やんちゃ娘グレースの天真爛漫、されど落花狼藉に家族は右往左往。はたして平穏な「エディーとグレースの時代」は来るのだろうか。


グレースです。世の中、わたしを中心に動いてます。

今度はモナコ王室風で         見参!典雅な名前とうらはらな新顔

グレース、玄関を2階に移す             運び屋のこまった趣味

すごい血統書だ!                 親兄弟チャンピオンだらけで

やっぱ、頭いいわ                       フラットは頭脳明晰

犬にはジャッカル系とオオカミ系がある      「ソロモンの指輪」から

人が犬をかめばニュースだ!       娘がグレースの鼻にかみついた

災難はある日突然やってくる                 いたずら犯行簿

グレースめでたく1歳の誕生日を迎える  銀座「和光」のケーキですぞ 

恨みは深しグレースめ                   オヤジは怪我だらけ 

グーやグーや                                犬と漢詩

からすみ食う犬                     日本の珍味も鵜呑みとは

グレースが死んだ!                         呆然と慟哭と



 今度はモナコ王室風で

みんながリズに気兼ねして、言い出せなくて、書けなくていたのだが、リズの死からまもなく岡山県津山市から小犬がやってきた。 リズをいただいた方がその後岡山に引っ越されたのだが、事故を報告したとき、家族の気落ちを心配されて、夏に生まれた小犬がいるけどいかがです かといっていただいた。 また、思い出にホームページを立ち上げることを思いつき、準備にかかったのだが,リズの墓のところで使うコオニユリの写真を提供していただいた主 婦「かやすが」さん(こちらも岡山の方)からメールをいただいた。

『ヘリオットの「愛犬物語」に、愛犬をなくした場合は新しく次の犬を飼うのがいいのだと力説してあったのを思い出します。 前の犬に申し訳なく思う必要はないと。それがいちばん正しいのだと、そう書いてありました』

そんなことが励みになって、同じフラットコーテッド・レトリーバー犬をまた飼うことにしたのである。 秋のはじめ、9月28日、家内が1泊して津山まで引き取りにうかがった。高速バスで大阪まで、新幹線で東京までと乗り継いで連れてきた。
みんなが見守る中バスケットから顔をのぞかせた黒い小犬をみたとき、リズの一生が一気に脳裏をよぎり不覚にも涙が出た。 そして「この子はなにをしても許される」と宣言してしまった。

1999年7月1日津山生まれのこの子の名前は来る前から「グレース」と名付けられていた。前2頭が英国王室風だから今度はモナコ王室風という ワケである。グレース王妃が交通事故死したことが思い出されたが、かえって注意するからいいだろう、と思うことにした。

 グレース、玄関を2階に移す

リズと同じ犬種ではあるが、両親は違うと聞かされていた。「一番おとなしいのを選びました」と岡山の親元から聞いて、 そういえば容貌もすこしリズより穏やかな方かな、と思ったのもつかの間。なに、やることはリズと同じかそれ以上。 1階の玄関の靴を全部2階のリビングに運び上げるのが趣味で、熱心に階段を往復する。外出時に片方をさがす家族のあせりの声と、かかとをかじら れた靴を抱えた悲鳴が連日聞こえる始末。 その昔、エディーのいたずらがひどい頃、グチをこぼしたらこう慰められた。「ウチなど外出から帰ったらピアノが傾いてました」。 脚をかじり取られたという。それよりかましかと、ひとつの基準にはなったものだ。ましてグレースの場合、お姫様ご到着時「この子はなにをしても許され る」と叫んでしまった手前、手荒なことはできない。なによりつぶらな漆黒の瞳を見るとこちらが腰砕けになるのだ。


