2018年7月  課題:「瞳」
 

猫の瞳

 猫の古典文学誌』(田中貴子著、講談社学芸文庫)という、猫好きにとっては楽しく興味つきない本がある。『枕草子』『源氏物語』『明月記』『徒然草』など、古典文学に現れた猫について語っていて、いずれも面白いが、私が最も興味を引かれたのは、島津義弘が朝鮮出兵に猫を連れて行ったという話。関ヶ原の戦いでは退却に際し敵中突破を敢行するなど、戦国きっての猛将とされる義弘と猫。何のために朝鮮の戦場まで連れて行ったのか。

 時計代わりとするためだった。猫の瞳孔は明るいときと暗いときではその形が変わる。昼間は縦に細長く、夜はまん丸く大きく開く。その形から時刻を知ろうとしたというのだ。義弘は7匹の猫を連れて行ったが、そのうちの2匹が無事帰還し、鹿児島に祀られ、猫神神社になった。今でも鹿児島市に猫神神社があり、この故事にちなんで、6月10日の時の記念日には、時計業者などにより祭りが催されるという。

 猫の目の形から時刻を読む。実際に島津軍はそんなことをしたのだろうか。著者の田中貴子は疑問に思い、色々調べる:

 それによると、すでに9世紀には中国からもたらされた書籍に、猫の目で時刻を測ることが出来ると記されていて、その習慣はあった。さらに江戸時代になると、猫の目の形と時刻を書いた絵や、あるいは「六つ丸く、四八瓜ざね、五と七と玉子となりて、九つは針」といった数え歌まで出来た。一般にはよく知られた風習だった。

 しかし、島津義弘が朝鮮で猫を時計代わりに使ったという、当時の史料は見付からなかった。史料に現れるのは昭和24年の時の記念日の「南日本新聞」の記事であった。この記事の根拠は明らかではない。時計代わりであったかどうかは別にして、猫が朝鮮の戦場に渡り、生還した2匹が皆から愛され、祀られたことはありうるかも知れないと、著者はこの話を結んでいる。

 瞳は虹彩と瞳孔を含めたものを言うが、ヒトと違って猫の場合、虹彩と周りの部分の区別がつきにくいので、瞳イコール瞳孔と見てよい。我が家の飼い猫ランの目は、薄い琥珀色にわずかに青みがかかる。虹彩は周りより少し青みがある程度で、注意しないと分からない。そして、縦一文字の瞳よりも、丸く大きく開いた瞳の方が、ずっと魅力的であることは、他の猫と同じだ。

 明け方、ランは私の寝室に入ってきて、私の顔に軽く猫パンチを浴びせる。しぶしぶ目を覚ますと、床にきちっと座ったランがベッドの私を見上げている。真ん丸な黒い瞳が光っている。私は起き上がり、階下に行き餌皿に匙一杯のキャットフードをおいて、また寝にもどる。

 ランの瞳が丸く輝くのは、夜だけではない。甘える時もそうである。私の足下に寄ってきて、丸い瞳を輝かせて私を見上げる。抱いてほしいというのだ。「おいで」と言って、私の膝を叩くと、ポンと飛び乗ってくる。たまらない一瞬だ。膝上でしばらく撫でてあげる。

 ランもこの7月で満14歳。人間で言えば70歳くらいか。以前ほど甘えなくなったし、膝を叩いても、自ら飛び乗ってくることもほとんどなくなった。

   2018-07-25 up

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