2015年2月  課題:「恐怖」

ボタ山に登る

 福岡の天神発田川行きのバスが、八木山峠のトンネルを抜けて、飯塚市へ下って行くと、前方右手に重なり合った三つの小さな円錐形の山が見えてくる。底辺から頂点まで緑に覆われている円錐形は、あまりにも均整がとれていて、初めて見たとき自然の造形によるものだろうかと疑問に思った。ひょっとするとボタ山ではないかと思ったが、その通りだった。

 忠隈のボタ山と呼ばれ、高さは121メートル、別名筑豊富士ともいう日本最大級のボタ山である。

 サラリーマン生活の第二の職場は、田川市に本社と工場のある会社だったので、東京勤務の私も月に1週間ないし2週間は田川に出張した。第二の職場も後1年となった1999年の春、筑豊勤務の記念として忠隈のボタ山に登ることを思いついた。

 JR飯塚駅で降り左手前方のボタ山を目指す。民家の間をゆるく上って行くとすぐに麓に着く。ロープが張ってあり、「危険につき立ち入り禁止」と赤いペンキで書いた看板がある。意外だったがここまで来て筑豊の象徴ともいえるボタ山を諦めるわけにはいかない。一人でひっそりと登るくらいはいいだろうと、ロープをまたいで入り、裾を巻くように進むと、左手に真っ直ぐ頂上に続く登山道があった。そこにも先ほどと同じ看板が立っていた。特に危険とも思われなかったので、思い切って登ることにした。

 大きな丸太を鉄筋で止めて階段状にしてある幅1メートルほどの道だ。1歩で1段を登るのはきつい。ボタとは石炭採掘の際に廃棄される岩石や低品位の石炭などのこと。廃棄されてできたのがボタ山だ。トロッコなどで運び上げ、上から落としてゆくので、円錐形になる。

 もっと黒い地肌を予想していた。足下にはいかにも石炭と思われる黒い小砂利もあるが、全体としてみればむしろ白っぽく、粘りけがないさらさらした地肌だ。急斜面を這うようにして上って行く。先ほどの看板の「危険」という意味がわかった。急で崩れやすい斜面で足を滑らせると危ないと言うことだ。

 周囲は背丈を超すほどの雑木が生えている。植林した様子はない。かつて日本のエネルギーを支えた石炭産業は、石油に押されて、1960年代には石炭処の筑豊地方でも炭鉱が次々に閉山され、今は一つも残っていない。当時から30年余りの歳月しかたっていないのに、草木の1本もなかった山が緑に覆われ、春の陽にまばゆく輝いている。滅んでいったものと、その上に芽生えた植物の強靱な生命力。そんな感慨にひたる。

 しばらく登ると、雑木が切れて見晴らしがよくなった。立ち止まって振り返る。麓から東側に飯塚の市街が広がり、麓では家々の窓が折から西に傾きつつある陽を反射させている。突然、誰かがあの窓から私を監視しているという思いに捕らわれた。樹林の中を登るのだから人目にはつかないだろうと思って、「立ち入り禁止」を無視した。しかし、今私は全身をボタ山の斜面にさらけ出していた。私はその場にしゃがみ込んだ。頂上まではあと20メートルほど。その間は樹木に覆われていないガレ場だ。そこを登る私の後ろ姿はきっと下の人家の窓から誰かに見つけられ、警察に通報されるという恐怖を払うことができなかった。

 私は頂上を諦めた。


補足
忠隈のボタ山については以下を参照。昭和20年代からのボタ山の画像がアップされている。
http://www.geocities.jp/kachiyume/botayama.htm

     忠隈のボタ山   1999-04-29 撮影
   右のボタ山に登る。頂上直下に私が引き返したガレ場が見える。

 


   2015-02-25 up



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