2016年4月  課題:「空港」


台湾、三つの驚き


 2010年、観光目的で10年ぶりに台湾に行った。

 驚いたことが三つあった。

 一つは台湾の北の玄関口である空港が「桃園国際空港」という名称になっていたこと。10年前は「中正国際空港」であった。「中正」は蒋介石の正式な名前。日本の航空会社では「蒋介石国際空港」とも呼んでいた。こうした公共施設に個人名はどうかと思ったが、ニューヨークのJFケネディ空港、パリのシャルル・ド・ゴール空港があり、蒋介石に対する人々の思いを表すものとして納得した。

 桃園国際空港は桃園市にあり、台北からはバスで50分ほど。もともと桃園と命名される予定だったが、開港時点では中正に改称された。当初予定の桃園国際空港になったのは2006年。改名の背景には台湾の政治事情が絡んでいる。2000年に行われた台湾総統選挙で、民進党の陳水扁が国民党候補に勝った。国民党以外からの初めての総統である。陳水扁は2008年まで、2期8年間総統の地位にあった。その間に、国民党色を払拭しようとしたのだ。

 政治的な改名の例は他にもある。台北市内には蒋介石を顕彰する中正記念堂が1980年に建てられた。この名称も民進党下で「民主記念堂」と改められた。しかし、2008年に国民党の馬英九が総統につくと、中正記念堂に戻った。もともと「民主記念堂」という名称は評判が悪かったというから、先頃行われた選挙で勝った民進党の蔡英文がこの名称を変えることはないだろう。一方、空港は国民党下でも「桃園」がそのまま残った。

 二つ目の驚きは、大陸からの観光客が多いこと。かつて日本人観光客で占められていたホテルや土産物屋や観光名所が、今では中国人観光客の方が多くなったという。新装なった故宮博物館でそれを実感。
2000年に行った時は見学者もまばらでどの展示物もゆっくりと見られたが、10年後はどの展示室も大陸からの観光客であふれていた。人混みを掻き分けてガイドについて行くのが精一杯だった。中国との交流に慎重な民進党に代わり、2008年に政権についた国民党が、大陸との「通商」「通航」「通郵」のいわゆる「三通」を認め、どっと大陸からの観光客が押し寄せたのだ。

 最後の驚きは桃園国際空港の出国手続きを済ませた後のショッピングエリアにあった本屋。日本人作家の翻訳本コーナーがあり、村上春樹の『1Q84』があった。原作の発行からわずか一年後だ。その他にも村上龍『無趣味のすすめ』、東野圭吾、宮部みゆき、角田光代などの現代の人気作家の作品、松本清張や隆慶一郎もあり、さらに与謝野晶子の『乱髪』まであった。本屋のある場所から考えて、客は大陸からの観光客だ。

 さらに「大陸からの観光客必見書」と称するコーナーには、蒋介石や、蒋国経の伝記、毛沢東の伝記、天安門事件などが並んでいる。毛沢東の伝記は恐らく彼の暗い面を暴いたものではないか。中国当局もこうした海外からの情報の流入は黙認せざるを得ないようだ。

補足

 教室では民進党政権下では大陸との交流が制限されるのではないかというコメントがあった。私は、多分それはないだろうと答えた。また、中国当局は、こうした情報の流入を規制しないのかというコメントもあった。100万単位の人が台湾に訪れるので、いちいち荷物などチェックなど出来ないだろう。こうした情報の流入が、時間はかかるが、中国の社会を変えていくだろうと答えた。

 下重さんは、上海に行くと、日本人作家の中国語訳がたくさん並んでいるという。北京は統制が厳しく、北京の作家は国家主導のペンクラブに入っているが、上海にいる作家はそんなペンクラブなどには入らず、自由に書いているという。下重さんは日本ペンクラブの副会長として、中国ペンクラブとの交流で訪中したことがある。

 与謝野晶子の『乱髪』の中国語版は、興味があったので空港で買ってきた。感想は→読書ノート『乱髪

   2016-04-20 up



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