ことばとの出会い
目次 英文をクリックしてください
1 national sport 国技
2 Qu'est-ce que etage Monsieur?
(Quel etage Monsieur?)
何階ですか、おじさん?
3 skinny やせた
4 undo
unlearn
元に戻す
逆学習
5 indent
indentation
インデント
窪み
6 freeze 動くな
7 gentleman'sC 紳士のC
8 CEO(chief exective officier) 最高経営責任者
9 Yahoo! ヤフー
10 to
Tennessee Waltz
に合わせて
テネシーワルツ
11 brava(bravo) ブラバー(ブラボー)
12 dreams come true 夢は叶う
13 through 終わって、通して
14 square the circle 与えられた円と同積の正方形を求める
15 Google グーグル、グーグル検索する
16 statistics
statistically
統計
統計的に
17 Dodgers ドジャース
18 Tuesday, Thursday 火曜日、木曜日
19 The winner takes it all 勝者総取り
20 be spoiled
spoiler
甘やかされている
つぶし屋
21 It's a pity
Pity is akin to love
もったいない
可哀想だた惚れたって事よ
22 go public
IPO
株式を公開する
新規公開
23 DNA デオキシリボ核酸、DNA
24 with と共に、について、にあっては
 25 stans スタン諸国
26 mobile 携帯電話
  27  exit poll 出口調査


National Sport : 国技

 What is the national sport of Japan?
 
 と聞かれたら、あなたは何と答えますか。
私は「Baseball」と答えました。ところが相手の求める正解は「Sumou」でした。
言われてみると国技と称されるのは、野球ではなくて相撲です。しかし、日本で最も人気があり、広く行われているのは野球です。私は「National Sport」を後者の意味にとったのです。
 
 今年(2003年)、夏にバルト海クルーズに出掛けたときのことです。イタリア船籍の豪華客船で、1週間の船旅の間、船上では色々なイベントが催されます。たまたまクイズ大会があったので、出てみました。イタリア人の若い女性司会者が、問題を読み上げ、それに対する解答を紙の書いていく方式です。乗船客の国籍は様々ですので、イタリア語から始まり、フランス語、スペイン語、英語、ドイツ語と、各国の言葉で、司会者は問題を読んでいきます。全部で、10問、合計得点で優勝を争うものでした。問題は地域や国に偏らないように配慮されていて、「サボテンから作るメキシコの強い酒は何か」といった問題に並んで、上記の問題が出てきたのです。
 
 最後の問題は27の立方根は何かという問題でした。私は「cubic root」という発音がよく聞き取れなかったので、隣のドイツのひとに聞き、「キュービック・ルート」とやっと理解できました。10問が終わり、解答用紙を提出すると解答の発表です。「What is the national sport of Japan? 」のところでは、司会者が私の席にやってきて、マイクを向け、「What is the national sport of Japan? 」と聞きました。私は自信を持って「Baseball」と答えました。司会者はけげんな顔をして、再度聞きました。私は再度「Baseball」と答えました。彼女はあきれ顔で「The national sport of Japan is sumou」と言いました。
 
 10問中6問正解した人が3人いて優勝を分け合いました。運良く私もその中に入っていましたが「相撲」を正解できていれば、単独優勝出来たわけで、残念な思いをしました。
 
 何人かの友人にこの話をして、答えを聞きました。多くの人が「そりゃ、国技だから相撲だろう」という返事でした。一人、世界銀行にずっと勤めていて、ワシントンに住む高校時代の友人、安積さんは「日本のnational sport と聞かれれば、野球だろう」と言った。
 
 研究社の『リーダーズ英和辞典』で「national」を引いてみた。
1a 国民の、・・・・・、 国民的な 1b 国家の、・・・・、一国の[限られた] 
と出ていた。要するに、に重点を置くか、に重点を置くかで、私は前者の意味にとったのだ。この辞典の記載順からすると、national sport of Japan に対する私の解答の方がむしろ正しいと思うのだが…
 
 皆さんはどう答えますか?

寄せられたコメント                             04−01−07up
 
 いくつかの意見が寄せられた。いずれも national sport=国技 ととっていた。ただし、国技=相撲ではなく、今の時代では、世界的に普及した柔道ではないかという意見も一部にあった。
 いずれにしろ、national sport=most popular sport と解釈した私に賛同する意見はなかった。
 以下に、シアトル在住の知人、小峰さんからのメールを紹介するが、多分、この見解が妥当だと思う。
 
 バルト海クルーズでのクイズ大会の " What is the national sport of Japan?"
の答えですが、何日か前にこちらに永住のすでに退職されている、ある日本人の友人ご夫妻にこのクイズをだしましたところ、即座に「それは相撲でしょう」と、答えが返って来ました。
 又70歳くらいの男性でしたが、この方も「やはり、相撲、あるいは柔道」と、いう訳で national sport といえば traditional の意味を含み「国技」をさし、 popular national sport といえば「野球」または最近では「サッカー」となるかもしれない、などの意見が出ました。
 やはり外国人が質問者ですし、例えばこの質問者がアメリカ人だったとしたら、
「野球はアメリカのものだ!」と、思うでしょうから・・・と、こちらに20年以上住む日本人のかたがたの意見でした。
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  :何階ですか、おじさん?

 ジュネーブに半年ほど滞在していたときのことだ。ある時、住んでいたペンションのエレベータに乗った瞬間、扉のところにいた少年が私に言ったのが上の言葉だ。何のことだろうと思ったが、すぐに英語で言えば「What floor sir?」(何階ですかおじさん)という意味だと分かった。私の降りる階のボタンを押してくれるつもりだったのだ。私はとっさに7階というフランス語が出なくて、自分で押した。12、3才の色の白い、可愛い少年だっただけに、せっかくの親切心に応えてやれなかったことが一層悔やまれた。
 ジュネーブは4カ国語が公用語であるスイス中で、フランス語圏に属する。私は事前にフランス語の初歩をかじっていったが、全く役立たなかった。25年経った今では、教科書で習ったフランス語の文例はことごとく記憶に残っていないが、Qu'est-ce que etage Monsieur? というあの少年の言葉だけは、はっきりと残っている。
 
 言葉というのは、何気ない日常の経験から覚えていかなければ身につかない。言葉の記憶は、その言葉が発せられた状況の記憶と強く結びついている。
  せっかく身についた唯一ともいえるフランス語だから、パリあたりのホテルで、乗り込んできた若い女性に「Qu'est-ce que etage Mademoiselle?」と語りかけ、エレベーターのボタンを押してやればカッコいいのだろうが、そんな経験はない。
 
寄せられたコメント                     04−01−07up
 
 このページを見て、フランス語に堪能な知人の岡本さんからコメントが寄せられた。岡本さんは Qu'est-ce que etage Monsieur? という言い方はなく、Quel etage Monsieur ? と言うと指摘された。Qu'est-ce que は英語のwhatで、Quel は英語のwhichに相当するとのことだから、岡本さんの言っていることが正しいと思う。私の聞き間違え、あるいは思い込みで「Qu'est-ce que etage Monsiuer? 」として覚えてしまったのだろう。とは言え、これが私の思い込んでいた言葉であるので、見出し語にはそのまま訂正せず、岡本さん指摘の正しいフランス語を括弧書きで追加させていただいた。パリのマドモアゼルに不正確なフランス語を使う機会がなかったのは、かえってよかったのだ。

