2023年9月 課題:並木
ザ・ラストシーン
ひとり行く女の背ナや冬木立
定例の句会が終わり、まだ1時間ほど時間があったので、いつものように即興の句会をやった。席題は季語「冬木」と漢字「追」。制限時間は20分ほど。苦吟の末に浮かんだのが映画「第三の男」のラストシーン。すっかり落葉したウイーンの墓地の長い並木道。待つ男の前を女は見向きもせずに通り過ぎる。
全員の投句が揃って驚いた。
「第三の男」のラスト冬木立
私より少し若い女性Uさんの作品だ。
グレアム・グリーン原作のこの作品が映画化されたのは1949年。舞台は米英仏ソ四カ国の占領統治下のウィーン。
アメリカ人作家のマーチンズ(ジョセフ・コットン)は、友人のハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)に呼ばれてウイーンにやってくる。しかし、直前にハリーは交通事故で亡くなっていた。彼の死に疑問を感じたマーチンズは、ハリーの愛人、女優アンナ(アリダ・ヴァリ)を訪ね、色々と聞き出す。やがてハリーは生きていることが判明。アンナもマーチンズも知らなかったハリーの商売は闇でペニシリンを流すこと。希釈されたペニシリンで、子供たちの命が奪われていくのを目にしたマーチンズはイギリス軍当局と協力し、ハリーを追う。ウィーンの巨大な地下下水道でのハリー追跡劇はこの映画の見所。
ハリーはマーチンズに撃たれる。ハリーの埋葬に立ち会ったのはマーチンズと、アンナと、ハリー追跡の指揮を執ったイギリスの少佐の三人。帰国を決意したマーチンズは空港まで送るという少佐の車に乗り込む。しかし、途中で降りて歩いてくるアンナを待つ。いつしか彼の心にはアンナへの愛が芽ばえていた。しかし、女は男には一瞥もくれず背筋を伸ばして通り過ぎる。
私はこの映画をかなり以前に名画としてみたような気がするが、定かでない。CDで見たのは数年前だ。私の句はその時の印象だろう。今、見直してみると女の背中は写っていない。女は画面から消え、画面一杯に映し出されたのは女が歩いてきた長い並木道と、左下隅で男が吸っていたタバコを投げ捨てるシーンで終わる。「女の背ナ」は私のイメージの産物であった。
句会では私より年配の男性Yさんが私の句とUさんの句を両方選んだ。高校時代、クラスメートがこの映画を4回も観たといっていた。私と同世代には強烈な印象を与えた映画であったが、年齢の若い句友は誰も選ばなかった。
念のため『第三の男』も読んでみた。巻末の川本三郎による解説では、グリーンはこの小説を映画化を前提として書いた。映画化に当たっては映画制作者側と相談しながら、変更を受け入れた。最大の変更はラストシーンだという。
以下原作:私は彼が長い脚で彼女のあとを追っていくのを見守っていた。追いつくと、二人は肩を並べて歩き出した。(中略)私の視野から消える前に、彼女の手は彼の腕に通された――。(小津次郎訳、早川書房。「私」とは少佐のこと)
この結末では「並木」や「冬木」からこのラストに思い至ることはなかったかもしれない。
補足
Uさんの句はどこにも投句されてはおらず、その予定もないとことで私のHPに載せることを快諾してくれた。
教室では、私と同年配の女性がやはり「第三の男」のラストシーンに触れた作品を書いてきた。
ひょっとすると誰かがあのシーンのことを取り上げた作品を書くのではないかと思っていたが、それが的中した
講師の下重暁子さんは、男がタバコを投げ捨てるシーンを覚えているという。そして、ウィーンに行った際、あの並木道を見に行ったとも。
ウィーンの大観覧車の中で、ハリーがマーチンズに言う「ボルジア家の圧政はミケランジェロ、レオナルドダビンチそしてルネッサンスを生んだが、スイス500年の泰平は鳩時計しか生まなかった…… 云々」についてはエッセイ「穏やかな風土――我がルーツ」を参照。
2023-09-20 up
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