グレースの死はこたえた。 |
また フラットがやってきた!
その名はアナスタシア 突然ですが、ここに映画「カサブランカ」の有名シーンの動画2本があります アーチャ大いに酔っ払う 呑んだ私が悪いのか なくて七癖 エディー的生活とアーチャ的反抗 カラスと猫に馬鹿にされ 我が家の無為徒食、お気楽犬 テレビからお誘いがかかった! ”エライ犬”への登竜門 エディーの誕生日、盛大に挙行さる 10歳のパーティーをヒトとネコに祝われて 利口な犬についての一考察 そんなことエディーは当たり前 アナスタシアが3歳に 「朝三暮四」を地で行く 領土戦争勃発 アーチャの覇権主義 エディー11歳、アーチャ弱冠3歳の春 そして「優妃」の仲間入り エディー死す お前まで逝ってしまうか |
2001年11月12日、岡山・津山から羽田にその仔犬が空輸されてきた。やはり女の子がいいという家族の希望だった。
2001年9月25日生まれ。以前の誰よりもきれいな顔立ちをしていた。いきなり大勢の人間に囲まれておどおどしていたが、
今にこの家に君臨するのは目に見えていた。撫でるとお礼のつもりか、手の甲をなめてこたえた。
抱くとリズ、ティアラ、グレースと同じにおいがした。いとおしい思い出とつながるよすがだった。
こうしてまた、犬との生活が始まった。
娘たちは考えたあげくに、「アナスタシア」と名づけた。豪華絢爛だった3頭の先輩フラットコーテッド・レトリーバーに
負けないように配慮したのだろう。
大津事件、怪僧ラスプーチン、そしてロシア革命でレーニンによって一家が処刑されるまでの、
ロマノフ王朝の悲劇的な経過を知らぬわけではない。
シンデレラの憎まれ役の娘も確か・・・。私には名前なんかどうでもよかった。大事なのはお前たちがいるということなのだ。
さっそく、我が家恒例の銀座・和光のケーキでウェルカムパーティーが開かれた。家族全員出席して、グレースが1歳のときとそっくりの光景がくりひろげ
られた。ただ誕生日前のパーティーは彼女がはじめてだ。
なにか呼びかけられると、首をかしげて見上げるクセがある。これがなんともいえないほど愛らしい。この先、どれだけみんなに可愛がられることか。
エディーの憂鬱もまたはじまった。この時点でエディーは7歳だった。仔犬といると幼児化するらしく一緒に新聞紙を噛み砕いたり、
くんずほぐれつの取っ組み合いをしてしょっちゅう叱られる。
足を噛まれて吠えようものなら「我慢しなさい。それくらいなによ」と家内や娘にたしなめられる始末。
エディーの迷惑そうな顔、尻尾に噛みついて口いっぱい毛をほおばって得意げな仔犬、先輩の食器の横から首を突っ込んで吠えられたときの恐縮した表情、
みんな経験してきたことだから家中の誰も驚かない。
わるさなんかいいから元気に育てよ。家族中の愛情に包まれていたずらのし放題だ。娘たちの年賀状は、神宮外苑の名物イチョウ並木に
座るマフラーを巻いたアナスタシアの写真だ。2002年の年頭にトレンドな場所からのデピュタントだった。
ただ、名前が長くてすこし呼びにくいのが欠点だ。狸穴(まみあな)のロシア大使館に電話した。女性が出てきて「アナスタシアの愛称ですか?ナースチ
ャかしら」
犬のことだとは気づかないから、愛想よく答えてくれた。仕事がらみで、以前のソ連の時の広報部長などを知っているが、いっしょに銀座を飲み歩いて
も日ソ双方から尾行がついていることは周知
の時代で、とてもこんな応対ではなかった。私は学生時代ウオッカとアブサンを一緒に飲んでひっくり返ったことがあるが、まあ強い部類に入っていた。
しかし、この広報部長は度はずれていた。バー1軒でウイスキーのボトル1本あけるペースの
驚嘆すべき胃袋の持ち主だった。こっちは2人で手分けして相手したのだが、数軒はしごして、最後にタクシーに乗せて送り出したとたん、酒豪でなる
わが社の報道部長が、ボンネットから路上にスローモーションを見るように、くず折れていったシーンを思い出す。
だいたい泣く子も黙る秘密警察KGB(カーゲーベー=旧ソ連国家保安委員会)が館内にうようよいた。確認は取れないが、その広報部長だってKGB
だろうという噂だった。昔だったらこうした電話だって詮索されただろう。
はからずも冷戦時代の終わりをのんびりした犬談義で体感することとなった。もっとも、情報機関がなくなったわけではなく、いまはロシア連邦保安局
(FSB)と名を変えて同じことをしているのだが、威圧感はまるで違う。
それはともかく、ロシア大使館推奨の「ナースチャ」も長い。あの速さはグーとかリーとか一字でないと追いつかない。でも「アー」という母音一字も間が
抜けていて困る。
「アーチャ」「アーちゃん」と混乱の毎日だ。
エディーとアーチャを見ていると気の毒になるケースが多々ある。
2頭でよく包装紙や新聞紙の取り合いをする。彼らにとって屋内運動のようなものだが、突然、家内のビンタが飛んでくる。多くは紙を丸めたものだが、
時には棒切れや物差し、クッキーの缶ごとというのもある。
「それは今日の新聞でしょ!」。昨日以前のならよくて、今日のラテ版が載っているのはビンタだ。ウーン、これはあいつたちにはむずかしいぞ。
風呂場でアーチャがおしっこをする。中でなら「グッド、グッド」だが、仕切り板の上だと「何度言えば分かるのよ」とビンタだ。その場所の差15センチ
。
半分逃げ腰で、何がいけなかったんだろう、といった顔で見上げている。ものの本には15センチの差の教え方など書いてない。
「エディーを見習いなさい(一日2回の散歩の時にしかしない)」ともいわれる。スパルタ教育に反対するものではないが、困惑の表情を見ると、お前も苦
労するよなあ、とアーチャに同情する。
理不尽なのは犬ばかりでない。人間だってそうだ。
2002年1月、雪を見せたくて八ヶ岳に連れて行った。
早朝、あまりの寒さに身をかがめて廊下に足を踏み出したとたん、あおむけに転倒した。
壁に打ちつけた頭にみるみる大きなコブ。左手もかなりの長さで血がにじんでいる。
原因は昨夜アナスタシアが廊下ですませたおしっこだ。凍ってリンクになっている。なんたることか。
鼻面押し付けてお仕置きをしかけたところで、映画「カサブランカ」
のハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンのセリフが出てきた。
「昨日の夜はどこにいたの?」("Where were you last night?")
「そんな昔のことは憶えてないね」("That's so long ago, I don't remember")
「今夜会える?」("Will I see you tonight?")
