2011年12月 課題: 菊

菊と桜
              

 菊を詠んだ短歌や俳句にどんなものがあるだろうか、しばらく思い巡らして、やっと一つ思い浮かんだ。百人一首の

 心あてに折ばやおらむ初霜のおきまどはせる白菊の花

 である。歌意は、初霜の白さで白菊のありかがわからなくなった、当てずっぽうに折ってみようか、というもの。出典は古今集、作者は凡河内躬恒(おおいこうちのみつね)。

 桜や梅に比べて、菊を詠んだ歌は余りポピュラーではない。百人一首を調べてみたら、菊はこの1首、桜は2首、桜を表す「花」が4首である。ついでに岩波文庫の『芭蕉句集』に当たってみた。誤伝および存疑に分類された句を除いて、982句のうち菊は32、桜26、桜を表す「花」57であった。百人一首ほどではないが、ここでも桜が菊を圧倒する。

 躬恒の歌、技巧的というか頭で考えた理屈っぽい歌だと思う。古今集の特徴といわれるものをよく表している。正岡子規は『歌よみに与ふる書』の中で、古今集をこき下ろした。批判の対象とされた歌の中には、躬恒のこの歌も入っている。子規は、初霜が白菊を隠すなどということはあり得ず、これは嘘の歌であると酷評する。どうせ嘘をつくなら、もっと大きな嘘をつけとさえ言う。一方、大岡信はこの歌の良さは、初霜の持つすがすがしさと白菊の清楚な気品の持つすがすがしさを、観念の中で対比させた妙にあるという。

 私も菊より桜が好きだ。細い花弁が密集した菊花の姿はけばけばしていてすがすがしさを感じない。ツンと来る匂いも好きになれない。バラの甘い香りの方が好きだ。

 5枚の花弁からなる桜はシンプルで清楚だ。それでいて、薄紅色には菊にないほのかな色気を感じる。それが無数に集まって咲く姿の妖艶さ。春ごとにほぼ同じ時期に一斉に花開く季節の忠実な伝達者。みなぎる生命力の中に漂う儚さ。散り際の見事さ。

 それらの特性が相まって桜は人々にさまざまな思いを引き起こす。この想念の喚起力という点で、菊の清楚な気品ではとても太刀打ちできない。

 西行は満開の桜の下での死を願った。その国学がやがては幕末の尊皇思想へと発展していく本居宣長でも、菊花ではなく桜花に大和心を譬えた。梶井基次郎は「桜の樹の下には屍体が埋まってゐる!」と書いた。

 桜の一句を挙げるなら次の句につきる。

 さまざまの事おもひ出す桜かな    芭蕉

 菊を書いていながら、桜のことになってしまった。これも両者の力関係のなせる技か。ちなみに、200回を超えたNHK文化センターの下重暁子のエッセイ教室で、菊は201番目の課題であり、桜は6番目の課題である。

   2011-12-21 up


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