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B級グルメ menu |
長野県・諏訪市 富士見町
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長野県・飯田市
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長野県・佐久市
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長野県南佐久郡・小海町
山梨県・北杜市小淵沢町
山梨県・清里、北杜市長坂町、甲斐大泉
山梨県・韮崎市
山梨県・甲府市
静岡県・静岡市 三島市
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ラーメン考 「支那そば」へのこだわり 蕎麦(そば)考 信州ではそばを食べるべし うなぎ(鰻)考 つかみ所のない話
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カーナビの入力に必要な郵便番号、住所、電話は 屋号の下にまとめてあります。 |
諏訪湖 |
我々がいる八ヶ岳の東麓から諏訪湖は比較的近い。しかし、八ヶ岳周辺のほかのところより足が向かないのは、結構時間がかかるからだ。諏訪湖を囲んで岡谷市、下諏訪町、諏訪市と三つの行政区域が並んでいる。古い町だけにB級グルメの渋い店が多いし、いい温泉が湧き出しているので、いったん足が向くとえらく忙しいことになる。 |
うなぎ 「古畑」 |
〒392-0027 長野県諏訪市湖岸通り5-15-3 TEL 0266-52-1167 FAX 0266-52-1762 |
岡谷、諏訪周辺にはうなぎの名店が多い理由は小淵沢の「井筒屋」のところで書いた。諏訪湖周辺では値段といい味といいこの「古畑」がおすすめだ。最初に訪れた2005年の時点での値段のままだいぶ経過したので2023年版を以下に紹介する。 創業80年ほどだが、うなぎ専門になったのは現在の店主の代から。長野は九州と並んで馬刺し文化圏だがここもメニューに「馬刺し 1650円」というのが残っていたりする。川海老もある。 うなぎは一度蒸してからふっくらと焼く関東風。店のHPに「創業当時から変わらぬつくりかた。注ぎ足して使われてきたタレは、甘すぎず、うなぎの風味を生かしつつご飯にも適度に絡む美味しさです」とある。看板に備長炭焼きをわざわざ掲げているほど。米もそうで安曇野産と魚沼産のコシヒカリをブレンドしたものを使っている。
松(鰻3切) 3,300円
竹(鰻4切) 4,200円
梅(鰻5切) 4,700円
特梅(鰻6切) 5,800円
うなぎの蒲焼き、白焼きがともに3,100円。肝焼、うざく、う巻きもある。
※繁忙期(7月〜9月の諏訪湖新作花火大会が終わるまで)は、予約制は取ってなくて来店順。しかし席数55席(1階 35席、2階 20席)もあるのですこし待てば入れる。 ・店のホームページhttp://www.unagi-furuhata.com
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そば 「おっこと亭」 |
〒399-0213 長野県諏訪郡富士見町乙事3777-3 電話 0266-62-7188 |
サイトの亭主のいる長野県南牧村から行くと、ぐるっと八ケ岳の南麓を「鉢巻道路」に沿って回り込んだ、ほとんど反対側になる。小淵沢の少し手前で右(北側)に回ると原村とか富士 見町という一帯に出る。富士見高原は我が国の結核との闘いでサナトリウム( sanatorium)発祥の地といってもいいところで多くの文人墨客がここで闘病生活を送った。 「おっこと亭」はその高原の一角にある。2016年夏、ここにあるヴァイオリンづくりの工房を訪ねての帰路立ち寄った。そば好きの人にはつとのその名を知られているところである。 標高千メートル前後の高冷地で作られた100%地元産玄そば使用。ゆで上がったそばを八ヶ岳の湧き水で一気に冷やすため、歯ごたえ強いコシのあるそばに仕上がる、というのが売り。そ ばの種は八ヶ岳西麓しなの1号 100%地元産『玄そば』で 1年を通して12℃に管理し、予約状況で週1〜2回製粉している。少し離れたところにはそば道場もある。
『朝採りきゅうりの食べ放題!』がここの名物で、近在で採れたキュウリを切ったものと味噌がテーブルに並んでいるので、そばと一緒に味噌をつけて食べるが、新鮮でおいしい。座席数80ほどあるがシーズン には行列が。 店名の「おっこと」というのは、このあたりの地名「乙事村」(おっことむら)からきている。一帯は戦国時代に度々戦場となった地域で、この付近でも何度か戦闘が行われた。中でも 天正十年(1582)徳川家康と北条氏直がこの辺りで対陣したことはよく知られており、「徳川家忠日記」には「(八月)三日戊子、おつこつ迄出陣はり候」と記されている。中世来 の有力な土豪であった五味氏は、はじめ武田氏に仕えたが、同氏の衰運とともに乙事に身を引いて住居した。その後徳川氏が諏訪に進出するとこれに仕え、家康の関東入国に従った。 この際、姓を乙骨と改めており、乙骨氏は代々旗本として幕府に出仕している。 「乙事」というと宮崎駿監督の「もののけ姫 」に登場するイノシシの親分「乙事主 」として出てくる。宮崎駿監督の山荘がすぐ近くにあることから、この地名を登場人物につけたようだ。 このほか、近くには「烏帽子」(えぼし)という小字もある、これまた、作品では「エボシ御前」として「もののけ姫に」登場、また乙事村の「小六新田」や県境の「甲六川」、そして きのこのハナイグチの地方名「ジコボウ」までジコ坊として登場 するなど「もののけ姫 」ゆかりの土地でもある。 ホームページ「おっこと亭」がある。
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飯田市 |
諏訪湖があるので諏訪、岡谷のうなぎはうまいと書いたが、同じ理屈でそこから流れ出る天竜川流域の伊那谷はうなぎの名店が多いということ になる。この店は2007年4月、飯田へ桜の名木10数本を見に行ったときに知った。 |
うなぎ 「丸井亭」 |
〒395-0045 長野県飯田市知久町4-1226 TEL 0265-22-0349 |
