稿にはさすがにそれが私が入れた値段だとは書けなかった。約3時間にわたる競売の結果、売れたのは80匹。売り上げ総額約23万円だった。
取材記者が競売に参加、社のハイヤーに犬を乗せて帰ってきたというので、編集局長はものすごく怒った。誰かが連れ帰らないと餓死する。現に山の中にはまだ数十頭残っていて・・・と説明しても無駄なのは明らかだった。取材先から犬を連れ帰った記者というので有名になった。大学の馬術部時代に世話をした馬が事故死したから、その墓参りに冬休みを利用して札幌に帰ったこともあって、かなり風変わりな男とみなされることになった。その後も編集局で「おい、あの犬どうしている」と声がかかったほどだ。
たくさんの思い出を残したトランプ |
トランプが英語を使う犬だということに気づいたのは、しばらくたってからだった。 「座れ」「伏せ」「おいで」など日本語を並べても、何の反応もなし。犬の知能はこんなものだろう、 そのうち覚えるさ、と思っていたのだが、トランプが掲載されている雑誌に「イギリスのチャンピオン犬。2歳」 とあるのを見て、ひょっとしたら英語で調教を受けているのではないかと考えた。
英語に強かったトランプ |
日本語ではいろんな表現があって犬が混乱するが、英語なら「Come」なら、だいたい1つしかない。その後来た我が家の犬たちがみな英語になったのはそんな意味からだ。
しかし、まもなく私たちに子どもができることになった。動物は離した方がよいと忠告する人がいて、練馬の親戚の医者の家に頼み込んで1か月ほど預かってもらった。やがて大阪の両親が世話を引き受けてくれて、遠路大阪に引き取られた。親戚の医者の家では男の子3人が泣きの涙で送り出した。「あんなかわいい犬はその後も見たことがない」と今でも語り草だ。
トランプと子供たち(大阪・狭山の田んぼで) |
強運の持ち主で、電車にはねられたが奇跡的にレールの間で、しかも、現場のすぐそばが獣医ですぐ手当てを受けられた。迷子にもなったが、見つけた人がトランプを見覚えていてくれて「確かお宅のワンちゃんでは」と連れ帰ってくれて救われた。忠実に朝夕の父の散歩のお供をつとめ、母に「よし!」といわれるまで決して食べ物には手を出さず、「いい子だ、いい子だ」とほめられ続けた。
東京畜犬の雑誌の表紙で紹介された時に2歳と書かれていたことからの推定年齢だが、13歳の時、ちょうど父の死後1週間目に、あとを追うように天国に行った。病名はともに「老衰」だった。御殿場で餓死したかもしれないトランプが天寿をまっとうできたことは、私が新聞記者の役目を逸脱して競売に参加したせいかと、忸怩たるものはあるにせよ、トランプの一生に多少の貢献ができたことをうれしく思っている。それより、こんなに我が家に幸せをもたらしてくれたトランプに感謝することのほうが多いのだが。トランプのことがなかったら、その後また5頭もの犬たちと暮らすこともなかったろう。
2005年8月2日、帝国ホテルの総料理長を務めた村上信夫さんが84歳で亡くなった。テレビの料理番組の 草分け的存在であり、東京オリンピックの選手村で料理長を務め、今をときめくオーナーシェフ、三國清三さんなど 多くの弟子を育てた人とあって、新聞各紙はコラムや追悼記事 をいっせいに掲載した。後日開かれたお別れ会には村上さんゆかりの料理を食べながら1500人もが集まったという。
フランス料理全盛の頃の話だが、帝国ホテルには「フォンテンブロー」、「セゾン」、「プルニエ」、「ラ・ブラスリー」とフレンチが4軒もあった。その中のメインダイニング「フォンテンブロー」で週一回だけ村上さんが腕を振るう日があった。全部村上さんの手作りでもなかろうが、その特別室で数人だけでフルコースをご馳走になる機会に恵まれたことがある。「シャリアピンステーキばかりが名物ではありません」とあの笑顔でいろいろ出されたがメニューは忘れた。その「フォンテンブロー」はフレンチ斜陽で1993年店を閉め、ステーキハウスか何かになった。
思えばあの頃がフランス料理の全盛期で、村上さんはいい時にいたななど、特別な感慨があったのだが、追悼記事の中で、強く惹かれたものがあった。
「晩年は自宅で、愛犬コロに手づくりのすき焼きご飯をふるまっては目を細めていた」(2005年8月5日 読売新聞)
ムッシュ、村上信夫 |
その光景が目に浮かびにんまりした。そして最初に「コロは幸せな犬だなあ」と思った。日本一の料理人の手になる食事を口にする犬などそうそういるものではない。次いで浮かんだことは「料理人として、これが最高の幸せではないか」ということだった。ムッシュー・村上(そう周りから呼ばれていた)は、料理の極意を聞かれると必ず「愛情、工夫、真心」をあげた。また「料理しておいしいと喜んでもらえる。そのときに幸せを感じます」とも。コロに喜んでもらうために、塩分を減らしたすき焼きに工夫をこらしていたのだろう。犬も幸せだが、食べて喜んでもらえる相手にめぐりあえたシェフもまた幸せだ。例え相手が犬でも。
母はドッグフードを信じなかった。父と同じもので塩分を控えたトランプの料理を工夫した。食器に指を 入れて味見までしていた。帝国ホテル級とまではいかないが、ここにもまた料理に「愛情、工夫、真心」を注いだ幸せな人と犬がいた。
この歳をして、トランプと母が恋しくなった。
犬の社会は序列で成り立っている、とはよく知られた動物学の定理である。たいていの場合、喧嘩や力比べやマウンティングに頼らずとも、なんとなく上下関係は一瞬にして決まるものだ。だが、犬から見た場合、一番困るのが赤ん坊との関係だ。まず人間なのか他の動物なのか、わからない。力はどう見てもなさそうなのに、周りの人間が一目置くから、自分との上下関係がはっきりしない。ためしに、舐めて親愛の情を見せようとすると、「汚いわね」とビンタがくる。ますますもって混乱する。
アナスタシアとまだ生まれて半年ほどの孫娘、優妃との関係がそれだった。賢明なエディーは「家族に大事にされている生き 物」を素直に受け入れ、乳母車の傍に座って守る姿勢をとるほど理解していた。アナスタシアはそれを見習っているだけでよかったのだが、いざエディーがいなくなると、自分で序列を確認する必要が出てきた。勝負は一瞬にして決まった。目撃したのは私たち夫婦。ソファーに座って上機嫌で手足をばたばたさせていた赤ん坊にアーチャが鼻を近づけた。生後8ヶ月、力強くなって触るものは何でも握ったり口に入れたりするようになっていた。いきなり鼻面をにぎにぎされた。アナスタシアはあわてて逃げようとしたが、優妃の手には引き抜かれたアーチャのヒゲが2、3本しっかり握られていた。
痛みとともにしっかり序列を認識したあとはそれなりの敬意を払うようになったのだ。「序列は家族の一番最後」という 犬の安住の地位を得てから、安寧が保たれるようになった。こうして犬と人間の社会が形成されていくのだと、にわか動物生態学に目覚めたおやじもまた、ボスとして一族の繁栄のために一肌脱ごうと目覚めたのだった。
アーチャ4歳の勇姿 |
優妃も初参加 |
少し前になるが9月11日の郵政民営化解散の総選挙で大量の小泉チルドレンが誕生した。その一人、ショッキングピンクのスーツでマスコミをにぎわしている井脇ノブ子新議員はママの何十年来の友人だ。だけど、出馬しているのも知らなかった。「苦節10年・・・」と涙を流している画面を見て「そんなもんじゃないわ。30年はたっている」とチャチャを入れている。青年の船で同室だったそうだが、20代のそのときから政治を志していたそうだ。そればかりではない、鳩山由紀夫・民主党元代表夫人と小杉隆・元文部科学大臣夫人とは関西の学校での同級生で選挙になるとよく声がかかる。
