2011年4月課題:アレルギー

ポックリ大師


 今年の正月、近所の寺社を初詣巡りしていたら、「ぴんころ祈願 ポックリ大師」という赤い幟が目に入った。横浜市緑区長津田にある福泉寺という寺だ。この種の寺があるとは聞いていたが目にするのは初めてだ。「ピンピンコロリ」というのは,いやな言い方だが、多くの高齢者の理想とするところだ。私も同じだ。家人と一緒に「ポックリ大師」にお参りした。

 がんでは死なないだろう。これは私の確信である。根拠はがん家系を引いていないこと。両親、四人の祖父母、両親の兄弟達の中でがんになった人はいない。どんな病気であっても、なりやすさは程度の差はあっても遺伝する。がんの場合はその傾向が強いと感じている。

 少年期の私は結核で死ぬだろうと思っていた。ツベルクリン反応が陽転したのは、小学校6年あるいは中学に入ったときだったと思う。陽転は結核菌に感染したということだから、1年間は注意しなければいけないと言われた時は恐ろしかった。もしこのまま発病したら、石川啄木のように若死にするのかと思った。夭折の空想には甘美な思いが伴うが、啄木のように後世にたくさんの歌を残し、惜しまれながら死ぬなどと勝手に思ったりした。

 高校に入学した頃、今度は心臓周辺に痛みを感じた。心臓神経症といわれた。大学に入学した年に、母が亡くなった。心臓弁膜症だった。結核への恐怖に代わって今度は心臓病の恐怖が私をとらえた。私は心臓病でポックリ逝く。

 30代になると高血圧症と診断され投薬治療が始まった。心臓病あるいは脳溢血、いわゆる循環器疾患でポックリ逝くと、私は以後ずっと思い続けた。

 70歳を超えた今は自己免疫疾患で死ぬのではないかと思っている。 

 自己免疫疾患は、生体が自己の組織を異物と認識して起こす一種のアレルギー反応。外からやってくる異物に対する免疫系の過剰反応であるアレルギーと同じメカニズムで発症するとされる。代表的な症例は、リュウマチや多くの臓器が炎症を起こす全身性エリテマトーデスなど。私がこの病気と自分を結びつけたのは10年余り前。母方の叔父が自己免疫疾患を発病した時だ。叔母から「あんたのお母さんとうちの父ちゃんはやはり姉弟だねえ、同じ病気になった」と言われたとき、ハッとした。それまで意識しなかったが、母の心臓弁膜症は若い頃患ったリュウマチの高熱により、心臓の弁に異常をきたしたものであったのだ。私は体質的に母親似である。その時以来自己免疫疾患が私の死因として頭をもたげてきた。

 私が本質的には左利きであることもこの思いを強めた。左利きの人は自己免疫疾患になりやすいことを示唆する記述に2回遭遇した。いずれも信頼できる専門家の著作だ。免疫系は左脳に支配されていて、左脳より右脳の発達している左利きの人は、免疫疾患にかかりやすいという。

 叔父は2年半患い、最後は免疫抑制治療が引き起こした感染症で亡くなった。

 自己免疫疾患は、根本的治療法のない難病だ。がんよりも厄介だ。

「ポックリ大師」さまには私の願いは届かないような気がしている。

 
補足
 本来これは3月の課題であったが、東日本大地震のため教室開催が4月に延期された。
 左利きと免疫については
 読書ノートの『老化とは何か』今堀和友、および『脳と神経内科』小長谷正明を参照

福泉寺と「ぴんころ祈願 ポックリ大師」の赤い幟






 
 2011-04-20 up


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