2007年4月8日、早朝から桜を求めてこの町の市内や近郊を走り回っているうちにお昼時になった (記事はこちらに)。新聞記者生活で身に着けた知恵で、こういう時は 町の観光案内所か、役所の観光課に飛び込むことにしている。さらに高等テクニックとして秘書課に紹介を頼むときもある。 なぜなら、こうした行政の部署は 町の穴場にしろ旨い処にしろ町の隅々まで通じているうえ、VIP接待などで使っているから、味や値段から経営者のことまでよく知っている。こちらの 人品骨柄(たいしたことないが)まで判断したうえで、たちどころに店の名前を教えてもらえるものなのだ。 「うなぎか蕎麦を食べたい」と言うと案の定「飯田ならうなぎがいいでしょう。(こちらがクルマで来ている事を判断した上で)ここは歩いても行けますが駐 車場もあります。遠くから来る人もいるくらいの店です」と駅前の観光案内所から即座に答えが返ってきた。 必要な情報、つまり、飯田では「そばよりうなぎがいい」、「駐車場あり」、「味は第三者も保証」、という知りたいことがみな入っている。値段が 入っていないが、気にするほどではないですよということも言外に含んでいる。手馴れたものだが、全国どこに行ってもだいたいこうして即答が得られ ることは経験ずみだ。「お口に合うかどうかわかりませんが」というセリフがあればもう言うことがない完璧さだ。味と言うのは好みに個人差がある ことだから。 「丸井亭」に着いたのは午後1時過ぎだったがそれでも客席6テーブル、24席ほぼ満員。ということは、かなり地元の名店で客が多いということを意味しているので一安心だ。 店先には行列用にベンチまで用意されていた。うなぎ選別用の大きな使い古したざるやうなぎを入れるらしい甕(かめ)も並べてあって古くからの店な のがわかる。注文する前に味から値段まですっかり信用していた。別な入り口から2階があり座敷があるようだが、こちらのような飛び込み客には関係ないので触れない。
「当店は青鰻を使い、備長炭と秘伝のたれに2度漬けして団扇であおぐ昔ながらの方法で焼き上げています」とあった。「うなぎ釜めし」(1750円)、「うなぎ丼」(1700円)などもあるが、私はどこでも「うな重」に している。この店では吸い物つきで、2200円、2500円、3200円の3種類。一番安いものを取ったが、背開きの関東風のさばき方で質量とも十分でおい しかった。うなぎの量が多い分で値段が違うようだ。この店はホームページもあり、 自分でも撮影したが出来が悪いので、掲載した写真はそちらからの拝借。
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小淵沢 |
小淵沢(こぶちざわ)というと我が家の娘たちは、野辺山に行くために中央線から小海線へ乗り換える駅、くらいにしか思っていないが、一帯に人が住み始めるようになったのは約1万年も前からだ。60カ所以上の遺跡が 証明しているように、約4千万年前の縄文時代にはすでに多くの人々が生活していた”先進地帯”だ。加えて、武田信玄が棒の道を通って京に向かった古くからの交通の要所でもあり、交流によって「B級グルメ」が発達しておかしくないところなのだ。 |
うなぎ 「井筒屋」 |
〒408-0044 山梨県北杜市(旧、北巨摩郡)小淵沢町1035 電話 0551-36-5990 |
諏訪湖があるので昔から諏訪、岡谷あたりは鰻が名物である。しかし小淵沢にうなぎの名店があるとは知らなかった。我が山墅から4,50分かかるのだが、某日店先に並んだ。
といっても、こだわりは以前と同じ。 米は同じ北杜市の武川町で取れる武川米だ。我が家も八ケ岳では武川米を使っているが、その昔、旨さは江戸にまでとどいていたという。南アルプスの雪解け水が米作りに最適な土壌をつくっているといい、食味・艶・粘りが最高という評がある。同感である。 出汁(だし)は北海道南茅部産の真昆布と築地から仕入れた血合い抜きをした特上削りの鰹節を使用。「澄んだ昆布と風味溢れた鰹の出汁です」と店の案内にある。 同じ案内に「タレは減った分を少しづつ足しながら万年地といわれるように延々と使い続けます。鰻の脂肪、炭の灰が入ってたんぱく質が乳化するため丸みのある味が熟成されます。タレはうなぎ屋の命です」とある。 水は八ケ岳の火山砂礫と溶岩流の中を通ってきた水を地下60メートルから汲み上げ、硬度50度前後のミネラルを含んだ硬水だ。 「熟成の鰻」を売り物にしている。どういうものかというと「本来の鰻の調理工程に『熟成』を加え、素材本来の深いコクのある旨味を引き出す調理法だそうで、川はゼラチン質が増し、活鰻独特の匂いがなくなり、魚本来の旨味が増し、皮はパリッと香ばしく、身はしっとりした食感に仕上がります」とこれも店のガイドブック。 諏訪地方のうなぎは特有の甘さがあるのだが、近年諏訪湖周辺では営業用に使うほどは取れなくなった。一時は静岡・富士吉田から毎日直送されていたが、さらに稚魚の不漁や絶滅危惧種指定により仕入れが難しくなり今では国産鰻のほか輸入鰻を使用していると正直に告白している。 当日使用しているうなぎの産地を表示しているが、その日のうちに地下水で身をしめ、備長炭で焼く。、ここのは関東と同じで、蒸してから焼いたもの。 以前は天ぷらや天丼、地鶏の塩焼き、うな茶に湯豆腐まであったが現在は下記のように絞ったメニュー。
○「熟成竹めし」 (税込み 5720円) ○「熟成竹めし 二のう」」 (税込み 5720円) ○「熟成かめ塩のうなぎ」 (税込み 4950円) ○「熟成重箱」 (税込み 4950円) ○「熟成小どんぶり」 (税込み 2750円) ○「炭火焼き親子どんぶり」 (税込み 2200円) 一品料理として肝煮、う巻き、うざく、茶碗蒸し、湯豆腐、味噌こんにゃくなどがある。 予約は1か月前から受付、電話・FAXまたはオンラインがある。
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佐久市 |
言わずと知れた島崎藤村の「千曲川のスケッチ」に登場する「佐久の草笛」の舞台である。我が山墅から40キロほど離れているので小一時間かかる。結構遠いのだが 大型量販店や農機具の修理をする専門店があるので夏場数回は訪れる。当然「B級グルメ」の世話になる。 |
ローストチキン 「瀬川」 |
〒384-0301 長野県佐久市臼田稲荷105 電話 0267-82-2444 |
この店では「むしり」と言っているがローストチキンのことである。概要は「八ケ岳の食卓」の「ロースト
チキン」の項で紹介したのでこちらを見ていただきたい。 「1つ」(1羽の半分)で880円だったが、その後値上げしたかもしれない。2014年も注文したのだが値段を聞くのを忘れた。値上げしてもそう大幅には上げていないと思う。
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そば 「職人館」 |
〒384-0301 長野県佐久市臼田稲荷105 電話 0267-82-2444 |
ラーメン 「くれしづき」 |
〒385-0051佐久市中込3466‐5 ミヤザワビル1F 電話 0267-88-6447 |
麺処くれしづき]は、佐久・中込の佐久市役所近くにお店を構えるラーメン店だ。一帯は農村地帯なので農機具の修理店が多いところ。チェーンソーや刈払機の具合が悪くなると、このあたりを徘徊する。この店を知ったのは「ラーメン官僚かずあっきぃ」ととして食べ歩きをしている田中一明氏のコラムを見たからだ。どこの官庁かしらないが、栃木や宮城など地方都市に出張することが多い人のようで、いつもはこんな遠方に行くことはないなと読み捨てにしているのだが、ある日佐久市のこのラーメン店が紹介されていた。
店名が珍しいので辞書を引いたら「くれ‐しづき 『暮(れ)▽新月』 陰暦の正月のこと」とあった。 .