お多福風邪のアーチャ。 いやケーキのリボンで イタズラされたところ |
私のほうはアーチャの誕生日に新聞を見ていてひとつの記事に感動した。あのソ連からの引き揚げ船「興安丸」がナホトカを出港したとき1頭の黒い犬が氷伝いに引揚者の後を追ったという。収容所で皆が乏しい食料から分け与えて飼っていた「クロ」だ。氷の割れ目から海に落ちた。日本兵の間から悲鳴が起きた。それをみて「興安丸」船長は船を停めてボートを出した。デッキに上がった「クロ」はぶるぶると氷を振り払うと駆け寄った。引揚者が男泣きしたという。
読売新聞の戦後60年企画「シベリア抑留」の「心支えた捨て犬クロ」(2005年9月25日付)にある一節だ。記事にある写真を見るとアーチャと同じく真っ黒な塊(かたまり)にしか写っていない。なんだか親近感が湧いてスクラップした。(ニュースサイトの記事はやがてサーバーから削除されるので、リンク先にあるのは概略を保存したもの)。興安丸を取材した先輩記者の話は「ブン屋の戯れ言」で書いたが、60年たってまだこういう話が出てくることにも感銘を受けた。
発端は2006年正月放送されたフジテレビ系列の「トリビアの泉」だ。「最強の国民ランキングSP! "雑種犬どっきり検証飼い主を救出できるか" 飼い主が散歩中倒れたときに、適切な行動をとれるイヌは100匹中何匹?」という長ったらしくもすごいタイトルだった。私はバラエティー番組は嫌いだが、日本テレビの「笑点」と動物ものと自然記録番組は見る。たまたま私もこの場面は見たのだが、惨憺たる結果に大笑いした。
倒れて苦しんでいるご主人を放り出して、ここぞとばかり海で遊んだ犬、のびのびとウンチをしてしまう犬、さっさと家に帰ってエサを 食べていた奴や、はては飼い主の背中におしっこをひっかけて平然としているのもいた。
家まで助けを求めに行った犬は「100匹中ゼロ」だったが、一生懸命顔をなめたり、飼い主の背中の上にすわってじーっとしていた犬もいた。最後に災害救助犬として訓練されているラブラドールが出てきて、飼い主が倒れたら耳元で大声で吠え、そのあと家に向かっ て走って帰り、家の人を現場まで引っ張ってくる模範演技を披露していて、感心したものだ。
「trivia」とは「雑学・些末な」という意味だそうだ。人生に全く必要のないムダな知識…だけど明日人に教えたくなるような雑学・知識 紹介を旨としている。5人のパネラーが各自「20へぇ」を持ち、品評して、トリビアに感銘を受けるとボタンを押すごとに「へぇ、へぇ、へぇ」とポイントが 上がる。
私は、人生には無駄が必要だと思っている。考えてみても八ケ岳での生活など無駄のかたまりだ。野鳥の名前、ウソという鳥の雌雄 の見分け方、雪原でのウサギとキツネの足跡の違い、ヤマネとヒメネズミの識別、野草の分類名、薪ストーブの燃やし方・・・無駄な知識だらけだ。でもそれが楽しいのだから、無駄は大いに必要だと思っている。「トリビアの泉」を見て面白がって、そうかイヌに過大な期待をしても無駄なのだ、期待しないほうがいいのだ、と素直に納得してスイッチを切る。これが私はじめ普通の人の対応だ。
ママの反応は違った。我が家のフラットコーテッドレトリバー犬「アナスタシア」(愛称アーチャ)で独自の実験を試みたという。突然ゴロンと倒れた家内をみたアーチャは大いに狼狽した。ブルゾンの間からむりむり首を突っ込んで顔を舐めたり、わきの下を突っついたりした後、飼い主の周りを一周し、ついには体に寄り添って守るように一緒に並んで寝た。「家に逃げ帰ったりしなかった。ずっと心配そうに顔を寄せていた。アーチャは名犬だ」というのが家内の結論だ。
エディーだったらどんな反応だったろう |
アナスタシアが評価を上げるのに異論をはさむものではない。しかし「グレースがやってきた」のくだりで「ソロモンの指輪」を紹介したが、動物行動学の泰斗にしてノーベル賞受賞者のコンラート・ローレンツのするどい実験態度に比して、彼女の観察内容と結論の間にいささか飛躍があるような気がしないでもない。どだいテレビに出てきた雑種犬のなかにも飼い主のそばを離れなかったのがいた記憶があるのだが、せっかくの機会だからアナスタシアの足を引っ張るようなことはよそう。
この実験結果を聞いたとき、私と次女の感想は、そこまでやるか!というものだった。ややあって、その場に居合わせなくてよかったと胸をなでおろした。居合わせたとしても、他人を装って知らんぷりして通り過ぎたかもしれない。
番組では飼い主がぶっ倒れる場所は海岸とか野っぱらとか、それなりに人けのないところを選んでいた。まあ常識の範囲内だ。しかるにママの実験は東京23区のど真ん中、世田谷区の公道で真昼間に行われたという。親切な人が通りかかって救急車を呼んだりしたらと思うと冷や汗が出る。
常識というものに関しては、もともと我が家の娘2人ともママには大した期待は持っていない。これまでの人生でも数々の手ひどい仕打ちを受けてきたからだ。いまだに語り草で、嫁に行った長女がいるとこの話題だけで何時間でも盛り上がるほどたっぷり材料がある。
娘が小学生低学年の時「ハムは豚のお尻を切り取ったものよ。泥を塗っとけばまた生えてくる」と教えた。クラスメートに吹聴してひとしきり感心させたが、翌日娘は手ひどいいじめにあった。何ゆえそんな虚偽の情報を流すのか理解に苦しむ。小学校で全校避難訓練があった。低学年は親が迎えに行くのだが、忘れられて校庭に一人残され、最後に先生に連れられて帰ってきた。2人の娘が長じてからも、ビデオにとったミステリーをいざ見ようとすると「犯人は××なのよね」とつぶやくのだそうだ。下の娘などブチ切れて部屋にこもったほどだ。
極め付きは当時住んでいた新宿区・落合のマンションでガス爆発が発生した時だ。ガス会社の工事ミスで、ガス漏れに気づかずタバコを一服した男性が部屋ごと吹き飛んで重傷を負い、何部屋か燃えた。テレビでも新聞でも大きなニュースになった事故なのだが、八ケ岳でゴールデンレトリーバー犬のエディーと過ごしていた私には、家内から何の報告もなかった。亭主はニュースを生業(なりわい)としているのにだ。夜も続いていた警察の現場検証のさなかに帰ってきて仰天した。自分の新聞社に電話してけが人の負傷程度や事故原因を知った。当直の記者は、そんなこと現場にいてわかりませんかね、といったニュアンスだった。
そのときの彼女の行動はすばやかった、という。現場に居合わせなかったからすべて伝聞だ。ドーンと建物が大揺れするや、7階からいち早く脱出をはかった。玄関には日ごろから食料と水が入ったリュックが置かれていた。地震などの非常時に備えていかにも用意周到に見えるが、この中身はドッグフードばかりで人間の分は入っていない。人間は何とか食べるくらいの知恵があるが犬はそうではないという理由からだ。エディーが山に行っていて無事なのを知っているせいだろう、非常用リュックは放り出していった。
早朝の出来事とあって、パジャマを着替えるのに手間取っている娘たちには「早くしなさいよ」とだけ言い残してさっさと自分一人で脱出した。逃げ遅れて煤(すす)だらけになった娘たちが命からがら避難さきの公園にたどり着いたら、ママは親切な近所の人たちに介抱されながらジュースを片手に差し入れの弁当を一人で食べていた・・・etc