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skinny:やせた
 
「Hajime, you look skinny」と、82年、ノースカロライナ州で開かれた学会で、4年ぶりに再会したアメリカの知人は言った。
 
 skinnyという言葉は初めて聞く言葉であった。skinの形容詞だから、やせているという意味だろうととった。確かに、前に会ったときに比べて、私は3,4キロはやせていたかも知れない。日本でも昔、ガリガリにやせた人を「骨皮筋衛門(ほねかわすじえもん)」と言った。私は中肉中背、多少やせても標準体重以上あるので、骨皮筋衛門ではないが、skinnyという英語表現には親しみを感じた。これもくだけた英語で、教科書には出てこない言葉だろうが、日常の中で自然に体験した言葉であるから、私にとっては忘れがたい言葉である。

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undo:元に戻す、 unlearn : 逆学習する

 undo
という言葉に初めて接したのは、パソコンを使い出した頃だ。まだウインドウズが出回っていなくて、NECの98型のパソコンである。そのファンクションキーの一つを押すと「アンドゥ」 というコマンドが実行できた。「アンドゥ」は英語のundoで、「元に戻す」と言う意味だと知った。

 接頭詞unは形容詞に付いていることが圧倒的に多く、否定・反対を意味する。unfairなど日本語になっているほどなじみのある言葉だ。だから、unは否定・反対の意味だと思いこんでしまう。その延長で動詞の前についたunも否定・反対を意味すると思ってしまうから、doの前にunをつけて「行わない」という意味がまず浮かんでしまい、undoが「元に戻す」だといわれると奇異に感じるのだ。動詞の前のunは逆の動作を意味するということを知らなかった。
 
 unlearnというのも、理解しにくい言葉だ。英和辞典には「〈学んだことを〉自ら忘れる」と出ている。この言葉に接したのは、DNA2重らせんの発見者、フランシス・クリックの来日講演の中である。夢の本質についてクリック独特の考えを述べたのだが、その中心にあるのが、夢は脳の「unlearning process」であるという考えだ。脳は外界から常時入ってくる多量の情報を全部蓄えていたらパンクしてしまう。それで、睡眠中に情報の整理を行って、必要でない情報は捨て去るが(unlearn)、その過程が夢であるというのだ。「unlearning」は『リーダーズ英和辞典』には収載されていないが、「逆学習」という日本語が当てられている。

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indent : インデント、  indentation : 窪み

indent
という言葉もパソコンのワープロソフトで初めて覚えた英語だ。文や行の初めを一定字数下げることで、印刷関係では、昔からそのまま「インデント」として使われていた。パソコンが普及しなかったら、私と同じように多くの人が知らずに終わった言葉の一つであろう。

 indentと同じ「へこみ」という意味で
indentation という言葉もある。この言葉に出会ったのは、ウイリアム・フォークナーの短編小説『A Rose for Emily 』(エミリーにバラを)の中である。アメリカ短編小説の白眉とされるこの小説の最後にindentationが出てくる。
 
 ベッドの上に二つ並んだ枕の片方には、頭一つ分の「indentation」があり、その上に長いiron-gray hair(鉄灰色の髪の毛)があった、という記述でこの小説は終わる。隣の枕にあったものは想像を絶するものであるのだが、それを書いては、この小説の種明かしになってしまうので記さないが、indentation と iron-gray hair という二つの言葉がこの小説の中で意味するものを考えたとき、私は震え上がった。心中の感動の渦は小説を読み終わった後も数日間退かなかった。
 
 結末を知った後で、読み返してみると、この作品中の一つ一つの言葉が抜き差しならぬ意味を持っていることに気付く。そのどの一つが欠けても作品全体が成り立たないと思われるほどである。その最たるものが「indentation」である。

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freeze : 動くな

 
freezeで思い浮かべるのは、1992年にアメリカルイジアナ州、バトンルージュで起こった日本人高校生の悲劇だ。当地に留学していた高校生はハロウィンパーティに出掛けた際、間違って別の家に入ろうとし、そこ家の主人に撃たれて死亡した。主人が「Freeze」(動くな)と言ったのを意味がわからずに進んで行き撃たれた。「Freeze」を「Please」と聞き間違ったのではないかという憶測もされた。
 
 私もfreezeに「動くな」という意味があることはこの事件までは知らなかったし、また、pleaseと聞き間違えそうだ。もし、この高校生の立場におかれたら、恐らく私も撃たれていただろう。
 
 撃った男性は陪審員により正当防衛で無罪とされた。銃の所持が個人の権利として認められているアメリカ社会一般の考えを反映した判決だろう。我々の常識からすれば、これは過剰防衛だと思う。亡くなった高校生の両親は、アメリカでの銃規制を求めて、各方面に働きかけた。クリントン政権時代に、銃所持への規制が少し強化されたが、全米ライフル協会を有力な支持母体とするブッシュ政権は、銃規制に否定的だ。それどころか、ブッシュ政権はイラクへ攻め込んだ。これもどう見ても過剰防衛としかいえない。

                                   
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gentleman'sC : 紳士のC
 
「リーダーズ英和辞典」には載っていない。「リーダー・ズプラス」には以下のように記載されている:
 紳士のC《あまり高くないが、まあまあの評価;伝統的に大学などで育ちの良い子息に与えられる情状及第点》
 
 この言葉と出会ったのはNewsweek誌だ。前回のアメリカ大統領選関係の記事の中で、ブッシュの大学時代の成績を「gentleman's C」であると述べていた。日本でも有名私立などではこれに相当する成績評価があるのだろうか。

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CEO(chief exective officier) : 最高経営責任者

 
CEOという言葉は今はそのまま使われるほど一般化した。少し前までは「CEO(最高経営責任者)」というように、括弧書きを入れていた。
 
 15年ほど前はCEOという表記はいうまでもなく、最高経営責任者という訳語もなく、この言葉の意味も理解されていなかった。当時、仕事でアメリカでのある訴訟記録を読まなければならなかった。膨大な記録で、専門語も出てくる英文だったので、翻訳会社に翻訳を頼んだ。私は勉強のために原文も読んでみた。その中に「chief excective officier○○」という表現が出てきた。高い翻訳料を払った翻訳文では「○○専務取締役」となっていた。当時はまだCEOと言う言い方は一般的でなかったが、私はその意味を知っていたから、これは誤訳だとピンときた。大勢いる経営陣の中の一専務取締役と最高経営責任者とではその立場はまったく違う。同じ発言でも、専務のそれと最高経営責任者のそれとでは重みがまったく違う。

 当時はこのいい方にずいぶん戸惑い、変ないい方だと思ったが、その思いは今でも残る。日本でもCEOといういい方を採用する会社が出てきた。その多くは会長兼CEOという肩書きを標榜している。わざわざCEOという肩書きをつけなくても、会長あるいは社長といえば、本来会社のトップ、最高責任者であることはわかるのではないか。

                                    
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Yahoo! : ヤフー

 ご存知、インターネットのポータルサイト。
 
「Yet Another Hierarchical Officious Oracle」 の頭文字を取ったもの。Yahoo!の創立者で当時スタンフォード大学の学生だったジェリー・ヤンとデービッド・フィロが、自分たちのリストに付けた名前だ。最後に!マークを付け「Yahoo!」となる。ニューズウイーク日本版98年6月3日号では「またも登場した階層的でお節介な神託」と訳していた。
 
 ヤフーという言葉を聞いたとき、最初に思い浮かんだのは、遠い昔に読んだ「ガリバー旅行記」に出てくる、人間の姿をした動物であった。確か、軽蔑的に書かれていたという記憶があり、なぜサーチエンジンの名前になっているのか不思議に思った。当時、「Yahoo!」を「ヤホー」と呼んでいる人が結構いた。
 