来て1ヶ月もたたないうちに階段の昇り降りが出来るようになったおかげで・・・

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 すごい血統書だ

2000年のミレニアムを前に、血統書が届いた。家族一同びっくり仰天である。リズの時もかなりなモノだったらしいが、興味がないのでよく見なかった。 今回は違った。両方の曾祖父まで10数頭の名前が書いてあるのだが、たった1頭を除いてあと全部の係累に「CH」(チャンピオン)マークがついていたのである。 カーペットをかじるのに熱中している本人に一同の「あんたが一番」という尊敬のまなざしが集まった。 「これではどこかの大会に出場させなきゃいけないか」と、逆に重荷を背負った家族の誰一人として、どこで大会が開かれるものやら知らないのである。 もっとも、血統書の件ははや忘れられかけている。横断歩道の真ん中で脱糞してすましているグレースに、停車したクルマに謝りながら拾い集めるみじ めなオヤジが「なにが血統書だ」とののしる時に使われる程度である。

 やっぱ、頭いいわ

フラットコーテッド・レトリーバーという犬種は頭がいいことはリズで経験したが、グレースもしかり。リズのくだりでいたずらの数々を紹介したがそのすべて をグレースがやってくれた。 テーブルの上のものを椅子に登って払い落とす勇姿などリズ再来を彷彿とさせる。はいってはいけない、といわれている娘の部屋に入るところを目撃 したのは家内だが、ドアのノブにぶら下がるように飛びついてそのまま侵入をはたしたと感心しきりである。 まだその逆の方向はできないのが救いでもある。酒屋で買った缶ビールの袋をくわえさせたら、家まで運ぶ仕事が一度ですっかり気に入ってしまった。 さすがレトリーバー犬よと感心したが、おかげでオヤジは時折歯型のついたものを毎日の割り当てのように飲まされている。近所で人気者だというから 仕方がない。

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 この世の犬にはジャッカル系とオオカミ系があるという

99年末から2000年1月まで、2度にわたりラムゼー・ハント症候群などで入院した。そのとき読んだのが、「ソロモンの指輪」(コンラート・ローレンツ、日高敏隆・訳 早川書房)である。 オーストリアの動物学者、コンラート・ローレンツの動物行動学の著書から面白い記述を見つけた。(ソロモンの指輪とは旧約聖書でソロモン王が動物 と自由に話せる指輪を持っていたことからきている)

ヨーロッパのイヌの諸品種は、すべて純粋なジャッカル系のイヌである。現存するもっとも純粋なオオカミ系のイヌは極北アメリカのインディアン犬のマ ムレート犬である。 エスキモー犬、北方種のラップ犬、ロシアのライカ犬、中国のチャウチャウ犬などはオオカミの顔つきの特徴である突き出た頬骨や、斜めについた目、 いくぶん上を向いた鼻を持っている。

  なぜイヌがたった一人の主人に決定的に結びつき「忠誠を誓う」のかもやはり謎である。ある檻(おり)から連れて来た子イヌの場合だと、2,3日と たたぬ間にきわめて急速に忠誠の誓いがおこなわれる。 イヌの全生涯におけるこのもっとも重大な過程の「感受期」は、ジャッカル系のイヌでは生後八ヶ月から一年半の間に、オオカミ系のイヌではほぼ六ヶ 月目にあたる。

イヌが飼い主に示す深い愛情は異質な二つの源から発している。第一のものは、野生のイヌがその群のリーダーに対して抱く愛着である。 家犬ではこの本質をあまり変えないまま、人間に移し替えられるのだ。これに加えて家犬では、全く別な形の愛着が生ずる。 野生型では幼若期のみにごく短期間見られるにすぎない体の構造や行動が、家畜では一生涯保たれている点が異なっている。 例えば家犬品種で見られる短い毛、巻いた尾、垂れ耳、まるっこい頭、短い鼻先はこのような特徴の例である。家畜化にともなうこの幼化は、行動に おいてはなによりもまず愛着の面であらわれる。 野生イヌでは幼犬がその母親に持つ愛着が、家犬では一生涯保たれるから、それが変わることない忠実さとなってイヌを主人に結びつけるのであ る。

群の愛着と、家畜化によって持続的なものとなった子どもの愛着。この二つが源泉となってイヌのあの忠実さを形作っていることになる。 オオカミ系のイヌとジャッカル系のイヌとでは本質的な相違がある。それはその源泉の強さが二つの系統で異なっていることによる。 オオカミでは、群というものが、ジャッカルにおけるよりも桁違いに大きな意味を持っている。ジャッカルはもともと定住性の動物で、たまたま群をなし て狩をするにすぎない。

