2010年3月 課題:氷

オリンピックと朝青龍


 バンクーバーオリンピック女子フィギュアスケートでは、私もテレビに釘付けになった。完璧な滑りの韓国のキム・ヨナと、最高難度の技の浅田真央の対決は見応えがあった。自己最高点を出した浅田を遙かに上回る世界最高点でキムが金を取り、浅田は銀であった。キムはショートプログラムの公式練習の際、ジャンプで転倒していた。しかし、ショート、フリーとも本番は完璧な滑りで、観るものを魅了した。その精神力、集中力は見事という他ない。

 今回のオリンピックで最も印象に残ったことはアジア勢の活躍だ。典型は女子フィギュア。上位5人のうち、4人までが東洋人であった。そして、特に韓国の活躍。韓国は前回のトリノでも大躍進したが、今回はさらにそれを上回り、金6個を含む14個のメダルを獲得した。それにひきかえ日本はスケート競技での銀3、銅2の5個で金はなし。当初目標の半分であった。しかも、送り込んだ選手の数は韓国の2倍を越える94人だ。

 日韓のこの差は何から来るのか。韓国の選手に対する高額の金銭的インセンティブだけで説明はできないだろう。背景に国民性の差といったものが潜んでいるような気がする。半島とはいえ、大陸の一部であり、異民族との接触・抗争や異民族による支配などで培われた、しぶとさ、したたかさが韓国の選手一人一人に流れているのではないか。一方日本については、思ったほどオリンピックで活躍できないことと、元横綱朝青龍へのマスコミや一部識者による数年間にわたる執拗なバッシングとが無関係ではないように、私には思える。

 いわく、「ダメ押しはけしからぬ」:朝青龍が時たま見せる土俵外の相手を突き飛ばす、あるいは土俵にはった相手の背中を押すなどの動作は北の湖前理事長も認めるように、取り組みの流れのなかで出てくるものでダメ押しではない。最後まで気を抜かない勝負執念の表れである。

 いわく、「ガッツポーズは横綱としての品格に欠ける」:観客に向い喜びを自然に表現し、観客と一体化し、観客の力を自分のものとしてどこが悪い。

 いわく、「稽古をしない」:稽古をしない朝青龍にコロコロ負ける他の力士の稽古はどうなっているのだ。勝負事はプロセスではなく結果がすべてだ。

 いわく、「土俵上でのにらみ合いは品に欠ける」:格闘技なら相手に気合い負けしないためのにらみ合いは当然であり、見せ場でもある。

「ダメ押し」と「流れ」の違いを見抜ける人物が一人もいない素人集団横綱審議委員が大きな顔で発言する。スポーツ紙は「次にほえ面をかくのは、先輩横綱の番だ」と朝青龍を攻撃する。「ほえ面かく」とは、21場所も一人横綱として大相撲を引っ張ってきた横綱に対する言葉とは思えない。

 世の中の大勢もこうした意見に同調している。これではたくましいアスリートは育たない。朝青龍の勝負への執念、一発勝負へかける集中力、出場停止処分や怪我のたびに起こる「引退期待」を裏切り復活した精神のたくましさなどは、オリンピックでメダルを目指す選手にとって見習うべき手本だ。

 だが、大横綱朝青龍はもういない。日本のスポーツ界の失ったものは大きい。


                     2010-03-17 up


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