今でも、親が助かって子供が焼け死んだという痛ましい火事のニュースを見ると、我が家のようなケースではなかったのかと気にかかる。
余談だが、これ以降彼女は弁当大好き人間と化した。料理をしなくていいというのが最大の理由だ。新潟大地震の被災者が弁当を支給されているテレビニュースなどを見ると「いいな、いいな」と不謹慎にもうらやましがる。亭主が属するFCG(フジサンケイ)グループはいくつかのマラソンを主催している。このとき弁当やロゴ入りTシャツやブルゾンが関係者に支給されるので提供すると大喜びする。娘婿はTBSにいて、この局は元日に「 ニューイヤー駅伝」(全日本実業団駅伝)を主催しているので毎年応援にかり出されている。群馬県内を走るから高崎の「だるま弁当」が配給される。地元への貢献策だから決して「カニ弁当」などにはならないことはわかる。「峠の釜飯」もどこかで買い上げているのだろうか、など、同業者として深読みしたりする。進んで食べたいほどではないしママの弁当好きを知っているから、翌日これを持って親子3人で八ケ岳に上がってくる。
正月2、3の両日これを食べながら今度は日本テレビの「箱根駅伝」(東京箱根間往復大学駅伝競走)に熱中するのを何よりの楽しみとしている。中継点では繰り上げスタートとかがあって遅れたチームは例えそこまで選手が来ていても無理やりスタートさせられる。「たすきが切れた。かわいそうじゃないの。少しぐらい待ってやる度量がないの!」と主催者に毒づいている。うちの主催でなくてよかった思わせられる。
実情を知るものとして解説すれば、あれは主催者の事情ではなく、警察の事情から繰り上げる。選手が走ってくる直前から道路は通行止めにしている。いつまでもクルマを止めていると渋滞がひどくなる。せいぜい10分にしてくれ、という要請からだ。先頭に早いのがいると後ろでは思わぬときにちょん切られる。ちょん切られて泣くくらいなら普段からもっと早く走れ、といいたいが、言うと家内に叱られるから黙っている。
元日の実業団駅伝を見て、どこの大学の何とかという選手はかつて箱根で何区を走ったが、今度どこそこの企業に就職したんだわとか、この子は去年5区の登りで何人抜きをしたとか、テレビ局を縦断する豊富なトリビアの知識で解説してくれる。ちんぷんかんぷんだ。 私などは同じ駅伝をみてもまったく違う見方をする。長くなるので「駅伝からみた上州戦争の怨念とナベツネの人物像」を別項にまとめたので興味がある人はそちらを見ていただきたい。トリビアはそれくらいにして、ママの駅伝の話に戻るが、箱根宮ノ下温泉の富士屋ホテルに泊まって、シェフの手になる料理を食べて、正月2日にホテルの前を通る5区の登りを応援して、翌日は同じように6区の下りを応援するというのが彼女の目下の夢だ。「誰かアゴアシつきで招待してくれないかなあ」とつぶやくのを常としている。誰かと言われたって周りには娘夫婦と赤ん坊、アーチャと私しかいない。みなそっぽを向いている。
彼女は常識というものに対して、どうも独自の尺度を持っているようなのだ。新聞記者の家庭だから、世の中虚実ない交ぜの情報が氾濫していることはよくわかっている。加えて日本人の品格が昔に比べて格段に落ちている。遠くを見つめているような男は特に少なくなった。だから、情報についても男についても、自分で判断する力をつけることが大切だと娘たちに教えているというのなら見上げたものだ。しかし、単なる意地悪ばあさん風としかみえない言動も多い。ビデオの一件などどうみてもそうだ。
突拍子もない行動は今に始まったことではないとはいうものの、いざ出くわすと家族みなタジタジとなるのだ。今回もその延長線上にあり世間の人ほどには驚かない訓練はできている。いやはややるもんだと感心し、ややあって、人生には確かに「無駄」は必要だが「無謀」はほどほどにすべきだと、正月早々、教訓を得た次第だった。名犬に格上げされたアーチャは、その後ママの膝に上がることを許されネコのように丸くなって寝ている。
アーチャと出かけた平沢峠から八ケ岳の素晴らしい眺望を見た(06年6月4日) |
アナスタシアと優妃。5歳 Vs 1歳8か月の争い。 |
毎年来ることだが、2006年9月25日でアナスタシアは5歳になった。いつもの通り立派なケーキと家族全員の歌で祝った。
変わった点といえば、1歳8か月になって歩けるようになった孫娘の優妃が祝宴に同席したことだ。といっても、この二人はライバル関係にあり、ものを取り合ったり、おこぼれを頂戴しようと待ち構えるアーチャに「Шд#ЛЮй★ф!」(聞き取り不能)と叫んで鼻面つかんで排除したりして、どこかの近隣諸国と同じく緊張した友好関係を保っている。判読できる言葉は「アンパンマン!」だけだから、分かりやすいといえば分かりやすい。
次女に「高いケーキだよ」といい聞かせられているが、もらえるのはアーチャが「おたんじょうびおめでとう」と書かれたビスケットか何かの看板部分、優妃はイチゴ部分だけ。世の中にはもっとおいしくて、甘いものがあるのも知らされずに互いにはしゃいでいる。人間として、あるいは犬として見るとかなり幸せな部類に入っているのは間違いない。
しかし、世の中はひどいニュースにあふれている。同じ25日だが、
女性を暴力で軟禁「怖くて通報できず」 札幌虐待死1か月もしないうち同じような虐待死のニュースだ。
札幌市で同居女性の4歳と3歳の女児に「しつけ」と称して殴る蹴るの暴行を加えて、死なせ、段ボール箱に入れていたとして死体遺棄の疑いで逮捕された(後日、殺人で)無職、稲見淳容疑者(29)は、同居していた今野望美さん(24)=後日、幇助で逮捕=に暴力を振るい軟禁状態にしていたことが25日、南署の調べで分かった。今野さんは姉妹が死亡した後も「怖くて通報できなかった」と話しており、南署は稲見容疑者が事件を通報させないように監視していたとみて調べている。稲見容疑者は「(子供が)うそをついたり、食べこぼしたり、うるさかったりしたので腹が立って殴った」と話しており、日常的に子供に暴行していたとみられる。一方、遺体で見つかった長女、星菜ちゃん(4)と二女、陽菜ちゃん(3)は裸で、手足を粘着テープで縛られた状態で保冷剤とともに段ボール箱に入れられていた。遺体はバスタオルでくるまれ、密閉できる大きなポリ袋に入っていた。段ボール箱も粘着テープで目張りしていたという。【2006/09/26 朝刊各紙】
京都で3歳児死亡、体重半分の7キロ、虐待で父親と内妻逮捕
22日午前10時55分ごろ、京都府長岡京市西の京、運送業佐々木貴正容疑者(28)の内縁の妻、西村知子容疑者(39)から「子どもがぐったりして動かない」と119番通報があった。救急隊員が駆けつけ、佐々木容疑者の長男、拓夢(たくむ)ちゃん(3)を病院に運んだが、死亡を確認した。拓夢ちゃんは標準体重の半分ほどの約7キロしかなく、司法解剖の結果、低栄養状態による餓死だったことなどから、京都府警向日町署は、2人を保護責任者遺棄致死容疑で逮捕した。
調べでは、両容疑者は拓夢ちゃんに十分な食事をさせず死亡させた疑い。死亡推定時刻は21日午後9時ごろ。顔に殴られたような複数のあざもあった。西村容疑者は「3歳にもなっておむつがとれず、9月中ごろから、しつけのつもりで殴ったり、食事を抜いたりしていた」と供述。佐々木容疑者も「西村容疑者に『死んでしまう』と注意したが、聞いてもらえなかった」と供述している。
西村容疑者は9月21〜28日の間、ほとんど食事をさせず、その後も、4、5日に1度、コーンフレークを食べさせるだけで、拓夢ちゃんは衰弱して歩けなかったという。