「そんな先のことはわからないさ」("I never make plans that far ahead")
そうだよなあ。そんな昔のこと理解できないよなあ。先のこともお互い分かるもんじゃないって。
「As time goes by」の主題歌まで流れてきた。
「君の瞳に乾杯!」("Here's looking at you, kid")がこの映画最高のセリフという人が多い。私もアナスタシアのきれいな瞳を見ながらあきらめることにした。
グレースのときと同じだ。また泣き寝入り人生の始まりだ。
「カサブランカ」(原題「Casablanca」)は不思議な映画で、しっかりした脚本もなしに撮影に入り、バーグマンも駄作だと思っていたふしがある。にもかかわらず 今なお不動の人気を保っていて、2007年6月、米映画協会(AFI)が10年ぶりに歴代の映画作品ベスト100を選出(映画製作者や俳優、 批評家ら1500人が400本の候補作の中から選ぶ)した際も再び3位になっている。
日本ではこうした試みはないが、やればランキングされることは間違いない。しかし邦訳のうまさに負うところが多いのは上の対訳をみても明らかで、 名セリフとされるところは大変な名訳だったことがわかる。
米映画協会選出名画ベスト10
1 市民ケーン(1941年)(あらすじ)
「カサブランカ」のボガートとバーグマン |
舞台はカサブランカ。ここもついにドイツの勢力下となり、ヨーロッパ脱出をはかる難民であふれていた。リックの経営する「カフェ ・アメリカン」に反ナチ運動の指導者ラズロが訪れた。同伴者の女性を一目 見てリックは息を呑む。彼女こそ、かつてパリで愛し合い、そして理由も告げずに彼のもとを去ったイルザだった。
ラズロは、イルザがリックと知り合う前の夫だった。ナチスの強制収容所で死んだと思っていた彼が、パリから脱出する日に生存の知らせを受けたのが あの日の悲劇的な別離の原因だった。
ラズロは現地司令官のシュトラッサー少佐から出国禁止措置を取られていた。その上ラズロは、「カフェ・アメリカン」で我が物顔で軍歌を歌うドイツ兵に対抗して、フランス国歌で 当時は対独抵抗のシンボル的な曲であったフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を客とともに歌い、その場に居合 わせたシュトラッサーを激怒させる。
ラズロの身を案じたイルザは、リックが持っている中立国への通行証が欲しいと頼む。リックは悩みつつも、ラズ ロとイルザのために、通行証を渡して、2人をドイツの手が及ばない中立国、ポルトガルのリスボンへ出発させる 手立てをする。気づいて空港で阻止しようとしたシュトラッサーをリックは射殺する。
フランス植民地警察のルノー署長は、表面上はドイツに対して協力的な姿勢をとっていたが、フランスを愛してい た。そこで、シュトラッサー少佐を殺害したリックを見てみぬ振りをし、レジスタンスの手で他のフランスの植民地 に逃がしてやることにする。リックとルノーは肩を並べて宵闇に歩き去り、エンドタイトルとなる。
「As Time Goes By 」は「時の過ぎゆくままに」と訳されるが誤りで正確には「時が経っても」の意。 映画の中では2か所で歌われている。一つは、ドイツに占領される直前のパリのカフェ「La Belle Aurore」で、別 れる前の二人が乾杯するシーン。ここでは黒人ピアニストのサムは、楽しげに軽口をたたきながら歌う。次は別 れた二人が、カサブランカの酒場で出会うシーン。ここではサムは、イルザに何度も請われて、いやいやながら物悲し そうに歌う。
紹介する動画は後の方の場面。二人が再会を果たすところで、登場人物がここでみな揃う。途中リックが血相変えて飛び出して来るのは、二人の思 い出の曲を演奏することをサムに禁じていたからだ。
(右向き矢印クリックでスタート)
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エディーと2001年の八ヶ岳の秋。2002年3月で8歳になった。 | 2002年正月のアナスタシア。こんなに大きくなりました。 |
銀座の書店で平積みになっていた「盲導犬クイールの一生」を手にとって、パラパラめくって
いるうち涙が止まらなくなった。人波の多い店先でいいトシをした男が泣いている図など見られたものでは
ないのはわかるが、心地よい涙なのでしばらくそのままでいた。
ここ数年でフラットコーテッド・レトリーバー犬を3頭も亡くしたせいか、はたまたトシのせいか、近ごろ涙もろくなった。
テレビでも盲導犬が働いている姿をみるともうダメだ。横で家族も泣いているから、我が家は涙腺がゆるい家系かとも思う。
もうひとつ涙が止まらなくなるのが、靖国神社や江田島に残る特攻兵士や出陣学徒の「父上様母上様 先立つ不孝をお許しください」
ではじまる遺書だ。自らは主張することなく、ひたすら国や家族を慮(おもんぱか)る。無償の愛に心を動かされない人間など
いないはずだ。
「盲導犬クイールの一生」(石黒謙吾・文 秋元良平・写真/文藝春秋 、1500円)は静かなベストセラーだという。1年前の発売だが、今では
「クイールの部屋」というホームページまであって、新しい写真や壁紙のダウンロードなどを
サービスしている。覗いてみたが、我が家のゴールデン・レトリーバー犬、エディーの子どものときとそっくりだ。それも当然で、
ラブラド−ル・レトリーバーとは親戚筋にあたる。ゴールデンもフラットも盲導犬に適していると思うが、少ないのは、ゴールデンの長毛が手入れの点で
たいへんなのと、フラットは明朗闊達すぎるせいだろうか。
いつも思うことだが、盲導犬育成をどうして国費でやらないのか。数字はどこかのテレビ番組からのうろおぼえだが、盲導犬を希望する人は4000人ほどいるのに、
毎年100数十頭しか供給できない、現在全国で850頭ほどしかいないという。1頭養成するのに300万円ほどかかるが、すべて民間まかせだ。本やサイトには
「盲導犬育成のための寄付」の呼びかけがある。これはこれでいいのだが、厚生労働省や文部科学省(訓練士養成はたぶんここの関係だろう)は何をしているのだろう。
以上は2002年4月に書いたことだが、5月22日、「身障者補助犬法」が成立した。盲導犬や聴導犬、介助犬の同伴を公共の施設や交通機関が拒むことを禁じたもので、
翌年10月からは不特定多数が利用するホテルやスーパー、レストランなどでも同伴が可能になる。民間の職場や賃貸住宅についてはまだ努力規定
だが、これで、けなげな犬たちは一気に市民権を得るだろう。
これまでは道路交通法で盲導犬だけ規定されていたが、ペツト扱いされてきた聴導犬と介助犬についても「補助犬」として法的に基準を設け、 国の指定を受けた社会福祉法人などが訓練や認定を行う、というから、この意義は大きい。 「国民は補助犬を連れた身障者に必要な協力をするよう努力しなければならない」とある。いい文言だ。あとは、惜しみなく補助金を出すことだ。
鈴木宗男議員は外務省の役人をぶん殴ってODA予算を恣意的に動かした。ぶん殴られたって仕方ない外務省だが、いつまで中国にODAをつぎ込むのか。
この国は、自分の金は軍事費につぎ込み、