 日本のヤフーがいつ設立され、いつ株式を上場したかは知らない。私は情報化社会のインフラ整備を目指すソフトバンクという会社に興味があった。それで、ソフトバンクが何百億円という資金を調達するために転換社債を発行したとき、ベンチャー支援のつもりで一口買った。その企業を支援し資金を提供するという気持ちで社債や株を買ったのは、この時が最初でそれ以後はまだない。まず利殖という観点が先行する。
 
 ソフトバンクはヤフーの大株主であった。証券会社の営業員から、ヤフーの株が近々分割されると電話があったのは、99年の2月であった。ヤフーの株価が上がればソフトバンクの株も上がるから、転換社債は持っていた方がいいと連絡してきたのだ。ヤフーの株価は1,700万円だった。思い切ってヤフーを1株買ってみようかと思ったのは一瞬であった。そんな大金を賭けるわけにはいかないと、すぐに思い返した。
 
 ヤフーの株はITバブルに乗って分割後もぐんぐん騰がっていった。
 驚いたことに、1年後の2000年2月には、ヤフーの株は1億を超えた。しかも途中でもう1回分割をやったから、4株になっていて、1年前の1,700万円が4億円を超えたのだ。マスコミにはヤフーはじめIT関連株で巨額の利益を得た人々を指す「ヤフー族」なる言葉が登場した。
 
 私はヤフー族になり損なった一人である。
 
 ソフトバンクの転換社債もぐんぐん騰がっていった。最後は額面の十数倍の価格になったはずだ。私は2倍を超えたところでうれしくなって売ってしまった。
 あの時思い切って1,700万円を出してヤフーの株を買って、1年後に売っておけば今頃は左うちわだ。しかし、その決断が出来なかったところが私という人間の器なのだ。ただ、転換社債の方はもう少し儲けられたのにと、残念である。

ヤフー追記:2005−12−06 up
 
  今日の朝刊に、東証1部の時価総額が500兆円を超えたことが出ていた。500兆円を超えたのは、実に15年5ヵ月ぶりとのこと。15年前の時価総額ランキングと、昨日付けのランキングリストが載っていた。銀行や電力会社が上位を占めていた15年前に変わって、今はトップのトヨタを初め自動車メーカーなどの製造業、さらにIT企業も
台頭している。驚いたのは、ヤフーの時価総額が4兆3199億円で、第16位に顔を出していることだ。東京電力よりも大きく、ソニー、三菱商事と肩を並べる時価総額である。

 ヤフー株はその後も1対2の分割を続けて、1株の価格が下がってきた。やっと私でも買える価格帯になったので、今年の夏、3株購入して株主になった。9月末に分割があったので、今の手持ち株は6株である。株価は昨日の終値で143,000円である。

 数日前に、ヤフーから「株主通信」という冊子が届いた。そこには株式分割の経過が記されていた。それに基づき、もし、99年の2月に、証券会社の営業員の情報に乗って、ヤフー株を1株買っていたら、今頃いくらくらいの価値になっていたかを計算してみた。
 この間の分割回数は実に12回になっている。従って、当時の1株は、2の12乗、つまり4096株になっている。これに昨日の株価、143,000円をかけると、585,728,000円、
5億8572万8000円になる。

 ヤフーの「株主通信」の最初のページには名前の由来が記してある:
 Yahoo!という名前は、"Yet Another Hierarchical Officious Oracle"(もう一つの階層的で非公式な神託)の略だといわれていますが、ジェリーとデビッドの二人は自らを「ならず者」(yahoo)と称し、この名を選んだと主張しています。

 「株主通信」の冒頭に載っているのだから、ヤフーとしては、よほどこの流説を否定したいのだろう。逆に言えば、この流説はそれだけ広く浸透しているのだ。

 Yet Another Hierarchical Officious Oracleの日本語訳も、前述のニューズウイーク日本とは少し違う。
 リーダーズ英和辞典には
officious の意味として:1 おせっかいな 2 《外交》非公式の と載っている。ニューズウイーク日本は前者の意味として解釈した。もちろん、ヤフー自体が「非公式な」としているのだから、こちらをとるべきだろうが、「おせっかいな」というのも、二人の創始者が、実際にそう感じたかも知れないと思わせるところがあって、面白いと思う。
             
                                     
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to : に合わせて、 Tennessee Waltz : テネシーワルツ

 I was dancin' with my darlin' to the Tennessee Waltz,
 
 江利チエミが歌ったテネシーワルツの出だしの部分だ。今でも口をついて出てくる。私が知っているのは今も初めて聞いた当時も、この部分の歌詞だけだ。本歌はアメリカのパティ・ページ(Patti Page)が1950年に大ヒットさせたもの。その後江利チエミが日本でヒットさせた。私が中学生の頃だ。
 
 私は上の歌詞を「夫とワルツを踊りながらテネシーへ行く」と、強引に解釈していた。解釈というより出てくる単語からそんなイメージを組み立てていたというべきだろう。このイメージの鍵となるのは「to」だ。その頃の私の英語の知識では、「to」は「・・・へ」という意味しか考えられなかったから、「テネシーへ」と解釈したのだ。「to」に「・・・に合わせて」という意味があるのはあとになって知った。また、「darling」というのも「夫」という意味しか知らなかった。
 
 テネシーワルツの歌詞全文を知ったのは、アメリカの50年代のヒット曲を集めたCDを聴いた比較的最近のことだ。驚いたことに、この歌は失恋の歌であった。「darling」はこの場合、夫ではなく、恋人である。ダンスパーティで紹介した友人に恋人を取られてしまったという歌なのだ。もっと驚いたことは、そんな悲しい、ある意味では不道徳な歌にもかかわらず、この歌が後にテネシー州の州歌になったことだ。
 
《参考》テネシーワルツ歌詞
 
I was dancin' with my darlin'
To the Tennessee waltz,
When an old friend I happened to see.
Introduced her to my loved one,
And while they were dancin',
My friend stole my sweetheart from me.
 
I remember the night,
And the Tennessee waltz,
Now I know just how much I've lost,
Yes I lost my little darlin',
The night they were playin',
To the beautiful Tennessee wal
tz .


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brava(bravo) : ブラバー(ブラボー)

 95年の夏、ニューヨーク周辺を旅行した。ニューヨーク州の州都オールバニーに住む大学時代のクラスメート、田中さんが旅行のプランを立ててくれた。田中さんの趣味にそってブロードウエイのミュージカル「オペラ座の怪人」「キャッツ」、タングルウッドの野外音楽堂でのボストンフィルによるベートーベンなど、音楽を楽しむツアーだった。その最後が、オールバニーからさらに車で1時間以上行った森の中、ギルマーグラスでの「ドンジョバンニ」の公演であった。
周辺には人家の全くない真っ暗な森の中のオペラハウスであったが、満席であった。出演はニューヨークメトロポリタン歌劇団の超一流歌手とのことであった。
 
 歌劇の中頃、メトロポリタン歌劇団のプリマドンナがアリアを歌うところがあった。堂々たる体躯の彼女が舞台のそで近くで渾身の力で歌い始めた。どうやらこの歌劇の最大の聴き所らしい。私も他の聴衆と同様、神経を集中して聴く。
 
 彼女が歌い終わった時、私のすぐ後ろから「ブラバー」のかけ声がかかった。静まりかえる会場に響き渡ったその声の主は田中さんだった。遅からず早からず、歌い手の呼吸のリズムまで測ったような絶妙のタイミングの「ブラバー」であった。メトロポリタン歌劇の定期会員で、よく聴きに行っているという田中さんではあるが、多くの聴衆の前で、大スターに対してよくもかけ声を入れられるものだと感心した。ただ、私の耳は確かに「ブラバー」と聞こえたが本当は「ブラボー」ではないかと疑問に思った。
 