拓夢ちゃんは、佐々木容疑者、長女(6)、2年半前から同居を始めた西村容疑者の4人暮らし。長女は3月、夜中に自宅近くを歩いているのを保護された。顔や腰にあざがあり、同署が府児童相談所に知らせた。長女が「殴られたり、押し入れに閉じこめられたりした」と話したため、同相談所は虐待の可能性が高いと判断したが、拓夢ちゃんについては調査せず、10月にも情報が寄せられたが、対応しなかった。長女は現在、大阪府内の施設に保護されている。【2006年10月23日 読売新聞】
札幌の男と京都の女には心底腹が立った。いや憤怒といっていい。人間のすることではない。少し前には食事も与えず子どもを餓死させた事件が立て続けにあったばかりだ。また、幼女に性的暴行を加えて殺した奈良の男には9月26日死刑の判決があった。こういう人間には、やったことと同じことをして懲役なり死刑にすべきではないか。
猛獣に限らずどんな動物でも同じ種のこどもには手を出さないばかりか可愛がる。自然の摂理だ。私は、子別れを控えて離れた馬房に仔馬を持っていかれた母馬が、脚が折れる、と思ったほど扉を蹴破ろうとする姿に涙が出た覚えがある。野鳥は巣に近づいたキツネなどの前で傷ついた真似をする擬態行動をとる。
同じ動物で、どうしてこういう人間が出てきたのだろうか。社会心理学者のコメントは要領を得ないが、私はこういう異常性格者はイヌなりネコなりウサギなりの小動物を飼ったことがないのだろうと思う。神戸で幼児を殺害して首を校門に晒した「酒鬼薔薇聖斗」は動物虐待の性癖があった。動物と接した事がない者と凶悪犯罪の関係について調べた統計は警察庁にはないだろうが、関連するように思うのだ。
昔のことだが大阪堺市など泉州をまわっていたころ書いた記事を思い出した。東西の社会面のトップ記事になり部長賞を出すという話だったが忘れられた(新聞社ではよくある)。
堺市の郊外にある団地の小学校は農家の子ども、町から越してきた子どもが半々くらいだった。校庭の一角にある池のコイとかフナが石で殺される事件が続いた。先生が調べると自分のクラスの生徒だった。石を投げる子どもは皆町の子で「お魚は痛くないんだよ」とすましていた。焼き魚しか見たことがなかったからだ。それとは違って田んぼの中で遊んでいる子どもは、魚に給食を残したエサを分け与えていた。
そんな記事だった。「命(いのち)」と接し、それが死ぬ時涙を流したことがある子どもは決していじめないものだ。そういう時期に動物や人間に殺伐とした接し方をすると人の痛みが分からない人間になるのではないか。私の推論だが。
そう書いてから10月に入って札幌の幼児虐待男の続報を見たら、この男は、具合が悪くなった飼い犬を動物病院へ連れて行っていたという。2幼女が虐待で衰弱している時にだ。ますます理解に苦しむ。この男がいったいどういう育ち方をしたのかくわしく調べて分析してもらいたいものだ
これと同じ頃に小さな記事を見つけた。
愛犬のリード挟んだままエレベーター上昇…指4本切断
26日午前8時50分ごろ、東京都品川区東五反田5丁目の10階建て雑居ビル8階で、女性(95)が連れていた柴イヌがエレベーターの外に飛び出した直後にドアが閉まり、つないでいた散歩ひも(リード)が挟まったままエレベーターが上昇したため、ひもを巻き付けていた女性の指4本が切断された。警視庁大崎署によると、ひもは麻製で長さ約4.6メートル。指に何重にも巻き付けていたため、エレベーターの上昇で力がかかったとみられる。エレベーターは9階より約1メートル上で停止した。犬は8階フロア側のドア上部に首輪がひっかかって宙づりになっていたが、8階で降りた男性が首輪を外して助け、無事だった。女性は散歩を終えて10階の自宅に戻る途中だったという。(09/26 産経新聞都内版)
とんでもないイヌだ。飼い主に大けが負わせたのだから処分してしまえ、と思う人が居るかもしれない。
でもこういう人もいるはずだ。「お年よりはかわいそうだが、指4本ですんでまだよかった。柴イヌも近くに助けてくれる人がいて、首吊りから免れてよかったね。このあと互いに幸運を喜んことだろう」。
動物と接するということは、そういうことなのではないか。私は後者のようでありたい。このごろ少し太めのアーチャの5歳の誕生日に思ったことだった。
優妃のセリフは「アンパンマン」だけ。 |
5歳祝賀ケーキ |
八ケ岳で襟巻き状態でくつろぐアナスタシア |
アナスタシアはちょっと変わった犬だ。この写真、黒い犬が黒い背景にいて、よく見ないと分からないかもしれないが、八ケ岳の山小舎で2007年の箱根駅伝に熱中する家内に襟巻き状に垂れ下がったアナスタシアだ。
こうなるまでの経過はこうだ。一人掛け安楽椅子には本来家族が座っている。このときも、家内が座っていた。テレビ観戦の合間にちょっと席を立った隙にすかさずアーチャが椅子を一人占めした。我が家では犬の権利も認められているので、仕方がないから、家内は一段下がってカーペットに座ってテレビを見る。ごらんの高さなのをいいことに上からしだれかかって、最初は家内の肩にアゴを乗せる。だんだんずり落ちてきてついにはこういう襟巻き状態になる。
キツネの襟巻きは聞いたことがあるが、犬の襟巻きは寡聞にして知らない。本物のキツネがほんの近くをうろついているのだが、ほとんど興味を示さない。本場イギリスではすぐれた猟犬とされる華麗な血統なのだがその面影はない。もっとすごいのは家内の膝の上に乗って猫のように丸くなることだ。初めて見た人は目を丸くする。大型犬だからどんなにしても膝からはみ出る。ずり落ちまいとして爪を立てる。時折家内の悲鳴が聞こえる。
自分は人間だと思っているのだろうーーというのが家族の結論だ。防御本能などかなぐり捨てて両手両足宙に向けて、寝息ならいいが、いびき、それもかなり大きくて隣の部屋でも聞こえるくらいなのだが、ゴウゴウとやっている。己が大音量に驚いて目を覚まし、キョトキョト周りを見回している。散歩で猫と出くわすと、猟犬なのだから本能で飛び掛かるくらいのことをやってもよさそうなものだが、恐縮して低い姿勢で臭いを嗅ぎにかかり、背中を丸めて総毛だった相手が威嚇するとさっさと戻ってくる。
写真のような格好を見せる相手は家内だけである。甘えきっている。「アーチャはなにも芸当などしなくていいのよ。ただ生きているだけでいいんだから」というのが家内の教育方針だから、日がな一日のうのうと暮らしている。椅子を独り占めする権利、満ち足りた食事をする権利、人間誰でも頭を撫でてくれるものと疑わない態度。アーチャを見ていると、なんだか権利ばかり教えてきた戦後日本の教育の荒廃と隣国はみな善意の人たちということを前提にしている我が国の安全保障の危うさといったものと、なにか一脈相通じるものがあるなあ、と散歩の時しか相手にされない親父は嘆息するのである。
夢見る犬 |
アーチャ(アナスタシア)の誕生日は9月25日である。毎年この頃になるとノーベル賞の受賞者がつぎつぎと発表される。 物理、化学に続いて2007年はゴア前米副大統領が 平和賞を受賞した。別に異論はないが「ブン屋のたわ言」で「ノーベル平和賞と文学賞はいらない」という一文を 書いているのでここでは触れない。しかし私は、「ノーベル賞に匹敵するのではないか」という大発見をして興奮した。
いびき、犬掻き、寝言、よだれ・・・夢見るアーチャ |