インフラの金は外国頼み、周辺の政治的利用価値のある国には自分で別途ODAをばらまいている。そんな中国に1兆円近い高額のODA予算出す必要はあるのか。
しかも感謝するどころかいまなお国民への反日教育をやめない。拉致などという常識はずれのことをしでかす北朝鮮に、いいように
あしらわれながら、なお、コメ支援をする。
こうしたムダ金の何十分の一で、国内の盲導犬をイギリス並みの普及率にし、
聴導犬、介助犬、救助犬、セラビードッグ・・・だって、一気に必要数を達成できるものを。
でも、もし4000頭の盲導犬が誕生したら、また涙することになる。遊びをせむとや生まれけむ・・犬たちが奉仕のために一生を使うのだから。
これまでイヌと付き合ってきて、かなりの生態を見てきたが、酔っ払い犬というのは見たことがなかった。
2002年5月4日、八ヶ岳でアナスタシアの酔態をトクと拝見した。
発端は梅酒だ。そろそろ次の仕込みの季節なので、ビンから3年前の梅の実を出して、テーブルの上の皿に
盛り上げてあった。家内はG・W中に開かれた高原開きへ、私は花の苗の植え替えをしていて家には犬2頭
だけが残っていた。一般にイヌはアルコールを嫌うので、食べるとは夢にも思わなかったのだが、アーチャがこの定説にチャレンジ
した。
部屋に入ると、果肉を食べられた梅の芯が散らかっていた。その数20個ほど。皿には3粒を残すだけ。
馬鹿正直なエディーは「よし」といわれないと食べない。アーチャの盗み食いを、見てみぬふりをしてたらしく、よだれを
流しながら控えていた。「よしよし」とほめたらOKと勘違いして、大急ぎでアーチャ食べ残しの梅の芯を鵜のみにした。情けない奴だ。
アーチャの酔いはたちまちまわってきた。いったん椅子に乗り、それからテーブルに首を伸ばすのだが、すでに椅子に足がかけられなくて、
右足はむなしく空を切っていた。下に降りても、よろよろと足元がおぼつかなくなってきた。鳥でも人間
でも、2本足の動物は「千鳥足」だが、イヌの場合、前の2本は真っ直ぐ行くが、後の2本がよろけている。やっぱり
「千鳥足」なのだ。これは大発見だ。
窓にカケスがやってきた。アーチャは駆け寄ると、いつもどおり、窓に前足を乗せるのだが、はずれてドテッ、あごを窓に乗せたままつんのめっている。
おかしくて笑っていると、寄ってきてペロペロ顔をなめる。すでに酔っ払いの匂いを発散していた。人間でも「キス魔」がいるが、一番嫌われるタイプだ。
「からみ酒」というのもある。これも嫌われる筆頭で、山形・米沢の本家の叔父は、鼻の頭を赤くした酒のみだが、酔うと「そこへ直れ!」と刀の
柄に手をかける。が、そんなものないから、塗り箸を腰に当ててかっこをつけていた。
アーチャの場合、なんでこうなるのか分かってないから、やたら
歩き回る。余計酔いが回る。運動して発散させた方がよい、というので、散歩に出かけたが、酔いは足から腰に来ていた。小さい溝を飛び越した
つもり、笹も飛び越えたつもり、らしいが、すべて「つもり」に終わって、ゴキッとアゴを溝の向こう側にブチ当てたり、笹に足を取られたりして目を白黒させている。
それにしても、飼い主が豊富な酔っ払い経験の持ち主でよかった。札幌では警察に保護されたこともある。寒い国では酔っ払いは止まったばかりの
クルマのエンジンの上などに寄ってくる習性がある。最初はいいが、やがて冷えてきて寝たまま凍死することがあるので、警察は
せっせと保護する。このホームページのどこかに書いたが、世界有数の高アルコール酒、フランスのアブサンと、ロシアのウオトカを一度に飲んでひっくり返ったのもその頃だ。
2階から担ぎ下ろされる時、さかさまになるので、親父の形見(その
時はまだ生きていたが)の銀のライターや銀のネクタイピンをみな無くしたこともある。
こうした艱難辛苦を経たおかげで、今や己の適量がピタリとわかる(気がする)。従兄の医者と1升酒することがある。あきれ果てられてまわりには誰もいない、つまり、誰の強制力もない状態で、
もう少しで一升瓶がカラになるという場合どうするか。自慢じゃないが、私は、無理して呑まない。
だめな奴は「キリがいいから」と飲んで失敗する。「酒は飲むべし、飲まれるべからず」。この崇高な境地に至るまでには膨大な時間と金の元手がかかっている。
山口瞳に『酒呑みの自己弁護』(昭和48年)という作品がある。今では名著にあげられるが、「夕刊フジ」に連載中から愛読していた。
「酒の飲めない人は本当に気の毒だと思う。私からするならば、人生を半分しか生きていないような感じがする」とか、ウイスキーの水割り全盛時代を批判して、
「私は、酒場で、水割りですかときかれたときには《酒を水で割って飲むほど貧乏しちゃいねえや》と叫ぶことにしている」といった、
説得力のある文章は今も生きている。ちなみに私は酒とはハイボール全盛時代からの付き合いだ。
この中に酒呑みの教祖的な話が出てくる。「井伏鱒二先生は、(二日酔いのとき)ぬるい風呂へはいられるそうだ。その湯を少しずつ熱くしてゆく。そうすると、さっぱりして、宿酔がなおってしまうという。
ある人が、先生、それからあとどうなさるんですかとたずねた。井伏先生は、妙なことをきくなという顔で答えられたそうだ。『きまっているじゃないか。また飲みはじめるんですよ』」
これから比べると未熟者で、なかなかこういう心境には至らないが、場数を踏んだおかげで「学」だけは達者になった。
だから、アーチャの酔態をみて、これはアルコールの血中濃度を下げなければならない、と瞬時にさとった。水を飲めばいいのだが、イヌは真っ平ごめんと
逃げる。で、牛乳を最初はそのまま与える。食欲を誘われたところで、次からは半分以上水をいれたしゃぶしゃぶのを飲ませた。飼い主の経験でも、どんどん水を飲ん
でトイレに行くしかないのである。
家内はますます酔っていくアーチャが心配で獣医に電話した。2週間ほど前、アーチャが事務所のパトロールカーに右足を轢かれたときかかった獣医だ。相次いでの災難ということになる。
「そのくらいの梅なら致死量ではないと思います。水を飲ませてください。あとは点滴しかないですね」。
そのくらいの梅というが、仕込みの年は特別大きな梅だった。それにたっぷり焼酎がしみ込んでいるのだ。人間なら泥酔状態だろう。本人はもう立てなくて横になったままだ。
いっときはやった一気飲みで学生が担ぎ込まれる病院でも点滴しか方法がないのを見聞きしていた。
おりしも、九州で看護婦仲間4人が一人の元夫にチューブでウイスキーを直接流し込み、急性アルコール中毒にして殺す事件が起きていた。この夜もニュースはそれだった。
だんだん心配になり、呼吸が荒くなったら点滴に走らねばならないかと覚悟した。
家内はその夜アーチャに添い寝した。ゴウゴウといびきをかいて寝ていたそうだ。飼い主と同じだ。経験ではワインとかビールの二日酔いはひどいが。焼酎などドライなものはまだよいほうだ。
人間の場合、猛烈な反省とともに宿酔いが訪れるのだが、アーチャの場合、爽快な目覚めで、軽快な足取りで散歩の催促にやってきた。「酒呑み犬の自己弁護」を取材したい向きはぜひお越しいただきたい。
これは素面(しらふ)のときです。 | 2002年エディー8歳の誕生日パーティー。飼い主夫婦の結婚記念日と兼用ですが。 |