 その旅行中、田中さんのかけ声が特に話題になることはなかったが、私には忘れられない出来事だった。数年後、田中さんに会ったとき、この話を持ち出した。本人はもう覚えていなかった。彼にしてみれば、覚えておくほどの出来事でもないようで、それもすごいことだと思った。相手が女性の場合は「ブラボー(bravo)」ではなく「ブラバー(brava)」というのが正しいので、言ったとすれば多分「ブラバー」と言ったはずだという。
 
 かけ声のタイミングは難しいと彼も言う。このソプラノ歌手の引退公演の際、まだ歌が終わっていないのにかけ声がかかったという。かけ声は収録中のCDにも入ってしまったが、その部分を消して発売されたという。
 
 私はコンサートで曲の終わりの拍手をするときでも、誰かが拍手するのを窺ってから拍手する。まだ終わっていなかったらまずいと思うからだ。
 
 リーダーズ英和辞典にはbravaは見出し語としては載っていない。bravo のところに以下のような説明として載っている:
 イタリア語ではbravo は男子に、brava は女性に、bravi はグループに用いる。
 
 してみると、田中さんのかけ声は、イタリア流であったのだ。私たちが観た「ドンジョバンニ」はイタリア語で、英語字幕が舞台の上に表示されていた。

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dreams come true : 夢は叶う

「Dreams come true」というフレーズは日本のアーチストの名前だが、3月のある日、いつものようにBGMとして聞き流しているFM横浜から、このフレーズが3回も流れてきて驚いたことがある。3回ともそれぞれ別の曲の中であった。
 
 最初はQueenというグループの「I was born to love you」という情熱的なラブソングであった。正式な歌詞は「And my dream’s come true」である。
 
 ついで入ってきたのはミニー・リパートンという女性歌手の「Loving you」という私も耳にしたことのある古い歌だ。動物の鳴き声の入った歌ベストテンという特集のナンバーワンにあげられていた。曲を通して小鳥のさえずりが背景に流れている。「Loving you is more than just a dream come true」という文脈である。
 
 そして、最後に出てきたのはThe Carpenters の「Close to you」(邦題「遙かなる影」)という曲だ。後でFM横浜のHPを調べて、これはCarroll Thompsonという人が最近カバーしたものであった。正確には「create a dream come true」という使われ方だ。
  
「Dreams come true]というのは良いフレーズなのだ。他にも使われているかもしれないと思いネットで調べてみた:
 
「オンリーユー」 ザプラターズ 
          You’re my dream come true
「ブルーハワイ」 エルヴィス・プレスリー 
       Dreams come true  In blue Hawaii
「オーバーザレインボー」 ジュディ・ガーランド
       And the dreams that you dare to dream  Really do come true
「愛は夢の中に」 カーペンターズ
       When my smallest of dreams won't come true
 
 最初の3つは私でも知っているポピュラーな曲だ。意味だけでなく、響きも良いので英語のポップスではよく使われるのだろう。
 
 日本の歌詞の場合どうだろう。「夢」でまず浮かぶのは私の場合、藤圭子の「夢は夜開く」、そして橋幸夫と吉永小百合の「いつでも夢を」である。いずれも「夢は叶う」という使われ方はしていない。
 日本のポップスで最近やっと耳にした「夢は叶う」という意味の歌詞は以下の3曲である:
 
「5月の別れ」 井上陽水
       残された青空が夢をひとつだけ あなたに叶えてくれる    
       眠りから醒めながら夢をひとつだけ あなたに叶えてくれる
 
「フラワー」 Kinki Kids
       こんなにがんばってる君がいる かなわない夢はないんだ
       こんなにがんばってる僕もいる 一緒に夢をかなえよう
 
「君といる時間の中で」 平原綾香
           私の胸に きっと聴こえる 「叶わぬ夢などないんだ」と
 
  最後の曲は、04年5月発表の新曲である。         (04-05-31 up)

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through : 終わって, 通して
 
 夢は叶うばかりでなく、潰えてしまうものもある。
 テネシーワルツのパティ・ページのヒット曲に「I Went to Your Wedding」(君の結婚式に行った)というのがある。愛しい人が他の男と結婚するのを悲しむ歌で、日本では「涙のワルツ」として、ペギー葉山が歌った。その中に 
 
My poor heart kept saying
"My dreams, my dreams are through" というフレーズが出てくる。
 
 教会のオルガンの響く中、通路を進む花嫁の姿に、哀れな私は心の中で「私の夢は終わってしまった」とつぶやき続けた、という意味だ。
 日本語でも「つかみかけた夢が手からスルリと抜けていった」というが、この「スルリ」が、英語のthrough(スルー)と響きあっているところが面白い。
 
「スルリ」ではもう一つ。最近は余り聞かれなくなったが、サッカーに「スルーパス(through pass)」というのがある。中盤から相手守備陣のわずかな隙間を通して相手ゴール前の味方に出すパスだ。ジーコが現役で活躍していた頃、針穴を通すようなそのスルーパスは「芸術的」と表現された。ジーコの引退と共にこの言葉も使用頻度が減ってきたのだろう。
 この場合の「スルー」も、相手守備陣の間を「スルリ」と抜けていく感じとぴったりである。  
                                    (04-05-31 up)

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「リーダーズ英和辞典」には、circleの項にこの熟語が載っている。squareはこの場合動詞で「正方形にする」という意味である。
  
 原義はこの通りであるが、転じて不可能なことを企てる、と言う意味で使われる。
 
 この表現に出会ったとき、なるほど、円と正方形はそういう関係にあったのだと再確認した。つまり、円周率πは無理数であり、3.141592653……とどこまでも続き、決して有限の数列では表せないということ。考えてみればこれは不思議なことだ。直径1メートルの円の周囲の長さも、面積も我々は真の値を知ることが出来ない。逆に面積1平方メートルの円の直径の真の値も知ることが出来ず、従ってコンパスで描くことが出来ない。円がからむすべての値は近似値としてしか知り得ない。なんとなく割り切れないものを感じるが、我々の生活、あるいは現代精密科学もそれで特に困ることはないようだ。日常ではπは3.14で十分である。例えばスペースシャトルの設計や打ち上げの計算にには、小数点以下何桁くらいまで使われるのだろうか。    
                                  (04-05-31 up

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Google : グーグル、グーグルで検索する

 多分、最もよく使われるネットの検索エンジン。
 
 先日、高校時代のクラスメートが手紙で、ホームページの開設を知らせてきた。手紙にはHPのURLは記されておらず、代わりに「『○○○○○』でググれば出ます」とあった。一瞬、理解できなかったが、すぐに○○○○○と入れてグーグルで検索すれば、そのHPがリストアップされるということだと理解した。その通りであった。
 
 それにしても「ググる」には驚いた。手紙の主は大学の先生である。コンピュータ関係者の間では、2年ほど前からこの「ググる」という言い方はあるとのこと。グーグルはネット検索の代名詞として使われている。グーグルによる検索がそれほど一般化していることの表れだ。
 URLをいちいち入力するのは面倒で、ミスも多い。それに比べると、グーグルで検索し、そのままページを開いた方が早い。                           (04-06-20 up)

                                                            ページトップへ


statistics:統計、 statistically : 統計的に

 うそには3種類ある:lie, damned lie and statisticsうそ、真っ赤なうそ、そして統計だ)と、『トム・ソーヤの冒険』で知られる作家、マーク・トウェイン(Mark Twain)は言ったとのことだ。
 