ジャッカル系のイヌはあまりにだれとも「仲良し」になりすぎ、事実上誰が綱をひっぱっても喜んでついていってしまう。これに対し、ひとたびオオカミ系の イヌが、ある人に忠誠を誓ったら、もはや永久にその人のイヌである。 知らない人はしっぽすら振ってもらえない。二君には仕えないのだ。おとなになってから飼い始めたオオカミ系のイヌは決して君のイヌにならない。 もし何かの理由でイヌを手放さねばならなくなったら、イヌは完全に心理的平衡を失ってしまう。 オオカミ系のイヌは、死ぬまで君の友である。だが、決して君の奴隷にはならない。町で鎖なしに主人の側を歩いているチャウチャウ犬を見かけるこ とはまずないのだ。

ジャッカル系のイヌはまるで違う。昼も夜もいつも君の命令に注意を払っている。自分の名を呼ばれたらすぐ飛んでくる。気が向いたからではない。 行かなくてはならないと思うからやってくる。厳しい声で呼ばれるほど大急ぎで飛んでくる。

      *************


引用が長くなったが、なるほどなあと思った。我が家の2頭はヨーロッパで狩猟のために改良された。だからジャッカル系である。人間なら誰でもいいか ら飛びついてしまうのだ。
だいたい人間と犬の付き合いの始まりは、10万年前までさかのぼることができるという。それに比べ、猫や馬の家畜化はたかだか約5000年前に始まったとされる。 ケタが違うのだ。ダーウィンの『種の起源』だって、「犬の人間への親愛の情が、本能的となっていることは、疑いようがない」と断定している。

下北沢で、三軒茶屋で、彼らが誰かれなしに飛びつくのはありゃ本能だった。そういえばシベリアンハスキーが「アホ、バカ、恩知らず」と急激に人気が下落 したのは、主人は一人しか持たないという、彼らの特性を知らない人間の方に罪がある。そしてまだそのことに気づかないとは何という不幸だろう。


ジャッカル系のお二方です。人間大好きです。

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 人が犬をかめばニュースだ!

グレースのいたずらがひどくなるばかり。2000年以降彼女がせしめたものを羅列すればもはや,笑ってすまされない問題なのがわかろうというものだ。 ゴディバのチョコレート、ミルクはパックごとやられた、辛子明太子1箱(さすがにこのときは皆で腹具合を心配したが、当人はけろっとしたもの)、ちょっ と名の通ったケーキ店のショートケーキ、堅焼きせんべい、塩じゃけの切り身、フランス土産のバター半ポンド、正月用のあずきの缶詰(だから家族は ぜんざいを食べられなかった)、食パン1斤(包装紙を覚えてるらしくどこに置いてもダメ)、すき焼き用の肉・・・

2月某日、ママが「今日は頭の血管がプチプチ切れるのがわかった」と怒り狂った。近くの銀行などに行ってほんの1時間足らずで戻ってみたら、ブチ 切れたという。玄関から始まって部屋という部屋足の踏み場もない。 紙類は紙吹雪になるくらい細かく裂かれ、衣類は引きずり回して破れ、食べるはずのない山芋には歯型がついている。 なにより、アメリカ・テネシー州の友達に頼まれて近日東京で開くことになっているアメリカンクラフト展に出す作品が届いたばかりだったのが、パッケ ージごと食い破られ、人形の顔や手がさながらバラバラ事件の現場のごとく散乱していたという。 あまりの情けなさにしばし涙にくれたあげく、お仕置きをした。手近の物差しや箱でしこたまひっぱたかれたグレースは、怒りのすさまじさに恐れをな し、テーブルの下に隠れぶるぶる震え、おしっこを漏らしたというから相当こたえたらしい。

