2024年12月 課題:教室
エッセイ教室30年
1994年の秋、日経新聞のNHKセンター青山の新規講座の広告がたまたま眼に入った。中に「下重暁子のエッセイ教室」が10月に開講するとあった。勤務先が虎ノ門で、通勤は青山一丁目で田園都市線に乗り換える。時間も6時15分からなので、帰宅途中に寄るのに都合が良い。文章を書くことは好きだったので、すぐに申し込んだ。
10月18日第3火曜日初回教室。受講生26名。申し込み順に番号が付いていて、その順に先生を囲むようにコの字に形に座る。私は2番、1番も男性で隣り合った。
初回はまず下重先生と受講生の簡単な自己紹介。下重先生は自身の体重がどのくらいだと思うかと皆に問いかけた。50キロぐらいだろうと思った。先生は40キロを切るかどうかで、体重感知式の自動ドアだと開かないことがあるとのこと。私は自己紹介で、先生の体重は50キロくらいと推察したが、ものを見る目がないことを痛感し、それを養いたいと言った。
受講生はバラエティに富んだ人びとだった。フランス人でNHKのフランス語講座担当のピエール・ジルさん。単純な言葉でも奥行きの深いものが書けるかもしれないと思って受講したと言う。在日10年の中国人女性。彼女は10歳のときから数年間体験した文化大革命の時期にはものを書くことができなかったいう。その他NHKラジオ深夜便担当の女性アナウンサー、女優を目指して京都から上京した人など。
ジルさんは数回作品を出した。しっかりした日本語で、日本人とは違ったものの見方を示していたように記憶する。続けてくれると面白いなと思ったが、半年でやめてしまった。
中国の女性もどんなことを書くか期待が大きかったが、一度も作品を出すことなくすぐにやめてしまった。
正直に書く、自分を確かめること、書くことは恥をかくこと、言葉を探す、教室では文章を手を取り教えることはしない、皆の書いてきたものを批評し合うという進め方をする。
下重先生はこう述べ、翌月の課題として「紅葉」が出された。この基本はいまもブレることなく定着している。
今年2024年10月で下重暁子のエッセイ教室は30年を迎えた。驚くのは下重先生の丈夫なこと。40キロと言っていた体重でこのスタミナは何だろうと思う。この間コロナウイスル禍や東日本大震災の際の休講はあっても自身の体調不良での休講は一度もない。この12月で357回を迎えた。毎月の課題は重複しないことを原則としている。
私もここまで欠けることなく付き合って356編(初回はオリエンテーションで作品はなし)のエッセイを物した。現役のサラリーマンだった頃は教室には出られないこともあり、また2回の1ヶ月に渡る入院もあったが、作品だけは出し続けた。初回に述べたものを見る眼も少しは養われたと思う。
なぜ続けられたのか?下重先生を初め、受講生との交流が他では得られないものだからだが、基本的には私は文章を作ることが好きなのだ。
2002年にそれまでの86編をまとめて『冬至の太陽』という題で出版した。その後の作品は私のホームページに毎月掲載している。
補足:ピエール・ジルさんは現在でも活躍されている。「ピエール・ジル」で検索すれば活躍ぶりが分かる。
2024-12-20 up
|