2016年5月  課題:「ホール・劇場」


ウイーン国立歌劇場

 案内されたのは、赤い絨毯を敷き詰めた2階正面のボックス席。一番前に私が座り、うしろに同僚の大森さんとクルス夫妻が着席した頃は、1階席もほぼ埋まっていた。

 ウイーン国立歌劇場は1階はフロアになっているが、2階以上はすべてボックスシートで、舞台を半楕円形に取り囲んでいる。私の座った席はこの歌劇場の最高の席ではないか。そんな席のしかも最前列に座っていいものだろうか。周りのボックスシートからも、1階の客席からも視線が私に集中しているような気がした。舞台が始まったら、歌手と視線が合うのではないか。私は緊張で身を固くした。34年前の真冬のことだ。

 私にとって初めての本格オペラの鑑賞であった。演目はヴェルディの「ドンカルロ」。どんなオペラかまったく知らなかった。前もってわかっていればそれなりの勉強をしてきただろうと、残念であった。

 やがて開演。私は音楽に集中することで、緊張を解いていった。「ドンカルロ」は大作である。イタリア語で歌われ、中身の細部はわからなかった。ただ、ひたすら歌に耳を傾けた。私の知っているアリアはなかった。今でも記憶に残っている場面は、舞台背後のスクリーンに影絵のように映し出された何人かの人間が、炎に炙られるシーン。これは、ドンカルロの父、スペイン王のフィリッポU世が、オランダの新教徒を弾圧シーンであった。

 3時間を越す上演が終わってカーテンコール。ここで驚くべき光景を目にした。ドンカルロ役のテノール、エリザベッタ役のソプラノ、フィリッポU世役のバスには盛大な拍手と喝采が送られたのに、ロドリーゴ役のバリトンには拍手ではなくブーイングが浴びせられたのだ。バリトン歌手は泣きそうな表情で天井を見上げ、足早にカーテンの内へ引き下がっていった。私にはいずれも素晴らしいと思えた。ひどいことをすると思ったが、今思うと、聴衆のこうした容赦しない態度が、世界のトップレベルの歌手や楽団を育てているのだ。

 クルス氏はオーストリア専売の研究者で、私と同じようにタバコの成分の研究を行っていた。私はたまたま、ドイツのタバコ会社から、私の研究について講演を依頼され、ハンブルグに行った。その帰りにウイーンのクルス氏を訪ねたのだ。オーストリア専売は、ウイーン国立歌劇場の有力なパトロンだと、クルス氏から聞いて、あの特等席の謎が解けた。私が招待されたのはパトロンの席であったのだ。1784年設立という長い歴史を持つオーストリア専売は、歌劇場の最有力パトロンだったのだ。

 私のいた専売公社は、3年後の1985年に民営化された。オーストリア専売も2001年に民営化され、イギリス資本になったが、さらに2007年、日本たばこ産業(JT)の海外部門であるJTIに買収され、今はJTの傘下に入っている。観劇の翌日、私はウイーンの西、ハインブルクにあるオーストリア専売の工場を見学した。その工場が、最近合理化のために閉鎖されたという。

 JTは国内ではオーケストラの公演助成など、文化活動の支援に力を入れているから、工場のリストラは行っても、ウイーン国立歌劇場のパトロンという伝統と名誉ある役目から退いたりすることはないだろう。

   2016-05-24 up



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