エディーを偲ぶ


エディーの勇姿のスライドショーです。18枚あります。5秒ごとに切り替わります。

この「エディーのアルバム」は5歳くらいのときです。現在は福島県・相馬市で小児科医院を 開業されている山口英夫先生と家族が八ヶ岳で過ごした時、エディーをモデルにたくさん写真を撮 っていただき、アルバムにして頂戴したものです。

エディーが死んだ。11歳2か月だった。

彼がいなくなって気づいたが、我が家ではエディーはイヌとして扱われてはいなかった。「リチャード・ギアそっくり」 と我が家のママがいい、よその人にもそう言われていたこともあるが、 ちゃんと人格をもった一人前の家族構成員だった。その証拠に、日ごろ「この世でエディーが一番好き」 と広言してはばからなかったママは、エディーの耳元で悩み事をえんえんと相談していた。 それを誰も不思議に思わなかったし、彼もまた哲学者のような顔をしてまゆ毛一つ動かさず最後まで聞いて やっていた。悩み事の大半は聞いてやることで解決することを知っていたのだろう。


死というのはいつも突然だ。もちろん家族全員が慟哭し、悲嘆にくれた。ママも、長女も、次女も泣きはらした目で 人前に出られないほどだった。電話口で家族を知る人たちからのお悔やみの電話がかかると、「いつか死ぬんですから」 と達観した言葉を口にしながら、そのはしからさらに新しい涙があふれ、絶句していた。

その後に湧いてきたものはエディーへの感謝の気持ちだった。一緒にすごした11年余は、ドッグイヤーとはいうものの 決して短いものではない。その共生のどの場面を切り取っても、おおらかで、やさしく、柔和なエディーの性格が浮かび上がる。 最後のスナップは彼の死の1週間前で、八ヶ岳の林の中、4か月になった孫の優妃の乳母車のそばにエディーが見守るように 控えている。新しく生まれた命、静かに去る命、今となっては象徴的なシーンに思える。

ゴールデンウイークに八ヶ岳に上がった。孫を連れてやってきていた娘夫婦と私、エディーとアーチャで八ヶ岳林道をハイキングした。 2時間ちょっと、高低もあるから6キロほどの道のりだろう。途中残雪に全身を転がしたり、渓流に飛び込んだり2頭とも 春の息吹を満喫していた。その翌々日、エディーが立てなくなった。同じコースをハイキングしたあとガンが発病したティアラ を思い出し、その二の舞かと心配した。

以前アーチャがパトロール中の管理事務所のジープに足を轢かれた時、「大丈夫だ。骨は折れていない」と心強く 言ってくれたペンション「コスモス」のご主人が、開業こそしていないものの獣医であることは全員が知っていた。 ママが走っていった。夜、先生のクルマを先導しながらママが戻ってきた。治してくれる人だと分かったか、横たわったまま尻尾を 振った。41℃の高熱を出しているという。ステロイド剤の注射をしてもらった。

翌日熱が下がった。差し出されたミルクやヨーグルトや肉の缶詰などもみな平らげた。やれやれというので安心した 翌日また高熱を出した。再び小幡先生のもとに走る。ゴールデンウイーク中この繰り返し。先生の往診は真夜中も含めて5度に及んだ。 明日はどうしても帰京しなければならない。ママとエディーを残して・・・とも考えた。ところが、当日は自分で立ち上がり少し手を貸してやると 自分でクルマに乗り込んだ。立ち寄った「コスモス」では奥さんと東大で理学部の助手のような仕事をされているという帰省中のお嬢さん の3人が見送りに出てきて、また熱が出たら、と東大家畜病院への紹介状も用意していただいていた。

エディーは飛びつかんばかりの喜びようだった。「これでは紹介状もいらないかもね」というほど元気に帰京した。 2日ほどのちまた倒れた。どうもおかしい。5月13日午後2時に東大家畜病院の予約が取れた。当日早朝、呼吸困難の兆候が見られた。 その前日には血尿が出ていた。素人診断ながら、呼吸器や腎臓にダメージが及んでいる多臓器不全の兆候と思われ、一刻を争うのが分かった。 ちょっとでも早く診察を受けようと早めに家を出た。ママだけ付き添った。

到着したときは安定していたという。受付を済ませてクルマに戻ると急変していた。呼吸停止状態だった。診療所からあわててスタッフが飛び出して 来て、ICU(集中治療室)に運び、強心剤を注射したり、心臓マッサージを試みたりしてくれたそうだが午前11時30分ごろ「ダメです」といわれた。 正午過ぎ私がやっと病院に着きクルマの中のエディーと対面した。「長い間ありがとう」と亡骸に声をかけるのがやっとだった。 死因を知りたい気持ちもあったが、そのためには解剖や病理検査、血液検査が行われるだろう。忍びなかった。エディーの死だけ受け入れることにした。

病院のスタッフに「ゴールデンは10歳以上生きたら長生きの部類です」といわれたそうだが、家族にはそんな寿命では足りない。 11歳2か月のたくさんの思い出が走馬灯で駆けめぐった。妙なことに、真っ先に、今は相馬市で開業している小児科医の親戚の子供たちに知らせなければと いう思いにとらわれた。幼稚園前のこの男の子の兄弟は八ヶ岳でエディーの背中にまたがっている写真を年賀状にした。皆に「まるでライオンに乗っているみたい」 といわれたのを思い出したのだ。動転しているときは、どうでもいいことから思い出すものだ。