 統計のうそ、あるいは数字の魔術。日本でもよく言われる。標本に基づく統計では、その標本の選び方によって、同じ母集団でも統計数値は大きく変わりうる。標本の抽出に作為を入れれば、統計で人々をだますことは容易だ。統計データを発表する側が、都合のいいデータだけを発表することもあろう。また、58.13%といったように、実際は意味のない小数点以下まで表示されると、その数値がいかにも正しく思えるという「うそ」もある。
 
 statisticsとは発音しにくい単語だ。形容詞はstatistical, 副詞はstasticallyである。いずれも発音しにくい。
 
 かつて、海外の学会で研究成果を発表したときのこと。講演では、データを統計的に処理したとか、統計的な有意差があったとかという文脈で、何回かstatisticallyという言葉を使わねばならなかった。日本語なら、15分ほどの学会発表は原稿なしで行えるが、英語ではそうはいかない。原稿に目を釘付けにして、淡々と読んだ。
 
 発表が終わり、夜の懇親会の時、少しアルコールの回った知人のイギリス人がやってきて、ニコニコしながら「statistically! statistically!」と私の発音をまねた。イギリス人にしてはひょうきんで、ざっくばらんな人で、悪意あってのからかいではなかった。昼間の講演で私が「statistically(スタティスティカリー」と、苦労しながらぎこちなく原稿を読んだことへのねぎらいの情がこもった言い方であった。確かに「statistically」のところでは、流暢に(?)来た読み上げが、少しつかえるのを自分でも感じていた。 

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Dodgers :ドジャース
 
 アメリカ大リーグの名門チーム。野茂と石井が現在属している。本拠地はロサンジェルス。私は野茂が入団するまではドジャースの本拠地がロサンジェルスであると知らなかった。ドジャースといえばブルックリン・ドジャースとばかり思っていた。
 私の他にもそう思い込んでいた人物がいた。
 
 1996年のアメリカ大統領選は、2期目を目指すクリントンに共和党のボブ・ドールが挑戦した。その年の9月17日、野茂がデンバーでの対ロッキーズ戦でノーヒットノーランの快挙をやったが、ちょうど大統領選挙キャンペーン中のボブ・ドールが早速野茂を讃えて、「ブルックリン・ドジャースの野茂」とやってしまった。彼の古さを表すものとして大方の失笑をかった。まさかこの一言でクリントンに負けたわけではないが、ドールがクリントンに完敗した理由は色々ある中で、最大の原因は年齢かもしれない。当時70才であった。
 
 子供の頃に知ったメジャーリーグの名前といえば、アメリカンリーグのニューヨーク・ヤンキースについでナショナルリーグのブルックリン・ドジャースだった。それ以後、野茂の入団まで、メジャーリーグへの関心は全くなかったから、私の中では、ドジャースといえばブルックリンのままで凍りついていた。ブルックリンはヤンキースの本拠地ニューヨークのマンハッタン島と、イーストリバーをはさんで向かい合う地区だ。1958年という早い時期にドジャースは西海岸のロサンジェルスに本拠地を移している。ドールも若い頃の記憶が強烈にしみ込んでいて、つい「ブルックリン・ドジャース」と出てきたのだろう。
 
dodgeとは「ひらりと身をかわす、ぬらりくらりと言い抜ける」という動詞。dodgerにはひらりと身をかわす人、責任を逃れる人、ペテン師」という訳語を『リーダーズ英和辞典』はあてている。もちろんチーム名のドジャースというのは「ひらりと身をかわす人」という意味であろう。
 
 野茂がノーヒットノーランを行ったデンバーのクアーズ・フィールドは、海抜約1600メートルの高地にあり、打球がよく飛ぶので有名な球場。この球場でのノーヒットノーランは野茂が最初であった。しかも相手のロッキーズは強力打線を誇るチームであったので、これは快挙として大きく取り上げられたのだ。
 
 2004年6月、ドジャース対ヤンキースの交流試合があった。両者の対戦は81年のワールドシリーズ以来23年ぶりとのこと。緒戦で、松井秀喜が野茂から3ランホームランを打った。
                                                      (04/07/22 up)

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Tuesday, Thursday :火曜日、木曜日

 
Tuesday,Wednesday,Thursdayと続く週の真ん中の曜日は、淡々と仕事が流れる日々で、行事のある土日に比べ影が薄い。さあやるぞと意気込む、あるいはこれからまた仕事かという月曜日、やれやれ明日は休みだという花の金曜日に比べても存在感が薄い。そんな背景もあり、さらにTuesday とThursday は、Tで始まり、発音が似ているので、時々どっちが火曜でどっちが木曜であったかと迷うことがある。そんなとき、昔父から伝え聞いた曜日の覚え方を口ずさみ、確認する。
 
 月夜に酒をのマンデー
 火
に水かけてチューズデー
 水田に苗をウエンズデー
 木刀腰にサースデー
 金つばよりはフライデー
 お産持ってごぶサタデー
 日輪空に燦サンデー
 
 独特の尻上がりの調子をつけて唱えるのだ。古色蒼然とした文言だが、覚えやすい。最後の日曜日についてはこうであったか定かでない。日曜日がサンデーであることを間違えることはないので、特に印象に残らなかったのだろう。
 
 ところで、「曜日」というのは英語で何というのだろ。思いつかなかった。「ジーニアス和英辞典」(大修館)で「曜日」をひいてみた。「曜日」に相当する単語は載っておらず、「今日は何曜日ですか」という例文に対する英文が載っていた。
 
 What day(of the week) is it today?
 What's today?
 
 最初の例文では形式的には「day」が「曜日」に相当する。それで、「リーダーズ英和辞典」(研究社)で「day」をひいてみたが、「曜日」という訳語はなかった。最初の例文の括弧を取った「day of the week」というのが「曜日」に相当する英語のようだ。
 
 週の真ん中は行事が少ないと言ったが、アメリカの大統領選挙では、火曜日が特別な日である。大統領選挙の投票日は11月の第1月曜日の次の火曜日と決められている。今回の投票日11月2日は最も早い投票日となる。その他に3月の上旬の火曜日には20州余りで一斉に予備選挙が行われ、この日はスパーチューズデーと呼ばれている。
                                                         (04/11/20 UP)
追記:
このページを読んだ知人から以下のようなコメントが寄せられた。
「…中学の英語の単語テストで出る曜日は、火曜、水曜、木曜です。間違いやすいスペルだからです。そうそう、エッセイの中の水曜の綴りが間違っているように思いますが、……」
 
 指摘された通り水曜日は「Wensday」となっていた。私は中学のテストも不合格でお恥ずかしい限りである。それにしても「ウエンズデイ」の表記が「Wednesday」とは!!
                             (04/12/20 UP)

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The winner takes it all:勝者総取り

 欧米、特にアメリカ社会の特徴の一つとしてよく言われる言葉。農耕と違って、狩猟では獲物を射止めた者がすべてを得る。農耕民族と狩猟民族の違いを説明するとされる言葉。
 典型的な例は、アメリカの大統領選挙。50州のうち48州が「勝者総取り」方式で、1票でも多い方がその州の選挙人をすべて得る。残る2つの州でも、結果的には勝者総取りになるようだ。今年の大統領選挙では、ブッシュが得票率でもケリーを上回ったが、前回、2000年の選挙では、全体の得票率ではゴアの方がわずかにブッシュより上だった。
 
