2009年12月   課題: しぐれ

富士を見ぬ日ぞ


 旧東海道の箱根峠から三島宿へと下って行く道を西坂みちという。旧東海道歩きの一環として、数年前のゴールデンウイークに芦ノ湖畔の箱根関所跡からこの道を歩いた。

 箱根峠には標高846メートルという標識がたっていた。旧東海道での最高地点だ。峠の国道沿いに、一群の石碑があった。「新箱根八里記念碑(峠の地蔵)」と説明板にはある。よく見ると大胆にデフォルメされた地蔵さんで、胸にそれぞれ文字が彫られている。揮毫したのは、黒柳徹子や向井千秋など著名な8人の女性だ。例えば「おしん 辛抱」は橋田壽賀子である。作られたのは2003年、旧街道を散策する人の憩いになればという願いで作られたという。

 箱根峠からはいよいよ西坂みちの下りだ。最初の甲石坂に入るとすぐに井上靖の「北斗闌干」と揮毫した石碑がある。険峻な小田原側と違い、西坂みちはだらだらと単調な道で、のんびりと歩ける。そのためか、沿道の石碑が目につく。甲石坂は両側から細い竹が覆い被さり、まるで竹のトンネルのような所。ひたすら下っていく。左側からは国道を行く車の響きと、時々ツーリングのバイクの轟音が聞こえ、頭上ではひっきりなしにウグイスが鳴く。足下には所々に薄紫の可憐な花が咲く。快適なウオーキングだ。

  石原坂、大枯木坂、小枯木坂といった坂を下る。下り切ると、中山城址。箱根を越えたこんな所まで北条の出城があったことに驚く。城は小田原攻めの秀吉の大軍に半日で落とされた。

 中山城址から少し下ると富士見平に出る。正面に富士山。すそ野まで見えるから雄大である。あいにく頂上は薄雲がかかっている。雲は左から右にかなりの速度で流れていく。左側には青空が広がるので、雲はすぐに切れると思ったがなかなか切れない。富士山のすぐ左手で雲が湧いてくるのだ。次々に発生して山頂を隠している。しばらく待つうちに、やっと山頂の全容が現れた。

 富士見平の1号線脇に芭蕉の句碑が建つ。畳3枚はあろうかという巨大な長方形。昭和53年建立で、苔もついていない無骨な石碑だ。

 霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き

 芭蕉がここを通ったのは1684年、貞享元年の秋、江戸深川から故郷の伊賀に向かう道中だ。この旅は後に「野ざらし紀行」としてまとめられたが、句はその最初の方、箱根越えの際に詠まれた。芭蕉は富士を見ることが出来なかった。凡人は残念だと悔しがり、天候を恨み嘆くだろう。芭蕉は嘆かない。かえって面白いという。一読、単なる負け惜しみだと思ったが、味わってみると定型化された富士だけが富士ではないという芭蕉の心意気が感じられる。もっといえば、絶景の地で富士を見ることが出来ないこともあるのが旅というものだ、人生もそれと同じだと言っているように思える。

 富士見平から三島宿まではさらに2時間あまりの道のりだ。

 私はその後も街道歩きを続けている。芭蕉翁のように「富士を見ぬ日ぞ面白き」という心境にいつの日か達したいという思いをこめて。

                                               2009-12-16 up

 補足      2012-05-05 up

 この作品のおよそ半年後、私も句作を始めた。
 私のしぐれの一句

 
初しぐれ猫の温もり膝の上

 なお、芭蕉には

 
初しぐれ猿も小蓑をほしげ也

 という名句がある。芭蕉一門による俳諧選集『猿蓑』の冒頭の句で、選集の名前にもなった。

 

 富士見平の芭蕉句碑



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