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ケーキ店 「Aimer」(エメ) |
〒385-0051 長野県佐久市中込3458-1 電話 0267-88-6548 |
先に紹介したラーメン店「くれしづき」には次女と一緒に行ったのだが、そこから同じ並びで4、50メートル先にケーキ店があった。ちょうど八ケ岳の山荘に甘いものがなく、ショートケーキでも買うかということで入った。なかなかしゃれた店構えだったが、スマホをいじっていた娘が「へえ、佐久は”日本三大ケーキの街”だって」と声をあげた。 一つ目が東京・自由が丘、二つ目が兵庫・神戸、そして三つ目が長野・佐久だそうだ。自由が丘には長女の家族5人がいて、孫3人ほか年中誰かの誕生日やクリスマスパーティーがあって、ケーキ屋をはしごしているので多いことはわかる。神戸は家内が結婚するまで隣の芦屋市で育ったので、若いころから一帯を根城にしていた。我が家は「日本三大ケーキの街」を制覇したことになる。 なぜか。佐久はケーキの本場であるフランスの気候と似ていて、日照時間が長く寒暖差があるため上質な果物があり、ケーキを作る際に欠かせない牛乳や卵が良質だという事情があるようだ。
買ったショートケーキは他の2箇所と遜色ない美味しさだった。何より素晴らしいのは佐久のケーキは安いことだろう。ショートケーキは480円だった。自由が丘なら800円以上はする。ここに来られるのは夏場だけだが、このときも帰宅までの時間を聞いて保冷剤が箱の上下に入っていた。
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小海町 |
長年八ケ岳の東麓で過ごしているが、これほど素晴らしい店があったとは知らなかった。家内と次女にして「これまで食べたパイの中で最高」と言わしめたのである。 |
パイの店 「敷島屋」 |
〒384-1102 長野県南佐久郡小海町大字小海4406−4 電話 0267-92-4342 |
毎年夏、八ケ岳高原カントリークラブで友人、親戚とゴルフコンペを開いている。亡くなった方がいたりしてしばらく中断していたが2014年夏「追悼」と銘打って再開した。 スコアはいつもどおり振るわなかったが、その夜に開かれるパーティーの方に主力があるので日本酒とワインでかなり酩酊した。 男どもはそれでいいが、ご婦人方はそれほど飲むわけではないので早々とお茶になる。そのとき追悼される立場の未亡人と商社マンと結婚して目下ペルーにいるという娘さんが 「亡くなる前に主人がここの店を見つけてきたので、食べてみて」と持参されたのが、紹介するパイの店「敷島屋」のスイーツである。 そのとき、「秋になると紅玉のアップルパイが並ぶのだが、これが絶品」というので下山予定の前日10月12日(日曜)店を訪ねた。場所がわかりにくいというので、同じ小海 町でいつもバードフィーダーのキットをつくってくれている木材店の社長に道順を聞いたら「うちのすぐ近くだ」と道路に地図を書いてくれた。消防の望楼の下だというのですぐ 分かった。 午前10時40分頃着いた。店は10時からだというので余裕の時間だと思ったが先客が2人いて、我々に続いてもう2人が来た。紅玉のアップルパイとチョコレートパイ、 チーズとカスタードクリームのロールパイ、それに目的の紅玉のアップルパイの4種類を買った。というよりそれしかなかったのだが、驚いたのは我々よりあとから来た客は 「売り切れました」と言われていたのである。40分で売り切れというわけだ。
そんなわけで「鄙には稀な」といったら失礼ながら、千曲川上流の小さな町の、さらにこんなわかりづらい場所に一流店が存在したことに大いに驚き、パイは三日がかりでつく るというオーナー新津正さんの精進に最大級の敬意をはらってすっかりこの店のファンになったのである。ついでながらこのあたりでは「新津」さんが多くて、道を教えて くれた木材店の社長も「新津」である。町を歩けば新津と井出ばかりという土地柄である。そのうちご主人の新津さんのパイ作りひと筋の人生を聞いてみたいものだと思う。 一時小海町から10数キロ離れた佐久市中込に支店を出した、こちらはなにもない本店と違ってその場で食べられる「パーラー」のようなスペースがあったようだが、店を畳んだ。 多分手がまわらないからだろう。本店には「電話(携帯電話)でのご予約は、お受けしておりません。7日前から前日の夕方5時までにメールでお申し込みください。(4種類まで )。一定の数になりましたら、締め切らせていただきます。パイは、大変手間のかかるお菓子です。また日持ちのする商品ではありませんので、品切れすることもあります。ご了 承ください」という張り紙が出ている。売る気がないというか、職人気質というか。でも、それも結構と思わせる絶品パイである。 店にある手作りのパンフレットによると、「レギュラーメニュー」にバナナクリームパイ、チョコレートパイ、信州のフルーツパイ、ロールパイ(ブルーべりー他各種)、「12月から 5月のメニュー」としてストーローベリーパイ、いちごのサンドパイ、いちごのブッシュ、ふんわりサンドパイ、「夏のメニュー」にはクリームチーズレモンパイ、ブルーベリーパイ、 ヨーグルトパイ、レアチーズパイ(巨峰ほか)、「10月のメニュー」として紅玉のアップルパイ、りんごとチーズスフレのパイ、スイートポテトパイ、が並んでいた。おすすめとして 、果物が多い信州のフルーツを使ってりんご、巨峰、プルーン、あんず・・・と並んでいた。
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高根町・清里 |
山小舎に入るとき、どうしても清里を通るから仕方がないが、いったん入ったら、なるべくこの町には近寄らないようにしている。 趣味のよろしくない白やピンクのペンキを塗ったペラペラの無国籍の建物が群がり、無作法な若者が跋扈(ばっこ)していて、こちらが情緒不安定になるからだ。しかし、この町を一歩中に入ると、開拓に汗を流した人たちの艱難の跡が見て取れるところで、先住の人やヤマネや牛馬の息吹が感じられる。 |
うなぎ屋「Blowin' in the wind」(旧そば屋「北甲斐亭」変身して) |
〒407-0301 山梨県北杜市(旧:北巨摩郡)高根町清里2890 電話 0551-45-6775 |
この場所では以前そば屋「北甲斐亭」を紹介していた。2022年春に一族引き連れ出かけようとしたら「閉店になっている」というので止めた。贔屓にしていたので、なんで潰れたのだろう、コロナのせいか過疎で村のおばちゃん人手がなくなったせいかなどと心配していたのだが、2023年「あの蕎麦屋、うなぎ屋になっている」と言われた。さっそく出かけた人の話では滅法うまいというので、大急ぎで紹介する次第。
店名は言わずとしれたボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」( Blowin' in the Wind)に由来する。2016年にノーベル文学賞を受賞したアメリカのシンガーソングライター はこう歌う。 How many roads must a man walk down(男はどのくらい道を歩めば)
Before you call him a man?(男として認められるの?)