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似たような写真だが、こちらは最高峰の赤岳をバックにした2頭(2002年5月)。 | こちらは、隣の横岳をバックにしたエディーとアナスタシア。2頭並ばせるのは並大抵のことではありません。 |
エディーの「優柔不断」、アーチャの「理由なき反抗」・・・近ごろ困ることの代表だ。
理由はわからない。突然始まった。
エディーは2003年3月25日、9歳になった。家族全員そろっての大誕生パーティーを開いてもらった。2月に嫁に行った長女
も加わって、例によって銀座・和光のケーキに、9本のローソクが輝いていた。すぐの4月4日、こんどは夫婦の結婚33周年を
娘2人と犬2頭に祝ってもらった。はじめての経験だ。ママもうれしそうにローソクを吹き消していた。これもエディーのおかげだ。
なんといっても”ついでに”思い出してもらえたのだ。
エディー生誕9歳!燦然と輝く和光のケーキ。(2003年3月25日) | こちらは、”ついで”ながら夫婦の結婚33周年記念ケーキ。(娘の携帯カメラでボケている) |
近頃心なしかエディーの顔の周囲が白っぽくなってきた。だが元気だ。我が家では「エディー的生活」という言葉が流行っている。
究極のあこがれの生活という意味だ。例えばその生活パターン。
朝ごはんがすむともう隠居的生活が始まる。ソファーを独り占めして、四足を宙に上げて夢の世界に没頭する。
寝言らしい言葉が聴かれる時もある。走っているように足を宙で動かすこともあるから夢を見ているに違いない。
大きないびきで、己が音に驚いて目を覚まし、キョトキョト見回して天下泰平を知るとまたまどろむ。
あまりの長時間睡眠に娘たちは「床ずれをおこさないか」と心配している。
新幹線の運転士の居眠りで脚光を浴びた「睡眠時無呼吸症候群」。親父は、この事件の発生とほぼ同時に、
「それに間違いない」、と家族に断定されている。居眠り運転で八ヶ岳で4WD1台ダメにしたから文句は言えない。医者に行ったら一晩泊められて、
6万円だという。抵抗するより従った方が安上がりだから甘んじている。本人も半分そうかもしれない、と納得している。
エディーの場合その犬版ではないかと、まだ疑惑の段階だ。一日中まどろんで、来し方行く末、そして次なる食事に思いをはせている。
「私もああなりたい」と羨望のまなざしを一手に浴びている。食器の音やビニールのこすれる音に弱く、それこそピョンと飛び起きるすばやさ。必要なときにはまだまだ敏捷だ。
前からその気配があったが、近頃、優柔不断にますます輪をかけてきた。オスだから電柱を前にすると、
本能をかきたてられるのはいた仕方ない。しかし、迷いに迷った電柱選びの末、いったん左足を上げて、気分がのらないのか
右に方針転換だ。図体が大きいから電柱をいったん通り過ぎて方向転換してから入りなおす。これで
決めればよいが、いややっぱり左だともう一度やり直すことが多い。この間、親父とアーチャはいい加減にせい!
と呆れ顔で待っている。これだけ慎重に選んで、タンクが空で電柱に1滴2滴というときはオイオイ、そりゃないだろうといいたくなる。
アーチャの場合、ほかの犬に例をみない特殊なものだ。歩いていると、突然、四つ足を踏ん張ってしゃがみこむのだ。
若い男女がよくホームや道路でしゃがみこんでいる。彼らの脚力が落ちてきて、立っているのに耐えられなくなっているという分析もある。
犬の世界で脚力が落ちたら死を意味する。アーチャは若いから違う理由だろう。犬界の流行は知らないが、散歩担当としてはものすごく困る。
自転車の左側に2頭つけて走っているから、アーチャが突然ストライキ起こせば、、機嫌よく走っている1頭と1人はつんのめる。
怒っても引っ張ってもテコでも動かない。四つ角に差し掛かるとき、クルマが前を走ったとき・・・法則性などなく、時と場所を
選ばない。道路横断中にもやる。笑っているドライバーと目を合わせ連帯のサインを送っているようなしぐさを見せるときもある。
臆病なのかと考えたときもあるが、こういうとき怖がる材料は周りにはない。石川達三の作品に「四十八歳の抵抗」というのがあった。
アーチャは1歳にして抵抗年齢だ。
「女は誰からか求められているという自覚によって生きていく自信を支えられる」
「愛は男にとっては終局であり女にとっては出発点である 」
こういう大変な哲学的至言を残された方を思い出したのは、墓が世田谷の九品仏(くぼんぶつ)で近いということと、
第一回芥川賞受賞作家として記憶していただけで他意はない。
「お前、嫌がらせの年齢か」と問うと、キックを警戒して私のつま先の動きを見張っている。知らんぷりするとまもなくそろそろと前進始める。
いったい何なんだ。
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サンタ帽をかぶったエディーの正装クリスマスバージョン(2002年12月)。 | ウラを見せればごらんの通り。嫌がる犬をとっ捕まえて自分好みのサンタ姿にしようと躍起のママの姿が・・・ |
エディーもアーチャも無為徒食、お気楽をモットーにしていることは前の項で述べた。
その結果、カラスにも反応しなくなった。散歩に出るのは早朝だから、東京都の悩みの種である
カラスの朝食時、つまりごみあさりの時間とぶつかる。連中は電柱の上などからギャアギャアと
警戒の鳴き声をあげるのでうるさくてしょうがない。近所迷惑だから、時に私が「シッ」と追い払う。その間2頭は我れ関せず
である。
犬なのだから少し威嚇するとか、追うとかあってしかるべきだと思うのだが、無関心だ。最初のうちこそアーチャは2、3歩近づ
くそぶりをみせたが、あとはエディーに右へ習えである。
家族はカラスが怖いという。八ヶ岳で野鳥の巣を襲う話を聞いたりしたせいだ。山小舎でせっかくバードフィーダーに寄ってきた野鳥を追い散らして 舞い降りてくることもある。私の体験では、北海道のカラスはこんなものではない。体長は一回り以上でかい上に獰猛でタンチョウのヒナを襲ったりする。 牧柵にとまっているやつに1メートルまで近寄っても逃げないのでこっちがしり込みしたほどだ。
怖がっているのではなさそうだ。ただポカンと見ている。少しは狩猟犬としての本能をかきたてられないのかと思うが、
どうやら街の背景に始めからあるものとしてすっかり受け入れたようなのだ。今では向こうがなめてかかって、カラスが至近距離の屋根で跳ねてみせ、
時に爆弾よろしく電線からねらいすまして便をひっかけるほどだ。
猫なども”無害の3匹づれ”を覚えてしまった。
民家の石段の上、塀の上の定位置をピクッともしない。片目で動きを見ている。その前を、2頭で恐縮したそぶりで
大急ぎで通り抜ける。飼い主の方が怒りたい心境だ。
情けない。そもそもルーツをたどれば、2頭とも撃ち落した鴨などを追って、イギリスの湖沼地帯を駆け回るために”開発”された有名な狩猟犬である。
その片鱗もないのはどうしたことか。我が家では高価なドッグフードなど何の意味もないと知っているから、バーゲンものを与えている。