アーチャが私の横でいびきをかきながら爆睡していた。突然四つ足を前後に激しく動かし始めた。犬に多いというテンカンの発作 を起こしたかと心配したが、そうではないようだ。足の動きからは宙を飛んでいるつもりらしい。次いで激しく尻尾も振り始めた。 横になっているからばたばたと 床を打って大きな音を立てている。寝言も言い出した。犬の鳴き声は日本語では「ワンワン」だが英語では「BOWWOW」だ。 本人は日本で育っているからワンワンと言っているのだろうが、口を閉ざしているからくぐもって英語の「BOWWOW」に近い。 よだれも出している。
「犬も夢を見るのだ!」という大発見をした瞬間である。アーチャのよだれを見るとステーキにでもありついた夢なのだろう。 コンラート・ローレンツ(Konrad Lorenz)は、刷り込みの発見者で、近代動物行動学を確立してノーベル賞を受賞 した。その名著「ソロモンの指輪」のことはこのホームページの「グレースがやってきた」でもふれた。
「夢を見るのは人間だけである」とはよく言われることだ。だとすると、「犬も夢を見る」という発見は刷り込み理論に匹敵する ものではないだろうか。でもノーベル賞ともなると 「犬も夢を見る」とたった一行の論文ではまずいだろう。ここは一番どこかの獣医学者と一緒にREM睡眠とnon-REM睡眠の 関係や脳波をとって証明しなければならない。REM睡眠というのは「Rapid Eye Movement(目がぴくぴく動く浅い眠り) だから、アーチャの眠りの深さも問題になる。学問的に証明するための手立てをどうするか悩むところだ。
まずはほかの動物はどうなのか、ネットで調べてみた。犬、夢、寝言などと検索窓に打ち込むとたちどころに何十とサイトが 現れた。なんと「うちの犬は夢見ていますよ! 毎晩、寝言がひどいです。 ウワンワンワーン、 ワオンと、起きているときよりも小さな声でこもった感じの寝言です」といった書き込みが氾濫しているではないか。ほかの家庭でも 「夢見る犬」はごく普通の現象らしい。犬より猫の方がよく夢を見る、という記述にも出くわした。イヌ・ネコ・ウシ・ウマなど、ほとんどのほ乳類 は夢を見るんだとか。
「夢を見るのは人間だけである」というときの「夢」は理想や目標を掲げて突き進む時の前途に対する夢、という意味の ようなのだ。私のノーベル賞の夢ははかなく消えた。
ステーキを前に大いにいぶかるアナスタシア |
今年はステーキのプレゼント |
アナスタシアは2007年9月25日、6歳になった。エディーが亡くなってからママは、自分の加齢は平気なのに、犬が歳をとることに恐怖感を抱くようになり、「もうすぐ ×歳」と思ううちに、ダブルカウントして「8歳」になると思い込んでいたから「2歳も若返った」と大喜びしてアーチャを抱きしめた。なんだか不思議な発想方法で犬もびっくりだろう。
次女は毎年ブランド菓子店のバースデーケーキをプレゼントしてきたが、大半は人間が食べて当の「本人」は小さなカケラしかもらえないという理不尽を気の毒に思ったか、今年はビフテキにする と宣言した。ケーキの小麦粉や蜂蜜と違い中国から牛肉が輸入されているとは聞いてないから、この際「チャイナフリー」 の牛肉の方が安心だ。
私は近ごろ家人から「アーチャの執事」と呼ばれている。 朝夕の専任散歩担当という地位に別に不満はない。何百人の部下を持つよりひとつの命と向き合う方が重みがあると思っている。 かくて当日の撮影は「アーチャの執事」が担当した。
写真でアーチャがステーキを前に考え込んでいるのは、そうした人間側の勝手な思い入れに当惑したせいだろう。当人はこのあと ペロリと平らげ舌なめずりをした。アーチャの夢が正夢になった瞬間である。犬も夢を見るのである。
ビクターのマーク |
身びいきを差し引いて、公平に見たところでは、我が家のアナスタシア(アーチャ)は名前もいいが、顔かたちが他の犬より断然いい、わけても愛らしいのはその独特 のしぐさだ。
このクセがいい |
私は「ビクターのマークそっくりだ」と思った。私は率先してビクターのファンと言う訳ではないが、レコードや家電で二者択一の場面では迷わず犬のマークを取るほ うだ。
ビクターマークのいわれを知らない人に説明すると、こうだ。
この絵は、1889年にイギリスの画家フランシス・バラウドによって画かれた。フランシスの兄マーク・H・バラウドは「ニッパー」という非常に賢いフォックス・テ リアをかわいがっていたが、彼が亡くなったため、フランシスは兄の息子とともにニッパーも引き取って育てていた。
あるとき家にあった蓄音器で、以前録音された兄の声を再生していたところ、ニッパーはラッパ型蓄音機の前でけげんそうに耳を傾けて、なつかしい主人の声に聞き 入った。
その姿に心を打たれたフランシスは早速筆をとって一枚の絵を描き上げて、「His Master's Voice」とタイトルをつけた。この絵を見た円盤式蓄音器の発明者であり、「VICTOR」の創業者 であるベルリナーは感動して、1900年にこの画をそのまま商標登録した。以来ニッパーは100年以上も店先や製品でビクター商品の象徴として首を傾けてきた。
最初の絵の蓄音器は録音・再生ができるシリンダー式だったそうだが、その後ビクターの円盤式に描きなおされるなど、時代に合わせて少しずつ変えて24枚の複製 画があり、フランシスが描いた最初の絵の原画は現在、大英博物館にが保存され、それには、塗り潰す前の蓄音機がくっきりと浮かび上がって見えるということだ。
世界中に知られたニッパ−は、死後、愛用していた毛布に包まれて、フランシスが使用していたスタジオの庭に埋められたともテムズ湖畔の桑の木の下に葬られ たともいわれている。
VICTORの日本法人は「日本ビクター」だが、2008年、薄型テレビ開発競争に敗れ家庭用テレビ事業から撤退するという。日本ビクターは1926年、わが国で初めて電子信 号を送り、離れたブラウン管に、「イ」の文字を映し出し「テレビの父」と呼ばれる高柳健次郎を迎えいれた会社だ。
以来、技術力を誇り、家庭用ビデオの「VHS」と「β(ベータ)」の戦いでは、絶対の自信を持っていたソニー陣営を打ち負かし、ソフト戦略がいかに大事か知らし めたところ。私は、まだ勝敗がついてないときにニューヨークで、裏ビデオを売るインド人店員が「ビータだよ(βのこと)、ビータだよ」と大声を上げながら 「VHS」を売っている現場を見て、これは勝負あったと実感、市場の勝敗は決している、と記事にしたことがある。
ニッパーの「ほのぼの力」だけではもはや時代の流れに太刀打ちできない。技術力、ソフト戦略に加えコスト削減でしのぎを削る現代の経済戦争をみて絵の中の 「His Master's Voice」はどう思っていることか。
渋谷駅頭のハチ公 |
生前のハチ公 |
東京帝国大学農学部教授・上野英三郎博士亡き後も毎日渋谷駅頭に出迎えに行ったハチ公は牡の秋田犬で大正12年生まれだという。アナスタシアは牝で平成12年生 まれ、はじめから両耳が垂れているが、向こうは他の犬に咬みつかれて左耳だけ垂れたという違いがある。
ハチ公は改札口まで迎えに出たが、アナスタシアはこれ以上擦り寄ることができない距離、ママのひざの上まで這い登って親愛の情を示す。誕生日でもなく、いいこ とがあったわけでもないのだが、2008年4月、ただ「桜が咲いた」という理由で、次女からステーキのプレゼントを受けた。我が家の親父の「人徳」はないが、ア ーチャの「犬徳」はニッパーを超え、ハチ公を凌ぎ、あまねく光っている。
さしたる理由はなけれども、2008年4月、サクラが咲いた というのでステーキにありついたアーチャ。 |
