我が家にやってきてたった8ヶ月。まだ1歳の誕生日も来ないのに、リズが死んだ。
かわいい盛りに逝ってしまった。我が家4人の涙を代表して、リズの思い出を記す。
我が家には先輩としてゴールデンリトリバーのエディーがいる。ゴールデンも賢い犬だが、フラットコーテッドリトリバー犬はさらに賢い。
例えば、テーブルの下に好物を隠す。直接行けないように障害物を置く。大概の犬はまっすぐ行こうとしてまず障害物に突進する。リズも一回目はそうだ。
だが二回目からは回り道をする術(すべ)を知っている。ちょっとした崖下にボールが落ちたときなど、周りを見回して遠回りするルートを見つけて取ってくる。
走ることの早さといったらなかった。エディーと散歩していてもあっという間に先の方まで駆けていく。そして本能だろうか、草むらの中に伏せて待ち伏せの形をとる。
近づくとぱっと立ち上がって猛スピードで駆け寄ってくる。狩猟犬の本領発揮である。一回の散歩でエディーの倍は走ったろう。長い手足をすべて使って全身躍動する姿はほれぼれする。
犬や馬に限らずあらゆる動物の美しさはフルスピードで走る時につきるが、リズをみていると実感としてわかるのだ。
リズの真骨頂はテーブルの上にある食べ物をなんとしても取ってみせることだ。最初こんな子犬の仕業とは考えず、みなエディーのせいにされた。
飛びつくと首がすこしだけ上に出るテーブルに両手をかける。それから右手で払い落とすなど朝飯前だ。とりわけ食パンが好きで、包装紙を覚えているらしくどこに置いても探し出してせしめてしまう。
大きなテーブルなどとても届かないだろうとおもうからテーブルの真ん中に置いて出かけると、包装紙だけ残されている。そばにはいつも無実のエディーがぼんやり立っている。
犯人はずっと離れたところでそしらぬ顔をしている。リズがいったん椅子の上に乗ってさらに手を伸ばすなど誰が想像できようか。
犬の視界に入らないテーブルの上に置いてあったバターにリズの前歯の跡が残っていた。かろうじてそこまで届いた証である。
おかげで家中隠すところがなくなった。
エディーとリズ、つまり32キロの大きなゴールデンと、小さくて真っ黒なフラットを同時に自転車の左に付けて走る。家族でこの芸当ができるのは一人だけというのがひそかかな自慢ではあった。
2頭一緒だとさすがに目に付く。桜見物にでかけたり下北沢駅に上の娘を迎えに行ったりするといろんな人に声をかけられる。ゴールデンは多いからわかるが、黒い方はわからない。「フラットですか」と
知っている人に会うとほっとする。たいていは黒のラブラドールと間違われる。リズが来るまでその名前も知らなかったことなど棚に上げて「顔は長いし、足は長いし明らかに違うのにねえ」と家族の不満は
その一点だった。2頭とも人間大好きという点で共通していた。駅頭で待つ間何人の人に飛びついたことか。何という犬ですか、フラットです。リズは名前の普及に大いなる功績を残したのだ。
朝方になるとリズは布団のそばにやってきて主人の足を枕に寝ている。早朝布団から出ると、知らぬ顔して寝ている。最初は新聞を取りに行くのだと知っているのだ。その新聞を読み終えて枕元に置いたとたん
飛びついてくる。さあ、散歩につれていけという催促である。二日酔いの主人のことなどかまいもせず、下北沢から三軒茶屋まで連れ回ってくれた。あれはこちらが散歩させられていたのだ。
そういえばプライドの高いやつだった。首輪をつけられて引っ張られるのがいやで、自分で引き綱をくわえて、あたかも「こっちが散歩の主導権を握っているのだ」とばかり先に先に立った。
そうだ、リー、こっちが遊んでもらっていたのだ。
家族で落ち込んでいるのがいると、すかさず察してペロっとなめて励ましてくれたものだ。時折痛くなる膝をよく舐めてもらったママなど「リズのキスは濃厚なのよね。ペロなんてものじゃなくじゃなくて舌をべろーんとするの。
皮膚の上での滞在時間が長いのよね」と、表現した。
犬はたいがいの傷は舐めてなおしてしまう。大変な殺菌力の持ち主だ。だから水虫によかろうと考えて、舐めるに任せたこともある。ただしこのことが家族にばれるとひんしゅくを買うので我々の間の秘密だった。信義に厚いやつだった。
そう、天性の明るさと、聡明さでまたたく間に家族を魅了したリズ。長い手足、真っ黒い身体に真っ黒な目、長い鼻「スーパーモデルと呼んで」が人にリズを紹介するときのママの口癖だった。
写真がないのが悩みだった。なにしろ真っ黒な固まりにしか写らないのだ。フラッシュをたこうものならハレーションを起こしてもっとひどいことになる。わずかに残る写真を見ながら「もっとかわいかった」とうなづきあう日々がつづく。
リトリバー犬の本能で、水が大好きだった。冬は粉雪の中に首まで突っ込んで雪まみれ。夏は水たまりや川があると必ず寄り道してきた。泥の中にわざわざ座り込むので皆を閉口させたものだ。
1999年8月16日早朝、夏休み中の雨の八ヶ岳で、クルマに轢かれて死んだ。1998年10月28日生まれ。まだ誕生日も迎えぬのに。我が家恒例の誕生日の銀座・和光のバースデーケーキも切らぬうちに。
知らせを聞いた娘2人は電話の向こうで大声をあげたという。ベッドで泣き明かしたのだろう。ママは翌日から寝込んだ。みんなが改めてどれだけリズを愛し、逆に癒(いや)されていたか思い知った。
幼くして逝ったリズは、八ヶ岳連峰、横岳の中腹、1760メートル、八ヶ岳高原海ノ口自然郷、Y−632の敷地の一角に眠る。リズがなくなったそばに小さなコオニユリが咲いていた。毎年この季節になると思い起こすことだろう。コオニユリは
リズの花だ。これから一緒に大きくなれとの思いを込めてカエデ、サラサドウダンツツジ、シラビソの幼木に囲まれている。リンドウも胸元で咲くことだろう。
さようなら、そしてありがとう リズ。
「エディーとリズのお話」へ
「グレースがやってきた」へ
「ティアラ母さん登場」へ
「その後の犬の物語」へ
「アナスタシアが行く」へ