新聞記者が新人に、ニュースとはなんぞやを教えるのに「犬が人を噛んでもニュースではない。人が犬を噛めばそれはニュースだ」というのがある。 うちの娘は部屋を荒らされ、思わずグレースの鼻に噛みついた。でもニュースにはならなかった。 報告を聞きながら獣医のことばを思い出していた。「ひっぱたいて、反省するのはまあ3秒ですな」。その短さがやたら印象的だった。それにしても、 うちの家族の行動と反応が犬のレベルであることに、暗澹たる思いである。

 災難はある日突然やってくる

一夕、料亭に上がることがあった。某県知事を囲む会で、出馬のとき相談に乗った縁で毎年開かれている。 下足番に案内された玄関には県庁の役人や仲居が並んで出迎えていた。立派な石の靴脱ぎから、あがりがまち に足をかけたとたん「くそ!」。靴下に大きな穴があいている。グレースの、べろをヨコに出した、してやったりの顔が浮かぶ。

座敷にはお膳が並んでいて、その前で胡坐(あぐら)をかくのだが、グレースの穴は内側の踝(くるぶし)にある。どう工夫しても大きな穴が 上に出る。ままよ、と飲んでいたが何人もが気づいた。「どうされました」というので「イヌめが・・・」と一度は説明したが、面倒になって 「いや、まあ」と適当にしているうちに、役人が靴下を買いに走る騒ぎになった。料亭にタバコの買い置きはあっても靴下などあるわけがない。

帰り際、もっと悲惨だ。石の上に、靴べらがはさまれた私の靴が出されている。 いざ履こうとしたら、かかとがぎざぎざだ。なんと皮靴の下地が出ている。気づかなかったが、あいつが昨夜しがんだに違いない。下足番は靴を見て人品骨柄を判断する、 という。馬の骨は事実だからいいとして、あの夜、彼は首をかしげたことだろう。よほど砂利路を歩くのだろうが、靴のかかとの皮ががびがびになって、 靴下の上のほうまで穴があく生業(なりわい)ってなんだろう・・・と。

なまじの神経ではこんな飼い犬の飼い主はつとまらない。こういうことは「天災」だと思うことにしている飼い主にしてはじめて共存できる。「天災は忘れ たころにやってくる」といったのは寺田寅彦だ。だいたい、忘れているころ出くわすという定義に当てはまれば「天災」だ。なら、いろいろ「天災」には出く わしてきた。茶色と黒の革靴を左右履き違えて出勤したことがある。ダブルの背広の上下が柄違いということも、一度ならずあった。両方とも途中の 地下鉄で気がついた。でも、こんなことで自宅に戻るようなことはしない。「天災だ」と思えばいい。つまり「仕方ない」範疇に入ることにくよくよしても始ま らないのだ。街の中で前の男の異変に気がつくのはだいたい10人中1人ぐらいだ。1人のために戻れるか、そう前向きに考えることにしている。

最近まで小林一茶の文とばかり思っていたのだが、「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」に「遊びをせむとや生まれけむ たわぶれせむとや生まれけむ 遊 ぶ子供の声聞けば わが身さえこそゆるがるれ」とある。子供を見る親の目はいつの時代でもそんなものだろうが、我が家の子供は二人とも娘で、そ こまでひどいいたずらは経験しなかった。そのぶんいまグレースががんばっているのだ。

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 グレースめでたく1歳の誕生日を迎える

2000年7月1日、グレースが1歳になった。家族一同、それぞれの思いでこの日を迎えた。リズが8か月で亡くなっただけに、まずそれを超えることが 目標みたいになっていたのである。本人はそんなこと当然のごとく悠々といたずらにいそしんでいる。テニスボールなど芯まで解体しないと納得しない 学究肌だ。

我が家では娘と犬の誕生日は銀座・和光のケーキと決まっている。おやじは宝石店でケーキを売っているのかとびっくりしたくらいだから、皆に味音痴 とみなされ、下の娘と同じ7月生まれでもケーキなどで祝ってもらったことがない。こういうことに感動型でないので張り合いがないこともあろう。ところ が、今年は和光でなく、新宿のなんとかというケーキ店だ。ケーキの上に犬の顔のデコレーションが乗っているというのが決め手になった。