仔犬のアーチャ神宮外苑デビュー(2001年秋) |
今、この項を書いているのは2009年2月だが、オン年7歳、悠々と独身生活を送っていて、他人を疑うこと知らない性格はそのままにマッチー(4歳の孫 娘が家内を呼ぶときの愛称)のひざの上に登って大きな体を器用に丸めてうとうとするのを何よりの楽しみとしている。
家族のパソコンのデスクトップの画像は次女「エディーの顔の巨大アップ」、マッチー「牧草地のエディーとアーチャ」、亭主「銀杏並木のアーチャ」 とみんなそれぞれに思い入れがあるイヌたちのスナップだ。他人が見たら、なんという家族かとあきれ返るのが必定だが、我が家ではなんの不思議で もない。
お宅にはそれ以外にもたくさんのワンちゃんがいたはずだが・・・という人もいることだろう。そう、リズ、ティアラ、グレースなど「虹の橋」のたも とで待っている、犬たちのことは夢寐(むび)にも忘れない。アナスタシアの元気な姿から、彼ら彼女らと過ごした素晴らしい日々がダブって浮かんで くるのだ。
そんなわけで銀杏や桜の並木道や牧草の中などにたたずむ毎年のアナスタシアを紹介する。
2007年11月11日、 神宮外苑の銀杏並木 |
2008年4月4日、 下北沢緑道で桜吹雪の中 |
2008年12月4日、 銀杏散り敷くセラン前 |
2009年4月5日、 下北沢緑道の桜が満開 |
2009年9月14日、 八ヶ岳・海の口自然郷落葉松の並木 |
2009年11月26日、 今年も神宮外苑のイチョウ並木で |
2010年4月4日、 桜満開の千鳥ヶ淵・英国大使館前 |
2010年9月10日、 八ケ岳の牧草地の中で |
2010年12月2日、 夏の猛暑で黄葉が遅れたがいつもの神宮外苑 |
2011年4月12日、 桜散り急ぐ下北沢の緑道で 東日本大震災から1か月です |
2011年9月18日、 標高1800メートルの富士見地区を 散歩の途中で、赤岳をバックに |
2011年12月13日、 今年は遅くなって黄葉もまばらな 神宮外苑でいつもの舌出しポーズで |
2012年4月10日、 桜散りはじめた下北沢の緑道で 主ともども元気です。 |
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今が盛りの神宮外苑の銀杏並木で2009年11月26日に記念写真を撮った(上に当日の並木のスナップ)ばかりの我が家のフラットコーテッドリトリーバー犬「アナスタシア」(アーチャ)に突然の変調。翌日の27日朝から一切の食事を摂らなくなったのだ。
犬にとっては食べなくなることは「死」を意味する。エディーでもティアラでもグレースでもそれを体験している我が家は震えあがった。寝ていてもあえぐような荒い息遣いで小用のため外に出てもヨロヨロとしている。癌で死んだティアラの症状と似ていて、私にはそのときと同じく癌が全身にまわっているように思えた。
30日、月曜の朝にはいよいよ症状悪く、最悪の状態に見え、絶望した。私のベッドのそばで寝ているので「8年間ありがとう」と撫でながら人知れず涙を流した。娘は会社を休み、家内はおろおろと涙を流すにおよび、私はついに電話機をとった。掛けた先は大学時代の北大馬術部の先輩、加藤元さんのところ。獣医学部で冒険家、三浦雄一郎とクラスが一緒だったという氏は都内はじめ全国でダクタリ動物病院のチェーン組織をもっている。「小鳥から象まで診る日本一の獣医」との呼び声がある。
同じ馬術部OBといっても7つ違いなのでポプラ並木そばの馬場で同じ馬に乗ったことはないが、在京OB会で顔をあわすことが多く、上の項「トランプの思い出」で書いたが、東京畜犬事件で御殿場に取材に赴いたとき、犬の状態を聞かせてもらうべく獣医として現場まで同道してもらった。つまりトランプが我が家に来たときからだからかれこれ30数年以上の付き合いになる。
ホテルにこもって徹夜で原稿を書いていたそうで「元さんに診てもらってダメだったらあきらめもつくので」という説明を聞くと、月曜は休診日なのに「よし、午後4時に来てくれ」といってくれた。
広尾にある「ダクタリ動物病院 エンジェルメモリアル広尾セントラルホスピタル 」を家内とアーチャの3人で訪ねた。クルマを降りたとたんにおしっこをしたのを見て、看護士に命じて路上からスポイトで採集させた。
血尿が少し出ていることを確認し、次に全身を触ってみて乳腺もチェック、てきぱきとした診察が始まった。数分で早くも「なんや、電話では安楽死も考えていたが、生死に関わることはないな。今から検査して数字とレントゲンを見るが、たぶん子宮蓄膿症だろう」とのこと。
検査結果が出るまで応接室で自然と動物、環境の話。馬術とポニーの話。命に関わることはないというので安心して私も冗舌に犬でなく馬の話をした。やがて副院長がレントゲン写真と血液データを持参した。あらゆるデータから最初の診断どおりだった。「明日にでも手術するが3日ほどで退院できる」。嬉し涙にくれる家内と帰宅してのよる8時。「早い方がいいと思いスタッフを集めてさっき手術した。すべてOK。うみが500グラムも出たよ」。涙が出てきた。先輩は日本一の名医だ。
◇ ◇ ◇
アナスタシアの凱旋 |
先輩、加藤元院長と退院記念撮影をした |
なんだか哀れっぽい姿だが、私たちには英雄の凱旋にうつった。わずか48時間で、生死の淵から飼い主に飛びつくまで回復するという生命力には感嘆するばかりだった。「アーチャの命はあとおまけと思えばいい」と頬ずりしながら家内が言った。
翌日元気に尻尾を振って擦り寄ってきた。病院でよほどうまいものを食べていたのか、ビーフの缶詰、牛乳掛けたドッグフードしか食べない「グルメ犬」になっているのが少し心配だが、世のなかすべて事もなし、の平常に戻った。アーチャともどもつながった「いのち」に感謝した。
上の「トリビアの泉ーアナスタシア編」など随所で我が家のママの一風変わった所業というか言動というか、世の一般の常識からすれば少し外れているところを紹介 してきた。
「豚のお尻に泥を塗っとけばまたハムが生えてくる」と教えられ、吹聴したばかりにクラスメートからひどいいじめにあった我が家の長女の例もあげた。我が母親の 非常識ぶりを話題にすれば3時間分はたっぷりあると豪語したその娘は今では3人の娘の母親だ。以前のディズニーランドの時代に母親に連れられて行っていたと ころはディズニーリゾートとなった。その入り口で突然、我が娘を前に「この子は3歳です」と言ったりする。有料と無料の線引きなど知らないから「私は4歳」と 大声でがんばる孫娘と葛藤を演じているから血は争えない。
次女は中学生になっても毎年サンタクロースが来るのを心待ちにしていた。袋の中からキャンディーやアクセサリーがつぎつぎ出てくる楽しみを思うと今でもぞくぞくする という。ところがある年のサンタは枕元に商品券をむき出しで置いていったという。忙しかったにせよ、あんなにサンタに幻滅したことはないと恨んでいる。
孫娘から「何歳?」と聞かれると「ニジュウロクサイ」と平然と答えている、非常識グランマが近頃思い出し笑いしているのが、ティアラを迎えに出向いたときの 話だ。さすがに恥ずかしくて長年胸に秘めていたものの、もう時効だろうと今頃になって口にしはじめたのだが、聞かされる次女と私は10年後になって口あんぐ りだ。
