下重暁子のエッセイ教室のこと
 
 94年10月から、青山のNHK文化センターで毎月1回、「下重暁子のエッセイ教室」が開催されている。教室の場所が通勤途中であったので、初回より通い出し、定年退職した今も通い続けている。
 
 毎月下重先生から出される課題にそって、原稿用紙3枚から4枚の作品を書き、当日教室で読み上げ、皆で批評しあうという形式だ。生徒は女性が多いが、各人の作品を通してサラリーマン生活では知り得なかった様々な人生に接することが出来た。
 
 定年を機に2001年までの作品85編をまとめて、『冬至の太陽』と題する本として、文芸社より出版することが出来た。以下にはそれ以後の作品を順次掲載してある。
 
 下重暁子さんは、NHKの花形アナウンサーとして昭和30年代にテレビで活躍した人。その後物書きの仕事に転じ、エッセイ、ノンフィクションなどで多数の著作を著している。NHK入社は野際陽子の1年後輩であるが、今でも魅力的である。
 
 教室では多いときで20編もの作品が読み上げられる。下重さんからは容赦ないコメントが出される。「ものを書くことは恥をかくこと」「自分を深く見つめて正直に書くこと」とおっしゃる下重さんは、取り繕ったり、うわべだけを書いた作品には特に厳しい。
 
 教室の終了時間は8時30分だが、いつも終わるのは9時過ぎになる。終わってから有志で「課外授業」と称して、近くのレストランで食事をしながら、さらに11時近くまで、その日の作品のコメントや、音楽会や展覧会など催し物の情報交換、あるいは教室のOBの噂話などに花を咲かせる。下重さんも時々「課外授業」に参加する。
 
 ある中年の女性は「ここに来ると自分が裸にされる」と漏らしたが、あたっている。「文は人なり」とはよく言ったもので、書いたものにはその人が出る。だから、月に一度会うだけでも、1年もするとその人と昔から知り合いだったような気がしてくる。毎月の教室以外にも、暮れは忘年会、夏は軽井沢の下重さんの別荘を訪問するといった行事がある。それらを通して、下重さんご夫妻初め、何人かの人とは家族ぐるみのつきあいになっている。




下重暁子のエッセイ教室 10周年記念忘年パーティ
          
   04−11−30 於ける 東京會舘






   下重暁子のエッセイ教室 20周年記念新年会

                        2015年1月25日   東京會舘



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