家内が電話した。店員に「あのう、ウチのは犬でなく熊の顔なんですが」といわれた。「すこしいじれば犬になるんじゃないですか」としぶとく食い下がる。 できあいなので熊は犬にはならない、とむこうもがんばる。じゃあ家族が熊を犬の顔と思えばいいのだ。熊のような犬もいないわけではない。「グレース 1歳の誕生日おめでとう」というメッセージを書き取って向こうが笑いながら聞いたという。「犬がケーキを食べるんですか?」。


問題のケーキと鯛の尾頭付きの前で神妙に主役をつとめるグレース

ともかく、ローソク1本、娘が代わりに吹き消した。ハッピーバースデーの歌の間、本人はわりと神妙に主役をつとめていた。エディーも何かいいこと ありそうな予感によだれをたらしながら待ち構えていた。ところが最後の瞬間、「虫歯になるから」と主人公はケーキのホンの一かけらがもらえただけ。 なら、犬だ熊だといわなきゃいいではないか、と思うかもしれない。それがそうでないところが家族のこだわりというものである。それでもエディーは、お めでとうが書かれた例の熊の顔のチョコレートでできた「看板」部分にありついた。

かくて我が家の、記念行事はめでたく終わった。犬たちはきちんと誕生パーティーを開いてもらえるが、おやじはめったなことでは開いてもらえない。 2000年も例外ではなかった。八ヶ岳と東京に家族が分散していたためだ。携帯電話に「留守番電話あり」とある。どうして再生するのかわからずほっ といたら、あれにおめでとうのメッセージを入れといたからね、でおしまい。別にめでたくもないから、いまだに聴いてない。亭主の座は犬以下にランク されている現実を知ってか知らずか、3頭(後述のごとくその後さらに1頭増えた)は毎朝夜明けとともに散歩の催促に押しかけてくる。彼らにもてるの は朝だけである。

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 恨みは深しグレースめ

1歳を過ぎてもグレースのいたずらはいっこうに減らない。さんざ書いたから、いちいちあげつらわないが、ひどいものだ。だいたい予想できることは 事前に予防措置を講ずるし、それでもやられたらまああきらめもつく。我が家のサンダルは片方、それもまんなか10センチを残して前後がない。履け たものではないが、かじらせとけば被害が他に及ばないという深慮遠謀から置いてある。しかし、いつも予想外のことをしでかすから困るのだ。

山に行くときは4WDに乗る。緑地が見えるたびに降ろせ!と騒いで飛びつくから、フロントにある計器板のプラスチックは割れてむき出しだ。ラジオの つまみもへし折られて音量調整もままならぬ。背もたれの調整つまみもかじり取られて前のめりに固定されたまま。パジェロもいまや無残な「ボジェロ」 と化している。石原慎太郎都知事が自家用ディーゼル車を眼の敵にしていて、まもなく走れなくなりそうなので大事にしたいところだが、それまでもち そうにもない。グレースは都知事の回し者だ。

早朝枕近くでコリコリ音がする。ハッと気づいて電気をつけたらときすでに遅し、眼鏡はかじられてガラス面はキズだらけ。歯型越しににらみつけながら 「遠近両用で高いし、作るのに時間がかかるんだ」と張り倒したら、遊んでくれていると勘違いしたか、飛びつかれて「角膜損傷」で3週間の眼科通い。 加療1週間以上は立派な傷害罪だ。それもこの1年で「角膜損傷」2度はひどい。まだある。病院にこそ行かなかったが、フリスビーごと右手に飛びつ かれて手のひらに穴があくけが。しゃがんだところに向こうが飛びつくゴチンコで額に歯型がつくけが。満身創痍とはこのことだ。損害賠償で訴えたい ところだが、示談に持ち込むしかない。それもほとんど泣き寝入りといっていい示談だ。


霧氷の朝のエディー(右)とグレース。(2001年2月)

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 グーやグーや

リズが「リー」と呼ばれたごとく、グレースも「グー」と略して呼ばれることが多い。でないとスピードに追いつけないからだ。しかし、困ったことにもなった。 我が家では命令は英語だ。別にかぶれているわけではない。日本語は「来い」とか「おいで」とかいろんな言葉があって犬が混乱するが、英語なら 「Come」一つだ。だがグレースの場合、ほめるときの「Good」と発音が似通っているのだ。本人はどうも、いつも「グー、グー」とほめられていると思って いるふしがある。でないと際限のないいたずらに説明がつかない。