ティアラというのは、いま毎日のように「あなたは芸当などしなくていいのよ、生きているだけでいいの」と言い聞かせられているアナスタシアの母親だ。ブリー ダーが手に入れたときは800万円ほどだと聞くが、事情があって手放したいと、すでにティアラの子どもが引き取られていた我が家に打診があり、子どもの後から 母親が来るという格好でやってきた。我が家の飼い犬はこれで大型犬3頭となり、犬小屋に人間が同居するという信じがたいことになった。
岡山・津山のブリーダーの家から岡山空港までクルマで運ばれ、そこから国内便で空輸されてきたのを家内が羽田空港までクルマで引き取りに行った。2010年秋、羽 田空港は沖合いに滑走路が大拡張され国際空港として再スタートした。現在も国内便用の駐車ビルはそのままだと思うが、5階建てほどでぐるぐる回りながら上の階 に行く。自分が何階にいるかもわからなくなるから目印にフロアの随所に動物の絵が描かれていて自分の駐車区画が覚えやすいようになっている。
彼女が入っていったらいきなりイヌのイラストに出くわした。ここからが我が家の非常識な人の真骨頂なのだが、区画の上の絵は、それぞれ迎えに来た動物ごとに 駐車する決まりなのだと思いこんだ。早々にイヌの場所に出合ってラッキーと思ったが、あいにくそこは満車だった。エレベーターに近いから満杯なのだが、気づかない。 「今日はイヌを迎えに来た人が多いんだ」と待つこと30分。ようやく駐車して到着口に向かった。
イヌの隣はペンギンだった。これがゾウだったら少しは気づいたかもしれないが、「へえ、ペンギンを迎えに来る人もいるんだ」と感心しつつ到着口に向かった というから相当なものだ。
”非常識”はまだつづく。普通は誰だって貨物便到着口に行くものだが、この人には通じない。スチュワーデスが犬を抱えて連れてきてくれるものと思ったのだそ うだが、一般到着口で待つこと1時間。スピッツのようにうるさい子どもはつぎつぎ出てくるが我が家待望のフラットコーテッドリトリーバーは出てこない。たま りかねて聞いたそうだ。「ウチの犬はまだでしょうか」。
聞かれたスチュワーデスも驚いたようだ。「えッ 犬は貨物の方ですよ。ずっと向こうの建物です」と教えてくれた。あわててまた言われた方向に向かった。貨物便 の受付はずっと離れたところにあった。飛行機の到着時間からすでにだいぶ過ぎていたので走った。
汗まみれで駆けつけた受付で「ウチの犬はどこですか!」と息絶え絶えに訴えた。この日岡山から貨物便で到着した犬は一匹だけで、係員が指差す床に置かれ たJALの畜犬輸送用の檻の中でティアラがしっぽを振っていた。
◇ ◇ ◇
以上のような「10年ぶりの告白」をサイトにアップロードしたら、すごい奥方ですなあ、と感心したかあきれたかのメールを何人かからいただいた。本人は最 初から貨物受け取り口に行っていたら、駐車料金は無料だったのにと、一般駐車場で支払った料金がまったくの無駄に終わったことばかり悔やんでいる。そのつい でに「まったくの無駄」におわった、もうひとつの出来事を告白に及んだ。
ティアラは来てまもなく近所の獣医の誤診で関節炎と断定され、危うく100万円の手術をされるところだった。この一件はティアラのコーナーで書いた。信じられな いとあちこち渡り歩いて結局、大学の獣医学部付属病院で足の付け根のガンがすでにあちこちに転移していて手の施しようがないと突き放された。雪の八ケ岳でテ ィアラが旅立った2月の厳冬の朝を思い起こすと、家族はいまでもせつないのだが、我が女主人のあきれた所業は、そのガンとわかったときのことだという。
なんとか助けたい一心でいたら、横浜にいる姉が「近所にガンに効くので有名なマッサージ療法をするところがある」と聞きかじってきた。なにか薬をいれた水蒸 気を吸いながら患部をマッサージするとかで治ったひとがたくさんいるという。例によってこういうとき迷うことがないのが我が家の女主人である。
ちょうどこの頃、秋田の田沢湖近くにある玉川温泉に行ったばかりだった。米沢や東京にいる亭主の従姉たち3人誘い合ってはるばるクルマを飛ばして2泊3日の 温泉旅行をしてきた。当時日本列島を半分北上した(若く見積もって)「おばさん」3人の旺盛な行動力には親族一同感心したものだ。ここはガンの治療で有名な ところである。彼女らはガンの治療で行ったのではなく、単なる温泉好きの物見遊山だが、98℃の岩盤浴でガン患者が多勢逗留しているシーンをティアラの苦痛と かぶさって思い出した。
すぐさまティアラをクルマに乗せて横浜に走った。40分くらい離れたその療養所はいつもガン患者で満員だった。待合所には順番を待つ人が何人も並んでいたの で列の後ろについた。犬の患者は一人と言うか一匹だけ。よく周りの人から文句が出なかったことだと思う。ティアラは温和な犬だったから静かに待ったと思うが、 人間と共に順番待ちして吸入とマッサージを受けて帰宅した。気のせいかすこし楽そうだったという。週に2回通って毎回数千円、2ヶ月ほど通ったそうだが、 新聞社に勤めていて夜中帰る私と娘はついぞ気づかなかった。
「畜生には畜生の可愛がり方がある」と昔の人は空間を別にしていたものだ。人間様と並んで犬が治療待ちしている図は漫画だが、感情移入が激しい我が家人に犬 と人間の空間を峻別するのは難しかろう。結局ティアラは帰らなかったが、よくそこまでやってくれたと、こればかりは責めることも笑うこともできない非常識 なのである。
アナスタシア最後のスナップ (2012年5月7日八ヶ岳の牧草地で) |
大好きなママ手作りのサイコロステーキとおかゆを煮た特別食には口をつけたが、それも次第に量が減っていった。たまりかねて6月26日に新宿の動物医療センターに運んだ。半年ほ ど前に跛行(はこう)するようになったとき、関節炎と診断されたところである。この時は痛み止めをもらったが使うことなく直った。
女性の獣医師だったが、X線写真を見て「脾臓に腫瘍があり肥大しています。良性かどうか手術してみないとわかりません。どうされるか家族で相談してみてください」と言われた。 家内と私は目の前が真っ暗になった。レトリバー犬はガンの発生率が高く、こうした場合には良性ということはまずないことはティアラの例からもよく知っていた。アーチャは立ち 上がるのに相当苦労はするが、いったん歩き始めると町内の一角を散歩するぐらいはできた。暗澹とした気分で散歩から帰ると家内が抱きかかえてさめざめと泣いた。私はもう手術 は嫌だ、どれくらい生きるかわからないが手元で看病しようと思った。
翌日家内は私に黙ってダクタリ動物病院の加藤元院長に電話を入れた。私は北大馬術部で馬に乗っていたが、学部は違うものの、そこの先輩にあたり、OB会や取材で付き合いは40 年にも及ぶ。
3年前アーチャが歩けなくなったときもう駄目かと覚悟して連れて行った。路上の尿をスポイトで採って明かりに透かして、血液検査をする前に早くも「子宮蓄膿症だ。死ぬことはないか ら安心しろ」と宣告した人である。間髪をいれずに子宮全摘の手術をして、アーチャは3日目に元気で退院してきた。以来家内ともども日本一の名医だと信頼している。でも同窓の縁 だけでこれ以上迷惑はかけたくなかったので新宿の動物病院でおしまいにしようと思っていたのだが、家内が一筋の希望を求めてすがりついた。
「すぐ連れてきなさい」と翌日の28日の午後2時エンジェルメモリアル広尾セントラル病院を指定された。CTスキャンを撮るという。私は2週間前練馬医師会のCTセンターで肺をス キャンしてもらった。CTスキャンは高くて開業医は個々に買うのでなく共同で使っている。保険なので目だたないが明細を見ると肺だけの撮影で2万円だった。動物病院でCTセン ターを持っているところは全国でもそうはないだろう。5世代目くらいの機械で以前は5ミリくらいまでの影の識別だったが現在は1ミリでも分かると言う。