How many seas must a white dove sail (白い鳩はどのぐらいの大海原は渡れば)
Before she sleeps in the sand? (砂浜で休むことができるの?)
Yes, and how many times must the cannon balls fly (どのくらい大砲が飛び交えば)
Before they’re forever banned? (それらは永久に禁止されるの?)
The answer, my friend, is blowin’ in the wind (友よ。答えは風の中に吹いている)
The answer is blowin’ in the wind. (答えは 風の中に吹いている)
店内は大きく「鰻・喫茶ゾーン」(テーブルが6つほど)と、「ミュージックゾーン」(リクエストでレコードをかけてくれる)に分かれている。鰻の営業は(11:00〜14:00)、喫茶・甘味・レコードの営業は(11:00〜17:30)。
樫山鰻ごはん(肝吸い・香物付き) そのうなぎだが、ここは関東風に鰻を蒸してから焼き上げる。柔らかいしタレもいい味だ。大きめの鰻が2枚ぎっしり入って出てくる重箱は、近くのサントリー白州蒸留所のオーク樽から作られたというずっしりした重みがあってなかなか重厚。価格は5445円と東京の名店並みに少し高いが、昨今のシラスの不漁で軒並み値上がりしているから仕方ないかも。 余談だが、八ケ岳の我が山荘に花植えしているプランターが2つある。一つは同じサントリー白州蒸留所から、もう一つは現在のメルシャン、以前の三楽酒造から山荘の完成祝いとしてプレゼントされたものである。ウイスキーやワインを寝かせるためのオーク材の樽を真っ二つにして作られていて、丈夫で気に入っていたがさすがに30年を過ぎて傷んできた。 ◇ ◇ ◇ うな重にある樫山(かしやま)というのはこの地区の名前で、今では国道141号沿いの清里が表通りで、こちらは、谷を一つはさんだ隣の尾根にある裏通りといったとこ ろだが、昔は逆でこちらが「表」だった。なにしろ、甲斐と信州・佐久を結ぶ街道「佐久往還」の宿場町だった。 樫山地区は奈良時代から甲斐の三御牧(さんみまき 馬の放牧場)のうち「柏の牧」として有名で、少し時代が下がって平安時代には、「念場」とよばれたこのあたりは「念場千軒」と言われるほど民家が多数あって賑わい、毎年30頭ほどの馬が朝廷に献上されていたところだ。
建設工事が始まると信じて作付けもしないで協力した村民は窮地に陥る。高利貸しの餌食になる者も出た。 昭和12年(1937年)、作家、石川達三は村の荒廃の様 子を「日陰の村」という小説に描いた。「 東京という大都会が発展すると、その日陰になる土地は草が枯れるように犠牲になる」という社会派作家の目から描写した作品だ。
戦争で中断したが戦後に工事は再開された。戦前戦後を通じて建設のため水没する 三多摩地域の丹波山村(たばやまむら)、小菅村から600世帯、3000人が移住したが、その一部の人は代替地として山を越えたこの山梨県側の地を選んで入植した。 樫山部落の転機は小海線の開通だった。清里駅が完成すると、こちらの方が発展すると見込んだ一部の人が7キロくらい北の駅前に再度移住した。現在駅周辺に住む人の 大半はこのときの移住者だ。樫山部落では長らく開墾をしてはそばを植えるというそば栽培が主流だった。技術が進んで、やっと稲作に移るのだが、今度は減反政策を押し付けられ、米にかわって再びそばの栽培を始めた。日本の農業政策の無策を象徴するような有為転変ぶりで、前にあったそば屋「北甲斐亭」は農水省が9億円の 補助金を出して作った振興事業だった。◇ ◇ ◇ 新しいオーナーはどんな人か。
1999年、中央道須玉IC近くの北杜市津金の畑にブドウのメルロー種の苗木を植え、ワイナリー「ボー・ペイサージュ(Beau Paysage フランス語で「美しい景色」の意)」を設立してワインづくりをスタートする。「ワインは人が造るものではなく、土地が造るもの」という思想のもと、現在、2ha(6000坪)ほどの畑でシャルドネ、ピノ・ブラン、ピノ・グリーそしてソヴィニョン・ブランの4種の白ブドウ品種とメルロ、ピノ・ノワール、カベルネ・ソヴィニョン、カベルネ・フランと同じく4種の赤ブドウ品種を栽培。 『Beau Paysage』は年平均で12000から15000本程度のワインを生産しているが、土地を購入したときには「ここではブドウは育ちませんよ」と言われたそうだ。畑では不耕起、不施肥、醸造は自然発酵一切添加物は使用しない。八ケ岳高原ロッジとも縁があり、2019年5月「ボーペイサージュと音の仲間たち 音楽とワインの夕べ」の企画で音楽堂を訪れ、世界的に評価されているワインの試食会を開いたことがある。
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そば 「草五庵」(そうごあん)(ご主人が亡くなり閉店、再開の見込みも立ちませんが、思いが多くあるのでしばらくこのまま掲載を続けます) |
〒407-0301 山梨県北杜市高根町清里3545-2896 電話 0551-48-2848 |
2016年の夏、同じ海の口自然郷にいる従妹夫婦から「いい蕎麦屋があるので一緒に」と誘われた。東京・練馬で開業医をしていてサイトの亭主の主治医でもある。
「一茶庵」というのは日本のそば打ちの歴史に欠かせない一大「そば道場」である。「昭和の手打ち蕎麦再興者」とでもいう片倉康雄氏という人物がいる。創業は大正15年、場所は新宿東 口にあった店で、当時機械打ち全盛の中にあって「手打ち」にこだわり続け、遂にそば打ち名人と呼ばれるようになる。戦中戦後の休業を経て、栃木・足利で店を再開したのは昭和29年。東 西の蕎麦屋が教えを請うために足利に押しかけた。「足利詣で」の伝説の人である。その後片倉氏は神田にも出店し東京への凱旋を果たす。昭和47年に上野で開設した「日本そば大学 講座」が「手打ち」に火をつけ多数の手打ち蕎麦職人を輩出した。(片倉)一茶庵系の蕎麦屋は現在全国に1000店超の一茶庵系蕎麦店を数える。そこの直系の弟子が関沢さんである。 関沢さんは東京の国立市で「大平」という蕎麦屋さんをやっていたが2005年春、清里にあたらしく「草五庵」(くさごあん)という名前の古民家を移築した食事処を開いた。長野県の国鉄の 駅舎を解体した古材やその近くの民家から集めた古材で建てられ、そのとき農家の物置から出てきたものも民芸品風に並べられていて、昔の田舎の囲炉裏端にいるようなくつろぎを与えている。 関沢さんはマナスルにも入ったことがある山男で、わざわざ案内された部屋の隅に一枚の登山姿の写真があった。数人の男が蓑笠姿で大雪の中を行軍しているところで、なにか八甲田山雪中 行軍図のような雰囲気だ。かなり前の登山スタイルで、これからすると相当昔からの山男のようで、、八ケ岳のふもとのこの場所を選んだのも山に惹かれてのことらしい。 この店の名前を「くさごあん」としているブログが散見されるが、「そうごあん」である。店主の関沢さんに直接聞いたから間違いない。食物にする五つの「草」、つまり「五穀」(米・麦 ・粟 (あわ) ・黍 (きび) ・豆)からとったという。