もうひとつ「グー、グー」といっているうちに自然と口をついて出てくる漢詩がある。「 虞(ぐ)や虞やなんじを奈何(いか)にせん 」で有名な「垓下(がいか) の歌」(項羽)である。

    
     力は山を抜き 気は世を蓋(おお)う
    時 利あらず 騅(すい ) 逝(ゆ)かず
    騅の逝かざるを 奈何(いか)にせん
    虞や虞や 若(なんじ)を奈何(いか)にせん
    
    
    私には、まだ山を引き抜くほど力があり、気概もこの世を覆うばかり
  だが、時に利あらず、愛馬「騅(すい )」も動こうとしない 
  動こうとしない愛馬「騅」をどうしたらよいだろうか
  そして愛する「虞」よ、お前をどうしたらよいだろうか      



漢の高祖(劉邦)と天下を争った項羽が、垓下に立てこもったが、包囲軍の中から楚(項羽の故国)の歌声が聞こえる(四面楚歌)。自分の陣営まで包囲軍 に加わったのではこれまで。 最後の酒宴を開き、席上、最愛の人の将来を案じて吟じた詩だ。「虞」が舞うのを見た後、愛馬「騅」をかって敵陣に突入、31歳の生涯を閉じる。 「虞」も垓下で自害するが、その塚に咲いたのが真っ赤な罌粟(けし)の花「虞美人草」だ。


「長恨歌」とか「月落ち烏啼いて霜天に満つ・・・」などいくつか諳(そら)んじているものがある。「渭城の長雨 軽塵をうるおし・・・」ではじまり「西のかた陽 関を出ずれば故人無からん」で終わる王維の七言絶句などもそのひとつだ。高校の漢文の先生が、私の親父と陸軍士官学校での同僚で、ともに国漢文科の教 授をしていた。父の専門は支那哲学(今なら中国哲学)で老荘思想とりわけ荘子(そうじ)の研究家だったが陸軍士官学校といえば戦争責任の中心みたいな ものだから、敗戦とともに公職追放にあうのは仕方ない。関西に移り住み、親戚の繊維会社の経営に携わっていた。

同僚の一人は郷里の和歌山に帰り大阪の公立高校の漢文の先生をしていたのだが、そこに私が入学してきたのだ。もう一人やはり郷里に帰り関西の私大の 文学部長をしていた方(2007年長寿を全うして鬼籍に)と3人で家族ぐるみで行き来していた。友人の息子というので、授業中に突然指名され漢文を読んだり 解答を迫られることが多かったが、親父と違いこの授業しか漢文と接していないのだから答えに窮した。ただ、漢詩の面白さと「三国志」に代表される中国史 の血沸き肉躍るストーリーを知ったのはこの先生のおかげだ。

だから、チョークを右手の親指と中指の間にはさんで振りながら「なからんなからん故人なからん」を三度繰り返す(陽関三畳)先生の陶酔した姿が映像つきで浮か んでくる。今でも、「渭城の長雨・・」に接するとビデオのようにこのときの映像つきで条件反射する。

元二(げんじ)が安西(あんせい)に使するを送る 王維

 
 
  渭城(いじょう)の朝雨(ちょうう)輕塵(けいじん)を潤(うるお)す
  客舎(かくしゃ)青青(せいせい)柳色(りゅうしょく)(あらた)なり
  君(きみ)に勸(すす)む更に盡(つく)せ一杯の酒
   西のかた陽関(ようかん)を出づれば故人(こじん)なからん 


   ゆうべから別れの酒を飲み続けた。渭城の今朝の雨は細かな塵を洗い流し
  宿屋の前の柳の芽も新しく青々としている
  さあもう一杯盃を乾(ほ)してくれ
  西の方の陽関を出たら、もう友人はいないだろうから

