2008年3月 課題:「色」

忍ぶ恋


   
 しのぶれど色に出にけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで

 私が百人一首の中で最初に好きになった歌かも知れない。中学生の頃だ。詠み人は平兼盛。耳で聞いただけで意味が理解できたのがその理由だ。とはいえ、例えば「君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪は降りつつ」のような平明な歌は他にもある中で、「しのぶれど」が好きになったのは、私だって恋の心がわかるのだぞという思春期の背伸びした感情があったのだろう。

 百人一首は正月に家族でやった。当然この歌は私の得意札であった。「ものやおもふと…」の札の位置をあらかじめ確認しておいて、上の句が読まれたらすかさず取った。父や母の前で、諳んじている数少ない札の一つが恋の歌であることを示すのは恥ずかしくもあった。

 この歌にまつわる有名なエピソードは平安朝貴族の歌にかける思いを知る上でも面白い。宮中での歌合わせでこの歌と優劣を競ったのは壬生忠身の

 恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひ初めしか

 である。優劣の判定がつけがたい秀歌で、判者が迷っていると、村上天皇が「しのぶれど…」とつぶやき、それで平兼盛が勝った。負けた壬生忠身はショックでその後、食事がのどを通らなくなり死んだと伝えられている。

 この歌も百人一首の一つ。人知れず思いを寄せ始めたところなのに、恋しているという噂がもう立ってしまった、という意味が私には読み取れなかった。「恋すてふ」「まだき」「しか」の意味がわからなかったからだ。

 同じ忍ぶ恋の歌でも、やはり「しのぶれど」の方が好きだ。「色に出にけり」と「ものや思う」という言い方は少し難しいが、中学生の私にもそれぞれ「顔色に出る、態度に出る」、「相手を思う、恋をする」という意味だろうと想像できた。逆に、「色に出る」「ものを思う」という言い方に、日本語の優雅を感じとったのも好きになった一因であろう。調べもいい。

 百人一首にはもっとすごい忍ぶ恋の歌がある。式子内親王の

 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする

 である。わが命よ、絶えるなら絶えておくれ、このまま永らえると、秘めた恋を忍ぶ力も弱まって、露見してしまう。何とも悲壮な歌だ。上の句の絶唱が胸に迫る。

 武士道の鑑とされる「葉隠」には、「恋の極意は忍恋と見立候。…一生忍んで思ひ死する事こそ恋の本意なれ」とある。三島由紀夫の「葉隠入門」はここを解説し、忍ぶことが少なくなればなるほど、恋はイメージの広がりを失い、対象の美化を失うと言っている。忍ぶ恋は日本人の好みのようだ。

 三島に同感だ。私にあっても打ち明けることなく終わった恋ほど対象は美化され、今では甘美な思い出へと昇華されている。

                           2008-03-21 up

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