八ヶ岳にはリズが眠っている。花が咲くように花壇のようにしつらえてあるが、いまだに跨げないし踏めない。「八ヶ岳に埋めるのは、思いが残ってつらい」 といったのを、反対していると受け止めた家内と次女が夜中私が寝ている間に山に走った。「どうしてもエディーは山の土に返してやりたいので」と置手紙にあった。 八ヶ岳でエディーと交流のあった人たちに訃報を届けなくては、と名簿を作ったらたちまち10数人になった。エディーは有名人だったからなあ、と メールがたちまちにじんだ。

幽明境を異にするとも、ともに八ヶ岳に抱かれて眠ろう。

【エディーへの弔辞】

エディーが大好きだった森さんからネコのトラちゃんと連名で花とお悔やみのメッセージが届いた。

エデイーにいただいたお悔やみです。お心にとめて頂いて本当にありがとうございました。

「びっくりしました。あの人なつこいまなざし、仔犬のときから知っているだけに、まさかと いう感じです。心からお悔やみ申し上げます」(大森 みつえさん)

「皆様のお気持ちを思いますと、お慰めの言葉もみつかりません。私も寂しくて悲しくてがっくり しています。八ヶ岳に行く楽しみの中で、”エディーちゃんに会える”ということは私にとって重 要な要素でした。
雪の日の感動的な出会いから、我が家まで全身の毛をたなびかせて走ってきてくれた姿、お宅にお 邪魔した時の熱烈歓迎ぶりと、足元にくつろいでくれたぬくもりまで、忘れられません。
HPの11才のお誕生日の写真で、”あっ、顔がちょっと白くなった・・・”とはっとして、いつかこの 日が来るのが恐怖でした。この連休にさぞかし具合が悪かったろうエディーちゃんと沢山会話をさせ てもらいましたのに、最後に「ありがとう」が言えずにお別れになってしまったこと、悔やまれ てなりません」(森 有子さん)

「エディー君は、私にとっても 特別な存在で愛しいと感じた初めてのワンチャンです。八ヶ岳の拙 宅斜面を駆け下りてきた初対面は強烈に覚えて居ります、若干 苦手な小生でしたが 彼のアプローチのお陰で 仲良く?なれました。お早くお元気を取り戻される様に お祈り致します」 (森 達郎さん)

「ウソォ〜〜! ショックで落ち込んでます。エディーみたいに誰からも愛された犬は他にはいません。 賢くて人懐こくて・・・八ヶ岳に泊めていただいた時、あの子エディーと走ってあちこち散歩に出かけたしテーブルの下でドテって寝転が ったりして〜大笑いさせてくれたワ。彼と一緒でどんなに楽しかったかぁ〜〜・・・(;_;)」(テネシー州・柴田  範子さん)

「思えば、最初のよだれ塗れの出会いから11年。年に1,2回、八ヶ岳での付き合いでしたが、 何時も変わらぬ迎えかたをしてくれました。飼い主に似るとよく言われますが、本当におおらかな心 を持った貴重な仲間でした」(土屋 達彦さん)

「こどもたちもエディーと遊んだことを良く覚えていてまた八ヶ岳に行きたいとよく話しています。  カメラに興味を持った頃、写真を撮らせてもらったことは八ヶ岳の景色と伴によく覚えております。 ありがとうございました。(相馬市・やまぐち小児科医院 山口英夫さん)

「謹んで心からお悔やみを申しあげます」(川崎 典夫さん)

「家内や父、母ともども驚き、どうしてお慰めしようかと・・・」(名古屋・萩原 義昭さん)

「ついこの間、バースデーの”1,000円ビフテキ”のご報告があったばかりなのに。あの食卓の 情景がビフテキの臭い付きで、私にも思い出せます。毎年”八ヶ岳イエロー”になると、同じ洋服を 着た「エディ君」に会えるような気がします。ずっと 幸せだったよ。きっと・・・」(北大馬術部OB・大場 善明 さん)

「八ヶ岳東隣の杉山です。ホームページのエディーの記事を拝見して驚きメールしました。ゴールデ ンウィークの初めに皆様とお会いしたとき、お孫さんの方ばかりに目が行き、ましたが、エディーの 最後の八ヶ岳行きだったのかと思うとなにか哀れでなりません。11年2ヶ月前というと、丁度われわれ が米国から戻り4年間のブランクを埋めるべく足繁く八ヶ岳を訪れていた時期と符合します。宮崎さん や奥様の制止を振り切って、茶色い光となって走ってくるエディーの姿は、そして見かけと違って 棕櫚のバスマットの感触に似た毛並みの手触りは、我々家族のいろいろな思い出と混ざり合って八ヶ 岳での10年余の記憶となっています。重ねてエディーの八ヶ岳での安らかな眠りを祈ります」(荻窪・杉山  泰治さんと奥様)
 

音楽会の折、 川村さんよりエディーちゃんが亡くなられた事を知り絶句しました。一度お逢いしたかったです。 どう言っておなぐさめしたらよいか・・・ご冥福をお祈りします (ママの友人、平林幸子さん)


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