 2年ほど前、街を歩いていて店頭で見つけた「ABBA Gold」というCDを買った。その中にThe winner takes it all というフレーズが出てきた。アバについてはその名前をかすかに聞いたことがあるだけでどんな歌があり、どんなグループかまったく知らなかった。20年以上前に活躍したスエーデンのグループで、「ABBA Cold」はそのヒット曲を集め、99年に発売されたもの。それがきっかけとなって、アバのリバイバルブームが起こったとされる。伸びやかなビートが心地よい。歌声も素直でいい。すっかり気に入ってよく聞くCDになっている。
 
 曲の題名も「The Winner Takes It All 」で、邦題は「ザ・ウイナー」である。アバの中でも1,2を争う名曲、人気の高い曲である。CDには歌詞のプリントがついていなかったが、大体の内容は見当がついた。恋愛をゲームに見立て、勝った者がすべてを手にし、敗者は運命として受け入れなければならないという。しかも、この曲は勝者ではなくて、敗者の立場から歌われている。失恋の歌である。
ネットで調べた歌詞の一部は以下のようである:
 
The winner takes it all - the loser standing small
Beside the victory - that's her destiny
                                                    (04/11/20 UP)

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be spoiled : 甘やかされている、 spoiler : つぶし屋

 チューリッヒ郊外のレストランで、取引先の3人のスイス人とランチをともにした時のこと。話題がそれぞれの住宅事情に及んだ。当時私は会社のアパートに家族5人で住んでいた。アパートの床面積は80平方メートルであると私は言った。その瞬間、2人が同時に
「We are spoiled」と言った。残りの一人も同意して、3人が顔を見合わせた。彼らの標準からすれば80平方メートルに5人家族というのは信じられない狭さだった。しかし、さすがに「Unbelievable(信じられない)」と言うのは非礼と思ったのだ。日本に比べれば、ずっと恵まれた住宅事情にある我々は余り不満を持ってはいけないと言う自戒の意味で、「We are spoiled(私たちは甘やかされている)と言ったのだ。 

 
spoilには「害する」とい意味に並んで「甘やかしてだめにする」という意味がリーダーズ英和辞典には載っている。しかし、「甘える」という意味ではない。「甘え」あるいは「甘える」という日本語に相当する言葉が外国語にないということを手がかりに、日本社会の特質を見事に摘出したのは、土居健郎の名著『甘えの構造』である。
『ジーニアス和英辞典』には「甘え」に相当する英語は載っていない。「甘える」には、犬などがじゃれつき甘える
「fawn」と、好意などにつけ込むと言う意味で「take advantage of」を挙げている。最後のフレーズも日本語の「甘える」とはニュアンスが違う。やはり「甘え」「甘える」は英語にはない言葉のようだ。
 
 
「幼児的依存を純粋に体現できるものこそ日本社会で上に立つ資格があることになる」と土居健郎は『甘えの構造』の中で言う。まったく同感である。

 日本的甘えの典型的な体現者は長嶋茂雄だ。若いときから名門人気球団のスターとして、周囲に甘え、また世間も長嶋に甘えてきた。監督時代には他球団の有力選手をあれも欲しい、これも欲しいとおねだりしたのは文字通り甘えっ子のようだった。そんな長嶋が理想の上司像にも何回も登場した。病に倒れて現場に行くことが出来なくても、アテネオリンピックの野球チームの監督の座を降ろされることもなかった。長嶋と世間のそうした相互の甘え関係のため、アテネでは実績もないコーチに指揮を委ね、同じ相手に2度負けるという失態を演じ、日本は悲願の金メダルを逃したことは記憶に新しい。
 長嶋の対極にあるのがイチローだ。ファンや人気に甘えることなく、孤高のうちにひたすら技術を磨き、高みを目指す。彼は日本社会では上に立つことができないだろう。

 
spoilに関連してもう一つ、「spoiler : つぶし屋」という言葉を目にした。 

『週刊朝日』2004年12月24日号の世界ブリーフィング(船橋洋一)の見出しだ。

「イタリア、パキスタンなどスポイラー連合≠ヘ、国連安保理常任理事国拡大つぶしに躍起」

 国連の安保理常任理事国を増やすという改革案について抵抗する勢力について、船橋洋一は以下のように記している:
 しかし、行く手を阻む「抵抗勢力」がある。
スポイラー諸国(spoilers)つまりつぶし屋連合である。中心はイタリア、パキスタン、メキシコなどである。イタリアはドイツ、パキスタンはインド、メキシコはブラジルを常任理事国にしたくない。
 記事の最後にはカナダもつぶし屋であるとしている。国連活動の優等生でPKO活動では最も多くの戦死者を出しているのに常任理事国になれないカナダは、プライドが許さないと言う。

 こうした「スポイラー連合」のみならず、隣の大国の反対もあって、日本の常任理事国入りは予断を許さない状況だ。

 
spoiler : 損ずる人、略奪者、泥棒、大物食い (リーダーズ英和辞典)
                                     (2005-05-29 UP)

                                     ページトップへ


It's a pity : もったいない  Pity is akin to love : 可哀想だた惚れたって事よ
 
 最近有名になった日本語に
「もったいない」がある。ケニアの環境副大臣で、ノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイさんが、「もったいない」を環境保護の合い言葉として世界に広めようと提唱したのだ。

 先日、環境問題を本来の専門とする北野大氏の講演を聴く機会があった。氏はその中で「もったいない」について触れ、ケント・デリカット氏に聞いたところでは、その英訳は
It's a pityあるいはThat's waistingであるとのこと。

『ジーニアス和英辞典』では、「もったいない」そのものの英文はなく、
何てもったいないと言う句をWhat a waiste!としてあった。
 英語には、相当するピッタリの単語がないようだ。
It's a pity という言い方は、無駄に捨てられるものへの憐憫が感じられ、それはそれで面白い言い方だと思うが、That's waistingの方が日本語のニュアンスに近いだろう。

pityですぐ思い浮かべるのは、夏目漱石の『三四郎』の中に出てくるPity is akin to loveだ。隠れた碩学の広田先生が、17世紀末のイギリスの文学作品から持ち出した句だ。日本語にも同じような言い方がありそうだが、と居合わせた三四郎、美禰子、与次郎に問いかけるが、誰も適当な言葉が思い出せない。それで翻訳しようということになり、三四郎の学友で、世慣れていて、とぼけたところのある与次郎がこれだと言って出したのが可哀想だた惚れたって事よである。可哀想だとは惚れたと云う事よを縮めて俗っぽく言ったものだ。広田先生は即座に「下劣の極みだ」といって拒否するが、私はいい訳だと思う。

『リーダーズ英和辞典』には
akin:血族で、似通って、類似して、の訳語があり、次にPity is akin to love (諺)憐れみは恋に通ずると載っている。

『三四郎』を読んだのは高校生のときである。
akinという英語はその時以来強く記憶に残った。しかし、その後実際の英語でお目にかかった記憶は1度か2度である。17世紀末の文学作品と言えば、芭蕉の時代のものだ。akinは古い言葉で現代では余り使われないようだ。
                                       05-07-03 UP


                                                           ページトップへ  



go public : 株式を公開する
IPO(Initial Public Offering): 新規公開

 go public
という言葉はアメリカのIT関係の新興企業が、市場から資金を調達するために、盛んに株式を公開していった、1990年頃よく目にした。最初にこの言葉の意味を知ったとき、違和感を覚えた。私のいた会社はかつては「公社」であって、その英語訳は「public corporation」であった。それで go public というのは、「公共企業になる」、つまり株式を国なり、地方自治体が一手に握ることで、むしろ株式を開放するのとは逆ではないかと感じたのだ。