さらに余談だが、先年中国を旅したとき上海から蘇州にまわった。行きは高速道路、帰りは汽車だった。郊外の寒山寺にも出かけたのだが、支那哲学 専門で陸軍士官学校教授をしていた親父は「江南の春」という一文を残していることもあって、特別な思いがあった。寺の中の石碑にも刻まれた、くだんの唐詩「楓橋夜 泊」(張継)が自然に浮かんできた。
寒山寺にある「楓橋夜泊」
の詩碑(拓本)

 
   月落ち烏(からす)啼いて霜天に満つ
   江楓漁火愁眠に対す
   姑蘇城外寒山寺
   夜半の鐘声客船(かくせん)に到る 

  月は沈み、からすが鳴いて、霜の気が大気中に満ちている
   川岸の楓、漁船のかがり火が旅の憂いに寝つかれずにいる我が目にうつる
   姑蘇の町はずれにある寒山寺から
   夜半を告げる鐘の音が、この旅の船にまで響いてくる

日本でも中華料理店の壁によくみかけるから、中国人も好きな詩なのだろうと思い、むこうの人に頼んで中国語で読んでもらった。韻をふんだ音(おん) の美しさに感嘆した。日本人は漢詩とは読み下し文で接している。これはこれでいいところがあるのだが、まったく違う世界があることを知って、親父の ように中国語をやっておけばよかったと思った。

ともかく、グーの話に戻ると、漢詩に歌われた方は美人、現実はやんちゃ娘という違いはあるが「グーやグーや、なんじをいかにせん」というくだりは当 てはまるので、毎朝のように口ずさみながら、しゃあないやっちゃなあ、と英語や中国語をはなれて大阪弁でグチる日々である。

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 からすみ食う犬

酒呑みなら知っていることだが、海鼠腸(このわた)と並ぶ一大珍味に「からすみ」がある。 鯔(ボラ)の卵巣を塩漬けにしたもので、長崎産が有名だ。以前に台湾産をもらうことが数年続いたが、今は途切れ、 このところとんとご無沙汰だった。ところが2001年、これをいただいたのだ。それも自分でつくるという 会社の同僚K氏の好意に感謝しつつ、他人になどやらず、ちびちびと晩酌を傾けるのが最大の楽しみだった。 2月某日、残り少なくなってきたのを惜しみつつ、ティアラの追悼と称して呑んでいたのだが、グレースがにおいにつられて やってきた。お前にはもったいない代物だ、と鼻先にちらつかせたのが悪かった。つるり手がすべって、からすみがテーブルの下に転がった。 わっと叫んで拾おうとしたが、パクッとグレースの口の中に。鼻面押さえて取り出そうとしたが、敵もそうはさせじと飲み下す。ちらりと片鱗をみたが 、腹の中に消えた。わたしなどねっとり感を大切に、何度も噛むのだが、この無礼な犬は鵜のみときている。 泣けてくるではないか。


こんな大きな丸太もほいほい運ぶ。誰も頼んでないのだが・・・

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 グレースが死んだ

晴天の霹靂(へきれき)だった。2001年3月31日、グレースが急死した。
花見に出かけた山梨県・身延山の久遠寺で突然、異変を起こした。運び込んだ山梨・増穂町の動物病院で 胃の捻転といわれた。大型犬にままあるという。手術を受けたが、容体が急変した。先ほどまであんなに元気だったのに、 そんなことってあるのか。ティアラの死からわずか2か月たらず。グレースの2歳の誕生日まで4か月を残しての夭折に、家族は慟哭した。

この日は大雪だった。八ヶ岳の雪が大好きだったグレースを山小舎まで連れ帰った。桜が満開のあとで雪が降るのは東京では25年ぶりと ニュースが伝えた。山では新雪で腰まで埋まるほどだった。除雪車も走っていた。短かったが両手で抱えきれないほどの想い出を残して逝ったグレー スを前に して涙も出なかった。たった1頭になったエディーと、私たち夫婦二人で雪の中で呆けたように過ごした。翌日になってママははじめて声をあげて泣い た。八ヶ岳は切ない土地ともなった。

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グレースの墓
【グレースを偲ぶ】
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