2015年1月 課題:「羊」 ストレイシープ 夏目漱石の『三四郎』を読んだのは、もう60年も前、高校生の時だ。細かい筋は忘れてしまったが、作品中のいくつかのフレーズが私の心に残った。 その一つは「Pity is akin to love」(憐れみは恋に通ずる)という17世紀末の英語のフレーズ。このフレーズに関して一文を書くために10年前、『三四郎』を再読した。その時の印象も爽やかな読後感を与える青春小説だと思った。 ストレイシープ(迷える羊)というのも強く心に残ったフレーズだ。聖書にあらわれる言葉で、キリストが神に導かれる大衆をたとえて言ったもの。今回、ストレイシープを中心に『三四郎』を再々読した。手元に本がなかったので、ネットの青空文庫からダウンロードしてパソコンの上で読んだ。デジタル化されたテキストの利点を生かして、まず「ストレイシープ」が何回出てくるかを検索した。14回使われていた。使われている場面は4カ所。 最初は、菊人形展で三四郎と美禰子が広田先生一行からはぐれた場面。美禰子がこの言葉を口にする。次は、三四郎が大学の講義に身が入らないでノートに「stray sheep」と何回も書き付けるシーン。三つ目は、美禰子が結婚することを知った三四郎が、教会の前で美禰子を待つシーン。三四郎の眺める雲の形が羊に見える。教会から出てきた美禰子のハンケチはヘリオトロープが匂う。かつて、本郷四丁目の唐物屋で、三四郎が美禰子に当てずっぽうに勧めた香水だ。 漱石は次のように記す。 《「ヘリオトロープ」と女が静かに言った。三四郎は思わず顔をあとへ引いた。ヘリオトロープの罎(びん)。四丁目の夕暮。迷羊(ストレイ・シープ)。迷羊(ストレイ・シープ)。》 続いて三四郎は言う。「結婚なさるそうですね」。ややあって美禰子は消え入るようにつぶやく。「我はわが愆(とが)を知る。わが罪は常にわが前にあり」。 こうして二人は別れる。『三四郎』の核心部だ。旧約聖書からのこの一節も強く印象に残った。 最後は、展覧会に出品された美禰子を描いた絵に、どんな題がいいかと学友の与次郎に聞かれ、《三四郎はなんとも答えなかった。ただ口の中で迷羊(ストレイ・シープ)、迷羊(ストレイ・シープ)と繰り返した。》でこの小説は終わる。 こうしてみると、「ストレイシープ」は『三四郎』を貫くキーワードだ。 美禰子は三四郎と同年配と思われるが、三四郎よりずっと大人だ。九州の田舎出のうぶな三四郎の恋心なども、軽くあしらわれている。美禰子から見れば、三四郎は迷える子羊に過ぎない。ストレイシープとは美禰子から見た三四郎のことだと思っていた。今回読んでみて、それだけではないことに気がついた。美禰子の口から洩れる「ストレイシープ」は、三四郎だけでなく自身にも向けられているのだ。そして最後の場面、漱石は三四郎の口から美禰子をストレイシープだと言わせていた。 美禰子の言動は明治という時代を越えている。それが彼女の魅力だが、あっけなく兄の友人と結婚をする。その平凡な結婚にいたるまでに、彼女も彼女に寄せる野々宮の思いや、三四郎の恋心の間で悩み、迷ったにちがいない。 『三四郎』は二匹のストレイシープの物語なのだ。 2015-01-21 up |
エッセイ目次へ |