気に入らないと食べない犬まで現われたそうだが、ウチの2頭は世の中にもっとうまいものがあることなど知らないから、満足してがっついている。
もっと野性的にいかなきゃならないのではないか、と反省した。で、豚骨の塊を買ってきてやった。ラーメン店などがだしをとるためのもので、ごつい骨が付いている。
そのままやろうと思ったが、やさしい家内は「生はよくない」とかいってわざわざ煮てやったものだ。夢中でかぶりついていた。声をかけても振り向きもしない。
やっぱり狩猟犬だなあと思ったが、後がいけない。
3時間ほど骨と格闘したあと、2頭とも疲れてハアハアと肩で息をしている。やがて、解体した半分を口にくわえたまま
2頭並んで寝てしまった。
挙句エディーは下痢をした。「ウチの連中は粗衣粗食が身に染み付いているんだワ」というのがママの結論だ。「ウチの連中」に
私も含まれているのは明らかだ。
エディーの下痢は正露丸でピタッと治った。旨いものを食べると食あたりするという犬も情けないが、家庭常備薬で治る犬
というのは安上がりでいい。こういう場合、以前は動物病院に駆け込んでいた。
高い薬をもらってもなかなかよくならない。あるとき親父の海外旅行の常備薬を試したら、大成功だったのに味をしめ、
我が家ではケガでもなんでも人間と同じだという素人療法がまかり通っている。
犬の湿疹など会社の健保が配って洗面所にあふれているうがい薬の希釈水、ケガには赤チンである。
エディーご愛用の正露丸だが、
帝国陸軍が開発した薬だということを知っている人は少なかろう。いまもそうだが中国大陸は水がよくない。日露戦争に出征する兵士が戦地で
胃腸を守る携帯薬として開発され、ロシアを征服するという意味をこめて「征露丸」と名付けられた。
日露戦争後、製造が民間に許可されて数社が製造していた。ソ連になってから、文句をつけられたわけでもないのに、
「征露では具合が悪かろう」と業者が自主規制して「正露丸」に変えたものだ。
木クレオソート(石炭から抽出されるクレオソートとは異なる安全な物質)、陳皮 (チンピ。みかんの皮を乾燥して
2〜3年寝かしたもの) 、甘草 (カンゾウ) 、ゲンノショウコが原料の生薬だから、安全無比だ。少し前まで「日本人が持ち歩く不思議な丸薬」は世界中の税関で止められて「これは何だ」と問い詰められたものだ。一昔前まで麻薬や火薬と間違えられ、拘束されたり没収されたという話がいっぱいあった。
私もパリでやられたが、下痢の英訳や仏訳を考えてしどろもどろだった。それにしても、正露丸を犬の下痢止めとして活用しているのは我が家くらいではないか。
私ですら知っている帝国陸軍からの「征露丸」から「正露丸」への流れを、メーカーが知らないわけなかろうに 独占を狙って裁判に持ち込んだところがある。2006年7月判決が出た。その新聞記事から。
「正露丸は一般名称」と認定 …大幸薬品の差し止め請求棄却
「ラッパのマーク」で知られる胃腸薬「正露丸」を製造販売する大幸薬品(大阪府吹田市)が、ひょうたんマークの「イヅミ正露丸」を販売する和泉薬品工業(同府和泉市)に、パッケージのデザインが酷似し不正競争防止法に違反するとして、製造販売の差し止めと約6400万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が27日、大阪地裁であった。
田中俊次裁判長は「ほかに10社以上が同様のデザインであり、ラッパとひょうたんの図柄も似ていない」などとして請求を棄却した。
判決によると、「正露丸」は、日露戦争で陸軍が「征露丸」として服用。第2次大戦後、多数の業者が「正露丸」の名称で販売し、遅くとも1955年ごろから、ほとんどがだいだい色の箱に、赤字で「正露丸」と縦書きするデザインを使用してきた。
田中裁判長は「原告が独占しているデザインではなく、原告製品が他社製と識別可能なのは、ラッパの図柄と社名だけ」と指摘。大幸薬品が「ラッパのマーク」を強調していることなどから、「両社の製品が誤認・混同される恐れはない」と述べた。
「正露丸」については、大幸薬品が54年に商標登録したが、最高裁は74年、「正露丸は普通名称」と登録を取り消す判断を示した。
大幸薬品の話「承服しがたい判決で控訴する予定」(2006年7月28日 読売新聞)
至極当然の判決で、日本陸軍が作って民間に製造をゆだねた経緯からすれば、一社独占を狙う大幸薬品がおかしい。少なくとも美しくはないし、日本の美学にも反すると思う。
むしろ大幸薬品はじめ製薬会社が、使用料を払うべきケースである。といっても、どこに払うかが難しかろう。陸軍は特許権などという発想はなかっただろうし、民間に製造をゆだねた時点で、そんなもの放棄したとみなされるのではないか。強いて、その後を引き継いだ防衛庁といってもその継続性がややこしい。クスリの特許とみると、現在の厚生労働省などに金を払うべきケースであろうか。
いずれにせよ、昔の温情というかおおらかさで「お上からお下げ渡し」になったものが、戦後、欧米型の権利主張型の人間が増えるにつれ、ついに独占を図る輩が登場したと見ることができる。こんなことをしていると正露丸自体が見向きもされなくなると思うがどうだろう。現に判決文にあるように10社以上で作っていたのが、数社に減っているという。我が家でも、おいしいものを食べると下痢をするというエディーの腹具合を引き継いだアナスタシアが年に一度使うぐらいである。
原告、被告ともに大阪というのはなにか理由があるのかもわからないが、大幸薬品はすぐ控訴を引っ込めた方がいい。でないと次回、我が家の正露丸はラッパだけはやめることになる。
2003年夏、突然メールが舞い込んだ。
《はじめまして。こちらのHP拝見致しまして、メールをさせて頂きました。 私共テレビにて、「ペット大集合!ポチたま」という番組を制作しております (株)XXXテレビジョンと申します。 この度番組内の特集コーナーにおきまして「エライ犬特集」というコーナーを考えております。該当する犬を ご存知ならお知らせください》とある。
我が家は色めきたった。「エライ犬」だって!。かねて、こういうこともあろうかと極秘裏に特訓してきたことがある。時至れり!だ。
「 例えば
●山登りで登山者を案内してくれる犬
●「忠犬ハチ公」のように主人の帰りを待ち続ける犬
●溺れた人を助ける犬
●おじいさんの薬の時間を教えてくれる犬
●荷物を運んでくれる
●新聞を持ってきてくれる
など」と羅列してある。
水遊びは大好きだけど、溺れてる人を助けるとなると・・・ |
早速検討した。最初の項。
「登山者に喜んでくっついて行き、いつまでも先頭を歩くが、どこに行くかという目的意識は
皆無」。エディーは、今から登ろうという人に水遊びした体でじゃれて抱きつき全身濡れ鼠にした過去がある。「横岳で登山者、体温を奪われて
衰弱死」という記事がないか2、3日新聞の社会面に注意した。
つぎの項目。「忠犬ハチ公のようなお座りは出来るが、主人の帰りを待ち続けるのはムリ。姿が消えたらさっさとどっかへ行ってしまう」。あきらめは早い方だ。
エサなしでは忠誠心が発揮できないタイプなのだ。土台、我が家は主従関係で成り立っていない。せいぜい同僚くらいにしか見てないようなのだ。お互いに。
次は人命にかかわる。