 80年代に日本では、電電公社や国鉄等の公社が相次いで民営化された。
public corporation(公社あるいは公共企業体)のprivatization(民営化)の仕上げが、going public(株式の一般への公開)であるところがややこしい。
80年代後半から、90年代にかけてNTTを皮切りに、JT、JRの株が次々に市場に売り出され、国は膨大な創業者利潤を手にした。

 IT産業の発展、特にネット関連で新しい企業が続々と生まれるのにつれて、日本でも株式の新規公開のハードルがぐっと低くなり、新興企業向けの証券市場もいくつか出来、近年では新規上場する企業が後を絶たない。

IPO(新規公開)という略語も今はすっかり定着してしまった。                                                                              2006-01-02 up

                                                           ページトップへ


DNA : デオキシリボ核酸(deoxyribonucleic acid)、DNA

 科学文献以外の新聞や雑誌で、
DNAの後に(デオキシリボ核酸)と括弧付き注釈が入っていたのは、いつ頃までであろうか。90年代の中頃までは、入っていた気がする。今ではそんな注釈はまったく見ない。DNAという言葉は完全に日本語に定着している。

 手元の1981年版の『新明解国語事典』(三省堂)には、DNAは載っていない。ちなみに、DM、DK、は載っている。それぞれ、ダイレクトメール、ダイニングキッチンの略号としてである。

 
DNA:細菌からヒトまで、地球上の全生物の遺伝を担っている巨大分子。1953年の、ワトソンとクリックによる、その2重らせん構造の発見は、20世紀最大の発見の一つである。

 DNA分子は美しい。分子模型で見る2重らせん構造の美しさ以上に、構造が、相補的塩基の水素結合を媒介として、自己複製という遺伝子の機能と直接結びつくところに惹きつけられる。その構造から、直感的にその機能が理解されるのだ。

 DNAは一つの分子でしかないが、今では
「遺伝子」「遺伝」「素質」「持って生まれたもの」などの意味で広く使われる。最近ではそれは単に生物学的な意味のみでなく、社会的、文化的な意味で「受け継がれてきたもの」「受け継がれるべきもの」という意味でも使われる。
 
 2002年に拙著「冬至の太陽」を出版した。幸い同年輩の方々から好評を頂いた。たくさんの方から読後感が寄せられたが、その中に「世代が同じというのはこれほどDNAまで類似するものかと感心しています」という一文があった。同世代故に、「
時代から引き継いだもの」が同じで、私の作品に共感するところが多かったという意味で、DNAが使われている。

 先日、某電器メーカーの株主向けパンフレットが送られてきた。その中に
Corporate DNA Evolution 企業文化、企業組織・経営プロセスの変革」という項目があり、
 「新経営体制のスタートに合わせて、新しいコーポレートDNAを創出するために、以下の3つを重点テーマとして推進します」とあった。
 
「コーポレートDNA」とは「企業文化」、昔風にいえば「社風」といったものだろう。
  
 伝達され、継承され、進化していく文化を遺伝子になぞらえて、それを
「ミーム」(meme)と名付けたのは、イギリスの生物学者、リチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)である。上の2つの例では、DNAよりもミームの方がふさわしいと思われるが、ミームという言葉は、まだ一般化していない。

 ドーキンスが、ミームの概念を初めて述べたのは1976年、その著『利己的な遺伝子』(The Selfish Gene)の中である。この著作で彼は、生物はDNAのコピーを増やすための機械でしかないという、衝撃的な主張を展開した。ドーキンスは、あらゆる生命現象を、DNAが自己増殖をはかるための手段であるという観点から解明しようとする。我々が日々せっせと働き、恋をし子供をもうけるのもすべて、我々の中にあるDNAがそのコピーを増やしたいからだということになる。
                                    (2006-01-19 up)

                                   ページトップへ



with: [同伴・同居・仲間など] …と共に [関連・関係] …について、…にあっては

 英語では極めてなじみの深い単語だ。基本は「…と共に」であるが、その他にも所有、手段、材料など、色々な意味があり、奥が深い前置詞。『リーダーズ英和辞典』では、[関連・関係]の意味は6番目に出てくるが、with の用法としてはよく出会う。
以下に2例:

What is the matter with you? : どうかしたのですか

 これをスラングでは with が欠落して「オスマラユー」と言うらしい。「らしい」と言ったのは私は実際に聞いたことがないからだ。
 高校の英語の先生から、「What is the matter with you?をオスマラユーなどというのは、無教養の下層の人々で、君たちは絶対に使ってはいけない」ときつく言われた。

All's right with the world : すべて世は事もなし

 Robert Browning の 詩、「The year's at the spring」の最後の行。
 上田敏の名訳と共に日本でもよく知られたフレーズ。上田敏訳の題は「春の朝」である。

「…と共に」あるいは「…に加えて」の with の多出する例を一つ

 『Newsweek』誌に載っていた記事で、スペインの有名シェフのメニューを列挙したものだが、これだけの短い文中になんとwith が6個も出てくる。付け合わせや、香味付けを表すのになるほど
with はピッタリの単語のようだ。

 
tea soup with mint, barnacles with tea foam are not for everybody ,but for some peole they' re to die for. icy polenta with olive oil, civette of rabbit with warm apple gelatin, monkfish lever with tomato seeds and citrus, yeast soup with cinnamon and lemon ice.

 2000年9月の『ニューズウィーク日本版』に載った同じ記事のメニューの訳は以下のようである。私などには想像もつかない超グルメ向きのメニューのようだ。

 
tea soup with mint: ミントを効かせた抹茶スープ
 
barnacles with tea foam : ロコ貝の紅茶ムース添え
 
icy polenta with olive oil :オリーブオイルの効いた冷製ポレンタ
 
civette of rabbit with warm apple gelatin:温かいアップル・ゼラチンを添えたウサギの赤ワイン煮
 
monkfish lever with tomato seeds and citrus : アンキモのトマトの種とシトラス添え
 
yeast soup with cinnamon and lemon ice:イーストスープとシナモン・レモン風味アイスクリーム
                                                            2006-04-04 up

                                                         ページトップへ


stans : スタン諸国

 2001年、アメリカでの同時多発テロの直後の『Newsweek』で次のような文に出会った。

The Kremlin has new legitimacy in fighting terorism in Central Asia---drawing the once wayward
"stans" closer to Moscow.

 (同時多発テロをきっかけに世界中が反テロに固まったことで、チェチェンの反政府勢力との戦いを進めている)ロシア政府は中央アジアでのテロとの戦いに新たな正当性を得て、かつては批判的であった
‘スタン諸国’をロシア側に引き寄せた」と言う意味だ。

 最初、
"stans"と言うのが分からなかった。研究社の『リーダズプラス』英和辞典にも載っていない。[stance]はあるが[stans]あるいは[stan]はない。何だろう。しばらく考えていて、思いついた。カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン・・・そうだ、アフガニスタンの近くには「スタン」のつく、旧ソ連の国々がある。それのことだ。ライターの造語だったのだ。
 
 辞書にも載っていない外国語の意味がわかった瞬間の快感は、数学の問題を解いた時、あるいは難事件の解決を成し遂げた探偵と同類のものだ。

 この記事の10日ほど後、『週刊朝日』の船橋洋一のコラムの中に
「‘スタン’(stans)」と言う表現があった。してみると、アメリカなどでは「stans」という言い方はかなり広く使われているのだろう。

 スタンがつく国は以下の7つだ。いずれも国境を接して中央アジアに存在する。キルギスタンは正式にはキルギス共和国(Kyrgyz Republic)であるが、通称としてキルギスタンが使われる。