ごちそうになったのはご本人が“日本一のそばがき” と自負するそばがき中心の山菜、野菜を加味したいわば「薬膳料理」といったもので、品書きには◎おまかせコース@6800円◎おまかせ コースA3800円とあったが、この日はごちそうになったのでどちらのコースだったかはわからない。このほかにもいろいろなコースがある。じゃがいもとごぼうの素揚げやそばがきの天ぷら、 絶妙な具合に揚げられた揚げ物や味噌焼き、珍しいトマトうどんなど季節ごとにいろんあ料理が出てくる。トマトうどんはカツオだしにトマトの酸味がよく合い、さっぱりと食べられる。
そば本来のせいろは1枚800円。お代わり600円。ぶっかけそば1500円、鴨せいろ1600円など。当日の予約も受け付けるがなにしろ昼は70人分しかないからあっという間に出てしまう。だ から外からみると一日中「本日休み」の看板だけが出ているところである。 ご主人亡くなる!2019年春、予約を入れようと電話したら奥さんからご主人の関沢さんが前年亡 くなったことを告げられた。店も閉店状態で今後のことは分からないという。残念この上ない。
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そば処 「三分一」(さんぶいち) |
〒408-0031 山梨県北杜市長坂町小荒間292-1 電話0551-32-8318 |
八ケ岳で出かけるそば屋といえば「草五庵」と決まっていたのだが、2019年春に電話したところ親父さんが急死したという。山男としては相当名を売った人らしいので、そのうちじっくり話をしようと思っていたので残念この上ない。
面白がってくれたその方は、最近都心を離れて小淵沢で家を買いリタイア生活を始めたという人で、フィーダーを引き渡すとき、双方が知っている「三分の一湧水」で待ち合わせたのである。 2019年夏、これまた突如姿を消した桃ジャムを求めて次女と一緒に甲斐大泉駅前をうろついた。桃ジャムにこだわる我が家の顛末については「八ケ岳の食卓」に書いたとおりだ。八ケ岳南麓にはジャムの専門店もあるのだが、やたら香料が強かったり、値段が高かったりして不満を持っていた。その点、長坂のスーパーの片隅で見つけた桃ジャムはこちらのこだわりにぴったりで、通りがかるたびに購入していたのだが、2019年春これまた姿を消した。 店主に聞いたらこの桃ジャムを作っていたのは甲斐大泉の主婦で娘さんがこのスーパーで働いていたので置いていたが辞めたので置かなくなったが、甲斐大泉の駅前の市場ならあるかもしれません、という。それで上述の通り駅前をうろついていたのだが、目論見通りあった。しかし夏のはじめでまだ桃が出回っていないのでないが、しばらくすると出てくるという話で大いに気を良くした。 5キロ先に三分の一湧水がある甲斐小泉駅があるので娘と「日本名水100選」に選ばれた水を汲みに行くことにしたのだが、苦労して名水をポリ容器に入れホッとしたところで、ぞろぞろと多くの車が集まり始めた。件のそば処「三分の一」の開店時間、午前11時になっていたのだ。
いずれも申し分のないものだった。何より嬉しかったのはわさびが多分隣の静岡県の生わさびで、きちんとおろしがねで引いてあったことだ。近頃有名店でも平気で市販のチューブ入りのわさびを出して来るところがある。もう一つ、海老の天麩羅だけは塩で食べるのが好みなのだが、ここではちゃんとパウダー・ソルトが用意されていた。そばがきは何度も食べたことがあるが、その刺し身というのは初めてだったが、ぬめりの先にわさびが効いていて美味であった。天もりそばは野菜の天麩羅がふんだんに乗っかっていたが、カリッと揚げてあってこれまた美味かった。
八ヶ岳の峯々に降り積もった雪は伏流水となり、長い年月をかけ麓に清らかな泉となって湧き出てくる。三分一湧水(長坂町小荒間)は近くの大滝湧水(小淵沢町上笹尾)、女取湧水(長坂町)とともに八ヶ岳南麓高原湧水群として日本名水百選に数えられている。
「三分一」のいわれは、戦国時代、水争いをしていた三つの村に等配分するために、武田信玄が堰を築いたという伝説が残っており、湧出口の分水枡に三角石柱を築き、三方向に流水を分岐させている。近在の水田はみなこの水に頼っている。日量8,500トンの豊かな湧水で、水温は年間を通じて10℃前後に保たれている。 現在、1922年(大正11年)に完成した石造の枡が用いられ、水利権を持つ地区住民が組織する管理組合や地元住民によって管理されている。1943年(昭和18年)に一度山津波によって破壊されたが、後に復旧した。 本来、農業用水で飲用には適さないとされ、水汲み場がないが、上述の蕎麦屋とお土産屋の間に水汲みスポットがあり、飲用の湧水をペットボトルなどで持ち帰る事ができる。 近隣の方が言うのに、「三分一湧水や道の駅白州の水は、汲んで1周間程度で飲めなくなりますが、大滝湧水は空気が入らないようにペットボトルいっぱいに汲めば、2か月ぐらいまで常温で置いておいても腐らないんですよ」とのこと。今度は大滝湧水で採集しよう。 |
上海家庭料理 「安晏」(あんあん) |
〒408-0003 山梨県北杜市高根町東井出4986ー1115 電話 0551-47-5099 |
長女の家族5人はよく我が山荘にやってくるが、孫たち含め中村農場のオレンジ卵(10個入り750円)と名物の親子丼(1000円)がお気に入りで、「安晏」にはめったに来ないから、いつもここで「紹興酒と酢豚で飲んでいるのは私と山の仲間という図式である。