「溺れている人をみたらほっとかない。真っ先に飛び込む」のは間違いない。抜き手を切ってとはいかないが、犬掻きではせ参じる2頭の
救助犬・・・まさにテレビ向きではないか。拍手喝采だ。しかし、問題はその後だ。「じゃれついて、溺れている人をさらに沈める」のが目に見えている。
次もパスだな。「おじいさんの薬をばらばらにすることは出来るが、時間の観念はどうみてもない」。自分たちに都合のいい腹時計しか持ち合わせていないのは日ごろの観察からも明白だ。
その次もだ。「荷物運びを手伝う気などさらさらなし」。前にいたグレースは酒屋から缶ビールを歯型付きながら意気揚々と持ってきた。今になって”エライ犬”だったと思う。
あの時なら出演できたろうに、惜しい。眼前の2頭はハナから見向きもしない。
「新聞を持ってきてくれる」。これだ!雌伏9年、エディーが一躍テレビで脚光を浴びる時が来た。新聞記者の家庭だから
それらしい芸をと、ママがひそかに仕込んでいたのだ。並んだ数ある新聞の中から、パパが関係するS紙だけ持ってきたら
すごいではないか。インクのにおいは新聞社によって違うから科学的にも理にかなっている。嗅覚がいい犬ならお茶の子さいさいだ。
ママが首を横に振っている。「XXXX新聞持ってきて!」というと、確かに持ってくる。だが、途中で2頭で取り合いになりビリビリ
にしてしまうのだという。なら、エディーだけ出演すればいい。
また首を横に振っている。新聞とチラシの区別がつかないという。
なんでもいいから紙と名の付くものを持っていけばお駄賃がもらえると覚えこんだらしい。腹が減ると頼まれもしないのに、
手っ取り早く目に付いた紙を勇んで持参する。これでは押し売りではないか。配達ピザ屋のチラシなどおいしそうな写真が載っていると
真っ先に持ってくる。時には己の願望も入るらしいのだ。
アーチャの特技は・・・ |
これが洗い物を洗濯機まで運ぶ犬というのなら、テレビ局からお誘いがかかっただろうに、惜しむらくは我が家は逆ときている。
それもソファーにポイ捨てではなあ。どだいカメラのアップに耐えられる代物ではない。ディレクターの小馬鹿にした顔が見える。
いろいろ2頭の特技について検討したが、我が家の犬どもはお気楽、かつ無為徒食の輩であるという結論に達し
、せっかくのお誘いメールだったが削除したのだった。
芸がなくて悪かったな、の2頭。 | エディーは雪の中の姿が良く似合う。 一度もトリマーの世話にならなかったが。 |
2004年3月25日、エディーが10歳になった。温和で優しすぎるのと優柔不断が際立つが、両手両脚4本宙に上げていびきをかいている
ところを見ると「平和と幸せを絵に描くとこうなるのだろう」と思わせる。人間の年齢に換算すると60−70歳くらいらしいが、人間と同じく犬の世界でも
長寿記録がどんどん更新されている最中なので、壮年期といった健康ぶりだ。皆もうらやむ快食快便、アーチャの食事をすきあらば取ろうと身構えている
ところなど執着心はまだ青年期を思わせる。家族と共に2回の転居、1つの大きな交通事故を潜り抜けてきた。トラックにはねられ、耳から血を流したとき
など、皆がもうだめだと涙を流した。それだけに彼に対する思い入れは深い。生きていてくれるだけで家族に幸せをもたらしてきた。
先週だったかイスラエルがパレスチナのイスラム原理主義ハマスの指導者、ヤシン師をヘリから空爆して吹き飛ばした時、抗議のため棺桶担いだ
群集がデモをしているニュースをエディーが見入っていた。犬といえども人間の愚行が分かるのだ、と思った。我が家では新聞やテレビのコメントの
ような綺麗ごとではなく「天下の暴論」がまかり通っている。例えば。宗教のためになんで殺しあわねばならないのだ、ということからキリスト教、イスラム教、
ユダヤ教の三つが共に聖地として取り合いしている「嘆きの壁」など、あと腐れなく爆破してしまえ、とか、イラク人が「治安が悪いのはアメリカのせいだ」とか「仕事が
ない。フセインの方がよかった」などと言っているのを聞くと「なんという民度の低い連中だ。終戦直後の日本人はこうではなかった」という類の、外部には
とても出せない話になるのだ。エディーの哲学者のような顔を見ていると、彼はすべてお見通しだとさえ思える。
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エディー万歳!家族の気持ちをアニメであらわすと・・・ | エディーが2頭いるように見えるが、手前は森家から贈られたプレゼントが入った容器です。 |
浮世のしがらみを超越したかのようなエディ−の誕生祝いは家族全員、加えて嫁に行った長女も帰ってきて盛大に行われた。
次女からはエディー誕生の年のヴィンテージもののワインと近づいた4月4日の夫婦の結婚記念日に向け前倒しのワインが贈られた。電気が消され点灯した
ローソクの中でハッピーバースデーの歌が流れた。
2004年は途中の寒波で花もちがよかった。 エディーとアーチャは平和な花見を 楽しんだ。(下北沢の緑道 4/3) |
以前にも紹介した八ヶ岳でお向かいの
森家のニャンコ「虎ノ介」と「駒雪」からは「いつの日か我々4人のうち誰かが”ポチタマ”デビューできる日を夢見て・・・」というメッセージつき写真とプレゼントの
おいしそうなドッグフードの缶詰が届いた。今ベトナムに行っておられるご主人は阪神ファンなのだろうか。奥様は川端康成のファンなのだろうか。今まで
気づかなかったが一度聞いて見なければならないな。ベトナムも流血の地だったのはついこの間だった、ボーゲンザップ将軍のゲリラ論など、おやじは
別な事を思い出していた。ディエンビエンフーのフランスやハノイ陥落の日のアメリカは何のために血を流したのだろうか。
例によって和光のケーキを前にしたエディーの写真を撮りながら、ここはベトナムでも中東でもない、「平和と幸せを絵に描くとこうなるのだろう」と考えた。
2004年6月11日付の新聞各紙に以下のような記事が掲載された。映像つきで流したテレビ局もあった。
利口な犬は200語分かり、「物に名前」も理解 ドイツ
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犬は「お座り」「お手」だけではなく、基礎的な言語能力を備えている――。ドイツの研究チームが、ある犬を調べたところ、 約200語の語彙(ごい)があり、物にはすべて名前があると理解するなど、言語を操る前提となる能力をある程度備えていることが分かり、 独マックスプランク研究所のチームが2004年6月11日付の米科学誌サイエンスに発表した。
現在9歳のオスのボーダーコリー犬「リコ」は飼い主に「ボールを取って来い」などと訓練されるうちものの名前を覚えた。研究チームは、飼い主の表情を 見て物を選ばないよう、隣の部屋に置いた物を取って来るように命じる実験をし、9割以上の正解率を得た。ボールや靴下、バナナなど約200 種類の名前を覚えていることが確かめられた。
