2011年9月 課題: 夏休の思い出

軽井沢と詩人


  
 8月も末の31日、軽井沢の南ヶ丘「三五荘」で催された、私が学ぶNHK文化センターエッセイ教室の講師、下重暁子さんの詩の朗読会に行った。一部の詩は、受講生OBの佐伯恵美さんの演奏する西洋古楽器クラビコードにあわせて朗読された。軽井沢で下重さんの詩の朗読を聞くのは今回で4回目だ。静かに語りかけるような朗読は、心にしみ、詩は口に出して味わうものだとあらためて思う。

 1時間半の朗読の間に10人あまりの詩人が読まれた。茨木のり子、金子みすゞから始まり、室生犀星、立原道造、そして定番の「落葉松」の北原白秋と、軽井沢ゆかりの詩人が読まれる。その中に堀辰雄の詩もあった。小説家としての名前は知っていたが、詩も作っていたとは知らなかった。犀星、道造、それに読まれはしなかったが荻原朔太郎は日本近代叙情詩の頂点に立つ詩人たちだ。それがすべて、軽井沢に深いゆかりがあるという。犀星の別荘は軽井沢にあり、そこには、堀辰雄や立原道造を初め多くの詩人文人が集ったという。

 軽井沢には詩神ミューズが住むようだ。軽井沢の何が詩人を引きつけ、彼らに詩的インスピレーションを与えるのだろうか。四季折々の浅間山を初めとする佐久の風景か。高原の冷涼な空気に満たされた、深く、静寂な森が、彼らの憂愁をかき立てるのか。軽井沢のもつエキゾチックでモダンな雰囲気か。軽井沢を別荘地としたのは外国人だ。大正から昭和にかけてはそうした雰囲気が今よりはずっと濃かったであろう。

 三五荘へは、駅からタクシーで5分ほど。山梨県塩山にあった江戸時代末期の古民家を移築したもの。現在は板張りになっている土間で、下重さんと佐伯さんが朗読、演奏を行い、私たちは板の間とそれに続く畳の間に思い思いに座って聞いた。広い庭を吹き抜けてくる風が心地よい。屋根裏の3階まであり、太い柱や梁が見事な三五荘の広さに驚く。建築面積252uとのこと。これが豪農とは言え、農民のものであったのだ。関西の財界人の手により昭和10年に移築・修復され、現在は中央工学校所有。

 中央工学校は三五荘のある敷地一帯を、研修所として使っている。研修所の広い清潔な食堂で、朗読会に来たエッセイ教室受講生十数人と、下重夫妻、佐伯さんとで夕食をともにした。その席で、下重さんは、詩人になりたかったけれど、詩人では食べていけないからならなかったともらした。

 詩では食べていけない。誰でもそう思う。しかし、室生犀星は軽井沢に別荘を持った。堀辰雄の居宅は追分にあり、数年前に訪ねたが、芝生の見事な広々とした庭に驚いた。どうしてこのような家が持てるのだろうか。あまり詩的でない疑問がわいた。後で調べたが、彼らは特に資産家の家に生まれたわけではない。詩人でも第一人者ともなれば軽井沢に別荘を持つことも出来るということだ。2人とも小説を書いており、それが広く世に認められたことも経済的には大きいだろう。

 軽井沢で、俳句を1句詠みたかったが、残念ながらミューズは私にはおりてこなかった。


補足:課題は「夏の思い出」だが、軽井沢の下重さんの朗読会に参加した人はそのことを書いてほしいとの注文であった。

       2011-09-21 up


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