「安晏」のオーナーは陳建忠さんで奥さんは日本人。以前東京・国立で同名の店を出していて、かなりの贔屓客がいたようだが2013年頃八ヶ岳山麓に移住してこの店を開いた。 サイトの亭主はここからすぐ近くの八ケ岳高原ロッジ周辺に展開する「海の口自然郷」に住んで30数年になる。住人でオーナー会を作っているのだが、同じ仲間が「安晏」をこの地に引っ張ってきたというので、皆で利用するようになった。国立で私学経営をしていたこの人が贔屓にしていた「安晏」オーナー夫妻を自分の別荘に招いたりするうちに、夫妻がすっかりこの地を気に入り、移住を決めたそうだ。 いずれはこういう場所で暮らしたいと思っていたということもあって、ちょうど売りに出ていたペンションを購入してペンション経営と上海家庭料理 の店をオープンさせたという。併設のペンションは「B&B晴」といい、素泊まり5000円、朝食に上海おかゆ付きで6500(税別)という安さ。 前置きが長くなった。この店はメニュー数も豊富で一品料理や点心、ご飯・麺類まである。手書きのメニューでも分かる通りその季節の食材を使ってしょっちゅう書き換えられるが、2021年のある日は下記のような具合。酢豚を注文したとき細々と説明された。日本で酢豚と言うと豚肉、タケノコ、時にはパイナップルまで加えた甘酢和えといったイメージだが、上海ではメニューにあるように「豚の角煮」であることことなど奥さんからくわしく念を押された。
・ランチタイムセットメニュー 1,580円 ・マーボー豆腐 1,200円 ・レタス炒飯 1,100円 ・豚角煮 1,500円 ・焼ソバ(エビ・イカ入り)1,280円 ・ごま団子 680円 (いずれも税込) 卵ときくらげの炒め物とか麻婆豆腐とか水餃子、季節になるが上海蟹などが人気のようだ。いずれも上海料理らしいメニューだ。コロナ禍の前だが、仲間と紹興酒(グラス売りがなくて1本まるごと買う3000円くらいだった)を飲んでいたとき、地元の女性ばかり10人ほどがパーティーをしていたが、次々といろんな料理が運ばれていた。予算と希望でコース料理にも対応しているようだ。
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カレー 「ヴィラ・アフガン」(Villa Afghan) |
〒409-1501 山梨県北杜市大泉町西井出8240-3510 電話 0551-38-3148 |
その犬をこの店のオーナーがかつて飼っていた事に店名が由来するということだった。住所からは分かりづらいが、このあたりでは有名な「八ケ岳倶楽部」の隣りといったほうがいいかもしれない。タレントで一時日本野鳥の会会長などもした柳生博一家が経営するレストランである。
店は2階にあるがその階段というのが恐ろしく急で上から見ると垂直かと思うほど。もとは倉庫かなにかだったところに無理やり階段を付けたようで足元の不確かな同伴者がいる人は要注意だ。
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韮崎 |
森進一が「襟裳岬」で「襟裳の春は 何もない春です」と歌って地元から「何もないとは何事だ」と文句をいわれた。 韮崎も最初は通過地点で「何もない」ところだったが、韮崎高校の横を通って「こんなところからサッカーの中田英寿選手が出てきたのか」と殺風景なグラウンドをしばし眺めたことがある。彼は当初から権利意識をはっきりもっている男で、自分を高く売る技術にも長けている。インターネットの可能性に早くから気づいていて、彼のオフィシャルホー ムページを見てもファンとの双方向性に気を配っているのがわかる。技術的にも大変先進的で時々参考にしている。この街はナカタ以外にも、温泉やそば屋、サクラの名木など「いろいろある」ところだ。 |
フランス料理 「キュイエット 」 |
〒407-0174韮崎市穂坂町三ツ沢1129 TEL・FAX 0551-23-1650 |
雰囲気がいいのとリーズナブルな料金で洋食ではおすすめナンバーワン。こんなすばらしいレストランを「B級グルメ」などというコーナーで紹介しているのは 申し訳ないのだが、成り行き上なのでご勘弁を。 まずロケーションがいい。山登りのバイブル「百名山」の深田久弥の終焉の地は茅が岳(かやがだけ)だが、その登山口から ふもとにかけてゆったりとリンゴやサクランボ、そしてブドウ畑などの果樹農園が広がっている。 その真ん中にこの店はある。スレートや石積みのヨーロッパ農家風の建物が「キュイエット」(La cueillette)だ。 「cueillette」というのはフランス語で果実・花などの「摘み取り」とか 「収穫」といった意味だ。「la cueillette des pommes」は「リンゴ狩り」。「pommes」を「truffes」にすると「トリフ狩り」。この台地にはトリフ以外は果樹とか野菜とか「cueillette」対象の大地の恵みはどっさりある。 だから、前菜には周りで採れる無農薬野菜をサラダに、ブルーベリーや桃をデザートにあしらう。 個室2室と30席ほどのテーブルがあるが、どこからも窓の外に広がるブドウ畑と、その下の甲府盆地の西の端にあたる町並み、その上に南アルプスの山並みが展開する。 「山々の上に月が上がり、その左手に富士山が見えた時は感動しました」とサービスの若い女性。すぐ隣の須玉町の出身で山には慣れているのだけど新たな感動があるという。 テーブルのすぐ前からブドウ畑が広がっているので、ハウスワインがありそうだと思い、聞いてみたら、あれは生食用の 「巨峰」で、母親が世話をしているのだそうだ。オーナーシェフの山田真治さんは20歳で料理の世界に入り東京・横浜で修行をし、甲府では有名なフラン
ス料理店「ベルク」で8年間料理長を勤めた。28歳で本場の厨房が見たいと渡仏。ぶどう畑が広がるシャンパーニュ地方の古城を改築した一つ星レストラン「シャトー・ド・フェール」で修業を積んだ。その田舎の雰囲気にあこがれ、2003年5月、
38歳の時、実家が所有していたこの地で開業した。レストランのすぐ裏が自宅だ。 フランス料理が基本だが、こだわらずに食材とアイデアしだいで日本、アジア、イタリアなどさまざまなエスニックに変貌する創作料理の店といったところ。昼も夜もコース料理だけ。といっても、ランチは「A」(2400円)、「B」(3000円、 「C」(4000円)。 ディナーは「メニューA」(4200円)、「メニューB」(5500円)、「メニューC」(8000円)。安いと思う。 訪れたのは夏だったが、その日の「メニューA」は、 これで充分という量だった。「メニューC」は「宮城県産はさま牛ヒレ肉(150グラム)のグリエ」となるくらい。 味のほうも、それほどのグルメではないから説明不足だろうが、「素材の味が出ていて、結構」だった。 少し前といっても10年はたつが、ヘルシー志向でフランス料理のくどいソースが敬遠されるようになった。来日した三ツ星シェフのポール・ボギュースなどが日本料理を見て「ヌーベルキュジーヌ」(新しい料理)運動を提唱した。むずかしいようだが、 なに、肉や野菜の味をソースに頼らずそのまま生かそうということで、日本では昔から割烹の基本である。 「キュイエット」では近在の野菜や果物をそのま ま出していて、「ヌーベルキュジーヌ」など、とっくに実践している。たとえば野菜は、すぐ近くの高根町(清里)の無農 薬栽培の農家から仕入れているし、果物も庭先の農家や近在からといった至近距離である。安くておいしい所以(ゆえん)だ。