 アフガニスタンとパキスタンを除く5つが旧ソ連から別れた国で、ロシアなどと独立国家共同体(CIS:Commonwealth of Independent States)を構成する。stansという言い方は厳密にはCIS内のstanを指すようだ。我々にとって馴染みの薄い国々が多い。アメリカの人々にとってもはるかに遠く、馴染みのない国々であろう。だからひとまとめに「stans」といってしまう言い方は便利なのだ。

 私達日本人にこのスタンの国々が最初に身近に感じられたのは、97年のワールドカップ予選の時であろう。Awayの試合でカザフスタンとウズベキスタンへ遠征した。カザフスタン戦で引き分け、本大会出場へ後がなくなった日本は、次のウズベキスタン戦の前に、監督を加茂から岡田に替えるという大手術を行った。首都タシケントでのウズベキスタン戦は終了間際に同点に持ち込み、首の皮1枚でつながった。その後、韓国やイランに勝って日本は98年のフランス大会への切符を手にした。悲願のワールドカップ本大会初出場だったが、その転機となったのがウズベキスタン戦であった。

 スタン諸国には石油や天然ガスなどの豊富な地下資源が眠っている。そのため、ロシア、アメリカ、中国、EUなどがこの地域での権益確保にしのぎを削っている。

 stans スタン諸国

 Kazakhstan(カザフスタン)
 Uzbekistan(ウズベキスタン)
 Krygyzstan(キルギスタン)
 Tajikistan(タジキスタン)
 Turkmenistan(トルクメニスタン)
 Afganistan(アフガニスタン)
 Pakistan(パキスタン)

                                  2006-06-25 up

                                    ページトップへ


mobile : 携帯電話


 本来は「可動の」という意味の形容詞。mobileが携帯電話を意味するようになったのは比較的新しい。『リーダーズ英和辞典』には、携帯電話という訳語は載っていない。面白いのは「携帯」の意味で使われるmobileは、「モービル」ではなく、「モバイル」と発音されること。「モバイル」はそれ自身が日本語としても定着している。例えばモバイルコンピュータ。

 ところで、私たちが中学で初めて習った英語では、自動車は
automobile である。今では英語では car が使われ、日本語でも、自動車よりも車の方が一般的だ。automobileは「オートモービル」と発音し、決して「オートモバイル」ではなかった。

 中学の教科書は
「Jack and Betty」だった。その中にこんな一節があった。

 Betty::Does your father work in a factory or a store?
 Jack: He works in a factory.
 Betty:What factory is it?
 Jack:It is an automobile factory。

 私は家でこの部分を声に出して読んで復習していた。そばで聞くとはなしに聞いていた母が、「ジャックのお父さんは日本の会社で働いているの?」と言った。私の「automobile」という発音を母は「大友ビル」ととったのだ。英語を習い始めて、半年くらい経った頃のことだ。
                                                          2007-12-31 up

                                                          ページトップへ


 exit poll : 出口調査

 『リーダズ英和辞典』『ランダムハウス英和大辞典』には載っていない。『リーダーズプラス』に載っている。
exit poll : 出口調査(選挙結果の予測のため、投票を済ませて投票所から出てきた人に対して実施するアンケート調 査)。

 
exit poll ということばに初めて「Newsweek」誌で出会ったのは、1988年、あるいは92年クリントンが選出されたアメリカ大統領選に関する記事であったと思う。日本語にはないことばだった。ニューズウイーク日本版でなんと訳されたかは覚えていない。多分、上に引用した辞書のように説明がついたはずだ。
 今ではそんな説明も不要の日本語として「出口調査」は定着している。


 今回の衆院選で出口調査に当たった。
 投票所の小学校の体育館を出ると、書類フォルダーを小脇に抱えた一人の女性が寄ってきた。瞬間、これは出口調査だと直感した.実は、前日投票で出口調査に当たるような気がしたのだ。そんな予感におそわれたのはまったく偶然ではない。
 一つは1週間前に、友人が期日前投票に行き、出口調査に当たったのできちんと対応したとメールで知らせてきたこと。もう一つは、我が家の食卓で出口調査なんてあったことがない、どこでやっているのだろうということが話題となったこと。何百人に一人位の割合だろうから、当たることなんか滅多にないのだと私は言った。

「NHKの出口調査です.お願いします」とその女性は言った.私は瞬間的に「結構です、失礼します」といって通り過ぎようとした。後ろから出てきた家内が、「やればいいのに、どうして」と私に言う。私は「いいよ」といって通り過ぎた。家内は「じゃ、私が代わりにやります」と言った。調査員は「いえ、これは決まった人数間隔がありますから代わりは出来ません」と断った。

 競馬のゲートのように一つ一つ仕切られたところで記入し、二つに折って投票箱に入れるほど、秘密裏に投票してきた直後に、誰に入れた、どの政党に投じたなどと答える気にはなれなかったのだ。私のイメージの中では、調査員に直接口頭で答えなければならないと思っていたので、そんなことをしたら周りの人にも聞こえて、投票の秘密が守れないと思ったのだ。でも考えてみればそんなことはあり得ない。調べてみたら、用紙を与えられ質問事項に記入する方式であった。
 
 夜の8時からNHKテレビの開票速報に釘付けだった。8時になるとすぐに注目選挙区の出口調査結果が円グラフで次々に出てきた。見ると、自民党の有力者が民主党の対立候補と大接戦の状況だった。そして、8時少し過ぎには、開票率ゼロにもかかわらず、次々に当選確実者が出てきた。そのほとんどが民主党で、各党別当選者数の棒グラフが、民主の所だけがぐんぐん伸びていく。開票率ゼロの状態ですでに民主党の圧勝が確認された。

 開票率ゼロの当確者の何回か一回に「開票率はゼロですが出口調査の結果等より当選確実となりました」というような表示が出た。そして、数回、出口調査の人数が出てきた。調査箇所は2000カ所と出ていたから1選挙区あたり6から7カ所になる。対象とされた人員は正確には記憶できなかったが、10数万人が対象とされ、実際の回答者数も10万人を越える数字で全体の70%強ぐらいに見えた。つまり4人に1人は回答を拒否しているようだ。私は小選挙区と、比例区の投票先だけを答えればいいのかと思っていたら、年齢、支持政党、投票の根拠、つまりマニフェストによったのか、政権交代を理由にしたのか、人物で選んだのかといったことまで質問されるようだ。NHKの調査では政権交代がマニフェストより少し多かったように思う。また、無党派層のみならず、自民党支持者も30%以上が民主党へ流れたという興味あるデータも出口調査の結果として示された。

 選挙速報を見ていて、全体として出口調査による当落予想はほぼ正確であると思った。友人の例のように期日前投票までも出口調査の対象とされている。今回のように空前の期日前投票があった選挙では、無視できないだろう。また、私が経験したように、人数間隔をきちっと守って代役を認めないと言ったところにも、サンプリングに調査員の恣意を入れないという統計学の基本を守っている。

いくつかの関連のことばと辞書による説明を以下に記す:

exit survey : (会社・店舗・空港・駅などの出口でさまざまなテーマへの意見や好みを尋ねる)出口アンケート。『リーダーズプラス』

poll : 1a 投票;得票集計;投票結果・・・・  1b 世論調査(の質問票);(一般に)数え上げること。『リーダズ英和辞典』

pollster : (職業的な)世論調査員[ 屋]。『リーダズ英和辞典』

 こうしてみると、選挙の場合にexit survey を使わないで、exit poll であるのは、pollの第1義の意味が投票、投票集計であるからだろう。
 
pollster は軽蔑的な意味があると『ランダムハウス英和大辞典』にはあった。『リーダズ英和辞典』の説明の最後についた[屋]はそうしたニュアンスを表すのだろう。

     2009-09-05 up

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