2012年5月    課題:青葉

緑と青葉

「緑より青葉になりたい」
 人々はこう希望したが、行政当局は認めなかった。

 横浜市の北部に位置する緑区は、1994年に緑区と青葉区に分区された。住宅地として発展し、人口が急増したためだ。旧緑区の北部、田園都市線沿線を青葉区に、横浜線に沿う南部を新緑区に分けた。田園都市線と横浜線は長津田で交差する。長津田地区は恩田川が両区の境界とされた。その線引きからは緑区になる長津田駅周辺の住民が、青葉区に入りたいと要望したのだ。青葉区の持つハイセンスなイメージにあやかりたかったのだ。

 渋谷から二子玉川、溝の口を通り、小田急線の中央林間に達する田園都市線の沿線は、首都圏でも一、二を争う人気の住宅地だ。特に溝の口以西は、丘陵に新しい住宅が建ち並び駅前もきれいに整備されている。そもそも「田園都市線」という名称からしてしゃれている。青葉区内の急行停車の駅名も、たまプラーザ、あざみ野、青葉台だ。青葉台駅周辺の町名も藤が丘、梅ヶ丘、桜台、つつじヶ丘、榎が丘、千草台など、いかにも新興の宅地を思わせる。

 一方、横浜線は多摩地方の生糸を運ぶために1908年、横浜から八王子まで敷かれた。利用者は急増しているが沿線の整備はまだ十分ではなく、緑区の中心となる中山駅の南口では狭い道路を路線バスが歩行者をかすめて通る。私の最寄りの駅は十日市場という駅名で、私の住む町は霧が丘であるが、周辺には新治、八朔、青砥など意味のわかりにくい昔ながらの町名が残っている。

 7年前、青葉区の名を一層高めるニュースがあった。青葉区の男性の平均寿命が日本一になったのだ。住民の生活レベルが高く、居住環境がよく、医療機関や文化施設が充実していることがその原因だとされた。

 私は緑区に住むようになって、今年で39年になる。最初の8年は現青葉区にあった社宅住まい。その後、横浜線の南側に新しく開発された住宅地にマイホームを得た。もちろん分区によっても緑区のままだ。

 緑区はその名の通り緑の多い所だ。三保市民の森、新治市民の森といった自然林があり、恩田川の流域には広い農地が広がる。横浜線十日市場駅前の坂を恩田川に向かって下ると、水田が広がり、秋には稲穂の上にたくさんの表情豊かな案山子が立つ。「浜梨」を作る果樹園もある。

 私の菜園は緑区と青葉区を区切る東名高速道路際にある。菜園から東名をくぐると青葉区だ。ある時、東名下の青葉区側の道を歩いていた。たまたま向こうからやってきた、菜園仲間のW夫人が「あら、金子さん、青葉区に来ると服装も違うのね」と言った。青葉区にあるかつての職場を訪ねた私はスーツにネクタイ姿だった。普段野良着姿の私しか見ていない彼女の軽口だ。W家は菜園のそばにある緑区の旧家だが、やはり青葉と緑の差を意識しているのだ。

 先日、菜園でW夫人から筍をもらった。近くの竹林で掘ってきたところだという。急いで家に持って帰り、米ぬかを入れ茹でた。十日市場駅前の個人商店の店先には、1袋100円で筍用米ぬかがたくさん並べられていた。

 今どき、筍用の米ぬかを売る店が駅前にある。

 この街が私は好きだ。

     2012-05-18 up


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