2007年10月 課題:「レストラン」

東京會舘

                            
 NHK文化センターのエッセイ教室に通い出しての学んだことの一つは、色々なレストランを知ったこと。従来まったく無縁で、名前すら知らなかった「キハチ」「たいめいけん」「資生堂パーラー」といったグルメにはよく知られたレストランを、教室の忘年会などを通じて知ることが出来た。受講生のなかに数人のグルメがいて、どこの店はどうだとよく知っているのだ。

 極め付きは東京會舘。

 3年前、教室の10周年記念をかねた忘年会を東京會舘で行うことになった。東京會舘の常連客である講師の下重暁子さんが自ら会場をおさえてくれた。以前、霞ヶ関ビルの東京會舘で忘年会をやったことはあるが、お堀端の本館がどんなところかはまったく知らなかった。私は幹事役として下見に行った。

 会場は11階のエメラルド。お堀端に面した南のカドの部屋だ。窓からはお堀と、はるかに新宿副都心のビル群、南隣は帝劇の屋上が見える。高い天井、ふかふかの絨毯、豪華なシャンデリア、廊下に飾った絵画の数々、落ち着いた雰囲気、都心の一等地、そして案内してくれた人の如才ない物腰。

 これほど素晴らしいところとはまったく知らなかった。会費は講師へ贈呈する花束やその他諸経費を含め1万円とした。こんな立派なところなら、立食パーティーで1万円は仕方がないと思った。初めての人でも来てみればきっと1万円という会費に納得するのではないか。

 宮中の晩餐会の料理は、ホテルオークラ、帝国ホテル、そして東京會舘が順番で作るとのこと。あるいはエリザベス女王訪日時の返礼晩餐会はここで行われたという。

 東京會舘を使うということは、どうやら日本のセレブリティーのステータスシンボルであるようだ。三島由紀夫30歳、昭和30年夏の日記には、東京會舘のルーフガーデンで食事という記述が一度ならず出てくる。

 教室10周年記念の日はOB、OGの方々も多数出席し、和やかなうちにもあっという間に過ぎた。立食ではあったが、丸いテーブルをたくさん置き、そのまわりに椅子を置いたから、出席者はそこに座って料理を堪能した。教室開講以来の受講生である私は、グラス片手に各テーブルを回って懐かしいOB、OGとの話に熱中し、食事を味わうどころではなかった。というより、余り食べなかった。

 東京會舘は私にとっては、北朝鮮の人々が初めて体験する日本や韓国の生活のようなものだろう。セレブの集う優雅な空間。60余年、私はそのようなものの存在を知らなかった。だから、そうしたものへの憧れも、また、そこに属する人びとへの妬みも感じることもなく、逆に自分の現状を情けないとも感じなかった。同じように、日本や韓国の豊かな生活を知らない北朝鮮の人々は、自分たちの現状を特に不幸だとは感じていないのではないか。

 若い頃東京會舘を知ったら、こんな所の常連になりたいという思いが、私の人生の上昇志向を支える力の一つとなったかも知れない。今は、せめて一度ゆっくりと座って、おいしいと評判だった料理を味わう機会があればと思っている。


 参考  『小説家の休暇』:三島由紀夫、新潮文庫

 東京會舘でのエッセイ教室10周年記念忘年会の集合写真はをクリック
 この写真を撮った場所は11階のエレベータホール!!である。

                               2007-10-17 up

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