2024年11月 課題:故郷
故郷を詠む
潮騒のつづら坂道紅椿 椿:春
垣に咲く椿の蜜の甘かりき
私が生まれたのは横浜駅近い町中。しかし、私の故郷は、戦争による疎開で昭和23年12月、10歳まで過ごした豊橋市の両親の里だ。豊橋市の中心から真っ直ぐ南に行った渥美半島の太平洋に面する西七根村。
渥美半島の中央は台地が東西に走っており太平洋側は標高50メートルほどの海蝕崖となっていて、つづらり折りの坂道が海岸へと下っている。この地域は一年中黒光りする照葉樹林に蔽われていて、坂道にある一本の椿の花は彩りとなる。下った先は水際まで30メートルはある白砂の砂浜となる。
私がいたのは母の実家だが、隣は父の家だった。父の家は十数代続く農家で、母の家は父の家の分家である。父の家との境に椿の垣根があった。落花する前に花を摘み、裂いて奥にある蜜を啜った。
口染めて山桃食みし母の里 山桃:夏
山桃酒色を深めて梅雨の明け 梅雨明け:夏
母の家には大きな山桃の木があった。6月の中ごろになると、実が赤紫色に熟す。少し渋いが、甘い。私は倉の屋根に上り、ヤマモモをほおばった。
私が住む町にも公園に山桃の木がある。毎年たくさんの実をつけるが、大人も子供も見向きもせずに放置されている。そんな山桃がかわいそうで採ってきて、焼酎と氷砂糖を加えヤマモモ酒としている。今年も鮮やかな紅色になってきた。
鰯来る遠州灘の色変へて 鰯:秋
風紋の立つ砂浜や鰯引く
西七根村では江戸時代から地引き網漁が行われてきた。戦争中漁ができなかったため、戦後再開された地引き網は豊漁が続いた。崖の上に色見場といって、眼下に広がる遠州灘を見張るところがあった。魚群がやってくると、海の色が変わる。すると色見場から「ホーイ・ホーイ」とよく通る声で合図する。母の家は色見場から森を隔てた三百メートルほどのところにあったが、「ホーイ・ホーイ」はよく聞こえた。声を合図に人びとが浜に駆けつけ魚群目指して和船を漕ぎだす。鰯がよく獲れ、直ぐに大釜で茹でて、蓆に干して煮干しにしたり肥料にもした。子供たちも漁があると、籠を持って浜に出かけ、おこぼれの鰯などを分けてもらった。
一本の針金で成る兎罠 兎、兎罠、兎狩:冬
集落の大人挙りて兎狩
海岸近くの森には野兎がいた。一本の針金の先端を丸めて小さな輪を作り、もう一端をその輪に通して罠を作る。そんな簡単な罠に兎がかかったことがる。多分食用にしたのだが、私にはその記憶はない。この森で一度、集落の大人が総出で、兎狩りを行った。各方面から兎を待ち受ける網に向かって追い立てるのだ。結果は網の前で皆げられてしまったとのことだった。
75年以上も前の西七根での歳月は、私の中で生涯にわたって美化され、思い出され、記憶が再生されてゆく。
補足:本作品のもう少しくわしい内容は「表浜の浜辺で」を参照
2024-11-20 up
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