1カ月後に、全く新しい物が交じる中から、前回初めて見せた物を取って来させる実験をしたところ5割の正解率で、3歳の幼児と同じ程度だという。 研究チームは「消去法で言葉の意味を推測したり、学んだ知識を記憶したりという基礎的な能力を人以外の動物も持つことが分かった」としている。 松井智子・国際基督教大学準教授(言語学)は「幼児の方が語彙が圧倒的に多いなど、人との差は大きいが、犬にも高い言語能力があると示し た点で面白い」と話す。
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これを読んで、エディーと我が家の全員は「フン!なにをいまさら」と学者の不勉強こそ問題だ、と考えました。
だってそうでしょう。「エディーとリズ」のくだりで何年も前にこう書いてあるんです。
「我が家のエディーは「ごはん」「ミルク」「おやつ」「ダメ(No)」「来い(Come)」「待て(Wait)」など、食べ物や命令に関する人間の言葉を完全に理解して
いるばかりでなく、八ヶ岳にいる動物の名前も識別しています。うそではありません。例えば、来客と話していて「カケスが来た」とか「リスが座っている」と
かいう言葉を聞くと、足元で寝ていたエディーがガバッと立ち上がって、窓際に駆け寄りカケスやリスの姿をさがします。たまたま「ス」という言葉に反応
しているだけではないか、という疑い深い人がいて「ボス(・)が来た」とか「ミス(・)ター長島」と言ってみたのですが、エディーは寝たままです。
エディーは抽象的な言語も理解しているのです。時に犬であることを忘れるほどです。ですから、家内などしばしば耳元でえんえんと話し込んでいる
くらいで、その間哲学者のような表情で聞いています。人生相談の役目もつとめます。」
そんな大層な実験しなくとも、我が家に来てエディーをみればすぐ分かるのに、とドイツ人に教えたい心境です。200語とまではいかないが論文書くには
十分なデータを提供できたでしょう。さっさと研究に来ないからエディーはそろそろ物忘れが始まる年齢にさしかかった。ほんとに学問の進展はのろい。
我が家の研究というか体験の方が先をいっていると痛感したことでした。
アーチャ3歳。娘たちに祝われる。 |
ケーキに3本のローソクが輝く。 |
ちょっとしかもらえないのは毎度のことだ。我が家の犬はこんなうまいもの食べたことがないから、下手に感動されて、病み付きに
なったら困るのだ。それでなくても食べ物をめぐってのママとのバトルは連日のことなのだ。誕生パーティーの翌日もそうだった。
八ヶ岳高原ロッジの「行列が出来る食べ物」にガーリックパンがある。夏など行列しても当たらないときがある。少し涼しくなって
お客さんも減ってきたので先日手に入った。これがテーブルの上にあったのだが、アナスタシアが夜のうちに、3本のロールの
うち1本をきれいに平らげていた。ニンニクの匂いが袋からもれるらしくてかなり奥にあったのに這い上がって失敬した。
朝食の時間、悪いことをしたと身に覚えがあるときは、彼女はものかげに身をすくめて隠れている。当然1食抜かれる。正直者の
エディーがむさぼる食器の音を聞きながらオドオドした時間をすごす。何のことはない「朝三暮四」を地で行く生活だ。
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この顔で領土拡張主義者とは |
そこに加えて近ごろ、私との領土戦争が繰り広げられている。
アーチャはまだ夜も明けないうちに私の部屋の前にやってくる。散歩を期待してのことだ。ドアの隙間に鼻を押し付けて「クーッ」と哀れっぽく
訴える。過去の犬たちにはそれぞれ慙愧の念があるから、私はこの手の哀願には弱い。扉を開いてやると、おずおずと入ってくる。殊勝にも床に寝そべって遠慮がちに
見上げている。愛らしさに、つい頭のひとつも撫でてやる。
真骨頂を発揮するのはこれからだ。ものの10分もすると、ベッドの上にあがってくる。でも、足のすそのほうだ。ほんの少しばかり拝借します、といった風情で
丸くなっている。風呂にも入っているし、まあいいか、と思う。ここからがすごいのだ。やがて手足を投げ出して伸びをする。領土は一挙倍増だ。
そのうち両手両脚を宙に挙げる。これでいびきが聞こえるときもある。
一般に動物は腹を見せない本能を持っている。敵の攻撃から身を守るため、弱い部分をさらさないものなのだ。ところが我が家の犬どもは人に危害を加えられた
覚えがない。防御本能はいつしかどこかに置き忘れてきたらしく、2頭そろってソファーの上で手足を上に挙げて寝入る姿も珍しくはない。
アーチャが領土拡張の野心を発揮するのはこれからだ。
四足宙に浮かせた姿勢から、今度はそれまでの反対側にドタッと倒れこむ。当初の領土からこれで「4倍増」だ。アーチャは犬のくせに枕を必要とする。
運んできた靴やシャツを丸めたものを枕にして寝ているうち癖になったものと見える。私の足のくるぶしを枕に寝息を立てる。最近計量したことはないが、
大型犬だから30キロは超えていよう。しびれてくる。飼い主を枕にしおって・・・と足を抜くと、すかさずそこに侵略する。
こちらだって手をこまねいているわけではない。領土拡張主義者には断固と反撃に出るのが古来からの外交の鉄則である。蹴り飛ばして、もうベッド上に割譲する
余地などない、と仰向けになり、両手両足広げて寸土も渡さない意思表示をする。ところが、あきれたことに、こちらの足の間に入りこむや、犬のほうも仰向けに
なる。あろうことかこちらの股間を枕にして寝るのである。重いのなんの、30キロでの押さえ込み状態だから身動きもできない。
時折けいれんのように全身の皮膚をブルブル引きつらせる。これが心配でならない。病気ではないかと思ったりするのだ。なに、これも手口のひとつのようで、
好きなだけ伸びをするとまた寝入る。結局、ベッドの中央に大の字になって寝ているのは
犬で、飼い主は隅っこに丸まっている構図で朝を迎える。
あれだけ広大な領土を持っているロシアが不法占拠したわが国の北方四島をいまだに返さず、中国が尖閣諸島に出没するのを見ても、、こと領土となると版図拡大にうつつを
抜かすのは国家の本領のようだが、犬もそうなのだろうか。
それにしても、大陸国家を相手にしたとき、我が外務省などむこうから見たら赤子の手をひねるようなものだろう。
「戦後50年もたっていまだ未解決の北方四島問題は・・・」という表現ひとつとってみても、スケールが違うと思わせられる。四季が3ヶ月ごとに変わる国にとっては
「50年も」だが、ロシアを構成するスラブ民族にとっては「たった50年」なのだ。あちらは、半年以上の「冬」と、わずかの「冬でない」季節しかない。厳寒の底で延々と耐え
てきた民族である。
ロシア文学を読んで辟易するのは延々と続く冬の描写だ。川端康成なら「トンネルを抜けると雪国だった」と1行ですむところを、トルストイでもドストエフスキーでも
地吹雪の中を歩き続ける描写が何ページも続く。「罪と罰」のラスコーリニコフが「貧乏は罪ではない。これは真理です。しかし、貧乏もどん底となると、
いいですか、このどん底というやつは ―― 罪悪ですよ」と考えるまでに、気が遠くなるほど
のページが費やされる。北大にスラブ研究所があるから、ここの学者ならわかるだろうが、日本人とスラブ民族では息の長さが違うのだ。北方四島など100年後すこし