院長室に夫婦で招き入れられ、お茶を出され、最近馬に乗ったことや40年前の東京畜犬事件で御殿場に一緒に行った話をしたが心そこにあらずの状態だった。やがて副院長にCTセン ターに案内され、撮影されたばかりの画像の解析結果を知らされた。涙が出るような結果だった。
脾臓に腫瘍がありかなり肥大していて、胃や腸を圧迫しているため、食べたくても食べられないのが現在のアーチャの状態だという。腫瘍は悪性であることも告げられた。肺と肝臓 に転移していて、肺の影は小さいが、誤嚥によるものと思われる肺炎を起こしているという。4、5日前から夜中「はッ・はッ・はッ」というアーチャの切迫したあえぎ声が聞こえた 。明け方に落ち着くのでそれからやっと寝るということが続いていた。あれは肺炎だったか。人間でも苦しいものだが、アーチャは「散歩だよ」というと喜んで立ち上がり、ゆっく りゆっくりだが町内の一角をまわる散歩に付き合った。あんなことするのではなかった、悔やまれた。その後もパソコンに写し出される画像について説明が続いたがもう聞こえな かった。
きれいに化粧され、立派な花束に包まれたアーチャがSUVの後部トランクに帰ってきた。いつもは前の席にしか座ったことがない奴が始めて後部席に横たわっていた。院長、 副院長、スタッフに見送られて家に帰るまで二人とも無言だった。家では家内がアーチャを撫でながらさめざめと泣いた。まだ明るいうちに次女が飛んで帰ってきた。1階から2人 の泣き声が聞こえた。その夜家内はアーチャに添い寝した。
◇ ◇ ◇
アナスタシアは2日後に八ヶ岳の一角に折から満開のレンゲツツジのオレンジ色とスズラン、ササバギンラン、オオデマリの純白に包まれて葬られました。
我が家の「犬たちとの物語」はこれで最終章を迎えました。これほど長く書き綴ることになるとは思いがけませんでしたが、お付き合いくださいました皆様にお礼申し上げます。 「虹の橋」のたもとではリズ、ティアラ、グレース、エディー、アナスタシア・・・トランプも入れると6頭も待っています。
犬と暮らして教えられたこと(2024年6月9日加筆)たくさんの犬たちとの交流を書き連ねてきました。みんな「虹の橋」の彼方へ行ってしまって、私が来るのを待っています。当初それほど時を置かずに合流できると思っていました。事実、12時間に及ぶすい臓がんの手術をがん研有明病院で受けて、なんとか退院したものの、「術後3年生存率18・8%」と知った時は、「虹の橋」の欄干が見えたものです。
しかし、なんたることかその後ピンシャンとして「術後3年」を迎えたばかりか、「術後5年」も過ぎ、まもなく「術後6年」を迎えようとしています。執刀医からは「『寛解』ではなくて『完治』ですね。レアケースですが・・・」と言われました。
そんな今、犬と一緒に暮らしていた時を振り返って、つくづく思い知らされたことがあります。当初は彼らの上に君臨して、我が家族など人間とうまく暮らしていけるように「しつけ」ていたはずなのに、いつのまにか彼らからさまざまなことを与えられ、教えられ、学んでいたのだと思い知りました。そして、その力の大きさにも気づかされたのです。
犬との暮らしで教わった「人生において大切なこと」を挙げてみます。
1、生きることをやめないこと犬との暮らしでわかる人生において大切なことは、生きることをやめないことです。ニュースでは無理心中、自殺…の道を選んだ人間のことがよく伝えられます。人は自ら生きることをやめてしまうことがあります。つらいことや苦しいことから逃れるために、生きることをやめてしまうのです。
しかし、犬には「生きることをやめる」という考えはありません。思い通りには動かない手足を一生懸命に動かして歩きます。痛みで苦しんでいる時でさえも、食事をし、自らトイレに向かいます。エディーは本郷の東大家畜病院で瀕死の状態でも「先生に診てもらうぞ」というと、何とか自力で立ち上がろうとしました。
人間も同じ。何としても生きることをやめてはいけないのだ、ということを犬との暮らしで学んだことでした。
2、目ではなく心で判断するということ犬との暮らしで知った、目ではなく心で判断するということ。
犬が人と接するとき、どんなことで判断しているでしょうか。その人の服やアクセサリーのきらびやかさでしょうか。見た目や肌がキレイだとか、モデルのようなスタイルでしょうか。
犬は人を目で判断しません。優しい人か、攻撃しないか、遊んでくれるか、この人は犬を好きかなど、その人の心を読んで判断しています。
犬はオシャレで新しく美しいベッドより、使い古して汚いボロボロのベッドの方を好みます。その方が心が落ち着いて、リラックスして休めるからです。「襤褸(ぼろ)は着てても心は錦…」という演歌がありましたが、まさにその通りの生き方なのです。
3、一汁一菜で満足するということ犬はビフテキが大好きです。たまに牛肉を与えるとがっついて大喜びします。しかし、普段は魚肉や骨粉や野菜くずでできているドッグフードを与えられます。そんなときに肉が出てくるまで拗ねている、なんてことは間違ってもしません。出されたドッグフードを喜んで食べます。
食べなれないポテトチップスやパンでも人がくれるものなら安心して食べます。家庭では「一汁二菜」、禅寺では「一汁一菜」といいいますが与えられるもので満足して暮らしています。「足るを知る」という彼らの哲学に学ばないわけにはいきません。
サイトの亭主は母に教えられたことがあります。大阪の私立小学校は冬でも半ズボンに長ソックスでした。跳び馬遊びして穴があいたとき「破れた靴下は恥ずかし」と文句を言ったら、畳に座らされて言われました。「破れた靴下を履いているのは恥だけど、これは繕(つくろ)ってあります。恥ではない!」
以来、衣食住について今なお守っているのは、衣については「襤褸(ぼろ)は着てても心は錦…」、食については「一汁一菜」、住については「立って半畳、寝て一畳」です。
4、人と運命に従順であること時々、ニュースで引退する盲導犬とそれまで支えられた盲人との涙の別れの様子が伝えられます。そんな時サイトの亭主はいつも涙腺がうるうるしてしまいます。
盲導犬は10歳前後で引退することになっています。引退した盲導犬は引退犬オーナーの家庭で余生を過ごすのですが、テレビや新聞の写真に向かってつい「ご苦労さま」と声をかけてしまいます。
盲導犬は普段ほかの犬と同じように寝そべっていますが、ハーネスをつけられた途端にしゃんとして「仕事モード」に入ります。周りを観察して段差や音や危険物に注意を払う、緊張した時間を過ごすのです。
ほかの犬のようにじゃれたり甘えたりする道もあったのに、たまたま適性を認められて盲導犬の仕事をすること10年。この間、なにも文句を言わず、ひたすら主人である盲人の文字通り杖となって過ごす。なんと健気なことかと、思います。
幸若舞「敦盛」の一節に「人間(じんかん)五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」があります。今では寿命が延びて「人間」は80,90ですが、彼らのように運命に従順に生きたいものだと思うばかりです。
たくさんのことを愛犬たちから学んだ、犬と暮らしていなければ気づくことのできなかった大切なことがこんなにもあった、と心底思うのです。