2024年10月 課題:虫の音
鈴虫と松虫
俳句では「虫」は秋に鳴く虫の総称。傍題季語として「虫の声」「虫の音」「虫すだく」「虫時雨」などがあり、いずれも虫の鳴き声を表している。蟋蟀、鈴虫、松虫、鉦叩、きりぎりすなどはそれぞれ独立の季語となっている。しかし、個々の虫に名前をつけて愛でるようになったのは平安時代で、万葉集には蟋蟀が虫の総称として詠まれているという。
『源氏物語』の38帖は「鈴虫」。出家した若き正妻三の宮への源氏の未練が語られる。源氏50歳、亡くなる2年前の夏から秋へのこと。
源氏は兄朱雀院から依頼され皇女三の宮を正妻として迎えた。源氏40歳、三の宮14歳の時である。やがて三の宮は男子を生む。しかしそれは源氏の子ではなく、若き貴公子柏木の子である。柏木は三の宮の出産後なくなる。三の宮も産後の体調不良と、罪悪感から出家を願う。源氏は強く反対するが、三の宮は父朱雀院の手で髪を下ろしてしまう。源氏も子供が自分の子ではなく、柏木の子であることを知るが、そのことは一切口外しない。
出家した三の宮は源氏の大邸宅六条院を出たいというが、源氏は認めない。六条院の三の宮の住まいの前庭を野原のように造園し、そこにたくさんの虫を放し飼いにする。夕暮れになると、虫の音を聞きたくなったと言って三の宮の所にやっている。それは口実で、本心は三の宮の出家をあきらめきれない気持ちを訴えるためだ。尼となった三の宮はそんな源氏の来訪は迷惑であり、源氏の好き心を受け入れるわけにはいかない。
8月15日、十五夜の月が上がる前、三の宮が仏前で念仏を唱えていると、源氏がいつものようにやって来た。
「虫の声が実によく鳴き乱れる夕暮れですね」と源氏はいう。降るように聞こえる虫の声の中では、とりわけ鈴虫の声が鈴を振るように聞こえて華やかな風情がある。
鈴虫と松虫を比較して源氏は以下のようにいう。
秋の虫は皆声が美しいが、特に松虫が良いと言って、秋好む中宮(冷泉院の中宮)がわざわざ遠い野をわけて集めてきた。しかし、庭では野原で鳴くように鳴いたのは少なかったそうだ。松虫というめでたい名に似ずはかない命のようだ。人のいない山奥や遠い野原では思う存分、声を惜しまず鳴くというのは、人の気持ちの分からない虫だ。それに比べると鈴虫は気軽にどこでも賑やかに鳴き、今風で可愛い。
源氏の言葉に三の宮は歌で返す。
大方の秋をばうしと知りにしをふり捨てがたき鈴虫の声
秋というのは辛いものと知ってしまったのに、鈴虫の声を聞くとその秋も捨て難い。
源氏も歌で返す。
心もて草の宿りをいとへどもなほ鈴虫の声ぞふりせぬ
あなたはこの草の家を厭うけれど、鈴虫の声が古びないように、あなたも若々しい。
千年も前の人がこのように虫の声を聞き分けているのに、私は鈴虫にも松虫にもなじみがない。ネットで鈴虫、松虫の鳴き声を聞いてみた。鈴虫は「リーンリン」松虫は「チンチロリン」。
私も鈴虫の鳴き声の方が好きだ。
補足;
歌の解釈など、執筆に際しては岩波文庫『源氏物語』、および瀬戸内寂聴の現代語訳『源氏物語』を参照した。
2024-10-17 up
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