考えてみよう、くらいに違いない。しかも、そのときは「半分返そう」だろう。半分というと聞こえはいいが、根室市のすぐ前の色丹島と歯舞群島二つあわせても北方四島の十分の一
にもならない。そのくらい息が長い民族なのだ。個人単位では人がいいが、国となると狡猾でもある。
その老獪なロシアが世界史に残る愚行をやらかしたのが、アラスカを売り飛ばしたときだ。当時毛皮しか取れないアラスカはモスクワからは最果ての不毛の地だ。
クリミア戦争に敗北したロシアが財政難から1867年(明治維新の前年)、アラスカをアメリカに720万ドル(約8億円)で売り渡した。世紀の愚行として有名だ。買った
アメリカでも時の国務長官が「巨大な冷蔵庫を買った男」として非難された。13年後ゴールドラッシュが始まり、石油が発見された。
領土問題はそれほどむずかしい。ここは乾坤一擲、負けてられない勝負どころだ。
エディー11歳の春 |
もっとも早朝の散歩では、以前は気配だけで察知して駆けつけてきたものだが、近ごろはこちらがお迎えに2階まで
参上する。両手両脚宙に上げての爆睡中が多い。「おい。散歩だぞ」と言うと目だけでこちらを見て、またかというような
顔で見上げるだけ。散歩抜きで食事をくれといわんばかりだが、そうはいかない。アーチャがそばで早く行きたくてじたばたしている。
尻をぽんと叩くとようやく腰を上げるのだが、どっぷりソファーのへこみにはまっているからエイヤッを2度ほど繰り返してやっと
こ歩行スタイルになる。
ステーキには、ママからの 心からのメッセージが |
エディー11歳のケーキです。 |
お相伴でご馳走さま。アーチャ3歳です。 |
今年1月10日、長女の家庭に女の子が生まれた。「優妃」というのだが時おり名前を忘れる。犬の名前は忘れないからランクで言うと、
犬以下だが、そんなこというとえらいことになるから黙っている。その母子もやって来た。エディーがえらいのは、その初孫が家族の一員であることを
認識していることだ。赤ん坊がいると犬を遠ざける人がいるが、我が家はほったらかしだ。台所では哺乳瓶の消毒をしたか、女性たちが確認している。てんやわんやの
こちら側では、アーチャがペロッと赤ちゃんの顔をなめて親愛の情を示している。アーチャは自分流に消毒してやっているのだ、と私は見てみぬふりをしている。
「ゆうひ」も喜んで手足を動かしている。仲間意識が芽生えているのだろう。将来、犬嫌いにならないことは保証できる。
ことしも「Happy Birthday to You」の歌声を聴くことが出来たが、一味違っていたのは、「こんにちは赤ちゃん!」の意味もあったせいだろう。
優妃のおめもじです。 |
小さいときからこんなに犬に迫られるのも珍しいだろうから、記念撮影。
エディーが死んだ。2005年5月13日。切ないことにまた犬の命日が増えた。望んでなどいないのに、このホームページに4つ目の墓標が立った。
我が家のママに連れられて新幹線で静岡からやってきた日のことを、家族は今も鮮やかに思い出す。子犬は皆可愛いが、ゴールデンレトリーバーの子犬はとりわけ
かわいい。きっと神様がとりわけ機嫌のいいときの造作なのだろう。落合公園に連れて行ったら、触りたい人たちで、たちまち人の輪が出来た。石の滑り台を我が家の娘たちと一緒に滑り降りるときの
足を踏ん張った必死の形相はおかしかった。
このときから足が並外れて大きく、大きくなる予感はあったが、たちまち40キロの大台を超えた。ゴールデンの中でも一回り大きかった。計測する方法がなくて、獣医に聞かれても「50キロ前後でしょうか」で
すませていたから、とうとう最後まで正確な体重は分からずじまいだった。横断歩道で待っていると「でかいなあ」「かわいい顔している」という人の声が聞こえた。温和な表情は
犬に用心深い人でも警戒心を抱かないで近寄ってきた。抱きつかれてよだれを付けられた人は数多いが、文句を言われたことはなかった。
ゴールデンウイークは八ヶ岳にいたがエディーの看病に明け暮れることになった。林道を6キロほどハイキングした。残雪に寝転び、渓流に入り、急流を渡り大喜びしていたが、これが引き金になったのか、2日後熱発した。
ペンション「コスモス」のご主人は獣医さんだが、往診は真夜中も含め5度に及んだ。どうしても帰京しなければならない最終日、びっくりするぐらい元気になり、
はしゃいだ。ひとたびは安心したが、3日目倒れた。紹介状をもらって本郷の東大家畜医療センターで診察を受けるべくママと出かけた。受付を済ませて戻ったら急変していた。病院のスタッフが
走り出てきてICU(集中治療室)に運び応急処置をとってくれたが戻らなかった。
エディーはいろんな人と独自の交流を広げていた。散歩の途中で知り合った人、山小舎のお近くで大好きな森さん夫妻は、雪の日エディーが駆け寄ったのを襲われると勘違いしたご主人が身構えて 奥さんを守ったのだが、以来大の友達だった。福島県で医院を開業している親戚からは「息子たちはエディーにまたがって遊んだことをいまもよくおぼえています」とメールがきた。たくさんの人たちの 胸の中にエディーが生きている。もちろん私たち家族も忘れはしない。大きな奴だったが存在感もまた大きかった。家族の涙が一段落したあとは、ただ11年2か月への感謝の気持ちが沸々と湧き上がる。
エディーは、自分がどれほど大きな役目を果たしたか気づきもしないまま旅立った。家族にとって、犬とはもう五たびの別れになる。その経験から断固として言えるのだが、彼らが与えてくれる喜びに比べれば、人間が彼らに与えることが出来るのは、ほんのささやかなものに過ぎない。時にソーセージの一切れであり、頭の一撫でであるかもしれないが、彼らは一言も不満を言わず、十分満足して、元気よく尻尾を振る。エディーもそうした11年2か月を我々と過ごした。
家内にとっては時に愚痴の静かな聴き手であり、娘たちにとっては従順な遊び相手であり、親父にとっては林の間で昼寝する枕であり、生後半年足らずの孫娘にとっては子守であった。顔に白いものが目立ち始めたせいか、ローマ元老院の哲学者といった風貌で遠くを見つめている姿には貫禄があった。威風堂々、辺りを払う風格と言ってよいかもしれない。
優しい性格はもって生まれたものだろう。人は信じないかもしれないが、グレースが死んだ時、エディーの眼から一筋の涙が伝わったのを私ははっきりと見た。切なくなって頭を抱えてやると亡骸の横にくず折れた。男の約束で口外しなかったが、あれは涙に間違いなかった。
寡黙で無駄吠えなど一度もしたことがなかった。痛みも一身に受け止め、足を踏まれても黙って引っ込めるだけで決して悲鳴などあげなかった。例え血がにじんでいても黙って耐えた。病が進んで立てなくなってからも、抱えてやると、四足を踏ん張って遠くを見やりながら放尿した。威厳があった。その最後も同じで、痛みはあったはずだが、黙って運命を受け入れて逝った。私もかくありたい。
もう一度言わせてほしい。エディーが与えてくれた喜びに比べれば、私たちが与えることが出来たものは、ほんのささやかなものに過ぎなかった、と。
きっと、向こうでもこんな格好で寝そべっているのだろうな。 |
「エディーとリズの物語」へ
「グレースがやってきた」へ
「ティアラ母さんご登場」へ
「アナスタシアが行く」へ