この時の食事がすばらしかったので次女が「ここでの食事を毎年の恒例にしよう」と言い出し、2011年10月10日、ふたたび訪れた。私と犬とで夏の間八ケ岳で暮らしているが、 寒くなってくるので体育の日のあたりに迎えに来る家族と一緒に下りる。連休なので中央道が渋滞するが食事している間に解消するというメリットもある。 早く着きすぎたので駐車場で時間つぶしをした。折から、暮れなずむ南アルプスのシルエットが夕焼けに浮かび上がって美しい景色を堪能できた。山なみの下に甲府盆地のともしびがまたたいている。そんなロケーションにある。 今回も満足する内容だった。オードブルに近くの北杜市で一軒だけ作っている農家があるという黒いちぢくや南アルプス市の食用ほおずきが出てきた。日本ではまだ珍しい食材である。1000円加算されるが肉料理のフィレ肉やソース、またその量も申し分なかった。デザートのブドウ も昨年と違う切り込みが入っていたし、付け合せの飴細工も凝ったもので毎年研究していることがうかがわれた。 前夜、八ケ岳高原ロッジで食事をした家内と娘が、和食で出てきた栗が缶詰でシロップもそのまま使っているし、サービスの間の悪いことといったらなかったと慨嘆していた。 それに比べてキュイエットの料理のすばらしさと料金の安さといったら群を抜いている。あまりに感心したので帰りに山田真治シェフを引っ張り出して記念写真を撮った。来年も出かけることになりそうだ。
【だんだんファンがふえてきた】 カレンダーの都合でこの年は体育の日が10月8日だったが、家族3人(長女が嫁に行ってこれが全員)でいそいそと訪ねた。次女はこれまでは参加不参加まちまちだったのだが、すっかり気に入って何を置いても山に来るようになって3年 連続である。だんだん予約が取りにくくなってきたというので3週間ほど前に家内が申し込んだのだが、覚えていてくれたのか、一部屋だけある個室に案内された。窓外に甲府盆地の夜景が広がっていて実に雰囲気がいい。山田シェフも折々に 現れて食材や料理方法を説明にあたってくれた。 毎年説明に困るのがメニューで、メモ仕切れない。見当がつかない料理用語もある。写真を撮るかコピーを頼むかと考えていたら、娘がいつからかキュイエットのホームページができてそこに掲載されていると教えてくれた。7月に娘と昼の食事をしたのだが
、単純な比較だがやはり夜のメニューの方がおいしい、とは娘の話。
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甲府 |
甲府は途中通過の街なので八ヶ岳への行き帰りでは一気に駆け抜けていた。渋滞を避けて裏道の広域農道を通ったり、北側の山の中を通るクリスタル
ラインが通行止めでやむなく下に降りるなどしているうちに、温泉に入るようになった。富士火山帯沿いで400も温泉があるのだ。ついでに食事をする。県
都だけに結構いい店があるのだが、「甲府時間」というのか、ほとんどの地元資本の飲食店は午後2時から夕方まで休む。不思議だ。 |
支那そば 「蓬莱軒」 |
〒400-0032 山梨県甲府市中央4-12-28 TEL 055-233-2458 |
私と同じく「支那そば」の名前にこだわるところがうれしい。一般には「ラーメン」と「支那そば」は同じものではあるが、サイトの亭主は厳然と区別している。今はないが札幌の北16条、北大そばにあった「爐」(いろり)のものが「ラーメン」であり、これまた今は消えたが昭和30年代まで大阪・心斎橋筋の戎橋裏にあった「桃園」ものが「支那そば」である。 だからここの店名の「支那そば・餃子工房 蓬来軒」など大いに支持する。店主 いわく「差別用語ではないのに消し去られた言葉”支那そば”。そのルーツをたどり、再現すべく、努力を重ねてきました」とある。そのとおりなのだ。
豚骨系などしつこいラーメンが多い中、おいしい部類には入るが、サイトの亭主の分類では「ラーメン」である。上述の「桃園」の「支那そば」のスープは「蓬莱軒」よりもっと澄んでいて、麺はもっと細かった。 支那そばというとき必須のものは、「梘水」(かんすい)を使った麺であるということだ。鹹水、乾水、漢水、鹸水と書き方は多種だが、「麺に独特の食感や喉越し、色味を与える添加物」で成分的には炭酸カリウム(液体かんすい)か炭酸ナトリウム(固形かんすい)だ。この店の麺はもちろん「かんすい」を使っている。
支那そば 850円 五目そば 1150円 チャーシューメン 1200円 湯麺(タンメン) 1050円 広東麺 1050円 天津麺 1150円 焼きそば 800円 餃子 500円 炒飯 800円 中華丼 950円 (2023年4月) 中にはテーブル30席・座敷42席・カウンター6席ある。甲府の中心部にある店舗としては広いが行列で待ち時間があるときも。そんなときは名前を書いて呼び出しを待つ11名掛けの待ち合い席がある。
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甲府鳥もつ煮 「奥藤」 |
〒400-0043 甲府市国母7−5−12 TEL 055-222-0910 |
2010年8月、厚木市で開かれたB級グルメの祭典「第5回B−1グランプリ」で「甲府鳥もつ煮」がゴールドグランプリを獲得したというので突然、甲府に観光客 が押し寄せるようになった。経済効果は年間28億円だと試算するところもある。 八ケ岳に向かう道中のB級グルメ推奨店のピックアップコーナーを設けている当サイトとしても取り上げないわけにはいかない。しかし、山梨あたりを徘徊した人な らわかろうが、そば屋から居酒屋にいたるまで、どこでも普通に出てくる食べ物である。私も隣の人がこれを食べながら飲んでいるのを見て真似して頼んで、結構 いけることは、そば屋「瓢亭」のくだりでも書いた。
山梨県で食べられている「甲府鳥もつ煮」はニワトリの内臓「もつ」を砂糖と醤油で煮込んだもので、完成品は水分が少なく、照り焼きに似た状態で出てくる。「 もつ」と総称される鶏の内臓部位のうち、主に砂肝、ハツ、レバー、ヒモ、「キンカン」を使用した料理だ。「キンカン」というのは、鶏の体内で成長途中の卵の 名称で、成長過程で白身(卵白)や殻が作られて卵になるのだが数珠のような形で存在する。この腹子(まだ生み出されていない卵)は柑橘類のキンカンに似たオレ ンジ色をしていることからの名前だ。 「甲府鳥もつ煮」の発祥はそば屋「奥藤(おくとう)」である。甲府のそば屋の名店「奥村」から暖簾分けされた職人「塩見藤四郎」が始めた店なのでこの屋号に なった。当時、鶏肉はカシワとして上客の口にしか入らない貴重な肉だったが、一方鳥の内蔵である「もつ」は食べられることなく捨てられていた。1950年(昭和25 年)頃に2代目主人・塩見勇蔵が鳥もつを使って料理を造ることを発案、調理担当の弟・塩見力造がレシピを完成させた。砂糖と醤油だけを使って小鍋で素早く照り 煮する。飴状のタレが絡まっていて汁気はない。このタレ自体は焼き鳥で使用されるタレと同じ味がする。 調理のこつは強火と素早い鍋振りだという。鍋の持ち手が焼けてすぐに使い物にならなくなるため、奥藤本店ではペンチでつかんで鍋を振る独特の方法で仕上げ
る。 そば屋発祥の料理だけに山梨県のそば屋やほうとう料理店の定番となり、逆に焼き鳥屋ではあまり出てこない。B級グルメ日本一に選ばれてから、「奥藤本店」駐 車場は県外ナンバーの車で埋まるほど。今ではとんかつ店やスーパーでも扱うほどのフィーバーになっている。 本店からのれん分けした10店で「奥藤暖簾会」を作っていて、甲府市一帯でレシピを同じくしたものが食べられるが、多くのそば屋や飲食店でも出している。
ブームで甲府駅前に本店移す
もともと大正2年に駅前で開業したそば屋で、甲府鳥もつ煮もこの地で開発されたのだが、人口のドーナツ現象にともない郊外に移転していた。ブームで15年ぶり に駅前に戻ったもので、上で本店として紹介した同市国母の店舗は、「国母店」として営業を続ける。 駅前店は平和通り沿いにあり、広さ約188平方メートル。80席。もう一つの郷土食「ほうとう」の小作本店も近く。手打ちそばと鳥もつ煮を組み合わせた 「鳥もつセット」(1180円)をはじめ、地物を意識したメニュー。午前11時から午後8時半まで営業。 甲府駅前店 山梨県甲府市丸の内1-7-4 電話 055(232)0910 |
静岡市・三島市 |
八ヶ岳のB級グルメガイドに静岡県とはなんだ、と思うかもしれないが八ヶ岳からすぐなのだ。中部横断道 がほんの少しの区間しか開通してないが、韮崎から国道52号線を走れば、最近静岡市に合併になったが 清水市に出る。中央道・河口湖線を使えば沼津まですぐだ。要するに静岡市と三島市にうまいうなぎ屋が あるから紹介しようというだけのことだ。何かのついでにどうぞ。 |
うなぎ 「石橋」 |
〒422-8053 静岡県静岡市西中原1−6−13 TEL 054-281-5432 |
静岡に1年間ほど赴任したので知った店。うなぎの「一本焼き」といいうか「姿焼き」というか頭から尻尾までまるごと出てくる。釣り針もついてくるという伝説があったが養殖うなぎの時代にそれはない。ここのうなぎは同じ静岡県吉田町から来る。メニューは「一本焼き定食 2,450円」だけ。蒸すか焼くか、料理法の分水嶺は浜名湖にあるのだが、ここは越境してまるっきりの関西式で、蒸さずに焼く方式。
「鰻の稚魚が入荷し難くなったので50円値上げさせて下さい。」と書かれていたりする。2000円以内の時から知っているが、時々小刻みに値上げする。石橋というのは経営者の姓で先代の創業から40年ほど。壁に柳家小さん、永六輔、藤村俊二など古い名前の色紙がある。静岡を訪れる芸人は、ここのうなぎか丸子のとろろ汁を食べて帰るのが定番になっている。
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三島のうなぎ 三島市では古くからうなぎは「三嶋大社のお使い」とされて、食べなかった。徳川二代将軍、秀忠は三島に泊まった際、家来が神社の神池のうなぎを食べたのを知り処刑したと伝えられるほどで、市内を流れる桜川などにはたくさんのうなぎがいた。幕末になってやっと食べられるようになった。現在市民11万人だが、うなぎ屋が80軒もある「うなぎの町」だ。三島のうなぎがうまいのは富士山の湧き水を使って餌なしで1週間真水にさらし余分な脂肪や臭みを落とし身を引き締めるからだといわれる。
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三島のうなぎ屋の御三家は「桜屋」と「水泉園」と「うなよし」だろう。「うなよし」は 「本町うなよし」と「元祖うなよし」(うなよし本店とも)があり争っている。以前に新聞社の三島通信部にいた老記者と私の私情を交えて独断すれば、上に書いた順番でうまい。 番外に「うな繁」が入ると思うが、まあ似たり寄ったりで、微細に味を表現するほどの違いはない。 値段と量と店構えで独自にランクすればよい話だ。ただ三島という場所は他所よりうなぎが旨いとだけはいえよう。一切の論評なしに紹介する。
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うなぎ 「桜屋」 |
〒411-0856 静岡県三島市広小路13−2 TEL 055-975-4520 |
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うなぎ 「水泉園」 |
〒411-0036 三島市一番町1−28 TEL 055-975-0268 |
戦後すぐからの店。うな重(きも吸、香物付)1,900 円。
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うなぎ 「元祖 うなよし 」 |
〒411-0848 三島市緑町21−6 TEL 055-975-3340 |
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うなぎ 「本町 うなよし 」 |
〒411-0855 三島市本町1−37 TEL:055-975-0499 フリーダイアル:0120-30-0499 |
「うなよし」は2軒争っているので、こちらは住所をとって「本町」(ほんちょう)うなよしという。
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